2008年の投稿詩 第211作は 忍夫 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-211

  清晨        

牽牛花綻到窓辺   牽牛花綻びて窓辺に到り、

白露散光風葉鮮   白露光を散らして、風葉鮮やかなり。

可愛清晨涼一味   愛すべし、清晨の涼一味。

幽庭放水爽於泉   幽庭に放水すれば、泉より爽やかなり。

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 窓辺の朝顔の花が咲いて、朝露を置いた葉が風にそよと揺れる。
夏の早朝の涼しさは、何とも清清しいもの。庭に水を撒けば、更に涼しげである。
夏の早朝のよさを詠みたいと思いました。

<感想>

 夏の朝の爽やかさを描き出した詩ですが、主題としては前半だけでもう完結している内容ですね。
 これだけ清々しくて、水を撒くと更に涼しい、となると、どこに感動があるのか、そもそも夏の朝に対してなのか、それとも涼しい上に更に水を撒く行為に対してなのか。
 水に関係するものは、「白露」だけにしておいて、結句は、どうでしょうか、この爽やかな朝の作者自身の行動を描くとかすると、間延びが消えて、とても良い詩になると思います。

2008.10. 5                 by 桐山人



謝斧さんから感想をいただきました。

 「放水」は生硬で妥かでない感じがします
「撒水」ではないでしょうか。

 「風葉鮮」は詩語にもあったのでしょうか。風に揺れる葉を「風葉」二字で表現するのは甚だ巧みで、作者の老練さを感じます。

 結句の収束は平板で不満です。

2008.10. 6               by 謝斧


井古綆さんからも感想をいただきました。

 忍夫雅兄今晩は。

 鈴木先生の感想で「前半で詩の叙景が完結している」と述べられているのは、作詩上正しいと思います。難点をいえば、通常では早朝からは風は吹かないことで、作詩の際には注意をしなくてはならないと思いました。
 起句の下三字「到窓辺」にするならば「到」より「飾」が良いでしょう。

 承句の詩意では起句の詩意を弱めるような気がします。
 多くの方は「鮮」を単独で使用していますが、「鮮妍・嬋妍」と熟語で使用したほうが良いように思います。しかし、これは絶対ではなく、例えば「百花鮮」などは良いでしょう。
 これによく似た語で「彷徨」がありますが、これを「彷」のみで「さまよう」とは使用しないと思います。
 詩語に「畳韻語」や「双声語」が多くあるのは音声が美しいからで、我々が日常使用している語にも多くあります。急遽・慇懃などは知らないうちに使用しています。これを多用することで詩に味わいが生じると石川忠久先生は常々仰っていました。

 詩の感想に戻りますと、難しいのは転句です。作者によって詩の後半が異なります。雅兄も様々に思考をめぐらしたように感じられますが、鈴木先生のご指摘のように、発想の転換がもう少し不足しているように感じられます。
 雅兄のみではなく、わたくしも常に転句の難しさを認識しています。そのためにも、推敲の努力を惜しんではならないと思います。

 例によって試作してみましたので、参考になれば幸いです。

    試作
  碧花三五発鮮妍   碧花 三五 鮮妍と発き
  蜂蝶何来索蜜連   蜂蝶 何来して 密を索(もと)めて連なる
  陋巷清晨忘塵念   陋巷の清晨 塵念を忘れ
  光風霽月夏初天   光風霽月(こうふうせいげつ) 夏初の天

「碧花」: あさがお
「光風霽月」: 雨後に吹くさわやかな風と輝く月。
       転じて、心にわだかまりがなく、さっぱりして清々しいこと。

 余談になりますが、「光風霽月」というこの素晴らしい語は四十年ほど前、詩吟で学びました。

    有感    山崎闇斎
  坐憶天公洗世塵   坐に憶ふ 天公の世塵を洗ふを
  雨過四望更清新   雨過ぎて 四望 更に清新
  光風霽月今猶古   光風霽月 今猶古(いにしへ)のごとし
  唯缼胸中灑落人   唯だ缼(か)く 胸中灑落(しゃらく)の人

2008.10. 7             by 井古綆


謝斧さんから追加の感想をいただきました。

 井古綆先生の仰ることは尤もだとおもいました。
 少し詩人のかたをもって言いますと、「牽牛花綻到窓辺」の「到」を詩眼として読み、丹精して育てた朝顔が赤子のようにはいはいしてわが懐にきたように、我の入る窓辺によくぞ来たとすると、詩人の喜びが読者に伝わって来るようにも思いました。
 朝顔を擬人化した手法だと感じましたが、無理があるでしょうか。

 補足のようになりますが、「彷徨」の「彷」が獨用されないということに関連して、呂山先生の『草堂詩話』では、「徘徊」の「徘」と「徊」、「徉徜」の「徉」と「徜」、「漂泊」の「漂」などの獨用などが紹介されています。
 「鮮」は獨用の例も多いかと思います。

2008.10.11              by 謝斧





















 2008年の投稿詩 第212作は 博生 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-212

  驟雨一過        

遥雷白雨黒雲流   遥雷白雨 黒雲流れ

一陣狂風午熱収   一陣の狂風 午熱収まる

団扇軽衫涼入袖   団扇軽衫 涼 袖に入り

竹声嫋嫋気如秋   竹声嫋嫋 気 秋の如し

          (下平声「十一尤」の押韻)

<解説>

 今夏は気温高く夕立は より男性的
それだけに去った後の爽快さは格別。

<感想>

 起句は名詞がポンポンポンと三つ並ぶテンポの良い句で、仰る通りの「男性的」な趣が出ていますね。その勢いの良さは、承句転句と流れていき、結句の「嫋嫋」の畳語で一呼吸でしょう。一息、間をおく形で最後の「気如秋」を読みますので、余韻も深くなっていると思います。

 詩を拝見していると、どうも江戸の時代の下町の風情が感じられるようです。「団扇」「軽衫」「竹声」などの言葉が効果を出しているのでしょう。

2008.10. 5                 by 桐山人






















 2008年の投稿詩 第213作は 欣獅 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-213

  夏日登比良山        

累日炎帝湖国眠   累日の炎帝、湖国は眠る。

険岨風息汗如川   険岨風は息み、汗は川の如し。

励精探薜攀岩罅   精を励まして、薜を探り岩罅を攀じる。

暫歇翠陰聴譟蝉   暫し翠陰に歇(やす)めば、譟蝉の聴こゆ。

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 毎年この時期に、中学校の山岳部を引率して近畿の山に登っています。
 今年は、湖西の比良山に登りましたが、猛暑の中、テントを担いでの登山は、かなり厳しいものがありました。

 承句の表現は、決して大げさではありません。自然の猛威に打ちのめされても、やはり山には変わらぬ魅力があります。

<感想>

 欣獅さんからはいつも山に登った詩を多くいただいていましたが、山岳部との関わりがあったのですね。

 起句は四字目が仄字ですので、「炎天」のような変更をしておきましょう。

 承句は実感が表れているのでしょう。「汗がのように流れる」という比喩については、汗は上から下へ縦に流れるもの、川は横に流れますので、足元から流れて行くくらい汗が出たという気持ちでしょうか。

 転句以降は一見して字画の多い文字が並んでいるのですが、前半との対比が大きいですね。
 「薜」は、私は詳しく知らないので申し訳ないのですが、なぜ「薜を探す」のかが一般の人には分からないですね。「励精」して探す理由が少しでも書かれていれば良いのですが。

2008.10. 9                 by 桐山人



井古綆さんから感想をいただきました。

 欣獅雅兄始めまして。玉作を拝見いたしました。

 一読して、詩は完成されていると思いました。
 文面を拝見いたしますと、中学校の先生ではないかと思います。夏期の登山は大変だろうと思いますのは、わたくしの娘も三十余年前、中学か高校かは忘れましたが、比良山(正式には比良山地)に登山したことがあったからです。引率される先生のご苦労を今思い出して懐古の情に耐えません。

 鈴木先生が『薜ヘイ』の語が分からないと仰っていますが、『薜』は「つたかずら」のことだと思います。したがって『探薜』は急な崖を登ることでしょう。

2008.10.24               by 井古綆


欣獅さんからお返事をいただきました。

 井古綆先生
 私の愚作に感想を頂きまして、誠に有難うございました。勤務や雑用に取り紛れておりまして、なかなかこのサイトを開く機会が 無く、感想を頂いて居りましたことにも気が付かず、誠に失礼を致しました。改めて御礼とお詫びを申し上げます。
 ご練達の先生に、過分のお褒めの言葉を頂戴し、望外のことと本当に嬉しく思っております。

 小生、高等学校の教職にあるもので、部活動では一貫部の中学校の山岳部を担当しています。
 そのため、普段は日帰りで、また夏休みには2〜3泊で近畿圏の山に登っています。
 お気遣いを頂きました通り、生徒を引率しての登山は、心身共に大きな労苦を伴いますが、それに勝るとも劣らぬ山の魅力・感動といったものがあり、もう10数年も係わって参りました。
 そして、この山の感動を何とか漢詩で表現できないものかと考え、色々と試みてきた次第です。こうした思いの元には、二十歳代の頃に何度か登った北アルプスなどの、3000m級の山々での大きな感動がありました。

 しかし、現代の登山用語や道具類などを表現しようとしても、それに当たる漢語が分からず、また、植物や鳥虫など四季折々の細やかな山中の諸相を表現しようとしても、こうした表現は従来の漢詩の用語の中に、中々見当たらないので、苦労をして参りました。
 テント泊やコッヘルでの自炊、カールに咲く可憐な高山食物や朽木に生える色とりどりのキノコなどはどう表現すればよいのでしょうか。よく分かりません。

 白楽天や王維など、自然を深く愛したと言われている詩人の作品をざっと見渡しただけで、このようなことを言うのは軽率かも知れませんが、西洋から導入された現代の登山という、非常に現実的な自然との関わりと、老荘思想や仏教を根底にした超現実的な自然の捉え方の間に、何らかの本質的な違いがあって、このことが、表現を困難にしている原因にもなっているのではないかと思えます。
 こうした点につきまして、何かお考えをお持ちでしたら、是非お教え下さい。

 今回の登山ではとにかく暑さに苦しみましたので、起承句のような表現になりました。3000m級の山々などは、確かに体力的にはきついものがありますが、登山開始地点がだいたい千数百mと、すでにかなりの高地なのです。
 それで、登り始めの地点でもかなり涼しいのですが、比良山は殆ど標高のないところから登るものですから、30数度という猛暑の中で、その労苦は甚だしいものがありました。

 「探薜」は、仰せの通り、手探りでそこいらの「つる」なり「つた」なり、攫めるものは何でもつかんで、急な崖を必死で登るという意味で、根でも草でも何でも良かったのです。
 ただ、「薜」とすると、これは、木に巻きつくものですので、木登りをするようなイメージで捉えられ、何の事だか訳が分からなくなってしまうかも知れませんね。こういうところも一人合点ではいけないと思いました。

 苦しい登りでしたが、上へ着いてみると、最近ケーブルが廃止されてから、人も減り、かつての湿原も徐々に回復しつつあって、静かで素晴らしい自然を満喫することが出来ました。
 水場の流れには山椒魚がみられ、また、夜には、テントに野生の鹿がやってきました。
 次の日に、武奈ケ岳に登って、鯖街道に面した坊村という山村に下りましたが、下山中に見た琵琶湖の眺めも壮大でした。こうしたことも、もっと勉強して表現出来るようにし、味わい深い作品を作っていきたいと思っていますので、今後ともご指導のほどよろしくお願い致します。

2008.12.31       by 欣獅





















 2008年の投稿詩 第214作は 井古綆 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-214

  一炊夢        

地球温暖意遙然   地球の温暖は 意遙然として

賓集東瀛聽很權   賓は東瀛とうえいに集ふも 権をあらそふと聴く

私抱杞憂成苦慮   私かに杞憂を抱けば 苦慮と成り

強當杯酒誘甘眠   強いて杯酒に当たれば 甘眠をいざな

無聲寂歴非三界   声無く 戚歴たるは 三界に非ず

萬頃荒寥訝九泉   万頃 荒寥たるは 九泉かといぶか

暗示將來一炊夢   将来を暗示する 一炊の夢

悲歡錯落思連綿   悲歓錯落さくらくして 思ひ連綿

          (下平声「一先」の押韻)


「遙然」: 心が不安なさま  遙遙
「賓」: 各国の首脳
「東瀛」: 日本
「聴很権」:洞爺湖サミットでの先進国と新興国との立場の違いで
「三界」: 現世界
「万頃」: 水または地面が広いこと
「九泉」: あの世
「悲歓」: 悲は将来を案じて 歓は夢がさめて
「錯落」: 入り混じるさま
黄粱こうりょう一炊夢」: 粟飯(あわめし)を炊き上げるほどの短い間の夢
          富貴・功名の極めてはかないことのたとえ
          ここでは過去百年にも満たない、人類の栄華のはかないことにたとえる

<解説> <解説>

 このたびの洞爺湖サミットでの先進国と新興国との意見の対立で、地球の将来について、わたくしは非常に危惧を覚えます。
 なぜならば対立する意見が双方とも正しいと思うからです。
 先進国は焦眉の急である地球の温暖化を食い止めるため、新興国のCO2の排出を抑制することを要求しても、新興国側では温暖化を促進したのは、総て先進国の責任であると主張しています。要するに水掛け論であって、双方とも大局的な立場で地球の将来を見てはいないように思います。

 現在の温暖化の状態をそのまま維持しても必ず人口の減少は避けられないでしょう。加えてCO2の排出の増加を看過すれば我々の想像を絶する異常気象の到来が待ち受けているであろうと危惧いたします。

 わたくしはよく夢をみますが、就寝する前にテレビなどを見た続きが夢に入ってきます。この「一炊夢」は必ずしも事実の通りではありませんが、見た夢に詩意を膨らませて作りました。
 結末がこのようにならない事を祈るばかりです。

 マイナス思考のせいでしょうか、以前より地球の将来について様々なことを思ってきました。
  「時事有感
  「時事偶感

 また関心のあるお方はグーグルで「質捕鯨反對論」・「桑海變」・「戯詩冥王星」などを検索してみてください。

<感想>

 井古綆さんのこの詩をいただいたのが七月上旬のことでした。洞爺湖サミットを無事に終えたら、福田政権も本腰を入れて国会運営に取り組めるだろう、という楽観的な展望もないわけではなかったのですが、以来、バタバタバタとあっという間に内閣が替わり、これまたあっという間に「世界恐慌」などという言葉が飛び交うような展開になってきてしまいました。この二、三ヶ月の世の中の変化の激しさには、本当に驚かされます。
 そういう意味では、洞爺湖サミットは「一炊の夢」ならぬ「一場の夢」というところでしょうか。

 詩は、首聯から順に一句一句がつながりを深くして、ストーリーが展開するように、自然に読み進めていけます。
 特に、頸聯の「この世なのか、あの世なのかの区別もつかない」という夢の情景は、近未来の地球の姿を象徴しているようで、不気味な迫力と臨場感が出ていると思います。
 そのおかげで、尾聯の「悲歓」の語がよく理解できますが、ただ、井古綆さんの語注が無かったら読みとれないかもしれません。

2008.10. 9                 by 桐山人



井古綆さんからお手紙をいただきました。

 こんにちは。
 ご高批有難うございました。

 先生の感想文の最後のあたり、「語注が無かったら・・・」は全くその通りで、夢中の朦朧とした景色と夢が醒めてからの「あぁ〜夢でよかった・・・」の安心感をどのように表現すればよいか悩んだ点です。
 そもそも夢の話を他のお方に理解していただくのは至難のことで、先生にこのように理解をして頂けたことは、まずまずの措辞だと思いました。

 夢の詩は「夢親」に。鮮明な夢の詩は「http://www5a.biglobe.ne.jp/~shici/shi4_08/laixin454.htm」にもあります。

2008.10.10                   by 井古綆





















 2008年の投稿詩 第215作は 玄齋 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-215

  墓参偶成        

八月旬餘山寺前   八月旬余 山寺の前

風悲邱墓捲香烟   風悲しき邱墓 香烟を捲く

懷亡叔父如慈父   亡き叔父の慈父の如きを懐ひ

欲報舊恩空累年   旧恩に報いんと欲するも 空しく年を累ぬ

          (下平声「一先」の押韻)


<解説>

 八月の墓参りの光景を詠みました。
 十年以上前に亡くなった叔父は僕と同じ病気にかかっており、私は実の父や兄のように慕っておりました。
今はせめて何かの形で恩返しができればと、努力を続けています。

 漢詩もその努力の一つとしてとらえています。
皆様のご批判・ご指導を受けつつ、少しでも進歩していければと思います。

<感想>

 承句の「悲」の字に作者の感情が表れていますので、ここで全体のトーンが決まってきます。「悲風」と修飾・被修飾の関係にすると、多少ニュアンスが違ってきますが、「風悲」のように主語・述語の関係ですと、「悲」が重く感じますね。

 転句は「懐亡叔父」は表現が硬い印象です。「黄泉叔父」などのように、「叔父」を修飾する言葉を考えた方が良いでしょう。

 尾聯の結びは「空累年」で良いですか。玄齋さんのお気持ちとしては、「頑張ってます!!」という形で終わった方が良いように思うのですが、どうでしょう。

2008.10.10                  by 桐山人



謝斧さんから感想をいただきました。

この詩にも「同字重出」が見られますので、それについて、呂山老師の『草堂詩話』から紹介します。

 同一句内には同一字を出してよいということがいわれているが、これは技法としてそのほうが面白いからそうする時のことであってその必要性もない、なんのわざも施してないようなのは、この選にははいらぬのだ
といっています。

 先達も同一句内の同一字が許容されることは当然知っていますが、あえてしないのはこのことがあるからです。
そのわざとは句中対などです。一句の場合は四字と三字に分かれますから、シンメトリで句中対を用いるのがよいでしょう。
 この玄齋さんの場合も、「懷亡叔父 如慈父」となり、「叔父」と「慈父」がシンメトリの役目を少なからずはたしているようですが。
 より明確なのは、一句の場合、重要なのは二字目と四字目と六字目です。
このために蜂腰とか鶴膝とかがいわれてますので二字目と六字目を同字にするのがより効果的です。

 あるいは尻取り句のように□□□■■□□は□□□■ ■□□にわかれ、丁度最後の句が頭にきて尻取りになります。
これを対句では連綿句とよんでいます。

2008.10.11             by 謝斧


井古綆さんからも感想をいただきました。

 玄齋雅兄こんにちは。玉作を拝見いたしました。

 鈴木先生のご感想以外にわたくしの感じた点を述べてみますと、総体的に単語の積み重ねが多いように思います。やはり基本的には二字二字三字で一句を作るほうが良いと思います。例えば「風悲」よりは「悲風」のほうが読者にはなじみます。
「風吹蕭索・風は蕭索と吹いて」というような語法では成り立つと思います。

 また起句の「山寺前」より「山寺辺ホトリ」が合理的で『前』の字は「生前」という懐古の詩には重要な熟語になりますので、これを結句に使用したく思います。
 詩全体では起承転結は整っているように思いますので、後は推敲あるのみです。

 展墓の詩は謝斧雅兄の「懷阿母」。またサラリーマン金太郎雅兄の「展墓」などがあります。
 立場はそれぞれ異なりますが展墓の気持ちを学んでください。

 下記に仄起こりと平起こりの二首を作りましたので参考にしてください。

    試作
  盛夏登來山寺辺  盛夏 登り来る 山寺の辺
  悲風蕭索巻香煙  悲風 蕭索(しょうさく) 香煙を巻く
  追懐叔父如椿府  追懐すれば叔父は 椿府(ちんぷ)の如し
  合掌低頭墳墓前  合掌 低頭 墳墓の前

「蕭索」: ものさびしいさま
「椿府」: 椿堂。父のこと


  招提馥郁満香煙   招提は馥郁として 香煙に満ち
  叔父仙遊此永眠   叔父は仙遊して 此に永眠
  追想慈恩若椿府   追想すれば慈恩は 椿府のごとし
  低頭合掌念生前   低頭 合掌して 生前を念(おも)ふ

「仙遊」: 冒韻のため「蘭摧」を考えたが一般の使用には躊躇した。


2008.10.11             by 井古綆


玄齋さんからお返事をいただきました。

 鈴木先生、謝斧先生、井古綆先生、ご指導ありがとうございます。

 結句はもう少し「がんばります」という風に改めようと思います。
「山寺邊」として「前」をもう少し効果的に使おうと思います。
「椿府」という言葉は初めて知りました。よく覚えるようにします。

 転句は「父」の同字重出が技巧を凝らしていないので、改めることにします。

 展墓の気持ちを詠むにはもっと故事を使っていかないとと思いました。
次回への課題として考えていきます。

今回は以下のように推敲しました。

  八月旬餘山寺邊   八月旬余 山寺の辺
  悲風蕭瑟捲香烟   悲風蕭瑟 香烟を捲く
  追懷叔父慈恩大   叔父の慈恩の大なるを追懐し
  向學孜孜誓墓前   向学孜孜たるを 墓前に誓ふ

いつもありがとうございます。
よろしくお願いいたします。

2008.10.20             by 玄齋





















 2008年の投稿詩 第216作は 一人土也 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-216

  遊北海道小樽近郊     北海道小樽近郊に遊ぶ   

永夜親朋会   永夜 親朋会し

驚涼散歩遊   涼に驚き 散歩して遊ぶ

蕎花香馥鬱   蕎花 香り馥鬱として

一白月光流   一白の月光流る

          (下平声「十一尤」の押韻)

<解説>

 永い夜友達と集まって、涼しさに驚きながら散歩して遊ぶ。
そばの花の香りがただよい、一白の月光が流れていた。

 この頃さっぱり漢詩がつくれなかったのですが、もう1回つくってみたい、ということで何年かぶりに送ります・・・
 夏休み、北海道の小樽にキャンプに行きました。合宿とかではなくて、自由の森学園高校の同級生の男女数人と一緒に、単純に遊びに行ってきました。その楽しかったときのことを思い出してつくった漢詩です。

 学校の日本語の授業で漢文を始めて、もう1回漢詩をつくってみたい、という気になりました。全然精進していませんが、またまたよろしくお願いします

<感想>

 久しぶりですね。前回投稿いただいてから、もう二年くらいになるでしょうか。
高校生ともなると勉強やら忙しいんだろうと思い、でも一人土也さんならきっとお元気にやっていらっしゃること思っていました。

 秋の気配がすでに濃く漂う北の国の気配が出ていますね。
 前半を人事で抑え、後半に叙景を持ってきた展開も余韻を出していると思います。ただ、承句の「散歩遊」は重複感があります。「楽夜遊」のように気持ちをここに入れると良いかと思います。「夜」が同字重出になりますので、調整は必要ですが。

 これからもっともっと沢山の経験をされるだろうと思います。漢詩に直接つながるかどうかはわかりませんが、でも、一人土也さんの若々しい気持ちの籠もった作品を拝見できることを楽しみにしています。

2008.10.10                  by 桐山人



井古綆さんから感想をいただきました。

 一人土也君お帰りなさい、お久しぶりですね。

 玉作を寄せられたことは少し心に余裕が出来たせいでしょうか。新たに学業で漢文を勉強されているとか、今後の投稿を楽しみにしております。
 また共に学んでゆきたいと思います。

2008.10.22                  by 井古綆


一人土也さんからお返事をいただきました。

 一人土也です。
 感想ありがとうございます。少し詩を推敲してみました。

  永夜親朋会   永夜 親朋会し
  驚涼気爽遊   涼に驚き 気爽やかにして遊ぶ
  蕎花香馥鬱   蕎花 香り馥鬱として
  一白月光流   一白の月光流る

 「気爽やかにして」というのではあまりにも直球すぎるかなぁ。
だけど、夏なのに涼しくて気持ちよかったから、そのくらいの表現で良いかと思いました。

 井古綆さん、ありがとうございます。これからも漢詩つくっていきたいです。
よろしくお願いします。

2008.11. 3             by 一人土也





















 2008年の投稿詩 第217作は 鮟鱇 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-217

  偶聞漢詩滅亡之説有感作一首         

有人著述俳句強,    人有りて著述するに俳句は強く,

日本漢詩將滅亡。    日本の漢詩は将に滅亡せんとすと。

田叟讀之繙韻譜,    田叟之を読み韻譜を繙けば,

古風多趣伴霞觴。    古風 趣き多くして霞觴を伴う。

寒齋香墨含靈氣,    寒斎の香墨 霊気を含み,

冥界鬼才蘇夢郷。    冥界の鬼才 夢郷に蘇る。

彩筆走箋飛百世,    彩筆 箋に走って百世に飛び,

忽成七律繼中唐。    忽ち七律を成して中唐に継ぐ。

          (中華新韻「十唐」の押韻)


<解説>

 小澤實氏の「俳句のはじまる場所〜実力俳人への道〜」に「連歌−(滅亡)」「漢詩−(滅亡)」の表記があります。

 哺乳類では生息数が100頭を下ると、絶滅の危険性の高い「絶滅危惧種」にされるとか。現代日本の漢詩人は、全日本漢詩連盟に加入している詩人だけで1000人を超えており、まだまだ絶滅を危惧される段階ではないとは思いますが、俳句人口1000万人を豪語する俳人たちからみれば、絶滅同然で、「漢詩−(滅亡)」ということになるのでしょう。
 しかし、日本での漢詩作りが、1000万という規模で行われたことが、かつてあったでしょうか?そして、現代日本の漢詩人1000人という規模は、漢詩作りが盛んだった江戸時代と較べて、絶滅を危惧しなければならないほどに、少ないのでしょうか?
 たとえば、蕪村の「春風馬堤曲」に組み込まれた五言絶句を見れば、漢詩が大いに作られていた時代の俳人にしては、五言絶句の韻律について、基礎的な知識が欠落している、と思えます。それと比べれば、現代日本の漢詩人の漢詩についての基礎知識は、はるかに高いレベルにあります。
 にもかかわらず、漢詩を作らない者には、たとえ俳句については高い素養がある者にしても、漢詩作りはすでに滅亡していると見える、ということがきっとあるのでしょう。現代の俳人の句集は日本の本屋に並びますが、現代の漢詩人の詩集が書籍となることは、きわめて稀れで、日本で漢詩が作られていることが目に止まりにくい。また、よいものは本屋に並ぶという活字文化中心主義の文芸史観というものがあって、これに照らせば、なるほど日本の漢詩は絶滅状態です。
 しかし、ここで忘れてはならないのは、漢詩は、活字文化以前にすでに存在した文芸であるということです。中国の活字は明の時代に生まれたものです。唐の詩、宋の詞、元の曲、明の小説といわれるように、活字文化が生み出した文芸は、小説なのです。詩や詞や曲は、そういう文芸とは別のところで作られ、楽しまれてきたものなのです。つまり、詩や詞や曲の真価は、本にして大量印刷をすることに堪えうるものではないということがあり、本になるかどうかが詩や詞や曲の真価ではない。
 唐の詩、宋の詞、元の曲。その真価は韻律です。「韻律」すなわち押韻と平仄に関わる規則です。韻律は、詩譜、詞譜、曲譜という形で時空を越えて存続しうるものであり、誰でも利用できるものであり、種の保存との関係でいえば、液体窒素の絶え間ない補給を不用としている分、凍結保存された遺伝子よりもさらに強力な遺伝子です。この遺伝子が存続する限り、詩も詞も曲も、絶滅するということはありません。
 日本の俳人の多くは、俳句だけ作っていればよいという一所懸命主義のもとで作句しています。句譜は五七五のひとつだけ。そういう遺伝子一個しか知らない者は、その遺伝子を絶やさないためにただひたすらに詠み続けなければならないという文芸史観になってしまうのでしょう。そして、それがますます俳句一所懸命主義に拍車をかけることになります。
 一方、漢詩の韻律という遺伝子は、絶句・律詩だけでもかなりの体があり、詞曲をこれに加えれば1000を超える多様性を保持しています。私はそれらのなかの300以上の詞曲を作っています。それらの中には、日本人が作ったものとしては初めて、というものあると思います。とりわけ中国で購入した曲譜の本には、日本には紹介されていないものがある、と思えるからです。とすれば、元の時代に凍結保存された遺伝子の一個が、俳句の歴史をはるかに越える長い眠りを経て、21世紀の日本で、私の手で、蘇ったことになります。この時空を超える愉快さは、日本の俳句の伝統を大層なものとして説く一所懸命主義者には想像できないものでしょう。

 そこで、私見ですが、俳人の「漢詩−(滅亡)」説は、世界の果ての極東の井蛙の管見であると思います。その管は、きっと万華鏡で、俳句人口1000万の作句がさまざまな模様を織りなしていることでしょう。しかし、種の保存に必要な遺伝子がたった一個というのは、さびしい限りで、どうしてそこまで律儀に俳句だけに殉じるのかと思える次第です。
 拙作は、そのようなことをこもごも思いながら、作ったものです。

     灣俳連句二首

  俳人自贊,異口同音一千萬。(俳人は自賛す、異口同音の一千萬)
  騒客驕慢,填詞制曲繼千年。(騒客は驕慢たり、填詞制曲千年に継ぐ)



<感想>

 私は小澤實氏の文章を読んでいませんので、直接に意見を言える立場ではありませんが、刺激的な発言をされたものですね。文学史的に見れば、万葉の時代から続いた連歌の伝統の上に発句があるわけで、私の感覚では「俳句のご先祖」に連歌はあたるとも思うのですが、素人考えでしょうかね。

 将来において漢詩が滅亡するかどうかは、私には分かりません。しかし、「滅亡」ということが「作る人が誰も居なくなること」を指すのだとしたら、私個人としては、私は死ぬまで漢詩を作っていくつもりですから、うんと長生きをしてひょっとして最後の一人になっていたとしても、少なくともこの目で「漢詩の滅亡」という悲劇を見ることはないわけです。
 ということは、私でなくても誰でも、自分で漢詩を作っている方は、絶対に「滅亡」に遭遇することはないのです。自分勝手な理屈かもしれませんが、まあ、これくらいの図々しさで、「俺の目の黒いうちは、漢詩は絶対に滅亡しない」と大見得を切ってもいいんじゃないかと思っています。

 千年以上も昔の他国の発音と語彙を用いて、現代日本に生きる私たちの心を詩にすることができる。その懐の柔軟さ、奥行きの深さゆえに、漢詩は千年の長きにわたって漢字文化圏の広い地域で愛されてきたのですから、たかだか戦後の六十年くらいの尺度では測れません。
 鮟鱇さんの詩とお手紙を拝見して、漢字を日本語の中に取り込んで発展させてきた長い日本文化の歴史、その伝統への畏敬、感謝と喜びを改めて感じる機会となりました。

2008.10.15                 by 桐山人






















 2008年の投稿詩 第218作は 柳田 周 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-218

  垂七十多病     七十に垂んとして病多し   

我垂七十病羸多   我れ七十になんなんとして病羸へいるい多し

肝疚脾亡肢痺瘸   肝はきゅうし脾亡く肢は痺れて瘸(か)す

羞以妬心看人健   羞づらくは妬心を以って人の健なるを看る

十年余命算如何   十年の余命かぞふるは如何

          (下平声「五歌」の押韻)

<解説>

(語注)
「垂七十多病」: 杜甫の七律『登高』中に「百年多病独登台」とある。
「病羸」: 病み衰えること。この語は白楽天『耳順吟』中に「猶在病羸昏耄前」として使われている。
「瘸」: 病気で足の引きつる症状。

<感想>

 柳田周さんは御病気治療のために、夏に入院されていたそうです。その折に作られた詩をまとめて送って下さいましたが、私の経験でも、入院は肉体的にも精神的にも辛い状況が続くものです。
 作詩なさるのも大変だと思いますが、詩に関わることで気が紛れることも多くあります。頑張ってください。

 この詩は病を背負った人のお気持ちが率直に出されていて、胸に迫るものがあります。特に承句の畳みかけるような表現は、柳田周さんのもどかしい思いがそのまま出ているように感じました。

2008.10.18                  by 桐山人






















 2008年の投稿詩 第219作は 柳田 周 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-219

  為肝炎治療入院、於見舞明信片、看薬師像照片  
   肝炎治療の為に入院す。見舞いの葉書に薬師像の写真を看る   

十五年来養疚肝   十五年来疚(きゅう)肝を養ふ

殄殲病毒是応難   病毒を殄殲(てんせん)するは是れ応に難かるべし

薬師像画牀頭在   薬師の像画 牀頭に在り

平癒途希此発端   平癒の途 希はくは此に端を発せよ

          (上平声「十四寒」の押韻)

<解説>

 (語注)
「明信片」: 葉書
「照片」: 写真
「疚」: 長わずらい
「殄殲」: 滅ぼし絶やす
「病毒」: ウイルス



<感想>

 薬師如来は衆生の病苦を救うとされています。お手紙を下さった方は、そうした思いを籠めて送ってこられたのでしょうね。

 十五年来の積み重ねたお病気ですので、「平癒」にも時間がかかるのかもしれません。結句の「平癒途希此発端」は、七言句のリズムとしては変格ですが、少しでも好転のきっかけをつかみたいというお気持ちが出ているのでしょう。「希途」と入れ替えればリズムは収まりますが、その分、勢いが消えるのでしょう。

 題名に使われた「見舞」は日本語だと思いますので、「明信片」との組み合わせが気になります。中国語での「看望」「探望」ではピンと来ないのでしたら、いっそのこと「明信片」を「葉書」とか「書上」とされたらどうでしょう。

2008.10.18                  by 桐山人



柳田周さんからお返事をいただきました。

 柳田周です。
 養病中の小生に対する励ましと、拙作へのご指導に感謝申し上げます。

 ここ一ヶ月ほど、治療薬の副作用でやや高めの体温が続いており、先生始め、井古様の次韻詩にも速やかなご返事ができずにおります。
 以下は気分の比較的良い時にメモの様に書いておいたものです。

「為肝炎治療入院、於見舞明信片、看薬師像照片」の詩題中の「見舞」は日本語とのご指摘、ご尤もです。
 写真とかカメラとか古い中国になかった事物を詩中で使いたい時、何時も迷います。明信片も照片もそれぞれ葉書、写真と日本語をそのまま使って構わないのでしょうか?

2008.11.25           by 柳田周





















 2008年の投稿詩 第220作は 柳田 周 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-220

  入院既経一月、纔看治癒可能性  
   入院既に一月を経たり、纔かに治癒の可能性を看る   

暁陽銀映印旛沼   暁陽 銀に映ゆ 印旛沼

新夏緑濃岸上芦   新夏 緑濃し 岸上の芦

入院三旬纔欲癒   入院 三旬 纔(わずか)に癒へむと欲す

可憐惟合我前途   憐れむべし 惟れ合に我が前途たるべけむ

          (上平声「七虞」の押韻)


(語注)
「三旬」: 三十日間
「纔」: やっと、はじめて

<感想>

 こちらは、入院後一月を経ての詩ですね。治療効果や薬の調合などで、少しずつ快復へと進んでいくことが感じられます。その気持ちが起句の「暁陽銀映」という言葉に出ているのでしょう。

 承句は四字目の孤平になっていますので、「岸」「堤」「坡」などに替えると良いでしょう。
 「新夏」「初夏」「首夏」の方が良いですね。


2008.10.18                  by 桐山人



柳田周さんからのお返事です。

 承句「新夏緑濃岸上芦」の四字目弧平について、ご注意戴きありがとうございます。
 これはうっかりと言うより、「岸」を平字と記憶していた小生の誤りです。恥ずかしい事でした。

 この句中、「新夏」より「初夏」か「首夏」がよいとのご指摘でしたが、敢えて「初夏」や「首夏」を避けたのは理由がありました。
 十五年の宿痾に対する本格的治療を、この夏から始めたのだという思い入れがあり、また陸游の「新夏感事」なる七律の詩題から、「新夏」の語自体は知っておりました。(尤もこの陸遊詩の新夏はただ初夏の意で、特別の意図をもって用いた訳ではなさそうです。)
 単に夏の初めを意味する「初夏」や「首夏」でなく、新しい夏の語を選んだのはこの様な次第によります。
 しかし、かかる作者の思い入れは必ずしも読む側には伝わず、独りよがりに過ぎないのかも知れません。

2008.11.25           by 柳田周





















 2008年の投稿詩 第221作は サラリーマン金太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-221

  新居浜池田池菖蒲祭        

雨後薫風滿圃畦   雨後の薫風 圃畦に満つ

村人陸續列池堤   村人陸続して池堤に列(つらな)る

菖蒲花發紫黄白   菖蒲花発(ひら)く紫黄白

香氣紛紛高又低   香気紛紛(ふんぷん)高又低

          (上平声「八斉」の押韻)

<解説>

 平成20年6月8日(日)愛媛県新居浜市船木にある池田池菖蒲園を散策しました。
当日は菖蒲祭りを地元公民館が主催していて、子供太鼓台(祭礼用山車)も出てにぎやかでした。

当日の様子は「池田池菖蒲まつり」で見ることができます。

<感想>

 菖蒲祭のホームページを見させていただきましたが、色鮮やかな菖蒲に目がなごみました。15,000株が植えられているとのことですが、さぞかし見応えのあることだと思います。

 自然の中での手入れされた花たちをゆったりと眺める写真を拝見し、サラリーマン金太郎さんが情景を詩によく写し取っておられることを感じました。
 承句の「村人」は、「観光客」が押し寄せたでは雅趣がありませんから、工夫されたところでしょう。
 ただ、ちょっと説明調なのと、菖蒲そのものとのつながりがはっきり出てきていないように思います。この句と転句を入れ替えると、見ている人達に香りがいっぱい注ぐように漂うという感じが後半に出て、詩全体に動きが出るかと思います。
 後半の二句ともに力を入れたところで良い聯になっていますから、作者の気持ちとしては動かしたくないかもしれませんが、参考にお考えください。

2008.10.20                  by 桐山人



井古綆さんから感想をいただきました。

 サラリーマン金太郎雅兄今日は。
 御地新居浜池田池菖蒲祭りのページを拝見して当地へ行ったような気がいたします。雅兄の投稿が無かったならば、このような場所を拝見できません。

 玉作を拝見して気が付いた点を述べてみますが、これが絶対ではありませんので、お感じになった点のみを選取してください。

 起句承句で菖蒲の花見の人を詠じ、転句で花を出していますが、これは逆で、『花が開いて(原因)観客(結果)が来る』のではないかと思います。したがって御作の転句・結句を起句・承句と変更したほうが良いように思いました。
 なお欲をいえば、結句の『高又低』はこの場合の、平地の菖蒲には不似合いのような気がいたします。

 鈴木先生もご指摘のように前半と後半との繋がりが不足しているように感じました。
『言うは易く行うは難し』の通り、この韻では非常に苦吟されたと思います。
私も下記の試作にあたって、承句と結句を結ぶ句を考える為に非常に苦労をいたしました。ご参考になればと思います。

    試作
  菖花窈窕葉萋萋   菖花(しょうか)は窈窕 葉は萋々(せいせい)
  馥郁芳香漾小徯   馥郁たる芳香 小徯(しょうけい)に漾よふ
  被誘薫風非蝶耳   薫風に誘はるるは 蝶のみに非らず
  村人遊客満池堤   村人 遊客 池堤に満つ

「菖花」: しょうぶの花。辞書によれば「菖」一字で「しょうぶ」とあり、「菖葉」は「しょうぶの葉」とあるので       それに準じた。白菖ともいう 「萋萋」: 草木の葉がしげるさま 「小徯」: こみち。蹊と同字だが『成蹊』と区別した

2008.10.22                  by 井古綆





















 2008年の投稿詩 第222作は サラリーマン金太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-222

  七夕偶成        

夏宵供芋縁台隈   夏宵芋を供ふ 縁台の隈(くま)

竹掛願文親與孩   竹に願文を掛く 親と孩と

織女牽牛相愛宴   織女 牽牛 相愛の宴

星河累累月皚皚   星河累累 月皚皚(がいがい)

          (上平声「十灰」の押韻)

<解説>

 松山地方では七夕は八月七日に祝います。
 新暦ではまだ梅雨時で雨に当たりましたが、旧暦のこの時期はまず晴天に恵まれ、年に一度の逢瀬を星神たちも楽しんだことでしょう。

 私が子供の頃は学校でも家庭でも年中行事として笹飾りを設え、縁側にサトイモ、ナス、西瓜、きゅうり、梨、葡萄、桃などをお供えしてお祭りをしたものです。
 早朝、山から父か祖父が立派な笹竹を切りだしてくれ、サトイモの葉にたまった朝露で墨をすり短冊をしたためると、学業成就・書道が上達するといわれたものです。
 結ぶのは棕櫚の葉を裂いた物を使用するのが慣わしでした。これは前の晩に母や祖母が用意してくれていました。

 かつてはどの家庭でも一家で七夕をお祝いする光景がありました。当夜は笹に吊るした提灯に火を灯し、庭に縁台を出すと、近隣の人も団扇片手に来られて星を仰ぎながら、皆で涼みました。

 中学校三年生までは何とかこれらを毎年家庭で行ってきましたが、その後止めてしまいました。年毎に世間を知り、交友関係が増え、また受験勉強、大学生活、社会人のお勤めと多忙な日々に七夕を祝う余裕と関心ががなくなっていきました。

 現在は、近隣の幼児がいらっしゃる家庭でも全く七夕飾りをしません。もはや愛媛の商店街にその光景を見るのみとなってきました。
 今回は残しておきたい日本の原風景として作詩をしておこうと思い立ちました。

<感想>

 そうですね、わたしの住んでいた地域では、もうすでに子供の頃に七夕の飾りはしていませんでした。家庭によってはしていたかもしれませんが、七夕の行事は、わたしには知識としてのものしかありません。
 しかし、「笹の葉サラサラ」と歌が流れると、我が身が体験したかのように、サラリーマン金太郎さんが描かれたような世界が目に浮かんできます。本や映画、他人の話などから記憶された物でしょうが、そうしたことこそが「原風景」と呼ばれる所以なのかもしれませんね。

 
 前半の行事の風景と後半の天上の景、どちらもが趣をよく出していると思いますが、前半と後半で切断されている感もあります。結句では全体を収束させる意識で、人間や行事のことに話を戻すべきですね。「月皚皚」「星河累累」とは合いませんから、下三字を変更する方向が良いと思います。

2008.10.21                  by 桐山人



井古綆さんから感想をいただきました。

 サラリーマン金太郎雅兄、玉作を拝見いたしました。
 御地での七夕祭りの風習を知ることが出来ました。

 起句で、七夕を祭るのに「縁台隈」では七夕の行事にはそぐわないように思います。たとい縁台に乞巧奠を祭るために半紙一枚を敷いても其処は祭壇になります。七夕という風流な行事を賦するには祭壇という意識を出した方がいいと思いました。
 また、起句承句の語法はいわゆる「和臭」のような気がいたします。

 結句の「星河累累」は「星河燦爛」ではないかと思います。また、「月皚皚」の月は七日の月のはずですので、この詩の場合には出すべきではないように感じられます。

 七夕に関する韻字は難しく、この詩の場合も韻字の設定で苦しまれたのではないかと思います。

 わたくしは七夕の詩題で作ったことはありませんが、昨年度の投稿詩で有人さんの「爽風囁」に似た趣の詩がありました。

 このたび「尤韻」で作って見ました。

    七夕
  乞巧庭前河漢流   乞巧(きっこう)庭前 河漢流れ
  今宵織女偶牽牛   今宵 織女は 牽牛に偶(あ)ふ
  鵲橋橋畔雙星涙   鵲橋(しゃっきょう)橋畔 双星は涙し
  未盡離情短夜愁   未だ離情を尽くさざるに 短夜愁ふ

「乞巧」: 乞巧奠、庭前に供え物をし、葉竹を立て、 五色の短冊に歌や字を書いて飾りつけ、書道や裁縫の上達を祈る
「河漢」: 天の河
「偶」: 配偶者に掛ける
「鵲橋」: かささぎの橋。七夕の夜に牽牛星と織女星を合わせるため、鵲が翼を並べて天の河に渡すという想像上の橋

2008.10.22              by 井古綆





















 2008年の投稿詩 第223作は 青眼居士 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-223

  觀月勝龍寺城址        

中秋明月貌團圓   中秋の明月 貌(かお)団円、

影領古城方泰然   影は古城を領して 方に泰然。

彼見玉姫歸嫁宴   彼は見たり 玉姫 帰嫁の宴、

終懐聖像下黄泉   終に聖像を懐きて 黄泉に下りしを。

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 私の住まいから遠からぬところに勝龍寺城址があります。
 明智光秀の娘、玉が輿入れした細川忠興の居城です。幸せは長くは続かず、明智の娘であるがゆえに政争に弄ばれて、ついに非業の死を遂げたのです。
 城址は今は公園になっていて、平和でまんまるな月を眺めつつも玉のたどった非情な歴史に思いを致さずにはおれない、という詩意です。

<感想>

 長岡京市の勝龍寺城址は、すぐ近くには天王山、山崎の戦で敗走した明智光秀が一時籠もった城ですね。光秀の三女である玉姫が嫁いでいき、幸せな新婚生活を送った城だとも言われています。
 青眼居士さんのこの詩では、光秀よりも、後に細川ガラシャと呼ばれた玉姫への思いが強く出ていますね。

 前半の叙景部分では、承句が落ち着いた趣を出していると思います。

 転句の「彼」は前句の「古城」を指すのだろうと思いますが、述語である「見」が結句の最後までを含める形ですと、玉姫がこの勝龍寺城で最期を遂げたように読んでしまいます。

 解説にお書きになったように、「玉のたどった非情な歴史に思いを致さずにはおれない」ということから玉姫の一生を描きたいお気持ちになられたことはわかるのですが、詩の展開から見れば、「古城は新婚の頃の玉姫の幸せな姿だけを見た」とした方が悲しみも深くなると思います。
 その後の玉姫の不遇な時期、あるいは関ヶ原の戦の直前、屋敷を包囲した石田三成からの人質となる要求を許否して死を選んだその最期については、「古城は見ていない、知らない」とする方が余韻が残るでしょう。下三字を生かすなら、「不知殉教下黄泉」というところでしょうか。

 転句の「帰嫁」の「帰」は「身を落ち着ける」ということから「嫁ぐ」という意味で、「お嫁に行って帰ってくる」ということではありません。古詩の「桃夭」にも
   之子于帰   の子 とつ
 となっていますね。

2008.10.28                  by 桐山人






















 2008年の投稿詩 第224作は 常春 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-224

  關孝和三百年忌        

元禄百花爭笑期   元禄百花争ひて笑ふ期

精工和算亦相知   精工の和算亦相い知る

泰西學海未波及   泰西の学海未だ波及せざるに

創見公題陸續馳   創見の公題陸続と馳す

          (上平声「四支」の押韻)

<解説>

 一昨年の秋、道後温泉に泊まった時、丘の上の伊佐爾波神社を参拝、びっくりしました。なんと22面の算額が奉納されていました。一番古いのは1808年、二百年前の奉納で複雑な立体の容積を求めるものでした。
 和算に関心を持ったきっかけです。

 今年は関孝和没後三百年、関孝和には欧州の数学者の発表に先駆けた数多くの公式があります。また、多くの和算家が競い合って難問を解いています。
 ただ、日本の和算が十七世紀後半に突如花開いたいきさつははっきりしません。
 中国では、十七世紀初頭、徐光啓がユークリッドの幾何原論を訳出していますし、禁教令までの間、多くの宣教師が来日していますから、彼等は数学も持ち込んだのでは?
 禁教令によって、数学書は「焚書」にあったのかな、とも感じます。歴史家は空白の時代は書けないのですから。

 上記詩の転句、決して間違いではありませんが、和算が突然降って沸いたような印象を助長するかなと危惧もします。
 転句、結句を下記のようにも考えました。

若無鎖国彫史   若し鎖国無ければ史に彫られん

創見公題華緻披   創見の公題華緻に披く

<感想>

 和算の研究は近年盛んになってきましたね。私が高校時代に教わった数学の先生が定年退職後に、地域のお寺を巡って算額の調査をされているそうで、そのことを数年前、新聞で知りました。恩師の先生が頑張っていらっしゃることももちろんですが、名前も残っていない多くの人々が、かつて数学に情熱を燃やしていた時代があったということにも、何とも言えず、気持ちが明るくなったことを思い出しました。

 起句の「笑」は以前「和習です」と書きました時に、井古綆さんから「辞書には明確に和習と書かれていないので、悩み深い」とのご意見がありました。辞書によって、「日本語用法」と書かれているものと書かれていないものがありますので、確かに悩み深いですね。
 後半で「和算が突然降って沸いたような印象」とのことですが、お示しになった別案の方は窮屈に縮まっているような気がします。歴史的には「突然降って沸いた」ことは無いのかもしれませんが、較べるなら前者のスケールの大きい方が私は良いと思います。
 ただ、和算の隆盛を描くのに当たっては、「泰西學」を比較として出さなければならないのかどうか、どちらが先かという競争のような話になるのは、文系の人間である私には何となく馴染みにくいものがあります。

2008.10.28                  by 桐山人



井古綆さんから感想をいただきました。

 常春雅兄、こんにちは。
 玉作を拝見いたしました。雅兄は「関孝和」についてずいぶん詳しく勉強されていますが、比べてわたくしは、『関孝和は和算の先駆者である』 と、しか存じませんので実に恥ずかしい限りです。
 そのわたくしが玉作に対しまして、僭越にも異見を申し上げますことは、重々失礼とは存じます。

 起句の「百花」に続く語でしたならば、人口に膾炙された「繚乱」は如何でしょうか。
以前何処かで熟語を多用すれば詩に風格が生まれると言うようなことを申し上げました。

 承句の「亦相知」も単語を重ねた句ですので、出来ましたならば熟語のほうがすっきりするような気がします。

 転句の「泰西」と言う語は玉作によって覚えました。

 詩の良し悪しを決めるには結句の措辞だと思いますが、玉作の措辞では少し物足らない気がいたします。
失礼とは思いましたが例よって参考になればと思い試作をいたした。

    試作
  元禄百花繚乱期   元禄 百花 繚乱の期
  先駆和算解縺糸   和算に先駆して 縺糸を解く
  泰西学会未波及   泰西の学会 未だ波及せざるに
  正使天才驚衆師   正に天才を使て 衆師を驚かしむ

「縺」: レン、もつれる

PS.鈴木先生の感想欄で、わたくしがず〜っと以前に「笑}について質問したことをよく覚えていただきましたことに大変感動いたしました。

2008.10.29            by 井古綆





















 2008年の投稿詩 第225作は 常春 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-225

  聞米國數學月間有感        

尼川氾濫齎穰禾   尼川ナイルの氾濫 穰禾みのりもたら

測地引繩基幾何   測地引縄 幾何をはじ

推進文明夫數理   文明を推進するはれ数理

隣邦擧國欲盈科   隣邦挙国 くぼみみたさんと欲す

          (下平声「五歌」の押韻)

<解説>

「盈科」: 孟子・離婁「源泉混混、盈科而進、放乎四海」

 日本にも数学月間をと、奔走した友人に贈った五年前の詩です。
アメリカの数学月間は、レーガン大統領宣言で始まり毎年4月、楽しいテーマを定めて行事を広げています。わが国では、数学協会が、これを取り入れました。毎年7月22日〜8月22日。

<感想>

 起句の「齎」は平字ですので、この場合は下三平になっています。

 結句の「盈科」は、「水が一旦くぼみに溜まってから流れ出すように、学問も段階的に進んでいく」ことを表す言葉です。
 詩全体の流れから行くと、世界の文明はじわりじわりと進歩して、これからも進んでいくだろうという期待を籠めたものになりますね。

 またまた、文系人間の私の感想を言えば、転句の「推進文明夫數理」という断定には「ムムム」という気持ちはありますが、数学関係のご友人に常春さんが贈られた作品ということですので、「ま、そうだろうな」というところでしょうか。

2008.10.28                 by 桐山人






















 2008年の投稿詩 第226作は 井古綆 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-226

  諾貝爾賞受賞(ノーベル賞)        

精~一到極深玄   精神一到 深玄を極め

斯道孜孜幾十年   斯道 孜々として 幾十年

絶後榮光四名賞   絶後の栄光 四名賞さる

日東天結北歐天   日東の天は結ぶ 北欧の天

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

「深玄」: 奥深いこと

 日中辞典を持ち合わせていませんので、碇豊長先生の語を見習いました。

<感想>

 常春さんの理系関連の二作をいただきましたので、続けて、井古綆さんからいただいたノーベル賞受賞の詩を紹介しましょう。

 ノーベル賞の発表の時には、私の大学の先輩ということでちょっと晴れがましい気分で、ただ、しつこいようですが、文系出身の私としては「理系の人はすごいなぁ」とまたまたイジケ虫が心の中に生まれそうになりました。
 でも、そんな私のちっぽけな気持ちを吹っ飛ばすような井古綆さんの詩で、素晴らしい話だと改めて思いました。

 前半はまさに学問を究めるということの姿を如実に描いていると思いました。転句への転換も納得です。

 結句は、日本とスエーデンを結ぶという視界で、ノーベル賞という題名にはふさわしい結びでしょうが、「栄光」ということを強調するのでしたら、「北欧」ではなく「世界」の方が広がりがあるかなと思いました。

2008.10.28                  by 桐山人



常春さんから感想と次韻詩をいただきました。

 ノーベル賞四名の同時受賞、大変に素晴らしいこと、そして、これをいちはやく詩にまとめられたことに敬意を表します。

 玉作、誠に素晴らしいもの、感銘しました。
 唯、今回の受賞、空前ではあっても、絶後かな? と一点、残念に思いました。韻の関係での「絶後」ではありましょうが。
 地道な研究、発明は、今回受賞者より若い方にも多くあります。今時の若い者は溌剌としています。

 今回の受賞、半世紀前の業績、しかも地道な基礎の物理と化学、当に「斯道孜孜幾十年」。
これを取り上げた、スエーデン科学アカデミーの緻密な調査、公平な決定もまたおおいに賞賛さるべきこと、
玉作に和して、次韻しました。ご一燦に供します。

   和 諾貝爾賞詩次韻
  周到公平玄又玄   周到 公平 玄また玄
  聲威益貴百餘年   声威 益々貴し 百余年
  發明炸藥無私念   炸薬を発明して 無私の念
  諾叟至誠馨普天   諾叟(ノーベル)の至誠 馨り天に普ねし

2008.10.31              by 常春


井古綆さんからお返事をいただきました。

 常春雅兄、早速に拙詩への次韻の玉作、誠に有難うございます。
 雅兄の御作は、視点をノーベル賞発祥に持ってきて、原作(拙作)を凌駕していると拝察いたします。
次韻誠に有難うございました。

 雅兄のご指摘「絶後」は誠に鋭い点を衝かれました。
全くその通りです。平仄の関係で「空前」が使用できませんでしたが、マスコミの発表当時では、受賞者は日本人四名でしたので、あのように作りました。

 当詩を送稿の後、二名のお方は現在の受賞時の国籍はアメリカになっていますが、頭脳流出とはいえ元日本人であり、我々日本人として誇る気持ちに変わり有りません。
 マスコミ界も興奮したせいでしょうか、受賞者の国籍にまで考えが及ばなかったと思います。

2008.11. 2              by 井古綆





















 2008年の投稿詩 第227作は 真瑞庵 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-227

  五箇山秋日        

日傾西岫淡烟流   日ハ西岫ニ傾キ 淡烟流レ

林樹茅檐凡是幽   林樹 茅檐 凡テ是レ幽ナリ

何処菊花香意発   何処ゾ 菊花ノ香意ヲ発スルハ

晩風籬下一吹秋   晩風 籬下 一吹ノ秋

          (下平声「十一尤」の押韻)

<解説>

 九月の初め、東海北陸道を使って越中五箇山を尋ねました。
 そこは山中のこと、さぞ涼しい事だろうと期待していましたが、なんとカンカン照りの猛暑。
名古屋の暑さを一緒に運んで来たのではと疑いたくなるほどでガッカリ。
 しかし、日が沈む頃になると辺りの景色は一変しました。
川霧でしょうか、淡い夕靄が流れ、村を囲む木々、点々と佇む茅葺の家々はそも夕靄に包まれ幻想的な雰囲気、
そして、どこかの家の垣根からでしょうか、暮れなずむ裡、風に乗って菊の香りが漂ってきました。やっぱりもう秋なんだ。

 多くの皆さんが暑さにもメゲズ創作に励んでいらっしゃり、小生もと思い机の前に座るのですが、あの夏の暑さには勝てませんでした。(本当はただの怠け者)

 皆さんの投稿詩楽しんでいます。

<感想>

 もう体調の方はすっかり戻られましたか。
 東海北陸道が富山まで通じ、名古屋方面から北陸への旅がとても短時間で行けるようになりました。

 真瑞庵さんの七言絶句は久しぶりという気がしますね。いつもの律詩に比べると作者としては言い足りない気持ちもあるかもしれませんが、私は短いながらもストーリーも仕上がっていて、まとまりのある詩だと思います。

 特に起句から承句へ流れる視線の動きが自然で、「凡是幽」が広がり感を持って、違和感なく胸に落ちます。

 転句からは作者の直接の行為は詩の中に出てきませんが、場面の中心に作者が立っていることが見え、作者の目や耳で周りの風物を感じ取っていることがよくわかります。
 読者は知らず知らずに、作者との一体感を持つことになるでしょうね。

2008.11. 1                  by 桐山人






















 2008年の投稿詩 第228作は 真瑞庵 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-228

  五箇山秋日 其二        

杳杳村沿碧水流   杳杳トシテ 村ハ碧水ノ流レニ沿ヒ

蕭蕭径接竹林幽   蕭蕭トシテ 径ハ竹林ノ幽ナルニ接ス

香生茅屋短籬菊   香ハ生ズ 茅屋 短籬ノ菊

山染霜楓千里秋   山ハ染ム 霜楓 千里ノ秋

虚谷夕烟濃淡漾   虚谷ノ夕烟 濃ク淡ク漾ヒ

中天半月皎晶浮   中天ノ半月 皎ク晶ラカニ浮カブ

此時此刻無人語   此時 此刻 人語無ク

但有民謡動旅愁   但ダ 民謡ノ旅愁ヲ動カス有リ

          (下平声「十一尤」の押韻)

<解説>

 前に投降しました絶句は九月に五箇山を訪ねた時の印象を詩にしましたが、今回は秋たけなわの頃に訪ねるときっとこんな景色、印象かなとある程度想像して詩にしてみました。
 ちょっと邪道の感を否めませんが・・・・・?。

 皆さんのご批評、ご感想をお待ちしています。

<感想>

 前作と同韻で、七言律詩にお作りになったものですね。

 初句は「杳杳」の遠くぼやけた感じと、くっきりとした「碧水」とのバランスが少し気になります。
 「流」の字も「幽」の字も働いていません。両字を消して六言句の対句として見ると良い句なので、韻字を検討されると良いのではないでしょうか。
 私としては、対句にこだわらずに、ゆったりと導入するのも良いかなと思います。

 頸聯の下句は上句との対応で見れば、主語を「楓」にし、「楓染暮山千里秋」のような形にした方が落ち着くのではないでしょうか。

 尾聯の「此時此刻無人語」の「時」は季節を表しますので、意味としては、「この季節の、この時刻には」というニュアンスでしょうか。対語が効果的だと思います。
 「無人語」は次の句の「只有」と対応しているのでしょうが、ここは「無」と「有」では当たり前すぎて、それまでの詩の収束としては物足りないように思います。

2008.11. 2                 by 桐山人



井古綆さんから感想をいただきました。

 玉作を拝見いたしました。ネット上で「五箇山」を検索しましたなら、世界遺産に登録されていました。
これは当地にとりましては大変名誉なことですので、詩中に入れるほうが良いと思いました。

 解説で、「ちょっと邪道の感を否めませんが・・・・・?」とお書きですが、齟齬がないように作れば良く、決して邪道ではないと思います。

 雅兄の御作を拝見して、やはり世界遺産に登録されている「白川郷」をかつて過ぎ、「下呂温泉」に投宿したことを思い出しました。以前、道佳雅兄の「飛騨路」の感想に書かせて頂きましたが、十数年前の事です。
 バス二台での初秋の某会社の団体旅行でしたが、季節を真瑞庵雅兄の玉作の晩秋に変えて作ってみました。
参考になりますでしょうか。

    過白川郷
  山繞閑村事事悠   山は閑村を繞(めぐ)りて 事事悠に
  潺湲澗水副途流   潺湲たる澗水は 途に副うて流る
  数茎黄菊揺籬角   数茎の黄菊は 籬角に揺れ
  万樹紅楓染杪秋   万樹の紅楓は 杪秋(びょうしゅう)を染める
  挙店慇懃遇羈客   店を挙げて 慇懃 羈客(きかく)を遇(ぐう)するは
  粗餐倏忽作珍羞   粗餐 倏忽(しゅっこつ) 珍羞と作る
  已推遺産只風土   已に遺産に推さるるは 只風土のみ
  不若芳情払旅愁   不若(しかず) 芳情 旅愁を払ふ

「杪秋」: 秋の終わり。杪はこずえ。
「羈客」: 旅行者。
「遇」:  もてなす。
「粗餐」: 団体旅行のためソバだったと記憶する。
「倏忽」: たちまち。
「遺産」: 世界遺産。
「事事悠」: 杜甫の『江村』の首聯『清江一曲抱村流、長夏江村事事幽』とあり、
       そのまま『幽』にしようとも考えたが、拙作詩中の『閑村』は 
       「偓促した都会」にはない『悠・ゆったり』の語が相応しく思った
       ので「悠」を使用した。

<蛇足>第五句の『慇懃』と第八句の『芳情』が呼応する。

2008.11. 3              by 井古綆


謝斧さんからも感想をいただきました。

 真瑞庵先生は蘇東坡の詩を意識されたのでしょうか

 点水先生の作品もそうですが、お二人の七律は瑕疵はありませんが、古人も言っていますが、両聯で最も忌むのは同律になることです。
 両聯叙景は平板になり易く、余程工夫をしないといけないと思っています。

2008.11. 7             by 謝斧





















 2008年の投稿詩 第229作は 緑風 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-229

  第七回道喜会        

仲夏朋徒集学堂   仲夏 朋徒 学堂に集ふ

探求真理白雲郷   真理を探求せし白雲の郷

微醺歓宴忘時過   微醺の歓宴に時の過ぐるを忘る

清唱黌歌意気揚   黌歌を清唱すれば 意気揚がる

          (下平声「七陽」の押韻)


「仲夏」: 陰暦五月
「微醺」: ほろ酔い
「黌歌」: 校歌

<解説>

 今年の同期会はキャンパスで行いました。
 五十年ぶりの白亜の殿堂を懐かしく思うとともに、その大変化に驚きました。
 逍遥歌を歌うと昔に戻った感じになり、元気が出てまいりました。

<感想>

 「道喜会」という呼び方も馴染んできました。
 会場が大学時代のキャンパスとのこと、皆さん懐かしく思われたことでしょうね。

 起句で同期会が開かれたことを言い、承句でその折の気持ちを書かれたわけですが、起句承句は一まとまりにつないで読みますから、この形ですと「仲夏の頃に同期の友だちが大学に集まり、真理を探究して仙郷に行った」と、なにやら怪しげな話になってしまいます。

 過去を回想した承句の内容は、ここだけが他の句と時間的に異なりますので、転句や結句に持っていった方が良いでしょうね。

2008.11. 2                 by 桐山人






















 2008年の投稿詩 第230作は 点水 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-230

  新秋        

草堂獨坐夜風流   草堂に獨坐 夜風流る

苦竹婆娑物色幽   苦竹 婆娑 物色 幽なり

金気満天涼似水   金気 天に満ち 涼 水に似たり

銀河垂地月如鉤   銀河 地に垂れ 月 鉤の如し

窓前梧葉徐徐少   窓前の梧葉 徐徐に少なく

院裏蟲聲愈愈稠   院裏の蟲聲 愈愈稠し

慮外良宵忘俗事   慮外の良宵 俗事を忘れ

吟詩把盞更何求   詩を吟し盞を把れば さらに何を求めん

          (下平声「十一尤」の押韻)

<解説>

 律詩の勉強を続けております。今後ともよろしくお願いいたします。

<感想>

 首聯の「苦竹婆娑」は竹が葉をヒラヒラと風に翻らせている情景で、直前の「夜風流」に呼応した表現ですね。

 頷聯は特別な語は使っていませんが、バランスの取れた情景で、秋夜の感を出していて、詩の趣とよく調和していると思います。

 頸聯は「徐徐少」「愈愈稠」の対がやや俗っぽく、もう一工夫できそうな気がします。

 全体として統一感のある、良い詩だと思います。

2008.11. 5                 by 桐山人



謝斧さんから感想をいただきました。

 詩を作るに当たっては首聯の出来が最も肝要です。
鑑賞する場合も、首聯が如何にして作られてるかに注目して読んでいます。

 首聯は律詩を創る上で最も難しく(対句好可得、結句好難得、発句好尤難得 滄浪詩話)、詩意は逎勁高突で、爆竹の如く、静夜に驟かに響きが徹し易きが如く、荘重、峯勢鎮圧、全編の体勢を含み蓋い得るようにしなければなりません。(謝榛四詩話 方東樹昭昧・言)
 起聯の不出来は、そのまま、編自体の失敗になります。決して草卒にする可きではありません(「要知発端草卒、下無声勢」 薛雪一瓢詩話)

2008.11. 8              by 謝斧


井古綆さんからも感想をいただきました。

 玉作を拝見いたしました。

 全体としては非常に良く出来た詩であると思いますが、惜しい点が二箇所あります。
 第二句『物色幽』は余り聞いたことが無く『夜色幽』にしたく思います。これは第一句に『夜風流』としているためで、非常に苦労されたと思います。
 次に、尾聯の上句が下句の『更何求』への動機が軽いような気がいたします。浅学ですが、この『更何求』は杜甫の『江村』から詩語表に抽出した語ではないかと思います。
 杜甫は「百年多病」と詠じているように、薬のみを求めていたでしょうから、「更何求」の語が胸に迫ってきます。

 雅兄のこの作品が整っていましたので欲が出てきました。今後の課題にしてください。

 例によって試作して見ました。

    試作新秋
  涼風颯爾暑氛収   涼風 颯爾(さつじ) 暑氛収まり
  林竹琳琅夜色幽   林竹 琳琅(りんろう) 夜色幽なり
  金気満盈都秀爽   金気 満盈(まんえい) 都て秀爽
  銀河燦爛正清秋   銀河 燦爛(さんらん) 正に清秋 
  月前梧葉婆娑下   月前の梧葉は 婆娑(ばさ)と下り
  露底蛩声蕭索流   露底の蛩声(きょうせい)は 蕭索(しょうさく)と流る
  一穂青燈鑑怠惰   一穂の青燈 怠惰(たいだ)を鑑(てら)せば
  吟箋筆硯更何求   吟箋 筆硯 更に何をか求めん

「颯爾」: 風がさっとふくさま。颯々、次句の「琳琅」と対にした。
「琳琅」: 玉が触れ合って鳴る音の形容。ここでは竹の葉擦れの音。
「金気」: 秋気。
「満盈」: 満ちあふれる。
「婆娑」: 意味の多い語。ここでは(梧葉の)影が揺れ動くようす。
「蛩声」: コオロギの声。
「蕭索」: ものさびしいさま。


2008.11. 8             by 井古綆





















 2008年の投稿詩 第231作は 仲泉 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-231

  嘆友急逝     友の急逝を嘆ず   

悢別一声啾蜀魂   別れをかなしみて一声蜀魂啾く

魄帰黄土黙無言   魄は黄土に帰し黙して言無し

難忘故旧交情篤   忘れ難し故旧交情の篤きを

地角天涯新涙痕   地角天涯涙痕を新たにす

          (上平声「十三元」の押韻)


<感想>

 起句の「蜀魂」はホトトギスを表す望帝の故事で故郷を懐かしむ場合に使われることが多いのですが、ホトトギスは冥界とこの世を行き来する鳥としても知られています。
 この一句で亡くなった方を悼む詩であることが最初に示され、それをよりはっきりと承句で表していますね。
 対比として措辞したのでしょう、起句の「一声」「啾」に対しての承句「黙無言」は、ストレートな表現で、私は効果が出ていると思いました。

 年齢的に私もそうですが、どうしても不幸の知らせを受け取ることが多くなってきました。残される側の悲しみは辛いものがあります。
 仲泉さんのこの詩の結句は、そうした孤独感がよく表れていて、共感の涙が出ます。ただ、この結句をメインにすることを考えるならば、承句の「黄土」で場所を表す言葉は用いない方が良いかもしれません。

2008.11. 8                 by 桐山人






















 2008年の投稿詩 第232作は 井古綆 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-232

  次韻鮟鱇雅兄玉作        

俳諧伝統自堅強   俳諧の伝統は 自ずから堅強たるも

日本漢詩隣滅亡   日本の漢詩は 滅亡に隣す

危惧将来抱憂慮   将来を危惧すれば 憂慮を抱き

顧思今昔止重觴   今昔を顧思すれば 重觴を止む

賢誇浮誉甘西席   賢は浮誉を誇り 西席に甘んずるも

已忘菁莪鎖狭郷   已に菁莪を忘れて 狭郷を鎖す

見払髭塵瞑慧眼   髭塵を払われて 慧眼を瞑す

希求隆盛正荒唐   隆盛を希求するは 正に荒唐

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

 鮟鱇雅兄の2007−217「偶聞漢詩滅亡之説有感作一首」を拝見いたしました。
 我国の漢詩会の衰退に対する雅兄の心痛は、不肖わたくしも同感です。
漢詩は特に難しい文学ですが、それ以上に閉鎖性があります。

 我国の漢詩界を危惧して、鮟鱇雅兄の玉作に次韻しました。

「西席」: 師の席
「菁莪」: (師として)多くの人材を育てること
「狭郷」: 本来は狭量とすべきだが次韻のため狭郷とした。
「髭塵」: (シジン)ひげのちり


<感想>

 このホームページの中にいると、「漢詩の衰退ってどこの話?」という気持ちになるのですが、実際に書店に行って漢詩のコーナーを探そうとすると、本当に寂しい思いになります。

 今年の夏に台湾に行った折、台北市内の新刊書店に入りましたが、漢詩(古典詩)関係の書籍が棚一面に置かれていて感動しました。あれもこれもとついつい沢山購入してしまって重い荷物を持ってホテルに帰ることになりましたが、でも幸せな気持ちでした。

 鮟鱇さんの詩意と井古綆さんの詩意は少し違いがあるかもしれませんが、我が国の漢詩を何とかしたいというお気持ちは共通しているのだなぁと思いました。

2008.11. 8                 by 桐山人



鮟鱇さんからお手紙をいただきました。井古綆さんあてのものですが、ご了解を得て、掲載をさせていただきます。

 井古綆先生、拙作に唱和していただきありがとうございました。

 拙作は、日本語の字数律が韻律としていかに曖昧であるかを知らないらしき定型派の俳人が、俳句人口1000万とも言われることがある俳句の隆盛数とを背景に、「漢詩滅亡」と記述したことに対し、押韻と平仄に関わる規律を韻律とする詩と詞曲はとても強固な詩的遺伝子を胚胎しており、滅亡することはない、と主張したものです。そこで、先生が触れられた日本の「漢詩界の閉鎖性」に拙作は、直接には触れてはいません。しかし、日本の漢詩界が閉鎖的であるかどうかでは、私も、閉鎖的であるように感じています。
 ただ、閉鎖的であるのは、漢詩に限らず日本の詩歌界全体の傾向ではないでしょうか。

 実は先週、東京で「東京フェスティバル2008」なる詩祭が開かれ、聴衆のひとりとして参加する機会がありました。わが国で唯一(と思われます)漢俳を掲載してくれる俳句誌「吟遊」の主宰者であり、世界俳句協会のディレクターである俳人夏石番矢氏が、理事長を勤める団体の主催でしたので、私は、世界の詩を、聴きにいきました。日本を含め世界二十一か国四十一人の詩人、歌人、俳人が自作を朗読しました。そのなかで、日本側の出演者だった詩人高橋睦郎氏は、わが国には、詩人は現代詩語を語り、歌人は短歌語を語り、俳人は俳句語を語る、という状況がある、だから、世界二十一か国二十一言語ではなく、二十数個の言語がこの詩祭にはある、といっていました。さらには、高橋氏は触れなかったが、私たちが、漢詩語を語る、ということもしているのだと思います。それだけ、わが国はあまねく閉鎖的。
 しかし、俳句を作り、短歌も作り、詩も作る高橋氏が言おうとしたのは、その閉鎖性、言葉の壁を超えるものがある、ということです。詩への思いがそれ。そして、その思いの拡がりを信じることができる者だけが、よその国やよそのジャンルの詩に心を開くことができる、というのが高橋氏のスピーチの趣旨でした。
 この高橋氏の言葉に私は心を動かされます。そして、日本の詩歌界がどう閉鎖的であるかについて、言葉を持たないわけではありませんが、もっと大事なこととして、どういう場面で閉鎖的と感じるか、ということの方が、一個の漢詩制作者としては重要であると思えます。  私の場合、作られた詩そのものよりは、詩をめぐる議論が、ひとつの価値観によって制御されていると思える場合に、その論と作品は、閉鎖的である、と感じます。あることが金科玉条とばかりに説かれ、耳にたこができるほどに聞かされて、さらには、守旧的「権威」がそこに見え隠れするときに、私にとってその論は「閉鎖的」です。
 私は、詩は、新しい発見があるかどうかでその価値が決まると思っているからです。しかしながら、わが国の伝統詩歌の文芸思想は、作品の完成度の高さの方を重視している、と思えます。そして、漢詩も、わが国の伝統詩歌です。
 作品の完成度の高さがなぜ追及されるのか。日本は、中国文化から欧米へと長年に渡る舶来文化の攻勢のなかで、その取捨にあたり、良いものを見きわめる鑑識眼と、それを日本流にアレンジする技を磨いてきました。そこで、日本人の審美眼は、自分自身の心のなかに生まれたもの信じることよりも、人前に晒されたときにそれにどれほどの価値があることや、他人の作品や舶来の作品が目の前の対象物として存在しているときに、その美醜がどれほどのものであるかを見きわめることに、莫大なエネルギーを割くようになったのだと思えます。日本人の個々の心にあるものはなかなか共有できません。しかし、他作や海を渡ってやってきた作品は、その外形をあれこれと論うなかで共有することでき、みんなで値踏みをすることができます。つまり、審美眼を共有できる。
 漢詩は、海を渡ってやってきた詩です。俳句や短歌、これらも、海こそ渡っては来ていませんが、その美醜をどう自分のものにするかでは、多くの愛好家が、漢詩と同様、その外形をめぐって美醜を議論し、審美眼と価値観を共有しようとしています。この求心性、あるいは党派性が、その一派の閉鎖性を生むのだ、と私は思います。
 日本人には、日本人はみんな同じだ、と思いたがる傾向があると思います。みんな同じだからお互いの心が通じあい、また、そうすべきだと思い、同じ志かどうかをいつも確かめあって行動しているように思います。出る釘を打ち、村八分にする、そういう習性が文芸の場でも機能し、同志だけで睦みあい、よそ者を無視するのです。広い荒野で異国の者と遊ぶのではなく、人目を気にして人目を避け、心の通じ合うものだけで山のふもとの草庵に集う、そういう価値観が日本にはあり、随処に党派意識と閉鎖性を生んでいる、と愚考します。
 そこで、誤解を恐れずに申し述べますが、今の世は閉鎖的だ、と思った瞬間から、自らの孤高を保つ気概が生まれてくるようにも思えます。
 井先生にしても、その気概はすでにお持ちであると推察します。私は孤高を目指します。そして、日本の漢詩人の多くが、その孤高を自覚できたときに、日本の漢詩界は、とても開けたものになっているだろうと思います。

2008.11.11              by 鮟鱇





















 2008年の投稿詩 第233作は 展陽 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-233

  荊妻        

老境荊妻気未衰   老境の荊妻 気未だ衰えず

年来手足力些羸   年来 手足 力やや疲れ

朝朝澣濯晨醒早   朝朝 洗濯で 晨醒 早く

夜夜裁縫晩臥遅   夜な夜な 裁縫で 晩臥 遅し

照顧家庭無訴苦   家庭 照顧して 訴苦せず

劬労子女不嫌疲   子女 劬労して 疲れ いとわず

陪孫散歩塵心忘   孫を陪して散歩し 塵心忘れ

共唱童謡笑臉慈   童謡を共に歌い 慈しみの笑顔

          (上平声「四支」の押韻)

<解説>

「羸」: 疲れ衰える
「劬労」: 骨折り
「陪」: 付き添う


<感想>

 奥様への愛情あふれる詩ですね。

 「洗濯」、「裁縫」という描写は、一昔前の「お母さん」という感じなのですが、きっと展陽さんの奥様はそうした古風な趣をお持ちなのでしょうね。

 首聯についてですが、読者はどうしても下句の方を主として考えますから、「奥さんは気力はあるが体力は衰えてきた」と理解します。
 次の頷聯や頸聯の描写は、展陽さんの気持ちとしては、これまで頑張って来てくれたという感謝のお気持ちなのでしょうが、尾聯まで同じ調子で進みますので、時間軸としては同じ現在のものとしてとらえ、「家事も育児もお孫さんの世話も(現在)元気にやっていらっしゃるのだなぁ」と考えます。
 頷聯とのつながり具合を見ると、「気力はあるけれど体力は衰えてきたけれど今も元気だ」という形で逆接を続けなくてはなりません。
 首聯は上句と下句で内容の順序を入れ替えるか、「手足力些羸」という説明はやめた方が、尾聯の元気に生活を楽しんでいらっしゃるお姿には合うでしょう。

2008.11.11                  by 桐山人


井古綆さんから感想をいただきました。

 展陽雅兄、玉作を拝見いたしました。

 奥様を詠じた詩には禿羊雅兄のhttp://tosando.ptu.jp/2007/toko2007-2.html#2007-46がありました。
その際にも賛辞を申し上げましたが、展陽雅兄のこの作も禿羊雅兄の作に劣らない作品であると思います。

 然しながら、詩の構成に少し推敲の余地があるように感じました。
すなわち律詩八句全体を奥様を賛美されていますのは、奥様が古風な純日本的なお方であろうと思います。
 愚見を申し上げれば、対句二聯のみに賛美を詠じ、首聯、尾聯をもって作者の気持ちを表すこと、例えれば、スイカを食べる際に塩を少々振り掛けるようなものではないでしょうか。

 雅兄の詩想に供すべく、首聯と尾聯を考えて見ました。参考になれば幸いです。

    試作 荊妻
(首聯)
  連理多年守婦規   連理 多年 婦規(ふき)を守り
  荊妻共老未知衰   荊妻 共に老ゆるも 未だ衰を知らず

(尾聯)
  狂夫装忘等閑過   狂夫 装忘(そうぼう) 等閑に過ぐ
  向後如何注美辞   向後 如何にして 美辞を注がん

「連理」: 比翼の鳥、連理の枝。長恨歌より。
「婦規」: 造語かも知れない。
「狂夫」: 劉禹錫の詩より http://www5a.biglobe.ne.jp/~shici/zhuzhi13.htm。
      ここでは風雅に強く心をうばわれた人。「荊妻」に対する語として使用した。
「装忘」: 忘れたふりをする。装は擬装などと「よそおう」の意味。
「等閑」: 物事をいい加減にすること。

2008.11.11               by 井古綆





















 2008年の投稿詩 第234作は 仲泉 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-234

  暗夜        

紫電奔雷天一隅   紫電奔雷天の一隅

裂山呼鬼乱雲趨   山を裂き鬼を呼びて乱雲趨る

誰家敗壁孤灯仄   誰が家ぞ敗壁孤灯仄かに

梧竹当窓蘭尓   梧竹窓に当たって蘭尓唐黷

          (上平声「七虞」の押韻)

<感想>

 仲泉さんの今回の詩は、前半と後半のつながりがよく分かりません。
 題名から判断すると、前半は暗夜に雷が鳴り響いたということなのでしょうね。で、その雷が「梧竹」「蘭宦vをどうしたと言うのか、そこが不明瞭なのです。

 「梧竹」「蘭宦vで言えば、竹が窓に当たることと尢魔ェ蕪れることが並列で書かれているのも、理由が出てこないと思います。

 実景ではなく、「暗夜」という題でイメージを広げて詩にされたのではないかと思いますが、作者の想い描いている通りに読者も想像できるわけではありませんので、だからこそ句の配列や素材の選択に丁寧さが求められます。

 今回は厳しい感想になってしまいましたが、私の理解不足があるかもしれません。

2008.11.11                  by 桐山人



井古綆さんから感想をいただきました。

 玉作を拝見いたしました。
 前作『嘆友急逝』も拝見して、起承転結が整った佳詩であると思いましたが、この『暗夜』は起句から熟読しましても、どうしても結句にたどり着きません。これは如何したことでしょうか。

 起句、雷鳴が鳴る情景でしたなら満天で「天一隅」は不自然ではないかと思います。
 承句、詩意はなんとなく分かりますが、「呼鬼」とはどのような情景でしょうか。
 転句、ここでは雨が降るかと思いました。
 結句、この情景は更に分かりません。読み下し以外に詳細な説明をして頂ければありがたく思います。

 御作の起句『紫電奔雷天一隅』をヒントに『油雲溌墨忽奔趨』の句を考え、本来は結句から作りますが、起句から作って見ました。目的も決めずにハンドルを握ったようなもので、行き先が分かりません。

    試作
  油雲溌墨忽奔趨   油雲(ゆううん) 溌墨 忽ち奔趨(ほんすう)
  雷電轟轟閃鑠駆   雷電 轟々 閃鑠(せんしゃく)して駆ける
  驟雨沛然如昏黒   驟雨 沛然(はいぜん) 昏黒の如し
  喧騒一刻失帰途   喧騒 一刻 帰途を失ふ

「油雲」: 入道雲。
「閃鑠」: 稲光が光るさま。
「沛然」: 雨がさかんに降るさま。

2008.11.11              by 井古綆


謝斧さんからも感想をいただきました。

 詩意は今までの仲泉先生の詩を読めば、今までとは違った趣があるので、深く読み過ぎしょうか。

 普通によめば、蘊謝の利いた詩にとれます。

 一二は紛々たる世情を暗示しているのでしょうか。
 誰家は自分の家を第三者の目でみたものか
 敗壁孤灯仄は與世相忘れて、世事を等閑していることを暗示しているが、梧竹当窓蘭尓刀@それにも拘わらず身におよんでくるのを嘆いてると言った詩なのでしょうか

 よくわかりませんが、そういったことなら佳作だとおもいます

2008.11.14               by 謝斧





















 2008年の投稿詩 第235作は 柳田 周 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-235

  病棟窓外夕麗有感     病棟窓外の夕麗、感有り   

夏日没天燃紫朱   夏日没して天紫朱に燃え

彩雲金耀印旛湖   彩雲金に耀やかす印旛の湖

五旬今尚在医院   五旬今尚医院に在り

一刻凭窓忘病躯   一刻窓に凭(よ)りて病躯を忘る

          (上平声「七虞」の押韻)

(語注)
「夕麗(せきれい)」: 美しい夕焼け

<感想>

 「五旬今尚在医院」ということですので、二ヶ月近く入院なさっておられた時の詩ですね。病院にずっと入っていますと、外の世界は窓越しにしか見られないもの、つまらないと言えばつまらないのですが、だから尚更にいとおしいとも言えるのでしょう。

 柳田周さんの息づかいが聞こえてくるような詩ですね。

 「夕麗」はせっかくの美しい言葉ですので、結句の「一刻」と入れ替えて「夕麗凭窓忘病躯」としたらどうでしょうか。

2008.11.10                  by 桐山人



井古綆さんから感想をいただきました。

 柳田周雅兄ご病気は如何でしょうか。
いつも心配していますが、病中にも関わらず作詩されていることに大変感動しております。

 わたくしも四年前40日ほど入院しましたが、医師の先生達のおかげで無事退院できました。雅兄も入院生活は大変でしょうが頑張ってください。

 雅兄の『夕麗』の語を使用して一絶を作りましたので、入院生活の気晴らしになれば幸いです。

    以夕麗 作一絶
  須臾夕麗染昏朱、   須臾にして夕麗は 昏朱に染まり
  不意遙遙望此湖。   意ならず遙遙 此の湖を望む。
  當制病魔稱國手、   当(まさ)に病魔を制し 国手を称し、
  歸心爽快喜康躯。   帰心爽快 康躯(こうく)を喜ぶべし。

「須臾」: たちまち。
「遙遙」: 心が不安なさま。
「此湖」: 印旛沼をさす。
「国手」: 医師の美称。
「康躯」: 健康な体、造語。

2008.11.14              by 井古綆


柳田周さんからのお返事です。

 井古綆先生 柳田 周です。

 小生の病状をご心配戴きありがたく感謝申し上げます。
 ここ一ヶ月程、治療薬の副作用で高めの体温が続いており、速やかなご返事ができず申し訳ありません。
 又、拙作に次韻を戴き誠にありがとうございます。

 ただ、小生が現在も尚入院していると先生はお考えの様ですが、入院していたのは6月半ばから8月半ばまでの2ヶ月間で、現在は通院治療を続けております。
 完治するものと信じて療養に努めておりますが、まだ今後半年〜1年間の治療が必要です。
 この間可能ならば拙い詩を作り続けたいと考えておりますが、律詩を作りあげるには少々エネルギーの集中力が不足の様です。

 今後とも、拙作にご批判、ご指導を賜りますよう宜しくお願い申し上げます。

2008.11.25              by 柳田周





















 2008年の投稿詩 第236作は 柳田 周 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-236

  印旛沼畔煙火     印旛沼畔の煙火   

夜天煙火合紛葩   夜天の煙火 合に紛葩(ふんぱ)たるべし

五彩明珠似落花   五彩の明珠 落花に似たり

病棟窓前嘆声薦   病棟窓前 嘆声薦(しきり)なり

養痾励処楽些些   養痾励むる処楽しきは些些(ささ)たり

          (下平声「六麻」の押韻)

<感想>

 この詩も前作と同じ頃に作られたものでしょうね。

 転句は「窓前」よりも「庭前」の方が良いでしょう。
 結句は、「病院での生活にも、少しではあるが楽しいこともある」と私は読みました。

 詩を作ることは自己を客観的に見なくてはできません。特に漢詩の場合には、一時の感情の流れにまかせて一詩を成すことは難しく、本の題名ではありませんが「冷静と情熱の間」で句を練っていきます。いつもどこかに醒めた自分が居なくてはいけません。
 私は闘病の時、病気自体もそうですが、現実の問題が次々と出てきて心が忙殺され、とても「客観的な自分」などは持てず、苦しみました。
 柳田周さんが詩作を続けておられることに敬意を払い、すごいなぁと思います。養生の励みとなりますことを願っています。

2008.11.11                  by 桐山人



柳田周さんからのお返事です。

 転句中の「窓前」は「庭前」がよいとのご指摘です。
 これも詩だけからは読み取る事は困難ですが、病棟にガラス大窓のサンルームがあり、この窓からの花火鑑賞が入院患者に許されたために、此処に集まった患者達が嘆声を挙げていたのです。
 「窓前」でなく「窓後」と言うべき位置ですが、平仄の制約から「窓前」を用いました。
 「窓辺」とすれば良かったかも知れません。

2008.11.25              by 柳田周





















 2008年の投稿詩 第237作は 謝斧 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-237

  昌谷詩人        

昌谷詩人誇鬼才   昌谷詩人 鬼才を誇り

騒之苗裔怪奇裁   騒の苗裔 怪奇を裁す

探尋前事句鮮麗   前事を探尋して 句は鮮麗

三九了生夭折哀   三九 生を了して夭折哀し

          (上平声「十灰」の押韻)

<感想>

 題名に示されていますが、「昌谷詩人」は中唐の李賀、字は長吉、出身地から「昌谷」とも呼ばれます。
 享年は二十七、謝斧さんの詩では「三九」とされていますが、これはもちろん、「三×九=二十七」のことですね。

 承句の「騒之苗裔」は、「屈原の『離騒』を受け継いだ」ということでしょうが、李賀の詩の幻想性、象徴性を、同じく神秘性を持つ『離騒』と結んだものでしょう。
 李賀の作品は、他の唐詩とは一線を画した個性的なものと言われますが、その淵源を示すと共に、転句の「句鮮麗」によって、李賀の詩語の独創性も示しているのでしょう。

 同時代の詩人たちによる絶大な評価とは別に、詩史の中では異端児扱いされることが多い李賀ですが、謝斧さんが仰るように「夭折哀」という気持ちを持つ人が近代以降多く、改めて評価されるべき詩人だと思います。

2008.11.13                  by 桐山人






















 2008年の投稿詩 第238作は 真瑞庵 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-238

  虚隠        

村近曾江岸   村ハ曾江ノ岸ニ近ク

庵囲疎樹林   庵ハ疎樹ノ林ヲ囲ラス

鐘声催日暮   鐘声 日ノ暮ルルヲ催シ

蛩語急秋深   蛩語 秋ノ深マルヲ急ガス

醰醰杯中酒   醰醰杯中ノ酒

酣酣酔後心   酣酣 酔後ノ心

荒籬為逸隠   荒籬 逸隠ヲ為シ

空壁作孤吟   空壁 孤吟ヲ作セリ

          (下平声「十二侵」の押韻)

<解説>

 六十六歳となり、髪にも、鬢にも霜を重くし、ちょっとした暇を見つけては野菜作りに励み、詩作りに頭をひねって隠居の真似事をする一方、僅かばかりの生業にしがみ付いて毎日齷齪過ごしています。
 早く本物の隠居さんになりたいものです。それが本当に楽しい物か如何か分かりませんが?????。

 鈴木先生、お世話になります。 謝斧先生、井古綆先生をはじめとして投稿されている諸雅兄の詩の素晴らしさに感じ入るばかりです。
さらに、鈴木先生の解説やアドバイスは随分と小生が作詩を試みるうえでの参考になり感謝しています。
 ただ、それが十分活用出来ているかと心もとないのですが。今後ともよろしくお願いします。

<感想>

 今回も全対格でお作りになったのでしょうか。

 対の関係で言えば、首聯の上句の「曾江」が木曽川の固有名詞ですので、こちらを一般的な名詞で「蒼江」「碧江」などにするか、下句の「疎樹」を固有名詞を入れるかでしょう。

 尾聯の「逸隠」は同意の字を重ねた熟語で、「孤吟」の修飾関係とは構成が異なりますね。

 詩の内容としては、十分に「隠者」としての姿が出ていますので、題名の「虚隠」との違和感がありますね。詩の中に、俗塵を断ち切れないという思いが少し出ると良かったのではないでしょうか。

2008.11.13                  by 桐山人



井古綆さんから感想をいただきました。

 玉作を拝見。難しい律詩を全対格に詠じられた手法に感心いたしました。
 鈴木先生の感想は、微にいり細にわたってのご指導ですので、作者本人以外に我々が読者の立場となっても大変有意義なことです。
 今後共によろしくご指導をお願いいたします。 2008.11.14                   by 井古綆


謝斧さんからも感想をいただきました。

 いつもながら、真瑞庵先生の律詩は佳く出来てると、感心して熟読さしていただいてます。
 私等がとやかくいうことはありませんが、今回の五律も佳作ですね。読んでいて気持ちが爽やかなるようにおもえます。
 首聯と尾聯の対句にはこだわらず詩作したほうが良いとおもいます。

 古人は律詩の首聯 と尾聯の対句に関しては次のようにいっています。
若し起句(首聯)を対杖にすれば、即ち常に対杖の拘する所と為、而して呆板絆之象顕る
尾聯は散行(散句)を以ってし、対杖(対句)せざるを宜しきと為す。前人に対を用いる者ると雖も、究めて少見と為し、必ずしも楷式(手本)の資とはならず

 卑見ですが、私も最近までは殊更に技巧を施すのを好んで、 首聯 と尾聯に対句を用いました。全対句なるものもつくったこともありました。
 ただ 五言律詩は、誤って首聯が対句になっても、字数が少ないため拘束されることはあまりないとおもいます。それに加えて五言は二句一意で作られ、落句が出句を補間しますので、対句と符合するところもあります。
 然し、出来るだけ対句にしないほうがよいとおもいます。かるい瑕疵だとおもっています。

 それに対して五絶は詩形の特性から対句を用いるほうが良いとかんがえています。
 二十字では直截的な表現は出来ませんので、対句にしては、言外に詩意をもとめるように作詩するものだと考えています。

2008.11.16             by 謝斧





















 2008年の投稿詩 第239作は 鮟鱇 さんからの作品です。

作品番号 2008-239

  青過于藍        

人中獅子有嫡男,    人中の獅子に嫡男あり,

明目達聰尖燕頷。    明目達聡にして燕頷尖る。

民喜老王禪讓好,    民は喜べり 老王の禅譲の好(よろ)しきを,

晴天青色過于藍。    晴天の青色は藍より過ぐれりと。

          (中華新韻「八寒」の押韻)

<解説>

 「青過于藍(○●○○)」: 四字成語、青出于藍に同じ。新韻での平仄は、青出于藍が○○○○、青過于藍は○●○○。
 「人中獅子」: 四字成語、卓越した人物。
 「嫡男」: 新韻の平仄は○○。
 「明目達聰」: 四字成語、聡明なさま。
 「燕頷」: 四字成語「燕頷虎頸(威厳があって勇壮な相貌)」を略用しました。

 小泉元首相の引退表明に想を得て作っていますが、それはそれとして、子が優秀な親の業を継ぐと、親に負けないよい仕事をするようにと期待されることが、多いように思えます。拙作は、そのあたりのことを書いています。

<感想>

 禅譲は、古代の堯帝が舜に位を譲ったという話でしたね。その折の史書の記述は確か、「堯之子丹朱不肖」で、「堯の子である丹朱は、親に似ず(不肖)出来の悪い子であった」というものだったと思います。

 不肖の息子であるので血縁による地位相続を避けて、有徳の人である舜に譲ったのが禅譲の起源であったのですが、鮟鱇さんの今回の詩では、親から子へのイメージが強いようですね。と言うよりも、まずは「老王」が身を引いたことにまず歓迎の気持ちを出し、更に「青は藍よりも青くなる」との期待を籠められたものでしょうか。

2008.11.13                  by 桐山人


井古綆さんから感想をいただきました。

 転句の「禅譲」の「禅」はこの場合には辞書によれば、仄韻と載っていますが、新韻では平韻でしょうか。
 わたくしも最近まで、平仄が不明でした。拙作「蘇連邦崩壊風聞抄古稿」でようやく気が付きましたので。

2008.11.14              by 井古綆


鮟鱇さんからお返事をいただきました。

 「禪讓」の件、井古綆さんのご指摘のとおりです。現代韻でも、「禪讓」は「shan4rang4」ですので、仄仄です。

 この句は孤平、下三仄です。小生の杜撰、ご指摘いただきありがとうございました。

 この「民喜老王禪讓好」の句、結句とのつながりがいささか悪いように感じていましたので、「禪讓好」に内心、不満を感じておりました。
 この機会に、結句と読み下しを、次のように修正させていただきます。

    民喜老王將禪讓   民は喜べり 老王まさに禅譲せんとし
    晴天青色過于藍   晴天の青色 藍よりすぐれりと

2008.11.24            by 鮟鱇





















 2008年の投稿詩 第240作は 忍夫 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-240

  中秋        

涼夜倦書孤椅楼   涼夜、書に倦んで孤り楼に椅れば、

月華星彩満天秋   月華星彩、満天の秋。

高吟却惜無人訪   高吟すれば、却って、人の訪ふ無きを惜しみ、

一片詩情易化愁   一片の詩情愁ひに化し易し。

          (下平声「十一尤」の押韻)

<解説>

 読書に飽きて、二階の窓より空をみあげれば、月と星の美しい秋の夜空。気持ち良く、詩などくちずさんでいると、妙に人恋しくなり、一片の詩情も忽ち愁いに変わってしまいました。

 鈴木先生、井古綆先生、謝斧先生、いつも拙詩に御講評いただき有難うございます。
 趣向を変えて多事、詩に詠みたいと悪戦苦闘いたしております。

<感想>

 「中秋」という定番のような詩題に対して、どう作者独自の感懐を表すかが要というところでしょう。

 今回の詩では、転句によく工夫がされていると思います。
 秋の夜、月も星も美しい空を眺めて、「高吟」をすれば普通ならば風雅の極み、十分に満足するところだと思いますが、そこを「却惜」と逆接の展開に持ってきた点は、とても良いと思います。

 難を言えば、結句の下三字がその前の「一片詩情」と合わず、締めくくりとしては弱いでしょう。「易」の字をもっとくっきりした言葉、例えば「已」とか「忽」などの副詞にしてみるのも一つかな、と思います。

2008.11.13                  by 桐山人



井古綆さんから感想をいただきました。

 玉作を拝見。一読して詩情に溢れています。
 特に転句の上句『高吟』と下句『無人訪』とを繋ぐ手法を会得されたと思います。これを鈴木先生は『逆接』と表現されていますが全くその通りです。
 結句にも、鈴木先生のお言葉がありますように、ここでも句末の『愁』と『詩情』の詩では平凡ですので『○情』と逆接にしても良いような気がいたします。

2008.11.14             by 井古綆


謝斧さんからも感想をいただきました。

 「一片詩情易化愁」の「一片」はどういった意味合いがあるのでしょうか。
 詩では、元遺山に「一片傷心画不成」があり、しょっちゅう使われています。
「一段傷心画不成」とも使用した例もあります。
 「一片」は心の中にひろくゆきわたるとの意味で、ひとかけらではないと思います。
心の中にひろくゆきわたる詩情はややもすれば愁いと成りやすいでしょうか。

 そんなに悪いとは思えませんが、老婆心乍ら、

 措辞は申し分ありません。大家に批正を乞うても朱字は加えられないとおもいます。
然し、全体的に平板で感興に乏しいようにおもわれます。

 大家の詩を読んでよく感じることですが、大家の場合、こういったことになると、三四で工夫をして悪く言えば小手先の技(警句)を使っているようにおもえます。それはそれなりに佳作になるようにおもいます。平板さを避ける一つの方法だとおもいます。
 ただ技巧をほどこすことがみえて、羚羊掛角に反するような詩になるようにおもいます。
この辺が唐人に及ばないところだと感じています。

2008.11.14             by 謝斧