2007年の投稿詩 第181作は 翠葩 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-181

  蓮開時        

首夏城辺紅藕馨   首夏城辺 紅藕 馨し

臨風園蓋満濠青   風に臨む園蓋 満濠に青し

一花開處撥音発   一花開く処 撥音発し

西子鮮粧歩可停   西施の鮮粧 歩を停むべし

          (下平声「九青」の押韻)

<解説>

 松本城の堀のあたりを早朝そぞろ歩いて看た景です。

 青々と蓮の葉が堀の面を一面に覆って風に揺れています。
 蓮の花が開く時ポット音がします。
 微かな香りも然ることながら、丁度その時西子の事を思いました。
 見たことは無いけど、装った西子はかく清楚で美しかったのかと。

<感想>

 松本城は別名「烏城」と呼ばれますが、天守閣が黒く塗られて聳えています。私も二、三度行きましたが、特に堀を視界に入れた景観は美しいと思いました。
 そのお堀を一面に蓮が覆い、青々とした初夏の風情が感じられる詩になっていますね。
 転句から展開が急になり、視覚と聴覚を織り交ぜながら、西施へと連想を進めていきますが、結句に西施の美しさ(視覚)を持ってくるならば、「撥音発」(聴覚)は承句に置いた方が良かったでしょう。
 そうしておいて、蓮の美しさを西施で象徴するのが落ち着くと思いますが、その際には最後の「歩可停」が、やや物足りないですね。
 また、松本城についての描写がありませんが、できれば光景を立体的にするためにも、何か書かれると良いと思いました。

2007.10. 3                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第182作は 玄斎 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-182

  訪牡丹寺 菅廟吟社五月席題        

牡丹僧院絶紛譁   牡丹の僧院 紛譁絶ち

首夏匆匆吐玉葩   首夏匆匆 玉葩吐く

如洗紅容如欲語   洗が如く 紅容 語らんとするが如し

蕭清寺裏餞韶華   蕭清たる寺裏に 韶華を餞る

          (下平声「六麻」の押韻)

<感想>

 起句の「紛譁」「がやがやとうるさいこと」を表しますので、僧院が世俗を離れて静謐であることを伝えています。
 転句はよく分かりません。
 結句の「餞韶華」は何となく取って付けたような感じがします。ここは牡丹の美しさに酔うところであり、季節が移ろうことを連想するというのは現実感を伴いません。頭の中で言葉を探したという印象を与えてしまうような気がします。
 寺のことでも、牡丹のことでも、眼前の景を描いた方が結びとしては良かったと思います。

2007.10. 3                 by 桐山人



玄斎さんからお返事をいただきました。

鈴木先生、ご指導ありがとうございます。

転句も結句もよくわからない形になっていますので、以下のように推敲しました。

  牡丹僧院絶紛譁   牡丹の僧院 紛譁を絶し
  首夏匆匆吐玉葩   首夏匆匆 玉葩を吐く
  雨後紅容如帶涙   雨後の紅容 涙を帯ぶるが如くにして
  傷心庭裏惜年華   庭裏に傷心して 年華を惜しむ


いつもありがとうございます。
よろしくお願いいたします。

2007.10. 4              by 玄斎


 推敲作拝見しました。
 転句はすっきりとした表現になったと思います。
 牡丹に雨という取り合わせが、そのまま、「涙」→「傷心」→「惜年華」へと流れを作っていますが、「傷心」は言葉が強すぎるかもしれません。この上四字が今後のお楽しみというところでしょう。

2007.10. 9            by 桐山堂





















 2007年の投稿詩 第183作は 謝斧 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-183

  訪牡丹寺 菅廟吟社五月席題        

自然富貴是天工   自然の富貴 是れ天工

妃子醒餘姿態豊   妃子醒餘 姿態豊なり

施粉鮮妍矜潔白   粉を施し鮮妍 潔白を矜り

含嬌綽約競妖紅   嬌を含んで綽約 妖紅を競ふ

山行野歩牡丹寺   山行野歩す 牡丹の寺

仏説法談蘭若翁   仏説法談 蘭若の翁

除却酔遊花事客   除却す 酔遊花事の客(自分自身)

眼前節物画図中   眼前の節物は画図の中

          (上平声「一東」の押韻)

<感想>

 「妃子」は楊貴妃ですが、あでやかな牡丹の花は豊満な肉体を持った楊貴妃に喩えられます。
 李白が「清平調詞三」で「名花傾国両相歓」と詠んだ「名花」と「傾国」がまさにそこを表していますね。
 「清平調詞一」「清平調詞二」も、酔っていた李白が即席で歌い上げたものと言われますが、美しい牡丹の花、美しい楊貴妃、それを眺める玄宗皇帝、李白が詠い、李亀年が唱ったという、まさに唐王朝の華やかさを刻印したような味わいです。

 また、晩唐の皮日休の有名な『牡丹』(作者については異説もありますが)で、「百花王」と呼ばれ、「競誇天下無双艶 独占人間第一香」と賞賛したように、唐代には長安の人々は牡丹のあでやかさに熱狂したともされています。

 前半で「富貴」「豊」「鮮妍」「綽約」というイメージ、また「潔白」「妖紅」の形容で牡丹を眼前に描き、頸聯でやや視点を替えていますが、いつもの謝斧さんですとこの頸聯の内容を首聯に置かれているように思います。「牡丹寺」という花の名前が直接出ることを敬遠されたのでしょうね。

2007.10. 8                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第184作は 展陽 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-184

  無題        

煬帝豪遊剰運河   煬帝豪遊して、運河を残す

毛公苦闘起風波   毛爺さん苦闘して、世の中に争いを起こす

国家大事民難懂   国家の大事、平民には解り難い

只有高吟撃壌歌   ただ声を高らかに「太平の歌」吟ずるのみ

          (下平声「五歌」の押韻)


「毛公」=毛沢東
「撃壌歌」=史記五帝記の堯時代にある「太平の歌」

<感想>

 詩の題名が「無題」ということですので、どのようなことをきっかけにこの詩をお作りになったのかが分かりません。「無題」という「題」は晩唐の李商隠の作品で知られていますが、消極的には「題がつけられない詩」ですが、「何らかの差し障りがあって、敢えて題をつけない詩」という場合もあります。
 この詩の場合には、漠然と現代の世相を見て感じられてのことかもしれませんが、例えば中国の歴史の中ではそれこそ星の数ほども人物が居る中で、「煬帝」「毛公」の二人を選んだという、この組み合わせの意図を理解するには、詩題は欲しいところです。
 歴史的な評価はこの際別にしておくとしても、「国家の大事は平民には分かりにくい」例として、展陽さんがこの二人の事業を選んだお気持ちが伝わらないと、読者はとまどうばかりです。

 歴史を概観してというは、なかなか七言絶句では難しいことになりますが、「煬帝」なり「毛公」なり、どちらかに絞って展陽さんのお考えを述べ、その上で「太平」を求められれば、賛同するなり反発するなり、読者も反応ができるでしょう。

 なお、結句の「撃壌歌」は、お手紙では「撃攘」になっていましたが、私の方で書き直しました。

2007.10. 8                 by 桐山人


展陽さんからお返事をいただきました。
「壌」の間違いは私の粗忽でした、ご訂正有難う御座います。
 詩題の難しさを指摘されて始めて分りました、また一つ勉強になりました。

 実はこの詩を書いた動機は友人が「文化革命」の際「下放」されて苦労した話を色々と聞いている内に、ついつい深く考えずに愚痴代わりに書いて恥ずかしい限りです。
 漢詩は本当に奥深いです、これからもよろしくご鞭撻願います。

2007.10. 8                 by 展陽






















 2007年の投稿詩 第185作は 鮟鱇 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-185

  春 夢        

一人却老戀明星,   一人 老いたるをしりぞけて 名星に恋し,

曳杖買花添慕情。   杖を曳き花を買って慕情を添へむ。

危坐西洋音樂会,   危坐す 西洋音楽会,

靜聽東海玉人声。   静聴す 東海 玉人の声。

銷魂蝶夢穿花徑,   魂を銷す蝶夢 花径を穿ち,

携手春遊弄午晴。   手を携ふ春遊 午晴を弄す。

有恨歌終醒三鼓,   恨みあり、歌終わって三鼓に醒めれば,

寒齋皎皎月光清。   寒齋に皎皎と月光 清らかなり。

          (中華新韻「十一庚」の押韻)

<解説>

(口語訳)   ある人、老いたるを忘れてスターに恋をし、杖をひき花を買って慕情を添える。
  西洋式のコンサートにきちんと坐り、日本で仙女の声を聞く。
  うっとりと蝶となる夢は、花咲く小道を貫いて飛び、手を携えながらの春の行遊は、午後の晴れた空に楽しむ。
  しかし恨めしくも歌は終ってしまい、夢が醒めれば真夜中で、寒い書斎に皎皎と月の光が清らかなだけだ。
(語釈など)   明星:スター
  危坐:きちんと坐る。
  三鼓:真夜中の十二時。
  銷魂:うっとりする。
  蝶夢:夢。

  ある歌手へのファンレター代わりに作った詩です。


<感想>

 春にいただいた詩でしたが、私の手違いで掲載が遅れてしまいました。

 美しい歌声を聴いていると、陶然として自分がどこにいるのか分からなくなる、そんな現実感を喪失することがあります。
 もちろん、オーケストラなどの楽器での演奏でもうっとりとすることはありますが、人間が生で発するエネルギー、生命がほとばしるような肉声は、聞く者の心を奪うものですね。

 ファンレター代わりということで言えば首聯も必要でしょうが、「春夢」という詩そのものとして味わう場合には、ここは味わいが無く、「却老」も諧謔的な印象です。
 頷聯の「西洋」「東海」の語も、詩としては説明的で、句がぎこちない感じになっていると思いました。

2007.10. 8                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第186作は 鮟鱇 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-186

  傾聽幽燕女士高雅美妙地唱歌,我有感而填一篇上西樓        

麗君高逝留情,       麗君 高逝こうせいするも情を留め,

一星明。            一星 明るし。

無影有声幽婉使人驚。  影なく声ありて幽婉 人をして驚かしむ。

 ○      

見嬌燕,            嬌燕 見ゆ,

唱深院,            深院に唱ひ,

勝啼鶯。            啼く鴬に勝れり。

舞似天仙翻袖在東瀛。  舞へば天仙の袖を翻すに似て 東瀛とうえいに在り。

          (詞韻第十部平声「情、明、驚、鶯、瀛」および第七部仄声「燕、院」の押韻)

<解説>

「上西樓」:中国の古典詩では、一句の数字が決まっている定型詩を「詩」といい、字数に長短がある句を織り交ぜる定型詩を「詞曲」という。「詩」の黄金時代は「唐」、「詞」の黄金時代は「宋」、「曲」の黄金時代は「元」ということが言われている。「上西樓」(広くは「相見歓」と呼ばれているが、李Uの傑作によってこの名がある)は、詞の一詩型の名称(詞牌という)である。

「麗君」:ケ麗君。テレサ・テン。
「高逝」:高く天に去る。
「幽婉」:奥ゆかしくしとやかなさま。上品で美しいさま。
「深院」:「上西樓(相見歓)」の最高傑作、李Uの「秋閨」に「寂寞梧桐深院」の句がある。
「東瀛」:東の海。日本の別名として使う。

 私は詞曲が好きで、詩の数のおよそ2倍の詞曲を書いていますが、私が詞曲に興味をもったきっかけが、ケ麗君(テレサ・テン)が宋詞を歌ったアルバム「淡淡幽情」です。就中、李Uの「上西樓」と蘇軾の「水調歌頭」。このふたつをケ麗君が歌ってくれたおかげで、私は詞を書く喜びを知りました。しかし、彼女は、私が漢詩を始めたときにはすでに仙逝しており、彼女の歌を肉声で聞くことはできませんでした。
 しかし、その彼女がこの世に戻ってくれたかと思えるような深い感動を覚える機会がありました。
 今年3月、日中友好交流のための集いが東京であり、わたしは詩友金中さんの詩の朗誦を聞きに行ったのですが、そこで、幽燕さんのすばらしい歌唱力を知り、わたしにとって記念すべき李Uの「上西樓」を聞くことができました。

 幽燕さんが歌う「上西樓」が始まったとき、舞台に人影はなく、声だけが聞こえる形で前片の三句が歌われました。それから、彼女はゆっくりと歌いながら舞台に現れました。声は、まぎれもなく幽燕さんの声で、歌唱力もしかり、ケ麗君とは違う絶唱であったのですが、わたしには、天国のケ麗君がこの世に戻ってきたかと思えました。幽燕さんの舞台衣装、ケ麗君の遺品のドレスだったかも知れません。
 そして、この作を書きました。幽燕さんへの贈呈詞です。自作の自画自賛は見苦しい限りですが、幽燕さんの歌を聴かせていただいて作ることができた「上西樓」、私はかなり高い水準の詞になっていると思います。「上西樓」は、李Uの作をもって空前絶後です。誰が書いてもこの絶唱を超えることはできないのですが、私がこれまでに書いた6000の詞曲のなかでは、自信作です。幽燕さんが「上西樓」を歌ってくれたことにとても感謝しています。

 わたしはこの作を幽燕さんに送り、幽燕さんは金中さんと会った機会に拙作を彼に紹介し、金中さんはわたしになかなかの出来だと言って来てくれました。漢詩を作る喜びのひとつに酬答ということがありますが、李Uからケ麗君、ケ麗君から幽燕さんへという詞の縁があり、ケ麗君から私、私から幽燕さん・金中さんへと詞の縁が広がる喜びがあります。
 なおこの作、詞韻で作っていますが、詞韻は平水韻にくらべ現代の新韻との矛盾が少ないので、このままで新韻の詞として、通用しています。
 また、詩の定型は、一句七言を最長としていますが、この詞は前片の第1句6言と2句3言をまとめて見れば9言、後片の第1〜3句各3言をまとめて見れば9言となりますので、九言絶句の趣がありますので、前片で起承、後片で転合のつもりで作ればよいか、と私は思っています。


<感想>

 テレサ・テンの歌は中国のカラオケでもリクエストが多いと聞きました。私も彼女のCDを聴くことがたまにありますが、美しい歌声に触れると心が休まります。

 三句目の「無影有声」「姿は見えなくても声だけで」ということで、現実の舞台での様子とともに、幽燕さんの歌声の素晴らしさを比喩的に表しているのだと思いますが、二句目の「一星明」から「無影」とつながる時に、ちょっと違和感がありました。
 実際に朗誦する時には、間合いとか音の高さの変化で気にならないのかもしれませんが。

2007.10. 8                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第187作は 知秀 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-187

  懐古帰故郷        

梅霖連日緑成陰   梅霖連日 緑 陰を成す

黄熟枇杷留念深   黄熟の枇杷 留念深し

故媽絞之嬰妹与   故媽之を絞りて嬰妹に与ふ

可憐小墓碧苔侵   可憐の小墓 碧苔侵す

          (下平声「十二侵」の押韻)

<解説>

「嬰妹」:未だ嬰児であった妹
「故媽」:亡き母

訳に代へて 五首

  ゆりちゃんの 命に代へてと 放ちたる 蛍数匹 夕空を舞ふ
  重湯さへ 通らずなりし 妹に 枇杷を絞りて 母は与へし
  ゆりちゃんが 死んだと柱に すがりつき 泣きたる妹も 今は亡きひと
  ゆりちゃんの 行ったお国は いいお国と 言ひたる母の 悲しかりけむ
  妹の 小さき墓の 地蔵尊 古びて蒼し さとの裏山


<感想>

 私は果物は大抵好きなのですが、とりわけ枇杷は大好きで、皮をむく時にしたたる汁、みずみずしい香り、くやしい程に大きな種、高級果実ですのでお客さんが持ってきてくれた時しか食べられなかった子どもの頃の思いが出るのかもしれません。
 でも、同じように枇杷を目の前にしても、知秀さんはこんなにつらい思いをしているのだと思いました。「留念深」がずっしりと重みを持っています。

 この「留念深」は作者の心情を表す言葉ですので、普段ですと私も、「感情形容語は詩では使わないように」と言うのですが、今回の場合は問題ないと言えます。
 知秀さんのこの詩の場合、作者が一番言いたいことが「枇杷の思い出」であるならば、「留念深」は使うのは良くないでしょう。しかし、ここでは「可憐小墓」に象徴される妹さんの死、また、「懐古帰故郷」が主題ですから、「枇杷の思い出」は過去の象徴として出されているもの、「留念深」としても詩をしぼませることにはなりません。

 承句で「思い出」を示しておいて、具体的な内容が転句に来ていますが、ここまでですと、「重湯さへ 通らずなりし 妹に」が描き切れていないので、「故」が働いて、お母さんの優しさへの思い出かと感じます。「故媽与之」と前半を替え、下三字で妹さんが早く亡くなったことを示されるような推敲もあるかと思います。

2007.10. 8                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第188作は 博生 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-188

  暑宵        

庭上紫薇紅映陽   庭上の紫薇 紅く陽に映じ

微風吹尽汗如漿   微風吹き尽し 汗 漿の如し

蛙鳴蝉噪書窓夕   蛙鳴蝉噪 書窓の夕

三伏炎威厭日長   三伏の炎威 日の長きを厭ふ

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

今年の蝉声は ひときは激しく
百日紅の花は 鮮やか
毎年の事ではあるが、梅雨明けの蒸し暑さに閉口します。

<感想>

 今年は本当に暑い夏でしたから、皆さんからいただく詩も、例年以上に暑さを詠ったものが多かったと思います。季節はようやく朝晩の涼しさを感じるようになってきましたが、日中はまだまだ少し動いただけで身体が汗ばむような日もありますね。

 サルスベリの赤い花と夕陽の赤が照り映え、それが三伏ですから、燃えるようで暑さを一層感じさせるかもしれませんね。
 承句も少しは涼しさが出るのかと思ったら、「汗如漿」ですから、耐えられないという感じです。
 どうやら題名も「暑宵」から「熱宵」とした方が良いくらいですね。

 この詩の場合、四句ともに頭が平声になっていますが、これは音調が単調になりますので、避けるようにしているものです。

2007.10. 9                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第189作は 青山 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-189

  花鳥風月「夏」        

花開枝蝶戯   花開けば枝に蝶は戯れ

鳥囀共人謳   鳥囀れば共に人は謳う

風雨當消暑   風雨 当しくも暑を消し

月明遄作秋   月明 遄くも秋を作す

          (下平声「十一尤」の押韻)

<感想>

 青山さんの「花鳥風月」連作も「夏」まで来ましたね。
 前半はせっかく「花開けば・・」「鳥囀れば・・」と来ましたので、下三字も揃えて対句にすると面白かったでしょう。
 ただ、内容的には起句の「花に蝶」、承句の「鳥の囀り」は、季節としては春の景という感じはしますので、夏を強く出すためには「花」「鳥」と何を組み合わせるか、もう一工夫ですね。

 転句の「当」、結句の「遄」は読みが難しいのですが、「当」「まさしくも」「遄」「あわただしくも」でしょうか。

2007.10. 9                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第190作は 謙岳 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-190

  中川夏景        

高砂橋下水悠悠   高砂橋下 水悠々

白鷺一雙汀渚遊   白鷺 一双 汀渚に遊ぶ

驟雨沛然驅暑後   驟雨 沛然として 暑を驅るの後

雲間落日落中流   雲間の落日 中流に落つ

          (下平声「十一尤」の押韻)

<解説>

 地元、中川の四季と題して冬、春と詠み込み三首目、夏の景を詠んだものです。

「高砂橋」は地名です。

<感想>

 謙岳さんは東京は葛飾にお住まいでしたね。高砂橋は中川に架かり、寅さんで有名な柴又へとつながる橋です。前作の「中川春景」もそうでしたが、のどかな風情が感じられる詩です。
 今回の詩では、転句でにわか雨を置き、景色や時間の流れに変化が出て、転句の性格が明瞭になっていますね。四句が同じ様な雰囲気で流れていくのを避け、前半のゆったり感と後半の動きのあるスピード感がバランス良くなっていると思います。
 結句は「馬から落馬」と同じ表現で、「落日が落ちる」は変です。一句の中に同じ文字を用いることは冒韻でもなく技巧として許されるものですが、これはあまりにも直接的で、効果は出ていないでしょう。

2007.10. 9                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第191作は 翠葩 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-191

  夏日偶成        

昼永蒸炎疎懶情   昼永く蒸炎 疎懶の情

霜紈信手枕書横   霜紈手にまかせ書を枕に横たわる

些涼誘睡華胥国   いささかの涼は睡を誘い、転寝の国

殷殷雷声夢一驚   殷殷の雷の音に夢も驚く

          (下平声「八庚」の押韻)

<解説>

  昼は永く蒸し暑くたいそう物憂い
  団扇を片手に本を枕に一寸横たわる
  いささかの涼はねむけを誘い、つい転寝
  雷の轟きにゆめも驚きさめた


<感想>

 承句の「霜紈」「白い薄絹の扇」ですが、いかにも涼しさを運んでくるような言葉ですね。
 転句の「華胥国」は、『列子』からの言葉で、黄帝が昼寝の中で訪れたという、無為自然で治まっている理想の国を指す言葉です。「華胥郷」としてよく使われます。
 結句の「殷殷」「雷の鳴る音」として用いる時は、この詩のように仄声になります。

 夏の暑い午後も、この詩のようなゆったりとした時間を過ごすことができれば、詩興も湧くもの、あらためてそう思いました。

2007.10. 9                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第192作は 芳原 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-192

  夏日景 二首之一        

残暑西窓熱   残暑 西窓熱し

草萊蒼苔干   草れて 蒼苔干る

老衰慵起坐   老衰 起坐するもものう

倒景破雲端   倒景 雲端を破る

          (上平声「十四寒」の押韻)

<感想>

 芳原さんからは、同題で五言絶句と七言絶句をいただきました。それぞれの形式の特徴を生かした詩作りが為されていると思います。

 承句の「草萊蒼苔干」は、私も実感です。我が家の狭い庭にも苔が広がり、梅雨時などは湿った緑色が何とも目を休ませてくれていたのですが、今年の夏の暑さは、苔を緑にする暇も与えず、日に焼けて茶色くなったままの状態でした。朝晩に忘れないように水をやってはいたのですが、何というか、焼け石ならぬ焼け苔に水の状態で、このまま枯死してしまうのではないかと心配です。
 草むしりも、この暑さではたまらぬとついつい億劫になり、放り出してしまいました。しかし、見ていると、今年の暑さは草さえも育ちにくいほどだったように見えます。

 承句の「苔」は平声ですので、直す必要があります。
 結句の「倒景」はここでは「夕日」のことですね。

2007.10.10                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第193作は 芳原 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-193

  夏日景 二首之二        

炎炎幾日不為眠   炎炎幾日ぞ 眠りを為さず

抛枕紓褌坐仰天   枕をなげうち 褌をゆるめ 天を仰いで坐す

酌獨三更人影絶   三更に独り酌めば 人影絶ゆ

涼風一陣入亭前   涼風一陣 亭前に入る

          (下平声「一先」の押韻)

<感想>

 前半で熱帯夜の眠れない様子、気分がよく出ています。特に承句は具体的で、一層読者の共感を呼びます。b  この前半が生きてくると、転句の「酌獨三更」「真夜中に一人で酒を飲む」という場面をユーモラスに読むことができます。
 あんまり暑くて眠れないから酒を一杯ひっかけていた時に、ようやく風が一陣吹いた
ということですが、この風に「涼」を付けたことで、秋が近くまで来ていることを暗示させています。五言絶句の方で「残暑」と一言で書いたことが、こちらでは二句を用いて暗示として示されたわけですが、この辺りが字数の違いの面白さとも言えますね。

2007.10.10                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第194作は 夕照亭 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-194

  苦熱雑吟        

陽高赫赫逞威雄   陽高く赫赫として 威雄を逞しうす

焦土燎原人影空   焦土燎原 人影空し

可怖地球温暖化   怖るべし 地球温暖化

不知何日臥秋風   知らず 何れの日にか 秋風に臥せんを

          (上平声「一東」の押韻)

<解説>

 今年の夏のあまりの暑さを詩にしました。こんな暑さは20何年生きてきて初めてのような気がします。
 これも地球温暖化の影響かと思い、転句を思いつき、平仄を調べたらぴったりだったので、この詩ができました。
 一時は、結句のように、本当に秋が来るのかと思いましたが、やはり確実に季節は変わっていきますね。

<感想>

 前半の二句は、核爆発が起きてまさに地球が滅亡するかのような不気味な迫力があります。それを受けた転句の「可怖」も繋がりますので、「地球温暖化」という現代語も受け取りやすくなっていると思います。
 そうした深刻な状況から行くと、結句がどうもノンビリしたものに感じます。「秋がいつ来るか分からない」という嘆きに私も共感するのですが、では「温かい冬」が来た時にも同じく危機感を持てるかと言うと自信がありません。
 地球温暖化という規模で見るならば、「秋の訪れを待つどころではなく、私たちの生存すら危うい」という観点で、厳しい表現が求められるでしょうね。

2007.10.10                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第195作は 常春 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-195

  蟹漁船        

安居樂業迥干戈   安居業を楽しむ 干戈迥なり

四島未還猶奈何   四島未だ還らざる 猶奈何せん

君識漁夫惆失海   君識るや漁夫 失海を惆むを

目前魚影異郷波   目前の魚影 異郷の波

          (下平声「五歌」の押韻)

<解説>

 昨年投稿しました「蟹漁船」(2006−161)の練り直しです。  この詩、落ち着きのよい結句が先に浮かびましたが、これに比べて起承転句、特に、起句がぎごちなかったと感じていました。反側輾転と推敲繰り返し、ようやく自分としては納得行く纏まりになったと胸を撫で下ろしました。

 漢詩では、一句にこだわって、推敲を重ねるのも楽しみのひとつ、あえて再投稿しました。

<感想>

 昨年の秋、松山で全日本漢詩連盟の総会が開かれた時に、入賞者としてお見えになっていた常春さんとお会いしました。お泊まりのホテルで待ち合わせをしましたが、その時に常春さんはこの「蟹漁船」について、推敲の途中、色々とお考えになっていたようで、初対面の挨拶もそこそこに、お部屋にうかがって、すぐに作詩の話に時を忘れてしまいました。
 結句を何とか生かしたいと話されていたことが昨日のように思い出されます。楽しい時間でした。
 あれからずっと推敲を深めておられたのですね。

 前作も並べておきましょう。
  廟堂既決棄干戈   廟堂 既に決す 干戈棄つるを
  奈那無辜失海何   無辜 海を失ひしを 奈那何(いかん)せん
  領土未還空六秩   領土 未だ還らず 空しき六秩
  目前魚影異郷波   目前の魚影 異郷の波


 解説にお書きになられたように、前作での起句承句が六十年前の時点でのことを描いた分だけ転句で時間を繋ぐ必要があり、現実の蟹漁船の事件への感懐に十分な意を籠めることが出来ないというお気持ちだったのかもしれません。
 推敲作では作者の視点を現在というところで固定なさったのが工夫された点でしょうね。

 私もこの作品の変化に少しだけでも関わることができ、推敲の楽しさを味わうことができました。ありがとうございました。

2007.10.15                 by 桐山人



井古綆さんから感想をいただきました。

 国際問題ですので、あえて重箱の隅をという感じになりますが、結句の下三字「異郷波」では現在の状況を是認したような印象ですので、わたくしであれば「去来波」とします。

 常春さんの詩に感じて、私も一首賦しました。

    北方四島
  北方四島犯軍靴
  阻害昇平五紀過
  誰以鋒鋩為国境?
  漁夫空望去来波

2007.10.29                  by 井古綆


常春さんからお返事をいただきました。
 井古綆さん
 「蟹漁船」にご意見、並びに 共感の詩 有難うございました。
 「異郷波」に違和感を持たれ「去來波」をとのご意見、そして玉作では起承転句で経緯慷慨を述べられ「漁夫空望去來波」で締めくくられる。なるほどと迫力のある詩に感心しました。

 ただ、私は、わが国の主張では日本領土ではあっても、そして政府が懸命にそのように主張しても、不法占拠になんらの対策を講じ得ない現状では、はっきりと不本意な「異郷」と思わざるを得ません。 現実に 漁民は越境の廉で、拘束され、船を没収され、時には、銃撃されますし、これに対して、わが国はなんらの保護も加えられないのです。
 義務教育でわが国土と教えられても、地元の人はボートで この去来する波に乗ることも出来ません。マクロ(国家)では わが領土といっても、ミクロ(北方現地)では異郷感覚が身に沁みているのではないでしょうか。詩として、政府主張に共感するもよし、現実に焦るもよし。しかし、誰もがもっと関心を持って詩に表現されたらと望みます。

 井古綆さん
 今後も活発に意見を交換し、これを詩につなげましょう。ご意見いただいて大変嬉しゅうございました。

2007.11.22                by 常春




















 2007年の投稿詩 第196作は サラリーマン金太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-196

  展墓        

斜陽淡照小池湄   斜陽淡く照らす小池の湄

孝鳥啁啾回忌悲   孝鳥啁啾回忌の悲しみ

阿母墓前追憶杳   阿母の墓前 追憶杳(はる)かに

未酬恩愛拭苔碑   未だ恩愛に酬ひず 苔碑を拭ふ

          (上平声「四支」の押韻)

<解説>

「孝鳥(こうちょう)」:烏の反哺(はんぽ=親に恩を返すこと)をいう。烏に反哺の孝あり。
「啁啾(とうしゅう)」:鳥の鳴く声

 私事で恐縮ですが、平成十三年七月二七日、享年五八歳で母は急性心不全のため他界いたしました。月日のたつのは早いもので、今夏は七回忌に当たります。
 親不孝な愚息ゆえに母への改悛の情は格別で、私の生涯のトラウマです。あんなこと、こんなことももっと一杯話したかったのに‥、病床では、もっと痛がる足をもんであげたらよかったのにと自責の念にかられます。

 あるとき周囲にそのことを涙ながらに語ったとき、その人が言いました。
 「どんなに長生きを親がして、その間物心両面の孝養を積んでも、親の恩愛には決して及ぶことは無い」と。
 それを諭され、少し気分が楽になりました。

 次の「秋夜書感」一首は一周忌に賦したものです。墨書きして仏壇の上に額装しています。
 これまで心の整理がつかず、作品として公表を差し控えてきたものですが、今回七回忌にあたり、亡母追慕二首として送信させていただきます。

<感想>

 全編からサラリーマン金太郎さんのお母様を想う悲しみが感じられる詩です。
 起句の「斜陽淡照」の詠い出しから、承句の「孝鳥」の典故、転句の「墓前追憶香」へと思いを深めて行かれ、結句の「未酬恩愛」の感慨と「拭苔碑」の行為との対応も素直に描かれていると思います。
 恩愛深いお母様を亡くされた悲しみはいつまでも消えるものではなく、この詩を表に出すということにも随分心の葛藤がおありになったことと思います。

 私は母親を小学校の低学年の時に失くしましたので、思い出というものすら数少ないくらいです。自分としてはそれほど自分を「不幸」な境遇だなどと感じてもいないのですが、周囲の「母親の居ない子供」という見方に対して意識の深いところで反発しようとしていたようです。その深層の部分を自分ですっきりと解決できたのは、大人になってからも随分時が必要だったと思います。

 大切な人を亡くされたお気持ちは、このサイトでも多くの方から漢詩としてうかがっていますが、幾つになられても悔いや悲しみは消えるものではないことを改めて知らされます。
 誰もがそれぞれの形で思い出を噛みしめることが、自分の人生なのだと胸に銘じています。

2007.10.20                 by 桐山人



井古綆さんから感想をいただきました。
サラリーマン金太郎さん、お早うございます。

玉作を拝見いたしました。
お母様をなくされた悲しみが纏綿として感じられた、読者の胸を打つすばらしい詩であると拝察いたしました。
それにしても、現在では考えられない五十代での慈母とのお別れに、失礼ながら惻隠の情を禁じ得ません。
そのサラリーマン金太郎さんの追慕の情が、この名作となったことと存じます。

2007.10.21                  by 井古綆






















 2007年の投稿詩 第197作は サラリーマン金太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-197

  秋夜書感        

母趨泉土幾旬歴   母泉土におもむきて 幾旬をしや

明月桂花如去年   明月 桂花 去年の如し

一族倶娯清宴活   一族ともたのしむ 清宴よみがえ

深慚不孝請安眠   深く不孝をぢて安眠を請ふ

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

「桂花」:金木犀

 母が浄土に旅立ってどれくらいたったのだろうか。
 今宵中秋の名月を迎えて、皎皎団団の月も、秋風が運び来る金木犀の花の香りも、あなたがいたころと少しも変わらない。
 楽しかったなあ。母さんと過ごした最後のお月見。
 まさかこんなに早く逝くとは思わず、最後まで親孝行ができなかった私をどうか許してください。そして静かに穏やかにお眠りください。合掌

<感想>

 196作の「展墓」の解説に「一周忌に賦した」と書かれていた作品です。

 全体に重いトーンの中で転句だけが浮き上がってきますが、一周忌ということで、「家族は皆元気で暮らしていますよ」とお母様へのご報告と見ると明るさの中の悲しみ、それが結句の悔いと祈りへと流れて行くのが分かります。

 尚、この詩は二首続けての掲載をご希望だったものでしたので、掲載日付が前後しますが、ここに挿入させていただきました。

2007.10.23                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第198作は 有人 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-198

  初盆        

満天花火若星輝   満天の花火は星の輝きの若く

浮海灯籠炎上暉   海に浮かぶ灯籠は炎上の暉き

送魄昏冥清浄界   魄を送る昏冥 清浄の界

月新微笑再生祈   月新たに微笑(ほほえ)み 再生の祈り

          (上平声「五微」の押韻)

<解説>

 妻の初盆の日、故郷の宮津で花火大会と灯籠流しが行われた。
夜空一杯に広がった花火は、星の輝きのようで、海に浮かんだ灯籠は極楽丸(精霊船)として海に流されていたが、炎上して輝いていた。
 妻の霊を子や孫一同で暗い冥途へ、清浄の世界へ見送った。
月は約一ヶ月ごとに新月となり、三日月が空に上がっていた。
妻の笑顔が再生し、再び逢えることを祈った。

<感想>

 満ち欠けをする月に「再生」のイメージを持つのは、洋の東西を問わず、古代の人々に行われてきました。多くの神話では、月は「豊穣」と「再生」の象徴とされています。
 有人さんの今回の作品は、起句の「花火」、承句の「灯籠」、そして結句の「月」と続き、光を中心に詩を組み立てていらっしゃるのですが、背景が夜であること、また最後の月が「新月」であることが働いているのでしょうね、重複感もなく余韻の残る形で詩がまとめられていると思いました。

2007.10.20                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第199作は 佐竹丹鳳 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-199

  盂蘭盆偶成        

人世難謀八十霜   人世謀り難し 八十霜

頽齢逼母竟茫茫   頽齢母に逼りて 竟に茫茫

如今心靜蘭盆夕   如今心静かなり 蘭盆の夕

殘燭花垂自放香   残燭花垂れて 自ずから香を放つ

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

 花垂 ローソクのロウが、溶けて花の様になっている
残り少ない我が余命の様に身を削っている

<感想>

 亡き人の魂を迎えるお盆ですが、自分自身の生を考える機会でもあるのですね。
 佐竹丹鳳さんの作品を久しぶりに拝見しましたが、今回は特に、結句の「残燭花垂」の一点に凝縮するような緊迫感が心に残りました。
 この結句は場合によっては生々しい生命力を感じさせるのですが、転句の「心静」が抑制効果を出しているのでしょう。

2007.10.22                 by 桐山人



井古綆さんから感想をいただきました。

 佐竹丹鳳さんはじめまして、井古綆です。

長らくお休みでしたので、心配しておりましたが、また玉作を拝見でき、安心いたしました。

 此の度の玉作を拝見しまして、ご高齢であることを存じ上げました。
以前より女性らしい、我々男性には考えが及ばない詩を作られるお方とは存じていました。
例えば「月下美人」、「暁立蓮池」などは、女性でなくては表現できない細やかな、読者の心を打つ作品です。

 これからもお元気で、我々の前路を照らしてくださいますように、お願いいたします。

2007.10.23                 by 井古綆


謝斧さんからも感想をいただきました。
 今体詩では起句を破題とします。起句はその詩の題意を説破するようにつくりますが、起句の巧拙が詩の成功失敗にかかわります。
 詩を読むとき、詩人の詩意を起句により感じ取ります。

 この詩の詩意は 詩人の詩意は別として、読者は老来りて八十になって振り返りみれば、自分の予期せぬことがいろいろあったなと、感慨に耽る詩だとおもいます。
 結句の収束では、身は老いさらばえても、未だ我が身を清く正しく保っているぞとなり、起句の破題に応じています。
 鈴木先生の解説のように、結句の「残燭花垂」の一点に凝縮するようであれば、結句を破題にして

  殘燭花垂自放香
  頽齢逼母竟茫茫
  如今心靜蘭盆夕
  人世難謀八十霜

となるように思います。詩は到装詩になります。
 破題と言うことを意識に入れ考えずに作詩すると詩のリズムが平板になります。

 丹鳳之詩 無敵 真多天来句 使我回腸蘯気焉
 薛濤魚玄機之輩欲求識面 紅蘭細香遇路則赧顔而欲避路

2007.10.29                  by 謝斧




















 2007年の投稿詩 第200作は 常春 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-200

  讚岐高松城        

要扼西方玉藻濱   西方を要扼する 玉藻の浜

規繩用海水軍津   規縄海を用ふ 水軍の津

泰平整飾城容倍   泰平の整飾 城容倍するも

可觀功夫戰國淳   観るべし 功夫 戦国の淳を

          (上平声「十一真」の押韻)

<解説>

 高松城といえば、本能寺の変の時秀吉が水攻めで囲んでいた城が有名だが、これは備中高松城。
 讃岐高松城は、秀吉から讃岐一国をもらった生駒親正の築城、黒田如水が縄張りしたと伝えられる。江戸時代は松平氏の居城として増改築を重ねた。今は、北面が高松港となっている。

  「要扼」=敵を待ち伏せして食止めること。
  「規縄」=縄張り。規はコンパス、縄はすみなわ。
  「功夫」=工夫(くふう)

 城を観る視点を建築当時に遡らせてみました。

<感想>

 常春さんのこの詩は、今年の四国漢詩大会に出された詩ですね。

 讃岐高松城は瀬戸内の海水を堀として引き入れた水城として知られていますが、この地の利を生かした城の設計を、建築当時に思いを馳せた点が、常春さんの工夫のところですね。
 こうして描かれると、かつての瀬戸内海から眺めた天守閣の威容が目に浮かぶようで、結句も生き生きとしていると思います。

2007.10.23                 by 桐山人



謝斧さんから感想をいただきました。
「戰國淳」がこの詩だけからは理解しにくいと思います。「淳」はやや強韻にすぎる様に思えます。
高松城のことを的確に叙述していますが、説明文のようで、詩人の心情が隠れてしまった感もあります。

2007.11. 5             by 謝斧

常春さんからお返事をいただきました。
 謝斧さん
 「讃岐高松城」についてご指摘有難うございました。詩が説明調というご批判、実は、迂生詩全般についてよく指摘されるところです。花鳥風月を詠うことが不得手なものですから、視点に工夫します。そして、説明過剰になりがちです。
 ただ、この詩は、起句、承句で城容を説明し、転句は、迂生の感懐のつもりでした。日本の名城の殆どは徳川時代の産物ですが、此処は違うな!と大いに関心を持って城内を歩きました。結句「戦国淳」は「戦国時代の淳朴さ」 の意味です。転句、結句は私の心情を間接表現したものです。
 これからもご意見 よろしくお願いいたします。ひとつひとつを糧にして、詩に精進したいと念じております。

2007.11.22             by 常春




















 2007年の投稿詩 第201作は 知秀 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-201

  偲松菊公        

有情相集是何縁   有情相集ふ 是何の縁ぞ

講得木圭詩幾編   講じ得たり木圭の 詩幾篇

百戦英雄文与武   百戦英雄の 文と武を

晴空赤卒仰山巓   晴空赤卒 山巓を仰ぐ

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

「松菊」:(木戸公の雅号 )
「木圭」:(桂)
「赤卒」:(赤とんぼ)

 9月13日(木)、萩博物館にて、木戸孝允についての講話を行いました。
 漢詩の会、短歌の会、詩吟の会、木戸邸ガイド全員が応援してくれて、萩女・木戸孝允ファンの会?総出でやろうということになり、これまでにないユニークな講話になりました。
 パワーポイントと言うプレゼンテーション用のソフト、そのアニメーションも駆使して行いました。

 年齢を考えて、その日までの体調の管理に一番神経を使いました。
 禁酒・禁煙(笑)、体重も3,5キロ減、お陰で血圧も正常、まずまず健康でお勤めを果たすことができました。約100名のかたとご一緒に木戸公を偲びました。
 その折の感懐を詩にしたものを送らせていただきます。結句、赤とんぼは、一仕事したあとの軽い気持ちとお城山を仰いでほっとしている気持ちとを表したつもりでございます。

<感想>

 萩市の旧木戸邸でガイドボランティアをしていらっしゃる知秀さんが、9月に講演をなさったとのことですが、盛況だったようですね。お疲れさまでした。
 同じ日に私も金沢で教育研究の発表を行いましたが、準備してきた仕事を終えたほっとした気持ちはとてもよく分かります。

 起句で講演に集まってくださった方々への感謝のお気持ちをまず示され、講演についてが承句、転句で木戸公への思いを述べた後に、会場の外でしょうか、季節感のある結句が全体をまとめていますね。
 直接色彩を表す言葉は用いていませんが、「晴空」の青、「赤卒」の赤、「山巓」の緑などが目に浮かぶようで、鮮やかな構図になっていると思います。

2007.10.29                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第202作は 観水 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-202

  十五夜抱兒望月     十五夜 児を抱いて月を望む   

絡緯初鳴夜欲闌   絡緯 初めて鳴いて 夜 闌ならんと欲し

精華忽已照欄干   精華 忽ち已に 欄干を照らす

喜君始見中秋月   喜ぶ 君が 始めて中秋の月を見て

父母温顏帶笑看   父母の温顔 笑いを帯びて看るを

          (上平声「十四寒」の押韻)

<解説>

 夜のとばりの下りるなか 秋の虫たち歌いだす
 ふと目をやればベランダを てらす光の美しさ
 うれしいことに十五夜の 月を初めて見る君も
 父上様と母ちゃんに 同じ笑顔を返してる

「父上様」、「母ちゃん」と扱いが違うのは、それぞれそのように自称しているわけで……。
別に亭主関白とか、そういうわけではありません(念のため)。

<感想>

 観水さんからは、お子さんとの初めての月見の様子を知らせていただきました。最近いただく詩は、折々の近況を記録したスナップ写真を拝見するようで、いつも楽しみです。

 後半は、「喜」に対する内容を「初めて月を見たこと」「父上様と母ちゃんの顔を笑って見たこと」の二つだと観水さんはしておられますが、それぞれを独立した句として、「君が始めて仲秋の月を見しを喜び、父母は温顔 笑ひを帯びて看る」と訓むこともできます。
 お子さんの笑顔を表したいという作者のお気持ちは分かりますが、転句の「見」と結句の「看」の違いをどうしても意識してしまいますし、結句の方は「父母」「看」るとした方が自然な読み方のように思います。

 お子さんの健やかな成長が感じられ、心が温かくなります。

2007.10.29                 by 桐山人



井古綆さんから感想をいただきました。

観水さんお久しぶりです。
お子さんが成長された喜びの気持ちが溢れている佳詩だと思います。

が、率直に申し上げますと、惜しい点が二ヶ所あります。

これは観水さんのみのためではなく、多くの読者にも知っていただきたい為に、あえて申します。

  題名がダブっているようですので、すっきりとした題名にできると思います。
  承句の上二字を辞書で調べましたが、適当な語ではないように感じます。

 わたくしは一詩を完成させるためには、十数回の推敲をしています。
もし一詩でも後世に残れば、作詩に要した時間は問題にはなりません。
ただ二十八字のみが問題にされます。
最近では推敲がいかに大切かを痛感しています。

2007.10.30             by 井古綆





















 2007年の投稿詩 第203作は 仲泉 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-203

  養浩然気        

一掬千金長瀑甌   一掬千金長瀑の甌

描弧鳶影白雲浮   弧を描く鳶影 白雲浮かぶ

諺云悦有青山下   諺に云ふ 悦びは青山の下に有りと

開豁浩然心自悠   開豁浩然 心自づから悠なり

          (下平声「十一尤」の押韻)

<感想>

 起句の「甌」はいただいた原詩では「瓯」でしたが、この字は「甌」の俗字ですので、書き直させていただきました。
 「長瀑甌」というのは、「滝つぼ」のことでしょうか。夏のまぶしい陽射しの下、滝の下まで行って水をすくう、その爽快さは「千金」にあたる、起句はまさに「浩然之気」と呼ぶにふさわしいようなスケールの大きさですね。
 対するに承句の「鳶」「白雲」は、どちらもそれほど大きさを感じさせるものではありませんので、物足りない感じがします。
 転句の「諺」はどんなものでしたか?パッと思い浮かばなかったので、申し訳ありませんが、お教えいただけるとありがたく思います。

2007.11. 1                 by 桐山人



謝斧さんから感想をいただきました。
 詩ですので、「諺云」のような説明的な措辞は散文口調のようで、雅ではないように思いますが、いかがでしょう。

2007.11. 5               by 謝斧





















 2007年の投稿詩 第204作は 青眼居士 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-204

  月下遊水瀕     月下水瀕に遊ぶ   

江波静謐月華流   江波 静謐 月華流れ、

漆黒男山蘆荻洲   漆黒の男山(おとこやま) 蘆荻の洲。

古渡沙邊孤酌酒   古渡の沙邊 孤り酒を酌めば、

微醺得聽櫓聲幽   微醺 聴くを得たり 櫓声幽なる。

          (下平声「十一尤」の押韻)

<解説>

 桂・宇治・木津の三川が合流して淀川となるこの辺りは谷崎潤一郎の小説「蘆刈」の舞台でして、蘆の繁る中州を中継して、山崎から対岸の八幡(やわた)まで渡し舟がありました。
 私が中学生だった昭和三十年代前半までのことです。
 月夜この河原で独り酒を飲んで、見知らぬ男から幻想的な「お遊さま」の話を聞かされるのが小説の主題なのですが、私は昔聞いた櫓声を懐かしく思い起こしたのです。
 なお男山は、山頂に石清水八幡宮を戴く小山です。

<感想>

 静謐な叙情が静かに流れるような趣で、詩人の落ち着いた心境が感じられる詩だと思います。

 承句の「男山」で固有名詞を用いるかどうか、解説を拝見しますと、お気持ちの籠もった部分かもしれませんね。「男」の字の持つイメージを生かし、「漆黒」と合わせることで、闇の中の黒々とした山容に力強さを出したいという意図があるのでしょうか。
 全体に静寂感を保つならば、「孤山」「暮山」などを用いるところでしょうか。

2007.11. 1                 by 桐山人



謝斧さんから感想をいただきました。

 上手にできていて、なんの齟齬もないのですが、何か物足りないものを感じます。よく整っているだけに、作者の個性や新味を求めたくなります。

2007.11. 2             by 謝斧





















 2007年の投稿詩 第205作は 真瑞庵 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-205

  夏日夕暮偶作        

門柳無心紊晩風   門柳 心無く 晩風にみだ

昼分暑気坐来融   昼分の暑気 座来に融るむ

焚香減燭竹簾裡   香を焚き 燭を減ず 竹簾の裡

細聴啾啾階下虫   細かに聴く 啾啾 階下の虫

          (上平声「一東」の押韻)

<解説>

 猛烈な暑さの夏の一日 夕風とともに その暑さも少しずつ緩み、蚊遣りの線香をたき 明かりを細めて縁側で涼んでいると何処からともなく虫の声が聞こえてきた。

 少しでも涼しさを感じたくてこんな詩を作ってみました。
現実には虫達もこの暑さに参っているのでしょうか
まだまだその美しい音色を聞かせてくれません。

<感想>

 夏の暑さとは別に、柳を揺らす夕暮れの風、竹簾の中のひそやかな闇、縁の下の虫の声、こうした秋の気配を感じさせる風物が、すっきりとした涼しさを感じさせてくれます。
 こうした季節の微細な変化をとらえる感覚は日本独自のものと言え、夏の詩なのか秋の詩なのか悩まされるのが楽しみですね。

 転句の「焚香減燭」が、控えめながら風雅を究める行為として印象深いですね。

2007.11. 1                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第206作は 玄齋 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-206

  江上納涼        

日中三伏苦   日中 三伏の苦

河岸泛扁舟   河岸に 扁舟を泛ぶ

醉客追涼去   酔客 涼を追うて去り

群魚成隊游   群魚 隊を成して游ぶ

一江浮夕照   一江 夕照を浮かべ

萬點看螢流   萬點 螢流を看る

晩景消長夏   晩景 長夏を消し

病夫偏待秋   病夫 偏に秋を待つ

          (下平声「十一尤」の押韻)

<解説>

 お盆のころ、私は夏の暑さに少し体調を崩していました。
その頃の、秋を待ち望む雰囲気を、舟遊びの光景とともに出せるように、詩を作ろうと思いました。

初めて五言律詩を作りました。よろしくお願いいたします。

<感想>

 夏の夕暮れ、川に沿って涼を求めるという詩題に対して、字数の多いことを生かしてどんな素材を選ぶか、また対句の関係からそれをどう並べるかというのが律詩の場合の楽しみですね。

 玄齋さんのこの詩では、頷聯からは舟から眺めた光景ということでしょうね。工夫がよくわかりますが、頷聯の「追涼去」にやや疑問が残ります。
 主題が直接出過ぎているということもありますが、ここは「(まだ暑くて)人の影もまばら」と叙景の部分、「追涼」と来ては人々の心情に目が移り、句の役割が変わってしまいます。下句で対するのが「成隊」ですが、この二字も「群魚」の心を推測して何か意味があるかと深読みしそうです。
 叙景に徹するのがここは良いと思います。

 頸聯はとても良いですね。ここまでで、日中の暑さも日暮れとともに弱まったことが伝わるわけで、読者も「納涼」の気持ちになります。
 となると、結びの「病夫偏待秋」は逆接でつながれるはずです。「夜になるといくらか過ごしやすくはなった。けれど私は病いの身だから、とにかく秋を待ち続けるのだ」というのは、頸聯までの記述を全部否定するわけで、どこかの「頑固爺さん」のような印象です。
 その内容の逆転(全否定)を是とするか否とするか、それは「病」の重さ(病気の程度ではなく、詩の中での役割として)をどう表すかに関わるわけですが、私は「偏」「猶」に替えるのが様々な感情を包含して、おだやかだろうと思います。

2007.11. 2                 by 桐山人



玄齋さんからお返事をいただきました。

 鈴木先生、ご指導ありがとうございます。

 頷聯は非常に苦しい作りになりましたので、その部分を中心に、以下のように推敲しました。

   日中三伏苦   日中 三伏の苦
   河岸泛扁舟   河岸 扁舟を泛ぶ
   水面銀鱗躍   水面 銀鱗躍り
   天辺白鷺游   天辺 白鷺游ぶ
   一江浮夕照   一江 夕照を浮かべ
   萬點看螢流   萬點 螢流を看る
   晩景消長夏   晩景 長夏を消し
   病夫猶待秋   病夫 猶 秋を待つ


2007.11. 5              by 玄齋




















 2007年の投稿詩 第207作は 玄齋 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-207

  苦熱遣悶     苦熱、悶を遣る   

難堪三伏自無方   堪え難き三伏 自ら方無し

偏愛羸躯待晩涼   偏に羸躯 晩涼を待つを愛す

耽讀古書窺一境   古書を耽読して 一境を窺ひ

虚心半日已斜陽   虚心半日にして 已に斜陽なり

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

 今年の猛暑に苦しむ私自身の姿を描いてみました。
暑さにやられた体で、本を読んで暑気を紛らわしながら涼しい夜をひたすら待つ、そんな夏でした。

<感想>

 前作の「江上納涼」と併せて読むと、お気持ちがよく伝わりますね。

 承句はこのままの語順では、「夏やせしたかった」と誤解を招くでしょう。本来は「羸躯偏愛待晩涼」の語順にすべきところですが、それでも「愛」あるいは「待」のどちらかは不要な語でしょう。

 後半はよく練れた句で、味わいがありますね。

2007.11. 2                 by 桐山人



玄齋さんからお返事がありました。
 鈴木先生、ご指導ありがとうございます。

 作っている当初から、承句は非常に悩んでいました。
表現を改めて、以下のように推敲しました。

   難堪三伏自無方   堪え難き三伏 自ら方無し
   病者朝來待晩涼   病者 朝来 晩涼を待つ
   耽讀古書窺一境   古書を耽読して 一境を窺ひ
   虚心半日已斜陽   虚心半日にして 已に斜陽なり

2007.11. 5             by 玄齋





















 2007年の投稿詩 第208作は 知秀 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-208

  祝陳文龍君        

聡明龍鳳姓名揚   聡明の龍鳳 姓名揚がる

似夢奇縁却老方   夢に似る奇縁 却老の方

佳婿桃夭開寿域   佳婿桃夭寿域を開き

鴛鴦相並是仁郷   鴛鴦相並ぶ 是れ仁郷

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

「龍鳳」:よい子
「却老方」:若返りの力
「桃夭」:桃の夭夭たる・・・よい娘
「鴛鴦」:おしどり

 以前に話したかもしれませんが、私は九年前、技能研修生として来日したハノイ工科大学出身の青年を知り、日本語を教えてきました。
 この度、東北大学で博士課程を修了、めでたく博士号を取得し、その上日本人女性と結婚することになり、萩へ帰ってきました。
 東北大での3年間は奨学金も受けることができ、その中から旅費や卒業にかかる諸費用も貯金していたようです。

 新聞記事になって、ちょっと面映い感じですが、一仕事終えた安心感で、ほっとしております。彼ら夫妻への祝福の意をこめて作った漢詩一篇をお送りします。

 先生には、いつもご多忙の中素晴しいご指導を頂き、感謝しております。
知己と言う言葉がありますが、自分を知ってくれる人は人生の宝と思います。
今後ともどうかよろしくお願い申し上げます。

<感想>

 知秀さんが留学の青年を養子として預かったというお話は、以前萩でお会いした時にもうかがいましたし、投稿詩でも「秋夜吟」、「贈陳文龍君」などで、お気持ちはよく伝わっていました。
 今回は毎日新聞の記事を紹介させていただきましょう。個人名が出てしまいますので、一部修正しましたので、ご了解ください。

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『母さん、博士になったよ』

 9年前 日本での運命の出会い

「お母さん、中村家から博士が生まれました」。9月の夜遅く、山口県萩市の中村知秀さん方の電話口から興奮した声が響いた。声はベトナム出身のチャン・バン・ロンさん。01年、中村家と養子縁組し、東北大大学院の博士課程で金属工学を学んでいたが、ついに博士号を獲得したのだ。「もう、うれしくて」。中村さんは跳び上がって喜んだ。
 2人の出会いは9年前。チャンさんが研修生として、工場で働き始めて間もないころだった。ハノイ工科大を卒業し、期待して来日したが、大卒の肩書きは機械の油ふきだった。「日本語は理解できない、食事は合わない。地獄のよう」とチャンさんは振り返る。
 寂しさを紛らわすため公園にいた時、中村さんの長女に話しかけられ、中村さんを知った。「日本語を学びたい」という申し出に、中村さんは「代わりにベトナム語を教えて」。中村さんの周りには退職した仲間が多く、週1回の日本語講座が始まった。
 それから2年半。チャンさんは、日本の大学院で学ぶことを決意した。しかし、留学となると審査が厳しく、日本にいながら手続きを進めることも困難だった。このため、中村家が養子として迎え、チャンさんは大学院に進んだ。
 体調を崩したり、工場を途中退社するなど困難は続いたが、中村さんは支え続けた。チャンさんは山口大で修士、東北大で博士とキャリアアップしていった。
 うれしいニュースが重なった。チャンさんが結婚する。仙台市の会社員の婚約者を連れ報告に訪れた。11月、ベトナムで新生活を始める。「幸せにね」。”日本の母”は目を細めた。

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2007.11.20                 by 桐山人



井古綆さんから次韻の詩をいただきました。
    次韻 知秀雅兄玉作「祝陳文龍君」

  邦家文物令名揚    邦家の文物 令名揚がり
  好漢頻來自萬方    好漢頻りに 万方より来たる
  今日結縁無國境    今日結縁 国境無く
  蘭孫往復喜雙郷    蘭孫往復して 双郷を喜ぶ

 知秀さん、初めまして
 知秀さんのなさっていることは、我々には到底出来ない、国際的にも大変すばらしいことで、感動いたしました。

2007.11.22                  by 井古綆



知秀さんからお返事をいただきました。

 井古綆様
 このたびは拙作にお目を留めていただき、又貴重な次韻の玉作を拝受、感激しております。

 私、定年退職後2〜3年過ぎた頃から漢詩創作の道に入りまして、本当に未熟者でございますが、幸い居住地に同好の結社があり、毎月一回勉強会をしております。また、鈴木先生にはこのサイトを通じて懇切なご指導を頂き、おかげさまで何とか毎月一篇ずつ詩らしきものを作れるようになりました。
 この青年のことは、詩材としてよく活用させてもらいました。玉作を拝見して、本当に孫でもできるとまたいい詩ができるかなあと、それを楽しみに、長生きしようと言う気持ちがわいてまいりました。

誠にありがとうございました。

2007.11.25




















 2007年の投稿詩 第209作は サラリーマン金太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-209

  賀成婚        

薔薇馥郁豔陽天   薔薇馥郁たり 豔陽えんようの天

眷属新朋陪賀筵   眷属新朋けんぞくしんぽう 賀筵に陪す

新市誕生交誼始   新市誕生交誼の始め

赤縄結得是奇縁   赤縄せきじょう結び得たり 是れ奇縁

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 「豔陽天」‥晩春の空
 「眷属」‥親族、身内の者
 「新朋」‥親しい友人、親友
 赤縄の故事‥中国唐の「続幽怪録」の故事から「夫婦の縁を結ぶという赤い縄。縁つなぎの縄」のことで昔、韋固(いこ)という青年が縁結びの神に逢い、袋の中に入っている赤縄で男女の足をつなぐと、どんな間柄でも離れられない仲になるといわれた。
 ゆえに赤縄を結ぶとは夫婦になる約束をすること、「赤縄の契りを結ぶ」ともいう。

 平成19年5月19日(土)、後輩である新郎の結婚披露宴に招待され、満天の青空、薔薇の香り一杯の松山全日空ホテルに向かった。
 かねて拙詩のなかで平成17年元日、四国初の50万都市として北条市、中島町との合併により新松山市が誕生したことは折々に触れてきたところです。
 この度のご縁はまさしく両市に勤務する新郎新婦が2年にわたる合併協議がきっかけで愛を成就したもので、ご同慶に耐えないところです。
 赤縄の故事のごとく、男女のご縁というものは誠に奇縁としか思えませんね。

<感想>

 サラリーマン金太郎さんからいただいた詩の題名には、ご結婚されたお二人のお名前が入っていましたが、ネットでの個人保護の関係もありますので、私の方で削らせていただきました。ご了解ください。
 「赤縄の故事」は、以前に井古綆さんも「祝男児誕生」でお使いになってましたね。この赤縄の話が日本に伝えられる過程で、「将来結ばれる男女は赤い糸で小指がつながれている」という現代でもよく使われる「運命の赤い糸」の伝説が生まれてきたとも言われています。

 新市の誕生での合併がお二人のご結婚のきっかけだということですが、本当に「縁」と言いますか、合併による予想外の好事ということでしょうね。
 お幸せをお祈りしています。

 承句の「新朋」「親朋」かと思いましたが、「新しい友人」ということで良いのでしょうか。

2007.11.23                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第210作は 鮟鱇 さんからの作品です。
 

  讀芭蕉句有感作一首詩        

深山花散緑肥時,   深山 花散じ緑肥ゆる時,

白首穿林到古池。   白首 林を穿ちて古池に到る。

游目求詩挨近處,   目を遊ばせ詩を求めて挨近あいきんする処,

青蛙躍入水声馳。   青蛙 躍り入りて水声馳す。

          (中華新韻「十三支」の押韻)

<解説>

挨近:接近
青蛙:カエル

 俳句と漢詩の違いを私なりに考えてみたいと思い、芭蕉の「古池や蛙飛び込む水のをと」をもとに作った七絶です。
 俳句は無駄な言葉を削りに削り、ぎりぎりの十七音にまとめあげる詩文芸であるといわれています。一方、漢詩は、削ってばかりでは詩にはならないように、私には思えます。私は多くの漢詩を書き、そのつど日本語のなかで大いに使われている漢字言葉だけを拾い、「てにをは」や動詞の活用語尾などの仮名書き言葉は、詩を作るうえでいっさい無用であるとして一律に削っていますが、たまにはその削り屑を拾って、日本語の詩歌を作ってみたいとも思います。
 そこで、言葉を付け足し、あるいは水増しをすればどういうことになるのかを、私なりにまず漢詩で試みてみました。具体的には、俳句をもとに、漢詩一首を作ってみることにしました。
 俳句→漢詩の作業をしながら、少しばかり気付いたのは、俳句から漢詩を作るには、作者が何を削っているかに想像力を働かせることが必要だ、ということです。
 拙作が選んだ芭蕉の句では、

(a) 古池があり蛙が飛び込む水の音が聞こえる、ということを通じて、芭蕉はわたしたちに何を伝えたいのか、ということが削られています。
(b) 蛙はなぜ古池に飛び込んだのか、というわたしたちの素朴な問いに対する答え、あるいは説明が削られています。 そこで、わたしたちは、蛙がどうしてそのような行動をとったのか、その背景がわかりません。
(c) 蛙が古池に飛び込むことが、芭蕉にどのような詩的感動を与えたのでしょうか。芭蕉がこの句を詠んだ動機・詩的感動の如何が削られています
(d) そもそも芭蕉はどこにいて、蛙とどのような位置関係にあるのか、ということが削られています。そこで、蛙は実は芭蕉が化身したものなのだという、いささか無責任な想像もできます。蛙はそれとも、屈原?

 しかし、そういう詮索を抜きに「古池や蛙飛び込む水のをと」をまるごと受け入れれば、ああいい句だ、と私も思うのです。わたしも、おそらくは世界でもっとも俳句を理解できる民族に違いない日本人の一人である限りにおいて、なるほど、と思っているのに違いありません。
 しかし、それでは外国の読者が納得するかというと、言葉少なげでも感動できるのはそこに美があるからで、きっと日本人ではなくとも共感できる、といえるかどうかでいえば、必ずしもそうではないだろう、と思えます。とすれば、何をどうすれば、少しは理解してもらえる詩となるのでしょうか。
 これに対する答えとしては、上記a〜dについてきちんと詩のなかに著述することだと思えます。拙作は、それを試みました。しかし、上述のbとdには私の想像力が働きましたが、aとcは皆目検討が付かず、詩に織り込むことができませんでした。つまりはその2つを、わたしは理解できなかっし、想像力が働かなかったのです。
 そして、aとcとを省いた結果、もし拙作が詩として十分でないとしたら、漢詩はやはり、何を訴えたいかという詩人個人のテーマを、きちんと示されなければならない詩であるのか、と思うに到った次第です。



<感想>

 俳句と漢詩の違い、という大テーマに対して私が述べられるようなことはあまり無いのですが、ただ、この二つの詩が日本の江戸時代において、最盛期を迎えたという事実はとても興味深いことです。当時の文人たちは、どのような思いで漢詩と俳句を楽しんでいたのでしょう。
 同時に、芭蕉の句作の原点は、和歌や漢詩という日本の古典の滋養をもとに、現代(芭蕉にとっての)との融合をいかに果たすか、というところにあったと私は感じることが多いのですが、「高く悟りて俗に帰る」、漢詩の表現できるキャパシティと俳句のそれとは決定的に差があるわけです。
 詩人が自分の思いをどこまで読者に伝えられるか、それは俳句でも短歌でも、また漢詩、現代詩でも、かならず限界があります。だから、逆に、どこまで伝えるかを詩人は考えることになります。
 かつて、石川啄木が短歌を「三行分かち書き」にしたのは、三十一文字の音による表現を、視覚的な文字による表現へと変えようとしました。
   やわらかに柳あをめる北上の岸邊目に見ゆ泣けとごとくに

   やわらかに柳あをめる
   北上の岸邊目に見ゆ
   泣けとごとくに

 一行で書かれたのと三行で書かれた表現力の違いは明らかで、句の独立性は漢詩の絶句に匹敵すると思います。それまで読者の理解力に頼っていた部分(詩作の意図)を、改行という手段で、あらかじめ作者が方向を指し示すという大胆な手法へと変換させるものだったわけです。
 しかし、作者の思いを出来るだけ多く伝えたいという、啄木のある意味で素朴な狙いは、現代に継承されていません。日本の短歌は、作者の伝達力よりも読者の読解力に重きを置いたということです。
 以前に知秀さんが、「漢詩一首は短歌五、六首に該当する」ということをおっしゃってましたが、経験則からはそんな感じなのかもしれませんね。

 さて、鮟鱇さんの分析ですが、芭蕉の「古池や」の句が作られた時を「深山花散緑肥時」とし、場所を「林」とし(ここまでが(d)ですね)、作者が古池に近づいていくと驚いた蛙が水に飛び込んだ(ここまで(b))と想像を広げたものです。
 文学関係の文献などを調べればこうした作詩事情はある程度は見えてくる場合もあります。しかし、この古池が江戸深川の芭蕉庵の池なのか、深い山の中の池なのか、それは俳句からは何も伝えて来ない、つまり芭蕉自身が説明を省いたわけですから、必要ならば読者が補うことになります。その時に、読者一人ひとりによって、感じられるものは変わってくるのでしょうが、それは良いことですし、それを許すのが俳句でしょう。
 先ほど、「必要ならば」と書きましたが、ここが重要な点で、実は必要かどうかも読者の判断に委ねられているわけで、「この俳句では古池の場所なんて関係ない」と言うことも、場所の限定の必要性を主張することも、それはどちらも許されることです。俳句は必要な言葉を選び抜くのですが、だからと言って、省略された部分は不必要であるとは限らないからです。

 鮟鱇さんの詩で、やや不足している点があるとすると、「古池や」と切れ字を用いてこの五文字が独立していることをどう解釈したかが伝わってこないことです。私はこの句を解釈する時は、ひとまず「古池だなあ!蛙が飛び込む水の音がするぞ!」と感嘆符を用いてから内容を考えるようにしています。「古池蛙飛び込む」という説明調ではないことを考慮し、明確にする必要があるでしょう。
 それは、例えば、三行詩を用いた啄木の意図を汲んで訳すか、一行の短歌として訳すかの違いのように思います。


2007.11.26                 by 桐山人


常春さんから感想をいただきました。

 鈴木先生
 鮟鱇さんの詩「讀芭蕉句有感詩」を読んで、私も俳句を漢詩に盛り込もうとしたことを思い出しました。
 何か名句を借りて相撲をとるような、気晴らしともなるのですが、何時もつくってみて、あー蛇足だなーとがっかりします。
 あえて、私見を鮟鱇さんに呈します。
 鮟鱇さんの「讀芭蕉句有感」とその解説を読んで、感じたことです。

 迂生も、俳句を漢詩に翻案してみました。

   我と来て 遊べや 親のない雀

  疲倦家郷骨肉爭   家郷骨肉の争いに倦み疲れ
  幽篁獨坐夕陽明   幽篁に独り坐せば夕陽明らか
  忽聞黄口逸親慟   忽ち聞く黄口親を逸して慟ずるを
  遊矣雀乎吾與晴   遊べや 雀よ 我と晴れん

 しかし、起句のこの理屈、くどいなー、一茶の骨肉の争いと無関係に、人々は素直に句のもつ寂寥感に共感します。

 それで、起句を省いてみました。

   幽篁獨坐夕陽明 幽篁に独り坐せば夕陽明らか
   忽聽奄奄黄口聲 忽ち聴く奄奄黄口の声
   泣訴求親風冷冷 泣訴 親を求むるも風冷々
   雀乎遊矣我倶晴 雀よ 遊べや 我倶に晴れん

 二句目もやはり蛇足かな、 と 俳句の完成度 に改めて脱帽しました。
俳句には俳句の持ち味、漢詩には漢詩の持ち味ありだなー。

 それでも、これからも、俳句や和歌の翻案をトライしようと思っています。
和歌や俳句に学んで、和風という意味ではなく、漢詩に日本人としての潤いを盛り込みたいと念願するからです。

 お教え願いたいのですが、結句に 気晴らしの意味で「晴」字を用いました。
現代中国語では、「晴」は天候のみに使われているようです。辞書では「気晴らし 解悶、散心」とありました。
詩語に「恨不晴」がありましたので、使ってみたものの、これでよいのかどうか迷っています。

2007.11.27              by 常春


 常春さんのご質問の「晴」の用法については、「恨みを晴らす」「悩みを払う」の意味では和習です。天候、自然に関する言葉と考えた方が良いでしょう。

                  by 桐山人


井古綆さんから感想をいただきました。

 玉作を拝見しました。
 鮟鱇雅兄の、俳句と漢詩との融合へのご努力には、非常に敬服いたします。非才のわたくしには、漢詩を習得するに精一杯で、とても他を振り返る余裕がありません。
 鮟鱇さんのすぐれた頭脳を羨ましく思います。

 雅兄のように長文を書くことは出来ませんが、気がついたことを述べてみたいと思います。

 管見ですが、漢詩は概ね具体的に作っていますが、俳句は抽象的に表現されているため、百人百様に解釈されその曖昧さが良いとされていますが、わたくしは好みません。
 これは日本人としての国民性であろうと思います。その良い例が法律の解釈で、どちらにもとれることは、混乱を招く原因であろうと思います。
 それはさて置き、俳句「古池や・・・・・・・・・・・・」を漢詩への変換、鮟鱇さんが新境地を開く先鞭ではないでしょうか。

 以下に気がついた点を述べてみます。
起句、「花散」を推敲したほうが良いように感じられます。
承句転句、少し作為的に感じますがいかがでしょうか。
結句、直截的で余韻があまりないように感じれられました。

 はなはだ失礼ですが題名にも留意していただければと存じます。
 次にわたくしは中華新韻なるものを存じませんが、雅兄のこの玉作では水平韻の「支韻」ではないでしょうか。その違いを説明して頂ければ有難く存じます。

 この文を書く以上わたくしも一詩を賦しましたが、雅兄との詩意が同じですので次韻とは言えません。

   拝蕉翁秀句有感作一絶
  全山紅痩緑肥時、    全山紅痩 緑肥の時、
  散策林中到古池。    林中を散策して 古池に到る。
  忽聴驚蛙敲水響、    忽ち聴く驚蛙の 水を敲く響き、
  只看瀲灔細紋馳。    只 瀲灔たる細紋の馳せるを看るのみ。

※ 結句に余韻を持たせましたが、慌ただしく作りましたので、推敲の余地は充分にあります。

2007.11.27                  by 井古綆


その後推敲いたしました。

  全山紅痩緑肥時    全山紅痩 緑肥の時
  散策林中到古池    林中を散策して 古池に到る
  忽見驚蛙叩澄水    忽ち見る驚蛙の 澄水を叩き
  餘音消只細紋馳    余音消えて 只細紋の馳せるのみ

 漢詩では音を声としても表現しますが、この俳句では音の字を使用しなくてはならないと思い、転句に俳句の「水の音」を描き、結句にその影像を詠出しようと思いましたが、無理だったので結句を句中対にして余韻を詠出したつもりです。

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  常春さんの玉作を拝見して、また新たな感想をもちました。

 俳句の十七文字を漢詩の二十八文字に表現すれば、どうしても間延びしてしまいます。
十七文字は漢詩の一句あれば充分で、あとの三句を如何にして詩語を埋めるかが問題です。
 常春さんの玉作に触発されてわたくしも参考になればと思い一詩を賦しました。



   世情
  黎元戰後幾辛酸    黎元戦後 幾辛酸
  老去無忘甘赤貧    老去無忘 赤貧に甘んず
  今日廟堂施政惡    今日廟堂 施政悪し
  何遊孤雀與羸身    何ぞ遊ばん 孤雀と羸身(るいしん)と

「黎元」: 国民
「無忘」: 思いがけない、無端
「何遊」: 日々の生活に偓促して小雀と遊ぶ余裕がない
「羸身」: (生活に)疲れたからだ

2007.11.29                 by 井古綆


鮟鱇さんから感想に対してのお返事をいただきました。

鈴木先生、常春先生 井古綆先生

 鮟鱇です。
 拙作につきご感想をいただき、ありがとうございます。

 拙作について、みなさんに読みとっていただけなかったこととして、詩中の「白首」は芭蕉ではなく、私である、ということがあったと思います。
 「古池や」句を詠んだ当時の芭蕉は四十代前半、まだまだ若く、「白首」ではありませんので、詩中の人物は私であると読んでいただけるかと思っておりました。

 そして、詩意としては、私は芭蕉と同じ立場に置かれれば、芭蕉のようには「蛙飛び込む」に詩情を見出すことはできないだろう、ということがあります。詩を見出すべき場所に詩を見出すことができない詩人の滑稽。そういう詩人の姿を私にダブらせて、私は書きました。
 しかし、そのようには読み取ってはいただけなかったようです。そこで、失敗作ですね。

 以下、ご意見への私の感想を申し上げます。

常春さん>俳句には俳句の持ち味、漢詩には漢詩の持ち味ありだなー。

 そのとおりです。拙作は、その持ち味の違いを私なりにきちんと体感したいと思い、作っております。日本人が作る漢詩は、その違いを踏まえず、短歌的な詠嘆であったり俳句的な感慨であったりを漢詩に仕立てて、詩意がよくわからない作品になる場合が少なくない、と私は思っています。

井古綆さん> 管見ですが、漢詩は概ね具体的に作っていますが、俳句は抽象的に表現されているため、百人百様に解釈されその曖昧さが良いとされていますが、わたくしは好みません。

 私も同感です。さらに言えば、私の場合は、百人百様の解釈、その曖昧さを尊ぶ風潮が日本の美意識にあるように思え、それが好ましくないと思うので漢詩を始めました。少々過激になりますが、曖昧であってよいことと曖昧であってはならないことの区別をきちんと付ける努力さえせず、百人百様という美名のもとで文芸に親しんでいる、そういう甘いところが日本人の詩歌鑑賞にはあると思えます。
 私は、漢詩は、そういう曖昧さを極力排除して作る詩だと思っています。とかく作者の心情という形で片付けられ、読者にきちんと伝わるかどうかが曖昧な心情表現は、私の場合ですが、極力排除する方針です。

井古綆さん>起句、「花散」を推敲したほうが良いように感じられます。

 確かに「花散緑肥」よりも「紅痩緑肥」の方が、四字の対仗としては整っていると思います。
 しかし、後述しますが、「蛙」を季語として「古池」句を春の句とする通行の解釈、わたしには抵抗があり、「花は完全に散じてしまった」季節にしたかったので「花散緑肥」にしています。
 「全山花散」と「全山紅痩」でみれば、「全山花散」の方が、花期を過ぎて探勝する、つまりTPOを失しているということが、表現できます。これに対し、「紅痩緑肥」は、いわゆる風情がありすぎます。

井古綆さん>承句転句、少し作為的に感じますがいかがでしょうか。 井古綆さん>結句、直截的で余韻があまりないように感じられました。

 承句転句。結句へどう展開していくかで、私なりの「作為」はあります。作中の「白首」は私ですので、滑稽に戯画化したい。
 「蛙飛びこむ」は一個の偶然・独立した事象です。凡庸な詩人である私は、芭蕉と同じ境地で「蛙飛び込む」に詩情を見出すことはできないのです。私が詩中で詩にしようとしたのは、古池だけです。「蛙飛びこむ」には、ただ、びっくり。  凡庸な詩人を戯画にする。そのためには、転句、結句は、因果関係にズレがある方がいい。ズレは、「滑稽」の技法です。凡庸な詩人が詩を求めて詩材に近付く、しかし、そのことと関係のない蛙が池に飛び込む、というのが、転句と結句です。

 余韻については、井古綆さんの玉作に確かに劣ります。上述のような次第で、余韻のことはわたしはあまり考えていません。わたしが書きたかったのは、「滑稽」です。
 ただ、玉作の転句「忽聴驚蛙敲水響」は、「聴」、「驚」「敲」「響」の五字が強すぎると思います。「蛙飛び込む水の音」が十分に詩的である、という前提で詩をお作りになっているからだと思いますが、蛙は、驚いたから池に飛び込んだのかどうか、又、「敲水」という表現が適切であるのかどうか、蛙が飛び込む程度の音を「響」と表現してよいのかどうか、また、その実、「聞(聞こえる)」である程度のことを「聴(注意して聴く)」としてよいのかどうか、という疑問があります。


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 以下、芭蕉の句についての解釈が続きますが、やや長いのと詩の感想とは関係が弱いと思いますので(独断ですみません)、中略させていただきます。
 鮟鱇さんのお返事の全文は、「桐山堂」に掲載しましたので、そちらを是非ご覧下さい。

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井古綆さん> 次にわたくしは中華新韻なるものを存じませんが、雅兄のこの玉作では水平韻の「支韻」ではないでしょうか。その違いを説明して頂ければ有難く存じます。

 拙作で用いた韻字は、平水韻では「支韻」です。そして、中華新韻でも「支韻」です。拙作は、作者の意識としては「新韻」ですが、平水韻の詩としても通用します。
 私の作詩の楽しみとして、平仄と押韻が結構重要になっています。ピンインで書く、そうすることではじめて調子に乗ることができるからです。そして、ピンインで書く限りは、平水韻準拠による押韻の醍醐味を味わうことが私にはできません。
 平水韻の「支韻」は、現在では、韻母が無声化して「支韻」となっている語と、「斉韻」「微韻」に移行した語とに分かれます。危・奇・詩は平水韻では「支韻」で同韻ですが、新韻では「微」「斉」「支」です。これらを同韻として作詩をしても、わたしの頭のなかの声は、押韻をしたことにはなりません。
 平仄や押韻は、詩にとっては二次的な問題であり、そう厳密である必要はありません。とりわけ読者にとっては、そうであるだろうと思います。しかし、詩を作る立場でいえば、声に出したらどうなるかということでこだわってもいいわけで、私には新韻で作ることへのこだわりがあります。

 以上、お答えになっているかどうかですが、私の思いを述べさせていただきました。

2007.11.29               by 鮟鱇