2007年の投稿詩 第91作は 玄齋 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-91

  春日所感        

春風未見意難平   春風 未だ見ず 意平かなり難し

却愛櫻花先不爭   却って愛す 櫻花先を爭はず

誰説嬌容留不得   誰か説かん 嬌容留め得ざるを

空知天地自無情   空しく知る 天地 自から情無きを

          (下平声「八庚」の押韻)

<解説>

 謝斧です。玄齋氏を紹介します。
氏は去年の十二月に初めて漢詩を作ったそうです。
元々中国の古典文学に興味をもっていたとのことです。
今回菅廟吟社の社員になられました。
宜しくご指導のほどお願いします。



<感想>

 昨年の十二月ということですと、作詩の経験としては長くはないのでしょうが、ご立派な詩を作られますね。
 気の付いた点を申し上げますと、第一に、作者の言いたいことが伝わりにくい気がします。
 これは表現の問題だと思いますが、それは、簡単に言えば、各句の六字目を見ると分かりますが、否定を表す言葉がとても多く使ってあるという点です。
 日常の会話文でも、否定形を続ければ、何を言いたいのかが分かりにくいもの。字数の限られた定型詩では尚更、明確な表現が求められるでしょう。その上で、敢えて(意図的に)形の定まらないものを描くことで効果を狙うことになります。多用は考えものです。

 二つ目は、承句・転句・結句ともに、初めの二字の構造が同じになっている点、詩全体に変化が乏しくなっているのは、これが原因だろうと思います。
 最後に、転句の読み下しですが、「誰か説かん」の現在形よりも、「誰か説きける」の過去形の方が伝わりやすいでしょう。

2007. 4.20                 by 桐山人



謝斧さんからお手紙をいただきました。
 詩人にかわって説明します。
 先生のおっしゃる通り、分かりづらい詩になっております。
 ひとつには言葉足らずのような気がします。
承句の説明である、花事の魁である梅花の叙述がないせいかもしれません。梅花に比して、却って愛す 櫻花の先を爭はずです。
 詩意は盛りを過ぎて行く女性を詠じたものらしいです。
私はこの詩を寄せられたとき、孔紹安の「只為来時晩 開花不及春」が頭に浮かびました。
 石榴に比して自分の不遇を嘆いた詩です

2007. 5. 2                  by 謝斧




















 2007年の投稿詩 第92作は 柳田 周 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-92

  二月尽日        

鳩含檍実廻低樹   鳩は檍(もち)の実を含んで低樹を廻り

鵯哺梅花度細柯   鵯は梅の花を哺(ふく)んで細柯を度(わた)る

切切閑吟老翁唱   切切たる閑吟 老翁の唱

欲徂二月気経和   徂(ゆ)かんと欲する二月 気経(すで)に和らぐ

          (下平声「五歌」の押韻)

<解説>

 語注)
「細柯」=細い枝
「徂」=過ぎ去る

 一月に意識傷害を発症して入院した父が、二月半ばに退院し、日当たりのよい部屋で窓を開けて、古い歌を口ずさんでいました。
 庭には何処から来たのか一羽のキジバトが地面の種実を拾っては、植木を経巡り、それと呼応するかのように、ヒヨドリが矢張り一羽、例年より三週間も早く咲いた紅梅の花を銜えて、細い枝を飛び渡っていました。
 こんな絵のような景が庭で見られるのに驚きながら、対句を作りました。

<感想>

 お父さんは九十六歳ということでしたか。退院なさって何よりでしたね。

 前半の叙景の対句と、後半の情の籠もった表現がよく対応していますね。
結句の「欲徂二月」には、冬の寒さも遠のいて春が来るという気持ちと、お父さんのご病気という辛い時期を乗り越えたというお気持ちが重なり、穏やかな雰囲気がよく表れていると思いました。


2007. 4.20                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第93作は 酔翁 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-93

  春景偶感        

春波淡淡暁光清   春の海辺淡淡と 朝日がすがすがしい

路影青青柳色明   路影青青と 柳色明るい

日麗花繁浮蝶舞   うららかな日 花繁る 浮蝶が舞う

風軽草嫩囀新鶯   そよ風に草若く 春の鶯がさえずる

遙看遠岳心自若   遙か遠岳を眺めば 心自ずと落ち着く

静聴弦歌酒獨傾   静かに弦歌を聴きながら 酒独りで進む

歳月雖長催寂寞   歳月は長いけれども 寂寞を呼ぶ

人生命短誘多情   人生は命短いけれども 色々感ずる事を誘う

          (下平声「八庚」の押韻)

<解説>

 阪神間某所の景色を眺めながらちょっぴり気持ちを書いてみました。

「看」という字は眺めの意味に取ると仄音になるが、杜甫の「曲江」など多くの詩は平音としています。「観」とすべきか迷っています。

<感想>

 「看」につきましては、平仄両用として扱うことがほとんどだと思います。このサイトでも、平仄両用として対応しています。

 対句の関係で見ますと、頷聯の下三字が読みにくいですね。特に「囀新鶯」はどう読むのでしょうか。上句の「浮蝶 舞」と対応させるならば、「囀新 鶯」となるのでしょうが、それでは意味が通じませんね。
 次の頸聯も下句の「酒獨傾」も、「酒が一人で傾く」となりますので、困ったなぁという感じです。

 全体としては、首聯から頸聯までの春景の趣はよく伝わるのですが、そこからどう尾聯の感慨が生まれてくるのかという流れが弱く、突然に異種の心情をぶつけられたような印象が残りました。

2007. 4.20                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第94作は京都府城陽市の 有人 さん、80代の男性の方からの初めての投稿作品です。
 

作品番号 2007-94

  面影        

獨坐佛前精潸然   獨り坐す佛前 こころ 潸然さんぜん

花香微笑泛幽仙   花の香りに微笑 幽仙ゆうせんうか

囘想悲喜交交夜   囘想して 悲喜交交こもごもの夜

少女容姿我裏鮮   少女の容姿 我がうちに鮮やかなり

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 今年の一月に五十年連れ添った妻を亡くし、今は唯一の趣味である「漢詩」創りに生きがいを見出しています。
 インターネットで「漢詩」を通じて、皆さんと交流できることを楽しみに、投稿させていただきました。

(この解説文は、メール投稿のお手伝いをなさった娘さんの文章をもとに、主宰者が書き直してあります)

 [訳]
 独り仏前に坐って、心の中で泣いています。
 花の香が部屋一杯に広がり、微笑している姿は天界にいるように思われます。
 生前のことを思い浮かべて、毎晩喜びと悲しみの夜です。
 (初めて出会った時の)妻の少女時代の可愛い姿がはっきりと思い出され、脳裏から離れません。


<感想>

 お手紙と詩を拝見しました。今年の一月に亡くなられたということですので、まだ日も浅いことですし、お悲しみは深いことと思います。このホームページがお気持ちをまぎらす一助になればありがたいことです。

 詩は亡くなられた奥さまに直接語りかけられるような趣で書かれていますから、お気持ちが率直に出ていて、読者に共感を呼ぶ内容になっていると思います。

 一般の読者にも伝えるということで考えた時に、用語、あるいは表現の点で補った方が良い点を述べます。
 起句の「潸然」「涙(あるいは水)が流れる」ことを表す言葉ですが、「精」を主語の位置に置くと、「心のように流れる」と読まれます。心の中に限定する必要は無いでしょうから、ここは「涙潸然」としたらどうでしょうか。
 また、その前の「佛前」「花前」として、読者に「作者はどうして泣いているのだろう?」と思わせた方が、いきなり状況を示すよりも良いでしょう。(その場合は、承句の「花香」「芳香」あたりに直します)
 「潸」は平仄両用の字です。

 転句は「想」の字では平仄が合いません。「思」「看」に替えるか、「懐」を用いた熟語にするか、どちらかでしょう。
 「交交」は二字続けると、「鳥が飛び交う」「木が茂る」「小さい」などの意味が出てきてしまいます。一つにして、その後に動詞を用いる方が良いでしょう。

 結句は「少女」「若かった頃」とするのは無理があるでしょう。「昔日」「往日」などの言葉でどうでしょうか。

 長く書かせていただきましたが、自分(と奥さま)以外の人に詩を読んでもらう時には、という一般的なこととしてご理解下さい。作者の詩に籠められたお気持ちはこのままでも十分に伝わりますよ。

2007. 4.24                 by 桐山人


謝斧さんから感想をいただきました。

 思慕老妻之情 甚真摯。
 先生之心情 推而可知焉。
 収束不熟、以「我裏鮮」換「少女容姿眉上鮮」、又如何。

2007. 6.17                 by 謝斧























 2007年の投稿詩 第95作は 博生 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-95

  沈丁花        

煙霞三月暖風軽   煙霞三月暖風軽シ

牆角瑞香春気生   牆角ノ瑞香春気生ズ

坐見書窓花万片   そぞろニ見ル書窓花万片

軟紅柔緑麗風情   軟紅柔緑うるわし風情

          (下平声「八庚」の押韻)

<解説>

 早春の匂いは空気の湿り、暖かい風、そして漂う沈丁花の香りの合奏です。

<感想>

 春の沈丁花、秋の金木犀、どちらも道を歩いていても風に乗って香を飛ばしてくれます。沈丁花は香が強すぎるという人もいますが、私もとても好きです。
 我が家の沈丁花は二十年近く、春の庭を芳しくしてくれていたのですが、昨年、突然枯れてしまいました。またたく間に葉が落ち、枝が枯れて、何とか持ち直してほしいと願っていましたが、止めることはできませんでした。何か家族の一人が抜けたような淋しさで、新しい苗木を植える気持ちになかなかなりません。
 個人的な読み方で申し訳ないのですが、博生さんのこの詩は、昨年までの自分を思い返して感傷的に読んでしまいました。もう、どの句を読んでも、「そうなんだよね」「そうそう」と納得ばかりです。
 難を言えば、結句の「風」の字が重複している点、読み下しも「うるわしき」と「風情」に掛かっていくようにすべき点くらいでしょう。

2007. 4.24                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第96作は大阪府交野市の 喬 さん、六十代の男性の方からの初めての投稿作品です。
 

作品番号 2007-96

  新年誓     新年に誓ふ   

雪花冷艶湧泉中   雪花 冷艶 湧泉の中

風凛新春瑞気籠   風凛として新春 瑞気籠む

客到茅庵同慶好   客茅庵に到り 同慶好

偕決革進万家雄   ともに革進を決す 万家の雄

          (上平声「一東」の押韻)

<解説>

 新年に娘たちの家族が我が家を尋ねてきた。嬉しいものである。
そして、新年を喜ぶとともに、各家族の世帯主にとっては今年もまた新たな気持ちで頑張って行かねばならぬなとの気概を示した。

<感想>

 喬さんは、昨年の六月頃から,太刀掛呂山先生の『誰にでも出来る漢詩の作り方』を参考にして作り始められたそうです。
 娘さん達がお集まりになった新年の集いで、お父さんから(一族に)新年の誓いを漢詩で詠まれるという光景は、想像するだけでも楽しいですね。胸を張って堂々と詠まれたことでしょう。

 起句承句はこのままでも問題ないと思います。
 転句は「同慶好」がピンときませんね。「同慶(ともに喜ぶ)」の中にもう「好」の意味は含まれていますし、「好」の前には体言(名詞)が来た方が分かりやすいでしょう。また、この「同」が結句の「偕」とも重なりますので、ここは「同慶」を替えるような芳香で検討されると良いでしょう。
 結句は、「決」も仄字ですので、ここは「期」にしておく必要があります。

2007. 4.24                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第97作は 鮟鱇 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-97

  偶 成        

冬扇猶能煽夏爐,   冬扇なお能く夏炉を煽り,

風流無害有琴書。   風流に害なく琴書あり。

千篇萬句隔詩譽,   千篇万句 詩誉を隔て,

一日三秋隣酒壺。   一日三秋 酒壺に隣る。

靈液洗腸唇自蕩,   霊液 腸を洗えば唇 自ずからうごき,

山人裁賦句浮疏。   山人 賦を裁せば句 浮疏たり。

賢妻眠處獨呵筆,   賢妻 眠るところ独り筆を呵し,

仰看月明臨草廬。   仰ぎ看れば月明るくして草廬に臨む。

          (中華新韻「十四姑」の押韻)

<解説>

「冬扇夏爐」:時機にあわない無用の事物。
「靈液」:酒。
「浮疏」:軽々しく大雑把なこと。

 冒頭「冬扇猶能煽夏爐」という句、今の時代、漢詩を書くなどということは、時機はずれで無駄なことであるだろう、しかし、その無駄なことが、詩才に乏しく時機をはずれた私を煽っている、ということがおもしろく、それを私なりに表現した句です。
 この詩、妻が隣の部屋でひと足さきに眠っているのを尻目に、いささか寒さに耐えながら作りました。わが家では、床に就くべき時間に暖房を入れているのは無駄なので、妻が眠るときに火を落とします。そうしないと、私が火を消し忘れるからです。
 また、余りいつまでも机に向かっていると凍えますし、妻が眼を覚まして早く寝なさいよと怒鳴られますので、このたぐいの詩は、さっさと書き上げる必要があります。


<感想>

 そうですね、鮟鱇さんの仰るとおり、漢詩を書くということは歴史的には「時機はずれ」だと思います。
 でも、最近私は思うのですが、ここまで「時機はずれ」になれば、それはそれで良いかなという感じがするんです。
 江戸や明治のように漢詩人が輩出していた時代とは異なり、ちょっと前までは「漢詩を作る」と言えばそれだけで「偉いなぁ・すごいなぁ」と、詩を見もしないで評価されていたことがあったと思います。そして、漢詩を作る方も「俺はちょっと偉いんだぞ」みたいな雰囲気を漂わせる人も居たように感じます。
 これは非常に不幸なことで、自分の詩を誰も読んでいないのに評価だけは高くされて、そして、そのことに詩人が安住していたら、腐った鯛が「俺は魚の王様だ」と威張っているようなもの、やがては捨てられるしかないのです。
 しかし、現在、新たに漢詩を始めようという人たちは、そうした「漢詩の権威」「漢詩を作ることのステータス」とは無縁なところからスタートしています。なぜならば、「権威」も「ステータス」も無いことを初めから自身が知っているからです。
 秋葉原のオタクとまでは言いませんが、「漢詩を作る」ことの周りの評価は似たようなもの。だからこそ、今は本当に「漢詩が好き」だからということで、趣味として取り組んで良い時代なのです。「趣味と実益」なんて言いますが、「実益」はあくまでも結果でのこと。最初から実益を期待して取り組んでいたら、それは趣味ではないはず。
 漱石はかつて、芸術は人間の労力の消費活動であると言いました。鮟鱇さんの「冬扇夏炉」の例えも、無駄だからこそ人間は夢中になるという意味でしょう。
 漢詩創作に際して変な「実益」を全く期待できない時代になったことは、漢詩が詩として再生する可能性を持った時代でもあると思いますが、逆説的でしょうか。

 押韻は「中華新韻」ですが、平水韻では「上平声七虞」と「上平声六魚」になりますね。

2007. 4.24                 by 桐山人



井古綆さんから感想をいただきました。
 鮟鱇さん、はじめまして。井古綆です。
 先年「千思万考」についてのご高察有難うございました。

 玉作「偶成」を拝見し、甚だ僭越ではありますが、以下に管見を述べさせていただきます。

 二句目、「風流無害」では「害」が風流にそぐわないように思います。
 また、三句目の「千篇万句隔詩誉」は素晴らしい佳句だと思いますが、「句」の措辞を惜しく思います。句が集まり詩となり詩が集まり篇となります。「句」を改めれば、よりよくなる気がします。さすれば同字重出ではなくなります。
 五句目の「自蕩」は次句に「浮疏」が熟語であれば、ここを同じく熟語にする余裕があります。七句目、の「呵」を使用すれば季節が冬に限定され、範囲が狭まります。是非とも冬季に限定される事由があれば別ですが、その際には詩題を「冬夜偶成」にすれば如何でしょうか。

 以下は私見ですが、奥様は賢婦と存じ上げますが、私であれば「老妻」としか書けません。
 また私であれば尾聯に「爛柯」の文字を挿入したいと思いますが、鮟鱇さんの解説に「このたぐいの詩は、さっさと書き上げる必要があります。」とお書きのように、希世の詩人でありますので、「爛柯」の文字は必要はないかと思いました。
 もし推敲に時間を少々を掛ければ、瑕疵のない玉作に成ると思いますが、如何でしょうか。

 我が身を省みず苦語を申し上げましたが、お許しください。

2007. 4.25               by 井古綆


井古綆さんのご意見を読み、私の感想を追加します。
 「賢婦」につきましては、私は井古綆さんとは意見を異にします。

 ここでの「賢」の字を、私は、「役に立たない漢詩に熱を入れて夜更かしをしている愚かな私に対して、現実的な判断がきちんとできる賢い妻は無駄なことはしないでさっさと寝ている」という対比が出されていると思いました。
 その場合には、奥さまに対しての評価は何もなく、ただ自分自身に対しての自嘲、謙遜を浮き彫りにするための役割として「賢」の字が働いているのだと思います。
 あるいは、ひょっとすると、詩作の邪魔をしないようにと一人にしてくださる奥さまへの感謝の意味かもしれませんが・・・・、どちらにせよ、ここは鮟鱇さんが十分に狙った表現ではないかと推測していますが、いかがでしょうか。

2007. 4.30              by 桐山人


謝斧さんからお手紙をいただきました。
 私は意見を鈴木先生とは意見を異にします。
 詩意は好く分かりませんが、先生の言われるように、自分自身を自虐して自分の妻に対しておどけたり揶揄してのことだと思います。
 こういった手法は詩を作り始めた頃は、人目を引くのでやることがありましたが、温順敦厚の情に背くものだといわれたことがあります。
 先生の詩の解釈では悪達者の詩になります。ここは「老妻」が妥かだと思います。

2007. 5. 2                    by 謝斧



鮟鱇さんから、皆さんの感想へのお返事をいただきました。
井古綆先生

 ご意見をいただいたまま20日あまり、失礼いたしました。ご指摘、ありがとうございます。「句」の同字重複、私の杜撰です。「千篇万句」「千篇万首」に改めます。

 風流無害の「害」については、ご指摘のとおりかとも思いますが、私には「風流」な詩は書けません。この詩では、「冬扇猶能煽夏爐」との関係で、「風流」は有害なのか無害なのか、「風流」には「琴書」があった方がよいのかどうか、詩における言表は、常に意味がなければいけないのかどうか、が私の関心事でありましたので、「害」を用いています。  この私の関心事は、ナンセンスだと思います。私は、詩におけるナンセンスな言表の効果を、私なりに重視しています。たとえば、ハムレットの“to be or not to be”は、答えを求めている自問、あるいは答えを求めることができる問いとはいえず、現にハムレットはその自問に答えを出しません。そこでそれは、自問のための自問であるといえます。答えのない問いはナンセンスです。
 しかし、ナンセンスでない問いかけは往々詩的ではありませんが、ナンセンスな問いかけは、詩的言葉に近づくことができます。“to be or not to be”という言葉がシェークスピアの頭に浮かんだとき、それは人類の詩にとってとても幸運な瞬間だったと思いますが、シェークスピアがハムレットに同化して、生きるべきか死ぬべきか、深刻に悩んでいたとは思えません。すばらしいセリフが書けたと、きっと浮き浮きしていたと思います。“to be or not to be”は、詩的だからです。
 「冬扇猶能煽夏爐,風流無害有琴書」が、“to be or not to be”と詩的効果を対等に競えるとは思いませんが、ナンセンスな言表である点は、同じで、それを書きながら私の心は、けっこう浮き立っていました。

>是非とも冬季に限定される事由があれば別ですが、その際には詩題を「冬夜偶成」にすれば如何でしょうか。

 「呵筆」は好きな言葉です。やはり冬にこだわりたいと思います。今後もし自選集でもという機会があれば、「冬夜偶成」に改めます。

>「爛柯」

 いい言葉ですね。初めて知りました。ありがとうございます。ただ、拙作は、一人称で作っています。私が自身の詩作の状況を「爛柯」と美化することには抵抗があり、現時点では「爛柯」を使いこなせません。

>奥様は賢婦と存じ上げますが、私であれば「老妻」としか書けません。

 「賢妻」の件は、鈴木先生の解釈が作者としてはいちばんうれしい解釈です。意図したとおりに読んでもらえたという思いがあります。妻を「賢」といえば私は「愚」になります。第6句の「山人」との関連でも、「賢妻」である方がよく、「老妻」ではわたしが書こうとした意図がぼけると思います。
 しかし、井古綆さんのご指摘のとおり「老妻」とするのがよい場合もあるだろうと思います。詩風には、あるべき姿がいくつもあると思います。井古綆さんの詩風には井古綆さんの詩風があり、そのなかでご自身の妻を「賢妻」と呼ぶことはないとの意に理解いたしました。



鈴木先生

 「賢妻」の件、ありがとうございます。御礼、遅くなってしまい、申し訳ありません。
 また、「自嘲」についてですが、ご指摘のとおりです。ただ、「自嘲」については、いろいろ見方があると思いますので補足させていただきます。

 現代において漢詩を書く、ということを詩題とすれば、詩人の「自嘲」が詩材となることは、自然だと思います。漢詩作りは、世の中から見れば風変わりなことをやっていると見られるだけで、その魅力がまともに理解されることはまずありません。しかし、その詩に夢中になっている自分がいるわけで、それを自覚すれば、「自嘲」に到るのが自然です。自身の愚かさに気付きつつも、それを改めることができない、やめることができない、人はそういうときに「自嘲」するのであって、その状況で「自嘲」することがなければ、自身がどのような存在であるかということによほど無頓着です。そういう人は、花咲く春の野で裸の王様になっているに等しい夢の中の人だと思います。

 しかし、同好のみなさんの作を拝見すると、よい作品が書けないと自嘲する作品はかなり拝見していますが、漢詩を書くなどとくだらないことに夢中になっている、ということを自嘲する作品を拝見したことは、わたしにはありません。よい作品が書けないという自嘲が類型化している感があります。「自嘲」も類型化しないうちは「悲愴」でありうると思いますが、類型化した「自嘲」は「滑稽」。拙作は、よい作品が書けないと嘆くが、詩を書くことを疑うことはない、その結果としての滑稽を私なりに描ければと思った次第で、そのあたりのことを先生には看破された、と思います。



謝斧先生

 鈴木先生の解釈では私の詩は「悪達者の詩」になるとの謝斧さんのお言葉ですが、わたしには鈴木先生の解釈と「悪達者の詩」の関係がよくわかりません。

 謝斧さんには私の詩意が、「好く分からない」とのことですので、ご説明が言葉足らずになるのもやむを得ませんが、「温順敦厚」がなぜここで説かれなければならないのかも、わかりません。「温順敦厚」の情の発露としての詩、ということを旨として私は詩を書いているわけではありません。そこで、「悪」であるのかないのかとか、「達者」であるのかないのかとかのご指摘があっても、作者としてお答えできず、申しわけありません。
 ただ、私の詩風について、中国人の友人たちからよくいわれます言葉は、「豪放である」とか、「偏狂である、だから面白い」とか、「奇抜である、気迫がある」、上手だ、などです。そういう言葉をもらったとき、私自身は、上手かどうかはともかく、書こうと思ったことが伝わったと思い、とてもうれしいのです。「豪放、偏狂、奇抜、気迫」と「温順敦厚」、これを両立させる心の持ち様には、わたしはなれません。
 わたしは、詩は、わたし自身の心と頭の赴くままに書いていくより他はない、と思っています。そこで、主に西洋文学、特にフランス文学に親しんだ「頭」と、典型的ではないかも知れないが逃れ得ないものとしての日本人の「心」、そして、フランス文学的に学習した中国古典詩詞の、韻律という「体」、わたしの詩はその程度のものかも知れません。詩的必然を説いたポール・ヴァレリーの詩観と漢詩の関係については、フランス文学を学んだ作家中村真一郎氏も触れていますが、私も、大学でポール・ヴァレリーの詩論を学んでいなければ、漢詩作りに興味を持つことはありませんでした。そこで、「悪達者」が何を意味するのか、わたしにはわかりませんが、私の詩は、フランス文学的に「悪達者」の詩であるのかも知れません。

 お答えにならず、申しわけありません。

2007. 5.25





















 2007年の投稿詩 第98作は 鮟鱇 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-98

  良妻問詩題        

我無名利有良妻,   我に名利なくも良妻あって,

生女養男家務宜。   むすめを生みむすこを養って家務に宜し。

照料樗材迷韵事,   樗材の韵事に迷うをも照料しょうりょうし,

傾聽拙句問詩題。   拙句を傾聴すれば詩題を問う。

          (中華新韻「十二斉」の押韻)

<解説>

「家務」:家事
「照料」:よく面倒をみる。
「樗材」:役に立たない人物、才能の者。
 私の妻は、娘と息子を大過なく育て,、娘は孫を生み、息子も父親になろうとしています。そして、あまり好きではない家事もそこそこにこなし、私の面倒もよく看てくれています。
 ですから、私には過ぎた良妻です。ただ、漢詩には造詣も興味もありません。私が作った詩を聴かせますと、それで何がいいたいのかと、よく問われます。

<感想>

 前作もそうですが、鮟鱇さんの奥さまへの思いは全く共感しますね。
 私の妻も、この漢詩サイトの運営については、労力の点では評価はしてくれていますが、ホームページの中身はほとんど読んではいません。
 私の二冊の本についても、管理はしてくれていますが、どうも「前書き」と「後書き」しか読んでいないんじゃないかな?と常々思っているのですが、突き詰めるのが恐いから追究はしていません。「○○さんがお父さんの本を読んで、分かりやすかったと誉めてくれたよ」と喜んでくれていますが、何となく、子どもの作文が誉められて喜ぶ母親のような感じです。

 でも、それだから安心して動き回れるような面もあるわけで、鮟鱇さんと同じく、「私には過ぎた良妻」だと思いますし、こんなことを書いても彼女には読まれないだろうという気楽さもあるんですよね。

2007. 4.24                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第99作は 鮟鱇 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-99

  聞厚勞大臣認爲女性是機械的妄言有感作一首詩        

文明進歩多房事,   文明 進歩すれば房事多く,

機械堪能生大臣。   機械 堪えて能く大臣を生む。

月下花前與誰過?   月下花前 誰とともに過ごさん?

權官迷戀偶人唇。   権官 迷い恋すは偶人の唇。

          (中華新韻「九文」の押韻)

<解説>

「房事」:セックス
「月下花前」:恋人たちが時を過ごす場所
「権官」:権力のある役人。
「偶人」:人形

 起承は対句にし起句では押韻していません。柳沢厚労大臣の失言に取材した作ですが、およそ失言などには縁遠いと思っていた人の、まさかの、あまりにもお粗末な失言であり、呆れてモノがいえません。
 拙作、そこで、大臣の言を素直に聞き、機械が子供を生む、という状況を考えて見ました。文明が進めばロボットができて、ロボットにも人間のように恋することができ、セックスができるようになる、そしたら、ロボットにも大臣を生むことができるようになるでしょう、そう考えて見ました。そしたら。。。というのが、私の思ったことです。女性を子供を生む機械とみなす発想は、裏返せば機械も人間を生めるということですので、この荒唐無稽になると私には思えます。
 そして、女性を機械と見ることができるならば、人形を人間と見ることもできてお付き合いができ、人間と機械とのみさかいが付かない恍惚の境地で、恋に陥ることもできるようになるでしょう。
 世の女性は、国のためには子供を生みません。愛する夫のため、また、自分のために子供を生むのです。少子化がいかに大きな社会問題であったとしても、女性は、国や社会のために、子供を生むことはないでしょう。そのあたりのことがきっちりとわかっていないと、子供はどうしても国のために必要な宝だなどと、履き違えが起こる、そして、世の女性が国のために子供を生まないなら、国のために子供を生む機械が必要だということが、潜在意識としていつの間にかはぐくまれる。あの失言の背景、深層の心理を、私なりにそのように推察する次第です。


<感想>

 これも鮟鱇さんらしいアイロニーに満ちた内容ですね。
 「分明進歩多房事」、これだけ思い切った簡潔な表現は他人には及ばないところです。
 未来SF的には、人工授精による試験管ベビーの広がりで女性は出産の苦しみから解放されるような社会がよく言われています。子孫を残すという目的を失って快楽を得ることが主目的になった時、「房事」は多くなるのか、それとも本能が不要を感じて性感覚は退化するのか。

 厚生労働大臣の「お粗末な失言」は、「お粗末な大臣」の多さで救われた感もありますが、鮟鱇さんのこの詩を読めば自分の言葉がここまで発展するのかと、失言の重さを認識するでしょうに。

2007. 4.24                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第100作は gao さんからの作品です。
 

作品番号 2007-100

  若耶渓        

扁舟一葉入耶渓   扁舟一葉 耶渓に入る

細雨蕭蕭草色萋   細雨蕭蕭 草色しげ

憶昔西施浣紗処   憶昔の西施 紗をあらふ処

暮天惟有鳥空啼   暮天 惟だ鳥の空しく啼く有るのみ

          (上平声「八斉」の押韻)

<感想>

 若耶渓については、王籍の「入若耶渓」が有名です。
特に「蝉噪林逾静 鳥鳴山更幽」の対句は古来から非常に愛されていて、我が国の芭蕉の名句「しずかさや岩にしみ入る蝉の声」につながる感覚ですね。
 この若耶渓を「耶渓」と呼ぶのは孟浩然の詩にも例がありますが、そのまま「扁舟一葉若耶渓」とされても良いと思います。

 若耶渓で、もう一つ忘れてはいけないのが、美女西施がこの若耶渓で紗(うすぎぬ)を浣ったという伝説があることです。その面は転句で描かれているのですが、雨を用いて西施を連想させる配慮は心憎いほどです。

 結句の「鳥空啼」は、先ほど引用した王籍の対句が働きますので、この句の裏側に「山更幽」が当然意識されることになりますね。

2007. 4.30                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第101作は 深渓 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-101

  書憂        

国会喧囂改憲争   国会 喧囂けんごう 改憲の争ひ

将来経世莫論兵   将来の経世 兵を論ずる莫れ

未忘悲惨廃墟事   未だ忘れず 悲惨 廃墟の事

不望干戈冀泰平   干戈を望まず 泰平を冀はん

          (下平声「八庚」の押韻)

<解説>

 防衛庁を省に昇格させ、復興支援と称して海外派遣を容易にし、場合によっては交戦もと発展し議論も囁かれる。今の為政者は戦争を知らない世代が多数を占めるようになった。

<感想>

 起句の「喧囂」は「騒がしい」ことを言います。

 アメリカではベトナム戦争を体験したかどうかで世代の差が出るようですが、日本では「戦前」と「戦後」、そして「バブル前」と「バブル後」という区分けが最近はされています。
 結句の思いは全世界、全人類の共通の願いだと私は信じていますが、現代では別のコンパスが働くのでしょうか。
 5月3日の「憲法記念日」をゴールデンウィークの中の一日とせず、改めて自分の心を確認する日にしたいと思っています。

2007. 4.30                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第102作は 深渓 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-102

  時事        

一陣黄砂共発源   一陣の黄砂 共に源を発し

逐風万里野禽翻   風を逐って 万里 野禽翻る

養鶏悪疫宮崎難   養鶏の悪疫 宮崎の難

東宰孤高政事繁   東宰 孤高 政事は繁し

          (上平声「十三元」の押韻)

<解説>

 宮崎県・東国原知事就任早々から県下の鳥インフルエンザの一撃を受け、対策に東奔西走の日々、孤立奮闘のさまをマスコミは報道する。
 初心を忘れず健闘を期待する。

 [語釈]
「悪疫」=鳥インフルエンザ。
「宮崎難」=宮崎県の災難。
「東宰」=東国原知事をいう。

<感想>

 時事という点では、この詩は3月上旬に頂いた詩ですので、掲載が遅れてタイミングがずれてしまいました。ご迷惑をお掛けしました。
 東国原知事は、その後も各方面で大活躍ですね。宮崎県と言えば・・・・「フェニックスハネムーン」と言ってたのはもう遠い記憶ですし、巨人軍の春季キャンプも最近は話題にもなりませんし、もはや知事がそのまま「宮崎県の大看板」という感じですね。
 マスコミの働きを十分に承知している知事ですから、今後も色々な話題を提供してくれると思います。石原東京都知事や田中前長野県知事とは違った形で、私たちに政治の現状を伝えてくれることを期待しています。

2007. 4.30                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第103作は 芳原 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-103

  春日偶詠        

風暖雪消蕪野萌   風暖かく雪消えて 蕪野萌えんとす

空林雀子間関鳴   空林の雀子 間関として鳴く

花開花謝惜花幾   花開き花謝す 花を惜しむこと幾度ならん

落日春晡朝且栄   落日春るる (明)朝まさに花の咲くなるべし

          (下平声「八庚」の押韻)

<解説>

 風が暖かくなるといつしか田畑の雪も消えて日に日に青みが甦る
 まだ枯木のような林の陽だまりには雀が群れて飛び回る
 やがて花が開きまた散るだろう 束の間、咲き誇る艶やかな花に見る営為の儚さ。
さあ、もう何度見たことだろう
 今日の春の日 夕日が遅々として山の端に沈もうとしている
明日はきっと今年の花が咲き始めるだろう

<感想>

 春の日をまさに迎えようという時の景を切り取ったような趣がありますね。

 転句の「花」の取り合わせに工夫がよく見られますが、それに対して、結句が言葉足らずの印象です。
 転句からの大意を読むならば、「これまで何度も花の散るのを見てきた。今年もまた春を迎えようとしている」となり、作者の気持ちとしては「栄」よりも「惜花」の方に心が動いていると思います。
 たとえ満開の花を見ても、その奥に翳りを見てしまう詩人の心を印象深くまとめるには、「朝且栄」では力不足でしょう。
 この下三字を推敲されると落ち着いた詩になると思います。

2007. 5.20                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第104作は 井古綆 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-104

  夢親        

寸草芊眠暉日伸   寸草 芊眠せんめんと日にかがやいて伸び

他郷毎顧故郷春   他郷毎におもふ 故郷の春

同成考妣旬年過   同に考妣と成り旬年が過ぐ

昨夢無端謁老親   昨夢 端無くも老親に謁す

          (上平声「十一真」の押韻)

「芊眠」=草木が成長するさま
「考妣」=亡くなった父母

<解説>

 先生今晩は いつもお世話になります。

 昨日来マスコミで、作詞家川内康範さんと、歌手森進一さんとの関係が話題になっていますが、拙詩「夢親」にも問題がないかと、先生にお教え願いたいと思います。
 私どもは作詩する際に、どうしても先人の詩句を借用する場合があり、嘗て私も「土井聱牙の結句を借用」として作詩したことがありました。
 今回も、かの有名な「細井平洲」の「夢親」の結句を借用して、一詩をつくったのがこの詩です。
 半年程前の作品ですが、これは盗用になるでしょうか。また詩を志す者として資格に欠けていますでしょうか。

 詩は一読してお分かりのように孟郊の詩を下敷きにしています。

 父母を亡くしてから3回以上夢を見ましたが、両親には一度も声をかけていただけません。
 結句は平洲先生の「昨夢高堂謁老親」をそのまま借用しようと思いましたが、「高堂」にこだわりを感じましたので、あえて「無端」としました。
 「高堂」は@立派な表ざしきA父母B他人の家の敬称、とあり平洲先生がどのような意味に使用されたかは知るよしもありませんが、鴻儒であり親孝行の人物と伝えられています。
 詩吟の先生にお尋ねしたところ、両親を敬っての意味で「高堂」としたのでは無いかとのことでした。

 多数の門人の手前どのような、お気持ちであったかと、非才の私が推測するのは不遜ではないかと思います。それゆえに「高堂」を「無端」に変えました。
 もし私が「昨夢高堂謁老親」としたならば、読者はどのように批評されるでしょうか。これもお教えください。

<感想>

 井古綆さんがご心配なさっている「盗用」の点では、何も問題はありません。また、漢詩では「典故」を重要な表現として見ていますので、「先人の詩句を借用」しても「資格に欠ける」ことは決してありません。
 著作権の観点でも、現在日本では著者の死後五十年が保護期間ですので、細井平洲の詩を何かの機会に引用しても、これも問題はありません。
 ただ、詩の全部あるいは一部を持ってきて、あたかも自分の詩であるかのように振る舞ったり(剽窃)、悪意をもっての借用(改竄)をしたりすれば、それは作詩としても、あるいは人としても品格を問われることになってくると思います。

 と言うのが私の考えですが、今回は鮟鱇さんに手助けをしていただきました。



 鮟鱇です。
 井古綆さんの「夢親」、拝読いたしました。
 「昨夢高堂謁老親」「高堂」「無端」とするのはどうか、という井古綆さんのご質問に、お前ならどう答えるかと鈴木先生からご質問がありましたので、感想を述べさせていただきます。

 先人の詩句を借用して作詩することは浅学の私にはできませんが、漢詩の作り方として立派に通用するものだと思います。
 そして、細井平洲の「夢親」を私は知りませんが、井古綆さんの「夢親」、私は一個の味わいのある作品だと読ませていただきました。

 そのうえで、「高堂」を「無端」に置き換えられたことについては、私には疑問があります。井古綆さんが「高堂」を「無端」とされたお気持ちは解説されれば理解できますが、解説がなければ、読者にはそこまではわからない、という範疇のものと思います。
 一個の読者として、もし細井平洲先生ご存命であれば、なぜわたしの句を「無端」に作り変えたのか、と思われるのではないでしょうか。「高堂」を「無端」とすることでよりよい詩になるのかと。
 細井平洲ならぬ一般の読者にも、井古綆さんの改作の意図はわかりにくいと思います。そこで、井古綆さんは、細井平洲の作に不満があってそのように直したのか、という勘ぐるだけのように思います。また、井古綆さんが「高堂」を「無端」とされた背景を知らずに読者が両句を比較すれば、景のある実辞の「高堂」は、景なき虚辞の「無端」よりも勝る、と見ると思います。

 また、井古綆さんご自身にしても、なぜ細井平洲の句を借用したのかが、改句によって、曖昧になったのではないでしょうか。細井平洲の作をよい作だと思う、だからこそ借用されたのではないのでしょうか。そうであれば、井古綆さんが解説されたような謙遜の情は、この際軽く見て、細井平洲の句をそっくりそのまま借りるべきだと思います。
 題に「夢親」とあり、結句が細井平洲の句とまったく同じであれば、井古綆さんが細井平洲の作を佳作だと思っており、その佳句を忘れがたく、わたしも同じ詩題で追随させていただいた、ということが、読者に純粋に伝わると思います。

 ここで、ついでに述べさせていただくのですが、「そっくりそのまま」ということは、著作権法上も重要なことです。著作権法上、他人の著作物の「引用」は許されており、原文の一部を、その部分についてそっくりそのまま抜き取る場合、それは「引用」であって著作権を侵害するものではない、とされています。ただし、意を汲んで翻案するのは許されず、そっくりそのまま引用することと、出典を明らかにすることが求められます。そうでない場合は、盗作とみなされ、著作権侵害とみなされるおそれがあります。
 著作権は、作品が商品として売られる場合、また、売ることで金銭を得ることができる可能性がある場合に問題となる一種の財産権です。著作権者が、自身の権利を侵害された、と訴えたときにはじめて問題になる権利です。
 何の権利かといえば、盗作された著作物が売られている場合、その盗作がなければ著作権者に入るべきお金だったはずだということがありますので、著作権者は、権利を侵害されたと主張できるのです。したがって、著作権は、実際上の話としては、作品が売り物になっているかどうか、売り物にできる可能性があるかどうかで論ぜられるべき問題です。ただし、その作品が傍目にはとても売れない、というシロモノでも、作者が売れると考えていれば、権利を主張できます。
 しかし、漢詩の場合は、お金になりません。

 また、著作権と大いに関連するものに「盗作」があります。ただし、「盗作」は、著作権が法律であり規範であるのに対し、倫理の問題であるように思えます。詩人にしろ、作家にしろ、自作を世に問うには自身のオリジナリティーを持って臨むべきだ、という芸術家魂めいたことへの暗黙の了解めいたものが現代にはあって、「盗作」が判明した場合には、筆を折るべきだ、というようなことがよく言われます。
 しかし、いささかアナーキーですが、良い言葉や句を自作のために盗んで何が悪いのか、ということがあります。「著作権」にしても「盗作」にしても、人類で共有すべき「佳作」がなぜ作者という個人のみに帰属し、その財産になるのでしょうか。言葉は個人のものではありません。その言葉の幸福な出会いである「佳句」を、なぜみんなが好きなように使ってはいけないのでしょうか。
 また、もっと大切な問題ですが、人は、どこから見てもオリジナリティーだけ、という作品しか、作ってはいけないのでしょうか。「著作権」を侵害してはダメ、「盗作」もダメ、だから「詩語辞典」を使うことも許されない、ということでやっていくと、詩を作るのが許されるのは職業詩人に限られ、一般の詩人は、筆を折ってもっぱら読者の身に甘んずべき、ということにならないでしょうか。
 いささか言葉足らずかも知れませんが、「著作権」にしても「盗作」にしても、作者の財産権に関連した規範であり、倫理であるように思えます。これに加えて、作者としての「名誉」という無形の財産権も考慮しなければならないかも知れませんが、要は職業詩人、職業作家の規範であり、倫理であるのではないでしょうか。

 私見ですが、漢詩の美風には、そういう規範や倫理に対し、反「著作権」的なところがあると思います。よい作品は、金銭抜きで、みんなで共有しようじゃないか、という思想があると思います。
 典故や、詩語辞典を用いること、古人の作を下敷きにすることには、佳作への崇敬があるわけで、「古人の作を下敷きに」は、その古人に應酬を願い出る、というような作者の気持ちが働いていると思います。それをやれ著作権だ、盗作だといえば野暮を極めると思います。
 ただ、典故や下敷きが原作者に対する悪意に満ちており、作者の名誉を傷つけるものであれば、あの世で古人に、私の作を台無しにされたと、苦情を言われるかも知れません。これは、詩人としては許されることであっても、一個の人間のすることとしては、好ましいことではない、と思います。

2007. 5.26                 by 鮟鱇


謝斧さんからも感想をいただきました。
 是非は別として、古人の借句の例は多くあります。
南城三餘先生の「漁礁問答詩」に李白の「山中問答」の全句を借りたものがあります。先生の自注に稗(はい)史に此の體ありとあります。
 「昨夢高堂謁老親」ですが、読者には「高堂」があるために(夢に故郷の家に至り)帰郷の年が深く感じられます。
 単なる措辞のなかにも作者の真意があるようにおもわれますが。

2007. 5.27                by 謝斧

破題甚佳矣 借東野謝慈親之厚愛 先生孝慈之情 真可知。
加卑見 惜結句脚不熟。 以「謁老親」、可換「見老親」亦有要一考乎。 (見 まみえる)

2007. 5.30                by 謝斧






















 2007年の投稿詩 第105作は 点水 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-105

  世代交替        

往年住宅略平房   往年の住宅 ほぼ平房

公寓威容現在望   公寓の威容 現在の望

家族構成還変貌   家族構成また変貌

傳來慣例自捐忘   伝来の慣例 自ずと捐忘

          (下平声「七陽」の押韻)

「平房」:平屋
「公寓」:アパート マンション

<解説>

 市街の景観も、住民も変わりゆく状態を思ってつくりました。

<感想>

 点水さんは大阪にお住まいですので、とりわけ都会の変貌が目に映ることでしょうね。
 私の住んでいる町も、駅前の再開発ということで昔からの商店街は軒並み移転し、しばらくは空襲の後の焼け跡のような荒涼とした空の広い風景でした。
 しかし、二年程前、近くに国際空港ができたこともあり、移住者が増えたのでしょう、あっという間に空き地に高いマンションが建設され、一変しました。
 仕事帰り、電車が駅に近づいた時に夕暮れの空に聳えるマンションがいくつも見えると、まるで別の町に来たような感覚になります。人が多くなった分だけ町に活気が戻ったのかと言うとそんなことはなく、外界から遮断された空間が幾つも存在しているわけで、殺伐とした雰囲気は以前のままのように感じます。
 いつの間にか自分が「異邦人」になってしまっている、そんな思いを抱いている方も日本各地に多くいらっしゃるのではないでしょうか。

 詩としては、前半で過去と現在を対比していますので、ここは対句で仕立てたいところです。
 転句の「還」は平仄の関係でこの字を持ってきたのだと思いますが、「めぐりめぐって、再び」というのが本来の意味ですので、ここではそぐわないでしょう。時代的にも「還」を「また」と用いるのは後代のようですので、別の言葉をお考えになった方が良いと思います。

2007. 5.26                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第106作は 禿羊 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-106

登江州霊山過焼炭窯址、想起三十余年前於此処与一焼炭翁談話、有感
 (江州霊山に登り焼炭の窯址を過る、
   三十余年前此処に於いて一焼炭翁と談話せしを想起し、感有り)

  焼炭翁 其一 

永日守窯焼炭翁   永日 窯を守る 焼炭の翁

煮茶迎客皺顔紅   茶を煮 客を迎へて 皺顔紅し

坐聴樵戸百年事   坐して聴く 樵戸 百年の事

適暖醺醺飛雪中   適に暖醺醺たり 飛雪の中

          (上平声「一東」の押韻)

「暖醺醺」:范成大の「冬日田園雑興」の「暖醺醺後困蒙蒙」より採りました。



作品番号 2007-107

  焼炭翁 其二        

辿来一径旧山陬   辿り来たる一径 旧山陬

雪裏残窯似壊丘   雪裏の残窯 壊丘に似たり

閉眼往時唯夢幻   眼を閉づれば 往時 唯夢幻

衰躬依杖暮烟逎   衰躬 杖に依れば 暮烟せま

          (下平声「十一尤」の押韻)

<感想>

 禿羊さんから二首いただきましたが、これはまとめてご覧いただいた方が良いと思いますので、同じ作品番号で掲載しました。

 「其一」は題注にあるように三十数年前の場面を思い起こしてのもの、「其二」は現在の場面が描かれているのですが、両者を対比して拝見すると、詩中の言葉に細かな配慮がされているのが分かります。
 「其一」では、「永日」「守窯」「迎客」「顔紅」「暖醺醺」と暖かな方向性を持つ語を用いているのに対し、「其二」では「旧山」「残窯」「壊丘」「衰躬」「暮烟」のように、損なわれ朽ちてゆくものを暗示させる言葉が使われています。
 こうした象徴性によって、時間の推移、作者の年齢の変化、そして作者の寂寥感を感じ取ることになります。そして、「其二」には全く気配すら見せない「焼炭翁」の面影、彼が語った「樵戸百年事」の特に「百年」が生きてきます。

 二首を併せることによって、「翁」と「作者」の人生が浮かび上がってくるように思われる作品ですね。

2007. 5.26                 by 桐山人


謝斧さんから感想をいただきました。
焼炭翁迎客頗温情深 先生之詩味如此 真可知。此編亦如例 好哉。可謂能学石湖矣。

2007. 5.27                by 謝斧






















 2007年の投稿詩 第108作は 謝斧 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-108

  詠李卓吾        

迎福寺西李贄墓   迎福寺西 李贄の墓

庭裏已無白楊樹   庭裏已に無し 白楊の樹

焦氏刻銘伝千載   焦氏銘を刻みて 千載に伝へ

日東志士長欽慕   日東志士 長へに欽慕す


夙学陽明覚精神   夙に陽明に学びては 精神を覺り

卻為異端不違仁   却って異端と為るも仁に違はず

麻城龍湖芝仏院   麻城竜湖の芝仏院

流寓客子寄此身   流寓客子 此の身を寄せん


狂狷夫子自削髮   狂狷の夫子 自ずから削髮し

非僧非儒奇風骨   僧に非ず 儒に非ず 風骨奇なり

藏焚二書人難解   蔵焚の二書 人解し難く

時論不可分賞罰   時論賞罰を分かつべからず


童心心初是眞心   童心は心の初めにして是れ真心なり

絶仮純真哲理深   絶仮純真にして哲理深し

效顰學歩遽失此   顰を效ひ歩を学びては 遽に此を失はんとし

矮人看戯古人箴   矮人看戯に古人箴む


安養生民社稷重   生民を安養して社稷を重んじ

惇厚清謹不足用   惇厚清謹は用ふるに足らず

強奬馮道李斯輩   強いて奬めん 馮道李斯の輩を

儒官顰眉無留訟   儒官眉を顰め 訟え留まるなし


左道惑衆事尤危   道を左へ衆を惑はし 事尤も危ふく

非聖無法世人欺   聖を非とし法を無みして世人を欺く

尚釀中夏衣冠禍   尚を釀す中夏衣冠の禍

老躯被劾獄牢羈   老躯劾せられて獄牢に羈がれる


強項狂儒不屈膝   強項の狂儒 膝を屈せず

憤慨空知事已畢   慨然自ずから知る 事已に畢はるを

獄裏自刎辞今生   獄裏自刎して 今生を辞し

賭将一死亦何述   一死を賭し将って 亦何をか述べんや



●李卓吾 李贄 字若しくは号は卓吾 陽明学者 
●庭裏已無白楊樹 埋葬時馬経綸が周辺に百余株の白楊の樹を植える墓碑は焦竡が書す
●異端 聖人の道でない別の学説 攻乎異端 斯害也已 
●風骨 すがた風采 
●流寓客子 句贅疣也 流寓なればその地に縛られるので客子とつづける
●狂狷 狂は、むやみに理想に走って実行がともなわない 狷は、悪いことをしないように意志堅固なこと 狂も狷も中庸に合わないが態度の方向が一定している 論語子路 子曰 不得中行而与之必也狂狷乎 
●藏焚二書 藏書と焚書 李卓吾の著作 
●賞罰毀誉褒貶 
●童心 童心とは仮とは無縁にして純粋に真なるもの(絶仮純真)最初一念の本心である(心初)観念的な理念にはしり人間の真情から遊離したところで道を求めてもそれは真の道ではない世間の情理のなかにこそ道の情理はある 心の本体は無善無悪 
●安養生民社稷重 
●矮人看戯 自分の見識を持たず 付和雷同すること  朱子語類 
●惇厚清謹不足用 人情が厚く深いてつつしみ深い士であっても国家緩急の時には必ずしも役には立たない 
●馮道 五代の人 字可道 四朝十人に仕える 宰相の地位にあること二十年に及ぶ 
●李斯 秦の丞相 始皇帝を助けて焚書抗儒により思想統一する 始皇帝死後趙高に欺かれ刑死する
●顰眉 憂えて楽しまない 眉にしわをよせる 
●左道 道をたがう 
●中夏衣冠禍 中華民族の道徳文明の禍 
●強項 首すじの意 性格が強くて正しく容易に頭を下げて下らない 後漢 楊震傳
●憤慨 いきどおりなげく


<感想>

 「最近は根気が無くなって長い詩が書けなくなった」と謝斧さんはおっしゃり、この詩は旧作だとのことです。

 語注に書かれたように、李卓吾は李贄りしと呼ばれた人物です。
 漢詩との関わりで見れば、清の時代の袁枚の「性霊説」、その前身である明の「公安派」に大きな思想的影響を与えたとされています。
 彼の人生は謝斧さんの詩で十分に描かれていますが、思想の根幹は「人間の最もすぐれた本性は『童心』にあり、何も飾らない純粋なもの」とし、その童心が知識や道理などによって失われてしまうこと(仮=偽善)に反発するもので、儒教的な教養主義や朱子学に対立するものでした。
 弾圧、迫害を受けて、晩年に獄中にて七十四歳で自殺をしたのですが、彼の思想は多くの人に影響を与えたものとなっています。日本の吉田松陰も彼の著書を読んで感激したと言われます。

 そうした背景を一気に詩にまとめ上げるのは、ある意味、ちからわざのような感じもありますが、一方、伝記紹介ではないわけで、彼の生き方への共感をどこで描くか、そこに謝斧さんのご苦労があったのではないでしょうか。

2007. 5.31                 by 桐山人


謝斧さんからお返事をいただきました。

 痛哉 不可衝痛処。
 僕、毎賦詠史長編而常苦此病、未能醫此病。難矣。
 願欲使我拙作為反面教師。

2007. 6.17                 by 謝斧























 2007年の投稿詩 第109作は 深渓 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-109

  題木蘭花     木蘭の花に題す   

彼岸隣墻発木蘭   彼岸 隣墻 木蘭発き、

年年再再賦詩難   年年 再再 詩に賦し難し。

一朝如夢花飛尽   一朝 夢の如き 花飛び尽き、

恰似浮生思万端   恰も浮生に似たりて 思ひ万端。

          (上平声「十四寒」の押韻)

<解説>

 彼岸の節になると隣家の垣根に白い清楚な木蘭の花が咲く、
 毎年再三、詩に賦さんとするも、一朝にして人生の儚い夢のように散ってしまう。

<感想>

 承句の「再再」「歳歳」をあえて替えたのでしょうか。
 「木蘭」は「蘭」に似ているところから「木蘭」と、あるいは「蓮」の花に似ているところから「木蓮」とも言われますが、春のあでやかな花ですね。

 毎年に咲く花に人の命を対応させるのは漢詩の常套手段ですが、ここではそれを結句で集約した形ですね。ただ、転句の「如」と結句の「似」で、どちらにも比喩を用いている点が、印象を散漫にさせています。転句の「如夢」を捨てて、事実だけを語るようにすればまとまると思います。

2007. 6.17                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第110作は 登龍 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-110

  看花出遊        

曳筇忘老逐江流   つえを曳き老いを忘れ江流を逐ふ

十里長堤解積憂   十里長堤 積憂を解く

明媚風光春若畫   明媚風光 春 畫の若く

吟詩傾酒看花遊   詩を吟じ 酒を傾け 看花の遊

          (下平声「十一尤」の押韻)

<解説>

 平凡ですが花見のそのままを詩にしました。
 良い詩を作りたいという心境になっていますがなかなか意の通りに進みません。

 [大意]
 起句 杖を曳き老いを忘れ川の流れを追う、
 承句 十里の長堤は積もる鬱憤を解く。
 轉句 艶やかな春の景色は画の如く、
 結句 詩を吟じ酒を傾け看花の遊。

<感想>

 前半に具体的な季節を示す言葉がありませんので、結局、春だと言うことが明確になるのは結句まで待たなくてはいけません。
 あえて書かないでおいて、最後に謎解きをするという趣向で考えれば、それも詩の作り方だと思います。ただ、その場合には効果を考えて、転句の「春」の字は避けるべきでしょうね。

 展開から考えると、転句結句を入れ替えた方が前半からのつながりも良く、花見の明るい解放感が表れると思います。

2007. 6.17                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第111作は 博生 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-111

  観桜        

淡紅長帯覆河塘   淡紅の長帯 河塘を覆ふ

花客連連楽艶妝   花客連連 艶妝を楽しむ

歌舞酒肴酣酔席   歌舞酒肴 酣酔の席

暫忘世事是天堂   暫く世事を忘る 是れ天堂

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

 花より団子の世相、益々募る。

<感想>

 起句の「淡紅長帯覆河塘」にある「帯」の比喩、山に咲く桜は「雲」「霞」などで例えられますが、川の堤に沿うて長く咲き並ぶ桜ですのでこの用法なのでしょう。

 承句の「楽艶妝」あたりから勢いが出てきますが、このあたりはもう、江戸時代の花見風景の趣ですね。
 結句の「天堂」「天上世界」「極楽」を意味しますから、まことに豪快、読むだけで心が酔い心地になって行きそうですね。

 「長」「忘」は冒韻になっています。

2007. 6.17                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第112作は 点水 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-112

  晩春        

櫻花散盡不留紅   櫻花散り尽くし 紅を留めず

垂柳搖搖新緑風   垂柳 揺揺 新緑の風

燕子帰来鶯語嗄   燕子 帰来 鶯語は嗄る

晩春早已欲迎終   晩春 早已に 終りを迎えんとす

          (上平声「一東」の押韻)

<解説>

 今年の春の天候は異常で、櫻花がどんなかと心配でしたが、けっこうよく花見もできました。もう、それも終りを迎えようとしています。

<感想>

 晩春の景を述べるのに、「櫻花」を出すのは、やや間が空きすぎて、季節が目の前を移りゆくという臨場感が薄れるような気がします。桜の花という点に重点を置かれたのかもしれませんが、ここは春の花全般を指すような「花花」が良いでしょう。

 前半の二句で描いた春と夏の対景を、転句では「燕子飛来」「鶯語嗄」の句中対で描いたわけですが、結句へのつながりもよく、変化も出ていて面白いと思いました。

 結句の「欲迎終」はまわりくどい感じがします。結論としては「早已終」だけでも良いところですので、一首全体の収束として、ちょっともたもたする印象です。

2007. 6.18                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第113作は 深渓 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-113

  時事狂句        

大臣水価異黎元   大臣の水の価は 黎元と異り、

検事教師何足論   検事 教師 何ぞ論ずるに足らん。

高位高官無恥辱   高位 高官 恥辱無し、

清貧老拙已忘言   清貧の老拙 已に言を忘る。

          (上平声「十三元」の押韻)

<解説>

 いつも懇切なご感想を賜り有難うございます。またまた老人のたわごとですが七絶に風流雅趣には程遠いのですが。一言。

 先月末、朝日の夕刊の素粒子より、大臣は何とか還元水、教授は補助金不正、検事はセクハラ、教官は売春などの果ては殺人、親殺しの記事に。戦後修身道徳教育の決如がなせるのではと、貧しくとも節操を守って生きてきた老人はあきれ果てて言う言葉もわすれた。と。

<感想>

 五月に送っていただいた詩ですが、掲載が遅れてすみません。
 現職大臣の自殺というとんでもない事件も、既に遠いニュースのような印象になってしまいました。全てが「何とか還元水」のように流れてしまうようで、そもそもがそうした世相に大きな問題があるような気がしてなりません。

 転句の「恥辱」はここでは「辱」が合わないでしょうから、「廉潔」を「挟み平」で持ってきたらどうでしょうか。

 清貧を旨として生きてこられた先輩方に申し訳ないような世の中になっていますが、あきらめず、一歩ずつでも改善するところからやり直して行かなくてはどうにもならないと思っています。
 深渓さんのお言葉のようなお叱りが、現代にはますます必要だと思います。

2007. 6.19                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第114作は 知秀 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-114

  魁春旅九重 其一       

鶴見山峰至午晴   鶴見山峰 午晴に至る

五千尺上愛吟行   五千尺上 吟行を愛す

霧氷万樹花耶雪   霧氷の万樹 花か雪か

峡谷早鶯放一声   峡谷の早鶯一声を放つ

          (下平声「八庚」の押韻)

<感想>

 早春の九州に旅をなさった折の詩をいただきました。

 鶴見山は別府の西方、湯布岳の東にある山ですね。九重町の「ホームページ」をインターネットで見ましたが、次の作品にも登場する「夢の大吊橋」などが紹介されていました。
 春まだ浅き頃ですと、山にはまだ雪が残っているのでしょうね。転句の「霧氷万樹花那雪」が知秀さんの感激をよく伝えていると思います。良い句ですね。

 結句は「鶯」が「四字目の孤平」になっていますので、「新鶯」に直されると良いでしょう。

2007. 6.19                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第115作も 知秀 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-115

  魁春旅九重 其二        

九重山脈中   九重山脈中

此架大天橋   此に架す大天橋

幽谷一千尺   幽谷 一千尺

渓流幾百条   渓流 幾百条

凍空声寂寂   凍空 声寂々

氷瀑響蕭蕭   氷瀑 響蕭々

村落春猶浅   村落 春猶浅く

清明花信遥   清明 花信遥かなり

          (下平声「二蕭」の押韻)

<感想>

 こちらは先の詩で紹介しました「夢の大吊橋」を中心に描かれたものですね。こちらもインターネットでご覧になりたい方は「夢の大吊橋」の「公式ホームページ」をどうぞ。
 標高は777メートル、高さは173メートル(日本一)、長さが390メートル(日本一)とのことですが、写真を見るととても景観の良い所ですね。ただ、私は若干高所恐怖症がありますので、とても歩けないかもしれませんが。

 第一句の「九重山脈」は地名ですが、幾重にも重なって見える山々を連想させ、とても効果的な使い方になっていますね。固有名詞の用い方のお手本のような句ですが、「中」が平仄外れなのが残念です。
 律詩は初めてとのことですが、イメージのよく伝わる内容になっていると思います。言葉の対応としては、四句目の「渓流」「清流」とされると良いでしょう。
 頸聯は「凍空」「氷瀑」は対応が悪い気がします。また、「声」「響」も同じものですので、落ち着きすぎるでしょう。

 尾聯は早春の趣を伝え、心に残る句になっていますね。

2007. 6.19                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第116作は 有人 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-116

  逍遥城陽官衙遺跡        

君欣遺跡麗花中   君のよろこびし遺跡 麗花の中

紅白梅香盛満宮   紅白の梅香 盛満の宮

問子華園有天否   に問ふ 華園 天に有りや否や

水温小鳥囀春空   水ぬるみ 小鳥 春空にさえず

          (上平声「一東」の押韻)

<解説>

 投稿が遅くなりましたが、妻が亡くなって間もない2月に作ったものです。

 君が喜んで共に散歩した城陽官衙遺跡が、きれいな花に囲まれている。
 紅白の梅の香が大きな建物一帯に満ち溢れている。
 貴方に尋ねますが、華一杯咲いた花園が天国にありますか?
 こちらでは、水も温かくなり、小鳥が楽しく囀っている春です。

<感想>

 有人さんから二首いただきました。前作の「2007-94 面影」の作品と同じく、亡くなられた奥様に語りかけるような思いが感じられる詩ですね。
 その呼びかけですが、起句の「君」は奥様のことだとして、転句の「子」はどう理解すると良いのか、考えていました。
 いろいろとまとめると、次の三通りくらいが考えられるでしょう。

   @「子」は相手を敬っての言葉で、この場合には「君」と同じく「亡き妻」への呼びかけ
   A一般的な呼びかけで、特定の誰かということではなく、「皆さん」くらいの意味合い
   B生きていた頃の妻を「君」と呼び、この世ならぬ天上世界の妻を「子」と呼んだ

 あまり根拠はないのですが、私は個人的にはBが納得できますが、皆さんはいかがでしょうか。

 「有」「在」の方が良いでしょうね。

2007. 6.20                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第117作は 有人 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-117

  爽風囁        

流星一閃遺吾悲   流星 一閃 吾に悲しみをのこ

感幸爽風君囁詞   幸せを感ず 爽風は君 囁きのことば

雨止光輝天橋美   雨止み 光り輝く 天橋の美

亙之語愛楽優姿   之をわたり 愛を語りて 優しき姿を楽しまん 

          (上平声「四支」の押韻)

<解説>

 流れ星がきらめいて落ちていくのを見ると、何となく悲しみを感じる。
 爽やかな風に包まれると幸せを感じ、君の囁きのように思える。
 雨が止み、虹が光り輝いて美しい。
 私はこの虹を渡り、貴方と愛を語り合って、貴方の優しい姿をいつまでも楽しんでいたい。

<感想>

 こちらの詩は、とても美しい場面を描き、若々しい愛情が感じられるようです。ただ、承句に示された「悲」の字が、全体に沈んだ調子を形作り、後半の華やかさが逆に切ない想いをかき立てるように思います。

 「遺」は、「のこす」の意味では平声、「おくる」の時は仄声となります。ここは平声の用法ですから、起句は「下三平」となっています。
 同じく、転句の「橋」も、一般的には平声となります。
 平仄面ではこの二点だけ見直しておいてください。

 「流星一閃」によって、悲しみに沈む現実世界から切断され、自らの心の奥に入り込んでいこうとする作者の気持ちがとてもよく伝わります。

2007. 6.20                 by 桐山人



有人さんから、推敲作を送っていただきました。

 鈴木先生を始め、同好の方々のご指導と激励により、精神的にも立ち直り、前向きに生きていこうと思っています。
ありがとうございました。

 「爽風囁」を次のように改めました。

  流星一閃誘愁思   流星 一閃 愁思を誘ふ
  知幸爽風君囁詞   幸せを知る 爽風は君の囁きの詞
  雨止光輝雅橋美   雨止んで光り輝く雅橋の美
  亙之語愛楽優姿   之を亙り 愛を語り 優き姿を楽しまん

 色々ご指導有難うございました。
最近あまり中国の詩人の勉強をしていませんでしたので、この勉強にも努力したいと思います。
今後のご指導をお願いいたします。

2007. 8. 2             by 有人


有人さんの推敲作を読まれて、井古綆さんから依韻の詩を送っていただきました。

 有人さん、こんにちは。  今月11日が旧暦の七夕ですので、その日にちなんで詩想をまとめました。

   依韻 悼亡 贈有人雅兄 

  今夜霊前念往時   今夜霊前往時を念ふ
  悼亡如夢耐猶悲   悼亡夢の如く猶悲しみに耐えたり
  鵲橋偶合非郎耳   鵲橋に偶合するは郎のみに非ず
  此使孤翁俟儷姿   此に孤翁をして儷姿を俟たせしむ

「偶合」=本来は偶然に出会うだが、偶にはつれあいの意があるので使用した。
「儷」=つれあい。

2007. 8.11             by 井古綆






















 2007年の投稿詩 第118作はつくば市 緑花 さん、十八歳の大学生の男性からの作品です。
 

作品番号 2007-118

  看建礼門院徳子之愛硯於六波羅蜜寺  
         建礼門院徳子の愛硯を六波羅蜜寺に看る   

邸閣唯遺一寺院   邸閣唯だ遺す 一寺院

香壇享祀弔平門   香壇 享祀して平門を弔ふ

髣看群去金鞍将   髣として看る 群去する金鞍将

惨送西覊車甲団   惨として送る 西覊する車甲団

海頸呑人聞凱歓   海頸 人を呑みて凱歓を聞き

孤姫写経悉哀嘆   孤姫 経を写して哀嘆を悉す

千年悲泣満一硯   千年の悲泣 一硯に満つ

願臥天蓮勿滞瀾   願はくは天蓮に臥して瀾に滞ること勿れ

          (上平声「十四寒」の押韻)

<解説>

 昨夏京都を訪れて着想したものです。六波羅蜜寺の宝物が収めてあるところ(同じ場所に教科書によく載っている僧形の平清盛像がある)でその硯を目にしたとき、息を呑みました。
 丸い硯で、梅の枝が浮き彫りとなって実際突き出ているものです。信じがたいほど精密な造りで、「建礼門院徳子様ご愛用の硯」とありました。
 蛇足ながら付け加えると、彼女は一族ことごとくがあるいは海に沈み、あるいは戦場に散り、あるいは首をはねられた最後の生き残りです。

 なんだか、彼女が手ずから磨った、黒々とした墨が硯にたたえられているというイメージが強烈に頭に喚起されたのでした。

<感想>

 投稿いただいた後、年齢が十八歳ということでしたので、私の方から「どのように漢詩の勉強をされましたか」と質問をさせていただきました。
 いただいたお答えは、

 創作歴は高校一年生からの3年間です。勉強と言えるほどの勉強をしたことはありません。
 唐詩の有名なものを通り一遍通読したほか、文法の勉強は漢文で使った参考書でしただけです。
 倒置とか何とか詩作のきまりは文章や詩を読む中でしました。そういえば叢書で『漢詩の作り方』というのが図書室にあって、読んでみたことはあります。
 ちなみに桐山堂の韻字表はいまだに手放せません・・・。
 平仄の点では、後で書かせていただくように、修正しなくてはいけないところはありますが、硯を見て「黒々とした墨がたたえられている」とイメージする感覚は斬新で強烈なものですね。それを表した「千年悲泣満一硯」の句も、スケールが大きく、鬼気迫る趣があります。
 やはり、若い人の感性というところでしょうか。ただ、下に書きましたが、平仄に乱れがあるのが残念です。

 頸聯での「海頸呑人聞凱歓」は、「海頸」は「海峡」のことですので、壇ノ浦の戦いを描かれたのでしょうか。「聞凱歓」の主語は平家方になりますので、源氏があげる凱歌を聞いたということでしょうが、「聞」ではやや客観的過ぎるでしょう。感情を含めた言葉にしたいところです。

 形式の点で修正が必要なのは次の箇所です。
@押韻  七言の律詩ですので、第一句も押韻が必ず置きましょう。逆に、第五句は押韻してはいけません。
    第二句の「門」は「上平声十三元」ですから韻目違いです。

A平仄  第一句の下三仄については、末字に韻字を置けば解決するでしょう。
    第七句は六字目を平字にしなくてはいけません。

2007. 6.22                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第119作は サラリーマン金太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-119

  京都東山八坂~社夏祭        

祗園囃子賑京華   祇園囃子 京華に賑ひ

絢爛山車集闘奢   絢爛たる山車さんしゃ集ふてしゃを闘はす

老幼古來崇信篤   老幼古来 崇信篤く

~輿渡御驅汚邪   神輿渡御 汚邪おじゃを駆る

          (下平声「六麻」の押韻)

<解説>

 平成18年8月13日、宵宵宮でにぎわう京都市を訪ねた。
 昼間は古刹を廻り、夜はかねて念願であった鴨川の料亭がしつらえた納涼席(桟敷)で美酒を傾け、京洛の夏祭りを堪能した。

 諸兄には国訓等ご指摘あらんと思いますが、日本独自の文化・習俗・歴史等を漢詩で表現するにはやむをえない詩題もあると思います。私はそのような信念で今後とも日本文化を漢詩で綴ってまいります。

<感想>

 サラリーマン金太郎さんから、「昨年の十月頃に何首か送りましたが、届いているのですか」とお尋ねがありました。私の受信記録には全く残っていませんでしたので、改めて送っていただいた次第です。
 通信の関係かセキュリティの関係か、どうも最近不具合が多いようです。ご迷惑をおかけしました。

 京都の夏祭りを描いて情景としては過不足のない詩ですが、句としては、承句にやや不満が残ります。
 下三字に動詞が二つ入っていることが理由でしょうが、「絢爛山車集」とここまでを一息にどうしても読んでしまい、七言句のリズムである「四+三」が崩れてしまいます。
 意図的にリズムを崩すつもりならば仕方ありませんが、あまり働いている字ではない「集」を捨てれば防げることですので、下三字を再考することをお勧めします。

 読み下しについては、起句の「賑京華」「京華を賑はす」とした方が主語が明確になります。
 承句の「集」はよく間違われますが、「集ふて」ではなく、「集ひて」もしくは「集うて」と書かなくてはいけません。
 古典文法の勉強になってしまいますので、面倒だという方は結論だけ読んでも結構です。

 「集」を訓読みした時、古典文法では「ハ行四段活用」となりますので、「集ふ」という表記は間違いではありません。「集はズ」(未然形)・「集ひタリ」(連用形)・「集ふ。」(終止形)・「集ふトキ」(連体形)・「集へドモ」(已然形)・「集へ」(命令形)と活用します。
 また、「て」という接続助詞は連用形を受けることになっていますので(「読みテ」「書きテ」「学びテ」など)、ここは本来は「集ひて」となるところです。
 それが音便化したものですので、正しくは「集うて」(ウ音便と言います)と表記します。
 同じ様な例として、「思ひて」「思うて」「買ひて」「買うて」(これが大阪弁の「こうて」になります)、「酔ひて」「酔うて」などがよく使われるものですね。
 音便には「ウ音便」の他に「イ音便」「撥音便」「促音便」がありますが、漢詩に直接関係することではありませんので、説明は次の機会としましょう。


2007. 6.22                 by 桐山人



井古綆さんから感想をいただきました。
 玉作「京都東山八坂神社夏祭」を拝見しました。
 全体としての詩意は充分に詠じてあると思いました。
 承句は鈴木先生のご指摘のように、下三字がすこしまずいように見えますのは、「豪奢」という熟語を使用しないためであると思います。
 これを起句に使用すれば解決しますが、全体の詩意の一貫性も考えねばなりません。再考をお勧めいたします。

 転句「老幼古来」は意味がずれるように感じます。試みに「盛祭千年」などは如何でしょうか。

 サラリーマン金太郎さんの主張されます、日本独特の文化。風俗。歴史等を漢詩の中に取り入れることには、わたくしも全く同感いたします。
 玉作の題名は全ては和語で、五山の送り火を「五山燎火」とすれば漢詩には良くとも、日本文化の風情が失われると思います。わが国はかつて漢字を享受して以来、千余年のうちにそれぞれの道を歩んできました。戦後、昭和二、三十年代で しょうか、中国とわが国が漢字を統一しょうという、議論があったと聞きますが物別れになったのは、いまさら統一ができなくなっているためと、認識しています。

2007. 6.23                by 井古綆






















 2007年の投稿詩 第120作は 井古綆 さんからの作品です。
 有人さんの「2007-94 面影」に対しての次韻の作品です。

作品番号 2007-120

  次韻玉作「面影」 寄 有人雅兄        

人生茫漠涙潸然   人生茫漠 涙潸然

忖度芳逑作麗仙   忖度す 芳逑の麗仙と作るを

小晏吟兄瞻筆致   小晏す 吟兄の筆致を瞻れば

傷心堆裡玉詩鮮   傷心堆裡玉詩鮮やかなり

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 有人さん、初めまして。
 玉作を拝見いたしました。

年老いて奥様に先立たれたお気持ちが、纏綿と伝わってくる作品であると思います。拝見いたしますれば、城陽市にお住まいとか、同じく関西に住んでいる者として、何か親しみを感じます。
 奥様を亡くされた傷心が、鈴木先生のこのホームページで癒されますように、お祈りいたします。
僭越ですが、その一助になればと蕪詩一首を賦しました。
ともに学んでゆきましょう。

「芳逑」=よきつれあい
「瞻」=瞻仰

2007. 6.22                 by 井古綆