2006年の投稿詩 第121作は 揚田苔菴 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-121

  寒江垂釣        

垂釣江潭寒意生   江潭に釣を垂るれば 寒意生じ

雪餘皓皓一望平   雪余 皓皓 一望平らかなり

誰知清濁當今水   誰か知らん 清濁 当今の水

緬想王孫獨醒情   緬想す 王孫 独り醒むるの情

          (下平声「八庚」の押韻)

<感想>

 詩題がすでに一つの世界を描いている中で、どれだけ独自の景観を詠み込めるかが工夫のところですね。

 「王孫」の語によって、楚辞の「王孫游びて帰らず 春草生じて萋萋たり」が思い浮かびます。そこから導かれる「すでに時が過ぎてしまった」というイメージを「緬想:遠くの人をはるかに思いやる」の語が更に強めていますね。
 「清濁・・水」の語からは、屈原の「漁夫辞」も連想させられ、「実」から「虚」への展開も鮮やかな、広がりのある詩だと思います。

2006. 8.12                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第122作は 柴田和子 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-122

  憶 菊        

蒼風颯颯再傲遊   蒼風 颯々 再び傲遊し

戯海尋山已晩秋   海に戯れ 山を尋ねて 已に晩秋

夜雨滂沱案籬菊   夜雨 滂沱たり 籬菊を案じ

忽然憂患到眉頭   忽然 憂患の眉頭に到るあり

          (下平声「十一尤」の押韻)

<感想>

 この詩は、柴田さんが遠く(海外でしょうか)に旅に出られたということでしょうか。前半の軽やかな言葉からはそんな印象を受けますね。結句では一転しての「憂患」ですが、「忽然」が使われていますから、前半の浮き浮き感との照合は問題有りませんね。つまり、「憂患」は突然訪れたわけで、それまでは何も無かったわけです。
 ただ、承句末に「晩秋」の語が注意深く入れられていますので、ここが作者の心を配ったところかもしれませんね。

 「憂患」の原因は転句に示された「夜雨」であり、とりわけ雨に濡れる菊を想うこととなります。何故菊が「憂患」につながるのかが分かりにくいのですが、現実的な解釈をするならば、庭の菊を日頃から愛情を持って見ていらっしゃったということでしょうか。

 この菊の役割についての解釈に幅がある分だけ、「憂患」も何に対してのものなのか考えさせられ、象徴性に富んだ詩でもありますね。
 起句は「傲」が仄声です。他の言葉を初めはお考えになっていたのではないですか。

2006. 8.12                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第123作は 兼山 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-123

  寄原爆日     原爆の日に寄す   

下簾瞑目世塵忘   下簾 瞑目 世塵忘る

六十餘年夢一場   六十 餘年 夢一場

可嘆人間千載過   嘆ずべし 人間 千載の過

嗚呼原爆萬民亡   嗚呼 原爆 萬民亡ぶ

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

 第六十一回目の原爆の日の所感です。

「反核」、「核禁止」などの言葉が、空しく聞こえるのは何故だろう?
 現実に核を保有している大国が、弱小国の核の保有、或いは開発を一方的に非難する身勝手な行動には、論理的にも無理があります。
 原爆の実質的な生みの親であるオッペンハイマー博士は、後年、原爆製造に関与した自己の過ちを反省し、反核の平和運動に転じました。
ヒロシマとナガサキと、核兵器の被害を直接に体験した日本には、もっと真剣にアッピールせねばならない責任があります。

漢詩創作のテーマとして取り上げた次第です。

<感想>

 日頃から持続的に「核」や「平和」の問題を話し合うことは少ないのですが、今年は色々な場面でかなり具体的に話題になることが多いように思います。それだけ危険が増しているということでしょうか。

 かつて土屋竹雨氏の『原爆行』を読んだ時に、漢詩の表現力に改めて感動しました。

  :
阿鼻叫喚動天地  阿鼻叫喚 天地を動かし
陌頭血流屍横陳  陌頭血流れて 屍は横陳す
殉難殞命非戦士  難に殉じ 命をとすは 戦士に非ず
被害総是無辜民  害を被るは総て是れ 無辜の民   :
 漢詩や漢語だからこそ伝わる表現があり、それを私たちは使えなくなって久しい気がします。

 今年は原爆を題材として取り上げた詩を三人の方からいただきました。それぞれの方の思いを読み取っていただければと思います。

2006. 8.12                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第124作は 知秀 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-124

  片足鳥居        

閃光一瞬碧雲間   閃光一瞬 碧雲の間

原爆焚風跬脚刪   原爆の焚風 跬脚ききゃくけず

静立平衡坡上路   静かに立つ 平衡坡上はじょうの路

不言示現彼秋艱   不言 示現じげんす 彼のときの艱

          (上平声「十五刪」の押韻)

<解説>

 原爆に隻脚となりし大鳥居時空を越えて語るその惨

<感想>

 知秀さんからは、短歌を添えて送っていただきました。
 原爆が投下されたという悲惨な事実は、当事者の皆さんの心の中に残ったものと、そして残された資料や遺物によって、後代に伝えられていかねばなりません。知秀さんが描かれた「片足鳥居」も、言葉は出さないながらも、六十年前の惨禍を見つめつつ、今も静かに立つ姿は、まさに「示現」として、菩薩のように感じられますね。

2006. 8.12                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第125作は 某生 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-125

  古今戎馬無時息        

此日斯時白日迎   此の日 斯の時 白日に迎ふ

向西默祷宛蝉聲   西に向かつて默祷すれば蝉聲宛たり

頻聞戎馬絶圖鳳   頻りに戎馬を聞くも圖鳳は絶ゆ

萬骨毫非爲國生   萬骨は毫も國の爲に生じたるに非ず

          (下平声「八庚」の押韻)

<解説>

 今年も、殘暑の日差しの中、この日(8月6日)を迎えました。

 私は戰爭というものを經驗したことのない世代ですが、かつて直接、或いは間接に伺った、當時を生きられた方々の體驗を思い、「過ちて改めざる」過ちを犯してはならぬという思いを新たにしました。
 落着いて考えれば平和憲法に抵觸することも明らかな法案、荒唐無稽なナショナリズムの勃興と相俟った、牽強附會の宗ヘ施設の説、――私はこれこそ所謂「平和呆け」だと思っているのですが――このような議論紛々たる昨今、新米の有權者の一人として、戰慄を禁じ得ません。

<感想>

 三首目は、若者のお気持ちということで読ませていただきました。
 8月6日は例年、天気も良く暑い日になります。陽射しの眩しさと喧しい蝉の声、六十年前も同じ朝だったことを思うと、一層、私たちは悲しい思いを募らせます。
 アジアの隣国からの反発が過剰で、だから緊張が続くのだと言う人もいますが、私は日本人の戦争についての無知(を装う人もいます)、それゆえの「無恥」、これが現在の「議論紛々」のおおもとだと思っています。

 若い世代のしっかりとしたお考えを見させていただき、ふと安心したのも事実です。

2006. 8.12                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第126作は 一人土也 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-126

  日中対話 其一        

電視超千里,   電視 千里を超え、

支那学子臻。   支那の学子臻る。

須臾相会話,   須臾 相会話すれば、

両者似朋親。   両者 朋に似て親し。

          (上平声「十一真」の押韻)

<解説>

  テレビの画面には千里を超えて、
  中国の学生が現れた。
  しばらく互いに会話すれば、
  両者は友達のように親しくなった。

 僕の通っている学校は有志活動が盛んです。この詩はそんな活動のひとつです。
もともと高3の人が「反日デモについて考える」という有志活動をしていて、それが発展して中国大連の大学生とコミュニケーションをとることになりました。
 僕はそれに参加してパソコン通信で直接話したりしました。とても面白い経験でした。また来年もできたらやりたいです。

(話した人たちは日本語を勉強している人達だったので、漢詩を知っている人はいませんでした。
 大学の先生に聞くと、漢詩を勉強している人たちもいるそうです。)






















 2006年の投稿詩 第127作は 一人土也 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-127

  日中対話 其二       

傲骨神州曲,   傲骨の神州曲がり、

嗔心禹域荒。   嗔心の禹域荒れる。

祭高名将相,   高名を祭る将相、

知不断魂長。   知るや不なや 断魂の長きを

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

  「神の国」を名乗った国は曲がって生意気になり
  中国は荒らされて怒りに震えた。
  高名を祭る大臣は、
  魂を断つほどの悲しみ、苦しみが今でも続いている事を知っているのだろうか。

 中国の学生との話し合いのために日本と中国の歴史をいろいろ調べていたのですが、
「やっぱり靖国神社参拝問題が一つのキーポイントだろう」
 という声をよく聞きました。
 日本、中国双方にまぁいろいろな意見があるから、こうであるって決めることはできないと思うけど、
ぼくはなぜ敢えて風波をたてるようなことをするんだろうなーという気がしました。

<感想>

 この二編の詩は、題名は同じでも、随分内容が異なります。人とつながること、体験を重ねることで視野が広がるということの表れでしょうか。

 土也さんは、「前に送った『日中対話』の続きのつもりだったのですが、全然違ったものになってしまいました。」と添えてこられたのですが、土也さんの着実な歩みが感じられるようで、この二編を並べて掲載させてもらいました。

 終戦の日を前に、原爆のことや靖国参拝のこと、異なる年代の方の詩を読みながら考えてみたいと思いました。

2006. 8.12                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第128作は 井古綆 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-128

  時事有感        

恩讐得失即今空   恩讐得失即今空し

人類一家兄弟同   人類は一家兄弟と同じ

勿鬩塵涓忘水没   塵涓を鬩ぎて水没を忘るる勿れ

遥超叡智極氷融   遥か叡智を超えて極氷が融けるゾ

          (上平声「一東」の押韻)

<解説>

 地球温暖化現象が杞憂であることを祈りたいです。

<感想>

 今年の夏の異常高温や集中豪雨なども、原因は温暖化にあると言われ、改めて地球環境の悪化を思った方もいらっしゃるのではないでしょうか。

 「喉元過ぎれば熱さを忘れる」のが日本人の特徴、危機感も反省もすぐに薄れてしまうからには、時に応じて、こうした詩を読むこともよいでしょうね。
 内容が深刻で重いわけですので、使う言葉をできるだけ軽くしたのが前半でしょう。対になる字の組み合わせでリズムも良くしていますね。
 転句の「塵涓」「塵としずく(のように小さなもの)」ということで、「鬩(せめぐ)」も合わせれば、「小さなことばかり、チマチマやっている」という人間への批判でしょう。
 ただ、「勿」が句全体にかかるようですが、なかなかそうは読めません。「四・三」のリズムがありますから上の四字で一区切りして、「塵涓を鬩ぐ勿れ 水没を忘れよ」となると、意味がわかりませんね。「勿」に二つの動詞をつなぐことが苦しいのでしょう。
 最後の「極氷融」の危機感を強調することで考えても、転句で禁止命令の表現をすることが効果的かどうか、私は「争鬩塵涓忘水没」(塵涓を争鬩して水没を忘る)と、事実として表すのが良いように思います。


2006. 8.14                 by 桐山人



井古綆さんからお返事をいただいています。
 転句、御指摘のように私も「闘鬩塵涓忘水没」も考えました。しかしインパクトが無いように思い「勿」を挿入しました。
 七言の下三字に否定字を入れることは難しく、先賢の詩を色々と考え、有名な南洲の「不為児孫買美田」亦、田邊碧堂の「万里長城」の転句「不上長城看落日」の詩風を真似ました。

 それ以外にも「闘鬩塵涓無忘却」として起承転句の疑問を一気に結句に以っていくことも考えたのですが、読者には理解が困難と考え拙詩と成りました。
 以上が作詩の経緯ですが、詩は読者の為にあるもので、鈴木先生の批評は万人に優ると感謝しています。

 今後とも御高批をよろしくお願いいたします。

2006. 8.29                   by 井古綆





















 2006年の投稿詩 第129作は 柳田 周 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-129

  郷信        

桜花欲発尚盈梅   桜花発かんと欲して尚梅盈つ

寒異例年春漸来   寒きこと例年に異なりしが春漸く来る

旧友二三尋短信   旧友二三短信もて尋ぬ

帰山何日共觴杯   帰山何れの日ぞ觴杯を共にせんと

          (上平声「十灰」の押韻)

<感想>

 杜甫の「絶句」の後半、「今春看又過(今春 みすみす又過ぐ) 何日是帰年(何れの日か 是れ帰年ならん)」にも見られますが、春の訪れは故郷を思い出すきっかけとなるようです。
 「毎年きちんと春は巡ってくるのに、自分は故郷に帰れない」とか、「百花が咲き誇り、華やかで明るい春が来たのに、自分の身も心も寂しく萎れたままだ」という嘆きは、春と自分との対比から生まれてくるのでしょう。
 柳田さんのこの詩の場合は、故郷のお友達の方が招いて下さっているのですが、そうですね、出て行った友を故郷に残っている人が春と共に思い出すこともあるわけですね。
 漢詩では、あと「月」でしょうね。

 承句の「漸」は漢文では「しだいに、だんだん」の意味で用いますので、ここも「寒さは例年と異なって、春は少しずつ訪れる」と解釈します。
 となると、読み下しのように「異なりし春漸く来る」と逆接に読むのはおかしいでしょうから、「が」は削除して順接にしておきましょう。

 転句の「二三」「少しの」という意味合いですが、それは単に人数のことではなく、故郷を離れてから長い月日が経ったことを暗示している言葉ですね。
 古くからの友人からの手紙は心を温めてくれるもの、最近はメールがほとんどになりましたけれど、そのぬくもりは変わらないと私は思っています。

2006. 8.14                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第130作は 仲泉 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-130

  城址逍遥        

城池散策興無窮   城池散策 興窮まり無し

戦跡魂飛返照紅   戦跡魂は飛ぶ 返照紅なり

夢破英雄幽室下   夢破れし英雄 幽室の下

誰思苔蘚寂寥中   誰か思はん 苔鮮 寂寥の中

          (上平声「一東」の押韻)

<解説>

 [訳]
  城跡を散策していると、昔のことが思い出されて興味がわいてくる。   城跡には夕日が差し込んで、武士の魂が飛び交っているようだ。   夢破れた英雄はこの地下に眠っている。   誰が苔むす荒涼とした寂しさの中で何を思うのであろうか。

<感想>

 各地に残る城跡を巡りますと、それぞれに特色があり、その土地の方々がお城に対してどんな思いを持っていらっしゃるのかがよく分かります。
 仲泉さんの今回の詩も具体的な地名がありませんから、特定の城址ではなく、あちらこちらと回られた感想ということでしょうね。

 起句の「興」は平仄で意味の異なる字、「おもしろみ」という意味で仄声として使われています。
 この「興」を受けたのが承句ですが、ここは自然描写に揃えておいた方が良かったですね。「戦跡魂飛」は実景ではないわけで、「興」そのものではなく、「興」から誘発された心の中の景です。例えば、「鳥飛」でも「蝶飛」でも、何か実際の生き物を入れれば、この句が一気に実景の句と変わることが分かると思います。

 この詩では、後半に作者の気持ちが強く出ていますから、前半は景物、後半は心情という展開が落ち着くのではないでしょうか。

 結句は、仲泉さんが[訳]とされたようには読みませんでした。この場合の疑問詞は「誰」ですので、「幽室の下の英雄」が「誰」とは思えません。世間一般の人々の中で「一体誰が苔蘚寂寥中に眠っている人のことを思うだろうか(いや、誰もいない)」ということで、かつての英雄を思い出す人も今ではいなくなったという時の流れを嘆いている句として考えるのが自然でしょう。
 中泉さんの訳されたようにするならば、「誰」「何」にすべきでしょう。そうすれば、また違った感懐の詩になると思います。

2006. 8.14                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第131作は 柳田 周 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-131

  謝歓待        

早春一夜友三名   早春の一夜 友三名

小宴愉愉到二更   小宴愉愉として二更に到る

甘酒旨鮭方玩味   甘酒旨鮭 方に玩味すれば

如何多謝主人情   如何にか多謝せん主人の情に

          (下平声「八庚」の押韻)

<感想>

 こちらの詩は前作(129作)の続編ということでしょうか、故郷でのお友達との宴かもしれませんね。

 「鮭」は、日本語用法では「シャケ」のことですが、漢文では「ケイ」と読んで「フグ」(上平声八斉)、「カイ」と読んで「調理した魚菜」(上平声九佳)となります。ここは勿論、用意されたご馳走のことですね。

 「如何」も補足しておきましょう。
 同じ字を用いた「何如」と区別が必要で、「如何」「どうするか(手段・方法を問う)」のに対し、「何如」「どのようであるか(状態を問う)」という違いがあります。手段・方法を問う「如何」は多くの場合は「いかんせん」「いかんす」と読み、状態の「何如」は「いかん」と読みます。
 さらに、@「如何」は目的語を二字の間に挟む、A「奈何」「若何」とも書く、この二点も覚えておくと、「四面楚歌」の故事で、項羽が虞美人に最後に贈った詩の結び、「虞兮虞兮奈若何」「虞や虞や なんじ奈何いかんせん」と読み、解釈することができますね。

 前半の「一」「三」「二」の数詞の並び方も工夫が出ているところでしょう、単純に「一二三」と進まないところに、時の流れを惜しむ心情が表れていると見るのは、やや穿ちすぎでしょうかね。

2006. 8.15                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第132作は 一人土也 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-132

  於授業        

往時惆悵戦争多,   往時 惆悵たる戦争多く、

万地荒涼唱挽歌。   万地 荒涼 挽歌を唱ふ。

今者日東朝鮮背,   今者 日東 朝鮮背くも、

此捐深恨欲平和。   此に深恨を捐て 平和を欲さん。

          (下平声「五歌」の押韻)

<解説>

  その昔痛ましい戦争が多く、
  たくさんの地が荒れ果て、死者を弔ったという。
  今日、日本は朝鮮が互いに背を向けているが、
  ここに深い恨みを捨て平和になりたいなー。


 この前授業で近代の日本と朝鮮を取り上げていたので詩にしてみました。
 朝鮮を強制的に併合したという歴史問題が残り、今の日本の著名人には在日朝鮮人が多いと言う事などを学びました。
 「ご先祖さんのやったことじゃないか、関係ないや」とは言い切れないということが自分なりに分かったと思います。
「近くて遠い朝鮮半島」というテーマで学んできたのですが、まさにその通りだなーと思いました。

<感想>

 一人土也さんの「日中対話」を先日読んでいただきましたが、土也さんが中学校でどんなことを学んでいらっしゃるのか、その一部分が窺われる詩ですね。

 解説に書かれているように、「『関係ないや』とは言い切れないということが自分なりに分かった」というのは、とても大切なことです。私たちは時間的にも空間的にも限りのある中で人生を送るわけですから、当然、自分が体験していないこと、直接関わっていないことがいっぱいあります。
 しかし、先祖がやったことだから、別の地域の人がやったことだから、立場の違う人がやったことだから、「関係ないや」と知らん顔をしていられるのか、と言えば、私は違うと思います。それは法律的な責任の問題ではなく、人間としての感性の問題だと思います。

 自分が体験していなくても、他人の痛みを推し量ることができること。その痛みに対して多少なりとも自分が関わりがあるなら、当然、その痛みを招いてしまった責任の意識も必要です。その責任をごまかそうとしているなら(たとえ意識的ではないにしても)、自分を恥じる良心が求められます。
 社会や歴史などを学ぶことは、単に知識を身につけるだけではないのです。この詩を通しての例で言えば、「他者への思いやり」「責任感」「良心」が自ずから育っていくのだと思います。

 「国語でも数学でも、学校の勉強が何の役に立つのか?」とよく文句を言う人がいますが、人が人として育つための勉強をしていると理解すれば、教科書の見え方が全く変わってくるでしょう。

 話題が少しずれましたが、土也さんの結句の言葉を終戦の日の今日、改めて胸に入れたいと思いました。

2006. 8.15                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第133作は サラリーマン金太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-133

  山内土佐守一豊        

疾然驅馬戦場周   疾然馬を驅って戦場を周(めぐ)り

扶助名君十有秋   名君を扶助す十有秋

建議開城驚内府   開城を建議して内府を驚かし

海南一國作藩侯   海南一國藩侯と作(な)る

          (下平声「十一尤」の押韻)

<解説>

 ご存知!今年2006年の大河ドラマからの作詩。内助の功により名馬を購入し、数多の戦場を疾風のごとく駆け巡った一豊。
 下積みの艱難辛苦、主君秀吉の傘下で10有余年を過ごした。
 時は移り天下人秀吉は没し、次期政権を賭けた関が原の合戦直前の小山会議(栃木県)で、豊臣恩顧の諸大名居並ぶ中、一豊は家康に対して拠城・掛川城(静岡県)の無血開城を建議した。東海道には家康への布石として、秀吉が子飼いの諸大名をあえて配していたにもかかわらず、さっさと家康にくれてやったのだ。家康は大いに驚嘆した。
 この軍議の発言は値千金!大戦ではさほどの武功のなかった一豊に対して家康は土佐24万石の太守に抜擢し、その功に報いた。

「名君」‥豊太閤秀吉
「内府」‥内大臣家康

<感想>

 ドラマの進行も佳境に入ってきたようですね。
 名の知られた山内一豊という人物の一生を語るに、どんなことを書けば良いのかということで悩まれたのではないでしょうか。
 内助の功による駿馬で戦に馳せたこと、秀吉に長年仕えたこと、家康とのやりとり、土佐の藩主、書くことは沢山あったのでしょうが、それを四句でまとめ上げた筆力はすごいと思います。
 ただ、その分総花的になり、一つ一つのできごと(一句)がガイドブックの記述のようになり、結局山内一豊の一番の売りは何なのか、という点ではぼやけてしまったかもしれません。
 ありふれた例を出すならば、一豊本人に「あなたの人生を表すのに、どの句が一番好きか」と質問したら、どう答えるだろうか。そこから考えていくと、一豊の人生への目、作者の金太郎さんの人生への目が浮き上がってきて、詩としての面白さが更に増すように思います。

2006. 8.15                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第134作は サラリーマン金太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-134

  和気清麻呂        

皇家承継本搖難   皇家の承継は本より搖(うご)かし難く

道鏡果能茲戴冠   道鏡果たして能(よ)しや茲(ここ)に冠を戴くは

神託不容逢謫徙   神託容(ゆる)さず、謫徙(たくし)に逢うも

赦原得後政情安   赦原得て後、政情安らぐ

          (上平声「十四寒」の押韻)

<解説>

 皇位は神武天皇以来、皇緒(こうちょ)が立てられてきた。これは天皇家の家法を越えて、国是であり、時の天皇、称徳女帝の意向とても枉げることはかなわない。
 そこで父聖武天皇の崇敬厚かった宇佐神宮(大分県)に勅使として和気清麻呂を下向させ、道鏡即位の神託を得ようということになった。
 果たして神託は「天日嗣(あまつひつぎ)=王位継承の法則は古来より定まっている,臣を君にすることはこれまでにない,無道の人(道鏡)はさっさと追い出すべき。」であった(769)。
 これを真正直に伝えた和気清麻呂は、その名も汚麻呂(きたなまろ)と改変させられた上、流罪。
 そうこうしているうちに,称徳天皇が没し,後ろ盾を失った道鏡は,元の僧に戻されて,下総(栃木県)に流される(770)。
 御世が変わり、赦免された清麻呂は再び朝廷に重用され、政情は安定、皇統の危機を脱した。

「茲戴冠」‥称徳から皇位を継承すること。

【解説】
●和気清麻呂=奈良・平安初期の律令官人。
 備前国藤野郡(現岡山県和気町)の生まれ。
 恵美押勝の乱に功をたて、称徳天皇の信任を得たが、「道鏡事件」で道鏡の陰謀を阻止したため、「別部穢麻呂」と改名され大隅国(現鹿児島)に流された。なお、光仁天皇の即位とともに赦された。
 清麻呂は庶務に練達、古事に明るく「民部省例」20巻「和氏譜」を作成している。また、土木技術に才があり、平安遷都にも造宮大夫として力を尽くした。さらに故郷備前の国でも郡民の負担軽減や飢饉救済のために多くの業績を残している。
 姉は広虫(法均尼)。

●怪僧道鏡・道鏡事件(宇佐八幡宮神託事件)=奈良時代、わが国開闢以来の國禁を犯して、自ら天皇即位の野心を抱いた怪僧。太政大臣禅師に次いで法王位に昇り、政界に権勢をふるったが、称徳天皇の死後失脚し、造下野国薬師寺別当に左遷されその地で没した
 孝謙天皇は重祚【ちようそ】して称徳天皇(第48代天皇【在位764〜770】)となり道鏡を重用し、専制を許した。女帝の寵愛を受けた僧・道鏡が、宇佐八幡宮の託宣(神がお告げをすること)だとして皇位につこうとした。
 これに対し、宇佐に派遣された和気清麻呂が769年に逆の託宣を得て、自らは左遷されながらも、道鏡の野望を砕いた。
 皇室が皇位継承について「男系男子」にこだわり続けてきたのも、「この道鏡事件の再発を防ぐ意味もあった。継承の原則をなるべく簡潔なものとし資格者をしぼる。そのことで天皇を利用しようという外からのうごめきを封じる。そういう知恵だった」との見解もある(05年11月27日付『産経新聞』より、一部改変)。

 現在皇室典範の改正論議が盛んである。
 小泉首相は紀子様のご懐妊により今国会の提出を断念したが、いずれ避けては通れない課題ではある。国論が二分するなか、後世に禍根を残さない慎重な議論が望まれる。

<感想>

 これも皆さん、よくご存知の歴史的事件を題材にされたものですね。
 悪僧道鏡による「宇佐八幡宮神託事件」は、忠臣である和気清麻呂によって防がれたわけですが、どうなんでしょう、私などは最近の世相に毒されてしまったのでしょうか、道鏡の悪役振りなどはかわいらしい程度だと思ってしまいます。
 もっとあくどい連中がうじゃうじゃいただろうに、というのは現代と比べてしまうからでしょうかね。

 この詩では、結句が物足りない感じですね。詩題が「宇佐八幡宮神託事件」となっていれば、まだ納得できますが、和気清麻呂が主題ですので、もう少し彼の姿に迫るものが欲しいところです。客観的な記述で終わってしまうと、読者はどこに感動を置けばよいのか、放り出されたような気がします。和気清麻呂の心情を作者はどう考えているのか、そこに踏み込む必要があると思います。

 あと、産経新聞の解説は内容の重複などもありましたので、私の方で適宜削りましたので、ご了解ください。

2006. 8.15                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第135作は中国、上海の 蔵山子 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-135

  無題        

常思深夢里   常に思ふ 深き夢のうち

江南煙雨長   江南 煙雨長し

欲将心思寄   将に心思の寄らんとし

与君共琴觴   君と琴觴を共にするを欲す

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

 こんにちは、
何年前に、「蔵山子」というペンネームで投書したことがありまして、また、投書いたします。

 近年、ある女の子と付き合ういろいろなことから、漢詩を何篇作りましたが、その女の子は過去式になったとともに、作った漢詩も読者もない状況になってしまいました。
 今日の通勤途中、「さあ、桐山堂に投書したらどう?」という考えに襲われました(笑)。ですから、今度の投書になりました。

 2004年2月14日、その女の子への薔薇の束に、この詩が書いてるメモ紙が隠されてあります。告白の詩とも言えるかもしれません。その前に、誤解とか、青春の不経験とかのため、連絡もないままの長い期間があり、偶然に再会しました。それから、友達以上の関係で、話し合って、一緒に遊んでいました。
 僕は、中国北の地方の出身で、その女の子は、江南地方の上海市周辺出身ですから、「常思深夢里、江南煙雨長」と始めました。いつでも、深い夢の中に、江南の細雨の風景を見えるという意味です。
「欲将心思寄、与君共琴觴」、そして、(この薔薇の束に)、僕の考えを寄って、君とともに、琴もひいたり、さかずきもつかんだりしたいんです。

 韻脚、平仄などを覚えるのに苦手です。作った詩も厳密に平仄に守ることはできないんですが、自分の感じを乗せて、ぺらぺら読める詩を作ることにがんばっております。
 これから、日本語にも漢詩にもいろいろお願いいたします。

<感想>

 お久しぶりですね。以前にいただいた詩は2004年に「偶作」でしたね。
 前回の時は「大学生」ということでしたが、今回の解説を拝見すると、「通勤途中」ということで、もう卒業をなさったんですね。

 若々しい情熱に、私などはちょっと照れてしまいそうです。(^_^;)
 起句は相手の女性の気持ちを読まれたようですね。しかし、後半が「私」の心情ですので、ここも読者としては「私」が夢の中で江南の景色を思いだしているのかなと感じます。前半は「君」、後半は「私」と主語を転換するのは構いませんが、それが分かるような記述が欲しいですね。「思」も、転句で重出しますので、ここは「懐」とした方がよいですね。

 転句は意味が分かりにくいですね。「心の思いを寄せたい(託したい)と願う」ということでしょうか。「欲」「将」の役割で悩みましたので、ここでは「欲」を後半全体を受ける形にしました。
 結句は、現代風に言えば、「一緒にお酒を飲んだり、音楽を楽しんだり」ということでしょうが、「与」「共」がかぶっているようですので、「与君楽琴觴」で通じるでしょうね。

 「過去式になった」ということは、蔵山子さんとしては残念な結果になったのでしょう。「江南煙雨」を眺めるのは辛いかもしれませんね。

 読み下し文は、読者のために私の方で添えさせていただきましたので、作者の思いとずれる点があるかもしれませんが、ご了承ください。

2006. 8.20                 by 桐山人