[4月の推薦漢詩(清明)]

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  臨安春雨初霽      臨安、春雨初めて霽(は)る   陸游

世味年来薄似紗   世味 年来 薄きこと紗に似たり

誰令騎馬客京華   誰か馬に騎りて京華(けいか)に客たらしめし

小楼一夜聴春雨   小楼 一夜 春雨を聴き

深巷明朝売杏花   深巷 明朝 杏花を売る

矮紙斜行閑作草   矮紙 斜行 閑(のど)かに草を作り

晴窓細乳戯分茶   晴窓 細乳 戯れに茶を分かつ

素衣莫起風塵嘆   素衣 起こす莫かれ 風塵の嘆き

猶及清明可到家   猶ほ清明に及んで家に到るべし

              (下平声 六麻)

<通釈と解説>
 清明節の頃を詠った詩は好きな作品が多く、あれもこれもと迷いましたが、南宋の陸游の詩を選びました。

世の中への興味などこの数年すっかり薄くなったのに、
誰のせいでまた都に来ることになったのか。
昨夜は一晩中、小さな宿屋で春雨の音に聴き入っていたが、
今朝は朝から、奥の路地で杏の花売りの声を聞く。
手近な紙を取っては、気ままに草書を書いてみたり、
明るい窓に向かっては、気楽に抹茶をたてもする。
白い上着が都の砂埃に汚れるのを嘆くことはない。
清明節が来るまでには故郷に帰ってしまうつもりだから。

 対句で名高い陸游ですので、今回は訳にも気をつけてみましたが、どうでしょうか。
 陸游六十二歳の時の作。「世味年来薄似紗」と世俗への興味は薄くなったと言いながらも、彼の最後の詩『示児』を読むと、強い愛国心、憂国の情は死ぬまで強かったことが分かります。となると、首聯は語句の意味通りには理解できず、逆説や自嘲、絶望の気持ちと考えた方が良さそうですね。
 頷聯・頸聯はきれいな対句になっていて、特に有名な部分です。
 生涯に作った詩が二万首とも三万首とも言われ、「愛国詩人」とも「田園詩人」とも言われる陸游の特徴をよく表す詩だと思います。






















[4月の推薦漢詩(穀雨)]

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  送呂卿      呂卿を送る  高啓

遠汀斜日思悠悠   遠汀 斜日 思ひ悠悠

花払離觴柳払舟   花は離觴を払ひ 柳は舟を払ふ

江北江南芳草遍   江北 江南 芳草遍し

送君併得送春愁   君を送りて併せて得たり 送春の愁ひ

              (下平声 十一尤)

<通釈と解説>
 晩春の切ない思いを詠いこんだ詩として、二度目の登場ですが、明の高啓、字は青邱子の「呂卿を送る」を選びました。

はるかな渚、沈みゆく夕日、友を送る私の心はどこまでもあてどない
はらはらと花は別れの盃に散りかかり、柳の枝は舟を撫でる
江の北も南も一面、芳しい草が生い茂っている
あなたを送りつつ、この春が過ぎゆく悲しみも胸に満ちる

 三月の「お薦め漢詩」で高啓の『尋胡隠君』を出しましたら、落塵さんから、大学の詩吟部の頃の思い出の詩でとても懐かしいと、お手紙を頂きました。漢詩に限らず、「思い出の○○」というのは誰でもいくつかは持っているものですが、普段はなかなか思い出しませんよね。ふと出会えた時に、その頃の自分の心までひっくるめて全部思い出してしまう、まるで記憶の扉を開ける鍵のような感じですが、懐かしく、切なく、幸せなものですね。
 この詩は、視野が初めから終わりまで広く、特に起句の「思悠悠」は、自分の心の置き所さえも見失うような、過ぎゆく春の頼りなさを表していて、すばらしいと思います。

 病院に入っている間に、いつの間にか春も終わりになってしまいました。うかうかして夏を過ごさないように、しっかりと体調を戻したいと思っています。























[5月の推薦漢詩(立夏)]

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  漁夫辞         屈原

屈原曰、          屈原曰く、

挙世皆濁、我独清。   世を挙げて皆濁り、我独り清めり。

衆人皆酔、我独醒。   衆人皆酔ひ、我独り醒めたり。

是以見放。         是を以て放たれたりと。



寧赴湘流          寧(むし)ろ湘流に赴きて

葬於江魚之腹中、     江魚の腹中に葬らるとも、

安能以皓皓之白      安(いずく)んぞ皎皎の白きを以て

而蒙世俗之塵埃乎。   世俗の塵埃を蒙らんや。

              

<通釈と解説>
 立夏というより、五月五日の端午の節句にちなんで、屈原の関係の作品を選びました。
 屈原は、中国戦国時代の末、楚の国の貴族の家に生まれました。讒言によって政界から追放され、洞庭湖のほとりをさまよい、やがて絶望の果てに汨羅の淵に身を投げて死にました。その日が五月五日と言われ、人々が水中の屈原の魂に食物を捧げたことが、現在の「端午の節句の粽(ちまき)」の起こりだそうです。

 引用したのは、屈原の作と一応言われていますが、放浪中の屈原と、隠者風の漁夫との対話で構成されている『魚父辞』から、屈原の言葉を抜き出しました。
 屈原の潔癖な信条が窺える所です。

  屈原が言った、
世の中は全て(金や地位に)心を濁らせておるが、
     おれ一人だけが清らかだ。
人々は皆(金や地位に)酔ったように夢中であるが、
     おれ一人だけが醒めている。
こんな理由(わけ)で放逐されてしまったのだ。

いっそこの湘水の流れに身を投げて
川の魚の餌食になったとしても(かまわない)、
どうして純白のこの身を
     世俗の塵や埃にまみれさせ得ようか。

 この『魚父辞』は教科書にもよく載せられていて、授業でも何度か読みました。
 生徒達はいつも、この屈原と漁父のやりとりを面白く感じているようです。最後にいつも、それぞれの生き方についての感想を聞きますが、屈原の「私だけが清らかだ」という潔癖さに反感を抱く生徒もいます。
 私自身は、この文章を読む度に、「自分自身にとっての恥ずかしくない生き方」とか、「やせ我慢の美しさ」なんてのを感じて、つい屈原にエールを贈ってしまうのですが・・・・。























[5月の推薦漢詩(小満)]

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  初夏即事        王安石

石梁茅屋有彎碕   石梁 茅屋 彎碕有り

流水濺濺度両陂   流水濺濺として両陂を度(わた)

晴日暖風生麦気   晴日暖風 麦気を生じ

緑陰幽草勝花時   緑陰幽草 花時に勝る

              (上平声四支)

<通釈と解説>
 街路に育つ柳の枝がいつの間にか長く垂れて、すっかり初夏ですね。
 鬼才と言われた中唐の李賀の『新夏歌』という詩に、
「天濃地濃柳梳掃」(天も地も、こまやかにこまやかに柳の枝が掃き浄めている)という句がありましたが、まさにその通りの季節です。
 初夏の爽やかな風を感じられるような詩として、今回は王安石の詩を選びました。

石の橋げた、茅ぶき小屋、くねくね曲がった岸の上、
流れる水はさらさらと、土手の間を抜けていく。
透明な陽射しの下、穏やかな風は麦穂の香りを運び、
新緑の木陰にかそけき草、(まったくこれは)春の花盛りに勝る風情だよ。

 初夏の景物を取りそろえ、水の音から麦の香りまで、視覚・聴覚・嗅覚の全ての感覚を揺さぶられる詩です。
 自分がその場に立っている場面を想像すると、めまいがするような官能的な趣があり、最後の「勝花時」という理屈っぽさによってフッと救われるような、読む度にそんな思いがします。
 現実的な政治家の心と、こうした詩人としての感性と、ふたつながらを併せ持っているところに、ただ脱帽ですね。























[6月の推薦漢詩(芒種)]

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  夏意        蘇舜欽

別院深深夏簟清   別院 深深 夏簟清(すず)

石榴開遍透簾明   石榴 開くこと遍く 簾を透して明らかなり

樹陰満地日当午   樹陰 地に満ちて 日は午に当たる

夢覚流鶯時一声   夢覚むれば 流鶯 時に一声

              (下平声 八庚)

<通釈と解説>
 日中は思わぬ暑さに汗ばんだりすることもありますが、それでもまだ日陰などは随分と涼しく、過ごしやすい季節ですね。
 今回のお薦め漢詩は、北宋の蘇舜欽の『夏意』です。蘇舜欽と言えば、「春陰垂野草青青」で始まる『淮中晩泊犢頭』の春の絶句が有名ですが、夏の詩も読んでいただきましょう。

離れの中庭の奥深く、夏ゴザに寝転がればひんやり涼しく、
ザクロの花は咲き揃って、簾越しにそこだけが明るく見える。
木立の影は庭一面に広がって、太陽は丁度真上だ。
昼寝の夢からふと覚めれば、折しも枝を渡る鶯の一声。

 夏の暑さの中、木陰の昼寝の気持良さは最高の贅沢ですね。
 この詩も、『淮中晩泊犢頭』も、時を一秒一秒切り取ったような、そんな細やかな自然描写がなされていて、作者はとても繊細な人だろう、という気がします。
 しかしながら、この蘇舜欽、名門の出で、進士にも及第して官僚として活躍していた人なのですが、三十七歳の時に失脚してしまいます。その理由が、役所の古紙を売って、その金で芸者を呼んで宴会を開いていたからだそうですから、豪快というか、思慮足らずというか、どう見ても「繊細」とは縁遠い人柄のようです。
 そういうアンバランスが、また、人間の魅力でもありますよね。























[6月の推薦漢詩(夏至)]

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    江村            杜甫

清江一曲抱村流   清江一曲 村を抱いて流る

長夏江村事事幽   長夏江村 事事幽なり

自去自来梁上燕   自から去り自から来たり 梁上の燕

相親相近水中鴎   相親しみ相近づく 水中の鴎

老妻画紙為棊局   老妻は紙に画きて棊局を為り

稚子敲針作釣鉤   稚子は針を敲きて釣鉤を作る

多病所須唯薬物   多病 須(ま)つ所は唯だ薬物

微躯此外更何求   微躯 此の外に更に何をか求めん

              (下平声 十一尤)

<通釈と解説>
 今年はカラ梅雨だと言われ始めた途端に、天気図に雨降りマークが多くなってきました。
 雨の詩にするのか、夏の陽射しの詩にするのか、悩まされましたが、「雨上がり」の詩で(?、ホントかな)夏至を迎えましょう。

きれいな川は大きくうねって村を抱きかかえるように流れている
長い夏の一日、川辺の村は全てのものが静かに落ち着いている
梁の上に巣を作る燕は勝手気ままに出入りをして
川の中を泳いでいる鴎は私に慣れて近寄ってくる
年老いた妻は紙に線を引いて碁盤を作っているし
幼い子どもは縫い針を叩いてつり針を作っている
この病気がちの私に必要なものは、それは薬だけである
取るに足りない私ごときには、この他に何が要るだろうか

 杜甫の詩はどうしても重い印象がして、読む前に気合いを入れないといけないような気がするんですね。人生についてじっくり考えたい日もあれば、そうでない日も同じくらいありますから、そんな日はつい杜甫から逃げてしまう私です。
 でも、中に時折、こうした穏やかな生活を感じさせる詩があり、ホッとすることもあります。
 この詩は、杜甫が四十八歳から五十一歳までの三年間、成都郊外の草堂で暮らしていた時の詩です。
 川の流れから燕や鴎まで、静かで平和な村の様子がまず目に浮かびます。そして、妻や子供という家族も、ここでは本当にのどかに暮らしています。杜甫自身も、多病とは言いつつも「更に何をか求めん」と満足感がにじみ出ています。
 何かうれしいですよね、杜甫が幸せそうだ、と聞くだけでも。

 ということで、今回は随分私の偏見が入ったかもしれませんね。杜甫ファンの方、ごめんなさい。私も杜甫は大好きですけど・・・・