「中学校で『漢詩を創ろう』を実践しました」・・主彩さん(2009. 2.17)

 中学校の先生をなさっておられる主彩さんが、平成20年度の国語の授業で、生徒さん達に漢詩創作を指導されました。
その授業実践の記録と生徒さん達の作品集です。

 ○「授業実践の記録(PDFファイルです)
 ○「生徒作品集

 投稿詩「附中体育祭(2008-294)」もご覧下さい。

なお、主彩さんから掲載に対してのお手紙をいただきましたので、ご紹介します。投稿詩の感想欄にも同じ文面を載せてあります。

 鈴木先生、このたびは子どもたちの作品を掲載してくださり、誠にありがとうございます。
 子どもたちに紹介したところ、大変喜んでいました。これを機会に、子どもたちが、よりいっそう漢詩への興味を深めてくれることと期待したいと思います。

 また、常春さんと井古綆さんの感想も、とてもありがたく感じています。お二方とも、わたしのつたない実践を、そこまで評価してくださったこと、とても恐縮してしまいます。もちろん、子どもたちは、もっている力を十分に発揮して漢詩を創りましたので、私からも本当にほめてあげたいと思っています。常春さんと井古綆さんには、よろしくお伝えください。ありがとうございました。

 今回の「漢詩を創ろう」の授業は、漢詩を創ることを目的にしようと思ったのではなく(漢詩を創作されている方々にはとても失礼なことなのかもしれませんが)、子どもたちが、漢字一文字一文字にもともとある奥の深さであるとか、そこに込められる思いの深さであるとか、そういったものを感じることで、漢詩の魅力に少しでも迫ることができたらいいと思って行いました。また、漢詩を創ることができるようになること(そこまではいかなくても、漢詩のような形式で、自分の思いを表現すること)で、自分の思いを表現する方法が、ひとつ増えて、表現力が豊かになることも、ねらいの一つにしました。

 私の創った漢詩も含めて、ホームページに掲載していただいたり、諸先生方にコメントをいただいたりするのもおこがましいくらいのものですので、本当に感謝しております。あくまでも授業の実践の一つなので、これを見てくださった学校教育に携わっている方がいて、その方に、自分も実践してみようと思っていただけたら、こんなにありがたいことはありません。そんなことを少しだけ期待しています。

 これからも子どもたちとともに漢詩の世界を味わっていきたいと思っております。

2009. 2.23                 by 主彩







































「駿府の地で漢詩の花」・・常春さん(2009. 2.18)

 主彩さん、
「中学生の授業で『漢詩を創ろう』」を嬉しく拝見しました。
 素晴しいこと。

 小生、漢詩教室の先生にお願いして、時間を割いていただき、生徒仲間に、6回各1時間の手ほどきをしてみました。
附中中学生の おじいさん、おばあさんの世代ですが、みなさん詩吟歴は10年以上の方々、老眼鏡で辞書と格闘しながらの勉強でした。

 作品は次の通りです。

    「駿府雅集

 これからも毎月の勉強会を重ねるつもりです。
駿府の空に、地元の漢詩が響くことを楽しみにしています。







































「京劇に凝ってます」・・ニャースさん(2009. 2.22)



 ニャースです。
 相変わらず 大連に駐在しています。

 サイト十周年ですか?すごいの一言ですね。
私もこのサイトがなければ、自分の仕事以外の過ごし方は大きく変化していたと思います。

 残念ながらこのサイトがこちらから見れないのです。
漢詩も書き溜めているのですが、それで投稿していません。

 最近は京劇に凝っていて、観劇、役者さんとの交流など中国生活ならではの生活を送っています。  先生もお体にお気をつけてお過ごしください。

 京劇愛好者で『大連麒麟会』というサークルを開いていらっしゃるそうで、サークル紹介のビラをいただきました。
ニャースさんの近況がよくわかりますので、掲載の許可をいただきました。
ご覧下さい。

大連麒麟会(大連京劇院を応援する仲間の集まりです)







































「絶句の作り方」・・井古綆さん(2009. 9.10)

 多くの方々は鈴木先生の著書を始めその他の書物で絶句の作り方は習得されていることでしょうが、それ以前に重要なことがあります。人間は如何なる賢人であっても最初から達人は存在いたしません。
 是を赤ちゃんに例えれば、最初の言語は両親から真似て学びます。作詩を志す者には多くの先賢の詩が師となります。

 私は、多くの書を読んでいませんが、心に響く詩を自分の『師』として参りました。
 中国の詩であれば、晩唐の「汪遵」作『長城』がサビが効いていて、詩意を効かす時にこの詩意を学んでいます。

    長城     汪遵作
  秦築長城比鐵牢   秦 長城を築いて 鉄牢に比す
  蕃戎不敢逼臨洮   蕃戎(ばんじゅう)敢へて 臨洮(りんとう)に逼らず
  焉知萬里連雲勢   焉んぞ知らん万里 連雲の勢ひ
  不及尭階三尺高   及ばず尭階 三尺の高きに

「蕃戎」: ここでは匈奴
「臨洮」: 万里の長城の西の起点

 この詩意は圧政で名を馳せた「始皇帝」が雲に接するような長城を築いたことと、善政を敷いた「尭帝」の宮殿の三尺(比喩)の高さを比べた詩意は素晴らしく、転句に反語を用い、結句に用いた『三尺』が強調されています。
 拙詩をご覧頂いたならば、転句の詩意と、結句の詩意が時々逆になっていることがお分かりと思います。

 日本人の詩で私が最も尊敬するのは『菅茶山作 宿生田』で多くの詩意を独学しました。

    宿生田     菅茶山作
  千歳怨讐兩不存   千歳 怨讐 両(ふたつ)ながら存せず
  風雲長爲弔忠魂   風雲長(とこしな)えに為に 忠魂を弔ふ
  客窓一夜聽松籟   客窓 一夜 松籟を聴く
  月暗楠公墓畔村   月は暗し 楠公 墓畔の村

「千歳」: 千年の意味だが、菅茶山が生田に宿泊した当時では五百年前後であり、
     これを正確に表現しなくても良い。
「風雲」: 多くの有識者の解説では自然現象の風と雲が亡き楠公を弔っている。
     というような解説ですが、愚見では少々異なります。「風雲」を辞書で
     見れば、【@雲と風。A地勢の高遠なこと。B竜が風雲を得て天にのぼ
     るように、優れた人物が機会を得て世に出るたとえ。C人の才気や行動
     のすぐれているたとえ。D今にも変事が起こりそうな形勢。】とありま
     すが、作者菅茶山は【BとCを表し、楠公は希有な『風雲児』であった
     ことを惜しむ】意味だと思います。
      何方の解説にもありませんが、この詩を熟読して僭越にも、もし私が
     作るとすればこの意味を詠じるであろうと想定いたします。

 そして詩意が転句に移ります。私が最も心を打つ句はこの転句「客窓一夜聽松籟」で、承句の「・・・・忠魂を弔う」を更に盛り上げ、楠公への追想に(事実は別として)一夜まんじりとも出来ず、松籟の音を聴いていた、と詠じて読者に深い余情を与えていると拝察しています。
 作者が全霊を傾けて作詩しても、総ての読者が作者の心情を推測するのは現実には難しいでしょう。

 さらにさらに、結句の「月は暗し」として、今となっては詮索の仕様の無い、茫々たる五百年の過去と、楠公の忠節を追慕する 作者の心情を表しているように感じられます。以上がこの詩を『我が師』とするゆえんです。

 さて問題の絶句を作る順序ですが、結句から作らないと “尻すぼまり” になると常々説明してきました。何故ならば、起句から作れば最も重要な結句の適当な韻字が無くなることがあります。
 私がこのことに気づいたのは「林逋・山園小梅」の第一句の『妍』がこの律詩の韻の『元韻』と異なることに気がついたことからです。
 先人は千年以上前からこのように作っていたのです。

 絶句でも正式には、承句と結句の韻は同じ韻を使用して、起句に適当な韻字が見つからない場合には起句のみに、これに近い韻を、若しくは踏み落とし(その場合には仄韻)にしても間違いではありません。
 結句から作ると言うものの、二句一聯にしなければ転結の詩意が通じませんので、結句の起因となる転句を考えなくてはなりません。ですから、実際作詩するに当たっては結句の韻字を設定しておいて、次に転句から作れば転結の詩意が一貫して違和感の無い二句になります。
 その転結に、起句と承句を上に乗せて、全体的に詩意が疎通するかを熟読して微調整をすれば、“尻すぼまり”にならないで、読者にも理解できる絶句になるように思います。

 このHP上の多くの方々の玉作を拝見して、一部の方々が未だに起句から作っていらっしゃるように感じられましたので、拙筆を執りました。
 このように作詩の方法を変えたならば、作詩の面白さが湧いてきます。
 この拙文が少しでも皆さまのお役に立てましたならば、浅学のわたくしの喜びとするところであります。







































「作詩についての三つの質問」・・忍夫さん(2009.11.13)

 鈴木先生、いつもご丁寧に講評いただき有難うございます。
 いくつか質問をお願いします。

1.詩語の中に風鈴の鳴る音として「丁東」という語がありますが、「聴丁東」と表現して、風鈴の響きを聴いている状態として適切な表現でしょうか。蛙の鳴き声である「閤閤」を「聞閤閤」などと表現して蛙の声が聞こえてくるということの表現として適切でしょうか。

2.「和臭」ということについて教えてください。
 私が題として使った「露天風呂」や、井古綆先生がご指摘していた「聞蝉」などは日本的表現「和臭」ということになると思いますが、「和臭」というのは絶対避けるべき表現なのかを含めて、「和臭」についての先生の意見を教えてください。曖昧な質問で申し訳ありませんが。

3.絶句は結句から作れとうことが言われております。
 私の場合、起句、承句と一まとめにしてつくり、次に結句を考え、最後に転句をどのようにしたらなるべく自然に結句につながるかと考えてまとめます。一詩の中で、転句が最も重要と考えております。
 鈴木先生、井古綆先生、謝斧先生等の熟達された先輩方はどのように作詩されているのか、教えていただけると幸甚です。








































「忍夫さんのご質問にお答えして」・・桐山人・井古綆さん・謝斧さん(2009.12.27)

 忍夫さんからのご質問を、井古綆さん、謝斧さんにも送りまして、お答えしていただきました。
 ご質問は詩作の時に必ずぶつかる問題ですので、皆さんのご参考にもなると思い、まとめました。



 詩語の中に風鈴の鳴る音として「丁東」という語がありますが、「聴丁東」と表現して、風鈴の響きを聴いている状態として適切な表現でしょうか。蛙の鳴き声である「閤閤」を「聞閤閤」などと表現して蛙の声が聞こえてくるということの表現として適切でしょうか。
桐山人:
 私は不適切だと思います。日本語にすれば、「チリンチリンを聴く」「ケロケロを聞く」と言うのと同じで、幼児語に等しいと思います。私はもし使うなら、「風鐸の丁東たるを聴く」とか「蕭蕭たる風」「風は蕭蕭」のように、擬態語の主体を添えるようにしています。擬音語は便利ですが、独りよがりにならないように気をつけないといけないと思います。
 次に書かれた「聞蝉」も同じことを仰ってると思います。

井古綆さん:
 忍夫雅兄からのご質問ですが、鈴木先生のご回答で充分意を尽くしていると思いますので、あえてわたくしが申し上げることはありませんが、「聞蝉」の措辞については「(只)鳴蝉」などとして、読み下しも「只鳴蝉のみ」などとすれば読者に考える余裕を与えると思います。

謝斧さん:
 「聴丁東」は、散文はとにかくも詩文では用例のある語ではないでしょうか。風鈴の詩句があればもっとはっきりするのですが。
 ただ、詩としては稚拙に感じます。
 用例として、韻府では「玉堂西畔響丁東」があります。
 前後の文脈で風鈴が想像できるのであれば、あえてだすのは説明のし過ぎだと感じてますので、「聴丁東」の「聴」も必要あるでしょうか。
 「聞蝉」も「聞く」は余計な場合が多いように思われます。詩句に蝉があれば状態として認識して声を聞いていることになるからです。
 詩は言って尽くさずが好しかろうと思っています。


 「和臭」ということについて教えてください。
 私が題として使った「露天風呂」や、井古先生がご指摘していた「聞蝉」などは日本的表現「和臭」ということになると思いますが、「和臭」というのは絶対避けるべき表現なのかを含めて、「和臭」についての先生の意見を教えてください。曖昧な質問で申し訳ありませんが。
桐山人:
 私は日本人が漢詩を作るからには、和臭が出るのも仕方ないと思います。中国の唐代の人が読んでも分かるように、というのが漢詩の基本なのですが、既に千年以上も経っているわけですから、当時には存在しなかったものも沢山あります。
 和臭や現代臭は駄目だとなると、詩作は非常に不便なものになります。むりやり唐代の風俗に合わせることが漢詩の面白さだという人もいますが、私はそこまで自分の感情を変質させるのは、詩として意味があるのか疑問です。ただ、これは漢詩も短歌や俳句、現代詩と同じく、自己表現の手段だと考える立場からのもので、伝統芸術だと思っている人は、茶道と同じく、枠を破ることは絶対に認めないと思います。
 私のサイトでは現代的なものも排除するつもりはありませんし、正直、和臭だからこそ日本人には納得できる表現というものも多くあります。
 ただ、身内だけで漢詩を愉しむならばどのようでも良いのですが、他人に見せたり、他の流派に見せたりした時に、古い立場で漢詩を見る人もいるわけで、せっかく作った作品を「こんなものは漢詩ではない」と一蹴されることもあるわけです。
 平仄などが乱れていれば、そのように言われても仕方ないのですが、和臭一つで鑑賞にも値しないような扱いを受けるのは残念です。ですから、できるだけ和臭は避けた方が良いし、もし使うならば注を添えたり、題名を工夫して注を補うような方向をお薦めしています。

井古綆さん:
 和臭につきましては、例えば「五山送火」を「五山燎火」とすれば和臭はなくなりますが、日本的な風情が失われてしまいます。私見では「送り火」を重視して「燎火」に注をしたほうが好いように感じますが。
 以前、2007年のサラリーマン金太郎さんの「京都東山八坂~社夏祭」への管見をご覧ください。

謝斧さん:
 和臭の件については(現代臭もですが)、呂山先生は和臭にはうるさく言っていなかったように記憶しています。
 高橋藍川師の師である上村売剣先生は、「作詩問答」に「本邦輓近と雖も宜しく酌んで之を用いる可し」と言っていますので 和臭もまたゆるすということでしょうか。
 「ただあまり古人の多く用いざる字なれば大抵は用いざるがよろしからん」とも言っています。

 私の考えですが、和習は題材によると思っております。
 私はできるだけ避けたいのですが、和臭がなければ詩として成り立たない場合が必ずあります。その場合はわりきって使用します。そのときは漢文で和臭と注記します。(換韻古詩の長編は寛恕してもらっています)

 世界漢詩同好会への私の作ですが、「夏日寓懷」の詩の尾聯

  人生六十軽衫絳   人生六十 軽衫絳く

  亦似赭衣身自由   亦赭衣に似るも 身は自由なり

とした後に、
「人生六十軽衫絳」: 和臭 日本風習有齢重六十即着絳服
「赭衣」: 罪人之服皆用赭色

 と注記しました。

 しかし和臭は大疵で、できるだけ避けるようにしてます。


 絶句は結句から作れと言われております。
 私の場合起句、承句と一まとめにしてつくり、次に結句を考え、最後に転句をどのようにしたらなるべく自然に結句につながるかと考えてまとめます。一詩の中で、転句が最も重要と考えております。鈴木先生、井古先生、謝斧先生等の熟達された先輩方はどのように作詩されているのか、教えていただけると幸甚です。
桐山人:
 転句を最も重要とお考えになるのは、適切なことと思います。
 結句から作るように、と言われるのは、韻字を整えるためということもありますが、何よりも主題を明確にするという狙いがあります。
 どの句から作るか、という点では、私自身はケースバイケースで、忍夫さんのように起承から作って結句という場合もあれば、結句からのこともあります。
 ただ、自分の感じとしては起句承句から作る方が多いかと思っています。その場合でも、転句と結句はいつも頭の中に置いて、「この語は転句に残しておこう」とか「余韻が残るから、承句よりも結句にしよう」とか、もっと言えば「かっこいい句になったから結句にしよう」などと全体を意識するようにしています。

井古綆さん:
 絶句の作る方法は鈴木先生が前文の最後に述べられていますように、転句を最重要視するのは正しいことですが、表現の違いで、私見では転句は結句を引き出すための導入句だと思っています。
 ですから転句結句のどちらが大切かは差はありません。

 すなわち転結の一聯で詩意をなすものです。桐山堂への拙稿、「絶句の作り方」に「菅茶山」の絶句の感想を載せていただきました。この転句の素晴らしさは一読にあたいします。
 この表現は「紙背」であると認識して、常にこの転句を参考にしております。

謝斧さん:
 転句が最も重要というのはあやまりだと思っています。

 他人の詩に批侫を加えるとき、起句をまず見ます。
 起句は破題ともいいます。編の詩意を包含しなければなりません。内容は兀突でなければなりません。
ですから、詩の成否は起句で決まると言えます。
 古人も、起句は逎勁高突で、爆竹の如く 起句の不出来は編の失敗だとも言っています。
また起句は草草として下すべからずとも言っています。









































「詩情を籠める」・・井古綆(2010. 1.27)

 私はNHKの「漢詩を読む」のラジオ放送は25年前の最初から拝聴しています。
 最初の講師である「石川忠久先生」は約20年で終了して、その後には宇野直人先生とタレントの江原正士さんとの対話形式で、今日にいたっております。
 わたくしは老いてますます記憶力が減退しましたので、講義の要点のみを心に留めるようにしております。

 宇野先生はまだお若いにも関わらず、核心を突いた講義をされていて、わたくしの浅見の窓を常に開いてくださいます。
 今年度前期の中で「王維」の送別の詩についての講義が心に響きましたので、皆さまにお伝えいたしたく筆を執りました。

    送秘書晁監還日本國     王維
1. 積水不可極   積水 極む可からず
2. 安知滄海東   安んぞ知らん 滄海の東
3. 九州何處遠   九州 何れの処か遠き
4. 萬里若乘空   万里 空に乗ずるが若し
5. 向國惟見日   国に向かって 惟日を見
6. 歸帆但信風   帰帆 但(ただ)風に信す
7. 鰲身映天黒   鰲身 天に映じて黒く
8. 魚眼射波紅   魚眼 波を射て紅なり
9. 郷國扶桑外   郷国 扶桑の外
10.主人孤島中   主人 孤島の中
11.別離方異域   別離 方(まさ)に域を異にせば
12.音信若爲通   音信 若為(いかん)ぞ通ぜん

 宇野先生はこの王維の送別の詩の講義で、作者は送別の情を詠じていないことを看破されました。
 この詩の背景は晁衡(阿倍仲麻呂)が帰国に際して、玄宗皇帝が送別の宴を開いた文武百官の前で披露されたであろうと述べられました。確かに排律は非常に難しい詩ですが、高適の「別董大」の詩意には董大(大は排行の一に相当する)を勇気付ける心が読み取れると、王維と高適の詩情を対比されました。

 またこれは推測するほかは無いが、王維と晁衡は双方とも秀才であり、また美男であったため、王維には政治的にも嫉妬心があったのではないか?と講義されました。

 宇野先生のこの講義を拝聴して、充分納得ができましたが、ではどのようにすれば送別の詩にふさわしい詩意を表せるのか、1300年後の東海の一野老が不遜にも考えて見ました処、帰国する晁衡に対して惜別の心さえあれば出来ます。
 この抽象的な文のみでは皆さまにはご理解いただけないので、10.と11.の間に4句を挿入すれば惜別の詩が完結するように思いましたので、不遜にも前例を破ってみました。

 ご存じのように王維は16歳で「九月九日憶山東兄弟」を賦した天才です。
 これを勘案すれば、王維は即吟したとしか考えられません。熟慮すれば、帰国を許可した玄宗皇帝へ感謝することも、また晁衡への思いやりにも欠けていることに気が付く筈です。晁衡は心ならずも海難に遭い、また唐に留まりましたが、当時一たびの別れは通常であれば永遠の別れです。
 即吟がいかに恐ろしいかを皆さまに理解していただくため筆を執りました。

  試作4句 全諳盛唐粋   全て諳んず 盛唐の粋  *この句と次句に晁衡への賛辞を述べたならば↓
高賛貴君功   高く賛す 貴君の功   *詩全体に深みが増すように感じます。
聖澤郷愁叶   聖沢 郷愁叶ひ     *聖沢は晁衡に帰国を許可した玄宗皇帝への感謝。
朋情別涙充   朋情 別涙充つ     *朋情の措辞によって王維の心の広さも深さも増すように感じます。

※同字重出を避けるため、9句の郷国を故国に、11句の別離を今朝にする。







































「流水対について」・・謝斧(2010. 2. 8)

 流水対について少し誤解があるようなので『呂山草堂詩話』の説明を紹介します。

 結論からいえば、流水対といえど対仗法にのっとり作詩する必要があります。
『呂山草堂詩話』
で、
 某氏から「流水対とはどういうものか、また流水対のときには対法はあまりやかましく論じないときくがどうであろうか」 の質問に、「まこと 流水対のときはやかましくいわぬことは僕らもきいたことがある。若い頃添削を承けたとき、この対法は十全ではないが、いわゆる流水対としてここは無理ながらこうしておく」などという答えがかえってきたことを覚えている
と謂ってます。

 説明は、此の句は対句としては完全ではないが、流水対なら多少のことなら仕方がないということをいわれたとうけとっていまはす。
 「感時花濺涙 恨別鳥驚心」という句で上下の句は並列され、対等の均量を持っている。
律詩の対句というものものは殆どが上下二句は並列され、対等の位置を持っている。ところが流水対というときは対等関係ではない。下の句は重くて上の句は下の句に対して条件としておかれているのである。
 文章法でいえば、複文関係である。普通の対句は重文関係といえよう。
作る上からしても上の句と下の句が対等の重みを持つことは大変楽であるが、上の句を下のへの修飾とか条件とかに作ることは難しい。
これが 流水対というものだと僕はかんがえている。
 だそうです。
 私は流水対であろうと普通の対句であろうと、各句は対句にしなくてはならないとおもっています。ただ 流水対であれば多少のひっつきが悪いのはゆるされるという程度です。
 問題の「遙憐少児女 未解憶長安」は、上下一意で憐は下の長安管到しているのであって、こうなると二つの文章ではなく、一つの文章といえる 流水対の徹底したものといえる。
 僕はこの上下二句も対句であるとの説を持している(少児女と憶長安も対句 )

 呂山先生の流水対の例は
  映階碧草自春色 隔葉黄鸝空好音
  三顧頻繁天下計 両朝開済老臣心
  若非群玉山頭見 會向瑤台月下逢
  不弁風塵色 安知天地心
 の如きは分かり易い流水対である







































「漢詩と俳句の表現について X」・・Y.T(2010. 4.10)

 今回、一茶の句を漢詩に翻案して(2010年の投稿詩 第106作 「新春晴天」)みて、俳句の漢詩への写し替えに就いて私も自分の考えを述べてみたいと思います。
 一口に俳句と云っても色々で、鮟鱇先生の云われる様に、象徴的な作品も在れば、具体的な作品もあると思います。(勿論、全体としては象徴的な物が多いでしょうが)従って、具体的で比較的漢詩に写しやすい俳句も在れば、象徴的で写すのに大変な力量を要する作品も在ると思います。「古池や・・・」の句は象徴的で大変難しい例だと思います。

 歴史的に見ると、清の袁枚等による「性霊派」の影響で、俳句や俗謡の漢詩翻案は江戸の漢詩人の間で一時流行した様ですが、所詮機知のひけらかしで長続きはしませんでした。
 例えば、六如上人の「朝顔につるべとられて貰ひ水」の翻案 :

   井邊移植牽牛花 狂蔓攀欄横復斜 汲綆無端被渠奪 近来乞水向隣家

 これなどは俳句をそっくりそのまま七絶に写しています。その技巧には驚嘆しますが、説明過剰で、明らかに俳句より劣ります。
 これは常春先生の云われるように、俳句には俳句独特の美があり、漢詩には漢詩特有の美があるからです。
 写しやすい俳句をそっくりそのまま漢詩にしたのでは、字数の多い漢詩では説明がくどすぎて内容の無い物に成ってしまうと思います。寧ろ散文(漢文)にした方がましかもしれません。
 漢詩としての良さ=美を出すには、矢張り句に対する自己の想い入れを表現する事が必要と感じますが如何でしょうか。

 鈴木先生のご指摘になった俳句を漢詩に移す際、「補い、膨らませる部分」が必要と云うのは、そうしたことと解釈します。つまり、俳句をそっくり漢詩に移植するのは絵画の模写と同様、技巧の練習としては宜しいが、作品(漢詩)とするには矢張り、自己の想い、考え、が要るのでは無いでしょうか。




Y.Tさんの掲載詩をお示ししておきます。



  新春晴天        

新歳天空無片翳   新歳の天空 片翳無く

早晨地上少軽塵   早晨の地上 軽塵 少なし

梅花発日欲中午   梅花 発いて 日は午に中らんと欲し

颯颯東風渡玉春   颯颯たる東風 玉春を渡る

          (上平声「十一真」の押韻)

<解説>

    青天にきず一つなし玉の春  一茶

 先日、こんな句を見て、五言に翻訳してみました。
    新春晴天
  碧天無片翳
  地上少軽塵
  新歳日当午
  微風渡玉春

 これを七言にしてみたのが投稿詩です。








































「下三字の文法と冒韻についての質問(含桐山堂の回答)」・・東洸さん(2011. 3.23)

 先生の著作、わかりやすくて楽しく読ませて頂いています。

 語順についてちょっと教えて頂きたいのですが、基本は V+O ですが 韻を踏む場合に限って、語順を変えることもできるやに聞いたことがございます。
 どんなものでございましょうか。

突然ぶしつけで恐縮でございますが、ご教授頂ければ幸甚にぞんじます。

 もうひとつ、悩んでいることですが・・・・・・
冒韻のこと。転句には許されるのでしょうか?
 自分なりに大目にみているのですが、果たして?

度重なる質問で恐縮ですが、よろしくお願いします。






<桐山堂からお返事します>

 ご質問の件ですが、確かに平仄や押韻の関係で語順を入れ替えることは許されています。
例えば李白の「黄鶴楼送孟浩然之広陵」では、

   故人西辞黄鶴楼   故人 西のかた 黄鶴楼を辞し

   烟花三月下揚州   烟花 三月 揚州に下る

   孤帆遠影碧空尽   孤帆の遠影 碧空に尽き

   唯見長江天際流   唯だ見る 長江の天際に流るるを



 となっていますが、転句はこの語順ですと「碧空が尽き」と読むべきだし、結句も「天際流」も「天際が流る」と読むべきなのです。
 この二つは、お手紙に書かれていたような「V+O」の構文ですから、本来ならば「尽碧空」「流天際」となるのですが、お分かりのように語順が倒置されています。

 これは押韻の関係でしょうが、似た例を見つけることは容易だと思います。
 ただし、何でも良いのかというとそうでもなく、明らかに誤読されるような場合は避けるべきですし、文法を破壊するような語順も許されません。
 例えば、「我看花」を「花看我」とはできないし、「常不見」と「不常見」は否定の内容が異なりますから注意が必要ですし、他にも「V+O+O」のような目的語を二つ持つような場合にも、安直に語順を換えてしまうと意味が通じなくなります。
 つまり、許されるのは誤解を受けない範囲だということになります。

 この「範囲」の判断が悩ましいところですが、「大丈夫かな?」と悩む時には避けるようにする、それが読者への配慮だと私は思っています。

 もう一点の冒韻については、これまでにも桐山堂で話題になっていますが、「転句のみならば許される」という意見もあれば、「どこにあろうが、全然問題にしない」という意見、更には「冒韻という規則などはそもそも存在しない」という意見もあり、それぞれの詩社によって立場が違うというところです。
 現在の日本では、「どの句であれ冒韻を瑕疵としない」というのが一般的になってきていると思います。「冒韻という規則はあるとして、しかし、冒韻を避けるために敢えて詩意や詩情を犠牲にする必要はない」というところでしょう。
 東洸さんが指導を受けていらっしゃる詩社がどのようにお考えかを確認されれば良いと思います。

 なお、桐山堂は入門期の方も多いこと、また投稿者が全国各地からと広いことを考えて、厳しい立場の人から批正を受けても困らないようにと規則を厳しめにしています。
 冒韻であっても、知っていて無視するのと、知らないままでいるのは違うわけで、作者自身が「冒韻ではあるが・・・」と納得していることが大切だと思っています。


2011. 3.23       by 桐山人








































「『三四三四三』形式による和歌の漢訳」・・金中さん(2011. 3.25)

 中国西安の金中さんから、和歌を漢訳することについての論文を送っていただきました。

 和歌を音読するリズム感を残して漢訳をするにはどのような形式にするのが良いかを、丁寧な分析と具体例をもとに話されています。
 日本人が漢詩のリズムを生かしながら読み下し文を書くように、五七五七七のリズムを生かして漢訳するには、『三四三四三』の字数、つまり三言句と四言句を組み合わせて漢詩にするのが良いという主張です。

 日頃から和歌を読んでいながら、音読する時の拍数などに意識が向いていなかったのですが、金中さんの文章を読んで、初めて気づかされることが沢山ありました。
 皆さんがお読みになっての感想やご意見をいただけるとありがたく思います。

 なお、論文は html版 ・ WORD版 ・ PDF版の三つを用意しました。WORD版もPDF版も右クリックでダウンロードできますので、見やすい形を選んでください。