2009年の投稿詩 第241作は 欣獅 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-241

  懐旧        

遙憶青袍勉学間   遙かに憶ふ 青袍勉学の間(ころ)

莫春愁緒翳紅顔   莫春の愁緒は紅顔を翳(くも)らす。

俊才壮語只完吶   俊才の壮語には、只吶(とつ)を完(まっとう)し、

無頼大言独持頑   無頼の大言には、独り頑を持す。

帰宅心騒馳畝径   帰宅すれば、心騒ぎて畝径に馳せ、

疾駆風爽隔人寰   疾駆すれば、風爽やかに、人寰を隔つ。

池堤暫止望田野   池堤、暫し止まりて田野を望めば、

落日映微漣促還   落日、微漣に映じて還るを促す。

          (上平声「十五刪」の押韻)

<解説>

 またしても懲りずに懐旧のシリーズです。

 青袍(学生服)に身を包み、高校に通っていましたが、思春期の混乱で何かと落ち着かず、成績は下降の一途をたどりました。進学校で落ちこぼれるみじめさはただならぬもので、それを頷聯で表現してみました。

 募るストレスは、帰宅後自転車で近辺の田畑のあぜ道を疾駆し、のどかな自然の中で癒したものでした。
 不安定で孤独な青春の気持ちが少しは出せたでしょうか。

<感想>

 欣獅さんの懐旧の詩は、丁度一年前になりますか、「懐旧(2008-290)」、その続編とされた「初恋(2009-98)」も少年時代の思い出を描かれていて、楽しく拝見しました。

 今回の詩は、その二編からは更に成長して、高校生になった姿ですね。
 「青袍」「学間」「大言」「壮語」「無頼」などの言葉は、旧制中学の趣が感じられますね。「俊才」も「無頼」も居ない、みんなが平均値のような集団になってしまったのが、現代の多くの学校なのでしょう。

 二句目の「莫春」の「莫」は「暮」と同じですので「春の終わり」を表しますが、「春」には「青春」の意味も含ませているでしょうか。
 頷聯は青年の心理を描いていて面白いのですが、四句目は「四字目の孤平」「二六対」が崩れていますので直す必要があります。

 頸聯は、「帰宅」とわざわざ言って場面を限定するのはどうでしょうか。この「帰宅」「疾駆」も対にはなりませんので、両句の上二字を検討されると良いでしょう。

 最後の聯は全体のまとめになりますが、「暫止」ですと、前の句から主語も動作も受け継ぎになり、ズルズルと続いて行く感じがします。「愁いを晴らす」という自分の行為は頸聯で完結させて、尾聯は一歩離れた描き方が良いと思います。
 また、八句目は「落日」が「帰宅を促す」というのは分かりやすいと言えば分かりやすいのですが、「不安定で孤独な青春」を描いてきた詩の結末としては物足りなく、「え、それで良いの?」という感じです。
 後半四句だけの七言絶句だと言うならば、これでも収まりはするのですが、律詩となるとそれまでに描いたものが多いだけに、「後は読者にお任せしま〜す」という表現が出来にくくなりますね。
 その辺りを意識して、後半を推敲されると良いと思います。


2010. 1.25                  by 桐山人






















 2009年の投稿詩 第242作は 桐山人 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-242

  浮月庭園        

楊柳垂枝誘小波   楊柳 枝を垂れ 小波を誘ひ

石泉緑影鯉魚過   石泉の緑影 鯉魚は過ぐ

清風嫋嫋幽居地   清風 嫋嫋たり 幽居の地 

浮月楼前古色多   浮月楼前 古色多し

          (下平声「五歌」の押韻)

<解説>

 九月に勤務の関係で静岡に出かけました折、徳川慶喜公が幽居された「浮月亭」を歩きました。


 静岡駅から歩いて五分程、周りはビルが並ぶビジネス街の中に残されています。建物は火災で消失、再建したものだそうですが、庭園も手入れされていて、周囲の雑踏から離れて閑寂な趣でした。
 その時の感懐を詩にしたものです。

 静岡の皆さんの漢詩を集めた『芙蓉漢詩集 三』の合評会を常春さんが開かれることを伺い、隣県のよしみで、私も紙上で参加させていただいた詩です。


2010. 1.25                  by 桐山人






















 2009年の投稿詩 第243作は 井古綆 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-243

  狂詩  告賢猿        

賢猿進化石爲鎚、   賢猿は進化して 石もて 鎚と為す、

此見人間太古時。   此に見る人間の 太古の時。

空省文明育憎悪、   空しく文明を省みれば 憎悪を育て、

等閑宗教忘仁慈。   宗教を等閑にして 仁慈を忘る。

敖操原子窮兵器、   原子を敖操(ごうそう)して 兵器を窮め、

破壊環球失麗姿。   環球を破壊して 麗姿を失ふ。

忠告諸猴億年後、   諸猴(しょこう)に忠告す 億年の後、

毋模被爆不辜悲。   模(も)する毋(なか)れ 被爆不辜(ふこ)の悲しみを。

          (上平声「四支」の押韻)



<解説>

 以前テレビ放送で、猿が石を投げ落として果実の殻を壊すのを見て作りました。

「敖操」: ここでは(原子核を)ほしいままに操る。(同韻・造語)
「諸猴」: サル類。
「模」: まねる。
「不辜」: 無辜。

<感想>

 井古綆さんと同じ番組ではないかもしれませんが、道具を用いる猿の姿を見たことはあります。でも、私はそこでは「へー、おもしろい猿だな」という感想くらいしか湧きませんでした。人類の未来にまで想いを馳せる井古綆さんに敬服です。

 メッセージ性の強い詩ですが、首聯下句の「太古時」と尾聯上句の「億年後」が対応して、その間の人間の愚かな行為が浮き彫りになり、分かりやすく工夫されていますね。

 頷聯は「流水対」ですので、文明が人間にもたらしたものは「育憎悪」「等閑宗教」「忘仁慈」の三点、他と対応させて考えると、ここで言う「宗教」は人間がもともと持っていた信仰心というところでしょう。

 頸聯の「敖操」は造語ということで、大漢和にも載ってはいませんでしたが、意味としては理解しやすい言葉になっていると思います。ただ、下句の「破壊」に特には音調上の工夫は無いのが寂しいですね。


2010. 1.25                  by 桐山人



鮟鱇さんから感想をいただきました。

 井古綆先生
 小生暫く世縁を薄くして山に入りご無沙汰してしまいましたが,このたび先生の佳作を拝読しひとこと存念を申し陳べたく筆を執りました。

 先生の人間の愚を筆誅するに言葉は当を得て余りあり,小生,深く共鳴いたしました。
 そのうえで,「敖操」の二字,造語であるとのことですが,対語である「破壊」は「破り壊す」と動詞二語に読むことができ,ならば「敖操」も「敖り操る」と読めばあえて造語と言わずともよいと小生,愚考いたします。
 ただ,造語として不自然かといえばそうではなく,鈴木先生のお言葉のとおりで自然。そこで,自然な二字の造語を生み出す術を先生が会得されていることが愉快です。

 対句については第五句の「兵器」は名詞+名詞,第六句の「麗姿」は形容詞+名詞ですので,地球の「球」に照らして「玉姿」でもよいのではないかと思います。
 しかし,そのような瑣末なことはともかく,漢詩人として今の時代に何を詩題とするかでは,先生の慧眼に敬服するばかりです。

 佳作を読む機会を得て嬉しいです。ありがとうございました。


2010. 1 31                by 鮟鱇


井古綆さんからお返事をいただきました。

 鈴木先生、並びに鮟鱇雅兄、拙詩に対しましてまさに適切なるご指導・また賛辞を頂き有難うございました。

 まず鈴木先生のご指摘「敖操」に対する「破壊」への対語としての『音声上の工夫』の推敲不足を婉曲にご指導くださいました。熟慮の結果「敗壊・(畳韻)」の語を探すことができました。
 もしも先生のご指摘がなかったらそのままなおざりになります。この、先生が我々に対する真摯なご指導が多くの漢詩を志す人々が集ってくるのでは無いかと思います。

 次に鮟鱇雅兄、身に余る賛辞を頂きまことにありがとうございます。
 不肖わたくしは、雅兄のように学歴・学識もなく、作詩にあたっては非常に苦労していますが、長年漢字に向かっていて、或ることを知ることができました。
 漢詩の形式は「二字+二字+三字(一字+二字など)」ですが二字の構成は畳韻またはそれに近い熟語の使用が多くあります。わたくしが「敖操」を造語しましたのは「驕陽」という畳韻が熟語としてあったことに準じました。
 そのほか、わたくしが多用しています「思馳・馳思」なども畳韻で「思」が仄韻に変化しても『支韻』の通韻です。ですから拙詩第八句「毋摸・摸するなかれ」も「勿摸」とはしないで畳韻を使用しました。

 したがって、鮟鱇雅兄がご指摘の「玉姿」も考えましたが、では何故「麗姿」と措辞したのかと申せば、「麗」には「麗=離(平韻)」「麗=霽韻(仄韻=支韻に通韻)」とありましたので「麗姿」を優先した次第です。
 「麗姿(形容詞+名詞)」に対する「兵器」は通常では雅兄のおっしゃる通り「名詞+名詞」ですが「兵」の意味を検索しましたら、「兵=ころす(動詞)」と載っていましたので「兵(ころす)器」と「麗姿」を対句に使用しました。

 これは鮟鱇雅兄に反論するわけではなく、わたくしの作詩上の苦労を諸兄に吐露したまでですので、雅兄は気を悪くなさらないでください。
 兎も角も過分な賛辞を有難うございました。


2010. 2. 1               by 井古綆





















 2009年の投稿詩 第244作は 井古綆 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-244

  赤壁        

中原逐鹿集豼貅、   中原鹿を逐ふて 豼貅(ひきう)を集め、

今決輸贏赤壁頭。   今 輸贏を決す 赤壁の頭(ほとり)。

都督俊豪惺癘疫、   都督は俊豪 癘疫(れいえき)を惺(さと)り、

魏王野望潰焼舟。   魏王の野望は 焼舟に潰(つひ)える。

英雄勇將垂青史、   英雄 勇将 青史に垂れ、

病卒傷兵列冢丘。   病卒 傷兵 冢丘(ちょうきう)を列(つら)ぬ。

欲想當時酹瓢酒、   当時を想ふて 瓢酒を酹(そそ)がんと欲すれば、

長江依舊曠東流。   長江は旧に依って 曠(むな)しく東流。

          (下平声「十一尤」の押韻)



「中原逐鹿」: 帝位を争う。
「豼貅」: 勇猛な将士。
「輸贏」: 勝敗。
「都督」: 全軍を統率する将軍ここでは周瑜(しゅうゆ)、周郎。
「俊豪」: 常人より器量のすぐれた人物。
「癘疫」: 悪性の流行病。(周瑜は)中原出身の曹操軍はこの土地の風土に慣れていないので疫病が発生すると予測した。
「魏王」: 曹操をさす。
「焼舟」: 周瑜の部将黄蓋は曹操軍の船団が互いに密接していることに注目し、火攻めの策を進言した。
「冢丘」: 冢は墓。
「酹」: ライ。酒などをそそいで祈る。蘇軾の念奴嬌にありました。

<感想>

 この井古綆さんの「赤壁」の詩は、以前に観水さんの「代赤壁卒 三」の詩への感想の中で、井古綆さんが「下平声十一尤韻」の詩を書いたと仰っていたものです。
 感想の折には、観水さんの詩が「下平声八庚韻」でしたので、作り直したものを送っていただきました。

 「登場人物を都督周瑜と魏王曹操のみにして、後は英雄とか病卒などには焦点をボカシて」との狙いと、史実に沿うようにという意図で、この歴史的な大会戦を八句にまとめ上げるのは大変だったと思います。
 一点だけ気になったのは、頷聯の上句、曹操軍に疫病が蔓延することを周瑜が予測したことですが、「惺癘疫」だけで曹操の敗北につなげるのは苦しいように思います。この聯は語の対応がすっきりしませんが、これも「流水対」でしょうか。


2010. 1.25                  by 桐山人



観水さんから感想をいただきました。

 後半四句は、私もこのような句が作れたらとうらやましく思います。ただ、他方、前半に関して、少し引っ掛かる部分があります。

 赤壁の戦いの当時、傀儡とはいえ漢室はまだ続いており、曹操の立場としては、丞相としての自らの実権の及ぶ領域を江南にまで拡大する戦いであり、周瑜の立場としては、主君・孫権の地方政権の独立を守る戦いとなりますから、「中原逐鹿」、帝位を争うという表現は不適当ではないでしょうか。たとえば、「南船北馬集豼貅」として両軍の特徴を出すのも一案かと思います。

 また、後世の我々からすれば魏王曹操なのですが、魏王に封じられるのは赤壁の戦いの八年後です。曹操の事跡を振り返るというのではなく、ここは戦いの様子を描写する聯ですから、少し異な感じがいたします。
 冒韻にはなりますが、「周郎」「丞相」と組み合わせ、出番を逆にして「丞相覇図忍癘疫/周郎知略策焼舟」というふうにしてみても面白いかもしれません。


2010. 1.27                 by 観水


同じ日に、井古綆さんからもお手紙をいただきました。

 拙作「赤壁」への先生のご批評を頂きましたお言葉を、作詩当時に振り返って、参考にしたウィキペディアを検索しました。

   「赤壁の戦い

 先生のご指摘のように、「癘疫」では動機が少ないように感じます。
ですから、この聯は流水対に準じて措辞したように記憶が蘇りました。


2010. 1.27               by 井古綆



井古綆さんからお手紙をいただきました。

 観水雅兄。貴重なご意見を有難うございました。
 この年来の雅兄の漢詩に対する造詣は目に見えて進歩されてきているように感じられます。従ってご意見を頂戴いたしました事に、大変嬉しく思います。

 以下、雅兄がご指摘の措辞について私見を書き記します。

 「南船北馬・・・」では赤壁の激戦への臨場感が減少するように思いますが?
 「中原逐鹿」の本来の意義は「帝位を争う」ですが「政権や地位を得るために互いに競争する」の意味もあります。

 「魏王」の措辞では読み下しを「魏王への・・・」とすれば解決するように思います。曹操が魏王に封じられたのは8年後とのことは、わたくしが念頭に無かったの全くのの杜撰だと思います。なぜこのように措辞したかを弁解すれば、赤壁の戦いでは「とりあえず曹操軍を撃破した」との詩意でした。

 次に登場人物の「曹操」と「周瑜」の表現方法ですが、雅兄の「丞相」と「周郎」では律詩では釣り合いがくずれるのではないかと推察いたします。
 すなわち「周郎」は「周瑜」の美称で、「丞相」は(後漢の)曹操の役職名ですので、これを律詩に措辞するならば、「丞相・都督」「曹操・周瑜」などとするべきでしょう。
 作詩への参考はhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E5%A3%81%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84です。

 観水雅兄の碩学を信頼していますので、第六句の下三字「列冢丘」にご意見をいただければ有難く存じます。


2010. 1.31            by 井古綆






















 2010年の投稿詩 第245作は 鮟鱇 さんからの作品です。

作品番号 2010-245

  六州歌頭・吟得三萬首詩詞        

人無譽聞,       人に誉聞なく,

晩境有清游。      晩境に清遊あり。

傾緑酒,         緑酒を傾け,

交紅友,         紅友と交わり,

坐金秋,         金秋に坐し,

擧白頭。         白頭を挙ぐ。

靈液洗塵垢,      霊液 塵垢を洗い,

滲肌肉,         肌肉に滲み,

風入袖,         風 袖に入り,

雲涌岫,         雲は岫に涌き,

聲出口,         声は口を出て,

筆如流。         筆 流るるごとし。

十與二年,       十と二年,

裁賦隨時走,      賦を裁するに時に随って走(ゆ)き,

探勝尋幽。       勝を探り幽を尋ねり。

擅千鍾美禄,      ほしいままにす 千鍾の美禄,

三萬首詩愁,      三万首の詩愁,

曳杖邊州,       辺州に杖を曳き,

喜花稠。         花の稠(おお)きを喜べり。

  ○        

愛山河秀,       愛するは 山河 秀いで

詞華就,         詞華就(な)ること,

常厭舊,         常に旧を厭い,

數圖謀。         しばしば謀を図る。

言引咎,         言いて咎を引くも,

時運救,         時運 救い,

裸身留,         裸身 留まり,

句堪求。         句は求むるに堪えり。

草宿餐霞痩,      草宿 霞を餐(くら)って痩せるも,

未衰朽,         いまだ衰朽せず,

在浮舟。         浮舟に在り。

爲釣叟,         釣叟となり,

看水皺,         水の皺をなすを看(み),

仰天球。         天球を仰ぐ。

曠望江湖,       江湖を曠望するに,

樗散存長壽,      樗散に長寿存し,

景入雙眸。        景は双眸に入る。

暫聳肩搖吻,      暫く肩を聳やかして吻(くち)を揺らし,

韻事借鶯喉,      韻事 鴬の喉を借りて,

放唱悠悠。       放唱すること悠悠たり。

          (中華新韻「七尤」平声と仄声の押韻)

<解説>
 小生,今年(2009年)は,漢語の俳句などを含め3100首の詩詞を作り,12月に拙作の漢詩,3万首を超えました。
 漢詩を始めて13年,1998年の1月1日から数えれば12年で3万首です。
 多分,先人の例を含めわが国では有数の多作だと思います。
 私の多作はひとえに,平仄を血肉とし,韻律の呪縛から自由になりたい,と思い,詩作に勤めた結果ですが,それも3万首ともなると,天賦の詩才に必ずしも恵まれずとも,かなりの水準の詩が作れる,という自信が生まれてきます。
 どのような自信かといえば,韻律の呪縛から自由になり,これからは筆の赴くままに詩を作ることができるという自信であり,そのようにして作った詩であれば,あの世で李白に会ったとしても,臆することなく拙作を李白に読んでもらえるだろう,という自信です。
 拙作「六州歌頭」は,李白に見せても恥ずかしくないレベルの作です。李白も,東の果ての辺境の蛮族の男が,千年以上の時を経た後もなお詩詞の韻律をほしいままにしていることを知れば,きっとびっくりするでしょう。それが楽しみ。

 さて,その「六州歌頭」ですが,押韻についていくつか体があるなかで下記詞譜に示すものは,押韻箇所が多く,骨が折れます。
 全143字のうち,平韻16箇所,仄韻18箇所,計34箇所で押韻します。作りにくい三字句が多用されているうえに,そのほとんどで押韻をするので大変,でも,その分,作りがいがあります。三万首の卒業記念にふさわしいと思い,挑戦しました。

 六州歌頭詞譜(新編実用規範「詞譜」姚普編校 による)
  △○●●,▲●●○☆。○△★,○▲★,●○☆。●○☆。▲●△○★,△○★,○△★,△△★,○△★,●○☆。▲●△○,▲●○○★。▲●○☆。●▲○△●(一四),▲●●○☆。▲●○☆。●○☆。
  ●○○★(一三),△○★,○△★,●○☆。△△★,○△★,●○☆。●○☆。▲●○○★。△△★,●○☆。○△★,○△★,●○☆。▲●○○,▲●○○★,▲●○☆。●△○▲●(一四),▲●●○☆。▲●○☆。

 ○:平声。●:仄声。
 △:平声が望ましいが仄声でもよい。▲:仄声が望ましいが平声でもよい。
 ☆:平声の押韻。
 ★:平声と同韻部の仄声の押韻。
 (一四):前の五字句は,上二下三ではなく,一・四に作る。その一は領字。
 (一三):前の四字句は,上二下二ではなく,一・三に作る。その一は領字。


<感想>

 韻律の束縛から自由になりたい、という鮟鱇さんの願いは、平仄で遊ぶことから始まったのだと思います。
 鮟鱇さんとはこのサイトの最初の頃からのお付き合いなのですが、最初にお手紙をいただいたのが1998年の12月、その時にはもう「鮟鱇30韻」に載せましたが、平声30韻全てで作詩をするなど挑戦をなさっていて、すごいエネルギーを持った方だなぁと驚くとともに、どの詩でも必ず一ヶ所は独自に光らせるところを持っていらっしゃり、詩人として尊敬させていただいています。

 「遊ぶのならもっと面白く」、「もっと楽しい遊び方はないか」という子どものような遊び心、これが鮟鱇さんの原点だろうと思いますが、「詞」や「漢俳」の作詩、「中華新韻」の使用など、これまでの伝統漢詩から抜け出せない私(たち)を一気に置いてけぼりにして、もう3万首、山のそのまた向こうの山、もう見通すこともできないような遠くまで走って行っちゃったような気がしますね。

 でも、今回の詩を拝見しても「子どもの遊び心」はまだまだ健在のようですから、この先、どんな漢詩の世界を見せてくれるのか、とても楽しみです。

 記念の数字突破、おめでとうございます。


2010. 1.25                  by 桐山人






















 2009年の投稿詩 第246作は 緑風 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-246

  年末偶成        

案友消長書賀詞   友の消長を案じ 賀詞を書す

頽齢喜寿撫霜髭   頽齢 喜寿 霜髭を撫づ

人間万事塞翁馬   人間万事 塞翁が馬

閑座愁愴世俗移   閑座し 愁愴 世俗の移り

          (上平声「四支」の押韻)

<感想>

 大晦日にいただいた詩ですので、2009年度の最後の投稿作品となります。

 年賀状は新年を賀する手紙でありますが、年齢とともに無事を確認し合うものに変わりつつあるのを、私も少しずつ感じ始めています。
 前半の二句は、そのまま短歌になりそうな、哀感の籠もった好句ですが、「喜」の字だけが浮いています。直前の「頽齢」も「衰える」というニュアンスの強い語ですので、バランスが悪いでしょう。
 「喜寿」で年齢を表しただけのおつもりかもしれませんが、和習でもありますから、ピッタリの年齢にはならなくとも他の語にするか、題名に「七十七」という言葉を入れるのが良いと思います。

 転句の故事は「禍福はあざなえる縄の如し」の喩えになりますので、ある種、達観した境地に居るので、結句の「愁愴世俗移」で終わるのは違和感があります。
 世間の話でなく、自分自身の人生を振り返っての言葉にすれば、全体のまとまりがよくなるでしょうね。


2010. 2. 1                 by 桐山人



緑風さんからお返事をいただきました。

『年末偶成』の親切なご指導有難うございました。
 年賀状を書きながら、親友・・故人、病床にいる人また健常な人などのことをいろいろ考え、また自分自身の歩いてきた道を想いながら作詩したものです。
 ご指摘の点を参考に推敲しましたのでご覧ください。


  案友消長書賀詞   友の消長を案じ 賀詞を書す
  馬齢七七撫霜髭   馬齢 七七 霜髭(そうし)を撫づ
  浮生万事邯鄲夢   浮生万事  邯鄲の夢   
  閑座懐我世変移   閑座し懐ふ 我が世の変移を



 承句の「頽齢」は前回は「喜寿」との関わりで気になりましたが、「七七」に改めたことで問題無くなったと思います。

 結句の「座」は動詞として使うのでしたら、「坐」にした方が良いでしょう。
「我」の語は私が感想に書きました「世間の話でなく、自分自身の人生を振り返っての言葉に」ということで入れられたのでしょうか。平仄も合いませんし、私の言葉が足りなかったかもしれません。
 気になったのは結句の「愁愴」の語で、「人間万事塞翁馬」と悟ったのなら「禍でも福でもあたふたしない」という結論になるかと思ったら、世の推移を「愁愴」すると来たのがつながらないと思った理由です。簡単に言えば、ここでは達観しているべきで、あまり作者の感情を表す必要はないということです。
 「塞翁馬」を「邯鄲夢」に換えても事情は同じですが、達観のニュアンスは少し弱くなったかもしれません。上四字は「閑坐廻頭」くらいでいかがでしょうか。


2010. 2.20              by 桐山人





















 2009年の投稿詩 第247作は 常春 さんから、私の「浮月庭園」に次韻を二首いただきましたので紹介します。
 ありがとうございました。

作品番号 2009-247

  深謝厚情次浮月庭園詩韻(一)        

載詩電網及澄波  詩を載せて電網 澄波を及ぼす

慕接騒人日夜過  慕い接する騒人 日夜過ぎる

富嶽包懐唐宋調  富嶽包懐す 唐宋の調べ

探遊享受恵風多  探遊享受すべし 恵風の多きを

          (下平声「五歌」の押韻)
























 2009年の投稿詩 第248作は 常春 さんの次韻詩、後半を変更されたものです。
 

作品番号 2009-248

  深謝厚情次浮月庭園詩韻(二)        

載詩電網及澄波   詩を載せて電網 澄波を及ぼす

慕接騒人日夜過   慕い接する騒人 日夜過ぎる

越海交流情趣富   越海の交流 情趣に富み

異郷親好感懐多   異郷に親好して 感懐多し

          (下平声「五歌」の押韻)

<感想>

 常春さんが編集された「芙蓉漢詩集 第三集」掲載の三十五首を拝見させていただき、それぞれに感想を差し上げました。指導をしてくださる先生が居なくなったと伺いましたが、皆さんの詩は力強く、読み応えのある作品ばかりでした。
 もうすぐ「第四集」もできあがるとのこと、拝見するのが楽しみです。

 もしお許しいただけるならば、第三集も併せて、「桐山堂」のサイトに転載させていただけると嬉しいですね。


2010. 2. 1                 by 桐山人






















 2009年の投稿詩 第249作は 桐山人 からの作品です。
 昨秋、蘇州と杭州に行きました折の作品ですので、写真も添えてご覧ください。

作品番号 2009-249

  蘇州夜曲        

紅燈映水影漂揺   紅燈水に映じて 影漂揺

江岸微風閑柳条   江岸 微風 柳条閑かなり

一夜酔吟行古鎮   一夜 酔吟 古鎮を行けば

鐘声十里客愁遥   鐘声十里 客愁遥か

          (下平声「二蕭」の押韻)

<解説>

 「蘇州夜曲」と題したのは、蘇州市内の運河をナイト・クルージングしたのですが、その時に中国人のガイドさんが、日本人観光客のために「君がみ胸に 抱かれて聞くは. 夢の船唄 鳥の唄. 水の蘇州の 花散る春を. 惜しむか柳が すすり泣く」と「蘇州夜曲」を朗々と三番まで(?)歌ってくれたことが印象深かったからです。

 結句は、張継の「楓橋夜泊」を意識したため、どうしても「鐘声」を入れたく、同じ意図から「愁」の字も勢いで入れたものです。詩題に「楓橋」を入れた方が詩意も伝わりやすいでしょうね。

  

 左の写真は橋の上から運河を撮影したもの、右の写真はライトアップされた川沿いの古い建物ですが、後方の高層ビルとの対比が面白いですね。


2010. 2. 1                 by 桐山人






















 2009年の投稿詩 第250作も 桐山人 からの作品です。
 

作品番号 2009-250

  天目山夜泊        

早暁窓前地上霜   早暁 窓前 地上の霜

寒禽飛去紫雲長   寒禽飛び去りて 紫雲長し

仏僧処処勤行響   仏僧 処処 勤行の響き

天目二峰山鬱蒼   天目二峰 山鬱蒼たり

          (下平声「七陽」の押韻)



<解説>

 杭州の天目山は、峰が二つ並んで、空から見ると目に見える(だろう)ところから名づけられたそうですが、その名が「天目茶碗」に残っていますね。

 仏教寺院が中腹にあり、ホテルでも早朝に暁霜を切り裂くような叫びの声が響いてきました。
 中国のどの都市に行っても高層ビルが建ち並び、国そのものの風景が変わりつつあるのを感じますが、この天目山での朝は静謐な空気が凛と張り詰めていました。


2010. 2. 1                 by 桐山人






















 2009年の投稿詩 第251作も 桐山人 からの作品です。
 

作品番号 2009-251

  太湖        

太湖晴日水烟中   太湖 晴日 水烟の中

遠望山巓塔影朧   遠望する山嶺 塔影朧たり

波動青蘋来古岸   波動きて 青蘋 古岸に来たる

呉城蕭颯暮秋風   呉城 蕭颯 暮秋の風

          (上平声「一東」の押韻)



<解説>

 太湖に行った時は晴れていたのですが、靄が水面を覆い、彼方はぼんやりとしか見えませんでした。
 承句は当初、「鹿頂山巓塔影朧」として地名を入れていたのですが、湖一面の霞んだ趣を出すために、特定の場所を指す固有名詞を避けました。

 太湖は琵琶湖の七倍程の広さを持っているそうですが、岸から見ると発生した青藻が油のように水面を覆っていて、水質の悪化が進んでいるようでした。
 そんなことを考えると、ついつい気持ちが重くなり、秋風が身に染みたものです。


2010. 2. 1                 by 桐山人






















 2009年の投稿詩 第252作も 桐山人 からの作品です。
 

作品番号 2009-252

  西湖        

白蘇堤堰柳陰深   白蘇の堤堰 柳陰深く

浩漾烟霞島影沈   浩漾たる烟霞 島影沈む

晴雨春秋都好景   晴雨春秋 都て好景

西湖千載尽詩心   西湖 千載 詩心を尽くす

          (下平声「十二侵」の押韻)

<解説>

 今回の旅行の目玉が、この西湖でした。白居易や蘇軾など、古人の心を擒にしたこの湖を何としても見ておきたいというのが年来の望みだったので、本当に大満足でした。

 転句はもちろん、蘇軾の「・・・晴れ方に好し・・・雨も亦た奇なり」(「飲湖上初晴後雨」)を受けてのものです。

 結句は「尽」一字で随分悩みました。「誘」「促」「集」「聚」「展」など、あれこれと考えて、「千載」とのつながりで時間経過を感じさせる「尽」にしたのですが、まだ悩ましいところです。


  

 左に写っている小舟は手こぎ舟でした。右は遊覧船から撮った湖水です。



  

 左の写真は、白居易が築いたと言われる「白堤」、右は蘇軾が築いた「蘇堤」の柳を写しました。





 これは、蘇堤に建てられていた蘇軾の像です。

 勿論、夜は東坡肉を食べたことを最後に報告しておきます。


2010. 2. 1                 by 桐山人