2008年の投稿詩 第271作は 忍夫 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-271

  訪甲賀     甲賀を訪ふ   

江上閑村秋巳深   江上の閑村 秋すでに深く、

稲田刈尽寂虫吟   稲田刈り尽くされて、虫吟寂し。

行行満地秋桜美   行き行きて、地に満つる秋桜の美、

黄蝶与吾同一心   黄蝶と吾、同じく一心。

          (下平声「十二侵」の押韻)

<解説>

 晩秋の甲賀を訪れたときのこと。稲は刈りつくされて、田が焼かれておりました。20ヘクタールに及ぶコスモス畑があるといことで、そこまで足をのばしました。丁度、コスモスが満開で、黄蝶が舞っておりました。

<感想>

 先の「黄菊」と同時期に作られたものですね。
 承句の「寂虫吟」はお気に入りのお言葉でしょうか、前作でもお使いになっておられたものですが、読み下しはできるだけ「寂たる虫吟」とした方が良いでしょう。
 下三字は押韻や平仄のために文法に反した語順で表されることがありますが、詩意を優先すると言うことで批判はされません。しかし、文法を破っていることは間違いはありませんので、破格を避けられるのならばできるだけ避けるような読み下しにしたいと思います。

 その「寂虫吟」ですが、「稲田刈尽」のこちらの方が、前作の「素月」に較べるとまだ「寂」の理由はわかりますね。

 前半の寂寥感に対して、後半はコスモス畑に感動しての高揚感が出てくるのですが、その象徴として「黄蝶」を置かれたのでしょう。ただ、「与我同一心」だけでは無理があります。
 せめて一言、「黄蝶」がひらひらと楽しそうに飛んでいるという記述を入れると、「同一心」がストレートに伝わりますね。

2008.12.31                  by 桐山人




 謝斧さんから、結句の表現は「荘子の斉物論からでしょうか」とのご指摘をいただきました。
この時の作者が「蝴蝶之夢」の心境になられたという形で読んでいくと深みが出てきますが、逆に深くなりすぎるかもしれないですね。
 そのあたりのお気持ちが謝斧さんの「・・・でしょうか」の疑問形に表れているのでしょうか。

2009. 1. 4                 by 桐山人


井古綆さんからも感想をいただきました。

 忍夫雅兄、明けましておめでとうございます。

 起承転結は整っていて何も申し上げることはありません。
 表現の面で感じましたことを申し上げます。

 起句に言及すれば、「閑村」を修飾するには現実を見てこられた「江上」よりは詩全体の雰囲気を考慮すれば「寂歴」のほうが良いように思われます。
 また「秋」の重出は出来ましたならば、除去するのが良く、「秋」と「秋桜」を比較すれば「秋桜」が優先しますので、「秋」を他の語に変えたいと思います。

 承句、「稲田」ではただの「たんぼ」ですが、「美田・豊田・沃田・肥田」などにすれば、詩に味わいが生まれます。
 これは作者では気が付きにくく熟考するしかありません。
 下三字の「寂虫吟」は鈴木先生も仰るように文法上では正式ではありません。先賢の詩にも間々ありますが、千思万考して後のやむを得ない措辞であろうと思います。。。また虫は具体的に「蛬吟・コオロギ」として、試作では「只蛬吟」としてみました。

 転句は最も難しく、御作の「行行満地秋桜美」では美しさは表現できますが、驚きの感情が伴なわないので、試作では率直に「驚殺秋桜繚乱美」としてみましたが、「美」を隠して「景」といたしました。「美」とすれば読者がどのような状景であろうかと想像する興味がなくなります。

 結句、ここは雅兄も悩んだところではないかと推測いたします。読み下しで「黄蝶と吾・・・」とされていますが、白文では「与黄蝶与吾同一心」と措辞すべきを、字数に制限があるため句頭の「与」を省略したもので、読み下しでは「黄蝶と吾と・・・」とすべきだと思います。
 雅兄のこの表現に少し疑問がありましたので、現実的ではありませんが、蝶との連帯感を出して、「誘吾黄蝶是同心?」としてみました。「?」は古典詩には存在しませんが、現代の中国の方は使用されているようですので使用してみました。

 なお起句の「深」は使用できませんでした。

 多くの注文をいたしましたが、起承転結全体として整っていましたので、つい妄批をいたしました。お許しを願います。

       試作晩秋
  閑村寂歴早寒侵、   閑村 寂歴 早寒侵し、
  已刈豊田只蛬吟。   已に豊田を刈り 只蛬吟(きょうぎん)のみ、
  驚殺秋桜繚乱景、   驚殺す 秋桜 繚乱の景、
  誘吾黄蝶是同心?   吾を誘(いざな)ふ黄蝶 是れ同心?

2008. 1. 9                 by 井古綆





















 2008年の投稿詩 第272作は 青眼居士 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-272

  晩秋偶感        

三門楓樹碎紅鮮   三門の楓樹 砕紅鮮やかに、

鴨脚満黄堆院前   鴨脚 満黄 院前に堆し。

綺艷風光還寂寞   綺艶の風光 還って(かえって)寂寞、

秋應立盡仰西天   秋は応に 立ちどころに尽くるべし 西天を仰ぐ。

          (下平声「一先」の押韻)

「鴨脚」: 公孫樹、いちょう。

<感想>

 秋がまさに終わろうという瞬間を切り取ったような鮮明さがありますね。良い詩だと思います。

 「三門」は禅寺の門ですが、一つしか無くても「三門」と言います。
前半の、楓と公孫樹の葉の色彩感は鮮やかで、一気に晩秋の風景の中に読者をひっぱってくれます。

 転句は、その前半の叙景を上四字で受け取り、下三字の「還寂寞」という感情語が結句を呼ぶという構成で、結句の痛切な感情を引き立てる役割を果たしていると思います。

 結句の上四字と下三字に置かれた間が、一呼吸も二呼吸もあるようで、「仰西天」の言葉が深い余韻を引き出していると思います。

 「鴨脚」はイチョウの葉の形が鴨の脚に似ていることからの漢字ですが、明代の発音から日本名の「イチョウ」という名がつけられたそうですね。

2009. 1.8                  by 桐山人






















 2008年の投稿詩 第273作は 鮟鱇 さんからの作品です。

作品番号 2008-273

  傾聽田原先生之題馬詩有感作一首絶句留念        

華人騎馬過滄溟,    華人 馬にって滄溟をよぎり,

獵獲詩魔飛鳳声。    詩魔を猟獲りょうかくして鳳声を飛ばす。

東海凡夫正知是,    東海の凡夫 正に知る是れ,

清才韻事擅風情。    清才 韻事に風情をほしいままにすと。

          (中華新韻「十一庚」の押韻)

<解説>

 猟獲(中日辞典):(猟で)しとめる。捕らえる。

 11月初旬に東京で「東京ポエトリーフェスティバル2008」なる国際詩祭があり、聴きにいきました。
 私が所属する世界俳句協会、国際俳句誌「吟遊」のディレクターである俳人の夏石番矢氏が実行委員会のディレクター、「現代詩手帖」の編集長だった詩人の八木忠栄氏が副ディレクターを勤めて開催されたもので、日本の著名な詩人・歌人・俳人21人の作品と、世界20カ国の20人の詩人の詩とHAIKUを、原語と英語等の翻譯で聴くことができました。
 これだけの国の詩人が集まったのは日本では初めて、ということで、日経新聞の記事やNHKのニュースにも紹介された詩祭です。
 詩人たちの朗読は、英語や現代詩語を含め、私には半分以上が宇宙語でしたが、北欧やバルト三国、トルコやモンゴルなど、滅多に聞くことのできない言葉の、なぜか耳に快い、あるいはとても深遠な、響きを聴くことができました。
 また、世界の詩人がどういうことに詩を見出しているのかということをめぐって、あれこれ思うことありで、大変よい機会でした。

 そのなかで中国から参加した田原(Tian Yuan)先生は、日本の現代詩の翻訳者としても活躍している詩人ですが、オリジナルは日本語である現代詩を中国語への翻譯で朗読し、異彩を放ちました。そして彼は、レセプションでの朗読では、「私は一頭の馬と日本に来ました」と挨拶して、「馬」という現代詩を朗読しました。
 現代詩ですので、「馬」という語が何度か反復され、それが全体をリードする響きを生み出していました。
 「馬」は四声では第三声。田原先生と少しくお話しできる機会があり、「第三声の響きがとても印象に残りますね」というと、「ええ。第三声には、次へつながる働きがある」とのこと。私が「第四声は、その反対に、気持ちを断ち切ると考えてよいか」とお聞きすると、ええ、とのお答え。新韻で漢詩を作るうえで、ひとつ勉強になりました。

 さて、拙作は、田原先生の詩を拝聴し、お話できたことの記念に作り、翌日、先生に贈呈したものです。「騎馬過滄溟」は、田原先生の挨拶を踏まえています。海を渡るのは、通常は船ですが、天馬なら海を越えることができます。また、「東海」は日本、「東海凡夫」は、小生のことです。
 結句一字目「清」は、冒韻です。田原先生の詩才の印象はやはり「清」、ということで。

 田原先生、喜んでくれました。「ん、平仄も整っている」ともいわれました。田原先生の詩、日本人が書いたといってもおかしくないほどに自然な日本語で日本の現代詩のよいところを取り入れていると思いましたが、日本の現代詩との一般的な違いをいえば、「詩は志を言う」という中国詩の伝統が力強く息づいている、という印象があります。
 詩は自由です。しかし、詩人がどれほど意識して自由奔放になろとしても、その潜在意識と言葉には、脈々と流れる先祖の声、とでもいうべきものが、詩人の心を暗黙のうちに支配するように思えます。よい意味での「伝統」とは、そういうものではないかと思いました。

<感想>

 声調に関するお話は面白いですね。
 漢詩で言うところの四声とは異なるわけですから、そのままに当てはまることはないのですが、でも、唐の時代の詩人も「去声はどうも調子が切れるなぁ」とか「やっぱり平声は明るいぞ」というような感覚を持っていたのかもしれないと考えると、ただ単に規則のように当てはめている平仄に対しても、古人の息づかいが感じられるような思いがします。

 李白や杜甫が若い頃にそんな四声談義をしていた場面を想像するのも楽しいですよね。

2009. 1. 8                 by 桐山人






















 2008年の投稿詩 第274作は 嗣朗 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-274

  遊湖東三山     湖東三山に遊ぶ   

津津浦浦競秋妍   津津浦浦 秋妍を競へば

古刹三山諭徳伝   古刹の三山 諭徳伝ふ、

血染幽楓風一陣   血染めの幽楓 風一陣

舞容枯葉気如仙   舞容の枯葉 気は仙の如し。

          (下平声「一先」の押韻)

<感想>

 起句の「津津浦浦」は「つつうらうら」では和語ですので、「シンシンホホ」とでも読むのでしょうか。しかし、「津津」は「興味津津」で使われるように、後から後から湧いてくることですので、意味がつながらないでしょうし、ここは和語だと開き直ったというところでしょう。転句の「血染」も同様でしょうね。

 結句の「舞容」は「舞い姿」ということで上四字は一応分かるのですが、最後の「気如仙」がどこから出てくるのか、読者には伝わらず、突然置き去りにされたような寂しさが残ります。

 全体を眺めても(和習は別として)、「諭徳」「血染」「気如仙」各語の持つイメージが統一されていません。何か血なまぐさい過去の戦を思い出しているのかと感じました。作者の思い描いている心情と詩に用いる言葉とのバランスを検討してみてください。

2009. 1. 8                 by 桐山人



井古綆さんから感想をいただきました。

 嗣朗雅兄、今晩は。
 『遊湖東三山』を拝見いたしましたが、率直に申し上げれば、三山すなわち金剛輪寺・百済寺・西明寺を一緒に詠じるのは無謀だと思います。
 「遊湖東三山○○寺」にするほうが良いのではないかと思います。
 わたくしはこの三箇所のお寺に参詣したことが無く、個々の詩を作ることは出来ませんので、雅兄の詩題の通りの題で試作して見ました。
 然しながらこれでは詩意がつくせませんので、三部作として作詩されることを、お勧めいたします。

    試作 遊湖東三山
  仏徳閶吾秋杪天   仏徳 吾を閶(いざな)ふ 秋杪の天
  斖斑紅葉競鮮妍   斖斑(らんぱん)たる紅葉は 鮮妍を競ふ
  湖東三寺周倉卒   湖東の三寺 倉卒と周れば
  健脚蹣跚意晏然   健脚蹣跚(まんさん)たるも意晏然

「閶」: 誘う
「秋杪」: 暮秋
「斖斑」: 色がまじりあって美しいさま
「倉卒」:あわただしく
「蹣跚」: 足元がよろめくさま
「晏然」:安らかなさま


2009. 1.23                   by 井古綆





















 2008年の投稿詩 第275作は 兼山 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-275

  賀上棟        

平成二十菊花秋   平成二十 菊花の秋

新築香材合掌収   新築 香材 合掌して収まる

良薬雖言於口苦   良薬は 口に苦しと 言ふと雖も

即醫仁術勿何憂   即ち 醫は仁術なり 何んぞ憂ふること勿からん

          (下平声「十一尤」の押韻)

<解説>

 同じ町内のクリニック病院が現在の手狭な施設から移転すべく、鋭意新築工事中です。
 熱心な院長先生の人柄もあって、殊に高齢者の患者が多く、新しい建物の早期完成を(両手を合わせて)待ち望んでいます。本体は二階建て鉄筋コンクリート造りですが、屋根組みは木造であり、恰も建物の安全を祈る様な形で、白木の大きな合掌が組み合わされているのが大変印象的でした。

 「上棟」「合掌」も、元来、日本的な建築用語ですが、掛かり付け病院の「身近な」伝統行事を祝す為には、敢えて「和臭も已む無し」ではないだろうかと思います。如何でしょうか。

 「上棟式」恒例の博多祝い唄「祝い目出度の、若松様よ」だけでは芸が無いと思い、祝吟する為に絶句を詠みました。

<感想>

 和習についてのご質問ですね。
 ご心配されている「合掌」は、「合掌造り」という意味で言えば和習になりますが、もともとは「掌を合わせる」という仏教用語ですので、「合掌して収む」とでも読めば分からないことはないですね。

 和語ということで見れば、その前の「平成二十」の方が読解は難しいでしょう。
 「上棟」もそうですが、こうした、漢語には無い言葉(和語)や日本語の意味でしか通じない言葉は、できるだけ詩中では使わず、詩題の方に入れるような形が望ましいですね。

 ただ、こうした記録とか記念のための詩作の場合には、どうしても固有名詞とか、和語を詩中に用いたくなるものです。うまく漢語に置き換えられた場合でも、和語とのニュアンスが微妙に違うとかいう問題も出てきて、「和習も已む無し」という気持ちになるのもよく分かります。

 和習を避けるという原則は変わりませんが、作者が承知の上、つまり「確信犯」ならば仕方ないかなと思っています。
 しかし、そうした詩を不特定多数の人に見せるような場合、「私は確信犯だ」と伝えない限り、瑕疵の非難を受けることは覚悟しなくてはいけません。
 また、相手に贈る時には、「形式は少し外れていますが・・・」とひと言添えるようにした方が良いでしょうね。固有名詞が入ってたりすると相手の方は喜んで下さるでしょうが、「こんな詩をプレゼントしてもらった」と漢詩に詳しい方に見せたりした時に、「これは漢詩としては完璧でない」と言われたりすると、相手の方にかえって申し訳ないことが起きるかもしれないからです。

 転句は「雖言」が文の頭に来ないと読みづらいですね。「良薬於口苦」は成語ですので、これを分割されるのも気になります。
 また、結句の「勿何憂」も、「何」を先に置かないといけません。
 どちらも平仄の関係で入れ替えたのでしょうが、苦しかったですね。

2009. 1. 8                 by 桐山人



井古綆さんから感想をいただきました。

 兼山雅兄、玉作を拝見いたしました。

 先ず、起句、「二十」は「廿ジュウ」がありますので、「廿載」とすれば良いと思います。
 承句、「合掌」は解説がなくては不明のように感じます。
是非とも合掌を入れるならば、「此に完成を祷って合掌すること脩(なが)し」としたほうが良いように思います。
 転句結句は、作者の気持ちは分かりますが、詩意が異質なものではないかと思います。
 結句の『勿何憂』は否定詞が重なっていて、肯定の意味になるような気がいたします。「亦何憂」とすれば意味が通るように思います。
 しかしながら違和感は残ります。

     試作 祝病院上棟

  平成廿載菊花秋、   平成 廿載 菊花の秋、
  病院完成鶴首脩。   病院の完成 鶴首して脩(なが)し。
  今日邦家老齢満、   今日 邦家 老齢満ちる、
  此迎国手更何憂。   此に国手を迎えて 更に何をか憂へん。

※「此」: 新病院。

2009. 1. 9                by 井古綆


兼山さんからもお返事をいただきました。

 新年あけましておめでとうございます。
 新春早々に拙作「賀上棟」(20008-275)を掲載して戴き、有難う御座いました。

 和習の問題、「確信犯」たる資格なんぞ有し得ませんが、今後勉強する事に致します。
転句及び結句の「漢文法」不首尾の件、平仄の関係で、確かに「苦しい」無理な語序入れ替えでした。
推敲を重ねる過程で、旧作(賀上棟)の時期から、追って(近々)落成・竣工の運びになりましたので、改めて『祝新築』と題して、下記の通り、修正・改作致しましたので、宜しく御願い致します。

 今月末の講演会(1)及び懇親会(2)を楽しみにしています。
(1)石川先生の著書(「漢詩の講義」他)を再度読み直し、CDを聴き直しています。
(2)錚々たる諸先輩方と如何なる「漢詩」の話が出来るだろうか?心配ではあります。

     祝新築
  東風一夜五雲流   東風 一夜 五雲流る
  病棟落成催宴遊   病棟 落成 宴遊を催す
  良薬合之於口苦   良薬は 合に之れ 口に苦し
  醫之仁術更何求   醫は 之れ 仁術なり 更に何をか求めんや

        (下平聲十一尤韻)

春一番が吹いた翌朝、東天に瑞雲が棚引いている。
新築なった診療所の落成・竣工式での祝詞である。
「良薬は口に苦し」とも、また「医は仁術」とも言う。
患者と医師の間に、これ以上の信頼関係があるだろうか。

(質問1)「合是」の用例は有りましたが、「合之」とする事の是非。
(質問2)「之」重出は許容出来ますか。「良薬」及び「医」の強調効果?
以上2点、教えて下さい。

2009. 1.12                by 兼山


井古綆さんからお手紙をいただきました。

 兼山雅兄、今日は。
 推敲作を拝見いたしました。

 やはり転句の「良薬は・・・」が気になります。(私見ですが)更に結句の「醫之仁術更何求」の語法では作者が “高所より議論している” ような表現に感じられる気がいたします。
「名医の仁術 更に何をか求めん」とすれば良いと思います。

 現実を見ていないわたくしが、推敲するのは不遜かも知れませんが、以下のように考えてみました。

     試作
  瑞雲靉靆迓春柔   瑞雲 靉靆 春柔を迓へ
  病棟落成鍾衆眸   病棟は落成して 衆眸を鍾(あつ)む
  診断精機総完備   診断の精機 総て完備
  名醫仁術更何求   名医の仁術 更に何をか求めん

「春柔」: (寒気が)柔らかい春。
「鍾」:  集。
「完備」: 当クリニックに相応な機械。

2009. 1.23                   by 井古綆


 ご質問の件ですが、「之」と「是」は読みは同じでも役割が異なりますので、使いにくいでしょう。
「之」の重出については、用法が異なりますので使えますが、ここでは転句の「之」を直す必要がありますので、重出は避けられるはずです。

2009. 2.12                   by 桐山人





















 2008年の投稿詩 第276作は名古屋市にお住まいの 老伸 さん、六十代の男性の方からの初めての投稿作品です。
 

作品番号 2008-276

  山寺秋聲        

山内風生煙霧濃   山内は風生じて煙霧濃なり

故園薄暮少人蹤   故園は薄暮して人蹤少なり

応憐落葉秋聲響   応に憐れむべし落葉秋聲の響

惜歳獨悲聴晩鐘   歳を惜しんで獨り悲しく晩鐘を聴く

          (上平声「二冬」の押韻)

<解説>

 寺の境内は風にのって霧が濃やかに立ち込めてきた。
 古雅の庭は日暮れになって人影がなくなった。
 憐れんでやりなさい、秋を感させてくれる木の葉の散る音を
 重ねて歳を惜しんで独り悲しく晩鐘を聴く。

<感想>

 老伸さんは詩吟をなさっておられて以前から存じ上げていましたが、一月のサイト懇親会にご参加くださるとのことでしたので、皆さんへのご紹介を兼ねて、私からお願いをして詩を一首送っていただきました。

 晩秋の寂寥感が前半に示され、結句の「惜歳」の語によって、その気持ちが一年の終わりを感じ取ることへと発展し、更には人生への思いまで広がっていくような気がしますね。

2009. 1. 8                 by 桐山人






















 2008年の投稿詩 第277作は 湘風 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-277

  秋夜独坐        

独坐傾杯已五更   独坐して杯を傾くれば 已に五更

開窓月耀露華清   窓を開くれば月耀きて 露華清し

繙書浄机孤灯下   書を繙く 浄机 孤灯下

唯欲桂詩意未成   唯 桂詩を欲すも 意 いまだ成らず

          (下平声「八庚」の押韻)

<感想>

 湘風さんはこの作品が4作目だと思いますが、どんどんとお上手になられていますね。

 秋の夜にひとりで読書にいそしんでいらっしゃるお姿が目に浮かんでくるようで、用語的にも調和の取れた詩になっていると思います。

 直すところがあるとすれば、起句の「独と転句の灯下」の重複、結句の「唯」の字の役割がはっきりしない点でしょう。
 ただ、「唯」については、直前の「孤」が無くなれば、それほど気にならないかもしれませんので、一度転句を推敲されてからお考えになると良いでしょう。

 結句の「桂詩」「佳詩」の入力間違いでしょうかね。

2009. 1.10                  by 桐山人






















 2008年の投稿詩 第278作は 点水 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-278

  初冬        

夜中雲散入新晴   夜中 雲散じ 新晴に入る

窓外無音寒気生   窓外 音無く 寒気生ず

天亮繁霜輝葦屋   天あかるく 繁霜 葦屋に輝く

日昇滴露濕柴荊   日昇りて  滴露 柴荊を濕らす

山茶花發紅葩艶   山茶花發し 紅葩 艶やか

繍眼兒巡翆翼清   繍眼兒巡り 翆翼 清し

啜茗閑吟凭浄几   茗を啜り 閑吟 浄几に凭る

初冬風物有餘情   初冬の風物 餘情有り

          (下平声「八庚」の押韻)

「繍眼兒」: めじろ

<解説>

 習作を試みております。
桐山人先生をはじめとして、謝斧先生、井古綆先生などから、いろいろとご指導いただき、感謝しております。
 なかなか、ご指導通りにはいきませんが、今後も努力していきたいと思っておりますので、よろしくお願いいたします。

<感想>

 初句の「夜中」は、もう少し、具体的に明け方に近い時刻が感じられるような言葉が良いでしょう。「夜来」ではありきたりだと思ったのでしょうか。
 頷聯上句の「天亮」によって朝が来たことを示した意図はわかりますが、「夜中」から突然朝がきたような印象です。

 最後の第八句の結びになりますが、これだけ情景を整えてきましたので、「有余情ではもの足りませんね。
 何かドキッとするような比喩が来ると面白いでしょう。



2009. 1.17                  by 桐山人



井古綆さんから感想をいただきました。

 点水雅兄。玉作を拝見いたしました。

 対句の二聯、作を追うごとに上手になられています。
メジロの漢語が「繍眼児(鳥)」であることを学びました。欲を言えばサザンカを漢語の「茶梅(花)」とすれば更に良いと思いました。

 鈴木先生のご指摘の「何かドキッとするような比喩が来ると・・・」拝見して長考いたしました。
 結果として前聯の「霜」に着目しました。杜甫の「登高」にある「繁霜鬢」とあるように加齢を表す語を思い出しました。ですが、御作では前聯のため語句が遠すぎて完全に作り直さなくては成りませんので、「鬢糸」の語を考えました。
 以上のことを勘案して、尾聯を次のようにいたしました。

    亦遇初冬存万感   亦初冬に遇えば 万感を存す
    就中鏡裏鬢糸盈   なかんずく鏡裏の 鬢糸盈つ

 と、このようにすれば、第一句の「夜中」が不都合になりますので、「流雲散尽入新晴」としました。

 参考になりますでしょうか。

    *******************
 ちなみに昨年末に作った詩の尾聯の詩意が似ているようでしたので、併記いたします。

大窪詩佛の詩(http://www.kangin.or.jp/what_kanshi/kanshi_B19_3.html) を下敷きにしました。

    霜
  自古并稱節操堅、   古へ自(よ)り 節操堅しと并称(へいしょう)され、
  窮秋凛冽降寒天。   窮秋 凛冽 寒天に降る。
  塾生汲水清莊外、   塾生 水を汲めば 荘外に清く、
  遊子思郷疑月前。   遊子 郷を思ひて 月前に疑ふ。
  茅店鶏聲一橋白、   茅店(ばうてん)の鶏声 一橋白く、
  騷人筆勢萬楓然。   騷人の筆勢 万楓然(も)ゆる。
  休言日上如朝露、   言うを休めよ 日上れば 朝露の如しと、
  老去何時加鬢邊。   老去すれば 何れの時にか 鬢辺に加わる。

「并称」: 雪と。
「窮秋」: 晩秋。
「降寒天」: 霜気が天に満ちる。霜満天を変用。(http://www.dokidoki.ne.jp/home2/tokiwa/ginei/fuukyou.html)
       中国では地上に霜が降る前に、大気中に霜の気が満ちると考えられていた。

 対句四句にそれぞれ、
廣瀬淡窓「桂林荘雑詠」(http://www.geocities.jp/sybrma/82hirosetansou.kanshi.html)
李白「静夜思」(http://www.dokidoki.ne.jp/home2/tokiwa/ginei/seiyasi.html)
温庭筠「商山早行(http://tosando.ptu.jp/shi2001-1.html#si2001-4gf)
杜牧「山行」(http://tosando.ptu.jp/shi99-4.html#si99-22gf)
 を挿入しました。


2009. 1.20                by 井古綆





















 2008年の投稿詩 第279作は 緑風 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-279

  楽北三会信州旅行     北三会信州旅行を楽しむ   

光陰五六已時遷   光陰五六 已に時遷り

学友相逢楽晩年   学友相逢ひて 晩年を楽しむ

紅葉信濃温浴夜   紅葉の信濃 温浴の夜

青春懐顧入瓊莚   青春を懐顧し瓊(けい)莚(えん)に入る

          (下平声「一先」の押韻)

<感想>

 題名の「楽」は邪魔ですね。楽しかったかどうかは詩から感じ取れますので、「北三会信州旅行」だけで十分ですね。

 同期の仲間との集いは楽しく、昔を懐かしく思うというよりも、昔にそのまま戻ってしまうような感じがします。
そういう意味では、結句の「青春懐顧」は他人事のようで現実感がなく、もう少しこの時の作者の気持ちを具体的に細かく書いてもいいのではないでしょうか。

2009. 1.17                  by 桐山人






















 2008年の投稿詩 第280作は 博生 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-280

  激変歳晩        

百事慌忙噪聒中   百事慌忙 噪聒の中

流年廻首在荒叢   流年首を廻らせば 荒叢に在り

四旁枯色如何是   四旁枯色 如何なるか是なる

起死回生待恵風   起死回生 恵風を待つ

          (上平声「一東」の押韻)

<解説>

 米国金融危機に端を発する突然の経済困難、大恐慌に陥らないことを祈るのみ。

<感想>

 起句の内容を転句の「荒叢」によって象徴したという形でしょうか。それとも、世俗の雑事から離れた自分を言っているのでしょうか。
 前者で取れば、「噪聒」「荒叢」「四旁枯色」と糸で結ばれたようにつながり、重層的な表現になりますが、やや煩瑣な印象でもあります。
 後者で取れば、承句転句の自己描写を起句承句の世事が挟むというサンドイッチの構成となります。こちらの方が味わいがあるでしょうね。

 年末以降、更に世情は混乱を深くし、あれだけ儲けていたはずの企業が赤字に転落、人員整理の嵐が吹き荒れていて、そのおかげ(?)か国会の混乱は鎮静化しつつあるような、何とも不思議な一カ月でした。
 まさに、「起死回生待恵風」という心境ですね。

2009. 1.24                  by 桐山人






















 2008年の投稿詩 第281作は 井古綆 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-281

  祝五代目桂米團冶襲名        

嚴君一代復梨園、   厳君(げんくん) 一代 梨園を復す、

豈計鳳雛承祖門。   豈計(あにはか)らんや 鳳雛(ほうすう) 祖門を承す。

勿道無爲出藍譽、   道(いふ)勿かれ 為す無く 出藍の誉れと、

霜辛雪苦注心魂。   霜辛雪苦(そうしんせっく) 心魂を注ぐ。

          (上平声「十三元」の押韻)


「厳君」: 他人の父の敬称。ここでは桂米朝師をさす。
「梨園」: ここでは落語界。
「豈計」: 当然『小米朝』が『米朝』の大名跡を継ぐものと考えられていた。
「復」:  復興。戦後上方落語の衰退を、米朝師ら四人が復興させた。
「鳳雛」: 鳳凰の雛の意。年若い英才。ここでは米朝師の令息、小米朝をさす。
「承」:  承継。
「祖門」: 米朝師の師である『桂米團冶(かつら よねだんじ)』の名跡をさす。
「出藍誉」: 弟子が師匠を越えてすぐれているという名声。
「霜辛雪苦」: 霜雪○●と辛苦○●との互文。

 「系図

 拙作「祝桂米朝師文化功労者受賞

<解説> <解説>

 鮟鱇雅兄玉作『青過于藍』を拝見して『出藍の誉れ』を連想しました。

<感想>

 井古綆さんからは、ご紹介にあったように、以前も米朝師匠への詩を送って下さいました。

 私は関西に住んでいませんが、井古綆さんの高揚感は理解できるような気がします。特に、「出藍誉」の言葉を用いたのは、それだけの思いを米朝師にも小米朝にも籠めているということでしょうね。

 関西の方々は、この詩を読むときっと手を打って賛意を示されるのでしょうね。

2009. 1.24                  by 桐山人






















 2008年の投稿詩 第282作は 謝斧 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-282

  菅丞相        

東都腥雨漂妖気   東都腥雨に妖気漂ふ

西海荒波落徳星   西海荒波 徳星は落つ

空嘆山川蒙日月   空しく嘆く 山川日月蒙く

忽驚天地震雷霆   忽ちにして驚く 天地雷霆震ふを

妬賢弄讒李林甫   賢を妬み讒を弄す 李林甫

憂国貶流張九齢   国を憂ひ流に貶せらる 張九齢

菅氏文章見忠節   菅氏の文章 忠節を見はし

生施事業没英霊   生きては事業を施し 没しては英霊

          (下平声「九青」の押韻)

<解説>

 此の詩は旧作で瑕疵があります。
 青韻は険韻ではないのですが、難しい韻なので、対句にして文落としで逃げています。
首聯の対句は瑕疵になりやすいのですが、此の詩は 菅丞相の無念な心を詠じています。

 「東都」は藤原時平・菅根が居る京都を差し、「妖気」は菅公の怨念です。「徳星」は菅公をさします。

 句は倒装句です。
 首聯の対句は拘束されやすいので、詩意も弱くなりますが破題にそってるようにおもいます。

「山川」: 国家を指す
「蒙日月」: 藤原氏の専横
「震雷霆」: 火雷天神となって無念を雪ぐ
「李林甫」「張九齢」: 張九齢は李林甫の讒訴により貶せられる
「没英霊」: 天暦に(天満天神)崇祀され正暦(太政大臣)に栄贈される

 詠史ですが、こういった詩はその人の事業を羅列して冗長に了るので、その点できるだけは気をつけて作詩しました。
 詩意の性格上、風雅から離れたものになっています。

 こういった題材を詩にするにはよくないかもしれません。
これが一番の瑕疵でしょうか。

<感想>

 菅公・菅原道真とは関わりの深い謝斧さんですので、作詩の際にもお気持ちが強く入られたのではないでしょうか。

「大鏡」では、藤原氏の専横に対しての批判的な目が濃く見られるのですが、しかし、悪役の柱でもある時平に対しては、人物の大きさを強調していて、何となく弁護しているというか、弁解めいた印象を受けます。
 そのあたりが、江戸期の勧善懲悪による人物の類型化とは異なる、ある種のバランス感覚みたいなものかもしれませんね。

 現代の私たちの見方からすると、初句の「腥雨漂妖気」のような一種の凄みのある描写の方が菅原道真の無念さに共感が持てますが。

2009. 1.24                  by 桐山人






















 2008年の投稿詩 第283作は 常春 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-283

  訪旅順     旅順を訪ふ   

戰史馳名地   戦史 馳名の地

難攻投白兵   難攻 白兵を投ぜりと

招魂爾靈塔   招魂 爾霊の塔

訪蹟水師營   蹟を訪ふ 水師営

灣口沈船塞   湾口 船を沈めて塞し

山腰築塹征   山腰 塹を築いて征つ

砲休如故友   砲休みて 故友の如し

往事武人情   往事 武人の情

          (下平声「八庚」の押韻)

<解説>

 明の時代、遠征の「旅途平順」旅順口と名づけられた要地が旅順です。
 日清戦争当時、清国はここを北洋艦隊の拠点としましたが、三十日足らずで陥落しました。
 この講和には独仏露三国が関与し、この三国は夫々権益を得ました。ロシアは一八九八年、旅順大連を租借地として、ここに軍港と難攻不落といわれた要塞を築きました。
 「ロシアの砲台トーチカ百三十あまり、日本軍が築いた塹壕坑道四千メートル」と現地で買った本に記載されています。

 湾口には三回にわたって老朽船を沈める閉塞作戦が行われました。二百三高地の戦跡は今もよく保存されています。
 旅順攻城の司令官、乃木希典は、漢詩『爾霊山』にあるように、犠牲をいとわない非情の軍人であり、また『凱旋』にみられる謙虚温篤な軍人でもありました。
 また、ステッセルとの会見などで世界に名をとどろかせた武人でもあります。
 乃木神社脇の旧居には日本占領の司令官マッカーサーの植樹が遺されています。

 この詩は、これらを踏まえ、また当時の世界の情勢で必然であった日露戦争を 客観視しようと務めました。

<感想>

 乃木将軍に対しての評価は、戦後になって随分揺れているように思います。そうした難しい部分を配慮しつつの作詩ということですが、五言では一句の表現に限界があり、意図が十分に生かされてはいないように感じます。
 頸聯までの描写から常春さんの独自の視点を読み取ることは難しく、事実を並べた感じです。(それはそれで悪くはないのですが、あらかじめ常春さんの作詩意図と聞いてしまいましたので)
 尾聯で乃木将軍の武人としての心の有り様を出されたのですが、それまでの聯とのつながりが読み取れず、突然詩が終わったという感じです。
 「五言では・・・・」と先に書きましたが、前半の事跡のところで、乃木将軍の心情が感じられるような言葉を入れられると、随分尾聯の印象も変わると思います。

2009. 1.24                  by 桐山人



井古綆さんから感想をいただきました。

 常春雅兄、玉作を拝見いたしました。
 詠史詩とは難しいものです。何故ならば多くの人が史実として熟知しています。それをご承知でこの五律にまとめ上げたことは賞賛に値します。
 然しながら鈴木先生も指摘されましたように五言では詩意が込めにくいと思い、わたくしは他の雅兄にも出来るだけ七言にするように勧めています。

 旅行もままならない小生が不遜にも妄批をすることをお許しください。
そもそも作詩するに当たっては本人の考えが詩中に入ります。

 常春雅兄とわたくしの史実を考える相違点は雅兄の解説に述べられている “犠牲をいとわない非情の軍人であり・・・・・・” と述べられている点です。
 私見ですが乃木将軍は非情な人物ではなかったと感じます。何故ならばお二人の愛児をあの激烈な作戦の為、(国に)捧げています。また明治天皇ご崩御の際には御夫人と共に殉死されています。すなわち乃木家は断絶しているのです。

 雅兄に失礼を省みずに推敲すれば、せめて尾聯だけでも「将軍捧双嗣、誰計武人情」としたく思います。

     嗚呼乃木坂
  戰跡經年已渺茫、   戦跡 経年 已に渺茫、
  他邦憑弔故淒涼。   他邦 憑弔すれば 故(ことさら)に淒涼。
  爾靈山上難攻略、   爾霊山上 攻略難く、
  幾萬精兵曠死傷。   幾万の精兵 曠(むな)しく死傷。
  旅順灣頭應封鎖、   旅順湾頭 封鎖に応じ、
  水師營裡倒鋒鋩。   水師営裡 鋒鋩(ほうぼう)を倒す。
  明治惻隠逆縁涙、   明治の惻隠 逆縁の涙は、
  長受祭~侍聖皇。   長(とこしなへ)に神と祭られ 聖皇に侍(じ)す。

「経年」: 当時より約百年。
「他邦」: 当時の清国を指す。
「故」: 日露戦争が他国である清国を戦場にしたことに対する作者の感情。
「爾霊山」: 二百三高地。次句『幾万』に対する数字対。
「応」: 海軍の海上封鎖作戦に呼応。
「倒鋒鋩」: ほこさきを倒す、戦争をやめる。
「逆縁」: 年長者が年少者のとむらいをするような因縁。
「長」: あえて冒韻。

 上記の詩を作りました。詩句も推敲に推敲を重ね、題名も二転三転してこの題名に落ち着きました。

 鈴木先生の仰るように、最近乃木将軍への評価が揺れているように感じられます。わたくしも尊敬申し上げています「司馬遼太郎先生」も酷評されています。しかしながら、わたくしにはこれに異論があります。わが国民は近年頓に総評論家となり、結果論のみを取り上げているではありませんか。

 あの日露戦争においては、当時の先進国であるロシアとの軍備の相違には、如何なる司令官を持ってきても勝利は簡単では無かったと思います。
 ゆえに乃木将軍の愛息お二人を犠牲にされた心情を忖度すべきだと思います。上記の詩はそのことを詩中に込めました。
 後世の識者が結果論を以って、乃木将軍を「愚将」の烙印を押すならば、近頃言われている「任命者責任」をも追及しなければならないでしょう。

2009. 1.30               by 井古綆


 歴史上の人物への評価はそれぞれの思いがありますので、そのことをこのサイトでは議論はしません。詩としてどうなのか、という点に絞っての議論を進めたいと思いますので、ご両名のお考えを示されたこの段階で、乃木将軍をどう評価するかという観点の話は終了させていただきます。
 ご了解ください。

2009. 2.13               by 桐山人





















 2008年の投稿詩 第284作は 常春 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-284

  訪水師營     水師営を訪ふ   

戢戈會見水師營   戈をおさむる会見 水師營

百歳茅堂戰史盈   百歳の茅堂 戦史盈つ

昨日讐仇今日友   昨日の讐仇 今日の友

久傳温篤武人情   久しく伝ふ 温篤 武人の情

          (下平声「八庚」の押韻)

<解説>

 一九〇五年一月五日、ここで行われた乃木ステッセル会見は、唱歌に「昨日の敵は今日の友」と歌われました。
 現在、昔のままの建物に、会見の写真、戦争情景、そして、漢詩『金州城下作』『凱旋』が掲げてありました。

<感想>

 こちらは、すっきりとした詩になっていて、七言の効果でしょうか。
 こうやって見てみると、常春さんは前作の五律とこの七絶をセットにして読むことを前提に考えて居られるのだなと思いました。例えれば、『万葉集』の長歌と反歌の関係のように、お互いに補完し合いながら、それぞれが個性と主張しているという感じでしょうか。

 この七絶には、具体的な戦の描写は無く、前作が時間的には当時に設定されているのに対し、こちらは現在の景が中心に描かれていて、そうした点が二つの詩を対と見させるのでしょう。

 転句の「昨日讐敵今日友」だけが当時を思い描いた部分で、転句としては面白いのですが、この部分だけで「武人情」だと理解できるかというと、やや不安はあります。

2009. 1.24                  by 桐山人






















 2008年の投稿詩 第285作は 某生 さんからの作品です。
 某生さんは現在、韓国ソウルにいらっしゃるそうです。お手紙を紹介しましょう。

 私、去る九月より、韓國政府招請奬學生として韓國、ソウルに參っております。
來年の三月からは、ソウル大學校國語國文學科の博士課程への入學も決定致しました。
今後、少なくとも三年以上は、こちらに住むこととなります。

 本來ならば、直ちにご報告申し上げるべきところ、雜事に追われ、延び延びとなってしまい、申し譯ございません。

 今後も、こちらの文物・名勝に逢う毎に、少しずつでも詩に綴ってゆければと考えております。
先生におかれましては、今後とも何卒ご叱正の程、お願い申し上げます。

作品番号 2008-285

  過死六臣祠     死六臣の祠を過ぎる   

一阜後凋何獨森   一阜 凋むに後れて 何ぞ獨り森たる

空堂殘篆馥沈沈   空堂 篆を殘して 馥として沈々たり

信行徑繞六墳在   行に信せれば 徑 六墳を繞つて在り

囘首津冥萬頃臨   首を囘らせば 津 萬頃に冥くして臨む

義異死生因事勢   義の死生を異にするは 事勢に因り

名傳竹帛俟如今   名の竹帛に傳ふるは 如今に俟つなり

可憐曾侍集賢日   憐れむべし 曾て集賢に侍せるの日

染翰雲同映衿   翰を染めて 雲 同に衿に映ぜしに

          (下平声「十二侵」の押韻)

<解説>

「囘首津冥萬頃臨」: 漢城府南,漢江之陰,有一皐傍鷺梁津。其頂松柏森森者,葬死六臣,而祀之之地也。今,修之爲‘死六臣公園’。

 先日、偶々、ソウルの‘死六臣公園’を通りかかったときの所感です。
‘死六臣’について蛇足ながら補足致しますと、朝鮮の第六代國王、端宗を、叔父である首陽大君(後の第七代國王、世祖)が廢し、即位するや、端宗の復位を圖る一派がクーデターを企てるも、計劃は露見、クーデターに關與した人物は、拷問の末、處刑されます。
 このとき處刑された一派の主だった六人を特に‘死六臣’と稱し、以後、忠臣として讚えられます。

 具體的な人名、事件の詳細は、以下のリンクをご參照下さいませ:
 「死六臣

 一方、世祖の側についた申叔舟は、その、中國音韻學、および中國語・日本語等に精通した學者・外交官としての業績にもかかわらず、後世しばしば、‘變節者’という評價を受けることとなります。
 しかし、この一連の事件で敵味方に分かれた人物は、かつては、王子時代の世祖も含め、ともに‘集賢殿(朝鮮の世宗二年に設置された‘王立アカデミー’)に侍し’、訓民正音(ハングル)の創製にも大きく關った、いわば‘同じ釜のを食った’仲であったはず。
 にも拘らず、また、申叔舟には申叔舟としての‘義’があったであろうにも拘らず、生死を異にし、片や‘忠臣’と、片や‘變節者’と、後世の評を異にすることとなってしまった所以は何なのか。

 滔々たる漢江のほとり、今は車の往來の絶えぬキ會の喧騷の一角にひっそりとたたずむ六臣の墓(實際には墓は七つ)を前に、ふと、そのようなことを思ってみました。


<感想>

 某生さんもお勉強にいよいよ力が入りそうですね。
 舜隱さんとおっしゃっていた高校時代からこのホームページではお付き合いいただいていますが、学問を究めようという方向にお進みになったのですね。

 3年も韓国にいらっしゃるのでしたら、私はまだ韓国に行ったことがありませんので、3年の間に是非一度行きたいものですね。
 名古屋での懇親会も盛り上がりましたので、その時は、韓国で懇親会なんてのも楽しいかもしれませんね。

2009. 2. 9                 by 桐山人



謝斧さんから感想をいただきました。

 臨終詩では我が國の大津皇子や金聖歎や成三問が有名ですが、特に成三問の
「鳴り響くの音が死をうながし
ふりかえると太陽はすでに沈んだと」いう詩があります。
 漢文では見たことがありませんが、ごぞんじですか、

 詩は死六臣の解説におわっているような気がします。
詩的表現が乏しくかんじました。

 『淡窓詩話』に曰わく、
「当今の詩に二弊あり。淫風と理屈なり詩人の詩は淫風にながれやすく、文人の詩は理屈にながれやすし。

 理屈とはなんぞや
獨法語の言のみならず 叙事を主として議論を専ら文を以て詩と成すもの みな理屈なり」
 先生の詩は対句は全て興の句で文を以て詩と成すものではないでしょうか。

 然し一つ一つの叙述をみると非凡さをかんじます。力量のなせることとおどろいてます。

2009. 2.11                   by 謝斧





















 2008年の投稿詩 第286作は 忍夫 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-286

  南禅寺        

禅宮東仰錦秋山   禅宮東のかた 錦秋の山を仰ぎ、

霜落浄林紅葉環   霜は浄林に落ちて 紅葉環る。

天下龍門通悟道   天下龍門 悟道に通じ、

上楼偶拝仏尊顔   楼に上り 偶たま拝す 仏の尊顔。

          (上平声「十五刪」の押韻)

<解説>

 紅葉の南禅寺を訪れたときのこと。
 南禅寺の三門は別名、天下竜門と呼ばれ、日本三大門に数えられるとのこと。
 私が訪れたときは、特別公開されていて、偶々楼に上ることができました。景色を眺望できるだけのただの門かと思っておりましたが、楼の上にも立派な仏像が安置されておりました。

 鈴木先生、井古綆先生、謝斧先生いつもご講評いただき有難うございます。率直なご意見賜り、浅学の身には非常に参考になっております。これからも投稿させていただきますので宜しくお願いします。



<感想>

 南禅寺の秋を描き、落ち着きの感じられる詩ですね。

 転句の「天下龍門」は三門、仏道修行の悟りを示す「空門」「無相門」「無作門」の3つの門を表しているそうですから、直後の「通悟道」へとつながりますね。
 別名がどういう理由でつけられたのかは知りませんが、歌舞伎作者が石川五右衛門に「絶景」と語らせたくなるのも納得できますね。

 楼上の仏像・羅漢像も間近に見ることができますね。結句の「偶」は事実かもしれませんが、詩としては邪魔です。

2009. 2. 9                 by 桐山人



謝斧さんから感想をいただきました。

 転句に「天下龍門」があって、それ以降に展開がありません。
読者としては隔靴掻痒の感がします。

2009. 2.12               by 謝斧





















 2008年の投稿詩 第287作は 忍夫 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-287

  訪高取城跡        

楓葉舞来風又紅   楓葉舞ひ来りて、風又紅く、

一望秋染大和東   一望す、秋は染む大和東。

深山城跡稀人訪   深山の城跡 人訪ふこと稀なるに、

冷雨教吾去画中   冷雨吾をして画中より去らしむ。

          (上平声「一東」の押韻)

<解説>

 高取城跡は橿原神宮と吉野の間にあります。
 あまり知られていない紅葉の名所です。
 昔の人はよくぞこのような山奥に城を築いたものだと感心させられます。山道を登るのに一苦労ですが、色に染まった大和の山々を一望でき、また城跡の楓の紅葉の美しさもまた格別です。
 登って一時間もすると雨が強く降り出してしまい、已む無く下山いたしました。

<感想>

 高取城を確認しようとネットで検索しましたら、奈良産業大学の「高取城再現CGプロジェクト」というページがあり、面白くて見てしまいました。天守閣までの道を再現したCGムービーを机の上で眺めるだけでも、この城の人は通うだけでも大変だったろうに、と思ってしまいます。
 本当にたいしたものですね。

 起句の「風又紅」は風を色彩で描いたもので、思い切った表現ですね。
 承句の「大和東」は地名を入れたいというお気持ちかもしれませんが、「旧都」「古都」でも納得できるように思います。

 結句は、これも事実でご本人の記録として書くのなら良いですが、読者としては、「已む無く下山いたしました」という無念さを何故共有しなくてはいけないのか、分かりません。転句と関わらせて、「深山」が人を拒否しているのかとも考えましたが、それでは前半の好風景とのバランスが悪いようにも感じます。
 読者の願望としては、「雨も又奇なり」という形で収まってほしいのですが、作者としてはありきたり過ぎるのでしょうか。

2009. 2. 9                 by 桐山人



井古綆さんから感想をいただきました。

 忍夫雅兄今日は。
 雅兄は各地に吟行されていて羨ましく存じます。実はわたくしも以前、当地の壺阪寺には二度、近くの高取城跡に一度訪ねたことがあるので、筆を執りました。紅葉の季節ではありませんでしたが、玉作の結句「冷雨吾をして画中より去らしむ」の気持ちがよく理解できます。

 しかしながら、鈴木先生の感想文でこれを否定されていますのは、“むべなるかな”と存じます。
これを愚見すれば、転句と結句のつながりが不足している所為ではないかと思います。
欲を言えば起句と承句のつながりも不足しているように感じます。

 例えば、
起句。楓葉舞来風又紅、  冒韻がありますが素晴らしい詩句だと思います。
承句。○○○○望何窮。  ○には状景を具体的に表現して、
転句。○○○○忘機裡、  ○には懐古の情などを挿入して、
結句。冷雨教吾去画中。  この結句で『画中』の景に去り難きを表現する。

 と、このように起句と承句の繋がりを密接に、更に転句と結句をも密接にすれば、結句の「使役形式」が無理なく読者に理解していただけるように思いますが、参考になりますでしょうか。 

2009. 2.11                by 井古綆


謝斧さんからも感想をいただきました。

「楓葉舞来風又紅」・・・「楓葉舞ひ来る爲に風も紅に染まるが如し」ですか。
なかなかの好句で、忍夫先生らしい摘句ですね。

 起承転は瑕疵はありませんが、結句は工夫をこらしたのでしょうか。
 熟読鑑賞して感じたのは、「去画中」は技巧的すぎて、とってつけたようで、なにか唐突なような気がしました。

 最近詩句について、俗語的な言いまわしに「逓繋式」「使成式」「処置式」があるということを知りました。
「舞来」は逓繋句として読むのでしょうか、そうであれば「来る」という意味ではないようにおもいます。「舞而来」の省略型とは意味合いが違ってくるようにおもっています。

2009. 2.13                by 謝斧





















 2008年の投稿詩 第288作は 観水 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-288

  濱松祝結婚     浜松にて結婚を祝す   

天龍來漱遠州洋   天竜 来り漱ぐ 遠州洋

瀲灔水明應瑞祥   瀲灔 水 明らかにして 応に瑞祥なるべし

千尺高樓雲外宴   千尺の高楼 雲外の宴

友人共祝竝鴛鴦   友人 共に祝す 鴛鴦の並ぶを

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

 先日、友人の結婚式に出席するため、浜松まで行ってきました。
個人的には、結婚式、大好きです(自分の分は1回で十分だけど)。お祝いするこっちも、自然と幸せな気分になります。感謝。
 場所は駅前の高層タワーの最上階? 地上180メートルの高さからの眺望は格別でした。常設の結婚式場としては、世界最高とか。

<感想>

 浜松駅前の高層タワーというのは、新幹線から見えるすごいビルですか。まさに「雲外宴」という感じでしょうね。
 私もいろいろな結婚式に出させていただきましたが、景色の良い場所での式はそれだけでも大満足、祝福の気持ちが一層深くなりますね。以前、東京に出た教え子の結婚式でも、披露宴の終盤に会場の窓を開けると夕日の中に富士山が見え、田舎者の私は感激してしまいました。

 この詩は、観水さんのお気持ちがよく出ていますね。
 祝詩は特定の方に贈るわけですので、固有名や月日などの記録的な要素も入れることが多いのですが、起句に地名をまとめたことで祝意に重点が置かれた形になり、すっきりとした良い詩だと思います。

2009. 2.10                 by 桐山人






















 2008年の投稿詩 第289作は 深渓 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-289

  歳晩偶成        

散人依旧歳除天   散人 旧に依り 歳除の天

不作佳詩又一年   佳詩を作さず 又た一年

只待東風陋巷屋   只だ待つ 東風 陋巷の屋

払煩鐘韻聴龕前   煩を払ふ 鐘韻 龕前に聴かん

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

〇 世間に無用の老残の人が年末を迎え、よい詩がつくれずと反省し、来年こそはと思い又一年が過ぎた。と。

 諸雅兄の玉作と桐山堂先生のご感想に助けられ、蕪詩ながら投稿させていただいています。

<感想>

 一年の締めくくりの時に、今年はどれだけ良い詩が作れたか、自分の通信簿を点けてみるのは古来からの詩人の常。
そこで、「よし、今年は合格点だ」と言えることはまず無いのも詩人の常。

 転句からがやや分かりにくいのですが、「只待」のは、「東風」「陋巷屋」に来ることだという文脈かと読み下しからは思いますが、その場合に「東風」を受ける述語、「来」が欲しいところです。
 「只だ東風を待つ 陋巷の屋」と読めば、解消するのですが、そうなるとそれぞれの句があまり生きてこなくて、説明文のように感じます。
 前半からの流れで行けば、ここの「東風」は、単に春が来ることを示すだけでなく、詩人に新たな感動を生ましめるものでなくてはいけませんから、表現にもありきたりを避ける方向が望まれます。
 同様のことは結句にも言えます。「散人」にとって「払」うべき「煩」は何であるのか。あるいは、「龕前」に居るにもかかわらず「煩」が払えないでいるならば、その「煩」の正体は何なのか、「東風」と同じく、一般的な意味を超えたものを加味しなくてはいけなくなります。
 全体で見た時に、作者の主題は承句にあって、他の句が流れているような印象を受けます。

2009. 2.10                 by 桐山人



謝斧さんから感想をいただきました。

 佳い作品だとおもいます。
転句がなにか蘊藉がきいているような気がします。
余韻が感じます

 好みですが、私なら「只待東風小茅屋」とします。
このほうが隠逸の風がかんじられると思いますが

2009. 2.11                 by 謝斧





















 2008年の投稿詩 第290作は 欣獅 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-290

  懐旧     旧きを懐ふ   

河州村巷少年時   河州村巷、少年時

連日戯遊掉竹枝   連日戯遊、竹枝を掉(ふる)ふ

赫赫夏陽雲峰峻   赫赫たる夏陽、雲峰は峻(たか)く

清陰光洩似玻璃   清陰、光洩れて玻璃に似たり

          (上平声「四支」の押韻)

<解説>

 もう半世紀近く経ってしまいましたが、堺の郊外の農村で過ごした少年時代のことを詠んでみました。
 今は都市化によって、周囲の景観は一変してしまったのですが、夏の陽のもとで自然の中で走り回って戯れ遊んだた折の、胸のときめき・陶酔感といったものは、半世紀を経ても心に深く刻まれています。

 時折、家の中に駆け込んで水などを飲んで仰向けに寝転がっていると、先程までの強烈な外の光景が、残像となって脳裏を駆け巡るのでした。
 結句はそうした感じを表現しようとしましたが、うまくいったかどうか?

 御講評よろしくお願い致します。

<感想>

 起句の「河州」は「河内」の地名でもありますが、読者には字が影響して、川沿いの広々とした野原に立っている気持ちを呼びますね。
 承句は「連日」が良いか、「終日」が良いか、やや迷う所です。「連日」ですと、作者は客観的に遠くから眺める(思い出す)形になります。確かに「懐旧」の詩ですのでそれでもよいのですが、臨場感とか読者と作者の一体感という点では、自分がそこに居るように感じさせる「終日」、あるいは「午下」と絞っていくことも考えられます。

 転句は燃えるような太陽と入道雲モクモクという感じで、なるほど、子供の頃の夏を思い出します。
 その転句から、更に一転、結句でさわやかな日陰に居るのですが、この急な転換はやや辛いですけれど、時間経過だと思えば理解はできます。
 私は結びの「似玻璃」という表現からは、少年の持つ鋭い感受性がうかがえるような気がします。
 ランニングで走り回っていた少年が、日陰に入った時に味わう非日常の世界、そうした深読みをさせてくれる興味深い表現です。そこで、この結句を何とか生かしたいと考えた時に、邪魔になるのが実は転句です。
 転句は前述しましたように、かつての少年の夏を象徴させる佳句です。詩の主眼をどこに置くかによるわけですが、「懐旧」ということに絞るならば、この転句は外せません。むしろ、詩の結びに置きたいような句です。
 しかし、更に少年が成長していくようなドラマチックな構成を考えるならば、この転句をばっさりと捨てて、転句の段階から「清陰」に移動させてしまい、解説にお書きになった「家の中に駆け込んで水などを飲んで仰向けに寝転がっている」ような情景に変えてみるのはどうでしょうか。

2009. 2.10                 by 桐山人



井古綆さんから感想をいただきました。

 玉作を拝見いたしました。
 詩題は難しくはありませんが、内容を表現することは大変難しく感じました。雅兄は比較的にお若いので少年時代の記憶が鮮明でしょうが、わたくしの年齢になれば過去のことは次第に薄れてきます。
 そのわたくしが玉作に批評を申し上げることには、少なからず矛盾がありますことをご承知ください。

 先ず間違いから述べてみますと、起句は少年時代を提示したのみで物足りない気がいたします。しかし間違いではありません。 承句は「戯」はこの場合は仄韻ですので「掉」を「揺(平仄両用)」にすれば良いでしょう。

 問題は転句です。当詩の場合の転句は起句承句の延長線上にありますが、肝心の結句とのつながりがありません。ここが非常に難しいところです。
 平仄も間違いが多くあります。すなわち「仄仄仄平平平仄」となっています。
 「夏陽」は「驕陽」という畳韻の語があります。(多年漢語を見てきましたが、畳韻語双声語などが多く見られます。また「室内」より「室裡」のほうが良く「目線」より「視線」のほうが漢詩に適しているようです。)

 話題がずれましたが、転句は「潤渇驕陽仰厨下」と考えました。以下に試作してみました。

    試作 懐旧
  河州村巷少年時   河州村巷 少年の時
  連日戯遊揺竹枝   連日戯遊 竹枝を揺(ふる)ふ
  潤渇驕陽仰厨下   驕陽(きょうよう)に渇を潤おして 厨下に仰げば
  清陰光洩似玻璃   清陰光洩れて 玻璃に似たり

 PS.懐古の詩は転句若しくは結句で過去に還るか、起句承句で過去を詠じて転句または結句で現在に還るか、先賢は様々な方法を考えて作詩しています。このほうが詩意が深まるように思います。


2009. 2.11                    by 井古綆





















 2008年の投稿詩 第291作は 仲泉 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-291

  詠秋     秋を詠ず   

梧桐嗚軋動吟情   梧桐嗚軋 吟情を動かす

野趣邃深探句行   野趣邃深 句を探して行く

斜日蜻蛉秋漾漾   斜日 蜻蛉 秋漾漾たり

従心任筆賦澄清   従心筆に任せて澄清を賦さん

          (下平声「八庚」の押韻)

<感想>

 落ち着いた生活、作者の心情が表れている詩ですね。

「邃深」は「どこまでも奥深い」ことを表しますので、詩に立体感、奥行き感が出てきます。ただ、承句のこの部分と転句の「秋漾漾」がやや重なりますので、どちらかにした方がバランスが良いかもしれません。
 同じようなことで言えば、起句の「動吟情」、承句の「探句」も結句と重なります。ただ、こちらはサンドイッチのような構成を狙ったものとして、前半の詩情を最後の結びにもう一度持ってきたとも考えられますね。
 「吟情が動」いて、「句を探して」行ったら、最後に「澄清を賦」すことができた、という流れでしょうか。
 それはそれで有りかと思いますが、となると、詩を作るところまで吟情を高めてくれたのは転句の「斜日蜻蛉」となりますので、やや弱いような気がしますね。
 「斜日」に匹敵するようなもの、「蜻蛉」であるにしても、ある程度の数が必要かも知れませんね。

2009. 2.17                  by 桐山人






















 2008年の投稿詩 第292作は 兼山 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-292

  送窮鬼        

送窮五鬼倣文辭   送窮 五鬼 文辭に倣ふ

三揖重重合有詩   三揖 重重 合に詩有るべし

七十七年今昔感   七十七年 今昔の感

鐘聲百八歳除時   鐘聲 百八 歳除の時

          (上平声「四支」の押韻)

<解説>

 韓愈の「送窮文(*)」には詳述してあるのかも知れないが、どの様な方法で「送窮鬼」なる「御祓い」をすれば良いのか定かではない。
 兎も角、貧乏神とやらには、丁重に頭を下げて、御退散願うより他に為す術がない。

 そんな安易な気持ちで好い詩が書けるとは思えぬが、七十七年、正に「今昔の感」である。

(*)「主人三揖窮鬼而告之曰、聞子行有日矣、我有資送之恩、子有意於行乎、子之儔朋各有名字、智窮・學窮・文窮・命窮・交窮、凡此五鬼、爲吾五患」

<感想>

 数詞をうんとこさ、と入れた詩ですね。

 貧乏神に対しては、日本では頭の上に猿を乗せる(貧乏が去る)とか蹴飛ばすとかあるようです。中国ではどうなのか、一海先生の『漢詩一日一首』に書かれていた気がしたので読み返してみました。
 唐の姚合の「晦日送窮」三首を紹介されていましたが、その一首は

  年年到此日
  瀝酒拝街中
  万戸千門看
  無人不送窮

 結句の「無人不送窮」は二重否定の構文で「窮を送らない人はいない」となりますが、日本語と違って二重否定は強い肯定の意味ですから、ここでも「誰もが皆、窮を送る」と強調した表現です。
 一月の晦日に、町中の人が酒を注いでお払いをし、街の方に向かって拝むのが、どうやら貧乏神を追い払う方法のようですね。
 ただ、三首目に「年年不出門」とあって、簡単には出て行ってくれないようだと一海先生は書かれていますけれど。

 さて、兼山さんの詩では、この貧乏神と詩作の関係があるわけですが、起句の「五鬼」が働いているわけですが、これは解説を読まないとわかりませんね。
 逆に、詩を作ることをあまり前半で意識すると、転句の「今昔感」が詩作とはつながらなく、唐突な気もします。
 前半と後半が分断された感じが強くなりますので、承句あたりでは詩については含みとするくらいが首尾一貫してくると思います。

2009. 2.17                  by 桐山人



兼山さんから推敲案をいただきました。
転句の「七十七年今昔感」に就きましては、「七十七齢多少感」と致し度、案じて居ります。
(この歳になって「些か詩を解する様になった」)

2009. 4.20               by 兼山




















 2008年の投稿詩 第293作は 観水 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-293

  次欣獅雅兄懐旧詩韻     欣獅雅兄の「懐旧」詩の韻に次す   

兒童出野便忘時   児童 野に出づれば 便ち時を忘れ

踏草剪花行伐枝   草を踏み 花を剪り 行くゆく枝を伐つ

仰首將呑一瓢水   仰首 将に呑まんとす 一瓢の水

夏天雲去碧瑠璃   夏天 雲去って 碧瑠璃たり

          (上平声「四支」の押韻)


<解説>

 作品番号2008-290、欣獅さんの「懐旧」を拝読しました。
 少年時代の、夏の日の思い出が眼前に甦るような思いがいたしました。
特に転結句に至っては、2月に読んだというのに、真夏の熱気を感じ、蝉の声までが聞こえるようでした。

 自分の夏の思い出を振り返りつつ(いずれ息子もこうなるんだろうなあ……)、次韻の詩を作りましたので、投稿させていただきます。
ご笑覧いただければ幸いです。

<感想>

 観水さんのこの作品は、2009年2月に送っていただいたものですが、欣獅さんの「懐旧」への次韻ということですので、ここに載せさせていただきました。

 承句に、子どもが野山で遊ぶ姿を並べて描かれたのですが、「行伐枝」は枝を切っただけという感じがしますので、振り回して遊んだというニュアンスを出したいかな、と思いました。
 子どものこうした体験を大切にしたいとともに、観水さんのお子さんも含めて未来の子ども達のために、自然を守りたいと思いますね。

2009. 2.17                  by 桐山人



井古綆さんからも次韻をいただきました。

    次韻 欣獅雅兄・観水雅兄玉韻『懐旧』
  但州僻地過童時、   但州の僻地 童時を過ぎ、
  二八出郷聽竹枝。   二八 出郷して 竹枝(ちくし)を聴く。
  寸草多年嘆風樹、   寸草 多年 風樹を嘆き、
  春暉一刻比瑠璃。   春暉 一刻 瑠璃に比す。

「但州」: 但馬。
「二八」: 16歳。
「竹枝」: ここではふるさとの民謡。

※欣獅雅兄の玉韻に、観水雅兄が次韻されましたのでわたくしも見習いました。

2009. 2.18                  by 井古綆


 この作品は、2009年の投稿詩にも掲載します。   by 桐山人





















 2008年の投稿詩 第294作は 主彩 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-294

  附中体育祭        

闘士歓声附中空   闘士の歓声 附中の空に

同旗級友熱情紅   旗を同じうする 級友熱情紅し

望真一思深朋絆   真なることを望み 思いを一つに 朋との絆を深め

勝利栄光永遠崇   勝利の栄光は永遠に崇し

          (上平声「一東」の押韻)

<感想>

 主彩さんは大学の附属中学校の先生をなさっておられるのですが、今年度三年生の生徒さんたちに漢詩に挑戦という授業をなさったそうです。
 「子どもたちも漢和辞典と格闘しながらつくった」とお手紙には書かれていましたが、今回のこの詩はお手本として示されたそうです。

 生徒さん達の作品は、「桐山堂」の方に掲載させていただきましたので、皆さんご覧いただいて、感想をお寄せくださるとうれしく思います。


 なお、2008年の投稿詩の掲載につきましては、この作品をもちまして終了とさせていただきます。
1月以降にいただいた詩は、「2009年の投稿詩」として掲載を始めます。
掲載が遅れてご迷惑をかけた方も多いと思いますが、また、2009年もよろしくお願いします。

2009. 2.17                  by 桐山人



常春さんから感想をいただきました。

 主彩さん、
「中学生の授業で『漢詩を創ろう』」嬉しく拝見しました。素晴しいこと。

 小生、漢詩教室の先生にお願いして、時間を割いていただき、生徒仲間に、6回各1時間の手ほどきをしてみました。
附中中学生の おじいさん、おばあさんの世代ですが、みなさん詩吟歴は10年以上の方々、老眼鏡で辞書と格闘しながらの勉強でした。

 作品付記します。

 これからも毎月の勉強会を重ねるつもりです。

駿府の空に、地元の漢詩が響くことを楽しみにしています。

2009. 2.18                   by 常春

※常春さんの漢詩教室の作品は、桐山堂で「駿府雅集」として掲載しました。
ご覧下さい。        桐山人


井古綆さんからも感想をいただきました。

 主彩先生、初めまして。
 先生が教鞭を執っていらっしゃる中学生たちの作品を拝見いたしました。
漢字離れが危惧されている現今において、中学生がこのように漢詩に挑戦していることに深い感銘を抱きました。

 これは偏に主彩先生のご指導の努力の賜物であり、現在の漢詩界の衰退に力強いブレーキとなるものと信じます。
生徒諸君のうちで多くの方々が、漢字の持っている深い表現力の魅力の擒(とりこ)になることを期待して止みません。

 かく言うわたくしは戦後の混乱期で中学校二年しか学んでいません。
 当時、鈴木先生や主彩先生のような教育熱心な先生に指導を頂いていたならば、もう少しまともな詩が作ることが出来るだろうと思い、悔やむことしきりです。
 わたくしが漢詩の作詩に興味を持ったのは48歳の頃です。その後20数年馬齢を重ねましたが、やはり学齢期の学問の不足が作詩に影響いたします。

 最後に僭越ながら反面教師として、生徒諸君に贈る言葉を申し上げれば、立派な詩を作る糧として総ての学業を全うして、なお、美術などの鑑賞も作詩上の重大な要素になりますので、感動する心を養ってください。
 生徒諸君の作品を拝見して、我国今後の漢詩界衰退の危惧が少しは減少いたしました。

皆さんの今後の精吟をお祈りいたします。

2009. 2.18                by 井古綆


主彩さんからお返事をいただきました。

 鈴木先生、このたびは子どもたちの作品を掲載してくださり、誠にありがとうございます。
 子どもたちに紹介したところ、大変喜んでいました。これを機会に、子どもたちが、よりいっそう漢詩への興味を深めてくれることと期待したいと思います。

 また、常春さんと井古綆さんの感想も、とてもありがたく感じています。お二方とも、わたしのつたない実践を、そこまで評価してくださったこと、とても恐縮してしまいます。もちろん、子どもたちは、もっている力を十分に発揮して漢詩を創りましたので、私からも本当にほめてあげたいと思っています。常春さんと井古綆さんには、よろしくお伝えください。ありがとうございました。

 今回の「漢詩を創ろう」の授業は、漢詩を創ることを目的にしようと思ったのではなく(漢詩を創作されている方々にはとても失礼なことなのかもしれませんが)、子どもたちが、漢字一文字一文字にもともとある奥の深さであるとか、そこに込められる思いの深さであるとか、そういったものを感じることで、漢詩の魅力に少しでも迫ることができたらいいと思って行いました。また、漢詩を創ることができるようになること(そこまではいかなくても、漢詩のような形式で、自分の思いを表現すること)で、自分の思いを表現する方法が、ひとつ増えて、表現力が豊かになることも、ねらいの一つにしました。

 私の創った漢詩も含めて、ホームページに掲載していただいたり、諸先生方にコメントをいただいたりするのもおこがましいくらいのものですので、本当に感謝しております。あくまでも授業の実践の一つなので、これを見てくださった学校教育に携わっている方がいて、その方に、自分も実践してみようと思っていただけたら、こんなにありがたいことはありません。そんなことを少しだけ期待しています。

 これからも子どもたちとともに漢詩の世界を味わっていきたいと思っております。

2009. 2.23                 by 主彩