2009年の投稿詩 第91作は 仲泉 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-91

  世相寸描        

殺伐世情塵念虚   殺伐たる世情塵念虚し

苦艱貧餒衆群居   苦艱貧餒衆群居す

政綱何料多疑義   政綱何ぞ料らむ疑義多し

国運衰頽感有余   国運衰頽感余り有り

          (上平声「六魚」の押韻)

<解説>

 (派遣村の惨状を想いて)

<感想>

 派遣村の話題がマスコミをにぎわしたのが半年前。
 その後に世の中の情勢を見てみますと、新型インフルエンザへの対応もどうやら一段落、民主党党首の交代も一段落、いろいろなことが起きてもパニックになることもなく、無難に過ぎて行く現代日本は、成熟した大人の社会と言うべきか、活力を喪失した瀕死の社会と言うべきか。
 政治の世界の、三文芝居のあまりの大根役者振りにヤジを飛ばす元気も無いのかもしれません。

 起句の「殺伐世情」は、景気が悪くなると働いていた人達をばっさりと切ってしまう世の中のあり方への怒りをこめた言葉で、この言葉が起句に置かれたことで、強いメッセージとして印象に残ります。
 派遣村でのボランティアの方達の活動を考えると、「苦艱貧餒」「衆」を何とかしたいという思いを持った人達の活動、また、最近のマスコミでよく取り上げられるような、社員とともに苦境を乗り切ろうとする経営者の姿や「ワークシェアリング」の姿には、世情もまだ救われるのかもしれないという思いがわいてきます。

2009. 6.14                  by 桐山人






















 2009年の投稿詩 第92作は 博生 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-92

  四條畷        

高軍八萬覆河州   高軍八萬 河州を覆ひ

楠勢三千対野頭   楠勢三千 野頭に対す

突撃凄然三四度   突撃凄然 三四度

盡忠倶斃魄霊留   盡忠 倶に斃れ 魄霊留まる

          (下平声「十一尤」の押韻)

<解説>

「高軍」: 高師直軍

 四條畷市では毎年3月遺徳を偲び、楠木正行以下戦没二十五柱を祀る四條畷神社を中心とした「楠公祭」が行われている。

<感想>

 前半の対句はすっきりとしていて、「高軍」「楠勢」の勢力の差が、「八萬」「三千」で明確に伝わりますね。

 残念ながら、転句での「三」が同字重出になってしまっています。どうしても「三」の数字が必要というわけではないようですので、ここは直しましょう。

 結句の「倶」は、「高軍」と「楠勢」の両方を指すということでしょう。どちらかだけに思いを寄せるのではなく、どちらの軍勢も「倶斃魄霊留」としたところに、博生さんの視点、あるいは時を経た現代の視点が表れているように思います。

2009. 6.14                  by 桐山人



 井古綆さんから感想をいただきました。

 博生雅兄今日は。玉作を拝見いたしました。

 起承の対句は素晴らしく何も付け足すことはありません。これ程の句ができますにも関わらず転結の詩句が惜しく思います。
鈴木先生が述べられていますのにも一理がありますが、私は、やはり詩題が『四条畷』であれば楠木正行公の立場で作詩すべきと思います。

 転結をわたくしが考えれば、雅兄の詩ではなくなりますので、失礼ながら少しだけ助言を差し上げたく存じます。
転句:「**凄然*青史」  (**は戦の最大を考えてください。)
結句:「無窮忠孝**愁」

「忠孝」: 現代では死語ですが、八百年まえの史実です。

2009. 8.30                  by 井古綆





















 2009年の投稿詩 第93作は 点水 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-93

  訪友觀梅        

春天訪友一山荘   春天 友を一山荘に訪ね

觀賞庭園聊累觴   庭園を観賞 聊か 觴を累ぬ

高士凄凄堪白雪   高士は凄凄と白雪に堪え

美人楚楚被紅装   美人は楚楚と紅装を被る

籬邊鶯語添幽興   籬邊の鶯語 幽興を添え

蕊上東風頒馥香   蕊上の東風 馥香を頒く

醉趣閑談猶不盡   酔趣 閑談 猶尽きず

欲歸窓外已昏黄   帰らんと欲すれば 窓外已に昏黄

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

 高啓の「雪満山中高士臥 月明林下美人来」を借用しましたが、適切かどうか不安です。ご教授ください。

<感想>

 高啓の「梅花九首(一)」の詩は次のものです。

 

  梅花九首(一)   高啓(明)


瓊姿只合在瑶台   瓊姿 只合に瑶台に在るべし

誰向江南処処栽   誰か 江南に向かって 処処に栽う

雪満山中高士臥   雪は山中に満ちて 高士 臥し

月明林下美人来   月は林下に明らかにして 美人 来たる

寒依疏影蕭蕭竹   寒は依る 疏影 蕭蕭たる竹

春掩残香漠漠苔   春は掩ふ 残香 漠漠たる苔

自去何郎無好詠   何郎の去りてより 好詠無し

東風愁寂幾回開   東風 愁寂 幾回か開く



口語訳も添えましょう。

 玉のような姿は、まったく瑶台(月の世界)こそが似つかわしいのに
 誰が江南の地のあちこちに植えたのだろうか。
 雪は山中に積もり、そこでは梅は心清らかな人が臥しているようであり、
 月が林を照らす時には、美人に姿を変えて現れたと言われるのももっともだ。
 寒い時には、まだ花の少ないまばらな枝が寂しそうな竹に寄り添うし、
 春になれば、残り香が薄暗い苔の辺りにまで覆うように漂う。
 何郎がいなくなって以来、梅をうまく詠んだ詩も無く、
 春風の中、寂しそうに何度花を咲かせたことだろう。



 この詩の頷聯を点水さんは用いられたのですが、この「山中高士」も「林下美人」もすでに典故を持った言葉ですので、高啓の詩句だけにこだわる必要は無いでしょう。「高士」「白雪」との組み合わせになっていますのでよく分かるのですが、「美人」は羅浮山の仙女の故事ですので、「美人」だけではやや物足りない気がします。「紅装」も含めて、検討の余地はあると思います。

 私の感想としては、「高士」「美人」の両方を出すのはやや欲張ったかな、というところで、高啓の詩のイメージが大きくなり過ぎているように感じますので、どちらかにした方が点水さんの描こうとしたものがよく出てくるのではないでしょうか。

 尾聯は「猶不尽」「欲帰」は順接ではつながりません。読み下しで「猶ほ尽きざるも」としておくと良いでしょう。
 「窓外」は室内に居る人が使う言葉、山荘の庭園からいつの間に内に入ったのでしょう。「酔趣閑談」で、作者としては座敷でくつろいだ宴を示したのでしょうが、私は梅花の下で、香りを楽しみながら飲んでいる姿を思い浮かべました。その方が清々しいかな、という気もします。室内に戻る必要はあまり無いと思いますが、どうしても、というならば、事前に室内に読者を案内しておくべきでしょうね。

2009. 6.14                  by 桐山人






















 2009年の投稿詩 第94作は 井古綆 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-94

  石川岳堂先生        

未讀長安好日篇、   未だ読まず 長安好日の篇、

鴻儒必合賦深玄。   鴻儒 必ずや合(まさ)に 深玄を賦すべし。

邦家詩界溟濛裡、   邦家の詩界 溟濛(めいもう)の裡に、

一線光明耀燦然。   一線の光明 燦然と耀く。

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

「長安好日」: 石川岳堂先生の著書。
「溟濛」: くもって(または小雨で)くらいこと。

<感想>

 井古綆さんは、実際には石川先生の作品をご覧になっていらっしゃるので、起句の「未読長安好日篇」は正確ではないとおっしゃっています。

 私もこの詩を拝見した時に、敢えて「未読」とする必要があるのか疑問に思いました。以前に掲載した謝斧さんの「奉寄石川岳堂先生」(2009-50)の起句を意識されたものかもしれません。
 著書そのものを読んではいないけれど、日頃の石川先生のご活躍を見れば、十分に内容は予測できるという形で、著書を越えて先生のお人柄までも含めた承句の記述に持って行かれたのでしょう。

 転句は、現在の漢詩界への思いが表されているところですが、「溟濛裡」という言葉に万感の思いが籠められていると思いました。

2009. 6.16                  by 桐山人






















 2009年の投稿詩 第95作は 庵仙 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-95

  和詠六角堂岳堂先生七絶     六角堂を詠ずる岳堂先生の七絶に和す   

絶景奇岩入海中   絶景の奇岩 海中に入る、

群鴎乱舞弄潮風   群鴎 乱舞して 潮を弄ぶの風。

岸頭此地開新派   岸頭の 此地に 新派開く、

立浦賢君似覚翁   浦に立つ 賢君 覚翁に似る。

          (上平声「一東」の押韻)

<解説>

口語訳:
 この絶景をなす奇岩が海中から顔を出している。
 群れた鴎が海岸を乱舞しているが、潮風を弄(もてあそ)んでいるようだ。
 岸頭の此の地こそ天心の新派を開くに選んだ場所である。
 そして五浦に立っている岳堂先生は覚翁のようである。

「六角堂」: 岩の上に立つ小さな建物。瞑想に耽るところという。象徴的な建物。
「岳堂先生」: 石川岳堂先生のこと。
「新派」: 天心ら数名で国の画法と袂を分かち、新派を結成したこと。
「賢君」: 岳堂先生のこと
「覚翁」: 天心のこと。天心は号で、覚三は名。


 この詩の本になった石川岳堂先生の詩は次のものである。

    五浦憶岡倉天心(五浦にて岡倉天心を憶ふ)
  絶壁青松曲浦中   絶壁の青松 曲浦の中、
  群賢咸集起新風   群賢 咸(みな)集まりて 新風を起こす。
  今臨六角堂頭上   今 六角堂頭に臨みて立てば、
  髣髴煙波魚釣翁   髣髴たり 煙波 魚釣の翁。

 石川岳堂先生は昭和六一年五月にこの「岡倉天心の旧居を尋ねた。天心の下、横山大観、菱田俊草ら俊秀が集まったのを『蘭亭帖』の『群賢畢至、少長咸集』の句を取って表現した」と添え書きがある。
 この詩が先生の詩集『長安好日』に見つけ、それに和して作ったものである。

<感想>

 石川先生の関係の投稿詩を庵仙さんからいただきましたので、井古綆さんに続いてご紹介をします。

 石川先生の詩の韻字をそのままお使いになられたので「次韻」という形になっていますね。

 結句の「賢君似覚翁」は「五浦に立つ石川先生(のお姿)は岡倉天心翁に似ている」ということですが、転句からの表現で行くと、「開新派」が目に残ってしまい、石川先生も新派を立ち上げたかのような印象になります。
 日本の漢詩の伝統を一心にまとめあげようと努力なさっておられることを考えると、ここは「荒波に立ち向かう勇姿」という形で共通項をまとめていくのが良いと思います。

2009. 6.16                  by 桐山人






















 2009年の投稿詩 第96作は 青山 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-96

  春日吟行        

春寒八岳足清幽   春寒の八ヶ岳 清幽に足る

殘雪停山冷水流   残雪山に停(とど)めて 冷水流る

破蕾庭梅黄鳥囀   蕾を破る庭梅に 黄鳥は囀り

吾叉快意試吟喉   吾も又快意して 吟喉を試みん

          (下平声「十一尤」の押韻)

<解説>

 残雪の八ヶ岳はまだ寒さを感じるが、庭の老梅は満開に咲き、鶯が気持よく鳴いているのを見て自分も快くなり詩吟を吟じたくなったのである。

<感想>

 八ヶ岳は固有名詞ですが、その名前の由来については「山が八つ見えるから」という説もあるそうですから、「八岳」でも十分に伝わりますね。

 承句の「残雪停山」は、山に停っているから「残雪」でもありますので、簡単に言えば「山に残っている残雪」ということで重複感があります。「白雪」と替えるだけでもこの句の情報量が随分増える感じがします。あるいは、「残雪」の語感を大切にするなら、「停」を推敲されるのも良いでしょう。

 転句で「庭梅」と遠から近へと視点が動きますが、「破蕾」は目の前で見る感じで、やや展開が急でしょう。せっかく「黄鳥」を持ってきましたので、「飛来」「飛遷」などの語を使うと、視点を誘導する形で滑らかになると思います。

 結句の「叉」は読み下し文のように「又」の間違いだと思いますが、「又」は仄声ですので平仄が合いません。「吾」の使用も気にはなりますが、「この私も」という強調だと考えることとして、「又」に替わる副詞を探してみるのが良いでしょう。

2009. 6.16                  by 桐山人






















 2009年の投稿詩 第97作は 知秀 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-97

  詠背向地蔵尊        

面川背路幾星霜   川に面し路を背にして幾星霜

一揆義民何可忘   一揆の義民何ぞ忘るべけんや

人去時移花不語   人去り時移り花語らず

渓声寂歴暮山蒼   渓声寂暦暮山蒼し

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

 萩市の漢詩の会の勉強会とお花見をしまして、提出した作品です。

 これは、天保の昔、私の故郷川上村で起こった一揆の犠牲者を弔う史跡から題材をとったものです。
 昔この村では、川の上流で樹木を伐採して筏を組み、その上に萩城下で必要とする薪炭や、米、野菜などを積み、運んでいたそうです。従って川は大切な交通路でありました。
 ところが、城下の大酒屋が精米のため阿武川の分岐点近くに巨大な水車小屋を立てる計画を進め、堰堤を築き始めました。これは村民の暮らしにかかわるというので、名主はじめ村役たちはたびたび代官所へ工事を中止するよう願い出ましたが、今で言う企業献金、袖の下を受け取っている代官は一向にこの訴えを取り上げようとしないばかりか、陸路で運べばよいではないかと嘯くばかりであったそうです。
 ついにたまりかねた村人たちは相計って集合し、実力でこの工事を阻止しようとしました。
 これを知った城下からは藩兵が大挙出動してその集団を取り押さえました。そのとき願いの条々を堂々と申し述べた二人の百姓が、村役とは関係なく首謀者とされて縄目にかけられました。
 訴えは認められ、工事は中止されたが、この二人の百姓(平助・権太)は当時の藩の掟により無残にも処刑・斬首されました。

 この義民を弔う二体の地蔵尊は川面を見下ろし、道路には背を向けて立っているため、背な向け地蔵と言われ、村民の尊信を集め、誇りともなり、今も大切にされています。

 この辺りの村落は今は阿武川ダムの底になっており、人家も少なくなり、寂しくなりました。
 そんな今昔の感も含めて創作しました。



 一揆して斬られし遠きおやの墓仰ぎて立てばたぎつ瀬の鳴る

<感想>

 お話をうかがうと、時代劇によく出てくる悪代官がそのまま登場したような気がしますね。
権力には黒いお金が常につきまとうのは昔も今も同じということでしょうか。

 これだけのドラマを七言絶句の四句に収めるのは大変だったと思いますが、構成を整えて、内容が深くなっていると思います。
 承句の「一揆」は和習ですが、承知の上での使用でしょう。確かに、この語で事件の大筋を表しているわけで、他の語に替えたら説明のための言葉がかなり必要になってしまうでしょう。

 余情の残る結句と重なって、日本の歴史を切々と詠い上げた詩になっていると思います。

2009. 6.17                  by 桐山人






















 2009年の投稿詩 第98作は 欣獅 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-98

  初恋     初めて恋ふ   

春日伴朋出校庭   春日、朋を伴って校庭を出づ

閑村籬落桃花馨   閑村の籬落、桃花馨る

後方赤鞄玲妙子   後方、赤鞄、玲妙の子

時返少年心不寧   時に返みて、少年、心寧(やす)からず

          (下平声「九青」の押韻)

<解説>

 昨年末の「懐旧」の句に次韻を頂きましたので、嬉しくなって、その続編たる「初恋」に気恥ずかしくも挑んでみました。
 小学校低学年の頃、下校時に後ろからついてくる赤いランドセルの子に淡い恋情を抱いたのですが、春ののどかな村の小径とともに、いまだにこの情景が想い出されるます。
 このような素材はあまり漢詩には見かけないようなのですが、和習でしょうか?

<感想>

 そうですね、少年少女の恋心はなかなか漢詩には出てきませんね。よく知られているところで言えば、李白の「長干行」の前半でしょうか。

    長干行
  妾髮初覆額   妾が髮 初めて額を覆ひ
  折花門前劇   花を折りて 門前にたわむ
  郎騎竹馬来   郎 竹馬に騎りて来たり
  遶牀弄青梅   牀を遶りて 青梅を弄べり
  同居長干里   同じく長干の里に居り
  両小無嫌猜   両つながら小さく 嫌猜無し
  十四為君婦   十四 君が婦と為り
  羞顔未嘗開   羞顔 未だ嘗て開かず
  低頭向暗壁   頭を低れて 暗壁に向かひ
  千喚不一回   千たび喚ばるるも 一たびも回らさず
  十五始展眉   十五 始めて眉を展べ
  願同塵与灰   塵と灰とに同じからんことを願ふ
  常存抱柱信   常に存る 抱柱の信
  豈上望夫台   豈に上らんや 望夫の台

 まだ続きますが、今回はここまでとして、この前半の部分は『伊勢物語』の「筒井筒」や『たけくらべ』と類似していますので、やがて詳しく調べたいと私は思っていますが、このあたりが少年期の恋という感じでしょう。こうした恋心というのは、漢詩にしにくいのかな。
 私はあまり記憶にありませんが、漢詩で書かれたラブレターというのはどうなんでしょうか。ご存知の方は教えてください。

2009. 6.17                 by 桐山人






















 2009年の投稿詩 第99作は 菊太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-99

  梅林煙月        

春皇停駕暖光浮   春皇 駕をとどめ 暖光 浮かぶ

曾我梅林趁旧遊   曾我梅林 旧遊を趁ふ

薄暮模糊朧月出   薄暮 模糊として 朧月 出で

旗亭小憩暗香流   旗亭に小憩すれば 暗香 流る

          (下平声「十一尤」の押韻)

<解説>

 約二年間投稿しておらず、久方ぶりの投稿です。
一念発起、月一首をノルマにしたいと思いますので、ご指導を宜しくお願いします。

 小田原市近郊の曾我梅林に久方ぶりに観梅に出掛けた時のものです。約三万五千本の梅林を満喫しているうちに日暮れ近くになって朧月が顔を出しました。

<感想>

 二年間もご無沙汰でしたか、お元気で何よりです。旧友に再会したような気持ちですね。また、よろしくお願いします。

 起句の春の情景から承句の観梅に出かけたという流れは、つい陽気に誘われてという作者の気持ちの動きが表れているようですね。
 転句でやや時間が経過したことを示し、結句で梅の香りを出して余韻を残す展開は自然です。

 承句の「曾我梅林」は梅の名所としてよく知られている名前ですが、「曾(かつ)て我 梅林にて旧遊を趁ふ」とも読めて、楽しいですね。

2009. 6.30                  by 桐山人



井古綆さんから感想をいただきました。

 菊太郎雅兄始めまして、玉作を拝見いたしました。
 失礼ながら、雅兄の詩歴を拝見いたしまして、年月もまだ浅いにも関わらず、このような佳作が出来ますことに感心いたしました。
 まさに梅林の状景が目の当たりに浮かんできました。立派な作品だと思います。

2009. 7. 2                  by 井古綆























 2009年の投稿詩 第100作は 青眼居士 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-100

  新種感冒騷亂     新種感冒騒乱す   

克薫風時節佳   緑樹 薫風 時節佳なり。

行人覆面悉相偕   行人 覆面 悉く相偕(とも)にす。

使衰嗅覺展望狹   嗅覚を衰へしめ 展望は狭し。

知否薔薇香滿階   知るや否や 薔薇 香り階に満てるを。

          (上平声「十灰」の押韻)

<解説>

 5月は新型インフルエンザに振り回された感があります。
 街を歩けば多くの人が一様にマスク姿で、異様な光景でした。
 幸いにインフル騒ぎは収束に向かっていますが、初夏の素晴らしい自然を満喫しそこねた人は多かったことでしょう。
 なお「階」は階段の下、でもよいのですが、道の意味で使いました。

<感想>

 新型インフルエンザに関する詩をお二人からいただきましたので、併せてご紹介します。

 数年前、春先に東京に仕事で行きました時に、電車に乗ったらほとんどの人が花粉よけのマスクをしていて、中にはゴーグルの方もいて、SF映画での汚染された未来都市を見ているような雰囲気で、びっくりしたことを思い出しました。
 わたしの住んでいる愛知県ではその頃はまだ、花粉予防でマスクをする人が少なかったのですが、今では、電車の中で、みんながマスクをして一心に携帯電話の画面を見つめ続けている光景にも慣れてきました。でも、三十年も前の人が見たら、何か息苦しくなりますね。

 ゴールデンウィークの楽しい旅行がインフルエンザのおかげで散々になってしまった方、地域で患者が発生したということで観光にも影響が随分出たようですね。そうした社会面の事件を、詩人が読み取るとこうなるぞ、というお手本のような詩ですね。
 ただ、結句で「薔薇香満階」を持ってくるのでしたら、起句の「薫風」よりも「軽風」「清風」などの嗅覚とつながらない言葉の方が良かったでしょうね。

2009. 6.30                  by 桐山人






















 2009年の投稿詩 第101作は 点水 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-101

  新型流感        

新型流感入關西   新型流感 関西に入る

當地學生停課悽   当地の学生 停課 つらし

父母俄然多雑事   父母は俄然 雑事多し

老師盡力又昏迷   老師は尽力 又 昏迷

          (上平声「八斉」の押韻)


「停課」: 休校

<解説>

 新型インフレンザが関西にまず入り、そのため、小、中学では休校になり、外出もままならぬ子供たちを抱えた父母はさぞ大変だったでしょう。
 また、先生方もいろいろと尽力されたでしょうが、なにせ対処方法がはっきりしないで、さぞ、昏迷された点もあったかと思います。
 此の処、一応の終息を見ているようで、油断はできませんが、よかったと思っております。
そんなことを思いながら、つくりました。

<感想>

 点水さんの詩もほぼ同時期にいただきましたが、点水さんのお住まいは初期の頃に発生した地元だったと思いますので、視点も具体的に細やかですね。
 患者となった生徒も災難でしたが、保護者や教師の困惑にも目を向けられたのはさすがですね。

 私も、恒例の八月下旬の中国旅行で、今年は大連でニャースさんや馬薩涛さんにお会いしたいと思っていたのですが、インフルエンザの関係ですっきりと行けるかどうか、校務との関係で判断がつかない状態です。

2009. 6.30                  by 桐山人






















 2009年の投稿詩 第102作は埼玉県の 楽聖 さん、三十代の男性からの作品です。
 

作品番号 2009-102

  馬徳里夜泊雑感     マドリード雑感   

西都朋友不知愁   西都の朋友 愁ひを知らず

雑事忘将萬里遊   雑事を忘れ将って 万里に遊ぶ

身在天涯多快感   身は天涯に在って 快感多し

氷心一片意悠悠   氷心一片 意悠々たり

          (下平声「十一尤」の押韻)

<解説>

 2007年弁護士の友人を訪ねてツアーではない旅行を12月にスペインとオーストリアに1人で行った。その最後の夜のことを書いた。楽しいことばかりのスペインだったけど、もう帰国をするのか?初対面の私を家に泊めてくれて、家で話をして過ごすのが何か面白くて、というものでした。

<感想>

 楽聖さんは、現代音楽の作曲をなさっておられる方で、漢詩の読み下しにメロディをつける、という漢詩とクラシックのコラボレーションを考えていらっしゃるそうです。発表会が八月に杉並公会堂であるそうですので、時間に都合がつけばぜひ聴きに行きたいですね。

 このホームページの感想として、「漢詩の勉強になります。いつか詩集を自分で作れたらと思っています。漢詩の世界は奥が深いことを感じます。またそれにもあってか難しい詩だと思いますけど、日々楽しく生きるには漢詩の存在が大きいと思います」と書いていただきました。

 この詩は、ヨーロッパで遊ぶ自分自身を故郷の人が遠くから眺めているという設定、つまり起句の「西都朋友」は作者のことと考えれば良く構成された詩になります。そうでないと、詩全体の中での起句の役割がよく分からないことと、主語が各句で混乱することになってしまうでしょう。

 承句の「忘将」は表現として苦しく感じますので、「相忘」でどうでしょうか。

2009. 7.15                  by 桐山人






















 2009年の投稿詩 第103作は 青眼居士 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-103

  憶井伊直弼        

古城臨瞰大湖濱   古城 臨瞰す 大湖の浜、

埋木茅盧碧樹新   埋木(うもれぎ)の茅廬 碧樹新たなり。

継嗣無幾猶筆硯   継嗣 幾(のぞみ)無く 猶筆硯、

知謀有効忽權臣   知謀 効有りて 忽ち権臣。

攘夷不識蛮戎勁   攘夷は識らず 蛮戎の勁きを、

開國恰憂文物陳   開国は恰も憂ふ 文物の陳きを。

政敵何須殘殺彼   政敵 何ぞ須ひん 彼を残殺するを、

使蛙出井眼光人   蛙をして井を出でしむ 眼光の人。

          (上平声「十一真」の押韻)



「埋木の茅蘆」: 直弼は井伊家の14男で、藩主になる見込みは殆ど無かったが、17歳から32歳まで「埋木の舎」と自ら名づけた庵に住み、国学者長野主膳に教えを請い、和歌、能、茶道などに励んだ。
「効」: 功。
「権臣」: 大老。

<解説>

 私は会社員時代に2年ほど彦根にすんだことがあり、直弼礼賛は単純な「地元」びいきでして、それ以上の深い歴史認識にまで言及するつもりはありません。

<感想>

 愛知県での吉良公びいきも似たところがあるかもしれません。仰るとおり、歴史認識ということでは簡単に評価を左右することはできませんが、全国的に悪役ならば地元だけでもひいきをしてあげなくては、というのも大切なことのように思います。
 私は子供の頃、初めての大河ドラマであった「花の生涯」を感動して見ていた記憶があります。尾上松緑、淡島千景の姿が目に浮かびます。それが最初の「井伊直弼」との出会いでしたので、青眼居士さんの礼賛もそれほど気にはなりませんでしたが。

 各聯の展開もよく、まとまりのある詩だと思います。



2009. 7.15                  by 桐山人






















 2009年の投稿詩 第104作は 常春 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-104

  丸之内街衙有感        

周邊豐遂再開發   周辺豊に遂ぐ 再開発

都是摩天新巧樓   都て是れ 摩天新巧の楼

郵逓民営纔緒業   郵逓の民営 纔く業に緒くも

何難干渉擅權儔   何の難ぞ 干渉する擅権の儔

          (下平声「十一尤」の押韻)

<解説>

 東京駅丸の内口に降り立つと 正面に「丸ビル」がデンと構え、やがて「新丸ビル」が建ち、赤レンガの東京駅と、丸ビル、新丸ビルを中心とする商業ビルがそれぞれ重層な風格を誇っていました。
 高層化の制限が解けて再開発。各ビルは古い建物の面影をとどめながら、総て高層化、そして地下改札口からビルに直行する時代となりました。ただひとつ中央郵便局だけが、地上改札を出て横断歩道を渡る取り残された存在。
 昨年暮れ、この郵便局が閉鎖され、再開発が始まったところ、突然の横槍。
『監視つきの』民営の悲哀でしょうか。あの界隈、文化遺産として残すのであれば「丸ビル」が筆頭だったのでは?
 だが是は完全民営、政治家が容喙する範囲ではなかったのでしょう。

<感想>

 総務大臣が「正義」を通して辞任したのが一ヶ月前、郵政民営化の嵐は四年前の総選挙から延々と吹き続けているようですね。

 先日郵便局に振り込みに行った時、単にお金を振り込むだけだったのですが、窓口のお姉さんが用紙を受け取って処理をしながら、世間話のように「生命保険の金額をご存知ですか?」とやおら尋ねてきました。
 突然の質問に「まあ、大体は?」と答えましたが、そこから次々と保険の話が続いて止まらず、かといってお姉さんが振り込み処理を終えてくれないと帰るわけにもいかず、なるほど郵便局は民営化されたんだなと実感しました。
 一緒にいた妻にそのことを話しながら、ふと思ったのは、「見ず知らずの私の保険の事まで心配してくれてありがとう」と考えるのか、「おせっかいに関係の無い話をするな」と感じるかは、まさしく地域と郵便局との関わりなのかもしれないなぁということでした。

 承句の「摩天」は現在でも「摩天楼」として使われますが、「天に接する(ほど高い)」という意味です。

2009. 7.19                  by 桐山人






















 2009年の投稿詩 第105作は 禿羊 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-105

  後南朝        

奉持神器僻陬臻   神器を奉持して僻陬に臻り

承継南朝幾歳巡   南朝を承継して幾歳か巡る

雅味不知炊稗婢   雅味は知らず 稗を炊ぐ婢

訛言難解採薪臣   訛言解し難し 薪を採る臣

管弦久絶空過夜   管弦 久しく絶えて 空しく夜を過し

氷雪深関偏待春   氷雪 深く関ざして 偏へに春を待つ

春鳥独優来細話   春鳥 独り優し 来りて細話す

僭王亦似圄囹人   僭王 亦似たり 圄囹の人に

          (上平声「十一真」の押韻)

  和州吉野大台山中有隠平。嘉吉三年、後亀山天皇孫尊義王奪取神器到此地、承継南朝、建行宮。

<解説>

 奈良県台高山系に、林道の終点から2,3時間歩いた山奥に昔、後南朝の行宮があったと伝えられる隠し平という場所があります。現在は、深い森林の中に一基の墓が残るばかりですが、都育ちの人たちがよくこんな山奥で住んだなとビックリするような場所です。後南朝は後に悲惨な終末を迎えるのですが、それはまた別の話。

<感想>

 第七句の冒頭「春」の字は韻字で同字重出です。ここが「春鳥」でなくてはならないとは思いませんので、他の表現に替えた方が良いでしょうね。

 第八句の「圄囹(ぎょれい)」は「牢獄」の意味です。痛ましい姿を例えたのですが、作者の感情がよく伝わってきます。

 私は「隠し平」には行ったことがないのですが、禿羊さんの解説ですと、「林道の終点から2,3時間歩いた山奥」ということですので、ちょっと引いてしまいました。

2009. 7.19                  by 桐山人






















 2009年の投稿詩 第106作は 禿羊 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-106

  迷台高山中        

湿霧瘴煙遮道惑   湿霧 瘴煙 道を遮りて惑はしめ

饑螕渇蛭慕人憑   饑螕 渇蛭 人を慕ひて憑る

終日孤征穿乱篠   終日 孤り征きて 乱篠を穿ち

幽渓露臥思兢兢   幽渓に露臥すれば 思ひ兢兢たり

          (下平声「十蒸」の押韻)

<解説>

 紀伊半島中央にあって、大和と伊勢を劃する台高山脈は道がなく、地形も大変複雑な所です。昨年四月、何度も迷いながら、5日かけて吉野から尾鷲まで縦走しました。
 幸い、山ヒルの出る季節には少し早かったのですが、ダニにはしっかりと食われました。
 何日も独りでまったく人に出会わない山を彷徨うのは大変寂しいのですが、その寂しさにやみつきになっているのも事実です。

<感想>

 山の中を迷い迷い歩く苦労、苦しみが伝わってくる詩ですが、事象の並べ方が羅列的で、もう少し整理した方が良いと思いました。
 起句と承句は対句で描いている形ですが、内容的には承句と転句が入れ替わった方が、全体の流れがすっきりするでしょう。

 また、山中を歩く苦労は伝わるものの、そこから最後の「思兢兢」へとどう展開したのか、終わらせ方が強引だったかなと思いました。

2009. 7.19                  by 桐山人






















 2009年の投稿詩 第107作は 菊太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-107

  春宵聴雨        

策杖長堤草色   杖を策し 長堤 草色奄オ

櫻雲夾岸艶陽春   櫻雲 岸を夾む 艶陽の春

帰来日暮聴簷溜   帰来 日暮 簷溜を聴く

時恐明朝花作塵   時に恐る 明朝 花 塵と作らん

          (上平声「十一真」の押韻)

<解説>

 神奈川県大和市の通称千本桜の桜はまさに満開であった。
夕方から天気は下り坂になり、家に着く頃にはポツポツと降り出した。
この分だと明日は相当散ってしまうのだろうか。

<感想>

 前半の広々とした野の光景から、題名の「春宵聴雨」へどうつながるのかと思いましたが、転句の「帰来」で一気に持っていこうとされたのでしょう。
 題名が違うものならば、作者の行動を順に追うような展開の詩として読んでもいけるのですが、ここでは強引さの方が気になります。肝心の「春宵」の時間での情景が全く無いのも原因でしょうね。
 そのため、結句の「明朝花作塵」という情感も、何となく取って付けたような感じで、結局、作者としては前半の景が言いたいのか、後半の雨が言いたいのかがぼやけていると思います。

 題詠の難しいところですね。

2009. 7.19                  by 桐山人






















 2009年の投稿詩 第108作は 博生 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-108

  春雨        

春窓静聴四檐声   春窓 静かに聴く四檐の声

花散中庭緑蘚清   花散る中庭 緑蘚清し

煮茗焚香塵外境   茗を煮 香を焚き 塵外の境

微吟閑坐楽風情   微吟閑坐して 風情を楽しむ

          (下平声「八庚」の押韻)

<解説>

 梅雨は鬱陶しい
 春雨はほんわかと何かを考えさせる。
 同じ地雨でも違うのは何故だろう、
 陽気の 厳しさと 優しさか。

<感想>

 掲載が遅くなってすみません。

 題名に対して、詩中では「雨」の語が出てこないのは、作者のねらったところでしょうか。「四檐声」から推測させるにしても、やはり「雨」「滴」などの語が欲しいですね。
 また、起句では「聴」「声」が重複していることと、ここの「静」と結句の「閑」も重なりますので、「静聴」があまり働いていない印象です。
 結句の「風情」を導くためには、ここで聞こえた「四檐声」がどんな音だったのかを形容すると、全体の調和が取れるように思います。

2009. 8. 7                 by 桐山人






















 2009年の投稿詩 第109作は 赤龍 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-109

  残桜        

遙山雪解鳥声頻   遥山雪解け 鳥声頻りなり

日暖深園雨後新   日暖く深園 雨後に新たなり

一夜狂風吹有恨   一夜の狂風吹いて恨みあり

残桜寂寂亦憂人   残桜寂寂 亦た人を憂へしむ

          (上平声「十一真」の押韻)

<感想>

 掲載が遅れてすみません。

 赤龍さんはまだ多くは作っていらっしゃらないとのことですが、詩情、用語ともにバランスの取れた作品になっていると思います。気の付いた点を書かせていただきます。

 起句では、前半の四字と後半の三字で遠近を表しているのでしょう(「鳥声頻」は近くで聞こえるもので、遠山の鳥の声では不気味になりますから)が、一句の中での対比は苦しいでしょう。承句の「日暖」「鳥声頻」に持って来るのはどうでしょう。

 承句は、起句で削った「鳥声」を持ってきても良いですが、まずは「雨後新」で何が「新」たなのかが分かるようにする必要がありますので、読者に情景が伝わるような素材を考えましょう。

 転句と結句はこのままでも良いですが、転句の「有恨」と結句の「憂人」がやや重複感がありますので、結句を生かして、転句の下三字を推敲されると良いと思います。

2009. 8. 7                 by 桐山人






















 2009年の投稿詩 第110作は 玄齋 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-110

  爐邊孤坐        

茅齋灰冷夜深爐   茅齋 灰冷かなる夜深の爐

呵硯騒人生粟膚   硯を呵せば 騒人粟膚を生ず

一片炭薪求不得   一片の炭薪 求むるも得ず

苦吟憂憤句如無   苦吟するも憂憤に句無きが如し

          (上平声「七虞」の押韻)

<解説>

 久しぶりに投稿いたします。
菅廟吟社の二月の課題詩を推敲したものです。

「爐」というのは今の時代にはあまり見かけませんので、あくまでも想像で読んでいますが、その点はご容赦下さい。

<感想>

 玄齋さんもお久しぶりですね。しかも掲載が遅れてしまいましたので、ますますその感が強くなってしまいました。すみません。

 承句の「呵硯」は「息を吹きかけて硯を暖める」ということですが、ここは結句の詩作の場面とつなげた方が良いので、内容的には承句と転句が入れ替わると全体の流れが自然になりますね。

 「一片炭薪」をどうして得ることができないのか、そのことが結句の「憂憤」の原因であるならば、「騒人」には似つかわしくない気がします。もう少し、作者のこの時の心情が伝わると良いでしょうね。

2009. 8. 7                 by 桐山人



井古綆さんから感想をいただきました。

 玄齋雅兄、玉作を拝見。

 雅兄の「爐」や「炭薪」も同じく時代遅れの感がしますが、ある程度は仕方がないと思います。
(ちなみに炭薪よりは「薪炭」が通常の熟語ですので、措辞する場合には辞書で確認をしてさい。)
辞書によると石油ストーブは「煤油炉」とのっていますので「油炉」としたら通じると思います。
できるかぎり句末は「炉火が消える」というように直前に動詞を置くようにしてください。
 「紅炉」なども考えられます。例の如く試作して見ました。


    試作
  茅齋深夜盡油爐   茅斎 深夜 油炉尽き
  室裡貧寒生粟膚   室裡 貧寒 膚に粟を生ず
  急閉繙書圖怠惰   急いで繙書を閉じて 怠惰を図れば
  青燈一穂叱凡愚   青灯 一穂 凡愚を叱す


2009. 9. 1                  by 井古綆


玄齋さんからお返事をいただきました。

 鈴木先生、井古綆先生、ご指導ありがとうございます。
お久しぶりです。私もじっくりと推敲をしていこうと思います。
宜しくお願いいたします。

 改めて私の詩を読み直すと、貧苦で詩が作れないというのは、「騒人」の境地にはほど遠いなと思いました。
 その部分を中心に改めてみました。

「紅爐」という言葉に改めてみました。
「炭」は時代遅れですが、今回はそのまま使いました。

 今回は以下のように推敲してみました。

  茅齋深夜盡紅爐   茅齋 深夜 紅爐尽き
  絶炭貧人生粟膚   炭を絶やして貧人 粟膚を生ず
  遙憶離騒愁苦裡   遙かに離騒を憶ふ愁苦の裡
  幾刪舊句句如無   幾たびか旧句を刪るも 句無きが如し

 いつもありがとうございます。
宜しくお願いいたします。


2009. 9. 6               by 玄齋


井古綆さんから、推敲作への感想をいただきました。

 玄齋雅兄。推敲作を拝見いたしました。
 わたくしが心ならずも苦言を致しましたことが、雅兄の真摯な推敲によって、このように立派な秀作に変貌しましたことに絶大な 賛辞を贈ります。有難うございました。

 なお欲を言えば承句の『貧人』を『貧家』」に『絶炭』を『炭竭』として、承句『炭竭貧家生粟膚・炭は貧家に竭(つき)て 膚に粟を生ず』とすれば何処へ出しても恥ずかしく無い作です。
 今後の精吟を期待しています。
転句が素晴らしく思いました。

2009. 9.18              by 井古綆





















 2009年の投稿詩 第111作は 玄齋 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-111

  春窓微雨        

待リ待客不相期   晴るるを待ち 客を待つも 相期せず

無奈幽慵孤坐時   奈んともする無し 幽慵 孤坐の時

門巷蕭蕭疎雨過   門巷 蕭蕭 疎雨は過ぎ

何情春涙濕殘棋   何れの情か春涙残棋を湿さん

          (上平声「四支」の押韻)


<解説>

 菅廟吟社の三月の課題詩を改めて作り直したものです。

「幽慵(ゆうしょう)」: かすかに感じる物憂い気持ち
「残棋(ざんき)」: 指しかけたままの碁盤


<感想>

 春雨が降り止まず、誰も訪れてくれない退屈な気持ちが、起句の「待晴待客」の対語によく表れていると思います。

 結句で「残棋」とありますので、まだ客は誰も来ていないという前提で、これは誰と対局していたものかを考えました。
 以前に来た客が対局の途中で帰って行き、そのまま残っているとも思えるし、誰も来ないから一人で碁盤に向かっていたとも思えます。私の感想としては、以前のまま残してあるという方が好きですね。客を待つのも「誰でも良い」というのではなく、「先日楽しく碁を打った君を、碁盤もそのままにして待っているんだよ」という気持ちにすると、詩の中にドラマが生まれるように思います。
 この「残棋」の言葉は印象が強いので、一人残されたという寂しさが強調され、余韻も深くなりますが、言葉の勢いに流されないようにしないといけないですね。

2009. 8. 8                 by 桐山人






















 2009年の投稿詩 第112作は 玄齋 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-112

  東郊踏        

逍遙田畝雨リ初   逍遙す 田畝 雨晴るるの初め

雙燕交飛繞舊廬   双燕交々飛びて 旧廬を繞る

歳歳去追楊柳影   歳歳去りては追ふ楊柳の影

風暄麗日百花舒   風暄かき麗日 百花舒ぶ

          (上平声「六魚」の押韻)

<解説>

 菅廟吟社の三月の課題詩の二つ目を、改めて作り直したものです。

<感想>

 主眼がどこにあるのか、郊外に行き目に映った物を並べたような印象ですので、作者の主題が明確に伝わってきませんね。

 転句の「去追」を燕の行為とすると、詩の構成としては、承句と転句でひとまとまりの聯として前半に置いた方が良いかと思います。しかし、転句をそう解釈すると、結句とのつながり、役割がすっきりしませんね。
 承句と結句を入れ替えるのも一つの案ですね。結句はちょっと盛り沢山過ぎて、結びには派手すぎるかもしれません。

2009. 8. 8                 by 桐山人






















 2009年の投稿詩 第113作は 謝斧 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-113

  寄某生先生 「李穡牧隠先生」        

碩儒循黙綴旒吹   碩儒循黙して綴旒吹き

頽樹一繩非所維   頽樹一繩維ぐ所に非ず

李氏回軍朝旨叛   李氏回軍して朝旨に叛き

王家遜位乱階危   王家遜位して乱階危ふし

妖雲圧地山川暗   妖雲地を圧して山川暗く

腥雨含風草木衰   腥雨風を含んで草木衰ふ

何異画蘭無画土   何んぞ異ならん蘭を画いて土を画く無く

先生死節使人悲   先生の死節 人をして悲ましむ

          (上平声「四支」の押韻)



<解説>

 ソウル大學校國語國文學科への入學おめでとうございます。
韓国の詠史を投稿されることを願っています

 [語釈]
「李穡」: 高麗遺臣 政敵である弟子の三峰鄭道傳に敗れ、鄭夢周の変に連座して太祖李成桂に死を賜う
「綴旒吹」: 高麗王 恭譲王(王瑶)が臣下の李成桂のいいなりになり國を滅ぼした
「頽樹一繩非所維」: 滅びつつある国家は一人の力ではどうにもならない
「李氏回軍」: 李成桂が朝旨に叛き威化島より回軍
「王家遜位」: 恭譲王が李成桂に譲位した 王家は高麗王朝の姓
「何異画蘭無画土」: 鄭思肖は南宋が滅びたので蘭を画くも土を画かなかった

<感想>

 詩の主題は、高麗の李穡の忠節への思いを描いたものですが、最後に南宋の鄭思肖を持ってきたことで、国が亡ぶ悲しみを広い視野で感じることができます。
 謝斧さんの注でも書かれていますが、蘭は「菊・竹・梅」とともに四君子と呼ばれ、高潔な精神の持ち主(君子)にたとえられます。その蘭に根を描かないということで、鄭思肖は異民族に国土が奪われてしまった憤りと抵抗の心を表現したと言われています。

 こうした、民族と国家の関わりから歴史を捉えることは日本史ではなかなかできない面があり、謝斧さんが某生さんへのエールとして、この詩と「詠史を」とのメッセージを言われたのは、日本という枠組みから飛び出した広い視野を持ってほしいという期待からだと思います。

 某生さん、きっとがんばっておられることでしょう。

2009. 8.10                 by 桐山人






















 2009年の投稿詩 第114作は サラリーマン金太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-114

  看会津宰相執政直江城州徳川内大臣宛書状書感  
      会津宰相執政直江城州の徳川内大臣宛書状を看(み)て感を書す

越水会盟金石振   越水(えっすい)の会盟 金石振ふ

加誅内府信書頻   内府に誅を加へんとして 信書頻(しき)りなり

誰人看破狡狸計   誰人(たれびと)か看破せん 狡狸(こうり)の計

指摘専権私嚼唇   専権を指摘されて 私(ひそ)かに唇を嚼(か)みしや

          (上平声「十一真」の押韻)



<解説>

「直江城州」:  平成二十一年、NHK大河ドラマ主役、上杉家の名家老 直江山城守兼續。
「徳川内大臣」: 徳川家康(正二位内大臣、内府)、当時、豊臣家五大老筆頭。
「会津宰相」:  上杉景勝(従三位参議兼中将)豊臣家五大老の一人

「徳川内大臣宛書状」:

 世に「直江状」として知られる。(以下説明は南魚沼市観光協会より引用。)
慶長三年(1598)に豊臣秀吉が死去すると、五大老の一人徳川家康は政権の掌握に向けて動き出しました。
 会津へと戻り、秀吉の遺志であった神指城の建設や軍道の整備を進めていた上杉家に対して家康は謀反の疑いをかけました。
 同五年に兼続と親しかった京都五山第二相国寺末寺・豊光寺の僧承兌に命じ、八ヶ条からなる詰問状を兼続に送らせます。詰問状は、景勝に上洛して言い訳をするよう求めたもので、返事次第では上杉家の興亡にかかわるという厳しい内容の文面でした。
 それに対して兼続が十六か条にわたり釈明したものが、世に言う「直江状」です。
 書状の中で兼続は、国替えをしたばかりで忙しく上洛できないと詫びた上で、家康の質問の言いがかりを理に照らして一つ一つ堂々と正し、謀反の告げ口をそのまま信じる家康を責め、攻めてくるのならこちらも受けて立つという宣戦布告ともとれる言葉で結んでいます。
 これを受け取った家康は「豊臣政権への謀反あり」として上杉討伐へと兵を進めました。

「越水会盟」:
 越水の会見ともいわれます。
 天正十三(1585)年、秀吉の北国征伐が行われ、景勝の臣須田修理亮の守る越後越水(おちみず)城下にて秀吉・三成と景勝・兼續の四巨頭会談が四時間に亘って行われました。
 この会見は秀吉の膽気と景勝の信義、また、ともに二十六歳になる石田三成(従五位下治部少輔)・兼續(従五位下山城守)の出会いの場として知られています。一説にはこの時、大藩を背負う二人の若者は血判して義兄弟の契りを結んだといわれます。
 一方、景勝は秀吉に臣下の礼をとり、豊家を支えていくことを誓いました。

 また、三成と兼續にとっては、後に関ヶ原戦いの発火点となる家康挟撃作戦を仕掛ける阿吽の謀略への端緒となっていきます。二人の名参謀はその後たびたび文をやり取りして誼を通じたそうです。
「金石振」: 友情が堅い様。
「看破」: 見破る。
「狡狸」: 狡猾な狸=内大臣 徳川家康。
  「看破狡狸計」では「狡猾な狸の計画を見破る」となるので反語として句頭に「誰人」を置きました。
  「誰が狡猾な狸の計画を見破ったであろうか」となります。
  この場合の「誰人」とは、もちろん直江兼続を指します。

「指摘専権私嚼唇」:  家康は直江状の無礼な書面(太閤の遺命違背を衝く弾劾状であり、交戦も厭わぬ挑発状)は初めてだと烈火のごとく怒り、すぐさま会津討伐の軍議を開きました。大坂城西の丸御殿に独座しては、あせった時の彼のくせである爪を噛み、また唇を嚼(か)みながら、豊家からの政権簒奪は「まだまだ一山も二山も越えねばならんわい」と褌を締めなおしたことであろう、という意味です。



<感想>

 この詩の歴史状況と語釈につきまして、サラリーマン金太郎さんから詳しい解説をいただきましたので、よく分かります。
 直接に直江兼続について語るのではなく、「越水会見」からの兼続と三成の友誼から話を進めるというところが、金太郎さんの工夫のところでしょうね。

 詩題については、「看会津宰相執政直江城州徳川内大臣宛書状」と「之」の字を入れた方が分かりやすいと思います。
 また、起句の「越水会盟」は、「えっすい」と読むと、「越」という国(州)と「水」という国の会盟のように感じますね。地名でもありますから、そのまま「おちみず」と読んでおいた方が誤解が少ないでしょうね。

 結句は、「指摘されて」と受身形で読んでくれれば良いですが、家康の癖を万人が知っているわけではありませんから、そのまま「専権を指摘して私かに唇を嚼む」と読まれる可能性もあります。
 私見としては、ちょっと家康のことが詩の中に多すぎるように感じますので、結句は下三字も主語を直江兼続に統一した方が、詩全体をまとめる形になると思います。

2009. 8.10                  by 桐山人






















 2009年の投稿詩 第115作は サラリーマン金太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-115

  直江山城守兼續公(一)        

専権内府奈難勝   専権の内府 勝(た)へ難きを奈(いかん)せん

欲報豊公任股肱   豊公に報いんと欲して股肱(ここう)に任ず

空敗関原削封土   空しく関原(せきげん)に敗れて封土(ほうど)を削らるるも

愛民増産畫中興   民を愛し増産して中興を画る

          (下平声「十蒸」の押韻)

<解説>

「内府」: 徳川内大臣…徳川家康(正二位内大臣)豊臣家五大老筆頭
「豊公」: 太閤・豊臣秀吉
「欲股肱」:
    股は「もも」肱は「ひじ」。主君の手足となって働く、最も頼りになる家来や部下。股肱の臣。
   直江山城守兼續は大層秀吉にかわいがられ、陪臣にあっては異例の豊臣賜姓や太閤薨去に際しては
   愛用の刀の形見分けにもあずかった。親友の石田三成とともに豊臣子飼いの大名。

「空敗関原削封土」:
    直接の主君上杉景勝は徳川、毛利家に次ぐ会津・米沢120万石の大大名で豊臣家五大老に列した。
   しかし、1600年関ヶ原の戦いで西軍に組して、石田三成と家康挟撃作戦を展開した上杉方は、
   むなしく敗れた。敗戦処理に奔走して家康に謝罪。なんとか改易だけは免れるが、1601年8月、
   羽州米沢30万石に減封されることに。
    これにより、領地の大半を喪失したが、しかし家来の解雇はしなかったために上杉家は、
   経済的に苦しくなったが、名家老兼續の卓越した手腕により産業開発や治水事業を新たに興し、
   家運の再起を図った。

 太閤の遺命に数々背く家康に業を煮やす兼續と盟友の三成たち。一体どうすればよいのか。
そして、かねて親友三成と謀り、太閤恩顧の大名として西軍に組して家康を撃つことに。

 しかし無念なり。西軍が関ヶ原で壊滅状態だ。これに伴い戦後処理として上杉家も減封された。
冑の前立てに「愛」を押し立てた兼續らしく、戦後は領民を慈しむ政策を進め、特産品開発など新たな産業や堤防を築くなどして治水事業を展開し、新田開発など米の増収を推進して家名の再起を図った。



<感想>

 承句は、今は亡き秀吉公の恩に報いようと思って戦おうとした、ということだと思うのですが、そうすると、「任股肱」は誰の「股肱」ということになるのでしょうか。

 もう一点は、後半の「封土を削られ」たのは直接は主人の上杉景勝だと思うのですが、そうすると結句で兼続を主語とすることが苦しいように感じます。
 主人の上杉景勝と兼続は一体のようなもの、と考えれば良いのでしょうか。二人の主従関係(?)というか、兼続について詳しくないので、そのあたりがちょっと分かりにくいです。「削」を「移」に替えればどうでしょうかね。

 この詩は内容が豊富ですので、同じ主題で律詩にされると意を尽くすことができ、面白いと思いますよ。

2009. 8.10                  by 桐山人






















 2009年の投稿詩 第116作は サラリーマン金太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-116

  直江山城守兼續公(二)        

偏憐衆庶令行仁   偏(ひとえ)に衆庶を憐れんで行仁を令す

覇道無常王道純   覇道は無常にして王道純なり

戦敗減封移出羽   戦敗れ封を減ぜれて出羽に移り

復興藩政至誠人   藩政を復興す至誠の人

          (上平声「十一真」の押韻)

「令行仁」: 情け深い政治を行う。
「出羽」: 山形県米沢市

<解説>

 作詩の背景を述べますと、私が直江兼続のことを知ったのは今から二十八年前です。
 中学校二年生のとき、TBS開局30周年記念番組の正月特別番組で、司馬遼太郎原作の「関ヶ原」をテレビで見たのが始まりです。家康を森繁久禰、秀吉を宇野重吉、石田三成に加藤剛、直江兼続に細川俊之、三成の軍師・島左近に三船敏郎などの超豪華キャストで三夜連続放映されました。
 多感な青春時代、心躍らせて食い入るように深夜見入ったことが思い出されます。
 脚本を書いたのが旧北条市(私の郷土)の早坂暁(はやさか・あきら)さんでした(北条市名誉市民賞受賞)。

 これを契機として、以来の直江のファンです。でもまさか大河の主役になるとは思っても見ませんでしたが‥。今年11月まで大好きな歴史上の人物の一人である直江を応援してまいります。

直江兼続

ドラマ・関ヶ原

出典:Weblio辞書より

 余談ですが、松山市民として全国の大河ファンにお知らせです。
 こちらも司馬遼太郎の名作「坂の上の雲」がいよいよ本年11月29日(日)から「天地人」の最終回に引き続いてスペシャルドラマとして3年間に亘りNHKで全国放映されます。キャストも豪華、撮影も好調です。
 すでに愛媛での撮影は終わりました。ぜひご覧下さいね。

詳しくは、「NHK松山放送局ホームページ」を。

<感想>

 直江兼続三部作ということで、(一)の方は「言いたいことがいっぱい有って、書ききれない!」という感じでしたが、この(二)は視点が統一されていて、すっきりしていると思います。素直に「兼続さんは政治家として立派な人なんだなぁ」と共感できます。

 また無知な感想になると申し訳ないのですが、兼続が家老ということにこだわると、起句の「令行仁」を「宰行仁」にしてみるのも一案かもしれません。

2009. 8.10                  by 桐山人






















 2009年の投稿詩 第117作は 柳田 周 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-117

  四月        

芳花嫩葉万千枝   芳花嫩葉 万千の枝

男女老夭浮躁時   男女老夭 浮躁の時

底二我肝増病毒   底(なん)ぞ二たび我が肝 病毒を増すや

当言四月酷苛期   当に言ふべし 四月は酷苛の期と

          (上平声「四支」の押韻)



「病毒」: ウイルス
「四月酷苛期」: T.S.エリオットは詩集「荒地」の最初の詩句に
       『四月は最も残酷な月(April is the cruelest month)』と書いている。

<感想>

 お病気も一進一退という形でしょうか。
 この夏は梅雨もなかなか明けず、雨が降れば豪雨、降らなければ猛暑という、何か熱帯地方のような気候が続いていますが、体調はいかがですか。

 エリオットの詩では四月のどこが残酷だったのか、と思い、読み返してみましたが、何かよく理解できませんでした。でも、せっかくですので冒頭の部分だけそのまま紹介します。

 四月はいちばん酷い月、
 不毛の地からリラを花咲かせ、
 追憶と欲情をつきまぜて、
 春雨で無感覚な根をふるい立たせる。
 冬はぼくらを温かくしてくれた、
 忘却の雪で地上を覆い、
 乾いた球根であわれな生命を養いながら。
   :
   :
       (鮎川信夫訳)
 春の生命感、それは多くの人に喜びを与えるものですが、それが却って悲しみを誘う。杜甫の「絶句」にも共通する感覚でしょう。

 今回の柳田周さんの詩では、後半から言葉が生々しくなってきていますが、作者の思いの深さに言葉が追いつかない、という感じです。
 治療は大変でしょうが、がんばってください。

2009. 8.14                  by 桐山人






















 2009年の投稿詩 第118作はさいたま市にお住まいの 香港のLee君 さん、三十代の男性の方からの初めての投稿作品です。
 このホームページの感想を、
 素晴らしいホームページで、もうちょっと早く出会いたかったです。
最近、余り漢詩を作っていなかったのですが、このホームページを見て、また作ってみようと思いました。
 ホームページの管理は、大変だと思いますが、何卒宜しくお願いいたします。
と書いていただきました。


作品番号 2009-118

  望富士山        

秀麗高峰南富士   秀麗高峰の南富士

風雷猛烈不搖擺   風雷猛烈なるも 搖れ擺かず

人間世事争東西   人の間の世事 東西に争ふも

下望牢騷堅固心   牢騷を下に望み 心堅固なり

<解説>

 先日、山中湖に行くことがあり、見事な富士山を拝見することができました。天気もよく、清々しい気持ちになったのですが、どんな台風や雷雨にも微動だにしない富士山を見て、このような人間でありたいと願ったものです。
 人の世は、余りにも毀誉褒貶であり、陥れられることが世の常でありますが、そのような小さい嫉妬や愚癡を下に見下ろして、断固として屹立した自身を築きあげようと思い、詠いました。

<感想>

 そうですね。富士山の凛とした姿を見て、人間としての自分のあり方を考えさせられるのは納得できます。それくらい、富士山には哲学的な美しさがありますね。
 その富士の姿を言葉でどう描くか、が詩のポイントになります。

 全体として、「二四不同」や「二六対」といった平仄は整っていらっしゃるのに、どうして押韻が為されていないのか疑問です。押韻は古詩、近体詩ともに漢詩としての必須条件ですので、そこは意識されると良いでしょう。
 押韻を揃えるならば、こんな感じでしょうか。
  秀麗南高富士巓
  風雷猛烈山不顛
  人間世事東西争
  下望牢騷心尚堅

 承句は、上四字と下三字を逆接でつなぎたいようですが、読者には分かりにくいでしょうね。というのも、下三字「不搖擺」の主語は富士なのですが、上の「猛烈」の主語は「風雷」ですので、つい「風雷」が「猛烈」で、かつ「不搖擺」だと思いがちだからです。ゆっくり読めば分かるとは言え、読者の鑑賞のリズムを崩しますので、誤解を避けるに越したことはありません。ここでは、「風雷猛烈山不揺」と「山」の字を入れるだけでも十分、主語の転換は伝えられます。

 結句は「堅固心」と書いて「心堅固なり」と読むのは、主語(心)が述語(堅固)の前に来るという漢文法からは無理です。このままの語順ならば、「堅固なる心」と名詞で止めることになります。
 ついでに、上の四字の「下望牢騒」も「下に牢騒を望み」と読んだ方が自然でしょう。

2009. 8.14                  by 桐山人






















 2009年の投稿詩 第119作は兵庫県川西市の 堂山 さん、八十代の男性の方からの作品です。
 

作品番号 2009-119

  訪佐保河岸「川路櫻」        

幕末栽辰佐保瀕   幕末辰に栽す佐保の瀕

帯苔櫻樹客愁頻   苔を帯ぶ櫻樹 客愁頻なり

葵亡夢断士空殀   葵亡び夢は断たれ 士空しく殀す

爛漫花堤為孰春   爛漫たる花堤 孰が為にか春なる

          (上平声「十一真」の押韻)

<解説>

 幕末時の奈良奉行、川路聖謨が若草山を背に東西に流れる佐保川の両岸に植えた桜は、百五十年を経た今も爛漫と咲き誇り、訪れる人は昔時の思いに耽る。
江戸城開城と共に奉行は自刃したと伝えられている。
家族と花見に行き徘徊しながら、飛花面を払う折の一句です。
宜しくお願いいたします。   

<感想>

 堂山さんは、この四月から漢詩を始めたばかりということですが、押韻・平仄ともに整い、随分勉強なさったのでしょう。趣のある詩になっています。

 起句の「栽辰」は、「(幕末という)その時に丁度栽えた」と解釈するのでしょうか、強調だとして作者のどんな気持ちが入っているのかが分かりにくいですね。

 承句、結句は分かりやすくできあがっていますね。次回作にも期待します。

2009. 8.14                  by 桐山人



 井古綆さんから感想をいただきました。

 堂山雅兄はじめまして、井古綆です。
拝見すれば詩歴も浅いにも拘らず、この難しい詩を作られたことに、敬意を表します。

 不肖わたくしが脱帽いたしましたのは、素晴らしい結句です。
 この句を是非とも生かそうと思い長考しました。詩の内容を表現するには非常に難しい詩題でした。
これを詩歴の浅い雅兄がここまで作詩されましたことは、称賛に値します。

 僭越ながら雅兄の将来の詩想のためにと、お節介をいたしましたので参考になれば有り難く存じます。
    川路櫻試作
  幕末栽櫻佐保瀕   幕末 桜を栽す 佐保の瀕
  葵亡世變萬株伸   葵は亡び世は変わるも 万株伸ぶ
  誰知植主空屠腹   誰か知らん植主の 空しく屠腹するを
  爛漫花堤爲孰春   爛漫たる花堤 孰が為にか春なる

「承句」: 自然は人間社会に関係なく年月が移りゆくことを表します。
「植主」: しょくしゅ。造語。

2009. 8.30                 by 井古綆





















 2009年の投稿詩 第120作は 井古綆 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-120

  際原爆投下日冀世界平和        

被爆辛酸輕實態、   被爆の辛酸 実態を軽んじ、

主張正義人倫廢。   正義を主張すれば 人倫廃(すた)る、

誹謗舊悪否怨讐、   旧悪を誹謗するは 怨讐に否(あら)ず、

欲向平和弘博愛。   平和に向かって 博愛を弘めんと欲す。

          (去声「十一隊」の押韻)

  <解説>

 ※当詩は仄韻詩です。

「被爆」: 被爆者(hibakusya)悲しいかな!この日本語が世界共通語になっている。
「正義」:

 アメリカが主張する正義。すなわち『戦争を早く終結するため原爆を投下した』との論理は、戦勝国のみに通用するが、万一アメリカが敗戦国となっていたならば、多くの無辜への無差別殺戮は、重大な戦争犯罪で、断罪されていたであろう。その行為は倫理に違反するのみならず、アメリカはキリスト教国であり、更に重大な神への冒涜である。
 省みれば、もしかすると立場が逆転していたならば、日本も同じ過ちを冒したかも知れない。然しながら人類は未完成な動物ではない!と信じたい。
 『過則勿憚改・過ちては則ち改むるに憚ること勿れ』と、先賢は説いている。
「誹謗」:
 正確に言えば、アメリカの原爆投下がいかに非人間的な行為だったことへの認識をすること。
 この認識こそが将来世界平和達成への必須条件であり、広言すれば今、人類存亡の岐路に立っているのではなかろうか?
「怨讐」:
 わたくしは直接には原爆の被害者ではないため、被害者の苦しみは残念ながら理解することは困難ながら、無責任なようですが、憤りと悲しみは共有できます。
 先日日曜日の朝のラジオ放送で、『法然上人』の父が非業の最期に遇ったことを浄土宗のお坊さんが説いていらっしゃいました。
 凡その意味は、上人九歳の時、父が敵に殺されその臨終の言葉は、『今後父の仇を討ってはならない、お前が仇を討てば相手の子がまた仇を討ち、怨讐の連鎖が続く』と言うようなことを説いていらっしゃいました。
 わたくしはこの上人の父君「漆間時国」の遺言に深い感銘を受けました。
 「1 誕生と・父との死別 父の非業」、また、「漆間時国の略歴」に載っています。


<感想>

 井古綆さんのこの詩も、本当は広島、長崎の原爆投下の日あたりに掲載できると良かったのですが。
更新が滞ってしまい、皆さんの投稿のペースを狂わせてしまってすみません。
あまり間が空いてしまってからの掲載では申し訳ありませんので、せめて終戦の日に間に合うように、とここで掲載させていただきます。

 他の皆さんの詩も、できるだけ早く掲載できるようにと急いでいますので、「まだかなぁ」と思われる方、もうしばらくお待ちください。

2009. 8.14                  by 桐山人