2009年の投稿詩 第121作は サラリーマン金太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-121

  賀伊藤竹外翁米寿     伊藤竹外翁の米寿を賀す   

菁莪子弟迓遐年   子弟を菁莪(せいが)して 遐年(かねん)を迓(むか)へ

南海洪儒令聞傳   南海の洪儒(こうじゅ)令聞伝ふ

三道一如能景仰   三道一如 能(よ)く景仰(けいぎょう)し

倶衝奎運志逾堅   倶(とも)に奎運に衝(むか)って 志逾(いよいよ)堅し

          (下平声「一先」の押韻)



<解説>

 「三道一如」につきましては、全日本漢詩連盟会報に井藤竹外漢詩連盟副会長ご自身が、平成十八年に愛媛県にて開催した全日本漢詩大会に関しての記事の中で書かれていますので、それをご紹介します。

 一昨年(平成十八年)十一月、愛媛県に於いて開催した全日本漢詩大会は、愛媛県、松山市などの官公庁を始め多くの協賛を得て、全日本漢詩連盟、四国漢詩連盟、愛媛漢詩連盟共催の下、同好者より投稿詩1000首、当日の参加者1000名を愛媛県民文化会館に集めましたが、この時、愛媛県教育委員会が配布したアンケート票の大半は感銘、感動しましたとの感想が寄せられるなど極めて盛会裡に終了できましたことは洵に意義のあることと思います。

 これまで文化庁、各県市などによって年々開催している国民文化祭漢詩大会が香川、群馬、鳥取、福岡、福井県などに開催された全国大会を顧みても投稿詩1000首以上は通例となりましたが、大会参加者は三百名前後であった事を思えば李白、杜甫以来中国より恩恵を受けた漢詩界が、江戸、明治、大正、昭和、平成を経てきた漢詩文学史上に曾てなかった画期的なものであることが分かります。
 これは、漢詩家自らの意志改革と併せ吟詠、剣詩舞界の協力が大半を含めています。漢詩道、吟詠道、剣詩舞道の三道一如を以って入賞作品他、構成吟舞などの提携、演出が実ったものです
「菁莪」: 多くの人材を育てること。遐年、遐齢とも長生き。
「洪儒」: 鴻儒ともいう。
「令聞」: よい評判。ほまれ。令名。令聞の「聞」は仄用。
「能景仰」: 才芸に優れ敬慕するに値する。



<感想>

 伊藤竹外先生の米寿、おめでとうございます。
 私が先生から直接お話を伺ったのは、解説にも書かれていました愛媛県での漢詩大会が初めてでしたが、全国大会の運営の柱としてご活躍されていたお姿は若々しく、人としてのエネルギーの大きさを感じさせていただきました。
 ご著書も常に私の勉強の参考にさせていただいています。

 おけがをなさったとも聞きましたが、現在の日本の漢詩界になくてはならない大切な方、ますますご健勝で、ますますお若くご活躍される姿を拝見させていただき、励みとさせていただきます。

2009. 8.22                 by 桐山人






















 2009年の投稿詩 第122作は 兼山 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-122

  己丑花茨忌        

毎年必扣故人扉   毎年 必ず扣く 故人の扉

與汝光陰再不歸   汝と光陰 再びは歸らず

黙數花茨開十度   黙して數ふれば 花茨十度開く

俳諧論考燦然輝   俳諧 論考 燦然と輝く

          (上平声「五微」の押韻)

<解説>

 昨年、十回忌(戊子花茨忌)を修しましたが、その節(2008-93)は、丁寧な御指導を賜わりました。
井古綆さんからも推敲案を頂戴し、有難う御座いました。

 早いもので、今年も又、十一回忌(己丑花茨忌)を迎えます。
 区切りの良い「十回忌」で打ち切る心算でしたが、心残りが致しますので、今年も(来年も)続けます。

「扣故人扉」は元来「友人の家を訪ねる」意であるが、ここでは死者を弔う意である。
「俳諧論考」は故人の遺稿集「江戸俳諧史論考」(九州大学出版会)を指す。

   独吟歌仙 花茨

   第九の巻(己丑花茨忌)

ひとむかしまへのおもかげ花茨

死者に縁無き十字十薬

茶髪の子ケータイ持ってピアスして

なよ竹取の翁ありけり

すべて夢月の車もシボレーも

敬老の日に壽の一字書く

<感想>

 ご友人を悼む「花茨忌」の作は、拝見するのは三作目ですね。
 今回の承句、「與汝光陰再不歸」は率直なお気持ちの籠められた、読者の胸に響く句だと思います。

 兼山さんからは、昨年の「戊子花茨忌」と「送窮鬼」についての推敲案をいただきました。
 どちらも掲示させていただきましたが、自作を何度も「もっと良いものに」と推敲される兼山さんの姿勢は、私も見ならわなくてはいけないと思います。

2009. 8.22                  by 桐山人



井古綆さんから感想をいただきました。

 兼山雅兄、お久しぶりです。
雅兄の故人を偲ぶ気持ちが表われている玉作であると感じました。
しかしながら数箇所気が付いた点がありましたので、この文を差し上げました。

 先ず、当該の『白石悌三』先生の業績を私は検索いたしました。
雅兄は同窓生に著名なお方をお持ちなので羨ましく存じます。

 詩の感想に移りますと、起句の『毎年』よりは『年年』のほうが良いように思います。
転句に『十度』を入れますと詩意を妨げる気がいたしますので、詩題に説明したほうが良いと思います。
結句の『俳諧論考』は『注書き』の部分に移したら、その部分の四文字に詩意がこめられます。

 最も重要な点は転句と結句との繋がりが弱い感じがいたします。これは、鮟鱇雅兄が常に「二句一聯に作るように」と仰っています。

 詩題は『花茨○○回忌作』としては如何でしょうか。

例によって試作して見ました。

    花茨推敲
  年年必扣古人扉   年々 必ず扣く 古人の扉
  節発花茨君不帰   節は花茨を発かせるも 君は帰らず
  有限人生遺令聞   限り有る人生 令聞を遺(のこ)し
  尊兄玉稿燦然輝   尊兄の玉稿 燦然と輝く

「聞・きこえ」は仄韻
※玉稿は「俳諧論考」をさします。

2009. 8.26                   by 井古綆





















 2009年の投稿詩 第123作は 青眼居士 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-123

  史跡櫻井驛趾        

緑陰古驛巨樟疎   緑陰の古駅 巨樟疎なり。

鉄路新站略旧墟   鉄路の新站 旧墟を略(おか)す。

御製山陽碑寂寞   御製 山陽 碑は寂寞、

忠君愛國夫言虚   忠君 愛国 夫(か)の言虚し。

          (上平声「六魚」の押韻)

<解説>

 JR東海道線の、駅間距離の長さで日本有数であった山崎・高槻間に島本駅という新駅が去年誕生しましたが、駅舎とロータリーが桜井の古駅の敷地(関連施設や付属施設もあわせての)を大きく削って建てられたのです。
 楠などの樹木は減り、昔の緑濃き面影は一変し、明治天皇の御製の歌や頼山陽の漢詩文の石碑は見る人も無くひっそりしています。忠君愛国が旗印の時代には尊崇されたこの史跡も、平和憲法の世では忘れ去られたように邪険に扱われているようです。
 私はこの町(大阪府島本町)の出身なので、個人的な懐いから特に寂しさを感じます。

 なお「站」は去声となっている辞書が多いですが、私が平素使っている大修館版「漢語林」には平声(咸韻)との両用となっていますのでこれに従いました。

<感想>

 「站」の平用が許されるのかどうか、用例が分かれば良いのですが。ただ一つの辞書に載っているだけですと、実際はほとんど用例が無い場合が多く、そうした場合には避けた方が無難です。

 それよりも、結句の「夫」は平用しかないと思いますが、いかがですか。「站」は代用語を探して納得できるかどうかの問題ですが、「夫」は、ここにどんな字を入れるかで「忠君愛国」という言葉への作者の思いが表れます。
 作詩の醍醐味のところですので、ご検討ください。

2009. 8.22                  by 桐山人



井古綆さんから感想をいただきました。

 青眼居士雅兄お久しぶりです。
玉作を拝見いたしましたが、詩の核心をついていないような気がいたします。

わたくしは三回、櫻井の地を訪れました。随分以前ですので、雅兄が説明されたように新駅が生まれたために、史跡の部分が削られたことは存じませんでした。

 玉作を拝見して気がついた点を述べてみます。

転句の『御製』と『山陽』を同句内に入れるのは無理ではないでしょうか。
結句『忠君愛国』はやはり時代にそぐわないように感じられます。

この詩題では『楠公父子の惜別』を主題にしたく思い、雅兄の作の韻字で試作してみました。

    試作
  城州桜井普軍書   城州桜井は 軍書に普く
  聞是楠公別児虚   聞く是れ 楠公の児に別れしの虚(あと)と
  外史名吟翰打肺   外史の名吟 翰は肺を打ち
  明皇哀詠涙濡裾   明皇の哀詠 涙は裾(えり)を濡ほす

「城州」: 山城の国。彼の桜井は摂津と山城の国のちょうどあいだに位置する、どちらかと言えば山城寄りです。

 このようにして転句結句を対句にしましたが、詩意が分散されますので、山陽外史はいれないほうが良いと思います。
 承句の「聞是」は「聞説」とも考えられますが、詩意に「是」があるほうが語意が強まる気がいたします。

 次の詩は約25年前に作りました。 http://www5a.biglobe.ne.jp/~shici/shi3_07/laixin205.htm
その次の作は http://www5a.biglobe.ne.jp/~shici/shi3_07/laixin206.htm

 約16年後に当地を尋ねて作りました。
 参考にして頂けましたなら、有り難く存じます。

 尚、青眼居士雅兄の詩中、『站』の平仄の件、わたくしが所持しています廣漢和辞典では平仄両用になっておりました。

2009. 8.29                   by 井古綆





















 2009年の投稿詩 第124作は 井古綆 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-124

  反戰歌        

靈長誇張於獸優、   霊長は 獣に優ると誇張するも、

干戈未罷劣猿猴。   干戈 未だ罷(やま)ざるは猿猴(えんこう)に劣る。

無窮欲望今來惑、   無窮の欲望 今来惑ひ、

不戰良心何處求。   不戦の良心 何処にか求めん。

宗教衰頽輕博愛、   宗教の衰頽は 博愛を軽んじ、

文明發達仄怨讐。   文明の発達は 怨讐に仄(かた)むく。

毋忘進化非人爾、   忘るる毋(なか)れ 進化は人爾(のみ)に非ず、

細菌増強覆地球。   細菌は増強して 地球を覆ふ。

          (下平声「十一尤」の押韻)


「猿猴」: サル類の総称。

<解説>

 米国やメキシコで豚インフルエンザの流行との報道を聞いて作る。

<感想>

 井古綆さんからこの詩を送っていただいたのが四月下旬でしたので、まだアメリカやメキシコでの流行という感じで、連休中の海外旅行から帰ってきた方達が罹患するというケースがほとんどでしたが、現在では、つい先日、厚生労働大臣が「国内での大流行」の警告を出しました。

 私は実は明日から中国に旅行に行くのですが、夏季休業中の海外旅行については自粛するという雰囲気が六月頃は強く、旅行の申し出をしていいものかどうか、結構悩みました。
 大連に居らっしゃるニャースさんや馬薩涛さんとお会いするのを楽しみにしていたので、旅行社に申し込むぎりぎりまで迷いましたが、「海外で感染」という感じが少し和らぎましたので、「よし!あとは野となれ山となれ」というか、とにかく会いたいという気持ちの方が強くて、決心しました。

 井古綆さんは、ウィルスと人類の進化を重ねての視点で、私にはとても思い浮かびませんでした。発想の柔軟さは若さの象徴、井古綆さんに比べれば若輩の私の方が参ったというところですね。

2009. 8.22                  by 桐山人






















 2009年の投稿詩 第125作は大阪府の 美波 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-125

  泪淙淙     なだそうそう   

翻開旧集又相逢   古いアルバムめくり又逢う、

励己伊人総在胸   励ましてくれる人はいつも胸の中。

仰望顆星祈再會   一つの星見上げ再会を祈り、

慕思遐景意憧憧   おもかげを慕いさみしくて心乱れる。

雨暘何処尋温貌   雨の日、晴れの日もどこでも思うあのやさしい顔、

哀歓幾時見笑容   悲しみにも喜びにもいつも浮かぶあの笑顔、

往事不還臨晩暮   過ぎた日は帰らず夕暮れに臨み、

孤生心乱泪淙淙   一人さみしく、こころは乱れて涙そうそう。

          (上平声「二冬」の押韻)

<感想>

 この詩は、みなさんご存知の「なだそうそう」というヒット曲を七言律詩に書き直したものですね。原曲の歌詞は著作権の関係がありますので、ここに載せるわけにはいきませんが、「古いアルバムめくり ありがとうってつぶやいた」と聞くだけで頭の中にメロディが浮かんでくるようです。

 美波さんはきっと、この曲がお好きなのでしょう。頭の中に原曲のメロディを流しながら、美波さんのこの詩をゆっくり読んでいくと、読み下しがなくても、何故か詩がとてもよく理解できるのです。頭が三重構造くらいで動いているような快感がありますね。

2009. 8.22                  by 桐山人



井古綆さんから感想をいただきました。

 美波雅兄、始めまして。玉作を拝見いたしました。
 歌謡曲の詞を漢詩に創作されたことに、絶大な敬意を表します。
詩句を拝察すれば相当に熟練されたお方と存じます。

 失礼を省みずに申し上げれば、数箇所推敲を要するような気がいたしますので、時間を掛けて推敲をなされば後世に残る立派な詩に成ると思います。

 雅兄に触発されてわたくしもこの「なだそうそう」に挑戦してみようかと思います。
作詩のヒントを有難うございました。

2009. 8.25                 by 井古綆

******************************************************

 流行歌『なだそうそう』の詞を拝見しますと、歌謡曲としては定石通りの詞形ですが、これを漢詩に改作しようとすれば、起承転結に合致しないと考え、詩意を愛妻に先立たれた夫に焦点を合わせました。

 先ず美波雅兄と同韻で作ったのが、下記の詩です。

    涙淙淙
  常開影集與君逢、   常に影集を開けば 君と逢へる、
  相愛佳人更迫胸。   相愛の佳人は 更に胸に迫る。
  共探雙星親睦始、   共に双星を探して 親睦始まり
  獨懷積歳別愁鍾。   独り積歳を懐(おも)へば 別愁鍾(あつま)る。
  晨昏風雨過温色、   晨昏 風雨 温色に過ぎ、
  悲喜春秋隠悴容。   悲喜 春秋 悴容(すいよう)を隠す。
  連理不還恒久訣、   連理 還らず 恒久の訣(わかれ)、
  孤傷淅瀝涙淙淙。   孤傷 淅瀝 涙淙淙。

「影集」: アルバム。
「双星」: 牽牛星と織女星。
「温色」: おだやかな顔色。
「悴容」: やつれた姿。
「孤傷」: ひとり悲しみいたむ。

 このように作りましたが『淙淙』は水の流れるさま、もしくは音。であるので漢詩を志す者としては納得がゆかないので、韻を変えて作ったのが下記の詩です。

   開照片簿      アルバムを開く
  常開影集出嬋妍、   常に影集を開けば 嬋妍と出で、
  胸裏佳人現眼前。   胸裏の佳人が 眼前に現る。
  共探雙星始交際、   共に双星を探して 始めて交際し、
  獨懷積歳盍成眠。   独り積歳を懐(おも)へば 盍(なん)ぞ眠りを成さん。
  晨昏風雨過相愛、   晨昏 風雨 相愛を過ごし、
  悲喜春秋結善縁。   悲喜 春秋 善縁を結ぶ。
  比翼不還腸斷別、   比翼は還らず 腸断の別れ、
  孤愁淅瀝涙漣漣。   孤愁 淅瀝 涙漣々。

「照片簿」: 写真帳。アルバム。
「影集」: アルバム。
「双星」: 牽牛星と織女星。
「漣漣」: 涙が流れるさま。『淙淙』は厳密に漢語としていえば間違いだがソウソウの発音が柔らかい。

 なお、曲から漢詩を作ったのはhttp://www5a.biglobe.ne.jp:80/~shici/shi4_08/laixin527.htmのみです。

2009. 8.27                    by 井古綆





















 2009年の投稿詩 第126作は 忍夫 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-126

  北野天満宮        

春到洛中天満宮   春到る洛中の天満宮、

万梅半綻待東風   万梅半(なか)ば綻んで、東風を待つ。

美人揺影菅公約   美人の揺影、菅公の約、

詩客賞心今古同   詩客の賞心、今古に同じ。

          (上平声「一東」の押韻)

<解説>

 毎年、北野天満宮の梅園を訪れます。市街にありますので野趣には欠けますが、洗練された美しさは格別のものです。菅公の有名な和歌を思ってつくりました。

<感想>

 菅原道真の「東風吹かば思いおこせよ梅の花あるじなしとて春を忘るな」を前提とした上での詩ですが、誰もが知っている歌ということでは、起句の「天満宮」や承句の「待春風」で十分に道真公のことは読者も思い出せます。
 そこに転句で「菅公約」を持ってくるのは、言わずもがなの感があります。

 梅を「美人」と称したわけですから、それを生かすためにも、転句は梅の描写だけにした方が良いでしょう。感想にお書きになったような「洗練された美しさ」は詩中には全く出てこず、状況説明だけになっているのが残念です。
 作者の独自の感覚が見えないと、「忍夫」さんの詩という詩の個性が薄くなってしまうように思います。

2009. 8.26                  by 桐山人



謝斧さんから感想をいただきました。

 桐山先生が「作者の独自の感覚が見えないと、『忍夫』さんの詩という詩の個性が薄くなってしまうように思います。」と言われるのは、詩意が平板になっているということと思います。

 「万梅」「美人」は同じなのでくどくないでしょうか
また、題が「北野天満宮」では詠物体にするべきではないでしょうか。「遊北野天満宮」にするべきだと思います。

 桐山先生がいわれるように、今回は忍夫先生らしくない詩だと感じました。

2009. 8.29                 by 謝斧


 井古綆さんからも感想をいただきました。

 忍夫雅兄お久しぶりです。玉作を拝見いたしました。
雅兄と同じようにわたくしも数回参詣しましたが、梅苑は外から眺めるだけで入苑したことは有りません。しかしながらこの北野天満宮はいつ参詣しても、心が洗われます。

 詩人であれば先ず左遷された菅公の後を慕って、飛梅の伝説が生まれたことに関心があります。
『飛梅伝説』http://dazaifu.mma.co.jp/museum/tobiume.htmlの後半の説明に合理性があると思います。
 作詩する場合には史実の正邪は関係なく、そのことよりは左遷された菅公の心情を忖度しなければならないと思い、その心情を賦したことがあります。http://tosando.ptu.jp/2007/toko2007-6.html#2007-168
 この詩は道真公が左遷された過去を、現在の視点に立って詠じました。

 話を雅兄の詩にもどしますと、前半で現在の状景を詠じ、転句からは大宰府に左遷された菅公の後を追った『飛梅』の故事を詠じるために、 “千年の時間的隔たりを表す語句” を挿入しなければ、読者には理解できないでしょう。
 そのようにすれば詩の前半の叙景句が、後半には叙情句に変わり、いわゆる平板な詩に変化が生じます。

 わたくしはこの語句に『思馳・馳思・史は語る・追懐・追想』などを使用して、現在と過去との相違を明確に読者に理解できるように措辞しています。

 雅兄の作品を拝見して、この点を申しあげます。

 例によって試作いたしました。参考にして頂ければ幸いです。
※ なお、冒韻が『洛中』と『菅公』にあります。先賢の詩にも時々ありますので、厳しいことは申し上げられませんが、わたくしは作詩後、冒韻がやむを得ないのか否かを、自戒し点検しています。


    北野天満宮観梅
  花魁窈窕發東風、   花魁 窈窕 東風に発き、
  馥郁洛京天満宮。   馥郁たり 洛京の天満宮。
  馳思飛梅千古秘、   思いを馳す 飛梅 千古の秘、
  芳魂眷恋慕菅公。   芳魂 眷恋(けんれん) 菅公を慕ふ(を)。
           ※ 正しくは『を』まで読み下しをするべきだと思います。

「花魁」: 梅の別名。百花のさきがけの意。
「眷恋」: 愛着の念にひかれること。

2009. 8.30                by 井古綆





















 2009年の投稿詩 第127作は 忍夫 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-127

  長堤観桜        

桜散初時景最真   桜散り初めしとき、景最も真なり、

紛紛花片水辺塵   紛々たる花片 水辺の塵。

無情風渡長堤路   無情の風渡る長堤の路、

錦浪猶留両岸春   錦浪 猶ほ留むる両岸の春

          (上平声「十一真」の押韻)

<解説>

 この花の影に憩うも縁なり散り行く姿われにとどめよ

 花影に座って、桜の花びらが川浪へと散る姿を眺めておりました。川面にうつる桜の様子が非常に美しく、春をとどめようとしているようでした。

<感想>

 この詩は、起句に作者の主張が表れているのですが、これは冗舌過ぎるでしょう。「桜は散り初めが最も良い」という気持ちは、意見として言うのではなく、読者に景として伝わるようにしなくてはいけません。
 更に、「紛紛」の語も、結句の「錦浪」も多量に散る桜の花を形容しているのであり、「散り初め」とは思えません。読者は、起句の作者の主張をただ聞き流すだけで、その根拠となるものが見えず、逆に散り盛る景色に見とれてしまいます。
 もちろん、桜の花は散りはじめたら一気に収束へと急ぎますから、時間的なずれは少ないとは言えますが、その中で作者は「散り初め」を拾い出しているわけで、微少な時間の流れを出してこそ、独自の個性が表れるところです。

 承句以後が破綻無くできあがっているのですから、起句を検討されてはいかがでしょうか。

2009. 8.26                  by 桐山人



 謝斧さんから感想をいただきました。

佳い作だと思います。

起句の「初時」の「時」は必要がないように思います。

結句がよいですね。
水面に落花が浮いていて、わずかに春をのこしている、ということでしょうか。
「錦浪」はなにか落ち着きません。
川は穏やかで漂うぐらいで、波というほどの波はたっているのでしょうか。

2009. 8.29                 by 謝斧


 井古綆さんからも感想をいただきました。

 起句の措辞の表現「桜散り初めしとき」が解説にお書きの短歌のように、和臭のような気がいたします。
 承句の下三字「水辺塵」の動きがないため惜しく思いました。長堤に植えてある桜であれば落花の半分くらいは、水に流れるでしょう。
 ここは詩に動きを与えて「総成塵」もしくは「半成塵」にしたく思います。

    試作 長堤観桜   堤櫻散亂半成塵、   堤桜 散乱 半ば塵と成り、
  韶景遷移緑葉新。   韶景 遷移して 緑葉新たなり。
  日月悤悤留不得、   日月 悤々 留め得ず、
  詩人愁殺送徂春。   詩人愁殺して 徂春を送る。

「韶景」: 春の美しいけしき。
「徂春」: ゆく春。


2009. 8.30                  by 井古綆





















 2009年の投稿詩 第128作は 兼山 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-128

  惜別之詩        

野芥西城即故郷   野芥 西城 即ち故郷

親交折柳最難忘   親交 折柳 最も忘れ難し

思君翹首仰明月   君を思うて 首を翹げ 明月を仰ぐ

三笠山川浩渺茫   三笠 山川 浩渺茫

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

 野芥西城は、第二の故郷である。
 隣人たちとの親交と別離は、決して忘れる事が出来ない。
 三笠山上の明月を仰いでは、別れた人たちの事を想い出す。
 浩渺たる三笠川を、茫然と眺めている。




 同じ団地(野芥西城)の住人が引越される事になりました。引越先は、福岡市郊外の「春日市」(旧「御笠郡」)だそうです。
 古代史家の古田武彦氏は、阿倍仲麻呂の「春日なる三笠の山」は、大和の奈良ではなく、この宝満山(御笠山)であると主張されています。

 晁衡の「望郷の詩」から、「翹首」及び「三笠」の二句を採りました。
明月を仰いで(第二の)故郷を想うと言う構図です。

 宝満山を源とする御笠川は、この地を流れ、やがて博多湾に注ぎ込みます。平成11年及び15年、御笠川氾濫によって博多駅周辺は大水害を蒙りました。

<感想>

 題名の「惜別之詩」は「惜別」だけの方が良いでしょう。「送別」ではなく「惜別」とされましたので、この詩は、作者が去りゆく友(隣人)の気持ちになって作ったということで理解をしました。

 承句の「折柳」は送る側のはなむけの儀式ですが、時間経過を含む「親交」と一過的な「折柳」ではバランスが悪いです。
 「折柳」を残すならば、「親交」はやめて、「折柳」の際の様子などを書かれると良いでしょう。

 転句は「思君」ですと、特定の誰かを思い浮かべる形になりますので、故郷での多くの友人たちの中でもとりわけ「君」を思い出す、と読め、詩の流れからは突然という印象ですね。

2009. 8.26                  by 桐山人



兼山さんから推敲作をいただきました。

 ご指摘下さいました承句「親交折柳」を下記のように推敲致しました。
即ち、旧作「野芥西油山ハイツ讃歌」の転句「以和爲貴隣人集」から、「十七条の憲法」の一節「以和爲貴」を詠み込みました。

    【推敲作】惜別

「仲麻呂が 三笠と詠みし 寶満の月」

  野芥西城即故郷   野芥 西城 即ち故郷  
  貴和隣睦最難忘   和を貴となす 隣睦 最も忘れ難し
  思朋翹首仰明月   朋を思ひ 首を翹げ 明月を仰ぐ 
  三笠山川浩渺茫   三笠 山川 浩渺茫


    【参考】野芥西城讃歌(2006-124)
  遙看波平玄界洋
  悠然眼下早良庄
  以和爲貴隣人集
  野芥山城是我郷


2009.10.14              by 兼山

 転句を「朋」としたことで、詩を読む側の立場が明瞭になり、分かりやすい詩になったと思います。
 承句は「貴和」はやはり「以」が無いと唐突な印象で、「隣睦」だけでも気持ちは伝わるように思います。

2009.10.16                by 桐山人






















 2009年の投稿詩 第129作は 玄齋 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-129

  籬邊桃李        

桃紅李白鬪紛華   桃紅 李白 紛華を闘はし

暮色籬邊帶彩霞   暮色の籬辺 彩霞を帯ぶ

暫駐釵光烟月上   暫く釵光を駐めて烟月上り

一枝芳影入隣家   一枝の芳影 隣家に入る

          (下平声「六麻」の押韻)

<解説>

 菅廟吟社の四月の課題詩を改めて作り直したものです。

 起句の「李白」は詩仙の李白ではなくて、「白いすももの花」という意味です。

<感想>

 色彩感の豊かな詩で、春の浮き立つような気持ちが前半によく出ています。

 転句に時間経過をどう出そうかと考えた作者の工夫が出ているところで、「暫駐」がやや作為的な感じもしますが、効果は出ていると思います。

 結句の「一枝」は起句の「闘紛華」とは合いませんので、「数枝」とすると、全体の詩趣もまとまるでしょう。

2009. 8.26                  by 桐山人



真瑞庵さんから感想をいただきました。

 こんにちは、真瑞庵です。
 鈴木先生のおっしゃる結句の「数枝」は少し理が勝ちすぎ、説明的すぎるのではないでしょうか。
香りに満ち満ちた春爛漫。そのおすそわけの一枝。
私はこの詩を読んで次のような情景を思い浮かべました。

 桃の花を想わせる様な華やかな娘と、李の花の白さ其の物の清楚な娘二人が暮れなずむ春の淡い光を浴びて楽しそうに立ち話をしている。
 しばらくして、遅くに上った朧月の光を受けてキラッと簪を輝かして、一人の娘さんの姿が隣の家に消えた。
(おや、あの幼かった隣の女の子、いつの間にか匂い立つような娘になっていたんだ。)

2009. 8.27               by 真瑞庵


謝斧さんからも感想をいただきました。

 情緒のある味わい深い詩になっています。
菅廟吟社の先達にも遜色のない作品だと思えます。
起句も突兀で佳く、結句も余韻のある終わり方で、申し分のない佳作でしょうか。

 気になるところは、「帶彩霞」がありふれた陳套な句のように思えるところです。
 「暫駐」の「駐」はおかしくはないのですが、私の考えですが、詩句に入らないように思えます。
 同じ「留」とは詩的に劣るように思います。

2009. 8.29              by 謝斧


井古綆さんからも感想をいただきました。

 玄齋雅兄お久しぶりです。

 玉作を拝見いたしましたが、詩意が統一されていない気がいたします。恐らくは推敲しているうちに、まとまりが薄くなったのでしょう。かつてわたくしにも経験があります。
 例えば解説に述べられているように、「李白」と混同する場合には反対にして「白李」とすれば解決します。

 鈴木先生も述べられていますように、承句から転句への移行に工夫されたことがよく分かります。
 わたくしが試作した承句には「忘」の字を挿入して時間の経過を考えました。
雅兄の参考になれば幸いです。


    試作籬邊桃李
  紅桃白李競豪奢、   紅桃 白李 豪奢を競ひ、
  酌酒庭前忘看花。   庭前に酒を酌めば 看花を忘る。
  頃刻朦朧烟月上、   頃刻 朦朧 烟月上り、
  芳枝投影入窓斜。   芳枝の投影 窓に入りて斜めなり。

「忘看花」: 飲酒に夢中になって。
「頃刻」: しばらくすると。
「芳枝」: 花の咲いている枝。

2009. 8.30                by 井古綆





















 2009年の投稿詩 第130作は 玄齋 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-130

  夜櫻        

良宵澱水送孤舟   良宵の澱水 孤舟を送り

朧月櫻雲不少留   朧月 桜雲 しばらくも留まらず

吹面飛花幾開落   面を吹いて 飛花 幾開落

芳魂其奈水悠悠   芳魂 其れ水の悠悠たるを奈んせん

          (下平声「十一尤」の押韻)

<解説>

 大阪の桜の名所である毛馬桜之宮公園で、夜桜を見た風景を思い出して作ってみました。

<感想>

 春宵に淀川を下っていく舟の中から、おだやかに景色を眺める作者の姿がはっきりと目に浮かびます。

 承句の「不少留」は、盛唐の張謂の「送人使河源(人の河源に使ひするを送る)」の詩に「匹馬今朝不少留」の句がありますね(「唐詩選」)。
 満開の桜の花の間に見え隠れする朧月、花は風に吹かれて舞い散り、水上を流れていくという展開は、視点を上から下へと変化させ、一層の臨場感を生んでいるように思います。

2009. 9. 1                  by 桐山人






















 2009年の投稿詩 第131作は 玄齋 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-131

  看花出游        

亂蝶飛飛舞嫩桃   乱蝶飛飛として嫩桃に舞ひ

春暄易醉易斟醪   春暄 酔ふに易く 醪を斟むに易し

獨尋紅艶烟霞裏   独り紅艶烟霞の裏を尋ね

閑坐山亭解客袍   閑に山亭に坐して客袍を解かん

          (下平声「四豪」の押韻)

<解説>

 浪速菅廟吟社の四月の課題詩を改めて作り直したものです。

<感想>

 起句の写生のような描写が作者の丁寧な視点を感じさせますので、「乱」「飛飛」「舞」などの言葉の重なりも気になりません。

 承句はやや技巧が感じられ、「易酔」が邪魔な気がします。素直に「春暄」について形容をしてくれた方が私は納得できます。

 結句の「客袍」は「春暄」と合うか、少し気になりましたが、全体としては趣のある良い詩ですね。

2009. 9. 1                  by 桐山人



井古綆さんから感想をいただきました。

 玄齋雅兄こんにちは。
玉作を拝見いたしましたが、些細なことを指摘することをお許しください。
 鈴木先生は批評の時間も無い毎日であると拝察いたします。
それに比べれば、わたくしには時間を持て余しているため、掲載詩を熟読できます。したがって先生の視点と異なることを、予めご了承ください。

 詩の感想に移りますと、矛盾点や詩の構成上の無理があります。
HP上で人様の詩の欠点をあげつらうことには、躊躇していました。決して悪意はないことをご了解ください。

 起句の「乱・飛飛・舞」はやはり多すぎると思います。何故ならば一句七字に四字を占めると、あと三字で詩の表現は出来ません。
 次に、「嫩桃」とはどのような桃か疑問です。わたくしであれば「紅桃」といたしますし、それに対して「蝶」を対比するならば「黄蝶・白蝶」をもってきたいと思います。

 鈴木先生ご指摘の承句「易酔」を邪魔に感じるのは、詩の構成に問題があるためと思いましたので、起承転結を入れ替えて例の如く試作して見ました。

    試作看花出游
  共訪山亭解客袍   共に山亭を訪ねて 客袍を解けば
  両三黄蝶舞紅桃   両三の黄蝶 紅桃に舞ふ
  老來頓覺煙霞癖   老来 頓に覚ゆ 煙霞癖
  易醉春暄易酌醪   春暄に酔ひ易く 醪を酌み易し

「共」: 雅兄の都合では「独」かもしれないが詩的にはこのほうが良いと思う。
「老来」: この語が不都合であれば「近来」にすれば良い。
「煙霞癖」: 山水を愛する心が極端に強いこと。


2009. 9. 2                  by 井古綆





















 2009年の投稿詩 第132作は 博生 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-132

  緑陰漫歩        

緑樹新陰覆四辺   緑樹 新陰 四辺を覆ひ

薫風撫頬雨餘天   薫風頬を撫す 雨余の天

閑吟微酔佇幽径   閑吟 微酔 幽径に佇む

一刻悠悠気似仙   一刻悠悠 気 仙に似たり

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

みずみずしい緑樹に囲まれ
風そよぐ静寂な小道を
初夏の空気を一杯吸って
仙なる気分でそぞろに歩いて見たい。

<感想>

 起句から承句へと視野が立体的に広がり、初夏の爽やかさが前面に出てきますね。
 転句の「佇幽径」「歩幽径」とした方が、次の「一刻」とのつながりが良いでしょうね。

 結句の「気似仙」の直喩は、気持ちをそのまま口に出したという感じで、作者の率直な感情とも言えますが、それまでの雅趣が吹っ飛んでしまう気がします。せめて、「気登仙」とすると、感情だけでなく、あたりの雰囲気も包み込むような柔らかさが出ると思いますが。

2009. 9. 1                  by 桐山人



井古綆さんから感想をいただきました。

 博生雅兄こんにちは。

 玉作を拝見いたしました。そつなく纏まっていると想います。転句は鈴木先生のおっしゃる通り「歩む」にすれば結句に無理なく繋がります。
 結句『気似仙』は詩語表に載っていますが、辞書には『地仙・@地上で仙人生活をしている人、A俗世の仙人、安楽で何の心配の無い人。』とありますので、わたくしは「作地仙・似地仙」などと使用しています。
 参考にしてください。

2009. 9. 4               by 井古綆





















 2009年の投稿詩 第133作は 井古綆 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-133

  西伯利亜悲歌     (シベリアエレジー)   

解甲軍兵送凍原、   解甲(かいこう)せる軍兵(ぐんぴょう)を 凍原に送り、

強勞捕虜背宣言。   捕虜に労を強いるは 宣言に背く

望郷念耐流紅涙、   望郷の念は 紅涙を流すに耐へ、

歸國懷欺降赤門。   帰国の懐(おもひ)は 赤門に降ると欺く。

缼食多年成骨立、   欠食 多年 骨立と成り、

俘囚幾命作幽魂。   俘囚 幾命 幽魂と作るや?

難銷筆舌辛酸恨、   筆舌に銷(つく)し難き 辛酸の恨み、

憂憤頼誰傳後昆。   憂憤 誰に頼りて 後昆に伝へん。

          (上平声「十三元」の押韻)



「解甲」: 軍装を解く。
「凍原」: ツンドラ地帯。
「強労」: 強制労働。
「宣言」: 捕虜に強制労働をさせてはならないとの国際条約宣言。
「望郷」: 戦後爆発的に流行した「異国の丘」の源流といわれる歌詞を指す。
「赤門」: 赤化(共産主義)の門。
「骨立」: やせ衰えること。
「俘囚」: 捕虜を指すが、俘囚でも捕虜でもなく正しくは『不法被抑留者』である。
「幾命」: 亡くなられた方は二十万人とも三十万人ともいわれる。
「後昆」: 後世の人。

<解説>

 この詩は律詩の為、文字の使用に制限があり、作者としても隔靴掻痒の感があります。したがって現実に筆舌に尽くし難いご苦労を体驗された、多くの方々には不満が多々あると思います。

 頷聯の「望郷・帰国」は殆んど同意義ですが、時間(年月)的推移を、不遜にも当事者に成り代わり気持ちを忖度したつもりです。

 昭和26年ごろ当時16歳の私は、H県の土木現場監督の某氏に数回接触したことがあります。
 彼はシベリアから帰国された方で、まさにソ連の宣伝に来たように、将来日本の赤化を奨励して滔々と話していたことをよく覚えています。

 昭和20年8月、日本軍が軍装を解いた後、ソ連が国際的不法にも関わらず、多くの人々をシベリアに連行して、無償の労働力に利用し、またこれらの人々が帰国してからの、我国を共産化するための先兵として、思想教育したのではないかと推測することは、私が成年に達してようやく理解するようになりました。
 ※ 詩の第四句『帰国の懐は 赤門に降ると欺く』はそのことを意味します。すなわち望郷の念に耐えがたく、ソ連の宣伝員になった振りをした方も多くいらっしゃったのではないかと思います。

<感想>

 この夏に、中国東北部を旅行し、旅順周辺の日露戦争の戦跡をいくつか見てきました。203高地周辺の山腹に残るロシア軍の塹壕跡、これらはロシア軍が中国の人々を駆りだして作ったものだというガイドさんの説明を聞きながら、人民は戦利品として扱われるという、戦争という場における非人道的な感覚を垣間見た気がしました。

 「律詩の為」と井古綆さんも書かれていますが、事実を語ろうとする思いは、よく伝わってきます。表現にやや荒さを感じるのは、四句目の「歸國懷欺降赤門」でしょうか。シベリアでの辛苦の描写の中に、帰国の話がポツンと入っているので、時間的な流れが気になります。これは尾聯に置いた方が良かったのではないか、という気がします。

2009. 9. 1                  by 桐山人



井古綆さんからお返事をいただきました。

 ご高批有難うございました。
 時の流れは総てのものを歴史の彼方へと押しやって行き、ただ数行の文字となってしまいました。

 戦後昭和24年頃だったと思いますが、或るシベリア抑留者の部隊で『暁に祈る』事件が新聞紙上を賑わしていたことがありました。それを「帰国懐欺降赤門」と詠じたわけです。先生が表現に「荒さ」と批評されていますが、作者の感情ではこの事件の多くの被害者の立場を忖度すれば、まだ柔らかい表現だったと思います。
 これは先生と作者との年齢差もありますし、60年に垂んとする過去の史実ですので、感情も薄れてしまいます。何よりも大きな齟齬は過去の史実を現在の平和な時代での尺度で計ることには大きな無理があります。

 この事件の被害者の多くの方々は恐らくお亡くなりになっていると思われます。ネット上を検索しましたら、この事件の被告は「無罪」となっていましたが、管見を申しますと、多くの被害者が原告となっていましたので、俗に言う「火の無いところに煙はは立たぬ」とか。(今さら亡くなられた被告の方の罪をとやかく申すものではません)
 そもそもシベリアでの事件を我国で裁くことに無理があるように思います。事の是非は兎も角として(私たちの未経験な)極限状態に置かれたならば、人間は思いもよらない行動に出ても不思議では有りません。

 現在わたくし達が出来ることは過去の過ちの轍を踏まないことが、多くの戦争の犠牲者及び彼の事件の被害者への鎮魂となることを認識することだと思います。

2009. 9. 2                   by 井古綆





















 2009年の投稿詩 第134作は 深渓 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-134

  哭亡妻        

麗華香草不長存   麗華 香草 長存せず

尚恨風霜哭小軒   尚ほ風霜を恨んで 小軒に哭す

五十三年赤縄絶   五十三年 赤縄絶す

凋零無奈欲銷魂   凋零 奈んともする無く 魂を銷んと欲す

          (上平声「十三元」の押韻)

<解説>

 四月下旬荊妻が急逝す。
五十三年苦楽苦多き歳月を過ごした小軒の仏壇で尺寸の白木の函の前独り慟哭す。
八十余歳の叟あり。

<感想>

 五十三年間、お二人で同じ人生を歩んでこられた奥様を亡くされた深渓さんの悲しみがひしひしと伝わってくる詩です。
 特に、起句は「不長存」の下三字は部分否定で、「永遠に残るということはない」ということで、「長存」を否定したものです。
 参考に言えば、「長不存」とすれば「永遠に存在しない」となり、「長」が「不存」を修飾した形になります。たった一字の位置で意味が大きく変わるところが、漢文の特徴です。
 起句の内容に戻れば、「麗華香草」が「いつまでも残ることはない」と語ることで、奥様がお亡くなりになったことを象徴的に語っておられるのですが、記憶に残る句になっていますね。

 心から奥様のご冥福をお祈りいたします。

2009. 9. 1                  by 桐山人



 井古綆さんから、次韻の詩をいただきました。

    拝見深渓雅兄悼亡作、而忖度其心情次玉韻

  人生悲事正茲存、   人生の悲事は 正に茲(ここ)に存す、
  不計悼亡揺古軒。   計らずも悼亡 古軒を揺るがす。
  五十年間懐苦楽、   五十年間の 苦楽を懐(おも)へば、
  良妻遺影慟心魂。   良妻の遺影は 心魂を慟(どう)せしむ。

2009. 9. 2                 by 井古綆


深渓さんからお返事をいただきました。

井古綆雅兄には、かねてより拙句についてご助言を賜り、感謝しています。
図らずも「哭亡妻」に次韻として心打つ瑶韻を賜り、篤くお礼申し上げます。

2009. 9. 7                  by 深渓





















 2009年の投稿詩 第135作は 青眼居士 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-135

  新緑        

花竭枝頭嫩葉分   花竭き 枝頭 嫩葉分れ、

夜來生動氣氤氳   夜来 生動 気氤氳いんうん

向蒙邑里薄紅靄   さきには 邑里を蒙ふ 薄紅の靄、

今湧山腰新翠雲   今 山腰に湧く 新翠の雲。

          (上平声「十二文」の押韻)

<解説>

 花が咲いたあと、枝先の葉芽から若葉が分かれて、ここ数日どんどん葉が大きくなり、樹を蔽いはじめている。
 勢いよく成長しようとする樹の、躍動する生命力の気が辺りに漲っている。
 つい先日までは村里をうっすらと紅の霞がおおっていたのに、
 いま眼前の山には、みずみずしい翠の雲がもくもくと湧き立っている。

<感想>

 起句の「嫩葉分」は、若葉が出始めた、という気持ちでしょう。

 承句は「生動」は解説文で言う「生命力の気」ということかと思いますが、どうして「夜来」と説明がつくのか、作者の意図が分かりにくいですね。「生動氣氤氳」とか「夜來氣氤氳」だけならばまだ理解できるのですが。

 後半の対句仕立ては、「向」「今」の対では期間がぼけて、「薄紅靄」のリアルさが弱くなってきて、組み合わせが平板に感じます。「昨日」と「今日」とか、「朝」と「晩」とか、もっと短い時間での対比にすると、一枚の絵の中に二つの季節が入るという、まさに「新緑」の季節の変わり目を表す形になると思います。

2009. 9. 6                  by 桐山人



謝斧さんから感想をいただきました。

 起句の「花竭枝頭嫩葉分」について、「分」は多くは、分明で「明らかになる、はっきりする」というような意味のほうが強いと感じています。
 もし詩語であれば「嫩葉分」は枝に嫩葉がはっきり見て取れるとのことだと理解しましたが。

 後対格になっていますが、以前、呂山先生に後対格の詩を批正してもらったとき、「後対格の詩にしました」といったら、「こういったことはしてはならぬ」といわれたことがありました。

2009. 9. 8              by 謝斧


井古綆さんからも感想をいただきました。

 青眼居士雅兄、こんにちは。
 玉作を拝見いたしました。人様の作品を批評するのはいとも簡単ですが、さてこれをどの様にすれば良いかと言えばかなり難しいことです。この文韻は険韻ではないと思いますが、この詩題の「新緑」に限って言えば難しく思います。

 拝見いたしますと、相当に努力されていらっしゃいます。私事で真に失礼と思いますが、わたくしの漢詩を始めた理由の一つには脳の老化防止がありますので、眼に留まった作品を自分なりに考えています。ですので、わたくしの詩作が絶対に正しいというつもりではありませんので、予めご了承ください。

 さて、御作の転句には季節の移り変わりとして『花』を詠じてありますが、わたくしは起句と転句にある『花』を削除してみました。これは多くの読者に是非を問いたく思います。
 また、詩の後半を対句にしてはならない理由は知りませんが、読者に感銘を与えなければ対句の意味がありません。

 なお、転句の平仄●○●●●○●は前後どちらかを○○にしたほうが良いと思いました。句中の孤仄は何故か、あまり問題にしないようです。先賢の作品にも多々あります。

    試作新緑
  嫋嫋輕風芳草薫、  嫋嫋たる軽風 芳草薫り、
  陽春萌動氣氤氳。  陽春 萌動(ぼうどう) 気氤氳(いんうん)。
  昨蒙村里成青靄、  昨は村里を蒙ひて 青靄を成し、
  今裹山腰作緑雲。  今は山腰を裹(つつ)んで 緑雲を作す。

「萌動」: 草木が芽をふきはじめる。
「氤氳」: 万物の源泉をなす気が盛んであること。


2009. 9. 9              by 井古綆


謝斧さんからも感想をいただきました。

 井古綆先生のいわれるように、句中の孤平については私も疵だとおもってます。
作者があまり経験のない習作の詩であれば仕方がないとおもって看過していますが。

 鈴木先生もご存知だとおもいますが、斉藤博士ご自身の著書「漢詩入門」に説明されていますように、転句の六字目はそれを挟む五字七字に工夫が必要です。
 陽關詞等もそうです( 陽關詞の場合は腰折れのため起句と結句にも工夫をしてます)

 中国の詩人は詩の内容よりもリズムを重んじるようです。
では、何故孤平の詩が往々みられるのかといえば、内容を優先することもままあるかもしれませんが、多くは我々が知らない工夫をしているからとおもいます。
 中国の古人の孤平詩があるとしても、安直に手を下すべきではありません。
おそらくは、詩に孤平の疵があれば、我々でも簡単に回避することができるからです。


2009. 9.14                by 謝斧





















 2009年の投稿詩 第136作は 忍夫 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-136

  古都観桜        

四方山影彩霞垂   四方の山影 彩霞垂れ、

大路桜花混柳絲   大路の桜花 柳絲を混じふ。

川畔冶遊如入画   川畔に冶遊すれば画に入る如く、

不堪古都艶陽時   堪えず、古都艶陽の時。

          (上平声「四支」の押韻)

<解説>

 麗日の京都市街の風景です。
 鴨川沿いには桜と柳が植樹されていています。四方の山影、特に、比叡山や東山の山なみが霞を帯びて見えます。鴨川沿いを歩くだけで、春を満喫できます。

<感想>

 起句から承句への「遠近」の展開は、やや急過ぎる気がします。逆に、承句での「大路」と転句の「川畔」変化が小さいので、できれば承句は「洛中」あたりにして、転句で更に近く「大路」「川畔」が来ると良いでしょう。

 転句の「如入画」は、比喩としては、作者の独自の感覚が感じられません。よくある一つの形容の言葉だと考えれば良いかもしれませんが、結句の「不堪」を導くためには、もう一工夫欲しいと思います。

 結句の「古都」は平仄で見れば、「京洛」にすべきでしょう。

2009. 9. 6                 by 桐山人



謝斧さんから感想をいただきました。

 詩意が平板のようにおもえます。
「混柳絲」の「混」は「雑」のほうがよいとおもいます。 「不堪」の意味がよくわかりません。

2009. 9. 8              by 謝斧


井古綆さんからも感想をいただきました。

 忍夫雅兄、玉作を拝見。
 京都の春の風景は浮かんできますが、やはり物足りなさを感じます。わたくしは鴨川沿いを歩いたことはなく、車で素通りするだけです。さすが千余年都であった素晴らしい所です。(付記。もう少し時間を掛けて推敲すれば、立派な詩になります。このように申し上げるわたくしも時間を掛けております。白鳥が泳いでいる脚は人間には見えません。)

 詩の感想に移りますと、何か物足りなさを感じますのは、例えば承句「大路桜花混柳枝」を見ますと、一句の内に二つの花草を詠じるのは詩意が分散されて、インパクトがなくなっていることが原因かと思います。この場合には桜と柳を対句にして、形容詞を加えれば詩情が満ちてきます。
 また、転句以下を叙情句にすることは、雅兄の転句「・・・・如入画」では読者の胸には響かないように思いますので、最高の賛辞を贈れば良いでしょう。
 例の如く試作して題名を以下のようにしました。

    京都熙春
  櫻花爛漫千株發、  桜花は爛漫 千株発き、
  新柳模糊萬縷垂。  新柳は模糊 万縷垂る。
  互植長堤成絶景、  互いに長堤に植へて 絶景を成し、
  周遊最好艶陽時。  周遊 最も好きは 艶陽の時。

「熙春」: のどかな春。
「千株」: 千枝が良いが冒韻。
「模糊」: はっきりしないさま。参差のほうが良いが冒韻になるので変更。


2009. 9. 9              by 井古綆





















 2009年の投稿詩 第137作は 忍夫 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-137

  観桜        

青山連影水悠悠   青山影を連ねて、水悠々、

満岸桜雲淡欲流   満岸の桜雲 淡として流れんと欲す。

暫憩花陰問真意   暫し花陰に憩ひて、真意を問ふ、

何如自適不知愁   何如ぞ、自適にして愁ひを知らざるに。

          (下平声「十一尤」の押韻)

<解説>

 武庫川沿いの江村の風景。
 桜の木下で、ゆったりと山や川をみて時をすごしていると、悩み事がないのが 一番の幸福であるとつくづく思いました。

<感想>

 転句は「挟平格」で作られています。
 ここの「真意」は、陶潜の「飲酒(其五)」に見られる名句「此中有真意 欲弁已忘言」を思い出させます。
 前半の景で、作者は十分に「真意」を理解している上で、敢えて「問真意」し、その内容を「何如自適不知愁」と強調したところが作者の工夫でしょう。
 私でしたら、同字重出を狙って「不如自適不知愁」とストレートに言ってしまいそうですが、一歩引いた忍夫さんの表現との違いが面白いところですね。

2009. 9.10                  by 桐山人



謝斧さんから感想をいただきました。

 結句は工夫をしましたか 佳い詩だとおもいます。
桜に向かって、今の自分の隠居生活に多少の不満を訴えた詩なのでしょうか
桜に擬して自分の心情を吐露した詩でしょうか

 「問真意」は説明のしすぎで、あっさりとした叙述の方がよいとおもいます。 この語でやや余韻がそがれているようなきがしましたが。


2009. 9.12                by 謝斧


井古綆さんからも感想をいただきました。

 忍夫雅兄玉作を拝見いたしました。

 転句の『問真意』の措辞について、鈴木先生は感想で、陶淵明の『飲酒』には「此中有真意」とあるのを引用されています。
この「有真意」は肯定文であって、この語以前の文を総て肯定しています。ゆえに間違いではありません。
仮に、陶淵明の『飲酒』に、雅兄の『問真意』と措辞した場合は、この語以前の八句総てを疑問視することになります。

 雅兄の起句承句は「青山連影水悠悠 満岸桜雲淡欲流」と詠じてありますのは、両句とも肯定文(句)です。
転句で「暫憩花陰問真意」と措辞すれば、起句承句が作者にとっては『疑問である』と思った際には『問真意』と措辞できますが、このままでは起句承句と転句との詩意が相反して矛盾が生じるように感じられます。

 この『問真意』の詩意を起点として、起句承句を熟考しましたが、浅学のわたくしでは無理のように思います。
ではどの様にすべきかと申しますと、『問真意』を『謝天意』にすれば詩意が無理なく通じるように思いますので、以下のように試作して見ました。

    試作 観桜
  青山隠隠水悠悠   青山 隠々 水悠々
  爛漫桜雲春色流   爛漫たる桜雲 春色流る
  暫憩花陰謝天意   暫し花陰に憩うて 天意に謝し
  不歎自適未知愁   歎かず 自適 未だ愁ひを知らざるを


2009. 9.15              by 井古綆





















 2009年の投稿詩 第138作は 真瑞庵 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-138

  西行桜        

洛西春色正陶然   洛西ノ春色 正ニ陶然

山寺尋行染彩煙   山寺 尋ネ行カバ 彩煙ニ染メラル

聞説他時有僧隠   聞クナラク 他時 僧ノ隠ルル有リテ

嘯吟浮世落花前   嘯吟ス 浮世 落花ノ前ト

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 春爛漫の四月中旬、京都洛西,勝持寺を尋ねました。
 ご存じのように、この寺は北面の武士佐藤義清が世をはかなんで剃髪、隠棲した処と伝えられ、一樹の桜を植え桜の花に寄せて世の儚さ、身の憐れを詠んでいたとの事です。
 そんな雰囲気が出せればと七律も試みたリして長く温めてきましたが、結局は纏まり切れず、この詩となりました。
 長く温めていた割には・・・・・!?とおもっています

<感想>

 謡曲「西行桜」の舞台にもなっている勝持寺を訪れた詩です。
 真瑞庵さんは律詩を作られることが多いのですが、今回は絶句だったので「おや?」と思いました。解説を読ませていただき、合点が行きました。

 起句の「正陶然」が鍵で、桜の様子、山寺の様子を具体的に書いて句を並べることもできたのでしょうが、作者の実感としては、これ以上の説明は要らないというところではないでしょうか。
 となれば、転句から西行に思いを馳せる展開も必然で、絶句としてまとめられたのが効果を出していると思います。私は、良い詩だと思います。

 結句の読み下しは、「落花の前」としておくと、余韻が残るでしょう。

2009. 9.10                  by 桐山人



井古綆さんから感想をいただきました。

 真瑞庵雅兄、お久しぶりです。

 玉作を拝見。
一読して素晴らしい詩であると思いました。この寺が西行法師剃髪の寺とは存じませんでした。

 わたくしは以前に河内の「弘川寺」を訪ねたことがあります。
この寺は西行終焉の寺で、辞世の句「願わくは 花の下にて 春死なむ その如月の 望月のころ」を追想して一詩「弘川寺懷古」を作りました。


2009. 9.13            by 井古綆





















 2009年の投稿詩 第139作は 真瑞庵 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-139

  釣楽        

雨注百花妍   雨ハ 百花ノ妍ナルニ注ギ

風分千樹耿   風ハ 千樹ノ耿ナルヲ分ツ

幽渓蓑笠翁   幽渓 蓑笠ノ翁

獨釣春山景   獨リ釣ル 春山ノ景

          (上声「二三梗」の押韻)

<感想>

 仄韻で、柳宗元の「江雪」を意識された詩ですね。

 結句の「春山景」が一首全体のまとめになっている、つまり、前半の「花」や「樹」、そして「幽渓で蓑笠の翁が独り釣る」姿全体が「春山景」ということかと思いましたが、しかし、それですと結句が分断され、「獨釣」がそれほど意味を持たないように感じます。「一幅春山景」の方が落ち着きます。
 となると、ここは「蓑笠翁」は作者自身を指し、「独り春山景を釣る」と読んで、「釣」を「(景色を)眺め楽しむ」という比喩として解した方が良いのでしょう。
 五言絶句というぎりぎりの言葉選びが生み出した句というところかと思います。

2009. 9.10                  by 桐山人






















 2009年の投稿詩 第140作は 緑風 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-140

  春日散策        

中春日暖午風軽   中春 日暖かく 午風軽し

独抱詩心漫歩行   独り 詩心を抱き 漫ろ 歩行

農事多忙山麓畔   農事多忙 山麓の畔

緑陰深処囀残鶯   緑陰深き処 残鶯囀ずる

          (下平声「八庚」の押韻)

<解説>

五月下旬 穏やかな午後 吟行を兼ね 近くを散策
丁度田植えの最盛期でした。
山麓では鶯の声も聞かれ長閑なひと時でした。

<感想>

 転句の「農事多忙」は王維が「新晴野望」で「農月無閑人」と詠んだように、初夏を表します。結句の「緑陰」もそうですね。
 そうなると、題名の「春日」や起句の「中春」の語が読者に季節の混乱を起こさせます。
 この二つの「春」を替えれば、まとまったよい詩になると思います。

2009. 9.10                  by 桐山人



緑風さんから、推敲作をいただきました。

 いつもご指導有難うございます。
2009-140 私の詩『春日散策』のご指導有難うございました。

 早速次のように推敲いたしましたのでよろしくお願いします。

    初夏散策
  清和日暖午風軽   清和日暖かく 午風 軽し
  独抱詩心漫歩行   独り 詩心を抱き 漫ろに歩行
  農事多忙山麓畔   農事 多忙 山麓の畔
  緑陰深処囀残鶯   緑陰深き処 残鶯囀る


2009. 9.12               by 緑風


井古綆さんから推敲作への感想をいただきました。

 緑風雅兄、玉韻推敲作を拝見いたしました。

 大変良くなったと思います。
 愚見かも知れませんが、承句の読み下しを「漫歩して行く」としては如何でしょうか。

 欲を言えば、承句の前の部分「独抱詩心」が余りにも現実的のような気がいたします。先賢の作では「独曳吟筇」などと表現していますので、今後の詩想にしてください。

2009. 9.13              by 井古綆


謝斧さんからも感想をいただきました。

 転句の「農事多忙」は言い切って説明的で、面白みが無いように思います。もっと具体的な叙述が必要だと感じています。
 鈴木先生が例示された王維の詩の「農月無閑人」は、「農月は(多忙ゆえ)閑な人はいない」ということで婉曲な言い回しで、より詩的だとおもいます。何故「無閑人」なのか、そうか農月は多忙ゆえかと読者に考える余裕を与えます。
 同じ事をいっても、「農事多忙」は散文的で「農月無閑人」は詩的だとおもいます。

2009. 9.16             by 謝斧





















 2009年の投稿詩 第141作は ニャース さんからの作品です。
 

作品番号 2009-141

  大連清宴        

恩師拝見聚湘楼   恩師拝して見る 聚湘の楼

緑酒杯中素月浮   緑酒杯中 素月浮かぶ

他郷難得逢知己   他郷 知己に逢ふを得難し

良宵任酔渡風柔   良宵 酔ひに任せば 渡風柔らかなり

          (下平声「十一尤」の押韻)

<感想>

 今年の夏、私は恒例の中国旅行で大連を訪れ、当地在住のニャースさんと馬薩涛さんに逢うことができました。
 ニュースさんはサイト開設以来の十年の知己、馬薩涛さんはこのサイトでは今年から投稿いただいた新しい仲間ですが、実はお二人は以前からのお知り合いだったそうです。
 馬薩涛さんが大連からご投稿くださったことで、漢詩のつながりがおできになったとのこと、今回の旅行でも是非一緒に逢いましょうということになりました。

 一月のサイト十周年懇親会でもそうでしたが、メールだけのお付き合いではあっても、漢詩で結ばれた友は顔を合わせればすぐに意気投合、お二人と楽しい時を過ごしました。馬薩涛さんは、「同窓会を開いたような感じですね」と仰ってました。

 大連は日本人からの駐在の人が多いとのことで、日本人を対象としたお店も多いようです。飲み屋にも「串焼き」などと日本語で書かれた看板もたくさん見られました。連れて行っていただいたお店も、入るやいなや「いらっしゃいませ」の日本語で迎えられ、席への案内から注文の確認まで、きれいなお姉さんがきれいな日本語で応対してくれました。
 面白かったのは、ニャースさんが料理やお酒を中国語で頼んでくださると、店員さんが即座に「承りました。ありがとうございます」と返事をしてくれて、見ていると日本のお店に中国の方が来ているかのような錯覚をしてしまいます。

 ニャースさんから、すぐに当夜の思いを漢詩で送っていただきましたので、ご紹介します。
 なお、題名は私がつけさせていただきました。

2009. 9.11                  by 桐山人






















 2009年の投稿詩 第142作は 桐山人 からの作品です。
 

作品番号 2009-142

  次韻 ニャース雅兄「大連清宴」        

異郷雅宴大連楼   異郷の雅宴 大連の楼

芳酒美肴盤上浮   芳酒 美肴 盤上に浮かぶ

詩友清談歓不盡   詩友の清談 歓尽きず

三千里外海風柔   三千里外 海風柔らかなり

          (下平声「十一尤」の押韻)

<解説>

 ニャースさんからいただいた詩に次韻をしました。

 起句の「大連楼」は、最初は「海都楼」としたのですが、地名であるとともに、大都会である大連の高層ビルが建ち並ぶ姿を、地名の裏側に表してみました。

 あらためて、ニャースさん、馬薩涛さん、連夜の歓待、本当にありがとうございました。

 お二人からは、大連を起点にして、サイトの仲間と旅行しましょう、とご提案をいただいたことも、併せてご紹介しておきます。

2009. 9.12                  by 桐山人






















 2009年の投稿詩 第143作は 青眼居士 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-143

  石清水八幡宮        

瞻望山腹翠雲懸   瞻望すれば 山腹 翠雲懸り

俯瞰三流白若眠   俯瞰すれば 三流 白くして眠るが若し。

主殿淡粧神苑肅   主殿 淡粧 神苑は粛(おごそか)なり。

行人欲賽可登巓   行人 賽せんと欲すれば 巓(いただき)に登る可し。

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 三流は木津川、宇治川、桂川の三川で、この地で合流して淀川となります。四流としたかったのですが、孤平となるので止めました。
 八幡宮は男山の山頂にあるのですが、その昔は麓に付属の寺社があったらしく、仁和寺の僧が麓の寺社に参って石清水詣でが終わったと勘違いをしたと言い、「少しのことにも先達はあらまほしき事なり」と徒然草(五十二段)は結んでいます。

<感想>

 石清水八幡宮に関連した詩では、以前に澄朗(嗣朗)さんの「背割桜」をいただきましたね。私の新刊でも、引用をさせていただきました。

 青眼居士さんが解説に書かれた『徒然草』のことをもう少し書きましょう。
 兼好法師が「少しのことにも、先達はあらまほしき事なり(第六十二段)」の語ったのは、この石清水八幡宮に参詣するという長年の願いを実現した僧が、実際は麓の付属寺社だけを見て山上の本宮を見ずに帰ったという話に対しての感想でした。

 仁和寺にある法師、年寄るまで石清水を拝まざりければ、心うく覚えて、ある時思ひ立ちて、ただひとり、徒歩より詣でけり。極楽寺・高良などを拝みて、かばかりと心得て帰りにけり。
 さて、かたへの人にあひて、「年比思ひつること、果し侍りぬ。聞きしにも過ぎて尊くこそおはしけれ。そも、参りたる人ごとに山へ登りしは、何事かありけん、ゆかしかりしかど、神へ参るこそ本意なれと思ひて、山までは見ず」とぞ言ひける。
 少しのことにも、先達はあらまほしき事なり。

[口語訳]  仁和寺に居た法師が、年をとるまで石清水八幡宮を拝んでいなかったので、残念に思い、ある時決心して、ひとりだけで、歩いて参詣をした。(麓の)極楽寺や高良寺などを拝んで、これだけだと考えて帰ってきてしまった。
 さて、(帰った後)傍らの人に向かって、「ここ数年念願していたことを果たしました。聞いていた以上にありがたくいらっしゃいました。それにしても、お参りに来た人が皆、山に登っていったのは、何があったのでしょう、(私も)見に行きたいとは思いましたが、神様にお参りすることこそが本来の目的であったはずだ、と思って、山の上までは見ませんでした」とまあ、言ったそうだ。
 ちょっとしたことにも、道案内をしてくれる先達は欲しいことである。
 この文章には、兼好法師のストーリーテーラーとしてのきらめきが見られるのですが、それは、「仁和寺にある法師」が石清水に出かけたことを述べた冒頭の「ただひとり、徒歩より(この「より」は手段や方法を表します)詣でけり」に表れています。
 友人や経験者などと一緒にではなく「ただひとり」で行ったこと、また、石清水八幡宮への一般的な参詣手段である舟に乗って行けば、当然同行者と石清水八幡宮の話をする機会もあっただろうに「徒歩」で出かけたこと、この二点が後の法師の失敗の原因となっているわけで、最後の「少しのことにも、先達はあらまほしき事なり」という結論の伏線になっています。
 私は高校での授業で、この段を教える度にいつも、読み手を意識した兼好法師の表現に感嘆します。

 青眼居士さんの今回の詩の結句は、この『徒然草』の内容を踏まえた上で、前半の山上からの眺望を丁寧に描いています。
 その結果、『徒然草』では「本殿を拝まなくてはいけない」という信仰心で書かれていましたが、この詩では、「行人」がなぜ『可登巓』なのかと言えば、「美しい景色を見なくてはいけない」という詩人としての発想に変換されています。
 そうした内面のスケールの大きさがこの詩にはあります。
 それを生かすためにも、承句の「白若眠」の表現だけが物足りなく、比喩も主観的で曖昧ですので、推敲を進められると良いと思います。

2009. 9.14                  by 桐山人






















 2009年の投稿詩 第144作は 展陽 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-144

  憶友        

茅居昼静日如年   

久久無人訪我前   

対飲親朋今遠去   

空庭寂寂暗香傳   

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 あばらやの静かな昼の日は年のように長い
 久しく誰も私の所に訪れて来ない
 対酌していた親友も今は遠くへ去り
 人のいない庭は寂々としてどこから(花の)香りが匂う


<感想>

 起句の「日如年」は、「一日千秋」という気持ちでしょうか。
 承句の「久久」は同字繰り返しですが、やや強調し過ぎで、いったいどのくらい長期間を言うのか、疑問になります。また、「訪我前」「前」は不要な字で、韻字とされたのでしょうが、邪魔な印象です。

 転句は「対飲」は「対酌」とそのまま書いた方が良いのですが、ただ、「酒を飲んだ」ということを強く言う必要があるかどうか。「旧友故朋」とすれば、酒限定の友ではなく、幅が広がると思います。
 結句は、最後の「暗香伝」が突然の具体的な叙景で、不自然に感じます。承句と転句が内容的に重複しているとお感じのようですから、承句あたりで具体的な景を出しておくと良いと思います。

2009. 9.18                  by 桐山人



井古綆さんから感想をいただきました。

 展陽雅兄おひさしぶりです。
 雅兄は律詩をお作りになる力量をお持ちですにも関わらず、今回の詩を拝見して訝しく思いました。

 鈴木先生がご指摘の結句「暗香伝」を拝見して、わたくしは若しかして雅兄は短歌などに精通されたお方では無いのかと推察いたしました。
 他のお方の作品を拝見した時にも申し上げたことがありますが、短歌とか俳句などでは字数が少ないため、突然に「暗香伝」としても古来それが自然だと思われていて、読者の感想が様々に異なり、テレビでは選者の先生がそれぞれの感想を述べていらっしゃっていました。
 然しながら、漢詩では前もって布石をしなければ読者は迷います。

 鈴木先生がご指摘された「日如年」は「一日が一年のように長い」の意味ではないかと思います。
この語は春から夏にかけては使用できるでしょうが、梅が開く季節には不似合いな語ではないかと推測いたします。
 詩語とは難しいもので、下記の試作を賦しようと思い、起句に「薄寒天」と措辞したところ、「薄寒」は薄ら寒いと認識していたのは間違いで、「薄・ハク」は「迫・ハク・せまる」の意味で、意味が正反対の「身にしみる寒さ」と辞書には載っています。(ちなみに「薄暑」は読んで字のごとしです)
 ですので、詩語表を鵜呑みにしないで、漢和辞典なりで確認しなければ重大な間違いを犯します。

 雅兄作の結句の詩意を起点として試作してみましたので雅兄の詩想の参考になれば幸いです。

    試作憶友
  早梅馥郁發寒天   早梅 馥郁 寒天に発き
  恒例與朋詩酒筵   恒例 朋と 詩酒の筵
  人世無常懷惜別   人世 無常 惜別を懐へば
  今朝只曠暗香傳   今朝 只曠(むな)しく 暗香伝ふのみ


2009.9.21              by 井古綆


展陽さんからもお返事をいただきました。

 鈴木先生
 展陽です。この度、作品「憶友」の助言とご指導を戴き有難う御座います。

 承句と転句は落ち着いて見ると確かに内容が重複しています。また「久久」と「訪我前」も推敲が足りませんでした。自分の不注意と勉強不足をつくづく思い知らされました。

 これからも一層のご鞭撻を願います。
 この作品を改作しました。

    憶友(推敲作)
  秋懐静昼感流年   静かな昼に 秋懐は流年を感ず
  小小花猫傍我眠   小小な花猫(かびょう)我に傍(よりそ)って眠る
  旧友親朋今遠去   旧友親朋 今は遠くへ去り
  回思昔日独潸然   昔日を回(か)えり思うと 独り潸然となる


「秋懐」: 秋の物寂しい思い
「流年」: 過ぎ行く歳月
「小小」: 小さな
「花猫」: 三毛猫

2009. 9.21             by 展陽


 推敲の感想をということでしたので、書かせていただきます。

 「静昼」と「花猫」の取り合わせは、おだやかな時を感じさせますね。
 その前半から一転、転句からは一人の寂しさが出てくるわけで、変化が大きいのですが、それを面白いと取るか、離れ過ぎと取るか、そこは評価が分かれるところで、作者の狙いところでもあります。
 ただ、結句の「潸然」では、涙が流れるところまで言うと、感情の起伏が大きく、後半が重すぎるように感じます。この語を直せば、転句への変化も受け入れやすくなると思います。


2009. 9.23               by 桐山人





















 2009年の投稿詩 第145作は 澄朗 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-145

  観二葉館偶感     二葉館を観ての偶感   

大正浪漫朱瓦財   大正の浪漫 朱瓦の財

貞奴濃艶可知才   貞奴の濃艶 才を知るべし、

桃君更始夢中業   桃君 更に始める夢中の業

情誼偏呈文化魁   情誼 偏に文化の魁を呈す。

          (上平声「十灰」の押韻)



「朱瓦財」: 赤い瓦葺きの建物(貞奴館の屋敷)
「桃君」: 福沢桃介


<解説>

 日本最初の女優「川上貞奴」と水力発電所の建設を夢見、電力王と云われた「福沢桃介」が暮らした屋敷(貞奴館)を復元し展示されている二葉館は、和洋折衷で当時のロマンを想起させてくれる。

<感想>

 和語が多く使われていますので、まずは前提として、この詩は読者として日本人を対象としたものとして、感想を書きます。

 起承転結のつながりがすっきりしていないようで、作者の思いが先走っている感じですね。
 例えば、起句で「大正浪漫朱瓦財」と言ったことと、次の承句での「貞奴」の「濃艶」であることや、「可知才」とのつながりがわかりません。

 結句も、貞奴と桃君の二人の「情誼」がどうして「偏呈文化魁」となるのか、一句の中でも理解しにくいところがあります。

 構成としては、貞奴の承句と桃君の転句を一組の聯として考え、前半に置くか、後半に置くような形で推敲すると、やや落ち着くのではないでしょうか。

2009. 9.23                  by 桐山人



井古綆さんから感想をいただきました。

 澄朗雅兄今日は。雅号を一新されましたね。気持ちも一新してお互いに頑張りたいと思います。

 玉作によって「福沢桃介」なる高名なお方を存じ上げました。
この詩題は大変難しく思います。何故ならば登場人物が二人になりますので、鈴木先生も述べられていますように、纏めなくては詩の中が混乱してしまいます。
 その上に現地をご覧になったために、余分なものまで詩中に入れようとする心が働きます。

 私が試作をするにあたって、これを厳選するには先ず詩の構成をしなければならないように思いました。
 詩題は「二葉館」ですが、「起句」福沢桃介は稀にみる商才を備え,「承句」為に莫大な財産を為した、「転句」(何時ごろからか)一世を風靡した「マダム貞奴」と知りあい事実婚となり、「結句」ここで二人の良い関係であったことを述べて詩の締めくくりとしたい、と思います。

 これ以外のことは注釈に書き添えたほうが良いと思いました。

 なお、鈴木先生のおっしゃる「和語」ですが、地名人名は致し方ありませんが、「桃君」は「夫君」とすれば読者にも理解されるでしょう。
 絶句では政界に身を投じたことは表すことが出来ませんでした。

    試作 福沢桃介
  千般起業仰奇才、   千般の業を起こして 奇才と仰がれ、
  先見明都繋蓄財。   先見の明は 都て蓄財に繋がる。
  相愛生涯伴豪邸。   相愛の生涯 豪邸に伴するは、
  垂名世界女優魁。   世界に名を垂れる 女優の魁と。

「女優」: 中国語では女演員。

[追伸]詩の構成については以前に2007−164に述べたことがあります。

2009. 9.24               by 井古綆





















 2009年の投稿詩 第146作は 緑風 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-146

  捧朋徒        

聞訃思君独悵然   訃を聞き 君を思ひ 悵然たり

追懐共学共遊年   共に学び共に遊びし年を追懐す

既朋逝水都如夢   既に朋は 逝水 すべて夢の如し

遺影無言哭位前   遺影 言なく 位前に哭す

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 この間幼稚園から高校までの一番親しい友が亡くなりました。
今までもお互いに同窓会の幹事役として、いろいろなことを世話していましたので、大変なショックでした。

 追悼の詩として霊前に捧げました。

<感想>

 幼稚園以来のご友人ということですので、惜別の悲しみもひとしおだったことと思います。
訃報を受けてからの作者の心の動きをそのまま記した形で、霊前で哭するお姿が目に浮かぶ作品だと思います。

 転句の「逝水」は、この言葉自体がすでに比喩(隠喩)ですので、下三字の「都如夢」の比喩(直喩)と重なっていますが、ここは言葉の意味というより、作者の歎きのため息が続いているような、そんな気がしました。

2009. 9.23                  by 桐山人






















 2009年の投稿詩 第147作は 仲泉 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-147

  暁夢        

少時竹馬夢鶏鳴   少時の竹馬 鶏鳴に夢む

青眼高歌上客程   青眼高歌 客程に上る

懐抱徘徊花未発   懐抱徘徊 花未だ発かず

騎龍命運噫無常   騎龍の命運 噫無常

          (下平声「八庚」の押韻)

<感想>

 難しい詩ですね。子どもの頃の思い出が夢に現れ、目覚めて、心に浮かんだ思いを描いたということでしょうか。

 承句の「青眼」は「友を迎える」と「親しい友人」という二つの意味がありますが、ここは後者として私は読みました。
 志を抱いて(「懐抱」)旅に出た若き日の友はあれからどうしたのだろう。
 長い時を経て、ふと思い出した友の顔、「暁夢」と題したことで、明け方の夢のはかなさが詩全体の切なさを彩っているように感じます。

2009. 9.23                  by 桐山人






















 2009年の投稿詩 第148作は 観水 さんからの作品です。
 映画『レッドクリフ』を見て作られた三首だそうです。

作品番号 2009-148

  代赤壁卒(一)     赤壁の卒に代る(一)   

既定中原百萬兵   既に中原を定む 百万の兵

江東將士盡無聲   江東の将士 尽く声無し

同袍豈好戈矛事   同袍 豈に戈矛の事を好まんや

早晩九州看太平   早晩 九州 太平を看ん

          (下平声「八庚」の押韻)

<解説>

 すでに中原たいらげた 百万人の大軍だ
 江(かわ)の向うの敵兵は おおかた声もないだろう
 俺達だって戦争が 好きでやってるわけじゃない
 いつになったら世の中に 平和な時代やってくる

 まだ、たまたま地上波でパートTを見ただけなのですが、要は映画「レッドクリフ」を見ての感懐です。

 古人も多く赤壁を詠っていますが、映画のような装置によって強烈な体験をすることができるのは、現代の我々ならではのことと思います。
もっとも、映画が真実とイコールというわけではありませんが。

 従軍した兵士の立場のつもりで作ったものなので、このような詩題にしましたが、単に「赤壁」とか「赤壁従軍行」みたいな方がすっきりしていたかもしれません。



<感想>

 「レッドクリフ」はパートTを私も昨年見に行きましたが、パートUは見に行きませんでした。別に映画の内容に大きな不満があったというわけではありませんが、早晩テレビで観られるかな、という気持ちが働いたものです。最近はテレビでの放映の時機が早いので。
 まあ、確かに映画館での大画面で、ポップコーン食べながらの鑑賞というのは魅力的ではあるのですが、家で寝転がっての鑑賞もそれに劣らず私には魅力的です。

 この第一作は、魏軍の兵士の立場からの作ですが、第二作は蜀呉の側からのもの、順に読んでいくと、映画に劣らず壮大なドラマを感じます。

2009. 9.24                  by 桐山人






















 2009年の投稿詩 第149作は 観水 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-149

  観水代赤壁卒(二)     赤壁の卒に代る(二)   

同澤請看丞相營   同沢 請ふ看よ 丞相の営

舳艫千里作長城   舳艫 千里 長城を作すを

任他都督非無策   任他(さもあらばあれ) 都督 策無きに非ざるは

誰望功名不望生   誰か功名を望んで 生を望まざらん

          (下平声「八庚」の押韻)

<解説>

戦友見ろよ曹操が 大ぜい連れてやってきた
船と船とが重なって 千里も続く長城だ
知ったことかよ大将に 策があろうがなかろうが
いくら手柄をたてようと 命あっての物種よ


<感想>

 承句の「舳艫千里作長城」は、「レッドクリフ」でも、以前テレビで放映していた中国電視局製作の「三国志」でも、製作者の腕の見せ所ですね。

 表現としては、転句で二重否定、結句で反語と更に同字反復まで来るのは、わずらわしい印象です。どちらかの句は、すっきりと表現した方が訴える力も強くなると思います。

2009. 9.24                  by 桐山人






















 2009年の投稿詩 第150作は 観水 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-150

  代赤壁卒(三)     赤壁の卒に代る(三)   

同袍同澤失歸程   同袍 同沢 帰程を失い

恨殺群鴉啖肉鳴   恨殺す 群鴉の肉を啖って鳴くを

上帝不關多鬼哭   上帝は関せず 鬼哭の多きを

青天赤壁翠波明   青天 赤壁 翠波明らかなり

          (下平声「八庚」の押韻)

<解説>

オレもコイツもアイツらも 帰りたくても足がない
肉を啖ってカァと鳴く カラスどもめが恨めしい
たくさん人が死んだのに 天の神様しらんぷり
あおぞらのもと赤壁の みどりの波の明るさよ


<感想>

 三つの詩をひとまとめにし、それぞれを解(段落)と解釈するするのも面白いでしょうね。

 最後のこの詩は、両軍の兵士の共通の思いとして描いていますが、結句の「青天赤壁翠波明」の色の組み合わせに観水さんの「やったぜ」というお顔がうかがえるようですね。

2009. 9.24                  by 桐山人



井古綆さんから感想をいただきました。

 観水雅兄お久しぶりです。
 難しい詩題に挑戦されましたね。わたくしも「レッドクリフT」をテレビで見ましたが、登場人物が余りにも多いため、作詩は諦めていました。
 雅兄の三部作を拝見して詩想が湧いてきました。
しかし映画は娯楽性を重んじて作ってあるため、史実には程遠く、ウィキペディアの史実を参考にしました。

 雅兄が詩題を「代赤壁卒」にされたことは賢明のような気がいたします。すなわち焦点を当てる人物が多すぎます。
そこで登場人物を都督周瑜と魏王曹操のみにして、後は英雄とか病卒などには焦点をボカシて「尤韻」で作りました。
 いずれ投稿させていただきますが、韻を「庚韻」に変えて作ってみましたのが下記の詩です。
しかしながら前聯3、4句は隔靴掻痒の感じがいたします。

    赤壁
  中原逐鹿集精兵、   中原に鹿を逐ひて 精兵を集め、
  今決輸贏布陣成。   今 輸贏を決して 布陣成る。
  罹患推量扶作戰、   罹患の推量は 作戦を扶け、
  火船謀略滅軍營。   火船の謀略は 軍営を滅す。
  英雄豪傑垂青史、   英雄 豪傑 青史に垂れ、
  病卒傷兵列冢塋。   病卒 傷兵 冢塋(ちょうえい)を列す。
  往事茫茫望赤壁、   往事 茫々 赤壁を望めば、
  欲斟瓢酒向江フ。   瓢酒を斟んで 江に向かってフ(ささげ)んと欲す。

「罹患」: 都督周瑜は「中原出身の曹操軍はこの湖北地方の風土になれていないため、
       疫病が発生することを予測した。
「火船」: 周瑜の部将黄蓋は、敵の船団が互いに密集していることに注目し、火攻めの策を
     進言した。自軍の船に油をかけた薪を満載して火を放ち敵船に接近させたため、
     曹操の船団は折からの強風に燃え上がり、炎は岸辺にある軍営まで達した。
「冢塋」: 墓。

 『三国志演義』では諸葛亮は東南の風を吹かせると言い、祭壇を作り祈祷すると東南の風が
吹いたと言う。孔明はこの地方の気候風土に精通していたのでは?


2009.10. 5              by 井古綆