2008年の投稿詩 第121作は サラリーマン金太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-121

  丁亥歳晩書感        

寒流泛月去悠悠   寒流月をかべて 去って悠悠

如矢光陰不識留   矢の如き光陰 留まるを識らず

詩債成山違宿志   詩債山を成して 宿志と違ふも

措杯繙巻索玄幽   杯を措き 巻を繙き 玄幽をもと

          (下平声「十一尤」の押韻)

<解説>

 昨年(平成十九年)末に作詩したものですが、多忙につき投稿が遅延してしまいました。ご寛恕いただきたいと思います。
 ようやく残業生活も明けましたので、また定期的にご指導を仰ぎます。

 はや今年も四分の一が過ぎ、中年の域に達すると月日の経つのが恨めしくさえ思います。今年は大厄の年を迎えました。
 新年早々に川崎大師に参詣、厄払いをしたご利益からか、現在までのところ大過なく日々を送っています。
 平成二十年度も相変わりませず、よろしくお願いします。

<感想>

 サラリーマン金太郎さんも、年度末から年度初めはお忙しいようですね。ひとまず落ち着かれたようで、また精力的な詩作活動を再開されることでしょう。楽しみですね。

 年末に「詩債」が溜まるのが皆さんですと、私は何と言うか、「載債」というところでしょうか、送っていただいたのにホームページに出来てない詩が「成山」という状態で、これは私自身も「違宿志」のですけれど、半年経った今でもその借金を負い続けています。
 反省・・・反省・・・

 詩としては、起句と承句のつながりがどうもはっきりしません。また、詩の最後を「玄幽」で結ぶのでしたら、起句の「悠悠」は邪魔な感じがしますね。

2008. 5.30                  by 桐山人






















 2008年の投稿詩 第122作は 井古綆 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-122

  春行        

帯筆携瓢生路程   帯筆 携瓢 生路の程

東丘蝶舞與鶯鳴   東丘は 蝶舞と鴬鳴と

黛巒霧散望殘雪   黛巒 霧散じて 残雪を望み

碧宇雲消已快晴   碧宇 雲消えて 已に快晴

日暖園梅香馥郁   日は園梅を暖めて 馥郁と香り

風吹堤柳弄輕盈   風は堤柳を吹いて 軽盈を弄す

踏青觀止醉韶景   踏青 観は止まり 韶景に酔ふ

醉客何斟酒一觥   酔客何れにか斟まん 酒一觥

          (下平声「八庚」の押韻)

<解説>

 「生路」:始めての路
 「黛巒」:遠くのまゆずみ色の山々
 「碧宇」:あおぞら
 「軽盈」:姿がしゃなりしゃなりと、おもむきに満ちていること
     ここでは柳が風に吹かれているさまに例えた(畳韻)
 「踏青」:青草を踏む、すなわち春行
 「観止」:美しく立派なものを見て激賞すること。後は見る必要なしの意
 「醉」:景色と酒の両方にかける

<感想>

 掲載が遅くなり、済みません。

 春の郊行の趣が、書き出しの「生路」「東丘」でよく表れていますね。

 頸聯の「園梅」は前半の記述から行けば、「野梅」の方が適していると思います。
 頷聯は上句の「馥郁」も下句の「輕盈」も畳韻語として対になっていますね。ただ、「香」は自動詞ですので「馥郁」が無くても意味は通じ、「香ることが馥郁」と読めますが、「弄」は他動詞ですので目的語を要求しますので、読み下した時に違和感が残りますね。「動」「揺」などでは物足りないのかもしれませんが。

 尾聯の「醉」が重複していますが、これは意図的でしょうか。

2008. 5.30                  by 桐山人



井古綆さんからお返事をいただきました。

 鈴木先生今晩は。ご高批有難うございました。
 ご指摘の「園梅」は詩的に表現すれば「野梅」のほうがよいと思います。
 この件ははるか以前より疑問に思っていました。古典的にいえば林逋の絶唱といわれる『山園小梅』にあるように「疎影斜水清浅 暗香浮動月黄昏」を手本にすれば雰囲気が出ると思いますが、千年以上も前には有った「野梅」も現代ではすでに無く、あるのは「梅園」だと思いました。ゆえに拙詩では「園梅」といたしました。

 頸聯の上句下三字「香馥郁」と対の「弄軽盈」ですが、先生のご指摘の通り明らかに完全ではありません。
 いみじくも、以前先生が述べられていますたが、下三字のこの部分は作詩上の無法地帯ではないかと思います。
 この聯の主語は「日」「風」です。
「弄」「揺」も考えましたが、詩においてはこのような場合「弄」を多用しているように考えました。
 自動詞と他動詞を統一しようとすれば、「日暖園梅漂タダヨハセ馥郁」となり「香」をいれる場所がありません。「日」の代わりに「香」をもってくれば、句頭が対にならなくなり、ここは苦心した点です。

 なお「酔」の重出は意図しました。「酔」は酒のみに使用するばかりではなく、「心酔」にあるように物事にも使用されているように思います。
 結句は「酔客更斟醇一觥。酔客更に斟まん醇一觥」とも考えましたが「何れにか斟まん酒一觥」のほうがよいように感じました。
「観止」の語を使用しましたので、詩意に「酔」の語がピッタリと当てはまると思いました。

2008. 5.31              by 井古綆





















 2008年の投稿詩 第123作は 忍夫 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-123

  庭梅        

東風颯爽颺書緯   東風颯爽と書緯を

二月応憐梅一枝   二月 応に憐れむべし 梅一枝

返照入庭花始綻   返照庭に入りて 花始めて綻ぶ

連山漸識夕陽遅   連山漸く識る 夕陽の遅きを

          (上平声「四支」の押韻)

<解説>

 東風が書斎に颯爽と吹き込めば、まさに梅の咲く二月。
 返照が庭に差し込むころ、庭の梅のほころんだのに気づく。
 漸く日の入りも遅くなってた。

<感想>

 起句の「緯」は踏み落としになっていますが、韻を合わせるならば、「帷」にしてはどうでしょうか。

 転句の「返照」は夕日を表していますが、夕日である必要性はあるのでしょうか。結句の「夕陽遅」の結末を鈍らせることにもなります。
 承句で述べた梅のことを更に転句で発展させるならば、梅に対しての別の面(例えば香りとか)を出したいですね。

 また、起句から見れば作者は室内から庭を眺めている形だと思いますが、結句の「連山」という視界は明らかに屋外です。この場所の移動を感じさせるような記述が転句にあると、全体のまとまりが生まれ、春の風景を描いた詩になると思います。

2008. 5.30                  by 桐山人






















 2008年の投稿詩 第124作も 忍夫 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-124

  白梅        

山辺一路入横斜   やまのべの一路 横斜に入る

玉質玲瓏野夫家   玉質玲瓏たり 野夫の家

恍惚佳人迎我笑   恍惚 佳人 我を迎へて笑ふ

暫時難別有情花   暫時 別れ難し 有情の花

          (下平声「六麻」の押韻)

<解説>

 奈良の田舎道を遊歩している時に道を間違えて、横にそれたところに素晴らしい白梅を見つけたので詠みました。

  山の辺の 道に迷ひて しらうめを 鄙に隠れし 佳人とぞ見る

 その時思いついた短歌です。

<感想>

 起句の「山辺」は固有名詞と一般名詞での掛詞の働きがあり、「やまのべの山道」という膨らみのある意味になるでしょう。

 承句の「野夫」「夫」が平声ですので、「二六対」が崩れています。

 転句の「恍惚」は、「幽かでぼんやりしている」という意味と「うっとりする」という意味があります。この場合は前半の記述から見れば、後者になるでしょうが、「佳人」が梅の比喩だとすぐに分かってもらえるかどうか、疑問です。
 結句の「難別」は言わずもがなの感情形容語です。「恍惚」を用いるならば、ここに入れた方が詩情は優るでしょうね。

2008. 5.30                  by 桐山人






















 2008年の投稿詩 第125作は 深渓 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-125

  三士誠忠之碑        

故山帰訪吉香碑   故山へ帰り訪ふ 吉香の碑、

刻績叙文識是誰   績を刻せし 叙文 識んぬ是れ誰ぞ。

経季曾孫茲就涕   季を経て 曾孫 茲に涕を就す、

紅楓凋落復奚悲   紅楓 凋落して 復た奚ぞ悲しきかな。

          (上平声「四支」の押韻)

<解説>

 またまた故郷岩国のことで、恐縮ですが宜しくお願い申し上げます。

 晩秋、故郷岩国の吉香公園を訪れ、その北側に建つ三士の誠忠の碑の各々の功績来歴を刻んだ碑文を読みました。
 没後百四十年を経て、その曾孫(作者)は往事を偲んで涕す。碑を蔽うような紅葉も、秋の終わりを告げるかのごとく凋落して、また何と悲しい風情だろうかと。

「三士」:岩国藩の南部五竹・東澤寫・栗栖天山。

<感想>

 「三士誠忠之碑」については、「深渓さんのホームページ」に紹介されていますね。
 承句は「文」が四字目の孤平になっています。「識是誰」とありますので、この碑についてはほとんど知られていないと読みますので、そういう意味では子孫である深渓さんが碑文を読み取られたことは、価値あることですね。

 転句の「就」は何と読むんでしょうか。「なす」ですと、物事を成就するという意味かと思います。

 結句の「奚」は、私も先日詠嘆形で使いましたので強くは言えないのですが、反語形で読まれることが一般的です。この字でなければならないのなら仕方ないですが、「深」「重」などの字が良いでしょうね。

2008. 5.31                  by 桐山人



深渓さんからお返事をいただきました。

 ご多忙中にも拘わらず鄙稿に、ご感想有難うございました。
承句の「識是誰」で「知」は支韻に気をとられ孤平を失念しました。 仰せのように承句と転句と結句の下三字を入れ替えました。

     三士誠忠之碑
  故山帰訪吉香碑   故山 帰り訪う 吉香の碑
  刻績叙文看是誰   績を刻せし 叙文 看るは是れ誰ぞ
  経季曾孫爰拭涕   季を経て 曾孫 爰に涕を拭ふ
  紅楓凋落復深悲   紅楓 凋落して 復た深く悲しき



2008. 6. 8               by 深渓




















 2008年の投稿詩 第126作は 謝斧 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-126

  対遺編        

小齋掩巻坐懷師   小齋巻を掩ひては 坐に師を懷ふ

三十年前初学詩   三十年前 初めて詩を学ぶ

執贄敲門最年少   贄を執り門を敲くは 最も年少

閑吟獨往涙空垂   閑に獨往を吟ずれば涙空しく垂る

          (上平声「四支」の押韻)

<解説>

 先日寄古書肆而需漢詩作法入門講座
帰家読編中之呂山草堂詩話 頗有益因賦一絶

 私が歳が一番若かったせいか、長編の詩が多いにも拘わらず本当に懇切丁寧に教えて頂きました。
 評隲の厳しさには畏れをなして閉口したこともありました。
 呂山老師にかぎらず、想えば多くの先生に師事出来たことは幸せだったと思います。

<感想>

 謝斧さんは二十代の頃に詩を学ばれたわけですね。
 私はせめてもう十年早く勉強を始めていれば良かったのに、と悔やむことしきりです。記憶力には自信があったのですが、五十歳を迎えた頃から本当に忘れっぽくなり、最近では、覚えたこと、読んだことがほんの数秒後には記憶から消えてしまうという悲しさを毎日味わっています。

 漢詩の大家のお名前も歴史上のものとなりつつある現在、その遺薫をどう後世に伝えていくかが現在の私たちの仕事だと思います。
 「多くの先生に師事出来た」謝斧さんだからこそ、その思いを伝えるべく、涙をお拭いになり、ご指導くださることを期待しています。

2008. 5.31                  by 桐山人






















 2008年の投稿詩 第127作は東京都武蔵野市の 東飛 さん、三十代の男性からの作品です。
 

作品番号 2008-127

  曙橋晩景        

春水潺湲薄暮聞   春水 潺湲として 薄暮に聞き

櫻花含雨共紛紛   桜花 雨を含みて共に紛々たり

鯉魚求食橋邉集   鯉魚は食を求めて橋辺に集まり

亀學閑人獨不群   亀は閑人を学んで独り群ぜず

          (上平声「十二文」の押韻)

<解説>

 自宅の前には玉川上水が流れ、この小川には処々に小さな橋が架かっています。曙橋は、家から最も近い橋で、春には川沿いの桜が見事です。餌を投げる人がいるのでしょう、橋に立つと沢山の鯉が大きな口をパクパク空けて群がってきます。そんな中、一匹の緑亀が、悠々と水面に浮いている風情をみて、利を争う人々と、超俗の山人を見るような思いをいつも抱くのです。

<感想>

 掲載お待たせしました。

 詩の本文に入る前に、まず題名に心が動きますね。「曙橋」「晩景」という、何とも矛盾した組み合わせが、漢詩とは思えない情緒を醸し出していると思います。

 さて、詩の感想ですが、前半の川沿いの景は、実際に桜を見ながら歩いているような感じですね。ただ、「潺湲」は水の流れる音を表す言葉ですので、末字の「聞」は当然と言えば当然で、詩の中で働いていないと思います。
 また、承句の「共」も、何と何が「共に」なのかはっきりしません。起句の「春水」を「聞く」ということで意識したのでしょうが、逆に言えば、この「共」が無い方が句意はすっきりします。

 後半の「鯉魚」「亀」の対比は分かりやすいですね。「求食」は、魚が群れるのは普通「食を求める」わけですので、この二字も省いても良いでしょうが、「利を争う」を強調するために敢えて入れたということならば納得できます。
 結句については、「閑人」は、作者自身を指していると多くの人は解釈すると思います。しかし、それでは「俗利を超越したこの私を、亀がお手本にして」という感じになり、威張っているみたいになります。作者以外の「山人」だと読者に理解してもらう必要がありますが、そこまで要求できるかどうか。

 魚や亀と言った生き物を人間の姿に例えるという発想ですので、感覚的に理解して欲しい部分でもあります。あまりくどくどと説明するような形ではなく、この詩は五言絶句が適しているように思います。
 そうした観点で一度推敲されたらどうでしょうか。

2008. 5.31                  by 桐山人



東飛さんからお返事をいただきました。

 鈴木先生
拙作のご批評、ご指導有難う御座いました。
 ご多忙の中、いつも適切かつ懇切丁寧なご批評をされているのを日々ホームページを通じて拝見するにつけ、頭の下がる思いが致します。

 今までに作った詩は、家族以外には見せたことが無く、拙作が人の目に触れるのは、今回初めての経験でした。
 自分にとっては自明であると思えることや、自分にとっては適切と思える表現が、他の方には十分伝わらないのだということが、今回のご批評で良く理解できました。
 独りよがりに陥ること無く、また客観的な視線で自分の作品を見ることの難しさも痛感致しました。

 鈴木先生にご面倒をおかけするのは大変心苦しい思いですが、今後とも何卒ご指導戴ければ幸いで御座います。

2008. 6. 3             by 東飛





















 2008年の投稿詩 第128作は 博生 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-128

  嵐山竹林        

早春竹径寂無声   早春竹径 寂として声無く

窈窕煙霞幽趣盈   窈窕煙霞 幽趣盈つ

留杖時聴鐘韻遠   杖を留めて時に聴く 鐘韻遠し

塵心洗尽自生生   塵心洗ひ尽くし 自ら生生たり

          (下平声「八庚」の押韻)

<解説>

 早春の嵯峨野小倉山竹林の朝、小径を辿りて心澄む。

<感想>

 嵐山の風景が目に浮かぶようで、まさに心が洗われる気がします。
 とりわけ、詠い出しの「早春」と結びの「生生」が対応し合って、余韻が一層深くなっています。

 春の朝の竹林を描いた起句と承句は密度が濃く、この二句だけでも詩が完結しているような、力のこもった前半になっています。
 承句の「幽趣盈」が、その効果を高めていると思います。この語は感情形容語ですので、詩の最後に全体のまとめとして使われることが多い言葉です(そうした使い方を、普段私は好みませんが・・・)。その用法を逆手に取ったかのようなもので、「竹林の趣、ここに極まった!」と大見得をきったような印象です。

 そうした、ある意味飽和状態のようなところに、転句で「遠くの鍾の音」が更に加わるわけですから、これはもう、「塵心洗尽」となるしかありませんね。

 これだけ前半がまとまっていると、後半で息切れがして力負けすることが多いのですが、この詩では十分に向かい合って、詩の完成度を高めていると思います。

 気になる点は、起句で「寂無声」とし、一句置いて、転句では音が出てくる点です。どちらかの聴覚を外した方が良いと思うのですが、前半、後半それぞれで見るとまとまりのある句になっていますので、悩ましいところです。

2008. 6. 1                 by 桐山人



井古綆さんから感想をいただきました。

 博生雅兄、こんにちは。
 玉作を拝見いたしました。
 わたくしも30年ほど前に訪れました。嵯峨野の情景がよく現われていると思います。後は推敲を重ねることが大切であると感じました。

 わたくしの感じたことを述べてみますが、これが絶対ではありませんので参考にしていただければと思い筆を執りました。
 起句はどちらかと言えば承句の感じがしますので、「早春」「嵐山」「嵯峨野」の地名を入れては如何でしょうか。なお遊行という意味の言葉が必要な感じがいたしました。そこでわたくしは「歩朝晴」の語を考えました。

 承句は素晴らしい句であると感心しました。

 問題の転句ですが、率直に鐘の音を聞いたという表現がよいのではないでしょうか。そこで「遠寺鐘声破空寂」と考えました。「声」は冒韻になりますので「晨鐘」でもよいと思います。布石として起句に「朝晴」としました。個人的な好みでいえば冒韻でも「鐘声」がよいと思いますがわたくし個人では判断出来ません。

 結句の詩意はこれで良いと思いましたが、最後の「生生」の意味が少し不足しているように感じましたので、「清清」をもってきました。推敲を重ねたならば気が付かれると思います。

    試作  
  嵯峨竹径歩朝晴   嵯峨の竹径 朝晴に歩せば
  窈窕煙霞幽趣盈   窈窕たる煙霞 幽趣盈つ
  遠寺鐘声破空寂   遠寺の鐘声 空寂を破り
  塵心洗尽自清清   塵心洗い尽くして 自ずから清々

※起句「寂無声」の削除を、転句の「破空寂」で代用しました。

2008. 6. 2                 by 井古綆





















 2008年の投稿詩 第129作は 仲泉 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-129

  廃家        

庭際軒軒燕子飛   庭際軒軒 燕子飛ぶ

柴扉不語世情非   柴扉語らず 世情非なり

往時嘆惋愁人涙   往時嘆惋 愁人の涙

草屋静閑消息稀   草屋静閑 消息稀なり

          (上平声「五微」の押韻)

<感想>

 仲泉さんの今回の詩は、作者が何を伝えたいのかがどうもボヤーとしているという印象です。

 まず、この「廃家」と作者の関係が分かりません。「往時嘆惋」とありますので、「昔、嘆くことがあった」ということですが、涙を流すほどの嘆きとは何があったのでしょう。

 結句の「消息」「(人の)往来」あるいは「変化」の意味かと推測しますが、だから何なのか、というと分からなくなります。

 私の判断で言いますと、「世情非」「愁人涙」の二つの表現が大げさ過ぎるために、作者の思っている感情が等身大に出てこられないのではないでしょうか。
 そうではなく、二つの表現が正しい、ということでしたら、他の語や句にもっとふさわしい重さを持たせなくてはいけません。

 また、承句の「柴扉不語」と結句の「草屋静閑」が同じことを言っているわけで、内容が深まらず、舌足らずの感じをどうしてもぬぐえない状態です。

 何というか、それぞれの言葉が勝手にばらばらと動いていて、手をつないで一つにまとまろうという気配が無い、そんな感じがします。

2008. 6. 1                 by 桐山人



井古綆さんから感想をいただきました。

 仲泉雅兄、こんにちは。

 玉作を拝見いたしましたが、難しい詩題であることを認識いたしました。わたくしは浅学ですのでこの「廃家」に近い詩題では劉禹錫の「烏衣巷」しか存じません。
 それにまねて試作してみましたが、思うようになりませんでした。はたして参考になりますでしょうか。

    試作 廃家  
  昔日栄華表廃扉   昔日の栄華は 廃扉に表れ
  旧家没落映斜暉   旧家の没落は 斜暉に映ず
  流光不管人間事   流光は管せず 人間(じんかん)の事
  春季軒前燕子帰   春季 軒前 燕子帰る

 「流光」: 月日の流れ

2008. 6. 2             by 井古綆





















 2008年の投稿詩 第130作は 緑風 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-130

  迎盂蘭盆悼厚估夫人     盂蘭盆を迎へ厚估夫人を悼む   

蝉吟喧噪夏雲悠   蝉吟 喧噪 夏雲悠か

懐古涙新花影浮   懐古すれば 涙新たに 花影浮かぶ

可知自是蘭盆節   知る可し 是より蘭盆の節

故婦霊棚悼詩嘔   故婦の霊棚に悼詩嘔ふ

          (下平声「十一尤」の押韻)

<感想>

 緑風さんがこの詩をお作りになった事情を私は存じませんが、こうした哀悼の詩や贈答の詩に関しては、作者のお気持ちが何よりも大切だと思っています。言い足りないことがあるなら加える、これで良しと思われるならそれが一番良い作品ですので、内容につきましては何も申し上げることはありません。

 形式に関わることのみ書かせていただきます。

 転句の「蘭盆節」「盂蘭盆」が全て平声のための処置かと思いますが、「蘭盆」という省略形は許されるでしょうか。梵語の音訳ですので文法上の構造を私は知りませんが、どうなのでしょう。位置を変えて「盂蘭盆」のまま使われるのがよいと思います。

 結句の「故婦」は亡くなった方を指すのでしょうか、「故友」があるから良いのかな?。ちょっと気になりますし、承句に「花影」がありますから、省いてもいいと思います。

 転句で「粘法」を崩したのは認められますが、結句の六字目の「詩」で「二六対」が破られるのは良くないですね。

2008. 6. 3                  by 桐山人






















 2008年の投稿詩 第131作は 玄齋 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-131

  午下驟暖        

野寺午陰風較暄   野寺の午陰 風やや暄かに

幾條梅朶返香魂   幾条の梅朶 香魂を返す

輕寒微醉歸途裏   軽寒 微酔 帰途の裏

斜日遙山殘雪痕   斜日の遥山 残雪の痕

          (上平声「十三元」の押韻)

<解説>

 春の暖かくなってきた頃を想像して作りました。

<感想>

 午後になって急に思いがけず暖かさを感じたという題名の詩ですが、早春の素材として「(春)風」「梅香」「軽寒」「残雪」と過不足無く並べて、一つの完成した景を描いていると思います。
 ただ、これだけ素材を揃えたならば、転句の「軽寒」は承句と重なるような気がしますので、歩いている道の実景を入れるか、何か虚字を用いると良いでしょうね。

 起句の「較」は私がルビを振りましたが、副詞用法で「やや」という意味です。

 

2008. 6. 5                 by 桐山人



玄齋さんからお返事をいただきました。

 鈴木先生、ご指導ありがとうございます。

 「輕寒」を改め、承句とかぶらないように配慮してみました。 以下のように変更しました。

  野寺午陰風較暄   野寺の午陰 風較(やや)暄かに
  幾條梅朶返香魂   幾条の梅朶 香魂を返す
  漸醒微醉歸途裏   漸く微酔を醒ます帰途の裏
  斜日遙山殘雪痕   斜日の遥山 残雪の痕

2008. 6. 7             by 玄齋


井古綆さんから、感想をいただきました。

 玄齋雅兄こんにちは。
 玉作を拝見いたしました。
推敲された後、何方も感想を差し上げていませんので敢えて筆をとりました。

 このホームページでの詩歴を拝見いたしました処、まだ日も浅いにも関わらず熱心に作詩されていることに、助言をして差し上げたく思いました。
 雅兄もお書きのように、物に触れての想像をヒントに作詩されているようですが、ほとんどの詩人がそのようにしていると思います。
 「吉野三絶」で有名なお三方も恐らくはそのようにされたと思います。熟読してみれば正にそのように管見いたします。では何故人口に膾炙されているかと申し上げれば、その作品が秀でているからに外なりません。叙情詩では作者の思うままに作ればよくとも、叙景詩は一般の常識に沿わなくてはならないと思います。と言うのは簡単ですが非常に難しいことで、これを克服することは推敲を重ねるしかありません。

 当詩では結句の「残雪痕」が最も理解に苦しみます。

 また転句についていえば、上四字「漸醒微酔」とするならば、承句と転句の間に「酒を飲んだ」ことを表す語が必要ではないかと感じました。
 そこでわたくしは差し出がましくも、以下のように試作して見ましたのでお役に立てれば幸いです。

    試作
  野寺梅庭日暖暄   野寺の梅庭 日暖暄
  南枝遍発召吟魂   南枝遍く発いて 吟魂を召く
  酣筵半醒帰途浝   酣筵半醒すれば 帰途浝(ぬれ)る
  澗水潺湲融雪源   澗水 潺湲 融雪の源

「暖暄」: 暖も暄もあたたかい。暄暖は熟語にあるのでひっくりかえした。
     (例、安泰泰安、健康康健、兄弟弟兄など)


2008. 6.16              by 井古綆


玄齋さんから井古綆さんへのお返事です。

 井古綆先生、ご指導ありがとうございます。
 先生の試作を拝見すると、僕の推敲作の反省点がよくわかります。

 「微醉」がかかる部分が無いので、お酒を飲む場面を作る必要があるというところと、結句へのつながりが甘かったというところは、特に反省したいと思いました。
 起句と承句も試作の方がすっきりしてわかりやすいと思いました。

 次回以降はもっと四句のまとまりに気をつけて作っていこうと思います。
 ご指導感謝いたします。これからもよろしくお願いいたします。

2008. 6.17              by 玄齋





















 2008年の投稿詩 第132作は 青眼居士 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-132

  後鳥羽上皇        

嘗吟春景小江湄   嘗て春景を吟じたまふ 小江のほとり

晩靄風情是最奇   晩靄の風情 是れ最も奇なりと

聳秀詩才宇内聞   聳秀の詩才 宇内に聞こへ

雄強武徳知名馳   雄強の武徳 知名馳す

賊兵震地侵京府   賊兵 地を震はせて京府を侵し

龍剣揮師護殿帷   龍剣 師を揮って殿帷を護る

戦敗幽囚流竄島   戦敗れ 幽囚 流竄の島

望郷無那暮天悲   望郷 那ともする無し 暮天悲し

          (上平声「四支」の押韻)

<解説>

 嘗て水無瀬の離宮のある水無瀬川のほとりで「みわたせば 山もとかすむ みなせ川 ゆふべは秋と なにおもひけむ」とお歌いになった。
 豊かな詩才と武芸の練達を併せ持つ、才気に富んだお方であった。
 承久の乱で鎌倉幕府に敗れ、流された隠岐の島で暮れ行く空を眺めながら、かつて遊んだ水無瀬の離宮や都の生活を懐かしまれたが、詮ないことであった(都に帰ることはなかった)。
 離宮跡のある地元に育ちましたので、後鳥羽上皇のことはよく聞かされていました。

 はじめて律詩を試みました。

<感想>

 「新古今和歌集」撰集の院宣を下された後鳥羽上皇は、ご自身が非常にすぐれた詩人であり、流された隠岐の島でも「新古今」の編纂を続けられたことはよく知られていますね。
 引用された「みわたせば・・・」の歌は「水郷春望」という題で「詩歌合せ」をした時の歌と「新古今」の詞書には書かれています。漢詩と和歌を合わせて競い合ったと聞くと、王朝の人々がいかに教養が深かったかをうかがい知る思いがします。
 現代の方が、漢詩は漢詩、和歌は和歌、俳句は俳句というような感じでジャンル分けが強く、悪く言えば縄張り争いみたいな雰囲気がありますね。
 漢詩も作るし和歌も作る、自分の心を表現するアイテムを沢山持っていれば、それだけ楽しみが増える。私はそう思って、「漢詩を創ろう」と呼びかけているつもりです。
 もちろん、それぞれに奥が深いし、現代人は古の貴族のように時間がたっぷりあるわけではないし、だから一つの形式を身に着けるだけでも大変だ、ということは分かります。でも、漢詩や和歌の専門家になるのなら別ですが、そうでなければ、アマチュアの強みで、自分の表現の幅を広げるつもりで良いのだと私は思います。
 ジャンルを超えると浮気をしているような罪悪感とか、あるいは修行僧のような一心不乱さを強制するようなことは、実は現代だけの特殊な意識で、かつての日本人はもっと素直な形で詩に向かっていたのではないかと思います。
 このサイトに投稿される皆さんには、色々な形式に挑戦されていて自由な発想をお持ちの方が多く、私は教えられることが多いなあと思っています。自分で言っては申し訳ないですが、このサイトを立ち上げて本当に良かったと感じることが多いです。

 話が変な方に進んでしまいましたね。詩の感想に行きましょう。

 初めての律詩とのことですが、七言律詩の難しさに負けずに、律詩にふさわしい内容になっていると思いました。
 頷聯の「知名馳」は下三平になっていますし、「知」は冒韻ですので、入力間違いでしょうか。

 尾聯は整った良い句だと思います。

2008. 6. 5                 by 桐山人



井古綆さんから感想をいただきました。

 青眼居士雅兄 今日は。
 玉作を拝見いたしました。
初めて律詩に挑戦されたとか、起承転結が整っていて実に素晴らしい佳詩であると感心いたしました。
 拝見すればこの詩題に近くお住まいであることも、この佳詩を賦することに寄与しているのではないでしょうか。

 以下は律詩に挑戦を志す諸兄のためにあえて衒学を述べてみます。
 わたくしは和歌にはそれほど知識はありませんが、起聯は上皇の代表的な歌を提示して人物像を紹介していて、絶句の起句にふさわしい詠じかただと思います。「風情」はこの場合は和臭ではありません。

 頷聯はまさに絶句の承句に相当し、詩の構成に申し分ありませんが、第3句の「詩才」が少し惜しく思います。「文才」もしくは「歌才」がよく、「宇内聞」は「高雅聴(こうががきこゆ)」では如何でしょうか。

 第4句の「知名馳」は「令名馳」としたいと思います。推敲を重ねて、更に日時を置いて推敲すればまた新たに欠点が発見できます。わたくしは夜中に目覚めた時、頭のなかで詩を思い出しながら復誦します。日中の雑念が消えていて良い結果が生まれます。

 頸聯は絶句の転句に相当していて、構成上問題はありません。私見といたしましては「賊兵震地」は有名な「捲土重来」の「捲土」を使用したほうがよいように思いました。

 尾聯はなにも言うことはありません。この尾聯によって後鳥羽上皇の不運を忖度された作者の真情が表現されていて、読者の心を打つものと感心いたしました。やはり詩の巧拙は最後の詩句によります。当詩の場合は「悲」が総てを表し、更に加えて「暮天」を措辞したことで収束が完全になったと瞻仰いたします。

 なお「後鳥羽上皇」を詠った神戸市の女性の絶句があり素晴らしい詩ですので、何時か皆さんに紹介したいと思っていましたので付記します。

    後鳥羽上皇      神戸一閨秀之玉作
  流謫天涯尚撰歌   天涯に流謫されて 尚お歌を撰す
  欲期歸洛莫如何   帰洛 期せんと欲すれど 如何ともする莫(な)し
  水無瀬月隠岐海   水無瀬(みなせ)の月 隠岐の海
  三十一言悲憤多   三十一言 悲憤多し

2008. 6. 6            by 井古綆





















 2008年の投稿詩 第133作は 博生 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-133

  花下閑吟        

吟杖迷花聴渓声   吟杖 花に迷ひて 渓声を聴く

濃春日落暮烟横   濃春 日落ち 暮烟横たふ

風光幽賞別天地   風光 幽賞 別天地

一酔陶然忘世情   一酔 陶然として世情を忘る

          (下平声「八庚」の押韻)

<解説>

 吉野山の下千本、中千本の喧騒を抜けて奥に入ると緑林に点点と淡紅が刷かれ閑静な別天地、清気に触れて浩然の気。

<感想>

 吉野の「奥千本」は博生さんが行かれた時には、まだ盛りの前だったのでしょうか。満開の花のあでやかさとは異なる落ち着いた雰囲気が感じられます。
 そのせいか、「花下閑吟」という題名の割に花の具体的な描写が少ないようです。ただ、それは難ということではなく、好みの問題かもしれません。吉野と聞いてしまったからかな、別の土地ならば気にならない可能性もあります。

 承句の「濃春」は、この句だけを見れば問題は無いのですが、その直前の「聴渓声」を受けるならば、奥深い山の景を入れたいところですね。

 他の句はどれも佳句だと思います。

2008. 6. 5                 by 桐山人






















 2008年の投稿詩 第134作は東京都の 風雷山人 さん、五十代の男性の方からの作品です。
 

作品番号 2008-134

  秋宵訪友        

夬夬清涼錦繍秋   夬夬清涼 錦繍の秋

初更誦読小書楼   初更の誦読 小書楼

成蹊月影興何尽   成蹊の月影 興何ぞ尽きん

兌卦悠悠終日遊   兌卦 悠悠 終日遊ぶ

          (下平声「十一尤」の押韻)


二〇〇八年卦  二〇〇八年二月一七日
二〇〇八年 得夬兌之卦

<解説>

 私は生業は会社員で、普段はプログラムを開発していますが、学生時代以降30年余り、易学(主に宗の邵雍の易)の研究をしています。毎年立春を過ぎると一年の計を立てます。
 本年も、例年の如く、一年の計を立卦して「澤天夬」の三爻を得ました。

 易の別表現では「夬、兌へ之く」といいます。卦意からすれば、大いなる決断の後兌(悦)びに至る、といったところです。

 これをふまえて、初心者のくせに、得卦の夬、之卦の兌の卦名を入れながら、占断の意味を失わない様に作詩しようとしてかなりの苦作になってしまいました。

 詩をはじめた本来の目的が、このような事にあるので、本道を歩む方々からみればかなり無茶かもしれませんが、依頼占でいくつか試してみたところ、依頼者の受けも上々で、皆さん「漢詩なんて、高校の時以来です」と仰って喜んでくださっています。
 とはいえ、いつまでも語呂合わせでやる訳にはいかないので、今後はもっと研鑽して詩としても十分通用する物が書ける様になりたいと思っています。

 初心者の勝手な妄想かもしれませんが、七絶の形で表現すると、卦意を表現するのにも簡潔で重厚な意味が乗せられるので、非常に便利で深い面白味も感じています。

   澤天夬 三爻

  得卦   互卦   之卦
  - -   ---   - -
  ---金  ---金  ---金
  ---   ---   ---

*---   ---   - -
  ---金  ---金  ---金
  ---   ---   ---
  澤    乾    兌
  天    為    為
  夬    天    澤


<感想>

 風雷山人さんは、今年から漢詩を創られるようになったということですが、お手紙では「現在、一ヶ月100首位のペースで漢詩集を読み、週に2、3首位のペースで作詩練習を重ねています」とのことでした。勉強熱心なご様子ですので、私も刺激になります。

 易の方は私には分かりませんが、詩は今年になって始められたとは思えない整ったものになっていますね。
 気になる点としては、結句だけが独立している感が強いことです。転句までの静寂感と「悠悠終日遊」の明るさがつながらず、「良い卦が出たから突然楽しくなった」というような印象になります。
 この下の五文字で詩全体を締めくくりますので、そうした意識で推敲されると良いのではないでしょうか。

2008. 6. 5                 by 桐山人






















 2008年の投稿詩 第135作も 風雷山人 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-135

  春吉日送友人     春吉日友人を送る   

残寒漸去緑烟新   残寒 漸く去りて緑烟新なり

軽暖東風草色匂   軽暖 東風 草色匂ふ

春気懐郷三万里   春気に懐郷す 三万里

賢才集宴送名人   賢才宴に集ひて名人を送る

          (上平声「十一真」の押韻)

<解説>

 漢詩を作りはじめて2ヶ月とちょっとが過ぎ、練習でようやく数首書いてみた頃です。
 2008年3月 プロジェクト応援のため北九州から応援に来てくれたNさんが、任務を終えて無事戻ることになったので送別会の時本人に贈った詩。

<感想>

 起句の「漸」「次第に」という意味で、「やっとのことで」という意味はあてません。漢詩の場合、どちらとも取れそうな用法もありますが、作る側は区別はしておかなくてはいけません。

 承句の「軽暖」は次の「東風」に包含されている言葉です。起句の「残寒」「漸去」で「季節の変化」は示されていますから、ここは具体的な景が欲しいところ、少なくとも「軽」の字は不要でしょう。
 末字の「匂」「匀」の間違いでしょうか。「匂」は国字ですので、漢詩では使えません。

 転句の「春気」「懐郷」へのつながりとしては「春季」の方が良いでしょう。
 「三万里」についてですが、「里」は単位として唐代では五百メートル程度、いくら詩とは言え、誇張が過ぎるでしょう。
 私の感じでは、「十里」で「平地で目に見えるくらいの距離」、「百里」で「高いところから見回したくらいの距離」、ここまでが具体的に目で見ている距離でしょう。「千里」になると、もう実際には目視できない、イメージとしての距離感になりますが、杜牧の「千里鴬啼緑映紅」の「千里」が「江南の地方一帯」を表すように、かなり広い感覚です。
 「万里」は更に遠くになりますので、これはもう「天地の東の端から西の端まで」というイメージ、それが「三万里」ですと地球を一回りというところでしょうか。
 いっそ「春気三万里」ならば、「世界中に春の気が満ちた」と取れるでしょうね。

2008. 6. 5                 by 桐山人






















 2008年の投稿詩 第136作は 忍夫 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-136

  観梅於二条城        

画中泉石二条城   画中の泉石 二条城

三月為梅遊午晴   三月 梅の爲に午晴に遊ぶ

暖気潤肌春日麗   暖気 肌を潤して 春日うららけ

東風吹面暗香清   東風 面を吹きて 暗香清し

屈身徐踏佳人影   身を屈して 徐かに踏む 佳人の影

澄耳不期黄鳥声   耳を澄ませば 期せず黄鳥の声

但惜無朋倶闘句   但だ惜しむらくは倶に句を闘はす朋の無し

孤吟漸識暮寒生   孤吟 漸く識る 暮寒の生ずるを

          (下平声「八庚」の押韻)

<解説>

 二条城の庭園に観梅のでかけたときのこと。

 春の日差しは暖かく、風に運ばれて梅の香り。
 身をかがめて、梅の木の下をくぐれば、どこからともなく鶯の声。
 共に詩を論ずる友があれば、いっそう楽しいだろうが。一人詩作に没頭していれば、もうじき日暮れ時。

 春梅を観に景色のよいところに出かけるのは楽しいですが、連れがいるといっそう楽しいですね。

<感想>

 首聯の「画中」は、「絵に描いたような」ということかと思いますが、文字通りの意味に取る可能性が高いでしょうね。
 「為梅」も回りくどい感じがします。「観梅」とストレートに述べた方が良いでしょう。

 頷聯は、わざわざ梅を見に行ってるわけですので、どこからともなく漂ってくる「暗香」は不自然でしょう。

 頸聯の「佳人」は知り合いではなく、通りがかりの人でしょうが、尾聯の「無朋」が生きてこないので、ここは調整が必要です。

2008. 6.11                 by 桐山人



井古綆さんから感想をいただきました。

 井古綆です。
 全体的に拝見すれば、構成は整っていると思います。後は推敲を重ねることのみに有ると感じられます。試作をいたしましたので、ご参考になればと思います。

    試作二条城観梅
  翹望訪問二条城   翹望して訪問す 二条城
  窈窕紅梅映午晴   窈窕たる紅梅は 午晴に映ず
  暖日悠揚韶気満   暖日 悠揚 韶気満ち (韶気は春の美しいけしき、麗はダブル)
  春風駘蕩漾香清   春風 駘蕩 漾香清し
  凝眸激賞美人影   凝眸 激賞 美人の影    (影はかげではなく姿)
  側耳恍聴黄鳥声   耳をそばだてて恍として聴く 黄鳥の声
  惜只三嘆向誰語   惜しむらくは只三嘆 誰に向かって語らん
  忘機徙倚夕陽傾   機を忘れて徙倚すれば 夕陽傾く

 第一句、「翹望(ぎょうぼう)訪問二条城」としました。翹望とは鶴首、延頸などと同じく首を長くして待つことです。
 第二句、「窈窕たる紅梅は午晴に映ず」としましたが、紅梅の存在は不明ですので庭梅でもよいでしょう。
 第三句、「暖気」より「暖日」のほうが「東風」との対句にはよく、次句の「潤肌」、「吹面」ではスケールが小さいように感じます。よって「暖日悠揚韶気満つ」「春風駘蕩漾香清し」といたしました。
 鈴木先生のご指摘のとおり、「暗香」では不自然です。「漾香」は熟語ではなく造語しましたが、「清香漾う」の語が不自然ではないので造語しました。
 第五句、「屈身徐踏佳人影」では観察者(作者)の動作が終結していないように感じられましたので、第六句とともに「凝眸激賞美人の影」「側耳恍として聴く黄鳥の声」としました。佳人は「梅」にたとえたと思いましたが、梅の別名は「美人」です。「佳人薄命」を「美人薄命」とも言うので混同されたのでしょうか。また「恍聴」は造語ですが辞書を検索しましたならば「恍遊・うっとりして遊ぶ」の語がありそれに準じました。
 第七句は語順が間違いでしたので、「惜しむらくは只三嘆誰に向かって語らん」として、第八句は、詩の締めくくりとして「機を忘れて徙倚すれば夕陽傾く」としました。「徙倚」は低回、徘徊などと同じ意味の語(ただし徙倚シイは仄韻)です。

 以上試作してみましたので参考になれば幸いです。

2008. 6.16             by 井古綆





















 2008年の投稿詩 第137作は 深渓 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-137

  書憤海上自衛隊        

模弾撃隤心上天   模弾を撃ち隤して 心天に上り、

新艟無敵蹴漁船   新艟 無敵と漁船を蹴とばす。

自操航路貪安逸   自操の航路 安逸を貪り、

莫傲如今非昔年   傲る莫れ 如今は昔年に非ず

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 この句は事故発生間もなく詠みましたので時遅れの感ですが投稿いたしました。

 最新鋭のイージス艦「あたご」はハワイ沖でミサイル模擬弾を打ち落として意気揚々と帰還するも、内海に入っても自動操舵で漁船に衝突沈没させました。一連の隠蔽工作ともとれるぶざなな行動に憤りを覚え、やる方なく一句を賦しました。

<感想>

 二月十九日にイージス艦「あたご」が漁船に衝突しましたが、漁船の乗組員であったお二人の葬儀が行われたのはつい先日の五月二十九日だったそうです。

 事故当時の海上自衛隊の行動に不審・不信の思いを抱いた方も多かったと思います。いらだたしさを深渓さんが漢詩で表されたものです。

 起句の「心上天」「蹴漁船」あたりは口語のままに書かれていますので、難はありますが、読み下しに怒りの勢いが出ていますね。
 結句の「如今」は、「昔とは違うぞ」という強調の役割は分かりますが、ここは「何が」昔と違うのかを示された方が良いでしょう。

2008. 6.11                  by 桐山人






















 2008年の投稿詩 第138作は 常春 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-138

  柿田川        

渾渾湧水柿田川   渾々たる湧水 柿田川

往昔勸工汚惠泉   往昔工を勧めて恵泉汚れる

久故民心熱誠至   久故の民心 熱誠至り

今蘇清冽秀天然   今蘇る 清冽 秀れし天然

          (下平声「一先」の押韻)

<感想>

 柿田川は静岡県清水を流れていますが、長良川・四万十川と共に日本三大清流の一つとされています。富士山の湧き水は東洋一の湧出量と言われます。しかし、豊富な清流のために工場が進出し、汚染が進み、清流を取り戻すために1980年代からナショナルトラスト運動が起き、成果が清流が戻ってきたそうです。
 常春さんからの説明は、次の連作に詳しく書かれていますので、私の方からこれくらいにしておきましょう。

 「久故」は「古くからの友達」、清流化の活動に熱心に取り組んでこられた方々でしょうね。

 結句の「秀天然」ですが、「秀」「清冽」をぼかすようです。「天然」を客語(目的語)として用いるような方向が良いでしょう。

2008. 6.11                  by 桐山人



常春さんからお返事をいただきました。

鈴木先生、お世話になります。

「柿田川」についてご教示 ありがとうございました。

 「今蘇る清冽」でも、「今蘇る天然」でもと「秀」で繋いだのは失敗でした。
下三字を「是天然」とします。

 昨秋、吟詠の会で修善寺に遊びに行く途中、柿田川に立ち寄り、ボランティアの方の熱のこもった、柿田川浄化運動のいきさつを伺いました。
 柿田川から修善寺までのバスの中で作り、昼食時に披露しましたが、このときに字あまりに困って「秀」を使いそのままになってしまいました。

 もう一つ、承句の下三「汚恵泉」ですが、原詩では「汚染専」としていましたが、投稿時にあらためました。
 撤退した企業が後始末せず、県も町も取り上げなかったことから起こった民間の柿田川浄化運動ですから、憤激の情をこめる「汚染専」でもよかったのかな、いや詩としては「汚恵泉」かな、と今も迷っています。

2008. 6.13              by 常春


井古綆さんから感想をいただきました。

 常春雅兄、玉作を拝見いたしました。
 少なからず疑問点がありましたのでその理由を訝しく思っていました。
 説明文でバスのなかでの二三時間で作詩されたとか、とてもわたくしなどには出来ません

。  この文を拝見して思い出しました。
 かつて和歌山県の成道寺のご住職であり又漢詩の大家(作詩歴五十年以上)でいらっしゃった「高橋藍川師」とお弟子さんとの対談を読んだことがあります。
 「先生は吟行の際にどのように作詩なさいますか?」というお弟子さんの問いに対し、「転句のみを書き留めて帰る」と藍川師はおっしゃってました。
 「転句のみを書き留めたならばどのような韻をもってきても作詩できる」とも述べられていました。
 五十年以上の大ベテランで、戦前より月刊誌「黒潮集」を主宰されていた大詩人でさえもこのようになさっていました。
 わたくしは高橋藍川師の余香を拝せんと、はるばる和歌山の山中を尋ねたことがあります。先師のご子息で高橋湘川師がお寺を継いでいらっしゃって、少なからず薫陶をいただきました。

2008. 6.27               by 井古綆





















 2008年の投稿詩 第139作は 常春 さんから、「柿田川觀察會」と題された連作です。
 

作品番号 2008-139

  其一 謝觀察會呈會長翁        

梅花品字水中藻   梅花品字 水中の藻

希蝶珍蜻遊宿草   希蝶珍蜻 宿草に遊ぶと

持久自然交苦辛   自然持久の苦辛を交え

悦談熱語紅顔老   悦談熱語す 紅顔の老

          (上声「十九皓」の押韻)

<解説>

 柿田川は富士箱根からの地下水が市街地に湧出して、日量100トン、狩野川に合流するまで1,200メートルの短い渓流、一級河川。(財)柿田川緑のトラストによって管理され、在来種の保護、水源涵養など、四季を通じて保護活動が行われている。

「梅花藻」: キンポウゲ科の水生多年草
「品字藻」: サンカクナ、ウキクサ科の多年草 ともに絶滅が危惧される。























 2008年の投稿詩 第140作は 常春 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-140

  其二 在來種保全        

浦島垂絲草可憐   浦島糸を垂れる草可憐

梅花品字藻纖鮮   梅花品字の藻繊鮮

在來生態今希少   在来の生態 今希少

歩歩用心融自然   歩歩用心自然に融せん

          (下平声「一先」の押韻)

「浦島草」: サトイモ科の多年草、陰湿地に生える。





















 2008年の投稿詩 第141作は 常春 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-141

  其三 水源涵養        

拾種育苗心意丹   種を拾ひ苗を育てる心意丹し

炎天刈草汗顔歡   炎天草を刈り顔に汗して歓ぶ

水源涵養慮雄勁   水源の涵養 慮雄勁

富嶽春秋共湧湍   富嶽の春秋 湧湍と共にあり

          (上平声「十四寒」の押韻)

<感想>

 ナショナルトラスト運動の起きたのが1980年ということですので、もうすぐ三十年。それだけの歳月をかけて、川の自然がようやく戻って来たということでしょう。
 その間に運動に関わってこられた方々のご苦労は並々ならぬものだったことと思います。

 常春さんの連作は、どの詩も温かみが感じられ、自然を守ることの喜びがひしひしと伝わってきます。大声で訴えかけるような力みが無く、その分事実の重みと説得力が出ているのではないでしょうか。

2008. 6.11                 by 桐山人






















 2008年の投稿詩 第142作は 嗣朗 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-142

  背割桜     背割りの桜   

四面花天歩歩軽   四面花の天 歩歩は軽し

男山清水聴新鶯   男山 清水 新鶯を聴く

吟心一路微風渡   吟心は一路 微風は渡り

千古長堤背割桜   千古の長堤 背割りの桜

          (下平声「八庚」の押韻)

<解説>

 京都府八幡市の石清水八幡宮の麓を流れる二つの大川「宇治川と木津川」はここで合流する。
 この二つの川の中州の堰堤が背割りで、二キロの桜街道となっている、四月のシーズンともなれば花見客で賑わっていた。
 又、川縁の芳の茂みの中から聞こえてくる鶯の鳴き声は、遥か昔を思い出させてくれた。

<感想>

 起句はスケールの大きな佳句ですね。

 「背割り」はもともとは「魚を背から切り開く」ことから来た言葉でしょうから、堤が二つの川を切りひらくように見えるのでしょうね。
 結句に固有名詞として「背割桜」と置かれたことで、この名称をご存知の方には味わいのある詩となっているでしょう。
 私は申し訳なくも知りませんでしたので、最初拝見した時には、幹が割れている桜の老木かと思ってしまいました。

 固有名詞は、その漢字の意味が視覚的に働きますので、用いるのが難しいところです。その場所に来た記録、記念として名を詠み込みたい、というお気持ちもよく分かりますし、そういう目的の詩も当然あるべきです。
 ただ、詩の内容とそぐわない字が使われている時には、注意が必要でしょう。この詩の場合には、「背割」は「長堤」を形容した言葉であるため、齟齬が起きているわけです。
 同じことは承句の「男山」にも言えるわけで、石清水八幡宮が男山の麓にあることを知らない人には理解できないことで、予備知識無しに漢字だけで読もうとすると「男」の字は働いてきません。
 一方「清水」は地名であると同時に、「清らかな川の流れ」を感じさせますので、「聴新鶯」との対応が整います。
 今回の詩は全体として非常に趣のある構成になっていて、完成度も高いと思われます。「男山」「背割」と場所を限定しなくても、十分に楽しめる詩になっている分、この二語がもったいないように感じます。
 承句は「青山」「翠山」など山の様子を描く言葉にし、結句も「万朶桜」「満眼桜」にすると、より多くの人に愛唱される詩になると思います。

2008. 6.13                  by 桐山人



井古綆さんから感想をいただきました。

 嗣朗雅兄今晩は。
 玉作を拝見して、石清水八幡宮の駐車場まで行ったことを思い出しました。長い階段だったので参詣は諦めました。玉作によって背割り桜のことを知ることができました。
 鈴木先生の感想はわたくしにとっても大変に勉強になります。固有名詞を入れることの難しさが良く理解できました。
 以下は蛇足になりますが、浅見を述べてみます。

 起句、「花天」は立派な熟語ですので「花の天」としないほうがよく、「四面」も悪くはないのですが、花天を修飾する「爛漫・歴乱・繚乱」などがよいように感じます。

 承句は、起句とのつながりが少し足らないように思いますので、「行く行く山水を迎えて啼鴬を聴く」とすればつながるかと思いました。
 なお「新鴬」は季節にズレているように思います。梅の季節であれば「新鴬」で合いますが、この詩の場合では「流鴬・遷鴬・鳴鴬・啼鴬」があります。

 転句、「吟心一路微風渡」では結句につなげる詩意ではないように感じられました。転句のみで状態の完結をするように、「一陣の吹風 紅雨と作り」とすれば、原因(一陣の吹風)があって結果(紅雨と作り)で状態が完結します。
 若し転句をこのようにすれば、起句の「花天」の措辞が遠すぎます。この場合「花天」は承句に措辞したほうが理解されやすいと思いました。

 結句、詩題の「背割桜」とありますので、結句に「背割」は入れないほうがよいと思います。このように申しましたならば、結句が余りましたので、以下のようにまとめてみました。
 お役に立てれば幸いです。

    試作
  吟筇漫歩伴啼鴬   吟筇漫歩すれば 啼鴬を伴ひ
  観止長堤繚乱桜   観は長堤に止どまる 繚乱の桜
  一陣吹風作紅雨   一陣の吹風 紅雨と作り
  詩情併賦惜春情   詩情併せて賦す 惜春の情

 ※「紅雨」は桜の花びらが雨のように降ることで、「霏霏たる紅雨」などと表現します。そのためには承句に「繚乱」などを布石したほうがよいと思います。
 詩の収束として「惜春情」にしたため、平起こりに平仄を変更しました。

 なお、鈴木先生の感想の最後の部分にのべられていますが、固有名詞を入れなくても、詩が立派であれば人口に膾炙される例には、かの有名な『荒城の月』があります。
 作詞家の土井晩翠は仙台の青葉城趾をモデルに作詞し、作曲家の滝廉太郎は豊後竹田の岡城趾をヒントに作曲したと伝えられていますが、特定する固有名詞は入っていないので広範囲に愛唱され、却ってそのほうがよかったかもしれません。

2008. 6.16                by 井古綆


嗣朗さんから推敲作をいただきました。

鈴木先生・井古綆先生、今晩は
拙作に対し親切なご指導有難うございます。

固有名詞の扱い方に対しては悩んでいましたが、すっきりした感じがします。しかし未だ独りよがりの漢詩つくりで、旅日記として其処の地域の固有名詞を使ってしまいます。

 今回の漢詩の推敲結果は

    背割桜
  四面花天歩歩軽   四面 花天 歩歩軽し
  澱江清水伴啼鶯   澱江の清水 啼鶯伴う、
  吟心一路微風渡   吟心は一路 微風は渡り
  千古長堤万朶桜   千古の長堤 万朶の桜。

2008. 6.18            by 嗣朗





















 2008年の投稿詩 第143作は 井古綆 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-143

  初夏即事        

三春一夢已薫風、   三春 一夢 已に薫風、

兎走烏飛韶景空。   兎走 烏飛 韶景空し。

楊柳参差彩新緑、   楊柳 参差 新緑を彩り、

鵑花的歴布深紅。   鵑花 的歴 深紅を布く。

頡頏燕子軒前急、   頡頏けっかうせる燕子は 軒前に急ぎ、

沃若龍孫厨下充。   沃若よくじゃくせる竜孫は 厨下に充つ。

晏起悠然忘塵事、   晏起 悠然 塵事を忘れ、

茶煙縷縷揺青穹。   茶煙は縷々と 青穹に揺らぐ。

          (上平声「一東」の押韻)


「頡頏」: 鳥が飛び上がり飛び降りるさま。
「沃若」: みずみずしく、つやつやしているさま。
「竜孫」: たけのこ。
「晏起」: 朝おそく起きること。

<感想>

 初句の「三春一夢已薫風」がまたたく間に春が過ぎ去った感を出していて、読者は一気に初夏の世界に引き込まれますね。
 次の句の「兎」は「月」、「烏」は「太陽」を表す言葉(「兎烏」「烏兎」)で、月日が流れたことを更に念を押す形です。

 頷聯は「参差」の「双声語」、「的歴」の「畳韻語」で対を作っていますね。

 首聯で「韶景空」とした詩人の感懐は、尾聯に来て「悠然無塵事」という心境へと変化するわけですが、頷聯・頸聯の初夏の景物の描写がそこをつなぐわけで、そうした心の推移も感じさせる工夫がされています。
 大きな時間軸と細やかな時間軸が織り合わされた詩になっていると思います。

2008. 6.13                  by 桐山人



鮟鱇さんから感想をいただきました。

 井古綆先生
 玉作「初夏即事」拝読しました。

 鈴木先生の評に加えてになりますが、對句が心憎いまでに整い、律詩八句の構成にも動と靜の工夫が施されており、私は、大変な佳作だと思います。
 鈴木先生ご指摘の双聲、畳聲の對仗に加え、「楊柳」と「鵑花」、「燕子」と「龍孫」などなど、ここは初学のみなさんに申し上げるのですが、聯に緩みがありません。
 しかし、これに加えて強調すべきは、律詩八句の1〜6句を、春を送り夏を迎える四季のめぐりを動きのある句作りで連ね、7〜8句ではそれをスローダウンして靜に導き、詩の全体を収束されていることです。
 詩をどう余情のなかに収束させるかでは、先生は卓越した詩情があると小生はかねがね畏怖申しあげていますが、このたびの作も然り、感服いたします。

 また、作句にきちんと句読点を付されていること、この点では小生、いささか先駆申し上げておりますが、詩における二句一章をきちんと明示ことがいかに作詩の要であるか、という点で、嬉しい限りです。
 おそらくは短歌俳句の影響だと思いますが、句読点をうるさいと思われる方がわが国には多く、わたしには理解できないのですが、句読点を付そうと付すまいと自作の巧拙がそれで変わるものではない、ということが、わが国の詩人にはよくおわかりいただけていないと思えます。
 句読点を付すか付さないかは、うわべのこと、とすれば先生のようなお方に句読点を付していただくことは、初学の方々が詩の二句一章の構造を会得するうえで有益このうえないと愚考しております。

2008. 6.17            by 鮟鱇


井古綆さんからお返事をいただきました。

 鮟鱇雅兄、こんにちは。過分なる賛辞を有難うございました。
 このたびの作品に句読点を付したことに対しましては、雅兄のお考えと少しずれていますので、説明をいたします。

 わたくしは別のホームページの投稿には句読点を付けて投稿しております。それは昔より“郷に入れば郷に従え”のたとえがありますので、それに従ったまでです。鈴木先生のホームページでは句読点を抜いて掲載されていますのでそれに従っていました。雅兄はご自身のホームページをお持ちなので、自分の意思を貫いても問題はないと思いますが、わたくしは悪く言えば居候でよく言えば客分です。またこれ以外に我国の他の詩社との統一性などはわたくしには判断が出来ません。
 最近のテレビの字幕も句読点をつけなくなりました。これは時代の趨勢でしょうか。堅いことを言うようですが鈴木先生のお許しを頂きたいと思います。何故ならば鮟鱇雅兄の述べられていることにも一応の理由があります。
 それは雅兄が以前より推奨されているように、二句一聯をもって詩意の完結することを作者自身が認識できます。このことにつきましては、以前にも点水さんの「早春」への感想で書かせていただきました。

 さて、拙詩についてですが、「三春一夢已薫風、兎走烏飛韶景空」「三春一夢已薫風、窈窕紅梅落尽空」(ただし紅は重出になる)としても一応の詩意に違和感はないと思いますが、これでは第三句の対句の領域を侵します。
 絶句でも承句の立場が重要です。
 絶句、律詩の別なく、第一句及び第二句は詩の締めくくりである転句結句への導入部であり、これを石川忠久先生は、「舞台装置が整った」と常々仰っていました。
 これをうまく措辞することで転句の詩意が生かされるか否かに別れるところです。

 この文のまとめとして最後に頼山陽が説いたといわれる絶句をつくる際の至言を再度書き添えます。
 (起句)京の五条の糸屋の娘、
 (承句)姉は十七妹は十五。
 (転句)諸国諸大名は弓矢で殺す、
 (結句)糸屋の娘は眼で殺す。

2008. 6. 28            by 井古綆





















 2008年の投稿詩 第144作は 忍夫 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-144

  遊歩於武庫川堤        

心閑四月鳥歌辰   心閑かなり 四月 鳥歌ふとき

花片舞来衣上塵   花片舞ひ来りて 衣上の塵

途上自追胡蝶影   途上自ずと追ふ胡蝶の影

霞中只楽水村春   霞中只だ楽しむ水村の春

長堤一路微風快   長堤一路 微風快く

両岸千枝錦浪新   両岸千枝 錦浪新らし

麗日勝遊労歩履   麗日の勝遊 歩履を労せり

桜陰暫語釣魚人   桜陰に暫し語らへり釣魚の人と

          (上平声「十一真」の押韻)

<解説>

 武庫川のさくら回廊Walkに参加し二十六キロの行程を歩いた時のことです。
 四月の麗日、満開の桜の中を何も考えずにひたすら歩いておりますと、自然の恩恵に素直に感謝したい気持ちにさせられます。
 歩き疲れたころ、桜の木の下で釣りをされている人と暫く世間話をしました。

 鈴木先生、井古綆雅兄、拙詩「庭梅」にご丁寧な論評いただき有難うございました。浅学につき、今後ともご指導よろしくお願いします。

<感想>

 春の穏やかな一日、ゆっくりと遊歩する作者の視点がそのまま見えるようで、ほっとするような詩ですね。

 句の並べ方で見ますと、頷聯の「途上」は、堤を歩いているという記述がその前にありませんので、やや唐突な印象です。頸聯で初めて事情が分かるわけですが、ここは先に「堤」の風景を述べて欲しいところです。
 そういう意味では、「途上」「水村春」のような総括的な表現のある頷聯と、具体的な情景描写の頸聯を入れ替えるような構成の方が、収束に向けても落ち着いたものになるでしょう。
 同じことで言えば、具体的な「胡蝶影」と総括的な「水村春」の対も、もう一工夫できそうな気がしますね。

 尾聯はうまくまとめられていると思います。

2008. 6.16                  by 桐山人



井古綆さんから感想をいただきました。

 この度の玉作は措辞に問題が多いように感じました。
 鈴木先生がご指摘のように唐突に措辞してあるように思います。

 第二句に「花片」を措辞するには、第一句に「桜」を布石しなければなりません。それとともに「心閑」はここに出すには早いと思います。

 第三句の「途上」も唐突な感じがします。
 第四句は詩意の説明が不足している感じがいたします。

 第五句は読者に充分理解できる句だと思いますが、次句「千枝」はやはり唐突な感じがします。
 ネット上で詩題を検索いたしましたならば、26キロも歩かれたとか、お疲れの状態を第七句に説明されていますが、これは詩情を減却して最も避けるべきと思います。これを補うには第八句で詩情をプラスに変更すればよく、「麗日の勝遊 労悴するに非らず 最も良きは偶合す 釣魚の人に」などとすれば第七句のマイナスな感じが幾分か帳消しになるでしょう。
 わたくしは釣りをしたことはありませんが、雅兄が結句に「釣魚人」とされていましたので、太公望の故事「磻渓(ハンケイ)」を少しでも匂わすことができたならと、思った次第です。

 色々と注文を述べましたが、律詩は非常に難しく、この作品に成るまでには相当な努力をされたことと推察いたします。わたくしの過去を見るような気がいたします。

    試作 
  桜花散尽景光新   桜花散尽して 景光新たなり
  緑葉扶疎作暮春   緑葉扶疎として 暮春と作る
  胡蝶翩翻飛影乱   胡蝶 翩翻 飛影乱れ
  流鴬隠顕嬌声巡   流鴬 隠顕 嬌声巡る
  長堤茫漠軽風爽   長堤 茫漠 軽風爽やかに
  行客委蛇曲列伸   行客 委蛇として 曲列伸ぶ
  麗日清遊余興趣   麗日の清遊 興趣を余し
  忘機閑語釣魚人   機を忘れ閑語す 釣魚の人と

※熟語を多用しました
扶疎ふそ」: 木の枝葉がしげるさま
翩翻へんぼん」: 
隠顕いんけん」: みえがくれ
茫漠ぼうばく」: (長堤が)はるかなさま
委蛇いい」: まがりくねって行くさま

2008. 6.17             by 井古綆





















 2008年の投稿詩 第145作は 禿羊 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-145

  去伊賀     伊賀を去る   

        余於伊賀早朝薄暮、以騎自行車駆山野為日課

三年仮寓別離時   三年の仮寓 別離の時

散尽紅梅雨露枝   散尽の紅梅 雨露の枝

暁霧駆車黄葉道   暁霧 車を駆りし 黄葉の道

晴天睡草緑風陂   晴天 草に睡る 緑風の陂

乾壺日日真慚愧   壺を乾かす日日は真に慚愧にして

窃禄年年只忸怩   窃禄の年年は只忸怩たり

何歳黄公壚畔席   何れの歳か 黄公壚畔の席に

交杯歓笑旧懐披   杯を交わし 歓笑して 旧懐を披かん

          (上平声「四支」の押韻)




<解説>

 小生、三年間勤めた伊賀での仕事を三月末に退職しました。
 大した能力もない小生を暖かくサポートしていただいた上司、同僚に感謝の気持ちで一杯です。
「慚愧」は有難いの意味(宋代の俗語)で使用しました。


<感想>

 三年間の生活への惜別の気持ちが、第二句の「散尽紅梅雨露枝」に象徴的に表されていると思いました。
 しかし、その感傷を引きずるのではなく、過ごした日々の思い出や同僚の方々への気持ちを描いて、尾聯の明るさへと導いていく構成は、禿羊さんのお気持ちの流れそのもので、おだやかな気持ちになりました。

 「乾壺」は何のことなのか、私は分かりませんでしたので、また、お教えください。

 尾聯の「黄公壚」は、酒を売る店を表す言葉ですが、『世説新語』の故事を引かれたわけで、竹林の七賢の王戎が阮籍や嵆康と一緒に酒を飲んだという場面を髣髴とさせ、作者の皆さんへの思いが伝わってきますね。

2008. 6.23                 by 桐山人



禿羊さんからお返事をいただきました。

 鈴木先生、無用の推求をお煩わせしてまことに汗顔の至りです。

 実は「窃禄」の対句として、土地の人たちから受ける親切をどう表現するかに苦労していたのですが、どうも思い到りませんでした。
 それで諦めて、毎日酒壺を空にするという意味で「乾壺」としたのですが、勝手な造語でした。推敲が足りなかったと反省しております。
 頸聯についてはまだ意にそまぬ状態ですが、取りあえず「傾樽」に変更させていただきます。

2008. 6.24            by 禿羊





















 2008年の投稿詩 第146作は サラリーマン金太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-146

  四万十川舟遊        

蜻蛉相従楽舟航   蜻蛉相従へて舟航を楽しみ

兩岸行看秋草黄   両岸ゆくゆく看る 秋草黄なるを

前山風爽大河緩   前山 風爽やかに 大河緩やかに

舷上傾觴想故郷   舷上 觴を傾けて 故郷を想ふ

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

 平成十六年十一月、松山市との合併(平成十七年元日)を前に、高知県西土佐村を北条市議会事務局一行で訪問し、ご当地の議会関係者と交流をしました。いわばお別れ遠足です。
 その西土佐村も今では中村市と合併し四万十市となっています。

 川の流れに過ぎしおよそ20年の奉職の日々と、北条閉市の現実を想いかぶせ、名残の宴を船上で催しました。

<感想>

 解説を拝見すると、色々な思いがこの詩には籠められているようですが、詩そのものからは、四万十川の秋、悠然とした清流での舟行が目に浮かびます。

 旅の記録、叙景の詩としては十分な内容だと思いますが、結句の「想故郷」がやや気になりました。
 どうして故郷を思い出したのか、その心の動きを読者は詩中の言葉から追うしかありません。前半の叙景も印象的ですから、さらに転句の「大河」も働いて、おそらく一般的には「作者の故郷にもこんな大きな河が流れていて、こんな景色を昔見たのだろう」と考えると思います。
 そのとおりであるならばそれで良いのですが、穿った見方をすれば、「俺の故郷にもこんな大きな河が流れていた」と言っているようで、名だたる四万十川への思いが薄くなってしまう気がします。
 それを避けるならば、転句の「大河」「水行」にすることでしょう。
 ただ、そうやって読んでみても、「想故郷」の唐突感が完全に収まるわけではありませんから、ここは、やや思いが走りすぎたというところでしょうか。

2008. 7. 3                 by 桐山人



井古綆さんから感想をいただきました。

 サラリーマン金太郎雅兄 今日は。
 雅兄の解説を拝見して公務員として長年奉職されたことを改めて尊敬申し上げます。
 最近公務員の不祥事が露見して、マスコミを賑わしていますが、ほとんどはサラリーマン金太郎雅兄のような真面目なお方であろうと思います。わたくしは一介の野人として過ごしてきました。したがって雅兄の心裡を推察することは出来ませんので、あくまで詩の28字のことのみを考えての妄批となることご了承して頂きたいと思います。

 まず鈴木先生ご指摘の「想故郷」について考えてみました。このままでは詩意にそぐわないように感じられますが、若しかして釣りのお好きなお方であると仮定して、次の詩を考えました。
 (なお玉作は拗体になっております。名詩にも拗体はありますので一様に否定はできませんが、出来ましたならば避けたいと思います。又推敲してどうしても使用しなければならない時は別ですが、結句の「觴」は冒韻になっています。)

     試作 四万十川舟遊
  蜻蛉遠近伴舟航   蜻蛉 遠近 舟航に伴ひ
  両岸行看秋草黄   両岸行く行く看れば 秋草黄なり
  羨望悠悠太公並   羨望す悠々 太公の並ぶを
  解冠何日想家郷   解冠何れの日か 家郷を想ふ

「羨望」: 望は仄韻に使用のため冒韻ではないと思います。
「太公」: 廣漢和によれば太公は→太公望と載っていたので(注)をすれば通用すると思います。
「解冠」: 挂冠、官を辞すること。

 次のような転句結句でも考えてみました。

     試作
  蜻蛉遠近伴舟航   蜻蛉 遠近 舟航に伴ひ
  両岸行看秋草黄   両岸行く行く看る 秋草の黄なるを
  颯颯西風度酣宴   颯々たる西風 酣宴を度る
  奇岩怪石送迎忙   奇岩 怪石 送迎忙し

 更に叙情詩で考えましたが、事実と乖離しているかもしれません。

     試作
  双州吏友了怱忙   双州の吏友 怱忙を了し
  共樂舟遊諼日常   共に舟遊を楽しみ 日常をわする 
  辛苦三年流逝水   辛苦 三年 逝水に流し
  歓娯一刻侑離觴   歓娯 一刻 離觴を侑す

「双州」: 愛媛県(予州)と高知県(土州)をさす。これ以外に表現が出来ませんでした。
     あとは説明文で解説しなくてはならないでしょう。
「吏友」:両県内の公務員同士
「諼」: わすれる
「侑」: 酒をすすめる
「離觴」: 別れのさかずき。傾觴では、たださかずきを傾けるだが、「離」を使用すれば意味が深まる。

<作詩解説>
 以前よりわたくしは常に結句から作るようにと述べていますが、正しくは結句に最も重要な韻字を確保しなければならないことです。
 結句を作るにはその詩意の原因となる転句が必要です。即ち転句(原因)があって結句(結果)で詩意が終結します。

 石川忠久先生のお言葉を借りれば、起句承句は、転句結句(即ち主役)が登場するための舞台装置であると常に述べられていました。
 この詩の場合は「舟遊」がそれに相当します。ゆえに作詩するに当たって先ず雅兄が町村合併に尽力されたことを「辛苦三年」の語を考えました。次にこの「舟遊」でもってその苦労が終結する句に仕上げる必要があります。そこで「辛苦三年流逝水」としたわけです。

 雅兄の「・・・名残の宴を船上で・・・」の解説を結句に持ってきました。「歓娯一刻侑離觴」としましたが、推敲を幾度重ねたことでしょうか。
 最後に起句から作ります。舞台装置である町村合併の苦労を詠出しなくてはなりません。ここは作詩に当たって大変苦労したところです。
 何故ならば県をまたがって地方政治を詠じるには前例が無いように思います。そこで「双州吏友了怱忙」の句を得ました。

 承句は現実の舟遊を詠じ「共樂舟遊諼日常」で以って後は詩意に齟齬が無いかを推敲いたしました。
 広言するようですが結句の韻字を確保していなければ、詩が “尻すぼみ” になります。 諸兄のなかには未だ起句から作っているように感じられる詩もあります。
 是非とも結句(転句)から作ってみるようにお勧めいたします。

 わたくしは独学ですが “なぜ” を追求している中にその理由を発見することがあります。例えばなぜ起句のみに通韻が許されるのかと、疑問を抱いているとき “詩は結句から作るため起句に韻字が見当たらなくなり最も近い韻字を使用しても良い” ということでは無いか、と理解するにいたりました。
 その延長線上にあるのが “踏み落とし” であると理解しています。
 今から千年も前から行われていて、林逋の「山園小梅」によって発見しました。結句から作れば詩の巧拙を決める結句の韻字に困ること は無いはずです。

 また以前に、作詩するに当たって何を主眼にすべきかを述べたことがあります。
   http://tosando.ptu.jp/2007/toko2007-6.html#2007-164

 これが最も重要なことで取捨の難しさを説明した積りです。

 なお諸兄にお願いがあります。わたくしはただ皆さんより漢詩には僅か半日の長があるため、衒学を申しておりますだけですので、「先生」をおつけになることはお止めください。
 「雅兄」もしくは「さん」でお呼びくださればありがたく思います。

2008. 7. 6               by 井古綆





















 2008年の投稿詩 第147作は東京都世田谷区の 湘風 さん、五十代の男性の方からの作品です。
 

作品番号 2008-147

  聞杜鵑     杜鵑を聞く   

窓外遠聞杜于声   窓外 遠くに 杜于の声を聞く

小門暁出暖風軽   小門 暁に出づれば 暖風軽し

夜来白雨清天地   夜来の白雨 天地を清め

爽気陽光紅満城   爽気 陽光 紅城に満つ

          (下平声「八庚」の押韻)

<解説>

 鈴木先生の『漢詩 はじめの一歩』を購入させて頂いて以来、約一年が経過して、やっと完成した一首です。
 添削・御指導頂ければ幸甚です。

<感想>

 私の本を読んで、独学で漢詩をお作りになったとのこと、ありがとうございます。

 規則を本で覚えていただき、具体的な実践をこのホームページでしていただければ、こんな嬉しいことはありません。

 その規則のことでは、起句だけ、四字目の孤平になっていますので、お直しください。初稿でいただいた時には上四字は「窓外東風」でしたので孤平ではなかったのですが、推敲されている間につい見落としてしまったのでしょうね。

 「聞杜鵑」の題ですと、季節的には初夏になりますので、承句の「暖風」では合いません。「野風」「竹風」などでしょうか。

 転句の「夜来」は「昨夜からの」という時間経過を示し、「白雨」は「にわか雨・夕立」を表しますので、バランスが悪いでしょう。「細雨」「小雨」「蕉雨」など、いろいろありますので、探してみるのが良いでしょう。

 結句は「爽気」「陽光」がつながりがなく、名詞の羅列の感じがします。また、「紅」「陽光」を言い換えたものですが、表現としては直接的で雑な印象です。
 下三字は「光満城」とし、朝の空気がどんな感じだったかを上四字で表すと、落ち着いた結句になると思います。

 初めての漢詩でここまでお作りになったことは素晴らしいです。
 季節の風物に祖語が無いように注意して行けば、今後も良い詩が出来ていくと思います。頑張ってください。

2008. 7. 4                  by 桐山人



湘風さんからお返事をいただきました。

「聞杜鵑」に添削頂きまして、誠に有難う御座いました。

 詩語の稚拙さは、十二分に認識しておりましたが、平仄・時間の経過・自分の視点には十分注意を払ったにも関わ らず、多くの齟齬に驚き、未熟さを痛感しました。
 特に、孤平はショックでした。

 しかし、人生で初めてできた一首を掲載して頂き、御教示を受けました事は、大きな感動であり、今後への励みとなり ました。
 初歩の初歩に立ったばかりですが、先生の著書に記されている事を守り、勉強を続けてまいります。
向上心を持ち続け、「漢詩はじめの一歩」と共に「唐詩選」をいつも携帯して三多の看多を実践しております。

 自分がこれまでの人生で積み上げてきたものに自信を持って漢詩創作を続けてまいります。
引き続き、御指導・御鞭撻の程 宜しくお願い申し上げます。

2008. 7.13            by 湘風





















 2008年の投稿詩 第148作は 忍夫 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-148

  送別        

欲行難路一男児   難路を行かんと欲する一男児

性是剛毅志不移   性是れ剛毅にて 志を移さず

臨別敢言君莫去   別れに臨んで敢へて言ふ 君去る莫かれと

春宵対酌又何時   春宵対酌するは又何れの時ぞ

          (上平声「四支」の押韻)

<解説>

 学生のころより二十年来、親しくしていた後輩が、やりたいことがあるからと地位を擲って去っていきました。
 昔から強情なところのある奴でした。
 お子さんもまだ小さいので、考え直したほうがよいと、水をさすようなことを言ってしまったことを、少し後悔しております。
 彼の夢がかなって、また楽しく語らえる日を楽しみにしております。

<感想>

 若い方の転職はよく聞きますが、ある程度の年齢になられた方がこれまで積み上げたものを棄てるというのは、余程のご決心なのでしょうね。
 決断力もそうですが、「やりたいことがある」という情熱を保っておられることに、私はびっくりです。羨ましい、という気持ちもありますが、それ以上に素直に感動してしまいます。

 お友達の意志の強さは、起句の「欲行難路一男児」がよく表していますね。「行」が下の言葉に較べるとやや甘い気がしますね。道を切り開くような言葉が良いのですけれど、「踰」あたりがどうでしょうか。

 承句は四字目の「毅」は仄声ですので、気を付けてください。

 後半は忍夫さんの惜別の気持ちが強く出ていますが、結句はこのままでは単に「再会を待つ」というだけですので、「楽しく語らえる日を楽しみにして」という感じがでるような言葉が欲しいですね。

2008. 7. 4                 by 桐山人



井古綆さんから感想をいただきました。

 玉作を拝見いたしました。ィヤー、雅兄の後輩にたいする親愛の情が悪い方向で、転句に表われましたねー!
 悪意は無いことは理解できますが、やはりまずいと思います。
 鈴木先生の感想は教育家としてのお立場で述べられていて、作者個人の気持ちを尊重されていますが、不肖わたくしは率直に申し上げていますので、お気を悪くなさらないでください。

 雅兄の解説を読んで、先輩としてのお気持ちは充分理解できました。
 以下は私見ですが、起句は率直に「転職」と表現したほうが良いと思います。
 問題は転句です。すなわち後輩の転職を引きとめようとする先輩の情がそのまま表われているように感じられます。
 転句の「去」は結句の後輩にたいする友情とに相反するように思いますので「君屈する莫れ」とすれば『送別』の情にマッチした詩になると思いました。

 後世に詩が伝えられるとすれば、解説などは伝えられませんし、作詩に要した時間なども議論の対象に成りませんので、推敲を重ねて出来うる限り詩意を具体的に総てを詠いこまなくてはならないと思います。
 例によって試作してみましたが参考になりますでしょうか。

     試作
  中年転職択新奇   中年の転職 新奇を択び
  惑幾逡巡聴已辞   惑ふて幾たびか逡巡して 已に辞すると聴く
  臨別寄言君莫屈   別れに臨んで言を寄す 君屈する莫れ
  功成対酌果何時   功成りて対酌するは 果たして何れの時ぞ

 ※起句に「新奇」と熟語にしましたが適当かどうかは分かりません。

 承句と転句の下三字が熟語でないので、せめて起句には熟語を使用したく思います。
なお転句の「寄言」は熟語にあります。熟語を多用すれば詩に風格が表われるように私見いたします。
鮟鱇雅兄が常にのべられていますが、二句が一章もしくは一聯でその間に齟齬が無いように作詩しなければならないと痛感いたします。

2008. 7. 6                by 井古綆





















 2008年の投稿詩 第149作は サラリーマン金太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-149

  惜堀之内前食堂悠留里閉廛   堀之内前食堂ゆるりの閉店を惜しむ 

月白風清濠水涯   月は白く 風は清し 濠水の涯(ほとり)

毎添肴菜酔相宜   毎(ごと)に肴菜を添へて 酔ふて相宜(よ)し

閉廛何料繁昌後   閉店 何ぞ料らん 繁昌の後

老媼曲腰情更滋   老媼 腰を曲げて 情更に滋(しげ)し

          (上平声「四支」の押韻)

<解説>

 単身赴任中のわが身にとっては、毎度の食事には頭を悩ませます。
そんな中、我が家からほど近い「ゆるり」という一軒のおふくろ食堂がありました。
毎回無添加手作りの和食日替わり定食が絶品で、よく通っておりました。

 が、その行き慣れたお店も昨年秋で閉店してしまいました。開店当初から10年を節目に辞めると決めていたそうで、これからは余生を楽しむとのことです。
 今でもあの味と、温厚なおばちゃんの笑顔が松山城南堀端を通るたびに頭をよぎります。

<感想>

 「ゆるり」というお店の名前からも、いかにもおふくろの温かさを感じさせてくれますね。閉店と言うことですと、金太郎さんの食生活は大丈夫なのでしょうか。

 さて、今回の詩は、拝見して疑問点が幾つかありました。厳しい言い方になるかもしれませんが、以下に書きます。

 まず、題名についてですが、この題名と起句がかけ離れていて、この詩で叙景がなぜ必要なのか分かりません。全体の主題から見ても、題は「堀之内悠留里食堂」と書くだけで留めるべきです。

 また、起句から承句へのつながりがありませんので、読者は解説を読まない限りついていけません。作者の目には通い慣れた食堂の店構えが見えているのでしょうから、それを起句に少しでも感じさせる配慮が必要でしょう。

 転句からようやく話の筋が見えてくるのですが、「繁昌後」は理解しにくく、通常ならば「繁昌裡」でしょう。

 結句はお店のおばちゃんの人柄を出されているのですが、「曲腰」「情更滋」は作者の意図ではどうつながっているのでしょうか。この文面では、「腰を曲げると情が深くなる」としか私には読めません。
 また、この結句が転句の後に置かれているのも変で、本来から言えば、承句と組み合わされる句だと思います。

 解説に書かれた内容はそれなりに詩に描かれてはいますが、何となく、性能の悪い翻訳ソフトを使った時のような違和感があります。詩であるからには、読者に伝わるような配慮や丁寧さがもう少し必要な気がします。

 これを初稿として、今後に推敲を進められると良いでしょう。

2008. 7. 9                 by 桐山人






















 2008年の投稿詩 第150作は 劉建 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-150

  播種        

春至耕鋤忽鶺頏   

応知播種候干糧   

無端何啄蚓螻也   

人智不如萬物穰   

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

 春になって、畑を耕していると鶺鴒が下りた。
恐らく種を播くのを知り、糧を求めて機を窺っているのだろうよ。
意外にも、何とみみずを啄んでいるではないか。
人の考えている事など万物の豊かさには及びもしないな。

 播いた種など興味がなく、耕せばみみずがいることを知っている鳥の習性に対して、ささやかに敬服しました。
人は何時も対象(鳥を盗人だと思った)を擬人化する悪い習性があるんですよね。

【蚓螻】インロウ=みみずの異名(講談社・大字典1955頁)

<感想>

 新しい発見は、私たちに感興を呼び起こしてくれます。
 今回の詩は物語性があり、前半の「どうせ播いた種を狙っているのだろう」という思いが、転句で大逆転、最後は人知を超えた自然の豊さへと感動が移る全ての句の構成は、読者によく伝わります。

 形式の点では、各句の頭が全て平字になっていること、結句の四字目が孤平になっていることですので、その点だけ直されると良いでしょう。

2008. 7.11                  by 桐山人