2009年の投稿詩 第151作は 井古綆 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-151

  祝鳩山首相誕生        

薫陶尊父訓尊翁、   薫陶は尊父 訓(くん)は尊翁、

期待清修上相公。   清修を期待されて 相公に上る

全國馳車爭與野、   全国に車を馳せて 与野を争ひ、

中原逐鹿決雌雄。   中原に鹿を逐(お)ひて 雌雄を決す。

鞠躬盡瘁初心貫、   鞠躬尽瘁(きっきゅうじんすい) 初心を貫き、

捲土重來優勢攻。   捲土重来(けんどちょうらい) 優勢に攻む。

豈料政權矛盾滿、   豈に料らんや 政権 矛盾満ち、

焉知令色信疑充。   焉んぞ知らん 令色 信疑充つるを。

願排仍舊澆憐涙、   願はくは仍旧(じょうきゅう)を排して 憐涙を澆(そそ)ぎ、

庶計維新救困窮。   庶(こいねがわ)くは維新を計って 困窮を救ふを。

友愛傳承弘博愛、   友愛の伝承は 博愛に弘め、

須衝世界送仁風。   須らく世界に衝(むか)って 仁風を送るべし。

          (上平声「一東」の押韻)



「訓」: 庭訓の心算なのでクンと読む。
「薫陶」: 徳を以って人を感化し、優れた人間をつくること。
「尊父」: 故鳩山威一郎氏をさす。 
「尊翁」: 故鳩山一郎氏をさす。
「清修」: 行いが清くて修まっている。
「相公」: 宰相の尊称。
「与野」: 与党と野党。
「中原」: 天下の中央の地。ここでは帝都東京。
「逐鹿」: (チクロク)ここでは政権を争うこと。
「鞠躬尽瘁」: 心身ともに尽くして国事にはげむ。
「重来」: 前回の選挙より。
「政権」: 政権公約をさす。
「矛盾」: 巷間ささやかれている院政・三党党是強行一致など。
「(巧言)令色」: 口先がうまく、顔色をやわらげて人を喜ばせ、こびへつらうこと。
        仁の心に欠けることとされる。
「信疑」: 信じてよいやら、疑ってよいやら。
「仍旧」: 古い習慣にそのまま従う。
「維新」: ここでは今までに無いような政治手法を勘案実行する。
「友愛」: 祖父故鳩山一郎翁が公職追放された昭和21年頃に提唱した身内だけの友愛。


<解説>

 去る九月十日、この詩を作っている際に、某テレビでいわゆる『音羽御殿』の影像を拝見しました。
我が国においては初めて見る、まるで外国のお城のような豪邸でした。

 話変わってこの詩の第五句は、古来人口に膾炙されている「臥薪嘗胆」と措辞していました。意味は「ごろごろした薪の上に寝て、苦い肝をなめる」という非常に苦労をして物事を成功させる意味です。ところが音羽御殿の影像を拝見し、この詩句では間違いであることにに気がつき、改めて『鞠躬尽瘁』なる語を大変な苦心の末見出しました。

 我国の総理大臣が立派な家にお住みになったかを問題にしているのではなく、何不自由なく育った総理が弱者や貧しい人々の気持ちを、理解できるか否かを危惧いたしました。
 然しながら、民主党には有能なブレーンとなる方々が多くいらっしゃるので、これからの政権運営に期待している次第です。
 あわせて第一句『薫陶は尊父 訓は尊翁』とは鳩山総理大臣に希望を託す作者の気持ちです。

 ただし一抹の不安もないわけではありません。
    http://www5a.biglobe.ne.jp/~shici/shi4_08/laixin555.htm 
    又は『未聞言動孰論非』を検索してください。


<感想>

 昨日、国連にて鳩山首相が演説を行いました。歴代総理大臣の中では、合格点の英語であり、また、内容としても核廃絶や環境政策に積極的に取り組むという日本の立場を明確にしたものであるとして、朝のテレビではどこも概ね好評でした。
 外国の人に自分の国の首相を説明するのに、何となくためらいや羞じらいが出ることからは、ようやく救われたという気持ちです。

 新しい政治が始まって、実際に私たちの生活が変わっていくのかどうかは、しばらくは見守って行かなくてはいけないのでしょうが、選挙で選んだということで言えば、前回の小泉劇場の総選挙も同じであり、投票したことによる国民の責任の重さを(逆の意味で)思い知らされたこの四年間、私たちも学習効果を発揮して、政治に目を向けていかなくてはいけませんね。

 解説にお書きになったように、「鞠躬尽瘁」は難しい言葉ですね。諸葛孔明の『後出師表』に「鞠躬尽瘁、死而後已」ありますように、「命がけで国事に取り組む」ことを表します。

2009. 9.25                  by 桐山人






















 2009年の投稿詩 第152作は 深渓 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-152

  称一郎     イチローを称える   

九歳連綿二百工   九歳 連綿 二百の工(わざ)

前人未踏是英雄   前人 未踏 是れ英雄

平生研練君知否   平生の研練 君知るや否や

快挙茲称蓋世功   快挙 茲に称さん 蓋世の功を

          (上平声「一東」の押韻)

<解説>

 九年連続二〇〇本安打。あの清躯で強靭なる心身は日日の研練にあり。一朝にして成されたものに非ず。
 一〇七年ぶりの世紀を超る不滅の記録なり。
 感余りて一気呵成に駄句をなせり。

<感想>

 前の井古綆さんの詩とともに、九月のニュース作品でしたので、先に掲載させていただきました。

 イチロー選手の活躍については、深渓さんは以前にも「賛美二六二」で詩作されていましたね。

 改めて「一〇七年ぶり」と言えば、その間誰も破ることのできなかった記録ということですから、本当にすごい人だなぁと感心します。日本はまだ「坂の上の雲」の時代の話ですから。

 しかし、イチロー選手自身も、そして周囲(私たちも含めて)も、この記録はまだ通過点、これから何年でもまだ続いていくだろうと自然に思っているわけで、これもすごいことですね。
 改めて、「称一郎」です。
2009. 9.25                  by 桐山人






















 2009年の投稿詩 第153作は 井古綆 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-153

  弘川寺懷古        

投擲勇名掏法名、   勇名を投擲して 法名を掏(えら)び、

武人剃髪使人驚。   武人の剃髪は 人をして驚かしむ。

挂冠衛府邪淫戀、   衛府(えふ)に挂冠するは 邪淫の恋か、

留別妻児何奈情。   妻児と留別するは 何奈(いかん)の情ぞ。

棲隠洛京迷妄去、   洛京に棲隠して 迷妄去り、

周遊各地秀歌盈。   各地を周遊して 秀歌盈(み)つ。

菟裘知命従容逝、   菟裘(ときゅう) 命を知り 従容として逝く、

依舊櫻花散月明。   旧に依って桜花は 月明に散る。

          (下平声「八庚」の押韻)




「弘川寺」: ひろかわでら。大阪府河南町弘川にある、西行法師終焉の寺。
「勇名」: 北面の武士佐藤義清(のりきよ)をさす。
「法名」: 円位。後の西行。
「衛府」: 近衛府、衛門府など奈良・平安時代に禁裏の警護をつかさどった役所。ここでは北面の武士をさす。
「挂冠」: ここでは官を辞すること。
「棲隠」: 隠棲。洛西、勝持寺をさす。
「迷妄」: 出家への心の迷い。迷いがあった為、暫く都に隠棲していた?(作者の私見)
「菟裘」: (終の棲処)隠棲の地。
「桜花」: 西行辞世の歌『願わくは 花の下にて 春死なむ その如月の 望月のころ』をふまえる。
     西行はこの歌の通り旧暦二月十六日に七十二歳で没したと伝えられる。
「月明」: 十六夜(いざよい)の月明かり。

<私見>

『邪淫』について、佐藤義清が出家した理由には、親友の急死に遭い無常を感じたという説が主流だが、失恋説もあり、これは『源平盛衰記』に、高貴な上臈女房と逢瀬をもったが「あこぎ」の歌を詠みかけられて失恋したとある。
 また出家の際に衣の裾にとりついて泣く子(四歳)を縁から蹴落として家を捨てたという逸話が残るが、これは後世に伝えるオーバーな表現(私見)だと思う。当詩では後説の「失恋説」を採った。

 前説の親友の急死では出家する動機が弱いが、後説の「失恋説」では義清が自分の教養のなさに愕然として、愛する妻子をも捨てて歌道に邁進して、後世に名を遺す西行法師となった。と採れば法師の気持ちが少し理解できるような気がする。

<解説>

 真瑞庵雅兄の「西行櫻」の作詩の経緯について「律詩に出来なかった」との一文を拝見して、わたくし作の「絶句・西行」を律詩に作り直そうと思いました。
 もし真瑞庵雅兄のあのお言葉が無かったならば、この詩想は湧かなかったでしょう。
 たまたま詩意がうまい具合になっていたので、第一句と第五句の間に四つの句を挿入しました。

 西行法師への知識が全くありませんので、非常に苦労しました。

<感想>

 この詩は、井古綆さんが「解説」でお書きのように、真瑞庵さんの「西行櫻」からの縁ということですので、真瑞庵さんの詩の「感想」欄に載せようかと迷ったのです。
 しかし、お寺の名前も違いますので、別の形でお示しした方が良いと思いました。

 「西行法師への知識が全くありませんので、非常に苦労しました。」とのことですが、西行法師としての軌跡を的確に描いていると思います。
 それが羅列的な印象を与えないのは、頷聯の出家の理由についての言及があるからで、ここに作者がのっと出てくるところが良いのでしょう。
 また、場所も終焉の地ですので、亡くなったことが当然意識としては大きくなりますが、尾聯の役割がそれをよく表し、回想の締めくくりという形で詩が落ち着いていると思います。
 ただ、私の気持ちとしては、この「如月望月」の日というのはお釈迦さまの亡くなられた日だったと思いますので、西行法師が望んだのは穏やかな春の光りの中だったのではないか、だとすると、「月明」がやや気になるところです。

2009. 9.25                  by 桐山人






















 2009年の投稿詩 第154作は 井古綆 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-154

  石清水八幡宮        

諸宮鎭靖在中天、   諸宮 鎭靖 中天に在(おわ)す、

夙受尊崇賽客連。   夙に尊崇されて 賽客連なる。

聖域森嚴並三社、   聖域 森厳 三社に並び、

御魂廟食歴千年。   御魂 廟食 千年を歴たり。

曾拕藜杖指山頂、   曾て 藜杖(れいじょう)を拕(ひ)いて 山頂を指し、

今用纜車衝嶺前。   今は 纜車(らんしゃ)を用ひて 嶺前に衝(むか)ふ。

清水八幡~コ晋、   清水八幡 神徳普く、

聲名浹洽久長傳。   声名 浹洽(しょうこう) 久しく長く伝ふ。

          (下平声「一先」の押韻)



「三社」: 伊勢神宮・賀茂神社と石清水八幡宮と。
「廟食」: 神と祭られること。
「藜杖」: あかざの(老人用の軽い)杖。
「纜車」: ケーブルカー。
「浹洽」: あまねく行きわたる。
「久長」: 長久。


<解説>

 以前に嗣朗雅兄玉作『背割櫻』への感想で石清水八幡宮の駐車場まで行ったことを述べました。
 この度、青眼居士雅兄の玉作『石清水八幡宮』を拝見して、ネット上を検索しましたなら、ケーブルが敷設されていることを知りました。そのネット上の知識のみで以下の詩を作りました。ですから参拝はしていません。

 第三句の「森厳」と第四句の「廟食」とは、熟考しましたが完全な対句には成りませんでした。

<感想>

 この詩も、青眼居士さんの「石清水八幡宮」の感想欄に載せようかと迷いました。韻字も同じなので意識されたのかもしれないと考えたのですが、やはり独立させて皆さんに読んでいただいた方が良いと思いました。

 石清水八幡宮は、このサイトの中だけでも人気スポットというところでしょうか。青眼居士さんの「月下遊水瀕」も舞台は八幡でしたね。

 第四句の「御魂」は、以前、石川忠久先生が『漢詩を作る』のご本の中で、梁川星巌の「芳野懐古」の詩を例にして、中の「御魂」を和語だと説明されていましたね。梁川星巌も使っているんだったら良いじゃないか、とも言えそうですが、推敲されるのが良いかと思います。

2009. 9.25                  by 桐山人



井古綆さんからお返事をいただきました。

 鈴木先生、ご高批有難うございました。

 鈴木先生ご指摘の「御魂」の措辞について、その経緯を皆さまに知っていただきたく筆を執りました。
澄朗雅兄の玉作において、和語の件で説明いたしましたにも関わらず、第四句に「御魂」と措辞いたしました。
この件について説明いたします。
 鈴木先生はわたくしの悩みました箇所を見通していらっしゃいました。まことに有難うございます。

 前聯の句頭「聖域と御魂」は最初の措辞では「霊域と神魂または精魂」としていましたが、第七句の下三字「神徳普」としていましたので、神徳を○コと色々考え、又同字重出も思案いたしました。
 作詩するにあたっては古来言われていますのは「詩眼」とか。わたくしは当詩についていえば「詩心」だと思っています。この「神徳普」を措辞しなければ只56字を羅列しただけとなります。
 したがって第四句の神魂を「御魂」にいたしました。

 前例としては菅公の「恩賜御衣」や、先生が述べられました、梁川星巖の「御魂香」があります。
石川先生は「御」を和語だとおっしゃるようですが、私見としましては中国古来からの宗教観の違いで「御」の字が定着しなかったのでは無いかと推測して、「御」は日本独特の文化だと思って措辞いたしました。
 当詩では尊崇の念をこめて「御魂」対語として「聖域」といたしました。したがって第一句も在を「おわす」と読みました。

 文が纏まりませんでしたが、作詩するに当たっては作者の最も重要視した詩意に、最適な語句を措辞しなければならないことを述べたく思い、筆を執りました。


2009. 9.26               by 井古綆





















 2009年の投稿詩 第155作は 一朶清純心 さん、二十代の男性の方からの初めての投稿作品です。
 お手紙には、「漢詩のサイトは多くありますが、上級者・初級者に関係なく親しめる説明の仕方・雰囲気・スタイルといったものを考えますと、貴サイトからはそれらがひしひしと伝わって来るように感じられました。」と感想を添えてくださいました。

作品番号 2009-155

  別離        

白衣織女玉為肌   白衣の織女 玉を肌と為す

秋杪従今且別姿   秋杪に今より且に別れんとする姿

含情紅袖千行涙   情を含む紅袖は千行の涙

風但吹身残月時   風はただ身に吹く 残月の時

          (上平声「四支」の押韻)

<解説>

 拗体になってしまいました。
 藤原定家の「白妙の袖の別れに露落ちて身に染む色の秋風ぞ吹く」を私なりに漢詩にしました。
 普段は和歌を詠んでおりまして、漢詩を和歌にしてみることもあり、平安歌人も同様のことを試みているわけですが、逆に和歌を漢詩にしてみたいと思いました。
 和歌に含まれる(読みとれる)「血の涙」をどう表現するか迷いました。

<感想>

 新しい漢詩仲間を迎えることができ、とても嬉しく思います。作詩経験も一年に満たないということですが、和歌を詠んでおられるからでしょうか、情と景の取り合わせに無理がなく、漢詩を作るにあたってのセンスを感じます。是非、今後も和歌だけでなく、漢詩創作も続けてください。

 さて、今回の詩は定家の有名な歌を素材に、漢詩にしてみたということですので、先に定家の歌の方を確認しておきましょうか。

 「白妙の袖の別れに露落ちて身に染む色の秋風ぞ吹く」

 「白妙の」は枕詞とも言われますが、漢詩の方でも「白衣」としておられますように、「真っ白の」と文字通りの解釈が良いでしょう。
 「袖の別れ」は「後朝(きぬぎぬ)の別れ」を表します。男女が一夜を共にした翌朝、お互いがそれぞれの衣を着て別れることからの言葉ですので、この歌の場合でも、男女が朝方に別れる場面だと分かります。
 そこに「露落ちて」と来ますので、別れの涙を流しているのです。この「涙」との関連で、その後の「身に染むの秋風」が「血の涙の紅」だと「読み取れる」となります。

 一朶清純心さんのこの漢詩は、こうした歌の事情を踏まえて、別れの朝の悲しみを詠もうとしたものですね。
 起句の「白衣織女玉為肌」で女性の美しさを出し、承句で今は別れの朝だと述べ、転句でその女性(「含情紅袖」)が「千行涙」を流しているという設定です。
 分かりやすいのですが、やや説明的な気もしますので、承句と転句の内容を逆にする構成も検討されると良いでしょう。つまり、前半で「美しい女性がはらはらと涙を流している」と述べ、どうしたのか?と読者に思わせたところで、涙の理由が出されるという展開です。
 漢詩は一つ一つの句で文が完結しますので、句をどう並べるかという構成(起承転結)で詩の印象が随分変わることもあります。それが楽しみ、面白さでもあります。

 結句の「風但吹身」はまさに「あはれなり」という感情が出たところですが、さて、これは誰の感懐なのか、というのが作者からの投げかけでしょう。
 涙を流している女性の思いなのか、それともそれを見ている男性の思いなのか。転句までの流れから行くと、男性の気持ちになりそうですが、私は女性の気持ちとしたいですね。
 「千行涙」は慣用的な誇張表現かもしれませんが、ともかく、一瞬で「千行」流れるわけではありませんので、この言葉は「長い時間、涙を流し続ける」ことを示しています。「含情紅袖」が泣き続けるのをずっと見ていて、その挙げ句の気持ちが「風但吹身」では、眠狂四郎のような(古いか?!)クールさで、その男に「おいおい、もうちょっと他の言い方もあるだろう」と言いたくなってしまいます。
 もう一つの理由は、和歌では「秋風」と言った時に、そこに男女の愛情が関わると「秋」「飽き」の意味を掛詞(かけことば)として読み取ることが多いからです。「飽きる」「飽きられる」、つまり、相手の心変わり、浮気を意味しますので、一朶清純心さんの詩の本歌である定家の歌も、男性の浮気心を恨んだ女性の気持ちが詠われたものを解釈できるのです。
 本歌の通りに作らねばならないわけでは勿論ありませんが、本歌を共通理解とした上での作詩・鑑賞ですので、もし(浮気)男の立場からの詩だと考えると、心変わりした男の開き直りのような冷たさが感じられ、またまた、「おいおい、それはないだろう」と言いたくなります。
 和歌の方で「飽き」の意味を取らないようにすれば良いのかもしれませんが。

 表現としては、承句の後半五文字だけがすっきりせず、もってまわったような言い方に感じます。詩の構成を含め、ご検討ください。

2009. 9.27                  by 桐山人



謝斧さんから感想をいただきました。

 原詩が助けているのでしょうか。
経験も浅いとおもわれますが、疵もなく二十代でこれだけの詩を作れるとは驚いています。
世界漢詩同好會のほうにも、ぜひ投稿をお願いします。

 老婆心ながら、雅号はかえたほうがよいとおもいますが。

2009. 9.28                 by 謝斧


井古綆さんからも感想をいただきました。

一朶清純心雅兄、はじめまして。
わたくしは馬齢を重ねるのみで、和歌への素養は全く有りません。
比べて、雅兄は教養を重ねてこられたことは、この素晴らしい漢詩を拝見して推測できます。

 浅学のわたくしが言うのはおこがましいことですが、和歌と漢詩は基本的に異なるように思います。
例えば「白衣」と「白妙」を比較しても白妙には優雅さがあることは、わたくしが言うまでもないことでしょう。
 そのあたりを割り切って考えることをお勧めいたします。

 鈴木先生が注意点を述べていらっしゃるので、浅学のわたくしが更に申し上げることは無いようですが、二箇所気がついた点を述べますと、起句の「織女」は織女星かと思いました。藤原定家が詠んだ歌であれば宮中の高貴な女性では無いかと思います。
 結句の「残月時」は時間が止っていますので時間の推移を表すほうが良いと思います。これはあくまで私見です。

 雅兄の第一作がこのように素晴らしいことは、今後の作品に期待してやみません。

2009. 9.29                by 井古綆





















 2009年の投稿詩 第156作は 謝斧 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-156

  懐長岡瀬風先生        

吾子詩無敵   吾子詩敵無し

清深首首全   清深首首全ったし

八叉捜好句   八叉好句を捜り

一詠染華箋   一詠華箋を染む

衆草空枯尽   衆草空しく枯れ尽し

孤松自卓然   孤松自ずから卓然たり

時人誰比数   時人誰か比数

獨継古唐賢   獨り継ぐ古の唐賢を

          (下平声「一先」の押韻)



「清深」: 清奇深遠
「衆草」: 衆草が枯れて、地に没したあと 卓然として孤松が現れる


<解説>

 「衆草」の句は本来三四句にもってくるべきですが、平仄の関係で五六句になってしまいました。
そのためか唐突感が生じたことは否めなせん。

 (已に知る)衆草の空しく枯れ尽し
 (枉げて擬す)孤松の自ずから卓然たりを

と読んで下さい。「衆草」は時人の多くの詩朋です。


<感想>

 長岡瀬風さんは、当サイトでも以前、多くの詩を読ませていただきました。
 昨年、お亡くなりになったことを謝斧さんからお聞きしました。直接お目にかかる機会もなかったのですが、背筋のキリッとした詩を拝見し、投稿される皆さんの先達のようなお方で、漢詩における私にとっての先輩という気持ちでした。
 心からご冥福をお祈りします。

 長岡瀬風さんのことを詠った詩として拝見すると、嘯嘯会でご一緒だった謝斧さんのお気持ちがとても伝わってきます。
 第三句の「八叉」は「腕組みを何度もすること」で、温庭筠の故事からの措辞でしょうか。

2009. 9.27                  by 桐山人



井古綆さんから、長岡瀬風さんを悼む詩をいただきました。

 謝斧雅兄の玉作を拝見して、瀬風先生がお亡くなりになったことを存じ上げました。

 瀬風先生とは直接には交友は有りませんでしたが、鈴木先生のこのサイトで早くから存じ上げ私淑していました。
 瀬風先生の数ある秀作の中で「初盆」は特に胸を打たれました。
 次韻して「悼詩」を、と考えましたがとてもわたくしは、はるか足元にも及びません。

 そこで、瀬風先生の作品を始めて拝見いたしました、上記の2001年国民文化祭において『第二位』の栄誉に輝いた作品に次韻させて戴き、長岡瀬風先生の功績を偲びたいと思います。

    悼詩 次韻長岡瀬風先生原玉
  傾盡愛情扶病妻、   愛情を傾け尽して 病妻を扶(たす)け、
  詩將俊異賦萋萋。   詩は俊異を将って 萋萋と賦す。
  多年私淑今悲訃、   多年 私淑して 今 訃を悲しみ、
  欲永追懷拜玉題。   永く追懐して 玉題を拝せんと欲す。

「俊異」: 才知がすぐれ、常人と異なっている。
「萋萋」: 力をつくすさま。


『故長岡瀬風先生玉韻』
    春日偶成
  辜負三春扶病妻   三春に辜負して 病妻を扶く
  已看環屋草萋萋   已に看る 屋を環(めぐ)って 草萋々たるを、
  幾番花信却添恨   幾番の花信 却って恨みを添へ
  夢入曾遊敲舊題   夢は曾遊に入って 旧題を敲く


2009. 9.28               by 井古綆






















 2009年の投稿詩 第157作は 忍夫 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-157

  初夏偶成        

薫風一路燕来飛   薫風一路 燕来たり飛ぶ

新翠如潮花漸稀   新翠 潮の如く 花漸く稀なり

憧憬田園閑適計   憧憬す 田園 閑適の計

樹陰暫忘世情非   樹陰に暫し忘る 世情の非

          (上平声「五微」の押韻)

<解説>

 滋賀県の湖東の田園風景を散策したときのことです。
 田園ののんびりした空気は、仕事等の煩わしい事を一時でも忘れさせてくれます。

<感想>

 晩春から初夏への移り変わりを、承句で「新翠如潮」と勢いを示し、「漸」で「花が次第次第に少なくなっていく」ことを表していますね。ただ、「潮満」でなく「潮」だけで比喩が伝わるかどうか、ですね。

 後半は、結句で作者の気持ちは十分に伝わってきますので、転句がやや重く感じます。「憧憬」あるいは「樹陰」を推敲されるとバランスが取れるのではないでしょうか。

2009. 9.27                  by 桐山人



謝斧さんから感想をいただきました。

 前半は平板に感じますが、それを結句で工夫したのでしょうか。
佳い作品になっていますね。

「憧憬」はやや落ち着かず、詩的な表現に欠けるようにおもえます。
結句は大変よく「世情非」は「世情の非なるを」でしょうか。
意味は「自分の頑拙な性は世情がうけいれてくれない」ととりましたが。

2009. 9.28              by 謝斧


井古綆さんからも感想をいただきました。

 忍夫雅兄、こんにちは。浅見を述べさせてください。
 鈴木先生ご指摘の「如潮」は、詩語表には載っていますが、わたくしは一度も使用したことはありません。
意味は潮の干満の如く(景色が)すばやく変化することでしょうか。
わたくしは使用には躊躇しますが、拝見しますとそれほどには違和感がないと思いました。

 転句の「計」はそぐわないように感じられ適当な語があるように思います。

 結句の「世情非」も詩語表にはありますが、非常に厳しい語句ですね。
 これを生かすためには転句結句のつながりを阻害している語が「樹陰」だと思います。
このつながりを緊密にして二句を総括して「世情非」を措辞しなければならない詩意に成る語がある筈ですので推敲をお勧めいたします。

2009. 9.28             by 井古綆





















 2009年の投稿詩 第158作は 忍夫 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-158

  訪室生寺        

連山睍v沿潺湲   連山の睍v 潺湲に沿ひ

細雨蕭蕭蛙語天   細雨蕭蕭 蛙語の天

遠望翠微知古刹   遠望する翠微に古刹を知り

石楠花導浄林前   石楠花(しゃくなげ)は導く 浄林の前

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 石楠花で有名な奈良の室生寺を訪れたときのことです。
 室生川に沿って歩いて行くと、連山の新緑が美しく、寺に着くと門前から山腹の伽藍にまで石楠花が咲き誇っておりました。

<感想>

 起句の「連山睍v」は、山からの鳥の声ということでしょうか。それならば、承句の「蛙語天」と辻褄が合いません。
 また、起句の「連山」と転句の「遠望」に挟まれた「細雨蕭蕭」が景として矛盾しているため、場面がなかなか想像できないのが難点です。

 転句の「遠望 古刹」から結句の「浄林」へと到る行程を「石楠花」で埋めた形で、うまくまとめていると思います。「知」はやや作為的な感じはしますが。


2009. 9.27                  by 桐山人



井古綆さんから感想をいただきました。

承句の「蛙語」は「鴬語・鵑語」などがあるので間違いではないと 思いますが、「蛙吹・蛙鼓」などのほうが良いと思います。  忍夫雅兄こんにちは。

 此の度の御作は起承転結が良く整っているようですので、感想を最小限にしたく思います。

「起句」:鈴木先生ご指摘のように、「睍v」に良く似た語があります。拙作昨年の初めに投稿した詩がありますので、ご覧ください。「連山**水潺湲」とすれば句中対になります。

「承句」:先生ご指摘の「蕭蕭」は当サイトの『漢詩名作集』の蘇軾作「飲湖上・・・」にまさにピッタリの語句があります。また、「蛙語」は「鴬語・鵑語」などがあるので間違いではないと思いますが、「蛙吹・蛙鼓」などのほうが良いと思います。

「転句」:やはり先生ご指摘の「知」がまずく「古刹」には類語がありますので、変更すれば「微」の孤平が解決します。転句の七字目に「露・出・現」などを措辞してみてください。読み下しは「翠微を遠望すれば・・・」が良いと思います。

「結句」:何も言うことはありません。雅兄の屈指の作になります。

 この結句が素晴らしいため、敢えてわたくしの言葉を控えさせていただきました。
推敲作の掲載をお待ちしています。

「追伸」室生村には二回訪れましたが、惜しくも橋のたもとまでで参詣は出来ませんでした。

2009. 9.29             by 井古綆


謝斧さんからも感想をいただきました。

 忍夫先生の詩をいつも楽しく読ませていただいてます。

 今回の「訪室生寺」は、目に見える情景はよくわかりますが、詩人の心情が読むものには伝わってこないような気がします。

2009.10. 3               by 謝斧





















 2009年の投稿詩 第159作は 仲泉 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-159

  蛍火        

延眺超遙点滅熒   延眺超遙たり 点滅の熒

一場乱舞不知停   一場の乱舞 停まるを知らず

今宵有語寸心秘   今宵語有り 寸心の秘

皎月如君淡野坰   皎月君の如く 野坰に淡し

          (下平声「九青」の押韻)

<感想>

 起句の「延眺超遙」は辞書を詳しく調べられたのでしょう。「はるか遠くを眺める」ということですが、用例は多くはないと思います。
 そこから「一場」と目を近くに転じていますが、「点滅」から「乱舞」と形容を替えることも効果を出していると思います。

 転句の「今宵有語寸心秘」は、「君」に対して打ち明ける胸のうち、「淡野坰」と結んでいますので、強い決意ではなく、淡い恋心というところでしょうか。
 ただ、「皎月」は「白く輝く月」ですので、「淡」には不釣り合いですし、螢にも合いません。「細い月」を表すような言葉にすれば解消すると思います。


2009. 9.27                  by 桐山人






















 2009年の投稿詩 第160作は 菊太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-160

  望嶽亭        

大瀛縹渺遠山青   大瀛 縹渺として 遠山青し

臨水猶存望嶽亭   水に臨んで 猶存す 望嶽亭

老媼端然説凶事   老媼 端然として 凶事を説く

鮮明痕跡刃傷腥   鮮明なる痕跡 刃傷 腥し

          (下平声「九青」の押韻)

<解説>

 二年前から月一回のペ−ス、四〇人のグル−プで旧東海道を歩いています。

 望嶽亭は由比宿の先、さった峠の手前にある往時の旅館「藤屋」の跡。
 慶応四年、勝海舟の書状を持った山岡鉄舟が官軍に追われ逃げ込んだ所。主人の計らいで無事、地下穴から脱出、駿府に居た西郷隆盛と面会、後の江戸無血開城が実現したという。
 主人の四代後の老媼が当時の経緯を生々しく解説してくれた。鉄舟が残したピストルと刃傷の痕跡が今も残っている。

<感想>

 旧東海道を歩いての詩作、四十人のグループとのこと、仲間が多く楽しい旅でしょうね。

 由比は広重の「東海道五十三次」の絵でも、海と富士が描かれ、山海の雄大な景色が楽しめる場所ですね。かつては東海道一の難所と言われたそうですが、現在は東名高速を走っていくと、海を走る高速と国道一号線、鉄道が一気に集まって行き、ドライブの楽しさを感じさせてくれます。

 起句の「大瀛縹渺遠山青」は海と山が一枚の絵に入り、まさに、由比ならではの景と言えます。

 転句からは解説にお書きになった幕末の「凶事」に話題が移るのですが、この「刃傷腥」で詩を結ぶのはどうでしょうか。これが全体の詩意を形作ってしまいますから、作者の心は由比の景色よりもこの事件の方に比重が置かれる印象になります。
 それで良いと言えばそうなのですが、せっかくの好景を前にしているわけですので、「こうした事件もあったけれど、昔ながらの望嶽亭(あるいは富士の姿)」という収束の方が良いと思います。

2009. 9.27                  by 桐山人



井古綆さんから感想をいただきました。

 菊太郎雅兄今晩は。
何時か「梅林烟月」の詩に対しましては賛辞を申し上げました。

 今回の作品は詩意の構成に大変難しい題です。

 鈴木先生の「こうした事件もあったけれど・・・・・・」の感想文を拝見して長時間熟考しました。
 雅兄がこの詩題に「青韻」を使用されたのは「望嶽亭」の亭からの韻字の設定だろうと思います。却って望嶽亭の三字が邪魔をするように感じられますが、とりあえずこの韻で試作してみました。
 雅兄の起句「・・・・遠山青」は結句に富士を出すため除きました。

    試作 望嶽亭
  旅客周知望嶽亭、   旅客は周ねく知る 望嶽亭、
  風光明媚杖藜停。   風光明媚 杖藜を停む。
  維新俊傑逃亡處、   維新の俊傑 逃亡の処、
  仰否名峰泛黛青。   仰ぐや否や 名峰 黛青に泛(うか)ぶを。

「俊傑」: 山岡鉄舟をさす。鉄舟は明治維新に奔走していたために霊峰富士の姿も一瞥しただけ?だが、結句で作者は充分に遠望した、と俊傑と作者を結ぶ。

2009.10. 2                by 井古綆





















 2009年の投稿詩 第161作は 菊太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-161

  丸子宿丁子屋        

繞山古道駅程長   山を繞る古道 駅程長し

客舎両三渓水傍   客舎両三 渓水の傍

遊子解衣談笑処   遊子 衣を解き 談笑する処

一杯薯汁満亭香   一杯の薯汁 亭に満ちて香し

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

 旧東海道を更に西に向かい、丸子宿の丁子屋に立ち寄った。

 この地で採れる自然薯でつくる「とろろ汁」が名物。
 芭蕉の「梅若菜まりこの宿のとろろ汁」の句でも知られている。
名物にうまい物なしと云われるが、ここの「とろろ汁」は絶品。
 旅の疲れを心底癒してくれた。

<感想>

 丸子宿の丁子屋は創業四百年という古いもの、昔ながらのほのぼのとした趣をよく表した詩になっていますね。
とろろ汁の美味しさまでもが伝わってきます。

 このままでも十分に楽しい詩だと思いますが、小さなところで言えば、転句の「解衣」は「服を脱ぐ」という感じですので、冒韻になりますが、「解装」の方が良いでしょう。
 「談笑処」は「処」と名詞で終わると動きが弱く、すでに「客舎」が示されてもいますので、動作や形容する形にしたいところです。「談笑盛」とか「即談笑」のような感じで考えを進めてはどうでしょうか。  

2009. 9.27                  by 桐山人



謝斧さんから感想をいただきました。

よいのか悪いのか分かりませんが、こういった叙述で「遊子解衣」とあれば「緩衣」か「寛衣」が頭にうかびます。
また、「談笑処」は「談笑時」と同じ意とききおよんでいます。ここでは「談笑のとき」が妥かでしょう。

2009.10.15              by 謝斧





















 2009年の投稿詩 第162作は 兼山 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-162

  亡友墓前作        

筑紫次郎河畔祠   筑紫 次郎 河畔の祠

墓標空費十年時   墓標 空しく費す 十年の時

萬情不住非無涙   萬情 住まず 涙無きに非ず

風韻梢梢聞子規   風韻 梢梢 子規を聞く

          (上平声「四支」の押韻)

<解説>

  目を閉ぢて聞くや梢のほととぎす

 亡友白石悌三君の11年回忌に際し、彼の菩提寺である大法寺(佐賀県三養基郡みやき町)を訪ねた。墓参は十年来の懸案であった。

「筑紫次郎」は筑後川の別名。「河畔祠」は浄土宗大法寺。
筑後川は古くは大法寺の傍を流れていた。

「墓標」は故人のデザインに依る芭蕉の「句碑」である。
御影石で造られた細長い扁平形の石碑(高さ約170糎、幅約40糎)
裏面には「昭和甲子歳八月三十日建立」とある。

<感想>

 「昭和甲子歳」ですと、昭和五十九年になりますね。二十年以上も前になりますね。

 起句で「筑紫次郎」は、他地区に住む私には分かりませんが、地元の方にとっては呼び慣れた名前なのでしょうね。愛着のある名前を呼ぶことで、友人と共にその川を眺めた日々を想起させる効果が出ています。

 承句の「墓標」「空費十年」はどんな気持ちが籠められているのか、例えば「墓標が空しくなく過ごす」と考えるとあまり浮かんで来ません。十年の時の流れを表すならば、他の表現もあるように思います。

 転句は「不」「非」「無」と否定の語が続きますが、まわりくどいだけで、繰り返しの効果は感じられません。ここはストレートに気持ちを出した方がよく、その点からも承句の「空」は感情が先に出てしまって良くないですね。

 結句は「目を閉ぢて」の句を漢詩に表したものですね。

2009.10. 8                 by 桐山人



兼山さんから推敲作をいただきました。

 ご指摘下さいました「承句及び転句」を下記の如く改めました。

 墓標の一句とは、素龍筆の「行春や鳥啼魚の目は泪](芭蕉)です。
句碑の裏面には「亡父ノ一周忌ニアタリ、芭蕉翁遺愛ノ素竜本モテ右ノ句ヲ刻ミ、我等モ亦ココニ眠ラントスルモノナリ」と刻してあります。

    【推敲作】亡友墓前作

「目を閉ぢて聞くや梢の ほととぎす」

  筑紫次郎河畔祠   筑紫 次郎 河畔の祠 
  墓標一句有誰知   墓標 一句 誰有りてか知らん
  幽明齒宿泪無渇   幽明 歯宿 泪渇るること無し 
  風韻梢梢聞子規   風韻 梢梢 子規を聞く

2009.10.14            by 兼山


 承句は「誰が知る有らん」と読み下した方がよいでしょう。
 転句の「幽明」は「あの世とこの世」、「歯宿」は「年をとること」ですので、意味としては、「君はあの世に行き、私は現世で年老い」と互いの違いを出しているのでしょう。私としては、「幽明相隔」くらいの方がすっきりすると思いますが。

2009.10.16               by 桐山人





















 2009年の投稿詩 第163作は 鴻辺治郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-163

  懐六郷満山地(推敲作)        

滄海茫茫通四方   滄海は茫茫として四方に通じ

翠山寂寂仰霊光   翠山は寂寂として霊光を仰ぐ

静淵旧苑富佳趣   静淵にして旧苑は佳趣に富み

神仏和人醇美郷   神仏が人と和する醇美の郷(さと)なり

          (下平声「七陽」の押韻)


「醇美」: 人情があつく、飾りけのない美しさがある様子

<解説>

 ごぶさたしております。

 愛着のある故郷のために、客観的な推敲ができず、今日にいたってしまいました。

<感想>

 愛着があるだけに推敲に時間がかかるというのは、お気持ちがよく分かります。この「懐六郷満山地」の詩は、昨年の「2008-101」で投稿いただいたもので、四月に掲載したものですね。

 故郷である国東半島を思い出しながらの作ですが、仏教が盛んであった土地の趣をどう出すかに工夫されましたね。結句の「神仏和人」と言った後、その結果としてという意味でしょうね、「醇美郷」が故郷への思いを集約した言葉として生きていると思います。


2009.10. 8                 by 桐山人



井古綆さんから感想をいただきました。

 鴻辺治郎雅兄、はじめまして。

 まず雅兄の推敲作を看過して来ましたことをお許し願います。
正直に申し上げますと、わたくしには玉作の詩意が分かりませんでした。
熟読して分かりました。抽象的な語句が多いためではないかと感じました。

 失礼ながら雅兄の詩歴を拝見いたしましたが、詩歴が浅いにも関わらず前対格にされたことは称賛に値します。しかしながら、そのために詩意が分散されているように感じます。
 前対格にした場合には、転句は起句と承句との共通項で結べば読者には理解されやすいでしょう。

 私見ですが結句の「神仏和人」は、お気持ちは分かりますが間違いではないかと思いました。
「尊崇神仏」が正しいのではないでしょうか。

 ネット上で「六郷満山」を検索して、雅兄の故郷への愛着が理解できました。
この気持ちが大切だと思います。実際に訪れたことはありませんが、心が休まるように感じられます。

 他郷のわたくしが御地のことを作詩するのは非常に困難ですが、わたくしなりに前対格に作ってみました。
参考になれば幸いです。


    試作六郷満山
  寺院参差放仏光   寺院 参差 仏光を放ち
  賽人駱駅転霊場   賽人 駱駅 霊場を転(めぐ)る
  閑村未到滄桑変   閑村未だ到らず 滄桑の変
  誇得満山蘭若郷   誇り得たり 満山蘭若の郷

「参差」: ここでは寺院がちらばるさま
「駱駅」: ここでは賽人が続くさま
「満山」: 六郷満山
「滄桑変」: 世の変遷の激しいこと
「蘭若」: お寺の異称


2009.10.12             by 井古綆





















 2009年の投稿詩 第164作は 兼山 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-164

  書懷原爆之日        

原爆是非只不稽   原爆の是非は 只だ不稽

紅旗征賊滿東西   紅旗 征賊 東西に滿つ

美洲総統奥巴馬   美洲 総統 奥巴馬

反核宣言須勿迷   反核 宣言 須く迷ふこと勿るべし

          (上平声「八斉」の押韻)

<解説>

 井古綆さんの詩(2009-120)「際原爆投下日冀世界平和」を拝見しました。

 解説に主張されている様に、無差別殺戮は重大な戦争犯罪です。
唯一の被爆国からの積極的な発言(告発)が為されて然るべきかと思います。
以前の拙作「寄原爆日」後、早くも三年経ちました。

 今年の所感を披露させて戴きます。「六十四年 當時中学 原爆忌」


「不稽」: 無稽(根拠がなくでたらめであること)
当事者に対して誠に不遜であるかも知れません。
毎年の原爆慰霊祭に発信される「平和宣言」が、空しく消え去って行くのは誠に残念であります。

 今年の「広島平和宣言」には、米国のオバマ大統領が、「核兵器を使った唯一の国としての道義的責任を明言した事」を取り上げています。果たして、本気で「反核、核廃絶」に取り組んで呉れるのでしょうか。



<感想>

 承句の「紅旗征賊」は白居易の詩から用いられたもので、日本では藤原定家が『明月記』の中で「紅旗 征戎 吾が事に非ず」と書いたことで知られる言葉です。定家が用いたことから、「風雅の道に反する戦乱や俗塵のこと」を指すように使用されますが、言葉の意味では「天子の御旗を立てた(官)軍が賊軍を征伐する」ということですので、この言葉をそのまま現代に当てはめることが適切とは思われません。

 転句でオバマ大統領と来ると、まるでアメリカが「紅旗」で、例えばイラク戦争などは「征賊」となってしまうような気がします。

 転句自体も「奥巴馬」と個人名まで出す必要があるか疑問ですので、兼山さんの率直なお気持ちが十分に伝わらない詩になっているのではないでしょうか。
 せっかくの詩ですので、是非、推敲されることを願います。

2009.10. 9                  by 桐山人



兼山さんから推敲作をいただきました。

 ご指摘賜りました趣旨に添うべく、全体的に推敲致しました。

 「世界平和の為に」と云う「正義の御旗」(紅旗)の下に、イラクやアフガニスタンの戦争は何年間も続いています。
不戦を誓った被爆国日本だけが(皮肉にも)何とか平和です。
「ノーベル平和賞」受賞者のオバマ大統領を担ぎ挙げてでも、反核を実現させたいものであります。

  【推敲作】書懷(原爆忌)

「過ぎし日や 當時中一 原爆忌」

  干戈未畢互相争   干戈 未だ畢らず 互に相争ふ
  不戰扶桑一國平   不戦 扶桑 一國平らかなり
  反核宣言此言善   反核 宣言 此の言や善し
  美州総統念須成   美州 総統 念須らく成すべし

              (下平声「八庚」の押韻)


 推敲作というよりも、韻目も換えられたので、新たにお作りになったという感じですね。
 ただ、主題はもちろん変わりないわけですので、作者の思いが詩として結晶化するまでの時間が取られて、その分熟成されたように感じます。
 喜怒哀楽、怒りや悲しみ、喜びの気持ちを即座に言葉にするのも、自分の中で客観化されるのを待つのも、どちらも詩のあり方としては認められるものです。今回の推敲は、その違いを知る好例とも言えるでしょう。
 推敲作では、作者の感情の生々しい勢いは和らぎましたが、その分、説得力は増したようにも感じます。二つとも、兼山さんにとっての貴重な詩になったのではないでしょうか。


2009.10.16              by 桐山人





















 2009年の投稿詩 第165作は 禿羊 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-165

  於大峰平治宿観月(西行法師詠月地也)        

穿霧攀岩険路長   霧を穿ち 岩を攀ぢ 険路長し

晩来孤宿小茅堂   晩来 孤り宿る 小茅堂

樹間看得歌僧月   樹間 看得たり 歌僧の月

皎皎千年添露涼   皎皎たり 千年 露を添へて涼やかなり

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

 四月下旬に世界遺産の大峰山を縦走しました(大峰奥駈)。
 三泊目に平治の宿という小さな無人小屋に泊りました。ここは西行法師が奥駈の途中泊り、和歌を残している場所です。

へいちと申す宿にて月を見けるに梢の露のたもとにかゝりければ

   梢なる月も哀をおもふべし光にぐして露のこぼるる


<感想>

 西行法師の歌は、「梢にある月もきっとあはれを感じていることだろう その光と共に露がこぼれ落ちてくることよ」という意味で、「月見れば千々にものこそかなしけれ」と詠んだ西行法師らしく、月に自身の心を投影した歌です。
 禿羊さんの今回の詩は、そうした西行法師の思いに十分に共感をした上で、「皎皎千年」に詩意を凝縮しているものだと思います。

 問題があるということではないのですが、私の気持ちとしては、転句の「歌僧」は確かにその通りなのですが、西行法師を言うには軽いような気がします。いっそのこと、下三字は掛詞的に「西行月」と遊んでみてはどうでしょうか。

2009.10. 9                  by 桐山人



謝斧さんから感想をいただきました。

禿羊先生之詩常多感興
此詩亦有味
真可言佳詩
一読使我怡顔


2009.10.10            by 謝斧

井古綆さんからも感想をいただきました。

 先日、禿羊雅兄のHPにアクセスいたしました処、怪我をされたとの報告がありました。
とりあえず退院されたようですが、まだまだ加療しなければならないとのことです。ともあれ、ひとまず退院おめでとうございます。

 玉作への感想に移りますと、何も申し上げることはありません。雅兄のご趣味である山行と申しますか、山と語る気持ちが良く現れているように感じました。

 また鈴木先生の批正されました「西行月」には“ウーン”とうなって感心いたしました”。


2009.10.10            by 井古綆





















 2009年の投稿詩 第166作は 禿羊 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-166

  越中白木峰上不図受生日賀、謝諸彦  
       越中白木峰上にて 図らずも生日の賀を受く、諸彦に謝す   

万花含露霧空濛   万花露を含みて 霧空濛たり

雨裏佳餐笑語中   雨裏の佳餐 笑語の中

重六生辰寧足賀   重六の生辰 寧んぞ賀するに足らんや

諸賢珍重苟存翁   諸賢 珍重す 苟存の翁

          (上平声「一東」の押韻)

<解説>

 先日、富山県の白木峰というニッコウキスゲの名所に山の仲間たちと一緒に雨の中登りました。
 花は満開で素晴らしかったのですが、それ以上に仲間がサンドイッチパーティとバースデイケーキで、思いがけずも私の六十六歳の誕生日を祝ってくれたのに感激しました。
 これは仲間達へのお礼の詩です。

<感想>

 私は幾つになっても誕生日を祝って欲しい人間ですので、誕生日が近づくと、ついつい家族の前で「○○日は何の日だ?」と催促をしてしまうので、いつも「またか」という顔をされます。しかし、めげずにせっせと営業活動を続けるのですが、禿羊さんは奥ゆかしいのですね。
 六十六歳になった時に私も「重六生辰寧足賀」と感じるのかどうか、先輩のお言葉をこれから噛みしめていくのでしょうね。

 お好きな山の上で花に囲まれてのパーティは、思いがけなかっただけに歓びもひとしおだったことと思います。

 「苟存」は「苟生」とも使いますが、謙虚な言葉ですね。

2009.10. 9                  by 桐山人






















 2009年の投稿詩 第167作は 海鵬 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-167

  尋学舎跡(其一)        

空墟残礎草蕪傾   空墟の残礎、草蕪に傾き

小庭秋千赤銹呈   小庭の秋千、赤銹呈す

同学離郷何処在   同学、郷を離れて何処に在りや

白頭独聴杜鵑声   白頭独り聞く杜鵑(ホトトギス)の声

          (下平声「八庚」の押韻)

<解説>

 私が小学時代に通った分教場の跡を何十年振りで見に行き、詠んだものです。
 既に雑草が生い茂り廃墟となつています。時の移り変わりも感慨深く、また当時、一緒に遊んだ仲間の声が、ホトトギスの鳴き声と重なるような気がしました。

 又、これでは、少し感傷的過ぎるのではないかと思い、白頭になった同学が帰省して一緒に生き越し方を語ろうという句も作ってみました。
 鈴木先生並びに諸兄のご叱正を賜れば幸甚です。

    尋学舎跡(其二)
  空虚残礎没蓬茨   空虚の残礎、蓬茨に没め
  小庭秋千幻影遺   小庭の秋千、幻影遺る
  想得白頭帰省語   想ひ得たり 白頭帰省して語る
  往年夢莫道都遅   往年の夢、都て遅いと道う莫れ

 よろしくお願い致します。

<感想>

 二つの詩を併せて、というご依頼ですので、仮に「其一」「其二」と付けさせていただきましたが、詩としては断然、「其一」の方が良いですね。
 感傷的過ぎると思ったとのことですが、「杜鵑声」の登場も違和感はありません。漢詩では、ホトトギスは望郷の想いを象徴するものですので、遠く離れた仲間が故郷を想って啼いていると考えたのは、極めて妥当なものです。

 「其二」は後半に「想得」「莫道」などの慣用的な語が増え、かえってバタバタと落ち着かない感じです。

 どちらも、承句の「庭」が平仄の点でが異なりますので、直しておきましょう。

2009.10. 9                 by 桐山人



井古綆さんから感想をいただきました。

 海鵬雅兄、はじめまして。

 玉作を拝見いたしました。
起承転結、概ね良く出来ているように思います。現場を見ていないので詩のみを拝見した感想ですことをご了承ください。

 起句の「草蕪傾・草蕪に傾き」は厳格に言えば「草叢萌・草叢萌え」の語順が良いと思います。
 承句の「小庭」は是非とも必要では無く此に「銹出・しゅうしゅつ」として下三句「赤銹呈」を「感旧生・感旧生ず」とすれば如何でしょうか。

 転結は良く出来ていますので詩意が一貫すると思いました。


2009.10.10            by 井古綆






















 2009年の投稿詩 第168作は 堂山 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-168

  訪栃之木峠・板取宿        

江越峰巒歳月更   江越の峰巒 歳月更る

甃途蓬屋篆烟横   甃途蓬屋 篆烟横たふ

悲哉佳麗往無復   悲しき哉 佳麗往きて復ること無く

今惟啼過蜀魄聲   今は惟啼き過ぐ蜀魄の聲

          (下平声「八庚」の押韻)

<解説>

 桐山堂先生 井古綆雅兄、添削頂き大変勉強になりました、今後とも宜しくご指導お願いいたします。

 転句が物語風で未熟ながら思い切って投稿させていただきました。

 北国街道から北陸道に跨る栃の木峠に原風景を尋ねた折の句です。
 柴田勝家が安土城に伺候するため、敦賀周りを短縮するため開拓した幅三間の街道で、(栃の木峠)今も妻入り兜造りの茅葺家が四軒、今庄に当時のまま板取宿として日本の原風景を伝え、お市の方の嫁した道かと昔日を憶う。
 結句の「今惟」は、李白の「越中覧古」による「只今惟有鷓鴣飛」より拝借しました。乞御了承。

  お市の方の辞世

    さらぬだに 打ちぬる程も 夏の世の 別れを誘う ほととぎすかな



<感想>

 承句の「篆烟」は、篆書のようにうねって昇る煙なのですが、何の煙なのでしょうか。家の中から煙が漂ってきたということですが、蚊取り線香かな?香炉から立ち上る煙に用いるので、ここは不適な気がします。

 転句の「佳麗往無復」は解説に書かれた「お市の方」を指しているのでしょうが、逆に解説が無いと理解できません。余分なのは「悲哉」の感情語ですので、これを含めた上四字は再考が必要です。
 「佳麗」のままで行くなら、題名にお市の方を含めた事柄を予測させる語を入れておく必要があるでしょう。

 結句は「惟」は平声ですので、仄声の「只」にしておきましょう。

2009.10. 9                 by 桐山人



井古綆さんから感想をいただきました。

 堂山雅兄今日は。
 前作の「川路櫻」は首尾が一貫していましたが、今回の作は的を射ていないように思います。
起承の二句は状景描写のみで詩題のお市の方には直接関係ありません。
 したがって一詩に纏めるために苦労いたしました。

    試作
  険路長連小谷城   険路は長く 小谷(をだに)城に連なり
  伝聞婚礼主従行   伝へ聞く 婚礼の主従が行くと
  追懐佳麗市姫嘆   追懐す佳麗 市姫の歎き
  定聴新鵑裂帛声   定めて聴く 新鵑 裂帛の声

「裂帛」: 蜀魄より裂帛のほうが感情がこもっていて、お市の方にふさわしいと思います。

2009.10.10             by 井古綆


井古綆さんから追加の感想をいただきました。

 堂山雅兄こんにちは。

 わたくしは勘違いをしていたようです。お市の方は北ノ庄で亡くなっています。
それ以前の小谷城城主の浅井長政と勘違いしていましたので新たに下記します。

 雅兄の作の転句を再読して城の間違いに気がつきました。
大変失礼をいたしました。

    試作
  山中路続北庄城   山中の路は 北ノ庄城へと続く
  聞説婚儀粛粛行   聞くならく 婚儀は 粛々として行くと
  麗艶市姫憐短命   麗艶市姫 短命を憐れみ
  今年亦聴杜鵑声   今年も亦聴く 杜鵑の声


2009.10.11             by 井古綆


謝斧さんからも感想をいただきました。

 人それぞれですが、私はこういった詩をこのみます。
大変佳くできた詩だとおもいます。

 史実ばかりの解説を叙述して、感興のない詩をよくみかけます。行間にものの哀れさをかんじて、余韻のある詩になっています。手本にしたくおもいます。

 結句は、平仄があえば、「只今唯有蜀魄聲」とむすびたいのですが、いずれにしても佳詩です。

 三四有余韻何必到説而盡哉 少有李白越中懐古之風否

2009.10.15             by 謝斧





















 2009年の投稿詩 第169作は 忍夫 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-169

  初夏偶成        

神苑錦鯉欲為龍   神苑の錦鯉は龍たらんと欲し

池畔菖蒲紫色濃   池畔の菖蒲紫色濃し

万物盛時愁白鬢   万物の盛時 白鬢を愁ふ

人生不及一青松   人生は及ばず 一青松

          (上平声「二冬」の押韻)

<解説>

 平安神宮の庭園で詩作しました。
 京都という歴史のある街、神社という神秘的な場所にいると悠久の時の流れを感じます。

 相対的に人生は松の樹齢にも及ばないぐらい短いものだとつくづく思いました。

<感想>

 起句の「神苑」は平安神宮の苑ということでしょうが、「苑」は仄声ですので、平仄が合いません。

 転句から作者の思いが出てくるのですが、「万物盛時」と述べるためには、起句と承句の内容だけでは不足ですね。律詩のまとめの句ならば納得できると思いますが・・・。


2009.10.16                  by 桐山人



謝斧さんから感想をいただきました。

起句は兀突で 絶句の作詩方法を能くこころえていらっしゃるのですが、
後の句が続かないようにおもいます。

2009.10.16           by 謝斧


井古綆さんから感想をいただきました。

 忍夫雅兄今晩は。わたくしも愚見を申し上げます。

 忌憚無く申し上げますと、詩題は具体的な詩題にしなければ、読者が理解出来ないことがあります。先賢が詩句より長い詩題にすることがあるのはそのためです。
 例えば、「平安神宮神苑」とすれば、読者が詩を読む前に既に何を詠じているのかを予測できます。さすれば起句の「神苑」の平仄に腐心しなくても済みます。

 矛盾した点を申し上げますと、韻字に「龍」があるため池の「鯉」を連想されたと推測いたしますが、やはりそれだけでは無理があるように思います。「黄河」「門」の語がなければ「登竜門」にはならないでしょう。

 次に雅兄は平安神宮の庭園で即吟で作詩されたとおっしゃっていますが、とても我々では無理だと思います。その事よりは推敲を重ねて、自分自身で納得するまで推敲することをお勧めします。
 岡目八目とは、他のお方から見ればまだ推敲の余地はあることを言うのでしょう。  わたくしもこの神苑には二度訪れましたのでよく存じています。謝斧雅兄は起句は突兀で後が続かない・・・と述べていらっしゃいますが、私見では各句がバラバラのように感じました。
 承句は起句の延長でなければならないし、起句承句を対句にしたならば、転句で前二句を収束しなければ詩意が纏まりません。
 これを鈴木先生は「起句と承句の内容だけでは不足・・・」とおっしゃっています。   苦心して前対格にしてみました。

    試作 平安神宮神苑有感
  清池錦鯉泳従容   清池の錦鯉は 従容として泳ぎ
  汀渚菖蒲発放縦   汀渚の菖蒲は放縦(ほうじゅう)として発く
  人寿百年都制約   人寿 百年 都て制約
  後凋羨望一青松   後凋(こうちょう) 羨望 一青松

「従容」: ゆったり
「放縦」: 気ままに
「後凋」: 松柏は他の草木が枯れしぼんだ後までも、青々としていること。

2009.10.28              by 井古綆





















 2009年の投稿詩 第170作は 井古綆 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-170

  追憶歌        

受胎家嗣注深慈、   家嗣を受胎して 深慈を注ぎ、

授乳嬰孩至福時。   嬰孩(えいがい)に授乳するは 至福の時。

哺育多年生答瘁A   哺育 多年 淘s(さっそう)と生(そだ)ち、

登科千里惜離披。   登科 千里 離披(りひ)を惜しむ。

干戈連累從投筆、   干戈は連累(れんるい) 投筆に従ひ、

吾子須臾作墓碑。   吾子は須臾にして 墓碑と作る。

假贖千金意何滿、   仮(もし)千金を贖(あがな)はるるも 意何ぞ満ちん、

偏追未返愛児姿。   偏に追ふ 未だ返らざる 愛児の姿を。

          (上平声「四支」の押韻)



「嬰孩」: みどりご。
「淘s」: すくすく育つ。
「登科」: 本来は科挙に及第すること。
「離披」: ここでは離ればなれになること。
「投筆」: ペンを武器に持ち替えること。
「連累」: 巻き添え。

<解説>

 作者わたくしは20代の頃より『ロンドンデリーの歌』の曲のみを知っていました。
曲の最後のあたりの胸に迫るメロディーに感動していたものです。

 この度(5月18日)ネット上で歌詞を発見しました。「ロンドンデリーの歌」が、長年心に秘めていた感動と歌詞が余りにも乖離していましたので、詩題を戦争によっていとし子を失った慈母に託して、わたくしなりに漢詩にしてみました。


<感想>

 井古綆さんのお示しになったサイトで、私もロンドンデリーの歌詞を確認しました。よく考えると、歌詞を見るのは初めてのような気がします。「我が国では、こちらの歌詞の方がよく歌われるようです」と書かれていたものを見ても、あまり記憶とつながらないので、結局は井古綆さんが仰るように、「曲のみ」を知っていたのですね。
 しかし、「ロンドンデリーの歌」と言いつつメロディだけ覚えているというのも、この曲の素晴らしさを証明しているのかもしれませんね。

 井古綆さんの詩では、母親の一途な愛情を、子どもが胎内に居た時からのものとして語り始めたところに、作者の思いが表れていると思います。
 ただ、第六句の「須臾作墓碑」はまさに「あっという間」という感じで、「あっけない」印象で子どもの死のはかなさを出そうとしたのかもしれませんが、私には記事の棒読みのような物足りなさが残りました。

2009.10.16                  by 桐山人



井古綆さんからお返事をいただきました。

 鈴木先生、ご高批有難うございました。
 先生のご賢察の通り、第六句の「須臾」は詩意にインパクトを与えるためにこのようにいたしました。
したがって前句の「投筆」との間には時間的にも詩意の間にも空間が出来てしまいました。

 作詩の経緯について申し上げますと、この名曲を聴いて真っ先に土地の設定に迷いました。
初めに我国を考えましたが、我国には当時個人主義を尊重する風土ではなく、また過去60年間には戦はありませんので、隣国の中国や韓国も思案しました。
 千思万考の末、やはり原曲の民謡が歌われたアイルランドに設定いたしました。過去、アイルランドは隣国のイギリスと紛争が絶えなかった土地柄ですので、詩題に間違いはないと思った次第です。

 曲を聴いて、詩形は絶句のほうが曲の長さには合致しますが、絶句では詩意が籠められません。したがって、詩形は律詩となりました。
 詩意は愛児を戦争で失った慈母としたならば、結句は母の歎きに収束するべきで、そのようにすることは容易ですが、問題は詩の起点を何処にするのか迷った末、やはりいとし子を受胎した時点から始めました。
 作者わたくしは男性ですので、母としての感情は分かりませんが、普遍的な女性の気持ちを忖度したつもりです。
このようにして第四句までは纏綿と育児の苦労に費やしたので、先生ご指摘のように五句と六句の間に隙間が生じました。

 下記のように排律にして、四句を追加してみました。
しかしながら排律にしますと、肝心な愛児が戦死したことが、文字数が増したために行間に埋没されました。
やはり律詩までにしなければ詩意が希薄になったように思います。

    追憶之歌(推敲)
  受胎家嗣注深慈、   家嗣を受胎して 深慈を注ぎ、
  授乳嬰孩至福時。   嬰孩に授乳するは 至福の時。
  哺育多年生淘s、   哺育 多年 淘sと生(そ)だち、
  登科千里惜離披。   登科 千里 離披を惜しむ。
  干戈連累従投筆、   干戈は連累 投筆に従ひ、
  兵卒行軍就守危。   兵卒は行軍して 守危に就く。
  無限焦心堪鬱屈、   無限の焦心 鬱屈に堪へ、
  寸功側耳慰積悲。   寸功の側耳 積悲を慰む。
  萱堂翹望須音信、   萱堂 翹望して 音信を須(まつ)も、
  吾子玉摧成墓碑。   吾子 玉摧して 墓碑と成る。
  仮贖千金意何満、   仮(たと)ひ千金もて贖(あがな)はるるも 意何ぞ満ちん、
  偏追未返愛児姿。   偏に追ふ 未だ返らざる 愛児の姿を。


2009.10.17            by 井古綆


 排律にして句数に余裕ができたことで、律詩の時には苦しげに見えた頸聯の対句も落ち着いたように思います。

 ただ、原曲は、音楽的には8小節を単位として、「AABA’」という展開で、漢詩の起承転結によく似た構成になっていて、それが繰り返されるのですが、対句が連なる排律ですと切れ目がなく、この長さでひとまとまりと言われると、やはり読むのには疲れます。
 換韻の古詩として、四句なり八句を一解(1番・2番)として構成されると、訳詩としての形式的にも落ち着くように思います。

2009.10.23               by 桐山人





















 2009年の投稿詩 第171作は 楽聖 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-171

  憶佳人        

一朶名花情亦純   一朶の名花情亦た純なり

欲伝我意未成辰   我が意を伝えんと欲して未だ成らざるの辰

相思才媛最妍麗   相思の才媛最も妍麗

自古青娥悩殺人   古より青娥人を悩殺す

          (上平声「十一真」の押韻)

<解説>

 何年も思い続けている女性がいまして、そのことについて書いた詩です。
 遠距離なのでなかなか逢えず、困っているところです。

 自分の憶う美人と人が言う美人では差がありますけど、ここでいう佳人というのは私の目線です。他の人がどういうかわかりませんけど。

 佳人シリーズはまだ3、4首というところでこれが第1作です。
 電話したあととかは思いつくのです。

<感想>

 何と言いますか、若い方は良いですね、という年寄りめいた言い方についなってしまいますね。
しかし、こうしたまさに「純」な想いが漢詩として表されているところに、(漢詩の)未来は明るいという気持ちが湧きます。

 転句の「相思」は「相思相愛」ではなく、「相手を思う」という意味ですね。

 語句の部分的な推敲をするのも野暮な気がしますので、平仄も整っていますから、「元気を貰いました。ありがとう」ということでシリーズ続編も楽しみにしましょう。

2009.10.16                  by 桐山人






















 2009年の投稿詩 第172作は 禿羊 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-172

  先妣一年祭        

一歳還廻碧緑天   一歳 還た廻る 碧緑の天

今朝初聴故林蝉   今朝 初めて聴く 故林の蝉

棺裏慈顔明閉眼   棺裏の慈顔 閉眼に明かなり

清風一颯掃塋前   清風一颯 塋前を掃ふ

          (下平声「一先」の押韻)

<感想>

 「妣」は亡くなられたお母様を表す言葉で、生前の「母」に対する言葉です。「考妣」が「亡くなった父と母」。

 承句の「今」「初」「故」が時の経過を表す語で、畳みかけるような調子で、季節の変化をよく描いていると思います。
 転句の「棺裏」は生々しい印象で「往時」あたりでも良いかと思いますが、承句の時間の描写との関わりからか、あるいはより具体的なお姿を思い描いていらっしゃったのでしょう。

 お気持ちのよく伝わる詩だと思います。

2009.10.16                  by 桐山人



謝斧さんから感想をいただきました。

先生之心情推而可知 何等佳詩

「明閉眼」は例があるのでしょうか。
白楽天は「合眼到三川」といっています。
私は「合眼」のほうが詩語としてはすぐれているとかんじています。

2009.10.16                 by 謝斧


井古綆さんからも感想をいただきました。

 禿羊雅兄今日は。
 貴兄のホームページで入院されたと知り、感想を遠慮していました。

 禿羊雅兄へ失礼を省みずに申し上げれば、私案では転句を「懐古恩顔浮彷彿・懐古すれば恩顔 彷彿として浮かぶ」としたく思いました。
 その際に承句の「今朝初聴古林蝉」は起句との繋がりを緊密にするため「今年亦聴古林蝉」にしたほうが良いように感じます。

 古より岡目八目とか申しまして、人さまのことは良く分かるものです。このように申しますわたくしにも数々の欠点はありますので、気がつきましたならば、皆さまは遠慮なく批正を賜わりますようにお願いいたします。


2009.10.25                  by 井古綆


禿羊さんからお返事をいただきました。

 鈴木先生、お見舞いのお言葉有難うございました。

 槍ヶ岳登山の下山中、左眼の角膜に木の枝が触れ、角膜にちょっとした傷が付きました。拙いことに、そこから細菌が侵入し角膜炎となりました。連休中で医者にかかるのが遅れたうえ、細菌の繁殖が早く、わずか三日で角膜全体が真っ白になりました。
 一応退院はしたのですが、完治まではまだまだ時間がかかりそうです。また、どの程度まで視力が回復するかは不明です。全く鬱陶しいことです。

 鈴木先生、謝斧先生、井古綆先生いつも懇切なご批正有難うございます。

 鈴木先生のご指摘通り、「棺裏」は少し生々しすぎるようです。小生にとっては忘れられない強い印象でしたが、ストレートに表現しすぎたようですね。

 謝斧先生、「明閉眼」について、ご指摘有難うございました。実は何も調べず現代の常用に随って使ってしまいましたが、閉眼をネットなどで見るとどうも医学用語が中心ですね。

 井古綆先生、起句に「還」を使っておりますので、「亦」は使いにくいと思います。「故郷の林では今年初めての蝉が今朝鳴き始めた。」という意味なのですが不適切だったでしょうか。転句に関しては鈴木、井古綆両先生のご指摘の通りでした。


    一歳還廻碧緑天
    今朝初聴故林蝉
    瞑目慈顔秘胸裏
    清風一颯掃塋前

 では如何でしょうか?
 相変わらず転結の繋がりが悪いのですが。


2009.10.30                 by 禿羊


井古綆さんから感想をいただきました。

 禿羊雅兄。再び筆を執りました。
 しかしながら、これは議論のためではなく、雅兄の亡母への追憶の詩に対しまして、少しでも助言を致したく思いましたからとご理解ください。

 前の感想では一句のみに視点をあてたため詩全体には配慮が足りませんでした。
今回は、雅兄の一年前の慈母ご昇天の玉作を拝見して、その一年後の雅兄のお気持ちを忖度して、以下に試作をしてみました。

    試作 先妣一年祭
  萱堂涙別送昇天   萱堂 涙別して 昇天を送る
  展墓追懐只噪蝉   展墓 追懐すれば 只噪蝉(そうせん)
  歳月不還風樹嘆   歳月 還らず 風樹の嘆
  慈顔彷彿掃塋前   慈顔 彷彿 塋前を掃ふ

「噪蝉」: 聞蝉だけでは中国語(漢語)では通用しないように思います。
 ここを「噪蝉を聴く」とも措辞できますが、「只噪蝉」としたほうが好いと私見いたします。

「風樹之嘆」: 孝養をしようと思い立った時には、すでに親が死んでいて孝養をつくすことが出来ない嘆き。

2009.11. 3             by 井古綆


禿羊さんからお返事をいただきました。

 井古綆先生、丁寧なご批正有難うございます。
 先生の作例、小生の気持ちをよく忖度していただき、破綻なく綺麗にまとめていただいたと感服いたしました。今後の参考にさせていただきたいと思っております。
 ただ、この詩は私小生の力量を越えているといいますか、小生に作れる詩ではないなとも感じております。

 先生が書かれた「聴蝉」に関してですが、「聴蝉」「聞蝉」も古人の用例にありますので、不適切とお思いになるほどではないと思います。

2009.11. 8             by 禿羊





















 2009年の投稿詩 第173作は 博生 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-173

  夏晨即興        

西天残月影朦朧   西天の残月 影朦朧

群雀一過槿白紅   群雀一過 槿 白紅

静寂巷間人未起   静寂たる巷間 人未だ起きず

憮然見赤日昇東   憮然として見る 赤日東に昇るを

          (上平声「一東」の押韻)

<解説>

 寝苦しい夏、早朝の西空に残月が淡く
 むら雀が東に向かい、槿の花が朧げに開く
 未だ人影の無い朝は気持ちがよい。
 しかし今日も、又暑苦しい日を迎えるかと思うと遣り切れない。

<感想>

 夏の朝、日の出前のひと時の光景が、映画のシーンのように描かれていますね。
 前半では特に、起句と承句に置かれた「残」「過」が句に動きを与えていて、刻々と夜が明けて行く時間の推移が感じられるようです。

 結句の「憮然」は失望感を伴う語です。作者としては、「現在の静かな時間をもっと味わいたいのに、日が昇って来て残念だ」という気持ちでしょう。
 ただ、読者は起句から順に読んできて早朝の爽やかさに浸っていますから、作者に突然に「がっかりだ」と言われると、転句までの内容を受けて、「あれ、こんな風景の中で、何か不満があるの?」とびっくりします。
 結末まで読んでやっと、作者の不満を理解するわけですが、こうした展開にするならば、結句の冒頭に「朝日が昇る」ことを書いた方が良いでしょう。

 しかし、「憮然」という、作者の感情がそのまま出てくる生々しい言葉を用いたことが、逆にインパクトの強さを生み出していて、全部承知の上での作者の狙いかも、という気もします。
 それだけ、博生さんのご覧になった朝の風景が「気持ちがよい」ものだったという印象が深く心に残りますね。

2009.10.25                  by 桐山人



井古綆さんから感想をいただきました。

 博生雅兄、お早うございます。
 雅兄のお住まいと、わたくしの蝸廬が近いので、馴れ馴れしく亦率直に申し上げることをお許し願います。

 先ず一読して詩意は読者には充分伝わって来るように感じました。
しかしながら、承句の「槿」は現実にご覧になったと思いますが、詩中で拝見すれば、韻字の「紅」を踏むために措辞したように感じられましたので、推敲を要するのでは無いでしょうか。

 最も違和感を覚えますのは、鈴木先生もご指摘の「憮然」が読者に不快感を与えるように感じました。

 亦、結句の2、2、3のリズム崩れていて、きつい表現かも知れませんが、歩いていてつまずくように思います。
「赤日昇東」は「言わずもがな」とも取れます。

 様々な注文をいたしましたが、詩全体の構成は整っていると思いますので、推敲を重ねることをお勧めください。

 例の如く試作して見ましたので参考になれば幸いです。


    試作
  黎明荏苒月朦朧   黎明 荏苒(じんぜん) 月朦朧
  群雀喧騒散碧穹   群雀 喧騒 碧穹に散ず
  短夜炎蒸人晏起   短夜 炎蒸 人晏起
  朝来亦迓祝融功   朝来 亦迓(むか)ふ 祝融の功

「荏苒」: 時がゆるゆる進むさま
「祝融」: 夏の神


2009.11. 2             by 井古綆





















 2009年の投稿詩 第174作は サラリーマン金太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-174

  奉賀今上陛下御即位二十年   (慶祝詩)今上陛下の御即位二十年を奉賀す

濃緑松梢掩九門   濃緑の松梢 九門を掩(おお)ひ

二重橋畔萬桜翻   二重橋畔 萬桜翻(ひるがえ)る

皇基承継長無盡   皇基承継して長(とこし)へに尽くる無し

在位廿年思國恩   在位廿年 国恩を思ふ

          (上平声「十三元」の押韻)

<解説>

☆作詩の背景‥

 天皇陛下は平成21年1月7日、御即位から20年を迎えられました。1989年1月7日、昭和天皇の崩御に伴い、第125代天皇に即位され、翌年90年11月12日には国の儀式として即位の礼が行われ、国の内外に即位を宣言されました。
 今年は4月10日にご成婚50年となる金婚式も迎えられ、両陛下にとっては大きな節目の年で、11月12日には、政府主催のご即位二十年記念式典が行われるほか、記念貨幣も発行されるそうで、慶祝ムードが広がりそうです。

 平成21年7月10日のニュースでカナダを公式訪問中の両陛下の模様が伝えられ、皇后陛下が小児病院で「ゆりかご」の子守唄を独唱されておられました。3人のお子様方をお育てになられた母親としての美智子様をうかがい知ることができる一こまでした。
 異国でのハードスケジュール、又、陛下のご健康が優れぬ最中、いつもながらの慈愛の情あふれる両陛下には敬愛の念を禁じ得ません。

 ますますの御皇室の弥栄と御世安寧を祈念します。
「九門」: 皇居の門

<感想>

 平成になって、もう二十一年が過ぎたということを、改めて実感しました。

 平成十四年の暮のご病気の折にも多くの国民が心配をしましたが、最近のお元気に公務にお出ましになるお姿を拝見して、サラリーマン金太郎さんのように一層のご健康を祈っておられる方が多いでしょう。

 私の年代ですと、ご成婚の時はまだ子どもでしたので、淡い記憶でしかないはずですが、ニュース映画を何度も見たせいでしょうか、しっかりと記憶に残っている気がします。

 結句の「国恩」は「天皇陛下からのご恩」という意味でしょう。「国家」のイメージを強く出すか、「浩恩」「厚恩」と幅を広げるかの選択は微妙なところですね。

2009.10.29                  by 桐山人






















 2009年の投稿詩 第175作は サラリーマン金太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-175

  伊豫豆比古命神社(椿神社)     伊予豆比古命いよずひこのみこと神社(通称「椿(つばき)神社」)   

椿樹花開淨境昭   椿樹(ちんじゅ)花開いて浄境(じょうきょう)昭(あきらか)に

賽人千客萬來朝   賽人 千客万来の朝(あした)

神輿社納壽春事   神輿 社に納って春事を寿(ことほ)ぎ

儼奏祝詞祈沃饒   厳かに奏す祝詞 沃饒(よくじょう)を祈る

          (下平声「二蕭」の押韻)

<解説>

 毎年、伊予路に春の訪れを告げる「椿祭り」は旧暦の一月七、八、九日の極寒の最中に斎行され、県内はもとより西日本各地から大勢の参拝客でにぎわう春祭り(春季例大祭)である。
 中日である八日夜には神輿の宮出し(椿神社の御祭神の一柱である愛比女命〔えひめのみこと=女神〕)があり、書家としても有名な三輪田米山が代々神主家を勤める日尾八幡神社の御祭神(男神)と一年に一度、金刀比羅神社(松山市北土居町)のお旅所で逢瀬を楽しまれる。
 その折、氏子の人々は神輿に布団をかけて寒さを凌いでいただいたという伝承が今に残る。
 これは神道の考え方の一つである「祭りは新しい生命を授かる場所」あるいは「再生復活=生まれ変わりの精神を伝える神道の奥義」が市井に口承化されたものであろう。したがってここに言う「春事」とは一つには春の農耕作の始まりであり、二つには男女の睦び事をも意識して措辞したものである。
 いずれにしても共に子孫の繁栄と穀霊を始めとする万物の豊饒を祈るのである。

 伊豫豆比古命神社(椿神社)公式ページ  http://www.tubaki.or.jp/>

<感想>

 起句の「椿樹」、中国の「椿」は日本のツバキとは異なる樹木だそうですが、ここでは神社の通称との関わりでお使いになったのでしょう。
 転句の「神輿」や結句の「祝詞」はそれぞれ「しんよ」「しゅくし」と読んで漢詩の趣を出すか、「みこし」「のりと」と読んで日本の文化だと強調するか、はサラリーマン金太郎さんに聞いてみたいですね。

2009.10.29                  by 桐山人






















 2009年の投稿詩 第176作は 鮟鱇 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-176

  喜報到茅庵        

愚生戰後六十年,   愚生の戦後六十年,

好久無功選擧權!   好久ひさしく功なき選挙権!

老將逸言輕歴史,   老將の逸言 歴史を軽んじ,

大臣酒癖属瘋癲。   大臣の酒癖 瘋癲に属す。

耕牛汗馬嘗塗炭,   耕牛汗馬 塗炭を嘗め,

政鼠財狐擅庫錢。   政鼠財狐 庫錢をほしいままにす。

何不干杯與君醉?   何んぞ杯を干して君と酔はざらんや

今宵喜報欲移山。   今宵の喜ばしき報 山を移さんとす。

          (中華新韵八寒平声の押韻)

<解説>

語釈
「喜報」: 朗報。
「逸言」: 失言。
「庫錢」: 国庫の金。
「政鼠財狐」: “社鼠城狐”をもじった私の造語です。

 選挙権を得て初めて,私が投票した政党が政権を取ることになる。衆院選挙の開票速報をテレビでみながら,そう思いました。
 わたしは,へそ曲がりで判官びいき,そこで国政選挙は,これまではおおむね負ける側に投票してきました。
 詩では,滅びゆく(異論はあると思いますが)漢詩に入れ込んできました。
 しかし,還暦を超えてようやく,政権交替。
 民主制の国に生きているのだという実感があります。政権交替ができない国の民主制は,耐え難かったので、めでたいです。これで日本がよくなるかどうかはわかりませんし,日本の漢詩が力を盛り返すとも思えませんが,とにもかくにもめでたい。
 そう思いながら、この作、作りました。

<感想>

 鮟鱇さんからの詩は、八月末にいただいたものですが、衆議院選挙の結果を見ての作品ですね。

 新政権に対しての評価は、とにかく見た目の良い人たちが走り回って仕事をしている、ということで、国民からも多くの報道でも今のところは好意的というか寛容度が高いかなと思います。
 鮟鱇さんの思いは、「日本の民主主義も捨てたものではなかった」という喜びや安堵感というものでしょうが、私も同感ですね。
 この勢いで漢詩も復活、といけば良いのですけどね。

2009.10.29                  by 桐山人



井古綆さんから感想をいただきました。

 鮟鱇雅兄、お久しぶりです。
玉作を拝見し、立派な律詩であると感心いたしました。
 雅兄は博識ですのでいつも勉強になります。

 わたくしが気がついた点を述べさせていただきますが、雅兄のご意見もまた伺いたく思います。

 「社鼠城狐」なる語を初めて知りました。雅兄はその語をもじって「政鼠財狐」とされたようですが、下句に「庫錢」がありますので、そのままでも詩意は充分理解できるように思いました。含蓄のある熟語ですので惜しく思います。

 雅兄は中華新韵にご堪能で第八句に「山」の語を使用されていますが、わたくしは旧式の水平韵しか覚えていませんので、自分であればどのようにするだろうかを長考して、「意衝天」の語を考えてみましたが、いかがでしょう。
 最後の句は、読み下しをできるだけ省いて簡潔にしたほうが詩意が深まるように思います。

 わたくしが最も感動しましたのは、第七句に否定詞を重ねて語気を強めた点です。
 二重否定は肯定を最大限に強めますので、雅兄が「何不」と措辞されたことは、政権交替を長らく待ち望んだことに、友と乾杯する喜びが最大に表現されました。適所への措辞だと感心いたしました。

2009.10.30              by 井古綆


鮟鱇さんからお返事をいただきました。

 井古綆先生
 拙作にコメントをいただき,ありがとうございます。

 ご質問もありましたので、お答えします。

<「意衝天」の措辞について>
 拙作の「移山」は,「愚公移山」を踏まえたもので,主語は「喜報」なのですが,ご提案の「意衝天」では,「意」が誰の意であるのか,また何の意であるのか,そしてそれがどうして天を衝くのか,天を衝くことが何を意味するのかが,よくわからないと思います。

<「政鼠財狐」について>
 わが国の四字熟語は、国語の問題などで正しい熟語はどれか、正解はどれか、というようなことが問われるばかりで、新しい熟語を生み出す力が,なくなっていると思います。
 一方,中国の四字成語は,意味が伝わればよい、とされていて、時に応じ新たに成語を造る、意味が損なわれない範囲で記憶違いも許される,ということで新しい変種の成語をどんどん生んでいく。
 そして、そういう変種の誕生を結構楽しんでいるのではないかと思います。

 そこで、それぞれにニュアンスの差は多少はあるのだと思いますが、似たような成語があまたあることになります。
 これを「愚公移山」に関連する成語でみれば,
  移山拔海
  移山回海
  移山竭海
  移山跨海
  移山填海
  移山造海
  移山倒海
 さらには、
  拔山超海
  覆海移山
  回山倒海

 などもあります。
 どれも大きな力を発揮し、その力で自然なり環境なりを変えることを形容する言葉です。
 「政鼠財狐」は,「社鼠城狐」あるいは「城狐社鼠」の変種として,大目にみていただければと思います。

<中華新韵について>
 小生,最近は,自作の上では旧韵を捨てています。
 新韻は、ひとたびそれを知った以上はそれに従うべきものと考えており、みなさんの同意を得ようとするものではありませんが、旧韻を顧慮する必要はもはやない、という立場で詩を作っております。
 新韻を知ったうえで,あえて旧韵で作詩することは,新韻しか知らない中国の若い詩人たちに懐古趣味的教養をひけらかすだけのようにも思え,言葉の遊びに過ぎぬとも思います。
 新韻に慣れるためには,まず簡体字に親しみ,中国の小学生と同じレベルでピンインを学ばねばならず,中国から韻書を取り寄せなければなりませんが,それをしないのは,僭越ですが,今あるものだけで詩を作ることに他ならず,功を急ぐだけのものであり,漢詩人としての努力が足りない,とも思います。

<読み下しについて>
「読み下しをできるだけ省いて簡潔にしたほうが詩意が深まる」とのお言葉ですが、読み下し文としての詩意はそのとおりだと思います。
 しかし,小生は,そのために白文の詩意を削ることは,したくありません。

 読み下し文に日本語の美を追求するお考え、多くの方がお持ちだと思いますし,日本の漢詩界で,そのような指導がなされていることも承知しています。
 しかし、わたしには、読み下し文には、漢文の読解を難しくするだけ、という弊害があると思います。
 読み下し文は、日本語を絶対としています。その結果、漢語が不用としている無駄な日本語が書き加えられることになり、そのプロセスで多くの独断が生まれ,詩を鑑賞する視野を狭くします。
 この点につきましては、拙ブログの下記記事をお読みいただければ、幸甚です。

  http://shiciankou.at.webry.info/200910/article_27.html

 いずれにしましても、小生、読み下し文は、日本語に慣れた日本人の読者が、詩の概要を手っ取り早く把握できるようにするためのサービスとして、適当に作ればよいと思っています。


2009.11. 9             by 鮟鱇





















 2009年の投稿詩 第177作は サラリーマン金太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-177

  米山帰幽百年祭 頌三輪田米山        

奉持神職道相求   神職を奉持して道 相求め

遍学古風書技修   遍く古風を学んで書技を修む

酔筆恬然又豪放   酔筆恬然(てんぜん)又豪放

雲煙吹拂本眞悠   雲煙吹き拂ふて本真悠(はるか)なり

          (下平声「十一尤」の押韻)

<解説>

☆作詩の背景

 明治四十一(1908)年十一月三日、伊予の書聖と称えられる三輪田米山は八十八歳の天寿を全うしました。一昨年には県内政財学界代表からなる「米山顕彰会」が設立され、昨年は没後百年を記念した講演会や展覧会が県内各地で開催されました。


☆字句解説
「奉持神職」: 米山は松山市久米にある日尾八幡神社の神主であった。
「義之」: 王義之(321−379)。中国東晋時代の書家。政治家。世界一の書家で書聖と称された。彼の作品は書を志す人全てのバイブルとなった。

「酔筆恬然又豪放」: 米山は無類の酒好きとして知られ、日尾社門前の後藤酒造で酒を浴びるほど飲んで後藤家はもちろん松山地方各地に、個性豊かな作品を数多残している。ただ単に酒におぼれたのではなく、酔眼の中に書の奥義を求め、何者にもとらわれない自由闊達な「無」の境地の中で、常に新たな作風を追求されたものと私は解釈している。

「雲煙吹拂本眞悠」: 結句は恥ずかしながら全て伊藤竹外師の添削で直されたところ…(^_^;)。例会で老師にその意味を問うたところ、師曰く、「大きな筆でもって荒々しく精気あふれるその墨痕は群雲が立ち込め、さらに之を祓う如くに勢いがある筆法で、人におもねず時代に流されない豪放磊落な米山の書風にこそ書の真髄があるのだ。」という解釈を戴いたところです。

 米山顕彰会公式ページ  http://beizan-ehime.jp/

<感想>

 転句は挟み平で作られています。
 三輪田米山氏の書については、私は書に詳しいわけではありませんが、解説に書かれた伊藤竹外先生のお言葉が全てを教えて下さっているように思いました。結句はここにしか置けない盤石の句と思います。

 こうした先人について語る詩では、どうしても経歴紹介の部分が説明調になってしまうことが多いのですが、この詩は後半の描写に米山氏の書に対しての作詩者の感覚が表れ、緊張感のある詩になっていると思います。その分、起句の「奉持神職道相求」と書との関係が希薄に感じてしまうのですが、「道」という部分でつなげたいというところでしょうか。

2009.10.30                  by 桐山人






















 2009年の投稿詩 第178作は 仲泉 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-178

  幽賞偶成        

爽風一過雨余天   爽風一過雨余の天

山腹残雪自浩然   山腹の残雪自ら浩然

独歩詠吟塵外境   独歩詠吟塵外の境

当途佇念静聞蝉   途に当たって佇念静かに蝉を聞く

          (下平声「一先」の押韻)

<感想>

 承句の「残雪」は「残雲」の間違いではないでしょうか。「浩然」とつなげるためにも、「残雪」では物足りないと思います。

 転句は、「世俗を離れて、詩を口ずさみながらひとりで歩く」ということですが、それで結局どこを歩いたのかが分かりません。というのは、起句も承句も景色を語ってはいますがそれは遠景、ということは作者の居る場所を話しているわけではないからです。
 「塵外境」が場所を示しますが、これは比喩表現。結局、作者は林の中にいるのか、山の中なのか、それとも川のほとり、野原の中、もやーとした状態のままなのですが、それが作詩の狙いだと言われると、術中にはまったのかもしれませんが、全体的に具体的な景色が乏しいのは物足りなさを感じます。

 詩題については、「幽賞」と「偶成」では合いません。承句の「浩然」の感慨とはどちらも不釣り合いでもあります。「偶成」だけならば題としては可能ですが、内容とは何もつながらない題で、好ましくはないですね。
 「山行」と行動を表すのでもよいし、詩中の「独歩詠吟」でも「聞蝉」でもよいので、再考してください。

2009.10.30                  by 桐山人



井古綆さんから感想をいただきました。

 玉作を拝見いたしました。
 わたくしは他のお方にも申し上げていますが、詩題は大切な詩意の表現をしなくてはならないと思っております。
 鈴木先生もこのことに言及されています。玉作を拝見して雅兄が何を詠じたいのかを理解することが出来ません。

 結句に気がついた点がありますので、筆を執りました。
「当途佇念静聞蝉」とありますが、「当途」とは重みのある語です。わたくしも「当路」と共に度々使用いたします。意味は「(要路に当たる意)枢要な地位にあること。またはその人」ですのでこの語は変更するべきだと思います。

 次に雅兄だけではありませんが、「聞蝉」の措辞は恐らく短歌の影響だろうと推測いたします。
 漢詩ではやはり「鳴蝉」であり、鴬であれば「啼鴬・鳴鴬」でなくてはならないでしょう。
 ここが漢詩と和歌・短歌や俳句との違いで、我々が注意しなければならないと思い、仲泉雅兄のページをお借りいたしました。

2009.11. 2             by 井古綆





















 2009年の投稿詩 第179作は 忍夫 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-179

  梅雨消閑        

一庭新緑迎梅霖   一庭の新緑 梅霖を迎へ、

但見紫陽花浅深   ただ見ゆ 紫陽花の浅深なるを。

半日閑来幽巷雨   半日 閑来りて 幽巷の雨、

読書忽倦枕書人   読書 忽ち倦んで 枕書の人。

          (下平声「十二侵」の押韻)

<解説>

 新緑に染まる庭も梅雨の季節を迎え、紫陽花の色の濃淡が美しい。雨降りの日の暇つぶしには、読書が最適だがすぐに飽きて、本を枕に眠ってしまうのがオチ。

<感想>

 起句の「迎」の仄用は「まだ来ていないのを迎えに行って連れてくる」という意味になるのですが、この場合に適しているでしょうか。通常は平用ですし、他の字を探されるのも一つかと思います。

 承句はできれば下三字を「色浅深」としたいとも思うのですが、イメージとしては読み取れます。

 結句の「人」は「上平声十一真」ですので、押韻が合っていないのですが、これは勘違いでしょうか。

2009.10.30                  by 桐山人






















 2009年の投稿詩 第180作は 忍夫 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-180

  梅雨        

細雨瀟瀟満路泥   細雨 瀟瀟 満路の泥、

暗雲三日尚天低   暗雲 三日 尚ほ天低し。

波紋忽砕潺湲早   波紋 忽ち砕けて 潺湲早く、

綽綽行人楊柳堤   綽綽たる 行人 楊柳の堤。

          (上平声「八斉」の押韻)

<解説>

 そぼ降る雨が三日も続くと、道はぬかるみ。まだ雨の日が続く気配。
 川に落ちた雨粒が作る波紋は次から次へと砕けて、川の流れが早い。
 遅遅として道行く人の傘影が、ぼんやりと柳の土手に見える。

<感想>

 梅雨の季節の情景描写が続いた後、結句で「行人」が登場するのですが、転句の「潺湲」の言葉と結句の「綽綽」が対比され、あたかも、それまで展開の早かった動画画面が突然スローモーションになったようで、印象画を見ているような気持ちになります。

 承句の「三日」の何気ない置き方も、写実性を高めていて、手慣れた手腕を感じます。

2009.10.30                  by 桐山人



井古綆さんから感想をいただきました。

 忍夫雅兄、お早うございます。
 玉作を拝見いたしました。雅兄とはHP上では長いお付き合いですので、率直に申し上げます。

 各句とも一句ごとに見れば好く出来ていると思います。ただ転句の「潺湲早」は、漢詩では「急ぐ」又は「速」の語を使用します。

 問題は詩の構成が不十分では無いかと思いました。
 すなわち転句の「波紋」が突如出てきては不自然ですので、この場合には承句に降雨を措辞しなければならないでしょう。
 試作しましたので参考になれば幸いです。

    試作 梅雨寸景
  暮春旬日暗雲低   暮春 旬日 暗雲低く
  山雨瀟瀟降碧溪   山雨 瀟々 碧溪に降る
  流水潺湲水紋畳   流水 潺湲 水紋畳(かさな)り
  悠揚傘影映長堤   悠揚たる傘影  長堤に映ず


2009.11. 2             by 井古綆