2007年の投稿詩 第241作は 貞華 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-241

  於異国遥思第二次世界大戦        

戦局崢エ遂不収   戦局崢エにして遂に収まらず

軍威暗転砲声稠   軍威暗転の砲声は稠し

数多兵士逃何処   数多の兵士 逃るるは何処

渺茫荒蕪転惹愁   渺茫たる荒蕪 転愁を惹く

          (下平声「十一尤」の押韻)

<解説>

 中国を旅して
いわゆる赤紙一枚で命を落とした人と共に開拓民として終戦を苦しんだ人を偲びました。

<感想>

 詩の内容から推測をしますと、中国東北部、旧満州の地を旅されたのでしょうか。
 戦局、あるいは軍部によって翻弄され、辛苦な人生を歩まれた方が沢山いたことを、私たちは日常の生活の中では忘れています。でも、それは「知っているけど忘れている」のであり、必要な時にはいつでも思い出せるようになっているはずです。
 旅に出て、日常の生活から離れることができると、忘れていたことが呼び起こされる、スイッチが入った、そんな気がすることがよくあります。そして、制約のない自由な心で、素直に感情を働かせることができます。

 戦後生まれの人ももう既に還暦を迎える、それ程に歳月が過ぎました。しかし、土地に根付いた歴史と記憶は風化することはないのだと、貞華さんの詩を読みながら考えました。

 最後の句の「茫」は平字として用いますので、「二四不同」の点で推敲をしておいてください。

2007.12.15                 by 桐山人



井古綆さんから感想をいただきました。

 貞華さんこんにちは。
 わたくしは、自身の経験していないことに対しましては、人様の詩に批評を避けていましたが、この貞華さんの作は詩意がまとまっていましたので、思わず筆を執りました。

 まず、全体的に良く出来ていて、読者に詩意が伝わってきます。愚見をお許しいただいて、気のついた点を述べさせてください。

 当詩は一種の詠史詩だと思います。詠史詩の大切なことは、多くは転句で以って過去と現在を繋ぐことで、これが無いと詩が時間的に平板になります。

 次に、鈴木先生も各所で述べられていますように、結句の詩意が弱いように感じられます。当詩に例をとりますと、結句の最後の韻字が「愁」のみでは弱く「悲愁」などの熟語を使用すれば、感情を込められます。
 わたくしの経験では、出来得る限り“平起こり”にすれば、起句にも、結句にも感情を込められる熟語が多くあると思います。当詩で貞華さんが「崢エ」の語を適切に使用されたことに、絶大な賛辞を申し添えます。

 以下に“平起こり”に変えてみました拙作を記しますので、ご参考にしてください。

    試作
  崢エ戦局遂無収    
崢エたる戦局は 遂に収まる無く
  不義干戈往事悠    不義の干戈 往事悠かなり
  今日昇平此憑弔    今日昇平 此に憑弔すれば
  渺茫荒野只悲愁    渺茫たる荒野 只だ悲愁のみ

2007.12.16            by 井古綆


貞華さんからお返事をいただきました。

 井古綆様、有難うございます。

 今回のご指摘理解できました。
 吾夫君にも「見て居たようなことを言う」と言われておりました。
ただ、いただきましたご指摘、私にはかなり高いハードルですが(誰にもできる漢詩の作り方)の本を片手に頑張りますので、よろしくお願いいたします。

 それから添削していただきました漢詩を吟じることができましたらすばらしいと思いました。

2007.12.20            by 貞華





















 2007年の投稿詩 第242作は 深渓 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-242

  書憤防衛省     防衛省に憤りを書す   

獨将興国獨亡邦   獨り将て国を興し獨りで邦を亡ぼす、

座右銘心気勢厖   座右の銘心 気勢厖たり。

引例蘇洵曰嘆息   引例す 蘇洵 嘆息して曰く、

未曽醜行世無双   未曽(有)の醜行 世に双い無しと

          (上平声「三江」の押韻)

<解説>

 〇前防衛次官は中国宋代の文人蘇洵の故事を引用して「座右の銘」として勤務を果たしたと退官時の挨拶で述べた。気勢厖大なるも裏腹に夫婦揃いゴルフにマージャン等々の接待を長年受けてミミッチイ。あの世の蘇洵は嘆息していることでしょう。
 〇今年一年は偽に振り回された年でした。来年は明るい話題と真の年でありますように念願いたします。

 今年も余すところ僅かになりました。巷では殺人まして、尊属近親者に事件が多発。一方では政官界の商社との疑惑と老生はただただ怒るのみ切歯扼腕とはこのことでしょう。
 来年こそは良い年になりますよう。

<感想>

 前防衛事務次官の座右の銘として有名になった蘇洵の言葉は、「一国以一人興、以一人亡。(一国一人を以て興り、一人を以て亡ぶ)」というものだそうですが、深渓さんのお怒りももっともなこととつくづく思います。
 毎年、年の瀬になると悲しい事件を聞くことが多くなるのですが、今年はずーっと続いて来ているような感じで、本当に明るい来年になって欲しいというのが誰しもの願いだと思いますね。

2007.12.17                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第243作は 謝斧 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-243

  拙哉冑山行        

投老世味薄   投老世味薄く

草草辞塵寰   草草と塵寰を辞す

世人従流俗   世人流俗に従ひ

不容我愚頑   我愚頑を容さず

事事與心違   事事心と違ひ

棲遲残生慳   棲遲残生を慳む

挟持陸游集   挟持す陸游の集

騎驢過郷関   驢に騎りて郷関を過ぐ

獨対舊山河   獨り舊山河に対し

欲訴行路艱   訴えへとす行路の艱きを

冑山屹不群   冑山屹として群ぜず

聳峙翆雲鬟   聳峙す翆雲鬟

武水流滾滾   武水流れて滾滾

清韻亦潺湲   清韻亦た潺湲たり

到家母已逝   家に到れば母已に逝き

展墓涙潸潸   墓を展ぶれば涙潸潸

多喪舊相識   多く喪ふ舊相識

存者霜髪斑   存者 霜髪斑なり

茅屋但四壁   茅屋 但だ四壁

久已戸不関   久しく已に戸を関せず

門外羅可設   門外羅を設くべし

起居方丈間   起居す方丈の間

晴即負耒耜   晴るれば即ち耒耜を負ひ

雨便把詩刪   雨ふれば便ち詩刪を把る

狂吟撃唾壷   狂吟して唾壷を撃ち

酣醉撫刀鐶   酣醉して刀鐶を撫す

野趣誘引我   野趣我を誘引し

出門野徑彎   門を出れば野徑彎たり

穩歩風日恬   歩穩に、風日恬に

行歌野興閑   行浩歌すれば心自ら閑なり

踏草復渡溪   草を踏み復た溪を渡り

担酒石蘿攀   酒を担ひ石蘿を攀ず

峨峨三面峰   峨峨たり三面峰

可愛緑廻環   愛すべし緑廻環なるを

目斷瞰城市   目斷して城市を瞰みれば

烟舟漂碧灣   烟舟碧灣に漂ふ

藉草暫塔然   草を藉いて暫く塔然

放情聞綿蠻   情を放ちて綿蠻を聞く

層雲掩山動   層雲山を掩ひて動き

暮禽下谷還   暮禽谷を下りて還る

聊恨無相伴   些か恨むは相伴ふ無く

野酌酒色殷   野酌すれば酒色殷し

酔裏轉懷旧   酔裏轉た旧を懷へば

一笑半生間   一笑す半生間

馳逐恨蹇劣   馳逐蹇劣を恨み

世網嘗辛艱   世網辛艱を嘗む

斗米不折腰   斗米にも腰を折らず 

厭見無愧顔   厭ひ見る無愧の顔

残生楽天全   残生天の全きを楽しみ

拙哉老冑山   拙なる哉老冑山

          (上平声「十五刪」の押韻)

<解説>

 旧作です

 [語釈]
●草草 にわかに ●塵寰 けがれた世の中 ●流俗 世俗のならわし ●棲遲 きらくな生活をするし ●騎驢 意を得ない様 普通は馬に騎る乗る所だが ●門外羅可設 訪れる客が来ない ●野徑彎 野徑が曲がりくねっている ●風日恬 のどか ●石蘿 石にまとわっているつた ●目斷 みはるかす ●塔然 我を忘れてうっとりする ●綿蠻 小鳥の鳴く声 詩経 小雅 ●放情 心をのびのびさせる ●酒色殷 酒を飲んで顔をあかくする  ●馳逐 馬を走らせる●恨蹇劣 才能の無いのを恨む ●不折腰 人に頭を下げない 吾不能為五斗米不折腰 陶淵明

<感想>

 謝斧さんから古詩をいただきました。
 換韻をせずに一韻到底でお作りになっていて、いつもながら謝斧さんの語彙力と構成力に感服します。沢山付けて頂いた語注とともに、丁寧に一句一句をお作りになっていますので、読んでいて作者の気持ちが滑らかに入ってきます。

 こうした詩を書くには、体力も必要だろうと変な感心もしてしまいました。

 漢詩では、実際の年齢以上に「老」を強調するところがありますが、この詩では謝斧さんの表現力と、詩の背後に居る陶潜の影が、余分な気負いを消していると思います。

2007.12.17                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第244作は 禿羊 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-244

  東山道番場駅蓮華寺
    元徳三年五月、六波羅探題北条仲時以下四百餘人、於此地自刃。

百年安泰馬蹄塵   百年の安泰 馬蹄の塵

弓箭不時侵紫宸   弓箭時ならずして紫宸を侵せり

吾族臨朝以兵仗   吾が族は朝に臨むに兵仗を以ってし

世世常為社稷臣   世世 常に社稷の臣たり

忽起二朝何正逆   忽ち二朝起りては何れか正逆

衷心不図背龍綸   衷心図らずも龍綸に背けり


已矣藩侯謀反違   已矣かな 藩侯 反違を謀り

洛陽形勢我不利   洛陽の形勢 我に利あらず

昨日誇号十萬兵   昨日 誇りて号す 十萬の兵

今朝僅数一千騎   今朝 僅かに数ふ 一千騎

遺室託孤生訣情   室を遺し孤を託す 生訣の情

乗闇撤兵勢権地   闇に乗じ兵を撤す 勢権の地

十里回頭上火炎   十里 頭を回らせば 火炎上り

時思興亡流悲涙   時に興亡を思ひて 悲涙流る


脱兎辛臻番場駅   脱兎 辛くも臻る 番場の駅

乃聞四面楚歌声   乃ち聞く 四面楚歌の声

家郷猶遠一千里   家郷 猶遠し 一千里

前路茫洋満敵旌   前路 茫洋として 敵旌満つ

鳴乎至此吾事畢   鳴乎 此に至りて 吾が事畢る

年来忠節謝諸卿   年来の忠節 諸卿に謝す

我雖不肖平氏帥   我 不肖なりと雖も 平氏の帥なり

請以吾首城下盟   吾が首を以って 城下の盟を請へ


言了屠腹臥寺庭   言了るや 屠腹して 寺庭に臥す

此時郎従誰惜命   此の時 郎従 誰か命を惜しまんや

四百殉義屍若山   四百 義に殉じて 屍 山の若く

腥風覆地一天暝   腥風 地を覆ひて 一天暝し


日暮寂寥湖国秋   日暮 寂寥たり 湖国の秋

寺裏鴉鳴古冢幽   寺裏 鴉鳴きて 古冢幽なり

洗石霖霪七百歳   石を洗ひて 霖霪 七百歳

鬼魂猶住哭啾啾   鬼魂 猶住(とど)まりて 哭啾啾たり

<解説>

 中山道(東山道)の番場の宿といえば、番場の忠太郎がまず頭に浮かびますが、これは小説。
 ここにある蓮華寺は建武の中興の時、京都六波羅北条一族が滅亡した地として知られており、その経緯は『太平記』に詳しく述べられています。私が訪れたのはもう何十年も前ですが、晩秋の夕暮れの墓地は陰惨たる気に満ちていました。

北条仲時の気持ちになって、詩を作ってみました。またまた、長々しいものになってしまい、読んでいただくのは恐縮なのですが。

<感想>

 禿羊さんからも古詩をいただきました。
 今回は中山道の番場、名神高速の米原ジャンクションの近くの蓮華寺が舞台です。歴史的な状況と事件を略記すれば、足利尊氏に攻められた六波羅探題の北条仲時は、番場宿まで逃げて来たのですが、敵に道を阻まれ、元弘三年五月に蓮華寺で自刃しました。従っていた者達432名も同じくその場で自害したということです。
 こうした歴史上の重い事件を、どのような観点から詩として表すか、そこに作者の独自性が生まれますね。禿羊さんは、北条仲時の気持ちになって、とのことですね。
 この事件の悲劇性は、後半の「四百殉義屍若山 腥風覆地一天暝」の二句が最も象徴的に表していると思いました。

2007.12.17                 by 桐山人



井古綆さんから感想をいただきました。

 禿羊さんお久しぶりです。
 大作を拝見いたしました。
 雅兄は歴史にお詳しい方と存じ上げました。わたくしは歴史には興味はありますが、雅兄のようには詳しくはないので、玉作のストーリーは分かりませんが、文字を拾っただけで、詩の内容がドラマチックに展開されていて、胸を打ちます。
 この大作を作り上げるには、相当な歴史上の知識が必要だと思います。まことに有難うございました。
 今後もこの様な大作を拝見できることを、楽しみにしております。

2007.12.18                 by 井古綆





















 2007年の投稿詩 第245作は 玄齋 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-245

  重陽楓菊(推敲作)        

重陽黄菊照吟袍   重陽の黄菊 吟袍を照らし

滿目楓紅秋氣高   満目 楓紅 秋氣高し

盡日陶家詩酒樂   尽日 陶家 詩酒の楽しみ

忘憂遺世醉中逃   憂いを忘れ 世を遺れて 酔中に逃ぐる

          (下平声「四豪」の押韻)

<解説>

 これは、世界漢詩同好会に投稿した「重陽楓菊」の詩を推敲したものです。

<感想>

 世界漢詩同好會の折の玄齋さんの作品「重陽楓菊」の推敲作とのことですが、詩想は基本的には同じですが、韻字も異なりますので、同じ題でもう一首作られたと理解しました。

 さて、まず起句ですが、この一句だけで見ると、ずばりと作者を描いていて問題のない佳句ですだと思います。しかし、全体を見てみると、ここの「吟」の字が、転句の「詩酒楽」のネタばらしのようなもの、せっかくの陶潜を持ってきた効果を半減しています。不用意だと思います。

 結句は、論理的におかしいのではないでしょうか。「重陽楓菊」の風景の中にいれば、もう既に「忘憂」し、「遺世」しているのだと思いましたが、更にこれ以上「酔中」「逃」げる必要があるのでしょうか。
 私の感覚では、憂いを忘れることもできないし、世間から離れることもできない時に、酒に「逃げる」のではないかと思っていました。
 また、転句までの内容を受けての締めくくり、とりわけ陶潜を引き合いに出しての収束ですので、「逃」の字では、詩全体が弱々しい印象になります。韻目である「豪」の字でもお考えになってはどうでしょうか。

2007.12.17                 by 桐山人



玄齋さんからお返事感想をいただきました。

 世界漢詩同好會を投稿した後で、詩を改めて作り直そうと思い、今回こちらに投稿いたしました。
 起句の「吟袍」ではタネ明かしをしてしまうのですね。よくわかりました。

 結句が「逃」では、尻すぼみになってしまいました。ここはもっと考えます。

今回は次のように推敲しました。

重陽黄菊照征袍   重陽の黄菊 征袍を照らし
滿目楓紅秋氣高   満目 楓紅 秋氣高し
盡日陶家詩酒樂   尽日 陶家 詩酒の楽しみ
忘憂遺世興方豪   憂いを忘れ 世を遺れて 興まさに豪なり

いつもありがとうございます。
よろしくお願いいたします。

2007.12.20                by 玄 齋




















 2007年の投稿詩 第246作は サラリーマン金太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-246

  愛媛菖蒲        

腰山登到緑陰新   腰山ようざんに登り到れば緑陰新たなり

清麗渓孫彩仲春   清麗渓孫けいそん 仲春を彩る

隠遁美姫僵此地   隠遁せし美姫此の地にたお

紫花代發使愁人   紫花代って発く 人をして愁ひしむ

          (上平声「十一真」の押韻)

<解説>

 愛媛菖蒲・・・・学名はタレユエソウ、「誰ゆえにこんな可憐な花を開くのだ」と讃美したことに基づいて名付けられた。エヒメアヤメは別名である。アヤメ科の多年草。根茎はやや扁平で細く瘠(やせ)形、葉は線形鋭頭で薄い。陽春四月上旬が開花期、そのころ葉長は一〇cm〜一五cmで、数cmの高さの花軸に普通一花を、時に二、三花を咲かせる。花色は淡藍紫色で外花蓋に黄白色の斑点を持っている。花後低く球形の果実を生じる。発見されたのは、北条市(現・松山市)の東部腰折山(こしおれさん)で、命名者は東大の故牧野富太郎博士だった。朝鮮、中国大陸ではどこにでもある植物だが偶然発見されたこの地が、この植物自生の南限地帯であったのも面白い。

 自生地南限として国指定天然記念物(大正14年10月8日指定)となっており、地元下難波老人クラブが保護育成している。旧北条市時代には市花ともなっていた。
 地元の人は「こかきつばた」と呼び伊予節にもこの名で歌われている。明治三一年北条の仙波花曳が病床の子規宛に花を送ったが航空便もない昔の事花はしおれていた。

    花曳が腰折山の小杜若を贈りたるに(枕書)
  小包に小杜若のしをれたる  子規

「腰山」:腰折山(松山市下難波)。214メートル
「渓孫」:エヒメアヤメの美称。

 平家落人伝説・・・・平家方の美しい姫がこの地まで追っ手を逃れやってきたが、遂には落命して果てたという。地元では可憐なその花英から、薄幸な姫の生まれ変わりと伝承された。

愛媛の植物図鑑


<感想>

 サラリーマン金太郎さんがお示しになった「愛媛の植物図鑑」のページで写真を拝見しましたが、花茎が5cmから10cmということで、可憐な花のようですね。

 「渓孫」は「溪蓀」と辞書には載っています。中国名の由来は分かりませんが、この名前も可憐さを表したものかと思いました。「タレユエソウ」という呼び名は、聞くだけでも胸の奥がキュッと詰まるような切なさを持っていますね。
 サラリーマン金太郎さんのこの作品は、眼前の花の描写から平家落人伝説へと自然につなげて、この花の奥ゆかしさを表していると思います。

 用語の点では、追っ手から逃げて(仕方なく)山に潜んだことを転句のように「隠遁」と表現して良いのか、やや疑問が残ります。

 結句の「使愁人」は使役形とするならば、「使人愁」の語順でないと無理があります。
 読み方も、「愁ひしむ」ではなく、「愁へしむ」で、「愁ふ」は下二段活用にする必要があります。

2007.12.18                 by 桐山人



井古綆さんから感想をいただきました。

 サラリーマン金太郎さんの玉作を拝見し、使役形を生かした形で私なりに同韻“仄起こり”で推敲してみました。
花の説明や平家伝説など語ることは沢山あるのでしょうが、絶句で説明できるのはこれくらいだろうと思います。
後は題名なり、説明文で解説したほうが良いと思います。

    試作
  獨上腰山已仲春   独り腰山に上れば 已に仲春
  思馳悲史自逡巡   悲史に思馳すれば自ずから逡巡  (悲史=哀史、これは和習)
  蛾眉魂作溪蓀發   蛾眉の魂は溪蓀と作って発く
  偏使斯花愁殺人   偏に斯の花をして人を愁殺せしむ


2007.12.20             by 井古綆

<追伸>  雅兄の解説の平家落人伝説を思いながら、試作の転句を考えているうち、四面楚歌で有名な、秦末の項羽に垓下までついてきた寵姫「虞美人」のことを思い出しました。
 彼女は垓下で四面楚歌のうち、剣舞の後自刎したと伝えられていて、のちその地に小さな花が咲き、人びとは虞美人草と名付けて薄倖を憐れみ、彼女に思いを馳せたと伝えられています。
 虞美人草とはヒナゲシのことです。

 我国の平家落人伝説の、美姫の故事が虞美人と酷似しているので、当時の識者が姫の薄倖を憐れみ、溪蓀の物語になったのではないかと思いました。

2007.12.23             by 井古綆





















 2007年の投稿詩 第247作は サラリーマン金太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-247

  飛騨白川郷濁酒祭即事     飛騨白川郷濁酒祭(どぶろくまつり)即事   

來傍河川村社阿   河川に来たりふ村社のくま

祭旛飜處綺羅多   祭旛さいはん飜る處 綺羅多し

里人盡醉徹宵酒   里人酔を尽くす徹宵てっしょうの酒

艶舞民謡鼓吹過   艶舞民謡鼓吹して過ぐ

          (下平声「五歌」の押韻)

<解説>

[どぶろくの由来]

 かつて白川郷は、平家の落人のかくれやと言われ、古くから外との交渉の少ない土地柄であったため、村人の心をいやすものは酒以外にはなく、粟・稗の雑穀類で地酒をつくっていました。年代は明らかではありませんが相当古くから「どぶろく」が祭礼に用いられていたと思われています。
 明治元年、会計宮布達による濁酒免許(100石につき金20両の税金)。明治4年免許制度(許可料金5両)が施行されましたが、神社祭礼用については、慣習により無税で濁酒をつくっていたと記録されています。
 昭和23年に酒税法が改正され、神社の「どぶろく」にも、酒税が課税されることになりました。税金はアルコール度数13度未満の物に対し1キロリットルあたり98,600円を基準にして、度数が1度増すごとに8,220円ずつ加算した額が課税されます。昭和37年より酒税法が一部改正され製造限度量が7キロリットル(38石8斗8升)になりました。
 「どぶろくづくり」は、古くより受け継がれた独特の技法をもって、雪にうもれた一月下旬に、神社酒蔵で造りこまれます。どぶろくは祭礼用として独特に許可されたもので、境内からの持ち出しはできません。

[どぶろく祭 地区神社 祭礼日]
荻町:白川八幡宮  10月14日〜15日
鳩谷:鳩谷八幡神社 10月16日〜17日
飯島:飯島八幡神社 10月18日〜19日

[どぶろく祭の日程(おおよその開始時刻)]
 9:00〜 祭典 神社で祭典神事
 9:00〜 村廻り 地区内への御神幸行
15:00〜15:30 獅子舞奉納 神社境内
15:30〜17:00 どぶろく振舞 神社境内
15:30〜16:30 民謡奉納 神社奉芸殿
19:00〜 獅子舞奉納 神社境内
21:00〜 郷土芸能奉納 神社奉芸殿



<感想>

 飛騨白川郷のどぶろく祭りに私は参加したことはありませんが、あちこちから話は聞いています。サラリーマン金太郎さんのこの詩では、祭りのにぎわいが伝わってくるようです。

 起句の「來傍河川村社阿」は、「河川に傍うて来たら村社のほとりについた」ということでしょうか。「傍」の主語が「村社」かと思い、少し悩みました。

 結句は「艶」「民」は逆の対応で、山里であるにもかかわらず(「俚」ではなくて)「艶」だということが作者の強調したいところなのでしょう。

2007.12.18                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第248作は サラリーマン金太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-248

  游夏日信州上高地     夏日信州上高地に遊ぶ   

白樺仙郷度木橋   白樺はくかの仙郷 木橋を度れば

文人墨客此逍遙   文人墨客 此に逍遙す

C川瀲灔郭公囀   清川瀲灔れんえん 郭公さえず

晴昊危巓残雪迢   晴昊せいこう危巓 残雪はるかなり

          (下平声「二蕭」の押韻)

<解説>

「木橋」:上高地を象徴する木の吊り橋、河童橋。橋に立って上流を望めば、三千メートルの偉容を誇る西穂高岳、奥穂高岳、前穂高岳、明神岳が迫り、下流を見やればわずかに噴煙をたなびかせる焼岳が控える。ケショウヤナギやカラマツの川辺林のなかを滔々と流れる梓川の風景とあいまって、すばらしい展望がここに凝縮されている。
 河童橋の名の由来は、昔ここに河童がすみそうな深い淵があったため、あるいはまだ橋のなかった時代、衣類を頭に乗せて川を渡った人々が河童に似ていたから、など幾つかの説があるが、真相は定かでない。しかし、人影まばらな夕ともなれば、こうした伝説にうなずける神秘な趣が辺りに漂う。
 岸から梓川に降りることもでき、流れに手を浸せば、夏でもしびれるほど冷たい。源流の槍ヶ岳を思う一瞬だ。

「文人墨客」:ウォルター・ウェストンはイギリスの宣教師であり、またイギリス山岳会の会員でもあった。「日本アルプス登山と探検」で、日本アルプスを世界に紹介し、日本山岳会の創設にも深く関わった人物である。このほか、以下の方々の来訪が有名ですね。

 洋画家であり詩人の高村光太郎が智恵子との愛を育み、結婚を決意させた場所が上高地です。大正2年夏、二人は清水屋に二ヶ月ほど逗留していました。
 その後紹介された「智恵子抄」の中の散文、”智恵子の半生”にはこんな件があります。
「私は又徳本峠を一緒に越えて彼女を清水屋に案内した。」

 二人が上高地、そして清水屋でどんな話をしたかは知る由もありませんが、上高地を下り、その翌年結婚。当時新聞は二人の事を「美しき山上の恋」とはやしたてました。
 清水屋はそんな高村光太郎と智恵子が結婚の約束を交わしたゆかりの宿なのです。

 芥川龍之介の著書「河童」は河童橋からそのヒントを得たとも、河童橋が「河童」からヒントを得たとも言われています。
 芥川は大正14年に清水屋に宿泊しています。
「河童」の発表(昭和2年)の年の夏、芥川は自殺しますが、「河童」には死を前にした芥川の内面が告白されていると評されています。
 はたして芥川龍之介は上高地で、清水屋で、何を思い、筆をとったのでしょうか。

「清川瀲灔」:梓川の清らかな流れ
「危巓残雪」:標高3190mの奥穂高岳

<感想>

 上高地という日本を代表するような勝景地を漢詩で表すとなると、どうしてもあれもこれもと並べてしまい、観光地の絵葉書セットのようになってしまいます。それは、景色の美しさに寄りかかってしまった状態です。
 同じ美しい景色を眺めても、当然人によってどこに目が向くかは違いがあり、それが個性であり、感性であり、その人のこれまでの人生の象徴でもあると思います。詩を書く時には、そのことが最も大切で、そのための工夫を詩人は重ねるのだと思っています。

 サラリーマン金太郎さんのこの詩では、構成面で物足りなさが残ります。起承転結で見るならば、起句・転句・結句が上高地の眼前の景を描いているのに対し、承句だけが歴史という人事を語っている。それならば、当然、承句の内容を転句に持ってくるべきで、その方が詩にメリハリが生まれると思います。

 また、上高地の自然についてはまさに多くの「文人墨客」が描き出しているところ、高村光太郎や芥川龍之介など詳しく調べていらっしゃるのですから、結句はそうした点を意識して書くと、サラリーマン金太郎さんのこの詩の個性が生きてくると思います。


2007.12.18                 by 桐山人



井古綆さんから感想をいただきました。

サラリーマン金太郎さんの玉作を拝見し、僭越ながら推敲作を考えてみました。ご参考にして頂ければと思います。

    試作
  河童伝説作斯橋    河童の伝説は 斯の橋と作り
  高地名区万客招    高地の名区は 万客招く
  清川雪岳仙郷景    清川雪岳 仙郷の景
  杞憂俗化自寥寥    俗化を杞憂すれば 自ずから寥々

 同韻でさっと作りましたので、まだ推敲の余地はあります。
 わたくしは詩題を出さなくても、詩中に場所を特定できる詩語を出来るだけ入れるよう心がけています。
当詩では「河童」です。

2007.12.24            by 井古綆





















 2007年の投稿詩 第249作は 深渓 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-249

  書憤防衛省 二    防衛省に憤りを書す   

被抄軍機也蓋慙   軍機を抄めとられて也た蓋ぞ慙ぢざる

是疑不罰責無談   是れ疑ふらくは罰せずと責を談る無し

文民統制顕官堕   文民統制 顕官堕ちて

儈與利権高爾貪   儈と利権 高爾を貪る

          (下平声「十三覃」の押韻)

<解説>

「儈」:仲買人・商社をいう。
「高爾」:高爾夫の夫を省略、ゴルフをいう。現代中国語。

 昨今の防衛省の不祥事は目に余りある。機密の漏洩が頻繁にあり、陸海空を束ねる事務次官は商社の饗応、ゴルフ等常識を超えた癒着に老生は怒る。

<感想>

 242作にも深渓さんの同題の詩が載せてありますが、実はこちらが先にお作りになったものです。深渓さんと読み下しの確認をしていましたので、前後してしまいました。
 「先に『書憤防衛省』を投稿しましたが、まだまだ憤懣やるかたなく」、というお気持ちは、とても大切だと思います。
 今年はとりわけ、「偽」に象徴される一年だったのですが、最も大きな問題は不正への慣れが私たちの心に浮かんでしまうことです。
 「またか」「どこでもやってるんだろうな」という思いは、怒りを忘れさせます。本来起きてはならないこと、信頼を根底から崩すこと、そうした問題に対して慢性化による「あきらめ」が、私などはつい生まれてしまいます。
 深渓さんの怒りが、ぼやけてきた私の心をすっきりとさせてくださったように思います。

2007.12.19                 by 桐山人



井古綆さんから感想をいただきました。

 深溪さん、初めまして、井古綆です。

 玉作二首を拝見いたしました。我々が最近心に思っていることをずばりと表現されて、とりあえず溜飲が下がりましたが、良く考えれば人間の強欲な醜い面が露呈して、我々も心得しなければならないと、改めて自覚します。
 玉作によって「儈」の字を勉強いたしました。有難うございました。

 次に玉作の結句に使用されています「與=と」について、浅見を述べてみます。
 雅兄の結句の上四字「儈與利権・・・」の場合の「與」は次の「利権」にかかる字で、「儈」にかかる「與」は省略されていると認識しなければならないと思います。したがって読み下す場合は「儈と利権と・・・」読むのが正しい読み方だと思います。

2007.12.22               by 井古綆


 並列を表す「與」ですが、この字はつながれる二つの言葉の間に置かれます。「日本と中国」と言うならば、「日本與中国」と書きます。英語での「and」と同じように考えられます。
 三つ以上並べる時、例えば「日本と中国と韓国と米国」と書く時、日本語では原則として「ト」でつないで行きますが、「日本中国韓国與米国」という形で、最後の二つの語の間に「與」を添えて、前の方には入れません。
 これは詩に限りませんので、字数制限の関係に加えて、書き手読み手双方の繁雑さを避け、文としての明快さを求めたものだと思っています。

 読み下しにつきましては、井古綆さんの仰る通りで、並列の場合には「○○ト○○ト」と送り仮名を振ることになります。
 参考に、「與」はもう一つ、「一緒に」という意味もあり、英語で言えば「with」に当たる用法です。例えば、「太郎與次郎遊終日」は「太郎 次郎遊ブコト終日」と読みます。これは、主語が「太郎」の場合です。二人を主語にする「太郎與次郎為兄弟」ならば、「太郎ト次郎トハ兄弟為リ」としますので、文脈の判断が大事になると思います。

                    by 桐山人


深渓さんからお返事をいただきました。

井古綆様と桐山堂先生のご指摘とご感想有難うございました。
「與」の用法は承知していまして、読み下しで抜かしてしまいました。
年をとると誤字や抜字が多くなり、向後注意します。

 これからも、此れに限らず、ご叱正くださるようお願い申し上げます。
有難うございました。

2007.12.29              by 深渓





















 2007年の投稿詩 第250作は 芳原 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-250

  霜月 其一        

霜天過午霽   霜天 過午に霽れ

驟雨落陽頻   驟雨 落陽に頻りなり

遠岫雲重暮   遠岫 雲重なりて暮れんとす

畦辺急邑人   畦辺 邑人を急がしむ

          (上平声「十一真」の押韻)

<解説>

  霜月 昼下がりの通り雨が止んだのも束の間
  キラキラ耀く夕日の中をまた雨が走り抜ける
  遠い山には雲が重なるようにして夕闇がせまり
  刈入れの終わったあぜ道には村人たちが足早に通り過ぎていく


<感想>

 起句は分かりますが、承句はこのままでは「落陽が頻り」となりますので、何のことか分からないですね。「驟雨が頻り」と理解しても、起句の「霽」とぶつかります。
 ここは「暮」とか「晩」の字を用いて時間経過を示す必要があるでしょう。

 後半だけで見るとよくまとまっているので、前半を推敲されるとよいでしょうね。

 この詩は、起句の「霜天」が無いと、夏の詩でも良いような印象です。叙景の詩ですので、季節感を出す言葉をもっと入れる必要があります。

2007.12.21                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第251作は 芳原 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-251

  霜月 其二        

霜月霜凝閭巷寒   霜月霜凝りて閭巷寒し

于思何處足清歡   于思何れの処ぞ清歡足る

閑吟独坐去塵境   閑吟独り坐して塵境を去り

屏居傾杯夜已闌   屏居杯を傾ければ夜已に闌たり

          (上平声「十四寒」の押韻)

<解説>

 十一月、通りには霜柱が立って家々は冬支度におおわらわ
 白髪頭のご隠居はどこに行ったのやら いつも笑顔で悠々の暮らし
 時には下手な詩を吟じ冥想にふける姿は悟りの境地か
 早々と杯を重ねるのも隠居なればこそ おやもうこんな時間か

<感想>

 「霜月」「霜の降りる寒い夜の月」ということで「空にある月」を表すのならば良いのですが、「十一月」という意味で「しもつき」として使うとなると、その異名は日本での呼び方で、漢文では陰暦七月のことになってしまいます。
 では別の言葉に、と言っても、起句では「」と重字で工夫されているところ。せっかくの句ですのであまり変えたくはないですね。
 「夜の月」として読めないこともないのですが、そうなると句の意味が「霜の降りる夜の月、(地上では)霜が降りて」と当たり前すぎて面白くなくなります。
 ここは、和習であることを前提として、作者の工夫を味わうことにしましょう。

 鈴木豹軒に「神無月」と題された詩がありますが、こちらも日本での十月の異名。和語を用いることで、時空間の広がりを出し、時事の儚さを際だたせていると言えるかもしれませんね。

 承句の「于思」「ひげづら・白髪頭」と両方の意味があるようですが、ここでは「白髪」の方ですね。
 作者自身のことを語られているのでしょう、「白髪(の私)はどこに行って心を落ち着かせようか」と問題提起をするわけです。(解説にお書きになった訳のように読もうとすると、上四字と下三字の間に飛躍が大きくなります)
 この「清歓」の内容が後半に描かれていると私は思うのですが、そうなると、承句の問題提起は何だったのか?となります。
 推敲される場合のポイントは承句の「何處」の二字、もしくはその下三字でしょう。
 結句の「居」は平字ですので、ここは直しましょう。

2007.12.21                 by 桐山人



芳原さんからお手紙をいただきました。

鈴木先生、年末のご多用の中、今回もまた懇切なるご指導を頂きました。
ありがとうございました。
 心からお礼申し上げます。

 先生の一つ一つのご指摘が身にしみ入るように理解出来るようになりました。 私の大きな進歩だと喜んでおります。
今年も本当にお世話になりました。

 来年もまたよろしくご指導を賜りますようお願い申し上げます。
どうぞ良いお正月をお迎え下さい。

2007.12.26               by 芳原





















 2007年の投稿詩 第252作は 柳田 周 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-252

  替高校同級会欠席辞     高校同級会欠席の辞に替ふ   

二十日前従摘脾   二十日前 脾を摘して

間居全日少怡怡   間居全日 怡怡いいたるを

旧朋今正一堂集   旧朋今正に一堂に集ふ

遠欲同心孤挙巵   遠く心をともにせんと欲して孤り巵を挙ぐ

          (上平声「四支」の押韻)

<解説>

 毎年行われている高校のクラス会ですが、今年は大きな手術をしたばかりで出席できませんでした。クラス会当日の朝食後に作り、ファクスで会場の幹事宛に送りました。
 宴中の幹事から、「詩は披露した。皆が心配している。出席者全員に声を聞かせろ」との電話があり、旧友たちと数言ずつ話しました。

語注)
「間居」:人に目だたずにひとりでいる。
「怡怡」:心配事がなく、心穏やかになごむさま。

「巵」は取っ手付きの大きなジョッキ様さかずきを言うようですので、ビールで挙杯なら字義に合うのかも知れません。

<感想>

 手術後ではあっても、友人たちに会いたいという思いが伝わってきます。心配懸けるから尚更クラス会には出たい、というお気持ちもあったかもしれませんね。

 またまた自分のことばかりで申し訳ないですが、私も自宅療養中に高校の同窓会が開かれました。丁度、卒業三十周年、規模を大きくして開いたもので、私も準備に関わっていたのですが、発病と入院、同窓会の直前にようやく退院したところでした。
 心配した友人たちが同窓会の後、その足で自宅に見舞いに来てくれましたが、嬉しいやら申し訳ないやらで、とにかく「次回はどんなことをしても必ず出るから」と約束しました。
 その約束が、リハビリに取り組んだ時の支えの一つになっていたことを思い出します。友人たちへの感謝の気持ちを忘れたことはありません。

2007.12.22                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第253作は 柳田 周 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-253

  深謝玉詠和我詠     玉詠の我が詠に和するを深謝す   

励我兄須和我詩   我を励ますに けい我が詩に和するをもち

匠心自在恣難辞   匠心自在にして難辞を恣にす

墨書玩味両三度   墨書して玩味すること両三度

一薬相加如療治   一薬相加わって療治するが如し

          (上平声「四支」の押韻)

<解説>

 井古綆様、初めまして。
 拙作に用韻並びに次韻して戴いた玉詠二首、ありがたく感激しております。

 お礼の積もりで同韻異字を以て一首作りました。またまた拙作ですがご笑覧願えれば幸に存じます。

<感想>

 2007−236、237作の井古綆さんからの「祝退院」の二作に対してのお返しの詩です。

 転結の後半は、直接「感謝」に類する言葉は用いられていませんが、具体的な行為や比喩によって、一層深く作者の思いがよく表れていると思います。
 特に、「両三度」「一薬」の数詞が効果的でしょう。

2007.12.22                 by 桐山人



井古綆さんからお手紙をいただきました。

 柳田雅兄、その後お体の具合は如何でしようか。

蕪詩に対しまして、早速の返吟まことに恐れ入ります。
 鈴木先生のおっしゃるとおり、転結の尊句はこれに勝る詩句は無いと思います。また、結句「一薬相加如療治」はまさに千金の佳句だと思いました。
 此方こそ有難うございました。

2007.12.23                 by 井古綆





















 2007年の投稿詩 第254作は 玄齋 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-254

  梧桐落葉        

梧桐搖落滿西山   梧桐の揺落 西山に満ち

獨憫疎枝紅樹間   独り疎枝を憫れむ紅樹の間

斜日鷓鴣擔一葉   斜日 鷓鴣 一葉を擔ひ

悲秋難耐欲南還   悲秋 耐え難く 南へ還らんと欲す

          (上平声「十五刪」の押韻)

<解説>

 「鷓鴣」:(しゃこ)。うずらに似てやや大きい鳥、やまうずらのことです。『初学記』に「鷓鴣は十月、霜露を畏れ、背上に一葉を負うて、南方に向かひて飛ぶ」とあります。

<感想>

 晩秋の寂寥感がよく表れている詩ですね。鷓鴣を持ってきたところも、効果的だと思います。
 評価が分かれそうなのは、結句の「悲秋難耐」でしょう。
 このままの表現ですと、これは鷓鴣の気持ちを推し量ったもので、「悲秋に耐えられないから南に還ろうとする」と下三字の理由を述べたことになります。
 「悲秋難耐」は、この詩の全体を象徴する重要な心情、それを言葉にしてしまうと重すぎるので、鷓鴣の心情として用いたのかもしれません。

 意図は理解できますが、この詩に関しては、私は鷓鴣の説明がくどくなるように感じます。「鷓鴣が南に還る」と示すだけで、鷓鴣の気持ちは読者に任せた方が良いのではないでしょうか。
 私は、「悲秋難耐」は前三句を承ける形にして、敢えて作者の心情として出すように、「欲南還」「送南還」「看南還」などにした方が良いと思います。
 このあたりは、感情形容語の使用ということで、藤原俊成の和歌を例に以前書かせていただきましたので、引用しておきましょう。

 『方丈記』の著者である鴨長明は、和歌の面でも当時高い評価を得ていた人です。その鴨長明が和歌について記した『無名抄むみょうしょう』で、師の俊恵の言葉として残した話です。

 『千載和歌集』の撰者として知られる藤原俊成の歌
   夕されば野辺のべの秋風身にしみてうずら鳴くなり深草の里 (『千載和歌集』秋)
(夕方になると野の秋風がしみじみと身にしみて鶉が鳴いているようだ、深草の里には)
 について、「夕されば」「野辺」「秋風」「鶉鳴く」「深草の里」とこれだけ秋の寂しさを積み上げているのだから、そこに更に「身にしみて」などという感情語は蛇足である、と批判したというものです。

 これほどになりぬる歌は、景気(景色)を言ひながして、ただそらに(心の中に)身にしみけんかし(身にしみただろうなぁ)と思はせたるこそ、心憎くも(心がひかれて)優にもはべれ。いみじう言ひもてゆき(言い過ぎてしまって)て、歌の詮(要)とすべきふしを、さは(それでは)と言ひ現したれば、むげにこと浅くなりぬる(内容が浅くなってしまった)。

 ここで俊恵が言っているのは、「叙景に徹して余情を重んじる」という『新古今和歌集』の時代の和歌に対する姿勢でもあったわけですが、感情語のむやみな使用は避けるべきだという主張は詩全てに共通するものです。

 もっとも、この俊恵の批判に対しては異論もありまして、この俊成の句では「身にしみて」の第三句は作者の感情ではなく、「鶉鳴くなり」にかかる修飾語だという考えもあります。つまり、鶉の鳴き声がしみじみとしていると描写したのだということです。歌として次のように切るとわかりやすいかもしれませんね。

   夕されば野辺の秋風 身にしみて鶉鳴くなり 深草の里

 こうすれば、作者の感情は表れず、「夕暮れ」「野辺の秋風」「鶉のさみしげな鳴き声」「草深い(深草の地名と兼ねて)里」と並べて叙景に徹した歌となります。
 もちろんその場合でも、鶉の鳴き声を「身にしみて」と感じたという点で、作者の心の投影であるわけですが、直接「私は寂しい」と訴えかけるのとは全く違います。

        『漢詩 はじめの一歩』 199ページより引用

2007.12.22                 by 桐山人



謝斧さんから感想をいただきました。

 作詩経験一年足らずでこれだけ作れるのは頼もしいことです。
魯叟曰く、後生畏るべしと

「鷓鴣」に関しては鈴木先生の言の通りだと思います。
鷓鴣性畏霜露 夜棲以木葉蔽身ですか

 三四句があまりにも唐突なので、前半と後半が分断されているように感じます。
この原因は、承句の下三字が働いてないせいだと思います。古人も承句下三字(紅樹間)は三四句を胚胎するように作るようにと言ってます。
 また起句が破題の役割をはたしていないせいもあるでしょう。

 読者は「鷓鴣を哀れと思った」内容なのか、「鷓鴣に比して詩人の心情を吐露している」のか、詩意が十分に分からず戸惑うのではないでしょうか。

2007.12.23                by 謝斧


玄齋さんからお返事をいただきました。

鈴木先生、謝斧先生、ご指導ありがとうございます。

 結句は作者自身の心情がストレートに出過ぎないようにと、あえて「欲南還」にしていましたが、鷓鴣の心情を決めない方がよいとのご指摘を受けて、とても奥深いものを感じて、感激しました。

「悲秋」を感じているのはあくまで詩人の方であるようにと、改めてみました。

 前後二つの句の連結についても、今回考えて推敲してみました。
 起句の破題ができているかどうかは難しいですが、今回は以下のように推敲しました。

  梧桐搖落夕陽山  梧桐揺落する 夕陽の山
  憐看疎枝紅樹間  疎枝を憐み看る 紅樹の間
  何處鷓鴣擔一葉  何れの処か 鷓鴣 一葉を擔ひ
  悲秋難耐送南還  悲秋 耐え難く 南へ還るを送る


2007.12.26               by 玄齋


推敲作について、謝斧さんから感想をいただきました。

 以好典故得佳編 頗有情致便覚格調之高 自有唐人之臭味 句句熟読而使我驚 何等傑作。

2007.12.31          by 謝斧





















 2007年の投稿詩 第255作は サラリーマン金太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-255

  新嘗祭夜坐        

西風颯颯繞祠堂   西風颯颯祠堂をめぐ

奉奠嘉禾供神傍   嘉禾かかを奉奠して神に供ふる傍

祭鼓壮厳良夜禱   祭鼓壮厳良夜の祷り

金蟾高上下C光   金蟾きんせん高く上って清光を下す

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

「新嘗祭」:新嘗祭(神道用語では「にいなめさい」と呼ぶのが一般的)とは、天皇がその年に収穫された穀物を神様にお供えし、収穫できたことに感謝をする儀式を皇居で行った日です。儀式がすむと、収穫したお供え物を、神からの授かり物として天皇自ら食べて祝っていました。
 また、それは旧暦の11月中卯の日に行う決まりでした。中卯の日とはその月の2番目の卯の日のことで、13日から24日の間になります。それが明治5年に旧暦から新暦に変わり、翌年11月の中卯の日が、たまたま11月23日だった為、以後この日に固定して祝日(勤労感謝の日)としているのだそうです。
 宮中を始め伊勢神宮ほか全国の神社で行われる最も大事な神事です。私も神社関係者として毎年奉仕しています。

「嘉禾」:よく実った稲束
「金蟾」:明月の美称。日本では月に兎だが、中国では月にはヒキガエルが住むという。

<感想>

 新嘗祭は古典の授業でも、生徒にどんな内容かを教えますが、私のイメージではせいぜい中世までの儀式と思っていました。「昔はこんなこともやってたんだよ」という感じですね。
 「全国の神社で行われる最も大事な神事です」と言われ、ビックリしました。今度、神主をしている友人に改めて聞いてみます。

 構成として起承転結をあまり意識せずに作られたのでしょう。起句と結句に自然描写を置き、挟む形で儀式の様子を描いています。「いやいや、転句で音を出して聴覚へ転換しているぞ」と仰るかもしれませんが、承句と転句がこれだけ内容的に近いと、効果はどうでしょうね。
 サンドイッチ構造、あるいは起承転でひとまとまりの詩として、サラリと詠み上げたというのも特徴でしょう。

 承句の「神」は平字ですので、勘違いでしょうか。

2007.12.23                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第256作は 謝斧 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-256

  次陶濳飲酒其二十之韻        

寒夜暫過時   寒き夜、暫く時を過さん

恐疑我説真   恐らくは我が説くところ真なるを疑はん

此語太荒唐   此語太だ荒唐なるも

非負君情淳   君情の淳なるに負に非ず

山居夜已半   山居 夜已に半ばなり

地白舗霜新   地白くして、霜を舗きて新なり

遇有叩戸者   遇々、戸を叩く者有り

自謂逃暴秦   自ら謂ふ 暴秦を逃れしと

歴宙兼跨宇   宙を歴し、兼て宇に跨がり

到此避風塵   此に到りて風塵を避く

飡霞煉丹砂   霞を飡ひて丹砂を煉り

服薬養仙勤   薬を服して仙勤を養なふ

少感此言奇   少からず此の言の奇なるに感じ

仄席歓酔親   席を仄にして歓酔に親しむ

晤語最深趣   晤語、最も深趣

相得喜津津   相い得ては、喜び津津たり

及去駕風馭   去に及びては、風馭を駕し

惶遽整冠巾   惶遽、冠巾を整へん

初知彼老父   初めて知る、彼の老父

羽衣著屐人   羽衣 屐を著ける人と。

          (上平声「十一真」の押韻)

<解説>

有訪人於吾拙宅 風貌非尋常 其言甚奇 為次陶濳飲酒之韻 而賦五古。

<感想>

 謝斧さんからは、これまでにも陶潜の「飲酒」の詩に次韻した古詩を何編かいただいています。
 掲載順にご紹介しますと、「次陶濳飲酒其六韻」・「次陶潜飲酒其十二之韻」・「次陶潜飲酒其五之韻」です。いつもいただく度に、陶潜の詩を読み返すきっかけにもしています。

 今回の「飲酒 其二十」は、陶潜が古代へのあこがれと、その後の時代の変遷を嘆いた作品です。
 謝斧さんの詩は、不思議な客人のお話で、この後どうなるんだろうという気持ちで読み進めて行くと、何と仙人だったということで、面白いお話です。ただ、この客人が何のために、どんなことを話に来たのかは、これは次回のお楽しみというところで、今回はそのイントロというところでしょうか。

2007.12.23                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第257作は 道佳 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-257

  鞍馬寺教     鞍馬寺の教へ   

尼僧説法命輪廻   尼僧の説法 命の輪廻

宇宙流形至妙哉   宇宙の流形は至妙かな

不許人妖温暖化   許さず人妖による温暖化

径行扜拒地球災   径行し、地球の災いを扜拒かんきょせよ

          (上平声「十灰」の押韻)

<解説>

 平和の音楽の集いの講和で、鞍馬寺の信楽香仁高僧は、森羅万象・草花も動物も命が互いに響きめぐり合っていることを諭された。
 まさに宇宙のすべての表れは極めてたくみに出来ている。
 これを人為的に壊し、温暖化は許してはならないという思いを熱くしました。
 昨今の温暖化が大きな問題となってきている中で、今すぐに行動し、この地球の災いを防ぎとめなくてはと思いました。

 前回初めて投稿しました時に、大変丁寧なご教授をいただきまして、心から感謝いたしております。ぜひ勉強してゆきたく思っていますので、お世話になると存じますが、ぜひとも宜しくご鞭撻ください。  [語釈]
「流形」:万物の色々な表れ
「至妙」:極めてたくみ
「人妖」:人がひき起こすあやしむべき出来事、悪い政治の結果の出来事
「径行」:思ったことをそのまま行動に移す
「扜拒」:抵抗し守る

<感想>

 地球温暖化防止に向けて、政治の世界ではそれぞれの思惑がいろいろに重なり合っているようです。政治だけでなく、経済や工業、農業、そして哲学、さまざまな分野からの関わりが求められているのでしょう。

 今回の道佳さんの作品は、仏法の面からのアプローチということになるのですが、こうしたテーマを短詩形の中で論ずるのは難しいものがあります。
 俳句や短歌ですと、短詩であることを武器にして、大胆な省略や簡略化された表現もできるのでしょうが、漢詩の場合には、絶句でも内容的にはある程度の分量のことが言えますので、それなりの論理性や説得力が求められます。定型詩の厳しい条件の中で、簡潔な表現とともに論理を破綻無く展開するためには、用語の選択に細かい点検が必要になります。

 例えば、起句では、「尼僧」の説法(「尼僧」と書く必要性にも疑問がありますが)のまとめとして「命輪廻」が適切なのかどうか。
 この仏教的な宇宙観が「地球温暖化」をキーワードにして現代の環境科学とつながるわけですので、講話を聞いていない読者にも伝わるように配慮が必要です。申し訳ありませんが、「輪廻」と「温暖化」を直接つなぐ道筋は私には理解できませんでした。
 承句の「宇宙流形至妙哉」も、「この世の森羅万象は整えられた秩序の中にある」ことは理解できますが、だから「人為による温暖化は許さない」へとつながるかと言うと、苦しいですね。

 その他にも、全体として見ると用語の統一感が無く、バランスが悪い感じです。「不許」「温暖化」「地球災」という口語的な語を用いる一方で、「流形」「人妖」「径行」「扜拒」などの古語、更には「輪廻」まで用いられるわけですが、ネクタイを締めた現代人が侍言葉をしゃべっているような、そんな違和感が残りました。

2007.12.23                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第258作は 翠葩 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-258

  親書     書に親しむ   

閑窓只管為書耽   閑窓ひたすら書のために耽る

古筆染箋文物談   古筆箋を染むる文物の談

十数年来存宿志   十数年来宿志を存し

有師于就寸松庵   師有りてここに就く寸松庵

          (下平声「十三覃」の押韻)


<解説>

 十数年来仮名に親しみ師について筆を持った
美しい紙を古典で染める何と風流で楽しいことよ
此処にやっと寸松庵を卒業した。

感激です

<感想>

 翠葩さんは昨年、「添自詠歌集」の詩を送っていただきましたが、その折に、和歌と書道に堪能なことをお聞きしていました。

 さて、この詩をいただいた時もそうした系統の内容かなと思ったのですが、ところが、最後の「寸松庵」が何のことか分からなくて、解説を拝見してもどうしてもピンと来ず、感想も書くことができませんでした。翠葩さんの書道の先生のお宅か、とにかく誰かの家なのだろうなぁと思い込んでしまってたのですが、ネットで試しに検索してみたら、ようやく分かりました。
 「寸松庵」というのは、色紙のことなのですね。和歌を仮名で書くのに適した大きさということですから、ここでは「仮名」を象徴していることになります。
 その前の「于就」はいただいた原稿では本文と読み下しが相違していましたので、ひょっとしたら入力違いかもしれません。確認していただけるとありがたいです。


2007.12.24                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第259作は北海道にお住まいの 劉建 さん、四十代の男性の方からの作品です。
 初めて漢詩を作られたそうです。お手紙には、「サイトを見て、漢詩にとても興味がわきました。現在、中国語の学習中であります」と書かれていました。

作品番号 2007-259

  想母     母の思い出   

雪中看一本   雪中 一本を看る

母去死幾年   母去り死して幾年ぞ

連鳥都無泣   連鳥 都て泣く無し

忽回想鬼灯   忽ち鬼灯を回想す

<解説>

 今朝、起きると庭は真っ白に雪が降っていた。
 目立つように、一茎の紅い花が咲いているみたいだった。
 小鳥さえ鳴かない、このような時期に咲く花などあるものか。
 そう想っているうちに、ふと、母の事を思い出した。
 死んで何年たつのか?
 去年、亡くなった母の棺に捧げた紅い酸漿の事を思い出して目頭が熱くなった。

<感想>

 初めての詩作と言うことですので、形式が乱れているのは、まとめて後で説明しましょう。
 内容的なことで言えば、まず、漢詩の場合には起承転結という形で、それぞれの句の働きを考えなくてはいけません。自分の言いたいことを前半に置くか、後半に置くか。感情を引き起こしたものについての説明はどのくらい使うか、そうした構成を考えて句を配置します。
 この詩の場合では、亡くなったお母さんを思い出したということが主題、そのきっかけになったものが雪の中の紅い花ということですね。情景と心情とは整理した方が分かりやすくなりますので、鳥が啼かないことと花を前半に、後半に心情ということで、仮に次のように配置換えをします。

  連鳥都無泣
  雪中看一本
  忽回想鬼灯
  母去死幾年

 句の順番を替えただけでも、全体のまとまりや悲しみの余韻などが感じられるようになったと思います。
 詩を作るということは、まず、ここからスタートです。未知の相手に自分の言いたいこと、感動をどんな素材を用いて、どのように伝えるか、その骨組みが無いといくら言葉を工夫しても、貧弱になるばかりです。
 文法的なことや漢詩のきまり(漢詩は自由詩ではなく、定型詩です。押韻や平仄など、漢詩であるためにはいくつかの規則を守らなくてはいけません)を考慮するのはこの後の段階です。

 劉建さんが次にすることは、ひとまず、押韻(脚韻)をしてみることです。押韻のなされていないものは、見た目がどれだけ出来ていても、詩とは決して認められません。この詩の場合には、五言絶句になりますので、二句と四句の最後の字を、同韻にします。
 こうした規則の細かな点は、このサイトの「総合目次」で、「漢詩の基礎コーナー」をご覧ください。

 あと、漢詩で用いる言葉については、漢字で書かれていても日本語はダメですので、「鬼灯」は「ホオズキ」の意味で使うことはできません。

 あれこれと書きましたが、形式は少しずつ整えて行けば良いと思います。まず、押韻をしてみてはいかがでしょうか。
 再度送っていただければ、またアドバイスします。

2007.12.24                 by 桐山人



劉建さんからお返事をいただきました。

 添削、とてもうれしかったです。
 鈴木先生の『漢詩はじめの一歩』を購入させていただきました。
第14章の「良い句とは」まで読み進んだところです。
 だいぶ漢詩のイメージができました。

 私の投稿詩は今、振り返って、恥ずかしいばかりですが、反面、やる気も出てきたところ。
次の漢詩も近いうちに投稿したいと思います。
 ところで、年末の思わぬ出費となりますが、詩語辞典もそろえるつもりです。

2007.12.26                 by 劉建





















 2007年の投稿詩 第260作は 鮟鱇 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-260

  忘年会        

雪晴窗外月光馳,   雪晴れ窓外に月光馳せ,

素友三人懷舊時。   素友三人 懐旧の時。

相勸山肴堪玉箸,   相勧む 山肴の玉箸に堪ゆるを,

共傾雲液滿金卮。   共に傾く 雲液の金卮に満つるを。

往年學舎青雲志,   往年 学舎に青雲の志,

今日酒家朱臉痴。   今日 酒家に朱臉の痴。

莫道前程近墳墓,   ふ莫れ 前程に墳墓は近しと,

良宵最好醉遲遲。   良宵 最も好きは 酔ふに遅遅たること

          (中華新韻「十三支」の押韻)

<解説>

 歳をとるにつれ、明らかに増えたのが学生時代の友人と飲むことです。これ、年配のみなさんにはおわかりいただけると思いますが、若いみなさんには、どう説明したものか。

<感想>

 学生時代の友人ってのは、一緒に酒を飲むのに最高の相手ですね。お互いにメタボを競い合い、髪の毛の退行状況を比較し合っていましたが、間もなく病気自慢が始まりそうな年齢に私もなりました。

 まだ「近墳墓」という話題にまではまだ行きませんが、それでもどんな話題でも同窓の仲間と一緒だと楽しいものです。


 今年は、鮟鱇さんのこの詩を読んでしまいましたから、「朱臉痴」を晒さないように心がけなくてはいけません。

2007.12.24                 by 桐山人



井古綆さんから感想をいただきました。

 鮟鱇雅兄、玉作を拝見いたしました。

 五六句「往年學舎青雲志、今日酒家朱瞼痴。」は素晴らしい対句だと思いました。
惜しむらくは七句下三字「近墳墓」が余りにもなまなましく思いますが・・・
 しかしながら、読者に感情が伝わる佳詩だと思います。脱帽!!

 四句目の「液」と五句目の「青志」の同字重出を避けることを考えました。雅兄のお気に召さないかもしれませんが、頷聯を「相勸佳肴堪玉箸,共傾美禄滿金卮。」とするのはいかがでしょうか。

2007.12.25                by 井古綆


鮟鱇さんからお返事をいただきました。

井古綆様

 鮟鱇です。拙作「忘年会」に過褒のお言葉をいただき、また、同字重複につきご指正を賜り、ありがとうございました。
 同字重複、小生の杜撰です。同字重複を別としても、「山肴と雲液」の対よりも、「佳肴と美禄」の対の方が、平仄の対応も含め優れています。

 また、「近墳墓」についてもご指摘をいただきましたが、「墳墓」を使ったのは私の自虐趣味だとは思いますが、私は、自分が老いていることとか、やがては死ぬ身であることとかを考えると、意識が高揚します。そこで、「墳墓」などを、どうしても使いたくなります。ご容赦ください。
 ただ、「墳」も「墓」もともに語義は「墓」。同義を重ねる成語を使うことはまだまだ工夫が足りないとは思っています。

2007.12.27              by 鮟鱇





















 2007年の投稿詩 第261作は 鮟鱇 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-261

  憂慮地球温暖化        

朱臉映窗含酒香,   朱臉 窓に映じて酒香を含み,

北行百里醉眠長。   北行 百里 酔眠長し。

電車今夜穿愁夢,   電車 今夜は愁夢を穿ち,

隧道往時通雪郷。   隧道 往時は雪郷せつごうに通ず。

瞠目銀花滿沙漠,   目をみはるに 銀花 沙漠を満たし,

仰天白日擅輝光。   天を仰げば 白日 輝光をほしいままにす。

全球温暖冬如夏,   全球 温暖にして 冬 夏のごとく,

不見江湖難納涼。   江湖は見えず 涼を納むるに難し。

          (中華新韻「十唐」の押韻)

<解説>

 地球温暖化を危惧した作です。
 「隧道」はトンネル。「雪郷」は「雪国」。「銀花滿沙漠」は、雪だと思ったら実は砂漠の砂だった、というイメージを表現したつもりです。
 そうは読めないという異論もあるかと思いますが、私としては、夢を表現する工夫として、かなりうまく作れたと思っています。

<感想>

 異論があるだろうとのことですが、確かに頸聯は鮟鱇さんの意図のように読むことにはちょっと疑問がありますね。
 私は、「雪が沙漠を覆っていて、そこに日の光が降り注いでいた」と解釈し、一面が砂漠化したという意味かと読みました。
 「実は沙漠の砂だった」というところに重きを置くのでしたら、おなじ句の中に「銀花」と「沙漠」を入れるのではなく、「沙漠」を下句に持ってきた方が趣旨が伝わるような気がしますが、どうでしょうか。


2007.12.25                 by 桐山人


井古綆さんから感想をいただきました。

 鮟鱇雅兄、玉作を拝見いたしましたが、構成上大きな無理があるように感じられました。
やはりこの大きな詩題には真正面から取り組まなければと思います。
よってわたくしも同題で作ってみました。

    同題
  文明恩恵背天香     
文明恩恵は 天香に背き
  濫上氣温憂慮長     濫りに気温を上げて 憂慮長し
  北境羆熊喪安住     北境の羆熊は 安住を喪ひ
  南方島嶼失仙郷     南方の島嶼は 仙郷を失ふ
  地球暖化依霊長     地球の暖化は 霊長に依り
  両極氷融非日光     両極の氷融けるは 日光に非ず
  閑却焦眉百年後     焦眉を閑却して 百年の後
  無辺悔恨故凄涼     無辺の悔恨 ことさらに凄涼

「天香」: 天からくだるかおり。ここでは「天の恩恵」にたとえる
「羆熊」: 羆はここでは意味は無い。次句の島嶼に対応しただけ

2007.12.31          by 井古綆






















 2007年の投稿詩 第262作は 井古綆 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-262

  題蕉翁秀句「古池」        

偸閑醉起歩春林   偸閑酔起して 春林を歩む

林帀古池成緑陰   林は古池をめぐりて 緑陰を成す

突忽跳蛙破空寂   突忽とつこつ 跳蛙とうあ 空寂を破る

彼驚巨影我微音   彼は巨影に驚き 我は微音

          (下平声「十二侵」の押韻)

<解説>

 鮟鱇さんのおっしゃる諧謔性を結句に詠じました。

「跳蛙」: 逃げる蛙(平音)

<感想>

 井古綆さんのこの詩は、2007年の210作、鮟鱇さんの「讀芭蕉句有感作一首詩」をめぐるやり取りの中で、「諧謔性」がを意識されたものですね。

 諧謔や滑稽を生かすためには、ぎりぎりまで(結句まで)蛙を出すのを抑え、前半では春林の趣を十分に出すことかと私は思っていました。井古綆さんは転句で蛙を出しながら、結句の句中対で蛙と我の対比による面白さを狙っていますね。
 前半も、「林」の重複でリズムを作ろうということでしょう。

 「跳」は、「逃げる」の意味の時は「トウ」と読み、「下平声四豪」の韻目になります(「チョウ」の時は「下平声二蕭」)ので、解説はそのことを示されたものですね。

2007.12.25                 by 桐山人



鮟鱇さんから感想をいただきました。

 鮟鱇です。玉作「題蕉翁秀句「古池」」拝読いたしました。
 結句の句中對は、鈴木先生がお書きになったように、蛙と我の対比が面白いと思います。
ただ、その対比が、いささか説明的に過ぎている、と思えます。
 起承転句は作者の一人称、結句は、「巨影」が蛙の眼から見た言葉であるなど、蛙が飛び込んだのはなぜか、という作者の推理を経て出てきた言葉になっています。そこが、説明的だと思います。諧謔・滑稽は、説明してしまうと効果が薄れると思います。

 「古池」句、わたしは諧謔・滑稽の作として解釈しましたが、芭蕉の「わび・さび」を代表する句として解釈することもできます。むしろ、そういう読み方をされる方が多いかと思います。
 井古綆さんが先にお作りになった作と、今回の作を較べてみるなら、私には前作の方が井古綆さんらしい作になっているのではないか、と思えます。今回の作、「対比がいささか説明的に過ぎている」と申しあげましたが、諧謔・滑稽が作詩の狙いである、という先入観で読むからそう思うのではないでしょうか。
 先入観なしに読めば、結句は、「ああそうか、蛙は私の影に驚いたのか、わたしはその音に驚いているのに」ということですので、諧謔・滑稽、というよりも、余情・余韻が感じられます。そして、余情・余韻であるなら、前作の方が、その余情・余韻にいっそう深みがあるように思えます。

 しかし、俳句が扱う諧謔・滑稽、つまり俳諧は、そういう余情・余韻を含むものであるのかも知れず、諧謔・滑稽をめぐる私のセンスが、いささかずれており、エキセントリックなのかも知れません。
 あまりご参考にはならないかも知れません。

2007.12.27            by 鮟鱇


井古綆さんからお返事をいただきました。

 鮟鱇雅兄、ご高説ありがとうございます。
 拙詩、説明文に過ぎるとのお言葉まさにその通りです。俳句のワビサビと漢詩の現実性との融合と言う難題は、わたくしなどには到底できるものではありません。雅兄なればこそ達成できることと、期待しております。
 ただ浅見ですが、この気ぜわしい現代において、蕉翁のような人の名作であれば熟読をして頂けましょうが、我々無名の作品にそれほど関心を持って見てはいただけません。一読して“フ〜ン、ソンナモノカ”と瞥見するのみだろうと思います。ゆえに説明的になるのは、致し方なく思ってもいます。
 わたくしは漢詩の習作に精一杯で、振り返る余裕はありませんが、雅兄は充分にこれを遂行できるお方と思いますので、今後の作品を期待しております。

2007.12.29            by 井古綆





















 2007年の投稿詩 第263作は 常春 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-263

  駿河古道        

秀句佳歌無飽諳   秀句 佳歌 飽く無く諳んぜん

宇津蔦徑富詩談   宇津の蔦径 詩談に富む

梅香蔬展往還際   梅香り 蔬展ぶる 往還の際

鞠子旗亭蕷汁甘   鞠子の旗亭 蕷汁甘し

          (下平声「十三覃」の押韻)

<解説>

 宇津の谷といえば、先ず思い浮かべるのは、業平でしょうか、それとも黙阿弥?
 これらを詠んだ詩歌も数多くあります。芭蕉の時代は秀吉が拓いた山越えの東海道ですが、今は明治(遊歩道)大正(県道)昭和(国道一号上り)平成(国道一号下り)の四つのトンネルがひしめいています。
 これらの南にあるのが沢伝いの「蔦の細道」で踏み石を撰びながらの上り下り、業平の時代さもありなん。これらすべてが合流した先が丸子宿です。

 転句、結句は芭蕉句から借用、詩として前二句とのつながりはよくありませんが、蔦の細道を経て丸子宿まで、業平の歌から芭蕉の句までを歩いた感懐のみ。

“駿河なる宇津の山辺のうつつにも夢にも人に会わぬなりけり” 業平
“梅わかな鞠子の宿のとろろ汁” 芭蕉



<感想>

 「丸子」は古くは「鞠子」と書かれたようです。
 芭蕉の「梅わかな」の句は、「梅」と「若菜」に匹敵する「鞠子のとろろ汁」ということで、視覚的な美しさに味覚を配合したところが面白さですが、常春さんもそこを後半で「梅香蔬展」「蕷汁甘」と表したわけですね。

 芭蕉の句に必要な言葉だけを加えて、基本的にはそのまま置き換えたような形ですが、それでも俳句の「梅」「わかな」と簡潔にぶちまけた野武士のような力強さはどうしても不足しますね。俳句ではそれぞれが独立した句のような感じですからね。
 でも、力強さは無い代わりに、繊細な気配りが感じられて、漢詩としては佳句になっていると思います。

2007.12.25                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第264作は 常春 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-264

  原爆忌        

閃光強動聖王心   閃光強く動かす 聖王の心

即日斷行終戦音   即日断行す 終戦の音

亡国軍師猶崇敬   亡国の軍師 猶崇敬され

如何怨恨一途深   如何ぞ 怨恨一途に深まるを

          (下平声「十二侵」の押韻)

<解説>

 8月15日の玉音放送「・・加之敵ハ新ニ残虐ナル爆弾ヲ使用シ惨害ノ及ブ所真ニ測ルベカラザルニ至ル而モ尚交戦ヲ継続センカ終ニ我ガ民族ノ滅亡ヲ招来・・・」
 これは8月9日に起稿されたもの、決定打は原爆だったと話をすると、「きみは原爆を正当化するか」と語気を強める人がいる。テレビでの米国高校教科書報道も非難一色だった。
 広島の投下を受けて即日降伏を決めた事実を認めても、原爆の廃絶を望む気持ちは変わらないのだが・・・。
 昭和29年ビキニ環礁実験で被爆した第五福竜丸は爆心より150キロ以上離れたところ、水爆の惨禍は広島、長崎よりもはるかに広い範囲に及ぶ。

 話はそれるが、7月に中越沖地震発生時、原子力発電所の状況を伝える報道は遅かった。ようやくカメラが向けられたのは、トランス火災中心だった。一番気になる原子炉内の模様は報道されない。東京電力に直接問い合わせた結果、「地震が発生した7月16日の発電所の運転状況は3号機、4号機および7号機が運転中、2号機が起動操作中でありましたが、地震発生時刻の10時13分自動停止いたしました。これは緊急停止装置が正常に作動したことによる自動停止です」と懇切な回答をいただいた。
 設計基準を上回る地震でも、原子炉の安全装置は十分に機能したことは頼もしかった。

<感想>

 原爆の詩をこの時期に投稿されたことについて、常春さんは「来年夏投稿を考えていましたが、最初の核臨界反応成功(エンリコフェルミ)から今年の12月3日が丁度65年だったことを思い出し投稿しました」と書かれていました。

 核兵器の廃絶を望む気持ちは誰にでもある、問題は原爆の使用を必要悪として肯定しようとするところにあると思います。戦勝国、敗戦国に関わりなく、戦争という狂気の場で起こした過ちを過ちとして認識しようとしない世の中の動きがある限り、常春さんの仰るように、「語気を強める」ような場面が生まれるのだと思います。
 私は戦後の生まれですので、平和教育を受けて育ちました。心の中に呪文のように刻み込まれた「戦争は悪いことだ」という思いは、今でも私の骨の奥まで染みこんでいます。私はそれを有り難いことだと思っています。人として生きるためには必要なことを学ばなくてはいけない、そのことを知るスタートだったと思うからです。そういう意味で、「語気を強める」ほどの姿勢も大切なことだと私は思います。

 今回の常春さんの詩も常春さんを知らない人からは、「何を言ってるんだ!」と言われるかもしれません。そういう意味では、常春さんが誤解されることを危惧し、掲載するかどうか迷いはありました(実は次の井古綆さんの詩でも同じなのですが)。しかし、お二人のこれまでの詩を拝見していただければ、お気持ちは伝わるのではと思い、掲載しました。
 皆さんにもそのように理解していただきたく思います。

 ただ、起句の「聖王」という表現だけは、感情的に抵抗を持つ方もいらっしゃると思いますので、検討が必要かと思います。

2007.12.26                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第265作は 井古綆 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-265

  無題        

白髪三千傳令名   白髪三千 令名を伝へ

三山半落舊南京   三山半ば落つる 旧南京

中華自古尊音韻   中華古より 音韻を尊ぶ

爲使詩人数未生   為に詩人をして 未生を数へせしむ

          (下平声「八庚」の押韻)

<解説>

 鈴木先生、此のたびの拙作は「南京虐殺」を題材としています。こうした政治的な問題や歴史観に関わる内容について掲載をお願いすることにつきまして、先生のお心を悩ませることと思います。しかしながらこれは、わたくしの年来の疑問で、そのことを詩として述べておきたいという気持ちからです。
 その前に先の大戦において、我国の不法な侵攻によって、多くの無辜の中国人民を殺戮したことに、深く、深甚な心からの謝意を申し上げます。

 その謝意を申し上げました後にも拘らず、被害者の心を逆撫ですることに、わたくしの心も痛みますが、敢えて我国の名誉に関わることですので、以下に記したいと思います。

 先ず申し上げたいことは、南京での殺戮が行われたことについて、私は間違いは無いと思っています。当時わたくしは国民学校三年生くらいでしたが、南京陥落と新聞紙上に載っていたことを覚えています。
 しかしながら、当時の南京市民は20万人前後と伝えられ、その数を遙かに越えた30万人を虐殺したとの報道には矛盾をどうしても感じます。当時はまだ軍隊も統制が取れていたと聞きますし、仮に命令で行われたとしても30万人という数は現実的とは思えないのです。

 再度申し上げますが、過去我国が中国の人民に対しましての無慈悲な行為には、いくら謝罪しても尽きません。然しながら、今日では虚構が誇張されて、一人歩きしているような感じがいたします。

 加害者が言い訳をするのは甚だ身勝手とは重々心得ておりますが、真実を追究する気持ちが上記の詩になりました。

 最後になりましたが、中国各地で旧日本軍が行った様ざまな残虐な行為によって亡くなられた、多くの方々のご冥福をお祈りいたします。

<感想>

 井古綆さんのこの詩も、仰る通り、掲載を悩みました。
 「南京大虐殺」という歴史的な事件の有無についての問題提起ではなく、「20万」「30万」という犠牲になられた方々の人数についてだけを考えたいというのが井古綆さんのお気持ちだとはよく分かります。しかし、そうした数字的な疑義を取り出し、揚げ足を取るかのように、「人数が正しくない、だからあの事件は無かった」と結論づける論者もいるわけで、井古綆さんの意図とは異なった読まれ方をしてしまう危険もあります。

 井古綆さんの詩は、古来から中国では数字に対する誇張表現が多く用いられてきたことを挙げながら、しかし、この事件についての数字を同様の手法で行うことへの批判を述べたものです。
 後半の部分が揶揄のように捉えられると、作者の主題から外れてしまいます。そういう点では、「数未生」は推敲の余地はあるでしょう。

 起句はもちろん、李白の「秋浦歌」を、また承句は同じく李白の「登金陵鳳凰台」を踏まえたものです。

 南京虐殺について、中国の最近の様子が先日の朝日新聞で書かれていました。過去を正しくとらえた上で、新しい関係を築きたいという中国の人々の姿勢が書かれていました。過去を忘れるのではなく、記憶には残しつつ新しい関係を模索するということだったと思いますが、日本人(だけ)は「過去」を忘れるものとして、本当に「忘れよう」「消去しよう」と扱うのだなぁと思いました。

2007.12.26                 by 桐山人



常春さんから感想をいただきました。

 南京事件をとりあげた『無題』拝見しました。同感です。
 南京攻撃に参加した陸軍の軍紀の紊れは当時外務省東亜局長だった方の著述にもあります。火種はあったのでしょうから全面否定することではありませんが、客観的事実に止めて欲しいと思っています。

 『歴史を直視しよう』との中国側の主張には、私は『お互いに率直に見詰めよう』と応えることにしています。そして、ゆっくりとではありますが、現代中国の歴史観にあった感情移入は薄れて、客観的なものの見方が定着してきていると感じています。

 玉作に刺激されて 一首試みました。

    憶金陵 
  名吟白髪三千丈  名吟白髪三千丈
  情意於詩活句譽  情意詩に於いて活句の譽
  想起子長排創作  想起す子長創作を排せしを
  金陵歴述是何如  金陵の歴述是れ何如?

「子長」:司馬遷の字
「金陵」:南京

2008. 1. 4             by 常春





















 2007年の投稿詩 第266作は 有人 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-266

  歳末慕情        

年初凍雨閉吾心   年初の凍雨 吾が心を閉ざし

紅葉冬光啓我襟   紅葉 冬光 我が襟を啓(ひら)く

妻逝無言仰天嘆   妻逝きて 言無く 天を仰ぎて嘆く

今精静和愛琴音   今 精(こころ) 静和 琴の音を愛す

          (下平声「十二侵」の押韻)

<解説>

  今年のはじめに凍えた冷たい雨が、私の心を閉ざし、
  秋の紅葉の美しさと冬の光が私の心を開きました。
  妻が今年1月に他界して、言葉も無く天を仰いで嘆いていましたが、
  今は、心も静かに和み、妻の好きだった琴の音を楽しんでいます。


 インターネットに不慣れな父に代わって、娘の私が投稿させていただいてます。

 母が亡くなり、早いもので、もうすぐ一周忌を迎えます。
八十歳を過ぎた父は、気丈にも楽器を習い始めたりしながら、努めて元気に過ごそうとしています。
これは、この一年を振り返って創作した漢詩です。

 父は自分の作った漢詩がWEB上に掲載されるのをとても楽しみにしています。
どうぞよろしくお願いいたします。

<感想>

 一周忌をまもなくお迎えになるとのこと、有人さんのこれまでの詩を拝見しながら、奥様を亡くされた悲しみの深さを感じていました。
 今は楽器を始められたそうですが、お体もお心も健やかに過ごされることを願っています。

 詩としては、前半の二句でこの一年を振り返っての思いを対比的に描かれたもので、心情の変化がよく出ていると思います。
 転句は率直な表現で、胸に迫る良い句です。ただ、配置から見ると、前半の「以前と現在」という展開がまた後半で繰り返される形になりますので、結句の活用が弱いかもしれません。
 押韻はまた考えるとして、内容としては「転句−起句−承句−結句」と入れ替える、あるいは承句と転句だけでも入れ替えると、結句の現在のお姿がくっきりとしてくるのではないでしょうか。

2007.12.26                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第267作は 劉建 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-267

  温泉        

山里浸温泉   山里 温泉に浸り

従窓仰樹氷   窓より樹氷を仰ぐ

枝重白網光   枝重なりて白網の光

雪舞静魚游   雪舞ひ 静かに魚游ぶ

<解説>

 冬場にいつも行く山里の温泉に浸かっています。
 窓からは夏場に青々茂った木々も先日の雪で真っ白に着飾って、寒気のためか樹氷になって光っている姿は、この風呂場の窓から眺めることができます。
 枝はまるで白い網の如く重なり、日を受けて、光り、まぶしいほどです。
 この山里の静寂に満ちた世界では、枝から落ちた雪は舞い上がって、まるで静かに泳ぐ魚のようです。

 漢詩はすばらしいと思います。些細なものに命を吹き込んでみたいです。

<感想>

 劉建さんのこの詩も、前回の詩「想母」の直後に送ってこられたものですが、同じように形式を整える必要がありますね。読み下しは私が付しました。

 今回は叙景の詩ですので、描かれた内容もしっかりしていて、劉建さんの表現したいことが明確に伝わってきます。漢詩の場合には、こうした叙景の詩から作り始めると、素材が豊富ですので取りかかりやすいですよ。
 結果的(かな?)に平仄は守られていますので、押韻の面で、「@奇数句は平字、A偶数句は同じ韻目の字を用いる」ことを考えていけば、すぐに五言絶句が完成すると思います。

 例えば、@で言えば転句を「枝重如白網」とするとか、Aならば結句の「游」の「下平声十一尤韻」に合わせて、承句を「窓前氷樹留」として末字を同韻にするとか、場面がしっかりしていれば推敲が容易になります。

2007.12.27                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第268作は 嗣朗 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-268

  探若狭小浜     若狭小浜を探す   

紅楓幽賞梵宮郷   紅楓 幽かに賞でる 梵宮の郷

鵜瀬閼伽神事行   鵜の瀬の閼伽 神事の行

献上貝魚君御食   献上の貝や魚 君の御食(みけ)

遺風古刹幾星霜   遺風 古刹 幾星霜

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

 秋の若狭小浜をたずねた。古刹の「鳳凰が舞い降りた」羽賀寺や「奈良東大寺二月堂へのお水取り神事で有名な」若狭神宮寺、そして御食国(みけつくに)として朝廷に食料を献上の為の街道、今では「鯖街道」として地名を遺している「熊川縮」を訪ねた。

<感想>

 若狭の小浜は私も以前訪れましたが、申し訳ないことに嗣朗さんがご覧になったような古刹を見ることもなく、日本海の海の幸を食べることに夢中になっていました。
 古い歴史を改めて味わいに行かなくてはと思っています。

 起句は色鮮やかな「紅楓」を句頭に置きながら、すぐに「幽賞」と落ち着いた言葉を用いて「梵宮郷」へとつないでいるところが、詩全体の風格を作っていると思います。

 結句は承句転句の内容を受けているのですが、名詞を並べて無理矢理収束させた印象がします。「古刹遺風」という順序ですと、随分落ち着くのですけれど・・・・

2007.12.27                 by 桐山人



嗣朗さんからお返事をいただきました。

 年の瀬を迎え慌ただしくしていますが、私の漢詩に対して丁寧なるご指導を頂き有難うございます。
結句について次のように推敲いたしました。

  遺風生處幾星霜   遺風生ずる處 幾星霜

2007.12.31          by 嗣朗

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 推敲の「生處」、拝見しました。ちょっと面白みが無いですね。「遺風」がどんな様子なのかを形容する言葉にすると、前の三句を受け止められるような、作者の感動が伝わる詩になってくると思います。

2008. 1. 2          by 桐山人


井古綆さんから、推敲作について感想をいただきました。

 嗣朗さん明けましておめでとうございます。
 玉作を拝見し、昨年末雅兄の推敲および鈴木先生の感想文を拝見して、嗣朗雅兄の詩想の一助になれば、と思い浅見を述べてみたいと思います。本来でしたならば、自作の詩の中で説明をするべきですが、雅兄のこのページをお借りすることをお許しください。

 まず、玉作によって、「閼伽」の故事を知ることが出来ました。この故事を賦することは大変に難しいと思います。ですから不具合な点があるのは当然です。
 不肖わたくしが気が付いた点をの述べてみます。

 承句の「行」の使用は大変に難しく、この際の使用は間違っているように思われます。辞書によりますと、「行」は多くの韻に分かれます。
 @行く=庚韻。Aおこない=敬韻(仄韻)。Bぎょう、ならび、すじ、銀行の行など=陽韻。C兄弟の順序その他。と多岐にわたります。
 本詩の場合はAの仄韻ではないかと思われます。

 転句の「貝や魚」と読み下していますが、平仄の関係でしょうか不自然であり、例えば「男女」はあっても「女男」は聞いたことがありませんし、父母も同じです。ただ「兄弟」には「弟兄」はあります。これは「兄」が韻字だからと思いますが確証はありません。本詩の貝魚の場合には「魚と貝」としなければならないと思いますが?
 これに変わる語としては、「魚介」「魚蝦」があります。魚蝦は魚類一般をも意味するので、平仄も合います。

 雅兄が推敲されました結句「遺風生處幾星霜」を鈴木先生が ”作者の感動が伝わってこない・・・” と述べられているのは、浅見ですが四句とも詩意が統一されていないからではないかと思います。

 雅兄の詩想の一助になればと思いわたくしなりに推敲してみましたのでご笑覧ください。

「紅楓」を詠ずる余裕が無く、また詩題が合致しないと思います。

    試作
  古來若狭閼伽郷    
古来若狭は 閼伽(あか)の郷
  遙繋南都神事長    遙か南都と繋がり 神事長し
  献上魚蝦供井水    魚蝦を献上 井水を供え
  連綿傳剰百星霜    連綿伝えて剰(あま)す 百星霜

「閼伽」: 貴賓または仏前に供えるもの、特に水をいう
「南都」: ここでは東大寺二月堂の修二会をいう

「献上魚蝦供井水」:魚蝦を(朝廷に)献上、井水を(仏に)供える意味。確信はありませんが、若狭の水を二月堂のお水取りに運んでいたと聞いたことがあります。

2008. 1. 2                by 井古綆





















 2007年の投稿詩 第269作は サラリーマン金太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-269

  看日尾八幡神社扁額     日尾(ひお)八幡神社の扁額を看る   

登來石段鳥聲迎   石段を登り来たれば鳥声迎ふ

社頭懸額墨痕明   社頭の懸額 墨痕明らか

揮毫相竝米山筆   揮毫相並ぶ米山の筆と

知是盟朋留雅名   知る是れ盟朋 雅名を留む

          (下平声「八庚」の押韻)

<解説>

 このたび私の書道の師匠が氏神に社号の扁額を寄進奉納されたので、門下生と共に盛夏の社殿を訪ねた。
 愛媛の三筆と称される米山の作品と並んで、わが師の作品も奇才を放っていた。
 これら作品群もまた、「大龍」の雅号と共に後世に残るであろう。

<感想>

 解説に書かれた三輪田米山氏は、江戸末期から明治に生き、日尾八幡神社の神官をされながら書家としても活躍をされた方だそうです。ネットで調べますと、「その書の特徴は型破りともいえる自由な造形と気宇壮大な空間感覚にある。豪放無欲な性格で、酒を好み、斗酒なお辞せず、酒至って後、筆をとったと言われる」と書かれています。
 サラリーマン金太郎さんの書の先生を存じ上げませんが、詩に書かれたように「留雅名」ことと思います。おめでとうございます。
 転句の「相竝」は、業績が並んだという印象で、三輪田米山氏への敬意の点でやや気になります。「竝架」くらいが穏やかかと思います。

2007.12.27                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第270作は サラリーマン金太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-270

  秋夜寄友        

別離詩友奈商參   別離の詩友 商参(しょうしん)を奈(いか)んせん

促織蕭條氣欝森   促織蕭條 氣欝森(きうつしん)なり

管鮑貧時斷金契   管鮑貧時 断金の契り

良宵抛筆月光尋   良宵 筆を抛(なげう)って月光を尋ねん

          (下平声「十二侵」の押韻)

<解説>

商参しょうしん」:参商しんしょうともいう。参星(しんせい:オリオン座)と商星(しょうせい:サソリ座のアンタレス)。参星は西方に、商星は東方にあり同時に天には現れない。愛しあっている者同士が遠く離れて会えない喩えで、使われる。
 魏の曹植の『種葛篇』に「與君初婚時,結髮恩意深。…下有交頸獸,仰見雙棲禽。攀枝長歎息,涙下沾羅衿。良馬知我悲,延頸對我吟。昔爲同池魚,今爲商與參。往古皆歡遇,我獨困於今。棄置委天命,悠悠安可任。」とある。

促織そくしょく蕭條しょうじょう」:こおろぎが物淋しく鳴く。蕭寂しょうせき

「氣欝森うつしん:気持ちがふさいで晴れ晴れとせず、うっとうしさばかりが積もる状態。

「斷金契」:『刎頸ふんけいの友』と同義。儒教の基本テキスト五経の筆頭に上げられる「易経(えききょう)」繋辞伝(けいじでん)上の「二人心同じくすれば、その利(と)きこと、金を断つ」から金塊をも断ち切るほどの硬い情愛に結ばれた間柄。「断金の交わり」ともいう。

「良宵」:晴れて気持ちのよい秋の夜。

「管鮑交」:利害によって変わることのない親密な交際。出典は『史記(管晏列伝)』
 管鮑の交わりとは、唐代の詩人  杜甫 ( とほ ) の詩に「君見ずや管鮑貧時の交わり」とあるように、貧富変わらぬ交友ぶりを指しますが、実際は、貧富どころか生死を懸けた中での友情の話です。

[口語訳]
遠距離恋愛の君、変わりはないですか?
やむにやまれぬ事情で一つ屋根の下で暮らすことを常とできず、この張り裂けんばかりの俺の想いをどうすればいいのでしょうか?切なさばかりが募ります。
大都会のそちらとは違って四国松山はすっかり秋の気配に包まれ、庭先のこおろぎまでもが物淋しく鳴いているよ。
時空は二人を隔てていようとも、俺たちの仲は硬い金塊をも打ち砕き、名利や目先の誘惑・日々沸き起こる艱難辛苦も超越していける不変の契りで結ばれている。あのメモリアルの日、神前で誓い合ったよね。
幸い今日は中秋の名月。君へのラブメールを打つ手をひとまず休めて、皎皎たる月光を戸外に尋ねてみよう。 ほんとうは月の彼方に居る、君にこそ今すぐ逢いたいのだけれどね‥‥‥。いずれ行くからね!

<感想>

 サラリーマン金太郎さんの今回の詩は、添えられた口語訳とのギャップが大きく、私は途惑いました。作者に確認をしたところ、このままで、というご希望でしたのでそのまま掲載をしました。

 詩の本文は友情を示した内容で、遠く離れた友を想う気持ちがよく表れているのですが、この詩を「遠距離恋愛」として詠んだと言われると転句の友情を表す語が無駄になり、読解に私は苦しみます。
 皆さんのご感想をいただきたいとのことですので、よろしくお願いします。

 以下は同性への詩だと解釈しての感想になりますが、転句の「管鮑貧時」の語は遠く離れた友情というよりも、互いの貧富の違いを超えての変わらぬ友情ですので、どちらかが何か苦しい状況にいるということです。
 また、杜甫の「貧交行」は、進士の試験に落ちた自分に冷たく対応する旧友に対しての批判の言葉ですから、この詩の句を使ったということで、作者の側が現在零落の状況だと判断します。
 結果として、「私は現在落ちぶれてしまっているが、君はかつての鮑叔のように信義を篤くしてくれている」と読み進めることになります。
 その友情に感謝した上で結句を理解すると、私の心情も胸に迫ってきます。

 このように同性の友情と理解すると、心に残る詩なのですが・・・・


2007.12.27                 by 桐山人



井古綆さんから感想をいただきました。

雅兄今晩は
 難しい詩に挑戦されましたねー。わたくしは未だ曾てこのような詩を作ったことがありません。間違いがあるかも知れませんので、ご容赦ください。
 この男女は結婚していますでしょうか。「神前で誓う」とありますのでそのようにも解釈できますし、「遠距離恋愛」とあれば、未婚とも解釈できます。
 取り敢えず、結婚後何かの事情で別居生活をしているとの想定で考えて見ます。

 このたびは当詩に合わない詩句を取り上げてみますと、起句の「参商」は素晴らしく良いと思いますが、他の詩句が全体的に悪いような気がいたします。
 「奈」を起句に出せば結句の句勢が甚だ弱くなります。それで、わたくしは「図らずも連理は参商に別れ」ではどうかと思いました。
 承句の「鬱森」はわたくしは存じませんので、自分の自信の無い詩句は使用しないことにしています。それで「夜色深」といたしました。
 転句の「管鮑・・・・・・」は男女、または夫婦を表現する詩には不釣合いな詩語だと思います。
 結句の「月光尋」は意味が分かりません。文字の並べ方も正式にいえば間違いではないでしょうか。
 この文字の並べ方は李白にもありますので、余り厳しくは言えませんが、出来得る限りは正式な並べ方に心がけたいものです。

 いろいろと注文を申しましたがご容赦のほどを。

    試作
  不図連理別商参     
図らずも連理は 参商に別れ
  追慕綿綿夜色深     追慕綿々 夜色深し
  寂寞孤愁闞雁信     寂寞たる孤愁 雁信を闞へば 
  任他抛筆作風尋     さもあらばあれ抛筆して 風と作って尋ねん

 連理は夫婦を表しますが、恋人は「雲雨」の文字しか知りません。

<追伸>

 わたくしが勘違いしたかも知れません。それほど難しい解説でした。
 今度は親友に思いを寄せる詩を考えました。
 曾てわたくしが多久市で入賞しました「月夜憶友」を下敷きにしました。

    試作   覇橋橋畔潤衣襟    覇橋橋畔 衣襟を潤ほし
  惜別三年商與参    惜別三年 商と参と
  管鮑交消寂寥夜    管鮑の交わりは消えて 寂寥の夜
  屋梁落月過沈沈    屋梁落月 沈沈と過ぐ

「覇橋」: 唐代ここで多くの人が別れたので別れの場所の代名詞に使用。
「管鮑交」: これで充分に意味が分かる。短詩形では後は蛇足となる。
「屋梁落月」: 友を思う情の強いこと。杜甫が李白を思ったことに起因。昼間ならば「渭樹江雲」が使用できるが。

 ※蛇足 多久市で入賞できたのは、「金蘭」「商参」「屋梁落月」が石川忠久先生の慧眼をもって評価を賜ったと思います。

2007.12.28            by 井古綆