2003年の投稿漢詩 第106作は 謝斧 さんからの作品です。
 

作品番号 2003-106

  次陶濳飲酒其十二之韻        

衆鵜不濡咮   衆鵜 咮を濡らさず

尚妬蜉蝣時   尚妬む 蜉蝣の時

清池沒荊棘   清池 荊棘に沒し

鳲鳩枯桑辭   鳲鳩 枯桑を辭す

屡空啄凍草   屡空 凍草を啄み

苦寒毎如茲   苦寒 毎に茲の如し

斂翅懷微志   翅を斂めて 微志を懷い

委分復何疑   分に委ねて 復た何ぞ疑わん

世間惡正聲   世間 正聲を惡み

頑質幸不欺   頑質 幸にして欺かれず

波流與弟靡   波流と弟靡と

知命従所之   命を知りて 之く所に従わん

          (上平声「四支」の押韻)

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<解説>

 [語釈]
 「咮衆鵜不濡」
 
「詩経曹風」 「候人 維鵜在梁 不濡其咮」
   有能の士は退けられ 無能の者が重く用いられる。
 「尚妬蜉蝣時」
 
「詩経曹風」 「蜉蝣之羽衣裳楚楚」
   国俗が奢侈に流れて国の危亡を憂う
 「鳲鳩枯桑辭」
 
「詩経曹風」 「鳲鳩在枯桑」
   古の明君がよく均一に民を治む(ここでは逆説)

<感想>

 陶潜「飲酒 其十二」は、隠棲するタイミングを逃さないようにという主張が語られているもので、世俗の生活への思いを断ち切る作者の思いがよく表れている作品です。

 謝斧さんのこの詩でも、まずは俗世の歪んだ部分から語り始め、やがて自分の信条へと進めていく展開ですね。
 世間に逆らうも従うも自らをよく見極め、自分の信ずる道を進むのが良いのだ、という論は、隠者になることもできない現代の私達にとっては、身にしみる内容だと思いました。

2003. 5.28                 by junji





















 2003年の投稿漢詩 第107作は千葉市の 竹風 さんからの初めての投稿作品です。
 

作品番号 2003-107

  遠櫻        

遠櫻茫昧霧斑斑   遠桜 茫昧として 霧 斑々たり

樹裏鶯聲心自閑   樹裏の鴬聲 心 自ら閑なり

新水春花無限好   新水 春花 無限に好し

何爲雲雨閉江山   何すれぞ 雲雨 江山を閉ざすや

          (上平声「十五刪」の押韻)

<解説>

 漢詩添削の師匠が亡くなって困惑している所、偶然、先生のホームページを見つけて、大喜びで参加させて戴きました。いろいろ、お教え願えれば幸甚に存じます。

 [訳]
 遠くの桜が霧のように、まだらにぼんやり見える
 木の間越しに聞こえる鴬の声が心を和ませる
 雪解け水、春の花、とても気に入った
 どうして、雲や雨が旅の邪魔をするのか


<感想>

 はじめまして。新しい方を迎えて、とてもうれしく思っています。竹風さんは詩作経験は六年くらい、七十代前半の方だそうです。

 作品も、各句の展開に無理が無く、落ち着いた雰囲気が感じられます。このままでも十分内容の伝わる詩だと思いますが、感じたことを書かせていただきます。ご参考にお読み下さい。
 承句の「心自閑」は、「鶯の声を聞いて、私の心が和やかになる」という書き方だと思いますが、転句に「無限好」と心情が述べられていますので、ここで早々と心を書いてしまうと、下三字が同じ主旨で繰り返されるために転句がぼけてしまうように思います。
 承句の「心」を作者の心ではなく、「鶯」の心だとして擬人的に描くと、前半が統一されて分かりやすくなるのではないでしょうか。そのためには、「鶯聲」ではなく、「鳴鶯」「流鶯」「暁鶯」「晩鶯」など、変更されるとよいのではないでしょうか。

 また、結句の「雲雨」は、起句で「霧」を出しているので、対応させたのかもしれませんが、やや重複感があります。また、「何為・・閉江山」の言い方も作者の感情があらわでしょう。
 逆に「閉ざされてしまった」という形で結果を客観的に描写した方が、余韻が深まるのではないでしょうか。

2003. 5.28                by junji





















 2003年の投稿漢詩 第108作は 西川介山 さんからの作品です。
 

作品番号 2003-108

  偶 成        

春寒樽酒夜漫漫   春寒 樽酒 夜漫漫

人事抗衡襟素寒   人事抗衡 襟素寒し

世路紛紛厭多患   世路紛紛 多患を厭い

醉中弄翰此留歓   酔中弄翰 此に歓を留めん

          (上平声「十四寒」の押韻)

<解説>

 [語釈]
 「抗衡」:互いにゆずらず はりあうこと。「衡」は二台の車が道にあって譲らない意 「史陸賈伝」

<感想>

 今回の西川介山さんの詩は、さらりと書かれたような、滑らかさがありますね。
 起句の「漫漫」から始まって、「抗衡」の双声と「紛紛」などの語がリズム感をうみだしているのでしょう。

 平仄の点では、「寒」の重複や、転句の「多」の字の平字などで破格が目に付きますが、どんな具合なのでしょう。

 内容的には起句承句に具体性が捉えにくく実感がつかめない分、七言絶句よりも五言絶句が適しているように感じました。ただ、繰り返しになりますが、この詩のリズム感は耳に残る良さがありますから、結句の下三字あたりで何か具体的なものを描いて、思いを深めたいところでしょうか。

2003. 5.28                 by junji



 謝斧さんからお返事をいただきました。

「世路紛紛厭多患」はハサミ平です。
 平仄は●●○○●○●です。

 「寒」は同字重出ですが、不自然さはないとおもいます。同字重出の効果もないので措辞を変えるべきでしょうか、可も無く不可も無しというところでしょうか。

2003. 5.31                 by 謝斧





















 2003年の投稿漢詩 第109作は 藤原崎陽 さんからの作品です。
 

作品番号 2003-109

  春日雑興        

冬去春来浄沼涯   冬去り春来って浄沼の涯

柳絛揺處見鶯児   柳絛揺れる處 鶯児を見る

水光翆繞疎梅影   水光 翆を繞る 疎梅の影

花気幽薫三両枝   花気幽かに薫ず 三両枝

          (上平声「四支」の押韻)

<感想>

 春の風物を惜しみなく配して、山林をゆったりと春に逍遥しているような気分になりました。
 転句の「疎梅影」や結句の「三両枝」などの言葉からは、林逋「山園小梅」の名句、
     疎影横斜水清浅
     暗香浮動月黄昏


や、蘇軾「恵崇春江暁景」のこれも名句、
     竹外桃花三両枝
     春江水暖鴨先知


などの、春を告げる詩を思い出しますね。

 そうした景物は安心感を与えてくれて、読んでも心地よいのですが、ただその分だけびっくりするような発見の面が不足する点は否めないかもしれません。

2003. 5.29                 by junji





















 2003年の投稿漢詩 第110作は 徐庶 さんからの作品です。
 

作品番号 2003-110

  卒業式        

兆京芽甲出萌期   兆京の芽甲 出萌の期

千萬鳳雛飛発時   千萬の鳳雛 飛発の時

此面此聲君莫忘   此の面 此の聲 君 忘る莫かれ

前途大海作盲龜   前途大海 盲龜と

          (上平声「四支」の押韻)

<解説>

 ご無沙汰しています。久々の投稿は卒業式を詠んでみました。
卒業文集に載せたものの、下書きの紙を紛失してしまったため、投稿が遅れてしまいました。

 因みに高校は辛うじて第一志望に受かり、今はぬくぬくとしています。
 三句目は、黄遵憲「將之日本題半身写真寄諸友」の一句目から着想を得ました。

    数多くの草花が芽を出す春は
    全国の卒業生が飛び立つときだ。
    この顔も声も忘れないでくれよ
    この先の社会では会えるかどうかも分からないから。

<感想>

 お久しぶりですね。新年漢詩をいただいてから、そろそろ試験かな?、そろそろ発表かな?とつい私の方もそわそわしていました。
 遅くなりましたが、高校入学、おめでとうございます。

 徐庶さんからは、中学の時から詩を送っていただき、新鮮な感覚と豊かな漢籍への知識に多くの人が驚いていました。特に、日常の何気ない生活や、中学生としての実感などが素直に描かれていて、教育に関わる人間として、「そうか、こんな風に受験のことを考えているんだ」とか、「世の中をこんな風に見ているんだなぁ」と私は新たに目を開かれた思いでした。

 さて、その徐庶さんも高校生、今後も若者のどんな思いを伝えてもらえるのか、楽しみにしています。

 詩をまず読んで、「兆京芽甲」と来ましたから、うーん、随分大きく来たなぁと思いました。春になっての草花の芽ですから、目に見える範囲で言えば、せいぜい「千万」くらいが妥当なところかな、と考えたのですが、承句を読んで納得しました。
 徐庶さんの視野は目の前に縛られているのではなく、自分と同じくこの春に卒業をする全国の仲間とのつながりを感じてのものなのだったのですね。

 そして、そう思った瞬間に、私の目の前には、日本全土に一斉に芽吹く数え切れない草花の若芽が浮かんできたのです。日本地図の全てを覆い尽くすように、と言えば良いでしょうか、もううれしくなってきました。
 そうなんだよ、春になれば一斉に無数の花が咲くように、若者も育ってきているんだなぁって思えて、とてもうれしかったのです。

 まったく、今回は徐庶さんのスケールの大きさに脱帽です。そして、久しぶりに、若者へ応援のエールを送りたくなりました。感謝、感謝です。

2003. 5.31                 by junji





















 2003年の投稿漢詩 第111作は 徐庶 さんからの作品です。
 前作に続けて送っていただきました。

作品番号 2003-111

  春        

亢角還輝四季囘   

東風同樣八荒來   

青皇煦氣猶餘力   

數百花花一夜開   

          (上平声「十灰」の押韻)

<解説>

 家の山吹や桃の花が咲いた様子を詠ってみました。
「春」に関する語を多用しましたが、ちょっとくどかったかもしれません。
 しばらく作ってなかったせいか、作るのにかなり時間がかかった上、ちょっと稚拙な感じになってしまいました…。 

 で、学校ですが、入学して2週間が経ち、やっとなれてきました。
国立の学校で、国立駅からの大学通り沿いの桜並木が満開で凄かったです。近くに一橋大学とか閑静な住宅街があり落ち着いた雰囲気でとても良いです。
 学校の校風も至って自由で、毎日楽しく過ごしています。
 これからもまたよろしくお願いします。


<感想>

 「亢」「角」も星座の名前で、それぞれ二十八宿のひとつです。西洋的な呼び名で言えば、「角」乙女座の一等星スピカという星になります。「亢」乙女座の星ですね。

 スピカは、うしかい座アークトゥルス獅子座デネボラ「春の大三角」と言われる三角形を夜空に描いています。
 春を告げる大切な星ですね。昔の人はシリウスを見てナイルの洪水の時期を知り、スピカを見て農作業の始まりの時期を知ったとかいう話を以前読んだ気がします。(その本を探していたのですが、見つからなかったので、もし記憶が違ったらすみません)

 「くどい」「稚拙」と書かれましたが、全体的に説明調で、理屈っぽい気がします。もちろん、徐庶さんの言われるように、内容的に重複が多いことも原因でしょうが、論理的に書こうとし過ぎたのではないでしょうか。
 しばらく詩作から遠ざかると、どうしても説明的な詩を多く作りがちです。徐庶さんも久しぶりの詩作、省くところは思い切って省く、という行間の余韻を思い出すと良いでしょう。

2003. 5.31                 by junji





















 2003年の投稿漢詩 第112作は 憲菖 さんからの作品です。
 

作品番号 2003-112

  想故郷桜花      故郷の桜花に想う  

郷里桜花舞軟風   郷里の桜花 軟風に舞う

古来此地事商隆   古来此の地  商の隆なるを事とす

昔時学友春知否   昔時の学友 春知るや否や

吾夢難成未就功   吾夢成り難く 未だ功に就かず

          (上平声「一東」の押韻)

<解説>

 故郷の近江八幡に帰った時、桜の花が散り始めており、戦時中、学友が競って志願兵として第一線に向った当時を思い出した。
 今では考えられないことであるが、学友は吾青春を省みず出陣して花と散ったのである。
 自分はもう77才にもなるが、まだお役にも立てないで居る。

<感想>

 今回の詩は、題名をまず「故郷桜花」として、「想」を省いた方が良いですね。今のままだと「故郷の桜花を想う」となり、どこか別の土地から故郷のことを思い出しているような印象になります。

 もう一つは、各句のつながりがはっきりしないことでしょう。
大意だけでも並べてみると明確になると思いますが、「故郷の桜が春風に舞う」ことと「昔から商業が盛んだった」はどうつながるのか。転句はまだわかりますが、結句の「吾夢」は何を指すのかが、この詩からは分かりません。(無理に解釈すれば、承句にあった「商」ですので、「経済的に成功すること」かと考えざるをえませんが)

 句の構成を考えるには、起承転結を基本にするわけですが、何よりも、自分の言いたいことの中心を押さえておき、句ごとに簡単にまとめてから、並べてみることが必要です。
 作者自身にとっては常識で、分かっているつもりのことでも、他人からは理解不能なこともたくさんありますからね。
 私自身は、句の構成に悩んだりする時には、四百字詰めの原稿用紙を使って日本語訳をまず書いてみます。そうすると、さすがに見慣れた日本語ですから、論理的な破綻などがすぐに分かります。中国語(漢詩漢文)で書いてあると、ついその語調に流されてしまうところが私にはありますので、自分で気を付けるようにしています。
 もし、参考になればと思います。

 結句の「夢」につきましては、以前にも書きましたが、「眠ったときに見る夢」として使うべきで、「将来への理想」というような意味では使えません。
 ただ、今回、Y.Tさんから「夢の用法」についてのご意見をいただきましたので、桐山堂に掲載しました。是非、ご覧下さい。

2003. 5.31                 by junji





















 2003年の投稿漢詩 第113作は 佐竹丹鳳 さんからの作品です。
 

作品番号 2003-113

  憶梅香        

野梅相訪到東坡   野梅 相訪ねて 東坡に到り

冢上春風又一吹   冢上の春風 又一吹す

置酒閑談猶在耳   酒を置いて閑談 猶耳に在り

停雲雲散憶人時   停雲 雲は散じて人を憶うの時

          (上平声「四支」の押韻)

<解説>

 [語釈]
 「停雲」:停雲思親友也 陶淵明

<感想>

 解説にお書きになったように、「停雲」「親友を慕う、思い出す」という意味ですが、もともとは陶潜『停雲』と題された四言古詩の序文の記述から発したものですね。
 詩を引用するのは大変ですので、序文だけ書きましょう。
    停雲、思親友也。樽湛新醪、園列初栄。願言不従、歎息弥襟。
 意味は、「停雲の詩は、親友を思う詩である。樽には新酒がたっぷりだし、庭では花が咲きそろう。会いたいと思うのだけどできなくて、ため息が胸にあふれてくる」
 そして、この序文の後に「靄靄停雲  濛濛時雨」と詩が始まり、雨に降り込められて親友に会えない寂しさが語られるわけです。

 結句の「停雲」はそうした背景を含みながら、同時に眼前の情景を描いてもいるわけで、重層的な効果が生きていると思いました。
 「停雲雲散」は、「立ちこめた雲が散り晴れて」と読むのか、「雲が立ちこめている時も雲が散り晴れた時も」と並列で読むのかに少し迷いました。
 転句が「猶在耳」ですので、ここの「置酒閑談」を以前友人と過ごした時の思い出なわけですから、そうすると結句も「雲があっても雲がなくても」とするのも面白いかな?という感じですね。
 書き下しのように読むならば、並列ではなく、「友を隔てていた雲も晴れたから、さあ、会いに行こう」という明るさが出るでしょうね。



2003. 6. 1                 by junji





















 2003年の投稿漢詩 第114作は 謝斧 さんからの作品です。
 

作品番号 2003-114

  患眼        

病坊患眼臥床時   病坊に眼を患って 床に臥する時

尽日無聊春日遅   尽日無聊にして 春日遅し

机上佳書空読殘   机上の佳書 空しく読殘し

瓶中清朶已枯萎   瓶中の清朶は 已に枯萎す

療治屈指心猶鬱   療治 指を屈っしては 心猶を鬱に

倦厭煩身気更贏   倦厭 身を煩わして 気更に贏なり

一病却能防百病   一病却って能く百病を防ぐ

摂生從此謝良医   摂生して此れ從り 良医を謝せん

          (上平声「四支」の押韻)

<解説>

 最近眼を悪くして入院しました。眼が悪いため書も読めませんでした。
 一日がこれ程長いとは思いませんでした。退院が待ち遠しかったです。
     「机上の佳書 空しく読殘し/瓶中の清朶は 已に枯萎す」
 が今の自分を象徴しているようです。なにもかも中途半端で老いさらばえてしまって。
とどのつまり、眼を悪くしては、世の中に身をそばだてて逼塞しています。

<感想>

 謝斧さんからこの詩を送っていただいたのが四月の初めでした。お手紙を送りご様子をうかがいましたところ、退院して回復されたとのお返事をいただき、ほっとしました。
 お手紙には、

 眼はすっかりよくなりました。
ご心配をおかけました。

 嘯嘯会の方は先生の感想を大変喜んでいます。先生の詩に対する読解力には、私のみならず嘯嘯会の方も大変驚き且つ感心しています。
 嘯嘯会では、ほとんど私が感想や批佞を加えているのですが、サイトに投稿するときは先生の感想がなくなるので、私の感想は遠慮せよとのことです。
 これからもよろしくお願いします。嘯嘯会では、貴サイトを資料にしています。


 私も以前入院した時は、一日の長さをしみじみを感じました。謝斧さんの第二句、「尽日無聊春日遅」は格別に特徴のある句ではありませんが、実感を伴った自然な流れが生き生きとした感じを与えていますね。
 病気を持つことは生ある限り仕方のないことだと私は思っています。「一病却能防百病」の気持ちも大切ですし、私は病気になってこそ理解できることもあるのだと感じています。
 健康ならばもちろん、それも人生。病気を体験するのも一つの人生、どちらも未知の体験を重ねていくことは同じなのだから、発見の楽しみを味わっていこうという姿勢を保ちたいものです。

 でも、私の場合には入院して暇があっても、詩がいっぱい作れるというわけではなかったんですけどね。

2003. 6. 1                 by junji



ニャースさんから感想をいただきました。

何度よんでも飽きず、作者の力量を感じます。
淡々と日常を書くことの難しさをいつも感じているので、一層この作品に感じるものがあります。
眼もよくなられたとのこと。どんどん新作を発表していただくことを、楽しみにしております。

2003. 6.17                 BY ニャース





















 2003年の投稿漢詩 第115作は 鮟鱇 さんからの作品です。
 

作品番号 2003-115

  笑賞桜花独吟        

桜多日本詩人少,   桜多き日本 詩人少なくも,

銭少花間酒量多。   ぜに少なき花間 酒量多し。

笑遶春園独吟処,   笑って春園をめぐり独り吟ずるところ,

翔鴉唱和碧天過。   翔鴉 唱和して碧天を過ぐ。

          (下平声「五歌」の押韻)

<解説>

 拙作「老賞池梅」の姉妹篇です。ただし、この作は百六韻で書きました。現代韻では「独」が平声になりますので、現代韻では平仄があいません。

 承句の「銭少」は、ご意見があるかも知れません。「風少」あたりが無難かも知れませんが、「銭少花間」の方がきっと面白いと思います。
 「清貧」「花間」が親和するなら、「銭少」「花間」も親和するはずですから。。。。

<感想>

 私は承句の「銭少」を見た時に、「お、鮟鱇さん、来たな!」とニヤリとしましたよ。
 確かに、鮟鱇さんが書かれているように、「風少」あたりにすれば、風雅な趣で整いますから、それはそれで一つの詩です。しかし、ここであえて「銭」を用いるところに作者の独自性が表れるのでしょう。
 勿論、「銭」の字を使うから卑俗になるということではなく、「銭少」だから「酒量多」というところに、バブル後の景気回復の見通しも立たない現代社会の姿を描いているところに、あえて風雅のみの詩であることを避けた姿勢がうかがわれるわけです。

 おやおや、そんなことまでは言っていないよ、と鮟鱇さんからは言われるかもしれませんが、結句に登場する「翔鴉」、カラスが青空をバタバタと飛んでいるなんてのは、つい深読みさせてしまうものがあるわけです。
 ま、これは結局、作者の責任かな?ということで、納得下さい。

2003. 6. 1                 by junji





















 2003年の投稿漢詩 第116作は 慵起 さんからの作品です。
 

作品番号 2003-116

  江戸川畔     江戸川の畔   

堤莽風飄遠相連   堤莽 風飄く 遠く相い連なる

只聴清囀白雲辺   只だ聴く 清囀 白雲の辺

声停俄落告天鳥   声停まり 俄かに落つ 告天鳥

凝目不観草若煙   目を凝らせども観えず 草 煙の若し

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 江戸川の土手で、燕が飛翔し、かすんだ空で雲雀がさえずっているのを聞きました。
わけのわからない護岸工事(公共事業)で、岸辺はどんどんコンクリートになっていきます。雲雀の声を聞き、なんとなく安心しました。

<感想>

 河の土手をゆっくりと歩きながら、ヒバリの声を耳にして、のどかな春の午後という雰囲気が漂う詩ですね。一つ一つの素材を丁寧に描写していらっしゃると思いますが、ただ、やや丁寧すぎるかもしれませんね。

 起句は「堤」が遠くまで続いているということですね。「相」の字が、並んだ両岸の意味合いを出していますね。
 「莽」の字は、「草が茂っている」ことを表しますので、「堤莽」「土手」ということになりますが、「莽」には「広々とした」とか「ながく野原が続く」などの意味もありますので、そうした感じも付加されていますね。
 前半は申し分のない春遊の景、さらに「声停」となり、「俄」「告天鳥」「落」と来ますので、何が起きるのだろうとワクワクさせます。
 この転句の描写、ドキュメンタリーの映像のような丁寧さの割に、結句の四字が平板な印象で、肩すかしのように感じます。
 結論としては、「何も見えない」ということですから、表現としてはその通りなのですが、それをどう描くかが難しいところです。
 一般には、を描くにを用いる」と言われますが、例えば「室内の静かさを描写するために、普段ならば聞こえない時計の音を出す」とか、「誰も居ないことを描写するために野良犬を一匹歩かせる」とか、逆の表現を狙ったりもします。
 ただ、ここでは下三字で「草若煙」「有」は使われていますので、うーん、どうしましょうね。
 このままでも詩の完成度は高いので、私の欲張りなのかもしれませんが・・・・、もし何か機会がありましたらお考え下さい。

2003. 6. 1                 by junji





















 2003年の投稿漢詩 第117作は 祥苑 さんからの作品です。
 

作品番号 2003-117

  花後偶占        

雨後紅葩染水流   雨後 紅葩水を染めてながれ

黄花満野暗香浮   黄花 野に満ちて暗香浮かぶ

看看物候人空老   看看の物候 人も空しく老い

蝶夢芳心又不留   蝶夢 芳心 又留めず

          (下平声「十一尤」の押韻)

<解説>

 あっという間に桜は散ってしまい、今は菜の花が一面に咲き誇りいい香りが漂います。
見る見るうちに万物は気候に応じて変化し、なすすべも無くただ年老いていくのでしょうか。
人生の夢や志とかも又はかないものです。

<感想>

 前半の色彩豊かな情景が後半の思索の重さを際だたせて、味わいの深い構成になっていると思いました。
 「暗香」と聞くと、どうしても「梅の香り」を意識してしまいますので、どうなのかな?という気持ちはあります。
 ただ、前半に「暗」の字を使うことによる、後半への示の効果という面があるのだろうと思いました。

 季節の推移に自分の老いを自覚するというのは従前から見られる取り合わせではありますが、推移の中に生の息吹を感じるのも詩人の感性、「又不留」と仰らずに、何度でも「留」めていただきたいものです。

2003. 6. 5                 by junji





















 2003年の投稿漢詩 第118作は三重県の 東子 さんからの初めての投稿作品です。
 お手紙を紹介しましょう。

 はじめまして!
 私は詩吟の延長線上から漢詩創作に興味を持ち、勉強しているものです。主婦も卒業し閑居の日々、ゆっくりとマイペースで作っています。
 最近ではこのホームページを拝見するのが日課となってしまいました。
 どうか宜しくご指導のほどお願いいたします。


作品番号 2003-118

  啓蟄偶作        

風催霄雪暮寒天   風は霄雪を催す 暮寒の天

未覚蟄雷虫慾眠   未だ蟄雷を覚えず 虫眠りを慾ぼる

恨望青皇何処在   恨望す 青皇は何れの処に在わすかと

鳥禽空啄草叢辺   鳥禽空しく啄む 草叢の辺り

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 暦の上では啓蟄の日、外はまだまだ寒さが厳しく、虫たちもなかなか地中から這い出してきません。
春よ早く来いと、鳥たちの思いを想像し自分自身の気持ちを重ねて作ってみました。

<感想>

 新しい仲間を迎え、とてもうれしく思っています。掲載が遅れて、随分お待ちになったことと思います。申し訳ないですね。
 次回はもっと早くなると思いますので、今後ともどうかよろしくお願いします。

 東子さんは、詩作も10年を経験なさっておられるようで、一つ一つの言葉にも安定感がありますね。

 捕食される側とする側という観点で考えれば、承句の「虫慾眠」と結句の「鳥禽空啄」はまさにその通りで、流れとしてはスムーズ過ぎるかもしれません。「啄」という行為が「虫」と直接関わり過ぎる、結句が承句だけを受けているような印象です。
 好みもあるでしょうが、私は何か他の行動を「鳥禽」にとってもらうと、全体のまとめという結句の役割が生きてくるように感じましたが、いかがでしょうか。

2003. 6. 5                 by junji


東子さんから、早速お返事をいただきました。

 お早うございます。
初めての投稿でワクワクとドキドキの毎日でした。
 昨日にかぎって一日中忙しくて夜になってやっとホームページを覗かせていただきましたら、待ちに待った掲載、思わず「やったー!」。
 同居の息子夫婦も一緒に喜んでくれました。

 先生の軟らかくて温かいご指導に改めて厚い思いやりの心を感じています。徒に年月ばかりを重ね、発想も感性も貧弱な私です。拙作を投稿させて頂いて本当に宜しいのでしょうかと少々心配ですが、厚顔を承知で、今後ともご指導の程よろしくお願いしたいと思います。
 尚 「啓蟄偶作」中の結句、ご指摘いただきました「啄」「噪」にしてみましたが、だめでしょうか。

2003. 6. 7                  by 東子



 お手紙ありがとうございます。
「待ちに待った掲載」というお言葉に、ありがたく思うと共に掲載が遅れて申し訳ないと改めて感じています。
 「啄」「噪」の点では、この一字だけで見れば良いでしょうが、「噪草叢辺」となると、「草むらで鳥が噪ぐ」のは尋常の光景ではないでしょう。カラスがゴミをあさり合っているような印象(ごめんなさい)ですので、「噪」に対応して「草叢辺」も直されると良いと思います。

2003. 6. 8                  by 桐山人






















 2003年の投稿漢詩 第119作は 真瑞庵 さんからの作品です。
 

作品番号 2003-119

  初夏江村逍遥        

暁鶏喔喔度田風   暁鶏 喔喔 田を度る風

堤上軽鞋踏露叢   堤上 軽鞋 露叢を踏む

水接祠頭垂柳緑   水は 祠頭 垂柳の緑に接し

径沿籬下落花紅   径は 籬下 落花の紅きに沿う

依稀野店茅茆影   依稀たり 野店 茅茆の影

澹淡漁夫竹棹篷   澹淡たり 漁夫 竹棹の篷

雲雀一鳴天外去   雲雀 一たび鳴いて天外に去り

江村五月翠烟中   江村の五月 翠烟の中

          (上平声「一東」の押韻)

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<解説>

 何処かの農家の夜明けを告げる鶏のけたたましい鳴き声が(田植えの準備が終わった)田んぼを渡って聞こえてきます。
 (私は)そんな夜明け間近の(木曾)川沿いを朝露を踏みしめながらふらりと散歩しています。
 祠近くの川面に垂れ下がった柳はその枝に若々しい青葉を映し、つい先頃まで咲誇っていた藪椿は、その艶やかな花びらを道ばたに散らしています。
 茶店の茅葺の屋根が明けなずむ中にぼんやり見え、とま舟の上で漁夫はゆったりと棹を操っています。
 明け放たれた空高くで、雲雀の囀りが消えると、あたり一面翠煙が立ち込めていました。

<感想>

 今回の詩は、中唐の司空曙「江村即事」を思い浮かばせ、更に視野を広げたような趣ですね。律詩の良さを十分に堪能させてもらえます。

 この木曽川沿いの風景を真瑞庵さんはこれまでもいくつも詩になさっておられますが、この詩はとりわけ色彩が鮮やかですね。
 頷聯は特に、「水」「径」を句頭に据えたところが面白いですね。一般には「垂柳」「花」の方が「水」「径」に沿って植えられたり咲いたりするものですが、真瑞庵さんは視点を逆にしたわけですね。
 その効果は何なのか、「径沿籬下落花紅」で言えば、まず「落花の紅」が先にあって、その花を見るために「径」が出来上がったような、つまり美しいものが優先的に存在し、私が「水」「径」に沿ってそれらを眺めに行くような臨場感が生まれるわけです。
 それは極めて叙情的な表現ではありますが、詩としては大いに認められるもの。それだけ感動が強調されると考えれば効果は大きいものです。

 もちろん、頷聯のこの表現だけではなく、全体を貫いている、この土地のこの風景に対する詩人の温かい視線がこの詩の風趣を高めていると思います。

2003. 6. 5                 by junji





















 2003年の投稿漢詩 第120作は 一陽 さんからの作品です。
 

作品番号 2003-120

  楚 雀        

暄気春香満阜丘   暄気 春香 阜丘に満ち

霽天楚雀発清謳   霽天の楚雀 清謳を発す

試呈口嘯喬松下   試みに口嘯を呈す 喬松の下

相対声音如競遊   相対する声音 遊を競うが如し

          (下平声「十一尤」の押韻)


<解説>

 自宅から歩いて10分の八王子(日野市寄り)の長沼遊歩道に足慣らしに週2〜3回通っています。
展望台では八王子の北東部と日野市の北西部や拝島橋の辺り、飯能西武球場のドーム、更に遠くの奥多摩丘陵が晴れた日はよく見えます。
 我家の2Fのベランダからも富士山が見えますヨよ。毎年今の時期になりますと鶯声がとても良く聴けます。
 京王線の長沼駅から15分程度ですから、スニーカーで充分ですのでハイキングに是非おいで下さい。

<感想>

 一陽さんからいただきました元の詩は次のようでした。

   誘足春香向近丘   春の香りに誘われて足は近くの丘(丘陵)に向かう
   尾根沿楚雀歌謳   尾根沿では楚雀(鶯)がみんなで歌っている
   呈音口笛喬松候   喬松(にいる鶯)に口笛を呈して様子を窺えば
   直応高澄如競遊   直ちに高く澄んだ競って遊ぶような鳴き声で応答してくれた。


 「漢文の語順が分からない」一陽さんからうかがっていましたので、今回は「修正するならば、例えば・・・・」ということで特に起句承句の辺りを考えてみました。

 起句では一陽さんの趣旨からすると、「誘春香向近丘」となるべきでしょうが、そうすると句のリズム(「二・二・三」)が崩れ、平仄も合わなくなります。
 「春の香りに誘われて」という初出の感動をできるだけ生かしたい、ということで「春香」を残し、「誘」の代わりに「満」として、「誘われて行ってみたら」という風に結果論的に表現しました。
 そうすると、今度は「足向」も不要になりますので、もう二文字入れることができる、そこで「暄気」と春をまず強調することができました。
 「阜丘」としたのは、「近丘」が口語的な印象ですので、それを避けるためです。

 承句は「尾根」が和語であることと、やはり句のリズムが崩れていることを修正するために、「尾根沿い」ならば空に居るのだろうからということで「霽天の楚雀」と言い換えました。やや強引かもしれませんね。

 転句では、和語である「口笛」を直し、「候」「様子を窺えば」を描かれたのでしょうが、過剰説明で「喬松下」で十分だとしました。
 結句は、「直ちに・・・・」というニュアンスが薄くなったかもしれません。

 できるだけ一陽さんのお気持ちを生かしながら、私が作るならば、ということで意図を含めて書かせていただきました。
 掲載に当たっては一陽さんから「両方載せてください」ということで許可いただきました。

2003. 6. 9                 by junji