2006年の投稿詩 第226作は 井古綆 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-226

  題方広寺     方広寺に題す   

華城布陣始鐘銘   華城の布陣は鐘銘に始まる

横禍傲然揺靖寧   横禍 傲然 靖寧を揺るがす

側孀屏営謫心膂   側孀の屏営 心膂を謫す

千瓢倉卒砕葵庭   千瓢 倉卒 葵庭に砕く

          (下平声「九青」の押韻)

<感想>

 井古綆さんから、方広寺の詩をもう一首いただいていました。

 「華城」は「大阪の町」、「孀」は「夫に先立たれた女性」ですので、ここは「淀君」を指しますね。
 「千瓢」はご存知の豊臣秀吉の馬印ですのでここでは「豊臣家」、逆に「葵庭」が「徳川家」です。「倉卒」は「あたただしいこと」です。

 同じ内容でも、関東の人が訪れて作ると、書き方が違ってくるかもしれませんね。

2006.11.10                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第227作は 兼山 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-227

  阿蘇山        

雲烟蘇嶽大觀峰   雲烟 蘇嶽 大觀峰

不及先賢追舊蹤   及ばず 先賢の 舊蹤を追ふ

神火造山如寢釋   神火の造山 寢釋の如し

佛徒齊拜秀靈容   佛徒 齊しく拜す 秀靈容

          (上平声「二冬」の押韻)

<解説>

 台風十号が通過した直後、阿蘇外輪山の大観峰に登った。
 阿蘇山を詠んだ詩は多い。松口月城の詩にも「阿蘇涅槃像」がある。
「大観峰」とは徳富蘇峰の命名である事はよく知られているが、「釋迦涅槃像」とは一体誰が言い始めた比喩なのだろう。
「神火」は(ごじんくわ)、「寢釋」は(ねしゃか)と訓じたい。

<感想>

 徳富蘇峰が大観峰を詠じた詩は、

      大観峰
    屏列群峰作外輪    屏列 群峰 外輪を作し
    天成畫本此披陳    天成の畫本 此に披陳す
    一邱一壑何須説    一邱 一壑 何ぞ説くを須ひん
    請看蘇山面目真    請ふ看よ 蘇山 面目真たり
                  (読み下しは桐山人が行いました)

 阿蘇山には、漢詩人に限らず、多くの文人が登って詩歌を詠んでいるようですね。兼山さんが「先賢」と呼ばれたのは、その点を指しておられるのでしょう。
 雄大な阿蘇山の姿と、涅槃像からの結句への発展がかみ合っていますね。後半をより生かすならば、起句に名詞を並べるのではなく、ここでも何か作者の動きを入れると良いでしょうね。

2006.11.10                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第228作は 兼山 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-228

  重來天草洋     重ねて來る天草の洋(なだ)   

山陽瞥見大魚跳   山陽 瞥見す 大魚の跳るを

假泊篷舟月影搖   假泊の 篷舟 月影搖く

白髪重來天草海   白髪 重ねて來る 天草の海(なだ)

望洋碑碣待明朝   望洋の 碑碣 明朝を待つ

          (下平声「二蕭」の押韻)

<解説>

 阿蘇外輪山の大觀望に登った翌日、天草の下田温泉を再訪した。
 天草灘を最初に見たのは、今を去る事四十五年前の事である。その後も何回か天草を訪れてはいるが、頼山陽の「泊天草洋」を意識して出掛けたのは、今回の旅行が初めてであった。
 頼山陽以後、天草洋に関連した漢詩は多く創られている。
 また現地では「泊天草洋」だけの吟詠大会も開催されて居る。天草在住の吟友たちと「泊天草洋」を吟じ合い、酒肴を楽しんだ。
 轉句の「白髪重來」は、張継の「重宿楓橋」から採った。

<感想>

 解説にお書きになった「泊天草洋」(頼山陽)、「重宿楓橋」(張継・・・・ただし、この詩は後世の人の偽作と言われています)をご覧になると、二つの詩と重なる言葉が多いことに気付かれると思います。
 兼山さんは、二つの詩への思いをこめて、あえてお使いになったのでしょうが、そのままずばりと使われるよりも、やはりひとひねりが欲しいですね。
 また、内容的には、結句の「待明朝」という理由が私にはよく分からないので、その分余韻が薄くなる気がしました。

 兼山さんは福岡にお住まいでしたでしょうか、私は十一月の初め、つい先日のことになりますが、別府から湯布院に一泊、その後に太宰府を見てから博多に出ました。旅行のきっかけは甥の結婚式に出席するため、旅行の主眼は妻を湯布院に連れて行くこと、そんな旅でしたが、丁度天候にも恵まれ、紅葉も終わりかけの湯布岳が澄み切った青空の下に浮かび上がり、きれいな姿を見ることができました。
 九州の空気をいっぱいに吸い込んで帰ってきました。

2006.11.10                 by 桐山人



兼山さんからお返事をいただきました。
毎度、ご丁寧な指導を戴き、感謝申し上げます。
御指摘の結句「待明朝」を、『為誰招』に修正致したく存じます。

  望洋碑碣為誰招   (望洋の碑碣 誰が為に招かん)

「ひとひねり」が欲しい「あえて使った」山陽及び張継の詩句は未推敲です。

2006.11.13              by 兼山






















 2006年の投稿詩 第229作は サラリーマン金太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-229

  游讃州中津万象園     讃州中津万象園に遊ぶ   

千本矮松連別荘   千本の矮松 別荘に連なり

鵑花藤樹竝含香   鵑花 藤樹 並びて香を含む

森羅万象融名苑   森羅万象 名苑に融し

往昔藩侯賞玩長   往昔 藩侯 賞玩長し

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

 この万象園には千本以上の低木の松の名園が浜辺に広がり、一角には茶室や母屋が品よくたたずんでいる。
 ちょうど花の盛りに訪ねたところ、紅白のつつじや薄紫のフジの花が長くしだれて、馥郁たる香りを楽しませてくれた。
 本園はその名のごとく作庭に森羅万象、即ち宇宙に存在するすべてのものを具象化して配し、それらを合わせ持つ名園といわれる。
 おそらくは京極の御殿様、母屋二階に上り、あるいはまた池に御座舟を浮かべて、観潮・観月・観桜の宴を催し、煩わしい政務の閑を楽しんだことであろう。

☆作詩の背景‥平成十八年黄金週間を利用して香川県丸亀市にある大名庭園を散策した。

[中津万象園の沿革]

 貞享五年(1688年)、丸亀二代目藩主京極高豊公により、ここ中津の海浜に中津別館として築庭される。
 白砂青松の松原に続いて千五百余本の矮松を植え、庭の中心には京極家先祖の地である近江の琵琶湖を形どった八景池を置く。近江八景になぞらえて、帆、雁、雪、雨、鐘、晴嵐、月、夕映と銘した八つの島を配し、その島々を橋で結んだ回遊式の大名庭園である。
 湖畔には、庭園内から海まで一望できたという中二階の茶室と母屋が設けられている。また、母屋南庭には枝葉の直径十五米余り、樹齢六百年と云われている〔天下の名松〕の呼称にふさわしい大傘松がある。
 万象園は森羅万象、即ち宇宙に存在するすべてのものを意味し、それらを合わせ持つ名園といわれる

<感想>

 名勝を訪れた詩は、どうしても説明的になりがちですが、サラリーマン金太郎さんのこの詩では、「千本矮松」「鵑花」「藤樹」と具体的な描写が臨場感を高めていると思います。
 その具体性を一気にまとめ上げたのが転句の働きですね。また、「旧苑」とせずに「名苑」としたことで、時間的に遡る結句とのつながりも生きているでしょう。
 こうした勢いのある構成を見ていくと、前半に植物以外のものも描いてほしいという欲が出てきますし、結びの「賞玩長」が物足りなく感じてしまいますね。

2006.11.10                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第230作は 芳原 さんからの作品です。
 三首連作ですので、まとめてご覧いただきましょう。

作品番号 2006-230

  冬詩興 其の一        

三径風塵外   三径 風塵の外

百花過半冬   百花 過ぎて冬半ばなり

雪中高士在   雪中 高士在り

一献蹕宵鐘   一献 宵鐘をはらう

          (上平声「二冬」の押韻)

<感想>

 「風塵」「風に飛ばされた塵」ですが、「(汚れた)俗世」という意味もあります。
 「三径」が頭に置かれて、庭の三本の小道を愛したと言われる陶潜を十分に意識させますから、起句の「風塵外」はやはり、「わずらわしい俗世間を離れた世界」と見ることになりますね。

 承句は省略された言葉があるのでしょうか、意味をつかむことができませんでした。作者の気持ちとしては、おそらく、「百花は過ぎて 冬を半ばとする」ということなのでしょうが、この句は素直に読めば「百花 過半は冬」とし、解釈も「沢山ある花も半分以上は冬(に開く)」となるでしょう。
 この句は再考される方が良いでしょう。

 転句の「雪中高士」は梅花を指します。
 これは「立派な人物(高士)は、大雪で誰もが食料を求める中、他人に迷惑をかけることを避けて、静かに臥していた」袁安(後漢)という人の故事を受け、明の高啓が「梅花 九首の一」でも用いたものです。

 結句の「蹕」「天子の通行の際の先駆け」ですが、ここでは「宵鍾」の音を待ちきれずに酒を一献傾けたということを大げさに表したものでしょう。

 転句への展開が「花」から「花」ということで、やや面白さに欠ける気がしますね。

2006.11.20                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第231作は 芳原 さんからの連作の二です。
 

作品番号 2006-231

  冬詩興 其の二        

小閑愉臈月   小閑 臈月を愉しむ

欲雪暮檐昏   雪ならんと欲して 暮檐昏し

朋在酣中客   朋在り 酣中の客

炉辺酒一樽   炉辺 一樽の酒

          (上平声「十三元」の押韻)

<感想>

 起句の「臈月」「陰暦十二月」のことです。「臈」「臘」の異体字として用いられます。「臘月」は、「臘祭」と言われる年末の感謝祭(肉が集まるというのが「臘」の字義)があり、それが行われる月ということでこのように呼ばれます。
 日本では「師走」とも言われる忙しい月ですが、その中での「小閑」がよく伝わってきます。

 承句の「欲」は状態を表す言葉ですが、ここではあまり働きがないですから、あっさりと「雪日」と持ってきてもいいでしょう。

 転句の「酣中客」、この言葉は陶潜が「飲酒」の詩で用いた言葉です。大漢和や幾つかの辞書では、この「酣中客」については「世俗の名利に溺れた人」と説明しています。文字通りの「酒を楽しんでいる人・酔っぱらい」という説明の辞書もあります。陶潜の詩の字句をどう解釈するかの違いでしょうが、ここでは後者で理解しなくてはいけません。「朋」に対して用いるのですから「酒好き」くらいが適語でしょうか。
 

2006.11.20                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第232作は 芳原 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-232

  冬詩興 其の三        

臈月安閑半   臈月 安閑として半ばなり

貧窮孤影伸   貧窮 孤影伸ぶ

風寒催小雪   風寒くして小雪を催し

日尽促帰人   日尽きんとして人の帰るを促す

          (上平声「十一真」の押韻)

<感想>

 うーん、この詩は何とも年末のペーソスが漂う作品ですね。
 起承転結の展開、結末の余韻などの点でも、完成度は高いのではないでしょうか。
 とりわけ、それぞれの句が独自に陰影を持っていて、五字の後にまだ何か隠れているような思いにさせるものばかり、「この句や詩について、もう少し話をしたいよ」とつい作者に声を掛けたくなる作品だと思いました。

2006.11.20                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第233作は 翠葩 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-233

  添自詠歌集     自詠歌集に添ふ   

随意情懐入和歌   随意の情懐和歌に入る

生来筆墨奈難何   生来筆墨の難きをいかんせん

展観為就吾師下   展観の為になす吾師の下

宿志修行感激多   宿志を修行して感激多し

          (下平声「五歌」の押韻)

<解説>

 気ままに詠んだ和歌を
 生来苦手な筆書きで、
 展覧会の為に師について書き上げました。
 かねてからの志を達して今感激しています。

 和歌集を帖にして出しました。
 手元において時々眺め満足します。

<感想>

 翠葩さんは和歌も楽しまれるのですね。可能でしたら、私も拝見したいと思いますが、いかがでしょうか。

 言葉としては、承句は「生来筆墨」で一旦切れますので、このままでは分かりにくいでしょうね。「筆墨」「拙筆」ではどうでしょう。
 結句の「修行」もここではあまり有効とは思えませんので、他の言葉を探されると良いと思います。

2006.11.21                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第234作は 仲泉 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-234

  惜別        

三更灯暗夢醒時   三更灯は暗し 夢醒むるの時

枕上悄然月照帷   枕上悄然として 月 帷を照らす

人去可憐空対酒   人は去り憐れむ可し 空しく酒に対す

蛾眉只管憶君姿   蛾眉 只管ひたすら 君が姿を憶ふ

          (上平声「四支」の押韻)

<感想>

 仲泉さんのこの詩は、以前に掲載しました「遊湖」と同じく、青年の時を思い出されての詩でしょうね。

 転句までは、夜更けの感懐の詩として読むことができましたが、結句に至って、ようやくこれは恋愛の詩だと分かりました。美しい人が去った後・・・・「惜別」とありますから不本意な別れだったのでしょう・・・・の切なさ、ただ酒に対するしかない悲しみ、しみじみと伝わってきますね。
 転句の「人去」を考えると、結句の「君姿」は重複感があります。具体的な「姿」の方が一層余韻を深めるでしょう。

2006.11.21                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第235作は 一人土也 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-235

  秋月夜        

夢騰月到窓   夢騰たる月 窓に到り、

有感置書瞾   感有り 書を置きて瞾る。

淡照層楼白   淡照の層楼は白く、

飛楓影一双   飛楓の影一双。

          (上平声「三江」の押韻)

<解説>

 ぼんやりした月が窓に至り、
 何か感じて本を置いて注視する。
 淡く照らされた建物は白く、
 とんだ楓の葉の影が一、二枚。


<感想>

 承句の「瞾」はこれで良かったでしょうか。

 起句の「夢騰月」は「空に昇った暗い月」でしょうか。
 承句の「有感」は直接何かがきっかけとなって生まれたものではなく、ふと感じるところがあって外を眺めたということを表しているのでしょう。

 窓越しに見える建物の白さ、そこをかすめる落葉の姿、幻想的とも言える場面が描かれていますね。

2006.11.21                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第236作は 深渓 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-236

  新秋即事        

雨洗残炎已入秋   雨は残炎を洗って 已に秋に入る、

軽衫一夕布衣求   軽衫 一夕 布衣を求めん。

東籬菊発虫声急   東籬 菊発いて 虫声急に、

温酒題詩侍老儔   酒を温め 詩を題して 老儔は侍る。

          (下平声「十一尤」の押韻)

<解説>

 軽衫=かたびら、夏のはだがけ。
 布衣=普段着をいう。
 侍老儔=老いた仲間。
  「儔」は目上の人のそばに仕える。作者は東籬の菊と老いた仲間であり菊に侍る。

<感想>

 前半の夏から秋への移ろいを「軽衫」「布衣」で対比させ、後半からは秋の情景を中心に描かれた詩ですね。
 後半から一気に秋が深まる感がしますが、承句がうまくつないでいるように思います。

 転句の「東籬菊発」はもちろん、陶潜を意識された言葉ですが、そのおかげで結句の「温酒」が滑らかに導かれますね。

 「布衣求」「侍老儔」と二箇所に語順を倒置させたところがありますが、どちらか一つにした方が落ち着くように思いました。

2006.11.21                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第237作は 井古綆 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-237

  王昭君        

賕賂等閑蒙画殃   賕賂 等閑 画殃を蒙り

昭君奉勅嫁匈王   昭君 奉勅 匈王に嫁ぐ

緑蕪縹渺驚胡角   緑蕪 縹緲 胡角に驚き

紅涙潸然注綺裳   紅涙 潸然 綺裳に注ぐ

可忘深宮争内嬖   忘る可し 深宮 内嬖を争ふを

無軽少艾鎮辺疆   軽んずる無かれ 少艾辺疆を鎮めるを

身成朽骨留青冢   身は朽骨と成って 青冢に留まるとも

魄作飛鴻帰故郷   魄は飛鴻と作って 故郷に帰らん

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

 この詩は2002年9月の作です。七、八句を拙詩2005−70「弔遣唐留学生井真成君」に転用しました。

「内嬖(ないへい)=側室」

<感想>

 画家に賄賂を贈らなかったために醜く描かれ、匈奴のもとに降嫁させられたという王昭君の故事はよく知られていることです。唐代の詩人たちにも彼女を悲劇的に描いて同情的に描いた作品は幾つか見られます。
 そうした悲劇のヒロインとしての王昭君の姿に、別の視点をあてたのが、北宋の王安石の「明妃曲(二)」でした。
 王安石の詩の第七句、「人生楽在相知心」という言葉は私の大好きなものです。漢詩の中で好きな言葉は何ですか?、と聞かれることも多いのですが、その時には、必ずこの句を私は紹介することにしています。

 井古綆さんのこの詩は、故事の背景を丁寧に描きながら、王昭君の悲しみへと発展させるという展開で、スケールの広がりを感じられるものとなっていますね。

2006.11.21                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第238作は 一人土也 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-238

  越南烈士     越南の烈士   

自由縁底問青霄,   自由 何に縁るや 青霄に問へば、

只有金風幾思遙。   只だ金風有りて 幾思遙かなり。

烈士為塵名不朽,   烈士 塵と為り 名は朽ちず、

是無紅葉似高標。   是れ紅葉無き 高標に似たり。

          (下平声「二蕭」の押韻)

<解説>

 ベトナムの烈士

   自由とはいったい何に縁るのだと青空に問えば、
   ただ秋風があり、幾つもの思いが遙かに飛ぶ。
   烈士グエン・バン・チョイは塵となったが名は朽ちなかった、
   これは紅葉が落ち去った高い枝に似ているからだろう。

      (高い枝=飾らない高潔な人格)

 これはグエン・バン・チョイという人の詩です。
 ベトナム戦争のとき、南ベトナム(アメリカ傀儡政権)に抵抗して公開処刑にされてしまった人です。
 自由のために命を投げ出したことと、その最期が毅然としていたのとで「烈士」とたたえられたそうです。
 『ケサラ』という歌は僕の学校の校歌みたいなもので、その歌でこの人を知って興味を持ち、ベトナム戦争を調べたりしました。

<感想>

 ネット上で「グエン・バン・チョイ」を調べますと、「インドシナ関連人名辞典」には次のように書かれています。

[Nguyen Van Troi](1940-1964)
 南ベトナム反政府活動家、パルチザン。
 1962年にコムソモールの部隊に加わる。64年にベトコンとして公開処刑されるが、その際の毅然とした最後に多くの共感が生まれた。当時のスローガンにもなり「愛国者グエン・バン・チョイ烈士の仇を討つ」など。現在でも人民英雄として人々に記憶されている。
 一人土也さんの次の詩もそうですが、社会や歴史について、理解を深めていく様子がよく伝わってきます。
 内容的にも、詩としての情趣がよくこめられたものになっていると思います。難を言えば、結句の「是無紅葉」にもう一工夫入れる可能性はあるでしょうね。

2006.11.21                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第239作は 一人土也 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-239

  聞山本氏歌     山本氏の歌を聞いて   

落落高歌徹肺肝,   落落たる高歌 肺肝に徹し、

方思広島有凄寒。   方に広島を思へば凄寒有り。

晴空爆発千秋悔,   晴空の爆発 千秋の悔い、

可欲平和豈苟安。   平和を欲すべし 豈に苟安せんや。

          (上平声「十四寒」の押韻)

<解説>

 山本氏の歌を聞いて

 志高き歌は心にまで達し、
 まさに広島を思えば悪寒が走る。
 晴れ空の爆発、千年の悔い、
 平和を欲しいと言うべきだろう、どうして(武器をとって)一時しのぎをしようか。

 これは山本さとしさんの『ヒロシマの有る国で』を聞いて思ったことです。
その歌は「ヒロシマのある国ですべきこととは何か?」というのを歌っています。
いい歌なので一度聞いてみてください。ネットでも聞けると思います。



<感想>

 ネット上で調べましたら、「ヒロシマの有る国で」が見つかりましたが、歌の方は探し切れませんでした。
 転句までは言葉の流れもスムーズに作られているのですが、結句で呼吸が乱れるような気がします。まとめようという意図が強く出過ぎたかもしれませんね。

2006.11.21                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第240作は 井古綆 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-240

  祝桂米朝師文化功労者受賞     桂米朝師の文化功労者受賞を祝す   

追求話芸永年勤   話芸を追求永年勤め

泰斗高標達叡聞   泰斗高標叡聞に達す

受賞燦然斯界誉   受賞燦然斯界の誉れ

菊花薫処令名薫   菊花薫る処令名薫る 

          (上平声「十二文」の押韻)

<解説>

 この詩は、2002年に桂米朝師匠が文化功労賞を受賞された時に作ったものです。

 私たちはこの桂米朝師をこよなく愛し、限りなく尊敬しています。
飄々とした語り口、まつたりとした上方の味、まさに関西人の誇りです。


<感想>

 米朝師匠は今年の八月に骨折をされて入院をされたそうですね。しかし、ニュースを見ますと、十一月には治療を終えられて、高座に復帰されたとのこと、またお元気なお姿を拝見したいと思います。

 愛知県の田舎に住んでいますと、なかなか師匠の落語を直接聞く機会もなかったのですが、テレビやラジオをはじめ、CD全集などで、何度も拝聴させていただきました。
 聞く度に、「これぞ関西の落語!」というものを堪能することができますね。

2006.11.30                 by 桐山人