2007年の投稿詩 第121作は 貞華 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-121

  黄山        

奇勝黄山天下傳   奇勝黄山と天下に伝ふ

萬峰絶壁眼前連   万峰の絶壁 眼前に連なる

週遭踏破松濤裏   週遭踏破す 松涛の裏

暁闇披徐朝旭鮮   暁闇徐に披いて朝旭鮮やかなり

          (下平声「一先」の押韻)

<感想>

 黄山の景はこれまでにも多くの詩人が詠んでいるところですが、李白の「黄山四千仞 三十二蓮峰」が一息で表現して知られるところですね。
 このサイトでもつい先日、常春さんの「黄山 其一 其二」の連作を掲載させていただきましたね。

 黄山で望む日の出はまさに絶景と言われますが、貞華さんの結句はそこを描き出したものですね。眼下に聳える岩壁に焦点を絞った前半の描写が勢いを持ち、結句の動きを生かしていると思います。
 「披徐」は順序を逆にして「徐披」とすべきでしょう。

2007. 7. 2                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第122作は 謙岳 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-122

  中川春景        

日暖風和江上春   日暖かに 風和らぎたる 江上の春

長堤十里百花新   長堤十里 百花新たなり

鳥鳴蝶舞晩リ路   鳥鳴き 蝶は舞ふ 晩晴の路

烟水浮舟垂釣人   烟水に 舟を浮かべ 釣りを垂るるの人

          (上平声「十一真」の押韻)

<解説>

 中川の春の景色を詠んだものです。
暮れに投稿しました2006年の283作、「中川冬景」の後作です。
 春夏秋冬の四作にしてみるつもりです。

 尚、その折り、鈴木先生からご指摘頂きました転句の
  「好景 空しく移りて 惟寂寞」は 
  「好景 空しく移りて 人語絶え」に直してみました。

 ありがとうございました。

<感想>

 中川の風景の春夏秋冬を漢詩で詠うということですので、完成が楽しみですね。
 前作の冬景でも同じ様な感想を書かせていただきましたが、転句が今回も物足りない印象です。これは「晩晴路」に原因があるからでしょう。
 承句で「長堤十里」とありますので、ここでの「路」も同じと考えるわけですが、そうなると、前半の三句ともが川沿いの道についての描写になります。
 同じ場所(もの)を角度を変えて描いていくことは詩では常套手段ですが、この詩の場合には、三句とも、同じ場所で同じ様な視点(視野)で同じ様なものを描いています。花に目を向け、蝶の舞うのを見てという変化があるとしても、結論として「江上春」「長堤十里」「晩晴路」は全て十里を見渡す視線です。
 「変化するかな」と思うとまた元に戻る、今度はどうかと思うとまた元に戻る、そうしたもどかしさを避けるのはやはり転句の働かせ方でしょう。せめて、承句の「長堤十里」と転句の「鳥鳴蝶舞」の上四字ずつを入れ替えるだけでも、実は随分印象が変わるはずです。

 そうした点も踏まえて、推敲されると良いでしょう。

2007. 7. 2                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第123作は 観水 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-123

  吾子善哉        

田園朗景倍欣欣   田園の朗景 倍(ますます) 欣欣

沼畔閑居客作群   沼畔 閑居 客 群を作(な)す

恭抱稚兒交笑語   恭しく稚児を抱いて 交(こもごも) 笑語す

明眸秀額似嚴君   明眸 秀額 厳君に似たりと

          (上平声「十二文」の押韻)

<解説>

 井古綆さんから 「『祝男児誕生』次韻観水雅兄玉作」をいただき、ありがとうございました。
 次韻していただいたことへ感謝の気持ちと、子どもの成長のご報告を兼ねまして一首お送りいたします。

 もう五ヶ月になろうとしている我が子も、おかげさまで、大勢の方から愛され、元気に丸々と太っております。
 連れ合いなどは、「かわいい!」と言われるよりも、「大きい!」と言われることの方が多いと、なげくこともありますが。

    田舎暮しの楽しさに さらに喜び加わった
    静かな沼のそばの家 次から次にお客さん
    そっと赤子を持ち上げて 微笑み浮かべ言い交す
    ひろいおでこにきれいな目 父上様にそっくりと

 本当は、どちらかというと目は母親似なんですけれどもね。

<感想>

 観水さんのお子さんも五ヶ月ということですが、もう可愛くて仕方がないという感じがこれでもか(笑)と伝わってくる詩ですね。
 起句はここだけ読んでいても「倍欣欣」の理由は分かりませんが、承句から転句へと読み進めていくと、なるほどと納得してきます。
 子どもにはどれだけの愛情を注いでも多すぎることはないと私は思っています。そういう意味では、拝見してこちらも嬉しくなる詩だと思います。

 尚、題名につきましては、観水さんからいただいた詩には書かれていませんでしたので、私の方で書かせていただきました。観水さんの方でお考え下されば、すぐに書き換えます。

2007. 7. 2                 by 桐山人



 井古綆さんから、お手紙をいただきました。
 観水さん、今日は。
 玉作を拝見いたしました。
 明るいご家庭が眼に浮かぶようです。玉作は勿論一点の非の打ちどころはありません。わたくしが破顔いたしましたのは、七五調のこの説明文です。
 昨今の暗い世相に明るい気持ちを下さり、まことに有難うございます。観水さんのお気持ちを頂戴しまして、一詩を賦しました。

    用韻 観水雅兄玉作「吾子善哉」

  待望嫡嗣似尊君    待望の嫡嗣は尊君に似て
  智徳相伝可抜群    智徳は相伝して抜群たるべし
  他日芝蘭成長後    他日 芝蘭 成長の後
  必揚名世共鴻欣    必ずや名世を揚げて鴻欣を共にせん


2007. 7.25                 by 井古綆





















 2007年の投稿詩 第124作は 謝斧 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-124

  春窓小雨        

先生未老世途窮   先生未だ老いざるに 世途窮まり

閑臥優遊草屋中   閑臥優遊す 草屋の中

被暖飽眠喧暁雀   被暖かく 眠に飽けば 暁雀喧く

室寒慵起怯晨風   室寒く 起くるに慵く 晨風に怯ゆ

無聊窓雨幽情寂   無聊 窓雨 幽情寂たり

有意瓶花軟語空   意有りて 瓶花 軟語空し

勿比嚢錐能穎脱   比する勿かれ 嚢錐の能く穎脱するを

孰賢与値漢陰翁   漢陰に値ひし翁と孰れが賢れるや

          (上平声「一東」の押韻)

<解説>

 菅廟吟社席題です
 韻牌は一東を引き当てました。難しい韻ではありませんが案外と苦労しました。
家に帰ってからも推敲を重ねましたがもうひとつでした。

<感想>

 「春窓小雨」の詩題は、描く場面がどうしても室内に絞られるため、自然を描くよりも作者の心情や行為が多く、素材をどう展開するかに工夫が籠められます。屋外ならばいくらでも描ける「春」の趣を室内でどう伝えるか、白居易の「香炉峰下新卜山居草堂初成、偶題東壁」の詩を連想させる頷聯の描写がそれに当たるのでしょう。

 末句の「漢陰翁」は、『荘子』の「天地篇」に登場する老人のことでしょう。
 子貢が漢陰で出会った老農夫は、機械を使えば効率的だと教えた子貢に対し、「機械を使えば心が機械にとらわれるようになる。本来の自分の心を保つためには、初めから機械などを使わない方が良い」と反論します。そして、「世俗から完全に離れなくてはだめだ」と、現実社会や政治に関与する孔子を暗に批判します。
 ろくでもない世の中であるとして、それを直そうと立ち向かうのか、自分の心を守るために逃げるか。どうしようもなくアホな友人に対して、立ち直らせようと付き合いを続けるか、こんな奴と居ると俺までアホになると早々に絶交するか。
 こうした選択はどちらが正しいかという判定のできないことで、自分が選んだことだと納得するしかないという類のものです。そして、この詩の何となく全体的にどろーんとした感じは、今の生活は「世途窮」だからで自身が求めてのものではないというところから来るのでしょう。
 世俗を離れた隠逸の生活という点では漢陰翁と結果的に一緒なのですが、その違いがこの詩の重い雰囲気として出ている気がします。

2007. 7. 4                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第125作は 遊雲 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-125

  六十一歳春偶感        

客蹤終止武州閭   客蹤 ついに止む、武州のりょ

贏得疎慵留守居   ち得たり、疎慵留守の居

婚嫁何時兼薄産   婚家何れの時ぞ、兼ねて薄産

且為偸生弄詩書   しばらくは偸生を為し、詩書を弄せん

          (上平声「六魚」の押韻)

<解説>

 退職後、子供と愚妻が勤めに出て、一人陋屋にて居る時の偶感です。
19歳で中国地方の故郷を離れ、16回の転居の後、関東の片田舎にマンションを持ち、ローンも終わり、振り返りて見れば、手にしたのは余閑のみ。
 子供の結婚も見通しなく、老後の預金も少なく・・・て感じです。

<感想>

 うーん、この詩は胸に迫るものがありますね。遊雲さんに共感される方も多いかもしれません。

 承句の「疎慵」「怠惰、なまけもの」という意味ですが、ここでは解説にお書きになったような「余閑」という感じでしょう。「留守」は日本語で用いるような「誰もいない」という意味はありませんので、和習になります。
 「贏得」は杜牧の「遣懷」に使われた言葉ですが、「どうにかこれくらいを手に入れた」という意味ですので、ただ「獲得した」と読むよりも意図が深くなります。

 結句は四字目が平字になっていますが、ここは仄字でないといけません。「偸生」を句の頭に持ってくる形で推敲されると良いでしょう。

2007. 7. 4                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第126作は 兼山 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-126

  寄花茨丁亥忌     花茨はないばら丁亥忌に寄す   

丁亥花茨忌日迎   丁亥花茨忌日迎ふ

八年歳月感頻生   八年の歳月 感頻りに生ず

蒼顔白髪吾魂斷   蒼顔 白髪 吾が魂斷ず

君是常紅神亦清   君は是れとこしなへに紅なり 神も亦清らかなり

          (下平声「八庚」の押韻)

<解説>

 「花茨忌」(7月5日)は小生の旧友(白石悌三君)が、生前、俳句雑誌「俳句」に寄稿した「花茨」に因んで名付けられた。
 蕪村の「愁ひつつ岡にのぼれば花いばら」に関するエッセーである。

 今年は早くも九回忌、昨年は(八回忌)を修した。

   寄花茨丙戌忌 兼山

  年年相似彼花茨   悌友來參憶舊時
  白髪如新無限恨   紅顔不朽去何之

 このページで何時も勉強させて戴いて居ります。
今回の詩は、出来上がってみると、返点が全く有りません。
文字通りの読み下し、漢文らしからぬ漢詩になりましたが、こんな日本語的な構造の詩は、漢詩の品格に関係しますか?

<感想>

 友人の命日の「花茨忌」、昨年は八回忌、今年は九回忌とのことですので、毎年ご友人が皆さんお集まりになるのでしょうね。
 「花茨」という名前からも推察されますが、故人もお仲間の方々も、風雅を愛する皆さんだったのでしょう。

 生者は年々老いて行くしかないのですが、亡くなった方は永遠を手にするもの、その対比を描かれたのが後半になるわけですが、結句はリズムが悪いですね。
 「是」「亦」の虚字が二つ入っていることと、お書きになったように、読み下しもほとんど「和訓」でしか読めないことです。
 返り点については、日本語でも漢文でも文法構造が共通する部分はありますから、返り点がつかない場合も当然あります。柳宗元の「江雪」などは、全句返り点の必要がないものでした。
 ただ、今回の詩の場合には、起句の「忌日迎」は本来ならば「迎忌日」(忌日を迎ふ)となるし、転句の「吾魂断」「断吾魂」(吾魂を断つ)とした方が文法的には良いものです。押韻や平仄の関係で語順が変わっているわけですが、それはそれで認められる話です。ですから、そうした事情を理解していれば、返り点が無いからと言ってそれほど気になさることではありません。
 それよりも、先ほど書きましたが、和訓でしか読めない結句は、全体のリズムを崩し(転句と比較して下さい)ていますので、後半部分は昨年の詩のような形が良いと思います。

2007. 7.24                 by 桐山人



兼山さんからお返事をいただきました。

 鈴木先生
丁寧なご指導を賜り、誠に有難う御座います。

 いつも安易に作詩している事を反省するばかりです。
それにしても、和訓でしか読めない?或いは和訓に拘り過ぎたかも知れません。
(実は)結句を「とこしなへにくれなひなり、しんまたきよらかなり」と読み下す事に愉悦を覚えていたのですが、これも「和臭」なのでしょうか。

  推敲案:君是無言有盛名(君は是れ 無言 盛名有り)

 「軽快な訓読」の調子が、残念ながら、中々会得出来ないで居ます。
今後とも、何卒、宜しく御願い致します
2007. 8. 2                by 兼山





















 2007年の投稿詩 第127作は 禿羊 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-127

  春日郊歩        

童女騎肩意気昂   童女 肩に騎して 意気昂たり

牽衣小弟叫更娘   衣を牽きて 小弟 娘に更(かわ)らんと叫ぶ

遅遅堤上春風道   遅遅たり 堤上 春風の道

爛漫桜花化日長   爛漫たる桜花 化日長し

          (下平声「七陽」の押韻)

<感想>

 お孫さんお二人と散歩という景ですね。いかにも春の一日にふさわしい暖かさの感じられる詩です。

 承句のような、ふとした仕草や行動を句に拾い上げるのは、禿羊さんのお上手な所ですが、下三字の「叫更娘」は読みづらい感じがします。「叫」の字がよく働いていますので、これは生かしたいところですが、どんなもんでしょうかね。

 転句の「遅遅」「のんびりとした春景色」を示しているのでしょうが、やはり言葉の意味から言えば、何か動きのあるものにつなげた方が落ち着きます。本来で言えば、「遅遅たる(春日) 堤上 春風の道」とするところでしょう。
 結句の「化日長」と重なる表現でもありますから、「遅遅」を再考されるといかがでしょうか。

2007. 7.24                 by 桐山人



真瑞庵さんから感想をいただきました。

 禿羊さんの詩、仄々とした気持ちで読ませて頂きました。

転句、結句は
  遅遅堤上春風道
  (孫と戯れながら)ゆっくりゆっくり歩いていこう
    (心地よい)春風の吹く堤防の道を

  爛漫桜花化日長
  (おりしも)桜の花も満開だし日も長くなった事だから

 と理解して鑑賞させていただきました。

 小生も3人の孫が有り、時折、二人を連れ出して折々の風情を楽しんでいます。

2007. 8. 4              by 真瑞庵






















 2007年の投稿詩 第128作は 海鵬 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-128

  夏日雑感        

青山霞散樹林蒼   青山 霞散じて 樹林蒼く

竹庭微風動穎茫   竹庭の微風 穎茫を動かす

俄廣田輝蝉一喚   俄に広田輝き 蝉一喚

転招炎帝夏蘭芳   転た炎帝を招いて 夏蘭芳し

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

 近所にお住まいの76才の方が、若いとき漢詩に興味があって作った詩があり、それを漢詩に造詣の深い中国の友人に見せたところ、全然平仄も韻も踏んでいないので駄目と言われたことがあるということで、その七言詩を、私に見せてくれました。
 この詩は、ご本人の詩情を聞きながら、それに使われている漢字を最大限使用し、私が平仄を整えた七言絶句(平起式)です。

 その方に、桐山堂教室に投稿すると先生や同人の皆さんがいろいろ批評したり、添削してくれるので大変勉強になるので投稿して見ましょうとなったものです。
 ご指導よろしくお願い致します。

<感想>

 くっきりと広がる青々とした山、竹林の微涼、蝉の声、そして、うだるような暑さ。いかにも夏を思わせる素材が展開して、更に決め手が芳しく咲く夏の蘭、焦点がここで絞り込まれ、余韻が残る詩になっていると思います。私は読みながら、仕事場を抜け出して夏山に出かけたような気持ちになれました。

 気のついた点では、起句の「山」と「樹林」の色の重なり、後半を生かすならば「遠山」「連山」とした方が良いでしょう。
 承句は、「穎茫」がよく分かりませんので、下三字の情景が浮かびませんでした。
 転句は「俄廣田輝」のは、どうして「輝」いたのか理由が分かりにくいのですが、私は雲が流れて陽射しが急に強くなったのだと解釈しました。何かヒントがあると良いでしょう。
 結句は問題ないのですが、ただ、句の頭が転句は「俄」、結句は「転」で、どちらも連用修飾語で始まっていますので、後半の歯切れの良さが落ちています。できれば、転句の上四字を修正する方向で考えると良いのではないでしょうか。

2007. 7.25                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第129作は 謙岳 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-129

  初聴水琴窟偶成     初めて水琴窟を聴いて偶成る   

水滴淋漓音韻起   水滴 淋漓して 音韻起こり

甕中反響就鳴彈   甕中で反響して 鳴弾と就る

天然奏曲幽玄調   天然の奏曲 幽玄の調べ

且樂餘情心自寛   且く余情を楽しみ 心自から寛す

          (上平声「十四寒」の押韻)

<解説>

 先日、田舎帰ったおり、水琴窟のある庭園に行って、初めて音色を聞き感じたままを詠んでみました。

<感想>

 水琴窟の音は、耳からキュンと頭に抜けていくようで、私は何とも官能的な響きだと思うのですが、なかなかこの表現には賛同してくれる人は少ないようです。流行りの言葉で「癒し系」という印象が強いのでしょうか。せっかちなので、つい水をかけすぎてしまって、よく妻に叱られます。
 それはさておき、謙岳さんの今回の詩では、まず題名ですが、「偶成」は削りましょう。「初聴水琴窟」の方がすっきりとしています。

 水滴がポツリと落ちて、音が生まれ、その音が甕の中で反響し、音楽となる。水琴窟の仕組みを起句承句で簡潔に紹介されていますが、水琴窟はまさにこの仕組みこそが大切です。目に見えないどこかから響いてくる水の音楽、その不思議さに人は感動を深めるのです。
 そこを押さえておいて、転句から音色へと進みますが、前半の説明が生きていますので、後半はひたすら詩人の感じたことを描けば良いでしょう。最後の「心自寛」はすこし飛躍がありますが、そこが「癒し系」たるところ、水琴窟をご存知の方は十分納得できるのではないでしょうか。

2007. 7.25                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第130作は 青山 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-130

  花鳥風月「春」        

花朝梅有信   花朝 梅に信有り

鳥語早鶯聲   鳥語 早鴬の声

風雨春猶淺   風雨 春猶浅し

月光無限情   月光 限り無きの情

          (下平声「八庚」の押韻)

<感想>

 春山さんからは、前回、「花鳥風月『冬』」をいただきましたが、四季のシリーズでお作りになるとのことでしたね。
 今回は春の部になります。前作と同様、「花鳥風月」の語をそれぞれ句の頭に置かれて工夫をされています。全部の作の完成が楽しみですね。

 承句は二つの問題があります。まず、「鳥語」「鶯聲」の重複です。反復という形での強調だと理解して訳せば、「鳥の声が聞こえたが、何とそれは鶯の声であった」となるのでしょうが、わざわざ「鳥語」と言わなくても、鶯の特徴ある声はすぐに区別できることですので、強調は作為的に感じます。
 もう一つは、「鶯」「声」が同じ韻になりますので、冒韻となっています。「鶯声」と熟語で用いるならば許容される範囲だと思いますが、二つの言葉として用いていますので、ここは気になります。

 転句はうまく処理されていると思いますが、結句は季節感が希薄で、春だろうと秋だろうと何時でもこの句でいけてしまいますから、印象に残りません。「春の月」ということをイメージして、具体的な描写を心がけると全体のまとまりが生まれると思います。

2007. 7.26                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第131作は 兼山 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-131

  咸宜園有感        

休道他郷多苦辛   道ふことを休めよ 他郷 苦辛多しと

三千門弟賦詩頻   三千の門弟 詩を賦すこと 頻りなり

日田四廣名無極   日田の四廣 名は極まり無し

後裔貞雄第一人   後裔の貞雄 第一の人

          (上平声「十一真」の押韻)

<解説>

 過日、天領日田『おひなまつり』開催中の日田豆田町を散策し、廣瀬淡窓ゆかりの「咸宜園」及び「廣瀬資料館」を訪ねた。
 「咸宜園」は世に言う「日田の四廣」(淡窓、旭荘、青邨、林外)が、幾多の門下生を育成した私塾である。現在は「廣瀬資料館」と共に「史跡咸宜園跡」として公開されている。
 案内人の機知に富んだ解説もあって訪問者も多い。

 因みに廣瀬宗家第11世(貞雄)は、小生(兼山)の高校(修猷館)時代の同窓生(東京在住)である。天領制度の復原、及び保存事業に努力している彼の功績を称えて一詩を献じた。

 起句は、有名な「桂林荘雑詠 示諸生」の起句そのままである。 (また又「一捻りが欲しい」と叱責されるのは承知している)

<感想>

 兼山さんからは、敢えて淡窓の句をそのまま使った作者の意図を考えてみなさいという宿題を出されたような感じがしますね。うーん、皆さんはどうお考えになりますか。
 第一には、咸宜園の前身が桂林荘であることから、よく知られたこの句を用いて、「廣瀬淡窓だぞー!」と読者に訴えること。
 第二には、「桂林荘雑詠」の詩は、「苦しく辛いけれど仲間と共にこの学舎で励もう」というもの、承句はそれを受けて、「数多くの門弟が頑張っていたのだ」と述べています。つまり、起句が示したいのは、単にこの一句のみでは無くて、淡窓の詩全体なのですから、そういう意味では部分的な引用や語句の変更はしたくなかった。

 私が考えるにはこんなところですが、あまりにも有名な句ですから、まあ、兼山さんのそのものずばりも良いかな、という気がしてきました。

 承句からは、数詞を使いのびのびと作られていて、最後のお名前も無理なく入っていると思います。ただ、句と句のつながりという点では、内容的に承句と転句を入れ替えた方が良いように思います。

  2007. 7.26                 by 桐山人




鮟鱇さんから感想をいただきました。

 鮟鱇です。
 兼山さんの玉作、拝読しました。

 淡窓の一句をそのまま引用すること、そのお気持ちがわからないでもありませんが、絶句は起句・承句の二句で一章、転句・結句の二句で一章に作るものですので、いささか問題があると思えます。

 まず、絶句を一句一章、四句四章の詩であるとして玉作を読めば、起句は、淡窓自身が門弟たちに語りかけている句であり。それに対し、承句以下の三句は、兼山さんが、淡窓の業績と淡窓の後裔である貞雄さんへの思い述べていると読めます。そこでは、起句では「私」であった淡窓は、承句以下では「彼」である淡窓になり、最初は一人称の句作りが、途中で三人称の句作りになります。
 しかし、絶句は起句・承句の二句で一章。転句・結句の二句で一章の詩です。そこで、二句で一章の読みに慣れている読者は、起句を一人称的境地で読めば、それを受けて、承句も一人称の句と読むのが自然です。そのようにして、承句も一人称で読めば、

  休道他郷多苦辛,三千門弟賦詩頻。
  道ふことを休めよ 他郷 苦辛多しと,三千の門弟よ(君たちは) 詩を賦すこと 頻りではないか。

 しかし、このように読むと、淡窓が門弟三千に対し一段高いところからものを言っていることになります。これは、淡窓の人徳にそぐわない。だから、淡窓の原作の承句は、門弟に対し「友よ」、と語りかけています。
 さらに、承句が一人称の句で、淡窓が門弟に対し語りかけているのだとすれば、結句も一人称の句になります。そうなると、淡窓が、わたしには三千の門弟がいたが、それらに較べわたしの子孫の貞雄が一番だ、といっていることになります。

 兼山さんの詩の意図がそういうものとはとても思えません。兼山さんの淡窓に対する称賛が、淡窓の自画自賛になるのは、読者の頭のなかで人称が混乱するからに他なりません。
 「三千門弟賦詩頻」は、兼山さんが淡窓の徳を称えている句だと思います。とすると、二句一章で読めば、起句の言の主体は、兼山さんであると読むことになります。

  道ふことを休めよ 他郷 苦辛多しと,三千の門弟が 詩を賦すこと 頻りではないか。

 しかし、この場合は、淡窓が、他郷には苦辛多し、といっている、それに対し兼山さんが、そう嘆きなさんな、あなたには三千の優れた門弟がいるではありませんか、といっていることになります。
 しかし、この読み方も、兼山さんの意図したところであるはずがありません。

 さて、このような読み方になってしまうは、兼山さんが一句一章で作っているのに、起承をわたしが、二句一章で読んだ結果です。
 転結についても、読み下しを拝見してのことですが、兼山さんは転句一句で一章、結句で一句一章という詩作りをされていると思えます。しかし、転結は二句で一章に作るのが絶句の常道です。

 各句の各句をどういう人称で作るかということには、注意が必要です。そして、その際に、読者には二句で一章に読まれるということを作者は踏まえなければなりません。
 二句で一章の詩作りを身につけるには、起句は「,」で区切って句とし、承句は「。」で区切って章とする訓練をするのが、わたしはよいと思います。

2007. 7.28                  by 鮟鱇



 また、井古綆さんからも、「個人名の使用については、読み捨てになると礼を失するのでは」とのご指摘もいただきました。
 同級生ということで、ご本人に直接贈られた詩だからと私は思いましたが、私たちが詩を作る時には注意をしなくてはいけないところですね。

2007. 7.28                  by 桐山堂




兼山さんからお手紙をいただきました。

 鈴木先生並びに鮟鱇先生、井古綆先生

 御礼が遅れて申し訳ありません。此の度は小生の拙い七絶に就いて、ご丁寧な御指摘を賜り、誠に有難う御座いました。恐縮しながら拝読致しました。

「敢えて淡窓の句をそのまま使った作者の意図」などと言われると赤面の至りです。
 独りよがりの詩句が、作者(小生)の思惑通りには伝わらない無力さを痛感致します。
余り深く考える事もなく、廣瀬君の業績に対する讃辞を(七絶の形式で)書きました。

   (起句):今から200年前、廣瀬淡窓は「休道の詩」を諸生に示した。
   (承句):多くの塾生たちが、ここ咸宜園で熱心に学んだ。
   (転句):創始者たちの偉業は、今も日田の誇りである。
   (結句):天領日田の復元保存事業に尽力している今の館長は偉い。


 文化4年(1807)桂林荘、文化14年(1807)咸宜園、安政3年(1856)淡窓没。この間の廣瀬淡窓の門徒三千余、廣瀬四先生の遺徳、明治30年(1897)咸宜園閉鎖、そして、平成の現在(2007)に至る、過去から現在までを時系列的に叙述しました。
 即ち、起句と承句(淡窓及び塾生たち)、転句と結句(淡窓後及び現在の咸宜園)、全体を通して第一人称の立場で、構成も二句一章の原則で纏めた心算でしたが……。

 起句は、鮟鱇先生の「そっくりそのまま」(2007-104 「夢親」)と言うよりも、寧ろ括弧を付したい程の完全引用句であります。休道の詩の作者は周知であり、引用句の内容が引用者(小生)の感懐と混同される事は有り得ないと思いました。

 詩中の個人名については、廣瀬淡窓資料館のパンフレットを始め、廣瀬家の系図に「廣瀬宗家11世」として明記してある、言わば公人であろうかと思います。
 旧友としての、もっと親しげな呼び掛けの言葉を探したのですが、逆に本名を使用する事によって、敬意を表現出来るのではないかと思いました。

 弁解がましい事を書きましたが、今後とも、何卒、宜しく御指導賜わります様に、お願い申し上げます。

2007. 8. 2              by 兼山



謝斧さんからも感想をいただきました。


 私は起句は悪くは無いと思いますが。
近体詩では、起句は破題であり、逎勁で突兀が好いと聞き及んでいます。
古人の詩を借りて破題にするのも一つの方法であり、今回の詩では成功したものと私は感じています。

 また、七言絶句は、五言絶句のような短句形でも無く、押韻もしていますので、二句一意に強くこだわる必要は無いと思っています。

 ただ難を言えば、承句の「賦詩頻」は強韻のようで落ち着きません。
転句の「名無極」も抽象的な表現で感興に乏しく感じます。

 結句の「第一人」は、文脈から、「古人を含めて貴方が一番詩を作るのが上手です」としか理解できません。

2007. 8. 6              by 謝斧





















 2007年の投稿詩 第132作は サラリーマン金太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-132

  洛西賽法金剛院     洛西法金剛院を賽す   

雨収風穏繞靈祠   雨収まり風穏やかなる霊祠を繞る

綽約紅葩翠蓋枝   綽約しゃくやくたる紅葩 翠蓋すいがいの枝

佛閣池泉相和設   佛閣池泉 相和してしつら

西方浄土映漣漪   西方浄土 漣漪れんいに映ず

          (上平声「四支」の押韻)

<解説>

 極楽浄土を模した庭で名高い法金剛院は、唐招提寺に属する律宗の寺。
 平安初期に清原夏野が山荘を建てた場所で、双丘寺が営まれていたが、のちに文徳天皇が大伽藍を建てて天安寺としたのを、大治5年(1130)、鳥羽天皇の中宮待賢門院(たいけんもんいん)が復興し法金剛院とした。
 庭園は数少ない平安時代の庭で、名勝。桜、蓮、紅葉など四季折々に美しく、その美観は西行の歌にも詠まれた。西行が美貌の待賢門院を深く思慕していたことも知られている。
 本尊の阿弥陀如来は藤原時代の代表作で重文。十一面観音、地蔵菩薩、僧形文殊菩薩も重文。
 私が探訪したときは丁度、蓮が見ごろでした。


 [語釈]
 「綽約」:たおやか
 「漣漪」:さざなみ、小波
 「翠蓋枝」:緑色の葉の茂った木の枝のたとえ
 「紅葩」:ピンク色の蓮の花

<感想>

 金太郎さんのこの詩も、前作(2007-119)の「京都東山八坂~社夏祭」と同じく、昨年京都に行かれた折の作でしょうね。
 法金剛院での静かな時間が感じられるような詩です。特に、後半はすっきりとした表現で、信仰と芸術の関わりの深さを感じさせてくれます。

 疑問なのは起句で、「風穏繞靈祠」を作者は「風穏やかなる霊祠を繞る」と読み下しています。「穏やかなる」は活用上では連体形、つまり体言(名詞)を修飾しますので、ここでは「霊祠」に掛かることになってしまいます。
 しかし、読者はおそらく、文法的にもこの部分は「風は穏やか 霊祠を繞る」と理解するでしょう(その場合に、「繞」の主語が「風」なのか「作者自身」なのかを考える楽しみは残りますが、一般には「風」とすべきでしょう)。
 詩を味わうスタートのところで読者にとまどいを与えますから、ここは連体形は避けるべきです。その直前の「雨収」との対応で行くならば、「雨収まり 風穏やかにして 霊祠を繞る」とすると、承句の好景へとスムーズに流れて行きます。

2007. 7.27                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第133作も サラリーマン金太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-133

  盛夏洛中訪廬山寺     盛夏洛中廬山寺を訪ふ   

憂欝炎風籠九衢   憂欝 炎風 九衢きゅうくに籠め

驟來慈雨翠苔濡   にわかに来たる慈雨 翠苔すいたいうるお

文豪式部著書地   文豪式部 書を著すの地

桔梗瑤庭紫色敷   桔梗 瑤庭に紫色敷く

          (上平声「七虞」の押韻)

<解説>

 続いて訪ねたのは白砂の庭に真っ盛りの桔梗が咲き乱れる京都御所に隣接する廬山寺(ろざん)。
 京都御所の東側のこの寺は、平安時代、御所づとめをしていた紫式部がここに住まい、『源氏物語』を書いた所です。夏から秋へかけ細かな白砂の庭、苔に咲く桔梗の楚々とした美に王朝の物語を連想します。
 うってかわって、この寺での節分の追儺式鬼法楽(ついなしきおにおうらく)は大いなにぎわい。どん欲、怒り、愚痴の象徴の赤、青、黒鬼がほら貝、太鼓に踊り出てくるものの、導師の護摩供並びに福餅、豆に追いはらわれ、よろよろ退散。参拝の人達を喜ばせます。

<感想>

 前作と重ねて読んでいくと、京都を旅しているような気持ちになれますね。

 廬山寺にはかつて、紫式部の曾祖父、藤原兼輔の邸宅があり、式部はこの家で宮仕えの日々を過ごしたとされています。式部が『源氏物語』の構想を練った大津の石山寺もよく知られていますね。
 「文豪」という言葉は男性に限った用法ではないのかもしれませんが、紫式部を表すのには、私自身は抵抗があるのですが、「廬山寺のhp」を見ると、そのまま「文豪 紫式部」と書かれていますね。

 起句は「憂欝 炎風 九衢籠め」と読み下した方が良いでしょう。

2007. 7.29                 by 桐山人



井古綆さんから感想をいただきました。

 サラリーマン金太郎さん 今晩は
 いつもあなたの玉作により、各地のことが分かり大変に勉強になります。今回の「廬山寺」もHPによってまた知識が増しました。

 鈴木先生も述べられているように、「文豪」は紫式部には不釣合いです。これはネット上の記述が間違いであると管見します。
 浅学のわたくしが知る限りでは「閨秀」が妥当ではないかと思います。
 解説に「閨秀=紫式部」とすれば解決すると思います。
 我々が詩中に固有名詞を詠じこめるに際して苦労しますが、わたくしは「先賢」とか「才女」などの字句を用い、欄外に説明をすることとしています。

2007. 7.30                by 井古綆





















 2007年の投稿詩 第134作は 博生 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-134

  懐思        

青山田野白雲流   青山 田野 白雲流る

土筆繁縷摘草遊   土筆 繁縷 摘草遊び

暮背夕陽怱帰路   暮 夕陽を背にし 帰路を怱ぐ

老来春日奈郷愁   老来の春日 郷愁を奈何せん

          (下平声「十一尤」の押韻)

<解説>

 郷を後にして幾十年
春光の中、ふと幼時を懐かしみ、
過ぎ越し方を想う。

<感想>

 幼い頃を懐かしく思い出された詩ですね。

 作者に懐旧の心を呼び起こしたものが何なのか、詩の中から探すとなると、起句の自然描写になるのでしょうか。ただ、この起句は、その後の承句、転句を合わせて過去のことと理解することもできますので、両方の意味合いを兼ねていると理解しましょう。
 さて、そうして読んでみると、起句で「のどかな春の山野」、承句と転句で「子供の頃の思い出」、結句が「現在の心境」となりますが、このサンドイッチ形式は転句の働きとしては弱い形で、結句がどうしても唐突な印象になります。
 できれば、この詩などは律詩に直されて、思い出部分をより詳しく描かれると良いでしょうね。

2007. 7.29                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第135作は 常春 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-135

  烏乎烏        

孝鳥禽古往親   孝鳥 祥禽 古往親しむ

近年巧智太煩人   近年 巧智 太だ人を煩わす

謂烏若欲棲城市   烏に謂う 若 城市に棲まんと欲せば

些戒貪婪和四隣   些か貪婪を戒め四隣に和せよ

          (上平声「十一真」の押韻)

<解説>

 八咫烏,金烏、今もサッカーのシンボルですが、烏の悪戯、ゴミ荒らしも困ったもの。
 先日芝増上寺の森を歩きましたら、木々一杯のカラスの群れに驚きました。私の住む田舎もまたカラスは悪者、童謡に歌われたカラスは遠い世界となりました。

 この詩、表題「烏乎烏」「アーカラス」と読むか「カラスヨカラス」と読むか。
 また転句「若」「ナンジ」と読むか「モシ」と読むか、 カラスに代わっての悪戯です。

<感想>

 烏は私たちの生活に身近な鳥だということでしょう、古来から、また、このサイトの投稿詩でも何度か取り上げられていますが、某生さんが昨年に送って下さった「囚烏」が新しいところでしょう。

 親孝行の象徴とされるのは、以前にも紹介しましたが、白居易の「慈烏夜啼」がよく伝えるところです。それが現代では都会の嫌われ者になったりと、なまじ賢いだけに烏の方も大変でしょう。
 題名や詩中の両読みのところは、なるほど、と納得しました。

2007. 7.29                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第136作は 常春 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-136

  看角倉了以像        

嵐峽津頭豐下像   嵐峡の津頭 豊下の像

河川理水發舟行   河川 水をおさめ 舟行をひら

海洋朱印旺交易   海洋に 朱印 交易をさかんにす

了以勲功今尚英   了以の勲功 今尚 ほまれあり

          (下平声「八庚」の押韻)

<解説>

 豊下=あごが肥えふとっている、富貴の相。
 理水=魯迅の短編「理水(洪水をおさめる話)」より

 小倉山から保津川の遊覧船着場に下っていくところに像がありました。嵯峨野一帯が角倉の所有だったのでしょうか、戦国時代の豪商もまた剛毅だった。
 以前訪れたヴェトナムのホイアンに江戸初期までの日本人街があったのを思い出しました。

<感想>

 ベトナムとの朱印船貿易で富を築き豪商と言われた角倉了以ですが、後には河川の土木事業を熱心に行ったそうです。大堰川(保津川下流)の開削も彼の陣頭指揮で遂行されたもので、その関係で像が建てられているのでしょう。この川の整備によって、丹波からの物資の運搬が劇的に楽になったとされます。
 京都の高瀬川運河の開削も彼の行ったものだそうです。

 結句の「勲功」を、こうした土木事業に関したものと取るか、朱印船貿易による豪商の面を取るのか、それによって各句の並べ方、構成が決まります。
 この詩の場合には、朱印船貿易のことが転句に来ていますので、豪商の面を取ることになるでしょう。もし土木事業を専らにするならば、転句の内容としては、丹波と京都が結ばれたことを出すのでしょう。


2007. 7.29                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第137作は 玄齋 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-137

  東郊踏青        

東郊處處惜殘春   東郊 處處に 残春を惜しみ

遊目踏物候新   遊目 を踏めば 物候新なり

慚爾無聊而立歳   慚らくは 無聊たりし 而立の歳

旬年偏畏苦吟頻   旬年 偏に畏れて 苦吟頻りなり

          (上平声「十一真」の押韻)

<解説>

 ※「旬年偏畏」とは、十年後の四十歳を恐れるという意味です。
 『論語』子罕編 より「子曰、後生可畏、焉知来者不如今也、四十五十而無聞焉、斯亦不足畏也已」

<感想>

 掲載が遅くなりました。すみません。

 四月の情景を描かれたものですが、起句の「惜残春」と承句の「踏青物候新」が季節として合わないでしょう。起句と承句を逆にすれば、「初春から晩春へと時間が流れた」という感じにはなるでしょう。
 承句は四字目の孤平になっていますので、ご注意ください。

 転句は「慚づ なんじの無聊たりし而立の歳」と読むのでしょう。
 結句は解説にもお書きになったように、『論語』の引用部分、特に後半を意識されてのものですね。「四十、五十になっても名を成さない者はどうってことない奴だ」という言葉は、確かに恐いものです。既に五十を半分も過ぎてしまった私などは、どうしようもないなと開き直りの境地ですけれどね・・・・。
 ただ、この後半と前半のつながりが理解しにくいと思います。例えば、杜甫の「絶句」のような展開ですと分かりやすいのですが。
 前半部分でもう少し季節の移り変わりを明確にしておくと、自分の人生との相関が出てくるとは思うので、そのためにも、起句と承句は入れ替えた方が良いでしょうね。

2007. 8. 1                 by 桐山人



玄齋さんからお返事をいただきました。

 承句は初案は「遊目踏風趣新」でしたが、曖昧なので改めましたところ、今度は孤平になってしまいました。気をつけます。
 「踏青」を辞書で引くと、一月・二月・三月のどれかとなっていましたので、初春と考えた方がよいのですね。わかりました。

 起句と承句を、「新春 - 暮春」「三十歳 - 四十歳」と対になるように、交換しました。

 以下、改めて推敲しました。

   東郊踏青

  踏遊目物華新   青を踏みて 遊目すれば 物華新なり
  處處東郊已送春   処処に 東郊 已に春を送る
  慚爾無聊而立歳   慚づ 爾の無聊たりし 而立の歳
  旬年偏畏苦吟頻   旬年 偏に畏れて 苦吟頻りなり

2007. 8. 9                  by 玄齋





















 2007年の投稿詩 第138作は 玄齋 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-138

  初夏即事        

蝸廬入夏理新妝   蝸廬夏に入っては 新妝を理め

嬉戲薔薇双蝶忙   薔薇に嬉戲として 双蝶忙がし

偏惜春風何處去   偏えに惜む 春風何處にか去らん

舊衣納匣坐懐長   舊衣 匣に納むれば 坐ろに懐ふこと長し

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

 衣替えの情景を想像しました。
 夏の光景が広がっている中で、春の衣をしまいながら春を惜しむ、そのような風景を目指しました。

<感想>

 玄齋さんのこちらの詩は、初夏になりました。
 一つ一つの句は視点も面白く、言葉の使い方もよく考えておられると思います。しかし、つながりという点、あるいは全体を見た時には、現実感が薄い気がします。
 例えば、初夏を迎えた風物が前半に描かれていますが、実際の所、「カタツムリ」「バラ」を目の前にして、心の中に「春風」の柔らかな皮膚感覚を思い出すことがあるのでしょうか。
 いやいや、ここは「風」に重みはないのであって、「春」の象徴として用いたのだと言うことでしたら、もっと良い象徴が考えられるでしょう。
 結句も「舊衣」が何を暗示しているのか、ここを「春衣」とすれば、転句以来の季節の推移に作者の主眼があると理解できます。
 結びの「坐懐長」「坐」によって散漫な印象になってしまいました。「坐看」のような実際の行為ならば良いのですが、「懐」のような心情に掛けていくと、転句の「偏惜」「何處去」の表現が一気に弱いものになってしまいます。
 こうした点が、詩全体の観念的な印象を強めているのかもしれません。

2007. 8. 1                 by 桐山人



玄斎さんからお手紙をいただきました。

前半と後半のつながりが薄く、尻すぼみになっているのですね。
今後の反省点にいたします。

次のように推敲してみました。

  蝸廬入夏理新妝   蝸廬夏に入っては 新妝を理め
  嬉戲薔薇双蝶忙   薔薇に嬉戲として 双蝶忙がし
  偏惜殘花何處去   偏えに惜む 残花 何処にか去らん
  春衣納匣惜餘香   春衣 納匣して 餘香を惜しむ


2007. 8.27              by 玄斎


「余香」が「五月待つ花たちばなの香をかげば昔の人の袖の香ぞする」という初夏の有名な歌を思い出させます。まだ、前半と後半の心境の変化が大きいと思いますが、「残花」によって「春風」よりは現実感は強くなりましたね。
 ただ、ここでの「残花」と承句の「薔薇」との関わりが今度は生まれます。とりわけ花が艶やかな薔薇ですので、かなり印象深いもの、そこに「残花」をぶつける効果という問題です。
 推敲を進めていくと、前が良ければ後が困る、後を直せば前が困る、というような混線はよく起きることです。そういう場合は、ひとまず置いておいて、後日見直すと良案が浮かぶことも多いものです。





















 2007年の投稿詩 第139作は 青山 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-139

  遊一七同級生須玉温泉        

櫻花爛漫釜無辺   桜花爛漫 釜無の辺

竹馬之親須鉱泉   竹馬の親しみ 鉱泉を須める

五十年來懐學友   五十年来の学友 懐かしむ

歡談徹夜醉芳筵   歓談は夜を徹し 芳筵に酔ふ

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 同級会に五十年来の同級生に会い、懐かしく夜があけるのを忘れるほど歓談した。

<感想>

 須玉温泉は甲府からですと、地図で確認しますと、40qくらいでしょうか。起句に書かれた「釜無」とは少し離れているようですので、桜見物を釜無川の辺りでされて、その後に須玉温泉に泊まられたのでしょうね。

 五十年来の交遊というのはどれほど情が深くなるのか、私も高校の仲間と会う機会があると、本当に懐かしい思いでいっぱいになります。
 夜と徹しての歓談というのも、ついつい納得してしまいます。

 転句は「五十年来の学友」とつながるようですが、句の書き方から見れば、「五十年来 懐かしむ」と修飾する語が変わってしまい、意味的にも「五十年ずっと懐かしんできた」という意味になります。
 下三字は「学友」を前に置き、「懐」を他の言葉にする方向で考えると良いでしょう。

2007. 8. 2                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第140作は 緑風 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-140

  道喜会        

春余老友集旗亭   春余 老友 旗亭に集まる

笑語交杯忘馬齢   笑語 交杯 馬齢を忘る

白首猶追往古日   白首 猶 往古の日を追う

時辰陽落豈徒醒   時辰 陽落ち 豈に徒に醒めるのみなわんや

          (下平声「九青」の押韻)

<解説>

 先週大阪のホテルで同期会を開催しました。
 全員若かりし時の話に熱中していましたが
 気がつくと時刻を超過した夕方、あの頃の夢と現実を見比べながら解散しました。


<感想>

 緑風さんからも、同期会の詩をいただきました。楽しそうな雰囲気が漂ってくる詩です。

 ホテルでの開催ということですので、季節や風物を表す言葉が出て来ないのですが、それがいかにも現代的というところでしょうか。とは言っても、やはり、せっかくの春ですので、起句なり結句なりで花の一つでも入れて欲しいと思います。

 「道喜会」は「同期会」のもじりですか。


2007. 8. 2                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第141作は サラリーマン金太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-141

  賀寿皇孫誕生        

吉報俄然全土巡   吉報 俄然 全土を巡り

國民欣喜拂愁頻   国民 欣喜して愁ひを払ふこと頻りなり

男兒帝胤紅顔美   男兒 帝胤 紅顔 美(うるわ)し

賀表綿綿生誕辰   賀表綿綿生誕の辰

          (上平声「十一真」の押韻)

<解説>

 秋篠宮悠仁親王殿下のご誕生を心よりお慶び申し上げます。
御懐妊以来国民等しく願わくば、皇位継承権のある親王様のご誕生を祈念してきましたが、まさに天佑でした。
ご誕生をお祝いする記帳所が全国各地の自治体に設置され、大勢の国民が祝意を奉表しました。

<感想>

 サラリーマン金太郎さんの今回の詩は、昨年の10月に送ってこられたのですが、通信の関係で私の所に届かなかったものです。
 本来は昨年の井古綆さんの「謹賀皇孫誕生」や深渓さんの「賀皇孫親王生誕」の直後に入れるべきですが、上記のような事情でここに置かれました。ご理解ください。

2007. 8. 2                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第142作は 嗣朗 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-142

  遊パナヒルズ     パナヒルズに遊ぶ   

清明季節聚園宮   清明の季節 園宮に聚まり

四望桜花雨上中   四望は桜花 雨上がる中で、

盟友唯今傾酒盞   盟友 唯今 酒盞を傾け

幽吟雅健愉時空   幽吟 雅健 時空を愉しむ。

          (上平声「一東」の押韻)

<解説>

 清明の時節、今年は千里に近いパナヒルズ松心会館で恒例の吟行会、天候は曇り空、庭園の桜は満開、詩吟の勉強、そして「宴」と楽しい一時を過ごした。

「園宮」・・パナヒルズ松心会館

 最近掲載される漢詩はハイレベルで、漢詩歴の浅い私に取って恥ずかしい気持ちで、投稿に躊躇してしまいますが、思い切って投稿します。宜しく御指導下さい。

<感想>

 投稿につきましては、創作経験の多寡は関係有りませんので、遠慮されずになさってください。読み手が居ると意識して作ること、誰かに読んでもらうこと、期間をおいて客観的に自分の作品を見ること、これらは作詩の上達には欠かせないことです。
 また、このサイトでは、ベテランの方から初めてという方まで、幅の広い方々に参加いただけることが主宰として一番嬉しいことです。「掲載が遅くて躊躇する」とおっしゃられると申し訳ない気持ちでいっぱいですが。

 さて、詩の方ですが、用語として気に掛かるところが幾つかあります。
 起句では、「清明」がすでに季節を表す言葉ですので、次の「季節」の言葉は不要です。杜牧の「清明」の起句「清明時節雨紛紛」が頭に有ったのかもしれませんが、「清明のこの季節には」という強調の意味合いがあります。この詩では、そこまでの役割はありませんから、情景を表す他の言葉を入れた方が深まります。
 また、「聚」は「あつめる」というニュアンスが強いので、「集園宮」として「園宮に集ふ」が良いでしょう。

 承句の「雨上中」は日本語的な表現です。「雨の上の中」と読んでしまいます。また、雨(が上がったこと)と詩の内容との関係もはっきりしませんね。
 雨だから桜が散ったのか、雨に濡れて桜がきれいなのか、雨の中わざわざ仲間が集まったのか。
 作者の気持ちとしては、単に吟行会の日は雨の後だったという説明なのかもしれませんが、詩に入れられればその意図を読者は考えるもの、雨を語る必要性があるならば表現を変えるべきでしょう。

 転句の「盟友」は単に「朋友」「詩友」に、また、「唯今」「今だけ」となりますので、「只今」にされる方が作者の趣旨に合うでしょう。

 結句は「幽」「健」がぶつかるような気がしますが、そこが狙いならばこのままで。「愉」は「上平声七虞」の平声のため、下三平になっています。
 「時空」「時間があっという間(空)に過ぎるのを愉しんだ」、それとも、「時間空間を超えて中国の古典詩を愉しんだ」、どちらにしても表現がこなれていない印象ですから、結句は推敲されると良いでしょう。

2007. 8.12                 by 桐山人


嗣朗さんからお返事をいただきました。

粗作の詩に対しの親切な御指導有難うございます。
次のように推敲いたしましたがよく解かりませんが宜しく願います。

   清明春興集園宮    清明 春興 園宮に集ふ
   四望桜花雨又豊    四望は桜花 雨又豊か、
   朋友只今傾酒盞    朋友 只今 酒盞を傾け
   幽吟雅健愛時空    幽吟 雅健 時空を愛づ。

2007. 8.13                by 嗣朗






















 2007年の投稿詩 第143作は 嗣朗 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-143

  女人高野 室生寺        

山紫青娥昔日偲   山紫 青娥 昔日を偲べば

紺園花影杜鵑嗤   紺園の花影 杜鵑嗤ふ

拓蓮蕾麓女高野   蓮蕾の麓に 女高野を拓き

只照茅堂今古碑   ただ照らす茅堂 今古の碑

          (上平声「四支」の押韻)

<解説>

 五月の新緑の美しい季節。平成10年の台風で破壊された室生寺の五重塔が修復されてから訪ねてないことを思い、ドライブがてら訪ねてみた。
 満開かと期待した石楠花は、少し早かったが堪能した。
倒れた「木」が生々しく保存され碑が立っていた。

<感想>

 起句の「青娥」「若く美しい女性」ですが、ここではどういう意味でしょうか。「昔日、紫がかった山に美人が居た」ということになりますが、何か室生寺の歴史と関わる事件とか、ご自身のかつての思いでなどがあったのでしょうか、少し説明をされると良いのではないでしょうか。
 あるいは、「青蛾」(青々とした眉、美人や山の比喩)か、「青峨」(青く、険しいこと)の入力違いか、とも思いました。
 下三字の「昔日偲」は直さなくてはいけません。辞書で韻目を調べられたのだと思いますが、意味の方では「才能ある人」ということで、「昔を思い出す」は日本語用法になっているはずです。つまり、ここでの用法は「和習」です。語順としても、「偲昔日」と「述語+目的語」とならなくてはいけません。

 承句の「紺園」「お寺の建物」ですので、起句の辺りを見回した広さから、寺へと視点が移ります。ただ、「花影」については、「花」がどうだったのか、説明をされると「杜鵑嗤」への流れが良くなるでしょう。

 結句は「照」の主語がありません。また、「今古碑」は碑文の内容が読者には分かりませんので、突然固有名詞が登場したようでとまどいます。結びは「碑」で構いませんので、「今古」を直されるとよいと思います。

2007. 8.12                 by 桐山人



嗣朗さんからお返事をいただきました。

 残暑お見舞い申し上げます。

 粗作の詩に対して、丁寧な御指導有難うございます。 作詩当時の手帳を取り出し、その時の事を思い出しています。

 室生寺の想いは、1990年頃この時節参拝していますが、その時の情景と現在の情景の違う様に驚きこの詩を作りました。
 当時は花の寺として賑わい、若者に圧倒され、石段は行列をなし、五重塔・石楠花を観賞しました。
今は新しくなった五重塔で迫力に何か欠けています。又、参拝者の人影も疎らで、老婦人だけ、女高野として若き女性の参拝者の激減に驚きました。

 起句の「青娥」のイメージは、「うら若き女性(もちろん美人)」、「昔日」は約20年前の想いです。

 承句は「紺園昔日杜鵑嗤」という感じです。

 転句の「蓮蕾」は室生山のことです。  下のように推敲しました。

    女人高野 室生寺
  山紫青娥花影移    山紫 青娥 花影移り
  紺園昔日杜鵑慈    紺園 昔日 杜鵑慈む、
  拓蓮蕾麓女高野    蓮蕾の麓に 女高野を拓き
  只照高楼史跡碑    ただ高楼を照らす 史跡の碑。

*蓮蕾・・・室生山の意です(蓮の蕾のような円錐形の山・・室生山)

2007. 8.13              by 嗣朗





















 2007年の投稿詩 第144作は 仲泉 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-144

  元朝偶成        

鶏声告暁別乾坤   鶏声暁を告ぐ 別乾坤

上日朝来春色軒   上日 朝来 春色の軒

逍遥踏苔林下路   逍遥苔を踏む 林下の路

吟風千里夢魂奔   風に吟じては 千里 夢魂奔る

          (上平声「十三元」の押韻)

<解説>

 元日の朝は、いつもと違ったように感じる。軒先の気配にも春を感じる。近くの林の小道を苔を踏みしめながら歩いていると折からの風に詩を吟じたい衝動に駆られ、心が大きく開かれていくのを感じるのである。

<感想>

 仲泉さんからの作品をまとめてご紹介します。

 この詩は元旦の朝の情景を詠まれたものですが、スケールの大きな結句が新しい年の始まる雰囲気をよく出していると思います。
 起句を承けた承句は具体性が無く、せっかくの起句の「別乾坤」がかすんでます。「上日」は題名にすでに「元朝」と出されていますし、もし入れるなら起句に「暁鶏上日別乾坤」とした方が展開のリズムがよくなると思います。その後の「朝来」も起句の「暁」と重なります。

 転句は「遥」が平声ですから、ここは直す必要があります。

 結句は「夢魂」が苦しいところ、これはあくまでも「夢の中の魂」ですから、「吟風千里」とはアンバランスでしょう。

 李白の『長相思』にも、

   天長路遠魂飛苦  天長く 路遠くして 魂飛ぶこと苦しく
   夢魂不到関山難  夢魂到らず 関山の難

 とあります。「天は長く、路は遠く、(あの人の元へと)魂は飛ぼうとするが苦しく、関所のある山道は険しくて夢魂すら行くことができない」となります。
 「吟魂千里御風奔」などが考えられるでしょう。

2007. 8.12                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第145作は 仲泉 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-145

  寒月        

雪月晶光恍惚中   雪月晶光 恍惚の中

随風松上対天空   風に随ひて 松上天空に対す

高懐鬱勃動詩興   高懐 鬱勃 詩興を動かす

麗色嬋娟万古同   麗色 嬋娟 万古同じ

          (上平声「一東」の押韻)

<感想>

 冬の月という題での作品ですが、各句とも破綻無く、全体的に形式、用語ともに整った詩だと思います。

 起句の「雪月」は、「雪と月」・「雪の積もった夜の月」の二つの意味がありますが、ここは後者に取るのだろうと思います。その場合に、承句も主語は「月」になりますので、「対天空」「渡天空」の方が良いでしょうね。

 転句は、叙景から作者の心情へと転換していますが、「動詩興」は上四字をまた言い換えた形で、味わいを損ないますね。結句とのつながりも弱く、転句だけが浮いている印象です。

2007. 8.12                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第146作は 仲泉 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-146

  迎春        

山峡霞光幽寂村   山峡 霞光 幽寂の村

野花発処満春暄   野花発く処 春暄に満つ

回来欣喜雄心季   回り来る欣喜 雄心の季

遊子何辞転醒魂   遊子何ぞ辞せん 転た魂を醒ますを

          (上平声「十三元」の押韻)

<解説>

 山間の静かな村にも遅い春がやってきた。草花は咲き乱れ、春の気分に満ち溢れている。喜びに心が躍動する季節が巡ってきたのだ。何をためらうことがあろうか。魂を目覚めさて歓喜の声を上げよう。

<感想>

 春を迎えた喜びを前面に出してまとまっていると思います。

 結句の「遊子」について、作者がどんな気持ちを籠めているのか、と考えました。と言うのは、この詩で「遊子」とわざわざ言う必要性があるのかどうか、わからなかったからです。
 「遊子」という言葉にはどうしても「故郷を離れた、よそ者」という寂しさが伴われます。また、「醒魂」という言葉から見れば、これまで私の「魂」は「醒」めていなかったわけです。生命力に満ちた春の自然界のエネルギー、「欣喜雄心季」と逆の表現を結句に漂わせているのは何故か。

 結論的には、「遊子であるこんな私でもエネルギーが湧いてくるぞ」という強調の役割ということかなと私自身は落ち着かせましたが、この二文字が無ければ悩むこともなく、「春だ、春だ、春が来た」と浮かれたままて済んだもの、詩に奥行きを持たせたかどうかは意見の分かれるところかもしれませんね。

2007. 8.12                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第147作は 翠葩 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-147

  緑陰喫茶        

涼榻迎朋煮碧泉   涼榻朋を迎へ 碧泉を煮る

湯鐺蟹眼緑陰前   湯鐺蟹眼かいがん 緑陰の前

清風快聴閑天地   清風快く聴く 閑天地

一啜新茶絶俗縁   一啜の新茶 俗縁を絶つ

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 緑もえるころ木陰で友とお茶を頂きましょう
 釜には湯が煮立って泡がしきりです。風も又心よく、のどかです。
 一すすりの新茶がすっかりわずらわしさを忘れさせてくれました。


<感想>

 晩唐の皮日休が『茶中雑詠』と題する連作を十首作っていますが、その中の「茶舎」という五言律詩の後半にこう書いています。

   乃翁研茗後   乃翁 茗を研せし後
   中婦拍茶歇   中婦 茶を拍ちて歇む
   相向掩柴扉   相向かひて柴扉を掩はば
   清香滿山月   清香 山月に満つ

 「わしは茶を削り ばあさんが茶を敲く やがて扉を閉じて茶をすすれば 清らかな香りが辺り一面に漂うぞ」という内容ですが、山中の穏やかな情景を現出します。茶を喫するという行為には、昔から世俗の慌ただしさを離れるという意味合いが強かったようです。

 翠葩さんのこの詩も、結句に示されたように、まさに「絶俗縁」という詩境、暑い夏でも緑の木陰で一服の茶を楽しむことができれば、汗がすっと引くような気がしますね。
 承句の「蟹眼」「湯が沸いて出てくる小さな泡」のことで、蟹の目玉に似ているからだそうです。ちなみに大きな泡は「魚眼」、なるほどというところですね。
 柳宗元の「夏昼偶作」にも、茶が出てきますね。

2007. 8.12                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第148作は 庵仙 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-148

  只見川霧        

霽穹浩浩仰山峰   霽穹せいきゅう 浩浩として 山峰を仰ぐ、

川面皚皚雲靄洶   川面 皚皚がいがいとして 雲靄うんあい く。

浮立朱橋神秘景   浮き立つ朱橋 神秘の景、

駐車凝視記心胸   車を駐め 凝視して 心胸に記す。

          (上平声「二冬」の押韻)

<解説>

 雨上がりの霽れた穹は広々として山峰を仰ぐことができる。
 川面には一面白く靄(もや)が沸き上がっている。
 只見川を跨ぐ朱橋が靄の上に浮き上がっている風景は実に神秘的である。
 車を駐めてその美しい景色をじっくり眺め心に留めた。


 先日、6月9日に福島県の西部の三島に行って来ました。
小雨でしたが、突然晴れ上がりました。
その時只見川がとてもきれいでした。川面の靄が立ち上ったのです。

 只見川の霧は実に神秘的な景色です。
以前も三島に来ましたが、その川霧には出会えませんでした。
条件が揃わなければならないようです。

 只見川の水温がまだ温んでいない今の時期がよいようです。
雨によって更に冷やされます。その雨が止み、初夏の太陽で空気が暖められることによって、
気温と水温の差が大きくなったときに靄が生じるのです。
 雨上がりでなければならないという条件に合いました。漢詩では「晴」でなく「霽」の時です。
 写真も撮りましたが、この風景を土地の人は幻想的と表現します。

<感想>

 庵仙さんからは、当日の写真を送っていただきました。



 只見川は尾瀬から流れを始め、福島県の西部、新潟県との県境に沿うように流れています。
川霧が立ちこめるのは、お書きになった三島の辺りだけなのでしょうか。貴重な瞬間を捉えた写真は、本当に神秘的ですね。少し小さくなったかもしれませんが、正面の奥の方に、霧に隠されるように橋が見えます。これが詩に書かれた「朱橋」ですね。

 結句の「駐車」は、「一時停止して車中からチラッと見たということではなく、駐車場に入れて歩いて、時間をかけて眺めたぞ」ということを示しているのでしょう。下三字の「記心胸」はもう一工夫、できそうですね。

 愛知県に住んでいるとなかなか福島まで、また季節限定となると行けませんが、定年退職後の楽しみとさせていただきます。

2007. 8.19                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第149作は 登龍 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-149

  初夏即事        

陽光燦燦緑陰前   陽光 燦燦 緑陰前

雨後榴花紅欲然   雨後 榴花 紅然えんと欲す

育育青秧南畝下   育育 青秧 南畝の下

蛙聲閣閣夏初天   蛙聲 閣閣 夏初の天

          (下平声「一先」の押韻)

<感想>

 前半は色彩の対比もうまく、夏の陽射しが目に焼き付くようです。

 後半は対句に持っていった方が良かったのではないでしょうか。畳語が使ってありますので、対句でないとうるさい感じがします。また、後半に畳語を二つ置くのならば、起句の「燦燦」は控えるようにしましょう。

 前半・後半それぞれ二句ずつで見ると良い句だと思いますので、全体のバランスを再考されると良いでしょうね。私の感覚では、転句の叙景を止めて作者が姿を見せるか、叙景だとしても室内の様子を描くとか、そうした変化が面白いと思います。

2007. 8.19                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第150作は 井古綆 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-150

  題咸宜園        

元祖菁莪響近隣   元祖の菁莪せいが 近隣に響き

塾生薫染学彜倫   塾生は薫染くんせん 彜倫いりんを学ぶ

後昆鵬翼凌遺徳   後昆こうこん 鵬翼 遺徳を凌ぐ

老復咸宜伝正真   老いて咸宜を復して正真を伝ふ

          (上平声「十一真」の押韻)

<解説>

 兼山さんの玉作「咸宜園有感」に触発されて拙詩を賦しました。依韻の形になりました。

 前対に作ったつもりです。現在の平成の世で客観的に作りました。
 起句の「元祖」は「遠祖」「先祖」など考えましたが、広瀬家が漢詩界に名を挙げたのは淡荘の代であろうと推測したゆえに「元祖」に決定しました。
 起句は淡荘の功績を称え、承句は塾生の側に立って句をまとめました。歴史を賦すにあたって、起句承句で過去を詠いながら、いかにして転結をまとめるかが難しいと感じています。
 拙詩の場合、過去の広瀬淡荘の功績と、現在の広瀬貞雄氏の絶大な功績を同時に詠出しなければならない、そこで「鵬翼」の語を用い、貞雄氏が在職中に日本産業界に寄与された功績を、「(淡荘の)遺徳を凌ぐ」として、この転句でもって過去と現在を結びつけました。
 これはまだ現在進行形で、広瀬貞雄氏は定年後なお、咸宜園の復興に尽力されていて、遠祖淡荘が塾を開いた桂林荘の主旨である、人間形成の基本の「正真」の語で結句をまとめた次第です。

 なお兼山さんの詠出されました「日田の四広」を詩中に入れようと思いましたが、これを入れることにより詩意のピントがぼけるように思ったためやめました。

 昨年、大阪府池田市において、広瀬旭荘その他の漢詩の真筆の展示会があり、観賞してきました。
 特に「林田林叟」の七律の詩には感動を覚えました。ネットを検索すればその詩が載っています。
 旭荘に関する拙詩は「碇豊長先生の詩詞世界」に投稿しました。


 [語釈]
「元祖」:広瀬淡荘
「菁莪」:多くの人材を育てること。二分すれば、香草とよもぎ
「薫染」:よい感化を受けること。良い香をうつすことと、染めること
「彜倫」:人として常に守るべき道
「後昆」:後世の人。または子孫。ここでは広瀬淡荘11代目広瀬貞雄氏を指す
「鵬翼」:図南の鵬翼。大事業を起こす計画。ここでは富士紡績元社長の広瀬貞雄氏の功績を指す
「老復」:定年後咸宜園の復興に尽力されたこと
「咸宜」:咸宜園。園の省略には異論があるかもしれないが、
 千年前より「清涼殿」を「清涼」として使用した例は多々ある。

<感想>

 兼山さんの詩に対しての依韻(同じ韻目を用いて作詩する)ということで、送っていただいたものです。

 起句の「元祖」は解説を読み、意図が分かりました。しかし、『淡窓詩話』でも、父親の影響を受けたことが書かれていたと思いますので、「元」はどうでしょうか。承句の「塾生」に対応させて、教育者である淡窓個人を示す言葉が良いでしょう。

 転句の「後昆鵬翼」は功績を表すに良いと思いますが、「凌」は、「追いかける、広げる」というニュアンスで抑えておいた方が良いと思います。

2007. 8.19                 by 桐山人



井古綆さんからお返事をいただきました。

 鈴木先生、井古綆です。
 適切なるご高批有難うございました。

 起句の「元祖」、わたくしもそのように感じます。最初は「遠祖」としていましたが、句頭がすべて仄字になるため、「元祖」に決定しました。
「遠祖」のほうが良かったのかもしれません。
 ご指摘のように「淡荘」を表す語句を探しましたが、如何せん浅学のわたくしの脳裏には浮かばず、詩題が「咸宜園」ですので、通読すれば違和感は無いのでは、と思いました。

 転句の「凌遺徳」の「凌ぐ」は、先生のご指摘のように「追」も考えましたが、漢詩にはオーバーな表現は常識であり、我々が愚息を他人のお方にオーバーにお褒めを戴いても悪い感じは持たないと同様に、淡荘もご子孫の広瀬貞雄氏の功績を過大評価されたことには、泉下で苦笑されながらも、納得されたのではないかナと、忖度しました。

 承句は「塾生」にこだわり過ぎました。
近江聖人の詩に「与諸生見月」があり、「諸生」を拙詩に使用しても、起句より通読すれば理解できると思いまして、以下のように推敲してみました。
 最初は「書生」を考えましたが、複数形にすれば「諸生」のほうが良いように思いました。
 これで句頭の平仄に変化があるように感じます。(そのことに関しましては、詩意に重点をおいて等閑視していました)

 転句は前述のようにオーバーな表現にしたいと思います。

     題咸宜園
  遠祖菁莪響近隣   遠祖の菁莪は近隣に響き
  諸生薫染学彜倫   諸生は薫染 彜倫を学ぶ
  後昆鵬翼凌遺徳   後昆 鵬翼 遺徳を凌ぐ
  老復咸宜伝正真   老いて咸宜を復して正真を伝ふ

2007. 8.20                 by 井古綆


兼山さんからお手紙をいただきました。
 拙作(2007-131「咸宜園有感」)に関しては、問題点を種々指摘して戴きましたが、この度は、その問題有りの詩に対し、依韻の形での玉詩を有難く拝読させて戴きました。
 想いも掛けぬ出来事であり、言葉(詩)は言霊である事を改めて痛感致しました。

 予てより、井古綆さんの漢詩に、次韻の形での献詩が多い事に敬意を覚えて居ます。
次韻、依韻を試みれば詩の題材は無限に存在します。勿論、旺盛な創作欲が前提ですが、その点でも、井古綆さんの御努力、それに加えて豊富な漢籍の知識には頭が下ります。
「薫染学彜倫」、「後昆鵬翼」(個人名を使用する事無く)などの詩語を初めて知りました。
 一緒に学んだ高校(修猷館)の記念館に「菁莪」の扁額が掛かっていた事を思い出しました。
お礼の言葉が遅れて申し訳ありません。

 「題咸宜園」(推敲版)を廣瀬君に送付致しました処、返信を頂戴しました。
『その道の先達に、身に余る讃詩を賜り、誠に有り難く、光栄に存じます。
いよいよ淡窓、他の事績の研究、顕彰に力を入れざるを得なくなりました。
お序が有れば、井古綆さんにも、宜しくお伝え下さい。』

との事でした。

小生からも、改めて御礼申し上げます。

2007. 9. 5               by 兼山

井古綆さんからもお返事をいただきました。
 兼山さん、はじめまして。
 不肖わたくしに対しまして過分なるお言葉を頂戴いたしまして、汗顔の至りです。
また、蕪詩を広瀬貞雄さんに送付して戴きました事、まことに恐れ入ります。
ご本人に喜んで戴けたことを、大変うれしく思います。

 鈴木先生のホームページのどこかに申しましたが、わたくしは学齢を全うしていない為、人一倍の努力をしている心算ですが、此の歳になって物忘れが激しくなり、大変苦労しています。
 例えは合っていないかも知れませんが、自転車操業のようなもので、作詩を止めれば脳の中がすっかり空になるような気がします。
 それで孜孜と辞書に向かっている次第です。

 取り留めのないことを申しましたが、ともに学んでいきたいと思いますので、此方こそ宜しくお願いいたします。

2007. 9. 8              by 井古綆