2006年の投稿詩 第31作は 某生 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-31

  放榜        

棘圍自是棘塗元   棘圍是れ棘塗の元めたるよりは

金榜豈徒金殿門   金榜豈に徒り金殿の門ならん

求以得之曾多少   求めて以て之を得しは曾て多少ぞ

願同老馬樂行存   願はくは老馬を同なひて行くゆく存するを樂しまん

          (上平声「十三元」の押韻)

<解説>

  この度、在籍している大學の大學院に、何とか無事に合格致しました。
 幸いにして今後も引續き學生を續けられるからには、初心を忘れず、一歩一歩學んで參る所存です。
 これまでのご聲援、誠に有難う存じます。


<感想>

 おめでとうございます。ますますのご活躍をお祈りしています。

 この詩は、学問に向かう某生さんの志を述べられたものと思いますが、少し、言葉を補っておきましょう。
 題名の「放榜」は、「科挙の合格者を発表する」ことで、杜牧の詩などでも「東都放榜未花開(洛陽では合格者の名が掲示されたが、花はまだ咲かないと使われていますね。
 起句の「棘圍」も科挙に関連する言葉で、唐の時代に、試験の不正を防ぐために試験場の周りを棘(いばら)の塀で囲ったことから、試験場のことを言います。

 結句の「老馬」は、「老馬之智」を表すのでしょう、「斉の管仲が道に迷った時に、放った老馬の後を追った」という韓非子の故事からの言葉です。先人の学と共に歩んでいこうというお気持ちを表した句でしょう。
 これからも頑張って下さい。

2006. 2.25                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第32作は 庵仙 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-32

  於老須大使館舞交歓会     老須大使館に於いて 交歓会に舞ふ   

館内交歓風俗厚   館内の交歓 風俗厚し

老須料理老須酒   老須の料理 老須の酒。

作輪民舞尽相和   輪を作す 民舞 尽く相和す、

接待響心遐国友   接待 心に響く 遐かな国に友。

          (上声「二十五有」の押韻)

<解説>

 先日、ラオス大使館に招待され、大使ご夫妻と楽しい時間を過ごしてきました。ラオス料理にお酒、そして踊り等嬉しかった。それを漢詩になおした。
 またラオスを漢字ではわからなかったので、老須としました。ほかに発音では老素・老粟などのどれかと思いますが、ご指導下さい。

<感想>

 庵仙さんがラオス大使館に向かわれたことは、先の「第11回世界漢詩同好會」での交流詩、「冬至日向老撾」でご紹介がありましたが、この詩は、その報告詩ですね。
 仄韻の詩になっていますが、「酒」「友」を句末に置きたいというお気持ちでしょうね。これも一つの楽しみですね。

 起句での「館内」という一見唐突な書き出しですが、その後の盛り沢山の楽しみを描くには、余分なことは省いた方が良いという判断でしょう。一気にパーティ会場に入り込んだような華やかさが感じられます。
 詩の構成としては、起句と結句で中心となる作者の気持ちを述べ、間の承句と転句で会の具体的な説明をするという、サンドイッチのような双括形ですが、その分、庵仙さんのお喜びの様子が繰り返されて、よく伝わっているでしょう。

 「ラオス」の表記は、中国語では「老撾」とします。

2005. 2.25                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第33作は 鮟鱇 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-33

  憶坂本定洋先生        

遙思俊骨富詩才,  遙かに思ふ 俊骨 詩才に富み,
              われ さき     とうせん とこしえ  ふところ ま 
先我登仙永巻懷。  我に先んじて登仙し 永へに懷を巻くを。
共辯去春談韻事,  共に弁じて去春 韻事を談じ,
獨留今日踏塵埃。  独り留まりて今日 塵埃じんあいを踏む。
請君依旧多奇句,  君に請ふ 旧に依りて奇句多く,
揮筆翻新導等儕。  筆をふるひ新を翻して 等儕とうさいを導くを。
天上吟壇交李杜,  天上の吟壇に李杜と交わらば,
声名必定震瑤台。  声名 必定 瑤台ようだいに震わん。

<解説>

 坂本さんの仙逝、禿羊さんの悼詩で知りました。
 このこと、坂本さんの最後の投稿に触れた桐山人先生の<感想>で告げられていたのですが、昨年、わたしはいささか自分の世界にひきこもっており、みなさんの詩もよく拝見しておらず、坂本さんの詩も読んでいませんでした。迂闊でした。坂本さんの仙逝が悔やまれます。それを見過ごしていたわたしのノー天気も悔やまれます。
 坂本さんは、書かれた詩もさることながら、詩とは何かということにも鋭い方で才気煥発、桐山堂のページに寄せられた「七言絶句の踏み落としについて」など、わたしには眼からウロコの思いで拝読しました。わたしよりもお若く、もしわたしと同じだけの時間があるなら、何をしでかしたかわからないという楽しさが、わたしにはある方でした。
 拙作、遅ればせながらのお悔やみです。わたしは、詩を作ることは、この世のことばかりではない、と固く信じています。なるほど、どの作を誰が作ったかというようなことは、この世のことで、坂本さんが作ったということがわかる作品は、これから先、この世に付け加えられることはない、と思います。
 しかし、詩魂は、あの世とこの世を行ったり来たりしており、だからこそわたしたちは、死んだ李白や杜甫の詩を味読できるのです。この世にいる限りはわかりませんが、目に見え音に聞こえタテ横高さのある箱の向こう側にも詩の世界はあります。その世界へ坂本さんは旅立たれたのだと思います。
 だから、彼はきっと、さらに詩を書き続けていると思います。そして、その霊がいずれは誰かの手を借りて、この世でも読める詩となって、わたしたちの前に現れるに違いありません。
 坂本さん、いずれまた。そして、この世ではお会いできませんでしたが、今度はきっと、お会いしましょう。

[語釈など]
俊骨:俊才
登仙:仙人になること。ここではあの世へ逝く。
巻懷:才能を隠して表にあらわさないこと。「永巻懷」には、坂本さんがこの世ではこれ以上才能を示すことがなくなったことの意をこめています。
韻事:風流なこと。詩文に親しむこと。
翻新:新しくすること。
等儕:身分が等しい同類。仲間。
李杜:李白と杜甫。
声名:名声。
必定:きっと
震:名声が天下に鳴り響く場合は名震うといい、名響くとは言わない。
瑤台:仙人のいるところ。

 中華新韻(四開)で作詩しています。懷、儕(旧韻上平九佳)は才、台、埃(旧韻上平十灰)と同韻です。

<感想>

 鮟鱇さんのお書きになった「詩魂」のお話を読みながら、坂本さんが「最近は病吟ばかりで、元気な詩を作りたい」と仰っていたことを思い出しました。天上で今は、自由に詩をお書きになっていらっしゃるのだと想います。そうですね。
 坂本さんの訃報をうかがって、私自身が実は随分気持ちを沈ませていました。禿羊さん、鮟鱇さん、皆さんの詩やお言葉を拝見し、元気が出てきたように思います。ありがとうございました。

2006. 3. 2                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第34作は 一人 土也 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-34

  黄雲        

黄雲百里尽英英,   黄雲 百里 尽く英英、

霜降農人憩息軽。   霜降 農人 憩息軽し。

惜陰利鎌唯閃閃,   惜陰 利鎌はただ閃閃、

紅林碧落晩風声。   紅林 碧落 晩風の声。

          (下平声「八庚」の押韻)

<解説>

 黄色い雲のような稲はバァーと広がってつくづく美しいが、
 十月末期(それを刈るため)農家の人たちの憩息はかるい。
 時間を惜しむ鋭い鎌はただピカピカ光り、
 紅葉の林、青い空には夕暮れの風の音。

こんどは稲の収穫の詩です。

<感想>

 前回の「田除草」と対になる作品ですね。
 題名と起句に使われている「黄雲」は、稲や麦が一面に黄色く熟している様子を表す言葉ですが、広々とした田が目に浮かびます。
 稲刈りに忙しい様を描いておいての、結句のストンと落ちる感じが心地よく、土也さんのセンスが感じられる展開です。

 転句の「陰」が平声であること、四句ともに前半のリズムが似通っている点が気になるところですが、展開の良い詩ですね。

2006. 3. 2                 by 桐山人


逸爾散士さんから感想をいただきました。
逸爾散士です。

 一人さんの詩はけっこう画数の多い漢字を使って独特なのですが、イメージ喚起力は強いですね。
今回の詩は、あまり詰屈な語は少ないし、流れもスムーズ。
一句、三句に畳韻語を使ったのも、重複感ではなくリズムを生んでいるように思います。

 「霜降」はただ「十月」、「惜陰」は「暇を惜しみて」のように訓読できる語にしたほうが軽くなるかなあ。

 一人さんは、以前は字の華麗さ、面白さにひかれていたように感じましたが、最近はイメージの鮮やかさをねらいとしているようです。
 絵を見ているような感じがしますが、静的ではなくダイナミックなところがある。鎌の動きばかりでなく展開そのものが動的です。

 気になるというより面白く思うのですが、色の字が「黄雲」「紅林」「碧落」と三つ入っているところが目立つ。

 前の作品が鮟鱇さんの「坂本定洋さんを憶う」詩ですので、坂本さんの論考『とりあえず見栄えのする漢詩を書くための一般論』(「桐山堂」所載、2003年9月24日)を思い出しました。
 そこで坂本さんは、具体的、実体的な語と形容語にウェイトをつけて、それがシンメトリカルに配置されているところに、漢詩の美を見出しておられるようです。(実際、三体詩風にいう実の句が前半、虚字が続く句が後半に固まったら、バランスを欠く可能性は確かに高いかもしれません)
 坂本さんは色を十点としていたので、一人さんの句を坂本さん風に眺めてみました。印象の強い色や数字(太刀掛呂山先生の対句論でも色や数字の印象の強さが説かれていました)が各句の上のほうに来て、句末は軽め。ただ韻字と畳韻語の繰り返しで印象を強めています。スタティックにみてもバランスがいいとおもいます。

 二字熟語が殆どなので、日本語で訓読していくと多少単調に感じるけど、それも一種のリズムかもしれません。二拍子、アンダンテで歩みを進めるみたいな感じ。

 「憩息、軽し」「唯閃閃」のところ視点は細かく、結句は広い景色で、変化が出ていますね。

2006. 3. 4                    by 逸爾散士





















 2006年の投稿詩 第35作は 井古綆 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-35

  登蘇嶽     蘇嶽に登る   

蘇峰登頂思綿綿   蘇峰の登頂 思ひ綿綿

今且雄姿展眼前   今まさに雄姿 眼前に展かんとす

跨拠二州廻緑野   二州に跨拠して緑野を廻らし

陪随五嶽聳青天   五嶽を陪随して青天に聳ゆ

千秋凛慄蔵霊火   千秋凛慄りんりつ 霊火を蔵し

万古油然上噴煙   万古油然 噴煙を上げる

異景荒涼絶人界   異景荒涼 人界を絶し

満腔畏敬立山巓   満腔の畏敬 山巓に立つ

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 阿蘇へは三十年ほど前に上りました。この詩は十五年くらい前の作だと思います。最近1.2.7句を推敲しました。 ご高批の程よろしくお願いいたします。

<感想>

 阿蘇山の威容が眼前に迫るような趣ですね。
 とりわけ、頷聯の対である「跨拠二州」「陪随五嶽」は、言葉がリズムを持っていて、生き生きとしています。「五嶽」は、阿蘇山のカルデラの中に、噴火活動で更に生まれた山ですね。
 第二句の「今且」は、長年の念願(「思綿綿」)がようやくかなって、という気持ちを表している言葉でしょうが、ここは虚字ではなく、「勇姿」の具体的な記述を置いた方が写実性が出てくるでしょう。
 

2006. 3. 8                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第36作は 兼山 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-36

  楠渓古村        

楠渓江畔古閑村   楠渓江畔 古閑村

李氏文房尚自存   李氏文房 尚自ら存す

麗水長廊看不尽   麗水長廊 看れども尽きず

耕牛洗足散鶏豚   耕牛足を洗い 鶏豚を散ず

          (上平声「十三元」の押韻)

<解説>

 楠渓江は浙江省温州(永嘉)郊外の景勝地です。
 山水詩の元祖と称されている偉大なる詩人謝霊雲(385-433)の故郷でありますが、日本からの観光客は殆んどないようです。私が訪れた十二月中旬、日本全体は寒気に包まれていましたが、温州は連日小春日和でした。
 楠渓文化と呼ばれる地域文化を今も保存している幾つかの古村落が点在しています。旅の記録として固有名詞を入れて作詩しました。耕牛の足を洗ったり、住居の周辺に鶏や豚が放ち飼いにしてある実景が印象的でした。

「李氏文房」:南宋時代に李氏一族によって建設された村落の中心は、風水思想に基づいて、文房四宝(紙筆墨硯)に見立てて設計されている。
「麗水長廊」:岩頭鎮の麗水街にある三百米にも及ぶ麗水江沿いの廻廊は、明の時代に造られた。

<感想>

 結句の描写が動きを伴い、映像を見ているような気持ちがします。
 固有名詞を入れてはいますが、後半に実景を置いた分だけ、前半は説明文のような印象が強くなっています。「李氏文房」を私が詳しく知らないからいけないのかもしれませんが、結句の実景句を承句に置くと、起句の「閑」の具体的な描写が入り、分かりやすくなるように思います。
 また、承句の「李氏文房尚自存」も、結句に置いて結びにした方が、余韻の残る句として効果が出てくると思います。
 起句はこの形で、平仄も揃っていますし、良い句ですね。

2006. 3. 8                 by 桐山人


兼山さんからお返事をいただきました。
御教示の線に沿って下記の如く推敲してみました。
楠渓古村(作品番号 2006-36)兼山
   (旧稿)
   楠渓江畔古閑村  楠渓江畔 古閑村
   李氏文房尚自存  李氏文房 尚自ら存す
   麗水長廊看不尽  麗水長廊 看れども尽きず
   耕牛洗足散鶏豚  耕牛足を洗い 鶏豚を散ず

   (改稿)
   楠渓江畔古閑村  楠渓江畔 古閑村
   洗足耕牛放野豚  洗足耕牛 野豚を放ず
   麗水長廊看不尽  麗水長廊 看れども尽きず
   文房四宝至今存  文房四宝 今に至りて存す

   (補注)
 李氏一族が住んでいた古村の中心部は風水思想に則って計画されており、山・田畑・道路・池などを文房四宝(紙筆墨硯)に見立て設計されている。

2006. 5. 9               by 兼山























 2006年の投稿詩 第37作は 井古綆 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-37

  過敦盛塚     敦盛塚に過ぎる   

紅旗白旆尽攻防   紅旗白旆 攻防を尽くし

涙滴軍書激戦場   涙は軍書に滴る 激戦場

鉄拐山頭驚突騎   鉄拐山頭 突騎に驚き

須磨海上艤連航   須磨海上 連航を艤す

王孫薄命殤初陣   王孫薄命 初陣に殤し

平氏丹心捧幼皇   平氏の丹心 幼皇に捧ぐ

塚下誰聞青葉笛   塚下誰か聞かん青葉の笛

潮音日夜弔無常   潮音 日夜 無常を弔ふ

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

 十五年ほど前に神戸須磨にある敦盛塚に立ち寄り、七絶をつくりました。一昨年律詩にまとめたのがこの詩です。

<感想>

 平敦盛の最期は、「平家物語」でも有名な場面であり、そうした歴史的な戦闘を順になぞるように描かれたこの詩は、スケールの大きな絵巻物を見ているような印象です。

 頸聯がやや疑問が残ります。
 「王孫」は貴公子としての敦盛を指しているわけですが、「薄命」「短命」という意味で理解する人が多いのではないでしょうか。「短命」ですと和習になると思います。漢文では、「運が薄い(悪い)」と読むはずです。また、「短命」の意味に取ると、この聯の対句が合わなくなりますね。
 「捧」も、「胸のところで持つ」ならば良いですが、この場合は「報」の方が良いのではないでしょうか。

2006. 4. 2                 by 桐山人


井古綆さんからお返事をいただきました。
 鈴木先生お久しぶりです。
 闘病生活大変であったろうと拝察いたします。兎も角もご退院おめでとうございます。
この文もご遠慮するべきところ、退院の報に接しうれしさの余り差し上げます。餌を待ち焦がれた乳燕が、久しぶりに親燕に会った気持ちです。
有難うございます。

 ご高批有難うございました。5,6句は和臭に近いとはおもいました。流水対になると思いずさんな措辞をしました。お恥ずかしいかぎりです。
「捧」も「奉」の意味に使用しました。「報」の字は考えが及びませんでした。もっと視野を広げねばと痛感します。
兎も角もおめでとう御座いました。
有難うございました。

2006. 4. 3                 by 井古綆






















 2006年の投稿詩 第38作は 某生 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-38

  囚烏        

牢籠園林隅   牢籠 園林の隅

囚有兩三烏   囚へられて兩三の烏有り

哇哇不知措   哇々として措くを知らず

漆昼散疎   漆秩@空しく散じて疎らなり

嘗黨脅老幼   嘗て黨して老幼を脅かし

羣食城市汚   羣食して城市汚る

絆狗見之吠   絆狗 之を見て吠ゆ

乃亦昨所愚   乃ち亦た昨の愚りし所なり

我對坐惆悵   我れ對して坐ろに惆悵す

可憐一旦俘   憐れむべし 一旦俘となる

所以養之糒   之を養ひし所以の糒は

京華飽食餘   京華の飽食の餘りなり

且應故巣裡   且つ應に 故巣の裡に

寒餓黄口雛   寒餓するならん 黄口の雛

又有老父母   又た 老父母の

憂子還晏呼   子の還ることの晏きを憂ひて呼ぶ有るならん

獲得若干隻   若干隻を獲り得るとも

安能供患除   安ぞ能く患の除かるるに供せん

君子當務本   君子 當に本に務むべし

敢事爭區區   敢て區々を爭ふを事とせんや

          (上平声「六魚」・「七虞」の通韻)

<解説>

 近所を散歩の途中、とある公園に設置された、烏を捕獲するための罠を見ました。

<感想>

 おいらは町のカラスだぜ。どうも最近、おいら達に対する風当たりが強いような気がするんだ。
 「ゴミ捨て場を散らかす」だの「鳴き声がうるさい」だの「道路や車を糞で汚す」だの、あげくには言うに事欠いたのか、「不吉な色だ」「不気味な姿だ」なんてことまで言われた日には、さすがにおいらだって頭に来るぜ。

 ゴミ捨て場のビニールを破ってまき散らすと言うけどよ、おいらだって他人様の家の台所まで入っていって餌をさばくってるんじゃないぜ、前の日から生ゴミをわざわざ出してくれる人がいるから、おいらも「いただきます」ってなもんで、食べるものが無きゃあおいらだって突っつきゃしねえよ。

 鳴き声にしたって、おいらは自分の声を気に入ってるぜ。人間は鶯の声が良いとか言うけどよ、法華経(ホッケキョー)だか般若心経だか知らねえが、あんな寸詰まった声のどこが良いのかねぇ。あいつら大抵は、「ケキョ、ケキョ、ケキョ」って風邪ひいてるぜ。その点、おいらの声は伸びやかだと思うがね。
 まあ、こんなのはそれぞれの好みってもんだから、比べてどうのこうのという気は無えよ。

 ただね、おいらだって、時には親孝行な鳥だと言われたりしたこともあるんだ。ところがさ、やだね、近頃の人間は。みんなが「悪い鳥だ」というと何でもそう思わなくちゃいけないみたいで、よってたかって悪口だ。
 こういうのも差別だよ。ほんとに人間てのは自分勝手だからね。ちっとはカラスの人(?)権ってのも考えてほしいもんだ。ふん。

 今回は、こんな感じで書いてみましたが、某生さんの意図とは少しずれてしまったかもしれませんね。

2006. 4. 2                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第39作は 深渓 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-39

  樂蛍雪友筑紫路旅     蛍雪の友筑紫路旅を樂しむ   

光陰六九巳時遷   光陰 六九 巳に時は遷り

学士相逢樂晩年   学士 相い逢うて 晩年を樂しむ

筑紫泉楼温浴夜   筑紫の泉楼 温浴の夜

青春懐顧入瓊莚   青春 懐顧して 瓊莚に入る

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 十月末・老学友十余人で九州に遊んでの述懐です。

「六九」=六x九・五十四年。
「学士」=大学学友。
「瓊莚」=美しい座敷の宴席。

<感想>

 卒業後五十四年を経ての大学の仲間との旅行ですか。さぞかし楽しい会だったでしょうね。
 私も大学の仲間と卒業以来毎年旅行に出かけていますが、それぞれに別々の地域で仕事をしていても、会えばそんな距離感はすぐに消えてしまいます。
 ただ、私の場合には「青春懐顧」というには丁度中途半端な年齢という気がしています。目の前の仕事のことも考えるし、これからの生活のことも考えるしで、なかなか現実から離れられないのが五十代でしょうか。
 「樂晩年」の境地に辿り着くまでには、まだもう少し生臭い生活を送らなければならないのかもしれません。

2006. 4. 2                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第40作は 深渓 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-40

  詣太宰府天満宮     太宰府天満宮に詣る   

高秋筑紫詣菅宮   高秋 筑紫の 菅宮に詣る

緬想京師謫所空   京師を緬想す 謫所は空し

堪聴詩篇断腸賦   聴くに堪えたり 詩篇 断腸の賦

遺芳吟誦憶孤忠   遺芳 吟誦して 孤忠を憶ふ

          (上平声「一東」の押韻)

<解説>

「菅宮」=菅廟。
「京師」=京都。
「緬想」=遙かに想う。
「詩篇断腸賦」=菅公の「九月十日」と題す詩。
「遺芳」=死後に遺された立派な詩文。
「孤忠」=唯一人忠義を尽くす。

<感想>

 こちらは、前作での旅行の折に作られたものでしょうね。
太宰府に立ち、菅原道真を偲んでの詩で、配流された菅公への思いがよく表れている詩ですね。

 承句は、「緬想」、はるか遠く京都を想っているのは深渓さんご自身でしょうが、次の「謫所空」は何を指して「空し」と言うのかが分かりにくいですね。言葉としては、道真の心情と見た方がぴったりすると思いますが、そうなると、承句全体が道真の立場になってしまい、前後の流れが不自然になります。
 また、転句と結句の「聴」「吟誦」の関係(重複?)も気になります。全体的に心情を表す句(虚)が続いていますから、結句は、ここでは秋の太宰府の景(実)で締めくくるのが落ち着くように思います。

2006. 4. 2                 by 桐山人


深渓さんからお返事をいただきました。
先生のご講評の通り結句を左のように推敲致しました。
    沖天堂塔一林楓   沖天の堂塔 一林の楓

  天に聳える堂塔と一林の楓が映えていると。

2006. 4. 3                  by 深渓






















 2006年の投稿詩 第41作は サラリーマン金太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-41

  哭坂本定洋雅兄長逝     坂本定洋雅兄の長逝を哭す   

紀州魂魄杳何之   紀州の魂魄 ようとしていづくにかん

應惜拝顔未有為   應に惜しむべし 拝顔 未だ為す有らざるを

病床寸暇繙千巻   病床寸暇千巻をひもと

残得優殊満篋詩   残し得たり 優殊 満篋まんきょうの詩

          (上平声「四支」の押韻)

<解説>

 まずは、坂本さんの急逝を悼み、ご遺族には衷心よりお悔やみを申し上げますとともに、ついに相見(まみ)える事がかなわなかった詩友のご霊前に追悼詩を謹んで呈します。
 坂本さんとは生前一度メールの交換もさせていただきました。それは拙詩「十一代目市川海老蔵襲名披露狂言勧進帳」に対しての感想をいただいたのがきっかけでした。そのなかで吾兄(そう呼ばせていただきます)は、

『非常に勝手な申し分ながら、私には手頃なライバルが必要です。一人は私と毛色の似た柳田周さん。もう一人は、毛色の違うあなたと目しております。このところご入院とかで元気のなさを心配していました。
 実際はまだ「人の気持ちも知らないで。この野郎。」と言いたいような状態なのかも知れません。しかし詩は、そうは言っておりません。このような兆しは詩には目に見えて現れるもののようです。先ずは安心と言わせていただきます。』
 と若輩の私をライバルと称していただき、当時入院を余儀なくされていた私のことを気遣い、「金太郎節復活!」と我がことのように喜んでくださいました。ネット社会の中で、一度も逢ったことのない人間同士がともに熱い交情を抱くことができた不思議を思わずにはおれません。
 しかしこのことは誰にでもできることではなく、ひとえに吾兄の人徳によるものであります。私ごときはおろか数多同門の士に対して、寸暇を惜しんで感想を寄せていらしたではありませんか!忌憚のないご意見を述べられつつも、常に作者の立場に立ったフォローを忘れないコメントを寄せてくださっていましたよね。常に自身の漢詩に対する信念をお持ちで、時には鈴木先生の見方にすら反する勇気あるご意見も散見されました。ただただその心遣いとおやさしさに頭の下がる思いです。
 いつか鈴木先生同門の騒人としてお会いすることを願いながら、あまりにも早い旅立ちに言葉もありません。

 このうえは、ただただご冥福を祈るのみです。 平成18年3月6日 合掌

 和歌山県人であられた坂本さん、その詩魂ははるか遠くどこへ行ってしまったのであろうか。遺篇を耽読するに、おそらく家族や友人、近所の方々が帰りを待つ故郷−そして山登りがお好きだっただけにふるさとの山河にようやく還られたことでしょうね。奥様やおそらくお子様方もいらしたと拝察いたしますが、働き盛りのそのお歳で、この世を去らねばならなかった坂本さんのお気持ちを思うと、さぞやご無念であったことでしょう。

 ぜひ一度生前にお会いしたかったです。この世の非情を恨みます。
 みかん取りが忙しい日も、病魔との闘いの中でも吾兄は、風雅の道を忘れることはありませんでした。
 そうして今日、悲しみに打ちひしがれる私たちは吾兄の珠玉の漢詩を通して、吾兄と対話することができます。

<感想>

 坂本さんの思い出は、私たちの心から消えることはないと思います。
 今年の秋、ご命日には坂本さんがこのホームページに寄せて下さった詩と文章、皆さんの哀悼の詩を全てまとめて、ご遺族の方にお渡ししたいと思っています。

 ありがとうございました。

2006. 4.18                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第42作は千葉市にお住まいの 童心 さん、六十代の男性の方からの作品です。
 

作品番号 2006-42

  早春讃岐遍路        

洋洋雲海秀峰輝   洋々たる雲海に秀峰輝き

燦燦陽光渡鳥帰   燦燦たる陽光に渡り鳥帰る

急峻山行風未冷   急峻な山径は風未だ冷たく

寺寺参拝白梅微   寺寺に参拝すれば白梅微なり

          (上平声「五微」の押韻)

<解説>

 2月の末に22人の遍路パーティで讃岐を訪れ、四国八十八箇所の中、十寺を歩いて参拝しました。
 早春とはいえ風はまだ冷たく、山道は険しかった。二泊三日の旅程で、二日目は生憎の雨だったが大したことは無く、楽しい涅槃の遍路旅でした。
 特に行きと帰りの飛行機の中から見た富士山が素晴らしく、読み込んで作詩しました。

 漢詩歴は約半年ですが、自分としては今回一句と二句の対句がうまくいったと思っています。

<感想>

 初めまして。新しい方の投稿をうれしく思います。
私の方の都合で掲載が遅くなり申し訳ありません。今後ともよろしくお願いします。

 詩を拝見しましたが、「解説」にお書きになったように、起句の雲上の富士山という大きな視野から結句の「白梅」へとズームアップする展開は、スケールの大きな詩を作り出していますね。
 起句はイメージも鮮明で、良い句です。承句も機中からの景でしょうか。「燦燦陽光」「渡鳥帰」のつながり、特に「帰」の持つ方向性がどうして出て来るのかが、やや説明不足でしょう。「渡鳥」「飛鳥」の方が良いですね。

 転句の「未冷」は、「まだ冷たくない」の意味になりますので、「冷」を換えるか、「尚冷」とすべきでしょう。

 結句は、「寺寺」が平仄が合いませんね。また、起句と承句で対句の関係で畳語を使っていますので、ここは同字の重複は避けた方が良いですね。「古寺」とかで十分に通じるし、結びの「白梅微」を生かすためにも、「あちこちの寺」と言うよりも、具体的なイメージが出るようにするのが良いと思います。

2006. 4.18                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第43作は 高橋 子沖 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-43

  故郷雪        

破壁寒風大雪辰   壁を破る寒風 大雪の朝

村園一色白銀新   村里は新たに白銀一色

巷街凛凛人声絶   巷の街路は寒々として人声は無い

茅屋閑吟憶故人   茅屋に閑に任せて歌を吟じ故人を憶う

          (上平声「十一真」の押韻)

<解説>

 久しぶりに故郷を訪れたが、大雪降る。
 懐かしい村の街路は、寒々として正に白銀一色
 生家の茅屋に閑吟し故人を懐古する。

<感想>

 昨冬は本当に雪の多く、北国の方は随分と苦しまれたことと思います。故郷に帰られた子沖さんの感慨もひとしおだったことでしょう。

 起句の「破壁」は「あばら屋」のイメージが強く出ますので、「穿壁」の方が「寒風」を修飾するにはいいでしょう。
 転句の「凛凛」は、氷が突き刺さるような厳しい寒さを表す言葉ですから、その後の「人声絶」へと流れて、雪に覆われた街の様子をよく表していると思います。

 ただ、それを受けての結句の結びである「憶故人」は、つながりが明瞭ではないですね。なぜ「故人」なのか、作者の意識の中では、故郷に帰ってきたのだから昔の友人を思い出した、あるいは「故人」を入れることで「故郷に戻った」ということを表そうとしたのでしょうが、詩としては唐突な印象です。題名で示すだけでなく、前半でもう少し、自分の状況も入れておかないと、急に心情に飛んでいる感じがします。

 形式の点では、「人」の同字重出、「銀」の冒韻に留意が必要です。起句の「辰」は、「朝」の意味で使うのならば、「晨」にしておきましょう。

2006. 4.24                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第44作は 知秀 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-44

  贈陳文龍君     陳文龍(チャン・ヴァン・ロン)君に贈る    

洋洋万里曙光紅   洋洋万里 曙光紅なり

草木蓬蓬度恵風   草木蓬蓬 恵風度(わた)る

力学青襟存宿志   力学青襟 宿志存す

欣然破帽対晴空   欣然破帽 晴空に対す

          (上平声「一東」の押韻)

<解説>

 越南から来た龍さんの
 八回目になる お正月
 工学博士の 夢捨てず
 破帽にこやか空晴れて

ベトナムから技能研修生として来日、3年間勤務、私が日本語を教え、いったん帰国後再来日。山口大学工学部修士課程を経て、現在東北大学工学部博士課程に学んでいます。
 実は私の娘夫婦と養子縁組、私には義理の孫に当たります。彼はがんばっております。専攻は金属。毎晩徹夜の実験とか、寒い仙台で。
 正月帰ってきましたので作詩しました。

<感想>

 知秀さんには、先日、萩にお邪魔した折に、とてもお世話になりました。お忙しい中、萩市内のご案内までいただき、ありがとうございました。
 お作りになる詩と違わない、素敵なお人柄に触れ、おかげさまで本当に楽しい旅でした。

 この詩は、特に前半は、お正月の雰囲気を味わいながら読まなくてはいけませんね。承句の「蓬蓬」「草木が茂る」ことを表しますが、韻字と同韻なのが残念です。
 転句からは陳文龍君を描かれたわけですが、特に結句の「破帽」「弊衣破帽」の四字熟語から抜かれたのでしょう、身なりにこだわらずに快活に学問に打ち込む姿をよく表していますね。久しぶりに爽やかな学生像に触れた気がします。
 思わず、私も「ガンバレー」とエールを贈りたくなりました。

2006. 4.24                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第45作は 山草花鳥 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-45

  鴻鵠(改)        

陽傾帰草屋   陽傾きて草屋に帰る

閨婦嘆貧窮   閨婦は貧窮を嘆く

独酌望窓外   独り酌し窓外を望む

天翔鴻鵠夢   天を翔る鴻鵠の夢

          (上平声「一東」の押韻)

<解説>

 前回の投稿詩を再推敲しました。

<感想>

 前作の「鴻鵠」(2005年の第107作)を推敲されたものです。

 平仄などの点は随分検討されたようですね。最後の「夢」は、平声(上平声一東)の時には、「はっきり見えない。暗い」という意味になり、通常使う「ゆめ。夢を見る」の時は仄声になりますので、注意が必要です。この詩の場合には、仄声の用法です。
 どう直すかは工夫の所ですが、ともあれ結句は押韻の位置ですので、「上平声一東」の韻目の字を置く必要があります。この内容でひとまず釣り合いそうなのは、「鴻鵠雄」くらいでしょうか。

 承句は、前作での「嘆薄運」と今回の「嘆貧窮」では随分違いがあります。今回の表現ですと、「夫が胸に大きな志を持っていても、それに気づかず、ただ生活の不如意なことを愚痴ってばかりいる」という無理解な妻ということになります。
 「閨婦」を出す必要があるのかどうか、そこから検討をした方が良いかもしれません。

 転句の「望」「看」でないと、窓そのものが遠くに存在することになってしまいます。

2006. 4.24                 by 桐山人