お名前 | お住まい | 掲載日 | |
[ 1 風雷山人さんからのお手紙 ] | 東京都 | 2011. 3.13 | |
[ 2 赤龍さんからのお手紙 ] | 茨城県 | 2011. 3.14 | |
[ 3 鮟鱇さんからの漢詩 一 ] | 東京都 | 2011. 3.14 | |
[ 4 鮟鱇さんからの漢詩 二 ] | 東京都 | 2011. 3.14 | |
[ 5 ニャースさんからの漢詩 ] | 中国・大連 | 2011. 3.20 | |
[ 6 楽聖さんからのお手紙] | 東京都 | 2011. 3.20 | |
[ 7 兼山さんからの漢詩 一 ] | 福岡県 | 2011. 3.23 | |
[ 8 鮟鱇さんからの漢詩 三 ] | 東京都 | 2011. 3.28 | |
[ 9 青眼居士さんからの漢詩 ] | 京都府 | 2011. 3.28 | |
[10 常春さんからの漢詩 ] | 静岡県 | 2011. 3.29 | |
[11 茜峰さんからの漢詩 一 ] | 大阪府 | 2011. 3.31 | |
[12 道佳さんからの漢詩 ] | 大阪府 | 2011. 3.31 | |
[13 洋宏さんからの漢詩 ] | 京都府 | 2011. 4. 1 | |
[14 仲泉さんからの漢詩 ] | 山梨県 | 2011. 4. 2 | |
[15 展陽さんからの漢詩 ] | 兵庫県 | 2011. 4. 8 | |
[16 薫染さんからの漢詩 ] | 静岡県 | 2011. 4.15 | |
[17 常春さんからの漢詩 二 ] | (世界漢詩同好會から転載) | 静岡県 | 2011. 4.17 |
[18 道佳さんからの漢詩 二 ] | (世界漢詩同好會から転載) | 大阪府 | 2011. 4.17 |
[19 青眼居士さんからの漢詩 二 ] | (世界漢詩同好會から転載) | 京都府 | 2011. 4.17 |
[20 劉建さんからの漢詩 ] | (世界漢詩同好會から転載) | 北海道 | 2011. 4.17 |
[21 杜正さんからの漢詩 ] | (世界漢詩同好會から転載) | 茨城県 | 2011. 4.17 |
[22 鮟鱇さんからの漢詩 四 ] | (世界漢詩同好會から転載) | 東京都 | 2011. 4.17 |
[23 鮟鱇さんからの漢詩 五 ] | (世界漢詩同好會から転載) | 東京都 | 2011. 4.17 |
[24 鮟鱇さんからの漢詩 六 ] | (世界漢詩同好會から転載) | 東京都 | 2011. 4.17 |
[25 禿羊さんからの漢詩 ] | (世界漢詩同好會から転載) | 大阪府 | 2011. 4.17 |
[26 桐山人からの漢詩 一 ] | (世界漢詩同好會から転載) | 愛知県 | 2011. 4.17 |
[27 秀涯さんからの漢詩 ] | 東京都 | 2011. 4.17 | |
[28 道佳さんからの漢詩 三 ] | 大阪府 | 2011. 4.21 | |
[29 点水さんからの漢詩 ] | 大阪府 | 2011. 5. 4 | |
[30 深渓さんからの漢詩 ] | 東京都 | 2011. 5. 9 | |
[31 謝斧さんからの漢詩 一 ] | 兵庫県 | 2011. 6. 3 | |
[32 謝斧さんからの漢詩 二 ] | 兵庫県 | 2011. 7.19 | |
[33 謝斧さんからの漢詩 三 ] | 兵庫県 | 2011. 8. 6 | |
[34 玄齋さんからの漢詩 ] | 大阪府 | 2011. 8.16 | |
[35 楽聖さんからの漢詩 ] | 東京都 | 2011. 8.16 | |
[36 謝斧さんからの漢詩 四 ] | 兵庫県 | 2011. 8.16 | |
[37 桐山人からの漢詩 二 ] | (世界漢詩同好會から転載) | 愛知県 | 2011. 9.18 |
[38 清穹さんからの漢詩 ] | 石川県 | 2011. 9.19 | |
[39 サラリーマン金太郎さんからの漢詩 一 ] | 愛媛県 | 2011. 9.27 | |
[40 サラリーマン金太郎さんからの漢詩 二 ] | 愛媛県 | 2011. 9.27 | |
[41 サラリーマン金太郎さんからの漢詩 三 ] | 愛媛県 | 2011. 9.27 | |
[42 サラリーマン金太郎さんからの漢詩 四 ] | 愛媛県 | 2011. 9.27 | |
[43 茜峰さんからの漢詩 二 ] | 大阪府 | 2011.10. 2 | |
[44 東龍さんからの漢詩 ] | (芙蓉漢詩集第八集より転載) | 静岡県 | 2011.10.11 |
[45 洋靖さんからの漢詩 ] | (芙蓉漢詩集第八集より転載) | 静岡県 | 2011.10.11 |
[46 青淵さんからの漢詩 ] | (芙蓉漢詩集第八集より転載) | 静岡県 | 2011.10.11 |
[47 庵仙さんからの漢詩 一 ] | (二十首連詩之二) | 福島県 | 2011.10.14 |
[48 庵仙さんからの漢詩 二 ] | (二十首連詩之六) | 福島県 | 2011.10.14 |
[49 庵仙さんからの漢詩 三 ] | (二十首連詩之十二) | 福島県 | 2011.10.14 |
[50 庵仙さんからの漢詩 四 ] | (二十首連詩之十八) | 福島県 | 2011.10.14 |
[51 仲泉さんからの漢詩 二 ] | 山梨県 | 2011.12.10 | |
[52 青山さんからの漢詩 ] | 山梨県 | 2011.12.31 | |
[53 杜正さんからの漢詩 二 ] | (新年漢詩から転載) | 茨城県 | 2012. 1. 1 |
[54 十三山さんからの漢詩 ] | (新年漢詩から転載) | 和歌山県 | 2012. 1. 1 |
[55 宏迂さんからの漢詩 ] | (新年漢詩から転載) | 大分県 | 2012. 1. 1 |
[56 点水さんからの漢詩 二 ] | (新年漢詩から転載) | 大阪府 | 2012. 1. 1 |
[57 茜峰さんからの漢詩 三 ] | (新年漢詩から転載) | 大阪府 | 2012. 1. 1 |
[58 藤城 英山さんからの漢詩 ] | (新年漢詩から転載) | 大阪府 | 2012. 1. 1 |
[59 禿羊さんからの漢詩 二 ] | (新年漢詩から転載) | 大阪府 | 2012. 1. 1 |
[60 俊成さんからの漢詩 ] | 宮城県釜石市 | 2012. 3.13 | |
[61 観水さんからの漢詩 一 ] | 千葉県 | 2012. 3.15 | |
[62 観水さんからの漢詩 二 ] | 千葉県 | 2012. 3.15 | |
[63 観水さんからの漢詩 三 ] | 千葉県 | 2012. 3.15 | |
[64 観水さんからの漢詩 四 ] | 千葉県 | 2012. 3.15 | |
[65 観水さんからの漢詩 五 ] | 千葉県 | 2012. 3.15 | |
[66 兼山さんからの漢詩 二 ] | 福岡県 | 2012. 5. 1 | |
[67 兼山さんからの漢詩 三 ] | 福岡県 | 2012. 5. 1 | |
[68 常春さんからの漢詩 三 ] | 静岡県 | 2012. 5. 6 | |
[69 サラリーマン金太郎さんからの漢詩 五 ] | 愛媛県 | 2013.10.16 | |
[70 玄齋さんからの漢詩 二 ] | 大阪府 | 2013.10.23 | |
[71 玄齋さんからの漢詩 三 ] | 大阪府 | 2014. 6.30 | |
[72 亥燧さんからの漢詩 ] | 愛媛県 | 2014. 6.30 | |
[73 玄齋さんからの漢詩 四 ] | 大阪府 | 2015. 4.14 | |
[74 亥燧さんからの漢詩 二 ] | 愛媛県 | 2015. 5.27 | |
[75 高明さんからの漢詩 ] | 神奈川県 | 2015. 9.21 |
いつもお世話になります。
東京の風雷山人です。
一応門下として消息をお伝え致します。
11日の東北地震で首都圏の電車が止まり、歩いて品川から大森の自宅に帰って以来、自宅で妻と事の成り行きを見守っておりました。
二人とも元気です。
隣の川崎市在住の知人宅では停電があったようですが、大森近辺は無傷で日常もそのままです。
今日は海外の知人に消息を知らせつつ、来日している外国人や海外にいる彼らの家族や友人向けに、英語での震災情報発信を行なっておりました。
同時に海外からの励ましのメッセージも頂きました。
すぐに返事が返ってくるので驚きです。
こちらの無事を知ると、皆さん、自分の事のように喜んでくださいました。
福島原発については海外の関心も高く、こちらもある程度遠いとはいえ心配が無い訳ではないので、まだまだ警戒しています。
電力供給も不足気味で、早ければ首都圏も明日から計画停電が行われる模様です。
不自由はしますが、なんとか乗り切っていく所存です。
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赤龍さんからのお手紙
私の住んでいるところは、水戸市と日立市の中間に位置している東海村で、震度は6とか言われていますが、その時家の中にいまして家が潰れるのではないかと思うぐらいの揺れが来て、外へ飛び出しました。
強い余震が続きましたので外に避難していて、暗くなってからは車に避難して、午後9時くらいに自宅に戻りました。
停電と断水となり、電気は13日の夜11時ごろ通電となりましたが、水道がいつ使えるようになるのか見通しがついていません。
水はコミュニティセンターへもらいに行っていますが、一人5リットルまでで水道が使えないので生活が不便で、みなさん難儀しています。
しかし、東北地方の被災者に比べれば贅沢は言っておられません。
日本人のそれぞれが皆協力し、頑張って立て直して行くしかありません。
お見舞い有難うございました。
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鮟鱇さんからの漢詩
[抱怨東北関東大震災 其一]
此處春風搖墓標, 此處では春風 墓標を搖らし,
奧州地震蕩山高。 奧州の地震 山の高きを蕩(うご)かす。
人聞海嘯襲閑晝, 人は聞く 海嘯の閑昼を襲い,
天洗江城沈怒濤。 天は洗ふ 江城の怒涛に沈むを。
電視通宵報災害, 電視 通宵 災害を報じ,
國民傷目悼同胞。 国民 傷目 同胞を悼む。
詩人無力空磨墨, 詩人 無力にして空しく墨を磨き,
寒苦將遒舊樂郊。 寒苦 将に遒(せま)らんとす 旧楽郊。
(中華新韻「六豪」平声の押韻)
大震災、被害を受けられた方にお見舞い申しあげます。
亡くなられた方々のご冥福をお祈り申しあげつつも、その無念、量り知れません。
「海嘯」: 津波。
「江城」: 河に面した町。
「電視」: テレビ。通宵:夜通し。
「舊樂」: ここでは昨日までの楽郊
「寒苦」: 厳しい寒さ。
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鮟鱇さんからの漢詩 二
[抱怨東北関東大震災 其二]
衆人期待櫻雲好, 衆人 桜雲の好きを期待するに,
東北古來災害多。 東北 古來 災害多し。
猛虎出山生地震, 猛虎 山を出でて地震を生じ,
放龍入海起鯨波。 放龍 海に入りて鯨波を起こす。
無能宰相避答辯, 無能なり 宰相は答弁を避け,
有恨遺骸浮水渦。 恨みあり 遺骸は水渦に浮く。
一億國民悼横死, 一億の国民 横死を悼めば,
千鍾血涙溢高河。 千鍾の血涙 高河に溢る。
(中華新韻「二波」平声の押韻)
「横死」: 災いによる異常な死。
「高河」: 銀河。
「無能宰相避答辯」:
大震災、今はまず日本の総力をあげて東北の艱難を克服しなければならない時期であるでしょう。
しかし、菅総理は、記者会見で国民に理解と協力を訴えただけで、あとは官房長官に任せ、記者の質問を受けずに引っ込んでしまいました。
言いたいだけのことをいって、あとは部下によろしく、の感に、現政権の現況を見る思いがしました。
ご無沙汰しています。[震災]
ニャースです。
今度の災害は言葉になりません。
中国の現地の方々からも多数のお見舞いの言葉をいただいております。
早い復興を祈ることしかできない自分が情けないです。
安否亳無祈仏神 安否 亳にも無く 仏神に祈る。
天明看惨恐慌生 天明 惨を看れば 恐慌生じ、
夜黒襲寒露宿辛 夜黒くして 寒襲えば 露宿辛し。
百里村庄埋瓦礫 百里 村庄 瓦礫に埋まり、
千年郷鎮化砂塵 千年の郷鎮 砂塵と化す。
季是開花躍動時 季は是 開花 躍動の時、
誰知此日只傷春 誰か知る この日 只春を傷むこと。
(上平声「十一真」の押韻)
猛り狂った津波が人を呑み込む。
多数の方の安否がわからず、神仏に祈るだけである。
夜が明ければ、惨状を目の当たりにして、再度 恐怖が生じ、暗くなれば寒さが襲い、野宿がこたえる。
美しい村落は瓦礫で埋まり、千年の美しい街、村は砂のようになくなってしまった。
季節は春で生命の躍動を感じる時なのに、春を傷むことになろうとは、誰が思ったであろう。
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楽聖さんからのお手紙
鈴木先生
ホームページは相変わらず暖かいですね。こんな時こそ漢詩の出番だと思います。
先日ついに全漢詩連に入会しました。作曲と漢詩に命をかけることにします。
今年は8月28日(日)の夜に東京の桜台のpoolというライブハウスでコンサートを開催します。地下鉄有楽町線か西武池袋線が乗り入れていると思いました。
9人のオーケストラによる交響曲第4番(協奏交響曲)『或る阿呆の物語』Op21(2011)を初演します。
3人の独奏者と6人のアンサンブルです。全6楽章の交響曲です。今、作曲に全力を尽していますけど、地震でごたごたしています。漢詩を2首地震関連のものを作詩しておりますのでいつか送ります。
そのうちの一つをこの交響曲で朗読する予定で、今、どの場面でするかを悩んでいるところであります。漢詩で復興を願うということにしますのでどういう風にしたらなるのか?
明るい笑いと勇気と希望と未来に発信できる何かを日々仕事中から考えています。
題名こそおかしいですけど、今、漫才師が笑いを作ろうと頑張っていますね。ああいうのと同じものです。
自分には詩と音しかすがるものがない。それ以外にできることがありません。
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兼山さんからの漢詩
古今未曽有の大災害を漢詩七絶に詠んだ。
被災者に成り代わって「神は何処に在すのか」と問うて見たが、この世には神も仏も存在しないのかも知れない。
もし、石原東京都知事が言う様に、日本人の心の垢、我欲、物欲を、津波を利用して洗い落すための「天罰」であるならば、東北・関東地方だけでなく、一挙に「日本沈没」して然るべきであろう。
流亡家屋作塵埃 家屋 流亡して 塵埃と作る
借問如何神否在 借問す 如何 神は在しますや否や
將憐慘状涕洟催 慘状 將に憐むべし涕洟を催す
(上平声「十灰」韻)
松島や嗚呼松島や春の雪
大津波來しみちのくに彼岸來る
「福島原発事故」は、どうしても詩には詠めない。本質的な(人為的な)問題点が不明だからである。「フクシマ」だけが騒ぎの渦中にあるが(恐らくは)作為的に報道されない「他の原発」は如何なのか。隣県の茨城には「東海村原発」も在る。
来月の統一選挙の論点が気になる。多分この災害を他人事の様に食い物にするであろう。子供手当の金額の多寡が問題ではない。総理の無能さを云々する場合ではない。現職総理を辞めさせて「即」有能な救世主が現れる筈はない。
「全面的に協力する」と公言しながらも「お手並み拝見」と言わんばかりに、そっぽを向いている野党の態度も大人気ない。マスコミの所為とばかりは言えないだろうが、都知事選に於けるタレント政治家の限界性は、既に経験済みである。選挙は人気投票ではない。
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鮟鱇さんからの漢詩 三
[願原發事故收束]
雲飛碧落就新晴, 雲は碧落に飛んですなわち新晴,
不見山河放射能。 見えず 山河に放射能。
科技百年輕海嘯, 科技 百年 海嘯を軽んじ,
原發一日害人生。 原発 一日にして人の生きるを害す。
士夫敢死封灰燼, 士夫 死を敢へてして灰燼を封ぜんとすれば,
妻子傷心信血誠。 妻子は心を傷むるも血誠を信ず。
萬衆祈求工奏效, 万衆 祈求す 工 效を奏し,
降魔齊放凱歌聲。 魔を降し斉放したし凱歌の声を、と。
(中華新韵十一庚平声の押韻)
<解説>
福島原発の事故対策で、命がけの労苦を積まれているみなさんに敬意を表します。感謝しています。
事故の現場で奮闘するみなさんの家族のご心労、いかばかりかとお見舞い申しあげます。
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青眼居士さんからの漢詩
[思大地震]
早春午下地紛囂 早春の午下地紛囂す
非獨摧殘與焔焼 独り摧残と焔焼とのみに非ず。
奔浪洶洶呑港市 奔浪洶洶と港市を呑み、
妖氛鬱勃上雲霄 妖氛鬱勃と雲霄に上る。
卒然殞命恨無盡 卒然の殞命恨尽くること無からん、
倏瞬喪親魂合銷 倏瞬にして親(しん)を喪ふ、魂合に銷ゆべし。
寒夜渇飢君勿嘆 寒夜渇飢君嘆くこと勿れ、
同胞必使迓:芳朝 同胞必ず芳朝を迓:(むか)へしめん。
大津波が船舶や住居や車を呑みこんで、ビニールハウスを薙倒しながら田畑を遡ってゆく光景と、ますます計りしれない原子炉からの放射能漏出の恐ろしさに、受けた衝撃はまだ鎮まりません。
[悼傷大震災]
壊崩地殻自然威 壊崩せる地殻 自然の威
被害深宏予測違 被害の深宏は 予測の違ひ
家族安危摧破累 家族の安危に 摧破の累
病躯疲弊薄寒霏 病躯疲弊に 薄寒の霏
涸枯燃料填充願 涸枯の燃料 填充の願ひ
被曝氾乎収結希 被曝の氾乎 収結の希み
支援絆覊温潤意 支援は絆覊す 温潤の意(こころ)
悼傷惨禍復興祈 悼傷す惨禍 復興の祈り
東北関東大震災に対し ただただ哀悼の心でいっぱいです。
原発事故はいまだ見通しがつきません。
復興まではまだまだ課題が山積みですが、一日も早くもとの元気な東日本に立ち上がれますことを切に願っています。
[刻下救助東日本大震災]
津波凄惨酷 津波 凄惨酷(むご)し
呑滅町村崩 町村を呑滅(どんめつ)崩さん
原発危機殖 原発 危機殖(ふ)え
人民被爆増 人民 被爆増(ま)す
史編安政焱 史編 安政の焱(えん)
故事稲叢灯 故事 稲叢(いなむら)の灯(ひ)
刻下早扶助 刻下(こっか) 早く扶助を
祈霊教訓恒 霊(みたま)に祈る 教訓は恒(つね)なり
【語意】
「呑滅」: ほろぼす
「殖」: ふへる、くさる
「刻下」: いますぐ
「恒」: いつまでも
【大意】
いますぐ救助が求められています。M九.〇という国内最大の地震による大津波の惨状は、凄惨を極めている。
多くの町村は津波に呑み込まれ壊滅的な事態になっている。
さらに原発の危機が次々広がり爆発、被曝する人が増え極めて危険な事態に陥っている。
歴史上、日本はこれまでも再三震災に遭っている。安政元年(一八五四年)の十一月には三回大地震に見舞われ、和歌山では津波が来ると、稲に火をつけ村民に知らせ救助したことが、「稲むらの火」の故事として伝えられている。
いま求められるのは、一刻も早い救援。
また亡くなられた人々の御霊に祈り、この傷ましい犠牲に報いるためにもいつまでもこの震災の教訓を後世に伝えていかねばならない。
【故事】
一八九六年、三陸地震津波は三万人もの人命を奪いました。
このニュースを知った小泉八雲は、明治より昔に紀州の五兵衛老人の津波から村民を守った話を聞いて「生き神様」を書きました。その後、和歌山の小学校の先生が、故郷にこんな立派な人がいたと「稲むらの火」の物語を書きました。
安政元年十一月大地震が起き、浜口儀兵衛が海を見ると潮が大きくひいており、これは大津波が来ると危機を感じた。しかし、村人はそれを知らなかった。
そこで、刈りとり束ねていたばかりの稲に次々と火をつけ、事態をしらせ、津波から村人を救ったお話です。
[東北大災害]
突然来襲大津波 突然の来襲 大津波
蝕地呑家黍又禾 地を蝕み家を呑む 黍も禾も
夜半月光避難所 夜半の月光 避難所
恐惶明日夢中過 明日を恐惶し夢中に過ごす
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仲泉さんからの漢詩
[悼大津波受難者]
逆水押流西又東 逆水押し流す西又東
嘬家呑圃一望空 家を嘬み圃を呑む一望空し
自然猛勢人声絶 自然の猛勢人声絶ゆ
只管鎮魂心有忡 只管鎮魂心"4545;有り
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常春さんからの漢詩
[東日本大津波]
海嘯巷村千里津 海嘯く巷村 千里の津
波翻一切弄居民 波は一切を翻し 居民を弄ぶ
死生応別毫厘距 死生応に別る 毫厘の距
勤懇捜羅暮復晨 勤懇たる捜羅 暮また晨
震災は 詩に尽くせません。津波一週間の模様を纏めました。
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展陽さんからの漢詩
[東日本大震災]
濤濤海嘯濁流麤 濤濤と海嘯の濁流は麤(あら)い
港市摧残瞬毀無 港市を摧残され またたく毀無にす
請莫傷神過懊嘆 どうか懊み嘆き過て 傷神せずに
官民協力拓新途 官民協力して 新途を拓こう
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薫染さんからの漢詩
[奥州東震災]
震揺頻發奧州東 震揺頻發す 奧州東
昨日繁榮滅暗中 昨日の繁榮 暗中に滅(き)ゆ
街市壞頽爲瓦礫 街市壞頽(かいたい)して 瓦礫と爲り
沃田消失變幽叢 沃田消失し 幽叢と變る
爐心傷損補修窮 爐心傷損 補修窮(きは)まり
放射混汚觀測洪 放射混汚 觀測洪(おほ)し
士氣曾津凌幕末 士氣の曾津 幕末を凌げば
復興胎動希望充 復興胎動し 希望充つ
未曾有の震災、東北の皆様に心からご同情申し上げます。
福島県原発による汚染は、追い打ちをかける痛恨事です。同県の母体となった会津藩は幕末維新の艱難辛苦を見事凌ぎました。会津の士魂を想起され、禍福と転じる復興に邁進されることを切にお祈り致します。
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常春さんからの漢詩
[津波TSUNAMI(世界漢詩同好會から転載)]
孜孜春午刻 孜々たり 春の午刻
海嘯噬哮窮 海嘯いて 噬哮窮める
千里岸津激 千里 岸津に激し
萬家波浪蒙 万家 波浪蒙る
死生毫末距 死生 毫末の距
緩急至公衷 緩急 至平の衷
忍耐避難庶 忍耐す 避難の庶
毅然倫序充 毅然として 倫序充つ
「噬哮」: 哮噬、たけりほえてかみつく、威力の猛烈なこと
「緩急」: 危急
「至公」: 至公至平
世界漢詩同好會参加詩から転載しました。
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道佳さんからの漢詩
[震災之命(世界漢詩同好會から転載)]
産声災刻恵慈充 産声は災刻 恵慈充つ
握手希望凝視瞳 手を握り希望の凝視せる瞳
一朶開花祈死者 一朶開花し 死者に祈る
万民生意活興隆 万民の生意活(よみがえ)り 興隆へ
【大意】
震災の中で生まれ出る。母はいっぱいの慈愛で抱きしめている。
しっかりと手を握り、じっと見つめる瞳に希望がある。
そして、今日津波に残った桜が一枝咲き、亡くなった人を祈るようだ。
多くの人の復興への気持がよみがえることを願う。
【語意】
「恵慈」: いつくしみめぐむ
「生意」: 万物が成長する力
世界漢詩同好會参加詩から転載しました。
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青眼居士さんからの漢詩
[春日書懐(世界漢詩同好會より転載)]
野花胡蝶町畦風 野花 胡蝶 町畦の風、
頭上禽聲摘草童 頭上の禽声 草を摘む童。
萬物生生萌動刻 万物生生 萌動の刻(とき)、
何如海畔禍難空 何如ぞ海畔禍難の空。
世界漢詩同好會参加詩から転載しました。
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劉建さんからの漢詩
[春日書懐(世界漢詩同好會から転載)]
芳菲地忽水翻洪, 芳菲の地 忽ち水洪(おお)いに翻り
花落村消瓦礫中。 花落つる村 消えゆ瓦礫の中
見惨浦令流涕涙, 惨浦を見し 涕涙流せしむ
咬龍去必道新通。 咬龍去り 必ず道新たに通ず
「咬龍」: 伝説の洪水を起させる龍。
世界漢詩同好會参加詩から転載しました。
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杜正さんからの漢詩
[春日書懐(世界漢詩同好會から転載)]
烈震高濤瓦礫中 列震 高濤 瓦礫ノ中
渇飢凍夜軆疲窮 渇飢 凍夜 軆疲窮マル
週明春色吟情動 週明ケレバ 春色吟情動ク
天帝何図仰蒼穹 天帝 何ゴトカ図ラン 蒼穹ヲ仰グ
3月11日の震災では、大きな揺れが続き、次に津波が襲ってきて、海辺の町は瓦礫と化しました。
避難先では、飲むものも食べるものも少なく、また、暖房も少ないため凍えるような一夜を明かし、疲労の極でした。
しかし、ようやく週が変わると、外は急に春めてきて、この課題を思い出し、詩を作ってみようかとまで思うようになりました。
震災の次に春と、いったい天は何を考えているのでしょうか?
世界漢詩同好會参加詩から転載しました。
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鮟鱇さんからの漢詩
[春日書懐(世界漢詩同好會から転載)]
人待櫻雲涌, 人は櫻雲の涌くを待つも,
春來海嘯攻。 春來たりて海嘯攻む。
悲哉新鬼仰, 悲しき哉 新鬼 仰げば,
朧月似天公。 朧月 天公に似る。
世界漢詩同好會参加詩から転載しました。
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鮟鱇さんからの漢詩
[春日書懐(世界漢詩同好會から転載)]
千丈鯨波襲日東, 千丈の鯨波 日東を襲ひ,
萬民血涙洗天公。 萬民の血涙 天公を洗ふ。
山收棺柩浮煙海, 山は棺柩の煙海に浮くを收め,
應恨櫻雲流碧空。 應に恨むべし 櫻雲の碧空に流るるを。
世界漢詩同好會参加詩から転載しました。
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鮟鱇さんからの漢詩
[春日書懐(世界漢詩同好會から転載)]
首都萬衆怕春風, 首都の萬衆怕る 春風を,
放射灰塵從北東。 北東よりの放射灰塵を。
科技百年輕海嘯, 科技 百年 海嘯を軽んじ,
自然一日毀人工。 自然 一日 人工を毀(こぼ)つ。
核能電站無電力, 核能の電站に電力なく,
堆裡水漿流水中。 堆裡の水漿 水中に流る。
河岸櫻雲涌仍舊, 河岸に桜雲涌いて旧に仍り,
飛花如雪舞蒼穹。 飛花 雪のごとくに蒼穹に舞ふ。
世界漢詩同好會参加詩から転載しました。
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禿羊さんからの漢詩
[平成辛卯春日書懐(世界漢詩同好會から転載)]
神州春盛至酸風 神州 春盛りなるに 酸風至り
魍魎狂猖滅北東 魍魎 狂猖して 北東滅す
今日彼天塗炭雪 今日 彼の天 塗炭の雪
窓前蘚上落花紅 窓前 蘚上 落花紅なり
世界漢詩同好會参加詩から転載しました。
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桐山人からの漢詩です
[大地震(世界漢詩同好會から転載)]
地立天傾眩暈窮 地は立ち 天は傾き 眩暈窮まる
萬餘人影激波中 萬餘の人影 激波の中
街家崩壊化岩礫 街家は崩壊し 岩礫と化し
船馬漂流過樀櫳 船馬は漂流し 樀櫳を過る
千歳安寧如幻夢 千歳の安寧 幻夢の如く
百年災禍更冥朦 百年の災禍 更に冥朦
北邉山野春來晩 北邉の山野 春の來たること晩く
只看老桜花一紅 只だ看る 老桜の花一紅
「地立天傾」: 日本・成島柳北『地震行』の「地忽立天忽傾」より
「樀櫳」: 軒と窓
世界漢詩同好會参加詩から転載しました。
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秀涯さんからの漢詩
[三月十一日未曾有災害被東北地方北太平洋沖地震並原発事故一月余]
列島分崩惨状窮 列島ハ分崩サレ惨状、窮マリ
港湾万里一望空 港湾、万里一望ハ空シ
人人救護非容易 人々ノ救護ハ、容易非ズ
必待和衷再起風 必ズ待タン 和衷シテ再起ノ風
心から被災された皆様にお悔やみと激励の言葉を贈ります!!
三月十一日未曾有災害被東北地方北太平洋沖地震並原発事故一月余
(震災と予期せぬ原発事故の三重被災、懸命の救助活動も遅遅として感じられ、心痛む日々となっています)
列島ハ分崩サレ惨状、窮マリ
港湾、万里一望ハ空シ
(眼に入る全ての港は無残にも打ち砕かれている)
人々ノ救護ハ、容易非ズ
必ズ待タン 和衷シテ再起ノ風
(日本人のそして、世界の心を一つにして、再生の道を築くその覚悟をこの東京でも微力を尽くしたい!その祈りを込めて)
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道佳さんからの漢詩 三
[吹起被災地再興之風]
冷酷爪痕傷損氷 冷酷なる爪痕 傷損し氷る
不行消索俟望灯 消索を行(ゆる)さず 俟望(しぼう)の灯
回生万緑我郷里 回生せん 万緑の我が郷里を
再起薫風催復興 再起の薫風 復興を催(うなが)さん
「爪痕」: つめあと
「傷損」: きずつきそこなう
「消索」: きえつきる
「俟望」: 期待してまちのぞむ
「回生」: よみがえる
大震災の冷酷な爪痕は、傷つき損ない氷ってしまいそうだ。
みんなが待ち望んでいる復興への希望の灯を消すことはできない。
甦らそう、緑いっぱいのわが郷里を。
再起の薫風が吹きおこり、被災地で人々のための復興が進められんことを願う。
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点水さんからの漢詩
[福島原発事故]
海嘯残傷反應堆 海嘯は残傷す反應堆
周辺民衆苦汚埃 周辺の民衆 汚埃に苦しむ
安全神話如今毀 安全神話はいま毀れたり
忘却謙虚招大災 謙虚を忘却 大災を招く
「反応堆」: 原子炉
「汚埃」: 放射性物質の塵埃
この事故がどう収束するか、大変気がかりです。
技術過信の上で安全神話をつくりあげ、過去の津波の威力を軽視したことに、大きな原因があろうかとおもいます。
今後、自然の威力に対して、謙虚さを忘れないことが大切なことでしょう。
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深渓さんからの漢詩
[憂天災与人災(天災と人災とを憂ふ)]
海嘯巷村傾奥州 海嘯 巷村 奥州を傾す
港湾千里没泥流 港湾 千里 泥流に没し
噴烟猛毒未知熄 猛毒を噴烟させて未だ熄を知らず
英断敏行興復求 英断 敏行 興復を求む
あの津波で海辺の街や村否奥州を覆し泥流に没れさせた。
はたまた、原発事故は人災なり。猛毒を撒き散らし未だに終息の目処がたたない。
為政者の英断と敏行を促し速やかな再生復興を望む
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謝斧さんからの漢詩
[地震行 東日本大震災]
奥羽春浅雪未消 奥羽春浅く 雪未だ消えず
三陸海岸鮮魚饒 三陸の海岸 鮮魚饒し
午余風静波浪穏 午余風静かに波浪穏やか
漁夫投網舟順潮 漁夫網を投じて 舟潮に順ふ
忽驚大地起激震 忽ち驚く大地激震起こり
眼前光景誰可信 眼前の光景 誰か信ずべきや
崖崩地裂城市焼 崩を崖し地を裂いて 城市を焼き
倒壊家屋帰灰燼 家屋を倒壊させては 灰燼に帰す
震餘更恐驚濤来 震餘更に恐る 驚濤来たり
萬畳如山石堤隤 萬畳山の如く 石堤を隤す
水都萬戸沈蒼海 水都の萬戸 蒼海に沈み
人呑奔流座視哀 人は奔流に呑まれ 座視哀し
返潮四顧市街惨 潮返り四顧すれば 市街惨たり
尽化瓦礫傷万感 尽く瓦礫と化して 万感傷む
忍見海上多溺屍 忍くも見る 海上 溺屍多く
溺屍幾萬砕心胆 溺屍 幾萬 心胆を砕く
骨肉離散問安危 骨肉は離散して 安危を問ふも
未無消息報道遅 未だ消息無く 報道遅し
相呼哀叫声摧裂 相呼び哀叫すれば 声摧裂し
五内摧敗雙涙垂 五内は摧敗して 雙涙垂る
殊哀少児失怙恃 殊に哀れむ 少児怙恃を失ひ
未知阿母已溺死 未だ知らず 阿母已に溺死するを
空曳人裾何欲伝 空しく人裾を曳いては 何をか伝へんと欲っすも
傍人欲尋嗚咽耳 傍人尋ねむとしては 嗚咽するのみ
生者尚苦苛飢寒 生者尚ほ苦しむ 飢寒に苛なまれ
雖逃鬼手多辛酸 雖鬼手を逃れんとするも 辛酸多し
渇無飲料飢無食 渇しても飲料無く 飢へても食無し
縦得仮寓心難安 縦へ仮寓を得ても 心は安じ難し
如此災禍人泣哭 此の如き災禍 人は泣哭し
看目惨状空掩目 目に惨状を看ては空しく目を掩ふ
争応救援送資糧 争って救援に応じては資糧を送り
人人唯願復興速 人人唯願ふは 復興の速しを
無奈政府尚糊塗 奈んともする無し 政府尚ほ糊塗たり
宰相無能甚凡愚 宰相無能にして甚だ凡愚
恋恋盗位面皮厚 恋恋位を盗んでは 面皮厚く
暗澹国歩一嗟吁 暗澹たる国歩 一に嗟吁す
冗子終日心不楽 冗子終日 心楽しまず
七字書憤濁酒酌 七字憤を書して濁酒酌まん
詩成酔余為一歌 詩成て酔余 為に一歌すれば
憂国慷慨有誰託 国を憂ひ慷慨して 誰有りてか託さん
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謝斧さんからの漢詩
[原子炉崩壊 東日本大震災]
三陸港都激震後 三陸の港都 激震後
狂濤摩天似雷吼 狂濤天を摩して雷吼似たり
忽失川途呑市街 忽ち川途を失ひては 市街を呑み
如此災禍未曾有 此の如き災禍 未だ曾て有らず
原子炉屋甚堅牢 原子炉屋 甚だ堅牢
不耐激震缺炉槽 激震に耐へず 炉槽缺く
炉心溶融無由冷 炉心溶融するも冷すに由し無く
無奈放射線量高 奈んともする無し 放射線量の高しを
人恐被曝去故土 人被曝を恐れて 故土を去り
即棄生業慮労苦 即は生業棄てて 労苦を慮る
難防拡散放射能 防ぎ難きは 放射能の拡散するを
已無居人幾萬戸 已に居人の無きは 幾萬戸なり
已乎邦家累卵危 已乎 邦家累卵の危ふきに
廟堂拱手人怨咨 廟堂手を拱きては 人怨咨す
唯有政争無政策 唯政争有りて 政策無く
廟議混迷講策遅 廟議混迷して 策を講ずること遅し
宰相糊塗尚老獪 宰相糊塗にして尚ほ老獪
政府報道軽災害 政府報道す 災害の軽しを
人人安堵撫心胸 人人安堵して 心胸を撫で
世論漸知事重大 世論漸く知る事の重大を
報道難伝事局真 報道するも 伝へ難きは事局の真
何事虚偽欺人民 何事ぞ虚偽をして人民を欺く
至此事事初露見 此に至り 事事初めて露見し
復興災地艱難新 災地を復興に 艱難新し
賈嗤海外又無奈 海外に嗤を賈つては又奈とも無し
廟堂無人誰能那 廟堂に人無く 誰か能く那んせん
以弁飾非不堪任 弁を以つて飾を非るも任に堪ず
恋恋欲盗宰相座 恋恋として盗まんとす宰相の座
看眼時事怒不収 眼に時事を看ては怒り収まらず
伴食宰相是国讎 伴食の宰相は是れ国讎なり
草屋何堪空座視 草屋何ぞ堪へん 空しく座視するを
冗子呑声国歩憂 冗子声を呑みて国歩憂ふ
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謝斧さんからの漢詩
[地震行 国歩難編]
海内政情多事時 海内の政情 多事の時
日本国歩累卵危 日本の国歩 累卵の危
廟堂無人奈社禝 廟堂人無く 社禝奈ん
草茅危言慷慨悲 草茅に危言して 慷慨悲し
徒弄詐言多虚詭 徒に詐言を弄して 虚詭多く
恋恋盗位不知恥 恋恋位を盗んで 恥を知らず
宰相無能難堪任 宰相無能 任に堪へ難く
国蠧拱手災民死 国蠧手を拱ねいて 災民を死(ころす)
被災窃笑是好機 災を被むりて窃かに笑ふ 是れ好機なりと
巧逃退陣民意違 巧に退陣を逃れては民意と違ふ
失言失政又失態 失言 失政 又失態
揶揄醜聞賈嘲譏 醜聞を揶揄しては嘲譏を賈ふ
廟堂混迷誰可罰 廟堂混迷 誰か罰すべけんや
不省災地多病歿 災地の病歿の多きを省みず
原子炉心隠溶融 原子炉心の溶融するを隠し
市井鼎沸脱原発 市井は鼎沸す 脱原発を
股肱建議説安全 股肱建議す安全を説くを
宰相返汗何平然 宰相汗を返しては 何ぞ平然たり
宛似登屋外梯子 宛も似たり 屋に登りて梯子を外し
自縄自縛又迍邅 自縄自縛して又迍邅す
媚民声高説災後 民を媚び声高に 災後を説くも
焦眉災禍易噤口 焦眉の災禍に 口を噤み易し
動欠熟慮弄放言 動すれば熟慮を欠きて 放言を弄し
専政宰相面皮厚 専政の宰相 面皮厚し
「返汗」: 一度命令したものを反故にする 「綸言如汗」
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玄齋さんからの漢詩
[初夏偶吟(憶東日本大震災)]
初夏報晨鶏語横, 初夏 晨を報じて鶏語横たはり,
雨餘農畝曉雲晴。 雨餘の農畝 暁雲晴る。
幾望老叟荷鋤圃, 幾たびか望む老叟 鋤を荷ふの圃,
欲聽豐年撃壌聲。 聴かんと欲す豊年 壌を撃つの声。
地震罹災窮未脱, 地震 災に罹りて 窮 未だ脱せず,
民貧持節盗無生。 民貧しくも節を持節して 盗 生ずること無し。
朝餐粒粒皆辛苦, 朝餐 粒粒 皆 辛苦なり,
一食毎懷憂國情。 一食 毎に懐ふ 国を憂ふるの情。
「撃壌」: 壌(じょう)という土製の楽器を鳴らし、あるいは、地面を踏んで拍子を取って歌うことです。
これは古代中国の伝説の帝王の尭の時代を讃えた言葉で、天下太平で、民衆が生活を楽しんでいることのたとえです。
「粒粒皆辛苦」: 唐の李紳の五言絶句、『憫農 其二』より、「鍬禾日當午,汗滴禾下土。誰知盤中餐,粒粒皆辛苦。」
私が入院している間に震災が起こって大変胸が痛みました。
被災地で辛い日々を送られている中で、復興に向けて立ち上がろうとしている方々には本当に頭が下がります。
現在も入院中ですが、私も一人の人間として、何ができるのかをもっとしっかりと考えていかなければと、改めて思います。
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楽聖さんからの漢詩
[三月十一日]
失言連日是何災 言うことを失ふ連日 是れ何の災ひぞ
生死難図苦悶催 生死図り難く苦悶催す
一億国民多落涙 一億国民落涙(らくるい)多し
深更夢覚不堪哀 深更(しんこう)夢覚めて哀しみに堪えず
言うことを失うくらい最悪の事態があったというのを連日の報道で感じました。
友人も苦しんでいます。
原発問題とかありますけど、事態はまだ安心できません。これは直後に書いたものですけど、時事というのは難しい課題だと言えるでしょう。
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謝斧さんからの漢詩
[地震行其三 仮寓編]
市街呑尽逼奔濤 市街呑み尽して奔濤逼り
母子相呼携手逃 母子相呼びて 手を携えて逃げん
小児無力竟分手 小児力無く 竟に手を分ち
阿母免死苦心労 阿母死を免がれて 心労に苦しむ
泣哭如狂憫吾幼 泣哭狂うが如く 吾幼を憫む
却恨児死我獨救 却って恨む 児死して 我獨り救われるを
難忍壊屋遺老親 忍び難きは 壊屋老親を遺すを
傍人呑声空俯首 傍人声を呑みて 空く首を俯れる
災餘百日仮寓身 災餘百日 仮寓の身
空懐旧時多傷神 空しく旧時を懐えば 神を傷めること多し
毎問安否無消息 毎に安否を問うも 消息無く
如是天殃是何因 是の如き天殃は 是れ何んの因ぞ
仮寓譁然無安息 仮寓譁然として 安息無く
暑気難耐慣少食 暑気耐え難し 少食に慣れ
児童得友遊嬉多 児童友を得ては 遊嬉多しも
今日災禍未知得 今日の災禍 未だ知るを得ず
災人劬労忍天殃 災人劬労して天殃忍び
何日復興得安康 何日か復興して 安康を得ん
陳情不解仮寓苦 陳情するも解せず 仮寓の苦
政策疎漏政争忙 政策は疎漏しても政争忙がし
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桐山人からの漢詩
[秋懷]
西風颯颯暑威雍 西風颯颯 暑威雍らぎ
石砌無人頻乱蛬 石砌 人無く 乱蛬頻り
今夕月光周皓皓 今夕の月光 周く皓皓
当年民思久恟恟 当年の民思 久しく恟恟
暴濤千里海村憒 暴濤千里 海村憒れ
激雨萬砂山邑衝 激雨 萬砂 山邑衝つ
未息憂愁四時斡 未だ憂愁
一吟傷悼為君供 一吟の傷悼 君が為に供せん
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清穹さんからの漢詩
[東日本地震.津波.原発]
千丈高濤襲日東 千丈の高濤 日東を襲ひ
嘬家呑圃眺望空 家を嘬み圃を呑み眺望空し
噴烟原発未知熄 噴烟の原発 未だ熄を知らず
應恨汚塵流碧穹 応に汚塵の碧穹に流るるを恨むべし
北関東・東北地震により広範囲に大津波が襲い、沿岸の家・畑を呑み尽くして見るも無惨で空しい。
更に原発の目には見えない猛毒の噴煙が何時治まるかも分からない。
まさに放射線量が青空に飛び交うをジッと恨むしかない。
[鎌倉鶴岡八幡宮御神木倒壊即事]
翠洱朱棚萬樹張 翠榭朱棚(すいしゃしゅほう)萬樹張(は)る
春風占斷武家堂 春風占断す 武家の堂
公卿往時逢災難 公卿 往時 災難に逢ひし
巨木千年一夜殭 巨木千年一夜にして殭(たお)るとは
「翠榭朱棚萬樹張」: 鎌倉市の中心部高台にある朱塗りが目に鮮やかな鶴岡八幡宮の社殿が、大銀杏をはじめさまざまな樹木の中に鎮まっている様。
「武家堂」: 鎌倉時代以降の武家社会に於いて人々とりわけ武家源氏の崇敬を集めた神社。
つまり、鶴岡八幡宮は源氏の氏神である。康平六年(1063)に当時の清和源氏の棟梁・源頼義が、山城の石清水八幡宮(京都府八幡市)の分霊を鎌倉に勧請した大社である。「公卿往時逢災難」: この公卿とは源実朝。暗殺実行犯のくぎょうは「公暁」なり。
建久二年(1191)の大火で社殿が炎上するが、五代後胤の頼朝によって、より豪奢に再建された。
「鶴岡八幡宮(Wikipediaより)」
「鶴岡八幡宮(公式ホームページ)」
建保七年(1219)1月27日、源実朝の右大臣拝賀の式典が鶴岡八幡宮で行われた。この式典は、日没後に行われたと言うことである。数日前から降っている雪で積雪が約60cmほどの中で惨劇が起こった。
式典が終わった後、実朝が退出して石段を降りているとき、今回倒壊した大銀杏の陰に身を潜ませていた実朝の甥(実朝の兄の頼家の子)の覆面法師・公暁が一瞬のうちに実朝と警護役の中原仲章を殺害、 しかも実朝の首を切り取って逃走した凶変を指す。享年28歳。
(中略)はたして今、「国語」の出番はあるのだろうか、被災者に必要なのは命をつなぐ水や食料、暖衣であって、百万言を費やしても言葉は何の支援にもならないのではないかーそんな思いに駆られていった。文壇の大御所に比するのは誠に恐縮の極みであるが、震災直後の私の書感はまさに上記に記されたごときであって、漢詩家といってもアマチュアの域を到底脱しえない凡夫の我が身にあって、しばらく歳月が流れて心の平衡感覚を取り戻し一片の拙詩が成ったとしても、それを被災者の目に触れるホームページにアップされることを潔しとはしなかった。
同じように酸鼻を極めた関東大震災で、もう2,30分も遅ければ自分も煙に巻かれていたという菊地寛は、『災後雑感』に次のように記した。
「今度の震災では、人生に於て何が一番必要であるかと云うことが、今更ながらに分かった。生死の境に於ては、ただ寝食の外必要なものはない。食うことと寝ることだ。」「『パンのみに生くるものに非ず』などは、無事の日の贅沢だ」。
文壇の大御所が文芸の無力を嘆いたのである。
(産経2011/5/9頁9:国語逍遥14−希望を結べる言葉がほしい−清湖口敏)
(前掲記事の続き)さて、このような論調に後押しされ、心に平常心を取り戻しつつあったころ、我が師である伊藤竹外先生が月例の学習会でこう述べられた。
そんな菊池寛に反論したのが同じ小説家の広津和郎だった。
『非難と弁護』にいわく、「火に責められているものには水こそ救いであり、餓に泣いているものにはパンこそ救いであり、それと全く同じ意味で芸術の渇きを感じているものには、芸術こそ救いである。それは別々に考えなければならない。」
私は今、改めてこの一節を読み返しつつ、一つのことを再確認しているところだ。それは、生死の境においては水も食料も確かに重要ではあるが、それでも切実に「言葉」を待っていた人もいたろうし、「言葉」によって生きる力を取り戻した人も少なくなかったに違いないーということである。
(産経2011/5/9頁9:国語逍遥14−希望を結べる言葉がほしい−清湖口敏)
五七五のリズムは大震災にも揺るがない−。
大切な人を亡くした喪失感や震災で受けた悲嘆を和らげ心の傷を癒やすため、俳句や川柳、短歌の役割が注目されている。自分が置かれた境遇を凝縮された言葉に投影させる。甚大な被害をもたらした東日本大震災は詩歌のモチーフとなり、日本人に連綿と受け継がれてきた「詩歌を愛する心」を通じて生きる指針を探っている。
(中略)
震災後、「応援の一句」を呼びかけたのは、新葉館出版(大阪市東成区)の『川柳マガジン』だ。「たった17音で心を動かすことのできる川柳で、被災者に精一杯のエールを送りたいと企画した」と編集部。当初は「句を作る気持ちになれない」という川柳ファンの声もあったが、震災から3ヵ月約500句が寄せられた。6月号からは「被災地からの一句」を募集。その時、その場所にいるからこそ感じられる生の声を募っている。
一方、俳人の長谷川櫂さん(57)は短歌の形式で『震災歌集』(中央公論社、1155円)を編んで話題を呼んでいる。本のあとがきに「今回の大震災は人々の心を揺さぶり、心の奥に眠っていた歌をよむ日本人のDNAを目覚めさせた」と記している。
随筆「病牀六尺」で知られる正岡子規は晩年、死のふちにあるときも庭をながめる余裕とユーモアの精神を忘れなかった。子規のみならず、生死の危機にあるときに「辞世の句」を遺言のように残してきたのも同じ日本人である。
子規に関する多くの著書がある俳人の坪内稔典さん(67)は「被災された方にとって、同じ木々の青葉を見ても、震災の前と後では違って見えるだろう。それぐらい日本人の心に深く、ゆっくりと影響を与えているのが東日本大震災だ。俳句という17文字の制約の中で、現在の心境を表現することは簡単なことではない。決して急ぐ必要なない。言葉を十分に斟酌しながら詩歌に向き合っていくことも大事だろう」とアドバイスする。
(産経2011/6/22頁18:東日本大震災今何ができる−日本人に根付くリズム・詩歌は悲嘆和らげ、心の傷癒やす−日出間和貴)
[鎌倉鶴岡八幡宮大公孫樹之奇跡]
巨幹盤根銀杏殭 巨幹 盤根 銀杏殭たお)る
夜來颶氣遇猖狂 夜来の颶気(ぐき) 猖狂(しょうきょう)に遇(あ)ふ
更新萌蘖~威漲 更新萌蘖(ほうげつ)神威漲(みなぎ)り
復舊天災待瑞祥 天災を復旧して瑞祥を待つ
「巨幹盤根銀杏殭」: 前掲関連詩参照。震災一年前に何と御神木が倒壊していた。
「在りし日の大銀杏の雄姿(鎌倉歴史紀行&江ノ電レイアウト作製記 - Das Schlupfloch des Mannes
〜北条四郎のブログ - 楽天ブログ(Blog)より)」
[奥州大震災書感]
崩屋埋人海嘯飜 屋を崩し人を埋め海嘯(かいしょう)飜(ひるがえ)る
何銷何屈大和魂 何ぞ銷(しょう)せん何ぞ屈せん大和魂
倶誓再生萌蘖訓 倶に再生を誓ふ萌蘖(ほうげつ)の訓(おしえ)
八幡廟社守~源 八幡廟社神源を守る
これも鎌倉の八幡宮大銀杏の奇跡事象を通して、被災地とともに日本国民は一致団結して頑張ろうというエールを仮託したものです。
「萌蘖訓」: 神道では常に新しい息吹を大切にします。別名常若(とこわか)の思想。次代に世代交代をすべく(永遠に種子を残すべく)親である大銀杏は千年の寿命を散華させたが、ただ倒壊枯死しただけでなく、ちゃんと次代千年を担う若芽を内包顕現させたこと。まさに震災の再生復興の象徴事象である。
「鶴岡八幡宮で大銀杏の祈願祭 倒木から1年、再生願う(静岡新聞)」
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サラリーマン金太郎さんからの漢詩
[辛卯端午陸前書懷]
海嘯襲來千屋呑 海嘯襲来して千屋を呑み
人車船舶盡無痕 人車船舶 尽(ことごと)く痕無し
愛兒未返双親歎 愛児未だ返らず双親の歎き
只抗薫風鯉幟翻 只薫風に抗(さから)って鯉幟(りし)翻(ひるがえ)るのみ
最愛の我が子を今回の震災で失った世帯がいくらありましょうか。
我が身を犠牲にしてでも子供を守ってやりたい親情からすれば、やりきれない日々だと拝察します。
無事の帰還を信じてこいのぼりを揚げて、せめて跡形のない我が家の道しるべとしています。
あるいは、既に最悪の結果を迎えたご家庭では、このこいのぼりは、まさに鎮魂の御旗です。
そして、吹き抜ける風に抗って泳ぐ夫婦親子鯉の姿は、まさしくこの未曾有の難局試練にさいなみもまれならも抗して生きる被災者の方々の姿でもあります。
このお盆を迎えて未だ遺体すら発見されないわが子の奇跡の生還を一縷の望みとして、死亡届も出していなかったお母さんが、この子だけ新盆の法要ができないのは尚不憫と、ようやく仏壇に位牌を迎え念佛をささげ、仮設住宅の軒先には「盆提灯」が吊るされた映像をテレビで見ました。
「まよわず、ここへ戻っておいで」という親情に胸が打たれました。
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茜峰さんからの漢詩
[四歳児抱父之遺影]
包懐写照小童児 写照を包懐す 小童児
想起温柔父恵慈 想起す 温柔なる 父の恵慈
納骨未行原発里 納骨 未だ行へず 原発の里
応盟無核久安期 応に盟ふべし 無核 久安の期を
「包懐」: 思いを胸に包み抱く
「写照」: 肖像を描いたもの または写したもの。写真。
七月初め、福島県南相馬市で行われた慰霊祭の記事が新聞に出ていた。
母の膝の上で「パパ」と言って父の遺影を抱きしめている四歳男児の写真を見て、胸が締め付けられる思いがした。
写真を抱きながら父の肌の感触や慈愛の姿を思い出しているのだろう。
父親は地震か津波で亡くなったのだろうが、墓は警戒区域内で納骨も出来ないという。詳しくは書かれていないが、おそらく自宅で暮らしていないだろう。
これだけの衝撃的な事件に出合ったこの子は今後どのように生きていくのだろうか。
私たちは今こそ核のない社会を目指すことを肝に銘じなければならない。
[東日本大地震]
地震波猖千里頽 地震(ふる)へ 波猖(くる)ひ 千里頽る
長閑集落瞬時災 長閑な集落 瞬時の災ひ
難民救援情公衆 難民 救援 公衆の情
切願故園安住來 切に願ふ故園 安住の來たるを
千年に一度と云う東日本の災害。悲惨な状況、住民の困窮など連日のほ報道に胸が痛む。全国民が一日も早い復興を願っている。
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洋靖(芙蓉漢詩会)さんからの漢詩
[東北大震災]
電影描毫事實疑 電影の描毫 事実かと疑ふ
津波一瞬市街褫 津波一瞬 市街を褫ふ
不明死者何千萬 不明死者 何千万
切願復興倶笑時 切に願ふ復興 倶に笑ふ時
テレビで町や家 車 船 あらゆるものが一瞬にして流されて行く影像を見て これは何だとわが目を疑った。
「電影」: テレビ
「描毫」: ものすごさを写し画く
「褫」: さっとうばう
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青淵(芙蓉漢詩会)さんからの漢詩
[思東日本大震災]
地搖海嘯呑邦土 地は揺れ 海嘯 邦土を呑み
幾百萬人災禍遺 幾百万人 災禍遺る
可憐擧世嘆傷處 憐れむべし世を挙げて嘆傷する処
廢址櫻花隨例奇 廃址の桜花 例に随いて奇なるを
この度の東北太平洋地方の大震災はまことに心痛むことだった。そして東海大地震を控えて?、他人事ではない。テレビをみていて、廃墟の中に残って咲く桜の花が妙に心に残った。
「海嘯」: つなみ
「随例」: 去年と同じに
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庵仙さんからの漢詩
[核溶解(二十首連詩之二)]
陸奥震災後 陸奥 震災の後、
先来放射能 先づ来たるは 放射能。
核溶流下漏 核溶け 流下して漏れ、
拡散脅威徴 拡散して 脅威の徴(きざし)。
生命危機迫 生命の 危機 迫り、
全村退去兢 全村の 退去 兢(おそ)るる。
乳牛汚染乳 乳牛は 汚染の乳、
野菜線量増 野菜は 線量増え。
地面兼空気 地面 兼(と) 空気と、
繋囚原発縄 原発の縄に 繋囚(けいしゅう)される。
此傷奔世界 此の傷 世界を奔り、
何奈意稜稜 何奈(いかんせん) 意 稜稜(りょうりょう)。
福島にお住まいの庵仙さんからお手紙をいただきました。
震災以降、福島の原子力発電所事故が日本だけでなく世界中に大きな波紋を起こしています。発電所の近くにお住まいの方々のご苦労は私たち遠くの者には計り知れないほどだろうと推察します。
庵仙さんのお手紙とともに、お作りになった連詩を、庵仙さんのホームページから転載させていただきました。
二十首連詩とのことですので、全部はご紹介できませんが、数首を載せます。
暫くご無沙汰をしていました。いつも立派な事業拝見しております。
福島の庵仙です。今回の地震で、屋根の瓦が落ち家財も少し壊しましたが、修繕をし、何とか住める状態です。
それ以上に参っているのは、事故のあった原子力発電所からは45キロの所に住んでいることです。私のところのとなりの郡や市は待避していますが、今後もどうなるかわかりませんが、連日放射能を浴びています。
しかし、これも生きているうちの体験と思い、悲しんではおりません。
家を流されたり、住んでいたと地さえなくなった人が大勢います。
わたしは五体満足なので、被災地の応援に行きたいのですが、邪魔にされるかと思い行けません。漢詩で記録に残したいと思い書き始めました。
この震災に関連する漢詩を20首ほど作りましたので、ご覧下さい。
《語訳》
*流下=核燃料棒のメルトダウン。
*稜稜=寒さが厳しいさま。
*能・徴・兢・増・縄・稜は「下平声十蒸」韻
《試釈》
東日本大震災が起きた後、
先づ来ることは放射能である。
核燃料棒が溶け、メルトダウンし、外部のも漏れる。
それが遠くまで拡散して、脅威の徴しがある。
生命のへの危機が迫り来ている。
全村の退去しなければという戦々恐々という現状である。
乳牛を絞れば、汚染の乳であると刻印され、
野菜は収穫すれば線量が増えている状態。
地面と空気と全ての周囲が、
原発の縄に繋ぎ囚われている。
此の傷が世界を奔り、欧州の方でも震撼させている。
この厳しい現状をどうすれば良いというのであろうか。
《コメント》
メルトスルーとかメルトダウンという言葉は初めて聞いた。
そういえば「核」のことはいままであまり知らないといった方がよいほどであった。核施設のことだって、見学に行ったこともあるし、パンフレットももらった。漏れてもまさかと、他人事のようであった。
そしていま、福島原発から40kmの距離にある私の家の庭の線量を測ると、2.5マイクロシーベルト(μSv)あるという。この単位だって知らなかった。庭に出ても何の変化もない。近くの農家の乳牛は元気であるが乳が汚染されているという。売り物ならないので、嘆いている。空気をみても雨が降れば濡れる。しかし放射線に汚染された空気と言われても日常生活には何の変化もない。しかし縛られている。逃げ出すこともできず、汚染されながら一緒に生活している。
庵仙さんのホームページの目次を載せておきますので、他の詩もご覧下さい。
「震災関連詩二十首目次」
「連詩について」
「1 自力復興」
「2 核溶解(メルトスルー・メルトダウン)」
「3 奉仕活動(ボランテア)」
「4 殺人菌恐怖(人食いバクテリア)」
「5 激励興行」
「6 原発被爆」
「7 捜索活動(人命救助)」
「8 弱者の嘆き(ハンデイキャップ)」
「9 避難生活(ライフライン)」
「10 株主総会」
「11 内部被爆」
「12 先人の教え」
「13 節電(エコライフ)」
「14 悲しき転校児」
「15 マイナスボラ(騙す心)」
「16 探査に挑む(決死隊)」
「17 地盤沈下」
「18 故郷を離れる」
「19 尊い命消ゆ(殉職)*現在リンク不良」
「20 放心の災い《番外編》」
[原発被爆(二十首連詩之六)]
陸奥震災後 陸奥 震災の後、
先来被爆闘 先づ来たる 被爆の闘い。
危機原発漏 危機なる 原発の漏れ、
拡散直難留 拡散して 直に 留め難し。
作業関生死 作業 生死に関わり、
非情化物楼 非情なる 化物の楼。
住民専退去 住民 退去を専らとし、
奔走欲都収 奔走して 都(すべ)て収めんと欲す。
此戦悪如夢 此の戦い 悪夢の如し、
放心抱百憂 放心して 百憂(ひゃくゆう)抱く。
駆巡世界核 世界を 駆け巡ぐる核、
何日不知休 何日(いずれのひにか) 休(や)むを知らず。
《語訳》
*化物楼=核汚染された建物。異体の知れない核施設。
*百憂=種々の心配。また、多くの心配。
*闘・留・楼・収・憂・休は下平声十一尤韻
《試釈》
東日本大震災が起きた後、
先づ来ることは被爆との闘いである。
危険極まりない原子力発電所の放射能漏れ。
放射能が拡散して直ちには止めることが出来ない。
修繕の作業は生死に関わっていて、
情け容赦なく化け物がいる建物である。
周囲の住民には退去をするしかない。
奔走して完全に放射能を閉じ込めなければならない。
此の戦いは見えない敵との戦いで、悪夢のようである。
気が抜けてたくさんの憂いのみ持っているようである。
世界をも駆け巡ぐる核の問題が発生してしまった。
現在起きているこの問題はいつになったら終わるのであろうか。
《コメント》
世界を駆け巡る核問題。いち早く方向を決めたのがドイツである。直ちにドイツ議会は核から完全撤退を宣言した。速い決定である。イタリアは撤退に向けて検討中であるという。それほど危険を伴う。
化け物のいる建物には、まだ入れない部屋があるようだ。生命を瞬時の消すことのできる凄腕の代物だ。それを除かない限り、チェリノブエリになる。
庵仙さんのホームページの目次を載せておきますので、他の詩もご覧下さい。
「震災関連詩二十首目次」
「連詩について」
「1 自力復興」
「2 核溶解(メルトスルー・メルトダウン)」
「3 奉仕活動(ボランテア)」
「4 殺人菌恐怖(人食いバクテリア)」
「5 激励興行」
「6 原発被爆」
「7 捜索活動(人命救助)」
「8 弱者の嘆き(ハンデイキャップ)」
「9 避難生活(ライフライン)」
「10 株主総会」
「11 内部被爆」
「12 先人の教え」
「13 節電(エコライフ)」
「14 悲しき転校児」
「15 マイナスボラ(騙す心)」
「16 探査に挑む(決死隊)」
「17 地盤沈下」
「18 故郷を離れる」
「19 尊い命消ゆ(殉職)*現在リンク不良」
「20 放心の災い《番外編》」
[先人之戒(二十首連詩之十二)]
陸奥震災後 陸奥 震災の後、
先来歴史知 先づ来たる 歴史の知。
古人残後世 古人 後世に残す、
建立一書碑 一書の碑を建立す。
且夫余波在 且つ夫れ 余波在り、
滔滔歳月移 滔滔として 歳月移る。
津波忘教訓 津波の 教訓を忘れ、
再誤性難支 再び誤る 性(さが)支え難し。
祭育防災意 祭は 防災の意(こころ)を育(はぐく)み、
自然天警施 自然は 天警 施(ほどこ)す。
我々思畏怖 我々は 畏怖(いふ)を思い、
冷静学傾危 冷静に 傾危(けいき)に学ばん。
《語訳》
*一書碑=ここでは「此処より下に家を建てるな」という碑文。
*且夫=それに引き続いて(強調することが来る)
*滔滔=物事が一つの方向へよどみなく流れ向かうさま。
*天警=天の戒め。天が下す警告。
*畏怖=おそれおののくこと。また、その気持。
*傾危=あぶなげに傾いていること。かたむいてあぶないこと。
*知・碑・移・支・施・危は上平声四支韻
《試釈》
東日本大震災が起きた後、
先づ来ることは歴史の知である。
昔の人は後世に地震のことを残している。
各所に一書の碑を建立して先人の教えである。
それに引き続いて、「ここまで津波が押し寄せた」と。
それからずーっと、長い歳月が過ぎた。
津波の教訓などすっかり忘れ、海岸近くに家を建築してきた。
再び誤って津波の被害に遭った。その性は正に支え難いものである。
祭礼は防災の心を育て身を以て諫め合うものである。
自然は天から下す戒めである。
我々は自然を恐れおののく覚悟をして、
冷静に先人の教えを聞き入れ学ぼう。
《コメント》
日本の各所に津波の警告を知らす碑がある。
今回の津波は実にその教えの通りに津波が発生し、明暗を分けた。高台に家を建てた人は津波を避けることができ、その忠告を聞かずに見晴らしのよいところを家を選んだ人は流されている。
先人の知恵は素晴らしい。しっかり学ぼう。
現代人は自然に逆らって生活している部分が多いと思う。今こそ自然の豊かさと同時に恐れる畏敬の念を抱くべきである。
庵仙さんのホームページの目次を載せておきますので、他の詩もご覧下さい。
「震災関連詩二十首目次」
「連詩について」
「1 自力復興」
「2 核溶解(メルトスルー・メルトダウン)」
「3 奉仕活動(ボランテア)」
「4 殺人菌恐怖(人食いバクテリア)」
「5 激励興行」
「6 原発被爆」
「7 捜索活動(人命救助)」
「8 弱者の嘆き(ハンデイキャップ)」
「9 避難生活(ライフライン)」
「10 株主総会」
「11 内部被爆」
「12 先人の教え」
「13 節電(エコライフ)」
「14 悲しき転校児」
「15 マイナスボラ(騙す心)」
「16 探査に挑む(決死隊)」
「17 地盤沈下」
「18 故郷を離れる」
「19 尊い命消ゆ(殉職)*現在リンク不良」
「20 放心の災い《番外編》」
[離故郷(二十首連詩之十八)]
陸奥震災後 陸奥 震災の後、
先来離故郷 先づ来たる 故郷を離れる。
波嘗渾一瞬 波は嘗める 渾(すべ)て 一瞬、
避難変生方 避難 生き方を変える。
高浪流家屋 高浪 家屋を流し、
同時壊職場 同時に 職場を壊す。
失糧探仕事 糧を失い 仕事を探す、
雖捜不尋常 捜すと雖(いいど)も 尋常ならず。
無止人人去 止(や)むなく 人人去り、
転居何又妨 転居する 何ぞ又た妨げん。
不安新地暮 新地の暮らし 安からず、
心鬱望荒涼 心鬱(ふさ)がりて 荒涼たるを望む。
《語訳》
*尋常=普通の。不尋常で普通でない、難しい。
*無止=無止事(やむごとなし)。やむを得ない。
*荒涼=荒れ果ててすさまじいさま。荒寥。
*郷・方・場・常・妨・涼は下平声七陽韻
《試釈》
東日本大震災が起きた後、
先づ来ることは故郷を離れる。
津波は嘗める。それも全て一瞬の出来事であった。
津波と避難は人々の生き方を変えた。
高浪が家屋を流してしまった。
同時に勤めていた職場をも壊してしまった。
生活の糧を失い、新たに仕事を探すが、
捜すと訪ね歩いても近くのはそう簡単には見つからない。
どうしようもなく、人人は去ることになる。
転居しようとする気持ちを誰が止めることが出来るであろうか。
しかし、新しい地の暮らしといっても容易ではない。
心が鬱となって、荒涼となってしまった津波の跡を望むばかりである。
《コメント》
生活を支えている主にとっては、踏ん張りどころと思いながらも、今まで勤めていた職場も津波で消え、かといって、収入源を捜そうにも働く場所とてない状態である。アルバイトといってもそれすらない。荒涼とした故郷を眺めながら途方に暮れている姿が目に浮かぶ。
それにしてもじわりじわりと気持ちを決め一家を支えるために転居を決断する。途方に暮れていては主人として勤めを果たすことはできない。
それは、その地にとって、故郷離れを生み、転出者が後を絶たない。
庵仙さんのホームページの目次を載せておきますので、他の詩もご覧下さい。
「震災関連詩二十首目次」
「連詩について」
「1 自力復興」
「2 核溶解(メルトスルー・メルトダウン)」
「3 奉仕活動(ボランテア)」
「4 殺人菌恐怖(人食いバクテリア)」
「5 激励興行」
「6 原発被爆」
「7 捜索活動(人命救助)」
「8 弱者の嘆き(ハンデイキャップ)」
「9 避難生活(ライフライン)」
「10 株主総会」
「11 内部被爆」
「12 先人の教え」
「13 節電(エコライフ)」
「14 悲しき転校児」
「15 マイナスボラ(騙す心)」
「16 探査に挑む(決死隊)」
「17 地盤沈下」
「18 故郷を離れる」
「19 尊い命消ゆ(殉職)*現在リンク不良」
「20 放心の災い《番外編》」
[再生日本]
惨禍家郷非可忘 惨禍の家郷忘るべくも非ず
傾心興復又何妨 傾心興復 又何ぞ妨げむ
自彊不息災妖斂 自彊息まざれば 災妖斂り
邦土滄桑向艶陽 邦土滄桑 艶陽に向かはむ
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青山さんからの漢詩
[思震災復興]
光陰如矢過 光陰 矢の如く過ぐ
原發未看功 原発 未だ功を看ず
期待平安拓 期待せん 平安の拓くを
歸ク再起風 郷に帰る 再起の風
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杜正さんからの漢詩
[題平成壬辰年勅題「岸」]
陸奥岸頭初日妍 陸奥の岸頭 初日 妍なり
千門待望入新年 千門 待望 新年に入る
堆堆瓦礫前途遠 堆堆たる瓦礫 前途 遠し
四海扶携万古伝 四海の扶携 万古に伝ふ
陸奥の岸辺に朝日が美しい。
あらゆる家が待ち望んでいた新年を迎えた。
大惨事のあとの積み重なった瓦礫を見ると復興の前途は遠いけれども、
世界中の助け合いがあったことは永久に伝えていきたいものだ。
平成24年「新年漢詩」から転載しました。
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十三山さんからの漢詩
[一陽来復]
狂涛廃址水仙開 狂涛の廃址 水仙開き
震怖児曹笑貌回 震怖の児曹 笑貌回る
雪重竹揉竣暖日 雪の重きに 竹は揉めども 暖日に竣たり
一陽来復願乾杯 一陽来復 願ひて杯を乾す
大津波の後の荒地にも清楚なスイセンの花が咲いた。
大地震大津波で怖い目に遭った子ども達にも笑顔が戻ってきた
竹は雪の重さにたわんでも 暖い日が来れば元通りすっくと高く上に伸びる
冬の後には春が来ることを祈りつつ杯を乾すのである
平成24年「新年漢詩」から転載しました。
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宏迂さんからの漢詩
[新年漢詩]
曙光燦燦歳華新 曙光燦燦として 歳華新たなり
遠寺鐘声払俗塵 遠寺の鐘声 俗塵を払ふ
不況加之大災害 不況 加之(しかのみならず)大災害
捷成復旧祷天神 捷成の復旧 天神に祷る
平成24年「新年漢詩」から転載しました。
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点水さんからの漢詩
[思東北大地震]
迎得新年八十翁 新年を迎へ得たり 八十の翁
震災畫像更胸恫 震災の画像 更に胸恫む
復興難事長期役 復興は難事 長期の役
不忘支援刻意衷 支援を忘れずと意衷に刻む
平成24年「新年漢詩」から転載しました。
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茜峰さんからの漢詩
[新年書懐(山行)]
樹氷新雪履蹤光 樹氷 新雪 履蹤(りしょう)は光る
行歩今年何企望 行歩 今年 何れを 企望せん
災禍励精興復態 災禍に 励精する 興復の態(さま)
我能鍛錬願堅強 我 能く 鍛錬し 堅強を願はん
美しい樹氷を見上げ新雪を踏み近郊の山に登る。さて今年はどの山に登りどんな山行をしようか。
東北ではまだまだ厳しい状態は残るというものの、励み努力をされ、少しずつ復興されてきつつあるようだ。
私も老いに負けないように鍛錬に励み、健康で丈夫な体を保てることを願う。
平成24年「新年漢詩」から転載しました。
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藤城 英山さんからの漢詩
[憶新年]
青龍旭日極東天 青龍 旭日 極東の天
摂酒家家祈祝年 酒を摂り 家家 祝年祈る
地震颱風悼災禍 地震 颱風 災禍を悼み
復興惟願是優先 復興 惟だ願ふ 是れ優先
<解説>
世界は極東の日本の空からの初日の出とともに青竜が昇り、新年を迎え、家の皆がお酒で祝い、またこの一年の無事を祈ります。
去年は大地震、台風、豪雨の大災害の哀しみを日本始め、諸国にもたらしました。
今年は第一番にこの災害の復旧、復興を昇り龍に祈願するものです。
平成24年「新年漢詩」から転載しました。
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禿羊さんからの漢詩
[壬辰新春述懐]
接天海嘯揺邦基 天に接する海嘯 邦基を揺るがし
覆地毒雲催怨咨 地を覆ふ毒雲 怨咨を催す
昨夜欣然送凶歳 昨夜 欣然として 凶歳を送り
今朝珍重戯孫時 今朝 珍重す 孫と戯る時
平成24年「新年漢詩」から転載しました。
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俊成さんからの漢詩
[経過東日本大震災一年]
突如揺撼破春天 突如の揺撼 春天を破る
逆浪蹴巌呑萬船 逆浪巌を蹴って 萬船を呑む
此地襲来非一再 此地へ襲来すること一再にあらず
追思惨事涙潺潺 惨事を追思すれば 涙潺潺
<解説>
震災から一年経過しました。思い出すのは本当に辛いのです。
25メートルの津波が襲ってきました。裏山へ家族共々必死に逃げ助かりました。
此の地は津波の常習地帯です。集落は全滅です。土台が残っているだけです。
<感想>
俊成さんは、釜石市にお住まいです。ご無事で何よりでした。
俊成さんから初めていただいた詩が「三陸海岸偶成」でしたが、10年以上も前でしたね。
津波の被害をいつも受けている東北リアス式海岸、以前の詩に描かれたような風光がもう一度戻る日が早く来ることを、心からお祈りしています。
2012. 3.15 by 桐山人
この詩は2012年の一般投稿のページから転載しました。
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観水さんからの漢詩 一
[平成辛卯三月十一日(一)]
地天鳴動兩三回 地天鳴動すること両三回
惶急視窓情報來 惶急して窓を視れば情報来る
見説奧州呑海嘯 見説(みるならく)奥州海嘯に呑まるると
茫然不覺嘆聲催 茫然覚えず 嘆声の催すを
<解説>
ご無沙汰しております。
今年最初の投稿になりますが、少々気分の重たい内容になってしまって恐縮です。
自分で言うのもおこがましい部分もありますが、詩人の端くれとして、震災直後からずっと、この日のことを書こう、書くべき、いや、書かなきゃいけないんじゃないか、そんなふうに思っていました。
ただ、一方では事柄の大きさに気持ちの整理がつけられず、結局、約一年を要してやっと、当日を振り返る詩をまとめることができた次第です。
ぐらりぐらぐらぐらりぐら 続けてぐらり又ぐらり地震発生時刻は、ちょうど職場におりました。
慌てブラウザ立ち上げて 地震情報チェックする
見れば東北地方では まちを呑み込む大津波
あまりのことに知らぬ間に なげきの声を漏らしてる
<感想>
観水さんからは、今回は五首いただきました。
初めの三首は当日のドキュメントという感じで、連作という意識で作られたのでしょう。
この(一)の詩は、まさに現場を見ているようで、「そうそう、そんな感じだった」と自分の心の中までも思い出しました。
2012. 3.15 by 桐山人
この詩は2012年の一般投稿のページから転載しました。
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[平成辛卯三月十一日(二)]
求兒早早欲還家 児を求め早早家に還らんと欲すれば
半百里程行客多 半百の里程行客多し
街道平生好詩趣 街道平生好詩趣なるも
只今唯有暗風過 只今唯だ暗風の過る有るのみ
<解説>
子ども迎えに行くために 早々会社を出てみれば
当日、私は東京都内の職場、身重の連れ合いも同じく都内の職場、4歳の息子だけが地元の保育園、という状況だったので、連れ合いには親戚等の安否確認や連絡を任せ、私は息子を迎えに行くため早々に職場を後にしました。
家路を急ぐ人の群れ 何十キロも続いてる
普段だったら道すがら 詩でも作っていくけれど
今は闇夜を吹く風に 不安を募らせるばかり
距離約20キロメートル。歩くのは好きだし、これくらい大したことありません。4時に出発すれば8時から9時の間に到着するはず。
延々と続く人並みをかき分けるように、両国国技館や東京スカイツリーを横目に、こんな事態でなければ隅田川でも眺めながら詩作に耽ったことでしょうが、さすがにそんな余裕もなく、日の暮れていくなか津波への注意を呼びかけるアナウンスを聞きながら幾つもの橋をわたり、道を急ぎました。
ちなみに保育園到着は8時半。
後で聞いたところでは、最後の園児のお迎えは午前3時近かったそうです。
<感想>
東北の津波被害、繰り返す余震、都心の交通混乱、様々な不安が日本中を包み込んだ夜でした。
結句の「暗風」が象徴的です。
2012. 3.15 by 桐山人
この詩は2012年の一般投稿のページから転載しました。
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[平成辛卯三月十一日(三)]
未歸阿母亦平安 未だ帰らざるの阿母も亦た平安ならん
今日我曹能避難 今日我が曹能く避難す
傲語嬌兒夢沾枕 傲語す嬌児は夢に枕を沾し
三更獨想到波瀾 三更独り想ふ波瀾の到るを
<解説>
「まだ帰らない母ちゃんも きっと無事だよ平気だよ
息子曰く「今日、避難訓練だったよ」と。園のほうで、ちゃんと訓練どおりにできた、ってことでしょうね。
保育園でね今日ボクね 上手に避難できたんだ」
言った息子は夢のなか 今は涙を隠せない
午前零時にただひとり 事の大きさ思いやる
帰宅後、二人で我が家の被害状況をチェックしたり、今日の地震、災害のこと、お母ちゃんはたぶん今夜は帰れないだろう(実際、翌日昼過ぎになって帰ってきました)ことを話したり。息子が寝付いたのが、ちょうど午前零時。それからまだ30分ばかり、テレビを見ながら、ひとり事態の大きさを考えていたものです。
<感想>
起句・承句の会話体(口語体)や転句のあどけなさが、全体の重さを和らげるとともに、結句を浮き上がらせていて、「独想」の深さをますます感じさせます。
2012. 3.15 by 桐山人
この詩は2012年の一般投稿のページから転載しました。
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[平成辛卯三月十一日(四)]
三陸常磐兩總濱 三陸常磐両総の濱
怒濤呑食太平民 怒涛呑食す太平の民
如何慘禍不能語 如何せん惨禍語る能はず
只倚寒窓思故人 只寒窓に倚って故人を思ふ
<解説>
青森岩手宮城から 福島茨城千葉の浜
青森県から千葉県にいたるまで(陸奥、陸中、陸前、磐城、常陸、下総、上総)、東日本沿岸を呑み込んだ大津波。
荒ぶる波が押し寄せて 人も車も呑み尽す
どうにもできぬ惨状に とても言葉も何もなく
ぼんやり窓に寄りそって 友だちの無事祈るだけ
テレビに繰り返し映し出されるその脅威に、ただ茫然とするばかり。
友人知人の安否を気にするだけで精一杯。
今でも、具体的に詩に写す言葉を持ちません。
<感想>
今まではあまり意識していませんでしたが、今回の地震や津波で、日本列島の東部太平洋岸はひとつながりだと改めて想いました。
起句の「三陸常磐兩總濱」はそのことを感じさせてくれる表現ですね。
この(四)の詩は、少し時間を置いた印象ですが、それでも「不能語」としか言えない思いがよく分かります。
2012. 3.15 by 桐山人
この詩は2012年の一般投稿のページから転載しました。
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[平成辛卯三月十一日(五)]
核能得馭四旬年 核能馭し得て四旬年なるも
一浴海濤凶報連 一たび海濤に浴せば凶報連なる
此夜誰知今日事 此の夜誰か知らん今日の事
東風到處絶人煙 東風到る処人煙絶ゆ
<解説>
原発建てて四十年 管理できてたつもりでも
フクシマの問題は、どちらかというと感情論が先行しているようで、個人的にはあまり積極的には触れたくないところなのですが、やはりこの日のことを語るうえで避けられない部分だと思います。最後に1首だけ、加えることができました。
いったん大波かぶったら 事故の報せが続々と
このよる誰かわかってた? いちねん経った今日のこと
高線量の風が吹く 人けの絶えた死のまちを
原発から離れてはいても、時にホットスポットと言われたりもする土地で乳幼児を抱えている身として、自分自身、理屈ばかりでは割り切れない気持ちと向き合いながら、ことの難しさを痛感しています。
<感想>
そうですね、安全ということを数値で表すことはできないわけで、どうしても感情論が先行してしまいます。
緊急に生活を立て直さなければならない面と、これからの日本のあり方をどうするかという長期的な面とがごちゃ混ぜになって、議論らしい議論がなされていないのが現状で、その象徴がフクシマとなるのでしょう。
だからこそ語るべきなのか、それとも黙すべきか、私自身も答が出せないでいます。
2012. 3.15 by 桐山人
この詩は2012年の一般投稿のページから転載しました。
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[大震災一年後有感(一)]
港村萬里怒濤來 港村 萬里 怒濤来り
去後遺留瓦礫堆 去って後 遺留す 瓦礫堆し
未消放射能汚染 未だ消えず 放射能汚染
奇策有無誰救災 奇策 有りや無しや 誰か災ひを救はん
汚染ゴミ瓦礫の山に芽吹くあり
<感想>
粘法の崩れた拗体の詩ですが、その分、転句の「放射能汚染」が強く出ていると思います。
仰る通りで、一年という時間が復興のために何の役に立ったのか、無力な自分自身に対しての悲しみばかりが深まります。
そういう意味で、「奇策」という言葉が出てくるお気持ちはとてもよく分かるのですが、ただ、やはり「奇策」ではなく長期的な腰を据えた根本的な施策が欲しいものですね。
2012. 5. 1 by 桐山人
この詩は2012年の一般投稿のページから転載しました。
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兼山さんからの漢詩 三
[大震災一年後有感(二)]
海嘯一年春暗催 海嘯 一年 春 暗に催す
未成復興不堪哀 復興 未だ成らず 哀しみに堪へず
爲之行樂雖皆止 之れが爲に 行楽 皆止むと雖ども
芳野櫻花待爾開 芳野の桜花 爾を待って開く
南からエールを添へて花便り
<感想>
添えられた句のお気持ちは、被災地から遠く離れ、平常の日々を送っている私たちの共通の思いですね。
昨年は自粛ムードの強かった春の祭りや行事も、今年は例年の如く賑やかに行われているようです。桜の花も遅れ気味ながら、よく咲きました。いつもの春が来たことを素直に喜び、同時に現在も被災で苦しんでいる方々に、「もうすぐ桜の花が行きますよ」とエールを送る、そんな気持ちですね。
承句の否定の繰り返し(「未」「不」)は句意をわかりにくくさせていますので、どちらかの否定を取る形で推敲されると良いでしょう。
転句の「為之」は散文的で、不要だと思いますね。
結句は「爾」が何を指すのか、「春を待って」でしょうか、「被災地の友人を待って」も考えられますし、桜の方から見てという形でご自身を「爾」としたのかも、色々と考えられるところが面白さでもあり、物足りなさでもありますね。
2012. 5. 1 by 桐山人
この詩は2012年の一般投稿のページから転載しました。
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常春さんからの漢詩 三
[次韻大震災一年後有感詩]
一年瞬過夏還來 一年瞬ちに過ぎ 夏
東北街頭瓦礫堆 東北の街頭 瓦礫の堆
錯雑風評妨處理 錯雑せる風評 処理を妨ぐ
靜聽査明放射災 静聴せよ 査明 放射の災
<解説>
兼山さんの詩 「大震災一年後有感」に次韻しました。
「安全」と言う言葉が信を失い、人々は「安心」を求めて風評にとりつかれています。
また、防護上の余裕をもった基準を求める専門家も多く、実地医療、実地調査の見解を打ち消しています。
一方、気象研究所には、人工放射能の測定を1954年以来積み重ねています。1960年代、高い値が出ています。客観的諸事実を知ることが、今求められています。
瓦礫にまつわる、地域の反応をみていると、「絆」とはうらはらに、差別を助長しかねない風潮を感じるこの頃です。
<感想>
さっそくの次韻詩をいただきました。
復興の進まない現状、そこには政府の対応のまずさは勿論ですが、そこに端を発する不信の増加、そして自己防衛の意識が風評を呼び、結果として復興の第一歩である瓦礫処理が進まないという状況は連鎖を生んでいます。
一年かかってアラスカに漂着した震災の遺留物が、タイムカプセルのように、一年前を思い出させると同時に、この一年の時間の意義を思い知らされるようです。
2012. 5. 6 by 桐山人
この詩は2012年の一般投稿のページから転載しました。
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サラリーマン金太郎さんの漢詩
[稱竹外老儒監修校訂「東日本大震災漢詩集」発刊]
國難詩編斯道魁 国難の詩編は斯道の魁
懇虞陸奥賦悲哀 懇に陸奥を虞って悲哀を賦す
復興激励又追悼 復興の激励 又追悼
憫黙涕零稱史才
「憫黙」: 深い感動のあまり言葉が出ないさま
「涕零」: 出るのは感涙のみ
<解説>
【はじめに 御無沙汰を謝して】
鈴木先生はじめ桐山堂門下の皆様、大変ご無沙汰しています。
東京での全日本漢詩連盟創立10周年記念大会に御参会の皆様には桜花爛漫の九段下でお会いしましたが…。
あれからでも半年ですか。
その節、懇親会場の近況報告でも申し上げましたが、我が師である伊藤竹外(いとう・ちくがい)愛媛県漢詩連盟会長(全日本漢詩連盟副会長)が一年前から入院加療中の為、月例の雅会もままならず一日も早い老師の御快癒を祈念して、漢詩の投稿を控えてまいりますことお話ししました。
老師は数多の六六庵門下の祈りもむなしく、未だ再起をすることがかなわない状況です。
そこで今回投稿した拙詩もさることながら、時を経ては新鮮味や当時の感懐が薄れてしまうことから、今季より再度投稿を再開させていただきます。
ただし、これまでは老師の添削を経て世に出しても恥ずかしくないレベルのものを投稿しておりましたが、今後はそれが望めません。漢詩歴十年を経て、そろそろ独力で諸兄の批評を仰ぐ時期を迎えたのかもしれません。
従いまして、過去の投稿レベルからして、お恥ずかしい詩編ばかりが今後は皆様のお目に供すると思いますが、よろしくお願いします。
【「東日本大震災漢詩集」について】
この漢詩集は震災直後から老師がどうしてもなさねばならないと執念を燃やしていた刊行物です。
老師は平素から「漢詩家たるもの『現代を詠じ現代を吟じ舞う』ことを忘れてはならない。ただ単に年中行事的に『夏日海村』など詩語集にあるような漢詩ばかり作っていてはいけない」とご指導くださいましたから、未曾有の今回の国難に遭遇して人生最大の仕事として意気に感じ、どうしてもこれをまとめ発刊したかったに違いありません。
その熱意に打たれ愛媛県下門下はもとより、かねて老師の添削をいつも仰いできた全国の雅兄たちから漢詩が数多寄せられました。その数およそ300首。この内、秀逸なる漢詩を老師が選定127首を編集したのが今回の震災漢詩集です。
老師の念願通り震災一周忌の平成24年3月に完成し、関係門下生はもちろんの事、公立図書館など関係機関に納められ、なによりも愛媛県当局を通じて、東北被災各県に数多冊数が寄贈されました。
これら一切の印刷製本等出版経費は老師が無償でなさったということです。頭が下がります。
これを称える拙詩は、著書の完成を受け昨年六月に賦したものですが、直後、老師が昨夏の入院により、直接お目を通していただくこともなく今回の投稿と相成った次第です。
当刊行物は非売品ですので、各位に見ていただくことがかないません。そこで老師の思いを少しでも皆さんに知っていただきたく、序文を引用して著書のご披露に代えさていただきます。
【伊藤竹外老師の序文(引用)】
昨年、平成23年3月11日に突如として東日本を襲った大震災、大津波の災害は已に1年を経過して、未だに瓦礫累累を目前にしながら被災者の皆様、30餘万人が仮設住宅に餘震、風雪によく耐えて一日も早く復興を願っていますが、放射能の除染もままならず政府の対応も目下、復興庁を設け審議を重ねてはいますが復旧は容易ではありません。
国民斉しく憂い、倶に義援金を贈るのは当然でありますが今最も必要なのは温かい思いやり、激励の言葉だと思います。
先般、人間学を学ぶ「致知」という月刊紙が、全国版の新聞紙上に「無財の七施」という「雑宝蔵経」のお経の解説本が載っていました。この意は財物によらず苦しみ悩む人々にいたわりを施す七則を次の如く示していました。
(一)眼施…やさしくいたわりのまなざし
(二)和顔施…慈愛にあふれた笑顔
(三)言辞施…温かい言葉と励ます言葉
(四)身施…自分の体をもって奉仕する
(五)心施…思いやりの心をほどこす
(六)坐床施…自分の席を譲る
(七)房舎施…自分の宿を貸す
成る程と思うところ頻りなるものがあります。
思いは誰でも分かりません。又心で思うだけでは誰にも分かりません。それは思いやり、心遣いの具体的な動作や行動がなければ誰にも判りません。
私たち風雅を学ぶ者達がこの度の大震災の遭難者を憂い、歎き、激励の漢詩をこの一年間に詠じたものは三百篇にも及びます。それは月々に応じて「大震災書感篇」「扶桑国難回顧篇」「中秋観月東北を懐う」「避難者激励篇」「歳晩避難者慰問篇」「壬辰(平成二十四年)新年書感集」など、(財)全国吟剣詩舞振興会、月刊機関誌「吟詠家に漢詩のすすめ」欄にて募集、発表した絶句篇及び、愛媛県漢詩連盟十五吟社、例月漢詩会で募集した詩篇を取りまとめ、この「東日本大震災漢詩篇、(激励を込めて復興を祈る)」と題して上梓、刊行して関係各位、同志諸君に配布し七施に加えて八施に一灯を掲げたく存ずる次第であります。
尚、本稿は漢詩家のみならず吟詠家及び震災避難者、一般読者層の為に、上段を書き下し文とし下段を白文としました。
(以下編集関係者への謝辞があるが割愛)
平成二十四年三月
愛媛漢詩連盟 会長 伊藤 竹外
【関連ホームページ】
六六庵、伊藤竹外、漢詩、愛媛漢詩連盟、四国漢詩連盟
この詩は2013年の一般投稿のページから転載しました。
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玄齋さんからの漢詩
[追悼東日本大震災]
多年惨澹禱平安 多年の惨澹 平安を祷り
幾度苦吟何憚難 幾度の苦吟 何ぞ難きを憚らんや
海面迢迢客路遠 海面 迢迢 客路遠く
航程燦燦夕陽寒 航程 燦燦 夕陽寒し
停車牽袂離家日 車を停めて袂を牽く家を離るる日
寄汝懷詩拭涙酸 汝に寄せんと詩を懐ひ涙を拭ひて酸たり
有信親朋看不見 信有りて親朋 看れども見えず
別魂一哭在波瀾 別魂 一たび哭して波瀾に在り
<解説>
何年もいたましく思いながら平安を祈り、幾度も苦吟をしておりましたが、どうして言うのが難しいからといって言うのを憚ることができましょうか。
海面ははるかに広がっていて旅人の道のりは遠く、船の通った後はきらきらと輝いて夕陽が寒々しく感じられました。
車を停めて袂を引っ張って別れを惜しむ、家を離れる日に、あなたに贈ろうと詩を吟じて、涙を拭って悲しい気持ちになっていました。
親しい友人からの便りがあって、便りを見ようとしても見ることができず、別れの気持ちで一度声を上げて泣いて、人生の波瀾の中にいます。
私は今年は検査入院をした後に自宅での休養の日々を過ごしながら漢詩を詠んでいます。
震災の日を忘れず、日々を真剣に学びながら過ごしていこうと、そう思っています。
この詩は2013年の一般投稿のページから転載しました。
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玄齋さんからの漢詩 三
[三月十一日即事]
扶桑災禍已三年 扶桑の災禍 已に三年
萬戸窮愁猶眼前 万戸の窮愁 猶ほ眼前のごとし
國士孜孜論對策 国士 孜孜として対策を論じ
詩人寂寂寄吟箋 詩人 寂寂と吟箋を寄す
再迎芳事歸心切 再び芳事を迎へて帰心切に
幾憶往時郷信傳 幾たびも往時を憶ひて郷信伝はる
復缺一人何日會 復た一人を欠いて何れの日にか会せん
獨懷遺影祈安眠 独り遺影を懐ひて安眠を祈る
<解説>
日本に災害が起きてすでに三年が経ちました。
多くの家が苦しみなやむ様子は、今も目の前にあるようです。
国じゅうのすぐれた人たちが勤め励んで様々な方策を論じて、
病人の私はさびしく詩を書いた手紙を送っていました。
再びお花見の時期がやってきて、故郷に帰りたいという気持ちが高まり、
何度も過ぎ去った昔のことを思っていると、郷里からの便りがやってきました。
また一人が亡くなってしまい、いつになったら皆と再び会えるのでしょうか。
一人で亡くなった人の写真を思って、安らかに眠っているようにと祈っていました。
「扶桑」: 東の日の出る辺りの海中にあるという神木の名で、その神木のある土地である日本の別名でもあります。
「国士」: 国じゅうで第一級のすぐれた人物のことです。
「孜孜」: おこたらずにつとめるさまを指します。
「遺影」: 死んだ人の写真や肖像画です(これは日本語ですが、漢詩の言葉にも出てくることを確認しました)
今年の入院中に作った漢詩で、今年の東日本大震災の漢詩の投稿です。
震災から三年経ち、避難先で亡くなる方や、重い病気になって、帰るとかかる病院がないために帰れない、そんな悲劇も見聞きすることがあります。
私も長い療養生活の中で、そういう部分は、もし自分の身にあればとても悲しいだろうなと思いました。
引き続き療養しながら、私なりに震災をどのようにとらえていくか、そんなところにも思いを巡らせながら、さらに学んでいこうと改めて思いました。
<感想>
長い療養を送っていらっしゃる玄齋さんだからこその思いもあるでしょう。
慌ただしい日常の中で、震災も遠く感じるようになりました。
その遠く感じることが良いのか、悪いのか、「最後は金目だよ」と嘯いた大臣にとっては、もう遠い出来事という感覚しかないのかもしれません。
地元に戻りたくても戻れない方々、悲しみを胸の中に隠して日々を送る方々、早く忘れたいという思いと忘れたくない、忘れてはいけないという思いは交錯するもので、人のそうした複雑な心への共感を持てるかどうかが大切なのだと私は思います。
玄齋さんのこの詩や、次の亥燧さんの作品で改めて振り返らせてもらいました。
四句目と七句目に「人」が重複している点の修正と、五句目の「芳事」は「芳節」「芳季」の方が良いと思います。
2014. 6.30 by 桐山人
玄齋です。
ご指導ありがとうございます。
ご指摘に従い、改めて次のように推敲いたしました。
三月十一日即事
扶桑災禍已三年 扶桑の災禍 已に三年
萬戸窮愁猶眼前 万戸の窮愁 猶ほ眼前のごとし
國士孜孜論對策 国士 孜孜として対策を論じ
詩家寂寂寄吟箋 詩家 寂寂と吟箋を寄す
再迎芳節歸心切 再び芳節を迎へて帰心切に
幾憶往時郷信傳 幾たびも往時を憶ひて郷信伝はる
復缺一人何日會 復た一人を欠いて何れの日にか会せん
獨懷遺影祈安全 独り遺影を懐ひて安全を祈る
私も、被災地の方々の複雑な気持ちのありようを、少しでも私なりに察していければいいなと思います。
改めて宜しくお願いいたします。
2014. 7. 6 by 玄齋
[憶福島]
茅庵梁上楽団欒 茅庵梁上 団欒楽しむ
燕子帰郷生誕辰 燕子帰郷 生誕のとき
虚実未明福島怪 虚実未だ明らかならず 福島の怪
一家離散断蓬民 一家離散 断蓬の民
<解説>
今年もツバメが帰ってきました。あばら屋に巣を作り、ヒナがうるさく餌を求めています。
他方、福島では事故から3年3か月、39か月目の月命日です。
新聞やテレビでは復興の話ばっかしです。
今なお帰れない人が沢山いるというのに。
<感想>
燕が今年も戻ってきて巣を作り、雛を育てている姿との対比として、離れて暮らす被災者の方々を思い浮かべるのは良く分かります。
花や鳥が季節を忘れないことは、平穏な日々の中では微笑ましい気持ちで眺めることもできるでしょうが、その生活が壊されてしまった中では悲しみに変わるのだろうと思います。
前半と結句の橋渡しをする転句ですが、「虚実未明福島怪」はやや乱暴でしょうね。
東電にしろ官邸にしろ「虚実未明」なことはまだ山ほど有るようですが、真相やら責任の解明ばかりが議論になる現状を「福島怪」と表したのかと思いますが、「怪」では興味や好奇心のニュアンスが出て、句が軽くなっていくように感じます。
いまだに家族が離ればなれになって故郷に戻ることができない現実は「怪」とは異なる心の動き方だと思います。
「福島怪」は下三仄にもなっていますので、惨禍から三年経ったという意味合いの句に直すのが良いでしょうね。
2014. 6.30 by 桐山人
この詩は2014年の一般投稿のページから転載しました。
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玄齋さんからの漢詩
[三月十一日偶成]
三月悼詞懷病牀 三月の悼詞 病牀に懐ふ
家家流失尚荒涼 家家 流失して尚 荒涼たるを
萬人窮困多嘆慨 万人の窮困 嘆慨すること多く
幾度妖災奈夭殤 幾度の妖災 夭殤するを奈んせん
路險市民祈坦道 路 険なる市民の坦道を祈り
波平海岸眺斜陽 波 平らかなる海岸 斜陽を眺む
四年經歳心無變 四年の経歳 心 変ること無し
一國鍾情拜墓堂 一国 情を鍾めて墓堂に拝す
<解説>
三月に死者を悼んで弔う言葉を、病床の中で考えていました。
多くの家が流失してまだ荒れ果てて寂しくなったことを考えていました。
多くの人が困窮していることに嘆くことが多く、
幾度もの天変地異で、若くして人が死んでいくのをどうするのだろうと考えていました。
険しい道のりの市民の人たちが平らな道を進むように祈り、
波の穏やかな海岸で、夕日を眺めていました。
四年の月日が経ったけれども、気持ちが変わることはありません。
国中の気持ちを一つに集めて、お墓の前のお堂を参拝していました。
毎年のように震災のことを思い出しては、まだ多くの問題が現在進行形であるのに気づかされます。
今の自分に何ができるかをしっかりと考えていきながら、引き続き過ごしていきます。
<感想>
玄齋さんからは、毎年東日本大震災の詩をいただきます。
私たちももちろん震災を忘れるわけではありませんが、こうして詩を拝見して、気持ちを新たにしたいですね。
第一句は、「三月の悼詞を病牀で考えた」とこの句で完結させるか、次の句につなげるならば「三月の悼詞 病牀でまだ東北の地が被災の中であることを考えていた」と「悼詞」でひとくぎりにするかですが、どちらにしてもすっきりしませんね。
「病牀」に居られたことは題名に入れた方が良く、「三月十一日病牀偶成」として、この句は「還想悼詞三月牀」としてはどうでしょうね。
頸聯は、下句は「海岸」で(私が)「眺」となるのに対し、上句は「市民」が「祈」となります。
文の構造が異なりますので、対句として読もうとすると、「市民で祈る」か「海岸が眺める」となり、どちらにしても聯として何が言いたいのかがすっきりしません。
どちらも被災地の方々の目線が良いでしょうから、そういう形で推敲が良いでしょうね。
尾聯はお気持ちがよく表れていると思います。
2015. 4.14 by 桐山人
ありがとうございます。
先ほどのご指導を参考に、次のように推敲しました。
三月十一日病牀偶成 玄齋
還想悼詞三月牀 還りて悼詞を想ふ三月の牀
家家流失尚荒涼 家家 流失して尚 荒涼たり
萬人窮困多嘆慨 万人の窮困 嘆慨すること多く
幾度妖災奈夭殤 幾度の妖災 夭殤するを奈んせん
波穩道平開險路 波 穏やかに道 平らかにして險路を開き
身安心靜慰愁腸 身 安らかに心 静かにして愁腸を慰めん
四年經歳思無變 四年の経歳 思ひ変はること無し
一國鍾情拜墓堂 一国 情を鍾めて墓堂に拝す
[現代語訳]
家に帰って死者を悼んで弔う言葉を、三月に病床の中で考えていました。
多くの家が流失してまだ荒れ果てて寂しくなったことを考えていました。
多くの人が困窮していることに嘆くことが多く、
幾度もの天変地異で、若くして人々が死んでいくのをどうするのだろうと考えていました。
人々は波が穏やかになって道を平らにして険しい道のりを開いていき、
身を安らかにして心を暖かくして悲しい気持ちを慰めようとしています。
四年の月日が経ったけれども、気持ちが変わることはありませんでした。
国中の気持ちを一つに集めて、お墓の前のお堂を参拝していました。
引き続きしっかりと頑張っていきます。
宜しくお願いいたします。
2015. 4.24 by 玄齋
[劫後四年憶東日本大震災]
未協帰郷福島辛 未だ帰郷協(かな)はず 福島の辛
延延仮寓是何因 延延たる仮寓 是れ何の因ぞ
禍於苛政猛燐火 禍は苛政よりも猛き燐火
命若鴻毛軽我民 命は鴻毛の若く軽き我が民
微雨流愁為碧草 微雨愁ひを流して 碧草を為し
落花残恨作錦茵 落花恨みを残して 錦茵を作る
友朋健否空欹枕 友朋健なるや否や 空しく枕を欹てば
杜宇聲聲已四巡 杜宇声声 已に四巡
<解説>
もう四年経過、未だ故郷に帰れぬ人に思いを寄せて作ってみました。
会津若松、仙台、塩釜に友人がいます。幸い無事だったのですが、多くの命が失われ復興などできないところもあるそうです。
一体どこへ怒りをぶつければいいのでしょうか。
<感想>
東日本大震災から四年、先日は玄齋さんからも詩をいただきました。
戦争の記憶もそうですが、忘れてはいけないものが沢山有ることを思い知ります。
被災地の復興は、ニュースでは、帰宅するための住宅が完成しても、すでに四年が過ぎ、避難している方々もそれぞれの地での生活があり、なかなか入居の希望が満室にならないと聞きます。
復興が遅れればそれだけ帰る人が減り、村や町の人口が回復しなければ、せっかくの復興策も手遅れになる、かといって今日明日に即席で処理できることでもなく、一生懸命に取り組んでいらっしゃる方々には一層辛い現状なのだろうと思うと、胸が痛みます。
私たちにとっても、できることをすぐに答えることは難しく、ただ、四年前のことを教訓として忘れない、としか言えないのですが、こうして皆さんの詩を拝見することが、思いを改めて馳せる機会になることを願っています。
律詩に挑戦という亥燧さんの今回の詩ですが、対句に苦労されたようですね。
頸聯は意味も分かりやすいですが、ただ、上句の「流愁」は「愁いを流して」しまって良いですか。下句は「残恨」ですので、避難者の方々の心情を象徴しているのだろうと理解できますが、同じように上句を見ると、「愁いが無くなった」ようになります。
ここは「留愁」でしょうね。
頷聯はわかりにくいのですが、「燐火」は通常は墓場に浮遊する火とか人魂、ここでは「原子炉からの死の炎」のことを指しているのでしょうか。
そう考えると「禍」とのつながりも何とか分かります。
比較形を用いたのは、「虎よりも恐ろしい苛政(「苛政猛於虎」)、それよりも恐ろしいのが燐火の禍」という流れで、政治の方への批判も含めているのでしょうね。
ただ、比較形は『礼記』のように、「於」の上に形容詞が来ますので、「猛」は倒置のようで、それがわかりにくくさせています。
「於」を「方(くらぶ)」「弥(いやます)」のような言葉にすると、四字目で切れる形になり、対応が良くなるでしょうね。
2015. 5.27 by 桐山人
この詩は2015年の一般投稿のページから転載しました。
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高明さんからの漢詩
[憶四年前巨大津波]
巨大津波襲奥州 巨大津波 奥州を襲ふ
怒涛十丈似奔流 怒涛十丈 奔流に似たり
市街壊滅化荒地 市街壊滅し 荒地と化す
対策未完不断憂 対策未完 憂ひ断てず
<解説>
四年前の東日本大地震は大津波を伴い、大きな被害を引き起こし、強い衝撃を受けました。
津波対策は高地に移転が対策でしょうが、漁業・物流には海岸近くが便利であり、高地移転には難しい側面があります。
<感想>
高明さんはご近所の方と漢文輪読会を開かれているそうです。
漢詩作法については拙著『漢詩を創る 漢詩を愉しむ』を使われたそうで、ありがとうございます。
独学ということですが、規則を守って作っておられますね。
平仄については、結句の「完」が「四字目の孤平」になっていますので、ここは三字目か五字目を平字に直す必要があります。
句意としても、「未完」で「不断」と否定が続くのも気になりますので、「深積憂」としてはどうでしょう。
四年前とは言え、「復興未だし」という気持ちで、いつも考えて行くことは大切ですね。
この詩は2015年の一般投稿のページから転載しました。
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