2015年の投稿詩 第211作は 常春 さんからの作品です。
 

作品番号 2015-211

  南伊太利紀行九首 龐貝遺跡(ポンペイ遺跡) 其一        

熱沙堆積時空止   熱沙堆積して 時空止まり

再現二千年後今   再び現る 二千年後の今

神殿市場紅靄巷   神殿 市場 紅靄の巷

大街舗石轍痕深   大街の舗石 轍痕深し

          (下平声「十二侵」の押韻)



<解説>

 西暦79年8月24日、ヴェスビオス山の大噴火により埋まったポンペイ。
 碁盤目の街、証券、銀行、浴場、居酒屋、売春宿も確認されている!
 そして、大路の轍の深い痕、神殿など重量物運搬にもよるかな、建設されてからの期間如何ばかりだったのか!

<感想>

 常春さんから、以前南イタリアを旅行された折の作品を九首いただきました。

 記念(記録)の詩ですので、今回は感想無しで、皆さんにも旅行気分を味わっていただきたいと思います。





2015. 8.21                  by 桐山人
























 2015年の投稿詩 第212作は 常春 さんからの作品です。
 

作品番号 2015-212

  南伊太利紀行九首 鳔貝遺跡(ポンペイ遺跡) 其二        

発掘人驚幻古都   発掘 人驚く幻の古都

原封不動瞬間躯   原封不動 瞬間の躯

邦家先史彼青史   邦家の先史 彼に青史あり

神域商場四達衢   神域商場 四達の衢

          (上平声「七虞」の押韻)

























 2015年の投稿詩 第213作は 常春 さんからの作品です。
 

作品番号 2015-213

  南伊太利紀行九首 塡普里島(カプリ島)        

波浪拒舟青洞門   波浪 舟を拒む 青の洞門

却知遶島景観敦   却って知る を遶る景観敦きを

断崖奇勝如綾綺   断崖奇勝 綾綺の如し

人跡今伝創世痕   人跡今に伝ふ 創世の痕

          (上平声「十三元」の押韻)



<解説>

 期待の青の洞門は波が荒くて入れなかったが、白の洞門、絶壁上のチベリウス(第2代ローマ皇帝)別荘、愛の門、珊瑚礁などなど!

 広い砂浜の無い、岩山である。高台での昼食、景観またよし、この辺りの海をチレニア海という。























 2015年の投稿詩 第214作は 常春 さんからの作品です。
 

作品番号 2015-214

  南伊太利紀行九首 阿馬爾菲(アマルフィー)        

紺青海浪縞懸崖   紺青の海浪 縞(白絹)の懸崖

家屋填丘和拷タ   家屋 丘を填め 高ノ和して佳

結構今残阿拉伯   結構 今にアラブを残す

攻防幾度麗華街   攻防幾度ぞ 麗華の街

          (上平声「九佳」の押韻)



<解説>

 幹線道路は高い崖の上、この町に入るのはマイクロバスとなった。
 港を広く取ってあるが、家々は丘の上。
 そして、聖堂はアーチと幾何模様のイスラム建築のままであった。























 2015年の投稿詩 第215作は 常春 さんからの作品です。
 

作品番号 2015-215

  南伊太利紀行九首 馬特拉(マテーラ)        

将擬耶蘇背架丘   将に擬すべし 耶蘇 背架の丘

住居岩窟雑然稠   住居の岩窟 雑然として稠し

凝灰地質容穿鑿   凝灰の地質 穿鑿に容すし

流浪避難青史悠   流浪避難の青史 悠かなり

          (下平声「十一尤」の押韻)



<解説>

 十字架を背負ったキリストが階段を上がっていく、ゴルゴダの丘として撮影されたのがこの街、今も住み着く岩窟住居群である。

 山の斜面には天然の岩窟が点々と見える凝灰岩地層。
 岩を掘りぬいて密集したスラム。
 教会もまた岩窟利用であった。
 第二次大戦後も暫く避難者で溢れたという。























 2015年の投稿詩 第216作は 常春 さんからの作品です。
 

作品番号 2015-216

  南伊太利紀行九首 阿爾佩羅伯洛(アルベロベッロ)        

黒耀円錐屋頂群   黒耀の円錐 屋頂の群

頁岩葺細巧成紋   頁岩細かに葺き 巧みに紋を成す

縈彎白壁調和映   縈彎せる白壁 調和して映ゆ

奇観原型有墓墳   奇観の原型 墓墳に有りと

          (上平声「十二文」の押韻)



<解説>

 通りからははっきりしないが、丸い一つの部屋に一つの円錐屋根、アルベロベッロの特徴はTrullo、トロス(tholos石造りの円形墳墓)風の屋根にある。
 紀元前3000年アナトリアから移住が始まったとされ、17世紀、税逃れの為に取り壊し容易な建築として洗練された。
 現在はモルタルを使いしっかりしている。























 2015年の投稿詩 第217作は 常春 さんからの作品です。
 

作品番号 2015-217

  南伊太利紀行九首 陶爾米納(タオルミーナ)        

秀麗雪峰伊火山   秀麗の雪峰 伊れ火山

降神正適舞吟壇   降神正に適ふ 舞吟の壇

方円観席市民集   方円の観席 市民集ひき

古代昌盛何奈看   古代の昌盛 何奈ぞと看る

          (上平声「十五刪」・「十四寒」の通韻)



<解説>

 シシリヤ島タオルミーナからは、青い地中海とエトナ山が美しい。
 富士山を横に二倍広げたようなこの山は標高3300m級の活火山、2005年1月8日にも噴火した。
 この山を背景にしたギリシャ劇場は前3世紀の創設、1万人を収容できるという。























 2015年の投稿詩 第218作は 常春 さんからの作品です。
 

作品番号 2015-218

  南伊太利紀行九首 巴勒莫(パレルモ)        

此地馳名暴力輩   此の地 名を馳す 暴力の輩

君臨魔窟一狼貪   魔窟に君臨せる 一狼貪

劇場巨大舞台広   劇場巨大にして 舞台広し

撮影迫真無道男   撮影真に迫る 無道の男

          (下平声「十三覃」の押韻)



<解説>

 シシリヤといえば・・・。パレルモのテアトロマッシーモは「ゴッドファーザー」撮影に使われた。
 席数3200、ミラノスカラ座より一回り大きい。

 古くはカルタゴの要塞都市、歴史の重みある美しい町並みである。























 2015年の投稿詩 第219作は 常春 さんからの作品です。
 

作品番号 2015-219

  南伊太利紀行九首 阿格里琴托(アグリジェント)        

眺望燦燦群青海   眺望燦燦 群青の海

柱石砦岩堪保存   柱石 砦岩 保存に堪ふ

希腊遺風神殿谷   希腊(ギリシャ)の遺風 神殿の谷

驚嘆古代一乾坤   驚嘆す 古代の一乾坤

          (上平声「十三元」の押韻)



<解説>

 一直線のなだらかな坂道沿いにギリシャ神殿が並ぶ。
 ヘラ、コンコルディア、ヘラクレス、ゼウス。
 最も保存の良いのはコンコルディア。

 路沿いに城砦があり、これを抉って墓としたところもある。
 砦に沿って深い軌跡のある資材運搬の跡も興味深かった。

<感想>

 私はイタリア旅行の経験はありませんが、馴染みのある地名が多く、楽しく拝読しました。

 地名の漢字表記を見ながら、改めて、発音との照合に難点はあるものの、片仮名のシンプルさを納得し、妙なところに感心したりしました。



2015. 8.21                  by 桐山人
























 2015年の投稿詩 第220作は 莫亢 さんからの作品です。
 

作品番号 2015-220

  浴後賞蛍        

五月清宵風意柔   五月の清宵 風意 柔なり

軽衫携妻歩池頭   軽衫 妻を携えて 池頭を歩む

飛蛍暫滅黮闇裏   飛蛍 暫く滅す 黮闇の裏

初覚香波仄薆幽   初めて覚ゆ 香波 仄かに薆(かお)りて幽なるを

          (下平声「十一尤」の押韻)



<解説>

 旧暦五月中旬の蛍狩りを詠みました。

 渥美清の俳句「蛍消え髪のにおいの中にいる」にも着想を得ました。

「香波」は現代漢語のシャンプーの意です。

<感想>

 「香波」は「xian bo」、音を当てはめた言葉ですね。

 転句の「暫滅」は場面が分かりにくいのですが、通常は光る方に目が行きますので、「暫点」とするところ。
 敢えて「滅」を使ったところ、「暫」の意図を解釈しようとすると、「飛螢」ですので、「流れていく光を追っていたらふと消えた、暫く見ていたらまた光った」という時間の経過を表しているのでしょうね。

 結句はなかなか味わいのある句ですが、率直な疑問を言えば、「携妻」なのに「初覚」はどうなのでしょう。
 日常生活を共にしていればシャンプーの香りはいつでも感じるもの、恋人同士のような関係ならば分かりますが、妻のシャンプーの香りを「初覚」となると、うーん、これは新婚さんでしょうかね。
 妻をぼかしていけば、若者の初々しい感覚となりますし、妻でもこのシチュエーションで香るのは初めてということでしたら、「新覚香波清薆幽」でしょうか。
 「仄」「幽」は似た言葉ですので、変更してみました。



2015. 9. 9                  by 桐山人
























 2015年の投稿詩 第221作は 亥燧 さんからの作品です。
 

作品番号 2015-221

  半夏夕景        

老嬬捏土作茶盌   老嬬は土を捏ね 茶盌を作り

愚叟繙書為拙文   愚叟は書を繙き 拙文を為す

弊衣貧厨共康健   弊衣 貧厨なれど 共に康健

雨余畔径学童群   雨余の畔径 学童の群れ

          (上平声「十二文」の押韻)



<解説>

 家内は陶芸教室や整体に通ったりでいたって元気ですが、私はしんどいのは苦手なので休みの日にはずっと家で過ごします。
 貧にもなれて、少しずつ生活をペースダウンしています。

<感想>

 ご夫婦の日々の暮らしがよく伝わります。
 一般的にも、奥さんの方が外交的で活発、ご主人の方は外出嫌いという傾向が強いようですが、これは現職の頃と逆転現象ですね。

 承句の「拙文」は句頭に「愚」がありますので、この謙遜はくどく、逆に「雅文」とした方が諧謔味が出ると思います。

 転句の「共」「弊衣」「貧厨」がどちらも、という意味かとまず感じてしまいます。
 また、二字目の「衣」は名詞用法ですので、平声となります。平仄が違いますので、「貧盞粗肴尚康健」という感じでしょうか。

 結句は趣を変えて詩題に沿う景色を出したというところですが、転句までの内容と全くつながりが見られません。夫婦二人の健康な生活に対して、「雨余」である必要性、「畦径」である意味、「学童群」がどうして作者の心に残ったのか、そうした経緯をもたず、たまたま目にした景色を描いただけという印象です。
 或る日の夕方、というイメージで作っておられると思いますので、起句や承句に場所や時刻を表す言葉を入れて、前半もリアルな叙景だという感じに持っていくと、意図に合うでしょうね。

 亥燧さんは、10月の太宰府での漢詩大会に参加されるとのこと、お会いできるのが楽しみですね。



2015. 9.10                  by 桐山人



亥燧さんからお返事をいただきました。

 鈴木先生、おはようございます。
 いつも有難うございます。

 家内は陶芸や娘婿の店の手伝いで忙しく私はいつも一人です。
 最近は根気が続かなくなって、「年間五十詩を作る」という年初の目標もどうなることやら。

 結句はこちらの勉強会でも指摘されました。
 唐突なので以下の様に手直ししました。

 太宰府でお会いできるのを心待ちにしています。

    秋日即事
   老嬬捏土為茶盌
   愚叟繙書作雅文
   貧盞粗肴尚康健
   偏憐秋日気氛氳


2015. 9.20            by 亥燧






















 2015年の投稿詩 第222作は 謝斧 さんからの作品です。
 

作品番号 2015-222

  到家作        

樊籠弱羽欲逃擒   樊籠の弱羽 擒を逃れんと欲し

栖止一枝巣舊林   一枝に栖止しては 舊林に巣くふ

倦客到家心自寧   倦客家に到りては 心自から寧んじ

庭蕪不艾野情深   庭蕪れるも艾らず 野情深し

          (下平声「十二侵」の押韻)



<感想>

 謝斧さんのこの詩は随分以前にいただいたまま、承句の「栖止一枝巣舊林」の出典を確かめようと調べていたら、こんなに遅くなってしまいました。
 すみません。
 結局よく分からなかったので、読み取りが浅くなるかもしれませんが、文字通りに解釈をさせていただきます。

 前半はわずらわしい俗世間から逃れて、住み慣れた我が家に戻る、題名の「到家」ということと対応させた内容ですね。
 前半を比喩で通した分、後半は自分の現状を語る、という意図で、「心自寧」「野情深」という心情形容語を用いていますね。
 特に「心自寧」のように「心」をそのまま表す言葉を主題とすると、詩の内容を単調にさせてしまいますが、これも作者の姿を表したもので、叙景の素材に近いと軽く解釈しておくと、すっきりしたものになっていると感じます。

 このあたりも、荘子の内容が分かると、導かれる過程がすんなり入るのかもしれません。
 何となく消化不良のような感想ですみません。


2015. 9.10                  by 桐山人
























 2015年の投稿詩 第223作は 凌雲 さんからの作品です。
 

作品番号 2015-223

  散策春影        

翠柳萌芽点点晶   翠柳 萌芽して 点点と晶か、

春夢繚乱交微茫   春夢 繚乱して 交(こもご)も微茫たり。

稲苗整列煙霞遠   稲苗 列を整へ煙霞遠く、

穀雨溶泥嫩葉香   穀雨 泥を溶かして嫩葉香る。

澰灔揺文波踊水   澰灔と文を揺らして 波水に踊る、

漂然散彩緑游岡   漂然と彩りを散らし 緑岡に泳ぐ。

西空靄靄渺無限   西空 靄靄として渺として限り無し、

置筆傾杯不暮長   筆を置き杯を傾けば暮れざること長し。

          (下平声「七陽」の押韻)



<感想>

 「穀雨」ですので夏間近の頃合い、実際に歩かれてご覧になった景色を詠まれたのでしょうね。
 なるほど、なるほど、と納得する点が多く、七言律詩ならではの細やかな描写が効果的です。

 やや微調整が必要ですので、推敲の参考にしてください。

 首聯については、題名が「散策春影」ですので(これも「散策暮春」が良いでしょうが)、いきなり「翠柳萌芽」と具体的な叙景から入ると、同じく叙景の頷聯や頸聯と変化が薄く、構成がぼやけてきますね。
 作者自身や場面の状況などが上句に出した方が流れは良いでしょう。
 尚、「晶」は「下平声八庚」韻ですが、「下平声七陽」韻で「彰」「章」がありますし、そちらの方が意味的にも良いでしょう。

 首聯の下句は、まず、「春夢」。「夢」は「くらい」の意味ならば平声ですが、寝た時に見る「ゆめ」は仄声です。平仄で言えば「交微茫」は「下三平」ですので、ここも直す必要がありますね。
 この「春夢」「繚乱」というのは、色々な夢を見たということでしょうか、「繚乱」と言うからにはしっかり覚えているのかと思うと「微茫」で、結局、夢は何だったのか、この句は描いた意図も分からないですね。
 眠りから覚めたとすると時刻は朝方、結びの句と時間が空きすぎますので、昼寝くらいでしょうか、先にも言いましたが、そのあたりの事情を首聯で示していくと良いですね。

 頷聯、頸聯は対句になりますが、頷聯は良いですね。
 内容的には、下句の「嫩葉」は「稲」の葉かもしれませんが、「香」ですし、「嫩草」にした方が視線の高さも合うでしょう。

 頸聯は、上句の「澰灔」は畳韻語ですので、下句の「漂然」ではやや物足りないところです。
 また、「揺文」「踊」「散彩」「游」が意味的に重複していますし、「波」の具体性に対して「緑」も気になります。
 上句を「翠波水」、下句を「緑葉岡」とすると下三字の対応は良くなるでしょう。

 尾聯で一気に夕方になるのですが、「置筆傾杯」は室内での行為、西の空を見ていたらいつの間に家に戻ったのか、ここは飛躍が大きすぎだと思います。
 帰り道の様子でどうでしょうね。

 全体的に、「ぼんやりと遠い」という感じの言葉が多く、くどく感じますので、その辺りの整理もすると良いでしょう。



2015. 9.13                  by 桐山人
























 2015年の投稿詩 第224作は神戸市にお住まいの 鐵峰 さん、六十代の男性の方からの初めての投稿作品です。
 

作品番号 2015-224

  寄詩兄        

秋夜空齋坐月明   秋夜 空齋 月明に坐し

寄将双鯉億君情   双鯉を寄せ将って 君が情を億ふ

東籬三径吟懐好   東籬 三径 吟懐好し

準擬陶潜濁酒傾   陶潜に準擬して 濁酒傾けん

          (下平声「八庚」の押韻)



<感想>

 桐山堂に新しい仲間を迎え、とても嬉しく思います。
 鐵峰さんは近畿漢詩連盟に所属されていらっしゃる方で、作詩歴は六年ほどとのことですが、伝統的な趣の詩をお作りになられますね。

 承句の「双鯉」は「尺素」の故事にもなった言葉で、「手紙」の意味になります。
「詩兄」ですので、今のメールではなく、書簡によるやりとりでしょう(決めつけてはいけないかもしれませんが)。「秋夜」「空齋」「月明」という舞台設定は十分なところに、風雅な手紙ですので、これはもう完璧ですね。

 更に、転句で室外に目を向ければ「東籬」「三径」と隠逸を楽しむ姿が加わりますので、「吟懐好」という言葉が自然に目に吸い込まれます。

 ここまで来ると、結句の「準擬陶潜」は言う必要のない言葉で、却ってそれまでの風雅な趣を「陶潜」に限定してしまうきらいがあります。
 「濁酒傾」はこの詩の結びとして適当ですので、結句の上四字がやや筆が滑ってしまったかという印象ですね。
 ありきたりですが、例えば「淅淅清風濁酒傾」のように景をさらりと述べておくと、味がくどくならずに行くのではないでしょうか。

 承句の「億」は「憶」の入力間違いでしょう。



2015. 9.14                  by 桐山人
























 2015年の投稿詩 第225作は 鐵峰 さんからの作品です。
 

作品番号 2015-225

  夏日海村        

渚沙散歩月明中   渚沙 歩を散ず 月明の中

接水星楡横遠空   水に接す 星楡 遠空に横たふ

坐聞銀波拍岩去   坐に聞く銀波 岩を拍って去るを

快哉払暑渡涼風   快なる哉 暑を払って涼風渡る

          (上平声「一東」の押韻)



<感想>

 こちらの詩は「夏日海村」の詩題をいただきましたが、「夏夜海村」の方が良いでしょうね。

 承句の「星楡」は、空に楡の木が植えられたように沢山きらめいている星のことを表します。
 夏空ですので、星が輝くのは中天でしょうが、月明かりの下、南の空低く星が見えるのでしょうね。そういうことでは「遠空」よりも「南天」の語を用いた方が良いかもしれません。

 全体に作者の位置に変化がありませんので、転句に聴覚を持ってきたのは、構成上納得できるところです。
 ただ、ここでの「聞」は平声だと思いますので、両韻の「聴」としておくか、ニュアンスが違うというなら他の語にするかですね。

 結句は悪くはありませんが、「快哉」は分かりきったことを改めて言うので、何か特別なことがあるかと思うと「渡涼風」でやや肩透かし。
 「払暑」「涼」もそのままずばりで、面白みがありません。
 何か違う「風」にするか、いっそのこと、「涼風」は転句に置き、岩に当たる波の方を結句に持ってきた方が、詩に迫力が増すかもしれませんね。

 鐵峰さんは来月の桐山堂懇親会にもご参加くださるそうで、お会いできるのが楽しみです。



2015. 9.14                  by 桐山人
























 2015年の投稿詩 第226作は 地球人 さんからの作品です。
 

作品番号 2015-226

  納涼        

緑陰蝉噪夕陽明   緑陰 蝉は噪ぎ 夕陽明らかなり 

簾動清風暑自平   簾は動き 清風 暑自から平かなり

日暮映窓邀月飲   日暮 窓に映ず 月を邀へて飲む

金波如洗酒頻傾   金波 洗ふが如し 酒頻りに傾く

          (下平声「八庚」の押韻)



<解説>

 昼の暑さも一段落して、月を見ながら一杯やって涼んでいる様子を詩にしてみました。

<感想>

 地球人さんからの二作目ですね。
 今回はお部屋の中からの詩で、視界が限定される中での表現力が求められるもの、夕暮れの景を丁寧に描いておられますね。

 起句はこれでも良いのですが、「緑陰」「夕陽」が目の位置に微妙にずれがあり、上四字と下三字に間が生まれています。
 「夕暮」なのは後半で示されますので、ここはまだ庭の中の物を見ていてもよいかもしれません。

 転句に「飲」を持ってきたのは走り過ぎ、結句を生かすには我慢したいですね。

 結句の「金波」は「月の光」(月光に照らされた波という意味もありますが)、「如洗」となると一面を照らす雰囲気になりますので、ここで時間経過を出したのでしょう。そういう意味では「頻」とよく対応していて、工夫のところでしょうね。



2015. 9.14                  by 桐山人
























 2015年の投稿詩 第227作は 哲山 さんからの作品です。
 

作品番号 2015-227

  風鈴        

夕吹辿畔路   夕吹 畔路を辿れば

不慮耳風鈴   不慮にして風鈴を耳する

似囁其幽韻   囁くに似たり 其の幽韻

親亡已数星   親亡じて已に数星

          (下平声「九青」の押韻)



<感想>

 起句の「夕吹」は「夕方の風」、承句で「風鈴」がありますので同字重複を避けたのでしょうね。ただ、名詞用法ですので、このばあいの「吹」は仄声になります。
 この起句の方に「夕風」を使って、承句の方は「檐鈴」と持ってきては駄目でしょうか。

 風鈴の音色を聞いて、亡くなった親を思い出すというのは、読者には飛躍が大きくて、なかなか理解が大変です。
 「音色が親の声に似てたのか」「親が亡くなったのが夏だったのか」「親が風鈴の音色が好きだったのか」など、言ってみれば読者が勝手に想像しても、何でも良しになり、詩としては不完全なものになってしまいます。
 読者を導くヒントを何か示さないといけませんので、転句を「幽韻似(如)〇●」のような形にして書き直してはいかがでしょうか。



2015. 9.16                  by 桐山人



哲山さんからお返事をいただきました。

 指摘を受けて改作しました。

  檐鈴
夕風辿畔路   夕風 畔路を辿れば
不慮耳檐鈴   不慮にして檐鈴を耳にす
幽韻如婆慰   幽韻 婆の慰むが如し
親亡已数星   親亡じて已に数星

2015.10. 7            by 哲山






















 2015年の投稿詩 第228作は 緑風 さんからの作品です。
 

作品番号 2015-228

  観大垣祭        

故郷空碧幟旗翻   故郷の空碧 幟旗翻る

並進山鉾鼓楽喧   並進する山鉾 鼓楽喧まし

狛犬阿吽懐幼時   狛犬の阿吽 幼時を懐かしむ

探求雅美且残存   探求の雅美 まさに残存

          (上平声「十三元」の押韻)



<解説>

 先日、久しぶりに大垣祭りを見に行きました。
 実家が神社の近くでしたから、お祭りは幼少時から何回も何回も見ていましたが、今年は二日とも晴天に恵まれ、近年まれな賑わいでした。
 昔を回想しながら作詩しました。

<感想>

 緑風さんのこちらの詩は六月頃にいただいたものでしたが、メールの添付ファイルをUSBに落としたまま、ファイルの海の中に隠れてしまっていました。
 大垣祭りは四月頃に開かれたのですね、大変失礼しました。

 起句は転句の「懐幼時」を意識したので「故郷」とされたのですね。次の「空碧」が漢語らしくないので、「郷天紺碧」とか「碧天四月」と持ってきた方が収まると思います。

 承句の「鼓楽喧」は「うるさくて(嫌だ)」という感じが残りますので、「鼓楽奔」でどうでしょう。

 転句は上の「狛犬阿吽」「懐幼時」がどうつながるのか、句意が通じないですね。
 更に「探求雅美」は、誰の何時の行為なのかが分かりにくいですね。
 「残存」は「狛犬阿吽」が残っているということでしょうか。
 それとも、祭りそのものが「雅美」を目指しているのでしょうか。

 この後半は、懐旧の思いが強すぎて、伝えたいことが奥に隠れてしまった印象です。特に結句は何を言いたいのかも見えてきませんので、言葉を選ばれるのが良いでしょうね。



2015. 9.16                  by 桐山人



緑風さんから推敲作をいただきました。

  観大垣祭     大垣祭を観る
 碧天皐月幟旗翻   碧天の皐月 幟旗翻る
 並進山鉾鼓楽奔   並進する山鉾 鼓楽奔る
 狛犬参道懐幼時   狛犬の参道 幼時を懐かしむ
 郷里雅美適残存   郷里の雅美 適(まさ)に残存

2015. 9.20            by 緑風

 転句と結句を直されたのですが、平仄が乱れてしまいましたね。
 転句は「狛犬社前懐幼時」、「門前」「堂前」でも良いですね。
 結句は「郷里」を「故郷」とすれば良いですが、「雅美」がうまく合いませんので、「故郷古雅適残存」としてはどうでしょうね。

2015.10.28            by 桐山人

 緑風さんから再推敲作をいただきました。

  観大垣祭     大垣祭を観る
 碧天皐月幟旗翻   碧天の皐月 幟旗翻る
 並進山鉾鼓楽奔   並進する山鉾 鼓楽奔る
 狛犬社前懐幼時   狛犬の社前 幼時を懐かしむ
 故郷古雅適残存   故郷の古雅 適に残存

2015.11. 6          by 緑風






















 2015年の投稿詩 第229作は 兼山 さんからの作品です。
 

作品番号 2015-229

  卒業七十年有感(一)        

卒業而來七十年   卒業 而来 七十年

同窗偕老互相憐   同窓 偕老 互に相憐れむ

感慨無量今日集   感慨 無量 今日の集ひ

往時回顧覺依然   往時を 回顧して 依然たるを覚ゆ

          (下平声「一先」の押韻)



<解説>

 昭和二十年三月、小学校(当時は国民学校)を卒業、その三十年後に結成された同窓会は、毎年欠かす事無く開催されて来た。
 又、戦時中には無かった修学旅行を五年毎に復活させて来た。

 今般、卒業七十年を迎えた今年の(第四十回)同窓会を以って、一応終了する事に相成った。
 最終囘の同窓会には関東在住の幼馴染みも出席し、共々傘寿を越えて猶意気揚々と気炎を上げた。


    小学校終へて終戦後七十年 兼山

    傘寿越え日々是好日梅雨に入る 兼山



<感想>

 小学校の同窓会を「毎年」というのもすごいと思いますが、更に四十年間ということですので、「博多っ子」の団結力に感激しました。
 お亡くなりになった方も当然多くいらっしゃるでしょうが、参加を果たされた健在の方々にとっては、同窓生であり、かつ戦後を生きてきた同志という感じでしょうね。

 これが最後の同窓会だ、と思うと、まさに「感慨無量」の言葉が沁みてきますね。

 同窓会ではなくても、有志の集いとして来年もひょっとしたら開かれるのではないかと思いますが、皆さんがお元気で過ごされることを願っています。



2015. 9.16                  by 桐山人
























 2015年の投稿詩 第230作は 兼山 さんからの作品です。
 

作品番号 2015-230

  卒業七十年有感(二)        

同窓竹馬遠來朋   同窓 竹馬 遠來の朋

偕老年年白髪増   偕老 年々 白髪増す

一期一會勸杯語   一期 一会 杯を勧めて語る

意氣揚揚喜不勝   意気 揚々 喜びに勝へず

          (下平声「十蒸」の押韻)



<感想>

 こちらの詩は、起句の「同窓竹馬遠来朋」が凝縮された表現で、一字も削れないという句ですね。
 その分、承句からの描写にゆとりが出ていて、気持ちがしっかり描かれていると思います。

 粘法を破ったのは、結句の「喜不勝」が先に出来たからでしょうか、前半と後半がきちっと切れている感じで、でも、それはそれでまとまっているように思います。

 兼山さんからは、十月の桐山堂懇親会へのお誘いをいただきました。
 九州の大会に行かれる予定の方は、極力、ご参加下さい。



2015. 9.16                  by 桐山人
























 2015年の投稿詩 第231作は 深渓 さんからの作品です。
 

作品番号 2015-231

  観鹿島神傳直心影流        

数百年傳心影流   数百年伝ふ 心影流

青衿剣士放清眸   青衿の剣士 清眸を放つ

呼号裂帛文与武   呼号 裂帛 文と武

志尚光陰君莫尤   尚を志す 光陰 君尤る莫れ

          (下平声「十一尤」の押韻)



<解説>

 茨城の鹿島神宮に伝わる剣の流派、剣聖塚原朴傳もこの流派。
 大学生の外孫が(社)武道振興会で古武道や居合の修練に励む。

<感想>

 お孫さんの剣道の姿、応援団のお祖父さん、ほほえましい画面が目に浮かびますね。
「よし!いけ!」と大きな声をだされているのではないですか。

 承句の「青衿」「清眸」の対応が良く、凜々しい姿でしょうね。
 その姿に見とれていると、切り裂くような気合いの声、この展開もそのままの景を写したもので、臨場感もあります。
 「与」は「か」「や」という疑問や詠嘆の助詞の時には平声になりますが、それ以外は仄声ですので、「励文武」として合わせておく形でしょう。

 結句の「尤」は「とがむる」と読むのでしょうが、作者の意図としては「失敗無く進んでくれよ」という気持ちでしょうから、「とが」とだけ読んだ方が良いでしょうね。



2015. 9.21                  by 桐山人
























 2015年の投稿詩 第232作は 深渓 さんからの作品です。
 

作品番号 2015-232

  逝妻七回忌        

夢魂茫茫逢七春   夢魂 茫々たり 七春を逢ふ

桜花片片涙痕新   桜花 片々として 涙痕新なり

墓前寂寂香煙湿   墓前 寂々たり 香煙湿る

八十余齢一散人   八十余齢の一散人

          (上平声「十一真」の押韻)



<解説>

 四月二十六日は逝妻の七回忌、菩提寺で法要の後、縁者と築地本願寺西多摩霊園の墓に詣でる。

<感想>

 2009年に深渓さんから亡くなられた奥様を悼む詩「哭亡妻」をいただきましたね。
 もう七回忌を迎えられましたか。
 行く春の思いと亡くなられた方への思いが重なって、悲しみが伝わってくる詩ですね。

 「茫茫」「片片」「寂寂」と同じ位置に畳語が続きますので、古詩のような趣で、当日その場で心の中を率直に詠ったというような感じが出ています。
 ただ、その分、もたつく印象も残りますので、転句の「寂寂」を「空寂」「幽寂」などにすれば、結句への流れも出て、詩としての収まりは良くなるでしょう。
 ストレートな感情描写か、沈潜した思いを描くか、その違いになるのでしょうね。

 承句の「夢魂」は「魂夢」とひっくり返しても意味は通いますので、ここは平仄を合わせた方が良いでしょう。





2015. 9.21                  by 桐山人
























 2015年の投稿詩 第233作は 越粒庵 さんからの作品です。
 

作品番号 2015-233

  迷惑猿        

採菜朝光圃   菜を採る 朝光の圃

孤群渡小渓   孤群 小渓を渡る

家人伝急迫   家人 急迫を伝へ

猶憫仔猿啼   猶憫む 仔猿の啼くを

          (上平声「八斉」の押韻)



<解説>

 妻の実家は山中で、猿害がひどいところです。椎茸栽培も廃業です。
 猿の群れに出くわした時、度胸のない私はおろおろしてしまいました。

 子猿のかわいさは別格ですが、そんなことも言っていられません。

 「猶」の使い方に問題ないでしょうか。

<感想>

 私はもう二十年くらい前になるでしょうか、比叡山に家族で車で行った時に、道の途中でサルの群れに遭いました。
 下り坂で横断しようとしているサルを見たので停車したら、あっという間に車の前後に群れが集まり、ボンネットの上にも何頭かが上ってきて、動くに動けず、家族一同まさに「おろおろ」、群れが去るまで車内で怯えていた経験があります。
 動物園に居る分には可愛らしい面もありますが、野生はやはり迫力がありますね。

 前半はのどかな田園風景として読むことができますので、転句の「急迫」で、おやおや何事?という気持ちになります。
 そこで、先ほどの「孤群」が何やら不穏な事態をもたらす存在なのかと思い巡らすことになるのですが、その途端に「猶憐」と言われると、やや混乱します。
 「猶」は「それでもやはり」という意図で、使い方としては納得できますが、詩の流れは途切れています。

 家人は危機感を持っているが、私は暢気なところがある、というお気持ちでしょうね。それでしたら、「獨憐」の方が「家人急迫を伝ふるも」と逆接にすると、対比になって面白さが出ると思います。

 サルの害を実感している環境でしたら、「孤群」で既に序奏が始まって、「急迫」で戦いを予感させる緊張感が伝わるのでしょう。
 そういう現地感覚で「猶憐」を見るのも面白いわけで、奥様と漢詩談義するのに好材料ではないですか。



2015. 9.21                  by 桐山人
























 2015年の投稿詩 第234作は横浜市にお住まいの 高明 さん、七十代の男性の方からの初めての投稿作品です。
 

作品番号 2015-234

  憶四年前巨大津波        

巨大津波襲奥州   巨大津波 奥州を襲ふ

怒涛十丈似奔流   怒涛十丈 奔流に似たり

市街壊滅化荒地   市街壊滅し 荒地と化す

対策未完不断憂   対策未完 憂ひ断てず

          (下平声「十一尤」の押韻)



<解説>

 四年前の東日本大地震は大津波を伴い、大きな被害を引き起こし、強い衝撃を受けました。

 津波対策は高地に移転が対策でしょうが、漁業・物流には海岸近くが便利であり、高地移転には難しい側面があります。

<感想>

 高明さんはご近所の方と漢文輪読会を開かれているそうです。
 漢詩作法については拙著『漢詩を創る 漢詩を愉しむ』を使われたそうで、ありがとうございます。

 独学ということになりますが、規則を守って作っておられますが、平仄については、結句の「完」が「四字目の孤平」になっていますので、ここは三字目か五字目を平字に直す必要があります。
 句意としても、「未完」で「不断」と否定が続くのも気になりますので、「深積憂」としてはどうでしょう。

 四年前とは言え、「復興未だし」という気持ちで、いつも考えて行くことは大切ですね。

 高明さんからは、今年の年賀状に使われた詩もいただきました。
 時期的に投稿詩としては合わなくなりましたので、参考として載せさせていただきます。


     新年書懐

   退職経過十五霜   退職 経過 十五霜
   我重年月体調良   我 年月を重ね 体調良し
   交流近隣愉芝刈   近隣と交流し 芝刈りを愉しむ
   願暮悠然如大洋   願はくは 大洋の如く 悠然と暮らせん

<解説>

 この漢詩は今年の年賀状に使ったものです。  私は中1から高2まで5年間漢文を習いました。中2・中3では『論語』を全篇やりました。
また、退職後近隣の方と漢文輪読会という会があり、月に2回やっています。

 図書館で「漢詩を創ろう」という本を幾つか借りて来て見てみますと、漢文を余りやったことのない人でも漢詩を創っていると書いてありました。
 それで作る気になったのです。
<感想>

 年賀状として近況報告も含めてのお気持ちを書かれたものですね。

 起句の「十五霜」と承句の「我重年月」が繰り返しになっていますので、承句では別の内容を更に含めることができます。
 詩の中の情報量が多くなるということです。

 転句は「隣」は平声ですので、「隣舎」などが良かったですね。

 結句の読み下しは「願はくは 暮らしの悠然たりて大洋の如くならんことを」とすると原文に合いますね。




2015. 9.21                  by 桐山人
























 2015年の投稿詩 第235作は 鮟鱇 さんからの作品です。
 

作品番号 2015-235

  十七字詩・匠心獨運        

匠心迷藝苑,   匠の心 藝苑に迷ひ,

獨運坐旗亭。   獨り運んで旗亭に坐す。

濃霧封佳景,   濃霧 佳景を封じ,

無風。        風も無し。

          (中華新韻十一庚平声の押韻)



<解説>

 「匠心獨運」は四字成語で「ことをなすによく計算し、独特非凡であること」を言います。英訳はhave great originality。
日本人にはこの英訳の方がわかりやすいかと思います。

 私は中国の伝統詩である詩詞を作るかたわら、その韻律(押韻と平仄の規律)を応用して漢俳などの漢語による俳句も詠んでいます。
 その漢語俳句の分野で、このたび、国際俳句誌『吟遊』の『夏石番矢賞二〇一五』を受賞しました。
 受賞でいえば五十年ほど前の高校生の頃に旺文社の『学芸コンクール』の感想文の分野で『高橋日本芸術院長賞』なるものを受賞して以来のことで、半世紀ぶりでいやはやですが、
 漢詩人として何らかの賞を受賞したのは初めて、それが俳句の分野であったことは私なりにはとても嬉しく、 大変光栄に思っています。

 受賞理由は、

  中国語の詩語を駆使しての多様な形式による俳句表現の高度な実験

 受賞作品は、
 漢俳三首、七言俳句(二五令)六句、そして、上掲の十七字詩による二首です。
 それらについては、拙ブログ

   http://shiciankou.at.webry.info/201507/article_107.html

 をご覧頂ければ幸甚に存じます。

 さて、十七字詩は、私は俳句ととても関係が深いと思っていますが、漢俳のように現代の短詩ではなく、宋の時代の張山人なる人物に始まると伝えられている中国の詩体で、誹諧の意境を詠むことを旨としています。
 全四句、五五五二字。つまりは、五言絶句の結句を五字ではなく、二字に作るものですが、平仄や押韻についての厳しい決まりはなさそうです。

 しかし、転句までは五言絶句と同様に作り、結句は二字の押韻で終わるように詠むのがよさそうです。
 五言絶句を詠むつもりで結句に到ったが、二字目で押韻(冒韻)してしまった、そこで筆を進めるのをやめた、そういう呼吸で詠めばよいように思います。

 つまりは、起承転結の結で腰くだけになる、そこに俳諧味があるように詠めば、誹諧詩体としての十七字を詠むことができそうです。
 日本の俳句は俳諧の連歌に淵源があるといわれていますが、
 五七五七七の短歌を詠もうとして五七五まで詠んで腰がくだけてしまう、そこで筆を置く、そこに俳諧があり、俳句(あるいは川柳)の意境を詠めるように思います。

 俳句も十七字詩も、どう腰を砕くかで工夫する点で、その詩法には共通点があると思えます。
 そして十七字詩は、起承を詞書として読み下せば、転結で俳句(あるいは川柳)の五七五に読み下せます。拙作

    匠心迷藝苑,獨運坐旗亭。濃霧封佳景,無風。

 は、次のように読み下せます。

  詞書:匠の心 藝苑に迷ひ獨り運んで旗亭に坐すも
  俳句:佳き景を濃霧封ぜり風もなし


 拙作、風の他に何がないかは伏せていますが、俳聖芭蕉は次のように詠んでいます。

  霧しぐれ富士を見ぬ日ぞ面白き



<感想>

 この度の受賞、おめでとうございます。
 鮟鱇さんの旺盛な創作意欲と、多彩な表現を楽しんでいる姿に、いつもあこがれています。

 解説に書かれた「腰砕け」という言葉は、「さすが!」と感激しました。

 改めてこの十七字詩を読み返すと、詩の見え方が違ってきて、結句の二字が表す余韻が心地よく感じます。
 確かに日本語の「風も無し」の五字と「無風」の二字が同じ内容であるならば、感覚的に俳句の下五の言い切りのような形で、なじみやすいのかもしれません。
 詩型の創始者である張山人の意図は知りませんが、自由詩とはまた異なり、定型の流れで来ておいて結句で破綻させる、という挑戦的な発想、これを俳諧と関連させた鮟鱇さんの詩的感覚が際立ちますね。

 五絶を作りながら、ちょいと気持ちを切り替えてみる、そんな感覚で作れるとしたら、日本人にも取り組みやすいものでしょうね。
 ブームにはならないかと思いますが、肩肘張らずに漢詩を楽しむ、という点で、詩型としての認識が広がるかも、という期待が持てますね。



2015. 9.28                  by 桐山人
























 2015年の投稿詩 第236作は 鮟鱇 さんからの作品です。
 

作品番号 2015-236

  十五字令・雉        

雉,            雉,

知詩,          詩を知り,

學韻事。         韻事を学ぶ。

鼓羽鳴時,       羽を鼓し鳴きたる時,

悲哉被飛矢。     悲しいかな 飛ぶ矢を被る。

          (中華新韻十三支平仄両用の押韻)



<解説>

 私の詞作り、最近は年齢のせいか、長い詞は詠むのが億劫になり、短い詞が多くなっています。
 とはいえ、十六字令や閑中好、柳枝などの詞型にはいささか飽き、自分で詞型を考えてみる、というようなこともしています。

 十五字令もそのひとつです。
 ただし、古人の作例が伝わっていない十五字令を詠もうというのは私の独創ではなく、十五字令を詠む詞人は、中国にもいて、
たとえば、一三三三五字の五句に詠む作品をネットで読んだことがあります。

 私の十五字令は、一二三四五字の五句。
 一三三三五字と一二三四五字、それぞれに長短があるとは思います。

 さて、私の十五字令を詞譜で示せば

 1 平声を主押韻とする場合
  平,▲仄,●○平。△○▲仄,△○▲●平(あるいは ▲●●○平など五字の律句)

   2 仄声を主押韻とする場合
  仄,△平,△▲仄。▲●△平,▲●△○仄(あるいは △○△●仄など五字の律句)

 いずれも、同じ韻部の平声と仄声を交えながら押韻(平仄両用)をしていますが、そうしないと一二三字のところが一五字になってしまうからです。
 このような押韻は曲(散曲)によくみかけるもので、拙作、詞であるというよりは曲とした方がよいようにも思っています。


<感想>

 今回の詞も面白いですね。
 試しに、ピンインで調べてみますと(○数字は声調)

 雉(zhiC)
 知詩(zhi@・shi@)
 學韻事(xueA・yunC・shiC)
 鼓羽鳴時(guB・yuB・mingA・shiA)
 悲哉被飛矢(bei@・zai@・beiC・fei@・shiB)

句末が同じ韻字なのがよくわかります。
結論としては、毎句韻という形になるのですね。
これは中国語に堪能な方ですと、楽しいかもしれませんね。

第五句は二字目も四字目も平声に思いますが、これは良いのでしょうね。

私などは形に目が行ってしまって、内容を見逃しそうですが、「雉も鳴かずば打たれまい」の言葉の裏側から、「何故雉は打たれるとわかっているのに鳴くのか」という疑問を出し、その答えを「知詩、學韻事」としたのが捻ったところ。
軽いタッチで描きながら、鮟鱇さんの文学への気持ちが出ているように思いました。



2015. 9.30                  by 桐山人


鮟鱇さんからお返事をいただきました。

 第五句は二字目も四字目も平声に思いますが、これは良いのでしょうね。

 とコメントをいただきましたが、ここは、挟み平○○●○● を応用しています。

2015. 9. 4            by 鮟鱇

























 2015年の投稿詩 第237作は 鮟鱇 さんからの作品です。
 

作品番号 2015-237

  十八字令・馳志裁詩投硯池        

傾卮,          卮(さかずき)を傾け,

遺世,          世のことは遺(わす)れ,

騷客洗愁思。     騷客(詩人) 愁思を洗ふ。

裁詩,          詩を裁し,

馳志,          志を馳せ,

盡頭投硯池。     盡頭(終点) 硯池に投ず。

          (中華新韻十三支平仄両用の押韻)



<解説>

 拙作の題「馳志裁詩投硯池」は、志を馳せ詩を裁し硯池に投ず の意ですが、
 末句「盡頭投硯池」は、志を馳せてついには硯池に身を投じる、落ちる、という意味にも取れるように詠んでいます。

 さて、「十八字令」についてご説明します。
 全十八字の詞に三五五五字に詠む「閑中好」があります。
 しかし、二二五二二五字に詠む詞があってもよいのではないか、そう考えて詠んでいるのが「十八字令」です。
 二二五二二五字の詞は、古人の作例では見たことがありませんが、現代の中国詩人の作品でかつて見たことがあるように思います。

 ただ、どう押韻していたかは、覚えていません。

 そこで、私が特に工夫している点をご説明します。
 二二五二二五字に詠む場合に、いちばんむずかしいのは、二二の句切れをどう担保するかです。
 四字句ではなく二二字であることを明確にするにはどうしたらよいか。
 拙案では、曲でよく見かける押韻法、同じ韻部の平韻と仄韻を併用する(これを協韻といいます)ことで句の切れを明確にすることにしています。

 そこで、拙作十五字令同様、詞というよりは曲といった方がよいかも知れません。

 さて、「十八字令」の譜、私は次のように考えています。

 1 平声を主押韻とする場合
  △平,▲仄,△○▲●平。△平,▲仄,△○▲●平。

   2 仄声を主押韻とする場合
  ▲仄,△平,▲●○○仄。▲仄,△平,▲●○○仄。

 上記譜で五字句は律句であればよいと思っています。



<感想>

 今回は十八字令、前回の十五字令に較べると三字多いわけですが、随分詩の形式らしくなってきますね。
 二字句をつなげて四字句として読まれないように、という工夫ですが、これは句を中国語読み(あるいは音読み)してみると良くわかりますね。
 二字の句は、今回の詩では述語・目的語の構成ですが、違う構成の二字になるとどんな趣になるのか、新しい形式ですので、次回作品が楽しみになりますね。


2015.10. 4           by 桐山人





















 2015年の投稿詩 第238作は 令樹 さんからの作品です。
 

作品番号 2015-238

  厳冬訪旅順 和朶將詩爾霊山     厳冬旅順を訪(おとな)い 朶將詩爾霊山に和す   

雪粧銕塔満山嫺   雪は銕塔を粧(けは)ひて満山嫺たり

鬼哭啾谺旅順湾   鬼哭啾谺す旅順湾

不制勝曾亡國耳   勝ちを制さずんばすなはち亡國のみ

萬人齊仰爾霊山   萬人齊しく仰ぐ爾霊山

          (上平声「十五刪」の押韻)



<解説>

 終戦七十年、近現代史懐古が盛んです。

 乃木の三絶。古川薫の「斜陽に立つ」を懐に旅しました。
 乃木の二〇三高地攻略は日露戦争の帰趨を決するものでした。
 敗れて大陸への補給路を断たれて国滅ぶか、勝って遅ればせながら近代国家の一員となるか。


 小生の力では、転句七字にこれを詠いあげることは至難のことです。

<感想>

 大連の二〇三高地、私も数年前に行きました。
 現在上海にいらっしゃるニャースさんがまだ大連に住んでおられて、楽しい時間を過ごすことができました。
 そんな懐かしい気持ちで令樹さんの今回の詩を拝見しました。

 和したという乃木将軍の詩は「爾霊山」、二〇三高地を「に、れい、さん」と読んだのと「爾(戦死者)の霊魂が残っている」という意味を懸けたとされていますね。

 令樹さんの詩では、起句に「山」が入っていますが、これは結句の韻字にも使われていますので、「同字重出」になります。避けるのが通常で、どうしても必要な場合には許されますが、ここは他の表現を探した方が良いですね。
 「朔風還」「午陽殷」などが考えられます。

 承句については、二〇三高地から「旅順湾」は距離が離れていて、「鬼哭」はやはり山に谺した方が素直ですね。
 旅順湾を出すならば、山から遥か遠くを眺めるという句にした方が良いでしょう。
 「鬼哭啾谺霜樹間」「鬼哭啾谺枯草間」では、表現が甘いでしょうか。

 転句は確かに難しいですが、結句は後日の時点に移ってしまいますので、この句でひとまず戦闘については結着を着けて、兵士達が必死に戦ったということにしておかないといけないですね。
 そうなると、「一戦此臨決興廃」という形でしょうか。挟み平にしてあります。




 爾霊山の写真も添えていただきましたが、お顔が出ているので、私が撮影したものを載せておきましょう。



2015.10. 7                  by 桐山人
























 2015年の投稿詩 第239作は 哲山 さんからの作品です。
 

作品番号 2015-239

  蟬聲        

蟬聲煬煬起焦風   蟬聲 煬煬 焦風を起こし

老漢愔愔流汗窮   老漢 愔愔 流汗窮る

鳴熄寸陰聞静寂   鳴(めい)熄んで 寸陰 静寂を聞く

庭甎蜥蜴夏炎中   庭甎の蜥蜴 夏炎の中

          (上平声「一東」の押韻)



<感想>

 起句の「煬煬」は火の勢いが盛んな様を表します。「蝉の声」が火の燃えるように暑そうだということで、やや直訳では苦しいところがありますが、哲山さんのお気持ちはよくわかりますね。
 鬱陶しいという感情も入れた措辞でしょうね。

 承句の「愔愔」は逆に「静かで落ち着いた」様子、蝉に較べて作者の状態を表しますが、これは無理矢理対応させたような印象です。
 「流汗窮」とも合いませんし、更に転句の「聞静寂」の効果を殺していますので、承句の方を直した方が良いでしょう。

 結句の「庭甎」は「庭に敷いた瓦」ですので、その上を蜥蜴が歩いているという場面は、前の静寂感がよく出ていると思います。



2015.10.12                  by 桐山人
























 2015年の投稿詩 第240作は 碧翁 さんからの作品です。
 

作品番号 2015-240

  晩夏        

三伏炎蒸遶枕辺   三伏の炎蒸 枕辺を遶る

聴遥雷鼓夜遅眠   遥かに雷鼓を聴き 夜遅く眠る

醒知何処涼風起   醒めて何処にか涼風起るを知り

清月澄高有九天   清月 澄高 九天に有り

          (下平声「一先」の押韻)



<解説>

 立秋を過ぎても寝苦しい真夏夜が続く。
 雷鳴を聴きながら寝入り、
 涼風に目覚めたところ、
 空には清月が輝いていた。

<感想>

 そうですね、随分寝苦しい日が続きましたね。お気持ちがよく分かります。

 起句の「炎蒸」は杜甫の詩に「三伏炎蒸」(『又作此奉衛王』)が使われていますし、「夏夜歎」にも使われている言葉ですが、夜の暑さと言うよりも昼間の太陽に照らされた暑さを表すことが多いように思います。
 「遶枕辺」とつなぐならば「暑氛」、あるいは「気蒸」として、「掩枕辺」と平仄を合わせるのが良いかと思います。

 承句は「遥かに聴く」という修飾関係でしたら、語順は「遥聴」が良く、これで平仄は問題ないと思います。

 後半は一転、涼風の訪れを感じるところ、「晩夏」の詩題を意識しての内容で、余韻もきれいに残りますね。



2015.10.12                  by 桐山人