作品番号 2012-61
新年作
正朝天霽瑞雲披 正朝 天霽れ 瑞雲披く
淑氣蓬蓬迎歳時 淑気 蓬々 新歳の時
賀宴笑声充酔趣 賀宴 笑声 酔趣充ち
東風吹起早梅枝 東風 吹き起くる 早梅の枝
新しい年を迎え、今年は世界中の人達が笑って過ごせるように、との思いをこめて作りました。
作品番号 2012-62
秋夜
残蝉盡日満村秋 残蝉 尽日 満村の秋
薄暮蟲聲灝氣悠 薄暮 虫声 灝気悠か
孤坐青熒燈火下 孤り坐す 青熒 灯火の下
郷関憶母小書樓 郷関 母を憶ふ 小書楼
体調を整えるために、毎日散歩しています。
郊外の道を歩きながら、蝉の声が少なくなり、虫の声が聞こえ始め、秋を感じました。
故郷の田舎ではもっと虫の声も多かったことを思い、亡くなった母の想い出も戻ってきて、懐かしくなりました。
作品番号 2012-63
新年作
初旭曈曈迎新時 初旭曈曈たり 新を迎ふるの時
梅花春韻点東枝 梅花 春韻 東枝に点ず
屠蘇一醉団欒裏 屠蘇 一酔 団欒の裏
心自怡然萬事嬉 心自ら怡然として 万事嬉しむ
作品番号 2012-64
秋日郊行
野風爽氣碧雲流 野風 爽気 碧雲流る
叢上紅葩映晩秋 叢上の紅葩 晩秋に映ず
満地幽香村邑静 地に満つる幽香 村邑静まり
尋詩信歩思悠悠 詩を尋ね歩に信せば 思ひ悠悠たり
毎年決まった場所に咲く赤い花、曼珠沙華。なんだか妖しくて魅力のある花です。今年も不思議な魅力にひかれてフラフラと歩いている時に出来た詩です。
結句を「径斜」から「尋詩」に直しただけで、こんなに詩の雰囲気が変わるんだ、と感心してしまいました。
作品番号 2012-65
祝壬龍新春
乾坤萬象入春時 乾坤 万象 春時に入る
招福壬龍淑氣馳 福を招きて 壬龍 淑気馳す
去歳雛孫生誕祝 去歳 雛孫 生誕を祝す
梅花破蕾飾新枝 梅花 蕾破れて 新枝を飾る
孫の誕生を入れて新年の句にしようと思いましたが、孫の表現に迷いました。「誕生」と「蕾破れて」を使って表現してみたかったのです。
時間に追われての創作でしたが、アドバイスを受けて完成しました。
作品番号 2012-66
石門湖
挂杖石門茲息肩 杖を挂(つ)きて 石門 茲(ここ)に肩を息はす
映輝黛色更留連 映輝 黛色 更に留連す
却驚方似魁夷画 却って驚く 方に似たり 魁夷の画
春夏秋冬萬景鮮 春夏秋冬 万景鮮やかなり
沈んだ石門頌跡地の感想です。
石門にたどりつき一休みして仰いだ光景が、日本画の大家東山魁夷の画を思い出させ、山の景色が湖水に映ってとても美しく、佇み見ていた感想です。
最初、湖水の流木に亀が遊ぶ光景など、ワンポイントを入れてしまい、前後のつながりがなく、アドバイスを受けました。
作品番号 2012-67
新年
寒雲影小法堂前 寒雲 影は小なり 法堂の前
人走星回歳杪天 人は走り星は回る 歳杪の天
守夜殘鐘方丈室 守夜の残鐘 方丈の室
東郊柳眼入新年 東郊の柳眼 新年に入る
作品番号 2012-68
秋興
山深清澗水悠悠 山深くして 清澗 水悠悠たり
碧落孤雲入晩秋 碧落 孤雲 晩秋に入る
石徑經過幽谷裏 石径 経過す 幽谷の裏
丹楓碎錦夕陽収 丹楓 砕錦 夕陽収まる
秋の青く澄んだ空、谷川の清らかな流れの奥深くに美しい紅葉が頭一杯に浮かんできます。
作品番号 2012-69
上高地
游魚溌剌板橋邉 游魚溌剌たり 板橋の辺
緑水濺濺到眼前 緑水濺濺として 眼前に到る
避暑山亭蒼樹裏 暑を避く山亭 蒼樹の裏
穂高絶壁夕陽鮮 穂高 絶壁 夕陽鮮たり
十数年前、学校からキャンプで上高地に行きました。
梓川の清流や河童橋から眺める穂高連峰の美しい景色を思い浮かべて作りました。
作品番号 2012-70
除夜
逝年来歳梵鐘亘 逝く年来る歳 梵鐘亘る
僧侶經文韻律円 僧侶の経文 韻律円かなり
瑞象井閭怡色洽 瑞象 井閭 怡色洽し
新春更願壽星縁 新春 更に願ふ 寿星の縁
大晦日に放映される番組では、全国の社寺から百八の鐘声、そして老若男女の初詣も中継されます。
その情景を見ながら、また一年、息災で過ごせればと思います。
作品番号 2012-71
憶晩秋
樵風吹下葉衰萎 樵風吹き下して 葉は衰萎す
紅柿檐端熟味宜 紅柿 檐端 熟味宜し
邑里豊穣催祭礼 邑里 豊穣 祭礼を催す
方知菊老雪花時 方に知る 菊老いて雪花の時を
山から吹き下ろした北風により草花は萎えてしまう。
農家の軒先に吊した柿も熟して、味も良くなっている。
村里は今年は豊作のようで祭礼も催されている。
これが終わると、菊も終わり、厳しい冬がやって来る。
作品番号 2012-72
新年作
兔走烏飛春復回 兔走烏飛として 春復た回り
世情多難激悲哀 世情は多難にして 悲哀を激す
壬辰物換三元旦 壬辰 物は換はる 三元の旦
龍瑞光霞國運開 龍瑞 光霞 国運は開かん
去年は国難とも言える東北大震災、そして千年に一度の大津波の大惨事。
更に広島数十個に当たる原発放射能汚染。
被害者の方々は当然のこと、人類にとっても史上最大の惨禍。
しかし、今年は龍が天から降り、吉兆をもたらしますよ、朝焼けとなって、きっと国運は開けますよ。
作品番号 2012-73
訪三州刈谷奎公碑
颯風一陣剪黄花 颯風一陣 黄花を剪り
石碣臺頭冷氣加 石碣 台頭に冷気加はる
風雅何疑詩骨士 風雅 何ぞ疑はん 詩骨の士
弔魂此地故山家 弔魂す 此の地 故山の家
来年、松本奎堂の百五十年にあたります。
刈谷市内司町生誕の地に巨大な石碑が史跡公園として整備建立されています。
奎堂は維新のさきがけとして天誅組総裁として不運にも吉野村で討たれましたが、この五年後に維新を迎えます。
公は幕府学問所昌平坂で詩文掛をする程の刈谷随一の大漢詩人です。
志士としては知られていますが、詩人としてはほとんどの人は知らない。詩集も個人が編集した以外は上梓本は無いのでは、と思います。
作品番号 2012-74
重原郷今昔
鐵笛一聲過架梁 鉄笛一声 架梁を過ぐ
火輪紅雪映青塘 火輪の紅雪 青塘に映ず
輕舟落帆往事夏 軽舟 帆を落とす 往時の夏
亭驛百年豐故郷 亭駅 百年 故郷を豊ます
刈谷市の重原の猿渡川を駆ける蒸気機関車、開通百二十年、以前は知立の弘法山まで舟運帆船が往来していた。
刈谷駅ができ、自動車産業が興り、水運は廃れたが工業で豊かな故郷になった。
作品番号 2012-75
慶瑞
淑氣沖和盡日嬉 淑気 沖和して 尽日嬉しむ
新鶯初囀早梅枝 新鴬の初囀 早梅の枝
一杯佳酒千金笑 一杯の佳酒 千金の笑ひ
天地清祥萬景奇 天地清祥 万景奇なり
新年を喜ぶ気持ちを前面に出してみました。
承句に「新」「初」「早」と似た言葉が並んでしまったが、これ位並べれば却って良いかと開き直ってしまいました。
作品番号 2012-76
晩夏
暑氣侵肌三月強 暑気 肌を侵す 三月強り
暮蝉鬱響竹窗傍 暮蝉 鬱響 竹窓の傍ら
鳥飛人去雨雲動 鳥飛び 人去り 雨雲動く
庭草生生萬斛涼 庭草 生生として 万斛の涼
去年の夏は自然の暑さに節電が加わり、ことのほか暑い夏でした。
これも過ぎてみると、懐かしさのようなものに移るのでしょうか。
漢詩を作ると、季節の移り変わりに目をやることができ、何によって季節を感じているのかを見つめられて面白いと感じています。
作品番号 2012-77
新春伊勢神宮参詣
雪霽新年翻旭旗 雪霽れ 新年 旭旗翻り
清流橋上好風吹 清流 橋上 好風吹く
家人祝祷列神殿 家人 祝祷 神殿に列ぶ
淨域森厳靈意熙 浄域 森厳 霊意熙く
伊勢神宮の空気感と新年の引き締まる自分の気持ちを詠みました。
お正月の詩は、昨年と同じようにならないように気をつけました。
作品番号 2012-78
初夏矢作川
雨後江村緑影連 雨後 江村 緑影連なり
虹橋碧水映陽鮮 虹橋 碧水 陽に映じて鮮なり
香魚溌剌清波上 香魚 溌剌 清波の上
高爽薫風野渡船 高爽 薫風 野渡の船
楽しい夏を期待する気持ちを、キラキラとした躍動感のある風景に重ねてみました。
作品番号 2012-79
秋夜
深夜吟邉皓氣流 深夜 吟辺 皓気流る
書窗簾外竹陰浮 書窓 簾外 竹陰浮かぶ
玉盤欺晝山際照 玉盤 昼を欺き 山際を照らす
萬里無雲景趣悠 万里 雲無く 景趣悠かなり
月の光で山が浮かび、大変美しい夜に感動しました。
写真を撮り、説明すればすぐに伝えることができますが、漢詩で気持ちを読み込みながら表現することは難しいです。
作品番号 2012-80
早春即興
早春午下坐窓前 早春の午下 窓前に坐れば
習習東風節物妍 習習たる東風 節物妍なり
門柳蕩揺黄線嫩 門柳は蕩揺 黄線は嫩やか
山茶開放絳葩鮮 山茶は開放 絳葩は鮮やか
外人電話俗氛引 外人の電話は俗氛を引き
朋友音書情趣傳 朋友の音書は情趣を傳ふ
随意烹文詩未就 随意 文を烹るも 詩未だならず
閑看古典學先賢 閑かに古典を看て 先賢に學ぶ
<解説>
今年は本当に寒く、春が待ち遠しく感じております。
<感想>
二月も終わりというこの時期に、再び寒気が襲ってきて、ニュースでは関東地方が雪で大変だということです。仰るように、今年は本当に寒く、「春は名のみの風の寒さや」の歌を実感しますね。
こうした時季に詠む場合には、冬の景と春の景を両方出す形と、わずかに見つけた春の景を出す形と、二つのパターンが考えられます。
点水さんの今回の詩は、後者ということで、春への心の浮き立つ気持ちを描こうという意図が伝わってきます。
頷聯の上句、柳の枝が「嫩」というところで控えめな春の姿を出し、下句の「開放」で対照的な「山茶(つばき)」の華やかさを描いていますね。
「開放」は対比が大きすぎるような気もしますが、いかがでしょうね。
柳については、中唐の白居易が「楊柳枝詞」で「一樹春風千万枝 嫩於金色軟於糸」と描いていますね。
山茶については、清の惲格の「歳寒図」が角川の「漢詩歳時記」に載せられていました。
「未許東風到桃柳 山茶先発近窓枝」が時期的には近い情景ですね。
頸聯で一息に人事へと移るのですが、「外人電話」はあまりに俗っ気が強いので、ちょっと変化が大きすぎて違和感がありますね。
2012. 3. 6 by 桐山人
作品番号 2012-81
感事
呂尚磻溪釣巨魚、
官權暗所吊ゥ車。 官権は暗所に 諸車を吊る。
毋尤違反非吾耳、
答以一言開悟余。 答ふるに 一言を以てして
「呂尚」: 太公望の本名。
「磻渓」: 呂尚が釣りをした川。
「巨魚」: 斉の国を指す。
「暗所」: 物蔭を指す。
「答」: 警官の言葉。『今はあなたの交通違反を取り調べている』
「開悟」: さとる。
<解説>
※「太公望」は、周代の斉国の始祖。本姓は姜、字は子牙。氏は呂、名は尚。初め渭水の支流「磻渓」に釣り糸を垂れて世を避けていたが、文王に用いられ、武王を助けて殷を滅ぼした。
起句承句は直接には関連はないが、釣り人は良い場所を選び、警官は交通違反をする人の多い場所を選ぶ事に共通点がある。
※蛇足として、
今から40年近く前のことです。
信号機のない三叉路で一時停止の道路標示を無視して、徐行して左右に車が来ていないことを確認して走行しましたが、物蔭に隠れていた警官に交通違反切符を切られました。
その場所は見通しが良く、多くの人は左右を確認しただけで、徐行していて事故は全く発生しない所でした。そこへ運悪くと申しますか、私が引っかかりました。この場所は熟知しないとはいえ漁?の名所だったのです。
その場所を少し離れて交通違反の処理をしていましたが、後続の車にも続々と違反する車がありますので、あの車も取り締まってほしい旨を申しましたが、警官は『今はあなたの交通違反を取り調べている』と申されました。
これは正に泥棒をして捕まった時、自己の非を悟らないで“あの人も泥棒だから捕まえてくれ”と言うようなことだと無知を恥じ納得しました。
後刻この経緯を回想して良心に恥じる行為を肝に銘じました。
当時私は30代前半の血気盛んな時で、今では既に退職されているであろう当該警官に感謝しております。
現在我国には朝野を問わずこのような風潮が横行しているように思い、この詩を作った次第です。
<感想>
長年、このサイトで多くの作品を発表され、また、投稿詩に対しても実例を用いての感想を精力的に書いてくださっていた井古綆さんですが、今年の一月にお亡くなりになったという連絡をご遺族から受けました。
昨年の春頃から体調を崩されていたようですが、サイトの重鎮と呼ぶにふさわしい方の訃報に、私は頼るべき大樹を失ったような悲しさでいっぱいです。
厳しいお言葉もありましたが、根底にはいつも、このサイトが質的に充実するように、という思いがあり、私には温かい支えをいただいていたという気持ちばかりです。
生前に井古綆さんから送っていただいた詩の中で、他のサイトに既に掲載されているという理由で掲載を控えていた作品がありますので、紹介をさせていただきます。
井古綆さんへの感謝の思いを改めて申し上げるとともに、ご冥福を心からお祈りします。
2012. 3. 6 by 桐山人
作品番号 2012-82
坂本龍馬
薩長連合介逡巡 薩長連合 逡巡を介し
國難焦眉擲一身 国難焦眉 一身を擲つ
深慮遠謀無晝夜 深慮遠謀 昼夜無く
東奔西走雑歡辛 東奔西走 歓辛を雑(まじ)ふ
運乖梁棟僵京洛 運は梁棟に
長望瀛寰立桂浜 長へに
痛恨圖南曷油斷 痛恨 図南
畫龍終未見維新 画竜終に未だ 維新を見ず
「介」: 仲介
「梁棟」: (明治維新の達成に)主要な人物
「僵京洛」: 京の近江屋で殺害されたことを指す
「瀛寰」: 全世界。竜馬の卓絶した先見の明を意識する
「図南」: 図南の鵬翼。ここでは明治維新を指す
「臥竜」: 竜馬を指す
作品番号 2012-83
過閑谷黌
黌庭雙木作清陰
止杖瞻望耐正襟 杖を止めて瞻望すれば 襟を正すに耐へたり
曾育廟前楷樹種 曾て廟前に育てし 楷樹の種
今繁閑谷説仁心 今
「楷樹」: 曲阜の孔子廟に孔子十哲の子貢がみずから植えたといわれる樹。とねりはぜのき。
「種の由来」: http://www.cheng.es.osaka-u.ac.jp/alumni/kainoki.htm
作品番号 2012-84
櫻花大道
山河荒廢託櫻花、 山河の荒廃 桜花に託し、
專念凋苗不念家。 凋苗に専念して 家を念はず。
北殖南培休日暮、 北殖南培 休日は暮れ、
霜辛雪苦病魔加。 霜辛雪苦 病魔 加はる。
雙都千里途懸隔、 双都千里 途みち懸隔けんかくするも、
一意卅年誰邏遮。 一意卅年さんじふねん 誰か邏遮 ら しゃせん。
長老薫陶考庭訓、 長老の薫陶 考かうの庭訓、
今開爛漫映春霞。 今 爛漫と開きて 春霞に映ず。
「桜花大道」: さくら道。去る3月17日に読売テレビの放送があり、感動してこの詩を作る。
「凋苗: 苗がしおれる。
「北殖南培」: 南北と培殖の互文。
「霜辛雪苦」: 同じく霜雪と辛苦の互文。
「双都」: 国道156号で繋がる名古屋市と金沢市。
「千里」: 実際の距離は約260km中国里で520里。
「懸隔」: 懸はへだてる。隔もへだてる。
「邏遮」: さえぎる。邏もさえぎる。
「長老」: 武者小路実篤翁を指す。
「考」: 亡父。
「庭訓」: ここでは佐藤良二氏の父君仁吉氏の教え、
『人様の喜ぶことをせないかん。ぼろを着ても社会に尽くせ』を指す。
『佐藤良二』 参照:。 http://hasim.caregroupinc.com/sakura/
<感想>
昨年の四月、最後にいただいた詩をご紹介しておきます。
世の中への温かい視線が感じられる作品ですね。
お嬢様からいただいたメールでは、生前の井古綆さんは、「分厚い大漢和辞典をいつもそばに置き、虫眼鏡で見ながら、この漢字が良いのか、あっちの漢字が良いのかと一生懸命詩作にふけって」おられたそうです。
お姿が目に浮かぶようです。
2012. 3. 6 by 桐山人
井古綆先生のご逝去をこのサイトで知りました。
びっくりしております。
先生には貴重なご意見を頂き、本当に感謝しております。
心からご冥福をお祈りいたします。
2012. 3. 9 by 点水
ホームページでの先生の御指導が思い浮かんでまいります。
此処に井古綆先生の御冥福を心よりお祈りいたします。
有り難うございました。
鈴木先生のこれからの頑張りを更に期待いたします。
2012. 3.10 by 澄朗
作品番号 2012-85
経過東日本大震災一年
突如揺撼破春天 突如の揺撼 春天を破る
逆浪蹴巌呑萬船 逆浪巌を蹴って 萬船を呑む
此地襲来非一再 此地へ襲来すること一再にあらず
追思惨事涙潺潺 惨事を追思すれば 涙潺潺
<解説>
震災から一年経過しました。思い出すのは本当に辛いのです。
25メートルの津波が襲ってきました。裏山へ家族共々必死に逃げ助かりました。
此の地は津波の常習地帯です。集落は全滅です。土台が残っているだけです。
<感想>
俊成さんは、釜石市にお住まいです。ご無事で何よりでした。
俊成さんから初めていただいた詩が「三陸海岸偶成」でしたが、10年以上も前でしたね。
津波の被害をいつも受けている東北リアス式海岸、以前の詩に描かれたような風光がもう一度戻る日が早く来ることを、心からお祈りしています。
この詩は「東北大震災」のページにも載せました。
2012. 3.13 by 桐山人
作品番号 2012-86
平成辛卯三月十一日(一)
地天鳴動兩三回 地天鳴動すること両三回
惶急視窓情報來 惶急して窓を視れば情報来る
見説奧州呑海嘯 見説(みるならく)奥州海嘯に呑まるると
茫然不覺嘆聲催 茫然覚えず 嘆声の催すを
<解説>
ご無沙汰しております。
今年最初の投稿になりますが、少々気分の重たい内容になってしまって恐縮です。
自分で言うのもおこがましい部分もありますが、詩人の端くれとして、震災直後からずっと、この日のことを書こう、書くべき、いや、書かなきゃいけないんじゃないか、そんなふうに思っていました。
ただ、一方では事柄の大きさに気持ちの整理がつけられず、結局、約一年を要してやっと、当日を振り返る詩をまとめることができた次第です。
ぐらりぐらぐらぐらりぐら 続けてぐらり又ぐらり地震発生時刻は、ちょうど職場におりました。
慌てブラウザ立ち上げて 地震情報チェックする
見れば東北地方では まちを呑み込む大津波
あまりのことに知らぬ間に なげきの声を漏らしてる
<感想>
観水さんからは、今回は五首いただきました。
初めの三首は当日のドキュメントという感じで、連作という意識で作られたのでしょう。
この(一)の詩は、まさに現場を見ているようで、「そうそう、そんな感じだった」と自分の心の中までも思い出しました。
2012. 3.15 by 桐山人
作品番号 2012-87
平成辛卯三月十一日(二)
求兒早早欲還家 児を求め早早家に還らんと欲すれば
半百里程行客多 半百の里程行客多し
街道平生好詩趣 街道平生好詩趣なるも
只今唯有暗風過 只今唯だ暗風の過る有るのみ
<解説>
子ども迎えに行くために 早々会社を出てみれば
当日、私は東京都内の職場、身重の連れ合いも同じく都内の職場、4歳の息子だけが地元の保育園、という状況だったので、連れ合いには親戚等の安否確認や連絡を任せ、私は息子を迎えに行くため早々に職場を後にしました。
家路を急ぐ人の群れ 何十キロも続いてる
普段だったら道すがら 詩でも作っていくけれど
今は闇夜を吹く風に 不安を募らせるばかり
距離約20キロメートル。歩くのは好きだし、これくらい大したことありません。4時に出発すれば8時から9時の間に到着するはず。
延々と続く人並みをかき分けるように、両国国技館や東京スカイツリーを横目に、こんな事態でなければ隅田川でも眺めながら詩作に耽ったことでしょうが、さすがにそんな余裕もなく、日の暮れていくなか津波への注意を呼びかけるアナウンスを聞きながら幾つもの橋をわたり、道を急ぎました。
ちなみに保育園到着は8時半。
後で聞いたところでは、最後の園児のお迎えは午前3時近かったそうです。
<感想>
東北の津波被害、繰り返す余震、都心の交通混乱、様々な不安が日本中を包み込んだ夜でした。
結句の「暗風」が象徴的です。
2012. 3.15 by 桐山人
作品番号 2012-88
平成辛卯三月十一日(三)
未歸阿母亦平安 未だ帰らざるの阿母も亦た平安ならん
今日我曹能避難 今日我が曹能く避難す
傲語嬌兒夢沾枕 傲語す嬌児は夢に枕を沾し
三更獨想到波瀾 三更独り想ふ波瀾の到るを
<解説>
「まだ帰らない母ちゃんも きっと無事だよ平気だよ
息子曰く「今日、避難訓練だったよ」と。園のほうで、ちゃんと訓練どおりにできた、ってことでしょうね。
保育園でね今日ボクね 上手に避難できたんだ」
言った息子は夢のなか 今は涙を隠せない
午前零時にただひとり 事の大きさ思いやる
帰宅後、二人で我が家の被害状況をチェックしたり、今日の地震、災害のこと、お母ちゃんはたぶん今夜は帰れないだろう(実際、翌日昼過ぎになって帰ってきました)ことを話したり。息子が寝付いたのが、ちょうど午前零時。それからまだ30分ばかり、テレビを見ながら、ひとり事態の大きさを考えていたものです。
<感想>
起句・承句の会話体(口語体)や転句のあどけなさが、全体の重さを和らげるとともに、結句を浮き上がらせていて、「独想」の深さをますます感じさせます。
2012. 3.15 by 桐山人
作品番号 2012-89
平成辛卯三月十一日(四)
三陸常磐兩總濱 三陸常磐両総の濱
怒濤呑食太平民 怒涛呑食す太平の民
如何慘禍不能語 如何せん惨禍語る能はず
只倚寒窓思故人 只寒窓に倚って故人を思ふ
<解説>
青森岩手宮城から 福島茨城千葉の浜
青森県から千葉県にいたるまで(陸奥、陸中、陸前、磐城、常陸、下総、上総)、東日本沿岸を呑み込んだ大津波。
荒ぶる波が押し寄せて 人も車も呑み尽す
どうにもできぬ惨状に とても言葉も何もなく
ぼんやり窓に寄りそって 友だちの無事祈るだけ
テレビに繰り返し映し出されるその脅威に、ただ茫然とするばかり。
友人知人の安否を気にするだけで精一杯。
今でも、具体的に詩に写す言葉を持ちません。
<感想>
今まではあまり意識していませんでしたが、今回の地震や津波で、日本列島の東部太平洋岸はひとつながりだと改めて想いました。
起句の「三陸常磐兩總濱」はそのことを感じさせてくれる表現ですね。
この(四)の詩は、少し時間を置いた印象ですが、それでも「不能語」としか言えない思いがよく分かります。
2012. 3.15 by 桐山人
作品番号 2012-90
平成辛卯三月十一日(五)
核能得馭四旬年 核能馭し得て四旬年なるも
一浴海濤凶報連 一たび海濤に浴せば凶報連なる
此夜誰知今日事 此の夜誰か知らん今日の事
東風到處絶人煙 東風到る処人煙絶ゆ
<解説>
原発建てて四十年 管理できてたつもりでも
フクシマの問題は、どちらかというと感情論が先行しているようで、個人的にはあまり積極的には触れたくないところなのですが、やはりこの日のことを語るうえで避けられない部分だと思います。最後に1首だけ、加えることができました。
いったん大波かぶったら 事故の報せが続々と
このよる誰かわかってた? いちねん経った今日のこと
高線量の風が吹く 人けの絶えた死のまちを
原発から離れてはいても、時にホットスポットと言われたりもする土地で乳幼児を抱えている身として、自分自身、理屈ばかりでは割り切れない気持ちと向き合いながら、ことの難しさを痛感しています。
<感想>
そうですね、安全ということを数値で表すことはできないわけで、どうしても感情論が先行してしまいます。
緊急に生活を立て直さなければならない面と、これからの日本のあり方をどうするかという長期的な面とがごちゃ混ぜになって、議論らしい議論がなされていないのが現状で、その象徴がフクシマとなるのでしょう。
だからこそ語るべきなのか、それとも黙すべきか、私自身も答が出せないでいます。
2012. 3.15 by 桐山人