第46作は 観 水 さんからの作品です。
 

作品番号 2001-46

  卒業有感(一)        

翠巒如旧故郷春   翠巒 旧の如し 故郷の春

早早降車卒業人   早早 車を降る 卒業の人

慈母不知帰燕意   慈母は 知らず 帰燕の意

唯呵破帽弊衣身   唯だ呵る 破帽 弊衣の身

          (上平声「十一真」の押韻)

<解説>

 卒業も決まり、意気揚々と帰省したものの、母親にとっては、私も何時までも手のかかる子供のようです。
 見るなり「その恥ずかしい格好は何! ぼろ靴は捨てなさい!」と。
 自分では常識的な姿のつもりだったのですが……。

<感想>

 ご卒業、おめでとうございます。いよいよ社会人となられる観水さん、明日が初出勤でしょうか。
 不安も心配もいっぱいあることと思います。そして、不安以上に希望や期待が胸にあふれていることでしょう。実は、この時期、新社会人だけではなくて、ベテランの人も誰もが、みな同じように不安と希望とを抱くものです。
 私も、毎年、新年度を迎える時には、「今年はどんな授業展開になるのだろうか?」という気持ちで、緊張と期待に胸が震えます。そして、新人だった時までは戻れませんが、少しでも心をリフレッシュしたり、新鮮さを取り戻したりしていくものです。
 新人のこの時にがむしゃらになったことが、次からのエネルギーの元になっていくものです。頑張って下さい。

 詩の感想ですが、何とも愉快で、読んだ私もとても幸せな気持ちになれました。
承句の「降」は、この場合は「仄声」の用法ですので、結果としてはこの句は、四字目の「平声」「仄声」に挟まれるという「孤平」になっていますので、直すべきでしょう。

2001. 4. 1                 by junji





















 第47作は 観 水 さんからの作品です。
 

作品番号 2001-47

  卒業有感(二)        

四載遊京学竟成   四載 京に遊びて 学竟に成る

親朋分手自多情   親朋 手を分つに 自ずから情多し

苦辛都是逝如夢   苦辛 都て是れ 逝きて夢の如し

有楽町騒相送声   有楽町 騒なるは 相い送るの声

          (下平声「八庚」の押韻)

<解説>

 卒業式の会場は、有楽町の東京国際フォーラムでした。

<感想>

 起句の「京」は、「下平声八庚」に属する字ですので、冒韻となってしまいます。
何とも余韻の残る、卒業の日らしい詩となっていて、しみじみと読んでしまいました。

2001. 4. 1                 by junji





















 第48作は 謝斧 さんからの作品です。
 

作品番号 2001-48

  偶成        

獨労觴詠有誰聞   獨り觴詠を労すも 誰れ有りてか聞かん

徒愛盤桓謝斧斤   徒だ盤桓たるを愛しては、斧斤を謝す

屡空知他回也意   屡空 知んぬ 他の回也の意

曲肱閑見散浮雲   肱を曲げ 閑に見る 浮雲の散ずるを

          (上平声「十二文」の押韻)

<解説>

 「盤桓」は陶淵明の詩にあります。意味は楽しむ。
 「屡空」の場合の「空」は仄用です。意味は従来はしばしば空しいと訓読されていますが、苦しむです。 「曲肱」は少しくどいかもしれません。

<感想>

 『論語』 のいくつかの章が踏まえられていますので、少し引用しておきましょう。
 「屡空」が見られるのは、「先進編」の次の章です。

 子曰く、「回や其れ庶(ちか)からんか。屡屡 (しばしば) 空し。賜(子貢)は命を受けずして貨殖す。億 (はか) れば則ち屡屡中
  子曰「回也其庶乎。屡空。賜不受命、而貨殖焉。億則屡中」

 先生が仰るには、「顔回は私の理想に近いかな。米櫃がしばしば空になっていても、天命に安んじて道を楽しんでいる。子貢は天命に安んぜず、みずから努めて財産を増やした。しかし、考え方は道理にかなってはいるのだ」

 また、「曲肱」は、「述而編」の次の章です。

 子曰く、「疏食を飯ひ、水を飲み、肱を曲げて之を枕とす。楽も亦其の中に在り。不義にして富み且つ貴きは、我に於いて浮雲の如し」
  子曰「飯疏食、飲水、曲肱而枕之。楽亦在其中矣。不義而富且貴、於我如浮雲」

 先生が仰るには、「粗末な飯を食い、水を飲み、腕を曲げて、枕代わりとするような、貧乏暮らしの中に在っても、道に志す本当の楽しみは、おのずからその中に在るものである。不正不義などをして得た富貴などは、私にとっては、浮かべる雲のごとく、はかないものだ」と。

 この二編を下地にして私は謝斧さんの今回の詩を読ませていただきました。特に「述而」の文章は孔子の生涯の決意が表れた名文です。謝斧さんの詩作への並々ならない凛然とした意志をかいま見るような気がしました。

2001. 4. 8                 by junji





















 第49作は大阪は豊中市の 禿 羊 さん、五十代の男の方からの初めての投稿作品です。
 

作品番号 2001-49

  春日作詩     春日詩を作る   

晩学愚蒙平仄盲   晩学の愚蒙 平仄に盲し

不関窓外百花栄   関せず 窓外 百花の栄ゆるに

乱編堆几残牋散   乱編 几に堆く 残牋散じ

終日呻吟詩漸成   終日 呻吟して 詩漸く成る

          (下平声「八庚」の押韻)

<解説>

 三耕さんのHPで啓発され、詩を作るようになりました。まだ、出来たのは十首に足りません。気後れいたしましたが、勇を奮って投稿しました。忌憚のないご高評をお願いいたします。
 この詩、出来上がって思わず笑ってしまいました。まあ、面白くできたとは思いますが、川柳みたいな詩になってしまいました。
 詩を作って、誰かに読んで貰うとすれば、どういうメッセージが必要なのかを考えさせられました。

<感想>

 完成作が十作ほどとのことですが、生活の楽しみが増えたのではないでしょうか。
 実感がはっきりと出ていて、詩の裏側に「人の姿」が窺われる作品と思いました。気取らずに自分の姿を描くことはなかなか難しいことですので、今の姿勢で詩を書いていかれることが大切だと思います。
 お書きになっておられるように、「詩を作って、誰かに読んで貰う」ということの意味は私もいつも考えさせられます。
 率直に言えば、例えば禿羊さんの今回の作についても、「では、この詩で他の人に何を伝えたいのか?」と問うてみると、それほど特別な体験なり心情なりが描かれているわけではないでしょう。「脇目もふらずに必死で詩を作ってます」ということを、他の人に伝えることの意味は何なのか?。考え出すと、答の出ない自分に気がつきます。
 私は自分の詩を眺めながら、「こんなこと、今までに百万遍も言われてきたことかもしれない」とか、「単なる自己満足かも」と落ち込むことも何度もあります。
 でも、そんな時にはこのホームページで皆さんの詩を読みます。拝見すると、勇気付けられることばかりです。

この気持ち、そうそう、僕と一緒なんだよな!
みんな詩を作るのに、同じように苦しんでいるんだ!
この詩のような心境に早くなりたいなぁ!
・・・などなど
 こうした気持ちを共有することが、詩を発表することの大事な面でもあると思います。
 その時に詩に求められるのは、人をあっと言わせる新奇な趣向や、独創的な表現ばかりではないでしょう(勿論、有っても悪くはありませんが)。ありふれた、誰もが感じることでも、そのことを自分の言葉で誠実に表現してあれば、私たちは共感し、感動を共有できるのです。無理矢理に個性を追い求める必要はないと思います。逆に、借り物の言葉に安住しているような詩ならば、それは読んでもつまらないものでしょう。
 禿羊さんの詩の良さは、まさにその「誠実さ」が表れているのだと思います。

 さて、前置きが長くなってしまいましたが、詩の感想についてです。
 平仄については、気になるところはそれ程ありませんが、起句の「平」の字が冒韻になっています。(許容範囲ではありますが)
 結句の「漸」は、漢文では「次第に」の意味ですので、日本語の「やっと」という意味にはなりません。この詩の場合には、「終日詩を呻吟し続けたので、次第に詩が形になってきた」という意味になりますので、その点は確認をして下さい。
 禿羊さんからは、次作もいただきましたので、また、掲載を楽しみにして下さい。

2001. 4. 8                 by junji



 禿羊さんからお返事をいただきました。

 色々なご指摘、ご教示有り難うございました。
「生活の楽しみが増えたのではないでしょうか」とのことですが、実は、仕事をしながらでも、つい漢詩のことを考えている自分を見いだして、これは少々行き過ぎだと当惑するほどです。

 ご指摘の点、いちいち納得出来、大変勉強になりました。
「平」の冒韻
 :この詩の構成の初めから「平仄」は入れることになっていましたから、当然八庚は避けるべきでした。
「漸」
 :うっかりと日本語的感覚で「ついに」の意味で使ってしまいました。しかし、ご指摘を受けて考えてみますと、呻吟しているうちにだんだん詩が形を成してきたという方がこの詩にピッタリだという気がしてきました。怪我の功名というのでしょうか。

 詩を作るようになって、漢字一字一字の意味に敏感になったような気がして、少し進歩したと自負しておりましたが、甘かったようですね。そういう目で見直してみますと、起句の「蒙」「盲」が意味が重複しているようです。「盲」よりは「営(まどう)」のほうが好いようですが、それも五十歩百歩のようです。

2001. 4. 9                   by 禿羊






















 第50作は東京都杉並区の 徐 庶 さんからの初めての投稿作品です。
 

作品番号 2001-50

  広 野        

衍衍空白色   衍衍たる空白色

漠漠原青色   漠漠たる原青色

聴水流閑静   水流の閑静なるを聴き

鳥嚶嚶踊翼   鳥嚶嚶(おうおう)と翼を踊らす

          (入声「十三職」の押韻)

<感想>

 徐庶さんは現在中学二年生だそうです。漢和辞典が好きで、小学校の五年くらいから漢詩にも興味を持ち始めたとのことですが、オヨヨヨ!!とびっくりしました。
 こんな方と出会えるなんて、ホント、インターネットって有り難いですね。

 いただいた詩は他にもあるのですが、私のコンピュータでは文字化けしてしまったりして、どうもいけませんでした。もう一度送っていただいてから、ご紹介しましょう。
 この詩は仄声の韻ということで、畳語も多用されたりと、古詩の雰囲気が漂いますね。どちらかというと、「詩経」に載っているような詩で、ゆったりとしたスケールの大きさを感じます。
 大自然のリズムの中を生きている、まさに原初の世界が描かれていて、目が洗われたような思いがします。表現上の問題点としては、2字3字のリズムが乱れていること、第一句が二四不同を破っていること、などがありますが、それらを超越して伝わる風格があります。ただ、最後の句はそれまでのつながりで言えば、「嚶嚶鳥踊翼」として、一句目・二句目と対応させた方が面白いでしょうね。


2001. 4.18                 by junji





















 第51作は 禿 羊 さんからの作品です。
 

作品番号 2001-51

  真珠婚 謝妻     真珠婚 妻に謝す   

汝育三児真巧庖   汝 三児を育(はぐく)みて 真に巧庖

相扶一世略鳩巣   相扶けて一世 鳩巣を略(いとな)

珠楼四月紅灯下   珠楼 四月 紅灯の下

唯憮二毛悦美肴   唯憮(いとおし)む 二毛にして美肴に悦ぶを

          (下平声「三肴」の押韻)

<解説>

 先日、家内に結婚三十周年をどうしてくれるのと迫られ、取り敢えずレストランに連れて行きました。
 詩句をあれこれ、いじくりまわしているうち、一二三と入っているのに、気が付き、本当は三月下旬でしたが、四月にしてしまいました。

 [語釈]
 「一 世」:三十年
 「鳩 巣」:拙い家計
 「二 毛」:白髪混じり

<感想>

 ご結婚三十周年、おめでとうございます。
 私はまだ、銀婚の二十五年にも届かず、だから勿論、妻をレストランにも連れていってないのですが(これで一つの言い訳ができました!)、年月を重ねる程に、心情が互いに近寄って行くのを感じます。ま、やはり「感謝」の一言ですね。

 下平声の「三肴」の韻は、使える韻字も少なく、険韻と言われています。この他にも、上平声では「三江」「九佳」が、下平声では「十五咸」などが険韻と呼ばれ、詩を作る時には、難しい韻目とされています。禿羊さんは難しい所に挑戦され、巧みに使いこなしておられて、感心しました。
 気の付いた所では、結句の平仄について、「孤平」になってます。四字目の「孤平」は禁忌ですので、三字目を平声にすると落ち着きます。
 また、転句の「紅灯」は、華やかなネオンのような印象を与えますが、それでよろしいでしょうか。

 奥様にもお祝いを申し上げます。


2001. 4.18                 by junji





















 第52作は 鮟鱇 さんからの作品です。
 

作品番号 2001-52

  春 愁        

庭滿雪花春暮湖,   庭に雪花(白い花)満ちて春は湖に暮れ,

散人游處思愉愉。   散人遊ぶところ、思いは愉愉たり。

青山落日紅霞彩,   青山の落日、紅霞彩り,

緑水浮鱗銀月弧。   緑水の浮鱗、銀月弧なり。

馨酒澄心醉裡梦,   馨しき酒、澄んだ心、酔裡に夢み,

爽風清夜客中虚。   爽かな風、清らかな夜、客中に虚なり。

形随影向歸天仰,   形、影向(エコウ)に随い天に帰って仰げば,

靈境塵憂有又無?   靈境に塵憂、有りやまた無きや?

          (上平声「七虞」の押韻)

<解説>

 七言律詩の回文体に挑戦してみました。逆に読めば次のとおりになります。

無又有憂塵境靈?     無きや憂いありや、塵境の霊?
仰天歸向影随形。    天を仰いで帰向(キコウ)すれば影、形に随う。
虚中客夜清風爽,    虚中の客夜、清風爽やかに
梦裡醉心澄酒馨。    夢裡の酔心、澄酒馨し。
弧月銀鱗浮水緑,    弧月、銀鱗、水の緑なるに浮き,
彩霞紅日落山青。    彩霞、紅日、山の青きに落つ。
愉愉思處游人散,    愉愉として思うところ游人散じ,
湖暮春花雪滿庭。    湖暮れて春花雪ふり庭に満つ。

語の意味は、
「影向」は神仏の具身。「歸向」は「なつく」の意。
「浮鱗」は泳ぐ魚のつもりですが、さざ波に浮かぶ月影でもよいかと思います。

 回文詩は言葉の遊びですので、できるだけ平明であることが望ましいと思うのですが、影向、歸向、仏教語風の「虚」「形(あるもの)」など、力及ばずで無闇に思弁的になってしまいました。

<感想>

 鮟鱇さんから久しぶりの回文詩をいただきました。今回は、七言律詩での作品ということで、難易度がさらに上がっていますね。
 今回の作品は、鮟鱇さんもお書きになっておられるように、「影向」「歸向」が工夫のあるところでしょうか。勿論、他の語句にしても鮟鱇さんの語彙力が無くては成り立たないものでしょうが
 「回文詩は言葉の遊び」と書かれていますが、内容は前から読んでも後ろから読んでも、重みのある、余韻の深い詩になっていて、とても遊びの気持ちでは読めません。
 楽しませていただきました。

2001. 4.25                 by junji





















 第53作は 謝斧 さんからの作品です。
 

作品番号 2001-53

  擬辞世     辞世に擬す   

七字詠言銷悶句   七字言を詠ず 悶を消する句

一編傳意断腸詩   一編意を伝える腸を断たんとする詩

今春龍化故郷土   今春龍化せん 故郷の土に

留爪雪泥誰得知   爪を雪泥に留るも 誰か知るを得ん

          (上平声「四支」の押韻)

<解説>

 昔の人は死ぬ前に、予め遺言のように辞世の詩を作っていたようです。
陸放翁の詩は有名ですが。
 「詠言」は「志を詠ずる」という意味です。

 [大意]
我が志しを詠っては、自ずから憂い消す、七言の句
我が悔いを伝えんと欲する一編の詩
今春、故郷の地に死なんとす
ただ残念なのは
鴻が雪上に舞い降りて、爪跡をのこすが
雪が融ければ、跡形もなくなるように
私が死ねば、私の詩も、誰にも顧られる事なく忘れられることだ

<感想>

 謝斧さんからは二度お手紙をいただき、解説を詳しく書いていただきました。
 結句の「留爪雪泥」は、以前謝斧さんが作られた2000年の第12作、「詠陳子昂」にも書きましたが、蘇軾の『和子由「池懐旧」(子由の「池懐旧」に和す)』の中の印象的な詩句ですね。

   人生到処知何似  人生到る処 知んぬ 何にか似たる
   応似飛鴻踏雪泥  応に似たるべし 飛鴻の雪泥を踏むに
   泥上偶然留指爪  泥上偶然 指爪を留むるを
   鴻飛那復計東西  鴻飛んで 那んぞ復た 東西を計らん
   老僧已死成新塔  老僧已に死して 新塔と成り
   壊壁無由見旧題  壊壁 旧題を見るに由無し
   往日崎嶇還記否  往日の崎嶇 還(な)お記するや否や
   路長人困蹇驢嘶  路長く人困しみて 蹇驢 嘶(いなな)きしを


 人生は飛鴻が雪泥を踏むようなもの、足跡をちょっとつけるだけのもの、という若者らしいややセンチメンタルな比喩が、謝斧さんの詩で力強さを得たように思っています。

 陸游の詩は、『示児』がぴったりでしょうか。

2001. 4.25                 by junji





















 第54作は 禿羊 さんからの作品です。
 

作品番号 2001-54

  感観水学兄絶句次韻      観水学兄の絶句に感じ、次韻す  

一旦探花莫小成   一旦探花たるも小成すること莫れ

欲観鳳翼老鴉情   鳳翼を観んと欲す 老鴉の情

潘郎颯爽踏花立   潘郎 颯爽たり 花を踏みて立つ

忽挙街頭喝采声   忽ち挙がる 街頭 喝采の声

          (下平声「八庚」の押韻)

<解説>

 観水さんの『卒業雑感』に感心して、初心者がこんなことをするのは失礼かとも存じましたが、次韻してみました。
 本心は次韻というものを一度やってみたかったというところです。しかし、初心者のやることではありませんね。大分苦しい。発想の仕方も大分違う感じです。

 [語釈]
 「探 花」:唐代では進士及第最若年者。
 「鳳 翼」:鳳凰の立派な姿。

<感想>

 観水さんの若々しい詩は、私もとても好きです。
 この禿羊さんの詩は、社会人としての一歩を始められた観水さんへの素晴らしい激励になるのではないでしょうか。言葉も力強く、読んでいると力が湧いてくるような、そんなリズムが生きている詩ですね。
 次韻の詩を作ることは難しいですが、でも、詩を楽しむという点では、とても意義深いものですね。ありがとうございました。

2001. 4.25                 by junji



 観水さんからお手紙が来ました。

「感観水学兄絶句次韻」、拝見いたしました。
「初心だから失礼」だなんてとんでもない。すばらしい詩をありがとうございます。
 人生の先輩から期待の言葉、とても嬉しく思っています。
 それに、漢詩についても、まだ私も独学初心の身。いつか禿羊さんの詩に酬いられるよう、私も頑張りたいと思います。
 まだまだ雛鳥の私ですが(もう卵からは抜けられたろう、と思いたい……)、今後とも宜しく御願い申し上げます。

2001. 5. 1                 by 観水





















 第55作は ニャース さんからの作品です。
 

作品番号 2001-55

  看花酒宴        

已過寒冬宴会催   已に寒冬は過ぎ 宴会を催す

桜花枝満告春来   桜花枝に満ち 春来を告げる

休談後日誰留否   談ずるを休めよ 後日 誰か留まるか否か

万語不如酒一杯   万語 酒一杯に如かず

          (上平声「十灰」の押韻)

<解説>

 会社の仲間で花見をしました。
 不景気、リストラとサラリーマンも大変ですが。花見くらいは楽しくやりたいものです。「誰か留まるか」、はちょっと寂しかったですね。今度は景気のいい詩をつくります。
 中国の友人達は我々は桜でなくて桃ですね、と言っていました。

<感想>

 承句の「枝に満ち」「満枝」が一般的ですね。平仄の関係で入れ替えたのだと思いますが、「枝は満ち」と読まれることを覚悟しないといけません。
 「万語不如酒一杯」は重みのある、印象深い言葉になっていますね。

2001. 5. 5                 by junji





















 第56作は 三 耕 さんからの作品です。
 

作品番号 2001-56

  緑 樹        

一葉落春草、   一葉 春草に落ちて

緑樹愈青青。   緑樹 いよいよ青青たり

白雲江湖渡、   白雲 江湖を渡るに

大歩只寛行。   大歩 只 寛行

          (下平声「九青」「八庚」の通韻)

<解説>

 禿羊さんに「三耕さんのHPで啓発され、詩を作るようになりました。」と言われてとても嬉しく思っております。
 さて、今回は常緑樹も一葉一葉は枯れ落ちて新たなる葉に代替している様を見て作りました。

 [語釈]
 「江 湖 」:従容録八〇則。
     「今日江湖何の障礙かあらん。通方の津渡に船車有り」
     龍牙衆に示して曰く「江湖に人を礙うるの意なしと雖も、
     時人の透、不透あるが為に、江湖人を礙え去ることを成す。」
 「大歩只寛行」:従容録七三則。

<感想>

 晩春のこの頃になると、一斉に木々が芽吹き、三耕さんの仰るように、常緑樹も葉を落としてきます。
 常緑樹なんだから年中緑の葉なんだし、落葉なんてしないだろう、と言われることもありますが、そんなことはありません。やはり古くなった葉は新しい葉と入れ替わり、毎年新陳代謝をはたしていますよね。
 三耕さんの今回の詩は、落葉と春草という取り合わせから、自然の大きな流れをとらえようという意図でしょう。詩はとても分かりやすく感じますが、語釈を見ると意図したものは奥にありそうですね。
 形式は近体詩の規則からは外れていますので、古体詩として見ることになります。四句とも頭が仄声ですが、これはどうでしょうか?できれば避けたいところでしょう。

2001. 5. 5                 by junji





















 第57作は世田谷区の 逸爾散士 さん、四十代の男性の方からの初めての投稿作品です。
 お手紙には、
「このホームページは、飼い犬が死んだので梅尭臣の「猫を祭る」という詩を読み、検索エンジンで「梅尭臣」「柳宗元」などをひいて気晴らししていて見つけたものです。
 「漢詩」(を作ること)はマイナーな趣味ですが、創作を含めたホームページがあったので、意外に思いました。まだいろいろ利用していませんが、親切なつくりだと思います。

とのことでした。

作品番号 2001-57

  對庭櫻寄人      庭桜に対し 人に寄す  

獨立庭除群草深   庭除に独り立てば 群草深し

陽光燦燦樹森森   陽光は燦燦、樹、森森たり

兩年不遇三春盡   両年遇わずして、三春は尽く

重瓣櫻花孤影心   重瓣の桜花、孤影の心

          (下平声「十二侵」の押韻)

<解説>

 1988年頃から4〜5年間、「山陽吟社」という同人誌で添削をうけていました。そのご6年ぐらい漢詩を作らなくって、この春に久しぶりに遊んで見ました。

 [訳]
 二年間ほど遇わないうちに、今年の春も尽きようとし、花びらの重なっ庭除(にわ)にひとり立てば、雑草が茂り、陽の光は燦燦と照って、樹はたかだかと伸びている。
桜(つまり八重桜)と、私の(一人きりの)影に感じられる心と。

 自分の名前は「いにしへの奈良の都の八重桜 けふ九重に 匂ひぬるかな」という歌からとったと当人のホームページにあった、香奈子さんという女性にメールで送った詩です。
 うちの庭には八重桜がある。
結句を思いついて、句中対を全句に入れようと遊んで見ました。

<感想>

 逸爾散士さんは「いちにさんし」とお読みすればよいのでしょうか。新しい方をお迎えして、とてもうれしい気持ちです。
 お手紙に書かれていた歌は伊勢大輔のものですが、「奈(七)良の都の重桜 けふ重に・・・・」と数の重ね表現に工夫のある歌ですね。逸爾散士さんのこの詩も、そういう意味での工夫が面白い作品でしょう。
 転句の「両年」「三春」の対も勿論ですが、詩中に散りばめられた立」「草」「瓣」「影」などの字が、やはり数を示していますので、畳みかけるような展開が生きていると思います。
 漢詩はマイナーな趣味かもしれませんが、インターネット上には一杯仲間がいますよ。「リンク集」も是非ご覧になって下さい。

2001. 5. 6                 by junji





















 第58作も新しい方からの投稿です。
釜石市の 俊 成 さんは、五十代の男性の方、いただいたお手紙では、
「創作経験は、30年前に通り一遍勉強しただけです。その時に680円で買った小川環樹さんの『新字源』の埃を払って、30年ぶりにつくってみました。
 15年前にワープロから始まり10年前からパソコンと早くからキーを叩いていたものですから、漢和辞典をめくるのは20年ぶりになりました。お陰で漢字の奥深さを再認識した次第です。」

とのことでした。

作品番号 2001-58

  三陸海岸偶成        

浜連鋸歯好風光   浜は鋸歯に連て 好風光

揺揺漁舟放渚香   揺揺たる漁舟 渚香を放つ

曽浪千尋人境絶   曽て浪は千尋にして人境を絶す

白鴎一點粲滄滄   白鴎一點 滄滄に粲なり

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

 三陸の海岸美は素晴らしい眺望だが、津波の常襲地帯でもある。
解説としては以下の如し。

はまはつらねて りあすしき
のたりのたりと いそのかも
かつてのつなみ あとうすれ
あざやかなるは はくおうぞ


<感想>

 第57作の 逸爾散士 さん、そして今回の 俊成 さんと、新しい方の投稿を続けていただきました。ホームページ主宰者としては、うれしい限りです。
 お手紙によれば、「30年ぶりの詩作」とのことですが、力強さとと柔らかさが調和した表現になって、ブランクなど感じませんね。特に転句と結句の、大と小の対応はとても印象的です。
 承句の「揺揺」と結句の「滄滄」が重言(畳字)となっていますが、後の方はあまり効果が無く、逆に前の「揺揺」を弱めているように思いますが、いかがでしょうか。

2001. 5. 8                 by junji





















 第59作は中山逍雀さんの推薦で、河北省の 王敬愚 さんの賦の作品をご紹介します。
 中山さんからのお手紙では、
    「賦は日本人の作品を見かけませんが、中国人の作品は時折あります。
    参考のために一首投稿させていただきます」

とのことでした。
 掲載の仕方が難しいので適宜改行しましたが、切り方が変でしたらご指摘ください。
 みなさんのご参考に。

作品番号 2001-59

  小院賦        

燕山道西,京開路東,建設路北,裕華南路;樓群櫛比,緑帯回環,花園里中,吾之小院。進門竹叢迎客,入戸葱蘢展延。葡萄架下留蔭,椿柿樹下休閑。榴花四月紅勝火,盆栽百奔沽如蓮。

入春初暖,玉笋急暢,嫩黄吐翠,小鳥声喧;届夏曙熱,緑葉尤繁,莉尅香,蜂蝶流連;秋季方臨,鋪金一片,柿子橙紅,葡穂珊珊;厳冬酷冷,竹不知寒,緑葉如瓜,雀舞翩翩。

雨洗嬌枝塵垢去,露乗翡翠玉珠圓;風揺百態翩翩舞,晴至千姿楚楚嫻。

紅墻碧瓦,映入眼簾生輝;朱戸銀窗,開敬尨a暢。斗室平房,藏書萬巻豈言貧?明几亮椅,高朋満座不凄涼。衣食起居,節奏均衡有度;琴棋書画,求索気韵篇章。

詩詞曲賦,感物抒懐咏志;太極拳,駆邪健体保康。賢妻良母,堂上関愛爍爍;叔媛頑甥,膝下承歓洋洋。

植桐無意引鳳,踴鯉非求化龍。處事理家,謹慎和禮譲;高談闊論,探討探求包容。

人逢盛世精神爽,壽届古希学業忙。出身農家子,平生不敢狂。但愿人長久,拭目看輝煌!

 





















 第60作は 真瑞庵 さんからの作品です。
 

作品番号 2001-60

  踏 春        

暁鳥関関告雨晴   暁鳥 関関ト 雨ノ晴ルルヲ告ゲ

朝暉誘我踏春行   朝暉 我ヲ踏春ノ行ニ誘フ

三条碧水凝光緩   三条ノ碧水 光ヲ凝シテ 緩ヤカニ

一陣翠風吹柳軽   一陣ノ翠風 柳ヲ吹イテ 軽シ

堤上遠望桃李発   堤上 遠ク望ム 桃李ノ発クヲ

畔中近見蕨蓬萌   畔中 近ク見ル 蕨蓬ノ萌ユルヲ

野祠社殿淡霞裡   野祠ノ社殿 淡霞ノ裡

雲雀高飛天外鳴   雲雀 高ク飛ンデ 天外ニ鳴ク

          (下平声「八庚」の押韻)

<解説>

 4月30日、鳥の声に目を覚まし、昨夜からの雨の上がったことを知りました。季春の朝日に誘われるままに木曽三川公園に出かけ、そのときの印象を詩に託してみました。
 長閑な春の一日の情景がうまく伝わりますかどうか。
 感想をお聞かせ下さい。

<感想>

 「踏春」はいかにも春を楽しむ風情の言葉ですね。
 木曽三川の春の景色が目に浮かび、仰るとおりの長閑な情趣が感じられます。
 「碧水」「翠風」の対も色彩を明確にしていて、効果的だと思います。
 尾聯の「野祠社殿淡霞裡」まで視線の高さを一定に維持しておいて、一気に「天外」と突き抜ける展開もアッという感じで、臨場感が出てると思います。

2001. 5. 8                 by junji