2012年の投稿詩 第121作は サラリーマン金太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2012-121

  赤穂御崎温泉(一)        

珠簾紅幕對C灣   珠簾紅幕 清湾に対し

相望玻窓波浪斑   玻窓より相望めば波浪斑(まだら)なり

藥効頻傳頌忠義   薬効 頻(しき)りに伝へ 忠義を頌(たた)へ

陶然游客夕陽間   陶然たる游客 夕陽の間

          (上平聲「十五刪」の押韻)





<解説>

 引き続き赤穂旅情シリーズです。今回は宿泊した赤穂御崎温泉を詠みました。

★字句解説
「珠簾紅幕」: きらびやかな紅幕を旅館街にめぐらし、楼閣には珠簾をたらして何とも風情のある岬の宿が、
        播磨湾に面している。 「玻窓」: 旅館のガラス窓
「波浪斑」: 穏やかな碧海の瀬戸内に所々白い波が立っている
「陶然」: うっとりよい気持ち
「游客」: 旅人、游子






<感想>

 赤穂御ア温泉に私は行ったことがありませんが、サラリーマン金太郎さんの詩を拝見するだけでも、風光の良い場所だと分かります。

 承句の「波浪斑」は、表現としてあまり美しさを感じませんが、私の感覚の問題でしょうかね。

 転句は温泉と忠臣蔵を兼ねた表現でしょうが、これでは「薬効」「忠義」「頌」えているようにも読めます。
 温泉と忠臣蔵との直接の関わりがどの程度あるのか、それによって表現が変わってくると思いますが、あまり関わりが無いなら、ここで二つのことを出すのは疑問です。

 結句の「陶然游客」はあまり役に立たない語なので、ここに転句の二項目のどちらかを持ってきてはどうでしょうか。





2012. 4.13                 by 桐山人






















 2012年の投稿詩 第122作は サラリーマン金太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2012-122

  赤穂御崎温泉(二)        

遊客連綿倚宿坊   遊客連綿として宿坊に倚(よ)り

奇岩碧浪望蒼蒼   奇岩碧浪 望み蒼蒼たり

能醫痼疾宣傳好   能く痼疾をいやすと宣伝好し

倶頌靈泉忠義湯   倶にたたふ 霊泉忠義の湯

          (下平声「七陽」の押韻)



「痼疾」: 容易に治らないで、長い間悩まされている持病

<感想>

 こちらの詩でも、赤穂浪士がこの温泉で何かをしたというならば分かるのですが、そうでないと、「霊泉忠義湯」という言葉が実体のないまま、中途半端に浮きます。

 後半の構成は(一)よりも良いと思いますが、前半は、起句と承句で旅客の話と景観の描写がまとまりが悪いように感じます。
 (一)の前半の方が、詩としては絵画的で良いでしょうね。





2012. 4.13                  by 桐山人






















 2012年の投稿詩 第123作は大阪府富田林市 藤城英山 さん、六十代の男性の方からの作品です。
 

作品番号 2012-123

  憶古希        

去梅来桜七十年   梅が散り桜が咲いて七十年なり

歳歳臭花人不同   毎年花は咲き臭えども人は変わり行く

唯尽人事待天命   後はただ出来る事を尽くして天命を待とう

自得往生是満足   自らの納得で全う出来ればそれで満足





<解説>

 今年の4月で古希になるのを記念に、漢詩の形式には上手く出来ませんでしたので、ただそのままを七言句にしたものです。

<感想>

 そうですね。漢詩の形式に整えることから始めましょうか。

 まず一番にすることは、押韻を合わせることです。漢詩では平仄の違いは多少目をつぶる場合があっても、押韻だけは絶対条件です。
ただ、押韻だけを合わせることはできませんので、平仄や内容を考えながら調整をすることになりますね。

 近体詩では押韻は平声が原則ですのです。できるだけ英山さんの表現を生かすことで考えれば、起句の「年」の「下平声一声」で揃えるか、承句の「同」の「上平声一東」で揃えるかでしょう。

 どちらの韻目も使える字は多いのですが、詩の内容に合いそうなのは「上平声一東」のように感じますので、ひとまずそちらで揃えてみましょう。

 同じ意味の韻字があればベストですが、起句で「年」にぴったり照合する字はありませんので、「七十」くらいでしょうか。

 承句は「同」ですのでそのまま、結句は「是満足」と似た表現として「心気充」としておきます。

 次に平仄ですが、起句は六字目が「十」で仄声ですので、二字目を仄字、四字目を平字と互い違いにしなくてはいけません。語順を入れ替えて「梅去桜来七十翁○●○○●●◎」としておきましょう。

 承句は、二字目が平字、四字目が仄字、六字目を平字としますので、六字目の「不」は邪魔ですね。また、この句は劉庭芝の「代悲白頭翁」のイメージがあるのでしょうが、「毎年人が異なる」ことを嘆くのは、この詩の後半と合わないように思います。「花はいつでも同じように開く」という話にして、「年年花季古今同○○○●●○◎」でしょうか。

 転句は前は「人」が同字重出でしたが、承句を換えましたのでそのまま使えます。
 平仄は平字、仄字、平字の順になりますので、合わないのは二字目、ここを「全」として「唯全人事待天命」としましょう。

 結句は下三字を変えましたので、平仄としては合っています。

 以上を集約すると、

   推敲例  
梅去桜来七十翁○●○○●●◎   梅去り桜来たり 七十の翁
年年花季古今同○○○●●○◎   年年の花季 古今に同じ
唯全人事待天命○○○●●○●   唯だ人事を全うして 天命を待つ
自得往生心気充●●●○○●◎   自得す 往生 心気充つ


 これで絶句の形式にはひとまずなりました。ただ、あくまでも一例ですので、次に、自分の言いたいことが表現できているか、もっと分かりやすい表現にならないか、そうしたことを検討する推敲の段階に入ります。

 ここまでは実際には作業的な感じがするかもしれませんが、スタート時点を決めるというつもりで取り組んでみましょう。
 そして、推敲の段階で自分の思いや感性が十分に出せるようにしていきましょう。





2012. 4.13                  by 桐山人






















 2012年の投稿詩 第124作は サラリーマン金太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2012-124

  賽播州赤穂花岳寺有感        

千里奔馳報凶變   千里奔馳ほんちして凶変を報せ

爾来四十七臣辛   爾来四十七臣の辛

本懐漸遂當年後   本懐 漸く遂げて当年の後

花寺鐘樓韻不巡   花寺の鐘楼 ひびき巡らず

          (上平声「十一真」の押韻)





<解説>

「千里奔馳して凶変を報せ」: 2011年267作の「元禄赤穂事件史跡 訪息継井戸」参照
「花寺鐘楼 韻き巡らず」: 花岳寺に「鳴らずの鐘」伝承が残る。

   「鳴らずの鐘」赤穂・台雲山花岳寺(浅野家と赤穂義士の寺)公式ホームページより



<感想>

 「花岳寺」は浅野家の菩提寺、赤穂浪士の死を知った藩民がこの鍾をたたき続けたために、以後は鳴らなくなったと言われるのが「鳴らずの鍾」だそうですね。
 転句からの流れを見ると、赤穂浪士の義挙と「鍾が鳴らなくなった」こととは直接つながらず、この鍾の事情を知らないと理解できないという点が気になります。
 赤穂浪士の切腹ということが転句にあると、悩まなくても良いかと思いますので、その辺りを検討されてはいかがでしょう。

 転句については、「漸」は「だんだん、少しずつ」の意味です。ここでは「やっと」の用法かと思いますので、「才」「已」などが考えられますが、先ほど述べたことと併せて考えると、無理に入れる必要は無いでしょうね。

 起句の平仄は、二六対で六字目を仄声にするべきですから、本来は「●●◎」か「〇●◎」とするところです。「踏み落とし」にして「〇●●」となったところを「挟み平」にしたということで、「踏み落とし」と「挟み平」は別のことと考えれば良いでしょう。



2012. 4.25                  by 桐山人






















 2012年の投稿詩 第125作は サラリーマン金太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2012-125

  播州赤穂城下作        

赤穂城頭浪拍天   赤穂城頭 浪 天を拍つ

當時築石尚依然   当時の築石 尚依然たり

不消義士忠誠魄   消せず 義士忠誠の魄

澗水嶺雲香雪翩   澗水 嶺雲 香雪翩る

          (下平声「一先」の押韻)



<感想>

 起句の「浪拍天」は近くを流れる千種川でしょうか、承句からは赤穂城の堀の水のようにも感じますが、どちらにしてもかなり大げさな表現で、次の「築石尚依然」という思いとかみ合わないのではないでしょうか。
 この三字を除けば作者の気持ちがよく伝わってきます。

 結句は視線を遠くへ広げた形で、「義士忠誠魄」がいつまでもこの地に残っていることを象徴しているのでしょう。ただ、「澗水」は山に囲まれた谷川ですので、城下から眺める場面としてはどうでしょうか。
 また、起句にも水が出てきていますので、ここでわざわざ「澗水」を置くよりも別のものを出してはどうでしょうか。





2012. 4.26                  by 桐山人






















 2012年の投稿詩 第126作は 仲泉 さんからの作品です。
 

作品番号 2012-126

  雪中作        

凛凛寒空雪意生   凛凛寒空 雪意生ず

凍雲一色不堪評   凍雲一色 評に堪へず

白銀俄積三千界   白銀俄に積む 三千界

酔臥深更折竹声   酔臥深更 折竹の声

          (下平声「八庚」の押韻)





<感想>

 前半で、今にも雪が降り始めそうな空模様を描き、転句から一気に雪景色へと時間経過を出している構成は、結句の「深更」へと流れを作り出していて、工夫された良い詩だと思います。

 転句からの効果を高めるには、起句で「雪」は出さないで、風を表すくらいにしておくのが良いでしょうね。



2012. 4.26                  by 桐山人





















 2012年の投稿詩 第127作は 秀涯 さんからの作品です。
 

作品番号 2012-127

  三月十六日訪韓登雪獄山感有     三月十六日、訪韓シテ登リ雪獄山二感有リ   

雪嶽残雪映日鮮   残雪ノ雪嶽(ソラクサン)ハ映日鮮ナリ

北望蔚山奇崖連   北望スレバ蔚山(ウルサンパウイ)ノ奇崖ハ連ナル

昔時城壁排元襲   昔時 城壁ハ元襲ヲ排ス

幾度訪韓交誼遍   幾度ノ訪韓 交誼ハ遍シ

          (下平声「一先」の押韻)





<解説>

 鈴木先生、新学期も始まり、新しい学生達を迎え益々お忙しいことと思います。お元気でしょうか?

 今回、十年来の交流をしている韓国の技士仲間の歓待を受け、なかなか普通の観光では行けない雪嶽山国立公園に案内して貰いました。
 春いまだ早く、残雪の国立公園の素晴らしさは将に絶景としか言いようがありませんでした。

 両国のこれからの友情が続くことを祈りながら感謝をこめて作したものです。



 [訳]
 未だ、残雪のある雪嶽山(ソラクサン)は、日に映えて鮮である。
 頂から、北を望めば蔚山(ウルサンパウイ)の奇崖が連ってみえる。
 ここは、昔時元襲を排斥する城壁であったと聞いた。
 十年に及ぶ日韓両国の友情は暖かく雪嶽山からの絶景は、更に素晴らしいものであった。


<感想>

 内容面を先に見ますと、前半で「雪嶽山」の風景を描き、後半に今回の訪韓についての作者の気持ちを述べていくのは構成としては良いですね。

 しかし、転句については、どういう意図があるのかよく分かりません。
 日本への元寇以前に、朝鮮半島が元の侵攻を受けたことは歴史としては分かりますが、だから、今回の訪韓や両国の「交誼」との関わりがどうだと言いたいのか。元の攻撃を受けた国同士ということを言うのだとして、両国の経過を見るならば、連帯というような意識を共有できるのか、疑問です。
 あるいは、この風光明媚な地もかつては激戦の天然の城壁であったという古今の違いを言うのなら、「元襲」という特定の戦を出すのはどうなのでしょう。
 一緒に行かれた韓国の皆さんの対応について私は分かりませんので、一般的な話になっているかもしれませんが、詩として多くの方に読んでもらうという点からは、より「交誼」を感じさせる事例を探した方が良いと思います。

 結句の「幾度訪韓」は秀涯さん個人のことですので、このことから「交誼遍」とまで進むのは広がりすぎの印象です。  韻を合わせる形で、「交誼堅」とか、「縁」「全」などの字を用いてはどうでしょう。

 平仄についてですが、「雪嶽」「蔚山」の固有名詞がありますので、起句承句の「二四不同」についての平仄の乱れは大目に見られる面もあります。
 しかし、起句の「嶽残」は狙った同字重出かもしれませんが、私はわざわざ使うほどの面白さには感じませんでした。せめて語順を「残雪雪嶽」とした方が、描写にも合うし、効果も際立つでしょう。

 承句も、「北望」の位置を換えるなり、表現を少し変更すれば平仄を合わせられると思いますので、直した方が良いですね。

 題名の「感有」の「有」は返読文字で、語順としては「有感」としなくてはいけません。




2012. 5. 1                 by 桐山人






















 2012年の投稿詩 第128作は 兼山 さんからの作品です。
 

作品番号 2012-128

  大震災一年後有感(一)        

港村萬里怒濤來   港村 萬里 怒濤来り

去後遺留瓦礫堆   去って後 遺留す 瓦礫堆し

未消放射能汚染   未だ消えず 放射能汚染

奇策有無誰救災   奇策 有りや無しや 誰か災ひを救はん

          (上平声「十灰」の押韻)



    汚染ゴミ瓦礫の山に芽吹くあり



<解説>

 四月になって一斉に桜が開花しました。
昨日は大変な強風雨でしたが、今日は結構な花見日和になりました。

 大震災直後「殊に原発事故は詩には詠めない」と書きましたが、本質的な問題は未解決のまま、早くも一年が経ちました。

「一年後有感」(二題)を送付致します。

<感想>

 粘法の崩れた拗体の詩ですが、その分、転句の「放射能汚染」が強く出ていると思います。

 仰る通りで、一年という時間が復興のために何の役に立ったのか、無力な自分自身に対しての悲しみばかりが深まります。
 そういう意味で、「奇策」という言葉が出てくるお気持ちはとてもよく分かるのですが、ただ、やはり「奇策」ではなく長期的な腰を据えた根本的な施策が欲しいものですね。





2012. 5. 1                 by 桐山人






















 2012年の投稿詩 第129作は 兼山 さんからの作品です。
 

作品番号 2012-129

  大震災一年後有感(二)        

海嘯一年春暗催   海嘯 一年 春 暗に催す

未成復興不堪哀   復興 未だ成らず 哀しみに堪へず

爲之行樂雖皆止   之れが爲に 行楽 皆止むと雖ども

芳野櫻花待爾開   芳野の桜花 爾を待って開く

          (上平声「十灰」の押韻)




    南からエールを添へて花便り





<感想>

 添えられた句のお気持ちは、被災地から遠く離れ、平常の日々を送っている私たちの共通の思いですね。

 昨年は自粛ムードの強かった春の祭りや行事も、今年は例年の如く賑やかに行われているようです。桜の花も遅れ気味ながら、よく咲きました。いつもの春が来たことを素直に喜び、同時に現在も被災で苦しんでいる方々に、「もうすぐ桜の花が行きますよ」とエールを送る、そんな気持ちですね。

 承句の否定の繰り返し(「未」「不」)は句意をわかりにくくさせていますので、どちらかの否定を取る形で推敲されると良いでしょう。

 転句の「為之」は散文的で、不要だと思いますね。

 結句は「爾」が何を指すのか、「春を待って」でしょうか、「被災地の友人を待って」も考えられますし、桜の方から見てという形でご自身を「爾」としたのかも、色々と考えられるところが面白さでもあり、物足りなさでもありますね。





2012. 5. 1                 by 桐山人






















 2012年の投稿詩 第130作は 点水 さんからの作品です。
 

作品番号 2012-130

  櫻花        

東風吹到一株櫻   東風 一株の櫻に吹き到り

片片花飛春色盈   片片と花は飛び 春色盈つ

低朶怱忙抽嫩葉   低朶(下枝)は怱忙と嫩葉をふき

高標沈着飾紅英   高標(上枝)は沈着に紅英をととのふ

          (下平声「八庚」の押韻)





<解説>

 今年は櫻の開花も遅れましたが、この頃は各地で満開という情報がふえました。
 櫻花は咲いてから、あっという間に散るということで、沢山の詩が作られています。
しかし、じっくりと観察すると、下枝の花が衰え、若葉が芽を出してから、上枝はまだ咲いている様子が見られます。
 こんな状況を思いつくってみました。

 よろしくお願いします。

<感想>

 桜の花を描いた詩は確かに多く書かれています。
 散る潔さにばかり気を取られてしまいますが、一枝一枝に目を向けていくと、仰るように、高い枝と低い枝、あるいは陽の当たる枝もあれば陰になる枝もあり、花の様子もそれぞれの境遇で異なるようですね。

 そんな細やかな観察眼で桜をじっくりと眺めようとした詩で、後半を対句にして丁寧に描こうという意図が伝わってきます。

 具体的な桜の枝の様子が目に浮かぶようで、よく表現されていると思います。ただ、何となく違和感が残るのは、承句の完結度が高いことからでしょうか。

 「春色盈」で一旦まとめられた形で、そこから転句で更に「じっくり観察」となるため、あっさりとしたコース料理が終ったと思った後、またこってりとした油料理が出てきたような感じで、いつまで食事が続くのか、不安になります。
 承句を一番最後に持ってくると落ち着く印象ですので、構成を練るか、「春色盈」の韻脚を変えるか、あるいは律詩に広げてみるのも考えられますね。



2012. 5. 5                 by 桐山人






















 2012年の投稿詩 第131作は 茜峰 さんからの作品です。
 

作品番号 2012-131

  彼岸行白川郷林道        

夜来積素淡粧甍   夜来の積素 淡粧の甍

林壑道途掻雪行   林壑の道途 雪を掻いて行く

唐突稲妻雷鼓響   唐突の稲妻 雷鼓は響く

漸尋春気燭熒萌   漸く尋ぬ 春気 燭熒(しょくけい)の萌(きざし)

          (下平声「八庚」の押韻)





<解説>

春の彼岸に白川郷を訪れる。

宿で朝目覚めると夜から降り積もった雪で一面の雪化粧。
新雪を踏んでの林道歩きはラッセルのごとく雪を掻いて行く。
突然稲光と雷の音。
こんな雪の中で信じられないような気分だが、漸くこの地にも春はやってきたのだと思うと、心にともしびが灯った如く温もりを感じる。

  (※新雪が深いので当初予定していた山行をやめ林道歩きに変更した)

 [語釈]
 「積素」:積もった雪
 「燭熒」:小さなともし火

<感想>

 三月末の白川郷ということですので、彼岸とは言え、まだまだ冬の気配が濃厚だったことと思います。その中で遭遇した雷から春の訪れを感じ取ったという内容の詩ですね。
 微妙な季節の変化に心が動いたことがよく伝わってきます。

 表現の点では、起句の「夜来」の降り積もった雪が「淡粧」というところが、実景だとしても違和感があります。
 承句の「掻雪行」との関連もありますので、起句の韻脚は村里の静けさなどを表してはどうでしょうか。

 結句は「漸尋」と作者を出すのは説明過多で邪魔ですね。「漸」も漢詩では「ようやく」の意味ではなく「少しずつ」として用いますので、少しニュアンスが違うようです。
 ここは「深山」のような景物を描いたり、地名を入れたりするのが良いでしょう。




2012. 5. 6                 by 桐山人



茜峰さんから推敲作をいただきました。

 鈴木先生、以前投稿しました漢詩をご指導に従って補正しました。

    彼岸行白川郷林道
  夜来積素改装甍   夜来の積素 改装の甍
  林壑道途掻雪行   林壑の道途 雪を掻いて行く
  唐突飛光雷鼓響   唐突の飛光 雷鼓は響く
  山阿春気燭熒萌   山阿に春気 燭熒の萌し


2012.6.18           by 茜峰




 推敲作、拝見しました。
 全体にバランスが良くなったと思います。
 転句も「飛光」として、措辞としても整いましたね。



2012. 7.23           by 桐山人























 2012年の投稿詩 第132作は 深渓 さんからの作品です。
 

作品番号 2012-132

  想醍醐寺櫻     醍醐寺の櫻に想う   

卑賎興身極位階   卑賎にして 身を興し 位階を極む

綺筵花下侍金釵   綺筵の花下 金釵を侍らす

文慶度海雄図絶   文慶の度海 雄図絶ゆ

一代栄華茶靄埋   一代の栄華 茶靄に埋む

          (上平声「九佳」の押韻)





<解説>

 十二年に一度の辰年の年男 八十四齢の祝い旅に京都に遊び醍醐寺の櫻を観て感あり。

<感想>

 私も今年は年男、深渓さんよりも二回り下になります。「祝い旅」という、これは良い言葉を教えていただきましたので、今年は旅行にでかけるチャンス到来と喜んでいます。

 醍醐寺の花見と言えば、やはり豊臣秀吉を思わずにはいられないのですが、深渓さんのこの詩は、そちらに焦点を向けたものですね。
 ただ、実際の桜の様子が一言も無いのは、せっかくの「祝い旅」に出かけられたのに残念です。深渓さんの眼前の桜と秀吉の姿が重ならないと、部屋の中で歴史書を読みながら作詩したのと変わりなくなってしまいます。
 結句に少しでも叙景を入れるような形が良いでしょうね。




2012. 5. 6                 by 桐山人






















 2012年の投稿詩 第133作は 常春 さんからの作品です。
 

作品番号 2012-133

  次韻大震災一年後有感詩        

一年瞬過夏還來   一年瞬ちに過ぎ 夏た来る

東北街頭瓦礫堆   東北の街頭 瓦礫の堆

錯雑風評妨處理   錯雑せる風評 処理を妨ぐ

靜聽査明放射災   静聴せよ 査明 放射の災

          (上平声「十灰」の押韻)





<解説>

 兼山さんの詩 「大震災一年後有感」に次韻しました。

「安全」と言う言葉が信を失い、人々は「安心」を求めて風評にとりつかれています。
 また、防護上の余裕をもった基準を求める専門家も多く、実地医療、実地調査の見解を打ち消しています。
 一方、気象研究所には、人工放射能の測定を1954年以来積み重ねています。1960年代、高い値が出ています。客観的諸事実を知ることが、今求められています。

 瓦礫にまつわる、地域の反応をみていると、「絆」とはうらはらに、差別を助長しかねない風潮を感じるこの頃です。



<感想>

 さっそくの次韻詩をいただきました。

 復興の進まない現状、そこには政府の対応のまずさは勿論ですが、そこに端を発する不信の増加、そして自己防衛の意識が風評を呼び、結果として復興の第一歩である瓦礫処理が進まないという状況は連鎖を生んでいます。

 一年かかってアラスカに漂着した震災の遺留物が、タイムカプセルのように、一年前を思い出させると同時に、この一年の時間の意義を思い知らされるようです。





2012. 5. 6                 by 桐山人






















 2012年の投稿詩 第134作は 仲泉 さんからの作品です。
 

作品番号 2012-134

  早春賦        

柳眼微温興趣真   柳眼微温 興趣真なり

鶯声出谷莫逡巡   鶯声 谷を出づるに逡巡すること莫れ

待東君届江南信   東君江南の信届くを待つ

小院疎梅浅浅春   小院疎梅 浅浅の春

          (上平声「十一真」の押韻)



<感想>

 「春は名のみの風の寒さや」という『早春賦』の歌詞がしきりに思い出される今年の春でした。出勤で電車に乗るわけですが、なかなか冬の服から春へと移れず、いつまで経っても二月頃と変わらないような服装を手放せませんでしたね。
 下車する刈谷駅から勤務先まで徒歩で二十分ほどの距離ですが、時には汗ばむような日もあるかと思えば、強い風にあおられて寒気が走るような日もあり、五月になってもまだ肌寒い朝もあり、本当に苦労しています。

 さて、仲泉さんの今回の詩ですが、起句の「興趣真」は作者の心情を出していて、通常は詠い出しの起句では、というよりも、詩ではあまり使いたがらない言葉です。それを敢えて持ってきたのは、承句の「莫逡巡」も同様で、春を待ちわびる作者の心情も「早春」の一景として使いたいという狙いでしょうね。
 この詩に関しては、「興趣真」は違和感を私は感じませんでした。

 転句は分かりにくいですね。
 構成としては「東君(春の神様)が江南の信(春の便り)を届けてくれる」ことを「(私は)期待している」ということでしょうか。読み下しでは「東君」が「待つ」というように読み取れます。
 ここでも作者の心情である「待」を出す必要は無いし、読み取りにくい構造の文をわざわざ書く必要もありませんので、ここは「東君未到江南信」としてはどうでしょうか。





2012. 5.15                  by 桐山人






















 2012年の投稿詩 第135作は 博生 さんからの作品です。
 

作品番号 2012-135

  晩春偶成        

東皇一別有余情   東皇一別 余情有り

城址残桜杜宇声   城址の残桜 杜宇の声

歳月匆匆人亦老   歳月匆匆 人亦老ゆ

浮生不返独行行   浮生返らず 独り行き行く

          (下平声「八庚」の押韻)





<解説>

   梅や桜の賑わいも終わり
   古城址は人影も疎ら寂寥を感じ、
   亦、わが身を顧みる。

<感想>

 博生さんからは、晩春の季節の詩を二首いただきました。

 こちらの詩は、「東皇」の初春、「残桜」の晩春、そして「杜宇声」の初夏と、季節を感じさせる言葉を並べて、転句の「歳月匆匆」へと流れを作っていますね。

 その転句の「匆匆」は「あわただしく物事が進む」ことを表します。下の「人亦老」への流れはありきたりですが、ここは違和感はありません。

 結句も孤独感が出ていて、全体として統一された詩になっていると思います。





2012. 5.15                  by 桐山人






















 2012年の投稿詩 第136作は 博生 さんからの作品です。
 

作品番号 2012-136

  春雨偶成        

緑肥紅痩暖風軽   緑肥 紅痩 暖風軽し

蕭寂閑居檐滴声   蕭寂の閑居 檐滴の声

細雨濛濛無客問   細雨 濛濛 客の問ふ無し

微吟倚机酒宜傾   微吟 机に倚り酒傾くべし

          (下平声「八庚」の押韻)







<解説>

 斯様な心境への願望。

<感想>

 こちらの詩は、夏間近の春の長雨というところでしょう。今年は特に、日曜ごとに雨が降るという印象でしたね。

 転句の末字は「問」よりも「訪」の方が良いでしょう。

 結句は、「誰も来ないから、これ幸いで飲んでやれ」という気持ちなのか、「誰も来ないから寂しくて酒に逃げよう」という気持ちなのか、「願望」という解説がありましたので、「これ幸い」の方でしょうね。
 とすると、承句の「蕭寂」がやや邪魔になってきますね。「閑」まではあっても良いですが、感情をあらわす「蕭寂」は結句と食い違うように思います。
 これは情景をもう少し続けてもよいかもしれませんね。





2012. 5.15                  by 桐山人






















 2012年の投稿詩 第137作は 緑風 さんからの作品です。
 

作品番号 2012-137

  水門川盥船        

歓声中漾大盤船   歓声の中 漾よふ大盤船

後尾浮遊花筏鮮   後尾に浮遊する 花筏鮮やかなり

河畔風光将夢幻   河畔の風光 将に夢幻

水明山紫競春妍   水明山紫 春妍を争ふ

          (下平声「一先」の押韻)





<解説>

 春爛漫の日曜日、大垣市の芭蕉記念館のオープンがあり、また水門川で『川下りの』イベントもあって大勢の人でにぎわいました。
 川下りの船も最初は小船でしたが、数年前から『おあん物語』にちなんで『盥舟』になりました。
 桜満開の下を行く盥舟の風景は見事でした。

 久し振りにこの感想を作詩しました。



<感想>

 前半の近景から後半の遠景への展開が自然で、ドキュメント映像を見ているような印象を受けました。美しい光景と大勢の人の熱気が伝わってくるようです。

 起句は「歓声」「大盤船」は良いですが、途中の「中」はあまり必要の無い説明の語ですし、「漾」も主述の関係では語順が変です。
 「歓声」がどうであったのか、あるいは「大盤船」がどんな姿なのかをこの二字で語った方が無駄が無いでしょう。
 例えば、「歓声勃勃大盤船」とか「歓声漾漾大盤船」(この場合には「漾漾」が上下に掛かりますね)など、色々な方向性が可能だと思いますので、推敲の楽しみとして考えてみてください。

 結句の「水明山紫」は逆の方がすっきりしますので、これを転句に持ってくる形でもよいかと思います。





2012. 5.16                  by 桐山人



緑風さんから推敲作をいただきました。

    水門川盥船(推敲作)
  歓声漾漾大盤船   歓声漾漾 大盤船
  後尾浮遊花筏鮮   後尾に浮遊する 花筏鮮やかなり
  山紫水明将夢幻   山紫水明 将に夢幻
  桃紅柳緑競春妍   桃紅柳緑 春妍を争ふ


2012. 5.23                by 緑風


<感想>

 結句について、「桃紅柳緑」はまだ疑問が残りますね。
 「山紫水明」が転句に移り、前半の盥船の描写から周囲の自然へと目を向けています。転句は簡単に言えば、「辺り一面良い風景」というところですので、そこから更に結句で「桃」だ「柳」だと出てきて、それらが競っているというのは饒舌です。
 この詩で競うべきなのは、そうした自然の風景と人の姿でなくてはいけません。「桃」でも「柳」でも良いですので、どちらかにして、片方は人々の楽しい様子を表すとまとまりが良くなるでしょうね。


2012. 6.16                by 桐山人























 2012年の投稿詩 第138作は 兼山 さんからの作品です。
 

作品番号 2012-138

  同窓傘壽之會讃歌(一)        

松青砂白碧雲流   松は青く 砂は白くして 碧雲流れ

螢雪六年相與遊   螢雪 六年 相與に遊ぶ

小子不知戎事畢   小子 知らず 戎事畢りしを

爾來迎壽意悠悠   爾來 壽を迎へ 意悠悠たり

          (下平声「十一尤」の押韻)



先日(4月11日)、投稿致しました拙詩「同窓傘壽之會讃歌(一)」の転句「小子不知戎事畢」は 「幼い子供だったので(卒業した昭和20年に)戦争が終わったことを知らなかった」の意ですが、 文字の順序を「知不」と置き換えて「知っていたか否か」に再修正したいと思います。 その場合、「文末の不は平声」とは書いてありますが、生憎?「尤韻」らしいのが残念です。 冒韻承知でも「知不」に変更することの良し悪しに就いて、先生の御教示をお伺い致します。 ちゃんと推敲しないままの投稿で相済みませんが、何卒、宜しくお願い申し上げます。(兼山)

<解説>

 昭和二十年に西新国民学校を卒業した同窓が傘寿を迎えまして、「傘壽の會」としました。

<感想>

 兼山さんからは二首、同窓傘壽の会の詩をいただきました。
 こちらは、国民学校を一緒に卒業された皆さんの集まりの方とのことですが、卒業されてからもう七十年近くを経てこられたわけで、同窓という思いもひとしおのことと思います。
 おめでとうございます。

 私も今年の連休中に、中学の同窓会が開かれ、還暦の仲間が集まりました。私もそうですがまだ定年にならずに仕事をしている者もいれば、すでに退職した者もいて、お互いが「羨ましいなぁ」と言い合っていたのも妙なものでした。
 傘寿の会ということになれば、彼等と二十年後に無事に会うという話になるのですが、何人の仲間になるのか、いやいや、とても想像もできませんね。

 兼山さんからは、転句の「不知」を「知不」に変えて「知っていたかどうか」という文にする案も考えていた、というお手紙をいただきましたが、句末の「不」とは違いますので、「小子知不戎事畢」では「いなや」とは読めず、どうでしょう、「小子は知る 戎ならずして事畢はるを」とでも読むのでしょうか。かなり苦しいですね。
 そのまま「不知」で良いと思いますが、「知らなかった」と断定するのに抵抗があるようでしたら、「誰知」という形でしょうか。




2012. 5.16                  by 桐山人






















 2012年の投稿詩 第139作は 兼山 さんからの作品です。
 

作品番号 2012-139

  同窓傘壽之會讃歌(二)        

修猷不羈更何求   修猷 不羈 更に何をか求めん

質朴氣風天下憂   質朴の気風 天下の憂ひ

戰後六年師與友   戦後 六年 師と友と

爾來迎壽意悠悠   爾来 壽を迎へ 意悠悠たり

          (下平声「十一尤」の押韻)





<解説>

 昭和二十六年に高校を卒業した同窓での傘壽の會の詩です。

<感想>

 兼山さんが卒業されたのは福岡県の修猷館高校、創立から二百三十年ほどのだそうですが、その校名の由来は『書経』の「践修厥猷」からとられたもので、「聖王(湯王)の道をきちんと守っていく」ということだと「修猷館高等学校ホームページ/学校紹介」で紹介されていました。
 ここでは、固有名としての学校名を入れるとともに、元の意味でも使っていますね。次の「不羈」は修猷館高校の自由で縛られない校風を表しているのでしょう。

 承句はこのままですと、「質朴気風」「天下憂」であることになります。それでは何のことか分かりません。
 修猷館の学生は「質朴」な気風を持っており、常に「天下」や国家のことを考えていた、ということでしょうかね。それならば、この語順ではやや苦しいのですが、「天下を憂ふ」と訓んでおきましょう。



2012. 5.16                  by 桐山人






















 2012年の投稿詩 第140作は サラリーマン金太郎  さんからの作品です。
 

作品番号 2012-140

  訪播州赤穂城址        

來訪赤城生暗愁   赤城を来り訪へば 暗愁を生ず

柳営動轉有誰謀   柳営動転す 誰有ってか謀らんや

花翻花落千年恨   花翻(ひるがえ)り花は落つ千年の恨

樓閣無墟石塁留   楼閣墟無く石塁を留むのみ

          (下平声「十一尤」の押韻)



「柳営動轉」: 殿中松の廊下刃傷事件

<感想>

 赤穂城については、「赤城」と記されたこともありますので、題名と合わせて理解できます。ただ、現代の感覚ではどうしても「赤城の山も今宵限り・・・・」の連想は避けられませんので、そのあたりの覚悟は必要ですね。

 句の配置としては、承句のみが過去の時点でのこと、他は現在のことと考えられます。
 起句で自身の行動が出てこないならばバランスは取れるのですが、このままですと、「暗愁」も邪魔な印象です。
 今までのシリーズと同じようなパターンになるのを避けたという意図かもしれませんが、起句も赤穂事件の場面を描いて、前半は過去のこととして揃える形が落ち着くかと思います。



2012. 6. 2                  by 桐山人






















 2012年の投稿詩 第141作は 芳原 さんからの作品です。
 

作品番号 2012-141

  人生得意未     人生意を得しや未だしや   

少年懐耿介   少年耿介を懐きしも

紆曲鬢霜多   紆曲して鬢霜多し

借問酔吟老   借問す酔吟の老

事終如志何   事終わって志を如何せんや

          (下平声「五歌」の押韻)





<解説>

 若いころは希望と正義感に充ち溢れキラキラ輝いているものだ
 世俗に阿(おもね)ることなく生きようとしたばかりに随分遠回りした
 気がついたら頭から鬢までもこんなに白くなっている
 ご隠居さん、もうやってますか いいご機嫌ですね
 少々ものをお訊ねしますが人は志はたせぬままこの年になってしまったら、若いころの苦労は何だったのでしょうね
真っすぐ生きて来た事が誇りじゃないか それが志ってもんだ





<感想>

 起句の「耿介」は「きらきらと輝く」ことで、節操を守って生きることも表します。
 清廉な志を持っていたために遠回りな人生であったという前半の嘆きは、そのままでは重くるしいものになりますが、転句で自身を「酔吟老」と戯化し、「借問」と軽く問う形で重苦しさを解いていますね。
 尋ねた内容は本来ですと人生についての重い話ですが、それを深刻ぶらずに受け止めていく姿勢が感じられる結末になっていると思います。

 五言絶句らしい、ふと口に出てきそうな詩になっていると思います。





2012. 6. 2                 by 桐山人






















 2012年の投稿詩 第142作は 芳原 さんからの作品です。
 

作品番号 2012-142

  七尾湾懐古        

春望孤帆映碧湾   春望 孤帆は碧湾に映ず

思遙昔日志紅顔   昔日遙かに思ふ 紅顔の志

逶迤五紀空清曠   逶迤いいたり 五紀 清曠を空しくす

旧夢滄茫不復還   旧夢滄茫たり 復た還らず

          (上平声「十五刪」の押韻)



<解説>

 春の昼下がり 青い鏡のような七尾湾に白いヨットが影を映す
 この地 遠い日の少年たちは目を輝かせ頬を紅潮させ希望に満ちていた
 あれから60年だ いつしか純粋で瑞々しい心も生彩を失ってしまった
 遠い日の少年の顔も熱い心ももはや還ることのない時の向こうにぼんやり消え残っているだけ



<感想>

 こちらの詩も主題としては前作と似ていますが、どうもイメージがぼやけている印象です。

 それはまず第一に、題名に「七尾湾懐古」とありながら、「七尾湾」のことは無くて「懐古」という心情の方に詩の重点が移ってしまっていることが原因です。
 起句に「孤帆映碧湾」があるじゃないか、と思われるかもしれませんが、この表現では「七尾湾」である必要性はなく、どこの湾でも通用してしまいます。
 「青春懐古」という題なら良いですが、せっかく「七尾湾」という地名を入れたわけですから、この地の景を承句でも展開してほしかったですね。

 同じく「春望」も、その後に何も春の様子が出てこないわけで、これでは作詩の日付をメモしたようなもの、「七尾湾」の情景とあわせて、前半を練るのが良いでしょう。

 構成的に、起句の叙景から承句の懐古へとつながる理由が何も示されてなく、唐突に作者の思いが繰り出されるわけで、結局、 起句の役割は何もない印象を強くしています。
 早く主題へ進みたいという作者のはやる気持ちは伝わってきますが、「起句承句でひとまとまり」、というイメージでの構成が大切です。

 承句は語順を直す必要があります。「思遙」は「遙思」と入れ替えるだけで良いですが、「志紅顔」は、これで「紅顔の志」と読むのは無理です。

 転句の「逶迤」は「ぐにゃぐにゃと曲がりくねっている」こと、「清曠」は単に「輝き」くらいの意味でしょうか。「輝いていた若い頃の心」とまで伝えたいのでしょうが、それでは「紅顔志」「旧夢」と重複です。

 結句の表現もそうですが、心情を示す抽象的な表現が続くために、読者もどうしても漠然としたとらえ方になります。具体的な事柄などを入れる形で推敲を進めるのが良いでしょうね。




2012. 6. 3                 by 桐山人






















 2012年の投稿詩 第143作は 欣獅 さんからの作品です。
 

作品番号 2012-143

  登北摂剣尾山     北摂剣尾山に登る   

能勢山中伴侠児   能勢の山中、侠児を伴ふ

真言行場杳間時   真言の行場、杳(はる)かに間(へだ)つの時

磨崖松樹従風嘯   磨崖の松樹、風に従って嘯(うそぶ)き

廃坊蔓蘿払露麾   廃坊の蔓蘿、露を払って麾(さしまね)く

霜鬢六旬脚不進   霜鬢六旬、脚進まず

青春十五飯難炊   青春十五、飯炊き難し

勿嗟仙界尚繁劇   嗟(なげ)く勿れ 仙界尚ほ繁劇なりと

帰路車窓既有詩   帰路の車窓、既に詩有り

          (上平声「四支」の押韻)





<解説>

 大阪北部の剣尾山へ、また顧問として中学山岳部のやんちゃな連中(侠児)を引率して登ってきました。
ここは古くからの真言宗の霊場で、山のあちこちに往時のおもかげがうかがえました。(頷聯)
 還暦に近い私は、なかなか足が進まない厳しい山でしたが、中学生たちは元気そのものでした。
 しかし彼らは、今時の若者の例にもれず、野外で飯を炊くことが覚束ないのでした。こうした指導もせねばならず、仙界とは思えない繁忙な山行となりました。
 しかし、愚痴など言わずにおきたいものです。
なぜなら、詩想という最高のお土産を持参したから・・・・、と、最後は少し意気込んでみました。



<感想>

 引率でのキャンプですか、大変だったことと思います。
 私も学校行事で生徒と一緒にキャンプに行くこともありますが、最近は場所を選ぶ段階で設備のより整っているキャンプ場を選んだりしますので、飯盒でごはんを炊いたりはしなくなりましたね。
 バーベキュー用のお肉や野菜も現地調達で済ませるようになり、だんだんと野外活動という雰囲気から離れていく感もしていますが。

 全体に趣のよく伝わる詩だと思います。結句は、解説の「詩想を手に入れた」というお気持ちを考慮すると、「既有詩」よりも「既得詩」とした方が自然でしょう。

 平仄を整えるために、第二句の「行場」は「行域」に、第四句「廃坊」は「廃院」、「払露」は「凝露」あたりに直しておくと良いでしょう。
 第五句は「四字目の孤平」と「下三仄」ですので、「脚不進」を直す必要があります。この場合ですと、「行不進」でしょうか。
 その場合に、二句目にも「行」の字があります。意味が異なりますので許容範囲ではありますが、同字重出が気になるようでしたら、「行場」を「霊域」としておくところでしょうか。



2012. 6.12                 by 桐山人






















 2012年の投稿詩 第144作は 南芳 さんからの作品です。
 

作品番号 2012-144

  夢秀吉     秀吉ノ夢   

秀頼周邊枯木枝   秀頼ノ周邊枯木ノ枝バカリ

家康寄手落城危   家康ノ寄手ニ落城ノ危

豊臣制覇空蹉跌   豊臣制覇ハ空シク蹉跌

百戦英雄心緒紛   百戦ノ英雄モ心緒紛タリ

          (上平声「四支」の押韻)





<解説>

 大阪城を眺めて、淀殿と秀頼が自刃場所を確かめたときに感じた漢詩です。


<感想>

 まず、題名ですが「夢秀吉」は「秀吉を夢む」と読み、「秀吉を夢に見る」という意味になります。読み下しのようにするならば「秀吉(之)夢」としますが、「理想・希望」という意味での「夢」の用法は全面的に認められる訳ではありませんので、他の語にしても良いでしょう。
 ただ、秀頼、家康と歴史上の人物を呼び捨てにするのは問題があります。官職名あるいは「公」とつけることが基本です。

 内容としては、前半は大坂城落城の時という設定ですが、起句の「枯木枝」は比喩で、「秀頼公の側には、枯れ木のような役に立たない人材しか残っていない」という意味でしょうか。自刃場所の周辺の情景とも考えられますが、それでは現在の時点の話になり、承句とのつながりがなくなります。
 廟所などで周辺の樹木を描いた後とか、次の句で「枯木」と関係するような語句が出てくれば良いですが、唐突、単独で「枯木」と比喩が来ているので、うーん、と最初から悩まされてしまいます。

 承句は「家康の寄手」と読むのは無理で、主語が先頭に来るという漢文法から見ると、句意は「家康の寄せ手落城の危機」となります。
 この句は、誰もが知っていることを述べて、ただ対句にしているだけという印象です。対句にこだわらずに、起句と承句でひとまとまりになるように、内容を優先した形で作り替えた方がよいでしょう。

 結句の「百戦英雄」が誰を指すのか、起句の「枯木」たちを指すのでは変ですので、南芳さんが想定した英雄が分かるような形で書くのがよいでしょう。
 この句は韻も異なりますので、気をつけてください。



2012. 6.26                  by 桐山人






















 2012年の投稿詩 第145作は 芳原 さんからの作品です。
 

作品番号 2012-145

  向桑港出船歌     桑港に向け出船の歌   

解纜離歌痛   纜を解けば離歌かなしく

東航千里賖   東航 千里賖かなり

幽襟人不識   幽襟 人識らず

惟見北辰斜   惟だ北辰の斜めなるを見るのみ

          (下平声「六麻」の押韻)





<解説>

「桑港」: サンフランシスコ
「解纜」: 船が出港する時係船ロープを解き放つこと
「東航」: 東に向かって航行することを言う 桑港経由ニュウーヨーク航路など
      インド洋経由欧州航路は西航

  係船ロープを解き放つといつものことながら別れの歌(蛍の光)が悲しく聞こえる
  サンフランシスコは太平洋の東はるかな彼方
  胸中に秘めた思いの数々 誰に分かって貰えるものではない
  暗い波間に砕け散る音を聞きながら北の空に瞬く星をじっと見る ただそれだけさ



<感想>

 今ではなかなか味わうことの出来ない船の旅、「サンフランシスコに向けて」、ということだけでも懐かしい響きがありますね。

 起句の「離歌」「痛」というのは面白い表現だと思いますが、ここで使うのにはインパクトが強すぎるかもしれません。
 転句や結句で作者の感情が出ていますので、起句でもそれが出てしまうと、叙事が薄れて全体に抒情の詩になってしまいます。「歌が響いた」「歌が始まった」「歌が聞こえた」など、言い方はいくらでもあると思いますので、ここはあまり感情を出さずにおいても良いでしょう。

 承句は「千里」は遠慮しすぎです。「一里」は漢詩では500メートル、せめて「万里」としておかないと日本国内の話になってしまいます。





2012. 6.26                  by 桐山人






















 2012年の投稿詩 第146作は 謝斧 さんからの作品です。
 

作品番号 2012-146

  鳴尾義民行        

亰師西下武水頭   京師西に下る武水のほとり

卜居中洲水害憂   居を中洲に卜して水害を憂ふ

連日潦雨堤防潰   連日潦雨には 堤防潰え

清流化龍呑田疇   清流は龍と化して 田疇を呑まん


不雨常畏水枯渇   雨ふらざれば、常に畏る 水枯渇するを

良田欲荒厄旱魃   良田荒れんとして 旱魃に厄しむ

新秧不育土不膏   新秧育たず 土膏ならず

平生農民亊死活   平生農民 死活を事とす


傳聞天正十九年   伝え聞く 天正十九年

瓦林村民心決然   瓦林村民 心決然として

綢繆堤防治暴水   堤防を綢繆して 暴水を治め

應處旱潦自萬全   應に旱潦に處しては 自ずから万全なるべし


不意           おもはざりき

爲変水路卻甞苦   為に水路を変じては 卻って苦を甞めん

武田尾辺遭潦雨   武田尾辺 潦雨に遭へば

奔流抜木削山根   奔流木を抜いて 山根を削り

剰運砂礫除此數   剰つさへ 砂礫を運んでは 此れを除くことしばしばなり


武水分流砂礫來   武水流れを分ちては 砂礫來り

埋没水底新作災   水底に埋没して 新たに災ひを作す

枝水水路難成用   枝水水路 用を成し難く

竊掘暗渠是權哉   竊に暗渠を掘っては是も権なるかな


良田無水枯秧稲   良田に水無くんば 秧稲枯れ

無奈田疇生雑草   奈んともなし田疇 雑草生ず

家在妻帑坐飢餓   家に妻帑在り 坐ながらにして飢餓し

如何拱手徒苦惱   如何ぞ 手を拱いて 徒らに苦惱す


手把耒耨毀堤防   手づからに耒耨を把っては 堤防毀ち

瀉水暗渠無術妨   水を暗渠に瀉いでは 妨るに術無し

瓦林村民聞此早   瓦林村民 此れを聞くこと早く

鬪來北郷多死傷   北郷に闘來しては 多くは死傷す


亊畢負責前就縛   亊畢り責を負っては 前んで縛に就き

強庇父老自有約   強いて父老を庇ふも 自ずから約有り

二十餘名赴華城   二十餘名 華城に赴き

應曵刑場惜命薄   應に刑場に曵かれては 命を惜むこと薄かるべし


遂復水路志気雄   遂に水路を復しては 志気雄なり

多謝感此長傳功   多謝し 此れに感じては 長へに功を伝えん

両村元来無私怨   両村元来は 私怨無なく

吐露丹心情誼通   丹心を吐露すれば 情誼通ず


物換星移平成代   物換りて星移る平成の代

田疇變有比屋在   田疇変じて比屋の有る在り

溶溶武水獨依然   溶溶武水独り依然たるも

可嘆村民淺交態   嘆ずべきは 村民交態の浅きを>


君知           君知るや

浄願寺裡義民碑   浄願寺裡 義民の碑を

詩人讀此心苦悲   詩人此を読んでは 心苦だ悲し

為賦長歌弔英霊   為に長歌を賦しては 英霊を弔らひ

至今欲傳有誰知   至今 伝へんとするも、誰れ有りてか知らん





<解説>

 天正北郷樋(てんしょうほくごうひ)事件で、命を賭して子孫のために水を残した先祖二十五名の遺徳を慕って、天明七年(1787)に鳴尾村民が境内に建てた「北郷開樋殉難者之碑」、毎年四月十二日が法要を行っています。



<感想>

 「天正北郷樋事件」は知りませんでしたが、ネットで調べますと、当時の事情が分かりました。

 こうした事件は地域の生活と密着したものであり、時代が経ようが忘れてはいけないことだとして、先人は、石に刻み、忌日を決めて法要を行うようにしたのでしょう。

 私の暮らしている半田市は近くに大きな河川が無いところで、昔から水不足に苦しんできた土地です。そのために溜め池が市内の各地に残っています。
 木曽川の水を岐阜県八百津町から汲み、知多半島の南端、更には島まで通水するという愛知用水が昭和36年に完成してから、溜め池の存在意義も次第に薄くなってきました。
 そして現在は、市街地周辺の溜め池は埋め立てられ、一戸建て住宅が並ぶ分譲地へと様変わりした場所も多くなってきました。
 かつて溜め池があったこともやがて忘れられていくのでしょう。
 それは溜め池を求めた昔の人々の生活や思いも忘れるということでもあり、地元に根ざした生活の記憶を記録するという意味を、最近色々なことを忘れっぽくなった私は、詩を拝見しながらしみじみと考えました。

 謝斧さんの詩は、記録としての詩の果たす役割を、展開に工夫しながら描かれていると思いました。
 途中の第四解から五解にかけてがややモヤモヤっとした印象で、特に「剰運砂礫除此數 武水分流砂礫來」の二句で「砂礫」が続くのは、効果が私にはあまり感じられませんでした。



2012. 6.29                  by 桐山人






















 2012年の投稿詩 第147作は サラリーマン金太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2012-147

  赤穂御崎賽伊和都比賣いわつひめ神社        

船傍懸崖播磨灣   船は懸崖に傍ふ 播磨の湾

社崇寂鎭竹叢環   やしろは崇かにしずかに鎮まり 竹叢めぐ

華表嚴然嶔内海   華表厳然 内海に嶔(そび)え

斜陽照出是仙寰   斜陽照らし出だす 是れ千寰

          (上平声「十五刪」の押韻(拗体))





<解説>

★字句解説
「赤穂御崎賽伊和都比賣神社」:
      赤穂御崎にある古社で、往古通行の帆船はその帆を下げて崇敬の念を表し播磨湾を通行したという。
「華表」: 鳥居。播磨湾を背景にして屹立している。
「仙寰」: 仙人の住まうところ。


★関連サイト&ドブログ
伊和都比賣神社(Wikipediaより)



<感想>

 承句の「社崇寂鎭」は、「社」の主語に対して「崇」と「鎮」と述語が二つ(「寂」も同様に考えれば三つ)あり、ごたごたしている印象です。
 「崇社寂鎭」とすれば落ち着きますが、平仄のためでしょうか。「社」にこだわらなければ、「崇祠」で良いと思います。

 「華表」は「門標」のことで、厳密には日本の鳥居とは少し違うのでしょうが、ここでは句の中でよく調和している感じですね。



2012. 6.29                  by 桐山人






















 2012年の投稿詩 第148作は 楽聖 さんからの作品です。
 

作品番号 2012-148

  聞君桃花        

茶寮春数点   茶寮に春数点

合卺久尋思   合卺(ごうきん)久しく思ひ尋ぬ

意気猶狂態   意気は猶ほ狂態

揚揚便舊知   揚々旧知の便

千年人乞福   千年 人は福を乞ふ

一代客探奇   一代の客 奇を探る

紛想歓談笑   紛想歓談の笑ひ

無塩未嫁時   無塩未だ嫁にならざるの時

          (上平声「四支」の押韻)





<解説>

  日中、茶寮(ファミレス)に男女があちこちで春を呼んでいる。
  楽しそうな会話をして、自分の方にも女性がいる。
  女性が早く結婚したいとずっと言って騒ぐ。
  となりにいる共通の友人女性も、するならこの人などと狂ったような話を3人でしていた。
  この手の問題というのは時代変わらず若い人の熱病なのかな?とも
  でもそれは千年でも幸福でもあるけど、一代しかし奇怪ならぬ女性たち。
  思惑もある中で笑いを交えて、無塩の女性は自分の嫁になるのか?
  私の青春が終わる。それが運命というものなのか?
 と悩む一日でありました。

<感想>

 楽聖さんが律詩に取り組んだ作品ですね。

 まずは詩を読み取ろうとすると、結構あちこちで壁にぶつかります。
 それは、単純に言えば、五言詩であることに由来しており、七言ならばもう少し説明の入るところが、(よく言えば)大胆に削られたりしているからでしょう。
 例えば頷聯の「意気」で主語が提示されていない、と言うか、解説のように「相手の女性」だとするならば、突然の登場でびっくりします。
 「揚揚」は「意気」からの連想でしょうが、対にするならば「昂揚」の方が良く、ここも主語が変わっているならば「昂揚是旧知」とすると収まりが良いでしょう。

 頸聯は、楽聖さんは「女性は永遠の安泰を求めるのだろうが、私は一度きりの人生、ロマンを求めるのだ」という気持ちかと思うのですが、この表現でそれを伝えるのは困難ですね。
 「千年」がこの位置に置かれていと、「千年もの間」「昔から」というように解釈します。「人乞千年福」となるべきところですので、となると、「一代客」とどう対にするか、を考えることになりますね。

 尾聯に使われている「無塩」、李白の詩などに出てくる「無塩」は、中国古代、斉の宣王の夫人で並ぶ者無き醜女のこと、ここでそれを持ってくるのは、作者にどういう意図があるにしろ、問題があります。
 私はあまり知りませんが、仮にこの語に別の意味があるとしても、あまり一般的でない言葉を持ってきて、更に一般的でない意味で用いても、読者は理解できないでしょうね。

 楽聖さんが独自の思い入れを言葉に凝縮させること自体は決して悪いことではなく、型にはまった表現からの自由さを感じさせてもくれます。ただ、少しずつの齟齬が全体に広がると、結局は詩で言いたいことが伝わらないことになってしまいます。
 読者が存在するという意識と、その読者への配慮は必要でしょうね。





2012. 7. 1                 by 桐山人






















 2012年の投稿詩 第149作は 仲泉 さんからの作品です。
 

作品番号 2012-149

  想桜花        

十里長堤香雪吹   十里の長堤 香雪吹く

芳菲一酔促吟思   芳菲 一酔 吟思を促す

忽焉追想人何去   忽焉として追想す 人何れにか去る

万朶桜花知不知   万朶の桜花 知るや知らずや

          (上平声「四支」の押韻)



<感想>

 起句は「香雪」が吹くというのは変ですので、「香雪」を主語にするなら「吹」を「帷」にするか、「吹」を残すなら「香雪」に風を持ってくるかでしょう。
 転句からの感懐はその前の「一酔促吟思」とは合いませんね。
 「万朶桜花」を見ながら、人の命のはかなさに目を向けるというのは伝統的な発想ですが、この場合には、そう発想させる要因が見当たりません。
 気持ちよく桜を眺めていた気持ちから一気に沈むわけですので、その展開を裏付ける何かを持ってこないと、この時の作者の思い、というリアリティがなく、単に伝統的な発想に寄りかかった表現になってしまいます。
 そういう意味では転句の「忽焉追想」という説明は不要でしょうね。
 この四字に「追想」を促した何かを描ければ、現実感のある詩になるでしょう。その場合、「人何去」も「人何れにか去る」とは読みにくいので、検討すると良いでしょう。



2012. 7. 1                 by 桐山人






















 2012年の投稿詩 第150作は阪南市の 筋明 さん、七十代の男性の方からの初めての投稿作品です。
 

作品番号 2012-150

  佐渡島        

百里白濤佐渡津   百里白濤 佐渡の津(しん)

金山苦楽盛衰浜   金山苦楽 盛衰の浜(ひん)

配流遠島跡哀史   配流遠島 哀史の跡

紺碧清々寒汐巡   紺碧清々と寒汐巡る

          (上平声「十一真」の押韻)





<解説>

 初めて漢詩を作りました。
 作り始めて2ヶ月です。
 ルールは聞きかじりですが、このホームページを参照してできました。
 初めての佐渡旅行で感激の詩です。



<感想>

 新しい仲間を迎えることができ、とても嬉しく思っています。
今後ともよろしくお願いします。

 初めての漢詩創作とのことですが、「聞きかじり」とは思えないような、よく調べて作られた詩だと思います。

 一句ずつ見ていきますと、
 起句は平仄を示すと「●●●〇●●◎」、これは「四字目の孤平」と言われます。
 平字が仄字に挟まれる「孤平」は、それほど厳しく言われませんが、「七言句での四字目」、「五言句での二字目」だけは禁忌です。ホームページの説明が不十分でしたね、すみません。
 別バージョンで送ってこられた「波濤」(〇〇)ならば問題ありませんが、佐渡の歴史へと思い巡らす承句以降の内容を考えると、「驚濤」「奔濤」「洪濤」など、荒々しい波としておいた方が、導入にもなるでしょうね。

 承句以降は平仄面では疑問点はありません。
 内容的には、承句の「金山」での「苦楽」、これも別バージョンの「苦役」の方が良いでしょうね。まだ「盛衰」が何を指しているのか、が分かりにくいですが・・・・。

 転句は「跡哀史」は語順として苦しいので、「刻哀史」「留哀史」というところでしょうか。

 結句は「々」は繰り返し記号ですので、漢詩では「清清」と書くようにしましょう。
 「紺碧清清」は重苦しい佐渡の歴史とは対照的な明るい空を表し、最後にもう一度「寒汐」と戻したところは、よく工夫されていると思います。





2012. 7. 1                 by 桐山人