2004年の投稿漢詩のスタートは 若々しい高校生の作品から読んでいきましょう。
 同志社女子高校の水谷先生のご指導で、生徒達が漢詩創作に取り組んだそうです。
 ここでは五言律詩に取り組んだ一首のみ紹介させていただきますが、他の生徒さんの作品も先生からのお手紙とともに、「桐山堂」に掲載させていただきましたので、是非ご覧下さい。

 第31作は 同志社女子高 の生徒さんからの作品です。
 

作品番号 2004-31

  辛夷花        

我見辛夷燭   我辛夷の燭を見む

其如春夜精   其は春の夜の精のごとし

月煌揺影美   月は煌めき 揺影美しく

風舞仄香清   風は舞ひ 仄香清し

人往湍湍急   人の往くことは湍湍として急に

華光皎皎明   華の光ることは皎皎として明し

蓋誰知淑景   蓋ぞ誰か淑景を知らん

花朶有妍栄   花朶には妍栄有り

          (下平声「八庚」の押韻)

<解説>

 辛夷は早春に咲く白い花。作者(私)はその花を夜に見ました。
 暗闇に灯火のように白く浮かび上がるその花は大変美しいです。それはまるで春の夜の聖霊のようだったのです。
 頷聯での対句は、その花の美しさや香りを表現し、頸聯での対句や尾聯ではその美しく咲き栄える花に気づかず、毎日をあわただしく通り過ぎる人々と、花は毎年その場所に咲き、通り過ぎていく人々をじっと照らしていることを表現しています。

<感想>

 漢詩創作の授業を私が数年前に前任校で実践した時は、「国語表現」という科目でした。そもそも表現することを学ぶ授業でしたから生徒の取っつきも思ったほど悪くなく、週二時間という時間的余裕もあってゆったり細かく対応できたかな、と自分では思いましたが、生徒の方から見ると、なかなか大変だったようです。
 心に浮かんだ思いを言葉にして、それを更に漢字だけで表現する。こう口で言えば簡単なのですが、まず最初の「心の中の思い」がモヤモヤしたままで、一向に形になってこない。感じていることはあるんだけれど、どんな言葉で言えば良いのか、もどかしがる生徒が沢山いました。
 手助けし、手がかりを与えるのが教師の仕事ですが、作品として完成するまで意欲を持続させるのは生徒個人の粘り強い心しかありません。そういう意味で、私は現在でもあの時の生徒達に感謝しています。

 今回の同志社女子高の皆さんの作品を読ませていただくと、平仄まで整えていらっしゃることに感激しました。熱意ある先生と、それに応える意欲ある生徒達、授業の姿が目に浮かぶような気がしました。

 また、機会がありましたら、是非漢詩創作に挑戦してください。

2004. 1.13                 by junji


海山人さんから感想をいただきました。この「辛夷花」の他の作品の感想もいただきましたので、併せて紹介します。

本年もよろしくお願いいたします。海山人です。
投稿コーナー新年早々楽しませて頂いております。

 同志社女子高校の「漢詩創作授業の実践」拝読いたしました。
 何よりも真剣な姿勢と勢いでやや違和感を感じる用字をも吹き飛ばす若い活力を感じました。

 先ず、「辛夷花」「人往湍湍急、華光皎皎明」には言い古された対比でありながら何故か新鮮さを感じました。
 劉庭芝、「代悲白頭翁」の「年年歳歳花相似、歳歳年年人不同」のテーマですね。
 ただ惜しむらくは鈴木先生の御手が入っており、後から原詩「人之忽忽急、華光皎皎明」を読むと、簡明な反面やや浅薄さを否めません。「往」字と「湍湍」字の持つ広がりの差でしょうか。

 次にうずさんの「注何程愛施」への鈴木先生の感想、「語順としてはここは「施」が最後にあってはおかしいのですが、そうした文法などを無視して伝わるものがあります。」には私も前科(笑)がありますので良く解ります。
 梅足(1999-1新年漢詩)「賀梅」の「一陽初処動」の「処動」で一悶着ございました。

 最後に「訪師友」はすばらしいですね。良く仕込まれた作で海山人好みです。良いだけに更に欲を言えば、雪の取り回しを転句で「雪裏」と出して結句は原詩のまま「六花の如くはらはらと落ちる涙」とし、「梨雪」を単に「梨木」などにすれば鈴木先生の言われる「雪」と「六花」の重複もさほど気にならないと思いますが、如何。
 また、全体に”仕込の濃い詩”の場合は、用字をその分簡明にするのが読者に親切だと考えています。
 例「碧宇」「紅霞」

 鈴木先生も言われていますように「平仄まで整えていらっしゃることに感激しました。」
 漢詩の規則である押韻平仄の両方とも満たすと言うのは高校の段階では並大抵ではなかったと思います。私の高校(愛媛の愛光学園)の漢詩の先生も「平仄は難しい」と言われて説明を省かれました。

 押韻平仄を満たすと言うのはそれはそれで大変素晴らしい事なのですが、取り組む優先順位としては、押韻の次には文字構成が良いのではないかと思います。
 文字構成というのは五言なら2字+3字、七言なら2字+2字+3字が普通という例のものです。最後の3字は2字+1字あるいは1字+2字が普通です。

 私の処女作は1996年秋で「朝浴陽光往、受夕日背還。望西山青雲、禽鳥一羽舞。」
 次作は「子年年不同、吾歳歳不改。将一刻千金、須隔日不同。」ですが、「受夕日背」「望西山」「子年年」「吾歳歳」「将一刻」「須隔日」と大半が上述の文字構成を外しておりました。
 この結果、一例として読者から「”子年年[コはネンネン]”は”子年[ネドシ]”の句かと思った。」と誤解されてしまいました。
 この”2字+3字”という文字構成のリズムは規則を超えてもっと自然なものと思われます。したがって本高校生の作品も文字構成というものを理解して作っていれば一層判り易い詩となったのではないでしょうか。

 ただ、あくまでも”2字+3字”という文字構成のリズムが普通ということで、吉川幸次郎博士が「漱石詩注」「春興」を評して、「何にしてもさいしょの二字の下に大きな pause があるのが、普通であるが、この聯のごとく、聴/黄鳥/宛転と、それをくずしたリズムを、時にまじえるのも、詩家の技量である。」というのも尤もだと思います。
 先の例で言えば「望西山青雲」「将一刻千金」は右四字の連関が強い分、破格のリズムでも誤解を生む事は無いと思います。

 とにかく皆さんの勢いに打たれました。そこで「注何程愛施」の句に啓発されて一篇、「草花」を作りましたので投稿させて頂きます。ご覧下さい。

2004. 1.19                  by 海山人

 この海山人さんの感想は、「桐山堂」のコーナーにも掲載しています。





















 2004年の投稿漢詩 第32作は 観水 さんからの作品です。
 観水さんは、昨年の十一月にご結婚なさったばかり、十二月に投稿していただきましたが、新年の喜びも兼ねてのご紹介です。

作品番号 2004-32

  結婚有感(一)        

追郎繊手撫衣襟   郎を追う繊手 衣襟を撫づ

華燭揺揺瑞色深   華燭 揺揺 瑞色深し

三献交杯誓偕老   三献 杯を交して 偕老を誓う

応知比翼連理心   応に知るべし 比翼連理の心

          (下平声「十二侵」の押韻)

<解説>

 長恨歌の「在天願作比翼鳥/在地願為連理枝」を引きたくて作ったものです。
 起句承句は、新郎に寄り添う新婦の動きによって、灯りが揺らめくイメージです。







 2004年の投稿漢詩 第33作も 観水 さんからの結婚の詩です。
 

作品番号 2004-33

  結婚有感(二)        

花顔帯笑並新郎   花顔 笑を帯びて 新郎と並ぶ

賀客交歓喜満堂   賀客 交歓 喜び堂に満つ

一曲高歌和琴瑟   一曲の高歌 琴瑟に和す

無量幸福何可忘   無量の幸福 何ぞ忘るべけんや

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

 こちらは詩語表から、語を拾って一息にまとめたものです。
これといって特長もないのですが、おめでたい雰囲気は出ていると思います。

 なお、結婚式後、二人で金沢に旅行したのですが、妻の「国内旅行は新婚旅行として認めない」という主張を容れて、年末、中国は上海・杭州に行ってまいります。
 今回は西湖も落ち着いて楽しめるものと期待しています(去年は仕事だったので)。

<感想>

 ご結婚おめでとうございます。

 観水さんから最初に投稿いただいたのはまだ学生でいらっしゃった頃、もう四年ほども前になるのでしょうか。
 その後大学を卒業なさって就職、そして、ご結婚。人生の中での大きな節目の時に、漢詩を通して同じ時間を共有できたことをとてもうれしく思います。甚だ失礼かもしれませんが、私には学校での教え子が就職結婚したような、そんな幸せな気分です。

 詩を拝見しますと、奥様は「繊手」「花顔」、そして観水さんのお気持ちは「無量幸福」ということですから、感想としてはこれ以上何をか言わんや、というところでしょうね。
 「琴瑟(相和)」「比翼連理」「偕老(同穴)」の言葉も、多少は抑制が効いて、適度な配分のように思います。
 句としては、(一)の転句が良いですね。

 尚、年末の中国旅行のご様子は、既に新年漢詩の「甲申歳旦發上海還東京」で教えていただきました。

2004. 1.14                 by junji





















 2004年の投稿漢詩 第34作は 海山人 さんからの作品です。
 同志社女子高校の皆さんの詩を受けてのお作です。

作品番号 2004-34

  草花        

草花朋愛惜   草花 愛惜を朋とし

雨露恵慈悲   雨露 慈悲を恵とす

送客別楊下   送客楊の下に別れ

春光芳沢施   春光芳沢に施たり

          (上平声「四支」の押韻)

<解説>

 「愛」「施」は、同志社女子高校のうずさんの「注何程愛施」の句より頂戴しました。
 直接感情を表す「愛」「悲」の用字には慣れておりませんが”勢い”で使ってみました。

<感想>

 感想を有り難うございました。若い方達の励みになることと思います。

 転句が四仄一平となっている分を結句で四平一仄が救う形でバランスを取っていることがよく分かります。
 ただ、転句は「送」「別」の反復がやや重いように感じますので、下三字を「垂楊下」とか「青楊下」あたりではどうでしょうか。

 結句は「春光」が沢一面に広がっている様子がよくうかがわれ、印象深い句だと思います。

2004. 1.28                 by junji


 海山人さんからお返事をいただきました。

海山人です。
感想ならびに拙作の掲載ありがとうございます。少しでも若い人たちのお役に立てれば幸いです。

 さて「「送」と「別」の反復がやや重いように感じます」との御批正ありがとうございます。
 ”勢いで”作詩したもので推敲不足でした。作句経緯を申しますと「送客別楊下」「■客●楊下」が先に出来てを選字、「別」字、「送」字の順で下したものです。今見直せばご指摘の重複感は否めません。

 そこで、お示しの「青楊下」を参考に、ご推察の救拯法「転句が四仄一平となっている分を結句で四平一仄が救う」のを活かして、『詩韻含英異同弁』より「緑楊下」としました。
 さらに、「朋」「恵」の対にやや不満がありまして直しました。これで「親」「朋」から転結「春は別れの時節」と繋がります。
 高校三年生に贈りましたもので(青春に幸あれ)

   草花朋愛惜    草花愛惜を朋とし
   雨露親慈悲    雨露慈悲を親とす
   作客緑楊下    緑楊の下 客となるとも
   春光芳沢施    春光 芳沢に施たり


2004. 1.31             by 海山人





















 2004年の投稿漢詩 第35作は 柳田 周 さんからの作品です。
 

作品番号 2004-35

  旅越中     越中に旅す   

車窓遠望立山峰   車窓より遠望す 立山の峰

白頂青裳将入冬   白頂青裳 将に冬に入らんとす

成客越中吾忽想   越中に客と成れば 吾は忽ちに想う

家持詠上女児容   家持やかもち詠上の女児のすがた

          (上平声「二冬」の押韻)

<解説>

 大伴家持は越中守として越中に赴任し、現在の富山県高岡市伏木付近に居宅を構えて数年間住んだ。
歌人であり、万葉集の編纂者でもある家持の短歌は、万葉集巻十七〜二十の大半を占めるが、巻十九中の次の二歌は特に人口に膾炙している。

  春の苑紅にほふ桃の花下照る道に出立つおとめ
  もののふの八十おとめらが汲みまがふ寺井の上の堅香子の花

 上記「春の苑」歌は中国の詩(或いは画)等から想を得ていると言われる。

「立山」、「越中」、「家持」と固有名詞が多く、特に人名の家持は「和臭」そのものかも知れません。

<感想>

 固有名については、詩中に入れる必要があるかどうかの検討が必要でしょう。
個人的な気持ちとしては、単なる地名という場合には私はあまり好みません。しかし、名が体を表すと言うか、その名前によって画面がより鮮明になるならば、それは効果があると言えます。
 例えば、今回の詩で言えば、「立山」などは、山が屹立している感もあり、地名を入れただけではない役割があると言えるでしょう。
 しかし、「越中」は文字から何もイメージは浮かばない、単に地名が入ったというだけですから、これならば詩題で十分に思います。
 「家持」については、「古人」でも可能なわけですので、そこに敢えて固有名を入れるだけの理由が、作者自身で納得できるかどうかでしょう。
 一般的には、「家持」のあの歌だと言い切るよりも、「ああ、多分これは家持のことを言っているのだろうな」と感じさせる方が、押しつけが無くて余韻深く感じられると思います。

 固有名詞の用例で常に例に出されるのが、李白の「娥眉山月歌」ですが、七絶二十八字の中に、五つもの固有名詞を入れています。「これを真似してはいかん」と明の王世貞は言っていますが、「五つの固有名詞が詩の情景の中で違和感なく配置されている」として詳しい解説が、石川忠久先生の『漢詩を作る』に載っています。

2004. 1.28                 by junji





















 2004年の投稿漢詩 第36作は 点水 さんからの作品です。
 

作品番号 2004-36

  小陽春        

山茶花発立冬辰   山茶花は発す 立冬の辰

繍眼鳥来求蜜巡   繍眼鳥は来たり 蜜を求めて巡る

脚下無霜風不動   脚下に霜無く 風不動

悠然散歩小陽春   悠然と散歩す 小陽春

          (上平声「十一真」の押韻)

<解説>

 昨年の立冬の頃、暖かく山茶花(椿)が咲き出し、そこへ繍眼鳥(めじろ)が普段より早くやってきて、蜜を求めて巡る姿を見ると、なにやら嬉しくなり、散歩に出かけた次第です。

<感想>

 冬の初めのある日、風もなく暖かな情景が率直に詠われていますね。
 目につく所としては、承句で、「来」「求」「巡」と述語が三回も使われていることで、説明が丁寧すぎてリズムが悪くなっているように思います。
「求蜜頻(蜜を求むること頻なり)として、煩雑さを避けてみるのも一つでしょう。
 転句の「脚下」は生硬な印象です。作者(読者も)の視点を下に転換させる狙いは分かりますが、「霜が無い」のは足下だけではないでしょうし、もう少し視野を広く保っておきたいところです。
 「野径」「樹下」「石砌」など、色々な言葉を探すことができると思いますよ。
 結句の「小陽春」は、起句の「立冬辰」と対になるのでしょうが、季節を表す言葉が二度も来るのはどうでしょうか。どんな所に作者はいるのかを示した方が効果的な気がします。
 「山茶花が発いたのはどこなのか」、あるいは、「散歩したのはどこなのか」、そんな感じで描くと、すっきりするように思います。

2004. 1.31                 by junji





















 2004年の投稿漢詩 第37作は 齊藤深渓 さんからの作品です。
 

作品番号 2004-37

  上城趾        

時上古城上   時に上る 古城の上

星霜塹塁平   星霜 塹塁平かにす

秋風吹不断   秋風 吹いて断たず

疇昔聴無声   疇昔 聴けども声なし

          (下平声「八庚」の押韻)

<解説>

 天文六年扇谷上杉朝定が、江戸城に対して深大寺に築いた城。流れる歳月の間に、姿形は変わり、当時のこと、歴史を尋ねても知る者は居なくなった。
 現在は公園となったが、あまり人に知られていない。

<感想>

 まず目に付くのは、起句の「上」の繰り返しですね。
 詩全体としては、裴迪の「孟城〓」を下敷きにして書かれているわけですが、そちらでは「時古城上」とされていますね。
 古詩の風格を保つのが五言詩の特徴ですので、ここでも無理に替える必要はないでしょう。明の高啓の名作、「尋胡隠君」でも、起句承句では
   渡水復渡水    水を渡り復た水を渡り
   看花還看花    花を看還た花を看る

 と同時重複を敢えて示していますが、起句の五字全て平字(承句は全て仄字とも言えます)という驚愕の字配当と併せて、古詩を髣髴と感じさせるものですね。

 承句の読み下しは、「平らかにす」と読むと他動詞となり、目的語(この場合ならば「塹塁」)を持つことになります。ここでは語順から見ても、「塹塁平らかなり」とした方が良いでしょう。

2004. 1.31                 by junji





















 2004年の投稿漢詩 第38作は 謝斧 さんからの作品です。
 

作品番号 2004-38

  記事        

驚聞凶事起大都   驚き聞く 凶事大都に起こり

可憫都民亦何辜   憫む可し 都民亦何んの辜ありてか

地下鉄路撒毒気   地下鉄路 毒気撒き

唵賊教徒是凶徒   唵賊の教徒 是れ凶徒なり(唵 まじないの時の発声の言葉 オム)


人踞車中或欲斃   人は車中に踞くまり 或は斃れんとす

吐血按目不停涕   血を吐いて目を擦りて 涕停まらず

此日遭禍五千餘   此日禍に遭うもの五千を餘し

都民常在死生際   都民常に死生の際に在り


心盲教徒傀儡人   心盲の教徒 傀儡の人

心売教祖軽人倫   心を教祖に売りて 人倫を軽んず

教祖為人頗狂簡   教祖人と為り 頗る狂簡

毎弄姦詐何有真   毎に姦詐を弄しては 何ぞ真有らんや


漫説憶説悪知識   漫りに憶説を説かん 悪知識

口忌肉食好肉食   口に肉食を忌みては 肉食を好み

淫行沙門面皮厚   淫行の沙門 面皮厚し

結交姦侠悪業極   交を姦侠に結び 悪業極めん


封豕長蛇破戒僧   封豕長蛇 破戒僧 (大きい豚と長い蛇残忍で欲が深い 左伝 )

獨駆妄想国権憎   獨り妄想を駆りて 国権を憎み 

危哉盲人騎瞎馬   危うい哉盲人 瞎馬に乗るを(盲の人が盲の馬にのる危険なたとえ)

太平日本国蠧興   太平の日本 国蠧興る(国民でありながらその国家を損なう 左伝)


唵賊教議君知否   唵賊の教議君知るや否や

荒唐無稽無真理   荒唐無稽にして 真理無し

布施千金易解脱   布施千金 解脱し易し(迷いから覚めて悟りを開く)

唯語怪力乱神耳   唯語るは 怪力乱神耳み(子不語 怪力乱神 論語)


教祖予言世情危   教祖予言す 世情危しと

即是人類滅亡時   即ちは是れ 人類滅亡の時

為備兵戈與毒気   為に兵戈と毒気を備え

徒弄訛言世人欺   徒らに訛言を弄して 世人を欺く


懐疑教徒欲脱会   懐疑の教徒 脱会せんとし

拉致監禁更加害   拉致監禁して 更に害を加えん

或使教徒相密告   或は教徒をして 相密告せしめ

唵賊教祖何狡獪   唵賊の教祖何ぞ狡獪


刊章高弟就縛擒   高弟は刊章されて 縛擒に就き(指名手配の布告)

教祖恐縛憂苦深   教祖縛を恐れて憂苦深し

遣人閉箝弟子口   人をして弟子の口を閉箝し

指嗾殺人餓鬼心   殺人を指嗾せしむは餓鬼の心なり(指し図してそそのかす)


今朝教祖遭急縛   今朝教祖 急縛に遭い

可憫教徒未領略   憫む可し教徒 未だ領略せず(領解 さとる)

故背骨肉居無處   故に骨肉に背いて居るに処無し

無身財貨何所託   身に財貨無く何の託る所ぞ


歇來教徒如転蓬   歇來教徒は転蓬の如し(此より先)

不容世人世路窮   世人は容さず 世路窮まる

可憫亦彼被害者   憫む可し彼も亦害を被る者なり

未解呪縛修羅中   未だ呪縛は解けず 修羅の中


世人觀此苦惻愴   世人此れを觀ては 苦だ惻愴

去日凶事頑不忘   去日の凶事 頑として忘れず

心知無辜情難容   心に辜無きを知るも 情容るし難し

忍見都民骨肉喪   忍び見る都民 骨肉喪ぶ

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 この詩は、漢字表記に Unicord を用いています。
文字化けして変な記号が表示されたり、「 ・ 」となっていたり字数が合わない、など、
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<解説>

 聞唵賊教徒撒毒気於東京地鉄。
 遭阨禍者五千餘死者十二名如此凶事未曾有。
 苦悲惨為詩以記事

 唵賊教徒が毒気を東京地鉄に撒くを聞く。
 阨禍に遭いし者五千餘、死する者十二名、此くの如き凶事未だ曾って有らず。
 苦だ悲惨たり、詩を為って、以って事を記す。

 旧作です。黄遵憲の詩体を学ぼうとしてつくりましたが、うまくゆきません。

<感想>

 地下鉄サリン事件が起きたのは、平成七年、阪神淡路大震災と同じ年でした。以来もう九年、裁判の様子が報道される度に、悲しみと怒りが強くなります。
 一人の狂人の狂った行動から始まった事件ですが、それを生み出した日本という国の責任については、まだ十分な検討は出来ていないように思います。
 決して風化させないためにも、何度でもどんな機会ででも私たちは惨劇を思い返さなくてはいけないのでしょう。
 旧作と言うことで、謝斧さんがこの詩を何時作られたのかは分かりませんが、この詩で謝斧さんが示された事態は、まだ何も解決していないとも言えます。
 虐待や無差別、あるいは衝動的殺人の事件報道が連日続く現代の世相を見ていると、人の命の尊厳、生命への畏敬の心が、あの事件以来、どんどん薄れて行っているように思えます。
 まさに、「可憫」なのは、私たち自身であるのでしょう。

2004. 1.31                 by junji





















 2004年の投稿漢詩 第39作は 鯉舟 さんからの作品です。
 

作品番号 2004-39

  看伯林壁     伯林(ベルリン)の壁を看る   

客裏窮陰巷路寒   客裏窮陰 巷路寒く

粛然對壁想波瀾   粛然として壁にむかえば波瀾想ほゆ

賭身亡命僅成算   賭身亡命 成算僅か

耐乏生存稀尽歓   耐乏生存 歓を尽すこと稀なり

一夜忽顛霊忍像   一夜忽ちたおす 霊忍レ−ニン

明朝俄啓境門端   明朝 俄かに啓く 境門の端

往時若昨感無量   往時きのうの若く 感無量

冷雨濡衣猶去難   冷雨衣を濡らし 猶去り難し

          (上平声「十四寒」の押韻)

<解説>

 12月8日から北ドイツを旅行しベルリンを観光しました。ベルリンの壁は未だ一部残っていて野外ギャラリーとなっていましたが、ひと言でいえば刑務所の長い灰色の塀。冬の冷雨のなか余計に陰鬱な光景でした。

 [語釈]
 「波瀾」:ベルリンの壁崩壊前後の旧東ドイツの大変動を指す
 「明朝」:翌朝
 「境門」:西ベルリンとの境のブランデンブルグ門を指す

<感想>

 1989年11月、ベルリンの壁は崩壊しました。そして15年を経ようとしているのですが、鯉舟さんの詩を拝見して、その壁が既に歴史的遺物となっていることに、私は改めて衝撃を受けました。
 社会主義国家の崩壊は近現代の歴史における極めて大きな事件だと思いますが、それも過去としては遠いものであるとするならば、現代とはまさに刹那の存在でしかなく、その検証すらできないままに過ぎていく。「バブル」は経済に用いられた言葉でしたが、私たちはひょっとすると、巨大なバブル時代を生きているのかもしれません。

 東西の冷戦という緊張を用いての国際社会のバランスを取るシステムは崩れましたが、依然として対立軸を求め続けるのが政治の世界、歴史を動かす筈の人々の胡散臭さ、それが現代の知恵であるとは悲しいことです。

 詩の形式の点では、頷聯尾聯の下三字、孤平や孤仄は避けたいところです。頷聯などは、上句の「僅」と下句の「稀」を入れ替えるなど、工夫できるところでしょう。

2004. 1.31                 by junji


鯉舟さんからお返事をいただきました。

桐山人先生

御懇切なるご感想と共に拙詩「看伯林壁」を掲載して戴きありがとうございます。ご指摘に従い下記のように訂正いたします。

   客裏窮陰巷路寒     客裏窮陰 巷路寒く
   粛然對壁想波瀾     粛然として壁にむかひ波瀾を想ふ
   賭身亡命稀成算     賭身亡命 成算稀れに
   耐乏生存僅尽歓     耐乏生存 歓を尽すこと僅かなり
   一夜忽顛霊忍像     一夜忽ち顛す レーニン像
   明朝俄啓境門端     明朝 俄かに啓く 境門の端
   星移物換都過去     星移物換 都て過ぎ去り
   冷雨濡衣久凝看     冷雨衣を濡らし 久しく凝看す


2004. 2. 5                  by 鯉舟




















 2004年の投稿漢詩 第40作は ニャース さんからの作品です。
 

作品番号 2004-40

  歳暮感慨        

笑満街頭餞歳前   笑いが満つる街頭 歳を餞る前、

愁身寂寞仰寒天   愁える身は寂寞として寒天を仰ぐ。

渡風若問吾成事   渡る風が吾が成したることを若し問わば、

売菜強完又一年   菜を売るのを強いておわらせ又一年。

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 少し時期がずれますが、年末詠みました。転句は中原中也の詩を意識しました。
 海藻(菜)の在庫を売りおえて、なんとかまた新しい年を迎えることができました。明日からワカメの新物の買付で中国出張です。今年もがんばろう!!
 生活での楽しみのひとつはもちろんこのHPです。先生今年もよろしくお願いします。

<感想>

 こちらこそ、今年もよろしくお願いします。
ニャースさんの七言絶句は久しぶりですね。味わい深く読ませていただきました。
 七言になった分だけ使える字数は増えるのですが、その生かし方が効果的かどうか、ですね。転句については、「若問吾」が、結句については「強完」がもたついているように感じます。ひとまず平仄は無視して言えば、「渡風問成事」「売菜又一年」で表現としては十分でしょう。
 追加したような二字ないし三字をどう有用な言葉にするかという点が、推敲の楽しみでしょうね。

 何はともあれ、お仕事の順調なことをお祈りしています。

2004. 2. 6                 by junji


謝斧さんからお手紙をいただきました。

 結句の「売菜強完又一年」についてですが、
「強」は仄用ですので、四字目が孤平になっています。
 また、転句の「渡風」「若問吾成事」が続かないような気がしますが。

2004. 2. 8                 by 謝斧






















 2004年の投稿漢詩 第41作は 鯉舟 さんからの作品です。
 

作品番号 2004-41

  懐旧        

碌碌光陰七十年   碌碌たる光陰七十年

郷関久隔思纏綿   郷関久しく隔て思い纏綿

生家及没残甍散   生家は没するに及び 残甍散じ

坊市任頽閑地連   坊市はすたるるに任せ 閑地連なる

寂寞憐人彷月下   寂寞として人を憐みて 月下を彷い

蕭条懐旧坐灯前   蕭条として旧を懐い 灯前に坐す

盛時一夢如風去   盛時一夢風の如く去りぬ

独倚琴樽忘昔眠   独り琴樽に倚り昔を忘れて眠らん

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 小生は中国地方の山間の小さな城下町に生まれ育ちました。
 わが故郷を離れて半世紀、生家は既に無く、懐かしい商店街の町並みは郊外大型店舗に客を奪われてさびれ果てております。何年も続いた老舗も店をたたみ、とり壊されて跡地はお決まりの駐車場になっております。
 全国各地の地方小都市の何処にでも見られる悲しい光景です。
 果して日本は戦後六十年を経て豊かになったのでしょうか。物は溢れておりますが、古き良き町を破壊しつくす精神の貧しさしか感ぜられません。

<感想>

 私の住んでいる町も「地方小都市」ですが、やはり昔ながらの商店街は寂しい限りです。
 十年程前から、駅前再開発のための道路拡張の計画が出され、多くの商店が郊外に移転しました。ところが、途中から市の予算が無くなってしまい、計画も休止状態。空き地ばかりが目立つ駅前通りになってしまいました。
 先日久しぶりに通りかかった所、まるで空襲の後の焼け野原のような、荒涼とした風景が広がっていました。目抜き通り、メインストリート、そんな言葉はまるで嘘のような感じがしました。

 鯉舟さんが仰るように、「日本は戦後六十年を経て豊かになったのでしょうか」という疑問は、多くの人が抱いているものでしょう。そして、そう思いながらもきちんとした検証が進まないのも現状です。
 「忘昔」は、まだまだ早いかもしれませんよ。

2004. 2. 7                 by junji


ニャースさんから感想をいただきました。

 ニャースです。
なんともいえない味わいがあります。

 鯉舟さんがおっしゃる、「本当に日本は豊かになったのか」、というテーマが作品を貫いてあり、考えさせられました。「豊か」とはなにかという命題をつきつけられながら、これからの人間は生きていくのでしょうか。

 心に響いたので改めて中国語で読んでみましたが、音のつながりもすごくよく、それがこの作品の奥行きをさらに広げているのかな、と思いました。

2004. 2. 9                  by ニャース


謝斧さんからもお手紙をいただきました。

 第五句の「寂寞憐人彷月下」についてですが、
辞書をみると確かに「彷」「さまよう」ですが、「彷」の一字で「さまよう」と読ませている用例はあるでしょうか。
 「彷」は必ず、「彷徨」でないといけないとききおよんでいますが。

2004. 2.16                 by 謝斧























 2004年の投稿漢詩 第42作は滋賀県の 拝唐 さん、三十代の男性からの作品です。
 拝唐さんは新年漢詩でご登場ですが、一般投稿の方は初めてですのでご紹介をします。

作品番号 2004-42

  神戸一月十七日        

其朝地裂屋廬崩   其の朝地裂け屋廬崩る

炎覆楼衆不可憑   炎楼を覆ひ衆憑むべからず

焦慮友人安否耳   焦慮するは友人の安否のみ

閉瞳祈念再生灯   瞳を閉ぢて再生の灯を祈念す

          (下平声「十蒸」の押韻)

<解説>

 九年前の今日、早朝に神戸で地震がありました。滋賀県でもひどく揺れました。
 非常に怖かったのですが、それ以上にテレビで神戸の様子を見たときには涙がとまりませんでした。職場に行くのがとても嫌でした。神戸から来ている教え子(私のクラスには七人いました)の席は、しばらく空いたままでした。中にはまったく連絡がとれなかった子もいました。
 最終的には全員無事でしたが、家が全壊した子や、お爺さまが亡くなられた子もいました。
 もうあれから九年経ったのかと思います。決してあの日のことは忘れてはならない。そういう思いを込めて詠みました。
 詩作二作目ですので、甘い部分が多いと思います。

<感想>

 直接地震の被害に遭われた方も、拝唐さんのように関わりのある人の安否を心配なさった方も、多くの方が地震による辛い思い出があることと思います。
 半年程前に私も修学旅行の生徒引率で神戸に行きました。
 町の様子などからは地震の傷跡は感じられないくらいで、港神戸の華やかさを見てきましたが、震災を記録した「人と防災未来館」に数人の生徒と見学に行きました。これは実は生徒の方から申し出があって、「先生、僕らにも身近なことだから、是非行こう」ということだったのです。
 地震の朝を再現した「体験シアター」でも、その他の資料展示でも、生徒達はしっかり見ていて、館を出た後も「備えをしっかりしなくっちゃいけないね」と話していました。
 生徒達からすれば、九年前はまだ小学生だったかもしれないわけですが、それでも未曾有の災害だったことは記憶に残っているのでしょう。
 拝唐さんの書かれた「祈念再生灯」は、万人の共感する思いでしょうね。

 詩としては表現がやや直接的ですので、もう少し構成を練ることが必要かもしれません。起承転結の展開から見ても、転句までが同じ内容なのが気にはなります。
 平仄では、承句の四字目が仄字ですので、これは二四不同から外れています。句の字配分でも、「炎覆楼 衆不可憑」ですので、本来は四字+三字にしたいところです。「○炎 覆楼 衆○○」のような形で句を作り直すと落ち着くのではないでしょうか。

2004. 2. 7                 by junji





















 2004年の投稿漢詩 第43作は Y.T さんからの作品です。
 

作品番号 2004-43

  巴格達バグダット        

故探兵器保煤油   故に兵器を探ね 煤油を保つ

布什功成天下憂   布什ブッシュ 功 成って 天下 憂う

應覚古来無義戦   應に覚ゆべし 古えり 義戦 無しと

大邦倫理是邪不   大邦の倫理 是 いな

          (下平声「十一尤」の押韻)

<解説>

 ブッシュ大統領は大量破壊兵器を口実に、強引にイラクに侵攻し、フセインを擒にしましたが、国内でのテロは一向静まらず、今やレジスタンスの様相を呈しています。
 加えてイラク国内の治安はフセイン時代より遙かに悪いようです。
 武器が見つからなければ、隠している証拠だと云う、言いがかりのような理由での戦争は無論の事、ジハードも含め、正義の戦いなぞこの世に有る筈がありません。
 そんな中、いよいよ我が国も自衛隊のイラク派遣が決まりました。暗澹たる気分です。

 [語釈]
 「巴格達」:バグダット。前回は元代の表記に依りましたが、今回は現在の表記に従いました。
 「兵器」:ここでは大量破壊兵器の意です。
 「煤油」:石油。米国は石油を確保したの意。
 「布什」:ブッシュ大統領。

<感想>

 自衛隊のイラク派遣関係の報道が連日行われています。イラクには果たして大量破壊兵器は存在したのかどうかについても、新しい情報が表れてきています。それでも、我が国の首相はひたすら「アメリカ」崇拝を疑うことなく(あるいは疑わないポーズを保って)開き直った答弁を繰り返しています。
 国会中継を聞きながら、我が国にはそもそも議論というものが存在しなくなったという思いを持つ人は多いことでしょう。
 Y.Tさんのこの詩を読んで、私などは喝采を送りたい気持ちです。立場や面子からの発言が上滑っている情況で、本心からの不安を籠められていると思います。

 結句末の「不」については、使われる方も多いのですが、以前に謝斧さんから注意点を指摘されました。ここでご紹介しておきます。

 句末の「不」は、概ね「いなや」と訓読します。
 平仄は辞書では韻と韻の両用になっていますが、「佩文韻府」「詩韻含英異同辨」斎藤荊薗博士の「漢詩入門」では、韻はなく、句末の「不」の仄用はありません。
 恐らくは、まれに、古代の散文では発音が似ているため、韻の「否」「不」に代用したようです。
 諸橋「大漢和」では詳しく説明されていますが、字源などは、単に両用としか説明されていません。
 詩では仄の場合は「否」を用いますので、句末の「不」の仄用の使用例はありません。
 時々「辞書では句末の不は両用だ」と言い張って、わざわざ「否」を用いず「不」を使っている人がいますが、あまり意味のないことだと思います。

 Y.Tさんの使われたように、「下平声十一尤」の韻として用いるのが正しいわけですね。

2004. 2. 7                 by junji





















 2004年の投稿漢詩 第44作は岐阜県の 緑風 さん、七十代の男性の方からの作品です。
 お手紙には、
「初めてHPを見せていただきました。とても内容が豊富で驚きました。
 これからは時々見せていただき、漢詩づくりに約立てようと思っています。
 どうかよろしくお願いします」

とありました。
 これからもよろしくお願いします。

作品番号 2004-44

  祝新春     新春を祝う   

低迷年逝此迎新   低迷の年逝き 此に新を迎ふ

改革百論無潤民   改革百論 民潤ふ無し

経政刷新天下夢   経政の刷新 天下の夢

社頭依旧賀正人   社頭には 旧に依り 賀正の人

          (上平声「十一真」の押韻)

<解説>

 小泉内閣の『改革』が叫ばれてから早や三年、政治家は皆さん『改革』には賛成していますが、総論ばかりで各論=具体化策が出てきません。だから、景気は一向に良くなっていません。
 国民は経政の刷新を希望して、新年を迎えているのではないでしょうか?

 そんなことを考えて作詩しました。
漢詩は好きで時々作っていますが、独学ですから恥ずかしいと思いながら投稿しました。

<感想>

 新しい方をお迎えして、とてもうれしく思います。今後ともよろしくお願いします。

 「新年漢詩」にとも思いましたが、少し時期が過ぎましたので、投稿コーナーに入れさせていただきました。

 「祝新春」という気持ちで詩を拝見していると、どうも裏切られるようですね。起句から転句まで、これはどう考えてもお祝いの気分ではありません。まさに、経済でも政治でも大刷新が望まれるのですが、ちっとも実現するような気配もなく、口先改革にうんざりですね。
 新年だからこそ憤らざるを得ないのだ、という作者の気持ちがよく伝わってきます。

 気になったところでは、承句の末ですが、「民潤う無し」と読むのではなく、「民を潤ほすこと無し」とした方が意味も明瞭になるでしょう。
 この承句の「改革」と転句の「刷新」が意味の上で重なりますね。
 また、転句から結句のつながりもやや唐突な印象です。特に、「旧に依る」人々が新年に祈るのは今現在の改革の筈ですので、この「依旧」をここに入れた意図が分かりにくいと思います。
 「旧態依然のままで神頼みなんぞをしているから駄目なのだ」と叱っているのか、それとも「昔から人々は世の中の変革を祈っていたのだ」と見るのか、どちらにせよストレートには入ってきませんので、読む方としては、そこで一休止を余儀なくされます。
 「今年の初詣は特別にこうであった」、という表現に「依旧」を直されると良いと思います。

2004. 2. 7                 by junji





















 2004年の投稿漢詩 第45作は 勝風 さんからの作品です。
 

作品番号 2004-45

  病窓詩        

鶴衣翔病棟   鶴衣 病棟を翔ける

清似杏林花   清きこと杏林花のごとし

連日飲仙薬   連日仙薬を飲めば

蘇生敬慕加   蘇生 敬慕加わる

          (下平声「六麻」の押韻)

<解説>

 新年早々風邪をこじらせて、一週間も入院する羽目になりました。
 昼夜献身的に振舞う医師や看護師たちに対し感謝と敬意の感情が湧き起こりました。その思いを初めて作る五言絶句に託してみました。

<感想>

 風邪は万病の本、かく言う私もインフルエンザの発熱で苦しみました。大事にご養生下さい。

 詩中の「杏林」は、中国三国時代の呉の董奉の故事ですね。「神仙伝」が原典ですが、手元にありませんので、『聯珠詩格』の中の注から引用します。

 呉の董奉、道術有りて山に居す。田を種ゑず、人の爲に病を治め、亦銭を取らず。
 重き病に癒る者には杏五株を栽へしめ、(病の)軽き者には一株。
 此の如くして数年計るに、十餘萬株を得。乃ち、山中の百禽群獣を其の下に遊戯せしむ。
 竟に草を生ぜず。常に芸治が如し。
 後に杏子大いに熟す。林中に於いて一草倉を作し、時の人に示して曰わく、
 「杏を買はんと欲する者は奉に報ずるを須たず。
  但だ、穀一器を将って倉中に置き、即ち自ら往き一器の杏を取りて去れ」
と。
 人に、穀を置くこと少なくして杏を取ること多き者有り。群虎輒ち吼え之を逐ふ。
 この話は、二つのことが書かれていて印象に残りました。
 一つは、勿論、董奉の治療代を取らず、その代わりに杏の木を植えさせたところ、立派な杏林が出来たという話で、ここから名医を表す言葉になったわけです。
 もう一つは、その杏をどうしたか、ということです。穀物を一籠持って行き、穀物を提供し、その籠に入るだけの杏を持って帰らせたのだが、余分に杏を取っていこうとする不届き者には虎の群れが吼えかかるのだそうです。
 私はこの後半の話が全く老子の描く世界を感じさせて、とても好きです。

 勝風さんも、杏林の如き良いお医者さんに巡り会えたのですね、「蘇生」の言葉などを見ますと、ご病気も大変重かったのでしょうね。
 後養生にしっかりおつとめ下さい。

2004. 2. 7                 by junji