2002年の投稿漢詩 第136作は 鮟鱇 さんからの作品です。
 

作品番号 2002-136

  墓碑銘        

游人莫倒墓標輕,   游人 倒すなかれ 墓標の軽きを,

只有骨灰失四聲。   ただ 骨灰の四声を失うあり。

往日搖脣貪雅韵,   往日 脣を搖らして雅韻を貪り,

如今曳杖歩幽冥。   如今 杖を曳いて幽冥を歩む。

未逢詩聖錬聨句,   いまだ詩聖の聨句を錬るに逢わずして,

不見詩仙醒宿酲。   詩仙の宿酲を醒ますを見ず。

戀慕中唐來此岸,   中唐を恋慕して此の岸に来たるも,

偶聞吟唱是陰風。   たまたま聞く吟唱 これ陰風。


<解説>

(語釈)
 四聲:唐代の平声,上声,仄声,去声,また、現代中国語の四声
 幽冥:あの世。冥土
 往日:過ぎ去った日,ここでは,生きていた頃
 如今:ただいま,現在
 詩聖:杜甫 
 詩仙:李白
 陰風:冬の風。陰気な風

 拙作、現代韻で書いています(普通話韻十七庚押韻)

 輕:qing1 聲:sheng1  冥:ming2 酲:cheng2  風:feng1

 上記「風」に違和感を覚える方はすくなくないと思いますが、「風」は普通話では庚韻です。そして庚韵(−ing;−eng)は,普通話韵十八東(-ong)と通韻します。
 なお、第2句の「骨灰失」は古典韻では●○●、すなわち孤平ですが、現代韻では「失shi1」が第一声、すなわち●○○となりますので孤平とはなりません。


 いまの時代、漢詩を書くことはある種の悲しみをともないます。
 中唐の詩人に学び、詩語を磨き、典故を競っていい詩を書いたつもりになっても、それをまわりにいる人々に披露すれば、何を古臭いと笑われる。この悲しみ、小生はとうの昔に乗り越えてはいますが。。。。。
 開き直って詩を書く、小生はそう決めています。そうすると、力が湧いて来る。一年に1000や2000の詩はだれにでも書けるようになる。そういうことは、会社や学校があってもだれにでもやればできることなのです。
 まず、そのことを身をもって示す。1000についてはすでに証明しました。そして、今年は、2000を証明する。

 詩は中唐の文人やその偉業をくいものにする学者諸氏や、専門的な漢詩愛好家だけのものでないことを示す。そのために、学者でも漢詩人でもない小生は数を誇ります。難しいことをあれこれ詮議する前にまず作る、開き直って詩を書くということは凡人にとってもっとも有効な方法序説です。

 人はやがて死ぬ、小生もやがて死ぬでしょう、しかし言葉は、決して個人のものではないから、人類が生き延びる限りは、詩は存続していくでしょう。そして、言葉は人にとりつき、新たに装うのです。
 詩は存続し、時間を越え、国境を越えます。決して、中唐だけが詩ではない。詩は中唐を第一とする「古文辞」の手法に学ぶことは、なるほどわが国で漢詩人として一定の評価を得るためには欠かせないハウツーであるでしょう、受験参考書のごときものです。これがなければ大学へは進学できない。しかし、受験参考書を隅から隅まで暗記すれば大学へ進学できるかというと、必ずしもそうでもない。
 むしろ有効な方法は、傾向と対策であって、大学合格に必要な最低限の暗記を見極め、それを暗記をすることです。あとは好きなことをやった方が、詩を書くには、いい。

 大事なのは「性霊」であると思います。これを知らなければ詩を自在に書くことはできないし、これがあるから、われわれ現代人でもはるか昔の中唐の詩を楽しむことができるのです。「性霊」とは、つまりは遊び心。

 今回の拙作、実は今から2500年ほど前の詩からヒントを得ています。しかし、その詩は中国詩ではありません。古典ギリシャのシモーニデースの墓碑銘詩です。
 墓という人の一生を凝縮する場に彼が詩を見つけたということ、もっといえば、墓という人の一生を凝縮するものだ!と彼がはじめて気がついたということ、そこに小生は「性霊」を感じます。大切なのは、「はじめて」です。
 もちろん、この「はじめて」には人類のレベルがあり、民族のレベルがあり、そして個人、つまり詩を書こうと思う人のレベルがある。つまり、詩を書くにあたって、なにも人類初の発見をしなければならないというものではないでしょう。しかし、この「はじめて」があってはじめて、詩に触れてハッとさせられる驚きが生まれる。一詩一驚、このことをいちばん知っていたのは李白であるかも知れません。
 この驚き、それは「言霊」との出会いといってよいかも知れません。その光を、小生はシモーニデースの詩に見つけたのです。
 もちろんこれは、人類のレベルでもなく、民族のレベルでもなく、単なるわたし個人の驚きに過ぎないかも知れません、しかし、その驚きがあったから、小生は詩を書きました。「古文辞」の手法をどう評価するか、わたしなりに答えを出した作のつもりです。

 そこで、拙作については、漢詩・律詩と認めない方が、おそらくは少なくない。

<感想>

 以前に鮟鱇さんが、「天上に行って李白や杜甫に会いたい」と仰っておられたことがあったと覚えています。漢詩を作ることで、彼らとコンタクトが出来る、という趣旨だったと思いますが、今回の詩ではその頃から一歩も二歩も進んで行かれたお気持ちが書かれているのでしょうか。
 先人の詩を恋い慕う時に、単に愛唱するだけならばどうであろうと構いはしないが、詩人としてあるためには、まず今を生きている人間として心を動かし口を動かす、それが何よりも大切だぞというのは、あたかも天上からの詩仙の言葉のように私には思えます。
 首聯の「只有骨灰失四聲」は、まさに詩人の人生の果てを象徴し、すさまじさを感じる句ですね。杜甫の詩に、戦場に白骨が転がっていることを詠んだものがありましたが、そんな雰囲気が漂ってきます。

 最後の句もいかにも墓場にふさわしいような、重い余韻を残します。でも、冬の後には春が来る筈ですから、そんな思いで私は行きたいです。

2002. 9. 4                 by junji





















 2002年の投稿漢詩 第137作は 逸爾散士 さんからの作品です。
 97作の鮟鱇さんの「川中島」に応えた詩2篇です。

作品番号 2002-137

  和鮟鱇雅兄川中島詩(一)      鮟鱇雅兄の川中島詩に和す(一)  

海津城址樹萋萋   海津城址、樹、萋萋タリ

骨散軍場變緑畦   骨散ゼシ軍場ハ緑畦ト変ズ

甲越英雄争寸土   甲越英雄、寸土ヲ争ヒテ

両州村巷遍悲啼   両州ノ村巷、悲啼遍カラム

          (上平声「八斉」の押韻)

<解説>

 鮟鱇さんの「川中島」詩の驥尾に付して、兵士の苦悩を思いやる詩を作ろうと試みました。
 川中島には二十年以上前に行ったことがあります。海津城址に立って妻女山を眺めたけど、どこに陣を張れば有利かなどわからないし、川の流れも変わっているだろうから、何で海津城が要害なのかもわからず、茫洋とした感じでした。
 城址は公園でベニヤ板の信玄に自分の顔だけ出す作り物があったような気がするけど、他の場所と混ざっているのかも。
 それほど歴史ファンではないので英雄の事跡に感慨を覚えもしなかったし、まして兵卒の苦労をしのぶこともなかった。

 鮟鱇さんの感想で印象に残ったのは、「思想的には和臭の詩」という言葉です。「鞭声粛々」の詩は剣舞などにも用いられ、独特の情緒を喚起してしまうけど、図に題した詩ということを離れては鑑賞できないでしょう。(詩題が「川中島」「読甲越軍記」だったらかなり変な詩!)あの詩自体は英雄賛美の能天気なものとも言えないと思います。
 ただ、たしかに日本の漢詩人は兵卒の苦難を歌ったろうか。残された妻子の嘆きを掬い取ったろうかと考えると、日本人の漢詩受容には偏りがあるのかもしれません。

 同じ字を使うのは次韻で、韻目を同じくするのが和韻だったか、同じ位置に同じ字を使うのが次韻だったか覚束ない。鮟鱇さんの詩は初句を踏み落として平字だったけど、和する時の韻字はどうするのかもわかりません。一応、同じ字を使って初句も韻を踏みました。

 拙作は前半で景を出し、後半に感想を展開するオーソドックスな形で、兵卒とその家族の嘆きという漢詩らしいテーマにしました。
 ただ「両州」という言葉は、「様いやしい」感じ。また鮟鱇さんの思想に直接和していないところも物足りないと思っています。

<感想>

 感想は鮟鱇さんに書いていただいた方が良いと思いますが、ひとまず私の分だけ書きましょう。

 仰るように、贈られた詩と同じ字を同じ位置で使う、これが「次韻」ですし、同じ韻目の字で押韻するのが「和韻」です。どちらも難しいですね。
 日本古代でも、和歌の贈答では、相手の歌の一節を用いたり、同じ風合いの語を用いるのが歌を返す時の決まりだったわけですが、どちらも贈答の礼儀としては同じ心でしょうね。

 詩の内容的には、承句の「骨散」ですが、主題をここで出してしまうことについては、賛否意見が分かれるでしょう。全体をひとつのトーンで貫くという観点で見ればこれも良しでしょうが、結句との重複を指摘すればそれも言えるように思います。
 結句の「両州」は、転句の「甲越」と明らかに重複ですから、どうでしょうか。私は転句の方を直された方が良いように思います。

 平仄の点では、四句とも仄字で始まっていますが、これはリズムを単調にするので、避けられた方が良いでしょう。

2002. 9. 4                 by junji





















 2002年の投稿漢詩 第138作は 逸爾散士 さんからの作品です。
 

作品番号 2002-138

  和鮟鱇雅兄川中島詩(二)      鮟鱇雅兄の川中島詩に和す(二)  

暁霧流河鎖野畦   暁霧 河ヲ流レテ 野畦ヲ鎖シ

軍麾長剣轉悽悽   軍麾、長剣、轉タ悽悽

誰言二将争封域   誰カ言ハン、二将ノ封域ヲ争ヒ

甲越村閭滿泣啼   甲越ノ村閭ニ泣啼、満ツルト

          (上平声「八斉」の押韻)

<解説>

 鮟鱇さんの『川中島』の詩に和する第二案。仄起にして「甲越」を結句にもって行きました。
 頼山陽の詩に戻るのは、俳諧連歌でいう輪廻のようなので、なるべく鮟鱇さんの作だけを踏まえようと思ったけど、起承では川中島合戦のことを入れました。川霧は合戦の重要な要素だし、軍配(和語のようです)で刀をはっしと受け止めたという伝承も有名です。
 それが「悽悽」というと、普通は時の流れに英雄の事跡も過去のことになったという感慨につながるのだけど、一転、二人が国境争いをしたおかげで、領国の民衆が泣いていることを誰か言っただろうかとつなげました。そうして鮟鱇さんの視点に共感の意を表そうというつもり。
 ごく平凡に川中島合戦を詠じて、しかも中国の詩のような厭戦の情緒を持たせるとこんな感じかなと思います。

 ただ承句でも転換して、三句でも展開して、各句の座りが悪い感じ。 

<感想>

 二作目は、直接的に兵士の辛苦は出してませんので、その分、民衆の嘆きという結句が生きてきたのではないでしょうか。
 承句で内容の転換がある、と逸爾散士さんは言われましたが、私は起句承句共に「川中島の合戦」の場面を描き、その感想を書かれたのかと思いました。そういう見方をすれば、違和感はないでしょう。
 転句承句の流れも良く、私は二作目の方が整っているように思います。

2002. 9. 4                 by junji




鮟鱇さんから感想をいただきました。

 逸爾散士先生、鮟鱇です。

 拙作「川中島」に二首和していただき、とても光栄です。「川中島」は、先に書かせていただいたとおり先生の玉作「朝鮮出兵」を読ませていただいていなければ書けなかった作です。
 2000年に及ばんとするわが国の歴史のなかで、日本が「国」として世界史に登場するのは、豊臣秀吉の朝鮮出兵と、明治以降のたかだか150年に満たない期間です。その短い期間に、日本は国際舞台で何をしたのか。
 世界各国の世界史の教科書にどのように書かれているのか。そんなことを思いながら小生は、玉作「朝鮮出兵」を読ませていただきました。

 詩を書く上でのこととして、小生には、二つの強迫観念がありました。
 一つは詩を上手に書きたいということ、二つは自分らしい詩を書きたいということ。しかし、玉作「朝鮮出兵」にはそのいずれでもない詩人の魂があると小生は思いました。個人としてではなく、人間として詩を書かなければならないときがある、ということです。
 そして、それを書くには、海を超えて万人に理解されうるものとしての良識が求められると思います。
 拙作「川中島」は、この良識を訴え尽せてはいませんが、玉作「朝鮮出兵」にはその良識が、みごとにこめられてます。

 さて、玉作二首について、鈴木先生から感想を求められています。小生としては、二首いずれをいただいてもとてもうれしいし、ありがたいものです。
 しかし、あえてどちらが好きかといえば、玉作(一)の方です。

 ただ「好き」としかいえないのですが、詩の内容のことではなく、詩の書き方のうえでのこととして、(一)の方がわたしは好きです。
 (一)の四句の「時」に着目しますと、起句・承句は現在、転句・結句は過去、(二)は四句ともに過去のこととして読めます。
 作者と詩の関係でいえば、(一)は現在・過去が対比されることによって作者と歴史がいわば一人称的にあい対し、(二)は、作者の頭のなかで歴史が展開される三人称の世界になっていると思います。
 このどちらの書き方がよいかは議論のあるところかも知れませんが、小生は作者の立場がより色濃くわかる(一)の書き方が好きです。
 また、(一)の「寸土」と(二)の「封境」では、(一)の方がより主観的で情のこもった言葉になっていると思えます。

 ただし、詩の内容でいえば、「人間」としてより深く痛むべきは、死んでいく者よりは残された者に対してであるだろうと、玉作を拝読し、改めて思いました。
 小生が書かなかったそれを、先生はお書きになった。そのことに敬服しています。その意味で応酬詩の内容としては、(二)の方がよりありがたく思えます。

 また、山陽をめぐっては、小生の筆の走りすぎを丁寧に指摘していただきました。
 山陽の詩がいかに優れたものであるかは、小生なりに承知はしているつもりです。それなのに筆が走った。そして、先生に余計なお手間をとらせてしまいました。申し訳なく思っております。

 また、蛇足になりますが、拙作「川中島」は、詩作りで山陽とまともに戦ってはとても勝てないので、彼の「川中島」を典故にするという小賢しい詩作りをしています。
 典故は、教養浅薄な者が用いれば「詩味」の不足を補おうとするだけのものにしかなりませんから、小生の詩は必然的に無典故派たらざるを得ません。しかし、「川中島」ではその典故を用いました。無典故派としては、少々忸怩たる思いがあります。

2002. 9. 8                  by 鮟鱇






















 2002年の投稿漢詩 第139作は 徐庶 さんからの作品です。
 

作品番号 2002-139

  夏眠        

日景蒸齋止讀書   日景 齋を蒸して 讀書を止め

臥横軒下眺雲浮   軒下に臥横して 雲の浮かぶを眺む

夏期尤好暘醒爽   夏期尤も好し 暘醒の爽なるは

而況午眠昏起乎   而るに況や 午に眠りて昏に起くるをや

<解説>

 日光が部屋を熱したので読書を止め、
 軒下に寝っ転がって雲の浮かんでいるのを眺める。
 夏の時期、早起きするととても気分がいい、
 まして昼から夕方に書けて昼寝するのはなおさらのことだ。

<感想>

 徐庶さんの今回の詩は、どうしたのでしょうか、押韻がみなずれていますね。
 内容としては、転句と結句がつながりで、「而」の逆接が気になります。「況・・・乎」「抑揚形」は流れから行けば順接になる筈で、ここが対立しているわけです。
 「早起きは気持ち良い、そして昼寝は当然言うまでもない」となるか、「早起きは気持ち良い、しかし昼寝はもっと良い」となるかのどちらかでしょう。

 今年の夏は例年以上に暑さが厳しく、早朝でも爽やかな日というのはなかなか無かったわけで、徐庶さんの言われるように、昼寝が不可欠という感じでしたね。「午眠昏起」というのは、実感の伴った面白い句ですね。

2002. 9. 4                 by junji




鮟鱇さんから感想をいただきました。

 徐庶さん、鮟鱇です。

 とても楽しい詩、読ませていただきました。
 「午眠昏醒」、詩を書く者としてうらやましい句です。たしか徐庶さんは中学三年生で受験生のはずですよね。そのあなたが、どうしてこんな「老成」した詩を、と思いつつ舌をまいています。

 さて、そのうえで、押韵について、少々疑問がありお尋ねします。

 わたしの手元にある韻書では、「書」は魚韻、「浮」は尤韻、「乎」は虞韻。
 したがって鈴木先生のおっしゃるとおりで、「おや、どうしたのかな」と小生も思います。
 しかし、あらためて虞韻を眺めてみますと、「桴」「孚」「俘」などがあり、音符としての「孚」を含む語は「尤韻」「虞韻」の両方にみることができます。
 徐庶さんのお持ちの韻書・漢和辞典では、「浮」を尤韻・虞韻の両韻としているのかも知れませんね。これが第一の疑問。

 第二の疑問。徐庶さんはもしかして、現代韻で書いた。
 わたしは、書くときも読むときも、漢字「音読み」と現代中国語「ピンイン」が入り交じったヘタクソな普通話で詩を書くし、読みますので、現代語では「書shu1」「浮fu2 」「乎 hu1」と、みごとに押韻できていることがわかります。
 つまり、徐庶さんは普通話詩韻「十姑」で書いたのかも知れませんね。これが第二の疑問です。
 そして、普通話詩韻で絶句・律詩を書く場合は、読者の便宜を考え、普通話詩韻で書いているむねを明示したほうがいいと思います。

 ところで、普通話詩韻で絶句・律詩を書くことは、まだあまり行われていません。
 わが国では、わたしの所属する葛飾吟社と、京都の棚橋先生のところぐらいではないかと思います。わたしは普通話詩韻で書きます。しかし、慣れだけのことだと思いますが、やはり古典韵で書こうとする場合の方が多い。古典韵で書きはじめて、言葉が行き詰まったら普通話詩韻で作り直すというような書き方をしています。
 漢俳曄歌などの現代定型詩は、なるべくはじめから普通話詩韻で書こうと思いますが。。。。

 また、海の向こうの中国では、これからは普通話詩韻で書かれる詩が増えてくるように思えます。仄聞で恐縮ですが、今年の「中華詩詞」第三期巻頭言で朱総理「多いに評介し、普及し群衆化する仕事を多いにしてほしい」と書いているようです。
 これを受けて楊帆という人が、「群衆化」とは大衆化であり、詩詞作りを口語化し、読者に「字典」「辞海」を要求する必要のない詩作りをめざすべきだと言う論文を書いています。
 楊帆さんは、詩の普及、大衆化を阻害している原因として、「詩誌の編集者の“泥古思想”が、“新品”が“囲い”に入って来るのを阻んでいる、明白でわかりやすい作品には“咀嚼に耐える”文言がないと考えている。」ことを挙げています。
 そして、「いわゆる咀嚼に耐える作品には、字面上で“解くに耐えている”だけでその実“詩味”の不足を覆い隠しているだけのもの」が少なくないとも書いています。

 こうした動きを見ますと、普通話詩韻による作詩活動は、特に若い人たちを中心に間違いなく前進していくと思えます。われわれ日本人は、中国人ではありませんから、古典韵で書こうが、普通話詩韻で書こうが、ともに詩を外国語で書くことに変わりはありません。だから、どちらを使ってもよいともいえるのです。
 そして、どちらでもよいことなら、その時々の言葉の選択の上で、有利な方をとればよい。昔は古典韻で書かなければ中国の文人に馬鹿にされるということがあったと思いますが、今はそういう時代ではなくなって来ているのですから。

2002. 9. 8                 by 鮟鱇






















 2002年の投稿漢詩 第140作は東京都狛江市の 黄助 さん、四十代の男性の方からの初めての投稿作品です。
 お手紙を紹介しましょう。
 初めて投稿致します。
 色々な漢詩のHPを拝見して自分も作る気になりました。
 特に貴HPは初心者にもわかりやすく親切に作られていて、管理人の方の温かい人柄が感じられます。私のような者にはとてもありがたい存在です。
 漢詩自体も初めて作りました。『だれにでもできる漢詩の作り方』を参考にしています。ほとんどを詩語表から拾っていますし、詩を載せて頂くというより、果たして漢詩になっているのかの方が心配です。約束事や読み下し方があっているのかどうかも不安です。
 しかし考えてばかりいても仕方ないので勇気を持って投稿させていただきます。
 宜しくお願いします。

作品番号 2002-140

  避暑偶作        

深山池上水盈盈   深山の池上 水盈盈たり

林下無人木道横   林下に人無く 木道横たふ

何来啼鵑涼一味   何来啼鵑 涼一味

壮雲映面午風軽   壮雲面に映え 午風軽し

          (下平声「八庚」の押韻)

<解説>

 8月初旬、八ヶ岳の白駒池に参り、その際の風景が素晴らしく、題材にしたくなりました。 子供の要求にかこつけて小舟をこぎ出しました。原生林の中の木道、静かで透明な池、水面に映える木立と青空と雲。林の中から鳥の声が聞こえ、標高二千メートルを超える池の上は平らかで、涼やかな風が吹き抜けていきます。

<感想>

 新しい方を迎えて、とてもうれしく思っています。今後ともよろしくお願いします。

 初めて作った漢詩ということですが、各句の流れも良く、無理なく読むことのできる詩になっていると思います。特に転句での聴覚への転換は、もちろん意図してのことでしょうが、納得できる構成ですね。
 八ヶ岳山中の避暑地、閑静でありつつ壮大な自然の雰囲気が、一つ一つの言葉で生かされて、非常に絵画的、写実的な詩になっていると思います。

 平仄の点では、転句の「来」は、「来る」の意味ならば平声ですので、ここでは合いません。
 語句としては、起句の「池上」は、「池のほとり」の意味になりますので、池のほとりが「水盈盈」ですと、ちょっとまずいように思います。

 気のついた点は以上の二つくらいです。これからが楽しみですね。次回作も期待しています。

2002. 9. 5                 by junji



海山人(旧 三耕)さんから感想をいただきました。

 ほんとに初めての作とは思えない構成の素晴らしい漢詩と拝見しました。
 起句から承句でちょっと”人影”を出し、転結の「涼一味」から「午風軽」への持っていき方は一流だと感服いたしました。
 これから新しい作品を閲覧できるのが楽しみになりました。

 今後の為に若干の気付き点を以下申し述べます。
  ・「水盈盈」「盈盈」はやや安易か。
  ・「林下無人」で次に動詞がこないのなら「空林」ですむ。
  ・「啼鵑」「涼一味」を感じるかやや疑問。
  ・「壮雲映面」は起句との連関から良いとも言えるがやや重複感というか落ち着きのなさを感じてしまう。

 作を重ね用字を磨いていかれることと期待申し上げております。

2002. 9. 7                     by 海山人(旧 三耕)





















 2002年の投稿漢詩 第141作は Y.T さんからの作品です。
 前作の 「林彪(追加)」 に、さらに一連追加という形ですね。更に、前回追加した第二段も一部字句の修正がありました。

作品番号 2002-141

   林彪(第三段が今回の追加です)        

建国元勲遍災禍   建国の元勲 遍く災禍

獣盡良狗竟亨也   獣盡きなば 良狗も 竟には亨らるなり

林彪蓋識先制人   林彪 蓋し識る 先んずれば人を制すと

欲抜一毛簒天下   一毛を抜いて 天下を簒(と)らんと欲っす

龍車早去向京華   龍車 早(つと)に去りて 京華に向かひ

太湖東辺逸長蛇   太湖東辺 長蛇を逸す

事敗夜陰将奔北   事敗れ 夜陰 将に北に奔らんとするも

戟折沈沙喬志賖   戟折(くだ)けて沙に沈み 喬志 賖(はる)かなり

          (上声二十「煤v、二一「馬」の通韻と下平声六「麻」の押韻)

患生於欲人難恃     患(わざわ)いは欲に於いて生じ 人は恃み難し

功遂身退達士爾     功遂げて身退くは 達士爾(のみ)

君不聞春秋陶朱公   君 聞かずや春秋の陶朱公

出処進退以足視     出処進退 以って視るに足れり

十年大乱鎮時遅     十年の大乱 鎮まる時遅く

人才喪失名教衰     人才 喪失(うしな)われ 名教衰う

傷懐文革抑何作     傷懐 文革 抑も 何をか作(な)せる

追悔一尊酹為誰     追悔 一尊 誰が為に酹(そそ)がん
  青色の文字が今回訂正分です。

          (上声四「紙」の押韻と上平声四「支」の押韻)

改革要望不知止   改革の要望 止まるを知らず

京都血流成海水   京都(けいと)血流れて 海水となる

旗幟猶在共産中   旗幟は 猶 共産の中に在るも

真相既存求利裏   真相は既に 求利の裏に存す

一国二制百難滋   一国二制 百難 滋く

中華持此抑安之   中華 此を持して 抑も安にか之(ゆ)かんとす

已聞批孔批毛未   已に批孔を聞くも 批毛は未だし

百花斉放是何時   百花斉放 何れの時か是なる

          (上声四「紙」と上平声四「支」の押韻)

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 この詩は、漢字表記に Unicord を用いています。
文字化けして変な記号が表示されたり、「 ・ 」となっていたり字数が合わない、など、
漢字が正しく表示できていないと思われる方は 主宰者 までご連絡下さい。
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<解説>

 Junji先生に励まされ「林彪」にまた追加しましたが、「林彪」と言うより「文化大革命以後」とすべき内容に成って仕舞いました。ただ、私は歴史や社会にはズブの素人ですから、本の知識の受け売りで誤りも多いと思いますが、勝手な私見を述べさせて頂きました。
 尚、林彪(追加)は少し字を変えました。

[解説]

 文革が終わり、ケ小平に依る改革開放の時代に入って、欧米を初めとする先進諸国の事情が中国に広まると、更なる開放要求の波が怒濤の勢いで都市に広がり始めました。
 先日、中国の知人が「以前と違い中国では今、お金がないと病気になっても見てもらえない。日本の医療の方がずっと社会主義だ」と私に言いました。
 形はこうして資本主義同様の利潤追求社会に変貌しても、建前は依然、共産主義を基本に於いている以上、改革開放のあまりに急な推進は中国の存亡に関わると上層部は判断したのでしょうか?
 1989年6月に、解放軍が人民に発砲し二千人近くが亡くなるという流血の天安門事件が起きました。一つには、丁度起きたソ連邦崩壊も政府の心理に影響したと思われます。

 昨夏、私は黄山に旅行しましたが、その時、ガイドは我々に、「皆さん、何でも質問して下さい。但し政治の話だけは止めて下さい。まだまだ私はこの仕事を続けたいですから」と半ば冗談めかして言いました。
 是を聞いて、私はまだまだ中国には言論の自由は無いな、と痛感し、文化大革命が始まった時、郭沫若氏が「私は毛沢東思想を誤り学んできた」と自己批判したのを想いだしました。当時、私は非常に驚きまた訝ったのですが、毛が知識人に対して仕掛けた1957年の陰険な「百花斉放」や文革のその後の経過を見れば、是も当然の判断だったと思います。
 ケ氏も又、毛の後を襲って権力の座に就いたばかりの頃は「民主の壁」を寧ろ奨励していました。しかし発言の中身が自分の批判に及んでくると、彼は直ぐさま、此の壁新聞の最も雄弁な筆者の魏京生を投獄し、その年の裡に「民主の壁」を綺麗に洗い去っています。

 6年前、中国で乗ったバスやタクシーに毛沢東の肖像の入ったお守りがぶら下がっているのを数多く見ました。この点、スターリンが死後直ちに批判され、ソビエト崩壊後にはレーニンの像が総て撤去されたのと大きな対照をなしています。
 中国が真に民主的な近代国家となり、権力者への批判が自由に出来るようになる時は何時でしょうか?


 [語釈]
 「一国二制」: 香港と本土の意味ではなく、「中国式社会主義」を指します。
 「批毛」: 毛沢東への批判の意味。
 「百花斉放」
 
 
 
: 1956年末、毛沢東は誰でも自由に意見を述べようと云う運動を提唱し、
 百花斉放、百家争鳴運動(双百)と呼んだ。
  しかし、知識人達が本当にして自由に意見を述べたら、これは蛇を焙り出す方法だとして
 反対者を総て逮捕した。

<感想>

 林彪を語っていた詩も、いつしか中国現代史の様相を呈してきましたね。改めて第一解から読ませていただきましたが、大作になってきたように思います。まだまだ追加は行きそうですね(と、これは催促になるかな?)
 こうしたスケールの大きな展開に古詩はまさに適した形式と言えますね。押韻が第二解と同じというのはどうなんでしょう?私にはそのあたりが分かりませんので、謝斧さんに教えていただきたいものです。

 用語も分かりやすく、お考えがストレートに出ている句が多いと思います。ただ、二句目の「血流成海水」は、比喩としてはやや大きすぎ、こうした歴史事実を突きつける内容にはそぐわない気がします。
 作者の史観や主張が表れた表現と言えるのかもしれませんが、全体の描写の積み重ねで十分に役割は果たしているのではないでしょうか。「流れた血が道を洗った」ぐらいの書き方が落ち着くと思います。

2002. 9. 5                 by junji



Y.Tさんからお返事をいただきました。

 junji 先生  Y.T.です。いつもご指導有難う御座います。
 先日は拙作「林彪再追加」に、丁寧なアドバイスを頂き有難う御座いました。

 ご指摘の通り、二千人程度の死者で「京都血流成海水」とするのは確かに私も、大袈裟とは思います。しかし「白髪三千丈」ではありませんがこうした表現は漢詩ではよくあると思うのですが。(杜甫:兵車行)
 改めた方がよいなら、「京都流血動城市」(京都 血流れて 城市を動がす)とするか、「砲声一夜動京市」とするかですが、只「京市」は熟さないと思います。

2002. 9. 8                 by Y.T




謝斧さんから感想をいただきました。

 押韻が第二解と同じというのはどうなんでしょう。私もよくわかりません。
 同じ詩でも、長編ならば同じ韻を繰り返し押韻した例もありますが、その場合でも、連続して使用した例は知りません。
 私の考えでは、普通は韻を換るようにして作りますが、歌行の面から考えますと、描写の対象、背景或いは、感情が激動し気分が変化するときの転換としての効果などは、前韻がすでに違っていますので、問題なく、大過はないと考えます。
 然し敢えて同じ韻を使用しても、効果は無いようにおもえますし、韻を換えた方が調子がより複雑になるとおもいます。敢えて韻を換えた方が無難なようにおもえます。

2002. 9.15                 by 謝斧




鮟鱇さんからも感想をいただきました。

Y.T先生 鮟鱇です。

 先生の玉作「林彪」、詠史の詩に佳作がないなかで秀眉のものと小生は思っています。  とりわけ、冒頭の4句、「建国元勲遍災禍,獣盡良狗竟亨也。林彪蓋識先制人,欲抜一毛簒天下。」は、単に登場人物の歴史的事実化したことがらの凡庸な解釈に留まるのではなく、権力のなかで生きることの恐怖や欲望が洞察されて書かれており、ノンフィクションを読むがごとき迫力があります。

 「欲抜一毛簒天下」。この句の魅力は、詠史が陥りがちな客観写実の三人称的世界から、人間らしい感情を帯びた一人称的世界への深化に成功していることにあるように思えます。

 古詩の作法をめぐっては議論もあるようですが、読者はそういうことよりも書かれた内容そのものを読むものと思います。
 ただ、韻を換えれば当然書かれる内容も変わるでしょうから、それが詩の深化に及ぶのであれば書き直しの意味もあると思います。
 また、さらに長い詩に書き加えた場合に同じ韻目の繰り返しの効果も変化していくと思います。たとえば、さらに一連を加えて冒頭と同じ韻(上声二十「煤v、二一「馬」の通韻と下平声六「麻」の押韻)にしたらどうなるのか、など小生なりに勉強させていただいております。

 小生は、古詩は4句ごとに換韻するのが基本、ぐらいのことしか知りません。しかし、玉作は、宋詞や元曲の韻の分類法に照らしとても興味深いものです。
 宋詞でも元曲でも、上声二十「煤v、二一「馬」と下平声六「麻」、上声四「紙」と上平声四「支」とは、同じ韻目に属しています。同じ韻目に属したうえで、平仄を別にしています。
 そして、特に元曲では、その平仄を同韻として扱う傾向が顕著です。とすると、玉作は4句ひとくくりではなく、8句ひとくくりの構造になっているように見えてきます。
 古詩でこれを試みられることは、小生には新しいことで、先生がこれを今後どのように発展させていかれるのか、とても興味があります。

  今後ともよろしくお願いいたします。

2002.10.14                 by 鮟鱇




鮟鱇さんの感想へのY.Tさんのお返事です。

鮟鱇 先生 
  Y.T です。

 拙作「林彪」の押韻に就いて、丁重なご教示を頂き、有難う御座いました。また御過褒にも預かり恐縮しております。
 「欲抜一毛簒天下」に良い所があれば、それは総て楊朱の言葉にある訳で、相変わらずの借句癖、お恥ずかしい限りです。

 詩・詞に止まらず、元曲にまで亙る先生の蘊蓄の深さ、博さには何時も只、驚嘆です。
 元曲や宋詞では上声と平声も通韻したとの事は大変興味深く思いました。

 長い古詩、例えば「長恨歌」は、冒頭の八句を入声十三(職)で押韻し、次の八句は平声ですが、上平声四(支)と下平声二(蕭)で換韻しています。
 更に中程の、「歸來池苑皆依舊/太液芙蓉未央柳」 は二句で換韻ですが、「舊」は去声(宥)、「柳」は上声(有)です。これらも唐代では通韻していたのでしょうか?
 それとも、長い詩なので、中程でわざと調子を乱して面白くしようとした・・・?
 そんな事を考え、また、古詩に興味を募らせています。

2002.10.29                 by Y.T






















 2002年の投稿漢詩 第142作は 鮟鱇 さんからの作品です。
 

作品番号 2002-142

  宴清都・願和平        

國破成民主,国破れて民主成り,
傷目處,目を傷(いた)めるところ,
都歸灰燼焦土。すべて灰燼(カイジン) 焦土(ショウド)に帰す。
悲埋戰骨,悲しみて戦骨(センコツ)を埋め,
悔非刻骨,非を悔いて骨に刻み,
誓言新墓。新墓に誓って言う。
期望恒久和平,恒久の平和を期望し,
棄兵器、無人恐懼。兵器を棄てるも、恐懼(キョウク)する者なしと。
勤経済、五十年來,経済に勤(いそ)しんで、五十年来,
不忘廣島攻苦。広島の攻苦(コウク)を忘れず。
      ○           ○    
看不國富人驕,見ずや、国富んで人驕(おご)り,
老煽年少,老いたる者 少年を煽り,
瀛寰流譽?瀛寰(エイカン)に譽(ほまれ)を流さんとするを?
破濤萬里,破濤万里,
最新軍艦,最新の軍艦,
遠航南渡。遠航して南に渡る。
吾生衰邁無力,われは衰邁(スイマイ)して無力なるも,
但知道、干戈遷怒。ただ知れり、干戈(カンカ)の怒(いかり)を遷(うつ)すを。
合認識、常保温顔,まさに認識すべし、常に温顔を保てば,
不迷市虎。市虎(シコ)に迷わずと。


<解説>

 8月、戦争を思います。わたし自身は戦後生まれですから、戦争を知りません。ただ、広島・長崎を思えば、何があっても戦うべきではない、そのためには、武器を持たないのが一番と思う。
 かつて戦争に負けたときに、武器を棄ててもだれも恐がらなかったのに、武器を持つと周辺の国の侵略を怖れるようになるのはなぜなのか、そんなことを思いながらこの詞を書きました。

 [語釈]
 「宴清都」
 
: 宋詞の「詞牌」名。詞中「○」は、前段・後段の区切りです。
 前段10句52字後段10句50字の詞です。
 「攻苦」: 苦しみを乗り越えること
 「瀛寰」: 海と人間界=世界。
 「流譽」
 
 
: 実力以上の誉れを得ようとすること。
 日本が経済以外の分野で国際的役割を果たそうとすることが、
 世界の(とりわけアジアの)人々から見て、「流誉」でなければよいのですが。。。
 「衰邁」: 歳を取り衰えること
 「干戈遷怒」
 
: 「干戈」は戦争。「遷怒」は怒りを遷すこと=やつあたり。
 戦争で犠牲になるのはそれを指導する人たちではなく、巻き込まれる人たちです。
 「市虎」: 「三人成市虎」 市中に虎がいるはずがないが、虎がいると三人までがいうと、ついには人も信じてしまう(故事)。
 ここでは、「日本が侵略されるかも知れない」という可能性を「虎」にしています。


<感想>

 鮟鱇さんのこの詞を読みながら、子供の頃からのことを思い出しました。
 戦後生まれの私は、「戦争は絶対悪、平和は絶対善」ということを子供の頃から教えられましたし、戦争から帰った父親が身体を壊し、働くのにも苦労している姿を見ていました。
 祖母は、長男(私の父親のことですが)なのにお国のために働かずに戦地で病気になって帰ってきたことを恥ずかしいというようなことを言っていました。本心なのかどうかは今では知るよしもありませんが、世間体だけのことだとしても、母親がそんなことを言わなくてはならないという社会や時代に釈然としない思いをしたことも覚えています。
 身近な点から「戦争はいけないことだ」というのが心の奥の方に染みついていると思います。
 戦争を拒否し、平和を希求するということは、戦前戦後の百年の日本の歩みの中で、国民の大多数にとっては血となり肉となるようなものにまで育ってきている筈だと、私は思っていますし、信じてもいます。

 折しもテレビでは昨年9.11以来のテロ関連のニュースを流しています。犠牲となった方々への哀悼の気持ちはもちろん持っていますが、アフガニスタン空爆の犠牲者の人たちのことを思い、更にアメリカ大統領の演説を聞いていると、感情の深い所から不安定なものが浮かび上がってきます。
 アメリカ大統領が目論んでいるイラクへの攻撃再開に対して、多くの国が不安な感情を表明している中で、「アメリカが現在最も頼りとする国は日本だ」という趣旨の発言を聞くと、父の姿や祖母の声がよみがえってきて、切なく悲しい気持ちになります。

 誰か敵がいなければ落ち着かない、振りかぶった矛の先を向ける相手を常に探し続ける、そのような考え方が充満する社会は異様です。その異様さにほおかむりをする、あるいは異様さに気づかないというのは、その人の無知(無恥)を表しています。「温顔」は、哀しみへの理解が根底になくては保つことはできないのでしょう。
 そうした意味でも、最後の二句は重く感じました。

 後段の一句目、「看不」「看不看」の省略でしょうか。「不看」という順の方が自然な気がしますが、どうでしょうか。

2002. 9. 15                 by junji





















 2002年の投稿漢詩 第143作は 禿羊 さんからの作品です。
 

作品番号 2002-143

  喫茶        

窓前墨跡高僧偽   窓前の墨跡は高僧の偽

掌上茶甌褐土粗   掌上の茶甌は褐土の粗

野老寛衣蝉噪坐   野老 衣を寛げて蝉噪に坐すれば

一杯細乳潤枯躯   一杯の細乳 枯躯を潤す

          (上平声「七虞」の押韻)

<解説>

 壁の墨跡はインターネットのオークションで買った怪しげなもの
 手の上の茶碗は伊賀か信楽か、名もない粗末なもの
 作法もわきまえぬ老いぼれが、だらしない格好で蝉の鳴く中、胡座を組む
 そんな飲み方でも、一杯の薄茶はこの体に沁みこむようだ



 [語釈]
 「細乳」陸游「明窓細乳戯分茶」から、借用しました。

<感想>

 暑い中での熱い一杯のお茶、これは何よりの暑気払いですよね。禿羊さんの今回の作品では、結句の「一杯細乳潤枯躯」が、実感のこもった好句だと思いました。

 起句の「高僧偽」は、作者の意図したように理解できるか不安ですね。「高僧が偽る」と読まれるのではないでしょうか。
 仮に書き下しの通りに読んだとしても、表現としては直接的過ぎて、趣が無いですね。即興的な戯れの詩ならば面白いと言うかもしれませんが。

 承句では「褐土粗」「粗」だけならば「粗末」という意味も考えられますが、「褐土」からつながれば、やはり「あらい」と解釈すると思います。ここは、「褐土」とわざわざ表したことが逆効果ではないでしょうか。

 転句では、「蝉噪坐」ですが、「坐」の主語を「蝉」と誤解されないためにも、挟み平「坐蝉噪」とした方が良いと思います。

2002. 9.15                 by junji





















 2002年の投稿漢詩 第144作は 鮟鱇 さんからの作品です。
 

作品番号 2002-144

  蝉 其一        

冥冥悶悶亦綿綿,    冥冥たり悶悶たり また綿綿たり

養命地中眠幾年?   命を養い地中に眠ること幾年ぞ。

蝉蛻清晨醒晩節,    蝉蛻(せんぜい)して清晨(せいしん)に醒めれば晩節,

鳴呼伴侶已秋天。    伴侶を鳴いて呼べば すでに秋天。

          (中華新韻「寒」・下平声「一先」の押韻)

<解説>

 生きていること、あるいは生かされていることの最大の喜びはおそらく、佳き人と睦むことにあります。浮生の最後にそれを求める蝉の生き方、小生には限りない羨望を感じます。

 [語釈]
 「冥冥悶悶亦綿綿」:現代語で読めば大体「ミーンミーンメンメンイミェーンミェーン」。つまりミンミンゼミの鳴き声を音写しています。
 「蝉蛻」:蝉が殻を脱ぐこと。

<感想>

 「蝉」という、夏のポピュラーな素材を鮟鱇さんがどう詠うか、と興味深く読み始めましたら、いきなりガーンをカウンターでしたね。
 蝉の鳴き声という擬音表現( ming ming men men bu mian mian )もそうですが、それぞれが意味もあるわけで、特に最後の「綿綿」は、蝉の鳴き声の途切れない様子をよく表していますね。蝉の心までも推測すれば、「冥冥」「悶悶」もつい納得してしまいますね。
 転句も「清晨」「晩節」の対応が面白く、鮟鱇さんのニヤリと笑う気配が感じられそうです。

 結句は思いがけない収束で、下三字が物足りなく感じます。「鳴呼伴侶」に鮟鱇さんの気合いが一番入っているのでしょうが、少し空回りとも言えるでしょう。

2002. 9.15                 by junji





















 2002年の投稿漢詩 第145作は 鮟鱇 さんからの作品です。
 

作品番号 2002-145

  蝉 其二        

歐心促促叫君名,   心を謳(うた)って促促と君が名を叫(よ)

勉勉綿綿訴戀情。   勉勉として綿綿と戀情を訴える。

養命地中長歳月,   地中に命を養うこと、長き歳月,

吟腸老愈樂浮生。   吟腸老いていよいよ浮生を楽しむ。

          (中華新韻「庚」・下平声「八庚」の押韻)

<解説>

 

 [語釈]
 「歐心促促」
 
:現代語で読めば大体「オウシンツーツ」。ツクツクボウシの鳴き声を音写しています。
 「促促」は気ぜわしいさま。あるいは「いそいそ」の意。
 「勉勉綿綿」
 
:現代語で読めば大体「ミィェンミィェンミェーンミェーン」
 ミンミンゼミの鳴き声を音写しています。「勉勉」は勤め励むさま。
 「蝉蛻」:蝉が殻を脱ぐこと。

<感想>

 蝉は、その様々な生態を取り上げて、人間の生涯を象徴するものとされますね。その鳴き声は秋の気配を伝えるとともに人生の秋をも伝え、地上に出てからの短い命は世の無常、はかなさを感じさせます。
 鮟鱇さんは、途切れることなく「綿綿」と続く鳴き声に「伴侶」を求める蝉の切々たる思いを感じ取ったようですね。そして、残り少ない蝉の命を「老い」へとつなげ、そこから鮟鱇さん自身の感懐へと迫っていく。

 前作の解説で、「蝉の生き方、小生には限りない羨望を感じます」と書かれていましたが、なかなか私たち人間には蝉を羨むことはできません。そこをすっきりと書いてしまうところが、鮟鱇さんの本領ですね。

2002. 9. 3                 by junji




Y.Tさんから感想をいただきました。

 鮟鱇 先生 Y.T.です。

 先生の今回の玉作 「蝉 其一」大変面白く読ませて戴きました。一読、李清照「聲聲慢」を想い浮かべました。
 しかも先生は畳字を使って単に意味だけでなく音まで表現していらっしゃる。これは凄いと感心しました。
 此までも先生の機知あふれる作品に感嘆していましたが、大体、私自身が畳字好きなので今回の詩は特に面白く拝読しました。

 これからも、是非、こうした作品を読ませて下さい。

2002.9.16                    by Y.T





鮟鱇さんから、Y.Tさんへのお返事です。

 Y.T先生
 鮟鱇です。拙作にご感想を寄せていただきながら、御礼、大変遅くなりました。
おわびいたします。

 小生、ご感想をいただき、大変勇気付けられております。とりわけ李清照に触れていただいたことには、私も「声声慢」のファンでありますので、同好の方に出会った喜びがあります。
 作詩の動機は、ミンミン蝉の声を音写してみようと思ったのが最初ですが、ほぼ同時に「声声慢」のことが頭にありました。
 そして、詩想の深さでは「声声慢」にはとてもかなわないから、「声声慢」ではなく絶句で書くことにしました。
 単なる思い付きで書くことと、李清照の孤独の深さとの違いがあります。

2002.10.14                   by 鮟鱇





Y.Tさんからのお返事です。

 鮟鱇先生
 Y.Tです。

 「声声慢」は無論、古今の傑作ですが、「蝉」も先生ならではの機知に富んだ佳作であると感心しました。
 「悶悶亦綿綿」からは蝉の鳴き声と共に、遺る瀬ない夏の午後の蒸し暑さが、よく表されています。
 李清照は私も最も好きな詞人です。生来、怠け者で未だ試みてはいませんが、何時かは「如夢令」くらい書いてみたいと思っております。

 今後とも宜しくお願い致します。

2002.10.29                  by Y.T





















 2002年の投稿漢詩 第146作は 謝斧 さんからの作品です。
 

作品番号 2002-146

  留連山館        

時喚茶甌解睡初   時に茶甌を喚ぶ 睡りを解くの初め

留連山館世情疎   山館に留連して世情疎なり

枕辺聴水涼無盡   枕辺水を聴いては 涼尽きる無く

窓外凝眸興有餘   窓外眸を凝せば 興余り有り

緑柳含烟萬柯暗   緑柳烟を含んで萬柯暗く

紫藤著雨百房舒   紫藤雨を著けて百房舒ぶ

清風一榻身閑臥   清風一榻身を閑臥すれば

散尽千金快未如   千金を散尽するも 快未だ如ざるなり

          (上平声「六魚」の押韻)

<解説>

 七言律詩の作詩の難しさを改めて感じさせられました。
 特に対句では、「緑柳含烟萬柯暗  紫藤著雨百房舒」が陳套だと感じています。推敲を重ねましたが、どうにもなりませんでした。収束も二番煎じで新味がないと思っています。
 「清風一榻抵千金」蘇東坡から取りました。

     今し方、眠りから醒めてお茶でも飲んで眠気を払去る時
     温泉のある山村に長逗留をしています。
     近くには渓流がながれて、自然に耳に入ってきて、涼味が溢れています。
     目を窓辺に移せば山村の景色が大変素敵です。
     霧に煙った柳は暗く、雨に濡れて藤は紫色の花を無数に著けています。
     そういった景色を見ながら、ソファに横になりながら、涼しい風で身を横たえて涼んでいます。
     例え大金を使い果たせても、このようないい気持ちになることはないでしょう。

<感想>

 うーん、読んだ時には別に気にならなかったのですが、謝斧さん本人から「二番煎じで新味がない」と言われると、何となくそんな気もしてくるところが不思議ですね。と言うよりも、単に私に主体性が無いだけかもしれませんが。

 対句としては、頷聯の「聴水」という具体的な対象を示した前句に対して、後句の「凝眸」の曖昧さ、つまりは何を見たから「興無尽」と思ったのかが分からないもどかしさが気になります。前句も「側耳」のような対象を提示しない書き方なら良いのでしょうけど・・・・
 頸聯を陳套と決めつける必要は無いと思います。ただ、「緑柳」「紫藤」が全体の季節感と合わないこと、山の温泉宿という場所とも合わない(これは私だけの偏見かな)ことが気になりました。

 あとは、「尽」の字の重複くらいでしょうか。

 全体としては、避暑に訪れた温泉宿の涼しげな風情が感じられる詩になっていると思います。

2002. 9.17                 by junji




謝斧さんから、私の感想に対してのお返事をいただきました。

○ 対句としては、頷聯の「聴水」という具体的な対象を示した前句に対して、後「側耳」のような対象を提示しない書き方なら良いのでしょうけど・・・・(junji)
 「側耳」とすれば「凝眸」とが的名対として成立するのですが、先生の言われるように、何故に「涼無盡」か、よく分らなくなります。
 他の聯で渓流に関する叙述があれば許されるかとは思いますが(実はそういった構想の方がよかったとおもいます)

○ 句の「凝眸」の曖昧さ、つまりは何を見たから「涼無盡」と思ったのかが分からないもどかしさが気になります。(junji)
 「凝眸」は次の聯にかかわってきます。(涼無盡ではなく)、「興有餘」は「緑柳」や「紫藤」に「凝眸」してでのことで、意味の上で途切れないようにしました。
 つまり、「聴水」で「涼無盡」となり、窓外の緑柳や紫藤に「凝眸」することにより、「興有餘」となるように作ってみました。(前対の落句を後対で説明)
 これだと意味の上で、前後聯がつながってくると思います。各聯がそれぞれに違う方向を向いている作品をみますが、それを避けるべき手法を取るようにしました。

○ 「尽」の字の重複があります(junji)
 これは全くのわたしの不注意です。これを避けるべく、「涼無絶」のほうがよいでしょうか。


2002. 9.19                  by 謝斧


<感想>
 お手紙をいただいて、頷聯の意図がよく理解できました。
 対句を考える時に、どうしても聯の中だけで関連づけて作ろうとしたり、読もうとしがちなのですが、そうした習性を反省するきっかけになりました。対句の面白さをもうひとつ、発見したように思います。
 「尽」の字につきましては、結句で整えるよりも仰るような形が良いと思います。

2002. 9.25                  by junji





















 2002年の投稿漢詩 第147作は 鮟鱇 さんからの作品です。
 

作品番号 2002-147

  吃“寿司”給老板贈一首詩      寿司を吃(く)らい老板に一首の詩を贈る  

一期一会酒三杯,   一期一会(いちごいちえ)酒は三杯,

千客萬來人百歳。   千客萬來(せんきゃくばんらい)人は百歳。

有數浮生幾度回?   浮生に数あり 幾度(いくたび)(かえ)らんか?

贈詩老板揄仙袂。   老板(=店主)に詩を贈って仙袂を揄す。

          (去声「八霽」の押韻)

<解説>

 [語釈]
 「“寿司”」:すし。日本語ですので“ ”を付けて表記しています。
 「揄仙袂」
 
:「揄袂」は懐に手を入れていくことの由。
 間に「仙」を入れたのは遊びです。
 「老板」
 
 
:現代中国語で店の主人。
 「店主」でもよいが日本語の「板前」との対応がおもしろく、
 ここでは「老板」を用いました。

 たまたま入ったすし屋さんに「一期一会」と書いた色紙が飾ってありました。板前さんは、「一期一会」のおもてなしをしますとの心意気のつもりだと思いますが、客にしてみれば、ちょっと「すし」でも食おうか、ぐらいのことで来ているのですから、色紙を飾るなら「千客万来」ぐらいの軽さの方がいいだろう、そう思ってこの詩を書いて置いてきました。

 仄韻の詩ですから、「詞」だといったほうがよいとも思ったのですが、平仄韻七絶体の「詞牌」で拙作と平仄が合致するものは見つかりせんでしたので、「詩」にしておきます。

<感想>

 これも楽しい詩ですね。
 起句は、これは李白の詩かと思わせるような、しゃれた好句ですね。「一期一会」でなぜ「三杯」なのか分かりませんが、でもそんなことはどうでも良いくらいの好句です。
 対して承句は、これは語呂合わせのようで、ちょっと気が抜けてしまう感じです。

 確かに「一期一会」と書かれた色紙を食堂などでよく見ます。たまたま来た客(例えば有名人など)が頼まれて色紙に書くのは良いのですが、お客には何度でも繰り返して来てほしい筈の店側がこの言葉を掲げるのは、そもそも変ですよね。

 この詩は、起句の懐が深く、印象としては起句と結句だけが強く残ります。もっとはっきり言えば、起句と結句だけでも十分な詩です。挟まれた承句と転句を理屈っぽくないように、存在感を持たせるようにできれば良いのですが、この起句に対抗するのは難しいでしょうね。

2002. 9.17                 by junji





















 2002年の投稿漢詩 第148作は 岡本喜子 さんからの作品です。
 岡本さんは、嘯嘯会の古くからの会員の方で、俳句も長く創っておられ、俳句集『帰年』を上梓なさっておられるそうです。謝斧さんからのご推薦です。

作品番号 2002-148

  夏日偶作        

如燬郊墟翳手望   燬(や)く如き郊墟 手を翳て望めば

風聲鳥語何邊藏   風聲 鳥語 何の邊にか藏せん

黒雲遽起忽翻墨   黒雲遽に起りて 忽ち墨を翻し

白雨傾盆走野塘   白雨盆を傾けて野塘を走る

          (下平声「七陽」の押韻)

<感想>

 新しい方をお迎えして、また嬉しい限りです。

 刻々と移る時の流れを一句ごとに凝縮するような筆致で、特に起句承句はさり気ない表現の中に風格を感じるような思いがしました。
 起句の「燬」は難しい字ですね。「強い火」だとか、「焼き尽くす」の意味ですが、今年の暑さを表すにはピッタリの字かもしれません。
 承句も、物音一つ聞こえない、生き物も風さえも動くことができないような暑さを表した好句だと思います。ただ、起句の「翳手望」「手を翳て望めばと読んで接続を強くしていますが、視覚から聴覚への転換が唐突で、裏切られたような感を覚えますが、どうでしょうか。

 後半は蘇軾「望湖楼酔書」を下にされたのでしょうが、結句の「傾盆」などは「バケツをひっくり返したような」という比喩が思い浮かぶような、リアリティのある、日常の生活と密着した感じのする詩だと思います。

2002. 9.21                 by junji





















 2002年の投稿漢詩 第149作は 佐竹丹鳳 さんからの作品です。
 

作品番号 2002-149

  月下美人        

著蕾三旬白蝋凝   蕾を著けて三旬 白蝋凝り

蕚如繊指巻紅綾   蕚は繊指の如く 紅綾を巻かん

黄昏恰見嫦娥到   黄昏 恰かも見る 嫦娥の到るを

瑤蘂吹香月未昇   瑤蘂 香を吹けども 月未だ昇らず

          (下平声「十蒸」の押韻)

<解説>

 名前は月下美人で月のような艶やかさがあるも、その花びらは香を放ちては、此の場から逃げ去りて空に昇ることはありません 

<感想>

 転句については、送っていただいたのは「黄昏恰見蟐蛾到」でしたが、「蟐蛾」ではおかしいので、「嫦娥」としました。
 もし訂正がありましたらご連絡下さい。

 月下美人の花は、見る人を誘うような、不思議な魅力を持った花ですね。開花の期間も短く、艶っぽいと言うか、頽廃の美というか、人間の心を迷わせるような気がします。
 似たような名前の花に「月見草」というのがありますが、まったく比較できないような、月下美人と並べてしまうと、月見草は田舎の清純な娘さんという感じですが、月下美人は百戦錬磨の銀座のママさん、という印象でしょうか。(銀座のママさん、私は行ったことがないので実態は分かりませんが・・・)

 さて、その月下美人の花をどう描くか、楽しみに読ませていただきました。
 うーん、いいですね。私のイメージと重なるように、言葉が進んでいきます。転句の「嫦娥」でいよいよ佳境、そこを越えていくとふっと解放されたような感じで、改めて現実に戻ると「月はまだ昇っていない」ということに気がつく。
 転句の「嫦娥」と結句の「月」が重複していますので、おやおやと思いましたが、「月からの美女をまるで見るようだ」という転句の幻想感と、結句の後半の突き放すような現実描写が対応していて、夢から醒めたような形で、余韻の残る結句の三字だと思いました。

2002. 9.21                 by junji





















 2002年の投稿漢詩 第150作は 海山人(旧 三耕) さんからの作品です。
 

作品番号 2002-150

  青柿        

晴天青柿落   晴天 青柿落つ

銀漢極星留   銀漢 極星留む

不住如無限   住(や)まざること 無限の如く

人間赤水流   人間 赤水流る

          (下平声「十一尤」の押韻)

<解説>

 [語釈]
 「銀漢」 :星空。
 「極星」 :北極星。
 「 住 」  :とどまる。やむ。

<感想>

 起句の「晴天」から承句で一気に「銀漢」、この転換の早さが五言絶句の妙ですね。
 この二句をまとめ上げる形で自然の無限の動きを述べ、対峙する人間世界を提示してから、そこを貫き流れるものを「赤水」として収束させる。

 この「赤水」は何なんでしょう。「青柿」に対応してのもの、それとも「赤」は夏の象徴ですから、夏の川を言うのでしょうか。
 それともそれとも、「荘子・天地」「黄帝、赤水の北に遊び、崑崙の丘に登り・・・・」と出てくる空想上の川のことでしょうか。この場合ですと、無為自然、離俗の象徴となりますね。

 こういう感じで色々と考えることが、海山人さんの詩の楽しみです。

2002. 9.25                 by junji