2006年の投稿詩 第151作は 翠葩 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-151

  暁天見残月        

睡足開窓晦遠天   眠り足りて窓を開けば遠天くらし

上弦彎月若糸懸   上弦の彎月糸のごとく懸かる

無雲霄漢太幽寂   雲なく霄漢 はなはだ幽寂

杳杳独看静影鮮   杳杳独り看る 静影の鮮やかなるを

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 人様の詩を拝見してとてもとても世界が違うの思いです。
よろしくお願い致します。転句がうまく発想がわきません、多読しないからでしょう。

<感想>

 翠葩さんからの二作目の投稿作品です。

 転句に不満がおありのようですが、全体にしみじみとした夜の雰囲気が漂い、落ち着いた詩だと思います。難を言うならば、確かに転句で視点や動きの面での変化が乏しく、平面的な感じはします。
 一般的な起承転結の形で言えば、この転句に「鳥が飛んだ(動と静)」とか「何かの音が聞こえた(聴覚と視覚)」とか「庭先の木石を見た(遠と近)」などの変化を出すところではあります。
 しかし、極力変化を抑えて、同じ色調で一編を通すのも詩の一つのスタイル、作者がどちらを選ぶかということでしょう。
 この詩で見れば、「幽寂」と結句の「静」がかぶりますので、この「静」の一字を変えるだけで良いように思います。

2006. 8.24                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第152作は 童心 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-152

  雲辺寺遍路        

村里紅梅日毎新   村里の紅梅 日毎に新しく

登攀遍路息肩頻   登攀の遍路 息肩頻りなり。

讃岐名刹雲辺寺   讃岐の名刹雲辺寺、

境内鶯声慰旅心   境内の鶯声に旅心を慰む

          (上平声「十一真」の押韻)

<解説>

 2月の末に四国遍路に行った時作ったものです。
 八十八箇所の札所の一つである雲辺寺では、急な登攀に全員が苦労しましたが、それだけに頂上付近で聞いた鶯の声に心を慰められ、良い思い出となりました。

<感想>

 この詩では、「雲辺寺」の地名が生きていますね。
 承句での「登攀遍路」の行き着いた所が、いかにも高い山の頂ということがよく表れていて、詩の内容と名前がよく調和していると思います。
 また、転句全体を名詞を並べることで構成したことも、ポンポンとリズムが軽快で、たどり着いてホッとした気持ち、流れる風を感じるようです。

 結句の「心」「下平声十二侵」に属しますので、韻目が違ってしまったのが残念ですね。

2006. 8.24                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第153作は 柳田 周 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-153

  石神井公園春興        

桜満天偸飼雀鵯   桜は天に満ちて ひそかに雀鵯をやしな

柳敲水薦喚魚亀   柳は水を敲いてしきりに魚亀を

如人化蝶飛花上   し人の蝶と化して花上を飛べば

応酔春風忘橘枝   応に春風に酔って橘枝を忘るなるべし

          (上平声「四支」の押韻)

<解説>

 今年四月一日、まさに春爛漫の土曜日、東京練馬区の石神井公園を訪れました。
満開の桜花に隠れるように雀と鵯が花を啄んでいました。

 起句を主客転倒の擬人化で作ったので、後句も類似の手法を用いましたが、稚拙で児戯に類する手法かも知れません。 語注)
「橘枝」:アゲハ蝶は柑橘樹の枝に産卵する。孵化した幼虫はその葉を餌にして成長し羽化する。

<感想>

 起句承句の対句では、句の中の切れ目を三字目に置き、「○○○ ○○○○」というリズムを出しているところが、今回の詩の工夫のところでしょう。
 この二句に、「桜」「柳」「天」「水」と春を感じさせる言葉を用いて、題名の「春興」の趣を作り出していますね。
 後半に入って、「化蝶」で荘子かと思い、次の「忘橘枝」に来て何の典故かと悩みました。語注のままですと、ちょっと物足りなくて(もし典故があるのならば申し訳ないのですが)、理屈っぽいような気がしました。
 前半の変則リズムを受けての後半ですので、「如」の仮定を用いるのではなく、できればシンプルな叙述の方が落ち着きが出るように思いました。

2006. 8.24                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第154作は 柳田 周 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-154

  景韶五月        

杜鵑赫赫内園栽   杜鵑赫赫たり 内園の栽

楓葉青青幽院隈   楓葉青青たり 幽院の隈

徳語低吟詩一句   ドイツ語もて低吟す 詩の一句

景韶五月蕾皆開   『景韶の五月蕾皆開く』

          (上平声「十灰」の押韻)

<解説>

 シューマンはハイネの「歌の本」から十六編の詩を選んで『詩人の恋(Dichterliebe)』と自ら名付けた歌曲集を書いた。
 その第一曲が『美しい五月に(Im wunderschonen Monat Mai)』である。

Im wunderschonen Monat Mai,  素晴らしく美しい月、五月に
Als alle Knospen sprangen,  あらゆる蕾が開いた時、
Da ist in meinem Herzen, まさにその時に、私の心に、
Die Liebe aufgegangen.    愛が芽生えた。
 ゴールデンウイーク頃の皇居東御苑は、真っ赤な躑躅が満ち、欅や楓の新緑と映えて非常に美しい。四月末日、園内を歩きながらこの曲を口ずさんでいました。

<感想>

 起句の「杜鵑」は、ここではホトトギスではなく、ツツジのことですね。真っ赤に花を咲かせた美しさと、青々とした葉の取り合わせが、まさに「美しい五月」を鮮やかに描いていますね。

 転句の「低吟」も、自然から人事への描写の転換が巧みで、この詩の一番の狙いで結句の言葉へと読者を導いていきます。

 「韶」「美しい春」の形容として多くは使われますが、ここでは初夏の景として用いていますね。

2006. 8.24                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第155作は愛知県日進市の 夕照亭 さん、真瑞庵さんのご紹介の方からの作品です。
 

作品番号 2006-155

  田園偶成        

望右黄金左碧鮮   右を望めば黄金 左は碧鮮

郷閭風爽上香煙   郷閭風爽やかに 香煙上る

誰知草径躇躊意   誰か知る 草径 躇躊の意

漫聴昏鐘落杖前   漫に聴く 昏鐘の杖前に落つるを

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 右を見れば、収穫を控えた麦の黄金色、左を見れば田植えの終わった稲の鮮やかな緑色、実際には田園地帯を突っ切る高速道路を車で走りながら、想を得ました。

 真瑞庵さんのお勧めで、初めて投稿させていただきます。
 漢詩を創り始めてまだ2年足らずですので、おかしなところもあるかもしれませんが、今後ともよろしくお願い致します

<感想>

 漢詩を作られて二年目ということですが、後半の展開などはとても余韻の深い詩だと思います。
 起句は「右望黄金左碧鮮(右に黄金を望み 左は碧鮮)」とされた方が句中対がよく生きるでしょう。また、押韻の関係もありますが、「黄金」に対するには「碧緑」として色と色の組み合わせにした方が良いですね。「鮮」は色そのものではないため、やや違和感があります。

 承句は「上」の字が気になります。あまり働いていない字ですので、もう少し動きを示す言葉の方が良いと思います。

 後半は、転句でまず「躊躇意」と出して、作者の心の中に読者を強引に引きずり込み、その「意」の内容は婉曲的に結句で示されるという工夫は、思わず「うーん」と頷いてしまいました。

2006. 8.24                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第156作は 井古綆 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-156

  追悼名指揮者岩城宏之氏        

 五十年以前、於大阪市内Festival-hall 拝聴名指揮者「岩城宏之」氏演奏。
正飛指揮棒、汗珠迸熱演也。五十年後 猶此記憶鮮明哉。今夕接訃報、腸中激熱。
故賦一詩而追懐昔日温容。

指揮難曲統団員   難曲を指揮して団員を統べ

樂界声華耀燦然   樂界の声華 耀 燦然たり

諤耗周流猶惜別   諤耗周流するも猶別れを惜しむ

奇才功績尽翰伝   奇才の功績は翰を尽くして伝ふ

          (下平声「一先」の押韻)

<感想>

 岩城宏之氏が亡くなられたのは、今年の6月13日のことでした。氏のプロフィールは皆さんよくご存知でしょうし、門外漢の私が言うよりも公式hp「www.iwakihiroyuki.com/」をご覧いただいた方が良いでしょうね。

 転句の「諤耗」は難しい言葉ですね。「大漢和」にも載っていなかったので井古綆さんにうかがったところ、「訃報」という意味だそうです。
 結句の「翰」「山鳥の羽根→(羽根で作った)筆→(筆で書いた)文」と、発展した意味を持つ字です。

 私たちが若い頃からその名を耳にしてきた芸術家が亡くなったという報をよく聞きます。時の流れとは言え、寂しさを隠せません。

2006. 9. 2                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第157作は 緑風 さんからの作品です。
 なつかしいご友人との再会を詠んだ二首を送って下さいました。

作品番号 2006-157

  第五回道喜会        

卯月同期大阪軒   卯月 同期 大阪の軒

紅顔緑髪尚残存   紅顔 緑髪 尚ほ残存

余生幾許無人識   余生 幾許ぞ 人の識る無し

老気横秋喜満園   老気 横秋 喜び園に満つ

          (上平声「十三元」の押韻)

<解説>

 先般同期会が大阪中ノ島の高層ビルでありました。学生時代の面影も残っていますが、皆さん老いて益々元気な姿を見て感想を纏めました。
『大阪の軒』は高層ビルを意味させましたが、如何でしょうか?
 よろしくお願いします。

<感想>

 起句の「卯月」は、日本では「陰暦四月」ですが、漢文では「陰暦二月」になりますから、ここでは和習になるでしょう。「同期」も同じく、現代日本での用法ですね。
 その和習は別にしても、この起句は、緑風さんとしては、「四月だよ、同期の仲間が集まったよ、場所は大阪のビルだよ」というおつもりでしょうが、句としては名詞の羅列になっていますので、味わいが無いように思います。述語(動詞・形容詞など)を入れると、個々の単語の関係がはっきりし、つながりが生まれるものです。
 「大阪軒」は、「高層ビル」とのことですが、意味が通じるかというよりも、ここで「高層ビル」だということを述べる必要性、もう少し広げれば「大阪」と伝える必要性に疑問を持ちます。
 同期会を開いた場所を記録として示しておきたいという意図かもしれませんが、詩として考えた場合には、共感をわざわざ得られにくくしているように感じます。
 承句からは明解な展開である分、起句の生硬さが気になります。

 結句の「横秋」「空にたちこめる」ということですので、「老気」もお書きになったように「老いて益々の元気」と読者は理解すべきですね。

2006. 9. 2                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第158作も 緑風 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-158

  第十一回興友同窓会        

光陰六十已時遷   光陰 六十 已に時遷る

旧友相逢楽晩年   旧友 相逢ひ 晩年を楽しむ

老気横秋身尚健   老気 横秋 身尚ほ健なり

青春懐顧入瓊莚   青春懐顧し 瓊莚に入る

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 小学校卒六十周年記念の同窓会を先日開催しました。
 その感想を作詩しました。

<感想>

 こちらは小学校卒業六十周年という同窓会だそうですが、そう言われて、私も小学校を卒業してからもう四十年が過ぎていることを改めて感じました。
 歳月の流れる速さは実感できても、その重みを実感できることは少ないわけですが、こうして人生の先輩方の詩を拝見することで、自分を少し遠くから眺めることが出来るような気がします。

 こちらの詩は、それぞれの句は整っているわけですが、読み終えても作者の気持ちがしっかりとは伝わらない印象です。句の並べ方、配置を工夫されると良いと思います。
 つまり、各句の大意を書いて並べますと、
 起 「六十年の歳月が過ぎた」
 承 「かつての友と逢い、今を楽しんでいる」
 転 「まだまだ気力はあるし、体も元気だ」
 結 「若かった頃を思い出しつつ、楽しい宴に入る」

となっているわけですが、内容としては、承句と転句を入れ替え、最後に「晩年を楽しむぞ〜」と結ぶようにすると、まさに「老気」があふれるような詩になるのではないでしょうか。

 前作と主題は共通していますが、前作の転句「余生幾許無人識」の重みが無い分、こちらの詩は老の悲哀感はなく、軽〜く感じますね。
 なお、結句の「莚」は草の名、「筵」にして韻を合わせておきましょう。

2006. 9. 2                 by 桐山人



緑風さんから、推敲作を送っていただきました。
  第十一回興友同窓会        

光陰六十已時遷   光陰 六十 已に時遷る

旧友優遊集学園   旧友 優遊 学園に集ふ

懐顧青春華未老   青春を懐顧 華未だ老えず

忘時談笑入瓊筵   時を忘れ談笑 瓊筵に入る


 承句に「集学園」を入れたことで、前半のまとまりがよくなりましたね。ただ、全体としては承句と結句に変化があまり無い印象になってしまった気がします。
 後半を同窓会場の中の様子だとするためには、結句の「入」「酔」「楽」などの語にすると、すっきりするように思います。

2006. 9.14                  by 桐山人





















 2006年の投稿詩 第159作は 深渓 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-159

  題高尾山        

薬王山門賽客過   薬王山門 賽客ぎり

遥望富士聳烟波   遥か富士の烟波に聳ゆを望む

緑陰深処聴啼鳥   緑陰深き処 啼鳥を聴き

旦夕攀来有衆多   旦夕 じのぼり来る 衆多有り

          (下平声「五歌」の押韻)

<解説>

 五月、花も尽き、新緑も何時の間にか深くなりました。

 [語釈]
 「高尾山」:東京都八王子市。関東山地東端の山、標高約六百米。
 「薬王山門」:山頂の薬王院。

<感想>

 新緑の高尾山、きっと山歩きをするには一番良い季節なのでしょうね。

 起句の「賽客」は「ばくち打ち」ということではなく、「参詣の人」という意味です。
 冒頭の「薬王山門」は固有名詞での書き出しということですが、この詩の場合にはこの句にこそ作者の気合いがこめられているように感じますね。「薬王」「賽客」の対応も良いと思います。
 承句も良い句で、「聳」の字が「富士」を受けて生きていると思います。
 比べると、転句が物足りない感じですね。結句も工夫された句だと思いますので、この転句でちょっと一息突いたというところでしょうか。「有衆多」は読みにくいですね。

2006. 9. 2                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第160作は 深渓 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-160

  高爾夫        

清昼与朋追白球   清昼 朋とともに 白球を追う

緑原破静一声流   緑原 静を破り 一声流る

野翁喘息柴荊下   野翁 息を喘いで 柴荊の下

不競雌雄憩草丘   雌雄を競わずして 草丘に憩う

          (下平声「十一尤」の押韻)

<解説>

 四月某日老学友とゴルフを楽しんだ。

 [語釈]
 「高爾夫」:現代中国語でゴルフ
 「緑原」:ゴルフ場の見立て。
 「破静」:静寂を破る。
 「一声流」:打球が場外に飛びキャデーがフォワーと叫ぶ声

<感想>

 お友達は七十代半ばの方だということですが、だからこそでしょうか、結句の「不競雌雄」と、ゆったりとゴルフを楽しんでいらっしゃるのでしょう。

 書き出しの「清昼」「白球」「緑原」が、高原のゴルフ場の爽やかな景色を髣髴とさせます。テンポも良く、楽しく読めます。
 後半に息切れ感を出したかったのかもしれませんが、やや説明っぽくて、言い訳がましいような気がします。「友とのゴルフは楽しいゾー!!」という感じで徹底した方が良かったのではないでしょうか。

2006. 9. 2                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第161作は 常春 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-161

  蟹漁船        

廟堂既決棄干戈   廟堂 既に決す 干戈棄つるを

奈那無辜失海何   無辜 海を失ひしを 奈那何(いかん)せん

領土未還空六秩   領土 未だ還らず 空しき六秩

目前魚影異郷波   目前の魚影 異郷の波

          (下平声「五歌」の押韻)

<解説>

 漁船員が銃撃死亡する傷ましい事件。

<感想>

 つい先日の痛ましい事件を描かれた作品です。投稿順を前後させて、先に掲載させていただきました。(遅れている方々、すみません)
 承句の「奈那何」と三文字続けるのはおかしいですね。言葉を生かすならば、「失海無辜尚奈何」として、下三字を検討するのが良いのではないでしょうか。
 転句の「六秩」「六十年」を表しますが、結句の「目前魚影」「異郷波」と述べた強いリズムが、悲しみを一層深めているでしょう。

2006. 9. 8                 by 桐山人



常春さんから、お返事をいただきました。
桐山人先生
拙詩「蟹漁船」の掲載ならびに添削有難うございました。

 承句は、「無辜」「失海」「奈何」の六文字で足り、字余りの一字に何を選ぶか思案いたしました。
 「可奈無辜失海何」として「奈何(いかん)すべきや無辜海を失いて」とも考えましたが、起句との釣り合いが崩れるかと恐れ、同意文字二つ並べてみました。
 ご助言の「尚」の字、なるほど、敗戦で失った状態が、なほ今まで続いている感じが強く現れる、と納得しました。
 ご指導眞に有難うございました。これからもよろしくお願いいたします。

2006. 9.13                by 常春






















 2006年の投稿詩 第162作は 井古綆 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-162

  国境        

国境元来天不描   国境は元来天が描かず

帰鴻旅雁共何要   帰鴻旅雁は共に何ぞ要せん

軍靴蹂隴猶望蜀   軍靴隴を蹂んで猶蜀を望み

毎以鋒鋩画曲条   毎に鋒鋩ほうぼうを以って曲条を画く

          (下平声「二蕭」の押韻)

<解説>

 転句「蹂隴猶望蜀」「得隴望蜀」の変形
   「鋒鋩」=ほこさき

<感想>

 前の常春さんの詩との関連で、井古綆さんからいただきましたので、併せてご覧いただきたいと思います。

 承句の「要」の目的語は冒頭の「国境」ということですが、やや遠いかな?とも思います。
 人間の作り上げた境界線を行き来する渡り鳥に、自由な姿、自然の姿を象徴させたのは納得できる工夫ですね。私の世代ですと、学生時代に聞いた「イムジン河」が頭に浮かぶかもしれません。
 「共」はあまり明確な意味を持たせた使い方ではないでしょうが、結果的には「鳥だけは」と限定が強くなります。「共」が無ければ、この「帰鴻旅雁」は提喩として、人間以外の生き物を代表するような形になるわけで、「何」の反語を生かすにも「共」は削った方が良いように思いました。


 結句の「鋒鋩」「鋭い矛の切っ先」ということから「武器」を表す言葉です。
 国境は古来から武力によって守ったり破ったりを繰り返してきたものですが、それが現代まで変わらないというところに、哀しさがあります。

2006. 9.12                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第163作は 松邱 さん、真瑞庵さんからのご紹介です。
 

作品番号 2006-163

  挽歌        

寂寥春夕事堪傷   寂寥たる春夕 事傷むに堪えたり

窅窅雲低了送葬   窅窅 雲低くして 送葬了せり

誰子不思宋玉賦   誰か思はざらん 宋玉の賦

招魂何憚籍巫陽   魂を招くに 何ぞ憚らん 巫陽にるを

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

 この詩は私が所属する作詩同好会のメンバー、松邱さんの作品です。お歳は確か80歳を越えられていると思います。
 ご友人の死を悼み、作詩された三首の内の一首です。氏に替わりご本人の同意を得て投稿させて頂きました。(真瑞庵)

<感想>

 155作の夕照亭さんの「田園偶成」に続いて、真瑞庵さんのご紹介の方からの投稿です。

 承句の「葬」は両韻〔漾、陽〕とされた辞典もあるようですが、仄声の用例がほとんどですので、「喪」の字を使うこともお考えになるといいでしょう。

 転句の「宋玉賦」「楚辞」招魂編を指すのですが、痛切な「魂兮歸來(魂よ 帰って来い」との言葉が印象に残っています。
 ここは「いったい誰が魂を呼び戻したいと思わないだろうか」とし、結句の「巫陽」(巫女)と関連し、巫女の手を借りてでも亡き人の魂を呼び戻したいという気持ちが表れています。
 一般に前半で作者の強い感情が描かれると、その勢いが全体に続いて結果的に平板な詩になったり、前半の強さに後半(とりわけ転句)が負けて腰砕けになったりすることも多いのですが、この詩の場合、後半に典故を置いたことが詩の骨組みを強くしていると思います。

 親しい人との死別の悲しみは、個人の心の奥へ奥へと向かいます。それをそのまま詩にすると、読者はもちろん、作者自身もどんどん小さな世界に凝縮されていく感じが出ます。そうした表現が自分の悲しみを代弁してくれる場合もあれば、逆に、悲しみを空に向かって拡散するような表現に救われることもあります。
 そんなことを、この詩を読んで、感じました。

 魂を招くということでの「巫陽」の語は、蘇軾の「澄邁駅通潮閣」にも見られますね。

余生欲老海南村  余生 海南村に老いんと欲す
帝遺巫陽招我魂  帝 巫陽をして 我が魂を招かしむ
杳杳天低鶻没処  杳杳として天低く こつの没する処
青山一髪是中原  青山 一髪 是れ中原


2006. 9.12                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第164作は 謝斧 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-164

  史跡探訪     三月菅廟吟社宿題   

来遊北越一川平   来り遊ぶ北越 一川平かなり

馳思当時轉愴情   思ひを当時に馳すれば 轉た情を愴ましむ

空説講和慈眼寺   空しく講和を説く 慈眼寺

遂遭苦戦長岡城   遂に苦戦に遭ふ 長岡城

志人憂国存雄略   志人国を憂ひて 雄略を存するも

孺子焦功無寸誠   孺子功を焦りて 寸誠無し

合贖艨艟防外寇   合に艨艟もうどうあがなふて 外寇を防ぐべきに

死身内難百哀生   身を内難に死して 百哀生ず

          (下平声「八庚」の押韻)

<解説>

 ●一川平 川の流量が豊富で、水面が平らか世の遷移を示唆 子在川上曰 逝者如斯夫 不舎晝夜
 ●孺子 岩村精一郎
 ●艨艟 軍艦
 ●長岡城 長岡城の「長」は普通平用ですが、仄用の場合もあります。
  今回は地名で連綿字対として、仄用としてご容赦願います。
 ●合贖艨艟 山田方谷曰くに、秋義(河井継之助)志を得れば国用を節して大艦を贖い、
  越海一方を禦侮に任ぜんと。執政と成るに及び、果たして予め備える所在り 三島中洲

<感想>

 幕末、長岡藩の河井継之介を思い描いての作品ですね。司馬遼太郎の「峠」を思い出します。

 慈恩寺は、河井継之介と新政府軍鑑 岩村精一郎が会談を行ったところです。岩村精一郎は後に明治政府で男爵にまでなりましたが、その時は二十四歳、まだ若かった彼には河井との交渉は荷が重かったのかもしれません。「儒子」はやや可哀想な気もしますが。
 謝斧さんの書かれたように、「合贖艨艟防外寇」という視点を持っていた河井継之介が日本国という舞台の前面で活躍できなかったことが、この国にとっても不幸なことと言えます。最後の「百哀」は、そこを含めての感懐でしょう。

2006. 9.13                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第165作は 井古綆 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-165

  訪司馬遼太郎記念館        

遼称司馬慕遷公   遼か司馬を称し遷公を慕ひ

史観縦横紙価崇   史観縦横 紙価崇し

寂寞菜花悲絶筆   寂寞たる菜の花は絶筆を悲しみ

斬新名館引清風   斬新なる名館は清風を引く

良書充棟薫陶足   良書は充棟して薫陶足り

遺稿停刊忖度空   遺稿の停刊は忖度空し

親授栄誉長不朽   親授の栄誉は長へに朽ちず

文壇泰斗仰尊翁   文壇の泰斗 尊翁を仰ぐ

          (上平声「一東」の押韻)

<解説>

 1句:後日、筆名の由来を確認したところ、司馬遷には遼かに及ばないとの謙譲の意味があるとの事です。
 2句:独特の司馬史観により多くの作品がベストセラーに成る。(洛陽の紙価高し)
 3句:2月12日は菜の花忌。私の訪問したのは5月初旬でした。
    アプローチに並んで置いてある、プランタンの菜の花も少し萎れていました。
 4句:記念館の設計者「安藤忠雄」氏への賛辞。
 5句:館内の蔵書の多いこと。(汗牛充棟)
 6句:書きかけの遺稿に対する作者の気持ち。
 7句:文化勲章受賞への賛辞。
 8句:司馬遼太郎先生の逝去後もなお追慕する作者の尊崇の念。


<感想>

 学生時代、日本史の勉強は、教科書よりも司馬遼太郎の本だったという方も多いのではないでしょうか。私は歴史の面白さを教えてもらったと思っています。

 司馬遼太郎記念館は東大阪市に2001年に開館したそうです。実は私もまだ出かけたことがありませんので、記念館については「公式ホームページ」をご覧いただいた方が施設の様子などはよくわかると思います。
 司馬遼太郎の生前の書斎がそのまま保存され、蔵書二万冊が棚に並ぶそうですが、その辺りの様子がこの詩からよく浮かんできますね。
 司馬遼太郎への井古綆さんの思いが全編にあふれている詩ですね。


2006. 9.13                 by 桐山人