2007年の投稿詩 第151作は京都府長岡京市にお住まいの 青眼居士 さん、六十代の男性の方からの初めての投稿作品です。
 

作品番号 2007-151

  悼城山三郎氏        

少壮将征蒼海天   少壮 将に征かんとす 蒼海の天、

純情憂国転昂然   純情 国を憂へて 転た昂然たり。

操觚質実人生讃   操觚 質実なる人生の讃、

高士無今落日燃   高士 今無く 落日燃ゆ。

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 初心者も気軽に投稿し、お教えを乞える様な雰囲気を感じました。

 戦時特攻隊を志願して国のために散らんとした。死ぬことを得ず、長じて作家となり、人生に真摯に取り組む人物像をよく描いた。戦死した人々への鎮魂の気持ちもある。人生を精一杯に生きることを教えた高潔の士は今は無く、西空には落日が真っ赤に燃えている。

<感想>

 投稿詩にまた新しい方を迎えることができ、うれしい限りです。掲載のスピードを上げるように努力しますので、今後もよろしくお願いします。

 城山三郎氏が亡くなったのは、今年の三月二十二日のことでした。愛知県名古屋の出身ですので、私は勝手に親近感を持っていましたので、ショックでした。ま、それは個人的なこと。彼の経済面での小説やサラリーマンの姿を描いた小説に勇気づけられた方も多かったのではないでしょうか。

 この詩では、前半で若い頃の戦争に関わった部分、海軍幹部候補生として十八歳で終戦を迎えた城山三郎少年の姿が描かれていますね。

 転句からは作家としての姿ですが、「操觚」は、「觚」が「文字を書いた木簡」のことですので、「操觚」で「文章を書くこと」の意味です。城山三郎の小説はまさしく、「質実人生讃」でしたね。

 結句は「無今」は逆にして、「今無」とします。最後に代表作の題名を置かれたのも、敬意を感じさせる結末になっていると思います。工夫が表れていますね。

2007. 8.25                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第152作は 鮟鱇 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-152

  漢俳・馬頭琴        

靈鷲領天心。     靈鷲 天心を領す。

亜州臍上有風人,   亜州の臍の上に風人ありて,

彈奏馬頭琴。     彈奏す 馬頭琴。  

          (中華新韻「九文」の押韻)

<解説>

(語釈など)
   靈鷲:ここでは、天の霊であるかのような鷲。
   亜州臍上:モンゴルは、中央アジアにある。

 四月に東京で日本に来ているモンゴルの人々によってモンゴルの春祭り(ハワリンバヤル 2007)が開催され、そのイベントの一環としてインターネット投句による俳句大会がありました。「私のなかのモンゴル」をテーマに日本語で投句するもので、拙句

  天に鷲アジアの臍で馬頭琴

 が優秀賞に選ばれ、駐日モンゴル大使から賞状を戴きました。

  上記漢俳は、その句を漢俳に作り直したものです。

 拙句が俳句としてどれだけ通用するものであるかは疑問ですが、選者のひとりであった俳人の夏石番矢氏に投句の一覧を見せてもらう機会がありました。そのなかに、モンゴルからの留学生の次の投句がありました。

  星の数 羊の数の野心かな

 この句、私の作をはるかに上回る佳句だと思います。しかし、作者は「春祭り」実行委員会の一員であるからという理由で選句を辞退、そこで私の作が入選したのだと思った次第です。


<感想>

 漢俳を拝見し、解説を読みました。
 私事ですが、私の甥が現在モンゴルで暮らしていますので、何となく身近な感じがしますね。あまり身内的な感想ばかりではいけないのですが。

 鮟鱇さんの俳句もスケールが大きく、と言うか飛び抜けちゃったような視点のでかさで、良いですね。このスケール感を漢俳でどう出すか、漢字だけでどう表すか、改めて読み直すと、この始まりの「靈」の一字に鮟鱇さんの気迫が感じられました。この一字で、空一面の広がりが目に浮かびます。「天心」「亜州臍」も広がりを表す役割を果たしていますが、その効果を高めているのはやはり「靈」ですね。

 俳句の優劣は私には分かりませんが、留学生の書かれた句も、「星の数」と「羊の数」を対比してあるところが、モンゴルの広大さを感じさせますし、「野心」の句がジンギスカン達の時代を思い出させ、時間的にもスケールの広がりがあります。「野心」という言葉にはちょっと毒気も感じますし、良いですね。

2007. 8.25                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第153作は 常春 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-153

  澤爾菲(デルフィ)遺蹟        

創世臍巫女巖   創世の祥臍 巫女の巖

阿波羅廟託宣咸   阿波羅(アポロ)の廟 託宣咸わたり

希臘諸神擧朝貢   希臘(ギリシャ)の諸神挙って朝貢

傳承遺蹟竟披緘   伝承の遺蹟 竟に緘を披く

          (下平声「十五咸」の押韻)

<解説>

 ギリシャ神話には「父を殺す」とか「母と結婚する」とかアポロの神託がよく出てくる。神託を受けた者はこれを避けようと手立てを尽くすが、抗い様もなく運命に従うことになる。
 このアポロ神殿のあるデルフィが19世紀まで所在不明であった。上にあった村落を取り除き、土砂に埋った遺蹟を掘り起こしたのは1978年。ようやくアポロ神殿の全容が明らかとなった。
 デルフィはまたプロメテウスが赤土を捏ねて人形を作り、これにゼウスが息を吹きかけて人間を作ったという、創世の地でもある。

<感想>

 ギリシア神話の世界へ導かれていくようですね。
 起句の「祥臍」はデルフィの地を表しているのでしょう。昔、ギリシアではこのデルフィの地は「世界のへそ(中心)」と信じられていたそうです。
 この地での巫女の神託はポリスの政策にまでも影響を与えたと言われますから、まさに「託宣咸」であり、「諸神挙朝貢」も伝わります。
 承句の「咸」「ゆきわたり」と読み、結句の「緘」「封をする、小箱をしばる紐」のことですから、長い間の封印が解かれたというところでしょう。

 歴史的な流れが解説のように書かれていると分かりますが、この詩だけを読んでも、結句の「竟披緘」が分かりません。承句と転句の変化が小さいからでしょう、はるかな古代の話から、結句で突然現代へと飛んできたわけで、転句にもう少し「埋もれた遺跡」という内容を入れると、結句の収まりが良くなると思います。

2007. 8.25                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第154作は 常春 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-154

  依劈刀羅斯(エピダウラス)遺蹟        

醫~既用外科刀   医神 既に用ふ 外科の刀

音響猶優樂劇皐   音響 猶ほ優れる 楽劇の皐

悠久二千餘百歳   悠久 二千余百歳

尊嚴歴史想滔滔   尊厳の歴史に想ひ滔滔たり

          (下平声「四豪」の押韻)

<解説>

 エピダウラスは、商務印書館発行の世界地名詞典に記載がなかったので、当て字で「依劈刀羅斯」とした。
 アポロの子アスクレピウスの神域である。壮大な円形劇場のほかに、広大な施療院跡があり、ここから今と変わらないメス、鉗子などが出土した。

「楽劇皐」=扇形の野外劇場。ここは五十五段一万二千人の扇形観衆席を持ち、擂鉢状の底部が直径二十米の円形舞台である。肉声が隅々まで響き、今猶使用される。

<感想>

 ギリシア神話での医学の神とされるアスクレピウスは、解説に書かれているようにアポロの子とされ、療養施設を兼ねたような神殿が数多く建てられたそうです。
 医学療養の面と、音楽劇場の面と、遺跡の二つの面を前半でまとめ、後半は悠久の歴史へと筆を進める展開は自然で、前作の「澤爾菲遺蹟」よりも全体の落ち着きがあると思います。
 ただ、「悠久」「尊厳」「滔滔」と形容を続けた中で、「尊厳」は語り過ぎた感があります。それほど長い人類の歴史を考えると、「尊厳」な想いになるなぁと感じさせれば詩としては完成ですから、それを先に「この歴史は尊厳に値するぞ」と言われてしまうと、それ以上に読者は何を感じれば良いのか、とまどってしまうかもしれません。

2007. 8.25                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第155作は 井古綆 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-155

  次韻謝斧雅兄玉作「春窓小雨」 春寒雑詠        

凡愚老去藻才窮   凡愚は老去して藻才窮り

歴歳偸生草舎中   歴歳生を偸む草舎の中

高枕惰眠聴冷雨   高枕惰眠冷雨を聴き

騒人散策怯寒風   騒人散策寒風に怯む

三余苦詠陶鶏足   三余の苦詠は陶鶏足り

四季呻吟瓦犬空   四季の呻吟は瓦犬空し

執筆常尊浪仙教   執筆常に尊ぶ浪仙の教へ

傾杯毎敬楽天忠   傾杯毎に敬ふ楽天の忠

          (上平声「一東」の押韻)

<解説>

 「忠」は「忠告」の意味です。「翁」の韻字がどうしても使用できなかったので、「忠」に代えました。  「陶鶏」「瓦犬」は本来は「瓦犬陶鶏」「やきものの犬と素焼きの鶏、ただ外貌がすぐれているばかりで、役に立たないもののたとえ」です。平仄の関係で入れ替えました。

<感想>

 謝斧さんの「春窓小雨」に次韻をした詩をいただきました。
 「三余」「勉学に適した三つの時期、一年の余りの、一日の余りの、時の余りの、また「浪仙」は中唐の賈島のことを言います。

 首聯に「老去」と置き、違いを出しながら自己の生活を描き、尾聯に故事を置いて元詩と照応させて作られています。

2007. 8.25                 by 桐山人



謝斧さんから感想をいただきました。
 韻を次いで頂きましてありがとうございます。正確には和韻でしょうか。
いつもながら、難しい七律を齟齬破綻のなく創られて敬服してます。 対句もしっかりして、瑕疵はありません。
詩意も申し分ありませんが、二三、気のついた点だけ書かせていただきます。

 尾聯の対句についてですが、古人も詩話のなかで、
「尾聯は散行(散句)を以ってし、対杖(対句)せざるを宜しきと為す。
前人に対を用いる者あると雖も、究めて少見と為し、必ずしも楷式(手本)の資にならず」

といってます。
 貴詩も尾聯に対句を用いたため、詩の内容が拘束されているような気がします。

 「瓦犬陶鶏」については、一つの故実を分けて対句にするのはどうでしょうか。結局は同じ事を言っていることになり、合掌対になり、対句の特性が発揮できませんから、意がどうしても単調になるような気がします。
 句中対でもちいるか、「瓦鶏」「陶犬」かどちらかでも意味は通じると思います。

2007. 9.10                by 謝斧


井古綆さんからお返事をいただきました。

 拙詩「春寒雑詠」について、謝斧さんよりのご感想を頂き有難うございます。

 ご指摘の「瓦犬陶鶏」を二分して、対句に用いた点については、合掌対であることは承知しておりましたが、あえて使いました。
 尾聯を対句にすることへのご批判につきましては、詩意の焦点が散漫になることも考えまして、詩題を「春寒雑詠」といたしました。
 漢詩においては詩と酒は琴とともに重要な要素であり、尾聯を対句にしても、違和感はないと判断してこのように作ったものでした。

2007. 9.11                by 井古綆





















 2007年の投稿詩 第156作は 夕照亭 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-156

  過長久手古戦場     長久手古戦場を過ぐ   

呼號陣陣暮雲紅   呼號陣陣として 暮雲紅なり

四百星霜一夢中   四百の星霜 一夢の中

勇士挺身名不朽   勇士挺身して 名は朽ちざるに

傷魂惆悵鳥歌空   傷魂惆悵 鳥歌空し

          (上平声「一東」の押韻)

<解説>

 長久手古戦場を訪ねれば、風吹き渡り、暮れなずむ雲は紅に染まってゆく。
 四百年の歳月も、一夜の夢のようにはかないものだ。
 今ここで、一人の勇士が、あたら若い命を散らし、その名は永遠に朽ちざるといえども、
 そのうらみ、悲しみは魂を傷ましめ、楽しげな鳥のさえずりさえ空しく響く。

 家の近所に、家康と秀吉が戦った、小牧長久手の戦いの古戦場跡があります。
 先ごろの立てこもり事件もこの近所で、いつも通る道です。
以前から、漢詩によくある古跡を訪ねて往時をしのぶ詩を作ろうと思っていましたが、
あの事件で殉職された若い勇士の鎮魂の詩になってしまいました。
 彼の無念を思うとやり切れません。

<感想>

 愛知県長久手町で、元暴力団の男が前妻を監禁して立てこもった事件が起きたのは、今年の五月十七日でした。警察官が撃たれ、また警戒態勢のSAT隊員が救出の際に被弾して死亡という痛ましい事件でした。
 私は娘が長久手町にある大学に通っていることから、非常に心配をしていましたが、現場とはかなり離れていたようで、携帯電話からはのんびりとした返事が返ってきました。

 長久手町は家康と秀吉の「小牧長久手の戦い」の舞台で、古戦場跡もあるのですが、多くの人には「去年万博を開いていた場所」と言う方が分かりやすいようです。

 起句の「呼号」は、「大声で呼ぶ叫び」ということ、ここでは表面上は「風の吹く音」ということでしょうが、承句へのつながりから見ると、四百年前の戦の場面も頭の中に含まれているかもしれません。

 転句の「勇士」は、そのまま昔の話としても良いのですが、小牧長久手の戦での「挺身名不朽」の勇士ということになると、誰なんでしょう。
 ただ、いきなり現代へと時間を動かして来るということですと、前半と後半がばっさり切れてしまう感じもしますので、その辺りを結句でどうまとめるかがポイントになりますね。

2007. 8.25                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第157作は サラリーマン金太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-157

  賦呈松山来駕桐仙鈴木淳次先生        

尾州師父辱來臨   尾州の師父 来臨をかたじけのうし

呴呴歓談吟興深   呴呴歓談して吟興深し

已識大兄才穎績   已に識る大兄 才穎さいえいいさおし

幾編著述抵千金   幾編著述千金にあた

          (下平声「十二侵」の押韻)


「呴呴」(くく)=言葉が穏やかな様子

<解説>

 昨年(平成18年11月23日)の松山での全日本漢詩大会から早一年がたとうとしています。
 その節はご多忙のところ遠路ご来駕を賜り、誠にありがとうございました。

 前夜、粗酒粗肴で申し訳ございませんでしたが、卓を先生とご一緒に囲ませていただき、穏やかなうちに時間のたつのも忘れて、斯道の隆盛を約し、ますます若輩ながらも作詩への意欲がわいてきたものです。
 初めての面談ではありましたが、既に私は先生の才知の卓絶なるをもって成し遂げられた功績を知っています。
それは漢詩界の復興を図るため、また一人でも多くの方々に漢詩のすばらしさを知ってもらうため、幾多の著作があり、IT社会を迎えて漢詩サイトを主宰するなど、そのご功績は千金に値するほど尊いものです。
 今後とも御身御大切にご活躍、そして私たち桐仙門下のご指導をお願い申し上げます。

追伸:今年、名古屋市でのオフ会いかがなりましたか?

<感想>

 サラリーマン金太郎さんから、昨年の全日本漢詩大会での思い出を送っていただきました。ありがたいお言葉ばかりで、こちらがお世話になりっぱなしであったのに、感謝の表しようもありません。
 この時には、金太郎さんの他にも、安井草洲先生や伊藤竹外先生、また受賞された常春さんともお会いでき、個人的に本当に楽しい大会でした。
 その折に、金太郎さんから宿題をいただきました。それは、本サイトにお集まりの皆さんが一度顔を合わせる機会を設けてほしい、ということでした。もう既に酔っていた私は多分、二つ返事でオッケーと答えたのだろうと思いますが、今年の冬くらいには企画をしたいと思っています。
 地元の愛知県にお集まりいただくのが一番かなと思いますので、案がまとまりましたら皆さんにご案内をさしあげます。また、ご意見をいただければ幸いです。

2007. 8.26                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第158作は 桐山人 からの作品です。
 

作品番号 2007-158

  道後公園        

湯築城前秋色深   湯築城前 秋色深く

西風索索渡楓林   西風 索索 楓林を渡る

古濠幽径塵氛遠   古濠 幽径 塵氛遠く

予国遺芳千古吟   予国の遺芳 千古の吟

          (下平声「十二侵」の押韻)



<解説>

 サラリーマン金太郎さんから身に余る詩を頂戴しましたので、お礼の意味も含めまして、その折の道後温泉の思い出の詩を載せさせていただきました。
 私としては、結句に一番悩みました。子規や漱石を始めとして、数多くの文人、先人が活躍した伊予の国、その伝統を現在まで脈々と引き継いでおられる金太郎さんや松山の皆さんの明るい気風、これをどう伝えるか。まだ推敲しなくてはと思いつつ、煮詰まり状態でもあります。
 皆さんからアドバイスをいただければありがたく思います。

2007. 8.25                     by 桐山人



井古綆さんからお手紙をいただきました。
 起承転まで拝読して、結句で先生のお悩みの様子が眼前にうかびます。
 これは先生の作詩時間の無いことですので、これを我々のために宿題を出されたと、解釈いたしますが、その謙虚なお姿に、わたくしが僭越にも推敲することに、いささか心が痛みます。
 もしわたくしであれば、ということでご参考に呈したいと思います。

 転句までは端然としたすばらしい句句ですので、果たして詩意がうまく連結しますやら?
 結句は「承継遺芳昆後心」ではいかがでしょうか。
「昆後」は「後昆」とも使用できて便利な語であると思います。

2007. 8.27

 昨夜先生の玉作を考えながら就寝していましたら、起句の「城前」に少しひっかかりました。
 当地に行っていないので、状況は分かりませんが、「前」では範囲が限定されるように思われました。

2007. 8.28                by 井古綆


 井古綆さんからのアドバイス、ありがとうございました。
 実は井古綆さんは私にお気遣い下さり、お手紙を公表しないようにとのご依頼でしたが、せっかくのお言葉、皆さんと味わわせて頂きましょう。
 普段の感想を書く時には、考え過ぎないように、漢詩を楽しく作りましょうとお気楽なことばかりを申し上げていますが、実際に自分が作る時には行き詰まることも多いものです。そんな時に、別の視点からの皆さんのご意見をいただけると、とても嬉しいものです。だって、こうした楽しみを味わうために、このサイトを始めたのですから。主宰自身が楽しまなくっちゃいけませんものね。
 遠慮なさらずに、厳しいお言葉をもっとくださって良いんですよ。

 ということで、井古綆さんのお名前も出してしまいました。すみません。でも、私の感謝の気持ちだとご理解下さい。

2007. 9. 5                by 桐山人


海山人さんからも感想をいただきました。

 桐山人先生の「道後公園」を読み、湯築小に数年通っていた第二の故郷松山を懐かしく思い出しました。

 (この感想は、聯句投稿に添えられていたものですが、こちらに書かせて頂きました)

2007. 9. 2                by 海山人





















 2007年の投稿詩 第159作は 謝斧 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-159

  書窓送春(菅廟吟社宿題五月)        

小窓慵見翆扶疎   小窓慵く見る 翆扶疎たるを

欹耳聞鵑小雨餘   耳を欹てて鵑を聞く 小雨の餘

燕子頡頏銜草蚓   燕子頡頏けつこうして 草蚓そういんを銜み

貍奴跼蹐覘池魚   貍奴跼蹐きょくせきして 池魚をうかが

作詩空惜春光老   作詩空しく惜む 春光の老いるを

出戸須嬉夏葉初   戸を出ては須らく嬉しむべし 夏葉の初め

処世営営豈吾事   世に処りて営営たるは 豈に吾事とせんや

身閑多適楽幽居   身閑にして適多く 幽居を楽しむ

          (上平声「六魚」の押韻)

<解説>

 菅廟吟社宿題五月です。
大阪天満宮で菅公を偲んで詩会を行っています。
大阪近郊の方は是非おこしください。


 [語釈]
「頡頏」:あがったりおりたり
「貍奴」:ねこ
「跼蹐」:さしあし しのびあし

<感想>

 第一句でつまずく方もいるかもしれませんね。「扶疎」「木の枝が茂り広がる」ことで、「翠」はその修飾です。
 第三句の「草蚓」「草むらのミミズ」、次の「跼蹐」「身を縮めてそっと歩く」という意味で猫が獲物を狙う時の動作ですね。

 頸聯に「送春」の詩題が描かれるのですが、「作詩」「出戸」の対が面白いですね。私はこの聯は「部屋に閉じこもっていると、春の過ぎゆくのを嘆くばかり。いっそ外に出られれば、初夏の新緑を楽しめるのに」と読みました。多分、初句の「慵」の字が働いているのでしょう、外に出るにも出られない、どこか悶々とした気持ちが漂っています。

2007. 9. 10                 by 桐山人



井古綆さんから感想をいただきました。

 玉作を拝見しました。
 第三句の「草蚓」についてですが、燕は営巣の時のみ地上に降りますが、餌を捕食するのは全て空中ですので、この点にいささか作為を感じました。
 他の句は納得できます。

2007. 9.11                 by 井古綆





















 2007年の投稿詩 第160作は 玄斎 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-160

  書窓惜春 (菅廟吟社宿題五月)        

雨後書窗霽色明   雨後の書窗 霽色明らか

忽逢初夏自傷情   忽ち初夏に逢って自から情を傷ましむ

殘花落盡誰留去   殘花落ち盡して 誰か留め去らん

寂寂疎枝囀老鶯   寂寂たる疎枝 老鶯囀る

          (下平声「八庚」の押韻)

<感想>

 すぐ前に掲載した謝斧さんの「書窓送春」と同じく、菅廟吟社で詠まれたものですね。

 起句から承句への展開がテンポが良く、思いも掛けず初夏になってしまっていたという感じが出ていると思います。その後の「自傷情」は、理由がよくわかりません。詩題の「惜春」を想定されたのか、と思いますが、「逢初夏」では逆転の連想を要求されるわけで、やや辛いですね。
 後半の晩春の光景へとつなぐために置かれたのかもしれませんが、感情形容語の使用は要注意です。

 全体に観念的な印象がありますので、例えば「殘花」などを具体的な花の名前にすると、現実感が強くなると思います。

2007. 9.10                 by 桐山人



玄齋さんから推敲作を送っていただきました。

   雨後書窗霽色明   雨後の書窗 霽色明らか
   忽逢初夏絶春情   忽ち初夏に逢って春情を絶つ
   花王落盡誰留去   花王の落盡するを 誰か留め去らん
   寂寂疎枝囀老鶯   寂寂たる疎枝 老鶯囀る


 私からお返事も差し上げました。

 承句はストレートな表現になりましたね。そのままずばりで「雅味が無い」と言われるかもしれませんが、「情」を韻字に持ってくるならば、このようだろうと思います。
 転句は具体性が増したと思いますが、「王」の字の持つイメージがあります。「花王」でさえ落ち尽くす、となり、単なる季節の推移だけではなく、物事の盛衰を感じさせることになりますので、そこまで必要かどうか、という判断が必要になります。
 読みについては、前回は書きませんでしたが、「去」は助字ですので、「誰か留去せん」と熟語読みにした方が良いですね。そうしておけば、「老鶯」が春を留めようと最後の粘りを見せて啼いていると結句につながります。

 推敲は漢詩の楽しみだと私は思っています。何年経っても、その時の感動を思い出しては、適字を考えることができます。今後も折に触れ、推敲してください。

2007.10.12               by 桐山人


玄齋さんからお返事をいただきました。

こんばんは、玄齋です。
推敲作を見ていただいてありがとうございます。

承句については、私もストレートすぎる表現だと改めて思いました。
次回への課題として考えます。

転句は、「花王」という「王」のイメージが強すぎるのですね。
「天葩」「紅葩」なども考えましたが、難しかったです。
これからも考えていきます。

転句の読みについて、「老鶯」につながることも分かりました。

これからも完成した詩について、推敲を考えます。
いつもありがとうございます。

2007.10.13            by 玄齋





















 2007年の投稿詩 第161作は 柳田 周 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-161

  森林公園初夏        

頭上鶯啼嫩緑柯   頭上鶯は啼く 嫩緑のえだ

誰能口哨往時歌   誰か口哨を能くす 往時の歌

両三肺腑盈清気   両三肺腑に清気を盈たす

翠裏漫行神体和   翠裏の漫行 神体和らぐ

          (下平声「五歌」の押韻)

<解説>

 連休の一日、埼玉県の生家に近い国立森林公園に、山ツツジを見に出かけました。
 ツツジは既に殆ど落ちてしまっていましたが、新緑の林に入ると頭上で鶯が鳴いており、咲き残るツツジが赤く見えました。
 正に、杜牧の『千里鶯啼緑映紅』だと思いました。

(語注)

「柯」=枝
「口哨」=くちぶえ
「神体」=心身

<感想>

 初夏の森林の爽やかな空気が身体一杯に入り込んでくる感じがしますね。
 承句の「口哨」は、「鶯啼」との対なのでしょうか、季節感を表すわけではないので浮いている感じを持つ方もいるかもしれません。しかし、「公園」ということで、自然だけでなく人も多く集う場ですから、そういう場としての雰囲気を伝えているでしょう。

 ツツジは落ちてしまったとのことですが、起句の「緑」と結句の「翠」に色が重なっていますので、どちらかに多少無理をしてでもツツジの赤色が欲しかったと思います。

2007. 9.10                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第162作は 貞華 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-162

  偶成        

檐際老君心自幽   檐際の老君 心自ら幽か

枕肱白昼鼾齁齁   肱を枕に白昼 鼾齁齁こうこう

炎蒸不管仙人態   炎蒸管せず 仙人の態

浮世諠争風馬牛   浮世の諠争も風馬牛

          (下平声「十一尤」の押韻)

<解説>

 老君は吾が夫のことです。(風馬牛)が面白いので。
退職して、のん気に縁側で昼寝している夫を詩にしてみました。
夏日偶成なのです。

<感想>

 のんびりと夏の日を過ごされるご主人、それを詩に書き取る奥様。これはもう、完璧なスナップ写真ですね。
作者である奥様には申し訳ありませんが、でも、夏の午後をこのように「風馬牛」のように過ごすことは、古来からの憧れでもあったと思います。私は正直、「うらやましい〜」という気持ちです。
 結句の「浮世」「ふせい」ではなく、つい「うきよ」と和習で訓じたくなります。

 楽しく読ませていただきました。

2007. 9.10                 by 桐山人



井古綆さんから感想をいただきました。
 貞華さん、初めまして、井古綆です。
 玉作を拝見しました。詩歴を拝見しましたが、当ホームページではまだ浅いお方ですにも関わらず、脱帽いたしました。素晴らしい作であると思います。
 「風馬牛」なる語に別意があることを、教えられました。有難うございます。

 起句を少々推敲すれば、さらに良くなると思い、拙文を差し上げました。
 起句の1、2字に、仲の良い夫婦を表す語を(これは白居易の長恨歌に在るように思います)、3、4字にご主人が退職したことを表す字(冠)を探してみてください。
 起句の韻字が「幽」では詩意に反するので、適当な韻字に変えたならば、素晴らしい作品になるように思いますので、あえてこの文を差し上げました。

2007. 9.12                 by 井古綆

謝斧さんからも感想をいただきました。
 ご主人を揶揄されている表現からは、却って夫婦の情愛の深さが感じられ、読者を楽しくさせてくれます。良い詩です。
 詩の味わいは禿羊さんの作品に通じるものがあります。
「老君」の句については、「老君」は「大上老君」であり、所謂「老子」の意です。間違いとは言えませんが、やや気になるところです。

(原文)
   先生揶揄夫君 却可見夫婦情愛之深 使人喜 好哉。
   詩味近禿羊先生 佳作。
   老君之句不熟 老君是大上老君 所謂老子之意也 雖不謬少欠妥耶

2007. 9.16                by 謝斧

貞華さんからお返事をいただきました。

 私の稚拙な詩を丁寧にみてくださいまして、ありがとうございます。
 また、いろいろな御指摘もありがたくおもいます。
 このページがとても身近に感じられるようになりました。重ねてありがとうございます。

2007.10. 4                by 貞華























 2007年の投稿詩 第163作は 井古綆 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-163

  四国漢詩連盟香川大会 有感        

安居井底幾春秋   井底に安居して幾春秋

冬暖夏涼曾未愁   冬暖夏涼曾て未だ愁へず

不若愚蛙望大海   若し愚蛙 大海を望まずんば

焉知魚隊日優游   焉んぞ知らん魚隊の日々に優游するを

          (下平声「十一尤」の押韻)

「優游」=急がずゆったりとして深く(学芸などを)味わう

<感想>

 今年度の四国漢詩連盟香川大会は盛況だったとうかがっています。当日の作品集も、実行委員長の安井草洲先生からいただきましたが、拝見すると力作ぞろいで、とてもたのもしく思いました。
 井古綆さんも「松山城」との題の詩を出されていましたし、このサイトでの投稿していらっしゃる方々のお名前もいくつか見つけました。
 昨年の全日本漢詩連盟香川大会でも、四国の漢詩界の人と力を感じました。あらためて、ご成功おめでとうございます。

 今回の詩は、こうした大会で多くの人と漢詩で触れ合う喜びを書かれたものですが、こんなに多くの方々が漢詩を楽しんでいらっしゃることに、私も本当に感激しています。
 転句は本来は「若愚蛙不望大海」とするところですが、平仄の関係で「不」を一番上に置かれたのだと思います。しかし、これですと「若かず」と読み、仮定形には読みにくいでしょう。せめて、「若不愚蛙望大海」とでもするところでしょうか。

2007. 9.16                 by 桐山人



井古綆さんからお返事をいただきました。
 鈴木先生のご指摘、まことに的を射たるお言葉であると思います。
わたくしも相当に悩み、さまざまに措辞しました。
 「若」の字を変えて、
 (不使愚蛙望大海  愚蛙を使て大海を望まずんば)とも考え、
 (不設愚蛙望大海  設(もし)愚蛙大海を望まずんば)とも考えました。
 しかし、詩意としては、「もし」の語がぜひとも必要と考えました。

 先生のご指摘のように、「不」の字を二番目にもってこようとも思いましたが、先賢にそのような措辞を探せなかったため、やむなくあのような形になった次第です。
 よって、田辺碧堂の転句の句勢をまねました。
たしかに読みにくい句であると思います。

 『 不上長城看落日  長城に上って落日を看(み)ずんば』

2007. 9.16                by 井古綆

謝斧さんから感想をいただきました。
 答えになるかどうかわかりませんが
「若不」「若し・・・ざれば」と訓読します。

  「若不改轍易御 将何以効其力哉」(魏 呉質 『文選』)
   若し轍を改め御を易へずんば 将た何を以って其力を効さん哉
 の用例があります。

2007. 9.17              by 謝斧


井古綆さんから、再度の推敲のお手紙をいただきました。
 鈴木先生こんにちは。
拙詩の転句につきまして、その後、他の方にも数回にわたってご教授をいただきました。

 このような難句は先賢の詩句を参考にし、例えば、西郷南洲の作『偶成』の結句「不為児孫買美田」とあり、また田辺碧堂の『万里長城』の転句「不上長城看落日」のように、下三字を否定形にする場合には否定詞を句頭に持ってきて、一句をなしている例があります。
 正式には間違いであるようにもうかがいましたが、これらを参考にして拙詩も以下のように推敲いたしました。

 安居井底幾春秋  井底に安居して幾春秋
 冬暖夏涼曾未愁  冬暖夏涼 曾て未だ愁へず
 不使愚蛙望大海  愚蛙をして大海を望ましめずんば
 焉知魚隊日優游  焉んぞ知らん魚隊の日々に優游するを


 なお、転句の句頭に持ってくる字は、「無」、「欲」、「難」なども考えられますが、それは今回は考えませんでした。

 私は「蛙」の熟語でも「愚蛙」の他に「痴蛙」、「弧蛙」、「離蛙」など、考える限りの語を思案して決めましたが、大変苦吟しています。

2007. 9.17             by 井古綆




「もし」という表現から離れて、句意を変えずに表すには、ということでの推敲ですね。
「使」は使役(誰かに何かをさせる)を表す字ですが、意味合いから仮定にも用いますので、表現としては問題ないですね。転句がかちっとした句になりましたので、今度は結句の「焉知」がやや線が細く感じられますが、どうでしょうか。

2007. 9.19             by 桐山人



謝斧さんから推敲作について感想をいただきました。

 文句のない佳作ですね。
 「愚蛙」を以て詩人に比す。
詩人の心情がよくわかります。

 以好典故 得好工夫 三四亦絶妙 大好大好

2007. 9.21                 by 謝斧





















 2007年の投稿詩 第164作は 嗣朗 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-164

  花寺 長谷寺        

新緑伽藍初瀬栄   新緑の伽藍 初瀬は栄へ

古今入興憶花情   古今 興に入れば花情を憶ふ

登廊左右大輪咲   登廊の左右 大輪を咲かし

四季豊山夢亦平   四季の豊山 夢又平かなり

          (下平声「八庚」の押韻)

<解説>

 室生寺から花の寺長谷寺を訪ねた。春は桜に牡丹、今が牡丹の盛りだ、登廊の左右に大輪を咲かせ見事な景観だ・・・
夏は紫陽花、秋は紅葉、冬は寒牡丹と雪雪景色・・と、一年を通じて花々が境内に彩りを添え、美しさを見せてくれる。
参道の賑わいは人々で今が盛りか?

「初瀬」; 豊山の所在する村(初瀬町)
「豊山」; 長谷寺の山号

<感想>

 八月に掲載しました「女人高野 室生寺」と同時に送っていただいた詩です。
 今回の詩は、言葉が先に走っていくようで、意味を理解するのに苦労するところがあります。
 例えば、承句では、「古今」「入興」「憶花情」のそれぞれの言葉がどう関連しているのか。
 また、結句では「四季豊山」が花に包まれていることは解説で分かりましたが、「夢」「平」という所がどうもわかりません。
 「亦」は通称「モマタ」と呼ばれますが、「夢も亦平らかだ」として、「夢」の他にも平らなものが存在するような印象になります。

 転句の末字「咲」は、以前にも書きましたが、「笑う」という意味ですので、「花が開く」の意味では使わないようにしましょう。

2007. 9.16                 by 桐山人



井古綆さんから感想をいただきました。

 嗣朗さんはじめまして、井古綆です。
玉作を拝見いたしました。僭越ですが、この文を書きますのは、少しでも漢詩の隆盛を願う気持ちからだとご理解ください。

 わたくしも体が健康な時に参拝しましたので、長谷寺はよく存じております。
 まず、神社仏閣に対する詩を作る際には、尊崇の念をあらわさなくてはなりません。
と、言うは簡単ですが、初学の方々は韻を踏むことで、精一杯です。わたくしも、今も苦労しています。
 しかし、作詩にはコツがあります。象を描く場合には、幼稚園児でも象の鼻と牙さらに耳を描きます。
お寺を詠じるには、まず信仰心を詩中にいれなくては、詩としては不足だと思います。
作詩には人それぞれの方法がありますが、何を詠じて何を捨てるかが、重要だと思っています。

 また、結句から詩を考えていくと良いと思います。

 この文を書くにあたって、参考になればと下記の蕪詩を作りましたので、笑読してください。

    賽長谷寺    
  古刹千年伝令名   古刹千年令名を伝へ
  賽人真摯献灯明   賽人真摯に灯明を献ず
  花王繚乱登廊急   花王は繚乱 登廊は急に
  初瀬観音洗俗情   初瀬(はせ、又ははつせ)の観音俗情を洗ふ

花王=牡丹の別名、長谷寺は花の寺として有名
登廊=長谷寺独特の登り廊下
2007. 9.18                  by 井古綆



嗣朗さんからお手紙をいただきました。

 こんにちは。
 今年の気象は全くの異常で、残暑が厳しい毎日です、お見舞い申し上げます。
私の拙詩に対し,桐山人先生、井古綆先生による過分なるご指導とご教授を賜わり有難うございます。

 私の漢詩作りの動機は、第二の人生を歩むにあたり、今までの生活態様からの変化を求めたものであります。
 私達の年代は、漢文による教育は受けてなく、先輩達の講和の中に古典的な言葉を耳にし、感心していたにすぎなかったのですが、己の健康の為、詩吟の世界に歩みだしました。大きな声で漢詩を詠っている中で、引用されていた沢山の言葉があることに気付きました。
 又、先輩の一人に、自分で作詞した漢詩を詠じている姿に、新たなる人生をの方向を見いだしました。
 その方のお話を聞いている中に、旅した時や、生活の中で何かを感じた時に、「日記」代わりに漢詩を創ることを進められ「絶句」の作り方を教えて頂きました。日記作り二年半、そして、このホームページに出会い、桐山人先生の著書を手にして勉強、詩の心のない私にでも写実的な表現が出来るかな?と思って励んでいます。

 井古綆先生にご指導頂いた、相手方の心や意を、自分の心や意にとけこませての詩作りの為には、深い知識と詩の素養が必要と思います。その為には先人の書籍や歴史的知識を知り、磨いていかなければと思います。
 先ずは漢詩日記の継続を心がけ、投稿もしていきたいと思いますので、今後とも宜しくご指導の程お願いいたします。

2007. 9.22                by 嗣朗





















 2007年の投稿詩 第165作は 仲泉 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-165

  富士山        

霊峰富士悩吟思   霊峰富士 吟思を悩ます

今古雄姿麗且奇   今古雄姿 麗且つ奇なり

千歳変遷誰識此   千歳の変遷 誰か此れを識らん

依然勝景冠天涯   依然たる勝景 天涯に冠たり

          (上平声「四支」の押韻)

<解説>

 威厳のある富士山どのように表現したらよいか思い悩む。
 古からの晴れ姿は、麗しくもまた神秘的である。
 幾世代の時を超えて、どのように富士が変化してきたか知る由もない。
 何時に変わらぬその端麗な姿は、いずれに勝るとも劣らないものである。

<感想>

 富士山という日本を代表する素材、それをどう詩で描くかは難しいところです。というのは、富士山といえばもうその姿を誰もが頭に思い浮かべられるわけで、自分なりの視点というのを新たに作るのは大変です。まさに、「吟思を悩ます」ところです。
 また、古来から多くの詩人に読まれてきていますから、まあ、こういう時は開き直って、お互いに「そうだよね、そうだよね」と納得し合い、古人と感動を共有し合う喜びを味わいましょう。

 起句末字の「思」は、名詞の時は仄声になります。「上平声四支」の平声で用いたい時は、動詞として「思う」という形に持っていく必要があります。このままでは、平仄間違いになります。
 内容的には、転句が矛盾を生んでいます。「富士山の変化を誰が知っているだろうか」と言いながら、つまり「誰も変化を知らない」のに、「今古勇姿」とか「依然勝景」と言えるのか、おかしいですね。
 これは恐らく、転句の表現が「変化があった」ことを前提としているからでしょう。「富士山は永遠の象徴、千歳、変化は無かった」としていけば、前後の矛盾はなくなるはずです。

2007. 9.16                 by 桐山人



謝斧さんから感想をいただきました。
 やや辛口になるかもしれませんが、私自身も同じような欠点を持っているということで、感想を書かせてもらいます。
 大きな齟齬は無く、詩語自体を見れば問題はないのですが、内容は富士山についての説明で、詩人の心情が伝わってきません。
 詩語も一般的な表現で新鮮さが少ないため、感興に乏しく感じます。

 詩は比興を用いて、詩意は重層で言外に詩人の志を言うものと考えています。そういった詩はなかなか作れるものではありませんが、そうなるように努力したいと私も思っています。

2007. 9.18             by 謝斧





















 2007年の投稿詩 第166作は 深渓 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-166

  高雄山        

白雲万樹府西山   白雲 万樹 府西の山

斜径信筇唯可攀   斜径 つえに信せて 唯だ攀る可し

相映夕曛堂影側   夕曛に相い映ず 堂影の側ら

遥望富岳是仙寰   遥か 富岳を望むは 是れ仙寰

          (上平声「十五刪」の押韻)

<解説>

 高雄山は東京西郊の庶民信仰の山として現在、年間三百万人にも及ぶ登山参拝客を迎えるという。

〇夕陽に照り映える薬王院の傍らに、遥か富士山を眺められる処は俗気を離れた別天地なり。

<感想>

 深渓さんからは、昨年「題高尾山」をいただきましたね。今回は「高雄山」となっていますが、同じ山のことですね。
 広々とした景色、遠く富士を望む眺望が目に浮かぶようです。

 転句の「相」「お互いに」という意味ではなく、「対象を指し示す」用法です。王維の「竹里館」の結句、「明月来相照」が同じで、「明月と私が互いに照らし合う」というよりも、「明月がこの私を照らす」として、「私のことを理解してくれるのが明月だ」と解するのと同じです。

 冬至の頃に高尾山から富士山に沈む夕陽の美しさは「ダイヤモンド富士」として知られていますね。

2007. 9.21                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第167作は 深渓 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-167

  時事偶成        

天変地温人有為   天変地温 人の為す有り

文明弊害是非奇   文明の弊害 是れ奇に非ず

京都議定拒強国   京都の議定 強国は拒み

無視地球何処之   地球を無視して 何処にか之かんとす

          (上平声「四支」の押韻)

<解説>

 核保有の大国は批准を拒み、国内では防衛大臣の放言もありました。この地球は何処に行こうとしているのか。

<感想>

 以前にいただいた詩ですが、防衛大臣の放言もその後の政治の激変で、遠い昔のような感があります。
しかし、今年の夏の各地の異常高温に、あらためて環境の変化や破壊を感じた方も多かったのではないでしょうか。

 時事を切り取って漢詩で詠む場合には、固有名詞や現代語の使用が避けられない所がありますが、どれだけ漢詩の趣を残すかが作者の工夫の点ですね。

 異常気象や温暖化に関連しては、今年になってからも柳田 周さんから「異常気象」が、また井古綆さんから「時事偶感」をいただいていますが、それだけ憂慮される方が多いのでしょうね。
 「京都議定書」の課題は、「ポスト京都議定書」へと進むようですが、本来は広い立場から地球を守る観点が国家の都合で動かされていくことに不安を感じます。

2007. 9.21                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第168作は 井古綆 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-168

  菅原道真公        

蒙謫辺疆跼蹐身   辺疆に謫を蒙り 身を跼蹐し

無怨讒奏貫微臣   讒奏を怨む無く 微臣を貫く

喜盈涼殿勅題夕   喜びは盈つ 涼殿 勅題の夕べ

悲溢梅花愛別晨   悲しみは溢る 梅花 愛別の晨

静拝香衣涕恩沢   静に香衣を拝して恩沢に涕し

常扃柴戸表明真   常に柴戸を扃じて明真を表わす

生涯不愧天於地   生涯愧じず 天にも地にも

長受尊崇学問神   長しえに尊崇せらる 学問の神

          (上平声「十一真」の押韻)

<解説>

 題名の「菅原道真公」は、多くの作者は「菅公」としていますが、詩中ならともかく、字数に制限のない題名には、敬意を表わしたいと思い、あえて、このようにしました。
対句には公の漢詩および和歌を挿入しました。

<感想>

 今回の井古綆さんの詩につきましては、菅原道真公を題材ですので、菅廟吟社の謝斧さんにあらかじめ感想をいただきました。
 また、井古綆さんからのそれに対するお返事も併せて掲載しますが、お手紙は主宰である私を経由してのものですので、直接のお二人のやり取りということではありません。また、お二人のお手紙は掲載に当たっては、私の方で直した部分がありますので、ご了解ください。


[謝斧さんの感想]

 井古綆先生の詩は、いつも興味深く読ませていただいてます。気付いた点を書かせていただきます。

 まず、題名の「菅原道真公」について、「題名には、敬意を表したいと思い、あえて」とのことですが、ご存知のように唐代では名前でその人を呼ぶことはありません。字か排行、官名等です。
 菅原道真公は丞相(右大臣)にいたので、「菅丞相」あるいは「菅博士」が妥当だと思ってます。

 公は流謫される前は、位は人身を極めた人であるので「貫微臣」という叙述は合わないように思えます。
 又、都では死後、「火雷天神」としてかつての政敵に恐れられたぐらいですから、「無怨讒奏」はなかったのではないかと私は思ってます。

「恩賜御衣」のことを単に「喜盈」の叙述だけですと、私には軽すぎるように感じました。

「涼殿」は「清涼殿」ですが、「清涼」でひとまとまりの連綿字句ですから、省略するのは良くないと思いますし、下句の「梅花」の対としては少し無理があるかと思います。

 結句の「学問神」は和習のような気がします。

 読後の感想としては、作者の気持ちが十分には伝わっていないように感が残りました。流謫された公の無念さや、ものの憐れや風流といったものが描かれると、良かったかと思います。
 私も歴史上の人物を詠ずると、史実ばかりをを詠じることになってしまいます。


[井古綆さんのお返事]

 謝斧先生、此のたびは批正のご無理を申し上げ、早速にも適切なるご教授を賜り有難う御座いました。
その前に鈴木先生には、仲介のご苦労に大変感謝いたします。

 不肖私がこのHPを訪れまして、まず感じましたことは、紙上で討論が白熱していることに、関心がありました。(以後は「さん」と呼ばせてください)
 今回拙詩の掲載前に御高批を仰ぎたいと思ったのは、謝斧さんが菅公に縁の深い吟社を主宰されていることを仄聞したからです。

 謝斧先生、まだるい詩をご披見くださり有難う御座いました。
 謝斧さんの提撕のお言葉は、詩とは格式を重んずるようにと説かれていると思います。浅学の私には全く不足している点でしょう。
 この詩を作るにあたり、菅公の身を忖度しました。と申しますのは、菲才の私が学問の神と祭られている菅原道真公を賦すことは僭越であり、一層、全霊の詩情を籠めて作らねばならないと思ったからです。

 公は生前は丞相であり、拙詩詩題は文学的にみればお説の通り「菅丞相」が良いと思います。献詩の気持ちを籠めて作りましたので、膾炙されている詩題を用いました。

「貫微臣」は、公が丞相であったことは衆知の前提として、前句に「蒙謫」を用いて、流謫後のことだと示したつもりでした。
「讒奏」は史実ではないかと私は思っていますが、ここは私の歴史観の出たところです。

「喜盈」は公の『秋思』の詩に帝からのお褒めのことばのみの表現で、恩賜の御衣は第五句にあります。
「涼殿」は省略すべきでないとのこと、私も迷いましたが、先賢の詩に、「琵琶湖」「琶湖」としたり、「比叡山」「叡山」と言い、更には平仄の関係で「叡岳」または「比岳」などがありましたので、これに準じました。

「学問神」は明らかに和習です。我々は漢詩を学んではいますが、日本人であり、北野天満宮または天満天神にわざわざ注釈は必要ないと思います。「学問神」に匹敵する膾炙された漢籍を知らかったのです。

 「流謫された公の無念さや、ものの憐れや風流といったもの」を謝斧先生は仰っていますが、非才を顧みずに公の生涯を賦すには細心の注意をもって賦した次第で、対句四句に公を忖度し、作者の全霊を尾聯「生涯不愧天於地、長受尊崇学問神」と結び、菅原道真公を尊崇しているしだいです。謝斧先生に拙詩の詩意が伝わらないならば、作者の未熟なせいです。

 広くみなさまのご高説を拝受いたします。



2007. 9.21






















 2007年の投稿詩 第169作は 仲泉 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-169

  午夢        

茅屋空庭独酌杯   茅屋空庭 独酌の杯

恍然午夢聴遥雷   恍然たる午夢 遥雷を聴く

墜歓最好閑天地   墜歓最も好し 閑天地

静穏癒心非可猜   静穏 癒心 うたがふべくも非ず

          (上平声「十灰」の押韻)

<感想>

 午後の穏やかな時間が流れていく様子がよく分かりますね。
休日でも何となく慌ただしくて、落ち着いた時間が取れない最近ですが、こうした詩を読むだけで心がくつろぐ気がします。

 承句の「遥雷」「遠雷」としたいところですが、平仄に合わせたのでしょう。また、「聴」も、「午夢」からのつながりでしたら「聞」として「聞こえてくる」とした方が「聴」「耳を澄まして聴く」よりも良いのですが、これも下三平を避けた形です。

 転句の「墜歓」は「楽しみ」くらいの意味でしょうか。「歓」を用いた語は他にも多くありますから、探してみるのも良いと思います。

 全体的には、前半に比べて後半に力が弱くなっています。とりわけ結句は、内容自体が転句と違いが無く蛇足の感じで、そのまま眠ってしまいそうです。
 例えば、承句で用いた「雷」を結句に「聞遠雷」として持って来ると、変化が生まれ、余韻も生まれると思います。

2007. 9.21                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第170作は 展陽(酔翁) さんからの作品です。
 

作品番号 2007-170

  初夏        

怱怱春已去   怱怱 春は已に去り

浥浥露猶繁   浥浥 露は猶ほ繁し

陣陣陰雲鎖   陣陣 陰雲鎖し

矇矇昼亦昏   矇矇 昼亦た昏し

潸潸疎雨過   潸潸 疎雨は過ぎ

処処乱蝉喧   処処 乱蝉は喧し

漸漸天呈霽   漸漸 天は霽を呈し

家家月上軒   家家 月は軒に上る

          (上平声「十三元」の押韻)

<解説>

 畳語を使って五言律詩を作ってみましたが、何しろ初めてなのでいろいろ不適当な点もあると思います。
 是非、指摘教示して戴ければ幸甚と思います

   怱々と春も去り
   浥々と露がまだ多い
   陣々と続く暗雲が鎖し
   矇々と昼また暗し
   潸々とぱらつく雨が通り過ぎ
   あちこちに蝉が乱れ鳴く
   徐々に空も晴れて来て
   家々の軒先より月が見える

<感想>

 展陽さんは、酔翁さんの号をこれまでお使いでしたが、今回の投稿詩から変更されましたので、ご承知ください。

 さて、初めての五言律詩とのことですが、全ての句に畳語を用いるというのは、練習としては良いですが、普通は行いません。と言うのは、各句のリズムが整い過ぎるために句に変化が乏しいこと、擬態語や擬声語の多用が表現を平板にすること、律詩では特に対句の妙味が薄れて単調になること、などの理由から避けられるからです。
 ただ、先ほども書きましたように、自分の勉強のために、あるいは畳語の連続による諧謔さを狙うような私的なものならば面白いかもしれません。

 律詩の場合に、一般的には頷聯(第三句と第四句)と頸聯(第五句と第六句)を対句にします。それ以外の聯を対句にする場合もありますが、初めは定石通りに作るのが良いでしょう。その場合でも、頷聯と頸聯が同じ様な文の構造になっては変化がありませんから、両聯共に同じ場所に畳語を用いるようなことは避けます。

 対句については、例えば頷聯の「陰雲鎖」「昼亦昏」は文の構造(名詞・動詞・形容詞などの文法的な構成)が違っていますから不具合です。
 また、頸聯の「潸潸」「処処」は同じ畳語であっても、「潸潸」が雨の降る状態を表す言葉であるならば、「処処」ではなく、蝉が鳴き声の形容などで状態を表す言葉を持って来る必要があります。

 尾聯の「家家」は同じ字が並んでいますが、これは畳語ではなく、たまたま名詞が二つ並んだだけのもので、「甲斐の山山」とか「庭の花花」などと同類のものですので、区別をしましょう。

 今回の八句の中から、対句となりそうな一組を選び、それを頷聯か頸聯に置いて、前後の聯を考えてみると良いと思います。行き詰まったら、更に別の組み合わせを考えて同じ作業を続けてみる、展陽さんにとって最初の律詩であるこの八句が、これから多くの律詩を生み出していく可能性を胚胎しているわけです。楽しみですね。

2007. 9.22                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第171作は 嗣朗 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-171

  中江東樹記念館        

史跡江西藤樹祠   史跡 江西 藤樹の祠

良知教説雨絲絲   良知の教説 雨絲絲たり

聖人天賦男子魄   聖人の天賦 男子の魄

散入香風詩筆遺   散じ香風に入れば 詩筆を残す

          (上平声「四支」の押韻)

<解説>

 中江藤樹は「日本陽明学の祖」とされ、江戸初期の儒学者で大洲藩を脱藩し、生誕の地で王陽明の唱えた「到良知」を、武士や庶民に説いている。
 この地を訪ね、伊藤東涯作の「過藤樹書院」の漢詩を口ずさみながら史跡を勧奨した。

<感想>

 承句は恐らく、訪れになった時に雨が降っていたということなのでしょうね。起句からすぐに受けるのなら良いのですが、「良知教説」を置いてしまいましたから、眼前の景と史跡への作者の思いとが交錯して、唐突な感じがします。
 同じことが結句にも言えるのですが、「散入」の主語は「香風」かと思いましたら、読み下しでは作者の意図は違うようですね。となると、何が「散入」なのか、また、そのことと「詩筆遺」とのつながりが掴めません。
 作者の心の中では色々な思いが動いていて、それなりにつながりもあるのでしょうが、読者にはそうした経緯は分かりませんから、その分、表現上での細かい配慮が必要になります。
 何もかも理屈で説明するわけではありませんが、言外の思いを汲み取ることを読者に過度に要求してはいけません。作者の目を離れて、一度読者の立場に立ってみると、案外すっきりと描ける場合が多いものです。

 中江藤樹記念館については、以前、井古綆さんからご紹介のお手紙をいただきました。機会を待っている内に掲載が遅れてしまいましたが、ご覧ください。

 皆さん、こんにちは。井古綆です。

 私は近畿に住んでいますので、軽自動車で方々に出かけます。五年ほど前、中江藤樹記念館に何度か行きました。
 館内に鴻儒佐藤一斎が近江聖人没後百年の時に、藤樹書院を訪ねた時の七言律詩があったので、書き写してきました。以下その詩を書きます(読み下しは私が行ったものです)。

  書堂已閲百星霜   書堂已に閲す 百星霜
  私淑吾来進弁香   私淑吾来たりて弁香を進む
  遺愛藤棚荒倍古   遺愛の藤棚は荒れて倍(ますます)古り
  孤標松幹老愈蒼   孤標の松幹は老いて愈々蒼し
  気常和処春長煖   気常に和する処 春長しえに煖く
  月正霽時風亦光   月正に霽るる時 風亦光る
  今尚士民礼譲敦   今尚ほ士民 礼譲敦く
  入疆不問識君郷   疆に入りて問はずとも 君が郷と識る


 「弁香=一掴みの香=人を尊敬するの意」です。
 私は、佐藤一斎先生への失礼を省みずこの詩を研究しました。六句にある「光風霽月」の詠いこみ、八句における近江聖人への尊崇、二句の「弁香」などを忖度した中で、七句の平仄が乱れている(「四字目の孤平」)のは何故なのか、疑問に感じてました。

 次に当館を尋ねた際、説明の無い七律を拝見し、立派な詩なのに入館者に読んでもらえないのは、作者も不本意であろうと写して帰りました。
 達筆でしたので読むのに苦労をして、書体の辞書を求めました。律詩なればこそ凡その平仄で判読できました。更に不明な点を確認に訪ね、計三回訪ねました。以下はその詩です。(読み下しはこちらも井古綆が行いました)

            松蔭五条秀麿
  余姚同志渡江行   余姚の同志 江を渡って行く
  父老怡我譲道迎   父老我を怡び 道を譲って迎ふ
  藤樹書堂存旧影   藤樹書堂は旧影を存し
  玉林寺内護墳塋   玉林寺内に墳塋を護る
  徳如比嶽千秋屹   徳は比嶽の如く千秋屹し
  姿似琶湖前世清   姿は琶湖に似て前世清し
  先聖誕辰今日会   先聖の誕辰に今日会ふ
  丹誠奉奠里人情   丹誠奉奠す 里人の情に
 庚申年三月七日藤樹先生誕辰三百十三回記念祭恭賦

 これは立派な七律です。「よよう」とは王陽明の出身地です。この詩は大正九年の作で、二年後藤樹神社が創建されています。この詩も二句目の平仄が乱れています。このような詩を作れる作者がわざと、不完全な詩を賦したのです。
 前の佐藤一斎の作と同様に、近江聖人に対する尊崇、畏敬の念を表したと、計三回の訪問で学びました。
 我々はより完全な詩を作る為四苦八苦しています。このような詩は、余裕が無いと出来ないと思いました。


2007. 9.26                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第172作は 嗣朗 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-172

  浮御堂        

新陰五月雨餘陽   新陰の五月 雨餘の陽

四望風光水一方   四望の風光 水の一方

猶見湖上鴻雁浪   猶見る湖上 鴻雁の浪

近江八景海門堂   近江八景 海門の堂

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

 大江敬香作の「近江八景」を思い浮かべながら、浮御堂より眺めた。
 比良に始まり唐崎、瀬田の矢橋、そして三井寺と、遠くは三上山や伊吹山や沖ノ島が、手元の湖水はキラキラと輝き、鴻雁が上に下に波うち一線を成して飛んでいた。

<感想>

 近江八景については、2006年の井古綆さんの投稿、「歌川広重画近江八景」の感想で書かせていただきました。大江敬香の「近江八景」の詩もそちらに載せましたから、ご覧になってください。

 二、三年前に琵琶湖に行った時のことを思い出しながら、楽しく読ませていただきました。

 転句は四字目の「上」が平仄が違いますので、直す必要があります。使われている言葉は皆納得できるものですが、「猶見」だけは、働きが弱いように感じます。「猶」一字だけでも、「遥」「遠」などにすると、印象が変わると思います。

2007. 9.26                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第173作は 博生 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-173

  梅雨        

宿雨沈沈漂霧霞   宿雨沈沈 霧霞漂ふ

庭隅婉麗紫陽花   庭隅 婉麗 紫陽の花

喧騒陋巷紅塵隔   喧騒陋巷 紅塵隔つ

竹里閑居意暫嘉   竹里閑居の意 暫し嘉す

          (下平声「六麻」の押韻)

<解説>

 市井の陋屋なれど、しっとりと細雨に浸る静かなひととき、竹里館の詩境に心を寄せる。

<感想>

 ご自身の住まいも閑適の趣があるというように読み取るわけですが、転句結句の展開からは陶潜の「結廬有人境 而無車馬喧」をうかがわせ、奥行きのある詩になっていると思います。
 転句は、結果的には「喧騒」「陋巷」「紅塵」はみな同じものを指しますので、やや重苦しいですね。「閑居陋屋紅塵隔」とすっきりと書き、結句の「意暫嘉」を具体的に感じさせるものを置くと良いと思います。

2007. 9.26                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第174作は 童心 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-174

  上高地遊覧        

草蔭紅蘭鶯囀頻   草蔭の紅蘭に鶯囀頻なり

梓川水浄野猿親   梓川水浄く野猿親しむ

穂高日暮山光淡   穂高日暮れて山光淡く

壇上歌姫慰旅人   壇上の歌姫旅人を慰む

          (上平声「十一真」の押韻)

<解説>

 六月の末に中学校の同窓生、老師と一緒に上高地へ出掛けました。
 大正池、河童橋、明神池と先生を助けながら大変楽しい散策をしました。中に草花に詳しい人も居て勉強にもなり、又先生は亡くなった奥様の思い出を新たにされて、大変喜んでくれました。
 計画にはなかったハプニングで、ソプラノ歌手の野外ライブも体験し、一泊二日の楽しい一時を過ごしました。
 帰宅し、妻に話したところ、「次は私も行く」と宣言されました。

<感想>

 起句承句で上高地らしい風物が描かれ、穏やかな雰囲気がよく出ています。特に、「野猿親」が効果的ですね。
 「梓川」「穂高」と固有名詞が二つ使われていますが、私は煩わしさは感じませんでした。もし気にするならば、転句の「穂高」を直すくらいでしょう。

 ハプニングの野外ライブは、思いがけずのことで、旅が一層印象深くなったと思いますが、「壇上」は言わずもがなで、山中に「壇」では違和感が残ります。「歌姫」を修飾するか、歌そのものを説明するか、の方が良いでしょうね。
 次回は是非、奥さまとご一緒にお出かけください。

2007. 9.26                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第175作は 童心 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-175

  莫高窟ばっこうくつ        

九層楼閣大泉河   九層の楼閣大泉河

柳絮飄飄石窟多   柳絮は飄飄として石窟多し

彩色飛天西域曲   彩色の飛天西域の曲

王朝昔日一堂和   王朝の昔日一堂に和す

          (下平声「五歌」の押韻)

<解説>

 念願の敦煌・莫高窟に行って来ました。今回の旅に備え、井上靖の本を3冊「敦煌」、「楼蘭」、「蒼き狼」と、DVD「敦煌」及び中国旅行の雑誌三冊を読んで行きました。
 莫高窟は想像以上のスケールで素晴らしく、又鳴砂山、月牙泉も良かった。

 熱の冷めないうちにと作詞しました。五月末から六月初めに行ったため、柳絮が風に舞っているのが印象に残りました。
 転句と結句は石窟内の壁画を詠んだものです。

 どこかへ出掛けた時、感動を忘れないうちに作詩しようと思っています。毎月一編の作詩が目標です。

<感想>

 世界遺産として登録された敦煌・莫高窟、私もいつか行きたいですね。

 九層の楼、数多くの石窟、壁画、見所の多い場所ですので、ついつい莫高窟の紹介のようになりがちなところを、「柳絮飄飄」が救っていて、詩に生き生きとした現実感を与えています。
 歴史の流れと目の前の柳絮、この調和が詩の生命で、結句の「王朝昔日一堂和」も生きてきますね。

2007. 9.26                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第176作は 禿羊 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-176

  縄文杉        

宿望欲遂歩雲蹤   宿望遂げんと欲して 雲蹤を歩み

終看魁杉聳峻峰   終に看る 魁杉の峻峰に聳ゆるを

島庶畏山千壑鬱   島庶 山を畏みて 千壑 鬱たり

樗材免斧万年茸   樗材 斧を免れて 万年 茸たり

梢超衆樹自成王   梢は衆樹を超(ぬきんで)て 自ら王と成り

幹掩朱鱗幾化龍   幹は朱鱗に掩われて 幾(ほとん)ど龍と化す

蹴地翔天脱塵世   地を蹴って天を翔け 塵世を脱せんとするも

未協悶悶怨奔衝   未だ協(かな)わず 悶悶 怨 奔衝たり

          (上平声「二冬」の押韻)

<解説>

 五月のゴールデンウィークに屋久島に行きました。四十年ぶりの再訪でした。

 以前ももちろん山中を歩いたのですが、縄文杉はその前年に(再?)発見されたばかりで、まだ一般には知られていませんでした。そんなわけで、縄文杉を見ていなかったのが心残りでしたが、今回やっと念願を果たすことが出来ました。

 縄文杉の前に立ったときはその巨大さに感動いたしました。その身をくねらせ空に向かって聳えている姿は巨大なエネルギーを秘めているように感じました。

一、往古島民畏山不敢入山中。後有一儒勧伐屋久杉作材。従此林業大興。

二、縄文杉近辺有伐木跡、按以不中縄墨免斤斧。

<感想>

 首聯で屋久島に行った時の状況が書かれ、頷聯と頸聯で縄文杉の描写が、そして尾聯では解説にお書きになったような「巨大なエネルギー」をまとめられたという展開ですね。とりわけ、頸聯の「化龍」からの連想による、縄文杉の大自然を凝縮するような力強さ、それも生々しい生命感が尾聯によく表れていると思います。

 「協」は、仄声だと思います。

 禿羊さんはご友人と自作の詩歌集を出されまして拝見しました。禿羊さんの漢詩はもちろんですが、ご友人の短歌も心ひかれる作が多く、感動しつつ読ませていただきました。
 きっと私と年代的に共感する部分が多いからでしょうか、一つ一つの言葉がなじみ深く、身体に吸い込まれていくような感じで、芯のある柔らかさを持った詩歌集になっていると思いました。
 次の投稿詩に井古綆さんからの感想の詩を載せました。

2007. 9.27                 by 桐山人


禿羊さんからお手紙をいただきました。

 鈴木先生、拙作の掲載ありがとうございます。

「未協」 うっかりしておりました。
「未能(未だよくせずして)」と変更いたします。
どうも、詠物の詩は難しいですね。語彙、故事の知識を拡げる必要があります。

 漢詩集のご紹介有り難うございました。未熟者で考えたこともなかったのですが、友人が歌集を出したいというのでこれに便乗することにしました。
 内容の大半はこのホームページに掲載していただいた拙いものですが、本になるとそれはそれでうれしいものです。これを一つの道標として更に精進したいと考えております。

 なお、残部がありますので、もしご興味がありましたら tokuyoh@tcct.zaq.ne.jp までご住所・氏名をお知らせいただければ、お送りさせていただきます。
 このアドレス、現在迷惑メールの洪水にみまわれており見落とす恐れがありますので、件名に「禿羊漢詩集希望」とお書き下さい。

2007. 9.29             by 禿羊






















 2007年の投稿詩 第177作は 井古綆 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-177

  深謝恵贈新本(次韻禿羊雅兄玉作「散歩与慈孫」)        

藜杖難尋慧遠坊   藜杖 慧遠えおんの坊を尋ね難く

三余獺祭苦怱忙   三余 獺祭だっさい はなはだ怱忙

尊吟上梓鑑蒙昧   尊吟 上梓 蒙昧をてらすも

古綆如何趁禿羊   古綆如何にして禿羊を趁はん

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

「慧遠」=東晋の高僧の名。ここでは作詩の師にたとえる。
「獺祭」=作詩するにあたって参考書をカワウソのように並べること



<感想>

 皆さんの詩作を拝見するのが私の楽しみですが、井古綆さんの結句の思いは私の思いでもあります。切磋琢磨だと心に入れて、頑張るゾーという気持ちを奮い立たせていただきました。

2007. 9.27                 by 桐山人



禿羊さんからお手紙をいただきました。

 井古綆先生、拙著に花を添える詩を頂戴いたしまして有り難うございます。
 ただ、身に余る賛辞に少し当惑いたしております。今後とも作詩に精進したいと考えておりますので、よろしくご批正お願い申し上げます。

2007. 9.29               by 禿羊





















 2007年の投稿詩 第178作は 真瑞庵 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-178

  故城安土懐古        

不見騎将出陣旌   騎将 出陣の旌を見ず

更無相国愛吟声   更に無し 相国愛吟の声

祇余風浪琵琶水   祇だ余す 風浪 琵琶の水

雲物不関英傑情   雲物は関せず 英傑の情に

          (下平声「八庚」の押韻)

<感想>

 安土城には私も二度ほど行きました。一度目は子どもが小さかった頃でしたが、まだ発掘もあまり進んでいなくて、城への道を登りながら「この辺りが秀吉の屋敷」と言われても、単なる山林にしか見えないような状態でした。二年ほど前に行った時には、調査も進んだのでしょうね、雰囲気が随分変わっていました。
 セビリアの万国博覧会では、安土城の天守閣の五階六階部分が実寸で復元され展示されたのですが、それを安土城が譲り受けて保存展示している「信長の館」という建物も出来ていました。見学をしましたが、きらびやかな黄金の装飾に圧倒されました。極彩色金箔の中で信長が暮らしていたかと思うと、信長という人物のすごさ(?)を感じます。
 そういえば、マイクロソフトが販売している百科事典「エンカルタ」で安土城を調べると、何とこの天守閣を3Dによるバーチャル見学ができます。これはなかなか優れもので、雰囲気がよく伝わります。(方向音痴な私は、何度も同じ廊下を歩いてしまいましたが・・・・)

 詩の前半は、「信長の出陣の姿を今では見ることができない、彼の謡いの声ももう聞こえない」、ということでしょうが、主の信長が本能寺で横死したこと、また、この城自体も短命であったという安土城の特殊事情が感じられません。他の城ならば、この二句も気にならないのでしょうが、安土城だということを考えると物足りなさが出て来ます。
 起句の「将」はこの場合には仄声ですね。

2007. 9.29                 by 桐山人



真瑞庵さんからお返事をいただきました。

 鈴木先生、いつも貴重なご感想、ご意見を頂き有難う御座います。
この度も適切なご指摘有難う御座います。そこで、起句「騎将」「軍団」と変更します。

 先生ご指摘のように、信長の安土在城は短かく(1572〜1582)、中国地方を平定し、さらに九州へと向けた覇業は京都本能寺の炎の中で灰燼に帰しました。確かに非業の死を遂げたのは出陣途上の京都です。
 中国出陣を控え、多数の家臣と共に盟友徳川家康を迎えての饗応の宴、そこで披露されたであろう敦盛の一節『人生五十年、下天の内に比ぶれば夢幻のごとくなり。一度生を得て、滅せぬ者あるべきか・・・・』と自身を鼓舞し、覚悟を新たにした処、それが安土城であり、そこは天下布武の発信地であり、天下統一の根拠地。
 こうした英傑の思いをよそに、自然は全てを呑み込み、有るべき姿をとどめている。

こんな事を念頭にに作りました。

 なお、起句は信長自身の出陣をイメージしたのではなく、各方面軍団長として出陣する信長麾下の武将たちのそれをイメージした心算ですが、推敲不足でした。

2007. 9.30              by 真瑞庵





















 2007年の投稿詩 第179作は 真瑞庵 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-179

  安土城跡雑詩        

六月湖東風翠然   六月の湖東 風翠然

故城草木吐青煙   故城の草木 青煙を吐く

吱吱游客汗巌磴   吱吱游客 巌磴に汗し

処処飛溜沾呑咽   処処飛溜 呑咽を沾す

布武声銷残壁下   布武の声は銷ゆ 残壁の下

撞鐘音氾墜垣前   撞鐘 音は氾がる 墜垣の前

盛者必衰人世理   盛者必衰 人世の理なれど

鬼魂猶漾夏雲辺   鬼魂 猶漾よう 夏雲の辺

          (下平声「一先」の押韻)

<感想>

 七言律詩のこちらの詩は、真瑞庵さんの思いが十分に伝わる詩ですね。

 「六月湖東風翠然」の詠い出しは、目の前にパアーと青々とした広がりが生まれ、瞬間に琵琶湖に来たような思いがします。

 尾聯の「鬼魂猶漾夏雲辺」も、「鬼」は漢文では「死者」を意味するだけですが、ここでは信長の無念の思いが「恐ろしい生き物」としての「鬼」を連想させるもので、背筋がふと寒くなるような結びになっていると思います。

 安土城については、頼三樹の次の詩が残されています。

    登安土城墟
  安土墟高雲裏攀   安土墟高くして 雲裏に攀づ
  覇蹤化作老禅関   覇蹤化して老禅関となる
  晩霞如火人回首   晩霞火の如く 人 首を回す
  一点青螺是叡山   一点の青螺 是れ叡山


2007. 9.29                 by 桐山人



井古綆さんから感想をいただきました。

 真瑞庵さん始めまして、玉作を拝見いたしました。
まことにすばらしい佳詩と存じます。

 鈴木先生の述べられている、まさにそのとおりで、わたくしも大変勉強になりました。

 題名の「雑詩」をなぜ「懐古」にされなかったのかが、不思議に思います。
題名を変えたならば、後世の批判に堪え得る立派な作品であると、拝見いたしました。

2007. 9.30                 by 井古綆





















 2007年の投稿詩 第180作は 海鵬 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-180

  最上川舟行        

雨後水渓成急流   雨後の水渓 急流を成し

両涯深邃過軽舟   両涯の深邃 軽舟を過ぎる

遥聞漁唱波頭裏   遥かに漁唱を聞く 波頭のうち

欲問芭蕉同旅愁   問わんと欲す 芭蕉の旅愁同じきやと。

          (下平声「十一尤」の押韻)

「深邃」=(遠く山や谷、家々のこと)

<解説>

 芭蕉が奥の細道で下ったと言う最上川の情景を七絶詩にしました。
 私の郷里なのに、未だ最上川舟下りはした事が有りません。しかし、情景のイメージは確かです。

<感想>

 芭蕉の最上川の句は有名な「五月雨をあつめて早し最上川」ですが、その句を十分に意識したのが起句ですね。
 承句からは芭蕉の句には無い場面の広がりを出し、さすがに地元の方の視点ですね。ただ、芭蕉が「五月雨」の語で示した季節感が見られないのがちょっと惜しいかなという気がします。承句の「深邃」に色を表す「翠」の字を用いると良かったかもしれませんね。
 結句の「芭蕉」は呼び捨てではなく、「蕉翁」としておきましょう。

2007. 9.29                 by 桐山人