2006年の投稿詩 第136作は宇治市にお住まいの 芳原 さん、七十代の男性の方からの作品です。
 

作品番号 2006-136

  憂心        

茅簷閑寂暮   茅簷 閑寂として暮れ

宿雨倍愁多   宿雨 ますます愁ひ多し

邀老終如此   老いを邀ふるはすでに此くの如く

不知幾歳過   幾歳の過ぎたるも知らず

          (下平声「五歌」の押韻)

<感想>

 お手紙によれば、「NHKテキストによる独学です」とのことでしたが、平仄・押韻での乱れも無く、内容としてもお気持ちのよく伝わる詩だと思います。

 後半に「憂心」が強く出されていますので、前半はできるだけ感情が表れるのは避けた方がバランスがよくなります。つまり、前半に実景(実)、後半に心情(虚)という展開です。
 その点から見てみますと、起句の「閑寂」、承句の「愁多」が鍵になります。
 「閑寂」「茅簷」の様子を描いたものとしてまだ処理できますが、「愁多」はややつらいでしょうね。「愁色が深い」ということで、作者自身の心情ではなく、宿雨の雰囲気として読むことはできますが、読者に苦労を強いるよりは別の表現を探した方がよいと思います。客観的に雨の様子や庭の様子などを描くのはどうでしょうか。

 転句の「如此」の指示する内容は承句の「愁多」かもしれませんが、表現としては、結句にその内容を持ってきた方が自然です。
 「不知」が孤平になっていますし、この二字のところに、芳原さんのお考えになる「老い」の現状を描かれるかして、「幾歳」をどのように過ごしているのかと語るようにすると、憂心の具体的なものがわかるようになるでしょう。

2006. 8.20                 by 桐山人



芳原さんから、推敲案をいただきました。

鈴木先生にはご多忙の中早々に習作『憂心』につき添削とご指導を賜り、厚く感謝とお礼申し上げます。
年来待ち望んでいた勉学の機会をこんなに早くお与え下さって今後ますます勉強に弾みがつきそうです。
本当に有り難うございました。

ご教示に随いまして承句、結句を下記のように表現し直しました

  宿雨散残花
  春秋午夢過

今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます 2006. 8.24             by 芳原





















 2006年の投稿詩 第137作は台湾の 蝶依 さんからの作品です。
 二首合わせてご覧ください。

作品番号 2006-137

  連日豪雨有感 其一       

連日蕭蕭雨未休,   

誰憐不得探春遊。   

無端寂寞三杯酒,   

千里淒涼四月秋。   

枕上聞歌縈好夢,   

閨中掠影鎖清愁。   

此時排悶難成句,   

明滅街燈上小樓。   

          (下平声「十一尤」の押韻)

<感想>

 今年は、夏前に雨が続き、日本だけでなく、アジアの各地が豪雨・水害に襲われました。
 この詩は、その激しい雨に降り込められた詩人の思いを詠ったものですね。

 頷聯の「無端」は日本語でも訓読みして「はしなくも」と言いますが、「思いもよらず、思いがけず」という意味です。「外に出ることもできず、気が付くと盃を重ねているが、遥か遠くまで一面雨にうたれて何も見えない」という情景でしょう。
 頸聯は、一転して部屋の中に場面を移し、寝付かれない思いを語ったもので、「縈」は「めぐる」という意味です。実際に歌が聞こえたということではなく、床に就いた作者の頭の中にあれこれと色々なことが思い浮かぶということでしょう。

 連日の豪雨による沈鬱とした情景と作者の心情がよく窺われる詩だと思いました。

2006. 8.20                 by 桐山人























 2006年の投稿詩 第138作は台湾の 蝶依 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-138

  連日豪雨有感 其二        

一雨催詩不肯晴,   

新詞賦寫夜三更。   

燈前拈韻多奇事,   

筆底牢騒亦至情。   

自昔相遊開眼豁,   

何人堪寄笑身輕。   

娥眉也有淩雲志,   

墨浪文瀾不釣名。   

          (下平声「八庚」の押韻)

<感想>

 こちらの詩も、前作と同じ状況で作られたもの。どちらの詩にも共通するのは、景に触発された作者の思いが明確に出ていることですね。

 首聯は、雨の夜、詩を作っていたら夜もすっかり更けてしまったということですが、この二句で作者の今の状況が明瞭になります。頷聯以降はもう作者の心の中に入っていきますので、簡潔にまとめられています。
 「更」は、「さらに」の時は仄声ですが、「あらためる、夜がふける」の時は平声に用います。

 頷聯は、「拈韻」「詩句をひねる」こと、「あれこれと句を練っているとアッと思うことも多いし、書いた詩を読めば不満も多い(「牢騒」)けれど、それもまた自分の心だ」と、詩を書くことの楽しさを述べたところ。

 頸聯は色々な解釈ができそうですね。「開眼がひろのか、「眼豁を開く」のか、下句も「笑身が軽い」のか、「身の軽いことを笑う」のか。
 どちらにしても、下句がよく分からないのですが、私は「昔から現実生活から離れて(「相遊」)見聞を広げたものだが、実際に自分の身(「笑身」を強引に解釈しました)を軽くする(世俗を捨てる)ことができたのはどれくらい居るだろうか」と解しました。

 尾聯の「娥眉」「女性」を、「淩雲志」「世俗を凌駕する心」、下句の「墨浪文瀾」は互文でしょうから、「墨文 浪瀾」と理解し、「詩心はとめどなく、虚名を求め(釣名)たりなどしない」という心意気を示されたのでしょう。

2006. 8.20                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第139作は西宮市の 酔翁 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-139

  夏        

蒼天碧水遠山清   蒼天 碧水 遠山清し

臥靠涼窓疾雷驚   涼窓に臥靠すれば 疾雷驚す

閃閃奔霆兼霹靂   閃閃として 奔霆 霹靂を兼ね

潺潺驟雨激水声   潺潺として 驟雨 水声を激しうす

雲消霈散心思霽   雲は消え霈散し 心思は霽れ

炎夏驕陽惹酒情   炎夏の驕陽 酒情を惹く

酔眼歓談風趣足   酔眼 歓談 風趣足り

悠悠淡淡自生生   悠悠 淡淡 自ずから生生たり

          (下平声「八庚」の押韻)

<解説>

 蒼天碧水遠山清し、 涼窓に凭れて突然の雷に驚く。
 閃々と稲妻に霹靂、 潺々と驟雨激水の音。
 雲消え雨上がり思い晴れる、炎夏の太陽に酒情が惹く。
 酔眼で歓談せば風趣も増し、悠々淡々自ずと生々す。

 思いついて感じたことを読んでみましたが、表現力が足らないので自信がありません。
 批判を乞うつもりで投稿してみました。

<感想>

 全体の印象としては、夏の午後、雷雨、その後の晴れた情景と心が描かれ、時間の流れも明確で、作者である酔翁さんのお姿がよく見える詩ですね。

 特に第一句は、簡潔な表現で広い視界を描き、一気に夏の景色の中に読者を誘います。
第二句の「雷」は平声で用います。仄声も辞書によっては載っていますが、意味が異なります。こうは、難しい言葉ですね。「寄りかかる、もたれる」という意味です。

 頸聯も対句にしたかったところですね。ここも、「思」の字は、名詞用法では仄声ですので、ここは直す必要があります。

 最後の句は、畳語で構成したものですので、「面白い!」と思う人もいれば「狙いすぎ!」と思う人もいるでしょうし、意見は分かれるところかもしれません。私は「面白い」派ですが。

 書き下しは私の方で解説を参考につけましたので、不具合があればご指摘ください。

2006. 8.20                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第140作は 仲泉 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-140

  遊湖        

行雲緑影映江湖   行雲緑影 江湖に映ず

漕艇波紋心計粗   漕艇波紋 心計粗なり

少婦破顔情不浅   少婦破顔 情浅からず

相思一路我忘吾   相思一路 我吾を忘る

          (上平声「七虞」の押韻)

<解説>

   空の雲、木々の緑が湖面に映っている
   ボートの波紋のように自分の心は揺れている
   彼女の笑顔に好意を感じる
   互いに一途に忘我の境地だ


<感想>

 何となくどきどきとする感覚が伝わってくるようで、ストレートな表現に青春を感じさせる詩ですね。

 承句の「心計粗」は、「自分の心は揺れている」と書かれていますが、「粗」の字から「揺れている」と捉えるのは、やや苦しいのではないでしょうか。せっかく「波紋」を出しましたので、比喩を明確にした方が伝わるかもしれません。

 後半は、転句の「情不浅」と結句の「相思」が重なりますので、ここは「忘我」を生かすためにも、もう一度、ボートでの情景を客観的に描くと面白いのではないでしょうか。

 仲泉さんからは、投稿の最後に(「若き日の追憶」)と書かれていましたが、追憶とは思えないような臨場感がありますよ。

2006. 8.21                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第141作は サラリーマン金太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-141

  壽秋篠宮紀子妃殿下御慶事     秋篠宮紀子妃殿下の御慶事を寿す   

玉坐継承騒乱呈   玉座の継承 騒乱呈し

皇居典籍政人爭   皇居典籍 政人争ふ

懐胎朗報驅邦土   懐胎の朗報 邦土を駆け

待望男兒溌剌生   待望す男兒 溌剌として生まるるを

          (下平声「八庚」の押韻)

<解説>

 これまで2000年の長きにわたる我が国の皇室は、初代神武天皇以来男系男子で、一度の例外もなく継承されてきた世界に類のない王家である。しかし弟宮以来40年、皇室に男子のご誕生がない。そこで政府は平成十八年通常国会に女性・女系天皇容認、長子優先相続を柱とする「皇室典範の改正」を目論んだ。
 政治家はもとより、この問題の重大性を広く国民に呼びかけるため、三笠宮寛仁親王殿下もあえて女系に道を開く改正に再三警鐘を鳴らされるなど、朝野を挙げて賛否が渦巻いた。そんな渦中にあっても強気の小泉首相は『皇室の構造改革』と称してか、かってGHQでさえ手をつけられなかった皇位継承の大原則を、短期間の私的諮問機関による審議・答申のまま改正せんとする姿勢を崩さなかった。
 しかし天佑かな!秋篠宮紀子さまご懐妊の朗報が宮内庁より発せられ、さすがの総理も提出を断念、議論もひとまず収束されつつある。
 この上は今秋、国民等しく待望する若君のご誕生を祈念して止まない。

<感想>

 この詩は、サラリーマン金太郎さんから三月にいただいたものでしたが、つい時期を失して、掲載が遅れていました。金太郎さんから、「九月にはご誕生という話だが、掲載はまだですか」とご質問があり、大急ぎで掲載しました。申し訳なく思っています。
 先日掲載しました「和気清麻呂」と並べて掲載すれば良かったですね。

 新聞報道や週刊誌でも、ご出産の記事が多くなってきました。簡潔な表現の詩ですが、お気持ちがよく出ている詩ですね。

2006. 8.21                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第142作は 兼山 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-142

  吟友八姓歌        

西東南北柳原洋   西東 南北 柳原 洋し

秋穂澤多鶏尾長   秋穂 澤多く 鶏尾 長し

行徳不孤人必集   行徳 孤ならず 人 必ず集る

琢磨何日得英光   琢磨して 何の日にか 英光を得ん

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

 題意:「飲中八仙歌」に擬して吟友八人の姓(名)を詠み込んだ戯詩。

 大意:(その昔)この辺りは見渡す限り広々とした柳の原であった。
   秋には稲穂が稔り、恵み多い水田が多く、珍しい尾長鶏もいた。
   (新町内会)徳行は決して孤独ではない。必ず隣人が集まる。
   琢磨して努力すれば、何時の日にか報われる。

 補注:徳不孤、必有隣(論語)、切磋琢磨(詩経)、行徳(徳を行なう)。
 八人の姓(名)は、齋藤、柳原、秋穂、澤(多喜子)、永尾、行徳、井上(一磨)、金光(英雄)の諸氏。行徳氏は(偶々)新町内会長。

 蛇足:新しい街づくりの一環として「詩吟を楽しむ会」を始めました。先ず手始めに町内会の讃歌「西油山ハイツ讃歌」を創りました。
    遙看波平玄界洋 悠然眼下早良庄
    以和爲貴隣人集 野芥山城是我郷

 我が「野芥山城(西油山ハイツ)」は、遥に玄界灘を望み、眼下には嘗て(弥生時代に)王国の在った早良平野が広がっています。

<感想>

 戯詩ということですが、それぞれのお名前を詠み込むのは大変だったかと思います。個人のお名前も出ていますので掲載をどうしようかと少し悩みましたが、次の「賀澤秋穗両媼傘寿」との関わりもありましたので、許可を得られたものとして掲載しました。

 名前を入れつつ句意も通じるようにという工夫がよく表れているのですが、承句はやや無理がありますね。また、前半と後半のつながりがありませんから、一編の詩として読むには苦しいでしょう。

 しかし、街作りの一環として「詩吟を楽しむ会」を始めたというのは素晴らしいですね。その発足のお祝いの詩ということで見れば、楽しい詩ですね。

2006. 8.21                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第143作は 兼山 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-143

  賀澤秋穗両媼傘寿     澤(さわ)秋穗(あきほ)両媼の傘寿を賀す   

澤田秋穗菊花時   澤田(たくでん)秋穗(しうすい)菊花の時

双媼紅粧浅画眉   双媼 紅粧 浅く眉を画く

八十吟心身共健   八十の吟心 身共に健なり

南山白雪復奚疑   南山の白雪 復た奚ぞ疑はん

          (上平声「四支」の押韻)

<解説>

 「詩吟を楽しむ会」の最年長者二名の傘寿を一緒に祝う為に作詩しました。
 戯詩「吟友八姓歌」参照。

 八十歳にして尚も詩吟を楽しむ気持ちを持って居られる、心身ともに健やかな御両人の長寿を寿ぐ祝詩です。
 南山白雪には「白寿」の意味も兼ねさせています。

<感想>

 八十歳という年齢の方に対するイメージも、以前とは随分異なってきました。医学の進歩だとか言われますが、私は、年輩の方々の健康面に対する積極的な姿勢が大きいと思います。
 身体を動かし、食事の量や内容にも気を配り、規則正しい生活を保っていらっしゃる方が多いこと、また、気持ちの面でも色々なことに意欲的な方が多く、心身共に健やかという、兼山さんの仰る通りだと思います。
 元気だから詩吟を楽しむのではなく、詩吟を楽しんでいるから元気だ、とも言えるでしょうね。
 私がお二人にお会いする機会はないでしょうが、どうか末永く健やかにお過ごしくださることを願っています。

 尚、題名に用いられた「傘寿」は日本だけの言葉です。詩中に用いるならば、「中寿」となるでしょう。解説に書かれた「白寿」も日本語用法です。

2006. 8.21                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第144作は 観水 さんからの作品です。
 「雨中偶作」ということで、三首いただきました。

作品番号 2006-144

  雨中偶作 一       

偶得家書半醉歸   偶たま 家書を得て 酔を半ばにして帰れば

蕭條細雨濕吟衣   蕭条たる 細雨 吟衣を湿す

高歌欲掃傷神氣   高歌して 掃わんと欲す 傷神の気

孤鳥數聲相和飛   孤鳥 数声 相和して飛ぶ

          (上平声「五微」の押韻)

<解説>

 妻からメールがあったので 飲み足りないけど帰らなきゃ
 ひどくさびしい霧雨に 詩人の上着も濡れそぼる
 歌でもうたって元気よく 沈む気持ちをはらいたい
 空行く鳥も二三声 歌にあわせて鳴いて飛ぶ


<感想>

 観水さんもお久しぶりですね。お元気なようで、うれしく思います。
作者からの三首まとめての解説は「雨中偶作 三」に載せましたので、私の感想はそれぞれの詩について書かせていただきましょう。

 起句は「家書」を古典的な「家族からの手紙」と読んでいると、「どうして帰るのかな?その場で読めば良いのに・・・・」と疑問が湧きますが、「メール」だと現代風に読むと、一気に諧謔味が出てきますね。
 私はついつい、「わかる、わかる」と納得してしまいました。
 ただ、奥さんからの「帰ってこいメール」に対して、転句の「傷神気」はなかなか素直過ぎる表現で、私などはとても言えません。もっとも、そう言いつつも「高歌」ではらおうとするくらいのものですので、ここもわざと過激に言ってみたということかもしれませんね。

 結句の「孤鳥」「相和」というのも、どことなく面白みがあり、ブツブツ言いながら帰る自分をどこかで客観的に見ている自分が感じられ、面白い詩です。

2006. 8.22                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第145作も 観水 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-145

  雨中偶作 二        

狂雷殷殷裂天奔   狂雷 殷殷として 天を裂いて奔れば

沛雨傾河百浪翻   沛雨 河を傾けて 百浪翻る

一任桑田變蒼海   一任(さもあらばあれ) 桑田の 蒼海に変ずるは

便浮釣艇問桃源   便ち 釣艇を浮べて 桃源を問はん

          (上平声「十三元」の押韻)

<解説>

 かみなりバリバリ空を裂き ひっくり返る天の川
 あふれた水は雨となり 怒濤のごとく地にそそぐ
 さもあらばあれ桑原の 大海原に変わるとも
 そしたら船でも浮かばせて 桃源郷を訪ねたい


<感想>

 「殷」は、国名や「さかん」の意味の時は平声ですが、この詩のように「雷の響く音」の時は仄声になります。

 転句の「桑田変蒼海」は、劉廷芝の「代悲白頭翁詩」からの言葉ですが、時の変遷を嘆くという原詩のイメージを捨てて、単純に眼前の洪水を眺めての感想と持っていったところが、割り切りの感じがすっきりして、結句の「桃源」の表現の突拍子の無さとよく呼応しているのではないでしょうか。

2006. 8.22                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第146作は 観水 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-146

  雨中偶作 三        

霏霏細細亦瀟瀟   霏霏 細細 亦た瀟瀟

孤客吟邊雨寂寥   孤客 吟辺 雨寂寥

豈問酒家何處在   豈に問わんや 酒家の 何処に在るかを

倚門飛燕絳唇嬌   門に倚る 飛燕 絳唇嬌なり

          (下平声「二蕭」の押韻)

<解説>

 はらはらしとしとざあざあと 雨はふるふる絶え間なく
 ひとり佇み詩を賦せば 寂しさばかりいやつのる
 けれども飲み屋の在処など どうして訊くことあるだろう
 紅いくちびるほころばせ かわいい妻が待っている

※大意を七五調で記述してみました(しょうもない韻文ですけど)。

 詩語を選っているうちに、はじめに考えていた方向から逸れてしまうのも作詩の面白いところですね(技量がなくて思うとおりに作れないだけかも……)。

 もともと第一首と第三首は、蛙の声を詩に詠むつもりでした。第一首であれば、「鳴蛙相和稀」のように締めくくって、第三首であれば、「跳」の字を韻字に用いて、蛙の跳ねる楽しげな様子を描いて――などと構想していたのですが、あれこれ推敲しているうちに、そもそも蛙すら出てこなくなってしまいました。

 なお、第二首の承句の「傾河」は、大雨を示すものとして詩語表から拾い出したものですが、この場合の「河」が「天河」を示すものなのかどうか、特に用例を確認できたわけではありません。
 ただ、雨の降りようが「河を傾ける」というからには、その「河」は天の上にないことにはつじつまが合わないわけで、そのように解釈した次第です(もっとも、「大雨の結果」として「河を傾ける」ということもあるかもしれませんね)。

<感想>

 こちらの詩は、転句に杜牧の「清明」を持ってきましたね。
 起句の畳語の組み合わせで重くじっとりとした雰囲気が表れて、そのまま詩全体に進むのかと思ったら、転句からはムードが変わりますね。

 結句の「絳唇」は奥さんのことなのですか、ツバメは喉が赤いのでしたね。ここを奥さんにするのが、三首全体に共通する明るさ、楽しさでしょうか。
 鬱陶しい雨も、奥さんの赤い唇を思い出すきっかけになるのなら、それはそれはうらやましいことです。

2006. 8.22                 by 桐山人



真瑞庵さんから感想をいただきました。

   三作、共に軽妙洒脱。思わず笑いを誘われました。

2006. 8.23                 by 真瑞庵





















 2006年の投稿詩 第147作は 嗣朗 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-147

  甲子園        

熱闘炎天甲子園   熱闘 炎天 甲子園

東西攻防ニ悲呑   東西の攻防 ニ悲を呑みこみ

夢傷終戦魔神笑   夢傷れ終戦 魔神笑む

不諦氛氳双涙痕   諦めず氛氳 双涙の痕

          (上平声「十三元」の押韻)

<解説>

  東西:東の帝京と西の智弁高校
  氛氳:気の盛んなさま(全身全霊を傾け一球に集中する)

 誰が予想し得たか9回の攻防、甲子園の魔物(魔神)の悪戯か勝ち負けの流れ、あの点差がひっくり返るとは? 信じられない!

<感想>

 嗣朗さんは、解説を拝見しますと、「帝京×智弁」の一戦をご覧になってのもののようですが、その試合に限定する必要はなく、今年の甲子園大会は決勝戦の再試合も含めて、面白い試合が多く、高校野球の面白さを改めて感じた方も多かったのではないでしょうか。

 転句の「魔神笑」は、戦が終わった後に来てますが、魔物が笑うのは戦っている最中ではないでしょうか。負けた後に魔神の笑いが聞こえてきたというのは、何となくシュールな感じで、寒々としたものを感じますね。

 早稲田実業のピッチャーが人気になっているそうですが、勝者も敗者も、この夏に流した汗と涙を忘れることはないでしょうね。

2006. 8.23                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第148作は 井古綆 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-148

  WBC        

無稽誤審幾酸辛   無稽の誤審は幾酸辛

今決雌雄日玖均   今雌雄を決す日玖は均し

可見吾軍投走打   見るべし吾軍の投走打

長伝必勝大精神   長えに伝う必勝の大精神

          (上平声「十一真」の押韻)

<解説>

 キュウバは広辞苑では玖馬とありますが、宜しいでしょうか。

<感想>

 嗣朗さんの「甲子園」を掲載した勢いで、野球つながりと言うことで、以前にいただいていたお二人の詩を紹介しましょう。(^_^;)
 3月にお作りになっていた詩ですが、インターネットの送信の関係で届かず、6月に改めて送っていただいたものです。

 優勝して、いつものように控えめながらも嬉しそうにしておられた王監督が手術入院ということもありましたが、今振り返っても、ドラマチックな優勝でしたね。
 結句は、詩の結びとしてはバタバタとした感じで落ち着きが無いように思いますが、じっくりと優勝を噛みしめるというよりも、みんなでバンザイという雰囲気を出されたのでしょう。

 キューバについては、現代中国語では「古巴」と書きますが、これでは承句が「日古均」で何が何やら分からないですね。ただ、どちらにしても注は必要でしょう。

2006. 8.23                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第149作は サラリーマン金太郎 さんからのWBCについての作品です。
 

作品番号 2006-149

  題野球世界一決定戦日韓準決勝        

二度傷心知為誰   二度の傷心 知んぬ誰が為なるや

更挑決戦得佳期   更に決戦を挑む佳期を得たり

能投能打守還好   能く投げ能く打ち守りも還(また)好し

我國名聲万國馳   我国の名声 万国に馳す

          (上平声「四支」の押韻)

<解説>

 サッカーWC2006ドイツ大会が予選敗退でしたので、これを詩題とせず、WBCの栄冠詩を更に一題。おつきあいください。

<感想>

 サラリーマン金太郎さんからのこの詩は7月にいただきました。

 転句の「還」は、本来ならば「亦」を使うところでしょうが、平仄の関係で代用ですね。
 同じWBCに関した詩で、前回いただいた「称初代世界野球選手権優勝」と読み比べていただくと面白いでしょうね。

2006. 8.23                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第150作は 庵仙 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-150

  散策仙巌園     仙巌園を散策す   

磯庭園内尽新鮮   磯庭園内 尽く新鮮たり、

借景錦江桜島煙   借景す 錦江と桜島の煙を。

空翆碧湾雄大邸   空翆 碧湾 雄大なる邸(やしき)

風流光久遺高賢   風流 光久 高賢を遺す。

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 先日、鹿児島県を旅行してきました。十数題の漢詩の一つです。仙巌園(別名:磯庭園)を見てきました。錦江湾と桜島を借景にしたすばらしい庭園でした。
 質問ですが、絶句の中に「仙巌園」と「煙」をどうしても使いたかったのですが、「仙」と「煙」が先韻で重なってしまいます。そこで仙巌園を磯庭園としました。固有名詞「仙巌園」は3字とも平韻です。「固有名詞は下3字に使用したり、先韻の重なりをしたりの例外扱いをしてよい」などのきまりはないものでしょうか。

<感想>

 まずご質問の固有名詞を用いた時の平仄の乱れや冒韻についてですが、これは許されます。もちろん、避けられれば避けるに越したことはありません。
 他の言葉で代用できるのなら、そちらの方向を選ぶべきですが、固有名詞の持つ具体的なイメージ力は大きなものです。詩人が音の美しさよりも内容をどうしても選びたいというのならば、敢えて固有名詞を使うというのならば咎められはしません。
 ただ、だからといって固有名詞をどんどん使えばよいか、というとそれは別です。あくまでも詩であるからには音韻の美しさは求めるべきですし、冒韻になるからと言葉を変えることをしなくてはいけない時もあります。
 庵仙さんの今回の詩の場合、他にも承句に「錦江」「桜島」と固有名詞を用いています。これは一句の中に畳みかけるような勢いを持たせていて、非常に良い句だと思います。そこに更に起句で地名を入れた場合の効果を考えなくてはいけません。
 「仙巌」という字を使いたいとしても、起句の中で他の言葉と働き合わなければ、それは好みの押しつけになります。対して「磯庭園」は固有名詞でありつつ普通名詞としても意味が通じて、限定されない分だけイメージが広がっているとも言えるでしょう。
 私は、今回の詩に関しては、お示しになった「磯庭園」の方が随分工夫された良い詩句に感じますが、いかがでしょうか。

 結句の「光久」は、どういう意味でしょうか。

2006. 8.23                 by 桐山人