「漢詩はこんなにポストモダン」・・ 逸爾散士 さん(12/16)

 「ポストモダン」という言葉を正確にはわかっていないくせに軽薄な「見出し」をつけました。漢詩の創作や鑑賞が、近代的な文学観とかなりな違いがあるのではないか、というのがこれから述べる議論の趣意です。

 ここで「近代的文学観」というのは、以下のようなことです。

 作者がある意図をもって、ある作品を完成させ、そのテキストは作者の意図で確定されるもので、他人の改変は許されない。読者がその作者の意図を理解するのが鑑賞の基本で、評論、感想は自由だが恣意的な「読み」は排除される。
 こうした考え方に普遍性はある程度あると思います。読者の読みかたで何をどう読んでもいいし、テキストは厳密にクリティークしなくてもいい、などと言ったらアナーキーに過ぎる。今までの文化的営為の否定でもある。
 ただ、漢詩を日本人が鑑賞するとき、訓読はただ一つに決まらないで、こうも読めるという自由度があると思います。
 銭起「帰雁」の承句「水碧沙明両岸苔」「…両岸、苔むす」と読むべきと国分青崖が言ったといいます。
 銭起自身は日本語でどう読まれるかはあずかり知らぬところでしょうが、もともと外国の詩の訳なのだから人によって違うのは当然、で済ましていられるものか。
 漢詩は日本語の文語自由詩として作られてきたと松浦友久氏は岩波新書『漢詩』の中で指摘しています。漢文読み下し文は確かに「日本語の詩」なんだけど、その読みが「苔むす」でも「苔」でも人によって違うよ、という文芸テキストはあまりないのではないか。

 ただ、それも近代的な「著作」の観念が確立してからのことでしょうか。芭蕉があちこちで書いた俳句の短冊にはいろいろ異同がある。伝承しているうちに転写ミスで異同が生じて、それをテキストクリティークして原初の形を復元するのと、もともと作者がいろんな形で書いているのと、だいぶ違いそうです。芭蕉庵桃青は、オリジナルな唯一の形で俳句を残さなければならないと、そもそも思っていたのか。

 だから文芸作品に確定したテキストがあるとは限らないわけだけど、漢詩の場合、中国古典詩を読み下して日本語の詩として読んでいる、また同様なものとして作っている点で、作品と読者の読みとの関係のなかで、そのつど詩が生まれている。根源的にいえば全ての文芸はそういうものなのかもしれないけど、日本人が漢詩を作り、読むときは構造的にテキストの読みかたには自由度が大きく、作者がテキストに対し占有的に確定する「権利」をもっていない。作者、作品、読者が静的に独立して存在するのではなく、もっと相補的だと思えます。
 真瑞庵さんがひかれた「詩は人の目に触れるまでは自分の詩。触れた以後は其の詩を読んだ人の詩」という言葉も、詩歌の鑑賞は人さまざまという一般的な意味以上に、漢詩の本質をついていると思えます。

 そこで出てくるのが、訓読みをつけて「作品」なのか、漢詩の白文が「作品」なのかということです。それをどちらかに決めろという問題ではなく、また作者が決めるべきものではないという方向で今まで述べてきたのですが、このHPでも詩は作者の訓読みを含めて鑑賞されている。
 自作を例にとります。
 昨年末に投稿した「宴半起席…」という詩の結句「人老酒楼歓楽間」を、「人は老ゆらん…」と私は訓読みを提示しているのですが、作る時は「人老」と文字を操作しているけど、何の「音」も考えていない。最初から、「老いる」とも「老ゆらん」とも考えないで、漢字を28字並べて、レ点をつけ送り仮名をつける時になって、「ここは推量形に読むほうが普通かな」と、古人の読み下し文も送り仮名もつかない漢詩を読む時のように目の前の漢字の列を読みながら、訓読みをして「本文」につけている。
 それを投稿するのだけど、「人は老ゆ、でもいいや」とも思っている。誰かが「人は老ゆ、酒楼、歓楽の間」と助詞なしで読んだとすると、「うん、そのほうがいいかも」と思うでしょう。
 それぐらいに、私は日本語の読みとしてのテキストに対し、「どっちもあり得るね」と横着に構えていて、それが漢詩だと思っています。
 俳句でも短歌でも自由詩でも、日本語でこれほどテキストの自由度を認めている詩歌の形式はないのではないか。
 音読される形では、作者がいてテキストを確定し、読者は作者の意図する形を読み取らなければならないという観念はあまりない。

 「常懐綺語驚人志 未解温柔敦厚詩」、という作が私にはあるけど、「常に綺語人を驚かす志あれども、未だ温柔敦厚詩を解せず」と読むのか、「常に懐く」で一遍切るのか、日本語の訓読として、どちらがオリジナルなのか、自分で決めていない。
 私は漢詩、漢文を漢字を訓読みして文化的に咀嚼してきた日本文化の端に自分が連なっている証明と思っている。だから訓読の自由度は漢詩の魅力の大きな部分です。

 そこで冒頭の議論に戻れば、絶対的な作者の意図とか確定されたテキストといったものを相対化するのは、なかなか脱近代ではないか。
 漢詩は昔の人が作っていて、今は廃ったから古い文芸形式とおもわれがちだけど、近代的な文学観を相対化すれば、かなり斬新でユニークな日本語の文芸だと思うのです。






















「何処難忘酒」・・田中 聴石さん(12/18)

 この詩の原形は白楽天「勧酒」と題する十四首の詩です。詩は二つの題で作ってあるが、その中の「何処難忘酒」を借りて習作してみました。
 「それにつけても金の欲しさよ」はどんな前句にもつく後句として有名(?)ですが、「それにつけても酒の旨さよ」ならぬ、「何處難忘酒」は如何でしょう。
 律詩の練習課題として恰好かと思います。題は何でも可で、チャンスを見つけて杯を挙げるは、われら高陽の酒徒の末流の習い,前聯と後聯の詩形が同じにならぬようご用心あるべし。

 八年ほど前に二十首ほど作りましたが、いくつか紹介します。

   秋日郊行   

何處難忘酒   何レノ処カ酒ヲ忘レ難キ

西郊萬頃秋   西郊 万頃ノ秋。

野宏黄菊亂   野宏ク 黄菊乱レ

山遠白雲流   山遠ク 白雲流ル。

翻袖荐追蛬   袖ヲ翻エシテシキリニ蛬ヲ追イ

寛襟暫憩丘   襟ヲ寛ゲテ 暫シ丘ニ憩ウ。

此時無一盞   此ノ時 一盞無クンバ

爭奈眺悠悠   眺メ悠悠タルヲ 争奈イカンセン。

万頃=キワメテ広イコト   蛬=キリギリス、コオロギ



   中秋對月   

何處難忘酒   何レノ処カ酒ヲ忘レ難キ

中秋夜色深   中秋 夜色深シ。

回頭惆悵念   回頭 惆悵ノ念

對月寂寥心   対月 寂寥ノ心。

傲骨聊違俗   傲骨 聊カ俗ト違イ

浮生獨歎今   浮生 独リ今ヲ歎ズ。

此時無一盞   此ノ時 一盞無クンバ

何以慰憂襟   何ヲ以テカ 憂襟ヲ慰メン。

惆悵=ウレエ悲シムサマ      寂寥=サビシク静カナサマ     傲骨=人ニ屈シナイ気質



   晩 秋   

何處難忘酒   何レノ処カ酒ヲ忘レ難キ

又聞過雁聲   又聞ク 過雁ノ声。

荒蹊黄葉散   荒蹊 黄葉散ジ

破壁暗蛩鳴   破壁 暗蛩鳴ク。

荏苒空輸歳   荏苒ジンゼン 空シク歳ヲオク

瞢騰徒竊生   瞢騰ボウトウ 徒ラニ生ヲヌスム。

此時無一盞   此ノ時 一盞無クンバ

爭奈不堪情   情ニ堪エザルヲ争奈イカンセン。

暗蛩=暗イトコロノコオロギ    荏苒=歳月ガ長ビク、時ガユルク進ム   瞢騰=頭ガボンヤリスル



   思 君   

何處難忘酒   何レノ処カ酒ヲ忘レ難キ

麗容心歯エ   麗容ニ心氏@紛タリ。

躊躇憧翠黛   躊躇 翠黛ニ憧ガレ

懊惱夢紅裙   懊惱 紅裙ヲ夢ム。

凝趣不扛睫   趣ヲ凝ラセド 睫ヲゲズ

消魂未送文   魂ヲ消シテ 未ダ文モ送ラズ。

此時無一盞   此ノ時 一盞無クンバ

爭奈竊思君   ヒソカニ君ヲ思ウヲ争奈イカンセン。

麗容=美シイ姿   紛=ミダレル   翠黛=美人ノタトエ   懊惱=悩ミモダエル   紅裙=美シイ姿



   懷 舊   

何處難忘酒   何レノ処カ酒ヲ忘レ難キ

老來懷舊多   老来 旧ヲ懐ウコト 多シ。

薄氷過歳月   薄氷 歳月ヲ過シ

徒手度山河   徒手 山河ヲ度ル。

獨勞鏡中影   独リイタワル 鏡中ノ影

靜吟胸奧歌   静カニ吟ズ 胸奥ノ歌。

此時無一盞   此ノ時 一盞無クンバ

爭奈熱情波   熱情ノ波ヲ争奈イカンセン。



ご参考:

「予は洛陽の分局に勤務し、自宅に居て暇な日が多い。閑になると飲み、酔うた後は吟詠する。若し歌詞が無ければ謡へないので、一つの想が湧くごとに一篇を作った。
 合計十四篇、皆酒を主題とし、聊か以て自ら酒を勧める次第である。故に「何の処か酒を忘れ難き」「来りて酒を飲むに如かず」の二題を以て篇に名づける。」(青木正児訳 『中華飲酒詩選』より)


   勧 酒   白楽天

何處難忘酒   何レノ処カ酒ヲ忘レ難キ

長安嘉氣新   長安 嘉気 新タナリ。

初登高第客   初メテ高第ニ登ルノ客

乍作好官人   タチマチ好官人トル。

省壁明張牓   省壁 明ラカニ ボウヲ張リ

朝衣穩稱身   朝衣 穏ヤカニ 身ニ称(カナ)フ。

此時無一盞   此ノ時 一盞無クンバ

爭奈帝城春   帝城ノ春ヲ 争奈イカンセン。



 皆さんも、年末の一時、一ひねりしてみてはいかがですか。幾つか集まったら、「何處難忘酒」コーナーでも作りましょうか。(桐山人)






















「漢詩創作授業の実践」・・同志社女子高校・水谷先生(1/13)

 平成十五年度の授業実践で、同志社女子高校の水谷先生が「授業で漢詩を創る」という実践をされました。
 以前からお手紙のやりとりはさせていただいていましたが、今回の実践に関係するお手紙を紹介し、生徒さん達の作品も載せます。

 平仄を合わせるという所まで取り組まれたそうですが、大変難しいことに挑戦された先生と生徒の皆さんには貴重な体験になったのではないでしょうか。
 この頁をご覧になった皆さんも、詩を読まれての感想などを是非お寄せ下さい。
      送信は  をクリック

******** 水谷先生からのお手紙(2003.7.1) ********

 鈴木淳次様

 秋には、漢詩の授業で、作詩をさせてみようか、と考えています。
いい作品ができあがれば、お送りさせていただいてもよろしいでしょうか?
生徒たちも励みになると思いますし、
私も、それに向けて勉強せねば、と思ってしまいます。


******** 桐山堂からの返事(2003.7.1) ********

 今晩は
 漢詩を作る授業をお考えとのこと、良いですね。結果を楽しみにしています。
生徒さんの作品は、もちろん、喜んで掲載します。

 私が授業で詩の創作を行った折の記録を大修館の『漢文教室185号』に書きました。数年前ですので無いと思いますが、私のホームページの「目次」「お知らせ」をクリックしていただくと、随分前の記事ですが、読むことができます。
 使った資料はメールで送ることもできますので、ご希望でしたらお知らせ下さい。

 高校生の場合には、平仄は難しいので、私は押韻だけ合わせるようにしました。


******** 水谷先生からのお手紙(2003.11.6) ********

 鈴木先生
いつもありがとうございます。

 先日、お教えいただきました大修館の『漢文教室』拝読いたしました。
 現在、詩作を授業で行っております。
 先生の実践を受けて、平仄は無視しようかとも思いましたが、これこそ挑戦してみては、との考えから平仄も守らせて、作らせています。
 できあがったら、生徒自身で品評会をさせて、その後、投稿させていただきたく思いますので、よろしくお願いいたします。


******** 水谷先生からのお手紙(2003.11.13) ********

 漢詩創作の授業は、生徒たちが四苦八苦しながら、しかし、パズルをとくような楽しさも同時に味わっているようで、盛り上がっています。
 漢和辞典をつかう者、鈴木先生のホームページにアクセスする者、図書館は大繁盛です。

 是非とも、結果は報告させていただきます。


******** 水谷先生からのお手紙(2003.12.21) ********

 鈴木先生
こんにちは

 先日、お話いたしましたように、生徒たちに漢詩を作らせる授業を行いました。
生徒たちは、やはり平仄に手こずりながら、しかし、楽しそうに、作っていました。

 できあがった作品は50以上なのですが、それらをすべてコピー(名前は伏せて)して、投票をしました。 その結果に、教師の考えも併せて、代表作(?)を選んでみました。

 時勢なのか、戦争を扱った作品が多いのには、戦争に対する子どもたちの関心の高さを痛感すると同時に、いたたまれない気持ちにもなります。
 あと、別れを扱ったものも目につきました。
これは、高3で、卒業するということが彼女たちの中で現実味を帯びてきた証拠でもあるのでしょう。

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それでは、生徒さん達の詩をご覧下さい。






「同志社女子高校のみなさんの創作漢詩」


 【作品1】「演劇」    (作者) ほしみ  

舞台人魅惑   舞台人は魅惑なり

観客注目姿   観客は姿を注目す

我感心心底   我心底より感心し

魂行於未知   魂 未知に行く

          (上平声「四支」の押韻・五言絶句平起式)

<鑑賞文>

 私は頻繁に演劇を観にいき、その度魅惑的な役者の演技に圧倒される。
 そして、私も含め観客はその役者の姿に釘づけになってしまう。私は心の底から感動しうっとりしてしまい、私の魂は現実と違う未知の舞台上でくりひろげられている世界へと迷い込んでしまう。
 この時だけ、私は現代の忙しさから逃れて幸せな時を過ごせているのである。また、普段では味わえない色々な人生を知ることができる場でもあり演劇は素晴らしいものである。

<感想>

 作者の演劇への思いがストレートに伝わってくるような作品ですね。特に、結句の「私の魂は未知の世界に踏み入れていく」という所などは、芸術というものの最も基本の在りようを掴み取っていると思います。
 私もほんの少しだけは演劇に関わったことがありますが、芝居を観る観客も演ずる役者も舞台を通して、日常と離れた世界に飛び込むことを実感しますね。
 ほしみさんはどんな演劇がお好きなんでしょうね。ご自分でも舞台に立たれたことがおありなんでしょうか。生き生きとした言葉がとても魅力的な詩です。

 承句は「注目」「凝眸」に換えれば平仄の点でも完璧ですね。





 【作品2】「楽園在此処」    (作者) フジッキー  

私開目見似洋空   私は目を開け洋に似た空を見き

昔読楽園譚絵風   昔読みし楽園の譚の絵風なり

盍孰無済暗闇過   盍ぞ孰にも済い無き暗闇は過ぎず

未非情冷戦争終   未だ非情なる冷たき戦争は終らず

地球周覆無涯涙   地球周は涯無き涙で覆われたり

明日扉開幸溢虹   明日への扉は幸せの溢れたる虹へと開かれき

我瞬止街還動始   我の瞬きで止まりし街が還た動き始めたり

而奇跡起喜胸充   而れども奇跡は起き喜びが胸に充つ

          (上平声「一東」の押韻・七言律詩平起式)

<鑑賞文>

 目を開けて、空を見上げると、海のような青空が広がっていた。
 それはまるで昔見たことのある絵の楽園のようだった。
 こんな空の下でも今も世界では戦いが繰り広げられていて、涙を流している人がいっぱいいる。
 しかし、どんな人でも明日への扉は開かれ、きっと涙もなくなり幸せの虹が出るはずだ。
 そう思うと、自然と希望が湧いてきた。
 私の瞬きで、一瞬止まっていた街が再び動き出した。
 けれども、私の目に映るのは、今までの光のない街ではなく、いつでも奇跡の起こりうる喜びに満ち溢れた街だった。

 人は、気持ちの持ちようで、自分の居場所を、どんなに暗い街でも、楽園に変えてしまうことができるのかもしれない。奇跡が起きない世界なんて、絶対にないのだから。
テロが毎日のように起きている、今の世の中にも、必ず平和が訪れるだろうから心に希望を持って生きたい。

<感想>

 戦後から今日までで経験したことの無いような事態にこの国は陥り、「戦争」という言葉がこんなに日常的に語られるようになってしまいました。
 こんな時代を若い人たちはどのように感じているのか、そのことに私はとても関心があります。
 「地球の周りは涯のない涙で覆われている」という壮大な発想とその悲しみの深さの表現に圧倒されました。
 しかし、悲観や絶望で終わるのではなく、「奇跡」への希望で詩を結ぶことに、私も救われたような気がしました。
 詩の長さに負けない作者の強い思いが感じられます。

 三句目の「済」のところは、「すくう」という字を入れたいのですが、「救」「済」「援」などは皆仄声ですので苦労されたのではないでしょうか。平声では、「丞」「拯」の字が該当します。





 【作品3】「死直面」    (作者) うず  

映窓辺夕暮   窓辺に映る夕暮

直面命消時   命の消ゆる時に直面す

弱弱儚尊命   弱弱しく儚く尊き命

注何程愛施   どれ程の愛を注ぎ、施しても

          (上平声「四支」の押韻・五言絶句平起式)

<鑑賞文>

 今年、祖父がガンでこの世を去りました。その時の事を思い出しながら、詠んだ詩です。
 ここではあえて、祖父=E人″という文字を使いませんでした。なぜなら、命が眠ってしまうというのは、人間に限らず、動物・植物といった命あるもの全てに共通しているからです。
 それから、どんなに愛を注ぎ様々な手立てを施してもダメだったという時に、悲しみ・自分が何も出来なくて無知だという悔しさ・もどかしさを感じるのは、その命が人間以外でも言えることだと思ったからです。
 その悲しみ・悔しさ・もどかしさが伝われば、と思いました。

<感想>

 悲しい体験でしたね。身近な人が亡くなることはとてもつらいことです。
 うずさんがどんなに口惜しく寂しい思いをしたかは、結句の「注何程愛施」から十分に感じ取れます。語順としてはここは「施」が最後にあってはおかしいのですが、そうした文法などを無視して伝わるものがあります。

 高校の国語の授業で斎藤茂吉「死にたまふ母」や、宮澤賢治『永訣の朝』を勉強なさったでしょうか。
 最愛の人を失った悲しみ、しかし、人はその悲しみからいつかは抜け出さなくてはいけません。詩や短歌に思いを籠めることはひとつの救いだったのでしょう。うずさんのこの詩でも、全ての生き物の命へと思いを広げたことが大切な視点なのだと思います。





 【作品4】「訪師友」    (作者) 水鳴  

片雲無碧宇   片雲碧宇に無く

梨雪満紅霞   梨雪紅霞に満つ

不可逢師友   師友に逢ふべからず

涙珠如六花   涙珠は六花のごとし

          (下平声「六麻」の押韻・五言絶句平起式)

<鑑賞文>

 全体としては、敬愛する人を訪ねて放浪する主人公の切ない気持ちをうたっている。

 敬愛する人の足跡を訪ね歩いても何の手がかりも得られず、ため息をつきながら振り仰いだ空は、一切れの雲さえなく澄みわたっている。その空が赤く染まり日が傾くころになって、呆然と立ち尽くす主人公の目の前には、夕焼け空の下、梨の白い花が地面に落ちて、雪が降り敷いたようになった情景だけが広がっている。
 前半部には、たった一人でさまよい歩く主人公の孤独と虚しさが、「碧(青)」「紅(赤)」に対比された「白」という色を通して描かれている。
 また、「碧宇(青空)」から「紅霞」への移行によって、主人公が一日中さまよい、歩き続けていたことを示している。
 転句、結句では、主人公の心情が切々と語られている。
「幾日もさまよっても、師とも仰ぐ友人である貴方に逢うことはかなわず、貴方のことを思って流す涙は、あたかも雪が舞い散るごとくはらはらと滴り落ちる」という意味で、主人公の「師友」に対する敬愛の深さと切なさを表している。

<感想>

 <鑑賞文>にお書きになっておられるように、色彩にとても気を配っている詩ですね。内容からこの詩を見ると、高校生の方が書いたとは思えないような落ち着きがあります。
 起承転結も申し分ないですが、最後の比喩の「六花」と承句の「雪」は重複しますので、一工夫したいですね。

 転句の「不可逢」は、「逢うことが許されない」という意味ですので、この場合には「不得逢」(逢ふを得ず)の方が良いでしょうね。






 【作品5】「故郷変」    (作者) 悠希  

昔水流溢緑   昔水流れ緑溢る

友遊優故郷   友と遊びし優しき故郷

戦争連去彼   戦争は彼を連れ去りぬ

今只見紅場   今只場に見ゆるは紅

          (下平声「七陽」の押韻・五言絶句仄起式)

<鑑賞文>

 水は青のイメージ、緑は自然にある色のイメージで、昔は様々な色があったという意味で、多くの色は、様々な遊び、楽しみを表す。
 しかし、戦争は、友と友に、多くの色を連れ去ってしまった。今見えるのは紅のみ、つまり血の色だけ。
 友がいなくなってしまった今となっては、血の色即ち友のことしか考えられないのである。

<感想>

 これはシュールな詩ですね。戦争によって全ての色が消えていくという思考は、非常にドラマチックです。
 結句の「血の色の世界しか残っていない」という表現は、一種の凄みさえも感じられ、息をするのも苦しいような、そんな緊張感があります。

 結句は読み下しのようには読みにくいのですが、詩はそのままにして、読み下しの方を、「今は只 紅場を見るのみ」としておくと良いでしょうね。
 平仄の点から言えば、起句の「溢」「充」でしょうか。





 【作品6】「辛夷花」    (作者) 小野弟子  

我見辛夷燭   我辛夷の燭を見む

其如春夜精   其は春の夜の精のごとし

月煌揺容美   月は煌めき揺るる容は美しく

風舞仄香清   風は舞ひ仄めく香は清し

人之忽忽急   人は忽忽と急ぎて之き

華光皎皎明   華は皎皎と明るく光る

蓋誰気淑景   蓋ぞ誰かは淑景に気づかざる

花朶嬌妍栄   花朶は栄へて嬌妍なるを

          (下平声「八庚」の押韻・五言律詩仄起式)

<鑑賞文>

 辛夷は早春に咲く白い花。作者(私)はその花を夜に見ました。
 暗闇に灯火のように白く浮かび上がるその花は大変美しいです。それはまるで春の夜の聖霊のようだったのです。
 頷聯での対句は、その花の美しさや香りを表現し、頸聯での対句や尾聯ではその美しく咲き栄える花に気づかず、毎日をあわただしく通り過ぎる人々と、花は毎年その場所に咲き、通り過ぎていく人々をじっと照らしていることを表現しています。

<感想>

 この詩を、投稿詩のコーナーで紹介させていただきましたが、平仄合わせのために私が一部直したものを投稿詩には載せましたので、こちらが原詩です。
 若い方の詩を拝見した時に、文法や平仄の関係で修正する必要が出たりしますが、直すほどにイメージが狭くなってしまうことをよく感じます。それは、きっと、若者の生命エネルギーが詩の中に溢れているのでしょうね。

 対句の工夫もよく出来ていますし、何よりも自然をとらえる細やかな目と、それを紡いだ言葉が、タペストリーのように組み合わされていて、心に残ります。感性のきらめく詩だと思います。





 【作品7】「春別」    (作者) ヘロポン  

青柳岸春渡   青柳の岸春の渡し

将来発跡時   将に発跡の時来むとす

嗟乎勿流涕   ああ流涕することなかれ

情意靡如枝   情意靡きて枝のごとし

          (上平声「四支」の押韻・五言絶句仄起式)

<鑑賞文>

 この詩の場面は、青い柳がはえている春の渡し場。
もうすぐ出発のときがやってくる。(この詩の主人公には、やるべき事があってこの地から旅立たなければならないのだが)別れを悲しむ人の顔を見ると気持ちが(あの柳の)枝のように(あなたの方へ)靡いてしまう。
 という悲しい別れの1シーンを描いている。
 この詩では恋人との別れということにしたが、これから、卒業をして、それぞれの人生のために別々の道を歩んでいかなければならない私たちにも、このような別れの悲しみの場面に遭遇することがあるのではないだろうか。 <感想>

 まさにドラマのワンシーンを見ているような、実感の伴った良い詩ですね。
 結句の「心が枝のように靡く」という表現が秀逸、これは良いですね。また、この句は起句の「青柳岸」から導かれているわけですから、首尾一貫ということですね。
 親しい人と別れるときに柳の枝を折ることが古来の送別のしきたりでした。そうした伝統をも踏まえていますから、余韻も深いですね。





 【作品8】「無題」    (作者) Mai-A  

飄飄鶴唳響深林   飄飄として鶴唳深林に響き

邑邑澗聲広峪深   邑邑として澗聲峪深く広がる

荏苒日来何以変   荏苒たる日来何を以てか変はらん

蓬莱欲在我儚心   蓬莱在らんと欲す我が儚き心に

          (下平声「十二侵」の押韻・七言絶句平起式)

<鑑賞文>

 行き先が定まらない鶴の鳴き声が深い林に響き、微かに聞こえる谷を流れる水音が、深い谷に広がっていく。ぼんやりと過ぎてきた今までの日々は、どのようにして変わってしまったのだろうか。蓬莱は、不安定で未熟な私の心に留まろうとする。
 この詩は、見えない未来への不安を抱き、まだ子供のままでいたいと思う、不安定で大人になりきれない心を表現したものである。
 まず最初の二句では、「行き先が定まらない鶴の鳴き声」「微かに聞こえる谷を流れる水音」を、不安定で頼りない自分に例えている。
 そして、「深い林」「深い谷」という全く正反対の方向のものを出すことで壮大な情景を描写し、無限大に広がる未来と、これから自分自身が進む、色々な方向に用意されている道を表現している。
 つまり、まだ子供で未来に不安を抱く自分が、無限大の見えない未来に進んでいく様子を表しているのである。
 三句目では、そんな子供から大人への岐路に立った自分が、ずっと子供のままの楽しい日々が続いていくと思っていたのに、いつの間にか変化してきた日々を振り返っている。
 そして、四句目だが、「蓬莱」というのは中国の架空の地名で、不老不死の地として知られている土地のことである。これは毎日が永久不変だと思っていた子供だった自分に例えており、転じて「まだ子供のままでいたい、変わりたくない自分」を意味している。そして、「蓬莱が、私の不安定な心に留まろうとする」というように「蓬莱」を主語にした擬人法を使い、自分の心の方を受身にしている。
 そうすることで、自分は不安定でありながらも無限大の未来に向かって大人へと脱したいと思っているのに、それに相反する子供のままでいたい心がそんな自分の意志に反して自分の心の中に留まろうとしている、という子供でもない大人でもない今の複雑な心境をより細かく表現している。

<感想>

 難しい主題をよく工夫しながら描いていると思います。
 前半の二句が単なる情景描写ではなく、内面を象徴したものでもあるということは漢詩での約束事でもあり、無理のない展開が説得力を増していますね。
 「荏苒」は難しい言葉ですが、「年月のゆったりと流れていくこと」を表しますが、同時に「苦しみや哀しみが絶えることなく続くこと」という意味もあります。それを意識下で感じるからでしょうか、詩全体が重みを増して、青年の果てない憂愁が伝わってくるように思います。
 内容と表現のバランスの取れた詩に仕上がっていると思います。

2004. 1.13               by 桐山人


******** 水谷先生からのお手紙(2004. 1.17 ) ********

 メールありがとうございました。生徒たちはとても喜んでいました。
 今は、卒業レポートとして「日本漢詩」で書かせています。菅原道真あたりで書く子が多いかな、と予想していたのですが、案外、夏目漱石などの近代の小説家の詩を探す子が多いです。
 同志社の校祖新島襄は、漢詩を多く残しています。それを題材にする子もいます。
 ともあれ、こんな具合に、漢詩に生徒が興味を持ってくれたのが、とても嬉しかったです。とっつきにくく思われがちですが、規則があるからこそ、はまっちゃうのですね。
 私も生徒に触発されて、作ってみようと思い立ち、そして、はまっちゃいました。


海山人さんから感想をいただきました。
海山人です。

 同志社女子高校の「漢詩創作授業の実践」拝読いたしました。
 何よりも真剣な姿勢と勢いでやや違和感を感じる用字をも吹き飛ばす若い活力を感じました。

 先ず、「辛夷花」「人往湍湍急、華光皎皎明」には言い古された対比でありながら何故か新鮮さを感じました。
 劉庭芝、「代悲白頭翁」の「年年歳歳花相似、歳歳年年人不同」のテーマですね。
 ただ惜しむらくは鈴木先生の御手が入っており、後から原詩「人之忽忽急、華光皎皎明」を読むと、簡明な反面やや浅薄さを否めません。「往」字と「湍湍」字の持つ広がりの差でしょうか。

 次にうずさんの「注何程愛施」への鈴木先生の感想、「語順としてはここは「施」が最後にあってはおかしいのですが、そうした文法などを無視して伝わるものがあります。」には私も前科(笑)がありますので良く解ります。
 梅足(1999-1新年漢詩)「賀梅」の「一陽初処動」の「処動」で一悶着ございました。

 最後に「訪師友」はすばらしいですね。良く仕込まれた作で海山人好みです。良いだけに更に欲を言えば、雪の取り回しを転句で「雪裏」と出して結句は原詩のまま「六花の如くはらはらと落ちる涙」とし、「梨雪」を単に「梨木」などにすれば鈴木先生の言われる「雪」と「六花」の重複もさほど気にならないと思いますが、如何。
 また、全体に”仕込の濃い詩”の場合は、用字をその分簡明にするのが読者に親切だと考えています。
 例「碧宇」「紅霞」

 鈴木先生も言われていますように「平仄まで整えていらっしゃることに感激しました。」
 漢詩の規則である押韻平仄の両方とも満たすと言うのは高校の段階では並大抵ではなかったと思います。私の高校(愛媛の愛光学園)の漢詩の先生も「平仄は難しい」と言われて説明を省かれました。

 押韻平仄を満たすと言うのはそれはそれで大変素晴らしい事なのですが、取り組む優先順位としては、押韻の次には文字構成が良いのではないかと思います。
 文字構成というのは五言なら2字+3字、七言なら2字+2字+3字が普通という例のものです。最後の3字は2字+1字あるいは1字+2字が普通です。

 私の処女作は1996年秋で「朝浴陽光往、受夕日背還。望西山青雲、禽鳥一羽舞。」
 次作は「子年年不同、吾歳歳不改。将一刻千金、須隔日不同。」ですが、「受夕日背」「望西山」「子年年」「吾歳歳」「将一刻」「須隔日」と大半が上述の文字構成を外しておりました。
 この結果、一例として読者から「”子年年[コはネンネン]”は”子年[ネドシ]”の句かと思った。」と誤解されてしまいました。
 この”2字+3字”という文字構成のリズムは規則を超えてもっと自然なものと思われます。したがって本高校生の作品も文字構成というものを理解して作っていれば一層判り易い詩となったのではないでしょうか。

 ただ、あくまでも”2字+3字”という文字構成のリズムが普通ということで、吉川幸次郎博士が「漱石詩注」「春興」を評して、「何にしてもさいしょの二字の下に大きな pause があるのが、普通であるが、この聯のごとく、聴/黄鳥/宛転と、それをくずしたリズムを、時にまじえるのも、詩家の技量である。」というのも尤もだと思います。
 先の例で言えば「望西山青雲」「将一刻千金」は右四字の連関が強い分、破格のリズムでも誤解を生む事は無いと思います。

 とにかく皆さんの勢いに打たれました。そこで「注何程愛施」の句に啓発されて一篇、「草花」を作りましたので投稿させて頂きます。ご覧下さい。

2004. 1.19                  by 海山人
























「挟平格での結句の平仄」・・観水さん(2/16)

 昨年9月30日の桐山堂「挟み平についての質問」(柳田 周さん)では、「挟み平」について、次のような説明がされていました。
――五言句でも、七言絶句の転句でも使われ、例外というよりも、かなり多くの詩でも使われています。●●○○○●●となるべきところを、●●○○●○●とするようなケースですが、これは結局、下三字について、「●○●」「○●●」と同じとみなすという約束なのです。但し、挟み平にした場合には、本来は結句の下三字を「○●○」と孤仄にしてバランスを取るのが正しいそうですが、そこまでやっていない例も多くあります――
 ところで最近、「本来は結句の下三字を「○●○」と孤仄にしてバランスを取るのが正しい」という但し書きについて疑念を抱くようになったので、投稿させていただく次第です。

 もともと私が挟み平を孤仄で救うことを知ったのは、釈清潭・林古渓『作詩關門』に、「転句若し×●○○●○●となる場合は結句必ず×○×●○●○と作るべし」とあったからです。そして、この説に従い、作詩上、挟み平(転句の二六対が破れる)を用いるときは務めて結句の孤仄(結句の二六対も破る)を合わせるようにしていました。
 ところが、(今さら恥ずかしながら)改めて『作詩關門』の該当部分を読んでみますと、挙げられている作例は、全て「○○●●●○●―●●○○○●○」となる平起の連であって、単なる(二六対は守られている)転句6字目の孤平を結句6字目の孤仄で救っているだけのものです。
 しかも、悪例(不可)として挙げられているものも、「●○●―●●○」「○○●―○●○」の2形態だけであって、「●○●―●○○」については何も触れられていません。
 また、実際に自分で挟み平になっている作品を探してみても、みな結句下三字が「●○○」であり、「○●○」と孤仄でバランスを取っているものは見つけられませんでした。

 つまり、私の疑念を整理しますと、
 A (転)●●○○○●● (結)○○●●●○○ ※正格
 B (転)●●○○●○● (結)○○●●●○○ ※挟平格
 C (転)●●○○●○● (結)○○●●○●○ ※本来あるべき(?)狭平格
 D (転)○○●●●○● (結)●●○○○●○ ※孤平と孤仄でバランス

1)Cのように挟み平を結句の孤仄で救うことはできないのではないか?
2)Cのように挟み平を結句の孤仄で救うことが正しいという説は、Dのケースから生じた誤解ではないか?
3)挟み平の「●○●」は「○●●」に相当するのであるから、A=Bであり、Bの二六対は破られていて正しいのではないか?
4)そうであるならば、Cは誤りで徒に二六対を破っただけとなるのか?

 ということになるのですが、いかがなものでしょう。



 そうですね。私も改めて調べ直してみました。『唐詩選』に載っている挟平格の詩について、平仄を確認しました。
 観水さんの例で言えば、[C]に該当する例はありませんね。私も完全に思いこんでいたようで、作詩規則の書かれた本も手元にあるものを調べましたが、○○●●○●は等しいとだけ書かれているものがほとんどでした。
 うーん、どこから思いこみが始まったのか、これは気になることですので、自分自身の記憶の探索へと興味が移りました。あれこれと再度眺めてみましたところ、どうも私が漢詩を作り始めた頃に参考書にしていた一冊の、『漢詩自由自在』(昭和十一年発行・久保青臺著)の次のような記述を誤解したようです。
 平起式に於て轉句第六字に平を用ひた時は第五字は必ず仄を用ふべきで、此場合には必しも二六対とはならないのである。
 例へば、
     C

 の如くである。又、轉句の第六字が孤平である時は、結句の第六字は孤仄を用ふるのを常とする。
 この後半の一文、これは「又」の部分から改行するのが、きっと本来の著者の意図だったのでしょうね。挟平格については前半で終わり、後半は孤平の救拯法の話の筈が、後半までつながってしまったのでしょう。

 実際の作品の平仄をきちんと見ていれば誤解もなかったのでしょうが、思いこんでしまうと、白いものも黒く見えてしまうということでしょうか、何も疑問も持たずに過ぎていました。観水さんのご指摘の通りだと思いますが、皆さんはいかがですか。

2004. 2.18                by 桐山堂


謝斧さんからもご意見をいただきました。

 結句の孤平は挟み平を丞けるだけではありません。

[前句の孤平を孤仄で丞ける]

  ×○×●●○● ×●×○○●○
  兒童相見不相識 笑問客從何處來
  孤帆遠影碧空盡 唯見長江天際流
  春潮帶雨晩來急 野渡無人舟自
  花開堪折直須折 莫待無花空折枝
  只今滿座且尊酒 後夜此堂空月明
  鞦韆門巷火新改 桑柘田園春向分
  獨乘舟去値花雨 寄得書來應麥秋
  寵光尢t與多碧 點注桃花舒小紅
  外江三峽且相接 斗酒新詩終自疏
  負鹽出井此溪女 打鼓發船何處郎
  洲上草閣柳新暗 城邊野池蓮欲紅
  一雙白魚不受釣 三寸黄柑猶自青
  溪雲初起日沈閣,山雨欲來風滿樓
  殘星幾點雁塞,長笛一聲人倚樓

 対句であれば、
[前句の仄三連を孤仄で丞ける]

  ○○×●●●● ×●×○○●○
  清談落筆一萬字 白眼舉觴三百杯
  平原曉雨半槐夏 汾上午風初麥秋
  田中誰問不納履 坐上適來何處蠅

[前句の二六不対 五字目孤平を孤仄で丞ける]

  ×○×●○●● ×●×○○●○
  來時珥筆誇健訟 去日攀車餘涙痕
  太行秀發眉宇見 老阮亡來樽俎
  鷄豚郷社相勞苦 花木禪房時往還
  肺腸未潰猶可活 灰土已寒寧復然
  市聲浩浩如欲沸 世路悠悠殊未涯
  冷猿挂夢山月暝 老雁叫群江渚深
  春波澹澹沙鳥沒 野色荒荒煙樹平
  東門太傅多祖道 北闕詩人休上書


2004. 2.19                by 謝斧



観水さんから、再度のご質問をいただきました。

 ご意見ありがとうございます。
とても勉強になりますが、さらなる疑問も生じてきました。

>結句の孤平は挟み平を丞けるだけではありません。

 つまり、結句の孤平で挟み平を救うことは許される、と考えてよいのでしょうか?
このところが、私が一番ご意見を伺いたかった点なのす。

>[前句の孤平を孤仄で丞ける]
>×○×●●○● ×●×○○●○


 これは納得しているところです。
しかし、

>対句であれば、 >[前句の仄三連を孤仄で丞ける]
>○○×●●●● ×●×○○●○


 というのは初めて知りました。
仄三連(●●●)を●○●と見做すものでしょうか?
それに「対句であれば」と限られるのは、どのような理由からでしょうか?

 また、

>[前句の二六不対 五字目孤平を孤仄で丞ける]
>×○×●○●● ×●×○○●○


 というのは、前句末の○●●を●○●と見做すものでしょうか?
言わば、挟み平の逆も真であるということでしょうか?

さらに、
こうした救拯法は、どれほど許容されているのでしょうか?
つまり、作詩上、積極的に使って用いてよいものなのでしょうか、それとも、可能な限り避けるべきであるものなのでしょうか?

 以上、ご教示いただければ幸甚です。


2004. 2.23                 by 観水

























「七言絶句の踏み落としについて」・・坂本定洋さん(04.6.19)

 1.はじめに
 七言絶句において、起句の押韻をしない変格、いわゆる踏み落しに対しては「起句と承句を対句にすること」が決まり事のように、よく聞きます。一方、初心者向けの指導書には、そのような事は書かれていない例も多いかと思います。
 また、いくつかの作例に接する中で、対句になっていない踏み落しの例にもぶつかるものです。詩形として発達過程にある唐代以前のものならともかく、宋代や清代の詩の中にもこのような例は見られます。無節操に踏み落して良いものではないのは、それとなくわかるのですが、一体何を以って踏み落しを可としているのか、その基準について疑問を持った事があるのは私だけではないと思います。
 「これと言う決まりはない」にせよ、一定のガイドラインのようなものはあっても良いように思われます。
 指導書に記述がないのは、紙数の制約もさることながら、「自分で考えなさい」ということでもあるのかと思います。また、私の質問に対する鈴木先生からのご返事も、作例とヒントを提示いただき、あとは考えなさいと言うものであると受け止めました。いわば、私に与えられた宿題としてレポートを提出させていただきます。

2.ここでの基本的な考え方
 五言絶句および七言絶句の原型は、漢代末期のほぼ同時代に現れたものと考えられます。しかし七言詩はなぜか普及が遅れ、長く五言詩の時代が続いたと言えます。
 今の時代に生きる私達は、五言絶句より七言絶句の方が語数の多い分表現力があり、書きやすいものと考えます。しかし、詩に限らず文章全般の宿命として、長くなればなるほど、冗長になります。冗長感の問題が七言詩の普及を遅らせたと言っても、さほど間違ってはいないと思います。
 いかに冗長感を減ずるかという命題に対する解決策の一つとして、起句にも押韻して一旦語調を整えると言う方法が発明されたのかと考えられます。これはあくまで解決策の一つで、私達が決まり事のように用いる平仄式もその一つである訳です。ほかにも様々な工夫が試みられたと考えるべきです。
 要するに冗長感を減ずる工夫がそれなりに成されていれば起句に押韻する必要は必ずしもないものと考えられます。踏み落しを可とするか否かの基準は、どのような「冗長感を減ずる工夫」があるのか、無いのかであると考えています。

3.作例に対する考察

3.1.雍陶「韋處士郊居」(晩唐)

 作例と平仄を記し、以下に考察を試みることとします。

  満庭詩景飄紅葉    ●〇〇●〇〇●
  繞砌琴聲滴暗泉    ●●〇〇●●◎
  門外晩晴秋色老    〇●●〇〇●●
  蕭条寒玉一溪烟    〇〇〇●●〇◎


 前対格の作例です。絶句は、律詩の前半分、後半分あるいは中四句を切り取ったものという見方もあります。詩の前半が対句になったものは起句に押韻しない方が正格と言われます。
 「表現の形は発想の形」と言う説に従えば、対句は同じ発想法が繰り返される形です。外観が整うのみではなく、発想法的にはずみがつくものです。音声的な冗長感も寄り切られると言うところでしょうか。
 この例において見落としてはならないのが、承句の平仄配分です。いわゆる理想形になっています。音声的冗長感が苦しく感じられるのは詩の前の方より後ろの方です。承句のリズムを良くすることにより、一定の効果が期待できます。
 ただし、対句の場合でも、この例のような承句の平仄配分が必要とは言いきれません。起句の平仄は四字めに孤仄を持つ、ふつうの見方からすれば苦しいものです。この例の場合は起句の埋め合わせのために、このような承句の平仄配分が必要になったと考えた方が良いと思います。

3.2.王維「九月九日憶山東兄弟」

  獨在異郷為異客    ●●●〇〇●●
  毎逢佳節倍思親    ●〇〇●●〇◎
  遙知兄弟登高處    〇〇〇●〇〇●
  遍挿茱萸少一人    ●●〇〇●●◎


 この王維の作例は対句でなくとも踏み落しになっているものとして引き合いに出される事も多いと思います。
 わかりやすい特長は起句と承句に句中対と言えるものを持っていることです。対句同様に発想法的にはずみのつく形です。句中対でなくとも、文を短く区切る事は、現代のハードボイルドスタイルにも通ずるテンポ感を強調する方法です。
 より注意深く考察すべきは音声処理です。起句も承句も平仄は理想形ではありません。個々に見ればどちらも孤平や孤仄のない齟齬がないと言えるものではあります。並べて見れば起句と承句で一字めを覗いて平仄がほぼ裏返しになっています。
 起句の「異郷」「異客」の対応に着目すれば、起句末は仄字を置く方が句中対が音声的により鮮明になります。承句「佳節」「思親」についても「佳」と「思」の語呂も考え合わせれば起句同様のことが言えます。踏み落しによるこのような旨みは仄起こりの詩でなければ得られません。
 起句承句共に、語尾に「i音」を持つ語が多用され、語呂の良さによって流れを良くする工夫が認められます。
 王維の詩には王維体と称される凝った作りの、独特を持つであろうものがあります。この詩もいかにも王維と思えるものです。とりあえず踏み落しの通則とするのに、ここまで必要なのかと言うのが私の正直な気持ちです。

3.3.劉長卿「寄別朱拾遺」

  天書遠召滄浪客    〇〇●●〇〇●
  幾度臨岐病未能    ●●〇〇●●◎
  江海茫茫春欲遍    〇●〇〇〇●●
  行人一騎發金陵    〇〇●●●〇◎


 この例には対句や句中対のような一目でそれとわかるような修辞法上の工夫はありません。しかし、答えは平仄を見れば明らかになります。
 起句承句共に平仄配分はいわゆる理想形です。実際に書く段になって一字の平仄も違えずこのような形を作っていくのはそれなりに大変ですが、理屈は単純です。平仄によってリズムを最大限に良くすることにより、踏み落しによって生ずる音声的冗長感を減ずるものと言えます。押韻するか否かが音声の問題なら平仄も音声の問題です。案外にこの形が一般解として最も尊重されるべきものと考えます。

3.4.張籍「哀孟寂」

  曲江院裏題名處    ●〇●●〇〇●
  十九人中最少年    ●●〇〇●●◎
  今日風光君不見    〇●〇〇〇●●
  杏花零落寺門前    ●〇●●●〇◎


 この詩も起句承句共に「ほぼ」理想形の平仄配分です。起句一字目は不問にして良い範囲かと思われます。

3.5.賈島「三月晦日贈劉評事」

  三月正當三十日    〇●●〇〇●●
  風光別我苦吟身    〇〇●●●〇◎
  共君今夜不須睡    ●〇〇●●〇●
  未到暁鐘猶是春    ●●●〇〇●◎


 この作例は起句において「三」の字を重複して用いる事によりリズムを強調しています。句中対に準ずる形と言えるでしょう。
 平仄配分は承句で理想形となっています。起句は理想形ではないながら齟齬の無い形です。
 修辞法による解法と音声処理による解法の折衷型と言えます。なお、起句の踏み落しにより起句前段と後段の対比の強調と言う旨みは、王維の作例と同様に仄起こりの詩でなければ引き出せないものと考えられます。

4.まとめ;踏み落しの指針(案)

4.1.音声処理による一般解

(1) 承句における平仄配分が、いわゆる理想形を得ている場合。
 すなわち平起こりの詩の場合の承句の平仄配分は以下の通りであること。
    ●●〇〇●●◎
 仄起こりの詩の場合は以下の通りであること。
    〇〇●●●〇◎

(2) 起句においても理想形の平仄配分が与えられている事。
 すなわち平起こりの詩の場合の承句の平仄配分は以下の通りであること。
    〇〇●●〇〇●
 仄起こりの詩の場合は以下の通りであること。
    ●●〇〇〇●●

(3) 上記の条件が揃う場合踏み落し可とする。
(4) 上記条件のうち起句一字めの平仄に限り不問とする。


4.2.修辞法による一般解(対句の場合)

(1)起句と承句が対句となる場合は踏み落しが正格となる。原則として一律に可。
(2)対句と言えども、承句における平仄配分の理想形など音声上の配慮が望ましい事がある。


4.3.特殊解.1(王維の作例に倣うもの)

(1)起句および承句に句中対ないしそれに類する冗長感を減ずる修辞法上の工夫が行われている事。
(2)起句および承句において齟齬のない平仄配分が与えられている事。
(3)仄起こりの詩であること。
(4)上記条件が揃う場合は踏み落し可とする。
(5)上記条件に加え、起句承句の平仄配分の対応や語呂の工夫など一層の音声処理上の工夫が望ましい。

4.4.特殊解.2(折衷型)

(1)承句において理想形の平仄配分が与えられていること。
(2)起句において句中対ないしそれに類する冗長感を減ずる修辞法上の工夫が与えられていること。
(3)仄起こりの詩である事。
(4)起句において齟齬の無い平仄配分が与えられている事。
(5)上記の条件が備わる場合踏み落し可とする。
(6)上記条件に加え、起句承句の平仄配分の対応や語呂の工夫など一層の音声処理上の工夫が望ましい。

5.あとがき

 ここで指針(案)なるものを提示させていただきましたが、これらが甘いものであるのか辛いものであるのかはわかりません。記述が曖昧な所もあれば、根拠が必ずしも厳密に定かでない部分もあります。しかし基準がどのあたりにあるのか、見当もつかないものではない事は、ご理解いただけるものにできたとは思っています。
 七言絶句を書くに当たって、着想に対してどの韻ならば三箇所で都合をつけられるかから考え始めるのは私だけではないと思います。これが二箇所で済むならば、どんなに楽な事かと思うのも私だけではないと思います。

 今回思い知った事は、三箇所で韻を踏む方法が、最初はめんどうでも実は最も手堅くて楽な方法であると言うことです。孫子の言う迂直の計です。推敲の、ある段階で条件が揃えば踏み落しも選択肢に入ってくることもあるのだと考えた方が良さそうです。「踏み落し」とは良く言ったもので、最初から起句の韻を踏まないのではなく、ある段階で「落す」と言うことなのだと思います。

 最後に、もっと作例に当たらねばわからないことですが、鈴木先生に示していただいた作例は、別離の詩が多い事に気づきます。別離でなくとも、胸の内に苦しいものを持っている詩と言えば、ここでの五例全てが当てはまります。立て板に水の名調子ばかりが詩ではありません。苦しい胸の内を平仄によるリズムで表現することもあって良いと思います。踏み落しも然りです。踏み落しの是非を言うには、詩の内容との整合性も考慮する必要があるように思います。

























「この漢文は何でしょう?」・・ゆかり さん

 先日、次のようなメールをいただきました。



はじめまして、ゆかりと申します。
この度はどうしても気になっている事がありましてメールをさせて頂きました。

 私が高校の時なのですが、書道の時間に先生が生徒一人一人に与えられた文章を書くという授業がありました。そしてその文章を何度も練習して先生が合格をくれたものを掛け軸にして頂いたのです。
 しかし自分の家には掛け軸を飾るような場所がなかったので、祖父の家にその掛け軸を飾ってもらうことにしました。
 そして、数年前のお盆にお坊さんがお経をあげに来ていただいた時に、私の掛け軸を見たお坊さんが、祖母にこう言ったそうです。

お坊さん:「これはどなたが書いたものですか?」
祖母  :「これは孫が書いたんですよ」
お坊さん:「こういうお孫さんなんですね」
と言って笑ったそうです。

 私はその話を聞いた時、祖母に、
「もし次そのお坊さんが来る事があったら意味を聞いてほしい」と伝えました。
 しかし、そのお坊さんはその後一度も祖父の家に来ることは無く、結局意味もわからないままです。私なりに一生懸命インターネットで調べてみたものの、うまく結果が出ず思い切ってメールをさせて頂きました。
 私は漢詩にも全く詳しくなく、この文章が漢詩なのかどうかもよく分かりません。
 もしこの文章の意味をご存知であればどうか教えていただきたいのです。

文章は以下の通りです。

    雨 疎
    源 風
    生 ?
    檻 ?
    外 林
    山 稍
      月
      宿

 実はこれは行書で書いた物で多分この文字じゃないのかなと思っているのですが、もしかしたら間違っているのかもしれません。
 しかも??の所は自分で書いてあるにもかかわらず、全くわからないのです・・・。
今になってお盆に祖父の家に行ったのに掛け軸をデジカメで撮ってこなかったのを後悔しています。

 もしこの文章の意味をご存知であればどうぞ私に教えて頂けないでしょうか?
初めてのメールなのに長文で申し訳ありません。
どうぞよろしくお願い致します。

2004.8.19




 私からの返事です。

 今晩は
 お手紙拝見しました。授業の時には内容まであまり考えている余裕はありませんが、後にふと気になる事というのはよくあります。ゆかりさんのお気持ちもよく理解できます。

 さて、本題の文章の件ですが、これは漢詩の一節です。
清の時代の、彭啓豊という人の作です。

  疎風影動林梢月    疎風 影は動く 林梢の月
  宿雨涼生檻外山    宿雨 涼は生ず 檻外の山

  時々吹く風は林の梢の月を動かし   昨夜から降り続いた雨に 檻の前の山には涼しい雰囲気が生まれた
というもので、秋の夜の雨、という伝統的な情景を詠んだものです。恐らくは、絶句(四句)の後半部分だろうと思われます。

 勉強は後になって本質が分かる部分がありますが、疑問に思ったことを放っておかないで追求したことは素晴らしいですね。
 また、頑張って下さい。

2004.8.20




 ゆかりさんからのお返事です。

 お早いお返事どうもありがとうございました!
 正直こんなに早く分かると思っていなかったのでびっくりしています。
どうもありがとうございました!

もう長年の謎が解けて感激しています。
本当にありがとうございました。
なんだか涼しげで大変きれいな詩ですね。
ちょっと疑問に思ったのが、
> 昨夜から降り続いた雨に 檻の前の山には涼しい雰囲気が生まれた
 「檻」というと囚人が入っている所という感じがするのですが、ここで言う「檻」とは一体何なのでしょうか?

 また、質問したことを褒めて頂いてどうもありがとうございます。
 私は高校から商業高校に進んだため、普通科の科目がほとんどありませんでした。
でも国語の授業のとき「人面桃花」という漢詩を勉強してこの漢詩が好きになり、こういうものを何も参考書を使わずスラスラ読めるといいなぁ、と思いました。
 私のような漢詩初心者でも読めるような本があればいいなと思います。
 インターネットって本当に便利ですね・・・。

 鈴木さん本当にどうもありがとうございました。




 私の再度の返事です。

 漢和辞典で調べますと、@「獣や囚人を入れる場所」という意味とともに、A「てすり、欄干」の意味も載っています。この場合はAの方の使い方でしょうね。
 「疑問に思った」ということが次への発展となる、是非ゆかりさん自身で漢和辞典で再確認をしてみて下さい。今回は私が教えてしまいましたが、同じステップを辿ることで、ゆかりさんが書いておられた「スラスラ読める」段階へと少しずつ近づいて行くのです。
 ただ、実際には「参考書も使わず」読める人はいません。特に外国の文学ですから、参考書を使った方が誤解をすることは少なくなると思っていますので、私はどんどん参考書を読んだ方がいいと思っていますよ。




 そして、最後にもう一度ゆかりさんの手紙です。

どうもこんばんは。
またまたご親切に教えていただいてありがとうございました!

漢和辞書で調べればよかったのですね。
どうもすみません・・・。

本当にどうもありがとうございました<(_ _)>
これからもホームページ運営頑張ってくださいね
それでは失礼致します( ´・ω・)ノ





 ということで、今回はすぐに詩を見つけることができました。でも、私の意図をしっかり読み取って下さった最後の手紙などを見ると、ちょっと幸せな気持ちになりました。
 その幸せを皆さんにも紹介しました。






















「龍が湖底でまどろんで」・・KMさんからの質問

先日、桐山堂でのアンケートの折に、こんな質問がありました。
 ところで ひとつ教えていただきたいことがあります。
 数年前、デパートで陶磁器の即売会をやっていたとき、有田焼かなんかの四角いお燗ドックリに漢詩がかいてありました。
 龍が湖底でまどろんでいるようなことが書いてあり、非常に気に入ったのですが、2万円ぐらいしたので買いそびれてしまいました。
 これだけのてがかりでもしわかることがありましたら、教えていただきたいのですが。
 ということで、お燗ドックリではなく、そこに書いてあった漢詩が知りたいということです。これだけのヒントでは・・・・と思いましたが、次のお手紙で、
 かなり前のことなのでよく覚えていないのですが、
「龍が湖底でまどろんでいる」の他に
  「鳳凰が飛んでいる」というような記述もあったような気がします。
とにかく スケールの大きな内容だったような気がしています。
と更に詳しくいただきました。
 どなたか、この詩をご存知の方は、私 桐山堂 までお知らせ下さい。






















「『金中漢詩朗誦会』へのお誘い」・・鮟鱇さん(2004/10/10)

鮟鱇です。
みなさん、こんにちは。
 本日は、わたしの知人金中さんの「漢詩朗誦会」についてご紹介とお誘いをさせてください。

 金中さんは、現在東京外国語大学博士課程で、古典和歌・日中比較詩学専攻している中国からの留学生ですが、わたしにとってもっと重要なことは、彼が漢詩人(中華詩詞学会会員)であり、漢詩の朗誦にもすぐれた才能と熱意をお持ちだということです。中国古都・西安に生まれ、一歳より漢詩の暗誦を始め、西安市青少年唐詩演誦大会一等賞受賞。
 そして、さらに重要なことは、彼がとても爽やかな好青年であるということ。
 さて、その金中さんが、次のとおり『漢詩朗誦会』を開きます。

  日時: 2004年10月22日(金)夜7:00〜9:00
場所: 東京都北区・滝野川会館
      〒114-8534 東京都北区西ケ原1-23-3(旧古河庭園付近です)
      代表電話 03-3910-1651
交通機関
  ・JR上中里駅東口 (京浜東北線) 徒歩7分
  ・JR駒込駅東口  (山手線) 徒歩10分
  ・地下鉄南北線西ケ原駅  徒歩7分

 主催:金中後援会 協賛:全日本漢詩連盟。この朗誦会には、全日本漢詩連盟の石川忠久先生が推薦の言葉を寄せられています。

 百聞は一見に如かずといいますが、漢詩は、一聴は百読を凌ぐではないでしょうか。
 会場の場所がら、東京近辺の漢詩愛好家のみなさん、また、詩吟をなさっているみなさんが中心になってしまいますが、詩友・吟友のみなさんをこの漢詩朗誦会にお誘いしたく、この一文を書きました。
 なお、当日ですが、会場で小生にお声をかけていただければ、「漢詩を創ろう」吟社の首都圏分会めいたものも開けるのかなと思っています。
 小生、身長185cm、80kg。手足が長く、髪はありますが、高く広い額。日本人が思い描く「中国人」−つまり中国東北部でよく見かける風貌をしています。加えて眼がね、霜頭。お声をかけていただければとてもうれしい。

 申し込みの方法など、下記のとおりです。

<お申し込み方法>
電子メールにて、jinzhong@gamma.ocn.ne.jpまで。
もしくは、
ご氏名・ふりがな・郵便番号・住所・電話番号を、葉書にて
〒114−0016東京都北区上中里1−41−14金中後援会事務局「漢詩朗誦会」係まで
郵送(消印10月20日まで有効)、
お問い合わせTEL/FAX:03−5567−1986(南雲)。

<料金>
一般2,000円、学生1,000円(税込み)
 ただし、金中さんは、詩友のみなさんが、jinzhong@gamma.ocn.ne.jp に、私鮟鱇の紹介で「漢詩朗誦会」を知った旨のご連絡をいただければ、「招待扱い」とさせていただきたいといっています。金中さんも、ご芳志はもちろん、ありがたくお受けになるでしょうけれど。

<演目>
李白「静夜思」「黄鶴楼送孟浩然之広陵」「早発白帝城」「蜀道難」
杜甫「春望」「登高」「客至」「蜀相」「茅屋為秋風所破歌」
白居易「香爐峰下新卜山居草堂初成偶題東壁」「長恨歌」
孟浩然「春暁」王維「送元二使安西」
王昌齢「芙蓉楼送辛漸」
王翰 「涼州詞」張継「楓橋夜泊」
杜牧「江南春」陶淵明「帰去来兮辞」
土井晩翠「荒城の月」「星落秋風五丈原」


 金中さんの朗誦会については、全国漢詩連盟の会報にも大きく紹介されていましたから、ご覧になった方もいらっしゃるでしょうね。私も関東地区に住んでいれば是非参加したいところですが、残念です。
 鮟鱇さんにお会いできないのも残念ですね。