「国破れて山河あり」(杜甫「春望」)などの名句とともに漢詩は多くの人に愛されています。最近、自分で漢詩を作る人が増え、漢詩教室はキャンセル待ちの状態で、インターネットの漢詩教室も大人気です。韻を踏むなど漢詩つくりには様々な決まりがありますが、基本を押さえれば初心者でも楽しめ、言葉が豊富になるなどの効用もあります。(竹内毅)
この用例はきわめて少れなものとおもわれます。詩語としては熟してなく、甚だ生硬で使用すべきではないものとおもっています。藤堂明保の学研の漢和辞典では、「日本語」として、「実現は不可能だが実現させたい願い」とあります。
Y.T先生らしからぬご意見だと思いますが、もしそのように、「功名の夢は斷える」と読めば俗にすぎて詩にはならないとおもいますが。ここは矢張り、「功名は夢の如く斷ゆる」、と読むべきではないでしょうか(夢斷とあれば、多くは「夢の如く斷ゆる」ということだと理解しています。
「同床異夢」はもともと、夫婦が同床で異った夢を夢むです。転じて先生のような意味になったわけですが、夢を理想と理解するのは無理があります。此の場合も同床に異った夢をみるが如く、各々理想も異なる、ではないでしょうか。
李商隠の五言排律の詩はよく知りませんが、
「夢は紫雲の閣に懸けたるも/望み絶えたり赤城の標」は「紫雲の閣を夢む」ではないでしょうか。
詩的には、夢に紫雲の閣に遊ぶもと同じような手法だとおもいますが。
以下の古詩(たぶん古詩だと思うのですが・・・)の解釈が分からないので、どなたか教えてください。
流水風株残柳西風両岸芦花
かなり前に、書道をやっていてこの詩を書いたのですが、最近になってその書いたものを見つけて、イタリア人の友達にプレゼントしたところ、意味を説明してほしいと頼まれました。
しかし、恥ずかしながら、当時、まったく意味を理解使用とせず、ただ作品製作に没頭していたために、いざ意味を聞かれてみると、まったく説明する事ができませんでした。
どなたか、お助け願えますでしょうか。わがまま言って大変恐縮なのですが、なるべく早めに、よろしくお願いします。
お手紙拝見しました。 ご質問の件ですが、「墨場必携」に載せられているのを見つけました。作者は劉仙倫という人のようですが、この人については詳しくは分かりません。
流水風株残柳西風両岸芦花
載せられている句は、お書きになったものと一字違います。
流水数株残柳 西風両岸蘆花
読み方は「流水数株の残柳 西風両岸の蘆花」とそのまま読み下します。
意味は、「流れる水が数本の柳のほとりに、秋風が両岸の蘆の花を吹き抜けていく」というもので、秋の河原の冷ややかな光景を描写したものです。
外国の方のためにもう少し補えば、「柳が数本植わっているだけの寂しげな秋の河原、水が冷たく流れている。秋を告げる西風が両岸を吹き抜け、蘆の白い花が雪のように見える」という印象的な光景です。
参考にして下さい。
回答ありがとうございます。
大学の図書館などで、いろいろと調べてみたのですが、まったくこの詩に関した文献が見つからずに、どうしてよいものか困っていました。
早速、友人にメールして知らせたいと思います。
本当にありがとうございました。
今後、自由になる時間を持てるようになり次第、書道の勉強を再開したいと思っています。そして今回は、それと同時進行して、漢文の世界にも触れてみたいと考えているので、また、質問させていただくことがあるかもしれません。
その折にはよろしくお願い致します。
「流水風株残柳、西風両岸芦花」の作者劉仙倫の簡単な経歴を見つかった。
ご参考ください。
2003. 7.17
ということは、確かにそのとおりかも知れません。アメリカンドリームの「ドリーム」の意の「夢」は和臭であるといわれてきましたからそれを書く詩人はきわめて少なく、そこでは「詩語」として熟すはずがありません。しかし、だからといってアメリカンドリームの意味での「夢」を詩から排除してしまうとしたら、いつになったら「夢」が「詩語として熟し、生硬ではなくなる」のでしょう?
アメリカンドリームの意味での「夢」を書いた素晴らしい詩が現れれば、「夢」は「詩語として熟し、生硬ではなくなる」と思います。
詩における言葉は、文法がおかしい、意味が通じない、というのであればともかく、一部の語を切り出して是非を問うべきではありません。その語が詩全体のなかで生きているかどうかが問題なのだとわたしは思います。
見方を変えれば、「詩語として熟し、生硬でない」語をいくら並べたところで、全体が詩として生きていないなら、それらの語がその詩において「詩語」であるはずがない。とわたしは思います。詩は志をいうのであって、詩語を並べれば詩になるとは限らないからです。また、「詩語」を中国語の文法を無視し日本語から「テニオハ」と活用語尾を削ってならべただけのように書けば、そこでの「詩語」は和臭となります。
なぜ俗にすぎるのでしょうか?「夢」を和臭と思うからそのように思えるだけのことではないのですか?>ここは矢張り、「功名は夢の如く斷ゆる」、と読むべきではないでしょうか
「の如く」 と、なぜ原作にない語を補うのですか?Y.Tさんの訳がまずければ「功名は夢に斷え」と訳すのはどうですか?
ここでの「夢」は人生に対する「思い」を比喩するものとしての「夢」です。アメリカンドリームの「ドリーム」だって、人生の比喩でもあるのだから、「功名は夢に斷え」と訳せませんか?
アメリカンドリームの「ドリーム」にしても、はじめは単なる「夢」だった「ドリーム」から、単に「夢」だけではない「ドリーム」に転じたのではないでしょうか。
「同床異夢」の「夢」を、ある中国人が、「同床に異った夢をみるが如く、各々理想も異なる」ととしか理解できないとしたら、その人は「アメリカンドリーム」を、「アメリカならではの夢をみるが如く抱く理想」としか翻訳できないことになります。しかし、そんなまわりくどい中国人がいるとはわたしには思えません。きっと現代中国人にとっての「夢」は、一般に、英語の「ドリーム」と同じ意味に転じていると思います。そこで、彼らは「美国之夢」と翻訳すると思います。
(三年程前、当サイトの平仄討論会へ投稿した時と今では、漢詩に対する私の考えが少し違ってきているので、それに就いては平仄討論会で述べないと片手落ちになりますので、平仄論に就いては其方へ投稿させて頂きます。)
************** K さんからの質問(9/3) *************
はじめまして、初めてメールします。
香港映画で見た、漢詩の作者を探しています。
十里平湖霜満天
歌の内容は以下
霜に凍てつく十里湖で
過ぎし昔を思い出す
ひとりさびしく月をみて
ついの、おしどり、うらやまし
*************** プーさんからの質問(9/3) ***************
はじめまして
早速ですが、次の漢詩についてご存知の方は教えて頂けないでしょうか?
涙尽羅巾夢不成
夜深前殿按歌声
紅顔未老恩先断
斜奇薫籠坐到明
中の幾つかは、簡単な漢字になっていますが、よろしくお願いいたします。
宿題ですので、できるだけ早く(今週中に)お願いいたします。
*****************************************************
プー様へ*********************************************************************
逸爾散士です。
「涙、羅巾に尽きて…」の詩は、白居易の「後宮詞」二首のうちの一首。
『万首唐人絶句』(書藝界版、太刀掛呂山訓註 第一巻280ページ)で見つけました。
四番目の句は「斜めに薫籠に倚(よ)って」です。
下段の訓読み、上段の語註を転記します。
涙、羅巾に尽きて夢成らず
夜深(ふ)けて前殿に歌声を按ず
紅顔未だ老いず恩先ず断え
斜に薫籠に倚って坐して明に至る。
・前殿は漢宮の名
・薫籠はふせご、衣に香をたきこめるかご
・王建の作ともいう。
意味はなんとなくわかりますね。宮詞というのは宮女のことを詠んだ詩。
この辺の説明は桐山人先生に譲ります。
「按ず」というのが辞書を引くと、「控える」と「考える」と意味があったので、「前殿に他の宮女が皇帝と遊んでいる歌声のことを案じている」のか、「夜更けて歌声を控えている」のか、よくわからない。(そりゃ散文的か)
「倚る」は、「籠に寄りかかっている」のですね。
そのうちに夜明けになってしまった。
アンニュイな気持ちを表すのに、後宮の女性は斜めに琵琶を抱えたりするのが相場。
(王昌齢の詩にあります)
ついでに白居易の後宮詞のもう一首をあげておきます。
雨露由来一点恩 雨露由来一点の恩
争能遍布及専門 争(いか)でか能(よ)く遍く布(し)きて千門に及ばん
三千宮女臙脂面 三千の宮女、臙脂の面
幾箇春来無涙痕 幾箇か春来って涙痕無からん
村上哲見先生の『唐詩』(講談社学術文庫)に、「ルール違反としない例外」として以下が書いてありました。(p328)
五言句、七言句何れでも、押韻をしない奇数句の下三字で、「平仄仄」となるべきを「仄平仄」としてもよい、
というのがそれです。
この結果、二四不同や二六対が破られることが起こります。
この例外は入谷仙介先生の『漢詩入門』には記載されていません。
この件、桐山人先生は如何お考えでしょうか?
拝啓 桐山堂先生というものです。他にも読んで興味を持たれた方もおられるでしょうから、紹介しておきましょう。
11月7日の朝日新聞朝刊の「天声人語」欄に、
「銀河澄朗たり素秋の天 また林園に白露の円かなるを見る」(源順)
という詩が書かれていました。
多分漢詩だろうと思いますが、もしご承知なら元の詩を教えて下さい。
この詩は、『和漢朗詠集』巻下(ほぼ最後のあたり)に載っている詩です。
引用された二句を首聯(発句)としている七言律詩です。
私が持っている岩波古典大系本では、出典が明記されていませんので、題名も実は分かりません。「白」という季題として選ばれた詩です。
銀河澄朗素秋天 銀河 澄朗たり 素秋の天又見林園白露円 又林園に白露の円かなるを見る
毛宝亀帰寒浪底
毛宝 の亀は寒浪の底に帰り王弘使立晩花前 王弘の使いは晩花の前に立てり
蘆洲月色随潮満 蘆洲の月の色は 潮に従って満つ
葱嶺雲膚与雪連 葱嶺の雲の膚は 雪と連なれり
霜鶴沙鴎皆可愛 霜鶴 沙鴎 皆愛すべし
唯嫌年鬢漸皤然 唯 嫌ふらくは 年鬢の漸くに皤然たることを
[口語訳]
銀河が澄み輝いている 秋の夜空
森の林園には 白露が丸く光っている
毛宝の部下を助けた白亀は寒々とした浪の下に帰って行き
王弘の使いは白衣を着て酒を携えて菊の花の前に立っていた
白い蘆が生えている中州では、月の光が潮の満ちるのに合わせて満ちてくる
西域の果て、葱嶺の地では、雲が山の白い雪とつながっている
白い霜に驚く白い鶴、白い沙に遊ぶ白い鴎、どれも白いものは愛すべきものであるが、
ただ、頭の毛が次第に次第に白くなるのだけは嫌な物だよ
語注
[毛宝]:
晋の毛宝という人の部下が白い亀を養っていた。戦がひどくなり、亀を江に放してやったが、やがて負けてしまい、亀の主人だった人も江に飛び込んで逃げようとした。
しかし、ほとんどの人はおぼれて死んでしまったが、この主人だけは亀に助けられて浅瀬に運んでもらえた。恩返しをした亀は、そのまま江の底へと帰っていった。 という話が残されています。
[王弘];
陶潜が重陽の節句に酒を切らしてしまい、庭の菊の花の中に坐っていた。すると、白衣を着た使いの者が現れ、酒を届けて帰っていった。
こちらも、こういう話が残されています。
全ての句に、「白」を表す言葉を置いた、詠物体の詩です。
作者の「源順」(みなもとのしたごう)は、日本の平安時代中期の詩人です。「梨壺の五人」の中の一人として、「後撰集」の撰者にもなり、当時の代表的な詩歌人だった人ですよ。
******[真瑞庵さんの作品]******この件につきまして、ご意見や感想がおありの方は(桐山宛メール)をお送り下さい。
雨日雑賦雲脚低庭樹 雲脚 庭樹に低れ
午窓細雨昏 午窓 細雨
昏 し
庵前人影絶 庵前 人影絶え
檐下滴声繁 檐下 滴声繁し
加霜貪酣睡 霜を加えて 酣睡を貪り
賦詩弄酔言 詩を賦して 酔言を弄す。
寓居存俗外 寓居 俗外に存って
何用発蓬門 何ぞ用いん 蓬門を発らくを
******[謝斧さんの感想]******
詩を鑑賞するとき、詩の外にある詩人の心情を推し量ることは大切なことだと思っています。詩人も、短詩形では、いいて言い尽くせぬことがありますので、蘊藉や比興を用いて、言外に読者に意を伝えます。それ以外でも、何気もない叙述の中に詩人の心情が感じ取られることもあります。とくに句中の一字で作品の好し悪しが決まることが多いようです。
陶淵明の「采菊東籬下 悠然見南山」で坡公が、
望南山では詩の面白みを減じる
といったことは有名です。(東坡志林)
「望」が「見」より詩語として劣っているという訳ではありません。そのときの適不適です。
これが詩眼と言うものだとおもっています。
今回の真瑞庵先生の詩で
寓居存俗外 寓居 俗外に存って
何用発蓬門 何ぞ用いん 蓬門を発らくを(詩人の意は開門にあります)
詩の意味は「門は常には開いておくべきだが、誰もたずねて来る者もいないので門を開くには及ばない」ととります。
詩からは、少しばかり客がくればよいのだがという期待もあるように感じられます。また、詩人の物ぐささしか感じられません。
寓居存俗外 寓居 俗外に存って
何用杜蓬門 何ぞ用いん 蓬門を杜じるを(詩人の意は杜門にあります)
とすれば、「誰もたずねて来る者もいないので、門を杜じなくても世間とは謝絶できる」となります。
開放的で悠々自適なかんじがえられるのではないでしょうか。
******[桐山(私)の返事です]******
「杜門」は陶潜の「飲酒」だったかと思いますが、謝斧さんの仰るところまで私は理解できませんでした。
それよりも浮かぶのが、「帰去来辞」の「門雖設而常関」だったものですから、門を閉じるか閉じないかで混乱しています。
謝斧さんの仰るような「何用杜蓬門」とすれば「誰もたずねて来る者もいないので、門を杜じなくても世間とは謝絶できる」となります。開放的で悠々自適なかんじがえられるのではないでしょうか」というご意見についてですが、
ここは「存俗外」に込めた意味合いの違いか私は思います。
真瑞庵さんは、「せっかく俗外にいるのに、誰も来て欲しくない」という気持ちでしょうし、謝斧さんは「俗外にいるのだから、誰も来るはずもない」と取る。
謝斧さんのお考えも今回よく理解できましたが、真瑞庵さんは「俗外」にいること自体に大きな喜びを感じていて、そのことを「門を閉じる(何用発蓬門)」という言葉で表しているように思います。
つまり、心理を行為で表したのではないか。そう読むと、反語の意図も生きるように思いますが、いかがでしょうか。
******[謝斧さんからの再度の手紙です]******
今回の件では基本的には桐山先生と同じだとおもっています。
詩人の真意は先生の説かれる通りだと思います。そうでなければ詩としては成立しません。しかし、読者の立場で叙述からだけで推し量ると、無理があるように思えます。
「寓居はたまたま人里はなれた処にあるので、おそらくは誰も訪ねては来まい、だから面倒なので、敢えて門を開くには及ぶまい」としかとれません。
また、お手紙の真瑞庵さんは「俗外」にいること自体に大きな喜びを感じていて、そのことを「門を閉じる(何用発蓬門)」という言葉で表しているように思います。つまり、心理を行為で表したのではないか。そう読むと、反語の意図も生きるように思いますが、いかがでしょうか。 という点については、そうであれば、くどいようですが、「何用杜蓬門」ではないでしょうか。 「蓬門を杜る必要は無い、なぜならば、俗外(地自偏)の為、人が訪ねて来ることもない。もしこれが車馬の喧しいところであれば、客を謝する為、常に蓬門を杜じる必要に煩わせられる」じゃないでしょうか。
心理を行為で表したのではないかというのは、勿論そうですが、工夫が拙いとおもいます。
実際に俗外にあって、自然の豊かなところにあるのに、蓬門を発かない理由が何故にあるのかが、読者の戸惑いでもあります。
ただ一字のことですが、詩情が随分違ってくるように感じます。
「帰去来辞」の「門雖設而常関」と「何用発蓬門」は同じような手法のようですが、詩意はちがいます。
「門雖設而常関」の説明として釈清潭は「俗人の来るを厭えばなり」と説明しています。
私は少し違うように思っています。
「門雖設而常関」のあと「策扶老以流憩」とありますので、「身は自然の豊かな処においているため常に外出している」と理解しています。
******[以上のやりとりをご覧になっての真瑞庵さんのお返事です]******
今日は、真瑞庵です。
いつもお世話になっています。又、貴ホームページ、いつも楽しみに開いています。新しい漢詩愛好者の参加が増え、同好の一人として喜んでいます。
さて、小生拙作『雨日雑賦』についての謝斧先生と桐山先生の遣り取り、興味深く読ませていただきました。
昨年9月まで作詞の指導をして下さいました村瀬九功先生はよく、『詩は人の目に触れるまでは自分の詩。触れた以後は其の詩を読んだ人の詩』と言っておられました。
発表以後は作詩者の意図から離れ、読み手の個性、感性によって解釈され、鑑賞されるからでしょう。特に五、七絶や五、七律のように短形の漢詩においては、送り仮名の振り方一つで其の詩の雰囲気は変わってしまいます。
拙詩の結聯『寓居存俗外 何用発蓬門』に付いての小生の意図と申しますか気持ちを申しますと、
雨によって得られた折角の静かな環境(俗外)を何者にも邪魔されろ事無く楽しみたい。門を開く事によって入ってくるであろう、社会に今、現実に起こっている事柄からも離れて、この時を静かに過ごしたい。何故好んで門を開こうや。
というところです。
小生は詩を作るとき自分の思い、あるいは景色の状況をどう表現したら、其の思いや状況を言い表せる事が出来るのかを主眼に言葉選びをしています。其れゆえでしょうか、時として杜撰、稚拙、俗などの批評を頂く事がまま有ります。
難しい事は分かりません。只、素直にその時その時を詩にして行く積りです。
今後ともご指導ください。