作品番号 1999-1
去歳渡蒼海 去歳、蒼海を渡り、
新華天下魁 新華 天下の魁。
一陽初処動 一陽 初めて 動く処、
持節再花開 持節 再び 花開かん
<解説>
[語釈]です。
「去歳」去年。
「渡蒼海」ここ二年続けて賀状に記した言葉。
「天下魁」百花にさきがけて咲く意。
徳川斉昭公「弘道館賞梅花」:
弘道館中千樹海、 精光馥郁十分開。
好文豈謂無威武、 雪裡占春天下魁。
「一陽初処動」「易」[復]の注より。
「持節」節操を守ってかえない意。また別の意あり。
年賀状に付けようと書きまして、「陽」字一色で浅薄ですが、「一陽初処動」裏に「陰窮」をみて頂ければ幸甚です。
昨年はこの漢詩HPで色々な漢詩を読ませていただき、大変楽しかったです。ありがとうございました。今年も時々訪れますので、宜しくお願いいたします。
作品番号 1998-2
己卯之年唯欲求,
健康工作両無憂。
心中更有何希冀,
網上漢詩多唱酬。
<解説>
※注釈
1)工作:仕事。
2)網:インターネットは中国語では英特網と訳されている。
英特はインターの音訳で、網はネットの意訳である。
英特網は網とも略される。
※訳文
ウサギの年にただ求めたいのは、
体と仕事の両面に心配がないこと。
心に更に何か別の願いが有るかと言えば、
インターネット上で、皆さんと漢詩の唱和を多くすること。
作品番号 1998-3
獅子 看過 賀客無 獅子 みすみす過ぎ 賀客無し、
心閑 独酌 飲屠蘇 心 閑にして 独酌し 屠蘇を飲む。
寒門 信少 何須患 寒門 信少なし 何ぞ患(うれ)うをもちいん。
網上 朋来 不楽乎 網上より朋来る 楽しからずや
<解説>
「獅子」=獅子舞のこと。
「賀客」=年賀のお客さん。
「寒門」=貧しい家。
「信」=手紙のこと。この場合は、年賀状。
「網上」=パソコン通信やインターネットからという意味。
この詩の意味は大したことはありません(^_^;。一言付け加えますと、なぜ我が家が「寒門信少」となるかと申しますと、我が家では「年賀状を出さない」という家風があります。
で、年賀状が来ても返事を書かないので、当然年々、年賀状の量が減ってきているのであります。でも、近年は、パソコン通信を通じて、いろんな人と交流がとれるようになったので、全然寂しくない…と。まあ、そんなところです。
作品番号 1998-4
鐘響傾聴暦尾宵 鐘の響き傾聴す 暦尾の宵
瑞光欽望改春朝 瑞光欽(つつし)んで望む 改春の朝
月回星転迷淵深 月回(めぐ)り星転ずれど 迷ひの淵深く
心気新興悟入遼 心気新たに興せども 悟入遼(はる)かなり
<解説>
『大意』
除夜の鐘をつきご来光を拝み、新しい年が始まったが
歳月が移っても修行の成就ははるかに遠い
こんなとこでしょうか。私、坊主でございまして、「僧侶たるもの漢詩ぐらい作れないかん」と師匠に言われ途方に暮れて居りましたところ、この漢詩HPを見つけました。
何とか漢字を並べて意味をこじつけてみましたが、今後ゆっくり勉強させていただきたいと思います。
とりあえず、おかげさまで新年の偈は何とかなりました。
作品番号 1999-5
過千年紀思連綿 千年紀を過ぎて思ひは連綿
紀思連綿詩尚鮮 思ひを記して連綿たれば詩は尚鮮やかなり
詩尚鮮時宜下筆 詩尚鮮やかなる時は宜しく筆を下すべし
時宜下筆過千年 時宜に筆を下せば千年を過ぐ
<解説>
回文詩です。語句の重複を省きますと、次のようになります。
過 筆 千 下 年 宜 紀 時 思 鮮 連 尚 綿 詩
作品番号 1998-6
新春麗日身康健 新春麗日 身は康健
醇酒佳肴意晏如 醇酒佳肴 意は晏如
一幅早梅為画賛 一幅の早梅 画賛を為す
澄清筆硯試亳書 澄清筆硯 亳書を試す
<解説>
今年の書き初めは、自作の水墨画「早梅之図」に画賛を入れることにしました。昨年中に描いてあった画に画賛の漢詩を創り、屠蘇気分が消えさらぬまま、ほろ酔い気分で筆と硯を清め墨をおろして書き入れました。
絶好の冬晴れ、心身とも健やかで、良い日でした。
尚、起句は「ふみおとし」にして、対句にしてみました。
作品番号 1998-7
剪術甚昏傷樹頻 剪術甚だ昏く、樹を傷めること頻り
茶梅以萼復酬人 茶梅萼を以て、復た人に酬ふ
驚惶浩闊天然諭 驚惶す 浩闊天然の諭(おし)へ
自戒軽佻欲待春 軽佻を自戒し、春を待たんと欲す
作品番号 1998-8
曙雲欲拝坐春風 曙雲拝せんと欲して 春風に坐せば
南圃寒梅一萼紅 南圃の寒梅 一萼紅し
藍尾三觴新歳旦 藍尾三觴 新歳の旦(あした)
醺醺睡且入壺中 醺醺たり、睡りて且(まさ)に壺中に入らんとす
<解説>
元旦ということで、めでたそうな「上平声一東」の韻で作ってみました。
今年の正月は特に穏やかな日が続き、のんびりとお屠蘇を飲みながらうとうととして、夢のような三が日を過ごしました。
「藍尾(酒)」はお屠蘇のことです。年少者から順に飲み、最後の人は残り物に福があるということで三杯は飲むのだそうです。「醺醺」はお酒が良い香りを立ち上らせていることですが、気持ちよく酔った状態を表しています。
酔った幸福な気持のまま、詩の仙人様の所にさまよって行きたいという、わがままな気持を詩にしてみました。
勿譏吾酒失 吾が酒失を譏(そし)る勿(な)かれ
時得聴声律 時に声律を聴くを得たり
酔境近霊山 酔境、霊山に近く
仙人来補筆 仙人来たりて補筆す
<解説>
酒を飲みながら詩を作っていると「いい詩ができた」と思えるときがあります。読み返してみると、たくさんの間違えに気付くものですが。。。。
唐詩は平声押韻が基本ですが、平仄を覚えるつもりであえて仄声に挑戦しましたが、どんなものでしょうか。
あえて工夫をいえば、酒を飲んでシャックリがとまらない感じを「質」韻に求めています。
<感想>
仄韻の詩は、それだけで「五言古詩」の雰囲気を持つものですね。
唐代の人が「質」韻にシャックリを感じたかどうかは分かりませんが、でも、海を越えて時を超えた私たちが、漢字の音を勝手に楽しむというのもなかなか良いものですよね。
この詩は、五言絶句の短詩の中に、詩を作る無限の楽しみがよく表れていると思います。でも、鮟鱇さんの本音は、題を「酒佐詩(酒が詩を佐ける)」ではなく、「佐酒詩(酒を佐ける詩)」にしたいのではないかと、推測しているのですが・・・・・。
1999. 1.20
作品番号 1998-10
群羊任彼莫安堵 群羊 彼に任せて 安堵莫し
孤虎自威茫竹林 孤虎 自ら威なれど 竹林茫たり
都水成川治水世 水を都(す)べて川と成り 水を治めて世となる
大人隠巷小人山 大人は巷に隠れ 小人は山に隠れん
<解説>
以下、失礼ながら説明です。
[語釈]
「莫」なし。
「茫」ひろい。
「都」統べる。あつめる。
「巷」町中。
[主題]
一人では守る範囲に限界があるが、かと言って群れになると守備範囲は広がるものの、境界線上では一人なら守れたのに二人の息が合わないと守れないものがある。
作品番号 1999-11
早梅已発一枝新 早梅已(すで)に発(ひら)きて一枝新たなり
黄鳥未啼三始春 黄鳥未だ啼(な)かざるも三始の春
仰看天晴陽欲旺 仰ぎ看(み)れば天晴れ、陽(ひ)旺(さか)んならんと欲す
気清光静思精純 気は清く光静かに思ひは精純たり
<解説>
わたしたちの暦では、正月はまだ冬、それなのに「迎春」などと年賀状に書きます。春の到来と新年を迎える気持ちがうまく重なるのはなんといっても旧正月、そんなことを考えながら春節(旧正月)を祝うつもりで作った詩です。
なお、詩のなかの「三始」は、年のはじめ、月のはじめ、日のはじめが重なる「元旦」の意味です。
<感想>
立春も過ぎ、少しずつ春が近づいてきているように思います。鮟鱇さんが言われるように、正月の決まり言葉の「春」を迎えて喜ぶという気持は、確かにこの季節がふさわしいように思いますね。
16日が旧元旦、すぐに「雨水」(18日)、そして「啓蟄」(3月6日)と、二四節気の名前を見るだけでも春を感じさせてくれます。
本当に、春はもう一息。風邪や流感に負けずに、頑張りましょう。
鮟鱇さんの今回の詩は、前半の言葉の勢いに対して後半がやや弱いようですね。特に、転句の「陽欲旺」と結句の「光静」が対立する内容になってますので、なおさら後半の抽象化が曖昧なものを多くしているように思います。
頼山陽の『元日』の「東窓掃几迎初日」の句から言葉をいただいて、結句を「東窓掃几思精純(東窓 几を掃ひて思ひは精純たり」とすると良いかな?と考えました。つまり、もう少し具体的な新年らしい行動を述べてから、心の方へ移りたいという感覚だろうと思います。
また、お考え下さい。
1999. 2.11
作品番号 1999-11-2
早梅已発一枝新 早梅已(すで)に発(ひら)きて一枝新たなり
黄鳥未啼三始春 黄鳥未だ啼(な)かざるも三始の春
仰看天晴陽欲旺 仰ぎ看(み)れば天晴れ、陽(ひ)旺(さか)んならんと欲す
南檐軽掃思精純 南檐に軽く掃けば、思いは精純たり
<解説>
鈴木先生のご指摘もあり、旧作の結句を改めました。
小生、実をいえば寝正月派で普段からあまり正月らしい過ごしかたをしていません。旧作はそのあたりの弱点がもろに出てしまったもので鈴木先生のご指摘、大変ありがたく思っています。
とはいえ、山陽の「東窓掃几」はいかにも文人の正月で私の詩には立派過ぎますし、気分はやはり家の中より外ですので、私は、軒先をちょっと掃くぐらいにしました。
「軽掃」は、中国語としてなりたつかどうか、少し不安もあります。「清掃」「掃除」「彗掃」とすれば問題はありませんが、正月ですので、「軽く」掃くぐらいかなと思いました。
1999.2.16
作品番号 1999-12
早梅耐冷風揺枝 早梅は冷に耐へて風は枝を揺らす
残雪将消樹影基 残雪は将に消えんとす樹影の基
童子指呼存醴酒 童子指呼す醴酒(あまざけ)の存するを
握杯吹熱感春時 杯を握りて熱きを吹けば春の時を感ず
<解説>
子供と公園へ行った折に梅がすでに開いていた。
風はまだまだ冷たく梅の木の根元あたりにはまだ少し雪も残っている。
突然こどもが大きな声で指差した。”お父さん、甘酒があるよ”
両手で杯を持ち、ふうふういって飲めば春の近いことを感じた。
<感想>
冒頭にも書きましたが、起承転結の展開がとてもうまく出来ていると思います。自然描写から人事へと移り、再度春を呼び寄せて終わる、初めての作とは思えませんね。こういう構成力は持って生まれたセンスが関わるのですから、自信を持って下さい。全体としては、子どもとのほのぼのとしたやりとりや、早春の雰囲気が目に浮かぶような、そんな詩だと思います。
ただ、細かい所でやや気になる点もあります。以下に述べますので、今後の参考にして下さい。
起句: 「冷」となってますが、ここは「寒」で構わないでしょう。中国語を勉強しているとのことですから、つい「冷」になったのでは、と思いますが、表現としては「寒に耐へ」の方が語の流れが良いでしょう。下三字の「風揺枝」は、その前の梅との関連が弱く、冬の風なのか春の風なのか、枝を揺らすから梅がどうだと言うのか、が分かりません。ここは欲張らずに、風の話はやめて、起句は梅の描写に絞った方がつながりが良いと思います。
結句: 七字の中に動詞が三つ続いてますが、こうした場合は一般的には畳みかける表現となり、「握って吹いて感じたぞ」という、いわば動作のリズムの強調表現ですね。ここはでも、そんなに強調する必要は無いと思いますので、「握る」か「吹く」か、どちらかを除き、その分説明を丁寧にしたらどうでしょうか。
初めはどうしても沢山の動詞や名詞を入れたくなりますが、漢詩は省き過ぎと思うくらい素材を絞っても良いと思います。詩の形式による字数制限があると言うことは、絵で言えば画用紙が小さいことと同じです。小さなカンバスにあれもこれもと色々な物を描き込むよりも、選び出された素材を丁寧に描いた方が、創作意図がより伝わるわけで、そんなつもりで作り始めると主題のすっきりした詩になると思います。
以上、ご参考までに。
1999. 2.16
作品番号 1999-1
菜花満野一川渾 菜花は野に満ち一川渾(なが)る
金色報春陋屋軒 金色春を報ず陋屋の軒
童子午眠水牛背 童子は午眠す水牛の背
光陰不過細民村 光陰は細民の村を過ぎず
<解説>
中国は貴州省貴陽から車で2時間ばかり走った山間に少数民族が住む貧しい小さな村があった。
あたり一面金色の菜の花が咲き乱れ、清らかな小川も流れていた。
粗末な家のかたわらには水牛が一頭ゆっくりと動いており、おやおやその背中には小さな子供が気持ちよさそうに昼寝をしているではないか。
静かな村全体が時間の流れに置き去りにされたような不思議な春の昼下がり。
<感想>
以下の記事は夜光杯さんに私が送ったメールの部分です。夜光杯さんの承諾を頂いて、他の方の参考のためにも転載しました。
詩の展開としては、前作と同じく、起承転結がうまくつながって、のどかな農村の春景がうまく描かれていると思います。ただ、形式、表現の点でいくつか今回は疑問点がありますので、やや耳に痛いかもしれませんがお許しを。
<形式>
平仄の面で、4字目の孤平が承転句にあり、これは禁忌です。承句は3字目を、転句は5字目を平字に替えた方が良いでしょう。孤平は他の部分でしたら許されるますが、七言詩の4字目の孤平は避けなくてはいけません。
結句の「過」は、「過ぎる」の意味の時は平声になります。「過(あやま)ち」の意味の時は仄声ですが、この詩の場合は意味から平声となりますので、二四不同の規則を破ることになります。別の言葉を探して下さい。
<内容>
起句の「渾」ですが、漢字本来の意味は「水が盛んに流れる」で、そこから、また「混」との流用から「濁る」意味が加わります。夜光杯さんのイメージは清らかな川がさらさらと流れていたというものとのことですので、他に用例があってもここは避けた方が良いでしょう。
「陋屋」「細民」も、自身のことを言うのでなく、他人のことですので、やや表現が直接的過ぎるように思います。判断の言葉でなく、形状を表すようにして、「粗末な狭い家だろうなぁ」と思わせるようにして下さい。「茅舎」「茅茨」などの言葉があります。
「細民」は、長閑な田園風景ですし、陶淵明の語を借りて「遠人」などはいかがでしょうか。
1999. 3. 1
作品番号 1999-14
独居老嫗已帰灰 独居の老嫗、すでに灰に帰し
陋屋猶遺又両梅 陋屋、なお遺(のこ)る、また両つながらの梅
紅白花開大都北 紅白の花開く大都の北
珍奇鶯囀告春来 珍奇なり、鶯の囀じて春の来たるを告ぐ
<解説>
鶯は語る法華経
一人住まいの老女が亡くなって
慎ましい家と、また、一対の梅が残っている
紅白の花が開く、東京の北
(大都会では)珍しく、鶯が鳴いて春の来るを告げている
庭に梅を植えて愛した都会の孤老の霊が、鶯に化生して質素な旧宅に戻って来たという詩です。
<感想>
鴬の鳴き声と法華経を掛けた洒落た題名ですね。
悲しい内容で人事を語りながら、暗くならずに詠じているのは、転句結句の「紅白」「珍奇」「春来」という言葉の持つ明るい語感によるのでしょう。
1999. 3. 2