暮れの中国旅行は夫婦ともに大満足でした。
もともとは、前年に夜遅くにホテルに着いて、翌日丸々ホテル内で仕事して、翌々日朝早く出発したために、ほとんど見られなかった杭州が目当てだったのですが、実際には、上海で過ごした時間の方が印象的でした。
先人の詩によるイメージを持っていなかった分、街そのものの趣・情緒といったものが感ぜられたのかもしれません。
上海は、新しい、といえば新しい都市なのですが、どこか懐かしいような気もしないでもない。
100年の昔の「過ぎ去った近代」みたいな雰囲気を残しているように思いました。
妻も気に入って、「また来年も行こう」「行こう」と、今年、我が家ではちょっとした中国語ブームです。
ところで、新年漢詩の「甲申歳旦發上海還東京」は、帰りの飛行機の中のイメージで作ったものでしたが、現地での印象に基づいても、今、幾編か詩の思案をしているところです。
必ずしも思うように詩作は進んでいないのですが、(旅行中の写真を使った)寒中お見舞い用に作ったものが、 自分でも割と気に入っているので、投稿したいと思います。
(前置きばかり長くなりましたが……)。
作品番号 2004-46
外灘
去來波浪帶烟靄 去来の波浪 烟靄を帯び
新舊閣樓如畫圖 新旧の閣楼 画図の如し
黄浦江頭好風景 黄浦江頭 好風景
鴛鴦比翼心自愉 鴛鴦 翼を比べて 心自ら愉し
<解説>
黄浦江は上海市内をおよそ南北に流れています。
川の東側(浦東新区)は近年、急速に開発が進められている地域で、21世紀の上海を代表するともいえるようなところですが、川の西側に沿う帯状の区域は、外灘(バンド、わいたん)といい、租界時代の石造建築群で知られています。
昨年12月、上海を訪れた際、夫婦ともに最も気に入った場所のひとつで、上海に2泊した間、三度も足を運んだのは、ここ外灘と「上海書城」だけでした。
(「上海書城」というのは福州路にある大きな本屋さん。ちなみに、むかし歌謡曲に唄われていた「四馬路(すまろ)」が現在の福州路)
黄浦江自体は、それほど美しい川ではないのですが、時たま靄のかかる川面を過ぎる船を眺めたり、活気ある上海の人々の喧騒を感じたりしつつして河畔を歩いた時間は、非常に楽しいものでした。
また、日が暮れるにつれ、川の東西の建物が徐々にライトアップされ、さまざまな光を纏う建物等々の姿も、驚くべき美しさでした。
<感想>
浦東空港から上海の市街地へと車で移動していると、マンションが林立し、千七百万人が居住する巨大都市の姿が見えてきます。現代と近代が混合した不思議な空気を感じ取ります。
私が行きました時は、外灘の夜景、豫園の散策など、お決まりのコースでしたが、とにかく人の多さにあきれました。しかも、それだけ多くの人が居て、誰も信号を守らないで自動車の前を平気で横断するという状況に、はらはらし続けでしたね。
詩の方は、転句が挟平格で、下三字が本来は○●●となる所を、●○●としていますが、結句の下三字を○●○と孤仄で対応させた形です。
挟平格については、これが正しい形だと私は思っていましたが、観水さんから「結句の対応は要らないのではないか」というご意見をいただきました。
「桐山堂」に掲載しましたので、ご覧下さい。
2004. 2.16 by junji
作品番号 2004-47
參驛傳走 駅伝走に参ず
欲走但心先 走らんと欲すれど但だ心のみ先んじ
幾人行目前 幾人か目前を行く
落花紅足下 落花足下に紅く
飛雪白山巓 飛雪山巓に白し
唯示老蒙義 唯示す老蒙の義
休憂少壯憐 憂うを休む少壮の憐れみ
朔風吹砕志 朔風吹いて志を砕き
一路遠連天 一路遠く天に連なる
<解説>
今回は、自称「走る詩人」です。
町の駅伝大会で毎年最下位を争うチームです。中学生に抜き去られて追いすがる気力もありません。走ればそんな泣き言ばかり。それでも誰も止めようとは言い出さない。今年も性懲りもなく走りました。
五・六句の意は、「愚かな年寄りにも見せておきたい意地がある。若い連中が憐れんでいることなどどうでも良い」というところで、色々試している間にこのようになりました。
家内には「アホ」とか「恥さらし」などと言われつつ「この年になって現に走って見せることに意義があるのだ」などと返していますが、説得力はないようです。
実際の意味においても詩においても「足が地についている」などとは言えないものなのですか゜、私にとっては良くも悪くも今しか書けない詩かと思っています。十年後は無理でしょうね。
<感想>
私も以前(若い頃?)は、部活動の指導の折などに、ロードワークで10キロを生徒と一緒に走ったりしたこともありました。
初めは「生徒に負けないように」とか、少し年齢を重ねてからは「無様な姿で笑われないように」とか、色々と他人の目を気にしたりしていましたが、走り出すと、そうした俗心はきれいに消えて行って、まさしく透明な感覚が頭を占めるようになってきます。
自分の身体を鍛えるという行為は、意識しなくても、精神を鍛えていくのでしょう。脳細胞が活性化するのでしょうか。
定洋さんの、意地というか高揚感はとてもよく分かる気がしますし、結句の「一路遠連天」は実景が浮かぶように共感できますね。
逆にその前の「朔風吹砕志」は「吹」はややもたついて、無駄な字ですね。「朔風将砕志」の方が、擬人法も生きてくるでしょう。
2004. 2.20 by junji
作品番号 2004-48
寄新春遊歩道
鳥囀斜聞下谷沿 鳥の囀りを斜めに聞いて谷沿いを下れば、
徐徐雨上湿風乾 徐々に雨上がりの湿った風は乾く。
天空仰見雲烟拡 天空を仰ぎ見れば雲烟拡がりて、
正月光輝稍後延 正月の光輝は稍後に延びそう。
<解説>
ご無沙汰を致しました。
昨年後半は冷却期間と考えておりました。が鈴木先生のご丁寧なお便りを頂戴しまして、一転詩興が沸き起こりまして今回投稿しました。
昨秋に登りました金峰山をこれからの詩材にと考えております。
寒さ重なる時期ですので、どうぞお体ご自愛ください。
<感想>
今年も是非頑張って下さい。間を置くと、なかなか感覚を戻すのに時間が掛かるもの、少しずつでも意識の中に創作の感覚を残しておくと良いですよ。
順に見ていきましょうか。
起句は「斜聞」は、どうやって聞いたのか分からないですね。「鳥囀幽(微)聞石谷沿」ではどうでしょうか。
承句は「雨上」は「雨の上」となりますので、「雨歇」とし、雨の後の風は湿っているに決まっていますから、「暁風」「午風」「野風」あたりで選びましょう。「徐徐」はこの位置ですと、「雨上」を修飾してしまいますが、良いでしょうか。
尚、「乾」は、「かわく」の意味の時には「上平声十四寒」ですので、注意が必要です。「下平声一先」の場合は、「乾坤」のように方角を表す時です。
結句は、「正月の光輝」とは読みにくく、「正月の光は輝き」となるでしょう。「稍後延」も結びの言葉としては間延びしていますので、もう少しインパクトのある言葉で、春はまだ遠いということをストレートに言った方が良いでしょうね。
この詩は、「新年漢詩」にも掲載しました。
2004. 2.20 by junji
作品番号 2004-49
新春散策山辺道 新春山辺道を散策
二上双峰煙靄融 二上の双峰 煙靄に融く
許多陵墓実雄雄 許多の陵墓 実に雄雄し
蝋梅花発朝霜白 蝋梅花は発し 朝霜白し
今尚山辺留古風 今尚ほ山辺 古風を留む
<解説>
新春の朝早く、山之辺道を天理の石上神宮から桜井の三輪山の麓の大神神社まで散策しました。
山之辺道は奈良から三輪山に至る古い交通路でして、付近には多数の古墳があり、また、大津皇子の墓のある二上山が見えます。ここを歩いておりますと、古代に迷い込んだような気分となる時があり、或いは采女でも通るのではないかとも思います。
この時は二上山は霞にぼんやりと見え、巨大な陵墓に改めて驚嘆の声を発しました。そこに、中国伝来の蝋梅を見つけた次第です。
まさに古風を感じるところです。
<感想>
この詩では、転句をどうするかが難しいところでしょう。
結句の「留古風」を利かせるためには、「蝋梅」が古代を連想させるものだと暗示させたいところですが、どうでしょうね。
転句と結句の内容を入れ替えるような形にすると、蝋梅を出した意図が明確になるかもしれませんね。
あるいは、「花発」の二字、この辺りが何か工夫できそうな気がしますので、皆さん、好句が浮かぶようでしたら、お教え下さい。
2004. 2.20 by junji
作品番号 2004-50
喜万里信 万里の信を喜ぶ
流年難結夢 流年 夢を結び難し
怏怏想砂場 怏怏として砂場を思う
異境故人信 異境 故人の信
三行百慮忘 三行 百慮忘る
<解説>
徒に年だけ食って成し遂げたものがない。砂漠のような人生だ。だが、遠い異国からの友人の嬉しい便りはたった三行だけれど私の多くの憂いを吹き飛ばしてしまった。
<感想>
そうですね、今はメールを使うようになりましたから、遠くの友人とも簡単に連絡が取れるようになりましたが、やはり久しぶりの相手から手紙などを受け取った時は、胸が熱くなります。勝風さんのお気持ちはよく分かりますね。
ただ、詩としては、今回はやや分かりにくい作品になったかな、と思います。
承句の「想砂場」は、「砂漠に行きたい」「砂漠が懐かしい」ということで、次の転句の「異境」や、友人の居るところかと思いました。解説を読むと、「(人生が)砂漠のように思える」ということのようですが、これはなかなか難しいでしょう。
「砂場」は多くの詩では「沙場」の方が使われていますね。
転句では、「故人」が「異境」に居れば、普通は寂しい境遇を嘆く手紙だろうと考えます。そうなると、その手紙は愁いを消すのではなく、一層深めるものになる。「異境」は事実としてはそうでしょうが、詩の効果としては逆の連想を導く役割と言えます。
久しぶりの手紙だということを示す方が大切で、「異境」である必要性は無いように思います。
以上のような明確さを欠く部分があるために、全体として、嘆きの詩なのか喜びの詩なのかがはっきりしないように感じます。
結句の五言らしい簡潔な表現を生かすためにも、そこに到る句で無理をしないことが大切でしょうね。
2004. 2.22 by junji
作品番号 2004-51
寄特命会 特命会に寄す
眺伊吹岳大寒秋 伊吹岳を眺め 大寒の秋(とき)
歓喜団欒尾張楼 歓喜団欒 尾張の楼
七十人生塞翁馬 七十の人生 塞翁が馬
一期一会謝良儔 一期一会 良儔に謝す
<解説>
私は定年退職して10年になります。この間、東京の仲間と名古屋で久し振りにミニOB会を開きました。
私どもの金融機関は全国に150あまりの支店がありましたので、それぞれの地域の方に大変お世話になり現在も親しく付き合っています。
現在の自分はこのような方々の友情に支えられたお陰であり、感謝の意を現わすためにこの詩を作りました。
<感想>
仕事での交際に限らず、これまでの人生の中で出会った多くの方に感謝の気持ちを贈りたいというのは、仰るとおりに「一期一会」の気持ちの表されたものですね。
作者の思いは結句に集約されて、心の素直に描かれた句ではないでしょうか。
固有名詞のことで言えば、起句の「伊吹岳」と「尾張楼」の二つを入れたのは、やや書き過ぎでしょう。どちらかを入れるとすれば「伊吹岳」の方でしょうし、「尾張」をどうしても入れなければならない理由は思い当たりません。
また、転句での「塞翁馬」と結句の「一期一会」も句の趣を落としているように思います。特に、「塞翁馬」は、「吉事も時として凶事の原因となるし、凶事もまた吉事の源となる」ということですから、この転句を要約すれば、「七十年の人生の中では、良いことも悪いこともあったなぁ」ということになります。良いことだけならば問題有りませんが、悪いこともあったとなると、その後の「謝良儔」への流れが滞ります。
結句のことを考えると、転句では「悪いこともあったが、今となっては全て良い思い出」というくらいの意味にした方が良いでしょうから、この「塞翁馬」の故事成語は検討する必要があるでしょう。
2004. 2.23 by junji
寄特命会推敲作、拝見しました。伝えたいことも明解になり、すっきりしたと思います。
美濃平野大寒秋 美濃平野 大寒の秋
忘刻団欒歓喜楼 刻を忘れて団欒 歓喜の楼
七十人生全吉夢 七十の人生 全て吉夢
一期一会謝良儔 一期一会 良儔に謝す
作品番号 2004-52
冬日偶成
蕭条愛日暮雲生 蕭条たる愛日 暮雲生ず
冽冽朔吹雪舞城 冽冽たる朔吹 雪城に舞う
尽日徘徊枯林麓 尽日 徘徊す 枯林の麓
群鴉散去四無声 群鴉 散去して 四方に声無し
<解説>
冬の寒い日 縁側から庭を眺めたり、家の周囲(南宮山麓)を散策したりして、一日をのんびり過しながら作詩しました。
<感想>
平仄の点で見ますと、承句の「吹」は、名詞用法の時には仄声(去声四ゥ)になります。ここは「風」の意味でしょうから、仄となり、二四不同の禁を破っています。
また、仮に「吹」を平声と見ても、四字目の孤平になりますので、これも禁忌です。「寒風」くらいでも問題はないと思いますが、どうでしょうか。
転句については、六字目の「林」が、ここでは仄声でなくてはならない(二六対)でしょう。
平仄の点ではありませんが、転句の「日」は起句にも出ていますので、同字重出になっています。転句は直す所が多いと思いますね。
意味の点では、結句の「四無声」は、「四方に声無し」とは理解できません。「遍」「惟」「已」などの副詞で意図は伝えられると思いますので、一考してみたらどうでしょうか。
前作に比べますと、詩情は随分深くなっていますので、部分的に規則を合わせれば良い詩になるのではないでしょうか。
2004. 2.23 by junji
冬日偶成こちらの推敲作も問題ない仕上がりだと思いますよ。ただ、「忘刻」は前の詩にもありましたが、もっと良い言葉が見つかりそうな気がします。
蕭条愛日暮雲生 蕭条たる愛日 暮雲生ず
冽冽寒風雪舞城 冽冽たる寒風 雪城に舞う
忘刻范観茅舎外 刻を忘れ茫観す 茅舎の外
群鴉散去已無声 群鴉散去して 已に声無し
作品番号 2004-53
臨江仙・過近藤勇舊宅 臨江仙・近藤勇の旧宅を過る
閑寂小堂知孰處 閑寂たる小堂 知んぬ孰れの処ぞ。
行人顧者之無 行人の顧る者 之れ無し。
只狂舜隱且停驢 只 狂舜隱 且く驢を停め、
徘徊懷往昔 徘徊して往昔を懐ふ。
松柏與啼烏 松柏と啼烏と。
幾仰雲磨隻劍 幾たびか青雲を仰ぎ隻剣を磨ける。
一朝誠字搖輿 一朝「誠」字 輿を揺るがすも、
時情不利竟歸蕪 時情利あらず 竟に蕪に帰し、
錦衣刀下散 錦衣刀下に散ず。
使客獨踟躕 客をして独り踟躕せしむ。
<解説>
NHK大河ドラマ「新撰組」が始まりました。
私の下宿の近くに近藤勇生家址があるのですが、先日其処を通りかかった時の事を、中国のドラマ「三國演義」の主題歌となっている「滾滾長江東逝水…」と絡め、時代劇繋がり(?)で同じ「臨江仙」で詠んでみました。
其の割には矢鱈陰鬱な内容になってしまった嫌いがありますが…。
ところで、先生のページにも投稿されている「C溪・趙冕熙先生のページ」も興味深く拝見しております。
詩を通して国境が取払われてゆくようで、改めて文化というものの力を感じます。
<感想>
敵役が多かった新撰組に対して司馬遼太郎が新たな視点を示し、それがいつか通念となった時に、更に新たな視点を求める動きが生まれるのでしょう。
NHKの大河ドラマがここ数年、歴史人物に対して新しい描き方を試みているのは、確かにトレンディドラマ的で視聴率狙いかなと思う部分も多いのですが、固定化されたイメージを崩そうとする姿勢として見た時に、なかなか楽しみでもあります。
様々な面で閉塞的な状況が生まれていて、社会全体に保守的な傾向が強まっていますよね。斬新なものを生み出すよりは、既成の安定した(?)枠組みの中で、二番煎じだろうと三番煎じだろうと、売れるものは売れるうちに売ってしまおうという根性は、失敗を恐れ、先例を後生大事にし、責任転嫁、冒険をしない風潮を生み出している気がします。
新人歌手が二十年も三十年も昔の曲を得意げに歌っても、オリジナルには決して勝てない。勿論、そんなことは百も承知の上なのでしょうが、ね。
だから、そんな模倣や亜流のはびこる中で、流行のドラマ風に大河ドラマを変えていこうとNHKもしたのでしょう。ところが、それは日本人が司馬遼太郎以来固定化してきた歴史イメージを破壊してしまった、ここが何とも逆説的で面白いんですね。
作品の方は、前段の末句「松柏與啼烏」や、同じく後段の末句「使客獨踟躕」がフワッと浮いていて、それがとても新鮮で余韻が残りますね。舜隱さんの詞も随分手慣れて来られたのでしょうか。
C溪さんのホームページは、韓国語の分からない私には、実は読めるところが少なくて、翻訳サイトを使って不思議な日本語と格闘しつつ見ていますが、ま、それも楽しみの一つですね。
仰るように、国境を越えて詩で交歓ができることの喜び、漢詩の偉大さを感じますね。
2004. 2.23 by junji
作品番号 2004-54
梅里春來
南海收瀾漲墨蒼 南海瀾を収めて墨蒼漲り
此朝枯草見春光 此の朝枯草春光に見ゆ
一雙黄鳥具迎客 一雙の黄鳥
百里白花齊競香 百里の白花斉しく香を競ふ
<解説>
和歌山県日高郡南部川村を中心とした一帯は、全国的な梅の産地として知られます。詩は、発祥の地とされる南部梅林を尋ねた時に得たものです。小高い丘になっており、そこからの景を詠みました。花の見頃は2月上旬あたりで、多くの観光客で賑わいます。
承句は「昨日までは寒かったのだ」と言いたいわけです。結句「百里」は華里ならば適切なスケール感かと思います。
転句の冒韻はお許し下さい。ところで「黄鳥」は実景ですが、なぜなのでしょうか?「赤卒」ではぶち壊しのように思うのです。たとえ実景が赤卒でも冒韻でも、ここは「黄鳥」が欲しいと思っています。それとも「猪鹿蝶」同様の単なる私の強迫観念なのでしょうか。
深い内容はありませんが、作者の上機嫌が伝われば一先ずは成功と思っております。
<感想>
後対格で詩形を整え、工夫された跡がうかがえますね。対句の結果、転句の孤平と結句の孤仄が対応します。
解説で書かれた「ところで「黄鳥」は実景ですが、なぜなのでしょうか?「赤卒」ではぶち壊しのように思うのです。たとえ実景が赤卒でも冒韻でも、ここは「黄鳥」が欲しいと思っています。」の部分は、私には意味がよく分からないのですが、冒韻なので「赤卒」に変えようと思ったが、やはり文字の感じからは「黄鳥」の方が良いということでしょうか。
うーん、どうして「赤卒」を思い浮かべなくてはならないのでしょうね。秋の「赤卒」とは季節も違うわけですから、春のこの風景を詠んだ詩の中に候補としてすら私には浮かばないのですが・・・・
ということで、すみません、満足な感想になりませんね。
ただ、冒韻との関係で言えば、転句については冒韻を許すと考える方も多いですし、内容を優先すべきですから、お気持ち通りにすべきだろうと思います。結句の「白花」との対応からも「黄鳥」の方が整うでしょう(ちょっと整い過ぎかもしれませんが。
遠近の関係で各句の構成を見ると、起句から順に「遠」→「近」→「近」→「遠」と並んで、人事が入らない叙景に徹した句ではあっても、変化が出ているのが工夫のところでしょう。
結句は更に、ここで嗅覚を持ち出し、華やかさを一気に高めていると思います。ただ、「百里」一帯に花が香るというのは現実感が薄いように感じます。香をかぐためには花に近づく、つまり梅の林の中にいるわけで、そうすると「百里」という広さをつかむことはできないでしょう。また、「百里」を見渡せる視野を得ようとすれば全体を眺められる視点に立たなくてはいけませんが、それで香をかぎとるのは難しいでしょう。
そうなると、この結句は実景ではなくイメージの詩へと飛躍しますので、そこを読者が効果的と捉えるかどうかでしょうね。
「百里」は仰るように漢詩では約五十キロメートル程、例えるならば京都の町全体を一気に眺めるような感じでしょうか。
2004. 2.26 by junji
作品番号 2004-55
作詩揚言 詩を作りて揚言す
敢倣唐詩非好珍 敢て唐詩に倣うは珍を好むに非ず
況誇博覧詐諸人 況や博覧を誇りて諸人を詐らんや
開元声律震吾魄 開元の声律、吾が魄を震わし
詠出平成文藻新 平成を詠出して文藻新たなり
<解説>
鮟鱇さんの「讀旧不如吟句新」の詩を読んで、自分もなぜ漢詩を作るのか宣言するような詩を書こうと思いました。
最初「李杜を読むは尚古にあらず」などと案じましたが、平仄上、「○詩を学ぶ」とか「倣う」にして、韻字は「真韻」が無理がないだろうと決めました。
古人の糟糠を嘗めるのではなく、今の表現として漢詩を選んでいるのだということを言いたいのと、単に衒学趣味ではないとも言いたかった。
「こけおどしにも詩を一つ作りたし」(うろ覚え)という句が『柳樽』にあったと思います。自分が漢詩をつくる心理には、どこかで人のやらないことをやって注目されたいという俗情があるんだろうなとは思いますが、昔の漢詩を読むことで詩心が動かされ、現代を漢詩で表現する意欲もわいてくる。
必ずしも盛唐の詩に限りませんが、年号で過去と現在を対比しようと思いました。大暦と開元しか唐代の年号を知らない…。
<感想>
明解な内容で、共感される方も多いのではないでしょうか。
「世界漢詩同好会」の交流でも感じますが、現代において漢詩を作ることの意味を改めて自分自身に問い直すことが多くあります。
古典作品として鑑賞することだけではなく、現実の社会や自己の内面を描くために漢詩の形式を用いる。勿論、現代の私たちは様々な表現形式を持っているわけで、自分の感動を描くのに俳句も短歌も使えるのですが、敢えて漢詩を用いるのは何なのか。
それは、漢詩だからこそ表現できるものがあるからに他なりません。読み下した調子に惹かれる人、漢字の並びに魅力を感じる人、定型詩である部分に価値を置く人、古人との心の交歓を喜ぶ人、その他様々の意味をそれぞれの人が持つのでしょうが、共通するのは先に述べましたように、「漢詩だからこそ表現できるもの」を感じているからに他なりません。
逸爾散士さんの今回の詩は、そうした思いをよく描いていると思いますね。欲を言えば、転句の「開元」と結句の「平成」と、どちらも年号ですので、並べるなら対句にして置くと面白かったのではないでしょうか。
2004. 2.26 by junji
作品番号 2004-56
早春観梅
餘寒微動帯輕煙 餘寒微かに動き 輕煙を帯ぶ
十里探梅溪澗邊 十里の探梅 溪澗の邊
竹外枝頭花數點 竹外の枝頭 花 數點
魁春傲雪更堪憐 春に魁け雪に傲り 更に憐むに堪へたり
<解説>
立春後の寒さが微かに動いて薄い靄を帯びる
十里の向こうまで谷間のあたりの梅を探る。
竹やぶの外の枝の先に花が四五輪明るく
春に先がけて雪にうち勝ち、更に心が魅かれる。
<感想>
作者の視点の動き、使われている言葉、どちらも無理が無く、余情に満ちた詩だと思います。
結句の「魁春」「傲雪」は梅の詩ではお決まりの言葉ではありますが、結句に並べて置かれますと具体的な実感を呼びますね。
作者と一緒に早春の山を歩き回っているような、そんな気持ちを味わわせてくれる良い詩ですね。
2004. 2.26 by junji
作品番号 2004-57
三度登明神岳 三度明神岳に登る
険途重荷石尤風 険途 重荷 石尤の風
自笑何為苦雪中 自ら笑ふ 何為ぞ雪中に苦しむと
忽到白銀天上嶺 忽ち到る 白銀 天上の嶺
残陽一瞥凍林紅 残陽の一瞥 凍林紅なり
<解説>
例年正月には、雪の上にテントを張って一、二泊するのですが、今年は明神岳にしました。
「石尤風」は唐突かもしれませんが、家内の冷たい視線を振り切って一人で遊びに出かけた小生のやましい感じと折からの強風をかけたものです。
苦しい思いをして這い上がった山上はまことに素晴らしい景色でした。
<感想>
禿羊さんの明神岳での詩は、以前にも「再登明神岳観霧氷」を拝見しましたね。前作も白銀の世界を樹氷を用いて鮮明に描いておられましたが、今回の作も後半はくっきりとした叙景になっていますね。
起句の「石尤風」は「向かい風・逆風」の意味ですが、故事があります。
昔、石氏の娘が、夫である尤郎が行商に出かけて帰らないのを嘆いて、「夫が旅に出て帰らない世の中の妻達のために、私は向かい風になって、夫の出かけるのを防いであげよう」と言って身を捨てたと言われています。
奥様の冷たい(?)視線を表すのに合った、ユーモアのある用語ですね。
そのやりとりを頭の中に浮かべておいて承句に進むと、今度は夫の側の述懐が出されていて、これはなかなか味わいが深く、「自笑」が生きていますね。
承句の「雪」と転句の「白銀」の重複がやや惜しいかな、という所でしょうか。すぐに浮かぶのは「酷寒中」とか「歳徐中」などでしょうか。
ご検討下さい。
2004. 2.27 by junji
作品番号 2004-58
早春偶成
東風習習鳥聲親 東風習習 鳥聲親しみ
杖曳郊村老大身 杖を郊村に曳く 老大の身
雪點寒梅行處好 雪は寒梅に點じて 行處好く
絲飃弱柳望中新 絲は弱柳に飃って 望中新し
梢頭僅變猶含凍 梢頭僅に變じて 猶ほ凍を含み
水上遠流初帶春 水上遠く流れて 初めて春を帶ぶ
情致愈加前度路 情致愈加ふ 前度の路
幽深詩景属閑人 幽深の詩景 閑人に属す
<感想>
味わい深い詩ですね。冬から春へと移る情景がよく感じられます。
第二句の「老大身」が生きていて、第七句の「前途路」は、現実にこれから歩いていく道でもあれば、経験を積み重ねて一層豊かになるこれからの人生とも解釈でき、読んでいて私はとてもうれしくなりました。
春が来ることで心がふっと安らぐ、それは、新たな一年を迎えることが出来たという喜びや期待でしょうし、一年の経験を重ねた自信でもあります。
年年歳歳花相似
歳歳年年人不同
と無常を嘆くのではなく、「人は毎年どんどん心を成長させるのだから、去年と同じ目では花を見ることはできない。同じ花を見ても、味わいが一層深まって行く」と考える方が、私は好きです。
2004. 3.7 by junji
作品番号 2004-59
早春偶成
那辺黄鳥両三声 那辺ぞ黄鳥 両三声
林逕榮迂吟且行 林逕榮迂吟じて且つ行く
漏洩春光堤柳嫩 春光を漏洩して 堤柳嫩く
浮沈魚影石潭清 魚影を浮沈して 石潭清し
後凋松樹逾添色 後凋の松樹 逾色を添へ
初発梅花又有情 初めて発く梅花 又情有り
収得嚢中多韻致 収め得たり嚢中 韻致の多きを
東君随處太忙生 東君随ふ處 太忙生
<感想>
雪に覆われた冬景色も魅力的ではありますが、どうしても単色系の絵になりがち。一斉に息吹をあげる早春の多彩な生命の姿は、鮮やかさの点では一番のもの。
探していけばあれもこれもと目に映るものが多いのですが、そこを抑えて詠い出しは「黄鳥両三声」、鶯の声を持ってきました。姿は見えませんから聴覚だけの描写ですが、これが効果的で、その後の頷聯以降の視覚描写を新鮮な気持ちで迎えることができます。
頸聯の「初発梅花又有情」の「又有情」がそれまでの具体的な写実から急にここだけピントがぼけたような印象ですが、いかがでしょうか。
2004. 3. 7 by junji
作品番号 2004-60
時事
草茅処士放危言 草茅の処士 危言を放ち
板蕩唱来空断魂 板蕩を唱え来って 空しく魂を断たん
淫雨雨凍寒日夜 淫雨雨凍りて 日夜寒く
癡雲雲重暗乾坤 癡雲雲重く 乾坤暗し
国中苛税謀生険 国中苛税 生を謀りて険しく
海外派兵争論喧 海外派兵 論を争うこと喧しい
伴食相公長舌掉 伴食の相公 長舌を掉うも
糊塗無術濟黎元 糊塗術無し 黎元を濟うを
[語釈]
「伴食相公」 | :無能の宰相 盧懐慎伝 旧唐 |
<感想>
もう少し言葉の意味を補足しておきましょう。
「板蕩」は『詩経』大雅の編名ですが、「国が乱れる、非道な政治が行われる」ことです。
「黎元」は「国民」のことで、「黎民」という言い方もあります。
世情を象徴した頷聯の描写は、閉塞感のある現代を象徴して、前半を締めているでしょうね。後半は具体的な描写に移りますので、尚更、この頷聯が大切になりますね。
前半と後半で切断された感じを持つ人もいるかもしれませんが、私は気になりません。それ以上に、後半の胸がすくような言葉に、よくぞ仰ったと拍手したいところですね。
最近の評価では、単に「(悪)運の強い総理大臣」だそうですが、何よりも言葉を空疎にさせて議論を低劣化させた責任は極めて大きいでしょう。
2004. 3. 7 by junji