2003年の投稿漢詩 第241作は 鮟鱇 さんからの作品です。
 

作品番号 2003-241

  游出雲大社於神在月        

絳脣瞑目願良縁,   絳脣 瞑目して良縁を願い,

白首無端投剰錢。   白首 端なくも剰錢を投ず。

神在出雲人有酒,   神は出雲に在り 人に酒あり,

龍蛇宮裡舞衫妍。   龍蛇宮裡に舞衫妍なり。

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 神無月(出雲では神在月)に出雲大社にお参りしました。
 同行のひとり、若く美しい独身女性は良縁を願ってお祈りしたよし。わたしは、これといって願い事はなかったのですが、お賽銭は投じて頭を下げてきました。
 大社の一隅には「龍蛇神」のお神輿が安置されていました。龍蛇神は、龍蛇神のこと。この神さまは神在月に出雲に集る神々のお世話をするよし。
 わたしがお参りしたときには、その神輿のそばで、お神酒がふるまわれていました。そのお神酒をいただきながら、頭に浮かべたのが結句、神々をもてなすために舞う龍蛇神の巫女の姿でした。

 [語釈]
 「神在月」:11月、全国的には神無月ですが、出雲では神在月と呼ばれていました。
 「無 端」:さしたる理由もなく。
 「剰 錢」:余分な金。つり銭など。
 「龍蛇宮」:龍蛇神のお宮

<感想>

 前作からの一連の詩ですが、女性が登場すると鮟鱇さんの表現はいよいよ光りを増しますね。出雲大社で詠んだ詩だと思っているところへ、いきなりの「絳脣」、この言葉を起句の頭に置いた発想が生きているのでしょう。
 転句の「人有酒」は、つながりの意図が見えにくいように思います。「神様が出雲にいるおかげで人には酒がある」でしょうか、それとも「神様は出雲にいるけれど人には酒がある」。  ここをつなぐことがなかなかできませんでした。

2003.12.27                 by junji





















 2003年の投稿漢詩 第242作は 長岡瀬風 さんからの作品です。
 

作品番号 2003-242

  探秋        

寂寥秋色勝春姿   寂寥たる秋色 春に勝る姿

與友吟遊慰我思   友と吟遊して 我思を慰めん

千朶放香柑熟處   千朶香を放ちて 柑を熟す處

一行整陣雁來時   一行 陣を整えて 雁の來る時

寺頭尤好新霜葉   寺頭 尤もき 新霜葉

橋畔猶存舊酒旗   橋畔 猶ほ存す 舊酒旗

牽引村醪同作客   村醪牽引して同じく客と作り

互忘老苦背歸期   互に老苦を忘れては 歸期に背く

          (上平声「四支」の押韻)

<感想>

 「思は仄用かもしれません」とのコメントをいただきましたが、そうですね、「思」は、動詞としての用法では上平声四支、名詞としての用法では去声四ゥとなりますので、ここでは動詞として読むことになります。「友と吟遊して 我を慰め思ふ」でしょうか、うーん、何の事やら?という感じですね。

 秋の好景については、蘇軾の「贈劉景文」における「一年好景君須記  正是橙黄橘緑時」や、杜牧の「山行」の「霜葉紅於二月花」で、他の季節に劣らないことが書かれていますが、瀬風さんの今回の詩でも、初句では同じ趣旨が出ていますね。
 季節は異なりますが、王安石の「初夏即事」での「緑陰幽草勝花時」も、雰囲気としては浮かんで来るかもしれませんね。

 ただ、「寂寥」と気持ちの入った言葉をここで使うと、以下の好景の描写への妨げになるように思います。「満山秋色」(場所は「山」でなくても良いのですが)くらいが、全体の展開に添うのではないでしょうか。

2003.12.27                 by junji





















 2003年の投稿漢詩 第243作は 佐竹丹鳳 さんからの作品です。
 

作品番号 2003-243

  秋日偶成        

昏烏聲斷北窓虚   昏烏聲斷えて 北窓虚しく

収拾吟箋點燭餘   吟箋を収拾して 燭を點じし余

小婦未帰廚下冷   小婦未だ帰らず 廚下冷ややか

菜根甘煮更添魚   菜根 甘く煮えれば 更に魚を添えん

          (上平声「六魚」の押韻)

<感想>

 夕暮れのふとした静寂が感じられる前半、詩作に励んでおられる姿が浮かびます。転句の「小婦」は娘さんでしょうか、日頃はきっと台所をまかせておられるのでしょうが、今日はまだ外出から帰っていないようで、包丁の音もしない。それでは私が代わりに腕を振るいましょう。
 野菜もおいしく煮えたし、あとはお魚を焼いて・・・・

 読んでいますと、俳人杉田久女の句を思い起こすような、生活感のあふれた、現実に目の前で見ているような気持ちになれる詩だと思います。
 とりわけ、結句からは、料理をすることの喜びと、食べる人への愛情が感じられ、作者の穏やかな人柄が感じられるようです。
 こうした「地に足のついた詩」がもっともっと生まれることが、これからの漢詩には大切だと思います。

2003.12.27                 by junji





















 2003年の投稿漢詩 第244作は 鯉舟 さんからの作品です。
 

作品番号 2003-244

  秋夜寄思天涯      秋夜天涯に思いを寄す  

天際茫茫艱世賢   天際茫茫として 世賢を艱(なやま)す

迢迢宇宙幾光年   迢迢たる宇宙 幾光年

星辰悠久冥涯照   星辰は悠久に 冥涯を照らし

白日無心黄道旋   白日は無心に 黄道を旋(めぐ)る

凝視闇昏惶奈落   闇昏を凝視して 奈落を惶(おそ)れ

仰観銀漢覓神仙   銀漢を仰観して 神仙を覓(もと)む

生生流転身帰土   生生流転 身は土に帰り

魂魄散之何処辺   魂魄散りて之くは 何処(いづこ)の辺

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 最近ハワイの「すばる望遠鏡」が128億光年離れた銀河を発見したとの新聞記事を読んで、改めて宇宙の広大さを思いました。
 宇宙の大きさは137億光年だそうですが、その先はどうなっているのでしょうか。古来天文学者を悩ます難問です。
 天国とか極楽というのは昔から十万億土というように遠い宇宙の果てにあるような気がします。又、全ての物質を呑み込み、光さえ出ることの出来ないブラックホールは、小生にはそこが奈落の底の地獄ではあるまいかと想像しております。
 死後わが魂は一体どちらの方に行くのだろうか?秋の星空を見上げてそんな感慨を抱くのは寄る歳波のせいでしょう。

 [語釈]
 「天際」:宇宙の果て
 「世賢」:世の賢人、ここでは天文学者を指す
 「迢迢」:遥かに遠いさま
 「冥涯」:暗い宇宙の果て
 「白日」:太陽
 「闇昏」:漆黒の宇宙空間を指したいのですが、ぴったりしません

<感想>

 宇宙に視点を置くというのは、現代ならではのものですね。古代の人々は(当然のことでしょうが)、天空は球状の面によって出来ているという、つまり地上の視点からは脱することはできませんでした。
 鬼才李賀ならばどうか、と思って見てみましたが、「夢天」で、月の世界から地上を見るという発想までは行ってましたが、宇宙の果てまでを眺めることは無いようです。
 どうやら、宇宙の果てまでを想像するのは、詩人の仕事ではなくて、宗教や哲学の領域なのかもしれませんね。

 ということで、鯉舟さんの詩を拝見すると、ご苦労なさった様子が言葉のあちこちから感じられますね。
 例えば、「白日」は、地上から見れば確かにそうなんだけど、宇宙で見るとどうなんでしょう。「球」とか「珠」のような文字を使いたいように思いますね。
 「闇昏」がぴったりしない感じなのは、「昏」がやや弱いのでしょう。「闇冥」あたりが良いでしょうが、「冥」はもう前に使っていますね。一工夫してみて下さい。
 第二句は「幾光年」ではあまりにも小さくなります。本来なら「幾百億光年」の単位ですので、せめて「億光年」くらいにしておいたらどうでしょうか。

 はるかな広大な宇宙を夢見て、はるかな漢字の世界に遊ぶことは、素晴らしい精神旅行ですよね。

2003.12.27                 by junji





















 2003年の投稿漢詩 第245作は 柳田 周 さんからの作品です。
 

作品番号 2003-245

  過菊小家園     菊の小家園を過ぎる   

菊盈佳色小家園   菊 佳色に盈つ 小家園

翁嫗間籬長笑言   翁嫗 籬をへだてて笑言長し

五柳先生何不道   五柳先生 何ぞ道わざらん

疾駆人境甚車喧   人境を疾駆して 車の喧しきこと甚だしと

          (上平声「十三元」の押韻)

<感想>

 今回の柳田 周さんの詩は、後半の意図がわかりづらいですね。

 承句の「翁嫗」は、たまたま菊の咲いている所にいたおじいさんとおばあさんでしょうか、それとも柳田さんご夫妻でしょうか。どちらであるにしろ、老夫婦が楽しそうに菊を眺めて微笑んでいる、そんな光景でしょうね。

 転句の「五柳先生何不道」は反語でしょうから、「(もし)五柳先生が居たら、どうして言わないはずがあろう、きっと言うだろう」となるのでしょうが、その内容は結句の「疾駆人境甚車喧」、これは五柳先生、つまり陶潜でなくても、誰でも言うんじゃないでしょうか。

 陶潜の「飲酒(其五)」では、冒頭から「廬を結びて人境に有り  而も車馬の喧しき無し」となり、「人境に居ても車馬の訪れることはない、心が俗界を遠く離れていれば、生活も自然に落ち着いたものになる」という大隠の境地までをも語り続けていく構成です。
 つまり、「人境でも閑」だから語る意味があるので、「人境で喧」ならば当然です。そこに登場を願っては、五柳先生にも失礼かな。
 後半の意図が何か深いところがあるのでしたら別ですが、今のままですと、単に車が辺りを走り回ってうるさかったということくらいしか考えられないですね。そうすると、承句の「長笑言」もうるさかったのかな、とつなげてしまいますので、後半は練り直したらどうかと思います。

2003.12.28                 by junji


柳田 周さんからお返事をいただきました。

 「人境」を少し誤解していたようです。
転句、結句を改めて、以下のようにしました。

       過菊小家園     菊の小家園を過ぎる
   菊盈佳色小家園       菊 佳色に盈つ 小家園
   翁嫗隔籬長笑言       翁嫗 籬を隔てて笑言長し
   警笛狂鳴驚退避       警笛狂鳴すれば驚いて退避す
   疾駆間道甚車喧       間道を疾駆して車の喧しきこと甚し

2003.12.29                   by 柳田 周





















 2003年の投稿漢詩 第246作は 坂本 定洋 さんからの作品です。
 

作品番号 2003-246

  弔朝比奈先生        

楽聖使徒東海來   楽聖の使徒、東海より来る。

衆人始覚秘扉開   衆人始めて覚ゆ、秘扉の開くを。

時鐘八響顕神賛   時鐘八たび響いて神賛を顕わし、

糸竹漲堂如孕雷   竹糸堂に漲り雷を孕むが如し。

          (上平声「十灰」の押韻)

<解説>

 2001年12月に逝去した指揮者、朝比奈隆氏を偲ぶ詩です。
 詩は氏に対する評価を決定づけた1975年、手兵大阪フィルを率いての欧州演奏旅行の最終日、ブルックナーがその地下に眠るリンツ、聖フローリアン教会での演奏の模様を漢詩に仕立てようとしたものです。

 起句の「楽聖」は、ここではブルックナーを表します。氏によってブルックナーの音楽はその演奏様式が確立され、その真の姿が明らかにされたと言われます。承句はそのようなことを表そうとしました。

 演奏の途中、第二楽章と第三楽章の切れ目に割って入るかのように午後5時を告げる教会の鐘が鳴り響きました。転句はこのことを表します。結句は鐘の音が止むのを待って堰を切ったように始まる怒涛のスケルツォをこのように表しました。
 演奏がほんの数秒ずれていれば、鐘の音など演奏の中に埋もれていたものです。これぞ神の祝福と、後の語り草になり、内容もそれにふさわしい名演です。この演奏の模様は鐘の音も含めてCDに残されています。

 さて、詩の出来はどうでしょうか。作るのに手間どって時期を失した感もあるのですが、氏の音楽は数々の名盤となって今も生きているのだと、苦しい言い訳をさせていただきます。
 詩も苦しい部分があると思いますが、このあたりが私の精一杯の所です。氏の逝去が年末も押し迫る頃でしたので、その時期に合わせての投稿とさせていただきました。

 クラシック音楽のファンならば転句だけで詩が何を言っているのか察しがつくものですが、ここではそうもいきません。長い説明を重ねてお詫びします。

<感想>

 十一月下旬にいただいたお手紙では、定洋さんは、奥様のご実家のお手伝いで、蜜柑の収穫に忙しい日々を送られるとのことでしたが、どうでしたか、今年の蜜柑の出来は?
 私は蜜柑が大好きですので、今も、コーヒーを飲みながら蜜柑も食べる、いや反対で、蜜柑を食べながらコーヒーを飲んでいるのかな、パソコンのキーボードの横には蜜柑の皮が重なって行きます。
 今日買ってきたのは三ヶ日蜜柑ですが、知多半島や愛知県の蜜柑も食べ慣れているのでしょうか、おいしいですよ。
 さて、食べ過ぎない内に詩の感想を書いておきましょう。

 起句の「楽聖」は、ここでは「ブルックナー」のことだということですが、これは朝比奈隆氏のファンならば通じるのでしょう。
 そうでない人にとっては、どうなのでしょう。それぞれが勝手に好きな作曲家を思い描いて読んでいけば良いならば良いのですが、そうもいかないでしょうしね。やはり、注が必要でしょうね。

 転句は、「時鐘八響」ですが、これはどうして「八」なのですか、五時の鐘でしたら「五」になるように思うのですが、うーん、考えても分かりませんので、教えて下さい。

 結句は、「怒濤のスケルツォ」とのことですが、それには「糸竹」では弱々しいですよね。確かに、「糸」=「弦楽器」、「竹」=「管楽器」ではありますが、交響楽団のスケールには不釣り合いです。ここは、「管弦」で良いように思います。
 「漲堂」は、普通ならば音の大きさを表すような言葉で、「轟轟」とか「霆撃」などが入るのでしょう。作者の気持ちとして「鐘の音が止むのを待って堰を切ったように始まる」というように、を生かしたいということですね。
 ただ、このままでは、「管弦の楽器がホールにいっぱいに並んでいる」というように読まれませんか。「管弦音充」あたりでしょうか。

2003.12.28                 by junji


坂本定洋さんからのお返事です。

 結句頭「糸竹」は確かに弱いと思います。当初は「管弦」と考えていましたが、平仄の都合でこのようにしたのです。ひっくり返して「弦管」とすれば平仄はクリアできるのですが、どうも違和感を感じたのです。
 平仄を違えて良いとするなら、「管弦」と改めたいと思います。「弦管」でも問題なしならこれを第二希望とします。
 結句中段については先生の案を頂戴して「音充」に改めさせていただきます。「音」を強調すべしと言うのはごもっともです。朝比奈氏の自叙伝「楽は堂に満ちて」を意識したのですが、これならピッタリします。
 なぜ鐘が八回なのかと言う問いに対しては私の説明不足だったのですが、事実は「あちこちの鐘楼から合計八回」ということでしたので、詩の中の事とは言え、ここは何が何でも「八」としなければならないのです。

2004. 1.12               by 坂本 定洋





















 2003年の投稿漢詩 第247作は 真瑞庵 さんからの作品です。
 

作品番号 2003-247

  冬日書懐        

一夕聞風打茆茨   一夕 風の茆茨を打つを聞く

檐前端座独尋思   檐前 端座して 独り尋思す

晩鐘音滲紙窓冷   晩鐘 音は滲む 紙窓の冷たきに

残照影融叢菊萎   残照 影は融く 叢菊の萎みたるに

身慣徒居耕即惰   身は徒居に慣れ 耕すに即ち惰き

髪交霜艾学猶遅   髪は霜艾を交えて 学ぶに遅し

竹葉酒樽今在此   竹葉酒樽 今此に在り

何慳酔裡一篇詩   何ぞ慳まん 酔裡 一篇詩

          (上平声「四支」の押韻)

<解説>

 光陰矢のごとし。61歳の今年も無為のままに過ぎようとしています。
62歳の来年も多分同じように過ごしてしまうでしょう。

<感想>

 今回の真瑞庵さんの詩は、情緒というよりも、凄みさえ感じられるほどに、研ぎ澄まされた言葉の輝きがありますね。余分な言葉は一つとして無く、みな役割をきちんと果たしていると思います。
 特に、頷聯の「晩鐘音滲紙窓冷」での、眼では見えない「音」の、その変化を視覚的に描くという離れ業には、背筋がゾクッとするほどの感性の鋭さがありますね。
 尾聯の「竹葉」は、「お酒」のことでしょうから、次の「酒樽」「酒」の字を避けて、「芳樽」が心惹かれる感が出るかもしれませんね。

2003.12.28                 by junji





















 2003年の投稿漢詩 第248作は Y.T さんからの作品です。
 

作品番号 2003-248

  八合達(バグダット)        

蒙古驕兵動地來   蒙古の驕兵 地を動(どよ)もして来たり

千年京府盡為灰   千年の京府 盡く灰と為る

古時文物空塗土   古時の文物 空しく土に塗みれ

慷慨当年无楚材   慷慨す 当(かの)年 楚材 无きを

          (上平声「十灰」の押韻)

<解説>

 結句の「楚材」は、耶律楚材のこと。成吉思汗に最も信頼されたブレーンで、成吉思汗は子供達に向かって「彼は天が我が家に与えてくれた人物で、何事で荒れその云う事に従え」とまでいっている。1244年没。

 成吉思汗の孫のフラグは1258年、既に衰退期にあったアッバス朝のカリフ教国を攻め、千年の首都バグダットを攻略し、教主と三人の皇子を捕らえて処刑。この地の優れた古代文化やカレーズを含めた都市構築を尽く破壊し尽くしました。
 使者を殺されたホラズムの時とは異なり、これは成吉思汗「モンゴル鉄騎の蹂躙しうる限りの土地をお前達に与えよう」という遺言に則った無茶苦茶な戦いです。

 優雅な文化も野蛮な武力に対せばどうする事も出来ません。一敗地に塗れるしかありません。その為、貴重な古代の文物は総て失われてしまいました。もし耶律楚材が居たなら、かなりの文物が救われたでしょう。

 古えを以って今を述べる事は唐詩の常套手段ですので、アメリカのバグダット侵攻を、モンゴルの侵攻で諷してみました。

<感想>

 現実の政治を直接批判するのではなく、歴史的な事件として書き換えて表現する。このやり方は日本でも行われ、特に歌舞伎などが有名ですね。
 お上を批判すれば自分の身が危うくなる、そんな危険な時代ならば当然の自衛策です。しかし、そればかりではなく、時代を換えて書くことで、むしろ主張が鮮明になるという効果もあります。前者はやや消極的であるとすれば、後者は積極的な目的を持っていますね。
 故事で有名な「五十歩百歩」でも、孟子梁恵王を説得するのに、直接政治の話をせずに王の好きな戦争の話を例に出して論を進めていたのを覚えている人も多いでしょう。
 荘子の寓意もよく知られていますが、このように中国では古代の思想家達が「寓話」というものを、相手を説得する強力な手段として認識していたわけです。
 そして、詩では、現実そのものを描くよりも、一歩離れて間接的に描いた方が、より表現が多彩になり、豊かな情感を籠めることができるようになります。
 現実の事件は、人々がよく知りすぎていて、イメージも固定化されているため、自由な発想ができにくい、レポートならば書けるでしょうが、詩や小説にはしにくいわけです。
 「長恨歌」でも誰もが現実の玄宗皇帝のことだと分かっていても、冒頭に「漢皇」と一語入ることによって、虚構の世界に入ることが出来、道士が楊貴妃の魂を求めて神仙境まで尋ねていくことが可能になる、その時に白居易のイメージ(読者のイメージもでしょうが)は自由な翼を得て遥かな世界へと飛び始めたわけです。

 Y.Tさんの手法も、楚材がいないことが嘆かわしい」と述べることで、一人一人の具体的な政治家の名前も出す以上に、「みんな馬鹿ばかりだ」という主張が明確になっていますよね。
 気になる点としては、用語の上で「古」「年」の重複がありますので、ここが一つ。
 もう一つは、承句と転句の内容に大きな違いが無いことです。これは、「千年」「古時」が似ているからいけないのだと思います。重複の件もありますから、転句の「古時」「文物」と対応するような何か「もの」にするとよいのではないでしょうか。例えば、「楼台」「画楼」などでしょうか。

 Y.Tさんからは、既に何度か推敲をうかがいました。批判の調子を出すために苦心されたようでした。そうしたことが、意思表示ですよね。

 かつての湾岸戦争と今回のイラク侵略戦争と併せて、後代の人々は石油を巡る国同士の争いと位置づけるのかもしれませんが、目の前の事件を私たちがどう捉え、どう感じたのかを残すことは大切なことですね。

2003.12.28                 by junji


Y.Tさんからお返事をいただきました。

Junji 先生  Y.T.です。

 拙作「八合達」について懇切なご教示、有難う御座いました。
小生も気になっていた所でした。

 ご教示を得て、早速、「古時」「玉楼」に、「当年」「当時」に改めます。
 今後とも宜しくご指導をお願い致します。

   蒙古驕兵動地來
   千年京府盡為灰
   蘭台文物空塗土     蘭台の文物 空しく土に塗れ
   慷慨当時无楚材     慷慨す 当時(かのとき) 楚材 无きを


2003.12.28               by Y.T























 2003年の投稿漢詩 第249作は 柳田 周 さんからの作品です。
 

作品番号 2003-249

  黄落        

高樹凛然黄落後   高樹 凛然たり 黄落の後

寒風雨雪幾回経   寒風 雨雪 幾回(いくたび)か経たる

無嘆鏡裏顔深皺   嘆く無かれ 鏡裏 顔の皺深きを

是證年功非耄齢   是れ 耄齢(ぼうれい)に非ずして年功を證すならん

          (下平声「九青」の押韻)

<感想>

 結句は読み下しがやや苦しい(是れ 年功を證するにして 耄齢に非ずでしょうか)ですが、お気持ちはとてもよく分かりますね。まったく同感です。
 転句は、鏡の中の自分を見るという設定がありきたりに感じます。外の景色を見ていて、急に鏡を見るのも唐突な感じがします。
 「高樹」(あるいは「老樹」の方が合うかもしれませんね)に向かって、結句の内容を語りかけるような構成にしてみると落ち着くように思います。
 自分に向かって「嘆く無かれ」と呼びかけるのも寂しい感じがしますしね。

2003.12.28                 by junji


柳田 周さんからお返事をいただきました。

 転句につきましては、これは自分ではなくて、93歳に父について詠じたのですが、鈴木先生の様に読まれることが多いと思われます。
 転句を、木に向かって話しかける形に改めました。

   高樹凛然黄落後     高樹 凛然たり 黄落の後
   寒風雨雪幾回経     寒風 雨雪 幾回いくたびか経たる
   無嘆太幹深皮皺     嘆く無かれ 太幹 皮皺の深きを
   是證年功非耄齢     是 年功を證するにして 耄齢ぼうれいにあらず

2003.12.29                   by 柳田 周





















 2003年の投稿漢詩 第250作は 点水 さんからの作品です。
 

作品番号 2003-250

  万物帰根        

野鳥一群還竹林   野鳥の一群 竹林に帰り

忽然夕日没山陰   忽然 夕日は山陰に没す

黄紅落葉重苔上   黄紅の落葉 苔上に重なる

万物帰根秋意深   万物帰根 秋意 深し

          (下平声「十二侵」の押韻)

<解説>

 秋の夕日はつるべ落としとかで、急に山陰へ隠れてしまいます。
 その時、野鳥がねぐらの竹林に還るのが上空に見えます。苔の上には黄色や紅色の落葉が重なっており、いよいよ秋の気分が深まってきました。
 また、老年の自分自身のこと重なって寂しくなります。

<感想>

 今回の点水さんの詩では、承句の「忽然」が生きていますね。
 山国では、本当にポンと隠れるようにして、夕日が山の向こうに沈みますよね。その感じがこの「忽然」で表されていると思います。

 結句の「万物帰根」が主眼なわけで、確かに起承転句それぞれに帰っていくわけですが、転句だけは意味合いが少し違っていますよね。つまり、「落葉はやがて土に還っていく」ということでしょうが、野鳥や夕日は単に帰るだけのこと、秋だろうが冬だろうが夏だろうが、夕方になれば帰っていくわけで、極端に言えば、起句承句は季節はいつでも良い内容です。
 そうなると、「秋意深し」があまり心に響きません。ここはどうしても、起句や承句にも秋を感じさせるような言葉とか寂しい感じを与える言葉を入れてほしいですね。
 「野鳥」「竹林」、承句の「山陰」などは工夫し甲斐のあるところじゃないでしょうか。

2003.12.28                 by junji





















 2003年の投稿漢詩 第251作は 如泥 さんからの初めての投稿作品です。
 

作品番号 2003-251

  暖冬        

河曲水鶏声   河曲水鶏の声

深山紅葉跡   深山紅葉の跡

雪華雖不舞   雪華舞わずと雖も

我意層層積   我意層層として積む

          (入声十一「陌」の押韻)

<解説>

 全くの初心者です。呆れずに教えて下さい。

<感想>

 如泥さんは、お酒がお好きなんでしょうか、李白の「贈内」の前半、「三百六十日  日日酔如泥」から雅号を取られたのでしょうね。

 仄韻の詩ですが、平仄もきちんと考えておられて、「全くの初心者」とのことですが、りっぱなものですね。形式の上では、問題はありません。
 起句から順に意味を見ていきますと、「川の畔ではまだ水が温かくて水鳥の声が聞こえる」、承句は(それなのに)深い山の方ではもうすでに紅葉も終わってしまっている」という流れでしょうか。
 二つの句で題名の「暖冬」を表しているのですが、赤字で書きました部分を詩が説明しきっているかどうか、ですね。五言詩という限界もありますので、次は七言に挑戦してみてはいかがでしょう。一句の中にたった二文字増えるだけでも、表現できることが倍増する感じがしますよ。
 結句の「我意」はどんな気持ちなのか、やや分かりにくいですね。この結句で最後なわけですから、感情を表す言葉を出してストレートに書くか、情景を出して読者に想像させるならばそこに徹するか、今の表現では中途半端な感じで、「私の気持ちだけはどんどんと積み重なっていく」という、嬉しいのか悲しいのか寂しいのか、そこが感じられるようにすることが必要でしょうね。
 ということで、結論は、結句をもう一度考えてみましょう、ということですかね。

2003.12.28                 by junji





















 2003年の投稿漢詩 第252作は 禿羊 さんからの作品です。
 

作品番号 2003-252

  晩秋詠懐        

午余陋屋忽移陰   午余 陋屋 忽ち陰に移り

浪府坊偶秋色深   浪府 坊偶 秋色深し

牆裏新霜凋秀菊   牆裏の新霜 秀菊を凋ませ

庭前寒樹去留禽   庭前の寒樹 留禽を去らしむ

盤桓有鬱徂而懶   盤桓 鬱たる有りて 徂かんとして懶く

晩餉無言酔復斟   晩餉 無言 酔うて復た斟む

隠竄何渠倣五柳   隠竄 何渠(なんぞ)五柳に倣しならんや

主人狷介寡同心   主人狷介にして 同心寡なければなり

          (下平声「十二侵」の押韻)

<解説>

 小生、交友関係があまり広くなく、どうしても引き籠もりがちで独り遊びが多い陰気な性格です。老後は早く呆けそうでよくないとは思っているのですが、なかなか直すことは難しいですね。
 「浪府」は大阪のことです。何となく気に入ったのですが、用例があるかどうかわかりません。
 後半は、
「散歩も、心に鬱屈するところがあっては、出るのが億劫で、夕食も話し相手もなく、果てしなく杯を重ねる。
 町裏に隠れるように住んでいるのは、別に陶淵明を真似しているわけではなく、この家の主人が偏屈で訪ねてくれる親しい友人が少ないだけなのだ。」


<感想>

 詩を作ることは、本来は孤独な作業。ああでもない、こうでもないと頭の中で独り言を言い続けているようなもの。「陰気」と言えば、まあ、そうかもしれませんが、詩作にとってはプラスです。
 禿羊さんの行動力をうかがっていますと、呆けるなんて私には考えられませんね。今回の詩は何故か元気が無いように思いますが、弱気にならずに頑張って下さいよ。

 第五句の「盤桓有鬱徂而懶」の読み方は、「・・・徂きて懶し」、あるいは「・・・徂けども懶し」でしょうね。

 第七句の「何渠」はあまり使わない用例ですが、こうした反語形の時には「渠」は仄声になると思います。

2003.12.29                 by junji





















 2003年の投稿漢詩 第253作は 鮟鱇 さんからの作品です。
 

作品番号 2003-253

  讀旧不如吟句新     旧を読むは句を吟じて新たなるに如かず   

君讀李杜我搖脣,   君は李杜を読み我は唇を揺らし,

翫月賞花吟句新。   月をもてあそび花を賞で句を吟じて新たなり。

雲散山青風爽處,   雲散り山青く 風 爽やかなるところ,

九天直下一詩人。   九天直下 一詩人あり。

<解説>

 [語釈」:
李杜: 李白と杜甫。

 現代韻(普通話韵十五痕)で押韻しています。起句の2字目「読(du2)」、結句3字目の「直(zhi2)]は,平水韻では入声で仄声ですが、現代韻ではいずれも第2声で平声です。

 李白や杜甫の詩を素晴らしいというが、自らは詩を書かない人々に宛てた詩です。
 素晴らしい詩を読む感興と、つまらないかも知れないが自分自身の詩を書こうとする感興とどちらが勝るか、ということをテーマにしています。
 清代の性霊派の詩人黄遵憲「雑感(五古)」「我手写我口,古豈能拘牽」という句がありました。
 「我唇吟我意」という句が浮かび、次の趙翼の作を見るに至って上記の作となりました。

     論 詩  趙翼(清)

    李杜詩篇万口伝,  李杜詩篇 万口に伝わり,
    至今已覚不新鮮。  今に至ってはすでに新鮮でないと覚ゆ。
    江山代有才人出,  江山 よよに才人のいづるありて,
    各領風騒数百年。  おのおの風騒を領して数百年。



<感想>

 引用された趙翼のこの詩を初めて見たのは、岩波文庫の「中国名詩選」でしたが、読んだ時には衝撃を受けました。
 「李白や杜甫を古臭いと言うなんて・・・・」とビックリ仰天、そんなことを口にしても良いのか、と心配までしたものです。それに、どうしても私には李白の詩は素晴らしいと思えたからです。

 そこで、つらつら考えてみました。
 二人の詩を「不新鮮」と実際に感じるかどうかは別にして、ともあれ頭ではこう考えておくべきなんだろう。千年以上の時が流れて、社会も人の心も変化しているのに、現代を描く技量を誰も持っていないなんて、これは詩人として恥ずべきこと。結果は別にして、初めから降参していたのでは話にならないんだから。
 私はこう考えるようにして趙翼の言葉を自分なりに解釈しました。

 鮟鱇さんは、「李白や杜甫のレベルじゃなくても良い。美しい景色に出会えば、誰でもそこで詩人になれるのだ」というお気持ちですね。
 それも納得できる主張です。「九天直下」は滝ではなく、天帝から授けられた詩心、それは誰もが持っているものだという論は明解ですね。

 ただ、解説に書かれた「素晴らしい詩を読む感興と、つまらないかも知れないが自分自身の詩を書こうとする感興とどちらが勝るか」については、私は必要のない勝負だと思います。
 自分が直接見ていないことでも素晴らしい詩によって感動を得たり、自分が見たものや感じたことを優れた詩によってより印象深く鮮明にさせる、「詩を読む感興」は否定できません。
 鮟鱇さんはきっと、「つまらないかも知れないが」という所に力点を置かれているのでしょう。「つまらない詩なんか書いても価値が無い」とでも言う人を想定したのかな?
 そうだとしても、鮟鱇さんの方が「詩を書く人の方が偉い」と言ってるようで、誤解を招く言い方になったのではないですか。

2003.12.29                 by junji





















 2003年の投稿漢詩 第254作は 鮟鱇 さんからの作品です。
 

作品番号 2003-254

  祭 詩        

春花秋月競嬋娟,   春花秋月 嬋娟を競い,

冬雪夏雲無打錢。   冬雪夏雲 打錢するなし。

朝醒夕斟誇酒量,   あしたに醒め夕べに斟んで酒量を誇り,

低吟漫歩養天年。   低吟漫歩して天年を養う。

餐霞何勝交情好?   餐霞はなんぞ交情の好きに勝らんや,

尚古不如風趣鮮。   いにしえとうとぶは風趣の鮮やかなるに如かず。

歳晩凌寒呵禿筆,   歳晩 寒を凌いで禿筆を呵し,

祭詩常套一樽前。   詩を祭って常套たり 一樽の前。

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 [語釈」:
「打錢」: 大道芸人などが見物料とること。
      ここでは美しい雲や雪の見物に金はいらないの意。
「天年」: 天から授かった寿命。
「餐霞」: 霞を食らうこと。ここでは世俗を絶って仙人のように暮らすこと。
「禿筆」: 毛先のすりきれた筆

 下平声一先で押韻しています。最近は現代韻でも通じるように書くことを心がけていますが、第7句の「禿」は現代韻では平声ですので失声。「禿筆」「醉筆」にすれば現代韻押韻になりますが、最後を「酒」で月並みにしめくくっていますので「酒」の縁語を避けました。

 今年一年、わたしにとっては月並みな年でした。
 昨年は年に2700首書きました。馬のように無闇に駆けた一年でした。今年はその反省からもう少し丁寧に書いてみよう思い、目標とする数を半分にしました。羊のようにおとなしく歩くことにしました。
 しかし、それでよい詩が書けたかどうかというと、結果はあまり変わらなかったようです。わたしの詩の「数」は、平仄・韻の呪縛からわが魂を解き放つための習作の積み重ねです。平仄・韻から自由になれれば、きっとわたしは、水を得た魚のように自在に詩に志を籠めることができる、そう思っています。
 だったら、もっと書けばよかった、そう思います。そして、この作は、そういう自嘲、反省のなかでの作であり、腰が砕けています。

 なお、第6句、「尚古不如風趣鮮」は、清代の詩人趙翼「李杜詩篇万口伝,至今已覚不新鮮(論詩)」の精神を踏まえたつもりでいますが、句意が明瞭である分、典拠として深読みしていただくには堪えないと思います。

<感想>

 「詩を祭る」と言えば、昨年の長岡瀬風さんの投稿詩 「祭詩」の時にも書きましたが、年の終わりにいつも自分の詩を祭ったという賈島が思い出されますね。
 苦吟派の賈島を受けながら、「詩の数」に戻ろうという鮟鱇さんの方向性をとても面白く感じました。

 詩の構成としては、第三句で「朝から晩まで飲んだくれ」と書いてある分、結句の「一樽前」が優しい口調になりましたね。
 ただ、それは決して悪い印象ではありません。頸聯の内容が結構鋭いだけに、「月並みのしめくくり」かもしれませんが、尾聯は柔らかく受けたいところ、「詩を祭って、さてさて、それではやっぱりもう一杯」という軽さが生きているでしょう。

2003.12.31                 by junji





















 2003年の投稿漢詩 第255作は 天馬行空 さんからまとまって送っていただきました。
 天馬行空さんは、以前にもご紹介しましたが、中国上海から日本に来ていらっしゃる方です。漢詩の本国の方がどんな古典詩を書いておられるのか、を教えていただける機会です。
 私のへたくそな読み下しは今回は止めて、原詩のまま読んでいただきましょう。

作品番号 2003-255

  東京詩編(其一)「重回芬蘭湾」     2003年9月13日于東京   

法蘭克福転機勤   

赫爾辛基偶遇君   

万里海天成一色   

飄来飛去是孤雲   

          (上平声「十二文」の押韻)

 [語釈]
 「芬蘭湾」:フィンランド
 「法蘭克福転」:フランクフルト
 「赫爾辛基」:ヘルシンキ




  東京詩編(其二)「秋雨」     2003年10月14日于東京   

晩秋遭夜雨   

行路更添愁   

古驛鐘声遠   

寒空歳月流   

          (下平声「十一尤」の押韻)



  東京詩編(其三)「東南西北」     2003年10月15日于東京   

東来異国已経年   

南訪琉球記変遷   

西望長安多少感   

北歸群雁掛長天   

          (下平声「一先」の押韻)



  東京詩編(其四)「秋約」     2003年11月5日于東京   

深秋落葉黄   

古驛透凄涼   

依約西風下   

無人共夕陽   

          (下平声「十一尤」の押韻)



  東京詩編(其五)「冬至」     2003年11月10日于東京   

冷空寒气入冬来   

昨夜政壇風雨雷   

執政輪流民主制   

専権一党国民哀   

          (上平声「十灰」の押韻)



  東京詩編(其六)「冬感」     2003年11月13日于東京   

晨風伴碎雲   

幽遠古鐘聞   

昨讀故朋信   

復思人世紛   

          (上平声「十二文」の押韻)



  東京詩編(其七)「冬震」     2003年11月16日于東京   

五更眠正濃   

驚夢聴晨鐘   

突覚屋揺甚   

無常生死逢   

          (上平声「二冬」の押韻)



  東京詩編(其八)「冬天」     2003年11月17日于東京   

天高無片雲   

風急目難分   

晨露伴孤我   

夕陽惟映君   

          (上平声「十二文」の押韻)



  東京詩編(其九)「冬雨」     2003年11月25日于東京   

窗外雨霏霏   

出門人迹稀   

今朝天上水   

来日白雲飛   

          (上平声「五微」の押韻)



  東京詩編(其十)「冬雲」     2003年11月26日于東京   

天上已無水   

白雲何處飛   

晨風寒刺骨   

古寺望君歸   

          (上平声「五微」の押韻)



  東京詩編(其十一)「浣溪沙」     2003年 9月 4日于東京   

秋夜相思落葉殘   

難抛惆悵涙欄干   

重陽將至月光寒   

惜別回頭君不見   

醉醒独坐信頻看   

夢中携手往長安   

          (上平声「十四寒」の押韻)

2003.12.31                 by junji


ニャースさんから感想をいただきました。

ニャースです。
今回の天馬さんの東京詩篇 感動しました。

こんなふうに 何作か一緒によむと作者の心の動きがわかり、作品に我々も入っていきやすいですね。
すべて味わい深いのですが、二と四が私は好きです。

天馬さん また投稿してください。

2004. 1. 1                 by ニャース





















 2003年の投稿漢詩 第256作は 小松琢石 さんからの作品です。
 

作品番号 2003-256

  歳晩偶得        

寅吼人飛逢坂濠   寅吼え人飛び 逢坂の濠

歓娯万感暮寒騒   歓娯 万感 暮寒に騒ぐ

夫妻琴瑟杖卿歳   夫妻琴瑟 杖卿の歳

酌酒讃歌同口號   酒を酌み 讃歌 同に口號す

          (下平声「四豪」の押韻)

<解説>

 阪神タイガースの優勝、道頓堀への飛び込み、年末には再度賑やかな話題になりだろう。仲のよい60歳の夫婦も酒を飲みながら大晦日六甲おろしを一緒に唄う。我々庶民の愉しい年の瀬の光景です。

<感想>

 全く今年は四月から、野球についてはもう、阪神タイガースしかないという感じでしたし、このホームページへの投稿でもタイガースを話題にした作品はいくつかありましたね。
 ジャイアンツファンの私としては、そろそろこの話題を忘れたい、もう過去の話として葬りたいのですが、なかなか阪神ファンも粘り強いですね。
 大晦日の紅白歌合戦でもそうでしたが、星野監督が年末のテレビにはよく出ていました。えらく穏やかな顔で、終始にこやかな姿を見ていると、うーん、これはしばらくは戦う男になるのは無理かな?と思ってしまいました。ちょっと寂しいかな・・・・

 詩の方は、転句がやや気になりました。この詩の場合で言えば、「阪神タイガースの優勝を何度も何度もみんなで祝った」ことが大切であり、この「夫妻」が仲がよいかどうかは、実際の所、優勝のお祝いとは関係のないことですね。
 そもそもこの「夫妻」が誰なのか、よく分かりませんので、ここは作者との関係が分かるような内容にして、書き直すのが良いと思います。
 但し、この詩をその夫妻に贈るということでの個人的なものと考えるならば、この詩は十分な内容です。


2003.12.31                 by junji





















 2003年の投稿漢詩 第257作は 鯉舟 さんからの作品です。
 

作品番号 2003-257

  歳晩書懐        

内外患憂静刻稀   内外患憂 静刻 稀に

平成癸未剰毫暉   平成癸未きび毫暉を剰す

怱怱烏兎年年速   怱怱たる烏兎 年年速(すみやか)に

寂寂蓬頭歳歳微   寂寂たる蓬頭 歳歳微(かすか)なり

妄弄千言亡浩気   みだりに千言を弄し 浩気をうしな

空開萬帙逸禅機   むなしく萬帙を開き 禅機を逸す

唯偏冀願安寧世   唯だ 偏へに 冀願す 安寧の世

百八鐘声似祷祈   百八鐘声 祷祈に似たり

          (上平声「五微」の押韻)

<解説>

 今年はイラク戦争に始まり、殉職外交官の痛ましい葬式で歳末を迎えようとしております。
 片や国内では、長崎幼児殺害事件が起こり犯行少年は施設に送られましたが、今後の対策としては防犯カメラを増設した程度に過ぎず、事件の再発防止には何ら保証は無く、問題の根本的解決には至っておりません。
 正に「内憂外患」の日本、あわただしい一年でしたが、来年は何とか明るい年になってもらいたいと思って、七律に小生の願いを表してみました。

 頚聯の心は次のような、一年を振り返っての小生の反省の思いです。

 漢詩の魅力に取り付かれて、言葉の面白さを楽しんでおりますが、反面今年は何処の山にも登らず夏の海も見ずで終わりました。
 去年迄は四季折々に山野を跋渉して浩然の気を養うのを旨として来ましたが、歳のせいですかね。
 また、今年読んで印象深かった本はロバート・ワイマント著「ゾルゲ、引き裂かれたスパイ」だけでした。読書は人生の栄養剤で大事なことは勿論ですが、本さえ読めば覚りが得られるという保証はない、というのが日々「漱石詩注」を読んでの小生の感想です。
 もしも伊豆の大患がなかったら漱石最晩年の律詩の傑作が果して生まれただろうかと考えております。

<感想>

 除夜の鐘を聞きながら、この一年を振り返ると、心に浮かんでくるのは鯉舟さんの仰る通り、「内外患憂」のことばかりでした。
 こうした社会や経済状況が何とか良くなって欲しいという切実な願いを庶民は神社で祈るしかないのですが、実はここまでひどくなった原因はそもそも政治にあるのだ、ということをもっと政治家の人たちは自覚して欲しいものです。
 共同体としての意識が弱くなり、社会のモラルが低下し、経済は長期低迷、自然環境は破壊された。これらのことは、全て過去形、完了形で語られ、何か国民全体で背負わなくてはいけない責任があるように言われるのですが、でも、考えてみれば、政治の力で防ぐことができたものも多いのではないでしょうか。
 経営者のミスの責任は棚上げにして、結果の責任だけは社員に平等に押しつけるような会社で、社員が頑張って会社を良くしようという気にはならないでしょう。
 祈るという心の中だけの言葉で抑えるのではなく、もっと口に出して行くこと、例えばこうして詩にすることもそうですが、それが必要なのだと思いました。

2003.12.31                 by junji





















 2003年の投稿漢詩 第258作は 西克 さんからの作品です。
 

作品番号 2003-258

  朗吟送歳併序。      朗吟送歳併に序。   

混迷難見透世流、多浮草。   混迷見透し難き世の流れ、浮き草多し。
懐託詩欲去遷年餞。      懐を詩に託して去り遷く年の餞けとせんと欲す。

茫茫裏古希来遷   茫茫の裏古希来り遷く

壮壮不無思寂然   壮壮無きに不ずも寂然たるを思う。

何以悠悠迎瑞色   何を以ってか悠悠と瑞色を迎えん、

朗吟一片餞流年   朗吟一片流年に餞らん。

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 年金改革を見てもますます厳しい時代の到来が予想されます。
孫達の明るい明日の姿を瑞色の裡にと期待して作りました。

<感想>

 これは起句はどう区切りを入れて読むのでしょうか。私はひとまず、「茫茫の裏 古希 来りく」と読みました。
 承句は、その「古希」を前提に、「まだまだ若々しい気持ちはあるんだが、どういうわけか元気が出ない」と解釈し、転句へとつなげました。
 この承句の趣旨は、共感する人も多いのではないかと思います。この句を結句にして詩をもう一つ、作っても面白いのではないでしょうか。
 転句結句は自然な展開ですね。
 送っていただいたこの詩を見て、「新年漢詩」に入れようか迷ったのですが、年末の詩として考えさせていただきました。

2003.12.31                 by junji





















 2003年の投稿漢詩 第259作は山口県にお住まいの 登龍 さんからの初めての投稿作品です。
 

作品番号 2003-259

  歳晩偶成        

白駒過隙歳除天   白駒 隙を過ぐ歳除の天

宿志無成又一年   宿志 成る無く 又 一年

淺學菲才更憐老   淺學菲才 更に老ゆるを憐れむ

祭詩待旦佛龕前   詩を祭り旦を待つ 佛龕の前

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 

 [語釈]
 「白駒過隙」:人生の過ぎ去ることのきわめて早いたとえ。
速い馬がものの隙間をあっという間に過ぎ去る意。
 「歳除天」:年の暮れ。
 「宿志」:前々からの志。
 「無成」:成ることが無い。
 「又一年」:又一年経った。
 「淺學」:学問が浅く。
 「菲才」:才知が乏しい。
 「更憐老」:更に老いた事を気の毒に思う。
 「祭詩」:詩を祭る。
 「待旦」:明け方を待つ。
 「佛龕前」:仏壇の前
 [訳]
 月日が早く過ぎて早くも大晦日になり、
 前々からの志が成らず又一年が過ぎようとしている。
 学問も浅く才能も少なく更に老いを感じて憐れむ、
 詩を祭り仏壇の前で夜明けを待つ。

 自作の漢詩の訓読の仕方について疑問〔迷い〕が生じましたのでご教示下さいます様宜しくお願いします。
 自作の詩の転句での「淺學菲才更憐老」についてですが、句の中の「更憐老」「更に老ゆるを憐れむ」と読みました。
 その理由は、「憐れむ」は他動詞マ行四段活用なので目的語として「老いる」自動詞ヤ行上二段の連体形「老ゆるヲ」使用しました。
 ところが別な説で、「更に老いを憐れむ」と言う読み方があると言う人がいます。この文法的解説はありません。
 どちらが正しいのかご教示ください。「老い」は連用形とすればそれに「ヲ」をつけて目的語にすることが出来るのでしょうか?

 お忙しいところ誠に申し訳ございませんがご教示下さいます様偏にお願いします。

<感想>

 ご質問がありましたので、私がお返事しましたものを以下に紹介しましょう。

「老い」は連用形とすれば、それに「ヲ」をつけて目的語にすることが出来るのか、という点については、可能です。
 文法の上からは、「老い」は連用形ではなく、名詞なのです。
 一般的に、動詞の連用形が名詞として用いられる例は、四段活用動詞に多く見られます。現在でも日常的に使う「光」「話」などは、「ひかラ(ズ)」「ひかリ(タリ)」「ひかル」「ひかル(トキ)」「ひかレ(バ)」「ひかレ」という活用から連用形が独立して名詞となったわけです。
 「老い」は上二段活用ですが、この活用でも連用形から名詞になったものは見られます。例えば、「過ぎ」「悔い」などがあります。「悔いを残す」「悔いが残る」として使いますね。「老い」も同様です。

 したがって、「浅学菲才更憐老」については、「更に老いを憐れむ」と読んでも、「更に老ゆるを憐れむ」と読んでも、どちらも文法の点では間違いではありません。

 ただ、まったく同じかと言うとそうではありません。
 この句の場合ですと、「更に」「憐れむ」を修飾しているのですが、「更に老ゆるを憐れむ」と読むと訓読では「老ゆる」を修飾するように聞こえます。
 つまり、「更に年をとっていくこと」「憐れむ」と解釈される可能性が高くなります。誤解を避ける意味では、「老い」と読んだ方が良いでしょう。
 一方、「老い」と読むよりも「老ゆる」と読んだ方が、「自分自身が年をとる」というニュアンスが強くなります。そこを重視して「老ゆる」と読むことを残すならば、「更に憐れむ 老ゆるを」と倒置法で読む方法もありますが、訓読としてはゴツゴツした感じはぬぐえませんね。

「老」「老い」と読んでいる例としては、
 漢武帝「秋風辞」の最後の句に「少壮幾時兮奈老何」とあります。これは、「少> 壮幾時ぞ 老いを奈何いかんせん」と読んでいます。(『中国名詩選』(岩波文庫))

 もう一つ、『唐詩選』の中では、王維「酬郭給事」の七句目にも、「強欲従君無那老」とありますが、これも「強いて君に従はんと欲するも 老いをいかんともする無し」と読んでいます。

2003.12.31                 by junji