2002年の投稿漢詩 第31作は 西川介山 さんからの作品です。
 

作品番号 2002-31

  探 梅        

春淺荒園寒氣清   春浅き荒園 寒気清く

池塘可意探梅情   池塘 意に可なり 探梅の情

斜枝臨水涵花影   斜枝 水に臨みて 花影を涵し

忽動東風引早鶯   忽ち 東風に動きて 早鶯を引く

          (下平声「八庚」の押韻)

<解説>

 [訳]
    春まだ浅き荒園に 寒気は清く
    池塘をゆけば 心に適うは梅を探るの情
    斜枝 水に臨みて 花影を涵し
    忽ち 東風に吹かれて花が開けば 早鶯を招く

<感想>

 水辺の梅の花と来れば、どうしても北宋の林逋「山園小梅」を思い出さずにはいられません。

    衆芳揺落独暄妍    衆芳 揺落して 独り暄妍たり
    占尽風情向小園    風情を占尽して 小園に向かふ
    疎影横斜水清浅    疎影は横斜 水は清浅
    暗香浮動月黄昏    暗香 浮動し 月 黄昏
    霜禽欲下先偸眼    霜禽 下りんと欲して 先ず眼を偸み
    粉蝶如知合断魂    粉蝶 如し知らば 合に魂を断つべし
    幸有微吟可相狎    幸ひに微吟の相狎(したし)むべき有り
    不須檀板共金尊    (もち)ひず 檀板と金尊とを

        口語訳はこちらをクリックして下さい。

 「梅と鶯」と言えば、日本人には馴染みの構図ですが、漢詩ではあまり一緒には用いないようです。(私の見た所では、「唐詩選」「三体詩」ともに同時使用例は無いですね。)
 春を告げるという点ではどちらも同じように思いますが、梅の方が、春というより冬の内に花をつけるのに対して、鶯は「仲春」の鳥という所に、少し時季にずれがあるのかもしれませんね。
 そこに新たに「早鶯を招く」として組み合わせた点が、この詩の主眼、工夫の現れた所だと思います。  

2002. 2.10                 by junji



鮟鱇さんからの感想です。

西川先生
鮟鱇です。玉作「探梅」拝読させていただきました。
 表現に無理なところがどこにもなく、その意味でとてもすばらしく書けていて、作者の高い技量がよく窺える詩だと思います。しかし、詩材の新鮮味という点で不満が残ります。「梅に鶯、ああやはり鶯が鳴いたか」とは思いますが、「驚」がありません。
 「驚」とは、読んでハッとするということです。読者としての発見があるということです。先生の詩を読んで先生ご自身の姿が生き生きと眼に浮かぶ、あるいは、わがことのように感じる、そういうことも「驚」に入るかもしれませんが、もっとわかりやすくいえば「驚」は「花」です。咲き開いてあとは落ちるばかりの花ではなく、咲き始めて読者が想像力をふくらませるなかで咲き開く花です。それがあれば詩は読んで面白い、詩は一詩一驚でなければなりません。
 もし玉作がもう少しヘタクソなら、かえって小生は驚いたかと思います。なぜなら、玉作は、作者が言葉を手のうちにして自在に操っています。そのかぎりで、言葉が作者の常識・力量を超えて、自由に羽ばたくことができていないように感じます。

 詩の言葉は日常の言葉と違います。日常生活では、人間の常識が言葉を操ります。しかし、詩では、言葉が人間を動かさなければなりません。作者が詩を書くのではなく、詩が作者に詩を書かせなければなりません。そうでなければ、常識や固定観念で凝り固まったわたしたちの頭脳を、言葉が超えることはできません。常識や固定観念の範囲のなかですでに知っていることを改めて書いてみても、また、読んでみても、「驚」も「花」も生まれません。
 そうなると詩は、ヘタクソであるほうが「花」があるとも言えるかもしれません。作者は自由に操れない言葉との格闘のなかで、自分が発見したものを一生懸命表現しようとします。この限りで作者は言葉を操ろうとしてはいるのですが、言葉が作者のいうことをきかない、そこでつまりは、言葉が作者を凌ぐという力学が働きます。この力学が、作者の常識や固定観念を打破します。だから、そういう作者の詩は、技量的に劣るように見えても、「驚」を生み出す「花」があるという結果になるのかもしれません。

 玉作拝読し、勝手なことを考えました。失礼しました。

2002. 2.11                   by 鮟鱇



ニャースさんからも感想をいただいています。

 本当に寒い中、毅然と咲く梅は心をうたれます。それを上手に題材にされていると思いました。
自分も一度は梅を題材にしようと思うのですが、なかなか出来ません。

 中国に長期出張に行くたび思うのですが、いつも漢詩ができません。中国の言葉を使って書くのですから、 中国の風景を見れば、詩情が沸くはずですが、私はより、やはり桜、梅を前にすると創作意欲がわいてきます。
 表現形式は中国の言葉でも、やはり日本人的な発想から抜け出せないのですね。

2002. 2.13                  by ニャース





















 2002年の投稿漢詩 第32作は 徐庶 さんからの作品です。
 

作品番号 2002-32

  正月怠惰        

寒残霜僅溶   寒さ残るも 霜 僅かに溶け 

歳起意留年   歳起きるも 意(こころ) 年を留める

雖晃時元旦   晃として 時 元旦と雖も

莫如慵懶眠   慵懶の眠りに如くは莫し

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 夜の寒さが残っているものの、霜は少しずつ溶けだし、
 新年がきてもあまり実感が沸かないのも毎年のこと。
 四方に光が差し始めて、元旦になったと雖も、
 やはりだらけた眠りより心地よいものはない。


<感想>

 「新年漢詩」としていただきましたが、一般の投稿とした方が適するようでしたので、こちらに掲載しました。

 私などは「元日だからこそ朝寝坊したい!」という気持ちですが、徐庶さんは新年に心に期すものがあったのかもしれませんね。でも、その決意と布団の誘惑との綱引きに悩む姿がよく感じられる詩ですね。結句などは、納得・同感される方も多いのではないでしょうか。

 句としては、転句は「晃と雖も時は元旦」と読む方が無理がないでしょうが、意味の方に無理が出てくるでしょうね。
 構成的には、起句と承句のつながりがありませんから(対句にもなっていませんので)、全体の統一が弱く、一句一句が独立しています。五言絶句の場合にはくだくだと説明はせずに飛躍させる展開も多いのですが、この場合にはやや苦しいでしょう。
 新しい年を迎えたことは転句で示されていますから、転句では主題を述べずに、叙景を(例えば、室内に眼を転じるとか)続けることも一案ではないでしょうか。

2002. 2.10                 by junji





















 2002年の投稿漢詩 第33作は 咆泉 さんからの作品です。
 

作品番号 2002-33

  山村之古祠春色        

渓声樵路浄無塵   渓声 樵路 浄くして塵無し

風穏山村一片春   風穏やかな山村 一片の春

独佇虚心古祠裏   独り虚心に佇む 古祠の裏

横斜映水白梅純   横斜水に映じて 白梅純なり

          (上平声「十一真」の押韻)

<解説>

 吉野地方に行くと、今でも林業を生業とされる山村があります。
 この詩は吉野から宮滝(持統天皇時代吉野宮があった所)に下る途中の杣村にある、古いお宮で詠ったものです。
 今でも風呂は木を焚いて沸かすのでしょうか、沢山積まれた薪が懐かしく感じます。

早春の山路に咲く白梅は、梅園の華やかな梅と違った清楚さを感じます。

<感想>

 「題名が長すぎるかも・・・」と咆泉さんは気にしておられましたが、全然、長いとは思いませんよ。私の基準で言うと、この投稿ページの目次に書く時に二行になったりしたら、その場合は「長い!」と判断します。つまり、内容とは全く関係なく、単なる物理的な問題として思うわけです。他の場合(例えば、色紙に書く時に「長い!」と感じる長さとか、手紙に書く時の長さ、ワープロ打ってて嫌になる長さなど)でも同じ様なものではないでしょうか。(違ってたらごめんなさい)

 詩の方では、

@起句:
「渓声樵路」をひとまとめにしているのですが、本来は「渓声」「浄」であり、「樵路」「無塵」と分けるべきでしょう。このままでは、「渓声」にも「無塵」となってしまい、おかしなことになります。
 平仄はひとまず置いて、句としては「樵路無塵渓声浄」となるのだろうと思いますが、この起句のような用法があるようでしたら、教えて下さい。

A承句・転句:
 読み下しは、
  承句は「風穏やかにして 山村 一片の春」
  転句は「独り佇みて 虚心 古祠の裏」
 としておけば、意味はそれほど違わないで行けると思います。

B結句:
 この結句も、31作目の西川介山さんの詩 「探梅」 の感想に引用しました林逋「山園小梅」の詩からの言葉、「横斜」が用いられています。意味としては「横と斜め」という状態を表す言葉ですので、「横斜」「映水」とするのは不自然です。「映水」の主語は後の「白梅」になるわけですから、誤解を避けるためにも、読み下しを「横斜して水に映じ 白梅純たり」としておくと良いと思います。

 以上の点が気になった点ですが、どれも細かいところ、全体としては早春の山村の一景を描いて十分な作品になっていると思います。

2002. 2.10                 by junji



謝斧さんから感想をいただきました。

「渓声樵路」をひとまとめにしているのですが、本来は「渓声」は「浄」であり、「樵路」は「無塵」と分けるべきでしょう。このままでは、「渓声」にも「無塵」となってしまい、おかしなことになります。

 鈴木先生は起句に疑問を呈しておられますが、私は、「渓声与樵路両浄自無塵」の意味だと理解しました。
 「渓声」「樵路」も浄くして、塵(世塵)などありません。ではないでしょうか。

 私は、武庫川河畔を歩きながら幾度となく此の詩を吟じましたが、味わい深い作品だと思います、特に起句承句が気に入っています。転句結句の収束のしかたも、やや平板の嫌いはありますが、無難です。佳作だと思います。作者は七絶をかなり作り慣れた方だと感じていますがどうなんでしょうか。
 ただ、結句の「白梅純」はどうでしょうか。生硬な感じがします。
また、「独佇虚心古祠裏」「虚心」は語をなすでしょうか、少し気になります。

 概ね古くからの吟社は同じ様な詩風になりがちですが、yt先生、ニャース先生、鮟鱇先生、禿羊先生、真瑞庵先生等、何れも詩風が異なる作品を掲載出来るのが、貴サイトの好いところで、大変好ましくおもっています。

2002. 2.16                  by 謝斧



咆泉さんからお返事をいただきました。

 鈴木先生、いつも貴重なアドバイスを頂き有難うございます。又思いがけなく山村の古祠春色に謝斧先生より感想を頂き心より御礼申し上げます。
 小生の拙い詩を吟じて頂いている人がいるなんて思いもよりませんでした。平仄を合わせるだけで手一杯で、志を少しでも表現できるまでは中々に難しいものが有ります。

 起句の「渓声」「樵路」は共に世塵を離れ清々しいものがあるとの思いで一纏めにしましたが、やはりこういう表現では言葉たらずかなと思いましたが、謝斧先生の講評でそのように理解できると知り嬉しく思います。
 転句の「虚心」ですが、特に短型の詩(俳句等)では心の動きを直接表現せず、何か具体的な物や所作で表現せよと言われているのは十分理解しているのですが、漢詩の場合はどうなんでしょうか。
 私の場合お寺や、神社にお参りした時必ず般若心経を唱えてその時だけでも虚心になったつもりになります。

 結句の「梅」ですが、紅梅は妖艶や少しばかりの華やぎ、白梅は清楚、無垢を感じますと同時に、なぜか母のミシンを感じるのです。
 それは小学生の頃いつもお別れ遠足は大宰府の観梅でした。まだまだ衣服が十分でない時代でしたが、洋裁をしていた母が、前日の晩に弟と御揃いの茶色のジャンバーとズボンを縫ってくれていました。その日ウキウキした気分で観た白梅が今でも鮮やかに思い出します。
    「白梅や母のミシンも古びたり」
 が私の白梅の原風景です。

 謝斧先生より佳作といって頂き大変嬉しく思います。まだまだ幼学便覧を抜け出せない身ですが今後共ご指導賜りますようお願いいたします。

2002. 3. 6                     by 咆泉





















 2002年の投稿漢詩 第34作は Syou さんからの作品です。
 「大和路冬至」と題された連作三首をいただきました。

作品番号 2002-34

  大和路冬至(一)        

斑鳩冬至季   斑鳩 冬至の季

静寂寺法隆   静寂 寺法隆

歳月千三百   歳月 千三百

愚生拝上宮   愚生 上宮を拝す

          (上平声「一東」の押韻)

<解説>

 お坊さんが居て観光専門でない生きている寺
 国宝の建物の畳に座って太子に拝礼

<感想>

 こうした名所に出掛けた時の詩作は、本当に難しいと思います。
 特に固有名詞をどう処理するかに苦労することが多く、一句の中での叙景(固有名詞)と心情とのバランスをとるために七言詩にすることが多いのですが、この詩は五言詩で工夫されていると思いました。
 結句の「拝」の一字が転句とのつながりを密にして、生きた言葉になっていると思います。


2002. 2.10                 by junji





















 2002年の投稿漢詩 第35作は Syou さんからの連作の第二作です。
 

作品番号 2002-35

  大和路冬至(二)        

金堂寒気抜   金堂 寒気抜け

古塔峙冬空   古塔 冬空に峙す

百濟浮微笑   百濟 微笑を浮ぶを

横姿我拝崇   横姿 我拝崇す

          (上平声「一東」の押韻)

<解説>

 百濟観音の横からのお姿がすばらしい
 建築物全てが冬の寒気にさらされよく千三百年も残っているものである
 人影まばらで法隆寺に直に触れた思い


<感想>

 転句の「百濟」だけでおっしゃるところの「百済観音」と解釈できるかどうか、もう一つは結句の「横姿」ですが、これは「横からの姿」となるのでしょうか。
 その二点がこの詩では気になりました。

2002. 2.10                 by junji





















 2002年の投稿漢詩 第36作は Syou さんからの連作の第三作です。
 

作品番号 2002-36

  大和路冬至(三)        

夢殿寥虚室   夢殿 虚室寥し

觀音羇旅東   観音 東に羇旅

梵鐘不變昔   梵鐘 昔に変らず

飛鳥大和風   飛鳥 大和の風

          (上平声「一東」の押韻)

<解説>

 東院伽藍
 観音=中宮寺、彌勒菩薩(伝如意輪観世音菩薩) 当日不在

<感想>

 この詩は、結句の「飛鳥」が面白いですね。
「飛ぶ鳥」とも取れますし、地名としての「飛鳥」とも取れますから、両方の意味を込めてと読むと、やや漠然とした結句も生き生きとしてきますね。
 

2002. 2.10                 by junji





















 2002年の投稿漢詩 第37作は 禿羊 さんからの作品です。
 

作品番号 2002-37

  再登明神岳観霧氷      再び明神岳に登り霧氷を観る  

雪堆三尺旧峯嵩   雪の堆ること三尺 旧峯嵩し

嶺上雲垂山色濛   嶺上 雲垂れ 山色濛し

一陣陽光燦銀野   一陣の陽光 銀野に燦めいて

満眸氷樹白玲瓏   満眸の氷樹 白玲瓏

          (上平声「一東」の押韻)

<解説>

 明神岳は関西有数の霧氷の美しいところです。山霧が強風で木々に吹き付けられて氷結し、幹から枝の先まで純白に輝く樹林が出現します。
 実はちょうど一年前、三耕、鮟鱇両先生のご指導で最初に作った漢詩がこの山の印象でした。あれから少しは上手くなったかと比べてみましたが、大したことはないようです。と言うよりは、最初のがビギナーズラックだったようです。
 転句の「一陣」が陽光の形容に使えるかどうか自信がありません。さりとて適当な言葉も思い浮かばないのでこのままにしてしまいました。

<感想>

 うーん、「一陣」を風以外に使う場合があるかどうかですが、「一陣風」という用法が定着していますし、せいぜい「雨」に使われるくらいでしょうか。
 ただ、似た言葉ですが、「陣陣」とした場合には、「とぎれとぎれ」という意味で光にも使われます。劉禹錫の詩にも「光陣陣」という用例がありますので、そちらなら可能でしょう。
 「陽光」の形容を変えてしまうというのもありますが、形状については後半の「燦銀野」で言っていますから、それ以外、時間的・空間的な表現にしたいですね。
 転句と結句の「燦銀野」「白玲瓏」が氷雪に覆われた野の景を強調して、透明感のある表現になっていると思います。

2002. 2.11                 by junji



鮟鱇さんから感想をいただいています。

 禿羊先生
 鮟鱇です。ご無沙汰していますが、先生の詩、少しばかり先輩面をしてあれこれ申し上げるのもいかがかと思い、逐一感想を申し上げてはおりませんが、ふたつの点で先生を羨ましく思っている点は、1年前といささかも変わっておりません。

 ひとつは先生の豊かなアウトドア。
 唐人も登高などのアウトドアを楽しんだが、冬山登山などの冒険的な楽しみ方はしていない。峻険な山地の長旅で雪に触れることはあっても自ら進んで山奥に雪見に行くことはしていない。
 そこで、禿羊先生なら、唐人には見つけることのできなかった詩境をきっと書くことができるだろう、それは小生にとって羨ましいことですし、おそらく唐人にとっても、自分たちの詩の物真似のような詩よりは価値があるだろうと思います。

 ふたつめには先生の鋭い言語感覚。
 先生は漢詩を書き始める前に白樂天の詩を関西弁で訳されていますが、その言語感覚を小生は今も羨んでいます。白樂天の詩は当時の人にとってはとても平明な言葉を使っている、そのあたりの語感は単なる読み下し文では表現できないということを先生の言語感覚は鋭敏に嗅ぎわけています。これがうらやましい。一年前の作がビギナーズラックだったとは思えません。

 さて、前置きが長くなりましたが、今回の玉作、「一陣の陽光」、勉強になります。先人の用例に即して言葉を選んでいくのが無難であるという点では、桐山人先生のお書きになったとおりで「陣陣」がよいと思いますが、「一陣」も捨てきれないように小生には思えます。
 小生は「一陣風」「陣」に立ちかえって「陣」の意味を考えてみました。
 「陣」「陣立て」の意。もともと風と直接の関係はありません。ただ風が吹いてくる様子が、押し寄せてくる「陣(軍勢)」のようだということに誰かが気が付いて「一陣風」と言った。言い得て妙です。そこで、「一陣風」と使われるようになった。
 さらに、驟雨などにも使えるではないかということになったと思います。海の向こうから雲とともに走ってくるスコール。たとえばそういう雨なら「一陣」はぴったりです。
 しかし、陽光にこれが使えるかどうかです。陽光は、風や雨に比べれば動きに乏しい言葉です、そこで一般には使えないと思います。
 しかし、禿羊先生の詩の場合、起句・承句の眼前の景は重く暗く雲に閉ざされています。そういう中で、雲が切れて陽光が射す。つまり、その陽光には動きがあります。それを「一陣」と表現できないかと先生は考えられたのではないでしょうか。
 暗い雪景色の地面をわたしの方に向かって走って来る太陽の光の絨毯。もし先生が表現したい陽光がそういうものであるとすれば、「一陣風」からの連想で小生はそのような景を思い浮かべることができたわけですから、「一陣」と言う言葉を「風雨」から転用した効果があると思います。

  先人の用例というものは、無視してよいものではありませんが、一方で先例がないからといって萎縮しないようにしなければならないと思います。古人に学べばそれだけ人から指正されるところのない詩作りはできると思いますが、そのために、自分自身の感覚、個性を喪失しなければならないとしたらこれは深刻、読者にとってそれは、1000年も昔の唐人の亡霊を今の世に見るようなものではないでしょうか。
 先人から受け継ぐ固定観念とそれを打ち破る生身の個人の感性、その微妙なバランスのなかで詩は活力をうるものと小生は思っています。

2002. 2.12                  by 鮟鱇



謝斧さんからも感想をいただきました。

 禿羊先生の詩風があますところなく出て、大変好い作品だと感じています。

「銀野」は造語だとおもいますが、巧句ではないでしょうか。
 スケールの大きい、自然の偉大さに圧倒されて、独り明神岳に対する詩人の心情が叙述以外にも感じられます。

 「旧峯嵩」「嵩」は何か落ち着かないように思えます。もう少し具体的な叙述が欲しく思います。
 「陽光」「一陣」はどうでしょうか。「一陣」はやはり雨や風に対して言う物と考えています。

2002. 2.12                  by 謝斧



禿羊さんからお手紙をいただきました。

 鈴木、鮟鱇、謝斧諸先生、ご好意に満ちたご批正有り難うございました。お陰様でいい詩を作りたいとの意欲が湧いて参ります。
 鮟鱇先生、
「一陣」に関するご意見有り難うございました。拙い詩句から、まさに小生が見たとおりの光景を描き出していただき感激いたしました。しかし、これは拙句の手柄と言うよりは先生の豊かな想像力に帰すべきものでしょう。

 謝斧先生、
 ご意見有り難うございました。ご指摘の通り、「嵩」には小生も聊か違和感を持っておりました。どうも、最初に決めた構想にとらわれて、限られた韻字の中ではやむを得ないかと妥協して、推敲が足りなかったと反省しております。
 ご指摘を受けてちょっと考えるだけで、「逆寒風」「幾途窮」などの句が浮かんできますのに。

 「銀野」は、河井酔荻「詩語辞典」より採りました。まだ、この語を作り出す能力はありません。

2002. 2.18                  by 禿羊





















 2002年の投稿漢詩 第38作は 謝斧 さんからの作品です。
 

作品番号 2002-38

  失題        

貧家尚有古寒梅   貧家尚を有り 寒梅の古りたり

誰似老慵心未灰   誰に似んや 老慵として 心未だ灰ならずを

含笑白葩欺雪虐   笑みを含みし白葩 雪の虐げられるに欺き

点脂紅蕚待春回   脂を点じて紅蕚 春の回るを待たん

拙夫甘拙能持拙   拙夫 拙に甘んじて 能く拙を持し

才子恃才無活才   才子 才を恃むも 才を活す無し

嫌世紛呶難適意   世の紛呶なるを嫌いては 意適い難し

学他和靖也賢哉   他の和靖に学ぶも 也た賢れる哉

          (上平声「十灰」の押韻)

<解説>

 他の吟社が七律の投稿を断っているとのこと、天邪鬼かもしれませんが敢えて七律に挑戦してみました。

 [語釈]
 「老慵」:老いて世の人事に対し慵くなる
 「和靖」:林逋
 「紛呶」:かまびすしい やかましい
 [訳]
 貧家の古寒梅は誰に(主人)似たのでしょうか
 まるで老いては、世の中を厭うようかのようですが、心はまだ涸れてはいないようです。
 白い花びらは寒い雪の降る日でも咲いています。
 赤い花びらは口紅を差したように、まだ三分咲きぐらいで、春が来るのを待っているようです。
 なにか私のような、拙い者がその拙さに甘んじて、痩せ我慢しているようです。
 然し世の中の才有る者も、その才を頼んでも、才を生かせない世の中です。
     (赤い花びらのように口紅を差してわが力を磨いては春を待つべきなのでしょうか)
 私など拙なる人間は世の中のかまびすしさには、到底堪えられません。
 林和靖先生のような生き方を学ぶのも、また優れてるとおもいます。


<感想>

 詩としてまとめ上げるのが難しいと言われるのが七言律詩ですが、謝斧さんの頸聯の句などは、七言ならではの機知に富んだものですね。五言ではこうした面白さは出ないでしょうから、その点ですでに作者の挑戦は成功していると言えるのではないでしょうか。
 全体の構成としても、この句が面白さだけで終わるのではなく、主題と密接に関わりながら余韻深くしていると思います。

 林逋は梅の季節ということもあり、今年ももう三度目の登場ですが、世間での名声を嫌い、詩人としての名も残したくないと、作った詩は次々に捨て去ったと言われています。
 謝斧さんの今回の詩に出るには最適な詩人ですね。

2002. 2.15                 by junji





















 2002年の投稿漢詩 第39作は 長岡瀬風 さんからの作品です。
 

作品番号 2002-39

  題竹林雅兄北信彩景集         

行尋春色険途通   行き行きて春色を尋ぬれば 険途通い

千樹桃林烟雨中   千樹の桃林 烟雨の中

小口那辺雲鎖嶺   小口 那辺ぞ雲は嶺を鎖し

恍疑猶是武陵紅   恍とし疑うらくは 猶ほ是れ 武陵紅なり

          (上平声「一東」の押韻)

<解説>

 [語釈]
 「小口」:桃源郷に入る洞穴     

<感想>

 陶淵明「桃花源記」によれば、桃源郷に迷い込んだのは「武陵の人、魚を捕らふるを業と為す」とあって、武陵の漁師であったわけですが、そのあたりから発展して、桃花源の場所を武陵のあたりだろうと考えられていったようですね。
 「武陵桃源」を舞台にした詩を、『唐詩三百首』から二篇紹介しましょう。

     送崔九              裴迪
    帰山深浅去       山に帰りて 深浅に去(ゆ)
    須尽丘壑美       須らく丘壑の美を尽くすべし
    莫学武陵人       学ぶ莫かれ 武陵の人の
    暫遊桃源裏       暫く桃源の裏(うち)に遊びしを


     桃花谿              張旭
    隠隠飛橋隔野煙    隠隠たる飛橋 野煙を隔て
    石磯西畔問漁船    石磯の西畔 漁船に問ふ
    桃花尽日随流水    桃花 尽日 流水に随ひ
    洞在清渓何処辺    洞は清渓の何れの処にか在らん


        口語訳は、それぞれ「送崔九」訳「桃花谿」訳をクリックして下さい。


2002. 2.15                 by junji





















 2002年の投稿漢詩 第40作は 岡田嘉崇 さんからの初めての投稿作品です。謝斧さんからのご推薦です。
 

作品番号 2002-40

  冬夜偶成        

皚皚俄積六花清   皚皚俄に積りて 六花清く

夜色玲瓏玉樹生   夜色玲瓏として 玉樹生ず

雪舖天寒茅屋冷   雪舖きて 天寒く 茅屋冷かに

月暉地白紙窓明   月暉り 地白く 紙窓明かなり

囲爐談舊老人笑   爐を囲み 舊を談ずれば 老人笑い

列座知新稚子驚   座に列し 新を知れば 稚子驚く

罷話敲詩時一啜   話罷み 詩を敲いて 時に一啜すれば

挑灯添炭到三更   灯を挑げ 炭を添えて三更に到る

          (下平声「八庚」の押韻)

<感想>

 岡田嘉崇さんは中学校で校長先生をなさっておられた方だそうです。

 冬の夜の凍てつくような寒さが首聯頷聯でよく表現されていて、あたかも雪国に突然行ったような気持ちになります。「六花」は雪の別名、雪の結晶が六弁の花に似ているところから生まれた言葉ですが、優雅な名ですね。
 頸聯の「老人笑」「稚子驚」の対は何か典拠があるのでしょうか。「温故知新」「稚子驚」のつながりの意図も教えていただきたいところですね。
 范成大の田園雑興詩の中に入れてもおかしくないような、懐かしい雪の山里の暮らしが目に浮かぶ、そんな詩ですね。

2002. 2.24                 by junji





















 2002年の投稿漢詩 第41作は 逸爾散士 さんからの作品です。
 

作品番号 2002-41

  垂梅(枝垂梅)        

参差交錯白英枝   参差に交錯す白英の枝

横出長條描弧垂   横に出ずる長條は弧を描きて垂る

樹下空間如蓋内   樹下の空間は蓋内の如し

帯身馨気竝相思   身に馨気を帯びて相思と竝ばむ

          (上平声「四支」の押韻)

<解説>

 今年になって初めて作ります。
ある方から韻や格はともかく内容はいいと感想をいただきました。ありがとうございました。

 さて、なるべく漢文らしく和臭のない詩を目指したいけれど、現代のことや身近な現実も詠みたいと思って庭のしだれ梅の詩を作りました。梅の詩は無数にあるけど、枝は横さまに斜めに伸びていて、管見の範囲ではしだれ梅は詠まれていない。中国にはないのかしら。
 しだれ梅の姿を形容して新しい詩材を開発しようとしたのに、「思い人と木の下に並びたい」みたいに転がってしまったのは、私が日本人のためかな。中国の詩人は経世済民を考えているけど、日本の歌人は花鳥風月か恋しか興味がないみたいですものね。
 ただ、こと漢詩となると日本人はへんに武張ったり悲憤慷慨したがるから、平成の香匳体といおうか、もっと艶麗なものも目指したい気もします。

 ところで、新年漢詩の結句の韻(「天涯」の「涯」)は、このHPの韻検索では佳韻ですが『字源』には支韻も載っています。ただ「天涯」の場合に何の韻なのかわからない。韻が複数あって意味による差が辞書ではわからない時にはどうしたらいいのでしょうか。  

<感想>

 そうですね。梅については、詩の中に「梅」とあれば、「ああ、梅だな」というくらいで、しだれ梅かどうかはあまり思ってもいませんでした。
 今節のお薦め漢詩にも「梅の詩」をいくつか紹介しましたが、斜めに伸びた姿「横斜」とまでは書かれていても、しだれ梅とは決められませんね。

 詩は前半で梅の姿を描き、転句からは発想をぐっと拡げて、「しだれ梅の傘の中、恋人と香りに包まれたい」と少し弾んだ調子で流れていく展開は、とても自然で、楽しく読みました。私もそんなしだれ梅の下に居れば、やはり恋人と一緒がいいですね。
 柳の下には幽霊ですし、桜の下には死体とか、あまり樹の下は良いものは出ないようですが、梅には美人が似つかわしい。、隋の趙師雄という人は美人に化した梅の精と一晩酒を酌み交わしたそうです。
「香匳(奩)体」は、晩唐あたりから流行した艶麗詩ですが、逸爾散士さんのこの詩も胸にキュッと来るせつなさがありますね。

 「涯」の字の韻が「上平声九佳」しか載せてませんでしたので、すみません。辞書を調べていただくと、「上平声四支・上平声九佳・下平声六麻」と載っていると思います。怠けて訂正してなかったようで、反省しています。意味はどれも同じということで構わないと思います。
 複数韻を持つ字の場合、同韻異義・異韻異義・異韻同義など、色々なケースがありますので、悩むことが多くあります。基本的には辞書を引いて比べるわけですが、区別がつかないこともあります。漢詩の手引き書や詩語辞典などにも少しは書いてありますが、詳しく調べる場合には、手に入りやすいという点で行きますと、
 『詩韻含英異同弁』(東京松雲堂書店)か、『漢詩入門韻引辞典』(飯田利行・柏書房)が調べやすいと思います。
 私も手っ取り早くは、この二冊で見ています。

2002. 2.24                 by junji



鮟鱇さんから感想をいただきました。

 鮟鱇です。
 玉作「垂梅( 枝垂梅)」拝読しました。楽しい詩です。
 景は「しだれ梅」、情は「香りこもる相合傘の境地」に遊ぶ。詩材が新しいだけとは思いません、詩境においてオリジナルな作だと思います。
 漢詩を書く以上、韻や平仄は古人に倣わなければなりませんが、せめて心ぐらいは自分のものでありたい。しかし、漢詩の場合、古人に学ぶプロセスで心の動き方まで古人に学んでしまうということが起ります。日本に生まれれば日本人になってしまう、漢詩を学べば古人になってしまう、ということでしょうか。
 漢詩を書き込めば書き込むほど、いくら自分の身辺を描いても読者の立場からはどこかの先人の詩で読んだような詩境になってしまう、そういう皮肉なことが起きているように思います。書物に学んで獲得したバーチャルリアリティの中でしか、心が動かなくなってしまうからです。
 逸爾散士さんの詩には、そういう迷妄を打ち破る斬新な発想があると思いました。その発想は、古人に学んで漢詩を書くことと、心は現代の日本に生きているという自覚との相克を、逸爾散士さんがきちんと受け止めたから浮かんだものだと思います。羨ましい限りです。

2002. 2.26                 by 鮟鱇





















 2002年の投稿漢詩 第42作は 鮟鱇 さんからの作品です。
 

作品番号 2002-42

  有人風化        

我愛野鶏君厭狐,   我は野鶏を愛し君は狐を厭い,

詞林禽獣忘賢愚。   詞林の禽獣、賢愚を忘れる。

有人尚古將風化,   人ありて古を尚びまさに風化せんとすれば,

猿笑虎眠游太虚。   猿は笑い虎は眠って太虚に遊ぶ。

<解説>

 [語釈]
 「野鶏」:街娼。
 「狐」:起句は句中対。野鶏に対応してここでは野狐。
 「詞林」:詩文を作る人の集まり。
 「尚古」:昔のものをとうとぶ。
 「風化」:教え導く。感化する。
 「太虚」:宇宙の根元。万物斉同の世界。

 現代韻(通韻)で書いています。「愚(yu2) 」「虚(xu1) 」は第4部(斉部)ですが、「狐(hu2)」は第5部夫部です。起句は韻を踏んでいません。

<感想>

 「野鶏」を愛そうが「野狐」を厭おうが、そんな人間の好悪や競り合いを「禽獣」はあほくさくて見てられないと思っているのでしょう。
 「游太虚」の境地から眺めれば、全てが虚であるが故に、逆に全てが存在の価値を持つ。
 自由を愛する鮟鱇さんのお気持ちは、私にはよく分かります。

2002. 2.27                 by junji





















 2002年の投稿漢詩 第43作は 西川介山 さんからの古詩の作品です。
 

作品番号 2002-43

  詠史 文天祥 其一       

   誕生 一二三六年

稟生廬山廬陵邊   廬山廬陵の辺に 生を稟け

夢乘紫雲立牀前   夢に紫雲に乗じ 牀前に立つ

爲名雲孫字天祥   為に雲孫と名づけ 天祥と字す

小兒叩頭去九天   小児 叩頭して九天に去る


八歳耽讀四書諳   八歳にして耽読 四書を諳んじ

竹藪螢窗五經枕   竹藪蛍窓 五経枕にす

十五已憂無聖道   十五にして 已に聖道無きを憂い

素懷鬱悒多恚憾   素懐鬱悒として 恚憾多し


夙將鴻志抱剛腸   夙に鴻志を將って剛腸を抱き

烈列氣概不尋常   烈々たる気概 尋常ならず

尚憂社稷累卵危   尚を憂うは社稷の 累卵の危きを

爲成忠鬼守四方   為に忠鬼と成るって 四方を守らん

   蒙威 一二五八年

北蛮戎馬風沙捲   北蛮の戎馬 風沙捲き

鄂州地略大都遠   鄂州の地を略して 大都遠く

三路圍城巧夾攻   三路城を圍み 夾攻巧みに

大宋栄華方衰晩   大宋の栄華 方に衰晩す


釣魚雨濕炎威駆   釣魚雨濕にして 炎威駆る

戎馬疲弊嘶険途   塞馬疲弊 窮途に嘶く

羸兵日夜憶北還   羸兵日夜 北還を憶い

何時凱歌踏紫衢   何れの時か凱歌して 紫衢を踏まん


襲穹鼠疫軍行阻   穹を襲う鼠疫 軍行を阻み

憲帝崩御危邦土   憲帝死して 忽ち荒土ならんとす

末弟叛旗圖登極   叛旗末弟をして 登極に圖らしむるも

帝國覇業継世祖   宗國の覇業 世祖に継がれる

   専横 一二六〇年

開封陥落逃杭州   開封陥ちて久しく 杭州に逃れ

半璧天下社稷憂   半璧の天下 社稷憂い

西湖酒宴忘国難   西湖の酒宴 国難を忘れ

酔歌嬌舞幾時休   酔歌嬌舞 幾時か休まん


賈賊専権無由拒   賈賊専権 拒ぐに由無く 賈似道

故称恩蔭私科挙   故に恩蔭と称して 科挙を私し

狡智何難盗大權   狡智何んぞ難からん 大権を盗むを

横行城狐与社鼠   横行す 城狐と社鼠と


外戚宦官借虎威   外戚 宦官 虎の威を借り

同悪相助人心欺   同悪相い助けて 人心欺く

憂国忠臣皆嚢括   国を憂いし忠臣 皆な嚢括され

北狄重來未可知   北狄重ねて来るも 未だ知るべからず


<解説>

 [語釈]
 「釣魚」:釣魚山の要害
 「鼠疫」:ペスト
 「半璧天下」:宋は一旦滅亡する。南に追われた宋は高宗が即位し、
 臨安に都を定め南宋として復活した。領土の北半分を金に奪われる
 「恩蔭」:官吏の特定の身分以上の者は天子の恵により子孫が官吏として特別任用される制度。
 「城狐与社鼠」:君主の側にいる奸臣
 「同悪相助」:憎む所を同じくするものは、互いに助け合う
 「嚢括」:嚢の中に押し込められる

<感想>

 憂国の士、悲劇の士である文天祥を慕い、彼の「正気歌」を倣って、世を悲憤慷慨する詩を作ることが、江戸末期から明治大正、更には太平洋戦争の時まで盛んだったと聞きます。
 漱石全集を読んでいましたら、「吾々が十六七のとき、文天祥の正気の歌などにかぶれて、ひそかに慷慨家列伝に編入してもらひたい希望で作った」(第十六巻)という一節がありました。
 しかし、現代では、漢詩に興味のない人には全く聞いたこともない人物、というのが実状でしょう。
 軍国主義につながるという観点で戦後教育から排除されたものが沢山ありますが、文天祥の「愛国」の精神もそのひとつでしょう。六十歳くらいの方を境に、認識度はぐっと違うはずです。
 今、もう一度文天祥を読むためには、過去を越える新しい視点が必要なのかもしれませんね。

2002. 2.27                 by junji





















 2002年の投稿漢詩 第44作は愛媛県北条市の サラリーマン金太郎 さん、三十代の男性の方からの作品です。
 

作品番号 2002-44

  古城春望 (名勝 鹿島)        

碧海白砂齋島巓   碧海白砂 斎(いつ)く島の巓

紅暾燦爛暗香傳   紅暾燦爛 暗香伝ふ

神功沐浴編鯛飯   神功は沐浴されて鯛飯を編まれ

嘯詠古歌詩酒筵   古歌を嘯詠する詩酒の筵

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 私の住んでいるところは、県都 松山市の隣町、北条市と言うところです。海有り山有り岬有りの大変風光明媚(瀬戸内海国立公園)なところです。
 市街地の沖合いに浮ぶ鹿島は、伊予の江ノ島と言われ、夏は海水浴客や、釣り客で賑わうと共に、古代から海上交通の要衝の地として、島全体を要塞化した出城が築かれました。(今は史跡のみ)
 遠く三韓征伐のみぎりには、神功皇后が、また7世紀、白村江の戦いで敗れた、唐・新羅連合軍との海戦に際しては、伊予国最大の軍港として、軍船兵馬を整え、また風待ちの必要から、斎明天皇他、皇族方、物部氏を始めとする大和の大物豪族達がやって来たと言われております。
 額田王の和歌で詠まれたいわゆる熟田津の候補地の一つにも比定され、島内に鎮座する鹿島神社で、戦勝祈願を行いました。
 また文人墨客の来島も多く、吉井勇など、歌人達の歌碑や句碑もたくさん建てられています。

 前置きが長くなりました。
 起句と承句ではそんな郷土鹿島の早春の情景を詠み、転句で、島内に残る神功皇后ゆかりの伝説(皇后髪洗いの浜や、郷土料理鯛めしの考案など)で事績を称え、結句でそんな歴史の思いに浸りながら、友と酒を傾けあっていると、万葉集の名歌
「熟田津に船乗りせんと 月待てば潮もかないぬ 今はこぎいでな」
 が、自ずと口をついて出てくるものだよ。

 こんな感じでしょうか。
 今回初投稿でまだまだ作詩歴は浅く、先生の添削や先輩諸兄のご批評をいただきたいと思います。

<感想>

 一句ごとの平仄は問題ないですし、狙いや意図もよく分かります。ただ、句の中の言葉の並べ方、構成でやや違和感を感じるところがありました。

 具体的には、
 起句の「碧海白砂」「齋島巓」のバランスはどうでしょうか。海の様子、砂浜の様子を描いてきたところですので、ここでも「齋島」がどう見えたかを書いて欲しいところです。
 承句は、前半の明るく輝く太陽の光のイメージと後半の「暗香」がやはりバランスが悪いように思います。「何処からともなく」とするのならば、「伝」の字で含ませているとも言えます。前半四字の力強さと離れすぎるように感じます。
 以上の二点は、わざと対比的に置いたとも言えるでしょうが、だとしても、効果としては疑問が残ります。
 転句は面白い表現だと思いますが、全体の中での役割という点では、あまり機能していないようです。浮いているためにつなげようと努力すると、結句の主語を神功皇后かと読みかけてしまいました。

 一つ一つの句がそれぞれ独立していて、全体の統制がまだ取れていないのではないでしょうか。用語や発想に魅力がありますから、是非全体の推敲を進めていただければと思います。

2002. 3. 2                 by junji





















 2002年の投稿漢詩 第45作は 鮟鱇 さんからの作品です。
 

作品番号 2002-45

  花様滑氷        

飄舞天衣滑鏡氷,   飄舞して天衣 鏡氷に滑り,

張開大腿喜浮生。   張り開く大腿 浮生に喜ぶ。

仙娥溌剌花脣笑,   仙娥溌剌たり 花脣の笑み,

一陣風雷是掌声。   一陣の風雷 これ掌声。

          (下平声「十蒸」・下平声「八庚」の通韻)

<解説>

 冬季オリンピック、フィギュアスケート観戦の印象を書いています。フィギュアスケートはこの世のものでありながら、この世ならぬ美しさがあります。この詩のねらいは、「天衣」、「仙娥」、「花脣」「大腿」、「浮生」、「掌声」の対置によって、その感じが描けたかどうかです。
 なお、「一陣」は、中日辞典によれば、拍手にも使えるようです。

 [語釈]
 「花様滑氷」:フィギュアスケート
 「掌声」:拍手

<感想>

 フィギュアスケートを「花様滑氷」と呼ぶのは、氷の上に花(模様)を描くことから来たのでしょうが、でも、字の通りに「花のように美しく氷の上を滑る」をしたく思います。

 ソルトレークオリンピックはフィギュアスケートからもめ事が始まって、何ともすっきりしない形で競技が進んでいったのですが、いつも言われることですが、選手たちのひたむきさには感動します。
 もちろん、誰にでも自分の過去の重みは背負っているわけですから、四年間を選手だけが特別に貴重に過ごしたわけではありませんが、やり直しのきかない一回の勝負に賭ける姿は貴重です。
 私は毎晩NHKの名場面特集を見ていましたが、フィギュアスケートの女子だけは多少(?)の色気心でつい熱心に見てしまいました。

2002. 3. 2                 by junji




















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