作品番号 2002-106
瓊林会大阪支部総会
懷顧崎陽会酒樓 崎陽を懷顧して 酒楼に会し
青春一夢共朋遊 青春の一夢 朋と共に遊びしを
獻酬歓宴忘時過 獻酬歓宴 時を過ぐるを忘れ
唱和黌歌気尚昌 校歌を唱和すれば 気尚ほ昌なり
<解説>
自分の詩を読んでいただくことは大変うれしいことです。まして、感想をいただくことは、勉強になり励みにもなります。これからも宜しくご教示下さい。
<感想>
「崎陽」は長崎のことですから、鷲山さんはそちらのご出身なんですね。
世代は違いますが、私も先日、高校時代の同級生で集まり、元コーラス部の女性陣と私のバンドとでジョイントコンサートを開きました。コンサートと言うにはちょっと恥ずかしい内容で、どちらかと言えば「学芸会」的なものでしたし、観客も勿論、ほとんどは同級生という会でした。
卒業後30年も経つと、さすがにかつての美少年・美少女も顔と名前が結びつくのに時間が掛かる面々も多かったのですが、演奏を横に聞きながらワイワイと騒いでいると、あっという間に青春の一時に逆戻りしました。
さすがに校歌斉唱は無かったのですが、懐かしのフォークソングを歌い合って、楽しい時間を過ごしました。
ですから、今回は鷲山さんの一句一句がとても実感を持って読むことができました。
さて、詩の感想ですが、承句の「一夢」の解釈をどうするのか、に迷いました。
「一夢」は、宋の孫覿の『再泊楓橋』での用例は、
白髪重来一夢中
青山不改旧時容
烏啼月落橋辺寺
欹枕猶聴半夜鐘
ですし、我が国の良寛さんの『半夜』の詩でも、
回首五十有余年
人間是非一夢中
山房五月黄梅雨
半夜蕭蕭灑虚窓
とあるように、「短い夢、つかの間の時間」という意味が多いように思います。
とすれば、承句は「青春は一瞬の夢のようなもの、友と一緒に楽しく過ごしたなぁ」と解釈するのでしょうか。
転句の「忘時過」は、やや口につかえる表現ですね。「獻酬歓宴」を主語にして、「止むこと(時)がない」という言い方にするのは如何でしょう。
2002. 7.16 by junji
作品番号 2002-107
称蹴球世界選手権大会予選突破 蹴球世界選手権大会予選突破を称える
歓喜熱風度鄙都 歓喜の熱風鄙都に渡り
電光石火敢闘愉 電光石火の敢闘を愉しむ
成韓日決勝相対 成るか!韓日決勝での相対
東亜雄飛八咫烏 東亜を雄飛せん、ヤタガラスよ
<解説>
日本列島W杯サッカーたけなわですね。我が国の予選突破を祝して作詩してみました。これが掲載される頃はもう結果が出ているでしょうけど、日本がこのまま勝ち進む事を願ってやみません。
<感想>
投稿いただいたのは6月の中旬でした。掲載に時間がかかってしまい、タイムリー性が無くなってしまって金太郎さんには申し訳なかったですね。
サッカーのワールドカップはまさに熱狂の時、なぜか「燃え尽き症候群」に陥った人も多かったようですね。
私はサッカー自体はテレビで見るのはあまり好きではなかったのですが、でも、やはりワールドカップのサッカーは違いましたね。それまでは、90分も見続けていても1点入る瞬間を見逃すことも多いし、ボールを持ってもゴールまで行かないことばかりで、テレビ観戦という形には合わないスポーツだという思いが強かったのです。
もう一つは、アナウンサーのあの「絶叫」、どうも体質的に合わない。(これは今でも変わりませんね)
世界のトップの選手のプレイは、さすがに見応えがありましたので、この機会に少し見方が変わったところです。
さて、詩の方ですが、平仄の面では起句が孤平になっています。
「歓喜熱風度鄙都」の平仄は、○●●○●●◎となります。四字目の孤平は、特に七言の時には禁忌です。
転句の「二・二・三」のリズム崩れも気になりますが、結句の「八咫烏」が何を指しての表現なのか、もう少し説明が欲しいところです。作者にしか分からない、もしくは誤解を招きやすい表現ではないでしょうか。
ともあれ、日本チームの決勝進出と、韓国のベスト4進出を祝いましょう。
2002. 7.18 by junji
作品番号 2002-108
雨中送春
破暁幽庭多雨声 破暁の幽庭雨声多し
落花不返絶春情 落花返らず春情を絶つ
裁詩無作客無到 裁詩作す無く客到る無く
呼覚深愁燕子鳴 深愁を呼び覚まして燕子鳴く
<感想>
この作は破綻もなく、完成度の高い詩だと思います。金太郎さんのこれまでの作風とは一変して、叙景と叙情が抑制されて、巧みに構成されていますね。
特に転句が前半の詩情を展開させながら作者の姿をはっきりと目に浮かばせて、全体の中で生きている句ですね。
承句の「絶春情」と結句の「呼覚深愁」が傾向としては似通った内容ですので、結句の前半を「燕子」の形容とするか、別のものをもう一つ置くか、推敲するとしたらその辺りでしょうか。
2002. 7.18 by junji
作品番号 2002-109
緑陰即事
樹影濃投點點斑 樹影濃やかに投じ 点点と斑なり
吟行半里借朱顏 吟行半里 朱顔を借らん
少休孤榻南薫渡 少く孤榻に休めば 南薫渡り
鳩鴿不驚相與閑 鳩鴿驚かず 相与に閑なり
<感想>
初夏の木陰の涼しげな風が肌に感じられるような、自然なタッチで場面を切り取った詩ですね。部屋にいながらにして、こうしたゆったりとした時間の流れを味わえるのも詩の魅力ですね。
承句の「半里」ですが、これですとほんの二百メートルほどのことになりますので、詩の内容としては距離が短く感じました。
あと、起句の「點點」と「斑」が同じ意味なので、やや説明しすぎのように思います。
2002. 7.18 by junji
作品番号 2002-110
相生吟行
青螺遥望海灣清 青螺遥かに望めば 海湾清く
山路羊膓染絳英 山路羊膓たりて絳英を染む
萬葉碑前懐古切 萬葉碑前 古を懐っては切なり
時聽黄鳥告春聲 時に聴く 黄鳥の春声を告るを
<感想>
「青螺」は青々とした山のことですから、起句で非常に大きな視野での景観が目に浮かびますね。そこから承句でクローズアップされ、転句で眼前の光景へと移行していく展開は自然で、違和感もなく描かれていると思います。
難を言えば、「山路」が「青螺」と同じ様な作者の客観的な遠い見方が感じられる点でしょうか。既に山の中に自分が居るということを示すために、「登路」(路に登れば)のように、作者の行動を表す表現にしても展開が劇的になるように思います。
結句の「黄鳥」の声が余韻を深めて、転句とよく合う構成は心に残る詩となっていますね。
2002. 7.19 by junji
作品番号 2002-111
題梅雨
極目不觀塵 極目 塵を観ず
庭除潦水銀 庭除 潦水 銀なり
雨收雲靉靉 雨収まれど 雲 靉靉
風靜滴繽繽 風静まれど 滴 繽繽
枝葉勝思茂 枝葉は勝げて茂らんと思い
莖根力欲伸 茎根は力めて伸びんと欲す
石陰霑土上 石陰 霑土の上
蝸跡數行新 蝸跡 數行新たなり
<解説>
久しぶりに律詩を作りました。やはり難しいです。
ちゃんとした対句になっているかどうかが心配です。
因みに一句目は王維の句から着想を得ました。
<感想>
一句目の「極目不觀塵」の参考にしたという王維の『新晴野望』は、2001年5月の「お薦め漢詩」に載せましたから、全体をご覧になりたい方はそちらを参照してください。
さて、梅雨を題材にした詩を読む時には、行動範囲が狭くなりがちで、どうしても身近な景物を詠むことが多くなりますね。その中で、どれだけ新しいものを見つけられるかが詩人の務めとなりますね。そうした点で、徐庶さんのこの詩は、「蝸跡數行新」と工夫をされていると思います。
言葉としては、頷聯の「雲靉靉」と「滴繽繽」ですが、「靉靉」は「さかんに雲が空をまつわりつく」意味ですし、「繽繽」は「盛んに乱れ落ちる」意味ですが、梅雨の重苦しくどんよりとした雰囲気から行くと、やや動きに勢いが有りすぎるかもしれませんね。
そこも作者の独自な着眼と言えなくもないですが、詩全体の色調から見ると、浮いてしまっているのではないでしょうか。
対句に関しては、頸聯の「勝」と「力」は役割が違う言葉(連用修飾語と述語)になりますから、ここだけは苦しいでしょう。
2002. 7.19 by junji
作品番号 2002-112
賽三井寺 三井寺に賽す
古木苔庭藤樹長 古木苔庭藤樹長し
晩鐘響遍水雲郷 晩鐘響き遍(あまね)し水雲の郷
大蛇恩愛伝之寺 大蛇の恩愛この寺に伝わり
亡母追懐繞法堂 亡母を追懐して法堂を繞る
<解説>
湖国滋賀県の旅翌日は、天台寺門宗の総本山三井寺【園城寺】を参詣しました。俗に三井寺と言うのは、天智・天武・持統天皇の産湯に用いられた霊泉があり、『御井の寺』と呼ばれたことに由来するそうです。
境内には国の重要文化財・日本三銘鐘で、近江八景に詠われた『三井の晩鐘』があり、琵琶湖の大蛇伝説【我が子の養育の為に両目を提供してしまう】があり、思わず、まもなく一周忌を迎えんとする母のことが脳裡をよぎり、その大恩を謝し、身の不孝を恥ながら境内を散策していきました。
<感想>
いただいた詩では、承句の六字目が「運」に、結句の四字目が「憶」になっていましたが、平仄が合いませんから、書き下しのように改めました。多分、入力の際の訂正し忘れですよね。
転句の「大蛇恩愛」はやや唐突かな、とも思いますが、インパクトの強さを求めるならばこれも一つの方法でしょう。「伝之寺」は、「之を伝ふる寺」と読んだ方が素直です。
結句は「亡母」と「追懐」の語順も気になりますが、それよりも内容がやはり直接的過ぎるのではないでしょうか。転句で(注は必要でしょうが)母についての話題転換は理解していますので、「亡母」という言葉は避けて、暗示するような言葉や典故を持ってきてはいかがでしょうか。
白居易の『慈烏夜啼』などを参考にされると良いと思います。
2002. 7.19 by junji
作品番号 2002-113
山中払暁
呼陽一叫杜鵑声 陽を呼んで一叫 杜鵑の声
衆鳥追随漸漸明 衆鳥追随して 漸漸に明るし
嶺上暁星方欲滅 嶺上の暁星 方に滅えんとして
夜来梅雨喜天晴 夜来の梅雨 天の晴るるを喜ぶ
<解説>
山中の明け方は、今まで全く音がしなかった暗闇が突然小鳥たちのさえずりで満たされます。それはこの森にこんなに沢山小鳥がいたのかと驚くほどです。
さえずりが始まって、暫くすると段々に辺りが明るくなってきます。
起き出してみると、もう明けの明星が消えようとしており、昨夜来の雨はすっかりあがって今日は嬉しいことに日本晴れです。
<感想>
刻々と姿を変える山の朝、禿羊さんの工夫は、それを鳥の声によって表したところですね。
初めに「一叫」と出し、やがて「衆鳥」と数を増やして周りの世界を広げた表現は、聴覚と視覚が渾然として、私自身が山中にいるような気持ちになりました。
言葉としては、起句の「呼陽」は、日の出を誘うような一声、ということですね。「呼」の字の意味を強調するならば、読み下しを「陽に呼びて」とした方が良いでしょう。
転句の「方欲滅」では、「欲」の字は不要に感じますが、どうでしょうか。
結句は前半の四字と後半の三字の間に断層がありますね。逆接の言葉を読者が補えるかどうか、「喜」んだのは誰なのか、俳句的な展開ですが、私は少し気になりました。「喜」のような、作者(あるいは衆鳥)の心情を表す語を避けて、「忽」のような時間を表すのはどうでしょうか。
あるいは、「梅雨」という雨の種類を表す言葉を変えても良いかもしれませんね。
2002. 7.25 by junji
作品番号 2002-114
三者面談
數日霖霪晴僅連 數日の霖霪 晴れ僅かに連なり
杉松矍鑠草青鮮 杉松矍鑠として 草青鮮たり
庭池大鯉頻開口 庭池の大鯉 頻りに口を開き
問我龍門勤勉前 我に問う 龍門の勤勉前(すす)みしやと
<解説>
いよいよ期末も終わり三者面談です。まだ一学期ですが、絶対評価の導入などもあり、どうなることやらと心配です。
因みに三句めですが、鯉と庭をかけて「庭訓」の故事を使っているつもりです。この詩では、本来とずれて家庭学習という意味で使っていますが、使用して妥当がどうか、心配です。
謝斧先生の言われる
「典故は使っているかいないのか解らないようなやり方が好ましく、史実や古人を引用して比較する、比喩としての用い方なら好い」というようにするのは本当に難しいですね。
[訳]
梅雨が明けて晴れの日がやっと続くようになり
杉も松も元気良く 草も青く鮮やかに茂っている
校庭の池の大きな鯉が頻りにあぎといながら
自分に受験勉強は進んでいるかと尋ねているように見える。
<感想>
先日の新聞にも、中学校での絶対評価導入について、記事が載っていましたね。何十年も前から、この絶対評価の論議がされてきて、ようやく形として見えるようになったか、と思われる教育関係の人もおられるかもしれませんね。
制度の是非を判断するにはこれから長い時間が必要なのでしょうが、切り替わりの時に当事者になる人は大変です。心配は尽きないかもしれませんが、何はともあれ、勉強は頑張って下さいね。
さて、詩ですが、まずは「庭訓」の故事から行きましょうか。
この故事は、概略は次のようなことですね。
ある時、孔子が一人で庭に立っていた。息子の伯魚が通りかかった時、孔子は『論語』(季氏)に載っている話なわけですが、ここから親が子を教育すること、つまり「家庭教育」のことを「庭訓」というようになるわけですね。
「これこれ息子よ、最近詩を勉強しとるか?
詩を学ばんと、まともに話もできんぞ」
と言ったそうな。
またある時、やはり孔子が一人で庭に立っていた。そこを伯魚が通りかかった時、孔子は
「これこれ息子よ、最近礼を勉強しとるか?
礼を学ばんと、まっとうに世間を渡れんぞ」
と言ったそうな。
逸爾散士です。
徐庶様
詩を読んだ時、「高校生で『碧巌録』を典故にするとはスゴイ」と、後生、畏るべしの感をいだきました。
私には典故といっても、「三級、波高くして魚、龍と化す」という語が『碧巌録』にあって、茶道の「三級棚」はそれに由来するぐらいの知識しかないのですが。
(『碧巌録・岩波文庫版』が手元に見当たらないので母の『朝比奈宗源老師碧巌録提唱』をめくったけど、 どこに該当の語があるのか分からなかった…)
解説では「庭訓」を典故として踏まえたい趣旨だとか。
「鯉」という名から連想させようというのは甚だ才気があるけど、そうまでしなくてもと思います。
「龍門」の語だけで登竜門をほのかに連想させるから、典故としたら、魚が龍門を登れれば龍となるという伝説の方がふさわしいでしょう。
「庭池」の語の前にすでに池を出しておいて、「波が低い」とか言うのでは典故の使用にはならないかなあ。
この詩の面白さは鈴木先生も鑑賞しておられるように、魚がものを言っているイメージですね。
ヨーダ様か志村喬さんのような口元の鯉が、「どうだね、勉強は進んでいるかね」と言う。
「龍門」は単に受験だけの表現でなく、出世とか世の中で活躍すること一般を言って、そうした未来への希望や野心をうかがわせるようにする。
と同時に、これは鑑賞者の読み方の範囲だけど、どこか若さが持つ「未来を持て余している」感覚、「出世をしてなんぼのものかなあ」という多少の倦怠が感じられると面白いと思いました。
というのも、詩題の「三者面談」が面白いから。
現代の日常の言葉を題に、漢詩で典故を使って表現することの中に、既にある種の諧謔味が生まれるのではないかと思うのですね。
明治の書生さんなら、「青雲の志」を漢詩で歌って意気揚々としているかもしれないけど、現代ではもっとゆとりのある、またはちょっと屈折しているような表現の方が、時代性もあるし、また漢詩でなければ生まれない表現の味にもなると思います。
「登竜門」の元になった伝説を典故とすることで、そんな広がりがでれば面白いと思います。
もちろん漢詩文を趣味とする狭い読者にしか伝わらないかもしれませんが、俳句や短歌とても興味のない人には通じない部分はあるわけで、現代漢詩の可能性を広げるものと思われます。
徐庶さんの若々しい感覚ならではの世界になるでしょう。
作品番号 2002-115
展墓
鳴尾村東浦口頭 鳴尾村東 浦口の頭
清明展墓故情留 清明墓を展べれば 故情留まる
荻枝画地庭前訓 荻枝 地を画す 庭前の訓え
萱草傾懐膝下遊 萱草 懐を傾く 膝下の遊
掩顔垂首涙難収 顔を掩い 首を垂れては 涙収め難し
凱風吹老棘心長 凱風吹き老いて 棘心長じ
空聞啼鴉人子愁 空しく啼鴉を聞けば 人子愁う
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この詩は、漢字表記に Unicord を用いています。
文字化けして変な記号が表示されたり、「 ・ 」となっていたり、字数が合わない、など、
漢字が正しく表示できていないと思われる方は 主宰者 までご連絡下さい。
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<解説>
[語釈]
「荻枝画地」 | :宋の歐陽脩 少時家が貧しく 脩の母 荻を以って、地に画して子に書を教ゆ |
「庭前訓」 | :庭訓 家庭での親の教え 論語季氏 |
「萱草」 | :母親 |
「膝下」 | :父母の膝元、孩幼の時 |
「凱風」 | :万物を成長させる風 両親の恩恵のこと 詩 凱風 |
「棘心長」 | :子供が成長する |
「啼鴉」 | :鴉に反哺の孝あり 白楽天 |
「人子」 | :人の子 |
<感想>
この投稿欄でもこれまでに、肉親や友人を亡くされた方からの詩をいくつも読ませていただきました。
「感情」を「言葉」という別のものに変換するのが作詩という作業なわけですが、特にこうした「感情」が強く出てくる詩の場合に、言葉がどうしても負けてしまうことがあるように感じています。
心情を表す語がそのまま用いられたり、何度も繰り返されたり、多分「詩を練り上げる」ということから見れば推敲の余地を多く残していると言えるのでしょう。
しかしながら、だからと言って、その詩が鑑賞するのにいま一歩、というわけではないのです。感情が言葉に勝っているから、逆に言葉には表しきれない強いものが伝わってくるとも言えて、私は詩に込められた色んな思いをいつも感じさせてもらっています。
例えば、斎藤茂吉が母親の死に際して作った連作に「死にたまふ母 五十九首」がありますが、歌としてどうなのか、と言うよりも先に、母への強い思いが伝わる歌がいくつか見られます。
死に近き母が額を撫りつつ涙ながれて居たりけるかな
我が母よ死にたまひゆく我が母よ我を生まし乳足らひし母よ
短歌の専門の方から見れば、「いやいや、これらの歌は推敲を重ねて工夫されたものだ」と言われるかもしれませんが、私にはこの時の茂吉の気持ちの方がまず先に伝わってきます。
よく引かれる有名な、
喉赤きつばくらめ二つ梁に居て垂乳根の母は死にたまひけり
などは、「燕に宗教的な意味がある」とか「燕の喉の赤さには死のイメージが出されている」とか「生と死の対比がされている」など、色々解説があるのですが、正直なところ、茂吉は母の死の場面で目に映じたものを書き記したのではないかと思えるのです。
勿論、では何故茂吉は燕が目に残ったのか、という心の深層を探るのも文学鑑賞なわけですが、しかし私たちが茂吉のこれらの歌に感動するのは、やはり作者の母親への哀惜の情がひしひしと伝わるからです。
話がずれてしまったかもしれませんが、謝斧さんの今回の詩はそういう意味では、少し距離があるというか、感情を言葉が抑制できている、という点で、興味深く読みました。
それがどこから来るのか、を考えてみると、時間の経過、典故を用いたこと、あるいは律詩というより制約の多い形式であること、など、そして何よりも作者である謝斧さん自身が常に視野の広い詩作をしていらっしゃるからなのでしょう。
2002. 7.31 by junji
作品番号 2002-116
林彪(後段が今回の追加です)
建国元勲遍災禍 建国の元勲 遍く災禍
獣盡良狗竟亨也 獣盡きなば 良狗も 竟には亨らるなり
林彪蓋識先制人 林彪 蓋し識る 先んずれば人を制すと
欲抜一毛簒天下 一毛を抜いて 天下を簒(と)らんと欲っす
龍車早去向京華 龍車 早(つと)に去りて 京華に向かひ
太湖東辺逸長蛇 太湖東辺 長蛇を逸す
事敗夜陰将奔北 事敗れ 夜陰 将に北に奔らんとするも
戟折沈沙喬志賖 戟折(くだ)けて沙に沈み 喬志 賖(はる)かなり
患生於欲人難恃 患(わざわ)いは欲に於いて生じ 人は恃み難し
功遂身退達士爾 功遂げて身退くは 達士爾(のみ)
君不聞春秋陶朱公 君 聞かずや春秋の陶朱公
出処進退以足視 出処進退 以って視るに足れり
十年大乱鎮時遅 十年の大乱 鎮まる時遅く
人才多亡名教衰 人才多くは亡せ 名教衰う
追悔文革抑何作 追悔す 文革 抑も 何をか作(な)せる
慷慨一盞酹為誰 慷慨 一盞 誰が為に酹(そそ)がん
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この詩は、漢字表記に Unicord を用いています。
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<解説>
何時も鄭重なご指導を賜り有り難う御座います。先回の拙作「林彪」でも貴重なアドバイスを戴き、自分でもご指摘の通りと思いました。それで又八句を追加してみました。
しかし書いてみると、題と内容が少しズレ、画蛇添足と嗤われそうです。
尚、最後から二句目は薛能の当時諸葛成何事(遊嘉陵後渓)から借りました。
私見では、文化大革命は抑もが毛の権力欲と、獅子の分前に預かろうと画策した取り巻連の欲望から起こったと思います。
毛はその大躍進政策の失敗から多数の餓死者をだした責任上、1962年1月に、国家主席を劉少奇に譲って、一応は退いたものの傲慢な彼は、劉・ケ等実務派の調整政策に我慢がならず、経済状況が上向き始めた半年後には四清・五反運動を展開し反撃に転じます。
この時、国防相の林彪は毛語録暗誦を軍の日課にして毛の神格化に努め、其れによって権力への階段を駆け足で上ってゆきました。勿論、毛の方も文化大革命を遂行する上で林彪によるカリスマ性の強化を大いに利用しました。
文化大革命は、1965年11月、姚文元の「海瑞免官を評す」という論文が口火となって、翌66年の5月から先ず北京に始まり全国へと燃え拡がり、以後10年に渡って中国全土を席巻した政治闘争です。その間、失われた有能な人材、伝来の文化財は数え切れません。
文革の最初、劉少奇はターゲットが自分である事に仲々気付かず、文革の炎が身に迫った1967年正月、毛に面会して、国家主席等の公職を去り、故郷へ帰って普通人として余生を送りたいと申し出ています。
それに対して毛は辞任の申し出には何も答えず、ただ「身を入れて本でも読んでみては」と勧めただけだったといいます。この僅か7ヶ月後に、劉少奇国家主席は紅衛兵達から吊し上げられ、再び自由の身になる事なく、2年後孤独の裡に病死しました。
共産党の勝利には、劉少奇の協力がどんなに大きかったか、また二人で長い苦難の道を共にしてきた事を考えると、毛は実に朱元璋にも比すべき人物です。林彪はこの一事から以てしても、毛が恃み難い人である事を悟るべきでした。
[語釈]
「功遂身退」 | :功成名遂身退の"成名"を略したもの(老子に見られる) |
「陶朱公」 | :越國の名宰相、范蠡の事。 呉を滅ぼすと、功成り名遂げて退かなければ伍子胥の二の舞になると 越を去って山東へ赴き、陶朱公と名乗って巨万の富を築いた。 |
<感想>
前段と追加分を併せて読みますと、前段の事件を述べたやや客観的な描写から、後段は発展的に感情の表出が見られ、バランスとしては問題ないと思います。
ただ、ここで終ったのではやや物足りないのではないか、という気がします。文革、あるいは毛沢東の行動に対しての歴史の目を向けたところから、さらに現代や未来に向けてのメッセージ、視点が現れてこそ完結が来るのではないでしょうか。
歴史の一場面に対しての批判的な目を開いた点は大きいのですが、古代の事件ならいざ知らず、せっかく現代につながる事件をとらえたわけですから、同時代人としての目が欲しいと思います。今の所までならば、百年先の人が遠い過去を振り返って作っても同じような詩が作れそうな気がします。
まだまだこれからもこの詩は続くぞ!ということを期待して、ちょっと厳しい要望を出させて下さい。
2002. 8. 1 by junji
作品番号 2002-117
梅天書懐
園中緑漾転黄
連日梅天水満陂 連日の梅天 水は陂に満つ
竹抜短牆沿狭径 竹は短牆を抜いて 狭径に沿い
荷生小葉占清池 荷は小葉を生じて 清池を占めん
偸閑獨詠愁霖唱 閑を偸みて 獨り詠ず 愁霖の唱
酬友同題苦雨詩 友に酬いて 同に題す 苦雨の詩
守拙老翁風月興 拙を守りし老翁 風月の興
煎茶遣悶撚吟髭 茶を煎じ悶を遣って吟髭を撚らん
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この詩は、漢字表記に Unicord を用いています。
文字化けして変な記号が表示されたり、「 ・ 」となっていたり、字数が合わない、など、
漢字が正しく表示できていないと思われる方は 主宰者 までご連絡下さい。
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<感想>
前作の 「冬夜偶成」 も、作者のしっとりと落ち着いた生活がうかがわれる作品でしたが、今回の詩も時間のゆるやかな流れが感じられる作品ですね。
特に第1句の「園中緑漾転黄
尾聯は、「守拙老翁風月興」が、句として完結し過ぎているために、「煎茶遣悶撚吟髭」がやや冗漫に感じられます。頸聯とイメージも重複するため、尚更その感が強くなるのかもしれません。「風月興」で一括りにしてしまわない方が良いように思います。
2002. 8. 1 by junji
作品番号 2002-118
颶至
夏霖過去颶狂奔 夏霖過ぎ去りて 颶 狂奔し
朝夕始終専衆言 朝夕始終 衆言を専らにす
驟雨飄風不終日 驟雨飄風 日を終えず
恬聞気象暴噌喧 恬として聞く 気象暴れて噌喧なるを
<解説>
老子と荘子の本を買ってきたので、早速読みふけっています(理解は出来ていませんが)。
そこで、二十三章の「驟雨」と「飄風」を人間の騒がしさに例えているところと颱風を勝手にこじつけて作ってみました。
<感想>
今年は台風も7月には早々と日本に上陸したりで、いつもと違う気候に驚きました。夏の暑さも連日体温に迫るような状況で、「本日の最高気温32度」とか聞いても、「ふーん、今日は涼しいんだな」と思ってしまうくらい。
昔の人ならば、きっと天変地異、世の乱れの予兆として恐れたことでしょう。もっとも、現代の私たちも、「地球温暖化の影響か」と連結してつい考えたりもしますから、そういう点では同じかもしれませんね。
「颶」は春から夏にかけての暴風、「颱」は夏から秋にかけてのそれですので、この詩の題名も今年の天候によく合っていますね。
承句の「専衆言」は、颱風が来て人々が騒がしいというのは、自然災害を前にしての感慨としてはやや不似合いな気がします。例えば、大地震が来てみんなが騒いでいる、という見方は、自分は災害の当事者ではないという前提が感じられるからです。
しかしながら、この句を、学校の教室で生徒たちが「台風で明日学校が休みにならないかなぁ」と話しているなんて場面を想像すると、「朝夕始終」の言葉もかえってユーモラスで、暢気な生徒たちを描いている秀句かもしれませんね。
転句は老子の「驟雨不終日」「飄風不終朝」をそのまま使っていますが、一工夫欲しいところですね。
結句の「恬」は、「気象暴噌喧」と聞く態度としては、やはりやや不自然で、転句のつながりがあるとしても、苦しいように思いました。
2002. 8. 2 by junji
作品番号 2002-119
惜別
夜来風雨半天濛 夜来の風雨 半天濛(くら)し
狼藉紅花含涙空 狼藉の紅花 涙を含んで空(むな)し
須識浮生又如此 須らく識る 浮生又此の如しと
悼兄更覚別離衷 兄を悼み 更におぼゆ 別離の衷(こころ)
<解説>
鈴木先生お久しぶりで御座います。
昨年12月半ばに初めて載せて頂いて以来、早くも半年あまりが経ってしまいました。又よろしくご指導をお願い致します。
3月末、あっという間に兄を亡くし、4月半ばの物凄い風雨の日、お寺の境内で散り敷かれた赤い椿の花を見て、寂しさに胸が痛みました。
前回謝斧さんから感想を頂いていたことを暫くしてから知りました。
貴重なご意見と教訓を頂きましたこと、本当に有難うございました。結句の重要さを、改めて認識いたしました。
今後とも厳しいご批正を宜しくお願い致します。
<感想>
お久しぶりです。こちらこそ、よろしくお願いします。
送っていただいた詩では結句の最後の字は「哀」となっていましたが、韻と意味から判断して、「衷」に直させていただきました。
平仄の点から見ますと、「風」「紅」が「上平声一東」に属する字ですので、韻字と重なる(「冒韻」)形になっています。できれば避けたいところです。
用語としては、承句の「涙」、露滴の比喩でしょうが、「空」しい感じを漂わせて、転句の「如此」を生かしているのでしょう。
また、結句の「更覚」の「更」も、この承句の「涙」からつながっているわけで、虚字の使い方としては成功しているものですね。
2002. 8. 5 by junji
作品番号 2002-120
山居読書
蒼蒼萬樹覆山廬 蒼蒼たる万樹 山廬を覆い
澗水淙淙風意徐 澗水淙淙 風意徐なり
一啜茶湯無別課 一啜す茶湯 別に課無く
悠悠自得独披書 悠々自得して 独り書を披く
<感想>
暑い季節、こうした詩を読むとホッと落ち着きますね。
緑が滴るような木々、谷川の水の音、樹間を渡る風、静かな山中の様子の中で、「一啜茶湯」して「独披書」という作者の姿が浮かび上がって来ます。
誰もが羨むような生活、これが日常的なものなのか、たまたま今日は山に行ったのか、どちらに取っても良いのでしょうし、どちらとも取れるのが良いところですよね。限定をしたければ、題名に一言添えることになるのでしょう。
気になったのは、畳語の数がやや多いかな、というくらいですね。
ちなみに、私は先日まで湯治がてらの山生活でしたので、この詩の雰囲気がとてもよく分かりました。
2002. 8. 5 by junji