作品番号 2002-61
春夜
微風綽綽草婆娑 微風綽綽 草は婆娑たり
星如珠瓔雲似紗 星は珠瓔の如く 雲は紗に似る
逵路寂寥城市睡 逵路寂寥として城市睡る
四望燈殘兩三家 四望 燈殘るは兩三家
<語釈>
「婆娑」:揺れ動く様子
「珠瓔」:真珠の首飾り
「逵路」:大通り
<感想>
工夫・技巧があふれるような詩ですね。
起句承句の句中対、「綽綽」の畳語や「婆娑」の畳韻による音律、結句の「4・両(二)・三」の数字の多用、細かい所まで神経がよく届いていると思います。
結句の「殘」は平字ですが、ここは仄字を使うべき位置ですので、確認をして下さい。
用語としては、惜しむらくは転句の「寂寥」でしょう、ここに作者の感情を入れると全体を支配する言葉になってしまい、「春夜=寂寥」という図式で片づいてしまいます。それでは、せっかくの結句の工夫が生きてきません。ありきたりかもしれませんが、「逵路無人・・」のように道の説明に徹した方が効果的だと言えます。
尚、起句の「綽綽」は、風の形容として使った例はあるのでしょうか。一般には、姿形に用いるものと理解していますが。
徐庶さんはきっと、「風がゆったりと吹いている」という意味でお使いになったと思いますが、そうすると、「微」が邪魔ですね。微風はゆったり吹くに決まっていますから、重複になります。「春風」・「東風」など、「綽綽」とは 異なった方向での形容にした方が良いのではないでしょうか。
2002. 3.29 by junji
作品番号 2002-62
摘草
桃李花開保塁陲 桃李花開く 保塁の陲
蓬蒿鮮緑小川涯 蓬蒿鮮緑なり 小川の涯
踏青童女笑欣暢 踏青の童女は 笑うて欣暢す
正是四郊春動時 正に是 四郊 春動く時
<解説>
古い石垣が残る小川の辺で少女らが摘み草をする風景に、そのご家族のささやかな幸せを感じました。
<感想>
春の野山に出かけては、花を眺めては若草を摘み、季節の移り行くのを楽しむという「踏青」の風習、いつ頃に催すのかについては中国古典でも「正月人日」という所もあれば、「二月二日」頃や「三月三日」頃など、地方(時代)によって異なるようですね。
文献的には調査も面白いところでしょうが、そもそもは冬の間出られなかった野山に行き、芽生えた草を摘んだりして春を感じ取り、太陽の暖かさを身体で味わうということが目的でしょうから、その地方その地方で時期が異なるのも当然なのでしょう。
二四節気のように暦の上での計算で割り出したような全国共通の数値はないわけですから、きっと日本のお花見のように、地方や地区毎に適した期間が決まっているのでしょう。陽気に誘われれば外に出かけたくなるのは、どこでもいつでも同じなのでしょうね。
全体的にも「春動時」ののどやかな情景がよく描かれていて、良い詩ですね。
転句の「欣暢」は難しい言葉ですが、「心のびのびと喜ぶ」という意味ですね。
2002. 4. 9 by junji
作品番号 2002-63
落花生
送娘周水別離情 娘を送る周水 別離の情
父母千愁対里程 父母は千愁 里程に対す
家味異郷嘗不到 家味 異郷 嘗するに到らず
皮箱放満落花生 皮箱 放ち満ちたる 落花生
<解説>
大連の周水子飛行場での光景を詠みました。
留学するのでしょうか、何人かの農村から出てきたような娘さんにご両親が落花生を沢山渡していました。
それを一生懸命スーツケースにつめている娘さん。横で見ていて、思わず感動してしまいました。
<感想>
構成の非常に整った詩で、結句最後の「落花生」が家族の愛情を象徴していて、別離の悲しみがひしひしとよく伝わってきます。
現代の日本では、コンビニから宅急便まで、全国どこにでも物が常備されるし届けられもするので、こうした送別の光景はあまり見なくなってしまったかもしれませんが、家族と別れて上京する時に栗だの餅だのミカンだのと食べ物をリュック一杯に詰めこんだ思い出のある方も多いのではないでしょうか。
起句の「送娘」については、承句の内容でも十分に意味は出ていますから、ここは「周水」の様子を叙べるなどして前半には人事を入れない方が、下三字が生きてくるのではと思います。
2002. 4. 9 by junji
作品番号 2002-64
漢俳・賞櫻花吟歩
仰櫻雲早盛, 櫻雲の早くも盛んなるを仰ぎ,
賞乗風香雪飛飛。 風に乗る香雪の飛飛たるを賞す。
吟歩擬唐詩。 吟歩、擬唐の詩。
<解説>
漢俳です。宋詞の雰囲気を狙っています(そこで、詞韻第2部の押韻としました)。
第一句・二句は宋詞の特徴でもある領字を用い、第一句五字は上一字下四字、第二句七字は上一・下六の句としています。また、第三句は、五絶にならい上二・下三です。
領字を使うことによって五言あるいは七言絶句の句読とは異なる軽快さを出そうとしました。
<感想>
おもかげに 花の姿を 先立てて 幾重越え来ぬ 峰の白雲
というのは平安末期の藤原俊成の和歌ですが、一句目はまさにこの歌を思い浮かばせるようなスケールの大きさ、雄大な風格が五字の中にありますね。
二句目の「香雪」は桜の花のことでしょうか?ただ、桜花の香はあまり記憶に残る程のものではありませんから、この言葉は梅の花を指すことが多いと記憶しています。私は初め、梅の花が散る中で桜も開いたという場面を描いたのかな、と思いました。ちょっと時期的には苦しいかもしれませんが、でも、それもあったら面白い光景でしょうね。
そして、結句の「擬唐詩」がピッタリの選択ですね。鮟鱇さんは吟詠する詩を選ぶのにも選択肢が広いことと思います。私はせいぜい唐宋明あたりの詩から選ぶしかないので鮟鱇さんとは深さが違うでしょうが、桜を全身で味わった心にはやはり唐詩が一番かな、という気がします。
2002. 4. 9 by junji
作品番号 2002-65
金剛山独歩尋千早城址 金剛山独り歩して千早城址を尋ねる
金剛山麓一天晴 金剛山麓 一天の晴
花発樵家春意盈 花発く樵家 春意盈つ
幽谷静淵塵外境 幽谷静淵たり 塵外の境
翠岑寂歴小禽声 翠岑寂歴たり 小禽の声
雲移険塞路程急 雲は移る 険塞 路程急なり
石古風林客思生 石は古りて 風林 客思生ず
不朽赤心伝万世 不朽の赤心 万世に伝ふ
捐身報国不堪情 捐身の報国 情に堪へず
<解説>
金剛山は、過去に何十回となく登りましたが、最近は余り行っていません。奈良県側や紀伊見峠へ抜ける道は静かで大変気持ちが良いものです。
金剛山の春の風景と大楠公所縁の千早城址を詠じてみました。
[語釈]
「捐身」:身を捨てて
このホームページに投稿させて頂くようになって7ヶ月、初めて律詩に挑戦してみました。このページに出会わなかったら、律詩を作ることなど無かったであろうと思えば感慨深いものがあります。
さて、これで律詩の体をなしているのかどうか怪しいものです。やはり対句は難しいですね。またその前後、首聯尾聯からの繋ぎと収束も大変難しいものですね。
宜しくご教授賜りますようお願いいたします。
<感想>
初めての律詩とは思えない、工夫された作品になっていると思いました。
対句としては、頷聯が苦しいかもしれませんね。下三字を比べてみますと、「境」と「声」も異質の組み合わせですし、「塵外」と「小禽」では熟語の構成も違うと思います。
収束については、題名に「千早城址」とあるので尾聯の意味が分かりますが、詩だけで理解しようとすると辛いでしょうし、唐突な展開の感は否めませんでしょう。
というような点がありますが、詩としては首尾統一された情緒を保っていて、七言律詩の格の重さに十分に堪え得た作品が出来上がったのではないでしょうか。
2002. 4.18 by junji
作品番号 2002-66
詠松山城 松山城を詠ず
藤公拓嶂又開窮 藤公、嶂を拓き又窮を開き
築得危楼千歳功 築き得たり危楼千歳の功
鐵壁松城横九漢 鉄壁松城九漢に横たわり
英雄事業一望中 英雄の事業一望の中
<解説>
本年、県都松山市は、賤ヶ岳【滋賀県伊香郡木ノ本町・423米】七本槍の一人として有名な豊臣家臣団 加藤嘉明が、慶長8【1603】年関ヶ原の戦功により20万石に加増され、市街中心地の勝山に築城して400年の慶節を迎えます。姫路城や和歌山城と共に、日本三大連立式平山城として有名です。
そんな松山のシンボルを題材に作詩してみました。是非築城祭たけなわの四国、松山に皆様お越し下さいね。
<感想>
「藤公」は、解説に書かれた加藤嘉明のこと、彼は平安末期の武将である藤原利仁の末裔だと称することからの呼称ですね。
藤原利仁と言われてピンと来る人は記憶の抜群に良い方でしょうが、芥川龍之介の『芋粥』で、主人公の五位に芋粥をたらふく食べさせた男がこの藤原利仁です。勿論、モデルということですが。
さて、その藤公が登場した今回の詩ですが、題名と内容がずれてしまいましたね。これでは、「詠松山城」というよりも、「詠加藤嘉明」とすべきでしょう。
内容的には、後半の部分での「鉄壁松城」とか「英雄事業」とありますが、これは非常に主観的な比喩です。例えは悪いかもしれませんが、サッカーのサポーターやプロ野球ファンが「うちのチームは世界一!」と言っているに等しく、地元以外の人には見せにくい作品になってしまいました。
こうした表現は、他郷の人が訪れた土地の文化や歴史に敬意を払うために用いるもの、と考えた方が良いと思っています。
平仄の点では、起句の「公」と結句の「雄」が「上平声一東」の韻字ですので、冒韻になっていますので、気をつけて下さい。
2002. 4.18 by junji
作品番号 2002-67
少年游・賞櫻花覓句
山櫻雲涌, 山櫻に雲涌き,
吾頭霜降, 吾が頭に霜降り,
白髪兩如仙。 白髪 兩(ふた)つながらに仙のごとし。
重年却老, 年を重ねて 老いを却(しりぞ)け,
乗風飛雪, 風に乗って雪を飛ばし,
舞態益飄然。 舞態 ますます飄然たり。
誰憂春日嘆貧困, 誰か春日に貧苦を嘆き憂えんか,
覓句不須錢。 覓句 錢を須(もち)いず。
賞景抒情, 景を賞(め)でて 情を抒(の)べ,
低吟高古, 低吟して高古たれば,
無酒醉花間。 酒無くも花間に醉う。
<解説>
2月のなかごろからこの春は「桜」の詞を書こうと思ってきました。どこまでできるかわからないが、桜が散るまでの間に「桜」を色々な詞牌で書いてみる、ということを続けています。テーマは同じ、しかし、詞型は違う、つまり同工異曲です。100首100牌は越えました。そのなかでどうにか気に入った詞にたどり着けたというのがこの詞です。
わたしたち日本人の詩は古人の作を手本にした詩が多い。つまりは時間を超えた同工異曲。そうなら、いっそ開き直って同工異曲を作ってみよう思った次第です。詩を書いていて詩材にこと欠くことはいくらでもありますが、詞牌は数百、同工異曲を続けることはまだまだできます。
小生の同工異曲、つまりは習作であるのですが、詞牌の多様性に興味のある方は小生のホームページ(http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ryunosuke/4826/)をご覧いただければと思います。
<感想>
4月以来転勤の関係でページの更新が遅れてしまいました。鮟鱇さんはその辺りをきっと察して下さったのでしょう。htm 形式で、そのまま掲載できるようにして送っていただき、とても助かりました。
蘇軾の『前赤壁賦』の後半、
惟江上之清風、與山間之明月、 川上の清風と山間の明月だけは
耳得之而爲聲、目遇之而成色。 耳では音楽となるし、目には絵画となる。
取之無禁、用之不竭。 誰も取ることを禁じないし、どれだけ使っても尽きることはない。
是造物者之無盡藏也。 これこそが大自然の無尽蔵というものなのだ。
の名句のように、金も無く財も無くても美しい自然を眺めていれば、心の中には無尽の喜びが生まれるわけで、まさに鮟鱇さんが仰る通り、「覓句不須錢」であり、「無酒醉花間」の心境こそが私たちの詩心でもあるのでしょう。
また、宋の梅堯臣は 『詩癖』 という詩で、
人間詩癖勝錢癖 この世では、詩への執着は金銭への執着に勝っているものだ。
捜索肝脾過幾春 佳句を求めて心の中を探しまわって幾度の春を過ごしたことか。
と詠った後、「財布の中が空っぽでも平気だ、詩の中に新味が多くなれば満足だ」と詩人の真情を吐露していますが、まさに納得です。
春を味わうに十分な詩を読ませていただきました。
2002. 4.22 by junji
作品番号 2002-68
和東坡詩飲湖上初晴後雨
偏愛坡公湖上遊 偏に愛す坡公 湖上の遊
慕他高興従無由 他の高興を慕ふも従うに由無し
獨傾瓢酒息羸脚 獨り瓢酒を傾けて 羸脚を息わしめ
閑挙笠檐凝酔眸 閑に笠檐を挙げて 酔眸を凝さん
朝雨空濛烟欲鎖 朝雨空濛 烟は鎖さんと欲し
午晴瀲艶水如留 午晴瀲艶 水は留る如し
淡粧濃抹何須比 淡粧濃抹 何ぞ比するを須いんや
誰為詩人借一舟 誰か詩人の為に一舟を借さん
<解説>
誰も手を下しにくいのであれば、ということならばと気負って作ってみましたが、納得のいくものではありません。推敲を重ねてもみましたが、妥協してしまいました。
頸聯の「烟欲鎖」 「水如留」が気に入りません。いろいろ推敲を重ねてみましたが、好い句は見つかりませんでした。
「獨傾瓢酒息羸脚」は●○○●●○● 6字目は孤平です。
「閑挙笠檐凝酔眸」の○●●○○●◎ 6字目の孤仄で拯ています。
所謂呉體といいます。(陳文華先生 『古典詩的形式結構』 呉體 中国学術年刊)
[大意]
私は常々先生(蘇東坡)の湖上の遊を愛し、その高きおもむきを慕っておりますが、
先生に陪することは出来ないのが残念です。
その趣を味わんが為に私は武庫川を散策しております。
たまたま、疲れた足を休めるため歩みを止め、携えていた酒を酌みながら、
閑に、傘を挙げて武庫川の流れを見入っています。
朝降った雨は空濛として、煙は私のいる岸堤を閉ざすようです。
丁度雨も止んで天気も晴れてきました。武庫川の水面は瀲艶としてまぶしいばかりになっており、
朝方の雨にもかかわらず、水は渺々として留まっているように見えます。
武庫川の景色は西湖にも劣りません。先生が西湖を西子に比して、淡粧濃抹と表現されました。
武庫川の景色も正に淡粧濃抹と表現しうるに堪えますが、私は舟に乗って、
先生とは違った趣向で詠じたく思っています。
誰か私の為に舟を貸してはくれませんでしょうか。
<感想>
蘇軾の名作、『飲湖上初晴後雨』を底に置いて、大先生を敬慕しつつ新しい趣向も狙いたい、更に形式も七言律詩で作りたい、という謝斧さんの意欲が溢れる詩ですね。
頸聯が気に入らないとのことですが、「烟欲鎖」や「水如留」の虚字がリズムを崩しているのでしょうか。私はそんなに気になりませんでしたが。
私自身は武庫川を訪れたことがまだありませんが、謝斧さんのこれまでのお手紙や詩から推測すると、「西湖にも劣りません」というお気持ちは理解できますね。
2002. 4.22 by junji
作品番号 2002-69
強風雨後
夜寒侵枕席 夜寒 枕席を侵し
未曉甚醒然 未だ曉(あ)けざるに甚だ醒然たり
一眄庭桃樹 一眄す 庭桃樹
殘花潤露鮮 殘花 露に潤いて鮮やかなり
<解説>
庭に桃の花が咲いたと思ったら、この前の風雨のために散らされ、二、三しか残っていませんでした。
二十四番花信の風では桃は啓蟄となっていますが、春分ももう過ぎてしまい、少し詠むのが遅かったのかもしれません。
<感想>
「小寒」の初めの梅花から始まって、「穀雨」の最後の楝花(おうち)まで、花の季節である農暦の十二月から三月の間を「花便り」として二十四の花を当てたものが『花信風』ですが、徐庶さんが仰るように、「桃花」は「啓蟄」となっています。
筑波大学の向島成美氏は、「広い国土を持つ中国で、一体どこの地方を基準としてこのような開花時期が設定されたのかはよく分からない。」と書かれていますが、『花信風』には順に花を入れていったという面もあるでしょうから、「桃花はいつでも啓蟄」ということではないでしょう。
ただ、季節的にはやはり仲春の花、昼の汗ばむほどの陽気と朝晩の冷えを同時に感じる頃に咲き始めると思えば、徐庶さんの今回の詩は非常に臨場感のあるものと感じます。
また、咲き始めたばかりの花なのにもう散ってしまったという気持ちもよく表れていますね。
難を言えば、咲き始めたばかりなのにどうして「殘花」なのかの説明が題名でなされていて、詩では分からないことくらいでしょうか。五言絶句では仕方ないのかもしれませんが、逆に「殘花潤露鮮」に作者の感動がよく表れているとも言えますね。
2002. 4.22 by junji
作品番号 2002-70
春一日
街化砂巣窟 街は砂の巣窟と化し
我憧清碧寥 我憧るる清い碧寥
去汚春夜雨 汚れ去る春夜の雨
寂寞霧中朝 寂寞たり霧中の朝
<解説>
復活しましたマヨっちです!!今回は、私の春の憂鬱を漢詩にしてみました。
起句の「砂巣窟」っていうのは、黄砂が猛威を振るっているというたとえです。「巣」という漢字は、本当は別の漢字だったのですが、パソコンで出ませんでした。
転句は、おぞましき花粉(マヨっちは花粉症)や黄砂が夜の雨で洗われるという意味です。
「憧」は、このごろの中国語でも日本語と同じ意味で使われるということで使ってみました。また、弧仄はお許しを。
最後に、転句は逆に空気がすっきりしすぎて、少し寂しいなぁということを表しています。
<感想>
今年は特に黄砂が激しいようで、アメリカ大陸まで飛んでいったと聞きました。花粉に苦しむ人には、本当に辛い春でしたね。(私も数年前までは花粉症で苦しんでいましたが、気管支喘息で入院した後は、それ程ひどくはなくなりました。でも、辛さはよく覚えています)
さて、約半年ぶりのマヨっちさんの詩、順番に見ていきましょうか。
[起句]
「砂巣窟」ですが、巣窟はそれ程広い場所を表す言葉ではありませんから、「街が砂の巣窟と化す」ですと、広がりが出ませんね。
「巣」という漢字は、本当は別の漢字だったのですがとのこと、うーん、どんな漢字だったのでしょうか?「巣窟」自体が別の言葉に変わるのなら、その方が良いと思います。
[承句]
場合にもよりますが、「我」という言葉を使う場合は、「他の人と違って、特にこの私は」と強調する意味になります。というのは、詩の中の心情は普通作者の心情で(つまり、「私」の気持ち)、わざわざ「我」と言う必要はありません。強調でないのだったら、別の字を使って意味を深めた方が得策です。ただでさえ字数が少ないのですからね。
この詩ならば、「清碧寥」を望む人がほとんどでしょうから、わざわざ「我」と言わなくても良いでしょう。
「碧寥」は難しい言葉ですね。『三体詩』の最後の方に採られている温憲という詩人の「杏花」に出ていますね。「寥」は「空虚」という意味で、ここでは「大空」を指すのでしょう。
[転句]
「去汚」は、この形では「汚れ去る」と読めません。動詞の後の名詞は目的語として認識しますから、「汚れを去らしむる」のように読んで、「春夜雨」に掛かっていくようにしたらどうでしょうか?
[結句]
この句には問題はありませんね。
「孤仄」については、私はあまり気にしませんし、取り立てて指摘しない場合の方が多いと思います。避けられればそれに越したことはないのでしょうが、私個人としては、孤仄まで厳格に守ると逆に詩のリズムの自由度が減ってしまい、面白さがなくなるように感じています。
色々書きましたが、推敲の折の参考にして下さい。
マヨっちさんが昨年の英語弁論大会で発表した原稿をいただきました。漢詩、詩吟についての的確な英訳でしたので、「桐山堂」に掲載させていただきました。興味のある方は是非、お読み下さい。
2002. 4.23 by junji
作品番号 2002-71
林彪(七言古詩)
建国元勲遍災禍 建国の元勲 遍く災禍
獣盡良狗竟亨也 獣盡きなば 良狗も 竟には亨らるなり
林彪蓋識先制人 林彪 蓋し識る 先んずれば人を制すと
欲抜一毛簒天下 一毛を抜いて 天下を簒(と)らんと欲っす
龍車早去向京華 龍車 早(つと)に去りて京華に向かひ
太湖東辺逸長蛇 太湖東辺 長蛇を逸す
事敗夜陰将奔北 事敗れ 夜陰 将に北に奔らんとするも
戟折沈沙喬志 戟折(くだ)けて沙に沈み 喬志 (はる)かなり
<解説>
七言絶句で以前発表した嗤林彪を七言古詩に書改めたものです。古詩は初めてですが、対句を作らなくても良い分、楽のように思いました。
長くなりますが、詩の背景を述べさせて下さい。
文化大革命中の1969年11月に劉少奇国家主席が党籍を剥奪され、家族の看護はおろか見舞いさえ許されず監禁状態のまま孤独の裡に病死すると、既に同年4月、正式に毛沢東の後継者に指名されていた林彪は、自分が国家主席になろうと画策を始めました。此が毛の不興を買い、二人の間に次第に溝が深まり、毛は林彪を警戒し始め、一方林彪の方は焦った様です。
翌1970年8月、廬山会議で毛は林彪の画策を難じ、会議の終わった後に「私の若干の意見」という一文を草し、そこで林彪一派の行動をはっきり非難しました。こうして、平和裡に権力を得ようとして失敗した林彪は、もう武力による権力奪取しかないと決心します。
林彪一派がクーデター準備中の1971年8月、毛は突如北京を離れ南方へ視察旅行へ赴きます。そうして湖南、湖北、河南の党幹部と武漢で会い、大いに林彪批判をします。
もう一刻の猶予も出来ないと悟った林彪は毛の帰途、太湖東岸の碩放橋に於いて専用列車を爆破、暗殺する計画を立てました。毛は林彪の計画を何処まで察知していたのか不明ですが、この視察旅行で林彪を相当刺激している事を意識していたのでしょう。裏をかく様に上海からの出発予定を早め、遮二無二列車を急がせて、北京へ帰り着きました。
事の失敗を悟った林彪は、飛行機で北載河からソ連へ亡命しようとし、モンゴルのウンデルハン近郊の砂漠に墜落死亡、野望は夢と消えた事は周知の事実です。
[語釈]
「建国元勲」 | :劉少奇、彭徳懐、ケ小平、陳毅等々。 |
「欲抜一毛」 | :一毛は毛個人の意。前回は典故の語をそのまま使いましたが今回少し変更しました。 これ位のパロディは許されるのではと思います。 |
「龍車」 | :毛は所謂皇帝ではありませんが、新しい皇帝とみて差し支えないでしょう。 それで専用列車を龍車と表現しました。 |
「逸長蛇」 | :列車を蛇に見立て、列車の襲撃失敗をこう表現しました。 尤も日本人なら頼山陽の詩を直ぐ連想して意味は明らかと思います。 |
「戟折沈沙」 | :戟とは林彪の乗ったトライデント機。 トライデントはギリシャ神話の海神ポセイドンの手にする「三つ叉の戟」です。 中国では三叉戟機と翻訳されているので中国人なら註無しでも分かるでしょう。 飛行機が砂漠に墜落、飛散した事を杜牧(赤壁)からの借物でこう表現しました。 |
<感想>
以前送っていただいた『嗤林彪』も楽しく読ませてもらいましたが、今回は古詩ということでゆったりとした作りですね。
歴史の裏面を自分の視点で描き出すことは楽しい作業ですが、表現を絞り込むことが難しいですね。冗長にならずに、しかも舌足らずにならないように、その辺の塩梅が詩の良否に響いてくるとも言えます。
詩中の語句はよく練られていると思いますし、古典と現代の事柄を巧みに構成して、うーん、なるほど!と思う箇所も多く感じました。
後半がいつものことのようで恐縮ですが、やや説明的に追ってしまった感で、少しでも作者の気持ちが入ると展開が違ってくると思いました。
2002. 4.29 by junji
作品番号 2002-72
早春山村即事
凍稜三日厭寒峩 凍稜 三日 寒峩に厭き
降到山郵息弊靴 降りて山郵に到り 弊靴を息わしむ
残雪陽輝白嶺嶺 残雪 陽輝いて 嶺嶺に白く
初萌風度緑坡坡 初萌 風度って 坡坡に緑なり
空田荒圃春耕晩 空田 荒圃 春耕晩(おそ)くして
笑語酔顔婚会和 笑語 酔顔 婚会和かなり
村媼携自先導 村媼 を携えて 自ら先導して
款冬任意采多多 款冬 意に任せて 多多に采らしむ
<解説>
三月初め、福井県山奥の村の情景です。
春山を三日ほど歩いて、どこまで行っても白一色なのに少々ウンザリして、山奥のバス停まで降りてきました。バスを待っている間に、近くの土手に案内してもらって、蕗の薹をドッサリと取らせてもらいました。
とりとめもない詩になってしまいました。起聯は言わずもがなの説明ですし、前聯は語法的に少々苦しい感じです。
<感想>
頷聯(前聯)は仰るとおりで、書き下しのようには読めませんが、「白き嶺嶺」「緑の坡坡」と読むようにすれば意味は理解できますね。それよりも、第八句の方が文法的には苦しいのではないでしょうか。
頸聯は「空田」と「笑語」、「荒圃」と「酔顔」が対としてはやや苦しいように思います。
第六句の「笑語酔顔婚会和」は、前の句とのつながりがなく、後の句でも「村媼」との関係も何もないようですから、浮いていますね。「たまたま婚会に遭遇した」というような内容にすると、一応村の春景の中に収まると思いますが、構成を考慮して第六句を推敲したらどうでしょうか。
2002. 5. 3 by junji
作品番号 2002-73
爲受験生
龍門澎湃甚難登 龍門は澎湃として甚だ登り難し
性固偸安嫌習恒 性は固(もとより)偸安にして嫌習恒なり
我讀学書通解日 我れの学書を讀みて通解するの日
衆人容益琢才能 衆人容に益々才能を琢くべし
<解説>
[語釈]
「龍門」:科挙の受験会場の正門、または山峡の名前。
受験戦争はとても厳しく、いい学校には受かりにくい。
自分の性格は昔から事なかれ主義なので、勉強嫌いはいつものこと。
自分が教科書などを通解する日には、
他の人はどんどん上を行っていることであろう。
先日、馮至の漢詩で十四行詩集の第七首を読んで、何か感じるものがあり、他の作品(日本語訳のみ)を読んだのですが、何となく雰囲気がリルケ(少しかじっただけ)に似ている気がするんです。
ところで、最近の漢詩人は、欧化詩を作ることの方が、近体詩より多いのでしょうか?今まで、漢詩といえば、唐詩と宋詞ぐらいに思っていた自分には、とても新鮮でした。
ところで、自分も今年は受験生ということで、漢詩を送る機会が減るかもしれませんが、
今後ともよろしくお願いします。
<感想>
二句目の「偸安」は、「将来を考えず、目先の安泰ばかりを求める」ことですが、徐庶さんがそんなタイプには思えませんから、謙遜してのことでしょう。一首全部が謙遜になっては面白くありませんから、転句くらいからは自信や抱負がほのかに窺えるような展開にすると、詩自体も未来への期待を込めたものになるでしょう。
受験勉強は大変ですが、気の持ち方も大切です。「中学三年間の復習をこの機会にやって、自分の勉強の不足していた所を補うのだ」、くらいに考えると勉強の意義も見えるのではないでしょうか。合格という目標のみを目指していると、息が切れるもの。自分に何が必要なのか、そこから始めるといいですよ。
頑張って下さい。
2002. 5. 3 by junji
作品番号 2002-74
浪速城下探梅
重入華城憶旧遊 重ねて華城に入って旧遊を憶い
探梅韻事共朋儔 探春の韻事 朋儔と共にせり
今春來見花零急 今春來り見る 花の零ること急に
半散苔茵半杪頭 半ばは苔茵に散り 半ばは杪頭
<感想>
今回は、佐竹さんの詩をいつも送って下さっている謝斧さんが書かれた感想を載せます。
起句は「重入華城」よりも、「重訪華城」の方がよいと思います。
此の詩は、結句に工夫があるのでしょう。
習作の人の詩は、情思を述べる場合、概ね、一句全体、情思ばかりの、むくつけの叙述になりがちです。それでは余韻を含むような詩はできません。散文ならばよいのですが、景物を化して情思と為すが大事なところです。
この詩の転結句は、「以前遊びに来た時は友達(朋儔)も一緒だったのに、今では、その人も亡くなられて、時の経つのがなんと早いことでしょう(お二人は苔茵に散り、我々は杪頭に残っている、然し早晩我々も苔茵に散る定めなのですが)」ということを、花に託して表現することで、余韻の深い作品になっていると思います。
2002. 5. 3 by 謝斧
このような浮薄な世にあって、変わらず漢詩を作っておられる方々の存在に敬意を表します。
以前から漱石の詩などに惹かれて読んでいましたが、平仄が難しく作詩は敬遠していました。今回、皆様の御作に刺激を受け、敢えてチャレンジしました。
ご練達の皆様に恥じ入るばかりですが、何卒ご寛恕頂き、御指導の程を!
作品番号 2002-75
帰路偶成
春宵帰路遠 春宵、帰路遠し
鞄重肩愈凝 鞄(かばん)重く、肩愈(いよいよ)凝る
昔日咸陽月 昔日、咸陽の月
今夜翳電燈 今夜、電燈に翳(かげ)る
<解説>
遠方の勤務からの帰り道
鞄が重く、肩が大変凝ってくる
昔、咸陽の都に懸かっていたのと同じ月が
今夜、町の電燈の光にかき消されて無粋な事だ
雑務に追われる現代のサラリーマンの悲哀を、昔の心豊な詩人たちがうたった月に比して一層悲哀なものとして浮かび上がらせたつもりです。
「肩愈凝る」の句の品性の無さを如何にしたものか、請う御高評!
<感想>
新しい方をまた迎えることができ、とてもうれしく思っています。これからもよろしくお願いします。
さて、詩の感想ですが、仰るように「肩愈凝」は確かにそのものずばり、日本語のままですが、「鞄重」も現代的ですので、ま、ひとまず良しとしましょうか。ただ、鞄が重くて肩が凝るのでは当たり前すぎて、五言絶句という最短詩形にはふさわしからぬ、勿体ないような表現ですね。鞄が重いのは仕事を象徴させていますから、何か他のことを後半に持ってきたらどうでしょう。「遠距離通勤」と「過重労働」と来ましたから、あと一つですけれどね。
平仄については、結句の二字目が「夜」で仄声になっていますが、ここは平声でなくてはいけないところです。
転句結句のつながりは、意図は分かるのですが、その効果としてはどうでしょうか。現代に対比して、何故「咸陽」でなくてはならないのか、「長安」では?「奈良」ではどうなのか、「咸陽」と限定して書いた分だけつながりが分かりにくくなったように思います。
五言絶句は描写は明瞭に、余韻を深く、とするのが良いわけですが、今回の作では「明瞭」の点でやや心残りの所がありますね。まず、平仄を直されて、その後に推敲を進めてみて下さい。
2002. 5. 3 by junji