好きな詩Title

読者のみなさんに、アンケートをお願いしました。
題して、

『あなたのお薦めの漢詩・思い出の漢詩を教えて下さい!』

戦後五十有余年
二十世紀最後の一年
色々な定義はあるでしょうが
とにかく現代
を生きるわたしたちの胸に残る漢詩は、
誰の何という作品なのでしょうか。

寄せられた回答(詩)をこれから逐次掲載していきますので、お楽しみに。

『今からでも推薦したい!』という方は、ここをクリックして下さい。




   推薦した人          作品の題名   作 者 
[1]  謝 斧 さん   『 到 家 作 』   銭 載 ( 清 ) 
[2]  ken さん   『 詞  行香子 』    
[3]  め い さん   『 富 士 山 』   石川 丈山 
[4]  T.Y さん   『 涼 州 詞 』   王 翰 (盛唐)
[5]  緑 丘 さん   『 心 平 』   河上 肇 
       
[6]  落 塵 さん   『 偈 』   拾 得 ( 唐 ) 
[7]  郤 山 さん   『 村 居 』   張舜民  ( 北宋 ) 
[8]  生 水 さん   『 題不識庵撃機山図 』             頼 山陽 
[9]  箕 山 さん   『 哭 阿 辰 』   頼 山陽 
[10]  三 耕 さん   『 述 懐 』   魏 徴 (初唐)
       
[11]  金先生 さん   『 山 寺 』   李 達 (李氏朝鮮) 
[12]  鮟 鱇 さん   『 臨 終 』   大津皇子  
[13]  マ マ さん   『 勧 酒 』   于武陵 (晩唐) 
[14]  関っち さん   『 宿山寺 』   申光漢 (李朝中宗代) 
[15]  呂 望 さん   『 泛 海 』   王陽明 (明) 
       
[16]   Kasu さん    『 絶 句 』   杜 甫 (盛唐) 
[17]   茶 井 さん    『 春夜喜雨 』   杜 甫 (盛唐) 
[18]   勝 風 さん    『 春日登山 』   程專萬 (琉球) 
[19]   粋酔堂主人 さん    『 贈汪倫 』   李 白 (盛唐) 
[20]   A.Y さん     『 春江花月夜 』   張若虚 (初唐) 
       
[21]   恍 武 さん    『 寄家兄言志 』   廣瀬武夫(明治) 
[22]   A.H さん    『 詠 史 』   高 適 (盛唐) 
[23]   A.H さん    『 寄楊侍御 』   包 何 (盛唐) 
[24]   A.Y さん    『 還至端駅前与高六別処 』   張 説 (盛唐) 


















[1]  『 到 家 作 』(家に到るの作)

 作 者     銭 載     (清)     推薦者     謝 斧 さん   

   [作品]


 久失東牆緑萼梅    久しく失す東牆の緑萼梅
 
 西牆双桂一風摧    西牆の双桂一風に摧かる
 
 児時我母教児地    児たりし時 我母の児に教へし地
 
 母若知児望母来    母は児の母を望みて来るを知れるが若し
 
 三十四年何限罪    三十四年何限(かぎりなき)の罪
 
 百千万念不如灰    百千万念 灰の如くならず
 
 曝簷破襖猶臧篋    簷に曝して 破襖は猶 篋に臧す
 
 明日焚黄祇益哀    明日焚黄すれば 祇だ益々哀しからん



   [思い出]


     児時我母教児地
     母若知児望母来
 
 此の詩を初めて読んだとき、不覚にも涙を落としたことをおぼえています。



 謝斧さんから、真っ先に返事をいただきました。
 最近は投稿だけでなく、詩の感想から質問への回答まで、謝斧さんにすっかりお世話になってしまっていますね。感謝、感謝の気持ちでいっぱいです。
 これからもよろしくお願いします。










[2]  『詞    行香子』

 作 者              推薦者     Ken さん   

   [作品]


 
 国泰時平  月白風清
 
 興来酒盞頻傾
 
 茫茫今古一局棋秤
 
 看幾人争  幾人敗  幾人成            
 
 休逞英雄  莫弄聡明
 
 生一事  一害還生
 
 満盤算子  交付黔
 
 只得順他来  順他止  順他行
 
               (三遂平妖伝引首)



 平仄討論会で、問題提起をして下さったKenさんからは、「詞」をいただきました。お久しぶりでしたが、変わらずお元気そうでしたよ。










[3]  『 富 士 山 』

 作 者     石川 丈山 (日本、江戸時代)     推薦者     め い さん  

   [作品]


 
 仙客來遊雲外巓   仙客來たり遊ぶ 雲外の巓(いただき)
 
 神龍栖老洞中淵   神龍栖み老ゆ 洞中の淵
 
 雪如素煙如柄   雪は素の如く 煙は柄の如く
 
 白扇倒懸東海天   白扇倒(さかしま)に懸かる 東海の天


   [コメント]


  石川丈山と同郷です。
 実家のすぐ近くに石川丈山の産湯を使った井戸も現在も保存されています。
 丈山公園は子供のころの遊び場でした。
 現在は詩仙苑として整備され、観光地になっています。
 公園の隣は、丈山小学校があります。
  我が郷土の偉人です。

 


 めいさんは、私と同じ愛知県にお住まいの方です。
 安城市は歴史も古く、三河地区の中心都市の一つです。小学校の頃に「日本のデンマーク」と習った人もいらっしゃるのではないですか。安城市には、現在『デンパーク』というテーマパークがあり、手入れされた四季折々の花々と、郷土の物産が即売されています。
 食いしんぼの私は、手作りのソーセージやら地ビールを楽しみに、連休の頃に出かけました。次に安城に行った時には、丈山の産湯の井戸を見に行きます。
 ひょっとしたら、めいさんとすれ違うかもしれませんね。










[4]  『 涼 州 詞 』

 作 者     王 翰   (盛唐)         推薦者     T.Y さん   

   [作品]


 
 蒲萄美酒夜光杯   葡萄の美酒 夜光の杯
 
 欲飲琵琶馬上催   飲まんと欲すれば 琵琶の馬上に催す
 
 醉臥沙場君莫笑   酔うて沙場に臥す 君笑う莫れ
 
 古来征戰幾人回   古来征戦 幾人か回(かえ)


   [思い出]


 この詩を読んで、唐詩が好きになった。
 岑参の胡笳歌も好きだが、こちらは唐詩へ眼を開かせてくれた最初の詩である。
 葡萄酒、夜光のグラス、琵琶、砂漠とシルクロードの雰囲気と魅力を余すところなく伝えてくれる。

 井伏鱒二氏に倣って戯れに私も訳してみた。

   美味い葡萄酒、グラスに注げば
   琵琶が馬上で飲めよと囃す。
   酔いが回れば、砂漠でゴロリ
   笑ってくれるな戦となれば、明日の命を誰か知る。



 Y.Tさんも、平仄討論会以来ですね(討論会でのT.Yさんです)。音楽と一体化させながらの論理展開にいつも感動していました。
 この詩は、きっとどなたかが推薦なさるだろうと思っていましたが、おつけになった訳もお見事なものです。










[5]  『 心 平 ( 残 春 夕 )』 ( 心平らかなり )

 作 者     河上 肇    (昭和16年戦争直前)     推薦者     緑 丘 さん   

   [作品]


 
 心平無厭夢   心平かにして、厭夢なく
 
 身静有良朋   身静かにして良朋あり。
 
 愛此残春夕   此の残春の夕を愛し、
 
 悠然待月昇   悠然として月の昇るを待つ。
 
                      (一海知義訳)


   [思い出]


 見慣れた字、一般の人が理解出来る内容等、私が目指している方向です。
 この詩の転句、結句を頂き定年の挨拶にしました。

    白屋我意適、間酌有青灯、愛此残春夕、悠然待月昇。





 「六十衰翁初めて詩を学ぶ」と詠んだように、河上肇博士は六十歳になってから漢詩を作り始めたそうです。亡くなられる昭和二十年、六十七歳までに作られた漢詩は百四十首程、それらは岩波新書『河上肇詩注』でほぼ読むことができます。
 日本の漢詩の精神、その一つの極を、漱石と並び示した五言詩が多いと私は思っています。










[6]  『 偈 』 

 作 者      拾  得          推薦者     落 塵 さん   

   [作品]


 
 本来無一物   本来、無一物。
 
 亦無塵可払   また、塵の払うべきもの無し。
 
 若能了達此   もしよくここに了達すれば、
 
 不用坐兀兀   用いず坐して兀兀たるを。


   [ひと言]


 欲を離れれば、豊かな人生があると知りつつ、
 人間なかなか悟りきれません。




 落塵さんからは、偈をいただきました。
 仰る通りで、欲をなかなか捨て切れないのが人間ですよね。
 私が最近思うのは、「この際欲を持つのは仕方がないとして、どの辺まで節度を持つか、ま、あの世に行った時に尊敬する諸先輩に恥ずかしくないように、あるいは叱られない程度にはいさぎよく生きて行かなくっちゃ!」ということで、おや、でもこの考え自体が既に随分恥ずかしい?!
 本当に、人間ってのは難しいものですね。

 今年はまだ台風は来ていませんが、鮎の様子はいかがですか。










[7]  『 村 居 』

 作 者     張 舜 民   ( 北宋 )    推薦者     郤 山 さん   

   [作品]


 
 水繞陂田竹繞籬   水は陂田をめぐり 竹は籬をめぐる
 
 楡銭落尽槿花稀   楡銭落ち尽くして 槿花稀なり
 
 夕陽牛背無人臥   夕陽牛背に 人の臥する無し
 
 帯得寒鴉両両帰   寒鴉を帯び得て 両両に帰る

 なんと長閑な風景でしょうか。思い出の世界では、何処にでもありそうな晩秋です。
 いつもこの時刻に、牛の背に揺られながら帰って来る老人。今日その人の姿は見えないが、それもそれほど珍しいことではない。多分途中誰かにつかまって、酒でもくらっているのでしょう。
 手綱が緩んだのをいいことに、飼い牛は勝手知った道をお先に帰ってきました。牛の背に便乗している鴉でさえ、この風景の常連です。


   [思い出]


 誘われて入会した漢詩愛好会の最初の講義でこの詩に出逢いました。
 その時以来漢詩にとり込まれてしまいました。
 故人となられた村主先生を想うとき、いつも出てくる詩のひとつです。この牛の主は、多分先生のような人だろうと想像しています。




 郤山さんの仰る通りで、長閑で、何よりも平穏な田園の光景ですね。唐詩には無い素材が丁寧に描かれていると思います。
 私達がこうした詩に共感するのは、実は、ついこの間まで見慣れていた風景であると共に、急速に消えてしまった風景でもあるからでしょうね。
 










[8]  『 題不識庵撃機山図 』

 作 者     頼 山陽 (日本・江戸時代)     推薦者     生 水 さん 

   [作品]


 
 鞭声粛粛夜過河   鞭声粛粛夜河を過る
 
 暁見千兵擁大牙   暁に見る千兵の大牙を擁するを
 
 遺恨十年磨一剣   遺恨なり十年一剣を磨く
 
 流星光底逸長蛇   流星光底長蛇を逸す


   [ひと言]


 転句の表現・結句の表現がなんと日本人的で、中国の詩では感じられない詩感です。
 私達老年期に勉強をはじめて漢詩の基礎もありませんが、中国の名詩は数有りますが、基礎を勉強していない私達には大変難しく感じられ、日本人の作られた詩に親しみを感じます(明治維新の慷慨詩は別として)
。  本詩は麻韻で押韻してますが、起句は歌韻(通韻)で押韻しているようです。




 日本人の作った漢詩の中でも、最もよく知られている作品ですね。
 生水さんがいつも仰っている、「日本人の感性に合う」詩情と、力強いリズムが耳に残りますね。
 この詩も、これからも長く愛される詩でしょうね。











[9]  『 哭 阿 辰 、此 日 春 尽 』

 作 者     頼 山陽 (日本・江戸時代)      推薦者     箕 山 さん 

   [作品]


 
  別春又別児       春に別れ又、児に別る
 
  此日両傷悲       此の日両つながら傷悲
 
  春去有来日       春去るも来日有り
 
  児逝無会期       児逝いて会期無し
 
  幻華一現暫娯目   幻華一たび現じて暫らく目を娯しましむ
 
  造物戯人何獪哉   造物の人に戯る何ぞ獪なる哉
 
  明年東郊尋春路   明年東郊春を尋ぬるの路
 
  誰復挈瓢趁爺来   誰か復た瓢を挈へ爺を趁うて来たらん


   [思い出]


 思い出と言うほどのものでも有りませんが、祖父が初めて教えてくれた詩であったと記憶します。
 結の部分がなにかひどくゆったりと襲う緩やかな悲しみを感じさせると思っています。
 技巧的に見ても、特に優れているわけでもないですが、だからこそ伝わる悲しみもあるかと思います。
 いずれにせよ、勇壮なだけが山陽詩ではないことを思い知らされる詩ではないでしょうか。




 同じく、頼山陽の作品ですが、こちらは趣が違いますね。
 頼山陽にはこの他にも、母親への思い、また、江馬細香への思いなど、柔らかい心情を心を籠めて詠った作も多くあります。
 それにしても、孫である箕山さんに教えるのに、この詩を一番に選んだお祖父様のお人柄やセンスには、ただただ感激です。
 










[10]  『 述 懐 』

 作 者     魏 徴  (初唐)     推薦者     三 耕 さん  

   [作品]


 
 中原初逐鹿    投筆事戎軒
 
 縦横計不就    慷慨志猶存
 
 杖策謁天子    駆馬出関門
 
 請纓繋南粤    憑軾下東藩
 
 鬱紆陟高岫    出没望平原
 
 古木鳴寒鳥    空山啼夜猿
 
 既傷千里目    還驚九逝魂
 
 豈不憚艱險    深懐國士恩
 
 李布無二諾    侯朋重一言
 
 人生感意気    功名誰復論




 三耕さんがお薦めになるのはどんな詩かと楽しみにしていました。
 最後の句の「人生意気に感ず」の名句で知られるこの詩、直諫の士と言われる魏徴の作品ですね。『唐詩選』でも、五言古詩の冒頭を飾るにふさわしい、意志の強さが表れた詩ですね。
 










[11]  『 山 寺 』

 作 者     李達 イ・ダル (李氏朝鮮)     推薦者     金先生 さん   

   [作品]


 
  寺在白雲中   寺あり白雲の中
 
  白雲僧不掃   白雲 僧掃かず
 
  客来門始開   客来たりて門始めて開く
 
  万壑松花老   万壑 松の花老いる。


   [思い出]


  私を「朝鮮漢詩」に引き込んだ作品です。
  中国や日本とも違う独特の感覚があり、かといって難解でもないところが良かったです。
  ただ平仄を調べたら灰韻だったのにはちょっとびっくり。




 漢詩文化圏と言うべきでしょうか、広い地域で漢詩が愛好されていたのですが、朝鮮漢詩もそうですが、なかなか目にする機会が少ないのが現状です。
 金先生の開いておられるホームページ『金先生の朝鮮漢詩のページ』は、とても興味深い、価値あるものと思います。
 頑張って下さい。  










[12]  『 臨 終 』

 作 者     大津皇子 (日本・飛鳥時代)      推薦者     鮟 鱇 さん  

   [作品]


 
 金烏臨西舎   きんうせいしゃにのぞみ
 
 鼓聲催短命   こせいたんめいをうながす
 
 泉路無賓主   せんろひんしゅなし
 
 此夕誰家向   このゆうべたがいえにかむかわん


   [思い出]



 謀反の罪で686年に刑死した大津皇子(おおつのみこ)24歳の辞世の詩です。
 題は「臨終」。「臨終」「臨刑」という詩題は中国六朝詩にあり、作法として韻を踏むことは一般に要求されていないようです。時が時だけにそのような余裕はない、ということでしょうか。
 さて、皇子の詩ですが、眼に映るものは西舎を照らす太陽、耳に聞こえるものは時を告げる太鼓の音。眼に映じ耳に響くもの、つまり「存在」するものはそれだけです。あとは心に浮かぶ思い・言葉。にもかかわらず、直覚の冴えとでもいえばよいのでしょうか、わたしたちの心には、今から1300年も前に確かに存在した一夕の光景が浮かびます。
 刑死を前にしてという極限的な状況についてのわたしたちの知識が、皇子の詩の印象を強めていることは間違いありません。 しかし、間違ってはいけないのは、皇子の詩の素養の深さです。皇子の詩は押韻していませんが、皇子は韻を踏めなかったのではなく、踏まなかったと見るべきように私には思えます。

 686年といえば、中国では唐の時代とはいえまだ李白以前、平仄・韻についての近体詩のルールができあがったかどうかという時代です。しかし、皇子の詩は起句を除いて近体詩の平仄のルールに合致しています。起句は「金烏」を「白日」とすれば、平仄はさらに近体のルールに合致したものとなりますが、「金烏」のほうが天なる「神」の趣きが出て刑死を前にしての状況を深めますし、また、神武天皇の東征を導いた「ヤタガラス」のことが、皇子の頭にあったのかもしれません。
 皇子は21歳の時に「遊獵」という五言律詩の要求条件をほぼクリアーしたとてもすばらしい詩を作っています。

    朝択三能士,暮開万騎筵。
    喫倶豁矣,傾盞共陶然。
    月弓輝谷裏,雲旌張嶺前。
    曦光已隠山,壮士且留連。
      
 皇子の詩の力量は相当のレベルであったように思えます。そこで、「臨終」は、刑死を目前にしてという極限状況での作ですが、そのような時にあっても六朝時代の詩の作法が皇子の頭にあり、その作法に則って韻を踏まなかったのではないかと私には思えるのです。「遊獵」ほどの詩が書ければ、韻を踏むことはそれほど難しいことではないと思います、そして、「臨終」のとても心静かに調った起承転結に、皇子の詩才をわたしは思うのですが、いかがなものでしょう。




   










[13]  『 勧 酒 』

 作 者     于武陵 (晩 唐)     推薦者     ママ さん   

   [作品]


 
  勧君金屈巵    このさかずきをうけてくれ
 
  満酌不須辞    どうぞなみなみつがせておくれ
 
  花発多風雨    はなにあらしのたとえもあるぞ
 
  人生足別離    さよならだけがじんせいだ


   [思い出]


  今、読んでいる本の中に色々な人達の別れの場面がかかれていました。
  今、44歳になつて父をなくして、人との別れが今までとは違うもののように思います。




  ママさんは、滋賀県守山市の40代の女性の方、初めてお手紙もいただきました。
  訳は井伏鱒二の名訳ですね。











[14]  『 宿 山 寺 』

 作 者     申光漢 (李朝中宗代)     推薦者     関っち さん   

   [作品]


 
  少年常愛山家静、   
 
  多在禅窓読古経、   
 
  白首偶然重到此、   
 
  仏前依旧一灯青。   


   [思い出]


 僕は21歳の学生です。
 今はサンフランシスコの郊外に住んでいます。学校で中国語を習い初めてから漢詩に興味を持ち出してきたのですが、韓国でも漢詩が存在することを知り、韓国漢詩選集など読んでみました。
 以前韓国で購入した「漢詩の理解・韓国篇」からもっとも気に入ったものを一首選びました。
結局は同じ漢文なので文法とかは一緒だと思いますが、背景とかがもちろん違うので別の意味で興味深いと思いました。




 関っちさんからのこの朝鮮漢詩の推薦をいただいたのは2年前でした。
 その時には、こうした「読者からの推薦詩」のページは設けてなかったため、ずっと掲載できませんでした。今回の企画は、実は関さんの推薦詩が頭に残っていたことがきっかけだったように思います。
 昨年末、半年ぶりに送ったメールが届かなくなりました。留学を終えられたのでしょうか。もし、このページをご覧になったら、不精者の私宛にメールを下さいませませ。










[15]  『 泛 海 』

 作 者     王陽明 (明)     推薦者     呂 望 さん   

   [作品]


 
  険夷原不滞胸中   険夷もと胸中に滞らず
 
  何異浮雲過太空   何ぞ異ならん浮雲の太空を過ぐるに
 
  夜静海濤三万里   夜は静かに海濤三万里
 
  月明飛錫下天風   月明錫を飛ばして天風を下る


   [思い出]


 「泛海」(海にうかぶ)という題で、明の時代の思想家、王陽明の七絶です。
 この詩の、俗塵から超然としている風格が魅力です。なにか悩みごとがあるときはいつもこの詩を思い出して、元気を得ています。
 僕が一番好きな一篇です。




  呂望さんのように10代の方からの推薦は、私のような年齢以上の者にとっては、興味津々。
  精神的に元気を出すには絶好の詩ですね。










[16]  『 絶 句 』

 作 者     杜甫 (盛唐)     推薦者     Kazu さん   

   [作品]


 
  江碧鳥逾白   江は碧にして 鳥は逾よ白く 
 
  山青花欲然   山は青くして 花は燃えんと欲す   
 
  今春看又過   今春看す又過ぐ
 
  何日是帰年   何れの日か是れ 帰る年ぞ


   [思い出]


  教科書に載ってたんです・・・。(今、中二です。)
 ちょっと感動したんで・・・。

 漢詩とか好きになったし、ホームページをみていたら、感じが良いホームページだったんで投稿しました・・・。
 また、いい漢詩があったら、投稿したいですね。
 他にも見させてもらいましたが、みなさんいいっすね!!
 ますます漢詩好きになりましたvv
    ではではぁ・・・・。




 Kazuさんは、倉敷市の中学二年生、学校での勉強で漢詩に興味を持ったようです。自分のホームページも開設しているという、うーん、まさに最先端を走っているんですねぇ。
 私も授業で漢詩を丁度教えたところですが、「興味を持った」という感想を生徒からもらえるかどうか、自信があまりありませんね。Kazuさんの先生はきっと、素敵な授業をなさったんでしょうね。










[17]  『 春夜喜雨 』

 作 者     杜甫 (盛唐)     推薦者     茶 井 さん   

   [作品]


 
  好雨知時節   好雨時節を知り
 
  当春乃発生   春に当たって乃ち発生す
 
  随風潜入夜   風に随って潜かに夜に入り
 
  潤物細無声   物を潤して細やかにして声無し

 
  野径雲倶黒   野径雲は倶に黒く
 
  江船火独明   江船火は独り明らかなり
 
  曉看紅湿処   曉に紅の湿れる処を看れば
 
  花重錦官城   花は錦官城に重からん

   [思い出]


  社会派の杜甫としては珍しくロマンチックな詩です。
  日本語の読み下しもS音が多く使われていて優しい感じが良く出ています。声を出して読んでみるとよく解ります。




  茶井さんは、神奈川にお住まいの五十代の男性です。
  杜甫のこの『春夜喜雨』は、私も大好きな詩です。杜甫五十歳の折、成都の浣花草堂で春雨を詠ったものだそうですが、漂泊の人生を送った杜甫が、落ち着いた暮らしを唯一過ごした時期ですね。同じ頃に作られた 『江村』 も、落ち着いた雰囲気が感じられる詩ですよね。











[18]  『 春日登山 』 春日山に登る

 作 者     程專萬 (琉球)     推薦者     勝 風 さん   

   [作品]


 
  春山一望景無窮   春山一望 景窮り無し
 
  海色蒼蒼萬里空   海色蒼蒼として 万里空し
 
  飛鳥数声雲幾点   飛鳥数声 雲幾点
 
  何時収入畫図中   何れの時にか画図の中に収め入れん


   [思い出]


 これは「琉球漢詩の旅」という本に収められた一首である。
 作者は琉球の政治家名護親方寵文、中国名を程順則の次男專萬である。ちなみに昔の琉球では士族は全て中国名を持っていた。
 作者は十四歳で世を去ったといわれているが、前三句で自然を詠い、それを結句で画図の中に収め入れたいという作者の発想が実にすばらしいと思う。





 勝風さんは、沖縄の五十代の男性の方です。
 作者は1689年より1702年という生涯だったそうですが、日本ではまさに元禄文化の花盛り、生年の89年は芭蕉が『奥の細道』の旅に出た年でもあります。鎖国から半世紀、というよりも戦乱から1世紀近く、文化が落ち着きから成熟へと進んだ時期です。
 海を越えた琉球では、大陸の影響を大きく受けながら、十四歳の少年の詩に文化の結実を見せているようですね。










[19]  『 贈 汪 倫 』

 作 者     李白 (盛唐)     推薦者     粋酔堂主人 さん   

   [作品]


 
  李白乗舟将欲行   李白舟に乗りて将に行かんと欲す
 
  忽聞岸上踏歌聲   忽ち聞く岸上踏歌の声
 
  桃下潭水深千尺   桃下潭水、深さ千尺
 
  不及汪倫送我情   及ばず 汪倫 我を送るの情に


   [思い出]


 唐詩をを勉強したいと思った最初の詩です。
 1987年3月山東省臨沂市『臨沂針織廠』に技術指導に行ったときに、応接室に飾ってあったのが 「贈汪倫」だったのです。その時中国との付き合いをするには「白文を訓読出来るようにならないといけないな」と思いました。その後「唐詩選」を勉強できる機会に恵まれ、七言絶句を作詩できるまでになりました。
 勉強を続けている内に、李白の七言絶句の有名な句は暗唱できるようになったのです。

 五十の手習い的に始めたのですが、まさか暗唱できるようになるとは思いもよりませんでしたが、この詩に出会わなかったら、現在の私はなっかたでしょう。




  










[20]  『 春江花月夜 』

 作 者     張若虚 (初唐)     推薦者     A.Y さん   

   [作品]


 
  春江潮水連海平   春江の潮水、海に連なって平らかなり
 
  海上明月共潮生   海上の明月、潮と共に生ず
 
  灔灔随波千万里   灔灔として波に随うこと千万里
 
  何処春江無月明   何処の春江か月明無からん
 
      以下 略します   


   [思い出]


 40才の頃に、『唐詩選』 前野直彬注解(岩波書店)を手にして、張若虚のこの詩が最も印象に残っています。
 廻る月を背景に、美しい情景と旅情が豊に描かれています。
中でも、

     江畔何人初見月
     江月何年初照人
        …   
        …   
     玉戸簾中巻不去
     擣衣砧上拂還来

 や、最後の四句

     斜月沈沈蔵海霧
     碣石瀟湘無限路
     不知乗月幾人帰
     落月情揺満江樹


 の表現の卓抜さ、内容の深さに感動しました。

 また、前野直彬先生の注解された岩波文庫の『唐詩選(上、中、下)』は、注記、解説共簡潔で分かり易いこと、客観的な解説で先入観なく詩が味わえる点、更に何度も同じ語句の説明がありがたく、典故の理解が深まる名著だと思います。




  










[21]  『 寄家兄言志 』

 作 者     廣瀬武夫  (明治)     推薦者     恍 武 さん   

   [作品]


 
  勤皇大義太分明   勤皇の大義はなはだ分明
 
  報国丹心期七生   報国の丹心七生を期す
 
  伝家一脈遺風在   伝家一脈遺風在り
 
  誓挙名声弟興兄   誓って名声を挙げん弟と兄と


   [思い出]


  詩吟を始めて8年、そろそろ漢詩もやっとくべきかな、と思い、参加しました。
  この詩は、詩吟における私の愛唱詩(?)です。勇ましいところが気に入っています。

  もう一つ推薦するなら、よく似た内容の「出卿の作」(佐野竹之助)です。




  










[22]  『 詠 史 』

 作 者     高 適 (盛唐)     推薦者     A.H さん   

   [作品]


 
  尚有綈袍贈   尚お綈袍の贈有り
 
  応憐范叔寒   応に范叔の寒を憐れむべし
 
  不知天下士   天下の士を知らずして
 
  猶作布衣看   猶お布衣の看を作せり


   [思い出]


 前の会社において,上役から「君はいらない」、「この部にいても君の将来はない」と暴言をはかれたときに,この高適の詩を思い出し,今に見ておれと,逆襲を誓いました。
 この詩を精神の支えとして,今もがんばっています。
 リストラとか不良債権処理の加速とかで,リストラという名ののクビ切りを行う事は,いい事だという風潮が日本中に万延しています。リストラの対象となっても,この詩の范叔のような気概をもって,生きて行きたいものです。





 この高適の詩については、解説が無いとA.Hさんの「思い出」とのつながりが分からないかもしれないですね。
 長い話で簡潔にするのは難しいので、「唐詩選」(明治書院・新釈漢文大系)の「解題」を書かせてもらいます。
 「史記・范睢蔡沢列伝」によれば、范睢は魏の人であり、字は叔。魏の中大夫須賈に仕え、これに従って斉に使いしたが、須賈范睢が斉から賄賂をもらったと思い、帰国後、魏の大臣に訴えた。魏では范睢を撃ってほとんど死に至らしめた。
 は死んだふりをして、やっと逃れ、姓名を張禄とかえて秦に入ったが、そこで認められて、ついに秦の宰相となった。
 こういうこととは知らぬ須賈は、ある時秦に使いしたが、范睢はこれを聞いて、今の身分をかくし、敝衣をまとうて須賈の宿を訪問した。
 須賈はこれを憐れんで、引き留めて飲食させ、そして言った。
  「范睢、君はこんなに貧乏しているのか」と。
 そこで綿入れのどてらを范睢に与えた。
 それから范睢が御者となって秦の宰相の役所に行き、范睢が一足先に入り、いつまでも出て来ぬので門番に問うと、「ここに范睢という者はおらぬ。先刻の人は、わが宰相張君である」と。
 須賈は始めて欺かれたのを知り、肌を脱いで肉をあらわし(鞭うたれるために)、膝でにじって進んで罪を謝した。
 范睢はかつての須賈の罪を数え上げ、しかもお前を殺さずにおくのは、ふるいなじみを念ってどてらを私にくれたことに免じて、ゆるして置くのだといった。
 ということです。










[23]  『 寄 楊 侍 御 』

 作 者     包 何 (盛唐)     推薦者     A.H さん   

   [作品]


 
  一官何幸得同時   一官何の幸いか 時を同じくするを得たる
 
  十載無媒獨見遺   十載媒ちなく 独り遺(わす)られたり
 
  今日莫論腰下組   今日 論ずる莫し 腰下の組
 
  請君看取鬢辺糸   君に請う 鬢辺の糸を看取するを


   [思い出]


 ついでももう一首。
 かつての仲間が范叔みたいな目にあっているときには,家族の次にこころのささえとなるのは,学生時代の同級生やなどの,かつて苦楽をともにした仲間たちです。
 これらの仲間の間では,腰下の組を論じないように。いつ自分が范叔のような目にあわされるともかぎらないのですから。

 しかし,今の日本のサラリーマンの情況は,古の唐の詩人(士大夫)たちとあまりかわらないようです。
 結局,人間の本質といのは,高々1000年程度ではあまり変わらないということでしょうか?
 殷鑑遠からずとはよくいったものです。




 「腰下組」というのは、役人が腰に巻き付けて、印をつるすひものことです。官の高下で色が違うそうですから、「論腰下組」となれば、人の出世や身分をあれこれと言うことです。










[24]  『 還至端駅前与高六別処 』

 作 者     張 説 (盛唐)     推薦者     A.Y さん   

   [還りて端州駅に至る、前に高六と別れし処なり]


 
  旧館分江口   旧館、分口のほとり
 
  凄然望落暉   凄然として落暉を望む
 
  相逢伝旅食   相逢うて、旅食を伝え
 
  臨別換征衣   別に臨んでは、征衣を換えたり
 
  昔記山川是   昔は記す、山川の是なるを
 
  今傷人代非   今は傷む、人代の非なるを
 
  往来皆此路   往来、皆此の路なるに
 
  生死不同帰   生死、帰るを同にせず


   [思い出]


 唐詩選(中)前野直彬注解(岩波書店)にあります。
 詩はもちろん感動しますが、前野先生の詩の前にある解説を読まなければ、作者の深いなんともやり切れぬ心情は、伝わらないと思います。私は、この詩の背景から、何度読んでも首聯のところで作者の気持ちを察し、もう胸が熱くなります。
 前野先生の淡々として簡潔な解説が、読者に先入観を与えません。この解説(名文として)と詩を併せて推薦する次第です。

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 私は、漢詩を作ることは出来ません。読むこと、口ずさむこと、暗誦することで漢詩世界に浸ることを好んでいます。
 他の方がどのような詩を推薦するだろうかとか、感動を共有できるかなど、この企画の結果が楽しみです。