2007年の投稿詩 第61作は 杜正 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-61

  病中想探梅     病中に探梅を想ふ   

愛日煩襟病室中   愛日に煩襟と病室の中。

眼前摘腫待医功   眼前にて摘腫 医の功を待つ。

陽暄窓外梅花笑   陽 あたたかなる窓外に梅花笑ふ。

夢想徘徊気力充   徘徊を夢想し 気力充つ。

          (上平声「一東」の押韻)

<解説>

 「愛日」=冬の日
 「煩襟」=心配な心
 「眼前摘腫」=大腸ファイバで、モニタ画面を見ながら大腸ポリープを摘出する手術

 大腸ポリープ摘出のため入院し、入院中にベッドの上で作った漢詩です。
 医者から、手術のあらゆる危険性を聞かされて多少不安な気持ちになったまま、モニタ画面を見ながら大腸ファイバで、大腸のポリープを摘出する手術を受けました。
 窓の外を見ると、もう紅梅が咲いているではありませんか。
 観梅に是非行きたいと思って元気を出したところです。

<感想>

 大変なことでしたね。杜正さんは五十代とお聞きしましたが、ご心配な事も多かったと思います。
手術に際しての同意書や注意書きをお医者さんから渡されて読んだりすると、不安が一層募ります。私も何度か手術をしましたので見せられました。当の本人はせっぱ詰まっていますから、「まあ、仕方ないわな」と開き直っていますが、同意書を書かされる妻は随分不安になったようです。
 早いご回復を祈っています。

 起句の「愛日」「日差しが恋しい」ということから「冬の日」となっている言葉です。直後の「煩襟」「心の中で悶え苦しむ」ということですので、やや「愛」の字とのバランスが悪いと思います。単に「冬日」「寒日」として前半は表現を抑えた方が、転句からの明るさとに合うでしょう。

 「笑」「咲いた」ということでしたら、和習になります。転句の下三字は「一梅影」あたりが落ち着くように思います。
 結句はやや堅苦しい感じがしますが、病中吟、思いをそのまま言葉にしたというところでしょうか。

2007. 2.07                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第62作は 兼山 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-62

  出水麓武家屋敷     出水(いづみ)麓(ふもと)武家屋敷   

翔禽萬羽憩休田   翔禽 萬羽 休田に憩ふ

若屬雄雌似有縁   若屬なんぢら 雄雌 縁有るに似たり

四百星霜外城在   四百 星霜 外城とじょう在り

麓郷節義又誰傳   麓郷ろくごうの節義 又 誰か傳へん

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 出水市は専ら「鶴の里」として有名であるが、市の中央部「出水麓」には、「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されている一郭があって、約四百年昔の武家屋敷の面影が、改変される事なく保存されている。
 薩摩藩は、本城である鶴丸城の他、領内各地に外城を配置した。
(外城に於ける行政統治の中心地が麓である)
子弟教育に熱心であった薩摩藩は、武勇のみならず、人情を重んじた。
「出水兵児修養掟」には「士は節義を嗜み申すべく候」と謳ってある。


 知秀さんの詩「訪出水鶴」(作品番号2007-43)を拝見しました。
 小生も、昨年末、出水に行って参りました。その折の詩作です。
 休耕田に憩う一万余羽の「鶴の群」にも、勿論、目を奪われましたが、出水麓に遺されている「武家屋敷群」には、先人の叡智を感じました。市木である槙の植生が街中に溢れ、長閑な、落着いた田園都市でした。
 その他、知覧ほど有名ではありませんが、特攻基地の跡も在りました。

<感想>

 出水(いずみ)の説明も丁寧にしていただき、ありがとうございます。九州では唯一の万を超える鶴の飛来地であるだけでなく、かつての薩摩藩の行政の中心であったことなど、改めて勉強しました。

 転句で月日の流れを出されましたが、「在」と存在を言うだけでは弱いですね。ここは、「外城」の状態や形態を述べると、「四百年」の重みを感じることができます。あるいは「外城月」「外城柳」などを出して、結句で結ぶのもひとつでしょうね。

2007. 2.07                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第63作は 常春 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-63

  彩帆覧古        

將軍避辱死從容   将軍 辱を避け 従容と死す

遺卒棄民崖岸重   遺卆棄民 崖岸に重なり

阿鼻投身無計數   阿鼻の投身 数へ計る無し

啾啾鬼哭尚縈胸   啾々たる鬼哭 尚も胸を縈(めぐ)る

          (上平声「二冬」の押韻)

<感想>

 戦争中のサイパン島の悲劇は忘れてはならないこと、以前に鮟鱇さんが「莫忘塞班島」を投稿されていましたね。
 その折にこの悲劇に対する私の感想も書かせていただきましたので、またお読みください。

 承句の内容を転句で詳しくお書きになったのが後半にあたるわけですが、常春さんのお気持ちが伝わってきます。
 結句の「啾啾鬼哭」の表現は、土屋竹雨の「原爆行」にも用いられていましたね。
「鬼」は桃太郎に出てくるような鬼ではなく、「死者の魂」というのが漢詩での意味です。亡くなった方々、無辜の民の霊がすすり泣くという、悲しみの深さを表しています。

 サイパンは「塞班」と現代中国語では書きますが、「彩帆」とされたのは意図がおありでしょうか。

2007. 2. 7                 by 桐山人


常春さんからお返事をいただきました。
 サイパン島は現在中国で塞班と記載します。しかし、日本統治領時代(1922〜1945)には「彩帆」を慣用していたと思われます。島には「彩帆神社」が現存しています。

2007. 2. 8                by 常春






















 2007年の投稿詩 第64作は 常春 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-64

  看永田鐵山像有感        

落木浮城寒透肌   落木の浮城 寒肌に透る

鐵山像寂葉堆陲   鉄山の像寂たり 葉堆の陲

數多領袖濫誅變   数多の領袖 濫誅の変

暴走昭和未解疑   暴走の昭和 未だ疑を解かず

          (上平声「四支」の押韻)

<解説>

「浮城」=諏訪高島城

 昭和初期に暴漢、軍人に襲われ殺害されたのは、井上準之助、団琢磨、犬養毅、永田鉄山、斉藤実、高橋是清、渡辺錠太郎 と続きました。

<感想>

 陸軍の派閥抗争の中で、皇道派に恨まれて殺害された永田鉄山ですが、彼の死後に抗争は一層激化し、後の2.26事件へと昭和は流れていきました。

 彼は長野県上諏訪の出身ということで、高島城に銅像が置かれているそうです。「浮城」とあるのは、その高島城の下まで水が来ていて、城があたかも湖に浮いているように見えたことからのものですね。

 承句の「鐵山」のように固有名詞を用いた場合には、永田鐵山個人への作者の思いがこめられたものでしょう。「軍人」など一般的なものにすれば、結句の感懐が広がるように思いますが、どうでしょうか。

2007. 2.17                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第65作は 井古綆 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-65

  白俗見蔑        

絢爛詩壇作別流   絢爛たる詩壇に別流を作し

当時見蔑醜声周   当時蔑せられて醜声周る

諸賢難句埋唐史   諸賢の難句は唐史に埋もれ

白俗佳篇普八州   白俗の佳篇は八州に普ねし

          (下平声「十一尤」の押韻)

<解説>

 先年多久市で石川忠久先生に白楽天の詩についての講義を受けました。
「元軽白俗」と当時さげすまれた白楽天は、時を経て我が国の民衆に愛誦され、現在に到っても猶その名声が称えられ、当時彼が蔑視されたことは正しい事ではなく、後世の人が評価していると教えられました。
 その白楽天を追想しての当時の作です。

<感想>

 白居易の詩が当時さげすまれたことは、日本での「白氏文集」の評価を見ている私たちには、なかなか信じがたいことです。
 白居易が詩を作るたびに、字の読めない老婆に読んで聞かせ、老婆が分からない時には書き直したという話が残されていますが、事実がどうかは別にしても、彼の詩に向かう態度を表した話です。当時から多くの人に理解され、愛されたのですが、そうした「平易」さが、あるいは生涯三千首と言われる「多作」が、彼の作品を「俗」としたのでしょうか。

 後世の人々の白居易への思いは、転句・結句に十分に描かれていますが、結句の「佳篇」は筆が滑ったように思います。ここで「良い・悪い」の判断を入れると、後半の「普八州」がぼやけます。敢えて「詩篇」とただ示すだけの方が印象が強くなるのではないでしょうか。

2007. 2. 17                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第66作は大分県武田市の 宏迂 さん、七十代の男性の方からの作品です。
 

作品番号 2007-66

  雅趣        

瓶中梅竹水仙花   瓶中梅竹,水仙の花

馥郁幽香満室嘉   馥郁たる幽香室に満ちて嘉し

方是歳寒三友景   まさにこれ歳寒三友景

新春雅趣画人家   新春の雅趣画人の家

          (下平声「六麻」の押韻)

<解説>

 年明け南画家の宅を訪ねたとき感じたことを詠んで見ました。

<感想>

 「歳寒三友」は「松竹梅」を表します。日本ではめでたいことの象徴としていますが、もともとは、「冬の寒さの中でも色を変えない」(竹や松の葉)こと、「寒さの中で負けずに花を開く」ということから、清廉潔白、志が強く清らかなことを象徴したものですね。
 水墨画に多く用いられるものですが、その「三友」を実際に味わったということ、それが「画人家」であったというところに、「雅趣」をとらえられた詩ですね。
 あたたかく、新春の趣の伝わる詩だと思います。

2007. 2.17                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第67作は 深渓 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-67

  巌邑倒槍松        

参勤行列到城門   参勤の行列 城門に到り

曾対石高儀礼論   曾ては石高に対して儀礼を論ず

優位諸侯直槍過   優位の諸侯 槍を直して過ぎるに

矮松一樹屈豪藩   矮松 一樹 豪藩を屈せり

          (上平声「十三元」の押韻)

<解説>

 参勤交代で他藩の城門を通過する時、石高の高い大名は低い国の城門を通過する時は槍を立てたまま通過した。自国より高い國の城門を通過する場合は、槍を倒して通るのが礼儀であったという。
 岩国藩は五万石の小藩で、西国の雄藩槍を立てたまま通過するのに切歯扼腕、一計を案じ、錦帯橋の河畔に背が低く、枝を拡げた松の老樹を探し出し移植したという。通過する道順は定められていて、嫌でも槍を倒さずには通れなかったという。
 初代の槍倒しの松は松くい虫にやられ、現在は代わりの松が植えられている。故郷岩国の自慢話の一つはは如何でしょうか。

<感想>

 解説を読ませていただきましたが、何とも楽しい話ですね。「胸がすく」思いというのはこんなことを言うのでしょうね。
 「巌邑」は何のことかと思っていましたが、深渓さんのホームページで、自作の「錦水観櫻」を拝見したら分かりました。岩国を漢語として表現されたものだったのですね。
 岩国(「石国」)という地名は随分古くから使われているようですので、岩山に囲まれた土地だったのでしょうか。

 歴史的な事情を説明するとどうしても長くなりますので、ここでも転句までが解説に使われているため、やや前半がもたれる感じがしますが、結句の明快さが詩を勢いを持ったものにまとめていると思います。
 私はこういう自慢話が大好きです。

2007. 2.20                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第68作は ニャース さんが大連から送ってくださいました。お久しぶりですね。
 

作品番号 2007-68

  春愁        

強求酔客飲杯中   酔客 強いてもとめる杯中を飲むこと、

烈酒顰眉面孔紅   烈酒 眉を顰めさせ 面孔は 紅(くれない)。

朧月今宵君未到   朧月 今宵 君は未だ到らず、

倚欄撫背只春風   欄によれば 背中を 撫すは ただ春風。

          (上平声「一東」の押韻)

<解説>

  春の愁い
 酔客は グラスの中を飲み干すことを強要する。
 強い酒を 眉を顰めて飲めばたちまち顔は紅くそまる。
 朧月は出ているが 今宵 貴方はまだ来てくれない。
 欄干に身をもたせれば 私の背中を撫でるのはただ春風だけ。 


 鈴木先生
お元気でしょうか?

 大連生活も1年半ちかくになろうとしています。
いまは春節前のあわただしい雰囲気の中、仕事をしています。

 機械音痴の私で ここ半年くらい先生のHPが見られず、つらい思いをしました。
今日アクセスしたらHPをみることができ、仕事そっちのけで 皆様の作品を鑑賞いたしました。
久しぶりで なんか少し 鈴木塾のOBのような気分でした。

 また 投稿させていただきます。
接待でナイトクラブに行ったとき 創りました。
 イメージは竹久夢二の宵待ち草です。
珍しく艶を出しました。

<感想>

 お元気そうで何よりです。
このお手紙をいただいたのが二月九日でしたが、もう春節を迎えて、にぎわいの中にいらっしゃることでしょうね。

 起句は「酔客」の位置が気になります。このままですと、「酒を飲み干すことを酔客求める」となりますので、作者の意図とはずれてしまうでしょう。
 結句に「宵待草のやるせなさ」が集約されて、春のもの悲しさがよく表れていると思います。
 大連で一年半ですか。ニャースさんのおられる内に一度訪問したいものですね。

2007. 2.20                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第69作は 深渓 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-69

  歳暮戯作        

除鐘殷殷欲新正   除鐘 殷殷と新正にならんと欲す

笑殺容顔稚子情   笑殺す 容顔 稚子の情

黄髪猶誇残歯健   黄髪 猶ほ残歯の健なるを誇り

竝孫煎餅齧天明   孫に竝せて 煎餅 天明に齧る

          (下平声「八庚」の押韻)

<解説>

 除夜の鐘と共に新しい正月を迎えようとしている、
 大いに笑う顔や様子が幼児の心とおなじようになり。
 白髪頭をかき上げながら残歯もこんなに丈夫と、
 孫にあわせて夜明けに煎餅を齧る老残の人。


<感想>

 深渓さんのおなじみのお孫さんが登場される詩ですね。楽しく年末を過ごしておられる様子がうかがわれます。
 その楽しさの象徴として描かれたのが、結句の「孫と並んで煎餅をかじる」ことですが、「二人で一緒に」という楽しさと「身体が健康だ」という喜びの両面が表れています。
 やや物足りないのは、歳の暮であることの必然性。お孫さんがお見えになるのが年末年始しかない、という事情があるのでしょうが、一般の読者にはそれは伝わりません。起句だけが浮いて見えるのはそのせいでしょう。
 久しぶりの孫との再会、というようなことが承句あたりに描かれると、お気持ちが十分に出ると思います。

2007. 2.20                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第70作は大阪府門真市の 博生 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-70

  錦城梅林     錦城の梅林   

初発梅花訪古城   初めて梅花発き 古城を訪なふ

清香冷艶好詩情   清香 冷艶 好き詩情

豊家落日夏之陣   豊家落日 夏の陣

壮烈長門遺雅名   壮烈長門 雅名を遺す

          (下平声「八庚」の押韻)

<解説>

 初めて投稿します。よろしく。
 大阪城内梅林を訪ねて清清しい香りと姿の中、曽て此の地落城に際し、若冠木村重成の討ち死覚悟の奮戦と兜裡に秘められた香りの床しさに想いを寄す。

<感想>

 初めまして、よろしくお願いします。

 題名の「錦城」は大阪城のことです。かつて天守閣の回廊下には虎の純金の彫金をはめこまれ、屋上の金鯱とあわせて、「金城」・「錦城」と称されたそうです。
 詩中の「長門」は、その大阪城での豊臣と徳川の合戦、大阪夏の陣で討ち死にをした木村長門守重成。彼は最後の出陣の前に死を覚悟し、破れた後の首実検を意識して、食事も摂らず、髪の毛には香を籠めたと言われます。
 結句の「雅名」は、その奥ゆかしさを指してのものですね。
 この「雅」と前半の梅花の「清香冷艶」が作者の意識の中で対応しているのでしょう。ただ、それが万人に伝わるかどうか、やや前半と後半が分離した感が残るような気がします。

2007. 2.24                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第71作は 常春 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-71

  黄山 其一        

岩楹屹立萬峰奇   岩楹 屹立し 万峰奇なり

松桷摩崖千樹欹   松桷 崖を摩して 千樹欹つ

明頂夕嵐昏黒疾   明頂の夕嵐 昏黒疾く

C臺朝煦閃紅遲   C台の朝煦 閃紅遅し

黄山靜影覺仙意   黄山の静影 仙意を覚え

雲海動容催客思   雲海の動容 客思を催す

絶勝欲傳筆難盡   絶勝伝へんとして 筆尽し難し

詩嚢張滿未成詩   詩嚢張満して 未だ詩を成さず

          (上平声「四支」の押韻)

<解説>

 岩楹=岩柱、
 松桷=松枝、
 明嶺=光明峰、
 C巓=清涼峰

<感想>

 黄山の連作を送っていただきました。
 漢詩に限らず、中国を思い描くのに欠くことのできない地、七言律詩でよく描かれていると思います。

 解説に書かれた語と本文の語が異なっていますので、ひとまず、いただいたままに掲載しました。
 第六句の「客思」は、「思」が名詩用法ですので、仄声になります。ここでは使えません。この句を含む頸聯は内容的には「黄山」を象徴して、とても印象に残る対句だと思いますので、是非、推敲を進めて下さい。

 尾聯は、やや常套句に流れたでしょうか。それまでの気迫が弱くなっているように思います。

2007. 2.24                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第72作は 常春 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-72

  黄山 其二        

岩峰兀比造形奇   岩峰兀比し 造形奇なり

摩頂攀崖松妙姿   頂に摩(ふ)れ 崖に攀(とり)つく 松の妙姿

雲海周旋容變幻   雲海 周旋して 容 変幻す

黄山絶勝悉難知   黄山の絶勝 悉くは知り難し

          (上平声「四支」の押韻)

<解説>

 黄山のパンフレットに、「泰山の雄偉、崋山の険峻、衡山の烟雲、廬山の飛瀑、蛾眉の清涼を兼ね備える」とあり、また黄山四絶として奇松、怪石、雲海、温泉を挙げています。
 訪れてみると将に絶景、ロープウエイから更に三百メートルの標高差を、老いを忘れて歩きました。

<感想>

 同韻での七絶ですね。
 解説にお書きになった「黄山四絶」から、「奇松、怪石、雲海」を各句に詠み込んだものですね。結句のまとめにもう少し余韻が欲しいところですが、作者の意図はよく伝わります。
 前半の「岩」と「松」の描写を対句の形で持ってくると、構成の面では変化が生まれるのではないでしょうか。

2007. 2.24                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第73作は千葉県四街道の 海鵬 さんからの作品です。
 お手紙には、
 はじめての五律を投稿します。
 皆さんの漢詩と先生の感想で、漢詩の世界が、とても深く、広がりのあるものだと感じます。
非常に良い教室ですね!
と感想を書かれていました。ありがとうございます。

作品番号 2007-73

  白神山秋        

白神秋霧散   白神 秋霧散じて

晨光照魁撫   晨光 魁撫を照らす。

啼鳥度梢噪   啼鳥 梢を渡り噪く、

菌香臨柢紆   菌香 柢に臨んで紆る。

驚知新蘖副   驚いて知る 新蘖しんげつふを、

忽覚客愁蘇   忽ち覚ゆ 客愁の蘇るを。

欲詠欹忘語   詠ぜんと欲して、ああ、語を忘る。

惟帰暮色途   惟だ帰る 暮色の途。

          (上平声「七虞」の押韻)

<解説>

 NHKプラネットアースの「白神山地の秋」の番組をみて、漢詩にしようと思い立ちました。
 何百年の樹齢のブナの樹が、厳しい風雪に耐え、而も老いて大枝を折り、根幹も空洞化してるにも拘らず、 黄葉は、未だに繁っている。
 周りは、鳥が啼いて、菌類の香りが漂う中、見た物は、老根に新しい根が副うように生えている。
 これに感動して詩にしようと思ったが、難しいものだと、惟だ、夕暮れの錦秋の途を帰ったと言う大意です。

<感想>

 世界自然遺産とされた「白神山地」、ブナの原生林がよく知られていますね。
 前半では、明け方の白神山地の風景が丁寧に描かれ、鳥の鳴き声、森の香りが目前に浮かぶようです。
後半では、「知」「覚」「詠・忘」「帰」と動詞が続き、作者の存在が明確になってきますので、前半の自然と後半の人事との対照という感じでしょうか。

 第二句の「魁撫」は「大きなブナの木」のことかなと思いましたが、「撫」が分かりません。韻目もずれていますので、「模」と同字の「橅」の入力間違いでしょうか。もしそうでしたら、この字は日本では「ブナの木」に当てていますが、日本だけの用法ですので、漢詩には使わない方がよいでしょう。

2007. 3. 2                 by 桐山人



謝斧さんから感想をいただきました。
第二句については、「光」は失声(平仄の規則から外れる)です。
「撫」は仄韻ですので、作者の調べ間違いじゃないでしょうか

2007. 3. 3               by 謝斧



海鵬さんからお返事をいただきました。

 桐山人先生や、謝斧さんからのご感想を頂き、誠に有り難うございました。
確かに、「光」の平仄が違いました。思いこみが強いので注意します。
 また、漢字が私のPCになく、ブナの木を「撫」としたのですが、これは日本だけの用法と教えて頂き、それではこの句をどうするか、悩みました。
 その結果、尾聯も以下の様にすることにしました。
ご教授お願いします。

  題白神山秋        

白神秋霧散   白神 秋霧散じて
葉影躍荒膚   葉影荒膚に躍り
啼鳥度梢噪   啼鳥 梢を渡り噪く、
菌香臨柢紆   菌香 柢に臨んで紆る。
驚知新蘖副   驚いて知る 新蘖(しんげつ)の副(そ)ふを、
忽覚樹霊蘇   忽ち覚ゆ 樹霊の蘇るを。
欲詠欹忘語   詠ぜんと欲して、ああ、語を忘る。
斂心帰錦途   心に斂めて帰る 錦の途。

2007. 4. 7             by 海鵬





















 2007年の投稿詩 第74作は 井古綆 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-74

  黒四dam        

崢エ巒嶽隔人煙   崢エそうこうたる巒嶽らんがくは人煙を隔て

世紀難工及七年   世紀の難工は七年に及ぶ

偃蹇堰堤締峡谷   偃蹇えんけんたる堰堤えんていは峡谷を締ぎ

E茫湖水作深淵   E茫びょうぼうたる湖水は深淵と作る

遥思少壮砕身苦   遥かに思ふ 少壮砕身の苦

苦喚竣工黒部川   苦は竣工を喚ぶ黒部川

初点電光誰共喜   初めて電光を点じて誰か共に喜ばん

百余魂魄卓於天   百余の魂魄は天よりも卓し

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 「崢エ」=山がけわしいさま
 「偃蹇」=ダムのアーチ状のさま
 「E茫」=水が果てしなく広がったさま
 「百余魂魄」=殉職者171名

 五、六句は流水対です。
 私は黒部を尋ねたことはありません。
 民放ではここを舞台にドラマを作りますが、殉職された多くの人に対しての哀悼の気持ちが弱いような気がしてなりません。この詩は、そのことに慷慨して作った十数年まえの旧作です。NHKは番組についてとやかく言われますが、「プロジェクトX」で取り上げていました。
 新聞の短歌の投稿欄に送稿した短歌です。

 この水が 黒四ダムのこの水が はるか近畿の我が街の灯か

 「難工」「竣工」の同字重出は、この詩を作った時には何か意図を持っていたのですが、今では忘れてしまいました。
 皆さんのご意見をいただければ幸いです。

<感想>

 黒部ダムに私が行きましたのは、子ども達がまだ小さかった頃でしたので、もう何年も前の夏のことになります。安曇野、大町を抜けてのドライブでしたが、ダムを囲む景観は、井古綆さんが前半で描かれた通り、北アルプスの山々は雄大なものでした。

 このダムの建設では、工事期間中の事故による殉職者は170人を越えたと言われています。非常に多くの方々の尊い生命が犠牲になったことは、建設期間である昭和三十年代に生きていた世代の方にはよく知られたことですね。
 そのことを詠ったのが第五句、第六句。下句の「苦」を名詞で読んでいますが、流水対で考えるならば、「はなはだ」と読んだ方が良いのではないでしょうか。
 「喚」は「大声で叫ぶ」ではなく「呼びまねく」という意味ですね。

 「工」の重出については、どんな意図がおありだったのでしょうか。もし思い出されたらお教えください。詩を拝見している限りでは、私にはちょっと想像ができませんので、「意見を」ということでしたら、ここではどちらかの「工」を変更した方が良いと思います。

2007. 3. 2                 by 桐山人



謝斧さんから感想をいただきました。
 題は黒四大堰堤のほうが好いと思いますが、どうでしょうか。

 頸聯については、呂山先生は流水対は各句も対になるように作らねばならないと仰っていました。
また、上句の「遥思少壮砕身苦」の六字目の孤平は好くありません。(七絶、習作期であれば看過するところですが)
このままであれば、次の句で助けなければなりません(呉體)

2007. 3. 3                 by 謝斧


井古綆さんからもお手紙をいただきました。
 懇切なるご教授有難うございました。
 鈴木先生の仰るとおり、この聯はこの詩でのクライマックスであり、「苦」を「はなはだ」と読めば詩意が高まると思います。有難うございました。視界が開けました。
 しかし、下句の「苦」を名詞として用いたいと思いますので、下記のように直しました。

 遥思折骨摧身壮    遥かに思ふ 折骨摧身の壮を
 苦喚竣功黒部川    苦は竣功を喚ぶ 黒部川

「身骨」と「摧折」を互文にしました。

 なお「工」の重出につきまして、詩嚢を探って間違いが分かりました。相当に以前のことですので、忘れていました。
移しかえの際に「竣功」を「竣工」に間違えていました。
 すみませんでした。

2007. 3. 3               by 井古綆


 井古綆さんから、お手紙をいただきました。
 謝斧さんご高批有難うございます。
 題名については黒四ダムが余りにも人口に膾炙されていたため、このようにしました。お説のようにしたほうが良いと思います。
 ネットで山峡ダムを検索しましたところ、中国では「山峡大壩(ハ)」と載っていましたが、「大堰堤」とどちらがいいでしょうか。
 流水対につきましては、二句が対になっていなくて、水が高いほうより低いほうに流れるように、上句から下句に意が通じ、下句より上句には意が通じない対句を流水対と言うと、認識しております。
 拙詩では此を正しい対句にすれば、詩意が弱くなったため敢えてこのようにしました。ネット上では王之渙の「登鸛雀楼」が例として載っていました。

 最終推敲として、次のようにしたいと思います。

   思馳草創摧身苦   思いは馳す草創摧身の苦(ク)
   苦喚竣功流涕筵   苦は喚ぶ竣功流涕の筵

2007. 3.10               by 井古綆




















 2007年の投稿詩 第75作は山梨県北杜市の 青山 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-75

  花鳥風月「冬」        

花開春訪早   花開き 春の訪れは早し

鳥止弄梅香   鳥止まりて 梅の香を弄ぶ

風雪囲炉坐   風雪 炉を囲みて座するを

月華愛夜長   月華 夜の長きを愛す

          (下平声「七陽」の押韻)

<感想>

 「花鳥風月」の各字を句頭に置いてのものですので、どうしても用いる言葉に制約が多くなりますね。そこが工夫のしどころとも言えますが、よく考えられていると思います。
 転句、結句はどちらも、上二字と下三字の間での主語の転換のため飛躍があり、「風雪」「月華」が投げ捨てられたように孤立しているわけですが、五言絶句の強みで、語と語の間合いを補って読みますから、よく理解できます。ただ、逆に言えば、理解しやすい分だけ内容が一般的な情緒に流れているとも言えます。
 つまり、作者の個性と言うか、この詩を作るに当たっての感動があまり出ていないため、新鮮さ、面白みが不足している印象です。
 ではどうすればよいか、ということで言えば、句頭の制約、押韻の制約がありますので、表現の自由度を高めるために七言絶句として、それぞれに二字の余裕を持たせると、青山さんの思いを一層描けるのではないでしょうか。

2007. 3. 2                 by 桐山人



 謝斧さんから、「結句の『月華愛夜長』は孤平になっています」とご指摘がありました。五言詩の場合、二字目の孤平は禁忌ですので、そうした意味でも七言詩に直されるのが良いでしょう。





















 2007年の投稿詩 第76作は 柳田 周 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-76

  再会旧友        

四十年無相見君   四十年、君と相見ゆること無かりき

今茲面語不勝欣   今、茲に面語するは欣びに勝へず

各生各業同垂老   各々に生き各々になりわいしてともに老になんなんとす

願得交情倍旧懃   願はくは交情の旧に倍してねんごろならんことを得ん

          (上平声「十二文」の押韻)

<感想>

 四十年ぶりの再会というのは、随分と懐かしかったことでしょう。
 私も四十代の終わり頃から「○○の同窓会」といったものが多く開かれ、中には私自身が発起人で幹事をした会もありました。何なんでしょうね、仕事や家庭のことに追われて来てようやくひとくぎりという気持ちからでしょうか、それともこれから先の人生の長さをようやく自覚し始めたということでしょうか、ともあれ何十年の時間の流れを瞬時に消し去ってしまうような思いを旧友に会う度に味わいました。
 柳田さんのお気持ちはとてもよくわかりますね。

 詩の方は、素直な表現で、お気持ちがそのまま表れていると思います。ただ、起句と承句の両方に否定表現が使われていますので、その点は推敲された方が良いでしょう。

2007. 3. 2                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第77作は 柳田 周 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-77

  異常気象        

払雲風吼立春天   雲を払ひ風は吼ゆ 立春の天

捲土塵軽学囿辺   土を捲き塵は軽し 学囿がくゆうの辺

暖化愈遒狂気象   暖化愈々はやくして気象を狂はしむ

未観雪合異常年   未だ雪を観ざるは合に異常の年なるべし

          (下平声「一先」の押韻)

<感想>

 前半を対句にして立春の景を描かれたと思いますが、この表現ですと「厳しい冬の風雪の情景」を思い浮かべてしまいます。後半に暖冬、温暖化を持ってくるために対比的に描かれたのかと思いますが、「暖化」の語が唐突な印象をどうしても持ちます。
 立春ということでしたら、思い切って暖和な雰囲気を出して、「冬の間もずっとこう(暖か)だった」と持っていったらどうでしょう。
 前半の対句については、「立春」「学囿」は対応が苦しいように思います。

2007. 3. 2                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第78作は 知秀 さんから、沖縄と四国に行かれた折の作品だそうです。
 

作品番号 2007-78

  訪白梅塔        

残碑欲弔望凄涼   残碑弔はんと欲して 凄涼を望む

鬼哭啾啾豈可忘   鬼哭啾々 豈に忘るべけんや

人去星移花不語   人去り 星移り 花は語らず

空壕寂寞暮山蒼   空壕 寂寞 暮山蒼し

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

  意訳
人の知らない 白梅の塔
乙女の悲劇忘れてならじ
年月すぎて花もの言はず
自決の壕に山は暮れ行く

 沖縄は、太平洋戦争の戦跡が多く残っていて、涙が抑えきれないところも多くありました。「白梅の塔」は、那覇市の第二高女の生徒・教職員が自決をしたところに、質素な小さい塔が建てられております。校友さん方のたゆみない奉仕によって、今も辺りはきれいに清掃され、お花もささげられています。

 姫ゆりの塔が、那覇市第一高女や女子師範の生徒・教職員の犠牲となったところで、「お嬢さん」学校の乙女たちの自決したところとして有名です。現在幾分観光化され、立派な塔も建てられ、おみやげ物店などもできているのに対し、白梅の塔はあまり人に知られず、ひっそりしていて、それが余計に涙を誘いました。

<感想>

 「姫ゆりの塔」はよく知られていますが、「白梅の塔」は初めて聞く方もいるでしょう。
 「白梅の塔」についての経緯が刻まれている石碑の本文を紹介しましょう。

 白梅之塔

 沖縄県立第二高等女学校の四年生五十六人で編成された白梅学徒看護隊は、昭和二十年三月六日第二十四師団(山部隊)の衛星看護教育隊に入隊し、補助看護婦としての特別集中教育を受けていた。米軍の艦砲射撃が激しくなった同月二十四日から、東風平町富盛の八重瀬岳にあった同師団の第一野戦病院に軍属として配置され、昼夜別なく傷病兵の看護に専念した。戦況は日毎に悪化し、同年六月四日遂に白梅隊に解散命令が下り、隊員は散り散りになって戦野を彷徨し、一人またひとりと戦火に斃れていった。その場所は殆ど不明である。また、解散後この地に後退した山第一野戦病院に、再び合流した一部の白梅隊員は、同年六月二十一、二十二の両日に亘り、米軍の猛攻撃を受け無念の最期を遂げた。この辺一帯は、白梅隊員の最も多くの犠牲者が出た所である。塔は、戦没した白梅隊員及び沖縄戦で戦死、或いは戦争が原因で亡くなった教職員・同窓生百四十九柱の鎮魂と、世界の恒久平和を祈念して昭和二十二年一月に建立した。毎年六月二十三日の「慰霊の日」に例祭が行われる。

 平成十年六月二十三日
 沖縄県第二高等女学校 白梅同窓会
 転句の句中対で時の流れを語り、悲しみの情を高め、それが強く訴えられるかと思うと、結句で一気に「空壕寂寞」、あるいは「暮山蒼」と現実へと引き戻す。そのために、作者の詠嘆の呻きが一層強く印象づけられていると思います。
 そのあたりの収束の巧みさ、感情の動きへのきめ細かさは知秀さんの持ち味ですね。

2007. 3.12                 by 桐山人



井古綆さんから感想をいただきました。
 知秀さんはじめまして。井古綆です。
 玉作「訪白梅塔」を拝見しました。
 詩情が溢れた詩だと思いました。わたしも24年位前に訪ねたことがあります。

 気がついた点を述べてみますが、これはあくまで私見ですので、お気を悪くなさらないで下さい。このままでも立派な詩であると思います。

 起句の「残碑」の「残」を詩題の意にふさわしい字に変えては如何でしょうか。
 次に転句の「人去星移花不語」の「去」を推敲したほうが良いように思います。
詠史詩は大変難しく、わたしも苦労しています。

 知秀さんの詩想の一助にと、先賢太宰春台の「稲叢懐古」を付記しておきます。

 沙汀南望浩煙波 聞説三軍自此過 潮水帰来人事改 空山迢逓夕陽多

2007. 3.13                 by 井古綆



知秀さんからお返事をいただきました。

つたない詩にお目を留めてくださり、貴重なご助言を賜りましてありがとうございます。
起句「残碑」「孤碑」、転句「人去」「人逝」とすると幾分かでもよくなるかなと考えました。

今後ともどうかよろしくお願い申し上げます。

2007. 3.26                 by 知秀




井古綆さんからお手紙をいただきました。
 知秀さん、今日は。
 拙いわたしの意見をお聞きくださいまして、誠に有難うございました。
 推敲された「孤碑」並びに「人逝」は、はるかに良くなったと思います。
 私もかつては鈴木先生に2005−70の詩の第二句「夭殤」を指摘され「召空王」と推敲しました。厳しいご指摘がなければ、なおざりにします。ゆえに先生には感謝している次第です。
 以下は私の管見ですが今後の詩想の一助にしてください。
 起句、「悲碑憑弔故凄涼 悲碑憑弔すれば故(ことさら)に凄涼としたいと思います。
 この句は承句に用いるのが適切ですが、起句に用いれば読者には強い感動が伝わると思いますが、如何でしょうか。
 憑弔(ひょうちょう)=旧跡などに赴いて古えを思い弔うことで、熟語を多用してくだされば、詩の風格が出てくると思いますので参考にしてください。

2007. 4.25               by 井古綆





















 2007年の投稿詩 第79作も 知秀 さんからの作品です。
こちらの作品は土佐に行かれた時の作です。

作品番号 2007-79

  夜来曲        

土佐高知播磨橋   土佐の高知の播磨や橋で

純信若僧美簪調   純信 若僧 美簪を調ととの

町娘於馬可憐女   町娘於馬は可憐の女

箇裏含羞仄燭挑   箇裏含羞 仄燭をかか

          (下平声「二蕭」の押韻)

<解説>

 土佐の高知は即興作です。夜来曲は「夜さ来い」の歌と言うつもりです。

<感想>

 知秀さんのこの詩を理解するには、「よさこい節」のことを知らないといけないでしょうね。
 江戸時代の初め、山内一豊が高知城を築いた時に、その工事で歌われた「木遣り歌」が変化したもので、「よさこい」については、その掛け声の「ヨイショコイ」から来たとも「夜来い」から来たとも言われているようです。
 現在の「土佐の高知の播磨や橋で坊さんかんざし買うを見た」という有名なフレーズは、安政二年のこと、竹林寺の南坊の僧、「純信」という人が、高知城下の鋳掛け屋の娘である「お馬」を好きになり、かんざしを買ってプレゼントしたのが噂になり、「よさこい節」で歌われたということから伝わっているようです。
 有名になってしまった二人はその後、いたたまれなくなり駆け落ちをしましたが、捕らえられ、追放となってしまったというラブロマンス(?)なのですが、知秀さんの詩に出てきた「純信」「於馬」はこの二人の名前ですね。

 何となく週刊誌的な事件を、若い二人の純愛として描いたところに、知秀さんの工夫、感性が表れていますね。それはお坊さんの「純信」という名前に触発されたのかもしれませんね。

2007. 3.12                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第80作は 酔翁 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-80

  自歎      訳  

幽愁静夜思千般   幽愁、静夜、思いはさまざま。

宿志無成先老残   宿志成る事無く、先に年老いる。

愧悔心情何処訴   愧悔の心情、誰に訴えるのか。

衰顔痩影鏡中看   衰顔、痩影、鏡に映った自分を見る。

          (上平声「十四寒」の押韻)

<解説>

 自歎は「ぼやき」ですか?
漢詩にふさわしくない題材ですが敢えて老人の気持ちを表してみました。

<感想>

 「ぼやき」と言ってよいかどうかは分かりませんが、漢詩には勿論、(老いを)嘆くというテーマの詩は沢山あります。「自遣」と題された詩などは、「うさばらし」というところでしょうか。

 内容としては、全体的に重いのですが、これはやはり、夜に嘆くという所に原因があるでしょうね。夜中に一人で自己の心の中に沈潜して行くと、なかなか引き返すことができなくなり、「嘆き」そのものから、次第に「嘆いている自分に嘆く」という循環に陥ってしまいます。

 そう感じるのは、この詩では、作者が老いを思うきっかけになったことが示されていないからです。
 例えば、春の盛りの光景を見て逆に自分の老いを感じるとか、あるいは花が散るのを見て自分も似たものだと思うとか、そうしたきっかけが示されることで、読者は共感を具体的に感じることができます。
 「老い」ということは、誰もが避けられないものであり、誰もが日常的に持つ嘆きでもあります。だからこそ、詩にする時には具体性が必要なのだと私は思います。「こういうことがあったから、年取ったなぁと強く感じた」ということでないと、まさに「ぼやき」で終わってしまいます。
 この詩では、せめて結句を冒頭に持ってくるような配置が必要ではないでしょうか。

 私個人の好みとしては、晩唐の羅隠が「自遣」で書いたような、「今朝酒有れば 今朝酔ひ  明日愁ひ来たれば 明日愁ふ」みたいなあっけらかんとした嘆きが良いですね。

2007. 3.12                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第81作は 深渓 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-81

  題箱根駅伝        

帝里函山競往還   帝里 函山 往還を競ふ

銃声一発健児寰   銃声 一発 健児の寰

新年二日屠蘇裡   新年 二日 屠蘇の裡

各校栄誉勝敗班   各校の 栄誉 勝敗を班つ

          (上平声「十五刪」の押韻)

<解説>

 〇帝里=天子のいるところ・東京。
 〇函山=箱根。
 〇健児寰=選手の世界、領域。

<感想>

 深渓さんのこの詩には、「年甲斐もなく母校を夢中で応援する老残の人」というコメントが添えられていましたが、これはご自身のことでしょうね。
 いくつになられても「母校」を応援してくださる方がいらっしゃるから、こうした大学駅伝なども歴史を重ねることができているのだと思います。
 私の母校は箱根駅伝に出たことなどない(ひょっとしたら遥か昔に出場経験があるかもしれませんが、もしそうでしたら先輩、すみません)のですが、それなりに毎年ひいきの大学を勝手に見つけては、テレビを点けっぱなしでお屠蘇気分で応援したりしています。
 そういう意味では、正月の年中行事という形で定着していますね。

 以前に鮟鱇さんから「漢歌・看“箱根駅伝”」を投稿いただいてましたね。併せてご覧いただくと、面白いでしょう。

 承句の「銃声」はスタートのピストルでしょうが、やや重い感じがします。何か事件が起きたのか?と一瞬思いました。ここは選手達の姿を描くような形にされた方が良いと思います。

2007. 3.12                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第82作は 柳田 周 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-82

  老父猝茫茫        

孤棲親父猝茫茫   孤棲の親父 猝(にわか)に茫茫たり

九十六翁神幾傷   九十六翁、神、幾ばくか傷つくならん

病褥旬余遅帰舎   病褥旬余 帰舎を遅(ま)つ

小庭唯有蝋梅香   小庭唯だ蝋梅の香有るのみ

          (下平声「七陽」の押韻)

<感想>

 九十六歳のお父さんのお身体の具合が急に悪くなられたのですね。ご心配なことと思います。快復をお祈りしています。

 起句の「親父」は漢文では「シンプ」と読み、「実の父親」という意味ですが、日本語用法としての「オヤジ」というニュアンスも親しみをこめて意識されているかもしれませんね。
 承句の「神幾傷」は「(父親自身が)どれほど心を傷めていることだろうか」と推測していらっしゃるのだと解釈しました。作者の、お父さんへの思いがよく出ている部分だと思います。
 転句の「遅」は、「おそい」という形容詞の時は「上平声四支」の平声ですが、「待つ」のように動詞用法の時は仄声になります。
 ここは仄声で、すぐ後の「帰」が挟み平となっています。
 結句は「唯有」は客観描写で余韻を残したいという意図でしょうが、ややぶっきらぼうな印象がします。「蝋梅」をお父さんが愛されていたというような事情を書かれると、情が細やかになるのではないでしょうか。

2007. 3.12                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第83作は 某生 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-83

  武藏國分寺        

日碎嫩條新痩篁   日は嫩やかなる條に碎けて 痩せたる篁は新たに

徑邊自出藥師堂   徑の邊に自づと藥師の堂を出だす

朝門礎列伽藍具   門に朝ひて礎の列なりたるは伽藍の具はれるにて

雜圃標頽舍利藏   圃に雜はりて標の頽れたるは舍利の藏めらるゝなり

富士雪飛形片片   富士のやまに雪は飛びて形は片々と

多摩水湧色茫茫   多摩のかはの水は湧きて色は茫茫たり

百憂飜去餘空院   百の憂への飜り去りては空ろなる院を餘す

陣陣暮霞傳暗香   陣々たる暮れの霞は暗き香を傳ふ

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

 先日、東京キ國分寺市に、武藏國分寺址を訪ねる機會を得ました。
 天平の昔、武藏野の樹木の外は視界を遮るものとて無かったであろう關東平野に聳え立つ七重塔に、人々は何をおもったのでしょうか。

<感想>

 某生さんは、最初に投稿いただいたのが高校生の時、「舜隱」さんの号でしたが、その後、大学に進まれ、現在は大学院で学ばれていらっしゃいます。時の流れの速さを感じます。
 お手紙には、次年度は修論を書き上げなくてはいけないとありましたが、頑張っておられるようですね。

 早春の光景が描かれていますが、解説に書かれておられるように、古代の国分寺の景観を髣髴とさせるようです。千数百年の時を乗り越えてしまうのは、漢字の持つ表現力とともに、某生さんが読み下しに和語を意識的に使われていることにも拠るのでしょうね。
 漢詩と日本語の長い融合の歴史を窺い知るような思いで読ませていただきました。某生さんの学問への姿勢が感じられ、頼もしい気持ちです。

2007. 3.13                 by 桐山人



謝斧さんから感想をいただきました。

 第三句「朝門礎列伽藍具」では、「朝」は「向かう」の平用でしょうか、古人の用例に見ることもありますが、竒を衒うように思えます。
 ここは「当」の方が妥だと思いますが。

「富士」は詩語としては古人が好く使う「不二」よりも劣ると思います。これは個人の好みでしょうか。

 対句は両聯とも叙景の句になり同律の病にかかっており、内容が平板になっているように感じます。

2007. 3.14                  by 謝斧





















 2007年の投稿詩 第84作は 井古綆 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-84

  次韻 常春雅兄玉作「彩帆覧古」        

流光既変島全容   流光は既に島の全容を変え

史語投身子女重   史は語る 投身の子女重なると

一将無功枯万骨   一将功無く万骨を枯らし

干戈凄絶刻悲胸   干戈は凄絶 悲胸に刻す

          (上平声「二冬」の押韻)

<解説>

 サイパン島の激戦は詩意に尽くせませんでした。 

<感想>

 常春さんの2007年投稿詩の第63作「彩帆覧古」に対して次韻(同じ韻字を同じ場所に用いて作詩すること)されたものですね。

 常春さんの詩と読み比べていただくと、作者によっての視点の違いがよく見えるかもしれません。

 転句は晩唐の曹松の有名な「己亥歳」の結句、「一将功成りて万骨枯る」を用い、「功成」を「無功」と替えることで強烈な批判を出しています。
 常春さんの起句の「将軍 辱を避け 従容と死す」という表現が、次の「遺卆棄民」と重ねた時に、やはり厳しい批判を籠めたものであるということ、井古綆さんの次韻によって、それが明確になって来ると思います。

 サイパン島の悲劇も、あるいは知秀さんの「訪白梅塔」での沖縄の悲劇も、筆に尽くせないものがおありでしょうが、一人では語り切れないものも二人ならば補い得ることを示していただけたように思います。

2007. 3.13                 by 桐山人



常春さんからお手紙をいただきました。

 井古綆さん 次韻詩有難うございました。

 サイパン島の戦いについては、筆舌に尽くせないものがあります。まさに 一将無能で万骨枯れたと、複雑な感慨をもっています。
 5年ほど前、サイパン島に遊びましたが、このとき、戦跡めぐりをしました。
 まず完成半ばの弾薬庫、これが左官職人の実に丁寧なコンクリート仕事なのです。必勝を信じて内地から動員された左官の精魂込めた仕事ぶりを髣髴させるコンクリートの地肌でした。
 そして、砲兵隊玉砕地、直前に満州で編成されてきた此の部隊は、隊長が郷里に兵員名簿を残していったことによって玉砕全員の名前を彫った碑が焼け焦げた砲の傍に並んでいました。老兵たちはよい指揮官の下で玉砕したとせめてもの慰めでしたが、立派な軍人もいたのだなと感じたのはこの一地点だけでした。多くの兵士、民間人を残して、自分の自殺をもって、玉砕と発信させた司令官には、もってのほかなんと恥知らずと、いたたまれない気持ち一杯となりました。
 「彩帆覧古」のほかにも、いくつかサイパンについて詩を作りましたし、これからも作りたいと思っています。

2007. 3.24                  by 常春




















 2007年の投稿詩 第85作は 観水 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-85

  得兒有感     児を得て感有り   

呱呱斷續報新生   呱呱 断続 新生を報じ

喜見男兒面貌明   喜び見る 男児の 面貌の明らかなるを

夫婦自今爲父母   夫婦 今より 父母と為る

何忘此日此時情   何ぞ忘れん 此の日 此の時の情

          (下平声「八庚」の押韻)

<解説>

 甚だ個人的な話で恐縮ですが、ちょうど一月前、長男が誕生いたしました。
 母子共々実家から戻ってくるのは明日なので、本格的に父として接するのもこれからです。

 児童虐待(というか、虐待以前の問題も……)の報道もしばしばの昨今ですが、初めて我が子の顔を見たときの感動、忘れられるものなのでしょうか。
 まだ一か月の我が長男は、まだまだ大人しいものですが、でも、やがて動き回るようになったら、大変になるのだろうなあ――。

 夫子曰く「三十にして立つ」
そういえば、今年は私も数えで三十です。
 世間から見れば若い世代ではありますが、もう若さには甘えられない年頃というか。
子供のことを考えても、一人の社会人としての責任も重大ですね。

 赤ん坊に呟いてみてもしかたのないことですが、これも親孝行と思って――。

<感想>

 先の某生さんと同じ様な感慨を書いてしまいますが、観水さんも初めて投稿をいただいた2000年には、丁度大学を卒業されて社会人になったという時でしたね。その後にご結婚の詩もいただき、今回はご長男のご誕生とのこと。
 観水さんの人生の折々の場面に立ち会うことができたような気持ちで、本当に嬉しく思います。おめでとうございます。

 詩につきましては、何も言うことはありませんね。
 中島みゆきの『誕生』という歌が私は好きなのですが、その一節を書かせていただきましょう。

   Remenber 生まれた時 だれもが言われた筈
   耳をすまして 思い出して
   最初に聞いた Welcome

    (これくらいなら著作権に引っかからないでしょうか)
 この「Welcome」という気持ちをいつまでも持っていれば、子育ても楽しいものになりますよ。

 喜びのお裾分けをいただきました。ありがとうございます。

2007. 3.13                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第86作は 観水 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-86

  戲示兒     戯れに児に示す   

平生碌碌不成功   平生 碌碌として 功を成さず

三十春秋一夢中   三十春秋 一夢の中

襁褓兒兮聞我語   襁褓の児 我が語を聞け

青春忽見白秋風   青春 忽ち見る 白秋の風

          (上平声「一東」の押韻)

<感想>

 こちらの詩と併せて、お子さんが将来大きくなった時に、父親の言葉として胸に刻むものとなるでしょうね。
「うちのオヤジは三十歳の時に、こんな気持ちだったんだなぁ」とか、「こんな気持ちで父親になったんだなぁ」と知ることは、大切な人生の経験だと思いますよ。
 感想としては、起句がやや謙遜しすぎかな、一生懸命に人生を生きているぞという感じの方が良いかもしれません。(これは私の庭訓の反省として・・・・かな?)

2007. 3.13                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第87作は 芳原 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-87

  春日懐処世        

滴水潺潺春望幽   滴水潺潺 春望幽かなり

午眠侵覚樹陰脩   午眠ようやく覚むれば樹陰脩し

倦来窮老轗軻日   窮老倦み来る轗軻の日々

行己如何七十秋   行己如何ぞ七十秋

          (下平声「十一尤」の押韻)

<感想>

 承句「侵」は、「ようやく」「しだいに」という意味で用いられます。
 結句の「行己」は『論語』からの言葉です。「子路篇」に出てきます。弟子の子貢が孔子に「士とはどのような人か」と尋ねた時に、「行己有恥(己を行ふに恥有り)」と答えました。意味は「自分自身の行動に恥を知っている」ということです。
 その前の転句に書かれた「轗軻日」「志を得ずに不遇な日々」ということですので、つづけて解釈すれば、結句の意味としては、「不遇ではあったが人として恥じないように生きてきた。それが何とまあ、七十年を超えてしまったことだなぁ」となりますね。


2007. 3.18                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第88作は 井古綆 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-88

  「祝男児誕生」 次韻観水雅兄玉作        

赤縄堅結秀蘭生   赤縄堅く結んで秀蘭生まれ

忖度嬰孩似您明   忖度す嬰孩の您に似て明らかなるを

殺伐当今否悲観   殺伐たる当今悲観する否れ

慈親切切範真情   慈親切々真情を範す

          (下平声「八庚」の押韻)

<解説>

 観水さん、男児ご誕生まことにおめでとうございます。
馬齢を重ねていますが、このホームページの後輩の井古綆です。

 玉作を拝見して、観水さんの最初の詩を再読して、このホームページでの詩歴を拝見いたしました。この鈴木先生のホームページに於いて、観水さんと学べることを大変嬉しく思います。

 玉作を拝見して、わたしも四十年前の、父としての気持ちが彷彿とよみがえりました。解説で観水さんがお書きになったように、子供が生まれた時のこの気持ちがあれば、現在の子ども達をめぐる忌まわしい事件も無いのに、と、いつも心を痛めております。

 観水さんご一家の慶びのお福わけを頂きまして、次韻一首を作りましたので、ご笑読下さい。

<感想>

 観水さんの「得兒有感」を読まれての、お祝いの次韻ですね。
 起句の「赤縄」は唐の韋固の故事です。男女が冥界の赤い縄で足を結び合うと、必ず結ばれるということだそうです。

 承句の「您」は、現代中国語で用いられる字ですが、二人称で丁寧に相手を呼ぶ時に用います。「君」や「卿」でなく「您」を用いたことで、口語的なニュアンスが加わり、詩全体に親近感を持たせる効果が出ていると思います。
 後半は、私たち世代の未来への期待を籠めた言葉ですね。

2007. 3.18                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第89作は 芳原 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-89

  春来     春来たる   

春声来足下   春声 足下に来たる

遅日動空林   遅日 空林動く

独酌酣觴意   独り酌む 酣觴の意

問花棲隠心   花には問ふ 棲隠の心

          (下平声「十二侵」の押韻)

<解説>

 鈴木先生、いつもありがとうございます。
暖冬とは言えこの時期、日に日に春色濃やかになります。
春来たるを実感しています。

 風が温かくなったと思うと何時の間にか足下が青くなっている。
残雪の白い山々にも春の日が差して鳥が飛び交い木々が芽生えます。
有り余る時間を持て余し、かと言って何をするにも物憂い春の昼下がり
つい一杯を飲み干しまた一杯、何時しか遠い日々の事、誰彼の消息などそこはかとない感傷と老愁が心を占めるのです。
 老いて第一線を退いた今、春は生命の躍動する明るさ、一方では去り逝く者が輪廻の無常を花に問い掛けたくなる哀感の時期でもあるのです。



<感想>

 起句の「春はまず足下に訪れる」という表現はよく分かりますが、もう少し言葉が欲しいですね。解説にお書きになったような、「青々とした若草」などの具体的なものがあると、作者のイメージがよく伝わるでしょう。

 承句は「空林動く」ということですので、「冬の間は動くものなど無かった林にも、春になって生命の気配が漂い始めた」との趣でしょう。「遅日」は「春のおだやかな日」です。

 転句から作者の心情に入っていきますが、結句で「花」が出てくると、前半と季節が合わせにくいでしょう。この二文字は検討されると良いと思います。

2007. 3.19                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第90作は 井古綆 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-90

  時事偶感        

文明發達伴洪災、   文明の発達は洪災を伴い

異象西東悲報堆。   異象は西東悲報堆し

久詖旱天糧食缺、   久しく旱天にかたより 糧食欠け

時齎豪雨住居頽。   時に豪雨を齎して 住居頽れる

氣籠陽熱氷山解、   気は陽熱を籠めて 氷山解け

潮盈地球狂浪來。   潮は地球に盈ちて 狂浪来る

徒以偸安無曠日、   徒に偸安を以って曠日する無かれ

焦眉急待濟時才。   焦眉の急は待つ済時の才

          (上平声「十灰」の押韻)

<解説>

 テレビを見ていました。地球温暖化に関する番組で、アメリカの元副大統領 ゴアさんが世界的に警鐘を鳴らしているとの、放送でした。

 [語釈]
「気」=二酸化炭素
「偸安」=一時しのぎ
「曠日」=むなしく日をおくること
「済時才」=世の困難を救う才能。実際は我々個々人かも知れない。

<感想>

 学校では新年度が始まり、多忙な毎日を送っていました。井古綆さんのこの投稿も以前にいただいたものでしたが、掲載が遅くなってしまいました。
 改めて読み返していますと、日常的な仕事のことばかりに目を向けていたここ一ヶ月ほどの自分の生活が浮かんできて、「うーん、まさに『曠日』のままだなぁ」と反省しきりです。
 この冬の異常な暖かさ、日本のあちこちでの地震、未来への目線を築き上げるきっかけとなるものは沢山あり、それは個々人のレベルでも国や世界全体のレベルでも同じで、「地球温暖化」への危機感を持っていない人はいないでしょう。しかし、政治の世界に居る人は切実感が薄いようですし、その危機感すら勢力争いの道具として使われています。
 未来への不安が様々な場面で膨らんでいく、現代の日本はそんな状況が進んでいるように気がしますね。

2007. 4. 16                 by 桐山人