2007年の新年漢詩 第31作は 鮟鱇 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-31

  迎年所感 七律 其三 獨木橋體(交流詩)        

散士偸生又送年,   散士 生を偸んでまた年を送らんとし,

歳除獨飲若常年。   歳除に独り飲むこと 常年のごとし。

風流有罪誑愚叟,   風流に罪ありて愚叟をたぶらかし,

韵事無功入晩年。   韵事に功なく晩年に入る。

凡鳥吟詩生鳳字,   凡鳥 詩を吟ずれば鳳字を生じ,

大人加筆到天年。   大人 筆を加えらば天年に到る。

迎新醉夢醒清曉,   迎新の醉夢 清曉に醒むらば,

白首荒唐更一年。   白首の荒唐 更に一年。

          (下平声「一先」の押韻)






















 2007年の新年漢詩 第32作は 鮟鱇 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-32

  迎年所感 七律轆轤体 五首(交流詩)        

半生殘夢醒樽前,   半生の残夢 樽前に醒め,

椒酒堪斟香氣先。   椒酒 斟むに堪えて香気 先んず。

歳晩祭詩懷舊事,   歳晩 詩を祭って旧事を懐かしみ,

正朝傾盞賀新年。   正朝 盞を傾けて新年を賀す。

山妻陪宴醉含笑,   山妻 宴に陪し酔って笑みを含み,

野叟搖唇吟聳肩。   野叟 唇を揺らし吟じて肩を聳やかす。

風韻擬唐成好句,   風韻 唐に擬して好句を成し,

本無声病有詩仙。   本より声病なくして詩仙あり。

             ○

日入東窗照枕邊,   日は東窓に入りて枕辺を照らし,

半生殘夢醒樽前。   半生の残夢 樽前に醒む。

荊妻陪我傾椒酒,   荊妻 我に陪して椒酒を傾け,

靈液洗塵如玉泉。   霊液 塵を洗って玉泉のごとし。

馬齒徒増身尚健,   馬歯 徒らに増して身 なお健に,

牛毛未減思空連。   牛毛 未だ減らずして思い 空しく連ぬ。

新正依舊揮詩筆,   新正 旧に依りて詩筆を揮えば,

鳳字重成陳套篇。   鳳字 重ねて成す 陳套の篇。

             ○

歳除依舊坐爐邊,   歳除 旧に依りて炉辺に坐し,

人嘆祭詩同去年。   人 嘆きて詩を祭ること 去年に同じ。

一片佳吟無記録,   一片の佳吟 記録に無く,

半生殘夢醒樽前。   半生の残夢 樽前に醒む。

良妻慰我勸椒酒,   良妻 我を慰めて椒酒を勧めらば,

麗藻成章涌玉泉。   麗藻 章を成して玉泉に涌く。

得意昂然揮短筆,   意を得て昂然と短筆を揮えば,

迎新吟句若通仙。   迎新の吟句 仙に通じるがごとし。

             ○

人賣藏書得酒錢,   人 蔵書を売って酒銭を得,

遊魂買醉送流年。   魂を遊ばし 酔いを買って流年を送る。

頻揮北斗斟星漢,   頻に北斗を揮って星漢を斟み,

暫入南柯絶世縁。   暫く南柯に入りて世縁を絶つ。

一夜吟行過花底,   一夜の吟行 花底に過ごし,

半生殘夢醒樽前。   半生の残夢 樽前に醒む。

歳朝重飲屠蘇效,   歳朝 重ねて飲めば屠蘇に效あり,

詩筆忽成珠玉篇。   詩筆 忽ち成す 珠玉の篇。

             ○

歳除醉死下黄泉,   歳除 酔って死んで黄泉に下り,

笑對閻王結酒縁。   笑って閻王に対し酒縁を結ぶ。

萬壽法官通義理,   万寿の法官 義理に通じ,

千鍾靈液作詩仙。   千鍾の霊液 詩仙を作す。

白頭妄語成佳句,   白頭の妄語は佳句と成り,

朱臉花言構對聯。   朱臉の花言は対聯を構う。

日上迎新被追放,   日が上り新を迎えれば追放され,

半生殘夢醒樽前。   半生の残夢 樽前に醒む。

          (下平声「一先」の押韻)






















 2007年の新年漢詩 第33作は 禿羊 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-33

  迎年所感(交流詩)        

六十有五又新年   六十有五 又新年

衰骨凡愚貪醉眠   衰骨 凡愚 酔眠を貪る

植柳無看聳幹世   柳を植うるも 看ること無し 聳幹の世

愛桜當寂滿花邊   桜を愛して 当に寂す 花の満てる辺

不須長壽養生術   須いず 長寿 養生の術

時喜貧家飽喫筵   時に喜ぶ 貧家 飽喫の筵

人事正知臻死道   人事 正に知る 死に臻る道と

棄捐醜惡一隨天   醜悪を棄捐して 一に天に随わん

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

植柳:柳宗元「植柳戯題」
愛桜:日本僧 西行故事























 2007年の新年漢詩 第34作は 常春 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-34

  迎年所感 憶伊拉克(交流詩)        

硝塵未息両河邊   硝塵未だ息まず両河の辺

錯綜怨讐爭覇権   錯綜する怨讐覇権を争う

此地文明発祥處   此の地文明発祥の處

勧君融合太平年   君に勧む融合太平の年をと

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

両河辺=両河流域=美索不達米亜(メソポタミヤ)
覇権は日本発の漢語ですが、市民権を得たのでは。























 2007年の新年漢詩 第35作は 菊太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-35

  迎年所感(交流詩)        

旭日曈曈歳旦天   旭日 曈曈(とうとう) 歳旦の天

俗塵自脱已三年   俗塵 脱してより 已に三年

浮生霜鬢身康健   浮生の霜鬢 身康健なり

獨壽屠蘇志益堅   独り寿す 屠蘇 志ますます堅なり

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

定年になって早三年、お陰様で身体は至って健康、かねてよりやりたいと思っていたことへの挑戦心だけは旺盛なり






















 2007年の新年漢詩 第36作は 佐竹丹鳳 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-36

  迎年所感(交流詩)        

誰奏琴箏冷冷弦   誰が奏でる 琴箏冷冷たる弦

玻窓添線曉光鮮   玻窓線を添えて 曉光鮮やかなり

悲歡交到新春信   悲歡交ごも到る 新春の信

贏得衰残風雅縁   贏し得たり衰残 風雅の縁

          (下平声「一先」の押韻)






















 2007年の新年漢詩 第37作は 桐山人 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-37

  迎年所感(交流詩)        

飢鳥哀鳴痩樹邊   飢鳥 哀鳴す 痩樹の辺

荒村十里朔風旋   荒村 十里 朔風旋る

今朝孤杖踏霜徑   今朝 孤杖 霜径を踏めば

一萼紅葩又一年   一萼の紅葩 又一年

          (下平声「一先」の押韻)






















 2007年の新年漢詩 第38作は 子沖 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-38

  新春偶感        

霊峰積雪早梅妍   霊峰に積雪 早梅は妍(美しい)

野鳥渣渣沿澗辺   野鳥はチチと谷水に沿って鳴き

万戸新春天地好   万戸の新春天地は好ましい

人生漠々忽登仙   人生漠々とし忽ち仙境に登る

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

新春
自然の山と野鳥の状況
万戸新春を祝い
作者の気持ちは正に仙境に登る






















 2007年の新年漢詩 第39作は 杜正 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-39

  丁亥勅題「月」        

四海新正欲暁時   四海(しかい:天下のこと)の新正 けんと欲す時

流年残月別離期   流年の残月 別離の期

晨鶏忽発声声切   晨鶏しんけい たちまおこり 声声切なり

旭日曈曈到処宜   旭日 曈曈とうとう到処いたるところ よろ

          (上平声「四支」の押韻)

  初日の出から厳かに変化していく元旦の朝の情景を吟じた。






















 2007年の新年漢詩 第40作は 謙岳 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-40

  元旦有作        

鶏鳴送舊曙光開   鶏鳴 旧を送りて 曙光開く

玉暦一新春又回   玉暦 一新して 春又回る

馥郁盆梅香和酒   馥郁たる盆梅 香酒に和し

康寧先喜共傾杯   康寧を先ず喜び 共に杯を傾ける

          (上平声「十灰」の押韻)























 2007年の新年漢詩 第41作は東京都の 超子 さん、二十代の方からの作品です。
 

作品番号 2007-41

  冬去春来        

年年歳歳時輪転   年年歳歳 時輪転し

歳歳年年我此存   歳歳年年 我此く存り

丙戌若波瀾萬丈   丙戌 波瀾萬丈の若し

新春来到想桃源   新春来到し 桃源を想ふ

          (上平声「十三元」の押韻)


劉庭芝「代悲白頭翁」の「年年歳歳」の対句をアレンジして新年漢詩とした。
生命の循環を体感する新春、時もまた輪転し、その宇宙にある自分をしみじみと実感する。
昨年は時流の大いにうねる一年であったが、遙かなる桃花源に思いを馳せ、今年は願わくば争いのない年にしたい。





















 2007年の新年漢詩 第42作は gao さんからの作品です。
 

作品番号 2007-42

  新年口号        

今朝瑞雪払塵縁   今朝の瑞雪 塵縁を払う

銀色皚皚士嶽巓   銀色皚皚 士嶽の巓

忽聴琴声家室裏   忽ち聴く 琴声 家室の裏

稱觴献壽賀新年   觴を稱げ壽を献じて 新年を賀す

          (下平声「一先」の押韻)






















 2007年の新年漢詩 第43作は 知秀 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-43

  訪出水鶴     出水の鶴を訪ぬ   

青雲路遠成群来   青雲路遠く群れを成して来たる

鶴唳悠聞安在哉   鶴唳悠(はる)かに聞くいずこに在りや

忽見翔穹佳配偶   忽ち見る翔穹の佳配偶

和鳴賓客勝遊陪   和して鳴く賓客の勝遊に陪す

          (上平声「十灰」の押韻)


  雄高くクルカーと呼べば雌低くクルーと応ふ鶴の夫婦は



  知秀さんのお手紙に添えてあったお写真です。





















 2007年の新年漢詩 第44作は 童心 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-44

  祝初春船出     初春の船出を祝ふ   

雲間隠顕暁光新   雲間に見え隠れする暁光新しく、

淑気充森産土神   淑気森に充つ産土神社

庭下蝋梅花蕾耀   庭下の蝋梅花蕾耀き、

錦帆航海発初春   錦帆の航海初春に発つ

          (上平声「十一真」の押韻)


毎年妻と公園の展望台に初日を見に行きます。
今年も雲の間から金色の初日が垣間見られ、多幸を祈りました。その後近くの神社に行き、初詣をしました。
一方蝋梅の花は既に咲き出だし花も蕾も耀いて、日本と言う錦帆の船が、正に初春に船出するように感じました。





















 2007年の新年漢詩 第45作は 貞華 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-45

  春日郊行        

霜華溶解四郊晴   霜華 溶解して 四郊晴れ

随意尋春不問程   随意 春を尋ねて程を問はず

早已梅枝花数点   早已に梅枝に花数点

牧歌一曲曳筇軽   牧歌一曲 曳く筇軽し

          (下平声「八庚」の押韻)






















 2007年の投稿詩 第46作は 禿羊 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-46

  歳除偶懐        

児輩離家幾歳踰   児輩 家を離れて 幾歳か踰(すぎ)し

北風鳴樹度城隅   北風 樹に鳴りて 城隅を度る

荒園半畝狭群戯   荒園 半畝 群戯に狭かりしも

陋屋三間剰耦倶   陋屋 三間 耦倶に剰れり

閉眼垂髫如在膝   眼を閉づれば 垂髫すいちょうの膝に在るが如く

回頭霜髪独勤厨   頭を回らせば 霜髪の独り厨に勤しむ

守夜沈沈互相酌   守夜 沈沈 互に相酌む

請君辞世勿遺吾   君に請ふ 世を辞するに 吾を遺す勿れと

          (上平声「七虞」の押韻)

<感想>

 平成十九年度の一般投稿詩をスタートします。皆さん、本年もよろしくお願いします。

 最初は禿羊さんの詩を拝見しましょう。

 子ども達が独立して家を離れて、二人暮らしで大晦日を迎えたという状況ですね。頷聯、頸聯の対句では、上句で子ども達が居た頃を思い出し、下句で現在の姿を見つめるという構成を取っていますが、中心は回顧ではなく現実にあり、その寂寥感を第二句の「北風鳴樹渡城隅」が象徴的に表しているでしょう。
 「垂髫」は「髪を垂らした」ということから、「子ども」を意味します。

 最後の「請君辞世勿遺吾」は、こんな風に言うと禿羊さんに「言い過ぎだよ」と怒られるかもしれませんが、私はこれは「最上」の「愛の言葉」だと思っています。相手の全人格を愛し、その命までも愛おしみ、これからの人生で何よりも大切な人だと思うからこその言葉でしょう。
 ただ、実際に口に出して言うのは、普段は照れくさいもの。大晦日に二人で盃を酌み交わし、一年を振り返る時ならでは、そういう意味でこの詩はまさに「歳除」を十分に表したものと言えるでしょう。

2007. 1. 7                 by 桐山人


井古綆さんから感想をいただきました。

禿羊さん、初めまして。
新年から心を打つ詩を拝見いたしました。大変感動いたしました。
下四句に溢れる、父、更に夫としての気持ちがこの玉篇をなさしめたのでしょう。
一読後、鈴木先生の感想を見て、更に感動いたしました。

わが身を省みれば、妻に対しては、ただ毒舌のみで汗顔のいたりです。
今後は禿羊さんに見習わねばと、つくづく感じた次第です。

年初に当たり心の洗われる詩を拝見させて頂き、誠にありがとうございました。

2006. 1. 8                by 井古綆

歩遅子さんから感想をいただきました。

いやぁ〜〜、泣けました!!
桐山堂先生の仰せのように、振り返れば、そこには糟糠の妻!
願わくば、自分を置いていってくれるな!と。
あ〜〜、しんから泣けました。

2007. 1.10                by 歩遅子


謝斧さんから感想をいただきました。

詩意は申し分ありません。
最初の対句はもう少し平淡な叙景だけの句のほうが好いかと感じましたが、
禿羊先生の作品らしい佳作だと思います。

六字目の孤平は気をつけましょう。
対句の調和が崩れます。

   荒園半畝狭群戯 ○○●●●○●
   陋屋三間剰耦倶 ●●○○●●◎

もしも「狭群戯」●○●を生かすならば、「剰耦倶」●●◎の「剰」を平用の字にしなければ調和が保てません。
たとえば、
   荒園半畝狭群戯 ○○●●●○●
   陋屋三間空耦倶 ●●○○○●◎

のように

2007. 1.10                by 謝斧






















 2007年の投稿詩 第47作は金沢市の 邱山 さん、六十代の男性の方からの作品です。
 

作品番号 2007-47

  述懐        

志尚無人識   志尚、人の識る無く、

多年抱隠憂   多年、隠憂を抱く。

功名唯一夢   功名は唯一夢、

詩酒更何尤   詩酒、更に何をか尤めん。

          (下平声「十一尤」の押韻)

<解説>

 十年位前に、通信教育で2年間漢詩創作の勉強をしました。その後、ほとんど作詩せず、毎年年賀状でのみ一作紹介しております。
 貴ホームページを知り、二年前から、作詩の際に平仄の確認をさせて頂いております。お世話になり、ありがとうございます。

 平成十八年のNHK大河ドラマは「功名が辻」でした。その「功名」を入れて、定年を控えた、現在の気持ちを詠ったものです。

<感想>

 新年早々に新しい仲間を迎えることができ、嬉しく思っています。今後ともよろしくお願いします。

 五言絶句は起承転結の構成と結句にどれだけ余韻を持たせられるかが難しいのですが、「功名」の言葉を転句に置き、結句の「詩酒」と対比させたことが効果的で、余韻を残していると思います。

 転句末の「唯一夢」は、「唯だ一夢」と訓じて、「ほんの一時見た夢だった」と解します。「唯一の夢」と読んでは次の結句につながりません。

 「夢」の漢詩での用法については、以前「桐山堂」で「夢は希望?」と題して、数回話題になりました。「理想」「あこがれ」の意味で用いるのは和習だと言われますが、現代の私たちはどう考えていけばいいのか、ということでのご意見でした。
 皆さんの参考になると思いますので、またご紹介しました。

2007. 1. 7                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第48作は 緑風 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-48

  南宮大社        

古今三野一之祠   古今美濃一の宮(ほこら)

椿白仙容映緑芝   椿白くして 仙容 緑芝に映ず

鎮主是金山彦命   鎮主は これ 金山彦命

鉱山開運遍神慈   鉱山の開運 神慈に遍し

          (上平声「四支」の押韻)

<解説>

南宮大社は毎年大勢の初詣客で賑わっています。
私も近くに住んでいますので、お参りを兼ねてこの周辺を散歩しています。
山に囲まれた静かなところで私の憩いの場所です。
この場所を題材にした漢詩も作っていますが、神社の漢詩は初めてです。よろしくご指導ください。



<感想>

 起句の読みと「三野」の意味が分かりませんでしたので、緑風さんにお尋ねしました。ご回答いただいたので、そのまま載せさせていただきます。

 本当は『美濃』としたかったのですが、平仄がうまく行きませんので、当て字になりましたが、『三野』としました。
 また、南宮大社は大垣市の西方『不破郡垂井町』にあります。

 社伝によると、 「神武天皇即位後、この地に祀り、八咫烏(やたがらす)を配祀して、東山道を鎮めた」といわれています。
 その後、崇神天皇が一時南宮山上へ遷座されたが、再び現在地に移されています。
関が原の合戦で徳川家康が勝利を祈願したことから、『戦』の神様としても有名です。
 朱の社殿は寛永19年徳川家光の再建です。

美濃の国の一宮として岐阜県はもとより愛知県の参拝客も多いそうです。

 「美濃」を「三野」とするのは、音だけの「当て字」ということでしたら、苦しいでしょうね。故事としての根拠なり、地元での呼称ということでしたら良いのですが・・・・。四国に三野町もあるようですので、「濃尾」では領域が異なるからいけないでしょうか。

 起句の大きさに対して、承句の実景は小さすぎると思います。大社の姿が起句で描かれた上で、更に詳しく述べるならば「椿」の白さも生きるのですが、「古来、美濃で一番の宮」と言った後に来るには、もう少し段階を経ないとズームがきつすぎるでしょう。せめて、「緑芝」を先に置くべきでしょう。
 実景ではあっても、それを詩に用いるかどうか、選択に大きな比重がかかりますね。

2007. 1. 7                 by 桐山人



緑風さんからお手紙をいただきました。
ご多忙のところ詳しくご指導いただき有難うございました。
ご教示に基きまして、次のように直したいと思いますのでよろしくお願いします。

  1. 三野について・・・「濃尾」としました。
    『飛』の方が美濃、飛騨地区が岐阜県ですから解り易いのですが、『平仄』があいません。
    『古今濃尾一之祠』としました。

  2. 承句は大社の建物を入れ、豪華さをイメージしました。
    『豪壮楼門映玉姿』
         豪壮な楼門  玉姿を映(うつ)す

  以上のように修正してはと推敲しました。

2007. 1. 7                 by 緑風





















 2007年の投稿詩 第49作は 真瑞庵 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-49

  題人日欲雪     人日雪ナラント欲スルニ題ス   

東圃西田雪暗昏   東圃西田 雪 暗昏

茅檐客絶自関門   茅檐 客絶エ 自カラ門ヲ関ズ

窓前閑見天花舞   窓前 閑カニ見ル 天花ノ舞フヲ

炉下烹茶暖老魂   炉下 茶ヲ烹テ 老魂ヲ暖ム

          (上平声「十三元」の押韻)

<解説>

 正月も七日となると嫁いだ娘や孫達も夫々の家庭に帰り、我が家も普段の静けさに戻り、ほっと一息つきます。
 おりしも此処愛知県尾張地方は朝から雪。その雪を眺めながら一抹の寂しさを感じます。

<感想>

 当日掲載は滅多にできないことですので、今日は頑張ってみました。

 私は勤務のため朝から家を出ましたが、天気予報通り、暴風の中で雪が激しく降ってきました。元旦からずっと穏やかな天候が続き、気温も高かったから積もることはありませんでした。しかし、隣の静岡県では「暴風警報」が出ていたらしく、職場では今日の授業ができるかしらと心配していました(学校は暴風警報が出ると授業がお休みになります)。
 北海道・東北・北陸などではまだまだこれから大雪になるとのことですので、お気をつけください。

 転句の「閑」の字については、言わずもがなの気がします。この「閑」の意味合いは承句で十分に尽くされているように思えるからです。
 また、「天花」は既に起句で「雪」が出ていますので、「天花舞」とここで改めて述べる意図を示すということで考えても、「閑」は働きが弱いように思います。

2007. 1. 7                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第50作は 井古綆 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-50

  憲法        

金衣玉服贈従親   金衣 玉服 親より贈られ

禦暑防寒六十春   禦暑 防寒 六十春

肯綮弥縫児既長   肯綮弥縫するも児は既に長じ

深迷改裁也因循   深く迷ふ 改裁か因循か

          (上平声「十一真」の押韻)

<解説>

「金衣玉服」=金玉(珍重賞美すべきもの)と衣服の互文
「親」=アメリカ占領軍ととるか、我々の先人ととるか
「禦暑」=暑さをふせぐ(ギョショ)
「肯綮」=かんじんな処
「弥縫」=おぎないあわせること
「改裁」=改めて縫う
「因循」=そのままにする


<感想>

 井古綆さんのお手紙には、

「今テレビを見ていますが、憲法の論議をしています。
 常春さんの新年の詩にもあり、私も他のHPに投稿しました。旧作です。
 常春さんは私の年齢が同じようで、解説文にお書きの通りです。
 憲法であり賛否両論ありますので、あえて中立的に賦しました。
と添えられておられました。

 タブーとするのか、議論の俎上に乗せるのか、また議論をするにしても、改憲のためにするのか、守るためにするのか、ひとりひとり、年齢、また人生の経験によってお考えが異なります。
 井古綆さんは「金玉の衣服」に例えて、この問題を考えることの難しさを描かれました。結句の「深迷」のストレートな表現がお気持ちをよく表していると思います。

2007. 1.14                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第51作は 酔翁 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-51

  冬        

昨晩眠難就   昨晩眠りに就き難し

今朝睡醒遅   今朝目覚めが遅し

霏霏深夜雪   霏々深夜の雪

凛凛暁風吹   凛々暁風が吹く

臘月寒林寂   臘月の寒林寂しく

隆冬草木衰   真冬の草木衰える

閑庭無寸碧   閑庭に一寸の緑もなく

隔壁老松枝   隣に老松の枝あり

          (上平声「四支」の押韻)

<解説>

 冬の厳しい,寂しい景色と気持ちを表現してみました.

<感想>

 暖冬となっているこの冬ですが、大寒に向かうこの時期になると、やはり寒さが厳しくなったと感じます。現代の私たちは新暦で暮らしていますが、旧暦での晩冬のこの季節、寒さが身に沁みますね。

 酔翁さんの今回の詩は五言律詩、一句ごとに積み上げていくような構成で、最後に松の緑を置いた点が工夫されたところでしょう。
 対句の関係では、頷聯の「深夜雪」「暁風吹」の対応はどうでしょうか。「雪」「吹」については、「雪」を「ゆきふる」と動詞として読むのでしょうが、「深夜」「暁風」の対はまだ工夫できそうですね。
 最後の三句の展開についても、「草木衰」→「無寸碧」→「老松枝」と続きますので、結句での発展を考慮されたのでしょうが、それならば頸聯下句の「草木衰」は避けた方が良いでしょうね。

2007. 1.14                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第52作は 童心 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-52

  知床半島        

半島連山風露滋   半島の連山 風露滋く、

懸崖瀑布巨岩奇   懸崖の瀑布 巨岩奇なり

群雄鮭鱒還原水   群雄の鮭鱒 原水に還り、

孤往大熊咆沼池   孤往の大熊 沼池に咆える

星夜北狐彰廃牧   星夜のキタキツネ 廃牧に彰れ、

碧天雄鹿隠青茨   碧天の雄鹿 青茨に隠る

飛来尾白堪冬月   飛来する尾白(鷲) 冬月に堪え、

秘境最涯春気遅   秘境は最涯てにして 春気遅し

          (上平声「四支」の押韻)

<解説>

 昨年妻と北海道の知床ツアーに参加し、原生林を歩いて北海道の魅力に惹かれました。
 律詩は今回で2回目の挑戦ですが、絶句に較べて大変な労力を使います。
適切な御教示をお願いします。

<感想>

 対になる言葉を考える際には、平仄の対応と意味の対応を図るわけですが、その時に二字の熟語の構成を見ることが役に立ちます。
 熟語の構成としては、一般的には@主語+述語、A述語+目的語(補語)、B修飾語と被修飾語、C同種あるいは反対のものを並列、などがあります。対の位置に置かれる場合には、構成が等しいことがまず第一です。また、述語であっても、動詞であるか形容詞であるか、そうした品詞の同一性にも配慮するとよいですね。

 今回の詩で気になる対応を示しますと、「雄」「往」(名詞と動詞)、「鮭鱒」「大熊」(修飾関係と並列)、「原水」「沼池」(並列と修飾関係)などでしょうか。

 その他の点では、頷聯頸聯で生き物を描きましたが、その延長という感じで第七句まで生き物が出てきますと、尾聯の収束感が弱く、だらだらと続く感じがしますね。
 あと、第三句と第六句に「雄」が重複しています。「同字重出」ですので、注意をしましょう。

2007. 1.14                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第53作は gao さんからの作品です。
 

作品番号 2007-53

  五合庵        

虚室蕭然無一物   虚室蕭然として 一物無し

禅僧打座但擔擔   禅僧打座して 但だ擔擔

雪埋簷宇寒威重   雪は簷宇を埋めて 寒威重し

国上山中五合庵   国上山中五合庵

          (下平声「十三覃」の押韻)

<感想>

 「五合庵」は新潟県の国上山(くがみやま)山中、十八世紀に、ここにある国上寺(こくじょうじ)の再建に尽力した万元(ばんげん)和尚に対して、住職から感謝の意をこめて毎日五合の粗米を供したことから名づけられたそうです。良寛和尚が諸国遍歴の後に故郷に帰り、十二年間過ごした庵ですね。
 転句まで、質素に生きた良寛の姿を描いて十分な内容になっていると思います。結句の「国上山中五合庵」は語調も良く魅力的ですが、結論としては固有名詞を並べたわけですので、やや物足りなさが残ります。
 「五合庵」は題名にも使われていますので、この下三字を余韻の残すような形で五合庵なり山の中の様子を描いた方がいいかもしれません。

2007. 1.14                 by 桐山人


謝斧さんから感想をいただきました。
句脚に押韻することは、ある程度詩を作ればむずかしいことではありません。
古人の詩に起句の踏み落としがあるのは、どうしても、措辞がかえられないからです。

古人の詩話によりますと、起句の踏み落としは声律の拘束を破ってまで内容を重んじる為だということです。

2007. 1.21              by 謝斧






















 2007年の投稿詩 第54作は 芳原 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-54

  除日        

除日不知車馬停   除日車馬の停まるを知らず

庖厨爨婦鬧東西   庖厨の爨婦さんぷ 東西にさわがし

年年相似巷間暮   年年相似たり巷間の暮

觴盡弄髭如老凄   觴尽きて髭を弄す 老いの凄きをいかんせん

          (下平声「九青」・上平声「八斉」の押韻)

<感想>

 承句「爨婦」「炊事をする女性」という意味ですが、ここでは奥さまのことですね。
 年末に奥さまが慌ただしく働いている横で、「年末の風景は毎年変わらないなぁ」とコタツでのんびり酒を飲むご主人、いやいや、優しい奥さまですね。

 転句での「巷間暮」によって、作者の視点が家の内だけでなく、町中、もっと広く世間一般にまで向けられます。それは、この詩がホームドラマの一場面ではなく、普遍的な悲哀を描いたものへと発展させる意図がこめられているのでしょう。
 ただ、私の場合などでは、目の前の仕事に追い回されている妻からは、客観性が入り込んだことで逆に「他人事のように、何を呑気なことを言ってるの」と叱られる可能性も高いですね。それを避けるならば、「巷間暮」「歳除暮」として、起句の「除日」を見直すことでしょうが、それでも嵐を避けられるかどうかは自信がありませんが・・・・

2007. 1.14                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第55作は 叶公好 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-55

  星        

煌煌燦燦小明星   煌煌燦燦たり、小明星

宇宙無窮只獨驚   宇宙の無窮、只獨り驚く

風熄遥昂荒土上   風熄んで遥か昂ぐ、荒土の上

億千珠玉満天清   億千の珠玉、満天清し

          (下平声「九青」・下平声「八庚」の通韻)

<解説>

 Original by Jane Taylor, "The Star"

Twinkle, twinkle, little star,
How I wonder what you are!
Up above the world so high,
Like a diamond in the sky.

 土壇場まで五言絶句だったのですが、お経のように音読して ♪ドドソソララソ で歌えるように上二字ずつ足して七言絶句平起式にしました。その分冗長になったかもしれません。
 英詩とはいえ、誰でも知っている作品だけに夏目漱石あたりの明治人が2番や3番も含めてとっくの昔に翻訳済みかもしれません。
 漱石ならこんなの2カ月半どころか一瞬で作れそうですね。

「九青&八庚」は現代中国語を参考にしましたが、よく考えれば wonder = 驚く なんだから、最初から八庚で行けばよかったです。
 なお、季節柄、承句の「無窮」と転句の出だしは「冬の星座」がヒントになっています。

<感想>

 叶公好さんからは、推敲段階から詩を見せていただきましたが、直訳体から少しずつ作者自身の言葉が生まれてきて、楽しく拝見していました。
 誰もが知っている歌ですが、原詩の音節数が丁度七言絶句に合うようです。そのまま音読みでメロディをつけても唱うことができますね。
 前回の中日ドラゴンズ優勝記念の連作もそうでしたが、楽しんで漢詩を作っていらっしゃる姿がよく浮かびます。柔軟な発想がうらやましいですね。

2007. 1.23                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第56作は 井古綆 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-56

  北国冬夜        

荒天倏忽六花舞   荒天倏忽しゅくこつ 六花舞ひ

巻地須臾万籟鳴   巻地 須臾に 万籟鳴る

猟猟朔風茅屋冷   猟猟たる朔風 茅屋冷ややかに

皚皚積雪紙窓明   皚皚たる積雪 紙窓明し

千山既隠棲鴉影   千山既に隠す 棲鴉の影

半夜時聴折竹声   半夜時に聴く 折竹の声

醒睡煎茶扶一刻   睡を醒ます煎茶は一刻を扶け

澄心尚友到三更   澄心尚友三更に到る

          (下平声「八庚」の押韻)

<感想>

 語句の意味を補足しておきましょう。
 第一句「倏忽」「時間が非常に短いさま」を表します。「六花」はその結晶の形から「雪」を表します。他にも「六出」「天花」「氷花」、また色を出して「素花」「銀花」なども用いられます。
 第三句の「猟猟」「強い風が吹く音」、次の「皚皚」「白い」ことを表します。
 第六句の「折竹」「雪が積もって竹がしなう(折る)」ということ。
 第八句の「尚友」「昔の賢人を友とする」ということで「孟子」からの言葉です。

 冒頭から、視覚・聴覚を繰り返し用い、「茅屋冷」の肌の感覚、「醒睡煎茶」の味覚まで、五感をフル動員した構成は、読み終えて思わずホッとため息が出るような思いです。
 結びの「尚友」の言葉も「澄心」と対応が良く、冬の夜のしみじみとした趣がよく表れている詩ですね。

2007. 1.30                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第57作は 童心 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-57

  漓江遊覧        

七月桂林霖雨温   七月の桂林 霖雨温かく、

漓江遊覧濁流奔   漓江遊覧 濁流奔る。

岩峰幽洞遒船客   岩峰幽洞船客にせまり、

崖上梵鐘広僻村   崖上の梵鐘僻村に広がる。

          (上平声「十三元」の押韻)

<解説>

 昨年の7月に仲間と中国の桂林に旅行し、漓江下りを楽しみました。
 雨後の濁流を煙雨に煙る山々を見ながら船で下り、墨絵のような別世界に浸りました。

<感想>

 漓江での旅につきましては、以前に禿羊さんからいただいた「下漓江」の感想でも申し上げましたが、先人が幾度となく詩にした場所であるからこそ、その地で詩を作る楽しみがあるわけです。
 目新しい発見を無理に求める必要もなく、先人と詩心の交歓をするつもりで楽しむことが大切ですね。

 結句の「崖上」は転句の「岩峰幽洞」と焦点が同じですので、「どこからともなく」という感じでぼかすか、音の形容にした方が良いでしょうね。

2007. 1.30                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第58作は Y.T さんからの作品です。
 

作品番号 2007-58

  元日尋旧友     元日 旧友を尋ぬ   

遠路尋朋意未窮   遠路 朋を尋ねて 意 未だ窮まらず

重杯斗酒酔顔紅   杯を重ねて 斗酒 酔顔 紅なり

歳朝莫語労生事   歳朝 語る莫れ 生を労するの事

明日又来明日風   明日は 又 明日の風 来る

          (上平声「一東」の押韻)

<解説>

 正月、久し振りに旧友と会い、歓談しました。
それでこんな詩を書いてみました。

<感想>

 淡々と語られた中に、結句の味わいが生きていますね。「明日は明日の風が吹く」の台詞は、『風と共に去りぬ』のラストの言葉、「Tomorrow is another day」の邦訳で知られていますね。映画を思い出した時に、この詩と内容で即するかどうかはわかりませんが、すでに原作を離れて、ふと口から出て来るような言葉になっていますね。

 転句の「歳朝」の役割について、考えていました。
 その後の「労生」「苦労が多い人生」という意味ですが、ここで「歳朝」が用いられているからには、転句の解釈は正月くらいは、日頃のしんどいことは忘れよう」というお気持ちでしょう。
 しかし、「今日は元日で特別な時だ」と言ってしまうと、結句の「明日又来明日風」へのつながりが弱くなるように思います。つまり、結句が「明日からは、また辛い日が始まるなあ」と重く感じてしまうのではないでしょうか。それでは、せっかくの結句の軽快感が消えます。
 私の気持ちでは、同じ限定でも「今朝」の方が、あるいは「老来」のような感じで期間の幅を広げるような形にするのが合うように思いますが、どうでしょうか。

2007. 1.30                 by 桐山人



Y.Tさんからお返事をいただきました。
 転句の意味は御指摘の通りです。言外に先生の仰る様な意味が出てくる事は、全く気が付きませんでした。
 それで「今朝」に変えたいと思います。只、朝酒は豪快過ぎるので、おとなしく夕べにします。

  「今宵莫語労生事」  今宵は 語る莫れ 生を労するの事

2006. 2. 4              by Y.T


Y.Tさんから改めてお手紙をいただきました。
 先生のアイデアをお借りして“今宵”にしましたが、頭が総て平声になってしまいました。それに何となく転句と結句な繋がりも悪いようです。
 それで、承句と転句を、次の様に改めてみましたが如何でしょうか?

  遠路尋朋意未窮 遠路 朋を尋ねて 意 未だ窮まらず
  重杯及晩酔顔紅 杯を重ねて 晩(くれ)に及び 酔顔 紅
  酒中莫語翌朝事  酒中 語る莫れ 翌朝の事
  明日又来明日風  明日 又 明日の風 来る

2007. 2.22                 by Y.T

 推敲作、拝見しました。
 まず、全て平頭になったとのことですが、起句の「遠」は仄声ですので、そちらを気にすることはないのではないでしょうか。
 転句と結句につきましては、つながりが気になるということでしたら、作者の納得の行くようにされるのが良いと思います。
 ただ、感想としましては、承句でもお酒のことが出てますので、転句でまた「酒中」と書くのはどうかと思います。また、「労生事」と「翌朝事」を比べると、結句の「明日」との対応のこともありますし、内容的に「未来のこと」に限定してしまうのはせっかくの広がり、詩としてのスケールの大きさを失うような気がしますが、どうでしょうか。

2007. 3.12                 by 桐山人





















 2007年の投稿詩 第59作は 井古綆 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-59

  追悼安藤百福翁        

夙憐貧者貫金言   夙に貧者を憐れみ 金言を貫き

常使些銭購麺飧   常に些銭を使て 麺%#39143;めんそんを購はせしむ

僅待三分愛妻味   僅か三分を待てば愛妻の味

長伝万国福翁恩   長く万国に伝ふ 福翁の恩

          (上平声「十三元」の押韻)

<解説>

「金言」=貧しい人に安価な食べ物をという翁の博愛の言

昨夜テレビでニューヨークタイムズ紙で、安藤百福翁を絶賛したとの報を聞いて、一日本人の気持ちを表す。

<感想>

 「すぐおいしい すごくおいしい」がチキンラーメンのコマーシャルでしたね。「三分間待つのだぞ」も同じかと思っていましたが、あれはボンカレーでしたか。あまり商品名は出さない方がいいかもしれませんが、記憶にこびりついているフレーズってありますね。

 転句の読み下し、「僅か三分を待てばのところは、「待ば」と「待ば」で、古文を勉強する時にいつも悩むところですね。
 文法的には、「待たば」は動詞の活用では未然形になり、仮定条件になりますので、「もし待つならば」と訳します。「待てば」ですと已然形、確定条件となり、「@待つので(原因・理由)、A待っていたら(偶然)、B待つといつでも(恒時)」と訳します。
 Aの「偶然」が分かりにくいのですが、有名な「柿食へば鍾が鳴るなり法隆寺」とか「あなたを待てば雨が降る 濡れて来ぬかと気に掛かる」などがこの用法ですね。
 井古綆さんのこの詩は、Bの「恒時」でしょう。「三分間待っていれば、必ず愛妻が心をこめて作ってくれた味が楽しめる」というところでしょう。

 インスタントラーメンは、私たちの思い出と密接に関わる、文化と呼んでも間違いのないものですね。

2007. 1.30                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第60作は 常春 さんからの作品です。
 井古綆さんの「憲法」の詩に次韻されたものです。
ということで、今回は、感想を井古綆さんにお願いしました。

作品番号 2007-60

  憶明治憲法        

不磨大典背天親   不磨の大典 天親に背き

早逝無迎六十春   早逝迎ふる無し 六十の春

今日平心避先轍   今日 心を平らに先轍を避くるに

惟爲耳順自循循   惟だ耳に順ひて為せば自ずから循循

          (上平声「十一真」の押韻)

<解説>

 「不磨大典」=明治憲法の美称。

 井古綆さんの『憲法』詩、逡巡するお気持ちよく現れていました。お気持ち痛いほどわかります。
明治憲法は磨くべからずとして、現実から乖離していきましたが、今は、現実から眼を背けることで、乖離してしまったのかな、と。現憲法のままで他国を制裁するなんてとてもとても。
敢えて次韻しました。

<感想>

 常春さん、早速の次韻の玉作有難うございます。
 玉作を拝見し、「韜光養晦」(能ある鷹は爪を隠す)を感じられました。私も見習わなければと思った次第です。

 拙詩『憲法』では、鈴木先生の感想のように、国民の考えは千差万別ですので、あえてあのように賦しました。しかし、本音を問われれば、多分年齢が近い、常春さんのこの詩に全く同感いたします。
 特に転句の「先轍」は常春さんの全霊を籠めた佳句ではないかと思います。警句にないかも知れませんが「後波は前波を越える」であろうと思いました。
 次韻、まことに有難うございました。

2007. 2. 1                 by 井古綆