2003年の投稿漢詩 第76作は 観水 さんからの作品です。
 

作品番号 2003-76

  過関原      関が原を過ぐ  

躍馬揮刀亦執槍   馬を躍らせ 刀を揮いて 亦た槍を執る

東西将士対興亡   東西の将士 興亡に対す

只今唯有伊吹雪   只今 唯だ伊吹の雪のみ有りて

跡絶関原古戦場   跡は絶ゆ 関が原の古戦場

          (下平声「七陽」の押韻)

> <解説>

 今年1月、新幹線で降雪の関が原付近を通過した折、「只今唯有伊吹雪」の一句が思いついたもので、そのまま一首にまとめてみたものです。

 先人には「只今唯有西江月」(李白『蘇台覧古』、衛万『呉宮怨』)「只今唯有東山月」(大槻磐渓『平泉懐古』)といった句がありますが、それらが昔も今も変わらない月に比して人の世の儚さを詠じたものであるのに対し、こちらは単に「雪で隠れてしまって跡も何も見えない」程度の意です。

 ところで、話は逸れますが、はたして古人は、沈んでは昇る、あるいは欠けては満ちる月のそれぞれが「同一」の天体であることを認識していたうえで、月を不変の象徴としていたのでしょうか?
 それとも、「年年歳歳花相似」のように、繰り返し定期的に現われる「同様」のものとして、不変の象徴としていたのでしょうか?
 ふと疑問が湧きました。
 もし後者であれば「雪」も不変の象徴として用い得るでしょうか。

<感想>

 私は名古屋に近い愛知県に住んでいますが、いつも冬になると「名神高速道路の関ヶ原と栗東の間が雪で通行規制」なんて交通情報を聞きます。
 それだけ関ヶ原は降雪量が多いのでしょうね。(ということで、私は冬になると名神高速道路を通ってのドライブ旅行はできないのです)
 勿論、関ヶ原はそんな雪のことで日本中に知られているのではなく、お書きになったように日本史上の「天下分け目の決戦」の地としての方が有名なのですが。

 さて、詩の方はまず転句の「只今唯有伊吹雪」が浮かんだとのことですが、絶句の作り方としては模範のような展開ですね。
 まず転句、そして結句、その後に起句と承句を作り上げなさい、というのは漢詩教室などでは第一に教えられることですね。その方が確かに全体の構成がドラマチックになり、起承転結も生きてくるように私も思っています。

 この詩は、前半で約四百年前の戦の場面を描き、一転して現在の雪の関ヶ原、そして結句で「関ヶ原古戦場の跡は何も見えない」と全体を収束させるという形で非常に分かりやすくなっていると思います。
 ただ、結句の「絶跡」は、もう既に転句で十分に言い尽くしているわけですから、ここでまた同じ事を言うのは「屋上屋を架す」という感じがします。
 ありきたりかもしれませんが、何か情景を表す形容語「寂寞」とかが落ち着くのではないでしょうか。

 後半に書かれた「古人は月を同一の天体と見ていたのだろうか」という面白い問題提起ですが、どうでしょうね。
 月の盈虚を基本に暦を作っていた古代人は、月について周期的な運行を読み取っていたわけですから、同じ天体ととらえていたのだと思えますね。ただ、その規則性ゆえに永遠性を読み取ることは十分あり得るでしょうから、観水さんのお考えのようで問題ないのではないでしょうか。
 雪を「不変」の象徴として用いることは、季節の繰り返しということで言えば可能でしょうし、「昨年も雪だった、今年も雪だ」という形ならば違和感もないと思います。
 しかし、雪の場合には他の要素、例えば「はかなさ」とか「道の難儀さ」「全てを埋め尽くす虚無性」などが属性として使われるようには思いますので、そこに季節の繰り返しを強調すれば、独創性が出てくるでしょう。
 この詩の場合には、雪にそこまで求めるのは苦しいとは思いますが・・・・

2003. 4.14                 by junji





















 2003年の投稿漢詩 第77作は 観水 さんからの作品です。
 

作品番号 2003-77

  夜景        

東京幾万幾千楼   東京 幾万幾千の楼

炯炯光芒夜夜浮   炯炯たる光芒 夜夜浮ぶ

応是星楡蒙盗掠   応に是れ 星楡の盗掠せらるなるべし

天辺朗月使人愁   天辺 朗月のみありて 人をして愁えしむ

          (下平声「十一尤」の押韻)

<解説>

 以前に投稿させていただいた『東京夜景』(作品番号2000-154)を改めたものです。

 “現代人が夜空から星を奪ってしまったという発想は問題はないと思いますが、月まで盗んだと言われると、「???」となります。月はさすがに明るくて、現代でもまだ見ることはできます”というご指摘から、その変わらずに輝き続ける月こそを愁いを引き出すものとして、結句を改めました。

 ちなみに、初作の瑕疵について言い訳申し上げますと、「偸星月」は、もともと「盗星月」のつもりだったのが、どこかで「偸」「盗」の平仄を取り違えていたものです。
 また、当初の結句「青天寂漠銀漢幽」について、“おっしゃるような都会の燭光によって暗くなっている夜空を「青天」と呼ぶのは、私には違和感があります”ということでしたが、この「青天」の語は李商隠『常娥』の結句「碧海青天夜夜心」から寒々として寂しい空のイメージとして用いたものです。

<感想>

 77作目の「過関原」と比較して読ませていただくと、こちらは起句と承句に作者の工夫がいろいろ見られるだけに、転句結句が説明的で、物足りない印象ですね。
 その分、起句と承句が印象的な好句だということなのですけどね。
 そういう点で、内容的には前半と後半が逆の方が全体のまとまりが良いように思いました。

 初作の折の「青天」については、李商隠『常娥』から持ってこられたのですね。李白『把酒対月』の冒頭も「青天」の月でしたか。漢詩の世界の方が「青」のイメージする幅が広いのでしょうかね。
 現代の日本語での感覚とは異なる部分でしょうね。失礼しました。

2003. 4.14                 by junji





















 2003年の投稿漢詩 第78作は 鮟鱇 さんからの作品です。
 

作品番号 2003-78

  老賞池梅        

梅花不是去年花,   梅花は去年の花にあらずして,

人老迎春身更斜。   人 老いて春を迎えれば 身はさらに斜めなり。

笑遶鏡池游目處,   笑って鏡池を遶(めぐ)り 目を遊ばすところ,

横枝鶯語碧天佳。   横枝 鶯語 碧天 佳なり。

          (普通話韻「一麻」の押韻)

<解説>

 押韻について:普通話韻「一麻」で書いています。
「花」「斜」は百六韻では「下六麻」、結句の「佳」「上九佳」韻です。「佳」の日本語での音読では「カ」が常用されていますが、漢音では「カイ」、おそらく唐の時代も「カイ」に近い音だったと思います。
 しかし、少々くだって宋代の「詞韻」における「佳」は、百六韻「上九佳」の半分と「上十灰」の半分で構成する「第五部」韻および百六韻「上九佳」の半分と「下六麻」で構成されている「第十部」韻の双方に通用できる語とされています。
 そして、元曲に用いる「中原音韻」に至ってはっきりと「十三家麻(上九佳の一部および下六麻)」韻となり、「六皆来」韻とは通用できないものとなっています。

 百六韻と現代韻の矛盾は時おり話題になりますが、小生は、唐代の百六韻で書かれたものを現代韻で読んでも矛盾するところはあまりないと考えています。ただ、「上九佳」「上十灰」「上十三元」などの一部と入声の全部については注意が必要であり、現代中国語でも通用する詩を百六韻で書こうと思うなら、漢和辞典のピンインにも考慮した方がよいと思います。

 拙作、「佳」「嘉」あるいは「加」でもよいのかも知れません。そうすれば、あえて普通話韻の詩であるという必要はなく、百六韻で書いた詩になります。
 ただ、小生には、百六韻と現代韻の間に矛盾があれば、現代韻で書くことを原則としたいと思っていますので、字義のうえで「嘉」「加」よりも直截・平明で誤解されることのない「佳」を選びました。

 [語釈]
 「鏡池」:鏡のように静かな池。

<感想>

 鮟鱇さんが「年年歳歳花相似  歳歳年年人不同」(劉庭芝『代悲白頭翁』)の句をここで思い描かれたのかどうかは分かりませんが、私はこの句を横に置きながら鮟鱇さんの詩を楽しませていただきました。

 劉庭芝の句の印象も強いのですが、一般には花は毎年同じように咲き、人は移り変わるものとされますね。(劉庭芝の詩では「花」は「桃李」ですけれど)
 その一般論を鮟鱇さんは起句から一気にひっくり返して、「梅花不是去年花」として、まさに「歳歳年年花不同」とまずどきりとさせてくれますね。
 「花が去年の花とは違う・・・・とはどういう事なのか。花は毎年再生するというのか、それとも花も人と同じように無常の存在だと言うのか」
 そうした疑問を抱いたまま次の句へと進むと、承句では人が老いを重ねていくことを描いていますので、ここで先ほどの疑問を読者はそれぞれの眼で一旦解決することができます。

 転句に行くと、また、初めの一字、「笑」で立ち止まります。
 と言うのは、先ほどの承句での人(私)は老いを重ねたということから予想されるのは、「哀しい」とか「寂しい」という感情の方が強いからです。
 ところが、鮟鱇さんは「笑」うわけですので、承句と転句の間には当然ギャップがあるわけです。そのギャップを理解するためには「笑」の根拠が欲しいのですが、それは結句での種明かしとなるのでしょうね。「横枝鶯語碧天佳」、なるほど、これで「笑」えるでしょう。

 毎年春が来れば、その分自らの老いを自覚する。それは事実であり、「笑」ったところで若返るわけでもない。
 でも、目の前にはこんなに晴れやかな景物が横たわっているわけだから、「老い」に対してそんなに深刻になったり嘆いたりしないで、「笑」って今日を過ごそうじゃないか。
 と、こんな風に私は読ませていただきましたが、いかがでしょうか。

2003. 4.14                 by junji



鮟鱇さんからお手紙をいただきました。

 鮟鱇です。
 拙作「老賞池梅」に丁寧な感想を書いていただきました。ありがとう ございました。二、三補足させていただきます。

1.劉庭芝「年年歳歳花相似 歳歳年年人不同」との関係について

 起句「梅花不是去年花」は偶然脳裏に浮かんだもので、句を思いついた当初は劉庭芝の作に思いは到っておりません。単に今年も梅の花が咲いたというくらいのことで、それを「不是」を使って否定形で表現することが面白い、くらいのことでした。
 しかし、「不是」のはたらきは不思議なもので、それでは「是」は何か、ということになります。
 「是」「今年花」であるわけですが、去年も今年も同じように咲く花を、「去年花」「今年花」とあえていうことになります。そこに人間の主観あるいは情が存在する。
 そんなことに思いが到りました。そして、この時点で、これは劉庭芝だと思い、承句を書きました。

 したがって、拙作の起句・承句はご指摘のとおり、私なりに、劉庭芝を踏まえています。

2.転句の「笑」について

「先ほどの承句での人(私)は老いを重ねたということから予想されるのは、「哀しい」とか「寂しい」という感情の方が強いからです。

 このように桐山人先生は書かれたわけですが、確かにおっしゃるとおりかも知れません。
 老いには、涙を流すたぐいのものではないけれど深い哀しみがあります。

 しかし、同時に、まあいいじゃないか、という淡情もあるのではないでしょうか。ここでの「笑」は、作者の意図としては、身がさらに斜めになっても、まあいいじゃないかと笑ってみる、そんな気持ちを表現したつもりです。

「笑」ったところで若返るわけでもない。
 しかし、笑えば若返るかも知れない、そう思うあたりに、老いを自覚した者の自嘲的な笑いがあるように思います。

 桐山人先生に、意図したところをおおむね読みとっていただき、大変感謝しています。
 そのうえで、詩を読んでいただくうえではほとんど意味のない微妙な差異であるのかもしれませんが、わたしなりのいいわけをさせていただきました。
 いずれにしろ、飛躍・曲折に淫する癖のある拙作をわかりやすく読み取っていただいたことに心から感謝しております。
 ありがとうございました。

2003. 4.15                     by 鮟鱇





















 2003年の投稿漢詩 第79作は 一陽 さんからの作品です。
 

作品番号 2003-79

  春昼下     春の昼下り   

梅樹蒐青実耀迎   梅樹は青実を蒐めて耀きを迎え

萌黄楓葉側風鳴   萌黄なる楓葉は側で風を鳴らす

二連椿猶残紅抱   二連の椿は猶残る紅を抱きて

足下石楠花咲瞠   足下の石楠花の咲くのを瞠る

          (下平声「八庚」の押韻)

<解説>

 数年前の庭での光景を思い出して(植物を擬人体に捕らえて)作詩しました。

 春の昼過ぎ、明るい日差し、風のそよぎ、まわりの色んな花 〜 今の時期しか見せられない美しさEtcを詩の中に入れて飾ってみようと思いました。
 今でも私の脳裏に刻み込まれております。

<感想>

 鮮やかな色彩が眼に浮かぶようで、季節の移ろいが楽しみなお庭のようですね。
我が家は、その時その時で雑多な花や木を植えたため、どうにも統一性のない庭になってしまいました。

 詩の中に素材として置かれた「青い梅の実」「萌黄の楓葉」「紅い椿」「(紅い)石楠花」が各句に配当されて、何となくホームビデオを拝見しているような気持ちになりますね。風景をうまくまとめられたと思います。

 詩としては、第1句目の起句から七言のリズムである「四字(二字二字)・三字」が崩れていますので、全体も読みにくくなっています。
 また、漢文での語順の原則である 「目的語は述語の後に置く」 も破れていますので、このままでは、「梅樹 青を蒐めて 実に耀は迎え」と読むことになるのでしょうが、ちんぷんかんぷんの句になってしまいますね。
 結句もその意味ではリズムが崩れているのですが、こちらは「石楠花」がひとまとまりの言葉だということはすぐに分かりますので、許されます。

 同じように、語順では承句の「風鳴」、転句の「残紅抱」、結句の「石楠花咲瞠」も目的語の位置が逆ですね。
 書き下しのようにしたければ、それぞれ「鳴風」「抱残紅」「瞠石楠花咲」としなくてはいけません。
 意図的な倒置法(倒装法)ならばまだ許されますが、単なる不注意の場合には、読者が混乱する結果になりますので気を付けましょう。

 最後に用語についてですが、梅の実ならば「梅子」とした方が良いでしょう。また、承句の「萌黄」は日本語(「和臭」)でしょう。結句の「咲」は、漢文では「笑う」という意味にしか使いません。「発」「開」のような言葉にしましょう。
 日本語用法かどうかを確認するには、漢和辞典で調べるのが一番です。日頃から手元に置き、機会がある度に辞書を開くようにすると、思わぬ発見がありますよ。

2003. 4.24                 by junji





















 2003年の投稿漢詩 第80作は東京都の 慈雨 さん、二十代の男性からの初めての投稿作品です。
 

作品番号 2003-80

  於河北     河北にて   

弦歌呑酒共   弦歌ト共二酒ヲ呑ム

鬱勃擁嘆涙   鬱勃タル嘆涙ヲ擁キ

終生唯蕩児   終生唯蕩児

天為事問自   天二為スベキ事ヲ自問ス

<解説>

 初めてです。宜しくお願いします。

<感想>

 初めての漢詩創作ということで、押韻や平仄という漢詩の規則、あるいは漢文法の点では破れている処が多いのですが、主題のスケールが大きく、唐以前の古詩のような風格もありますね。
 内容を大切にして、外形を整えるようにしていきましょうか。

 起句については、「共」の字が邪魔です。わざわざ言わなくても、酒を飲んでいる場面で「弦歌」とだけ書けば分かります。また、「呑」もここでは不要です。
 承句では、「鬱勃たる嘆涙」と修飾関係にするならば、語順も「擁鬱勃嘆涙」のように続けるべきでしょう。「鬱勃として擁す」という構造にした方が良いと思います。
 個人的には「涙を擁く」というのは、感覚的には分からないでもないですが、実際に何を言おうとしているのか不明です。「涙をこらえる」くらいの意味でしょうか。
 転句は問題なく、逆にこの句によって詩が落ち着きを持つことができているでしょう。印象的な好句です。
 結句は「天に自問す」という点ですでに矛盾を持っています。そうではなくて、「天に対して何をすべきか」という意味であるならば、「天」というものの捉え方が気になります。
 「天命」という言葉があるように、人が自分の人生で果たすべき使命、それを与えるのが「天」というわけですからね。
 ここでは、「自」を取り除くことでひとまず解決しましょう。

 以上の点から、この詩の要点を拾い上げると、
起句:「弦歌」「酒」
承句:「鬱勃」「嘆涙」
転句:「終生唯蕩児」
結句:「天命」
 この辺りの言葉を鍵にして、もう一度、各句を練り直してみましょう。
その際に、できれば二句目と四句目の末字は同じ韻になるようにすると、それだけでも漢詩に近づきます。漢詩ではどんな形式であれ、押韻は絶対に必要です。
 逆に言えば、押韻だけでも整えば漢詩になる、とも言えるわけですから、形式への第一歩だと思ってください。

 初めに書きましたように、まるで『三国志』の英雄、曹操が詠ったような趣を内容的には持っています。詩で大切なのは、何よりも詠うべき内容、形式が先にあって詩ができるわけではありません。
 慈雨さんの詩心に共感する人は多いのではないでしょうか。そういう意味でも、是非、推敲されて「漢詩」に仕上げていただきたいものと思います。
 ご質問などがありましたら、どんどんお寄せ下さい。

2003. 4.24                 by junji





















 2003年の投稿漢詩 第81作は 鮟鱇 さんからの詞の作品です。
 

作品番号 2003-81

  賀新郎・探花長嘯        

春賞芳梅早,春に賞(め)ず 芳梅の早くして,
映鏡池、横斜倒影,鏡池に映じ、横斜して倒影し,
艷姿清耀。艷姿の清らかに耀くを。
又喜柔風吹習習,また 柔らかき風の吹いて習習たるを喜び,
桃李花間含笑。桃李の花間に笑みを含む。
在日本、櫻雲最好。日本にあっては、櫻雲 もっとも好し。
飛雪霏霏如蝶舞,飛雪 霏霏として蝶の舞うがごとく,
適搖脣、試鼓詩腸老,唇を揺らし、試みに詩腸の老いたるを鼓し,
消鬱悶,排煩惱。鬱悶を消し,煩惱を排するに適す。
    
    
放歌酬和鶯声巧,放歌して鶯声の巧みなるに酬和し,
探烟霞、佯仙覓句,烟霞を探(さぐ)り、仙と佯(いつわ)る覓句,
擬唐高踏。唐に擬して高踏たり。
天用吾才誇華誕,天はわが才の華誕を誇るを用い,
花弄風流麗藻。花に風流なる麗藻を弄ぶ。
殘喘健、舒情無飽,残喘 健にして、情を舒して飽きるなく,
曳杖尋幽貪絶勝,杖を曳いて尋幽し絶勝を貪り,
半游魂、形魄耽長嘯,なかば魂を遊ばせ、形魄 耽って長嘯すれば,
山欲暮、月臨照。山は暮れんと欲し、月 臨照す。


<解説>

  宋詞です。「賀新郎」は詞牌(詩型)の名。
 拙作は、詞韻第八部仄声(百六韻上声十七篠十八巧十九皓、去声十八嘯十九効二十号通用:現代韻-iao,-ao)で押韻しています。
 「賀新郎」の詞譜は次のとおりです。(新編実用規範・詞譜 [女兆]普編校)
 なお★は、仄声の押韻を示します。また、押韻箇所を「。」とするか「,]とするかは、中国で出版されている詞の実例を見れば、詩の場合ほどには厳しく考えなくてもよいように思えます。

  ▲●○○★。●△○、△○▲●,▲○○★。▲●△○○▲●,▲●△○▲★。▲▲▲、△○△★。▲●△○○●●,●△○、▲●○○★。△●●、△○★。
  △○▲●○○★。●△△、△○▲●,●○△★。▲●△○○▲●,▲●△○●★。△▲●、○○△★。▲●△○○▲●,●△○、▲●○○★。△●●、●○★。


 [語釈]
 「殘喘」:残りの息。余命のすくないこと。自分の年齢の謙称。
 「華誕」:うわべは立派だが内容がない
 「麗藻」:美しい詩文
 「形魄」:からだ


<感想>

 「横斜倒影」の早梅、「花間含笑」の桃李、そして「櫻雲」と、まさに鮟鱇さんの「探花」の足取りを追うような句で、前半は楽しく読みました。
 末句の「消鬱悶,排煩惱。」は、「詩を詠んでいると、鬱悶煩惱も消えて行く」と解釈したのですが、櫻雲が消し去る」とした方が良いでしょうかね。

 後半も余韻の残る展開で、ワクワクしました。
「擬唐高踏」は、私はやや煩わしいように感じましたが、鮟鱇さんは何か思いが込められたのでしょうか。
 「華誕」「誕生日」だとばかり思っていて、初めは句の意味がなかなか理解できませんでした。勉強しました。

2003. 4.30                 by junji





















 2003年の投稿漢詩 第82作は 禿羊 さんからの作品です。
 

作品番号 2003-82

  宿大峰山中狼平      大峰山中狼平に宿る  

雪原皎皎布銀疑   雪原皎皎として 銀を布するかと疑い

万物無声星宿移   万物声無く 星宿移る

凍光如射断魂魄   凍光射るが如く 魂魄を断つ

寒月一鉤昇嶺時   寒月 一鉤 嶺に昇る時

          (上平声「四支」の押韻)

<解説>

 毎回、寒々しい詩で恐縮です。
 近畿最高峰の八経ヶ岳の直下、標高1,600米程の所に「狼平」という一寸平らになった場所があります。ここに綺麗な避難小屋があり、2月上旬一泊しました。
 そこで深夜起き出したときの情景です。

<感想>

 「狼平」という名前にまず圧倒されますね。ふと狼の遠吠えが聞こえてくるような・・・・
 冬山の雪景色を私は直接体験したことはないのですが、起句承句は空気の張りつめたような寒さをよく伝えてくれています。
 特に「布銀疑」は金属的な冷たさが浮き出て、比喩として効果的だと思います。語順としては「疑布銀」となる方が良いのですが、押韻の関係ということで許容される範囲でしょう。

 気になる点としては、起句の「皎皎」ですが、この字は本来は「月が真っ白に輝いている」ことを形容する言葉です。したがって、起句の「雪原皎皎」は、「月の光が雪の原を照らしている」というように解釈します。
 けれども、結句を見ますと「寒月一鉤昇嶺時」ですので、「釣り針のような細い月」ですし、更にまだ月は昇っていないということですから、起句の凄然たる雪景色を堪能した私には、ややはぐらかされたような気持ちになりました。

 同じく「光」に関して言えば、転句の「凍光」が何を指すのか、実はこの詩には各句に光が登場しているわけです。
 起句の「雪原を照らす光」、承句の「星々の光」、そして結句の「嶺に昇る鉤月の光」と続いてきますと、では転句の「凍光」はどれなのかな?となりますね。
 言葉を重ねることで生まれる効果もあれば、逆に重複によって生まれる晦渋もあるわけです。そのあたりをもう一度錬ってみてはいかがでしょうか。

2003. 4.30                 by junji





















 2003年の投稿漢詩 第83作は相模原市の 西克 さん、七十代の男性の方からの初めての投稿作品です。
 お手紙を紹介しましょう。

 高齢になるにつれ、他との交流がますます大切に思はれる様になってきました。
 しかしながら、趣味を同じくする仲間はなかなか得難く、今後本ページを活かさしてもらえれば有り難いと思っています。
 遠慮のない評価指導をと、希望するものです。

作品番号 2003-83

  中学校春影        

東風一過入新晴   東風一過 新晴に入り

芳韻鶯声春意盈   芳韻鶯声 春意に盈つ

隔道喚声興学舎   道を隔てて喚声 学舎に興り

球児競技走駆軽   球児技を競へば 走駆軽し

          (下平声「八庚」の押韻)

<解説>

 二月末、春一番がやって来ました。
 庭の梅の木も開花し始めて、小鳥達の訪問の時期となりました。
鳴き声を聴きながら、外を眺め春を感じていると、道を隔てた中学の校庭で喚声が興って、生徒達が野球を始めたようで、走り駆ける姿も軽やかです。

 目に映る春の感じを、そのまま表現しました。

<感想>

 穏やかな春の気候が柔らかな言葉に導かれて、「春意盈」という状況がよくうかがわれます。(「春意盈」はやはり「春意が盈つ」と読むべきで、「春意」と読むのはつらいでしょうね)
 また、後半は一転元気な子供達の声が響く様子、展開も良く、最後の「軽」の一字が前半の春の陽気を受けて、生き生きとした働きをしていると思います。この「軽」の字が無いと、後半部分にを示すものが見あたらなくなり、前半と後半のつながりが切れた詩になってしまいます。そこをこの「軽」の字が救っているわけですね。

 解説にお書きになった「春一番」については、この詩からは全く読みとれませんね。このような「春の嵐」を表現するのには、「風が強いぞ!」ということを述べるのではなく、例えば孟浩然春暁のように、「花がたくさん落ちた」という別のことを描写することで風の強さを暗示するような手法が効果的でしょう。

 転句については、「喚声」よりも「歓声」の方が学校にはふさわしいように思います。
 もう一つは、「興」ですが、この字の語源は「力を合わせて(同)かつぐ」ことから生まれたそうです。どちらかと言えば人為的に何かをする時につかうわけで、声が発生するという意味では違和感がありますが、いかがでしょうか。

 平仄については、承句の「鶯声」がどちらも下平声八庚の韻字ですので、冒韻になっています。せっかくの押韻を生かすためには、できれば避けたいところですね。

2003. 4.30                 by junji



謝斧さんから感想をいただきました。

 詩趣が承句だけがちがっているように感じています。
「芳韻」「鶯声」は句中対になり、良いとおもいますが、「鶯声」が具体的な叙述ですので「芳韻」も具体的な叙述のほうがよいと思います。

叙述は齟齬がなくわかりやすいよい作品だと思います。

2003. 5.12                  by 謝斧



西克さんからお返事をいただきました。

 謝斧さんのご指摘から、次の様に直してみました。

   東風梅影入新晴
   一刻好音春意盈
   隔道歓声充学舎
   球児競技走駆軽

 詩趣への配慮、第一歩の貴重なご指摘でした。理解できたのかどうか、此からも努力したいと思います。
  有り難うございました。

2003. 5. 27               by 西克






















 2003年の投稿漢詩 第84作は サラリーマン金太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2003-84

  悼高円宮憲仁親王殿下御薨去      高円宮憲仁親王殿下の御薨去を悼む  

何料訃音衝暗来   何ぞ料らん訃音暗を衝いて来たる

民群記帳共堪哀   民は記帳に群がって共に哀れむに堪えたり

能殲諸事親王績   能く諸事に殲くせん親王の績

千歳應慳天賦才   千歳應に慳しむべし天賦の才を

          (上平声「十灰」の押韻)

<解説>

 高円宮さまにおかせられましては、昨年11月21日午後10時52分、心室細動のため御薨去されました。殿下は同日カナダ大使公邸で同大使とスカッシュをプレー中に倒れられ、慶応大学病院へ緊急入院されましたが、御容体は好転しませんでした。47歳と言う御若さでした。
 文化交流やスポーツ振興など幅広く活動され、特にサッカーW杯では、日本サッカー協会名誉総裁の御立場で、皇族として戦後初めて韓国を訪問されました。
 殿下のご冥福を心からお祈り申し上げ、国民の一人として拙詩を御霊に呈したいと存じます。

<感想>

 こうした詩の場合、表現が多少大げさであっても許容されることが多く、例えばこの詩でも「千歳」という言葉にやや違和感があっても、「ま、いいか」という感じで見逃すわけです。
 というのは、こうした哀悼の詩の場合には、内容がどうであるか、というよりも、記録とか記念の意味合いが強いわけで、個人的な要素も強く、「作った」ということが重要になるからです。(逆に、そういう意味では、名詩として長く人々に伝えらるものは少なくなりますが・・・)

 さて、本詩に関しても、平仄や押韻さえ合っていればそれ以上は何も言う必要はないわけですが、一つだけ修正した方が良いのは、承句の「群」。これは品の落ちる言葉ですね。
 「民」も含めて二文字で考えれば、色々な候補がうかぶのではないでしょうか。

2003. 4.30                 by junji





















 2003年の投稿漢詩 第85作は サラリーマン金太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2003-85

  賽勝岡八幡神社     勝岡八幡神社に賽す   

登來石磴止荘厳   石磴を登り来れば荘厳を止む

州社瑤臺華歳添   州社瑤臺華歳添ふ

世覆戦雲心未穏   世は戦雲に覆われて心未だ穏やかならず

懇祈安泰月懸檐   懇ろに安泰を祈れば月檐に懸かる

          (下平声「十四塩」の押韻)

<解説>

 勝岡八幡神社は愛媛県松山市にある古社です。
 イラク、北朝鮮問題と世情は暗雲が立ち込めていますが、何とか平和的解決をと祈るばかりです。

<感想>

 私の掲載が遅れている間に、国際情勢はどんどん変化していきます。イラクの戦乱がやや落ち着いた(?)と思いきや、今度は北朝鮮が「核保有を公言」ということ、SARSなどという新顔も突如登場し、世界的な不安要素が次々膨らんできます。
 日本のリーダーは、以前は「グローバルだ」とか「国際的な競争力を持て」と言ってた割には、米国追従の外交を指摘されるや「我が国の特殊性」を強調するという姿、党利党略しか考えてこなかった人間はせいぜい広げても「国利国略」くらいにしか視野を持てないのでしょう。
 本詩のように、「懇祈安泰」というのが私たち庶民のできることなのですが、さて、「月 檐に懸かる」という結末は、祈りがかなう兆しなのか否か、作者に尋ねたいところですね。

 転句の「世覆戦雲」は受身形で読んでおられますが、なかなか苦しいところですね。そのまま「世上戦雲」でも良いように思いますね。

2003. 4.30                 by junji





















 2003年の投稿漢詩 第86作は 西克 さんからの作品です。
 

作品番号 2003-86

  湯河原尋梅花        

春容未定早梅鮮   春容未だ定かならず 早梅鮮かに

湯境村園還澗辺   湯境の村園 澗辺を還る

閑歩尋葩香径斜   閑歩 葩を尋ぬれば 香径斜めに

翆微紅雨看青天   翆微紅雨を青天に看る

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 緑もなく山の春の装いも、未だ整っていないと言うのに、早梅は見事に箱根の温泉境、湯河原の谷川の水辺を還って咲いていた。のんびり梅花の香る小道を上っていって、見上げると山の中腹あたりに咲いている紅梅が、真青な空に花を咲かせているのを見ることができた。

<感想>

 転句の末字、「斜」下平声六麻に属する平字です。転句は仄字で韻を切らなければいけないところですので、ここはミスですね。

 全体的にも平字が多く、特に承句と転句は平仄の配置が同一ですので、ややリズムが平板になるでしょう。

 お手紙には、「心に残る風景を、そのまま表現できたらと思いました。」と書かれていましたが、構成的には起句に既に「梅」を出しているのが気になります。
 特に結句の「紅梅が真青な空に花を咲かせているのを見ることができた」という対照美の感動を詠むためには、起句は梅を出さずに我慢をすること。その方が展開も自然になるように思います。
 一つ一つの句はよく工夫されているように思いますので、全体への視点を加えられるとより整うはずです。

 結句については、「翠微」「山の中腹」という意味で使われたのでしょうが、この言葉の意味合いとしては、「山の中腹にかかる青々としたもや」が第一に心に浮かぶものだと思います。そうなると、「青天」の語とかぶり、せっかくのコントラストが生きてきません。
 ここでは色を使わずに、単に梅の場所を示す言葉で十分ではないでしょうか。

2003. 5.6                 by junji





















 2003年の投稿漢詩 第87作は 赤間幸風 さんからの作品です。
 

作品番号 2003-87

  早春偶感        

軽暖水温萌動時   軽暖(けいだん) 水温(ぬる)み 萌動(ほうどう)の時

未衰寒気鳥声遅   未だ寒気衰えず 鳥声遅し

層雲鬱鬱天風冷   層雲 鬱々として 天風冷やかなり

何日春来草木知   何(いず)れの日にか春来らん 草木ぞ知る

          (上平声「四支」の押韻)

<解説>

 春になれば、経済にも明るい兆しが射してくるかと期待したが、株価は下がる一方、デフレ脱却の出口も見えずだ。為政者は口だけは達者だが、有効な打開策もとれない有様では、先行きは暗く気も重くなる。
 こんな調子では、経済に活気が戻るのはいつになることやら・・・。

 とまあ、こんな気持ちを表してみたいと思って作ったのですけれど。

<感想>

 そうですね、経済動向への期待は誰もが同じ思いでしょうね。でも、兆しはなかなか見つからず、不安や不満ばかりが募っていくのは、自分自身の精神衛生の面でも良くないですよね。

 さて、詩の内容としては、承句が気になりますね。
 と言うのは、起句が佳句で、「春が来た」ということをはっきりと述べているのですが、それが「未衰寒気」と合わないわけです。一般には「寒気」が残っているならば、「水温」むこともないし、「軽暖」「萌動」という状況も生まれません。
 そうなると、作者はどの点を指して「寒気未衰」と判断したのかが分かりません。承句の「未衰寒気」の四文字を取って、「温かく春になった筈なのに、まだ鳥の声が聞こえてこない」という展開にした方が良いでしょう。

 結句は内容としては、「いつ春が来るのかを草木だけが知っている」ということになるのですが、だから何なのかが分かりませんね。「草木」に対応しているもの(ここでは「春が来るのが分からないもの」となりますね)は何を想定しているのでしょうか。
 もう少し前段くらいで手がかりを与えてほしいところですね。
 また、もし草木が春の到来を知っているのなら、起句に戻りますが、「萌動時」だということは「春が来たことが分かった」という意味になりますので、矛盾してしまいます。

 全体の配置をもう一度検討して、各句のバランスと調整をすると、気持ちと表現が一致してくると思います。

2003. 5. 6                 by junji





















 2003年の投稿漢詩 第88作は金沢市の 祥雲 さん、七十代の男性の方からの初めての投稿作品です。
 

作品番号 2003-88

  秋月城址有感        

桜花爛漫筑前京   桜花 爛漫たり 筑前のみやこ

上磴朦浮昔日甍   石段を上れば おぼろに浮かぶ 昔日のいらか

武芸仍伝稽古黌   武芸 なお伝える 稽古館(実名)

渓川如旧水又清   渓川は むかしのごとく 水もまた清し

          (下平声「八庚」の押韻)

<解説>

 峡谷のあいだに栄えた筑前の小京都といわれる、秋月城の城跡を訪ねて

   桜 満開の 筑前の小京都といわれるところ
   石段をのぼると 400年まえの城の瓦が朧に目に浮かぶ
   武士道は 今猶 稽古館〔実名)に伝えられ
   渓川の流れは 昔のままで 水も清澄である。



<感想>

 新しい漢詩仲間を迎えることができ、とても嬉しく思っています。

詩についての添削を、ということでしたが、このホームページでは添削は行っていません。主宰である私、桐山人が立場上最初に書かせていただいていますが、ご覧になった皆さんの感想が中心です。お互いが気楽に読み合い、気楽に感想を言い合う、その上で参考になるところを貰って推敲の折に役立たせる、そういう運営を私は希望している次第です。
 ということで、ひとまず私の感想を。

 まず、押韻のことからですが、転句の末字「黌」下平声八庚の韻字ですので、このままでは四句とも全て押韻したことになってしまいます。ここは実名のまま、「稽古館」で良いのではないですか。
 また、結句の六字目の「又」は仄字ですが、ここは「二六対」の規則から平字でなくてはいけないところです。同じ様な意味合いで探すならば、「逾」で「いよいよ」くらいでしょうか。

 表現の点では、起句は発端としては申し分ない句ですね。
 承句はやや疑問が残るところです。「甍」高いところから見た街の景色というくらいの意味で使われたのでしょうが、「甍」はあくまでも「甍」ですから、文字通り読めば、「昔の甍が浮かんでいる」という不思議な現象になります。
 ここは、「城跡に登った」とか「街の中を歩き回った」とか、次の句へつながるような内容にした方が落ち着くと思いますが、どうでしょうか。


2003. 5. 6                 by junji





















 2003年の投稿漢詩 第89作は函館市にお住まいの 隆源 さん、七十代の男性の方からの初めての投稿作品です。
 お手紙をご紹介しましょう。

 退職してから教養講座で三か月漢詩を習いましたが、その後講師も亡くなり半端に終りました。
 昨年パソコンを始めて、この程漸く貴ホームページに辿り着きました。
作れば誰かに見て貰いたいものです。旧作を練り直して送信した次第です。
この様な機会を与えられて感謝しています。

 このうえご批評戴ければ更に幸甚にぞんじます。

作品番号 2003-89

  枕書眠      書を枕に眠る  

雨声細細枕書眠   雨声細々として 書を枕にして眠る

古訓如山頭下連   古訓山の如く 頭下に連なる

鬢雪無功零落夢   鬢雪功無く 零落の夢

醒来揮涙自相鞭   醒め来たって涙を揮い 自ら相鞭うつ

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 受験時代に経験した思い。勉学は辛く眠りは楽しい。
 只一寸気になるのは「自相鞭」の相は強意の相(相変わらず、相成り候) ですが、中国ではその様な使い方は無い様です。
 承句の「古訓山如」「孔孟の書」でも枕にした所為の意です。

<感想>

 題名だけを拝見しますと、「うーん、これは隠者がのんびりとした生活をしている詩かな」と思ったのですが、そうではなく、なかなか重みのある詩ですね。

 起句は明快な内容だと思います。承句は、「書物が頭の下に山のように連なっている」ということが具体的にはイメージしにくいですね。これが「重なる」とかなら分かるのですが、「連なる」ですと、頭の下でゴツゴツと並んでいるような感じがします。

 前半ののどやかな雰囲気が転句で一気に緊張する展開は、とても良いと思います。
結句の「相」ですが、私は気にはなりませんでした。というのは、「相」には、「動作の対象を明示する」という用法があるからです。
 具体例としては、王維「竹里館」の結句、「明月来相照」「相」がそれに当たります。この句は、「明月がお互いを照らす」ではなく、「明月が相手(私)を照らす」とするわけです。
 隆源さんの結句も同じように理解できるのではないかと思います。

 この詩では、「孔孟の書」を枕にしていたら「無功零落」の夢を見たという、この組み合わせが何とも皮肉な印象で、全体を活性化させて、とても効果的だと私は個人的には思いました。

2003. 5. 6                 by junji



謝斧さんから感想をいただきました。

「雨声細細」は雨の音が細やかという意味でしょうか。(「細細」は小雨の様です)
 上四句と下三句がつながらないと感じます。恐らくは、出遊もままならないので、書でも読んで、それにも飽きたので、雨の音を聞きながら、枕書眠」ということだとおもいますが、そういうことであれば、叙述がはしょりすぎです。(詩の妙処は正に必ず説いて尽くさずとありますが、今回はあたらないとおもいます。夜航詩話)

「古訓如山」では、「古訓」はあくまでも「古訓」であり、「書」では有りませんので「如山」はおかしく感じます。
 そういった手法をとるならば、もう少し工夫が必要です。

 転句でわざわざ「鬢雪無功零落夢」(読み方は、「鬢雪功無く 零落を夢む」の方が分りやすいとおもいます)とことわってあるので、今はそうではない、だからそういったことにならないように、揮涙自相鞭と理解しましたが、その場合でも「揮涙」は妥かではないとおもいます。

「自相鞭」「相」は強意の「相」ですが、中国ではその様な使い方は無い様です。
 失念しましたが、ある詩の本の解説で、古人の詩で例はあります。

2003.5.10                     by 謝斧


隆源さんからお返事をいただきました。

 この度はご懇切なご批評を戴き感謝申し上げます。

 「相」については「動詞の前に付けて対象を明示する」と言う用法知りませんでした。
 早速、「自らを相鞭うつ」と読み替える事に致します。有難うございました。

 「古訓」は多く書物に書かれ、後世に伝えられます。書物を多く積めば、中に書かれた「古訓」も山程になると考えました。
 只、ご指摘のように「連なる」はちょつと苦しい表現だったでしょうか。

 ご指摘の点は次作に生かしたいと思います。ご指導を深謝いたします。

 謝斧先生によろしく

2003. 5.13                            by 隆 源



謝斧さんからお手紙をいただきました。
 下三字の調子が平板になっております。
   枕書/眠
   頭下/連
   零落/夢
   自相/鞭
 此れを避けるため、鋏み平にはなりますが、「鬢雪無功夢零落 夢/零落にするほうがよいとおもいます。
 排律の場合は殊にうるさいようです (宮崎鉄城作詩作法)

2003. 5.15                         by 謝斧























 2003年の投稿漢詩 第90作は愛知県半田市の 仙城 さん、五十代の男性の方からの初めての投稿作品です。
 お手紙を紹介しましょう。
「はじめまして、昨年から覗かせていただいています。
最初はちんぷんかんぷんここへきてなんとかわかるように、漢詩文化ここにありかな.. すばらしい。
投稿は詩語集をめくり、やっとできるようになったものです。
独学ですのでご指南いただけるとありがたいです。」

作品番号 2003-90

  早春賦        

萬里韶光浅   萬里 韶光浅し

惠風裂粉肌   惠風 粉肌を裂く

青皇貪酔興   青皇 酔興を貪る

黄鳥不勝悲   黄鳥 悲しみに勝へず

          (上平声「四支」の押韻)

<解説>

 三月十二日、今年の春は訪れが遅く待ちわびる思いを綴りました。

<感想>

 実は仙城さんは私桐山人の高校時代の同学年、思わぬ所で旧友に出会うことができました。「漢詩が趣味」ということと「同級生」を今までつなげたことは無かったのですが、心強い気持ちになりました。
 これからもよろしくお願いしますね。

 さて、詩の感想ですが、平仄も押韻も合っているのですが、句のつながりが分かりにくいように思います。
 順番に見て行きましょうか。
 まず、起句ですが、「辺り一面、はるか遠くまで、まだ春の光が浅い」と主題をまず提示した句ですね。内容自体には問題ありませんが、「萬里」がどうでしょうかね。
 ご存じのように、唐代の一里は現代の基準では五百メートル弱、よく言われる「千里の馬」は従って、「一日に大体五百キロメートル走ることができる名馬」ということです。同様に計算すれば、「萬里」は五千キロということになります。
 この数字がそんなに意味があるわけではありませんが、現代の長さを多少頭に入れておくと、作者の気持ちが分かりやすくなるのです。

 杜牧「江南春」の起句、「千里鶯啼緑映紅」の句について、明の楊慎という人が批判をしたそうです。
 つまり、「この杜牧の詩は眼前の光景を詠ったものであるのだが、千里遠くまで啼く鶯の声をどうして聞けようか、また、千里も離れた緑江を見ることもできない。この詩の「千里」は「十里」が正しいのだ」と主張したわけですが、逆に詩情を理解できない説だと馬鹿にされたそうです。
 確かに杜牧のこの詩に関しては楊慎の説は採れませんが、「千里」「万里」を考えるヒントにはなります。
 私達が肉眼で眺めることができるのは、普通で考えれば「十里」(五キロメートル)くらい、高い山や高楼に登って平野を眺め回せば「百里」(五十キロメートル)くらいが現実、「千里」はもう誇張表現に近くなります。(誇張の場合も多いのですが)
 「万里」という場合には、実際に自分で見たものではなく、心の中での想像やイメージを含めた距離になります。例えば、故郷や都からはるか遠く離れたというその辛さや悲しみという心理まで象徴したりする時に使います。
 随分長くなりましたが、さて、仙城さんの起句の場合、「万里」が妥当かどうかに戻るわけです。見渡す限り地平線というような極寒の地だといいのですが、その後の句の感じから行くとあまり広げすぎない方が良く、私としては、「千里」くらいが適当な気がします。

 承句は、「粉肌」が何を指しているのか、私には分かりませんでした。意図を教えていただけるとありがたいのですが。

 転句、結句は「春の神様が酔っぱらってばかりでちっとも働かないから(春が来なくて)、黄鳥も鳴くこともできず悲しくて仕方ない」という意味でしょうか。
 「青皇貪酔興」は、そんなこともあるかな、というところですが、それを受けての「黄鳥」については、もう少し工夫が必要でしょう。と言うより、「不勝悲」では大げさすぎませんか。
 「まだ時を得ていない」とか、「無為を嘆く」くらいの戸惑い気分にしておくと、全体にバランスが良いでしょう。

2003. 5.11                 by junji