2011年の投稿詩 第61作は 井古綆 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-61

  小谷城懐古        

怨讐一夢事茫茫   怨讐一夢 事茫茫

涙滴軍書激戰場   涙は軍書に滴る 激戦場

林鳥綿蠻囀今古   林鳥綿蛮めんばん 今古に囀り

松濤寂歴想攻防   松涛しょうとう寂歴 攻防を想ふ

敵羣山麓風雲急   敵は山麓に群がり 風雲急に

火滿城中策略央   火は城中に満ちて 策略

魂斷慈椿三嬌別   魂は断つ椿ちん 三嬌の別れ

不乖信義貫綱常   信義に乖かず 綱常を貫くを

          (下平声「七陽」の押韻)

<感想>

 この詩は、今年の大河ドラマの初回の山場の場面でしたね。浅井長政役の時任三郎はこの回のみの出演でしたが、存在感のある父親の姿をよく描いていましたね。

 戦国の時代は、親子、夫婦に限らず、複雑な感情の交錯が見られ、登場人物に感情移入すると、こちらも複雑な心境になってしまいます。

この時代を舞台にした大河ドラマはこれまでにも何度か作られ、その度に登場人物の人柄設定が変わるのですが、その違いは描く側の視点に依拠するわけで、そういう意味では現実世界の当事者と第三者のとらえ方の違いを表しているようで、私は面白く見ています。(どちらかと言えば、話の筋はもう何度も見て知っているということかもしれませんが)

 頷聯の「綿蛮」は「細く長い鳥の鳴き声」を言いますが、下句の「寂歴」と合わさって、胸の中の悲しみを擬人化して表していると思います。
 また、小谷城に関しては、イメージとして火災の中の落城という面は外せないのですが、頸聯にしっかりと描かれていますね。

 尾聯の「三嬌」は長政の三人の娘たちのことですが、最後の「不乖信義」が作者の思いを籠めたところでしょう。


2011. 2.17                  by 桐山人



井古綆さんからお返事をいただきました。

ご高批ありがとうございました。
この作品は8〜10年前の作です。

急路車で登れるところまで登ってみました。麓には藤見東陽先生の玉作碑がありました。

    小谷城懐古
  往昔茫茫不可尋
  春花秋月念誰陰
  風声鳥語繁城址
  千載山河悵客心

の碑があったのを記憶しています。  


2011. 2.18                   by 井古綆






















 2011年の投稿詩 第62作は 陽山 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-62

  老友        

多言雑乱南隣媼   多言雑乱なり 南隣の媼

非礼軽佻北舎夫   非礼軽佻なり 北舎の夫

却説勿嫌村野醜   却って説く 村野の醜を嫌ふ勿れ

来謀小酌是余徒   来りて小酌を謀るは 是れ 余が徒なり

          (上平声「七虞」の押韻)

<解説>

 類は友を呼ぶ。
 周りに上品といえる方はいませんが、気心の知れた良き隣人ばかり。
 ちょっとした新年会でした。

<感想>

 前半の対句を読むだけで、楽しい皆さんだとすぐに分かります。中途半端な描写ですと、失礼この上ないことになるでしょうが、ここまで書けばユーモラスさが前面に出てきます。

 転句は「却説」が、誰が誰に話すのかが不明で、その不明なところが狙いかもしれませんが、詩としては主体を明確にすると面白みが増すように思いました。
 結句は読み下しを「来りて小酌を謀るは」よりも、「来りて小酌を謀れば」と条件文にした方が、句が軽快になるでしょうね。


2011. 2.17                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第63作は 謝斧 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-63

  挽歌詩        

今生爲弟育慈親   今生 弟爲りて慈親に育まれ

能稟温情性自純   能く温情を稟けて 性自ずから純

昨夜帰泉埋殯急   昨夜 泉に帰して 埋殯急に

詰朝執紼掩顔頻   詰朝 紼を執れば 顔を掩ふこと頻なり

風悼蘭英偏落涙   風は蘭英を悼んで 偏へに涙を落し

雨愁棣萼正傷人   雨は棣萼を愁ひて 正に人を傷ましむ

懷汝遺音猶在耳   汝を懷へば 遺音 猶ほ耳に在り

追尋往事苦酸辛   往事を追尋すれば 苦だ酸辛す

          (上平声「十一真」の押韻)

「棣萼」: 詩 兄弟の仲良きを唱う


<感想>

 謝斧さんからは、「喪中につき、新年の漢詩は遠慮しました」とお手紙をいただきました。
 詩を拝見すると、弟さんが急逝なさったようですね。お悔やみを申し上げます。

 頷聯の「紼」は「棺を載せた車を引くつな」のことで、告別式の情景がはっきりと目に浮かびます。
 具体的な悲しみが表現されるのは転句に当たる頸聯になりますが、故人への切々とした情は首聯から出されていて、「落涙」「傷人」という言葉が一層実感として伝わってきます。

 「挽歌」の題名と、飾り気のない表現が作者の心の悲しみを痛切に表して、読者の胸にしみる詩ですね。


2011. 2.17                  by 桐山人



謝斧さんからお返事をいただきました。

 昨年岡山の文化祭に参加いたしました。
 そのときに初対面でしたが石川先生にお会いして、七言律詩の四実詩について尋ねましたら、先生は即座に「七言律詩の四実詩は存在しません」と言われました。

 今回の詩の構成は、前聯に叙事で杜甫詩いうところの化になり、後聯は叙景詩で変のつもりです。

  風悼蘭英偏落涙   風は蘭英を悼んで 偏へに涙を落し
  雨愁棣萼正傷人   雨は棣萼を愁ひて 正に人を傷ましむ

「偏落涙」の「涙」は蘭英の露が風に払われたと理解していただきたく、「正傷人」は雨に朽ちてゆく棣萼の姿が人を傷ましうるという使役になっていますので、両句とも「蘭英棣萼」のすがたを叙述したものと思っており、この聯は叙景詩として作ったつもりですがどうでしょうか。

 諸詩兄のご教示をまっております。


2011. 2.21                謝斧






















 2011年の投稿詩 第64作は 仲泉 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-64

  新春偶成        

暁色淑然幽隠郷   暁色淑然たり 幽隠の郷

迎春天地散清香   春を迎へ 天地清香を散ず

挙杯満肚屠蘇酒   杯を挙げ 肚を満たす 屠蘇の酒

欣快家門聚草堂   欣快 家門 草堂に聚まる

          (下平声「七陽」の押韻)

<感想>

 仲泉さんのこの詩は、新年漢詩に入れるべきかもしれませんが、いただいた時期が一月下旬でしたので、一般投稿とさせていただきました。

 新春の穏やかな景と、家内の幸せな雰囲気が感じられる詩ですね。

 結句の「欣快」の心情語は、やや筆が滑った感があり、「家族がみんな集まった」というくらいでも良いかと思います。ただ、新年の祝いの詩だとすれば、喜びの言葉は何度有っても良いものですけれど。


2011. 2.17                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第65作は 劉建 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-65

  在濤沸湖食牡蠣(蝦夷風物詩)        

含漿閉口睡潭深,   漿を含んで 口を閉ざし 潭深く睡り

紫背珠肌黒襞襟。   紫の背 珠肌 黒襞の襟

蒸籠開帆醒汐溜,   籠に蒸し 帆を開き 醒めて汐溜まり

貪婪無倦恥爲擒。   貪婪 倦むこと無く とりこに為るを恥づ

          (下平声「十二侵」の押韻)

「濤沸湖」:北海道網走市と小清水町を跨ぐ汽水湖。


<解説>

 肉汁を含んで、口を閉じて湖底の深くに眠り、
 殻は紫色、肉は珠の肌、黒い襞が襟の様だ。
 籠に蒸すと口が帆を張った様に開いて目覚めると、肉汁が溢れ、
 飽きる事無く、貪り食べると、牡蠣の擒になっているのに気付き、恥ずかしい。



<感想>

 これでもかと垂涎させるような詩ですが、読んでいれば「爲擒」のも納得してしまいますし、「恥」づることもないと思いますね。

 転句でよく分からないのは、「開帆」ですが、これはホタテ貝の描写がふさわしく、牡蠣ならばどういう状態を表すのか、すみません、私には想像しにくいです。
 下三字の「醒汐留」は海の香りが口いっぱいに広がったということかと思いましたが、「醒」の役割がつかめませんでした。
 意図をお教えいただけるとありがたいですね。


2011. 2.23                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第66作は 鮟鱇 さんからの作品です。

作品番号 2011-66

  筆底討春         

散士官游到僻村,   散士の官遊 僻村に到り,

挂冠乞骨作詩人。   冠を挂け骨を乞ひて詩人と作る。

心長髪短工章句,   心長ずれば髪は短くも章句に工(たく)みにして,

鶴短鳧長誑鬼神。   鶴は短かく鳧は長しと鬼神を誑かさん。

筆底花言嘲鳳字,   筆底の花言 鳳字を嘲り,

山中緑水映鵬雲。   山中の緑水 鵬雲を映ず。

誰知天用才七歩,   誰か知らん 天の用ふる才は七歩,

笑入櫻林擅討春。   笑って桜林に入り擅(ほしいまま)に討春す。

          (中華新韻「九文」の押韻)

<解説>
「挂冠乞骨」: 官を辞すること。
「心長髪短」: 四字成語。年をとること。
「鶴短鳧長」: 四字成語。鶴の脚を短いといい、鳧(のがも)の脚を長いということ。是非を顛倒してみせること。
「鳳字」: 「鳳」という字は「凡」+「鳥」。平凡でつまらない才能しかもたない者を指す。
「才七歩」: 七歩歩む間に詩をなす才。速成の詩才。


 新韻で作っています。第七句の「七」は新韻では第一声ですので平声です。

 作詩数三万を超え、平仄も身につき、筆にまかせて詩が作れるようになりました。私が言葉を使って何がいいたいかよりも、言葉が私に何をいわせたいかに身をゆだねる、そういう境地がわかるようになったと思います。
 私の詩を読んでくださるみなさんには、情理に飛躍がある、荒唐無稽である、と思われるかも知れませんが、筆先の詩的自由の前では、こだわってみてもあまり価値がないことが多いと思えますし、言葉が私を招いてくれる境地へ正直に筆を進めることができれば、不遜ながら、それでよい、と思っています。

<感想>

 解説にも書かれているように、「七歩才」は、魏の文帝である曹丕が、弟の曹植の才をねたんで「七歩歩く間に詩を作れ」という厳しい課題を与えたのに対して、曹植がすぐに作ったという故事からの言葉ですね。
 また、その詩(「七歩詩」)が状況を巧みに比喩して描いていることも、兄弟で争う悲しみを一層伝えています。

 その「七歩才」は、即吟が誰にとっても易しいことではないから言葉として残っているのでしょうから、鮟鱇さんの仰る「筆先の詩的自由」を確保するのも難しいことですね。
 「鳳」字のサンプルのような私は、決してひがんでというわけでなく、私には見えないものが見えているのだろうと、鮟鱇さんの最近ののびやかな詩風を楽しく味わっています。


2011. 2.23                  by 桐山人























 2011年の投稿詩 第67作は 深渓 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-67

  寒        

飛超不況路嶄嵌   不況を飛超するは 路嶄嵌たり

為政無能不畏讒   為政 無能の讒を畏れず

奈敢坐湯貪晏起   奈んせん 敢へて坐湯 晏起を貪るも

厳寒凛凛襲重衫   厳寒凛凛として 重衫を襲ふ

          (下平声「十五咸」の押韻)

<解説>

 政情混沌として異常気象、天帝の怒りか、裏日本は雪害に鎮西は地の神の怒りか、収まりをみせず。
 一日も早く平穏な日々を迎えたい今日この頃です。


 〇長い不況を超越するのは険しい。
 ○無策無能を怒るもどうしょうもない市井の爺
 ○湯に入り朝寝するも、
 ○厳寒は厳しく重ね着をしてもまだ寒い。


先に冬至で投稿せるを一部重複せり。

<感想>

 「先に冬至で投稿」とされたのは、「(交流詩)冬至」のことですね。

 その世界漢詩同好會は十二月の開催でしたから、もう二ヶ月が過ぎたわけですが、日本の政治がこの間全く変化が無かったということがよくわかりますね。

 昨日はニュージーランドでの大地震の報が入ったにもかかわらず、政府与党はいつまでも党内抗争にあけくれている有様。
 国政は、日和見、だんまり、野次馬、言い方が違うだけで誰も彼もが保身ばかり。それが見え見えだから、ますます閉塞感は強まり、「現状をとにかく壊すぞ」という破壊主張(夢想)者への支持だけが増えていくような気がします。

 陽気は少しずつ春めいてきましたが、私はますます寒々とした思いばかりが募ってきます。


 今回の詩は、承句が作者のお気持ち通りにはなっていないようですね。いっそのこと上四字を「無策無能」とそのまま書いた方が表現としてはよく伝わるでしょう。個人的には「無策」は面白いのですが、言葉としてはどうでしょうか。ただ、「不」が重出ですので、これは直す必要があります。

 転句は「敢」となると、「(本当は望んでいないのだが)晏起を貪る」となり、妙な感じです。「坐湯」も「風呂に入る」と理解してもらえるかどうか。


2011. 2.23                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第68作は 澄朗 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-68

  節分祭        

行雲梅開大寒中   行雲 梅開 大寒の中

禽語喃喃西又東   禽語 喃喃 西又東

不動明王厄除舞   不動明王 厄除けの舞

将投双豆福呼籠   将って双豆を投じ「福」呼び籠まんとす

          (上平声「一東」の押韻)

<解説>

 2月3日は節分の日、明ければ大寒の時節から立春である。
 成田さんの節分祭は、歳男・女が不動明王となって豆まきを盛大に行う。
 例年なれば、大阪府知事の参加も期待されていたが・・・・・

 NHKの朝ドラの「てっぱん」の役者さんの参加があって盛り上げていた。

<感想>

 澄朗さんからは当日の写真も送っていただきました。毎朝のテレビで顔なじみになった方のお顔もチラホラと見え、楽しく拝見しました。個人のお顔が写っているので、ネットで皆さんにはお見せできません、私だけが楽しませていただきました。

 起句の四字目は平仄が合いませんので、「発」にしておく必要がありますね。

 転句の「厄除」は悩むところですが、語順は「除厄」と換えておきましょう。

 結句は下三字の語順、「呼籠」の和習も気になりますので、直すのが良いでしょう。
 また、全体として、前半と後半がばっさり切れている印象ですので、結句に「春」を表す言葉を入れるとまとまりが良くなります。



2011. 3. 6                 by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第69作は 馬薩滔 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-69

  春光        

曙光暖意萌   曙光 暖意をきざし、

梅綻染残冬   梅綻び 残冬に染む。

柳樹千条舞   柳樹 千条は舞ひ、

田園麦返青   田園の麦 青に返る。

<解説>

 ご無沙汰しております。
大連にいます馬薩滔です。

 春節が過ぎて、いよいよ2011年が始まったという感じです。
 わたくしは、この春節の休暇を利用して、新疆ウイグルのトルファン、ウルムチに行ってきました。
往復で約10,000キロ、地球の四分の一を、合計120時間ほど汽車に乗っていました。

 今度、中国にお出でになられます時に、西域のご旅行はいかがでしょうか。

<感想>

 新疆ウイグル地区は、最近の世界情勢を日本から見ていると、中国では最もホットな地域かと思われますね。
 春節の頃はいかがでしたか。
 それにしても、一万キロの汽車の旅ですか。若さと体力ですね。
私の方も、今年の夏の中国旅行は西域に行こうかと考えてはいます。いつも旅行に一緒に行く職場の先輩(大連にも一緒でした)も、「身体の動くうちに遠い所に行っておこうか」と行っていますので、二人で格安ツアーを探しています。
 また、アドバイスをお願いします。


 詩は下の写真と一緒に送っていただきました。押韻は中華新韻でしょうか。

まさに、「梅綻」という美しさですね。

 承句の「梅」から「柳」「麦」と植物が続くのがやや気になりますが、大連の春の風物詩というところでしょうか。


2011. 3. 6                 by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第70作は 薫染 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-70

  冬日歩道邊     冬日道邊を歩む   

冬日悠長歩道邊   冬日悠長に 道邊を歩めば

運河舒緩水風眠   運河舒緩じょかんにして 水風眠る

疾行孤艇興波晢   疾行する孤艇 波を興してあかる

泛漾方舟匿篠玄   泛漾はんようする方舟 篠に匿れてくら

籬畔山茶紅白錯   籬畔の山茶 紅白まじは

堤塘林木樹條駢   堤塘の林木 樹條なら

栖烏遅鈍間帰去   せい遅鈍なれば しばらく帰去せよ

余月共觀光細漣   余月共に観む かがやく細漣

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 浜名湖から更にいり込んだ村櫛海岸に注ぐ河に沿って散歩したときの詩景です。歩きながら黙稿しました。

「舒緩」: ゆったりして気持ちがのびのびしている
「山茶」: さざんか
「水風」: 水上を吹く風
「泛漾」: 浮かびただよう
「籬畔」: いけがきのそば
「栖烏」: ねぐらのある烏
「余月」: 旧暦3月



先日はお邪魔し、有益な講演を拝聴できました。有難うございました。 投稿の第7・8句は講演内容を生かして作りました。

<感想>

 私の義父は浜松の白州の出身ですので、村櫛はすぐ近くですね。詩を拝見しながら、以前に里帰りに同行したことを思い出しました。
浜名湖のおだやかな湖面、それを包み込むような豊かな山並みが目に浮かぶ詩ですね。

 特に頸聯の対句は印象に残ります。

 尾聯の、春を共に迎えようと鳥に呼びかける作者の優しい心が、詩全体を穏やかなトーンで彩っていると思います。


2011. 3. 7                 by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第71作は徐庶さん改め、 猴冠 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-71

  雪        

孤牀眠倣日昇遲,   孤牀 眠りは日の昇るの遅きに倣ひ、

晝午蕪庭初坐窺。   昼午 蕪庭 初めて坐して窺ふ。

梅樹未春纏粉飾,   梅樹 未だ春ならざるに粉飾を纏ふ、

應懷鶯友不堪期。   応に鶯友を懐ひて期するに堪へざるべし。

          (上平声「四支」の押韻)

<解説>

 鈴木先生、ご無沙汰しております。
以前に徐庶と名乗って漢詩を投稿していた者です。
思うところあって暫く投稿を控えていましたが、また再開しようと思い、久々にメールと詩をお送り致します。

なお、号ですが、心機一転ということで「猴冠」と改めさせて下さい。
今後とも宜しくご指導ご鞭撻の程宜しくお願いします。



<感想>

 お久しぶりですね。

 昨年末に一人土也さんから何年振りかの投稿をいただき、懐かしく思っていました。
 以前投稿いただいていた頃、お若い方が多く、小学生の一人土也さん、中学生の徐庶さん、現在は韓国に留学されている高校生の舜隱さん、大学生の観水さん、こうした若い年代の皆さんからの投稿は、桐山堂の多くの仲間(人生の先輩方)にとても元気と勇気を与えてくださったのですよ。

 進学、就職、結婚など、色々な生活の変化もあると思いますが、みなさんが漢詩から離れないでいてくださったことをとても嬉しく思います。
 桐山堂はあまり変わり映えないかもしれませんが、昔なじみのお店みたいなもので、安心していつでも帰ってきてください。私は勿論、皆さんも大歓迎ですよ。

 四月からは社会人になられるとのこと、そう思って詩を読めば、大学生活から新しい生活へと足を進める思いが表されているように感じます。(決して、徐庶さんが大学時代に朝寝坊だったと思っているわけではありませんよ)
 そうした読み方は作者の事情に偏りすぎたものではありますが、梅の枝の雪を花と喩える(「纏粉飾」)ことで二つの季節を詠み込む表現が変化を感じさせるのでしょうね。

 前半はもう少し推敲ができるように思います。特に承句の「初」は単なる説明に終わっていますので、作者自身の姿や動作を形容する言葉が良いでしょう。



2011. 3. 7                 by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第72作は勝風改め 蕉風 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-72

  吟詠讃頌        

抒情勇壮古今心   抒情 勇壮 古今の心

處世指南吟道深   処世の指南 吟道深し

聲動梁塵磨響亮   聲動梁塵 響亮を磨き

一詩一詠値千金   一詩 一詠 値千金

          (下平声「十二侵」の押韻)

<解説>

 桐山人先生、長い間のご無沙汰をお許しください。勝風改め蕉風でございます。
久しぶりの投稿をさせていただきました。

 詩吟を学びつつ、漢詩にも深い興味を持ってその創作に努めているのですが、なかなか納得できる詩ができません。
 今回は,古今の名詩を鑑賞し,発声法を学びながら吟じる吟道の良さを感じたまま漢詩にしてみました。

<感想>

 勝風さんも六年ぶりでしょうか。

 詩吟に励んでいらっしゃるようで、承句の「處世指南吟道深」や結句の「一詩一詠値千金」には、吟詠に対しての喜びと感謝の気持ちが素直に表れていると思います。

 前後しますが、転句の「声動梁塵」は魯の虞公の故事で、虞公が歌を歌ったらはりの上の塵まで動いたことから、歌い方が優れていることを表す言葉ですね。読み下しは「声は梁塵を動かし」とした方が分かりやすいかもしれませんね。



2011. 3. 7                 by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第73作は京都は八幡市にお住まいの 洋宏 さん、六十代の男性の方からの初めての投稿作品です。
 

作品番号 2011-73

  晩霞        

晩霞天畔薄紅粧   晩霞 天の畔は薄紅の粧

地既幽昏人影長   地は既に幽昏 人影長し

児子遊山来郊外   児子 遊山し郊外に来る

欲慌回去急車行   慌て回去せんと欲し 急ぎ車行す

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

 子供の頃の夕焼けの感動です。夕焼けに見とれて 辺りが暗くなって慌てたのを思い出したのです。

<感想>

 洋宏さんは漢詩を作り始められたばかり、このホームページを参考にして勉強を始めたとのこと、新しい仲間を迎えることができ、お役に立てて嬉しく思っています。

 子供の頃の思い出、というテーマですが、「児子」を自分自身だと限定する言葉を入れてないため、現実の光景を見ているような写実感が生まれています。第三者的に描くという形で、これはこれで効果的だと思いました。
 「思い出なんだ」と強調するならば、この子供の心情にもっと入り込むか、「故郷」「故山」などの懐旧を意味する言葉を詩のどこかに入れるようにすれば良いでしょう。

 前半の、夕暮れ時の景、空の明るさと地の暗さの対比はスケールの広がる、叙情味のある表現になっていると思います。

 転句は「遊山」「来郊外」が気になりました。場所を表す言葉を複数使う場合、「山」と「川」など違う場所ならば「あちこちに行った」という意味になりますが、「山」と「郊外」ですと場所が重なるため、単なる重複感しか残りません。
 どちらか一方で十分だと思います。

 結句の韻字「行」は、「下平声八庚」の時は「行く」、「下平声七陽」は「列や行」の意味になります(ついでに、「行う」の時は仄声)。
 この詩の場合は韻目が「下平声七陽」ですので、「急車行」は「車行(車の列)に急ぐ」「車行を急ぐ」と読むことになります。
 ただ、「車行に急ぐ」にしろ、「急ぎ車行す」にせよ、主語は「児子」ですから、この「車」は「電車」や「自動車」ではないわけで、「急車行」「あわてて自転車を走らせた」ということかと思いますが、なかなかそうは読めないでしょう。
 「下平声七陽」韻で他の語を探すような方向が良いと思います。



2011. 3. 7                 by 桐山人



洋宏さんからお返事をいただきました。

 鈴木先生
 返事を頂いた上にホームページに掲載して頂き有難うございます。
今後も投稿を続けたいと決心しました。

 よろしくお願いいたします。

 投稿句は以下のように修正してみました。結句に苦労しました。


    晩霞
  晩霞天畔薄紅粧   晩霞 天の畔は薄紅の粧

  地既幽昏人影長   地は既に幽昏 人影長し

  児子遊山忘刻過   児子 遊山し刻の過ぎるのを忘れ

  老人耕作憶家郷   老人 耕作し家郷を憶ふ



2011. 3. 9                   by 洋宏


 推敲作を拝見しました。
 転句の下三字は「刻過」が分かりにくいので、挟み平を用いて「忘帰刻」でどうでしょう。

 結句は「老人」ですと、転句の「児子」との対応が強くなり過ぎます。「野夫」「野翁」くらいが良いでしょう。


2011. 4. 4                 by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第74作は 井古綆 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-74

  霜        

自古并稱節操堅   古へり 節操堅しと并称へいしょうされ

嚴冬凛冽降從天   厳冬 凛冽 天り降る

塾生汲水清莊外   塾生 水を汲めば 荘外に清く

遊子思郷疑月前   遊子 郷を思ひて 月前に疑ふ

茅店鶏聲一橋白   茅店の鶏声 一橋白く

騷人筆勢萬楓然   騷人の筆勢 万楓然ゆ

休言日上如朝露   言ふを休めよ 日上れば 朝露の如しと

老去何時加鬢邊   老去すれば 何れの時にか 鬢辺に加はる

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 「并称」: 雪と。

※対句それぞれに
廣瀬淡窓
李白
温庭筠
杜牧



<感想>

 「霜」の語を用いずに「霜」を想起させるために、著名な詩から印象的なフレーズを持ってきたこの詩は、読みながら「これはどこかで聞いたな」と思ってニヤリとするとともに、単なる借句でなく、井古綆さんと楽しい漢詩クイズをやっているような印象です。

 出典も示していただいてますが、種明かしを見てからもう一度読むと、井古綆さんの要約の工夫が感じられ、二度楽しめる詩ですね。


2011. 3.27                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第75作は 常春 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-75

  惑星探査機 隼        

目的惑星方一里   目的の惑星 方一里

絲川偁號意圖深   糸川の偁号 意図深し

短軀密密艤装略   短躯 密々 艤装の略

長旅津津探索尋   長旅 津々 探索の尋

征路順風情報富   征路順風 情報に富み

兩回採取得纔斟   両回の採取 纔に斟み得たり

歸途翻浪行踪亂   帰途翻浪 行踪乱れ

萬態創夷何克任   万態の創夷 何ぞ克く任ふ

七歳看青憂又喜   七歳の看青 憂い又喜び

四時追影智倶心   四時の追影 智 心を倶にす

成員努力盈成果   成員の努力 成果盈つ

更盡挑燈宇宙森   更に灯を挑げ尽くせ 宇宙森たり

          (下平声「十二侵」の押韻)

<解説>

 小惑星「イトカワ」は500メートル平方にすっぽり収まる。
これの探査に7年間60億kmの旅を成し遂げた「ハヤブサ」とそれを支えたスタッフの労を讃えて。


「密々」: 細やかに、また努め励むさま
「艤装略」: 艤装の方略
「津々」: 溢れるばかりに多いさま
「看青」: 見守り育てる
「四時」: 二十四時間


<感想>

 七言排律は、先日の岡山でのサイト懇親会で、謝斧さんから「この形式は淘汰され、とっくに消えたものだと、以前に太刀掛呂山先生に叱られたことがある」とのお話を伺いました。

 七律で収まらないのは排律にするのではなく、古詩の形で作るのが良いとのことでしたが、対句の工夫を更にそのまま楽しみたいというお気持ちもよく理解でき、またまた謝斧さんからお叱りの言葉を受けるのを覚悟の上で載せちゃいます。

 この詩の場合には、「ハヤブサ」の功績だけならば律詩で収まるかもしれませんが、スタッフの努力も詠み込むためにはどうしても句が足りないというところでしょう。もちろん、それぞれを主題として二首作るという選択もあったかもしれませんが、理系の常春さんとしては、この偉業を丁寧に描写したいことと、道中の緊張感を持続するために敢えて一首に収めたいというお気持ちなのでしょう。
 ただ、主題が逆に拡散して、「ハヤブサ」を見ようとすれば後半が、またスタッフや科学技術の功績に絞ろうとすると中盤が冗漫に感じられるきらいはあります。


2011. 3.27                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第76作は 展陽 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-76

  偶成        

朝南暮北縦遨遊   朝は南に暮は北で遨遊ほしいままを

浅学非才有何尤   浅学非才 何(なん)の尤(とが)があろうか

唯慎平生休侈傲   ただ平生は侈傲(おごりたかぶり)を休(や)めるよう慎み

多交旧友故情留   旧友と多く交え故情を留(とど)めよう

          (下平声「十一尤」の押韻)

「平生」: ふだん
「故情」: 昔の思い出

<感想>

 展陽さんからは、転句の「休」が冒韻なので、「無」に替えた方が良いかどうか、というご質問もありました。
冒韻の許容については、つい先日「桐山堂」のコーナーに、東洸さんからご質問がありましたので、私の回答も載せておきましたのでご覧ください。

 転句は実はこのままでは「休侈傲」「慎」しむことになりますので、話の内容が逆になってしまいますね。「慎」を「願」「望」などの言葉にすると話は合いますね。

 起句の「朝南暮北」は「あちらこちらを飛び回って」という意味でしょう。「東西南北人」を連想させ、居場所に縛られない自由な人をイメージさせますね。

 承句は「浅学非才」「浅学菲才」が正しい字です(「菲」は「少ない」という意味です)。この場合の句「浅学菲才有何尤」の平仄は「○●●○●○◎」となっていますので、「四字目の孤平の禁」と共に「二六対」も破られていますので、推敲をお願いします。


2011. 3.27                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第77作は 鮟鱇 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-77

  抱怨東北関東大震災 其一        

此處春風搖墓標,   此處では春風 墓標を搖らし,

奧州地震蕩山高。   奧州の地震 山の高きを蕩(うご)かす。

人聞海嘯襲閑晝,   人は聞く 海嘯の閑昼を襲い,

天洗江城沈怒濤。   天は洗ふ 江城の怒涛に沈むを。

電視通宵報災害,   電視 通宵 災害を報じ,

國民傷目悼同胞。   国民 傷目 同胞を悼む。

詩人無力空磨墨,   詩人 無力にして空しく墨を磨き,

寒苦將遒舊樂郊。   寒苦 将に遒(せま)らんとす 旧楽郊。

          (中華新韻「六豪」平声の押韻)



 大震災、被害を受けられた方にお見舞い申しあげます。
 亡くなられた方々のご冥福をお祈り申しあげつつも、その無念、量り知れません。

「海嘯」: 津波。
「江城」: 河に面した町。
「電視」: テレビ。通宵:夜通し。
「舊樂」: ここでは昨日までの楽郊
「寒苦」: 厳しい寒さ。

<感想>

 東北・関東大震災のコーナーから再掲しました。


2011. 3.28                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第78作は 鮟鱇 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-78

  抱怨東北関東大震災 其二        

衆人期待櫻雲好,   衆人 桜雲の好きを期待するに,

東北古來災害多。   東北 古來 災害多し。

猛虎出山生地震,   猛虎 山を出でて地震を生じ,

放龍入海起鯨波。   放龍 海に入りて鯨波を起こす。

無能宰相避答辯,   無能なり 宰相は答弁を避け,

有恨遺骸浮水渦。   恨みあり 遺骸は水渦に浮く。

一億國民悼横死,   一億の国民 横死を悼めば,

千鍾血涙溢高河。   千鍾の血涙 高河に溢る。

          (中華新韻「二波」平声の押韻)

「横死」: 災いによる異常な死。
「高河」: 銀河。
「無能宰相避答辯」:

 大震災、今はまず日本の総力をあげて東北の艱難を克服しなければならない時期であるでしょう。
 しかし、菅総理は、記者会見で国民に理解と協力を訴えただけで、あとは官房長官に任せ、記者の質問を受けずに引っ込んでしまいました。
 言いたいだけのことをいって、あとは部下によろしく、の感に、現政権の現況を見る思いがしました。

<感想>

 東北・関東大震災のコーナーから再掲しました。


2011. 3.28                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第79作は ニャース さんからの作品です。
 

作品番号 2011-79

  震災        

怒涛海嘯猛呑人   怒涛の海嘯 猛しく 人を呑み、

安否亳無祈仏神   安否 亳にも無く 仏神に祈る。

天明看惨恐慌生   天明 惨を看れば 恐慌生じ、

夜黒襲寒露宿辛   夜黒くして 寒襲えば 露宿辛し。

百里村庄埋瓦礫   百里 村庄  瓦礫に埋まり、

千年郷鎮化砂塵   千年の郷鎮 砂塵と化す。

季是開花躍動時   季は是 開花 躍動の時、

誰知此日只傷春   誰か知る この日 只春を傷むこと。

          (上平声「十一真」の押韻)




<解説>

 ご無沙汰しています。
大連のニャースです。

 今度の災害は言葉になりません。
中国の現地の方々からも多数のお見舞いの言葉をいただいております。

 早い復興を祈ることしかできない自分が情けないです。

 猛り狂った津波が人を呑み込む。
 多数の方の安否がわからず、神仏に祈るだけである。
 夜が明ければ、惨状を目の当たりにして、再度 恐怖が生じ、暗くなれば寒さが襲い、野宿がこたえる。
 美しい村落は瓦礫で埋まり、千年の美しい街、村は砂のようになくなってしまった。
 季節は春で生命の躍動を感じる時なのに、春を傷むことになろうとは、誰が思ったであろう。



<感想>

 東北・関東大震災のコーナーから再掲しました。


2011. 3.28                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第80作は 兼山 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-80

  東北関東大震災        

幾萬幾千人被災   幾萬 幾千の人 被災す

流亡家屋作塵埃   家屋 流亡して 塵埃と作る

借問如何神否在   借問す 如何 神は在しますや否や

將憐慘状涕洟催   慘状 將に憐むべし涕洟を催す

          (上平声「十灰」韻)

    松島や嗚呼松島や春の雪

    大津波來しみちのくに彼岸來る


<解説>

  古今未曽有の大災害を漢詩七絶に詠んだ。
被災者に成り代わって「神は何処に在すのか」と問うて見たが、この世には神も仏も存在しないのかも知れない。

 もし、石原東京都知事が言う様に、日本人の心の垢、我欲、物欲を、津波を利用して洗い落すための「天罰」であるならば、東北・関東地方だけでなく、一挙に「日本沈没」して然るべきであろう。


 「福島原発事故」は、どうしても詩には詠めない。本質的な(人為的な)問題点が不明だからである。「フクシマ」だけが騒ぎの渦中にあるが(恐らくは)作為的に報道されない「他の原発」は如何なのか。隣県の茨城には「東海村原発」も在る。

 来月の統一選挙の論点が気になる。多分この災害を他人事の様に食い物にするであろう。子供手当の金額の多寡が問題ではない。総理の無能さを云々する場合ではない。現職総理を辞めさせて「即」有能な救世主が現れる筈はない。

「全面的に協力する」と公言しながらも「お手並み拝見」と言わんばかりに、そっぽを向いている野党の態度も大人気ない。マスコミの所為とばかりは言えないだろうが、都知事選に於けるタレント政治家の限界性は、既に経験済みである。選挙は人気投票ではない。

<感想>

 東北・関東大震災のコーナーから再掲しました。


2011. 3.28                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第81作は 鮟鱇 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-81

  願原發事故收束        

雲飛碧落就新晴,   雲は碧落に飛んですなわち新晴,

不見山河放射能。   見えず 山河に放射能。

科技百年輕海嘯,   科技 百年 海嘯を軽んじ,

原發一日害人生。   原発 一日にして人の生きるを害す。

士夫敢死封灰燼,   士夫 死を敢へてして灰燼を封ぜんとすれば,

妻子傷心信血誠。   妻子は心を傷むるも血誠を信ず。

萬衆祈求工奏效,   万衆 祈求す 工 效を奏し,

降魔齊放凱歌聲。   魔を降し斉放したし凱歌の声を、と。

          (中華新韵十一庚平声の押韻)



<解説>

 福島原発の事故対策で、命がけの労苦を積まれているみなさんに敬意を表します。感謝しています。
 事故の現場で奮闘するみなさんの家族のご心労、いかばかりかとお見舞い申しあげます。



<感想>

 東北・関東大震災のコーナーから再掲しました。


2011. 3.28                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第82作は 青眼居士 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-82

  思大地震        

早春午下地紛囂   早春の午下地紛囂す

非獨摧殘與焔焼   独り摧残と焔焼とのみに非ず。

奔浪洶洶呑港市   奔浪洶洶と港市を呑み、

妖氛鬱勃上雲霄   妖氛鬱勃と雲霄に上る。

卒然殞命恨無盡   卒然の殞命恨尽くること無からん、

倏瞬喪親魂合銷   倏瞬にして親(しん)を喪ふ、魂合に銷ゆべし。

寒夜渇飢君勿嘆   寒夜渇飢君嘆くこと勿れ、

同胞必使迓:芳朝   同胞必ず芳朝を迓:(むか)へしめん。

            (下平声「二蕭」の押韻)

<解説>

 大津波が船舶や住居や車を呑みこんで、ビニールハウスを薙倒しながら田畑を遡ってゆく光景と、ますます計りしれない原子炉からの放射能漏出の恐ろしさに、受けた衝撃はまだ鎮まりません。



<感想>

 東北・関東大震災のコーナーから再掲しました。


2011. 3.28                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第83作は 茜峰 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-83

  悼傷大震災        

壊崩地殻自然威   壊崩せる地殻 自然の威

被害深広予測違   被害の深広は 予測の違ひ

家族安危摧破累   家族の安危に 摧破の累

病躯疲弊薄寒霏   病躯疲弊に 薄寒の霏

涸枯燃料填充願   涸枯の燃料 填充の願ひ

被曝氾乎収結希   被曝の氾乎 収結の希み

支援絆覊温潤意   支援は絆覊す 温潤の意(こころ)

悼傷惨禍復興祈   悼傷す惨禍 復興の祈り

          (上平声「五微」の押韻)

<解説>

  東北関東大震災に対し ただただ哀悼の心でいっぱいです。
 原発事故はいまだ見通しがつきません。

 復興まではまだまだ課題が山積みですが、一日も早くもとの元気な東日本に立ち上がれますことを切に願っています。




<感想>

 東北・関東大震災のコーナーから再掲しました。


2011. 3.28                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第84作は 道佳 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-84

  刻下救助東日本大震災        

津波凄惨酷   津波 凄惨酷(むご)し

呑滅町村崩   町村を呑滅(どんめつ)崩さん

原発危機殖   原発 危機殖(ふ)え

人民被爆増   人民 被爆増(ま)す

史編安政焱   史編 安政の焱(えん)

故事稲叢灯   故事 稲叢(いなむら)の灯(ひ)

刻下早扶助   刻下(こっか) 早く扶助を

祈霊教訓恒   霊(みたま)に祈る 教訓は恒(つね)なり

          (下平声「十蒸」の押韻)




【語意】

「呑滅」: ほろぼす
「殖」: ふへる、くさる
「刻下」: いますぐ
「恒」: いつまでも

【大意】

 いますぐ救助が求められています。M九.〇という国内最大の地震による大津波の惨状は、凄惨を極めている。
多くの町村は津波に呑み込まれ壊滅的な事態になっている。
さらに原発の危機が次々広がり爆発、被曝する人が増え極めて危険な事態に陥っている。

 歴史上、日本はこれまでも再三震災に遭っている。安政元年(一八五四年)の十一月には三回大地震に見舞われ、和歌山では津波が来ると、稲に火をつけ村民に知らせ救助したことが、「稲むらの火」の故事として伝えられている。
 いま求められるのは、一刻も早い救援。
 また亡くなられた人々の御霊に祈り、この傷ましい犠牲に報いるためにもいつまでもこの震災の教訓を後世に伝えていかねばならない。


【故事】

 一八九六年、三陸地震津波は三万人もの人命を奪いました。
 このニュースを知った小泉八雲は、明治より昔に紀州の五兵衛老人の津波から村民を守った話を聞いて「生き神様」を書きました。その後、和歌山の小学校の先生が、故郷にこんな立派な人がいたと「稲むらの火」の物語を書きました。
 安政元年十一月大地震が起き、浜口儀兵衛が海を見ると潮が大きくひいており、これは大津波が来ると危機を感じた。しかし、村人はそれを知らなかった。
 そこで、刈りとり束ねていたばかりの稲に次々と火をつけ、事態をしらせ、津波から村人を救ったお話です。

<感想>

 東北・関東大震災のコーナーから再掲しました。


2011. 3.28                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第85作は 洋宏 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-85

  東北大災害        

突然来襲大津波   突然の来襲 大津波

蝕地呑家黍又禾   地を蝕み家を呑む 黍も禾も

夜半月光避難所   夜半の月光 避難所

恐惶明日夢中過   明日を恐惶し夢中に過ごす

          (下平声「五歌」の押韻)

<感想>

 東北・関東大震災のコーナーから再掲しました。


2011. 4. 2                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第86作は 仲泉 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-86

  悼大津波受難者        

逆水押流西又東   逆水押し流す西又東

嘬家呑圃一望空   家を嘬み圃を呑む一望空し

自然猛勢人声絶   自然の猛勢人声絶ゆ

只管鎮魂心有忡   只管鎮魂心&#"4545;有り

          (上平声「一東」の押韻)

<感想>

 東北・関東大震災のコーナーから再掲しました。


2011. 4. 3                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第87作は 劉建 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-87

  大寒夜、食羹作(蝦夷風物詩)        

把皮和卵對寒烹,   皮と卵を把り 寒に対し烹し

口咀膠膠啜熱羹。   口咀 膠膠として 熱羹を啜る

魚腹便便如布袋,   魚腹 便便として 布袋の如く

從淵浮浪始春萌。   淵より 浪に浮き 始めて春萌ゆ

          (下平声「八庚」の押韻)

<解説>

 (蝦夷風物詩)と題して身の回りの物を漢詩にしてみようと思いました。
 今のところ食物詩になっていますが。よろしくお願いします。

 黒い皮を切り、粉紅(ピンク)色の卵を取り出して、大寒の日には鍋を煮てみる、口に柔らかく、暖かい鍋汁を飲む。
 魚の腹は、ぶよぶよと太り、布袋様の様で、産卵のために深海から上がって波間に浮くと、始めて春が萌えるの だ。

「魚」: ここでは布袋魚を指す。布袋魚は海深く生息し、産卵期に波間を漂い、磯に産卵する。味は鮟鱇に似て、コラーゲンの多い肉質である。通称、ゴッコと言い、ゴッコ汁は有名。

<感想>

 起句の「和」は現代中国語では一般に用いますが、漢詩では俗語になりますので、「与」の方が良いでしょう。
 ただ、この場合には「与」も文意としては必要がなく、「把皮卵」で十分です。せっかく「皮」と「卵」が対になっていますので、「割皮採卵」と具体性を持たせるのはどうでしょうか。

 結句は「浮浪」は「浪」に場所を表す言葉が欲しいところ、「浪間漂揺」などでしょうか。


2011. 4. 4                 by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第88作は 陽山 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-88

  伊那谷        

冠雪初銷赤石頭   冠雪 初めて銷んとす 赤石の頭

天竜春水拍岩流   天竜の春水 岩を拍って流る

故園松籟喧塵遠   故園の松籟 喧塵遠し

借取朝暉掃百憂   朝暉を借取して 百憂を掃はん

          (下平声「十一尤」の押韻)

<解説>

 赤石は南アルプスの主峰赤石岳、天竜は諏訪湖に端を発し、伊那谷を削って太平洋に注ぐ天竜川です。

<感想>

 前半は雄大な景観が目に浮かぶ描写です。できれば、赤石岳が他の山に抜きんでて高いことを表すと良いかと思います。

 転句は、「故園」は視野の変化が大きすぎ、前半の叙景の力強さから見ると句自体が急に弱く小さくなった感じがします。下三字の「喧塵遠」は、いわずもがなの言葉、語り過ぎでしょう。

 結句は下三字の「掃百憂」は上の四字とのつながりが分かりません。前半の景を見るだけでも十分に「掃百憂」できていると思いますし、どんな「百憂」があるのかもこの詩からだけではつかめません。

 以上の点を考慮されて、後半を推敲されると良いでしょう。



2011. 4. 4                 by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第89作は 井古綆 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-89

  壺阪寺        

山容水態自依然   山容水態 自ずから依然たり

風暖花開鳥語連   風暖かく花開いて 鳥語連なる

歴歳招提浮淡靄   歴歳せる招提は 淡靄に浮かび

新臺菩薩聳香煙   新台の菩薩は 香煙に聳ゆ

昔時縁起説情愛   昔時の縁起は 情愛を説き

現世慈航積布泉   現世の慈航は 布泉を積む

靈驗綿綿到今古   霊験綿々 今古に到り

叩門無絶白筇牽   叩門絶ゆる無く 白筇を牽く

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 今から25年くらい前の作で、律詩は第二作の作品です。
第一の作は「比律賓元大統領失脚」です。


 [語釈]
「新台菩薩」: 当寺のインド救ライ事業のお礼にインドから贈られた石像。
「布泉」: (その事業への)お金。
「昔時縁起」:壺阪霊験記。原作者未詳の浄瑠璃。盲人沢一の妻おさとの貞節の物語。


<感想>

 井古綆さんはご紹介のあった「比律賓元大統領失脚」の投稿の折りに、律詩を作り始めた頃の思いを書かれていましたね。25年温めておられた詩を見せていただくのは、後に学ぶ私たちにとっては参考になることが沢山あります。

 頷聯の「招提」は「寺の伽藍」のことですが、春霞の中に浮かび上がる様子が伝わってくると共に、下句の「新臺菩薩聳香煙」との対応も印象的です。

 頸聯の対句「縁起説情愛」「慈航積布泉」、作者の発想はよく理解できますが、内容的に対としては理解しづらく、発想そのものに流れすぎたように思いました。


2011. 4. 4                 by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第90作は 仲泉 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-90

  山中雑感        

古木深閑神自安   古木深閑 神自ら安し

孤鴉声咽思無端   孤鴉声咽 思ひ端無し

峻豪痩芫ツ天歎   峻拷艪拒み 天を仰ぎて歎ず

詩債成山焉憚難   詩債山を成す 焉んぞ難を憚らんや

          (上平声「十四寒」の押韻)

<感想>

 一句一句を見ていると問題は無いのですが、全体では噛み合わない点が出てきますね。

 例えば、起句で「神自安」と述べていますが、転句の「仰天歎」はかなりきつい表現ですので、心は落ち着いているのかどうなのか、分からなくなります。
 また、結句の「詩債成山」の言葉も、書斎の景ならば良いですが、「山中雑感」としては違和感が残りますね。山の中に居て「成山」も、面白いとも言えますが、どのくらい山になるのかを考えるとよく分からなくなります。


2011. 4. 4                 by 桐山人