2008年の投稿詩 第61作は 芳原 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-61

  霜月 其一(改作)        

孟冬驟雨頻   孟冬 驟雨頻りなり

淅瀝掃軽塵   淅瀝として軽塵を掃ふ

落日帰牛歩   落日 帰牛の歩

畦辺急邑人   畦辺 邑人を急がしむ

          (上平声「十一真」の押韻)

<感想>

 2007年の投稿詩「霜月 二首」を推敲されたものです。
 前回も書きましたが、「霜月」は和習ですので注意してください。「辜月」とすれば、陰暦十一月になります。
 やはり、季節感が足りないように思います。起句の「孟冬」を取り除けば、いつの季節でも通用する内容ですので、実感が無く、申し訳ないですが、ありきたりの詩になっています。

 見たものはこのままであったとしても、作者に感動を与えたものが何かあったはずです。そこに季節感が関わっているならば、そこを大きく拾い出すのも詩を考えるステップです。
 逆に、季節感は無関係であるというならば、題名を変えて、「冬日郊行」にすれば読者も納得できるでしょう。「霜月」と題されると、当然季節を表す内容だと読者は考えてしまうからです。

 あと、冬の「驟雨頻」は合わないでしょうから、「寒雨」くらいにすべきだと思います。

2008. 2. 14                 by 桐山人






















 2008年の投稿詩 第62作は 芳原 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-62

  霜月 其二(改作)        

白草原頭閭巷寒   白草原頭 閭巷寒し

屏居何處足清歡   屏居何れの処ぞ 清歓足る

墨蹤乱帙恣高枕   墨蹤乱帙 高枕を恣にす

濁酒一樽宵已闌   濁酒一樽 よる已に闌なり

          (上平声「十四寒」の押韻)

<感想>

 起句の「白草原頭」は王昌齢の「出塞行」から持ってきたとのことですが、「白草原」は固有名詞かと思っていました。
 芳原さんは「白い草が生えている場所」という意味で使われているのだと思いますが、これは王昌齢の詩の流れから見ても、高原のイメージが強いと思いますので、「閭巷」で人が集まっている場所を示す言葉とは合うのでしょうか。
 起句承句をまとめると、「広々とした草原に村里があり、その村里の中に隠れ住んでいる」となりますので、どうも場面が現実味を持たないような気がします。
 「原頭」を修正されると、バランスの取れた良い詩になると思います。

2008. 2. 14                 by 桐山人



井古綆さんから感想をいただきました。

 芳原雅兄今日は。
 玉作を拝見いたしました。NHKのテキストで独学とのことですが、わたくしも“漢詩を読む”の放送より長年独学しています。雅兄よりわたくしのほうが少しだけ年数が多いように思いましたので、この拙文を差し上げました。
 わたくしは恥ずかしいことに、勉強不足で「白草原頭」なる語を存じませんでした。ですので、ひと様の作品への理解が間違いがあるかも知れませんが、気が付いた点を述べて見ます。お役にたてば幸いです。

 転結の、「墨蹤乱秩恣高枕、濁酒一樽宵已闌」を“墨蹤乱秩のあとで高枕を恣に(寝て)、その後お酒を飲めば夜がいつの間にか更けている”と解釈いたしましたが、これでは時間の経過が不自然に感じられました。そこで、結句のみを少し推敲して見ました。
 「酔起樽前夜已闌」とすれば、“墨蹤乱秩のまま(飲酒し)高枕して、樽前に酔起すれば夜は已に半ばを過ぎていた” となり、不自然さが無くなるように思いますが、いかがでしょうか。 

2008. 2.18             by 井古綆





















 2008年の投稿詩 第63作は 柳田 周 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-63

  新年情景        

他郷幾度会新年   他郷にて幾度ぞ新年に会ふ

養病真祈小社前   病を養って真に祈る小社の前

竹馬踉蹮 無路上   竹馬の踉蹮 りょうしょうたること路上に無く

風箏跋扈莫山辺   風箏の跋扈ばっこすること山辺に莫し

飽騒電視常催浴   騒がしき電視に飽きれば常に浴をうなが

倦漫読書時引眠   そぞろなる読書に倦めば時に眠りをいざな

富国豊民経四紀   国豊み民豊かとなりて経に四紀

世間何貴独金銭   世間何ぞ独り金銭のみを貴ばんや

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 註)
「踉蹮 」:よろよろと、ジグザグに。
「風箏」:凧=紙鳶
「跋扈」:勝って気まま
「電視」:テレビ
「四紀」:四十八年

 陸游の七律「観村童戯渓上」に下記の対句がある
  竹馬踉蹮 衝淖去   竹馬踉蹮 としてどうを衝いて去り
  紙鳶跋扈挟風鳴   紙鳶跋扈して風を挟んで鳴る

 今年は病後で帰郷も遠出もできず、初詣は近くの小さな社で済ませました。
 岩波文庫で一海知義編「陸游詩選」を読んだ時、上記の対句が印象深く記憶に残りました。竹馬も凧も最近は全く見る事がないからでしょう。

 七律二作目、この度は放翁先生のこの対句を一部戴きましたが、拙作が七律詩に値するかどうか。
 折角「踉蹮 」「跋扈」などを戴くのですから、文字の選択の際には意味ばかりでなく畳韻、双声、近い声韻などをも考慮した積もりですが、中国語は初歩者ですので適切に選べたか否か自信はありません。
 堪能な方のご批判を賜りたく存じます。

 「富国豊民」には異論があるかも知れません。「富国貧民」ではないかとか、「富国」も本当かなど・・・。しかし、ここでは戦後10年からの半世紀の経過を言っている積もりです。また「貴独金銭」も言い過ぎかも知れませんが、世間の傾向はこの様なものではないでしょうか。

<感想>

 まず、詩の情景から考えますが、これは新年に初詣に出かけた時の感懐であり、町の様子を眺めてのものだと思います。しかし、頸聯の描写はこれはどう見ても室内の作者の姿に他ならず、一体作者はどこにいるのか、混乱します。

 頷聯と頸聯は必ずしも同一の景にする必要はありませんが、あまり絶句における転句のように大きな転換はしない方がよく、特にこの詩のように全体から遊離してしまってはいけないでしょう。
 ここは頑張って、新年の町の様子をもう少し描写して作者は出さない方が、詩としてはまとまると思います。

 尾聯の「富国豊民」を「国富み民豊になりて」と読むのは無理があります。ここでは「国」も「民」も目的語になりますので、「国を富まし民を豊かにし」と読まなくてはいけません。順番を変えて「国富民豊」とすれば問題ありません。
 また、下句の「世間何貴独金銭」も語順としては、「世間何独貴金銭」とする必要があります。

2008. 2. 14                 by 桐山人



柳田 周さんからお返事をいただきました。

 柳田 周です。
 拙い七律に対して、ご指導、ご講評を賜り、ありがとうございます。

 「富国豊民」を「国富み民豊かに」と読んだことに対して、「国を富ませ民を豊かにす」と読むべきである旨、ご注意を戴きました。以前、「盈朝気」を「朝気盈ち」と読んだ際にも同じご注意でした。
 これらが返り点を以て読むべき述語+目的語の語順である事は承知しています。しかし、述語+目的語の語順で、かつ明示的な主語が無い場合に、返り点読みをすると心中に主語が要求され、それを敢えて言う必要がないか、言えない場合、返り点をして正確に読み下すよりも、敢えて返らない方が日本語として自然なのではないかと思えます。
 自然現象の場合、降雨を雨降ると読む事があるのと似ています。(勝手な自己流は慎めと叱られそうです。矢張り漢文訓読の正統から外れてはいけないのでしょうね。)
 この場合、平仄の問題も無いのだから、主語+述語の語順で、「国富民豊」と書ばよいのですが、これは「富国強兵」に引きずられた故だったと思います。

 「世間何貴独金銭」は白居易の「故郷何独在長安」を引くまでもなく、誤りでした。「独」は副詞として動詞の前に置き「何独+動詞」の使用法が通常であるところを、形容詞として「ひとり」と訓じた結果です。
 ただ、藤堂先生の「漢字源」では形容詞として「ひとり」の訓を与えていますので、「世間何ぞ貴ばん、ひとり金銭のみを」と読むのならはよいのでしょうか?

 律詩の各聯の性格について、鈴木先生は<頷聯と頸聯は必ずしも同一の景にする必要はありませんが、あまり絶句における転句のように大きな転換はしない方がよく>と書かれています。
 先にも書きましたが、初学者には聯の性格をどうすればよいかが分からず、悩む所です。ついては、改めて入谷仙介先生の「漢詩入門」を紐解いてみました。その189ページにこうあります。<起承転結の法則は律詩では聯を単位に働きます。首聯が起、頷聯が承、頸聯が転、尾聯が結になります。>
 私の拙詩では確かに頷聯と頸聯とで『飛躍』があり、作者の位置が混乱するとの先生のご批評は首肯するべきと思いますが、律詩の聯の性格付けは悩ましいです。

2008. 2.20               by 柳田 周


 漢文の語順については、確かに自然現象の場合には現代中国語でも「下雨」「下雪」などと表現しますが、それを他の場合に敷衍してはいけません。「自然現象の場合に」と限定して見るべきです。
 また、漢詩では押韻の関係で語順を入れ替えることもままありますが、だから何でも良いとはならないわけです。「富国豊民」ならば、「国を富まし、民を豊にす」と読むか、「富みし国、豊かなる民」と修飾関係で読むしかありません。

 聯の性格付けについては、「律詩の各聯は絶句の起承転結と同じ」と説明されている本もよく見ます。私は、絶句の起承転結のような感覚では頷聯と頸聯の間が開きすぎるように感じています。頷聯と頸聯が同趣旨では詩全体がベタついてしまいますから、頸聯に変化を持たせることは当然です。
 絶句でも「転」をあまりに奇抜な展開にするのは避けるように言われますが、それよりももっと緩やかな形でつなげる方が妥やかのように思っています。

2008. 2.26              by 桐山人





















 2008年の投稿詩 第64作は 青山 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-64

  秋夜聽吟蛩     秋夜吟蛩を聴く   

逢秋牽万感   秋に逢うて 万感を牽く

淡照月三更   淡く照らす 月三更

獨静吟蛩聽   独り静かに 吟蛩聞けば

不知心自平   知らずして 心自づから平らかなり

          (下平声「八庚」の押韻)

<解説>

 秋の夜中観照にふけっていると、もの寂しくコオロギの声が聞こえてきた。

 花鳥風月「春夏秋冬」ご評価していただきありがとうございました。
これからもご指導よろしくお願いします。

<感想>

 青山さんの「花鳥風月」四季編は楽しく読ませていただきました。五言絶句で句頭の字が固定されるという制約の中で工夫されている姿がよく分かりました。
 今回の詩は、そうした制約のない形で作られたものですが、一字一字に心を籠められていることが伝わってきます。秋夜の趣がよく出ている詩だと思います。

 難を言えば、起句で「牽万感」と出されていますが、ここで主題が提示されるのはどうでしょうか。この「万感」をもたらすものが承句と転句に示されるわけですが、句の構成としては、起句と転句を入れ替えると詩に動きが出て来るでしょう。

2008. 2.15                  by 桐山人






















 2008年の投稿詩 第65作は 井古綆 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-65

  觀梅        

梅林一望白交紅   梅林一望 白紅を交へ

花底吹來鶯語風   花底吹き来る 鴬語の風

哢吭連綿聲睍v   哢吭ろうこう連綿 声けんかんv

幽香馥郁影玲瓏   幽香馥郁 影玲瓏

凝望佳景畫懷溢   佳景を凝望すれば 画懐溢れ

傾耳好音詩興充   好音に傾耳すれば 詩興充つ

鎭日清遊塵外境   鎮日清遊 塵外の境

不知鎌月泛西空   知らず鎌月 西空に泛ぶ

          (上平声「一東」の押韻)

<解説>

「梅林」:十年ほど前に訪れた和歌山の岩代大梅林を指す
「哢吭」:鳥のさえずり
「睍v」:みめよい様、鳴き声のよい様と両方に用いるが、
    ここでは「聲睍v」とあるため「鳴き声のよいさま」

<感想>

 首尾の一貫した、情趣豊かな詩ですね。尾聯の「鎮日」は「一日中」という意味ですが、それが下句の「不知鎌月泛西空」の時間推移とよく照応していると思います。
 句の流れは順に「視覚−聴覚−聴覚−嗅覚(視覚)−視覚−聴覚」と押さえて来て、尾聯でそれらをひとまとめにして「塵外境」とまとめているですが、こうして見ると四句の「幽香馥郁」のみが浮いているでしょうか。
 直感的には、ここも梅の姿にしておくと、上四句を頸聯がまとめ、更に詩全体を尾聯がまとめるという構図になるかと思いました。

2008. 2.15                  by 桐山人






















 2008年の投稿詩 第66作は 知秀 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-66

  読新刊「萩物語 桂小五郎」        

明治元勲木圭伝   明治の元勲木圭の伝

評論狡猾巧逃賢   評論す 狡猾巧みに逃ぐる賢と

何知燕雀大鴻志   何ぞ知らん 燕雀大鴻の志を

悲憤投詩夜不眠   悲憤の投詩 夜も眠らず

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 先日萩市が出版した「萩ものがたり 桂小五郎」と言うブックレットに、一学芸員が、「桂は『逃げの小五郎』といわれるくらい、逃げることが上手、いい意味でのズルさを持つ人物」などと書き、おまけに「出石隠棲時にできた落とし子」と断定して木戸忠太郎と言う人の写真を載せました。
 正式の系図にもない人のことを「実子」と断定して物議をかもしたわけです。

私は「ずるい」という言葉にいい意味なんかないと思いますがいかがでしょうか。

私は現在この本を発行した萩市広報課及び著者に抗議中です。

<感想>

 一昨年の春に萩を訪問した際、桂小五郎のちの木戸孝允の旧宅で知秀さんにお会いし、ご案内をしていただきました。
 木戸公に対するご愛情がひしひしと感じられ、地元の方にこのように慕われる木戸公の人柄を偲ばせていただきました。

 直接「萩ものがたり」を手にしてはいませんので軽々には言えませんが、知秀さんのお手紙の内容から見ますと、知秀さんが抗議されるのはもっともなことと思います。「ずるい」という言葉を「いい意味で」と使おうとしても、根底にはその行為への非難の感情が入っていますね。
 歴史的人物の行為をどう評価するかはもちろん様々な観点でそれぞれの考え方があります。しかし、地元の先人に対して、公的な文書で人柄を「ズルイ」と言われては、木戸公も悲しまれるでしょう。

 その後の経過がどうなったのかと知秀さんのホームページを拝見しましたが、まだ結着はつかないようですね。
 そうそう、掲載された日記を拝見していたら、私の本をご紹介くださったようで、ありがとうございました。現在、続刊を必死になって執筆中ですので、また出版のあかつきにはよろしくお願いします m(_ _)m。

2008. 2.15                 by 桐山人



深渓さんからのお手紙です。

 知秀さんの桂小五郎の詩拝見しました。
 私は岩国が故郷です。郷土の英雄桂小五郎が「逃げの小五郎でズルイ」とは決して思いません。
 京洛で新撰組の探索をたくみに逃れ幾多の刃を逃れ維新の大業を成した勇気ある武人で稀有な政治家であったとおもいます。
 当時としては六尺の大男で、「力の齊藤」練兵舘の齊藤弥九郎に入門、神道無念流の免許皆伝、入門一年で塾頭となる。大柄な小五郎が得意の上段に竹刀を構えるや否や、その静謐な気迫に周囲が圧倒させられたと伝えられています。
 十数種もの変名を使い探索を逃れたのは勇気がなくズルイのではなく、逃げるのも大業を成さんとする真の勇気です。
 私も知秀さんの怒りは尤と思います。萩市の学芸員がそのような発言するとは?多分他郷の出の人ではないかと訝ります。

2008. 2.16                by 深渓

知秀さんからお返事をいただきました。

 鈴木先生
 昨日は当番で、いささか疲れ、早めに就寝いたしましたが、何かしら、知らせのようなものを感じて、深夜にPCを開きました。
 すると、拙作と、それに対する先生の暖かいお励ましのメッセージ、本当に涙がでるほどうれしゅうございました。

 その上、深渓様のお作、颯爽たる桂小五郎さんと、私も何度か訪れたことのある霊山墓地が見事に歌いだされており、その二重の喜びで、心が躍りました。
 最近NHKの「鞍馬天狗」で、石原良純さんが桂小五郎を演じております。まあ娯楽番組ではありますけれども、全然ないよりはあった方がよく、毎週楽しみに見ております。

 問題の『萩ものがたり』は、著者が他県人で、これまでもその発言で色々な物議をかもしてきた人です。
「真偽は別にして」と無責任な姿勢で木戸公の艶聞をことさら取り上げて書いてますので、このままではこれまで単なる風説であったことを定説として萩市が世に問うと言う重大なことになるため、抗議をしてきました。

 ことの勝敗は別にして、これで木戸公をよく知りたいという人がいささかでも増えたことで、私は良しとしております。

 先生、深渓様、本当に どうもありがとうございました!

2008. 2.16              by 知秀





















 2008年の投稿詩 第67作は 深渓 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-67

  偲木圭公     木圭公を偲ぶ   

乾坤京洛木圭奔   乾坤の京洛 木圭奔る、

潜刃挺身酬聖恩   刃を潜り 身を挺して 聖恩に酬ゆ。

百戦英雄武兼政   百戦の英雄 武と政と

東山墳寂湿苔痕   東山 墳は寂なり 苔痕は湿ふ。

          (上平声「十三元」の押韻)

<解説>

 「木圭公」は木戸孝允、木圭は号。長藩出身。桂小五郎の名で幕末の尊攘倒幕運動の指導的役割を果たした。
維新後は版籍奉還、廃藩置県を断行。参議、内閣顧問歴任。
京都東山の墳墓にヒッソリと眠る。

<感想>

 知秀さんのお怒りが収まらないので、というわけではありませんが、丁度、深渓さんからこの詩をいただきましたので、ここで掲載しておきましょう。

 前半の二句は、まさに時代劇の映画のようで、軽やかなバックミュージックが聞こえてきそうな印象です。

 その二句を受けて、転句では木戸公の人生を総まとめし、結句で現在の墓所の様子を描いたわけですが、結句は余韻を出そうとし過ぎたのではないでしょうか。転句との落差が大きくて、唐突に詩が終わりに持っていかれるような気がします。
 また、「墳寂湿苔痕」は、亡くなってから時が過ぎたことを言っているのですが、木戸公のお墓は遺言で、京都にある坂本龍馬や中岡慎太郎などのかつての同志の墓の近くに設けられているわけですので、そうした木戸公の思いを結句に書かれると、深渓さんの個性のある詩になると思います。

 なお、題名に使われた「偲」の字は、「思いしたう」の意味では和習になりますので、「木圭公」だけの方が良いでしょう。

2008. 2.15                  by 桐山人



深渓さんからお返事をいただきました。

 桐山堂先生 毎々ご指導有難うございます。
 「偲木桂公」の題名を「木桂公」に、また結句についてのご指摘有難うございました。共に眠る同志の情を持ってくるべきでした。

 図らずも2008―66作に知秀さんの桂小五郎の詩拝見しました。
私は岩国が故郷です。郷土の英雄桂小五郎が「逃げの小五郎でズルイ」とは決して思いません。
 京洛で新撰組の探索をたくみに逃れ幾多の刃を逃れ維新の大業を成した勇気ある武人で稀有な政治家であったとおもいます。
 当時としては六尺の大男で、「力の齊藤」練兵舘の齊藤弥九郎に入門、神道無念流の免許皆伝、入門一年で塾頭となる。大柄な小五郎が得意の上段に竹刀を構えるや否や、その静謐な気迫に周囲が圧倒させられたと伝えられています。
 十数種もの変名を使い探索を逃れたのは勇気がなくズルイのではなく、逃げるのも大業を成さんとする真の勇気です。
 私も知秀さんの怒りは尤と思います。萩市の学芸員がそのような発言するとは?多分他郷の出の人ではないかと訝ります。

   (このお手紙の後半部分は、知秀さんの感想にも載せさせていただきました)

2008. 2.16                by 深渓

井古綆さんから感想をいただきました。

 深溪雅兄 今日は。
 玉作を拝見いたしました。着想は素晴らしいと思います。起承転結はそれぞれに整っていますが、結句の落としどころが少し不足しているように感じられました。
 鈴木先生は“「墳寂湿苔痕」は亡くなってから時が過ぎたこと・・・”と述べられていますが、雅兄の詩意は「ここにお参りする人々の涙で苔が湿す」の意味ではないでしょうか。もしその通りであれば説明不足で、鈴木先生の感想の通り、これ以上の批評には至らないように思います。

 わたくしの推測が正しいものとして、下記の詩を記します。

    泉岳寺      坂井虎山
  山嶽可崩海可翻   山岳崩す可く 海翻す可し
  不消四十七臣魂   消せず 四十七臣の魂
  墳前満地草苔湿   墳前満地 草苔湿ふ
  盡是後人流涕痕   尽く是れ 後人流涕の痕

 今から十五、六年前この詩の詩意を偸んで、下記の一詩を賦したことがありました。

    飯盛山
  秋風寂寞飯盛巓   秋風寂寞たり 飯盛の巓き
  聞説忠臣此處眠   聞説く忠臣 此の処に眠ると
  欲弔英魂余涕涙   英魂を弔んと欲すれば 涕涙を余し
  行人無語湿碑邊   行人語無く 碑辺を湿す


2008. 2.16             by 井古綆





















 2008年の投稿詩 第68作は 忍夫 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-68

  新春悦楽(七律)        

元旦門前掲旭旗   元旦門前に旭旗を掲ぐ

春風一陣入南枝   春風一陣南枝に入る

賀正揮筆題詩句   正を賀し筆を揮ひて詩句を題す

食餅重杯悟聖時   餅を食ひ杯を重ね聖時を悟る

只嗜文書閑日月   ただ文書を嗜みて閑日月

自知愚鈍淡生涯   自ずと愚鈍なるを知りて淡生涯

楽哉兄弟囲同坐   楽しきかな兄弟同じき坐を囲む

酔臥炉辺共笑痴   炉辺に酔ひ臥して共に痴を笑ふ

          (上平声「四支」の押韻)

<解説>

元旦に日章旗を掲げれば、春風が庭に吹き込んでくる。
正月を祝って、筆を揮って詩句を記す。餅を食って、酒を飲み太平の世を有難く思う。
読書や書道に親しんで静かに暮らし、自分の非才を知って功名を望むべくもなし。
仲のよい連中と坐を囲めばこれに過ぎる楽しみなく、酔っ払って炉辺に臥せば、お互いのアホさ加減を笑ってしまう。

<感想>

 新年ののどかな時間がよく表れた詩ですね。「新年漢詩」に載せるのが適当な詩ですが、いただいたのが遅かったので、一般投稿にしました。

 初句の「元旦門前掲旭旗」は、私も子供の頃は毎年、父親が家の前に掲げるのを見ていました。

 新春の外の景色は描かれず人事が主で、書と酒が強調されて印象に残りますが、家の中に籠もっているのも正月らしく、元旦にあたっての自身の姿を鑑みる姿勢が出ていますので、「新春書懐」という感じですね。

2008. 2.16                  by 桐山人






















 2008年の投稿詩 第69作は 忍夫 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-69

  新春悦楽(五律)        

山際卿雲麗   山際卿雲麗し

迎春見瑞祥   春を迎へて瑞祥をみる

先慶安穏日   先慶ぶ安穏日

自記太平光   自ずと記す太平光

初夢迷桃里   初夢桃里に迷ふ

炉辺入酔郷   炉辺酔郷に入る

無人非酒客   酒客をそしる人無く

心適又三觴   心適へばまた三觴

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

山際にめでたい雲が立ち、春を迎えて幸先よし。
先ずは平和の日々を喜べば、自然と書にも太平の世を祝す。
初夢に桃源郷に迷いこんだと思えば、炉辺に酔臥していた。
酔っ払いを責める人もなく、愉快なればさらに酒を飲む。
 

<感想>

 「卿雲」は「慶雲」「瑞雲」と同じで、吉祥を表す雲です。

 「初夢」は和習かと思いますが、でも「桃源郷に迷い込んだ」夢を見るなんて、うらやましい限りですね。私は今年は何の夢だったのか忘れてしまいましたが、でも、そんなに楽しい夢ではなかったように思います。(^^;)

 結句の「三觴」は屠蘇を飲むことで、古来の慣習では年少者から順に飲み、最後の人は残り物に福があるということで三杯は飲むのだそうです。ここでは、さらに杯を重ねる、その数の多さを「三」で表していますので、意味が深まりますね。

2008. 2.16                  by 桐山人






















 2008年の投稿詩 第70作は 仲泉 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-70

  泊山亭        

絲雨窓前想否安   絲雨窓前 想ひ安からず

鐘声薄暮落花寒   鐘声薄暮 落花寒し

恋君飄客人知否   君を恋ふるの飄客 人知るや否や

一朶盆梅拭涙看   一朶の盆梅 涙を拭ふて看る

          (上平声「十四寒」の押韻)

<感想>

 起句の下三字「想否安」「想不安」の間違いでしょうか。「否」の字が転句と同字重出にもなっていますので、他の字を考えておられたのではないかと思いますが。

 承句に「落花寒」、結句に「一朶盆梅」が来ていますが、一つの詩の中に花を二つ出すのは、役割の違いが分かりにくいと思います。

 転句は「恋飄客知否」とした方が、結句の「拭涙看」の理由が伝わるでしょう。

2008. 2.16                  by 桐山人






















 2008年の投稿詩 第71作は 桐山人 からの作品です。
 

作品番号 2008-71

  東都雅宴        

詩友交驩午宴闌   詩友 驩を交はす 午宴は闌

傘寿還暦祝康安   傘寿 還暦 康安を祝す

奚深人世相知楽   奚ぞ深きや 人世 相知の楽しみ

清話高談心自寛   清話 高談 心自ら寛くす

          (上平声「十四寒」の押韻)

<解説>

 一月に私が会議のために東京に行きました折、鮟鱇さんと深渓さんにお会いする機会ができました。
 渋谷で待ち合わせをして、昼食をご一緒し、そのまま夕方までずっとお二人からお話をうかがいました。

 インターネットでのお付き合いですので、読者の皆さんと直接お目に掛かることは無いのですが、私の出張とか旅行とかの時にお会いできるのはとても嬉しいことです。
 今回は、深渓さんが傘寿をお迎えになったと聞き、是非お会いしたいと連絡を取らせていただきました。鮟鱇さんとは再会ということになりますが、鮟鱇さんも実は還暦をお迎えとのこと、詩ではお二人へのお祝いの気持ちを含ませて、「康安」と転句の「奚深」に雅号からの字をいただきました。
 転句の「奚深」は詠嘆形が一番良いですが、ここでは疑問形です。「何が深いだろう、そう、それは人の世で互いにわかり合える楽しみだ」という意味です。
 「相知楽」は、王安石の「明妃曲(其の二)」にある「人生楽在相知心」から取りましたが、私の好きな句です。
 承句の平仄の乱れはご容赦を。

 後日お二人にこの詩を送りましたところ、唱和していただきましたので、次に紹介します。

2008. 2.16                  by 桐山人



井古綆さんからの感想です。

 お早うございます。お三方の玉作を拝読いたしまして、誠に羨ましく存知上げました。これが現代風の師弟の交わりの一つであろうと思います。羨ましい限りです。

 鮟鱇雅兄、深溪雅兄を詩中に折込むことは中々我々には出来ません。
 魚のあんこうの「鱇」は国字であることも学びました。師弟の感情が溢れていて素晴らしく感じられました。

2008. 2.17            by 井古綆


 お二人のお名前を詠み込んだ点については、謝斧さんから礼を失したこととお叱りを受けました。
深く考えずに口から言葉が出てしまう癖が、皆さんに色々な気配りやご心配をかけているのだなぁ、と反省しきりの私です。

2008. 2.24            by 桐山人


 井古綆さん、鮟鱇さんから、「雅号を詠み込むことは問題ない」とのお手紙をいただきました。謝斧さんのご指摘は雅号を読むことではなく、名前に使われた字を分解して使ったことを言われていると思いますので、私の説明不足でした。
 では名前の字を切ることはどうなのか、という議論になるかもしれませんが、その議論を展開することについて私は望みません。良いと思われる方、良くないと思われる方、双方のご意見があるということを私としては胸に入れておきたいと思います。

 井古綆さんの感想につきまして、鮟鱇さんから、
 『鱇』を国字とする漢和辞典は少なくなく、そこで、国字であるのだろうと私も思います。
 しかし、『鮟鱇』の語は、中国の『現代漢語詞典』に魚名として記載されています。
 「鱇」の字は、中国においても通用する字です。
 小生が「鮟鱇」の号を用いていますのは、これを踏まえております。


とのお返事をいただきました。

2008. 3. 3             by 桐山人





















 2008年の投稿詩 第72作は 鮟鱇 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-72

  歩桐山人吟長惠詩         

詩客鼎談清昼闌,    詩客の鼎談 清昼にたけなわにして,

探花韻事喜康安。    探花の韻事 康安を喜ぶ。

深渓澄水甘於酒,    深渓の澄水 酒よりも甘く,

人聚桐山心自寛。    人は桐山にあつまりて心おのずから寛なり。

          (上平声「十四寒」の押韻)

<解説>

 春を待つ1月末、桐山人先生、深渓先生と午餐を楽しみました。その記念に桐山人先生が作られた玉作に、拙作、酬和させていただきました。
 午餐の様子は、桐山人先生の原玉に詠まれてありますので、拙作は、深渓先生の雅号も思いつつ「漢詩を創ろう」に集まる風流人士の雅情が詠めれば、というつもりで作っています。
 なお、「桐山」は、桐山人先生の雅号を拝借して小生が案じた空想の山、承句の「康安」は、先生の原玉からそのまま拝借しています。  


2008. 2.16                 by 鮟鱇


井古綆さんからの感想です。

 鮟鱇雅兄、僭越ですが、感想を述べさせて頂きます。
 鈴木先生、また深溪雅兄と鼎談されたこと、誠に羨ましい限りです。
 玉作の転結にお二人を詠み込まれた手法は我々には真似の出来ないことで、脱帽いたしました。

2008. 2.17            by 井古綆


鮟鱇さんからお返事をいただきました。

 鮟鱇です。拙作お読みいただき、ありがとうございます。いただいたお言葉、とてもうれしいのですが、私の作詩の技量をめぐっては明らかに過褒です。
 桐山人先生、深渓先生お二人のお名前を思い浮かべ、三人が何のために午餐を共にしたのか、ということを思っていたときに、お二人のお名前を結びイメージがその答えであるように思えただけです。

 拙作、私は気に入っています。でも、そのような作が書けたのは、技量の問題ではなく、幸運に恵まれたからです。お二人のお名前を同時に思い浮かべるという幸運がなければ、書けなかったと思います。

2008. 2.28            by 鮟鱇






















 2008年の投稿詩 第73作は 深渓 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-73

  東都午餐        

東都何料接清歓   東都で何んぞ料らんや 清歓に接す、

相会師朋識謝安   相い会ふ 師朋 謝安を識る、

愛此高懐同志道   此の愛す 高懐 同志の道を

忘時午日供軽餐   時を忘れ 午日 軽餐を供にす。

          (上平声「十四寒」の押韻)

<解説>

「師朋」:桐山人先生と鮟鱇先生。
「清歓」:俗事を離れた楽しみ。
「識謝安」:高潔な士を知る。

2008. 2.16                  by 深渓



井古綆さんからの感想です。

 深溪雅兄、僭越ですが感想を述べさせて頂きます。
 鈴木先生並びに鮟鱇雅兄との午餐は楽しかったと拝察いたします。時を忘れての歓談には別れを惜しまれたことと思います。玉作にその情景が眼に浮かぶようです。
 詩中の「謝安」を拝見して勉強になりました。有難うございました。

2008. 2.17            by 井古綆





















 2008年の投稿詩 第74作は 玄齋 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-74

  祭詩        

龕上祭詩詩未工   龕上の祭詩 詩未だ工ならず

寒侵書院短檠紅   寒は書院を侵して短檠紅なり

幾編敲句今宵盡   幾編か句を敲いて今宵尽き

又憶佳吟一夢中   又た佳吟を憶ふ 一夢の中

          (上平声「一東」の押韻)

<解説>

 「祭詩」は、唐の詩人の賈島が大晦日の晩に、その一年に作った詩を祭り、自分の苦心を慰めたという故事を指しています。

<感想>

 年の終わりに詩を祭るのは、解説にお書きになったように唐の賈島の故事からですが、詩人にとっては一年の自分の作品を振り返る機会としたいところです。
 玄齋さんの「祭詩」も、自作を謙虚に振り返りつつ、来年に向けての気持ちを新たにしたものですね。

 詩として見た場合には、起句の下三字、「詩未工」が悩ましいところです。 より良い詩句を求める姿を描いた後半部分へ導入する役割としてプラス評価するか、逆に後半の主題を先に示したとマイナスに見るか、というところです。
 私の感想としては、「詩」の字の繰り返しも面白く、魅力はあるのですが、ただ「詩未工」が入るとあまりに首尾が整いすぎて、詩全体が説明っぽくなるように感じます。
 また、今のままですと承句の働きが弱く、極端に言えば起句と転句だけでも趣旨は伝わる形です。せっかくの歳末ですので、そのあたりを示すような表現、例えば「除歳窮」「年已窮」などを入れると良いのではないでしょうか。

 承句の「書院」は、できれば「書窓」なり「書齋」にした方が、下の「短檠紅」という室内の描写への流れが良いでしょう。順序を入れ替えるなどの工夫ができないでしょうか。
 その際には、転句の「今宵盡」「短檠盡」に入れ替えることも考慮の中に入れておくとよいでしょうね。



2008. 2.24                  by 桐山人



謝斧さんから感想をいただきました。

瑕疵がなく上手出来ていると思います。
転句の「今宵盡」を「短檠盡」については、鈴木先生の言う通りで、「短檠盡」の方が味わいがあると思います。
「今宵盡」では時間の経過だけですが、「短檠盡」は蝋燭が我が身を削る如く、なにかもの悲しいことを暗示させるような感じをうけます。

2008. 2.26             by 謝斧

玄齋さんからお返事をいただきました。

 鈴木先生、ご指導ありがとうございます。

 起句の「詩」が二つ重なるところは気に入っていましたが、改めて見てみると、起句で説明しすぎたように思いました。
承句の働きを強めるため、承句と転句を入れ替えて、さらに「書院」を「書齋」と改めるようにしました。

 今回は以下のように推敲しました。

  龕上祭詩年歳窮   龕上 詩を祭りて 年歳窮まり
  幾編敲句遂難工   幾編か句を敲くも 遂に工なり難し
  書齋夜靜短檠盡   書齋 夜静かに 短檠尽き
  又憶佳吟一夢中   又た佳吟を憶ふ 一夢の中


2008. 2.26            by 玄齋


 謝斧先生、ご指導ありがとうございます。

 「今宵盡」よりも「短檠盡」のほうがよい表現だということがよく分かりました。もっと深い表現になるのですね。
よりよい表現を目指して詩を作っていこうと思います。

いつもありがとうございます。

2008. 2.27            by 玄齋





















 2008年の投稿詩 第75作は 叶 公好 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-75

  利根運河夕景        

亂蝉揺柳翠禽飛   乱蝉、柳を揺らして 翠禽飛び

野蓼盈堤映落暉   野蓼、堤に盈ちて 落暉に映ず

雷雨俄來涼気起   雷雨、俄かに來たりて涼気起こり

闇中初耳蟋聲微   闇中、初めて耳にす、蟋の声の微かなるを

          (上平声「五微」の押韻)

<解説>

 秋来ぬと目にはさやかに・・・略 ってところ。
詩的誇張は一切ありません。カワセミもいます。

<感想>

 この詩は昨年の夏頃にお作りになったのでしょうね。季節のかすかな移り変わりを、素直な形で描いていると思います。

 起句の「揺柳」は、下の「翠禽飛」に掛かっていくお気持ちかもしれませんが、この句の書き方では、「乱蝉が柳を揺らし、翠禽は飛ぶ」となりますね。
 「蝉」と「柳」と「カワセミ」、この三つがどういう点でつながるのか、例えば実際にこの三つが見え聞こえたのだとしても、詩として素材を並べる時には作者の意図による選択があるわけで、その意図が伝わらなくてはいけません。
 例えて言えば、スナップ写真と美術写真の違いであり、ただ見えたものが並んでいるだけのスナップ写真は芸術にはなりません。起句は欲張りすぎたのではないでしょうか。承句は良いと思います。

 結句は急に夜になってしまいましたが、詩題も「夕景」ですので、「闇中」ではなく、「叢中」にして落ち着く方が良いでしょう。

2008. 2.24                 by 桐山人



観水さんから感想をいただきました。

 こんにちは。

 鈴木先生は少し手厳しいご意見ですが、私は、たとえ「スナップ写真」であったとしても、作者の体験を具体的に思い浮かべることのできる好ましい作品のように思います。

 ちょっと旅行に行ってきて、撮ってきたスナップ写真を広げながら友達に見てきたこと、体験してきたことを話して聞かせる――そんな詩ではないかと、私は思っています。その意味では、普遍的な芸術性を求めようとすると、かえって個人的・具体的な楽しみのようなものが希薄になってしまうような気もします。

 それに、作者の意図かどうかはわかりませんが、起句の蝉と柳とカワセミの描写も、解釈の余地があるように思います。
 乱れ鳴く蝉、風に揺れる柳、飛び去る鳥――この後にくる「何か」を暗示する動きであるようにも受けとめられます。 しかも、聴覚・触覚・視覚の三方から(ここでは「揺柳」を自ら揺れる柳と解釈しました)。
 すると承句の落ち着いたの情景は、嵐の前の静けさといったところでしょうか。
そして、転句の「雷雨」と相成るわけです。

 なお、結句の「闇中」については、雨雲によって一時的に暗くなったものと解しました。

2008. 2.27          by 観水





















 2008年の投稿詩 第76作は 叶 公好 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-76

  魑魅魍魎之歌        

赫赫朝暉柩裡休   赫赫たる朝暉、柩裡に休(いこ)ひ

陰陰夜闇墓前游   陰陰たる夜闇、墓前に游ぶ

元來鬼怪無生死   元来、鬼怪に生死なし

不解人間百八憂   解せず、人間の百八憂。

          (下平声「十一尤」の押韻)

<解説>

 鳥取時代、境港の水木しげる記念館を訪れた際の作品(訳詩)です。
 最初はもっと直訳でしたが、漢詩ならこうでしょうか。詩吟するとか、書にして飾るとか想像するだけで笑えます

 アニメソングの漢訳はなかろうと思っていたら、原田裕司さんという方が、なんとこれの古典ラテン語訳を書いていらっしゃいます。これは凄い。
 「鬼太郎 ラテン語」でグーグルすると朗読も聞けます。

<感想>

 これは、「ゲ ゲ ゲゲゲのゲ 朝は寝床でグーグーグー」というゲゲゲの鬼太郎の歌が聞こえてきそうですね。ただ、逆に言えば「テーマソング」を知らないと、全く内容が理解できないでしょうね。そういう意味では、同好の士の間の秘密の呪文みたいなものかもしれません。
 ただ、流行というのはもともと時代を隔絶するものですから、その時代に生きた仲間同士での連帯感を確かめ合うには良いものです。

 しかし、人間の苦悩が百八つあるのだとして、その中に「お化けにゃ学校も試験も何にもない」の如く「学校」も憂いの相手なのは寂しいですね。

2008. 2.24                  by 桐山人






















 2008年の投稿詩 第77作は 劉建 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-77

  木食        

雪花紅点有誰知   雪花 紅点 誰か知る有りや

恐怕傷創或涙垂   恐らくは傷創し、或は涙を垂れるか

木食翻翔従嘴落   木食しては翻翔し 嘴より落つ

春教冬鳥不啼飢   春は冬鳥をして飢に啼かざらしむ

          (上平声「四支」の押韻)

<解説>

 明日は大寒の前日、水道が凍りました。もう一つ、庭に冬鳥のキレンジャクが到来。ななかまどの実を襲撃!紅い点はそのせいでした。しかし、身にしみる寒さ、鳥たちもさぞ寒いだろうに。雪、冬、など寒い漢字が続き、食傷気味です。熱帯の漢詩が書きたい。

  雪の上に紅い点が散らばっている。誰か知っている?
  きっと、傷ついて流した血だろ、それとも、悲しさあまりに流した涙?
  木の実だけを食べて、飛んで旅する、嘴から落ちた実の色だったのか。
  春が来れば、飢えて啼くことなど決してないよ。



<感想>

 題名の「木食」は「五穀を断ち、果実や新芽を食べて生活すること」です。春が近づいた最近でも、まだ鳥たちにとっては十分な食べ物は無いようです。
 八十を過ぎた義母は、毎日庭の木の枝に蜜柑を刺しておき、色々な鳥たちがそれを啄みに来るのを楽しみに見ています。私もいつか、そんな穏やかな一日を過ごせるようになりたいといつも思っています。

 起句の「有誰知」は目的語としては、「雪上の紅点の存在」を知っているとも取れますし、「紅点の理由」として承句へつながるとも取れます。
 作者は後者の意図かと思いますので、そのまま解釈を進めますと、理由に対して疑問を深めておき、転句でその答が示されます。そして結句では、一気に春への期待が書かれるのですが、スピード感があって良いと思います。
 結句の使役形も工夫、と言うか苦心が感じられます。ただ、やや回りくどい感じはしますので、「春来冬鳥莫啼飢」あたりでどうでしょうか。

 起句の「有誰」は定型句ですが、韻字の「知」を置くと「誰」が冒韻になります。
 承句の「恐怕」「ある事態が起こるのを恐れる」気持ちを表し、音読みでは「きょうは」、ここでは訓読で「おそらくハ」と読んでいます。

2008. 2.26                 by 桐山人



劉建さんからお返事をいただきました。

 ありがとうございます。
 漢詩を作り始めて、数ヶ月ですが、難しさと面白さの板ばさみにあって一向に完成作品ができません。しかし、そういった贅沢でもある悩みも日々の励みにもなっています。
 鈴木先生の指導がなければきっと、とっくに漢詩を放棄しているかもしれません。今回も勉強になりました。

 日本語で書いても、それを漢詩に創作しても、はっきりとした詩の文体を目標にしたいと思います。

2008. 3. 1              by 劉建





















 2008年の投稿詩 第78作は 柳田 周 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-78

  寒晨朝        

積憂寒夜寤重襦   憂ひ積む寒夜 寤めて襦を重ね

束意晨朝起裂膚   意を束す晨朝 起くれば膚を裂く

群雀競喧隣屋上   群雀競ひて喧し 隣屋の上

数花残寂我庭隅   数花残(ざん)して寂し 我が庭の隅

家翁独処援衰体   家翁は独処して衰体を援けられ

嗣子間居痊病躯   嗣子は間居して病躯を痊す

軽快足音誰跑歩   軽快なる足音す誰か跑歩するならん

励精安得若茲駈   励精して安んぞ得ん茲の若く駈くるを

          (上平声「七虞」の押韻)

<解説>

 首聯まで対句にする必要は無論なかったのですが、余り用例の無さそうな「束意」を白川先生の『字通』から見つけ対句仕立てにしました。
 全句二字熟語が多く、リズムが単調になったかも知れません。
 また、積憂<->束意、寒<->晨、家翁<->嗣子、独<->間などが対として適切かどうか、心許ない気もしています。 註)
「残」:そこなう
「束意」:心を落ちつける
「家翁」:父親
「独処」:独居
「跑歩」:現代中国語でジョギング(pao bu)
「安得〜」:何とかして〜したいものだ


<感想>

 対については、「寒」と「晨」だけで見れば合わないでしょうが、「寒夜」と「晨朝」と二字同士で見れば対応はしています。しかし、上句の「寒夜」は「寒い」という意味が「重襦」への流れを作っているのに対し、「晨朝」は「朝早く」と時間的な意味だけですから、「裂膚」へと流れていきません。
 「積憂夜寤重襦  束意朝(あるいは冬晨)起裂膚のような形で下三字との連携が欲しいと思います。

 また、首聯は「積憂」「束意」の二語が句の内容からは浮いています。「積憂」はまだ理解はできますが、「束意」は朝になったら心が落ち着く理由も、また「裂膚」でそれが崩れたのかどうかも分かりにくいと思います。
 この「積憂」なり「束意」は作者の心情としてはかなり重いものですので、この位置に置くのはどうでしょうか。

 頸聯は「家翁」を書いた意図が不明です。尾聯の願望が二人に共通のものというならばこの対も必要ですが、内容的には願望は作者だけのことでしょう。聯として「親子共に厳しい境遇だ」と言うのならば、尾聯の内容を書き直した方が良いと思います。

2008. 2.27                  by 桐山人



井古綆さんから感想をいただきました。

 わたくしは馬齢を重ねているのみですので、間違いがありますのをご承知の上で一読してください。
 些細なことですが、詩題の「寒晨朝」の「晨朝」には何か意味がありますでしょうか。もしわたくしであれば一字削除して「寒朝」としますが。

 人様の心境その他を忖度するのは、大変に難しいのでその他の部分の感じたところを述べてみます。

 まず、律詩は大変に難しくこの作品を作るには相当な努力をされたと感じました。
ここでは頷聯と尾聯のみをわたくしなりに考えてみましたが、これが絶対的ではありません。

三句      凍雀啁啾騷屋上   凍雀啁啾ちゅうしゅう 屋上に騒ぎ
四句      残花寂歴飾庭隅   残花寂歴 庭隅を飾る
  ※ 御作には隣屋、我庭と具体的な表現でしたが、詩としては余り重要ではないと思います。

七句      窓外快音誰跑歩   窓外の快音 誰か跑歩ほうほ
八句      励精何日得奔趨   励精して何れの日にか 奔趨ほんすうを得ん

 出来得る限り二字の熟語を使用されることを心がけるようにしたいと思います。そのためには辞書もぼろぼろになりました。

:追伸です。

 また、今回の作を拝見いたしますと、どうも和臭の感じがいたします。
先日「本歌取り」とのことばをお聞きいたしましたが、その意味は早くから認識はしていましたが、この語を使用されるお方は、短歌に精通されているお方ではないかと推測いたします。
 此のたびの「寒晨朝」にも色濃く短歌の表現の形式が現れているように思います。
漢詩と短歌(和歌)は根本的に違いますが、そのことにお気付きになっていらっしゃらないのでは無いかと思い追伸をいたしました。

2008. 3. 3             by 井古綆


柳田 周さんからお返事をいただきました。

 柳田 周です。
拙い七律「寒晨朝」に対して、ご指導、ご講評を賜り、ありがとうございます。

 確かに第ニ句では、「裂膚」の理由を陽に記していません。実は迷ったのですが第一句からの繋がりとして、「寒」は自明であると考え、敢えて用いませんでした。
 かと言って「晨朝」では仰る様に句意が混乱しますので、これは誤りであったと知りました、また確かに先生の添削「凍夜」と「寒朝」を用いれば対語としてもより良く整います。ご教示ありがとうございます。平仄の関係で「鎮心」が使えず、似た意味と解して「束意」を用いましたが、句意が不鮮明になりました。
 「家翁」の意図が不明とのご指摘について、詩を散文で説明するのは如何かと思いますが、私にとって「憂」とは、自分の病気と、遠い故郷に独居し他人に任せざるを得ない父の介護問題で、第一句の「積憂」で頸聯を準備した積もりでした。
 しかし、語の位置が離れ過ぎており私の独りよがりだった様です。

 井古綆先生、度々のご講評ありがとうございます。
 「本歌取り」と私が書いた事から私が短歌に通じているのはないかとの推測をしておられます。ご慧眼の通りで、短歌と俳句、各々10年以上のかなり身を入れた実作経験があります。
 実は玉作「比律賓元大統領失脚」のマルコスの失脚の時、私はある新材料の国際会議発表のため偶々アメリカにおり、ホテルの朝のラジオニュースで、失脚と亡命の事実を知りました。当時の短歌が残っています。その中から幾つか、ご笑覧に供させて戴きます。

 「マルコスついに国を追われつとラジオ言い時差残る我が耳を疑う」
 「コリー・アキノ、イメルダ・マルコスもう一つの闘い終わり靴三千足残る」
 「誇らかに自由宣したりアキノ夫人主婦たりし身に国人を負い」

 この短歌経験が和臭の因かどうかわかりませんが、確かに「我庭」は短歌で頻用されますし、また「軽快足音」は日本語そのままとも言えますので、「足音」については用例のある事を確認して使用しました。言われてみれば、何れも短歌的かも知れません。

2008. 3. 8               by 柳田 周





















 2008年の投稿詩 第79作は 井古綆 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-79

  比律賓元大統領失脚        

無稽壓政與專權   無稽の圧政と 専権と

齷齪私心二十年   私心に齷齪 二十年

君臨祖國獨裁盡   祖国に君臨して 独裁尽き

亡命他郷曠歳連   他郷に亡命して 曠歳連なる

驊騮老去作駑馬   驊騮かりゅうは老去すれば 駑馬と作り

艨艟破來成漏船   艨艟もうどうも破来すれば 漏船と成る

横領公金餘萬鎰   公金を横領して 万鎰ばんいつを余すも

誰聞自古運黄泉   誰か聞かん 古へより 黄泉に運ぶを

          (下平声「一先」の押韻)

「比律賓元大統領」: マルコス元大統領
「他郷」: ハワイに亡命した
「曠歳」: 約三年間の亡命生活ののち死亡
「驊騮」: 名馬の名。大槻磐溪作「春日山懐古」より引用
「艨艟」: 牛の皮張りの軍船。廣漢和辞典により平仄両用とわかりこの語を使用
「万鎰」: 大金

<解説> <解説>

 この作品はわたくしが最初に作った律詩です。
 当時は絶句を作るにも詩題が無く、まして律詩などは考えが及びませんでした。マルコス大統領が失脚したことは、新聞紙上で大々的に取り上げられたので、作詩を志しました。
 当時絶句は百首未満で律詩は初めてでしたので、大変に苦労をいたしました。

 最初、頭にあったのは、対句となるべきの「驊騮・・・駑馬」と「艨艟・・・漏船」だけでした。あとは尾聯の「・・・・・黄泉」だけで詩意としては人間の欲深い業(ごう)を描いたつもりです。
 なにしろ語彙をもちあわせていないため、新しい詩語を見つけたときには改めるようにしていました。

 大統領が失脚した直後の古い作品ですが、皆様の参考になれば幸いです。 

<感想>

 マルコス政権崩壊の立役者としてフィリピン政治に大きな影響力をもっていたと言われるシン枢機卿が二月二十一日に亡くなり、久しぶりにマルコス元大統領の名前を新聞で見たような気がします。
 アジアの各国が政治の安定に向けての様々な過程を経ているのですが、現在のアロヨ大統領までの歴代の大統領の名前を眺めていると、改めてフィリピンも激動の時代を経てきていることを感じます。

 第三句の「独裁尽」「独裁政治が尽きた」とも「政治で独裁を徹底した」とも取れるでしょうね。

 第八句は、この語順では「自古」「運」にかかっていく感じが強いでしょうね。「古来不識運黄泉」のような語順にするか、「未聞自古運黄泉」ではどうでしょう。

2008. 3. 2                  by 桐山人



井古綆さんからお返事をいただきました。

 ご高批有難うございました。ご指摘、正にその通りであると思います。
 語順について作詩した当時悩んだことを思い出しました。今回の投稿で語順を変えようかとも思いましたが、当時のわたくしの作詩能力をみなさまに理解して頂くことも大切ではないかと、あえてそのままにいたしました。
 語順は鈴木先生のご指摘が正しいと思います。


 追伸いたします。歳をとりますと考えが慢慢的になります。
 当時を振り返りますと、やはりわたくしも若かったな〜と思い出します。
この詩を作ったのは今から約20年前ですので50歳を少し出たころでした。
 当時は気持ちもまだ若く、彼が横領した公金は日本が援助したお金であって、一日本人としての慷慨の気があったことを第八句にこめましたので、「誰・・・」措辞したと思います。
 もし今の年齢でしたならば、もっとやわらかい句勢になったであろうと、つくづく老いを感じます。

2008. 3. 3             by 井古綆


 この詩は20年以上も前の作でしたので、当時のことはすっかり忘れていました。
 頷聯の平仄が入れ違いになっていたことも、そのままなおざりにしていました。
今頃漸く思い出しましたのでその部分を改めました。当時の能力ではどうしても推敲が出来なかったことを読者に理解して頂けたならばありがたく思います。

   比律賓元大統領失脚
  無稽壓政與專權   無稽の圧政と 専権と
  齷齪私心二十年   私心に齷齪 二十年  
  亡命他郷獨裁盡   他郷に亡命して 独裁は尽き
  君臨祖国悪名沿   祖国に君臨して 悪名が沿ふ
  驊騮老去作駑馬   驊騮は老去すれば 駑馬と作り
  艨艟破來成漏船   艨艟も破来すれば 漏船と成る
  横領公金餘萬鎰   公金を横領して 万鎰を余すも
  未聞自古運黄泉   未だ聞かず古へより 黄泉に運ぶを

2008. 3. 4             by 井古綆


鮟鱇さんから感想をいただきました。

 鮟鱇です。
 井古綆先生が初めてお書きになった七律、拝読致しました。

>皆様の参考になれば幸い
 とのことですので、感想を申し述べます。

 玉作、わたしは律詩四聯の「虚実」が、起承転結の詩法によく即していて、佳作だと思います。なお、ここでは「虚実」を、「虚」は叙情もしくは作者の思想の開陳であり、主観的な叙法、「実」は叙事もしくはことがらを客観的に叙述することとします。
 玉作において「虚」の要素が、四聯にどの程度配分されているかを見てみますと、首聯を2とすれば、頷聯は1、頸聯が4、尾聯が2(あるいは3)、そこで、頸聯の4に、作者の思いがもっとも強く表現されていると思えます。数字の量的正確さはともかく、頸聯に「虚」の要素がもっとも際立っており、それによって、起承転結の「転」の効果が頸聯によく表れており、「結」での詩としての余韻を生み出すことに、成功しています。虚実の濃淡よって、四聯が、丘から谷へ下り、峰に登って山を下る、そういう流れになっています。

 すべての七律がこのように作られるのがよいのかどうかは、わたしにはわかりません。しかし、玉作が、
>最初、頭にあったのは、対句となるべきの「驊騮・・・駑馬」と「艨艟・・・漏船」だけでした。あとは尾聯の「・・・・・黄泉」だけで詩意としては人間の欲深い業(ごう)を描いたつもり
 であるとするなら、その対句を頸聯に配されたのは、井古綆先生の豊かな(そして適格な)詩才の顕われです。

 また、詩材には、それが五絶、七絶で書けるものであるのか、五絶、七絶ではとても収まりきらないものであるのか、自ずと容器と容量の関係のようなものがあると思います。その容器と容量の関係は実は簡単にはつかめないもので、わたしたちはそれを、無理やり七律にしたり七絶にしかできなかったりでやり過ごしているのですが、井古綆先生の玉作は、詩材をいれる容器の大きさを、過不足なく見つけておられると思います。

2008. 3. 5              by 鮟鱇


井古綆さんからお返事をいただきました。

 鮟鱇雅兄お早うございます。
 拙詩にたいしまして過分なる賛辞を頂き有難うございます。

 今から20年以上の作ですので、当時は(今でもそうですが)作詩の理論などは余り認識してはいません。
とりあえず一詩を完成して読者にどのように伝わるのかを第一に考えます。その点鈴木先生は的確なご指導をいただけますので、お世話になっている次第です。

 雅兄に賛辞をしていただいた頸聯「驊騮・・・」「艨艟・・・」は決してマルコス元大統領のみに焦点を当てたわけでは無く、我々人間全体のサガに焦点をあてました。元大統領も最初は優秀な軍人であり、ために大統領になれたと思います。しかしながら人間の悲しいサガの為、晩節を汚し歴史にその名を留めたわけです。第八句の「・・・・運黄泉」をもって他山の石としました。
 ご高批有難うございました。

2008. 3.6             by 井古綆





















 2008年の投稿詩 第80作は 玄齋 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-80

  御題 火        

江畔蘆洲焚草紅   江畔の蘆洲 草を焚いて紅なり

素烟漠漠掩蒼穹   素烟 漠漠と 蒼穹を掩ふ

可忘水火塵労苦   忘るべし 水火 塵労の苦しみ

詩思如萠意更烘   詩思 萌ゆるが如くにして 意 更に

          (上平声「一東」の押韻)

<解説>

 新年漢詩ですが、遅れてしまいましたので、こちらに投稿いたします。
毎年二月に行われる、淀川の鵜殿の葦焼きの場面を想像して作りました。

<感想>

 前半に色彩を表す言葉を多く用いて、立体感のある情景描写になっていると思います。
 転句の「可」は「当然・義務」の意味ですと客観的過ぎますし、「可能」の意味でしたら「得忘」と結果として述べた方が趣旨が明確になるでしょう。
 結句は「萌」「烘」の訓読みでの類似性を意識したのでしょうが、意味的には「詩思が萌し始めた」というのと「かがり火のように燃える」では程度に差が大きすぎるように思います。「萌」をもう少し勢いの盛んな言葉にすると対応が良くなるでしょうね。

2008. 3. 2                  by 桐山人



謝斧さんから感想をいただきました。

 今回の詩はよくありません。
 詠物の體をとっているようにみえるのですが、具体的な火の物性的な叙述が有りませんので、感興に乏しく、内容も平板に感じます。
 詩人が何を言おうとしているのか、しっかり伝わってきません。特に結句はあまりにも唐突ではないでしょうか。

2008. 3. 3              by 謝斧


玄齋さんからお返事をいただきました。

ご指導ありがとうございます。

「可」は可能の意で考えていました。
「得」で結果を示した方がよいのですね。わかりました。

「萌(きざす)」と「・(もえる)」のバランスが取れないのですね。
「詩興逾高意更烘」と改めてみました。

今回は次のように推敲しました。

  江畔蘆洲焚草紅   江畔の蘆洲 草を焚いて紅なり
  素烟漠漠掩蒼穹   素烟 漠漠と 蒼穹を掩ふ
  得忘水火塵労苦   忘るを得る 水火 塵労の苦を
  詩興逾高意更烘   詩興逾々高く 意更に烘(も)ゆ



2008. 3. 3              by 玄齋





















 2008年の投稿詩 第81作は 観水 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-81

  節分雪中即事        

可識天公未立春   識る可し 天公 未だ春を立てざるを

朝來碎玉地舖銀   朝来 玉を砕いて 地に銀を舗く

遶風瓊屑撲窓戸   風を遶る 瓊屑 窓戸を撲つも

童幼競爭成雪人   童幼 競争して 雪人を成す

          (上平声「十一真」の押韻)

<解説>

 昨年が暖冬だったので、まとまった量の雪は久しぶりでした(2月3日、関東地方)。
朝、窓越しに雪が舞い飛ぶのを見て、外出は控えようかと思ったものです。

 でも、よく見るとそんな雪の中でも、近くの子供たちは元気に雪達磨作り。さすが元気なものですね。

<感想>

 私の住む愛知県知多半島は外洋に面し、温暖な土地ですので、雪が降ることも年に一、二回あるくらいのことです。
 通勤の関係で冬になると自動車はスタッドレスに履き替えてはいるのですが、たまに何年振りかの大雪が降ると、町はほとんどパニック状態で、有料道路は通行禁止、一般道はどの道も大渋滞、走りようの無い混雑ではスタッドレスの意味も無いようなもの、この二月の大雪の時もそうでした。
 しかし、子供の頃には雪合戦やら雪だるまやら、もっと沢山の雪が毎年降ったような記憶がありますが、記憶が美化されているのでしょうかね。

 観水さんの今回の詩は、大胆な起句の表現から始まり、承句の「地舖銀」まで、立体感のある大きな詩になっていますね。
 結句のお子さんをとらえた日常的な視点との対比も鮮やかだと思いますので、そこをつなぐ転句の「撲窓戸」が物足りなさを感じます。
 と言うのは、作者はこの言葉を用いることで、部屋の中に居ることを示しているのでしょうが、前半のスケールの大きな視野が窓からの景色だったことが分かり、ちょっとがっかり。「砕玉」「銀」などの描写もガラス越しの話では具体性も鮮やかさも消えてしまう気がするからです。
 ここは無理をしてでも作者は雪の中にいて欲しいところで、さもないと、結句も単に、寒がる大人と元気な子どもの対比を描いた面白みだけの句になってしまいます。
 自然の中での生命力、輝き、そんな気持ちも感じさせる句になるはずで、佳詩だと思いますので、転句を推敲されることを希望します。

2008. 3. 5                 by 桐山人



観水さんからお返事をいただきました。

過分のお言葉をどうもありがとうございます。
転句を次のように改めようと思います。

  紛紛瓊屑裂膚亂  紛紛たる瓊屑 膚を裂いて乱るるも

「膚」は、私の気持ちとしては、「童幼」か、あるいは他の屋外の不特定の者のもののつもりですが(やっぱり窓の内側 に居たいなあ、というのが正直なところで……)、雪の中の作者のものと解することもできるかと。

2008. 5.25                by 観水


井古綆さんからも感想をいただきました。

 観水雅兄、玉作を拝見いたしました。
 鈴木先生の感想にも、転句の推敲をお勧めのようでしたので、差し出がましくも考えて見ました。あくまでわたくしの考えですので、これが正しいとは申せませんが参考になればと思い下記のように推敲して見ました。

    試作  節分雪中即事
  青帝遅疑浅浅春   青帝は遅疑として 浅浅の春
  夜来万頃布瑤塵   夜来万頃 瑤塵を布く
  皚皚一色寒風裡   皚々一色 寒風の裡
  童幼嬉嬉作雪人   童幼は嬉々として 雪人を作る

  観水雅兄の玉作との関係で私の考えを申しますと
可識天公未立春
※ 「可識」はここでは似合わないようです。詩題に「節分」とあるので「立春」より「浅浅」のほうが良い気がします。
※ 「遅疑」は「逡巡」でも良いが冒韻のため遅疑としました。
朝来碎玉地舗銀
※ 「朝来」でよいが句頭の変化を求めて。「銀」でも良いが転句の「皚皚(しろい)」のため「塵」にしました。
遶風瓊屑撲窓戸
※ 鈴木先生のご指摘のとおり。
童幼競争成雪人
※ 「競争」より「相争」のほうが良いが「嬉嬉」と声を入れるほうが良く、「成」より「作」のほうが良い気がします。

「青帝」: 春の神
「遅疑」: 逡巡、ぐずぐずしていること
「瑤塵」: 雪の別名は「玉塵」だが、これが平仄の関係で変化したようだ。
「皚皚」: 霜や雪などが積もって白いさま

2008. 6. 2            by 井古綆


 観水さんのお返事と井古綆さんの感想はずっと以前に送ってこられていたのですが、私のメールの海の中で見失っていました。掲載が遅れて済みません。

2008. 6. 2            by 桐山人





















 2008年の投稿詩 第82作は 芳原 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-82

  雪中賦     雪中の賦   

畦辺三尺雪   畦辺 三尺の雪

算暦漸知春   暦をかぞへて漸く春を知る

歩歩人群賑   歩歩 人群れて賑ひ

南枝破蕾新   南枝 蕾を破って新たなり

          (上平声「十一真」の押韻)

<解説>

 鈴木先生 ご無沙汰致しております。
先生のホームページに寄せられる多くの創作漢詩に魅せられています。
何時の日にか私もこんな詩を作って投稿したいと目標にしています。
 先生の解説と添削が何よりの勉強です。

<感想>

 雪深い中にも春の訪れを感じるという気持ちを描かれたものですね。
 承句で冬の景を出し、承句で「暦の上だけでようやく春だと分かる」と続けて行き、転句からは、そう思って頑張って春の気配を探してみたらこんな景が見えたという展開でしょう。

 全体の流れもよく、まとまっている詩だと思います。
 題名は「早春賦」でも良いように思いますが、「雪中」とすることで、主眼は冬にあると宣言したことになります。それも一つの工夫と言えます。
 承句の「漸」は「だんだんと」という意味です。これでも通じないことはないですが、「算暦」との対応ですと本来でしたら「纔」あたりが適当でしょう。ただ、「下三平」になりますので、「少知春」「忽知春」くらいでしょうか。
 転句の「群賑」がやや急ぎ過ぎで、「歩歩」と合わせるためには、それこそ「漸」「稍」などの変化を表す言葉が良いでしょう。

2008. 3. 6                 by 桐山人






















 2008年の投稿詩 第83作は静岡市清水の 主彩 さん、四十代の方からの作品です。
 

作品番号 2008-83

  紫煙        

躁焦忘省己   躁焦そうしょうとして己を省みることを忘れ

忙碌嘆時遷   忙碌ぼうろく 時の遷るを嘆く

燻紫耽春爽   紫をくゆらせ 春爽しゅんそうに耽る

唯知心不燃   だ心の燃えざるを知る

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 気持ちが落ち着かず、自分のことを考えたり、振り返ったりするようなこともできず、
 忙しさのあまり、世の中の流れについていけないことを、どうしたらいいのだろうかと嘆いている
 庭に出て、春の爽やかな風の中でたばこをくゆらせ、ゆっくりとした時を過ごす
 そうすると、自分の心があつくなっていないだけだということに気づかされ、すべては自分にあることを悟った

<感想>

 いただいたお手紙に、「中学校の教師をしております。子どもでも漢詩が創れないかなあといろいろ探していて、このページを見つけました。このページを見て、どんな形でもまず創ってみることが大切なのかなあと思い、ちょっと創ってみました。」とお書きになっています。
 まずは「垂範」ということのようですが、平仄、押韻、起承転結などの形式もきちんと整って、とても「ちょっと創って」とは思えない、仕上がった作品ですね。

 気になる点を少し書かせていただきますと、まず起句ですが、「躁焦」は「焦躁」を平仄を合わせるために入れ替えたのかと思いますが、順序が逆になった時に一般に使われない熟語ですと意味が分からなくなります。

 転句の「紫」は「紫煙」で「たばこの煙」をイメージされているのでしょうが、これは和語(和習)です。漢文では「紫煙」と言うと「春の野山にたちこめる靄」を表しますので、なかなか通じないでしょうね。
 「たばこ」がここでどうしても必要かどうか、そうして検討をすると、言葉の選択も自然に行われると思います。ただ、この詩の場合、題名が「紫煙」ですので、詩の主題が「たばこ」ということでしょうから外すのは難しいかもしれませんね。

2008. 3. 6                 by 桐山人






















 2008年の投稿詩 第84作は 道佳 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-84

  子年如月        

覆雲万里厳寒風   雲万里を覆ひ 厳寒の風

会視窗前明光充   たまたま視る 窓前明光充つるを

点点履蹤音切切   点々たる履蹤りしょう 音切々

長吟与雪舞天空   長吟 雪とともに天空に舞ふ

          (上平声「一東」の押韻)

<解説>

【大意】
 雲が覆い寒い風が吹き荒れている。おりしも、じっと視ると窓の前には白い明かりが充ちているようだ。外へ出てみると雪が積んでいて、歩いて行くと点々とした足跡が出来、グッグッと物悲しげな雪の音がする。吟を朗詠すると、それは雪とともに天空に舞い上がるようだ。

【字解】
「会」:たまたま
「視る」:じっと視る
「窗前」:窓の前
「履蹤」:足あと


<感想>

 道佳さんからは、先日の三日、ひな祭りの日にご自宅のひな人形の写真を送っていただきました。
 我が家も娘がいますが、もう大人ですので、人形を飾ることも随分していませんので、写真を楽しく拝見しました。ありがとうございました。

 起句の「覆雲万里」をお示しになったように「雲万里を覆ひ」と読むためには、語順を「雲覆万里」としなくてはいけません。「重雲」「層雲」「暗雲」などの言葉にすると良いでしょう。
 承句の「会」は「たまたま丁度」という意味ですので、丁度その時に窓が明るくなったというところです。
 この起句と承句はどちらも「下三平」になっていますので、それぞれ「酷寒風」とか「暁気充」などに替えなくてはいけません。

 結句は「長吟(声)が舞う」という比喩はなかなか伝わりません。「吟声与雪乱天空」ぐらいならば通じるかと思います。

2008. 3. 6                 by 桐山人






















 2008年の投稿詩 第85作は 常春 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-85

  渾濁之海 蝉連體        

魂銷飛彈北洋渾   魂銷の飛彈 北洋渾る

渾沌風情市井喧   渾沌の風情 市井喧なり

喧擾紊和専守議   喧擾和を紊す 専守の議

議談怯影局攻論   議談影に怯ゆ 局攻の論

論難翼虎飢狼怖   論難す 虎を翼く飢狼怖しと

怖駭齧猫窮鼠奔   怖駭す 猫を齧り窮鼠奔らんかと

奔命疲羸君忘否   奔命に疲羸せし 君忘るるや否や

否馮傘下復恒魂   傘下に馮むを否み 恒魂を復さん

          (上平声「十三元」の押韻)

<解説>

 句末の文字を次の句の頭に用い、第八句より第一句に繋がるようにしました。
繰り返し読んでいただければなー・・。
 主題は1年半前の日本海での出来事です。

<感想>

 常春さんの今回の詩は、全句でのしりとり形式の詩ですね。下に使った字を今度は上に使わなくてはいけないので、言葉に対する柔軟な発想と語彙力が無いと難しいですね。
 「魂銷」「肝をつぶす」「びっくりする」という意味、「喧擾」「大騒ぎする」ということです。

 主題は昨年いただいた「蟹漁船」ですので、併せてご覧いただくと良いでしょう。

2008. 4. 6                 by 桐山人



井古綆さんから感想をいただきました。

 常春雅兄おはようございます。
 玉作を拝見いたしました。律詩を作るにも難しい詩をまして蝉連体にまとめられたご努力に頭が下がりました。
 斯く言うわたくしは律詩で蝉連体を作ったことはありません。かろうじて絶句は二三首作りましたので、作詩の苦労は良く理解できます。

 浅見を申し上げますと、あのロシアの無法な銃撃により、漁民の方がなくなられた事に対する、我が国民の悲しみや怒りが弱くなってしまったように思いました。
 蝉連体は一種の言葉遊びではないかと思います。
 我々は漢詩を作る際において、脚韻を踏むことに非常な制約を強いられております。その上、句頭に更に制約を受けることは、作詩上至難な業だと思います。
 したがって詩意にその影響を及ぼすのは致し方ないのかもしれません。

2008. 4. 7              by 井古綆





















 2008年の投稿詩 第86作は 鮟鱇 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-86

  吟詩所懷        

莫道詩人多酒酲,   道ふ莫かれ 詩人に酒酲しゅてい多く,

閑吟恰似午鷄鳴。   閑吟 あたかも午鶏の鳴くに似ると。

三天一醉身康健,   三天に一醉ならば身は康健,

四海千吟世泰平。   四海に千吟あらば世は泰平。

日本長持和憲好,   日本 長らく和憲の好しきを持たもつも,

寰球尚有陣雲横。   寰球かんきゅう 尚ほ陣雲の横たふ有り。

悲知此事宜求句,   此の事を悲しみ知らば宜しく句を求め,

風化萬民交誼情。   風化すべし 萬民に交誼の情を。

          (中華新韻「十一庚」の押韻)

<解説>

「酒酲」:悪酔い。
「午鷄」:昼(時期はずれに)鳴く鶏。
「和憲」:平和憲法。
「寰球」:世界。
「陣雲」:戦場に流れる殺気を孕んだ雲。
「風化」:感化する。

 詩人が暢気に詩酒に親しんでいてどこが悪いか、日本の平和憲法のどこが悪いか、ということを詠っています。
 詩は、詩を愛さない人には無力かも知れませんが、多くの人が、漢詩に限らず詩歌を愛せば、きっと長閑で良い世の中になると思います。

<感想>

 鮟鱇さんのおっしゃる通りで、誰もが詩心を持って自然や人を愛していれば、良い世の中になっていると思います。いつの間にか、詩が日常生活からかけ離れたものになってしまった人が多いのではないでしょうか。

 感情を抑圧するのではなく、詩として自由にどんどん発言できる社会でなくてはいけないと思います。

 最近のニュースでも、街宣車の騒音で迷惑がかかるとの理由で教研集会を断ったホテル、大江健三郎の「沖縄ノート」の裁判、そして映画「靖国 YASUKUNI」の上映取り止めの連鎖など、力で相手をねじふせることが平然とまかり通るような風潮が感じられますし、バスの中で携帯電話の使用を注意しただけで殺されてしまったという事件まで起きました。若者も大人も(老人も)、どうしてこんなに心が荒んでいるのかと哀しくなる現代です。

 詩を作ることで全てが解決するとは言えませんが、殺伐とした世相を視点を換えて見ることは、心を穏やかにする効果が高いと思いますね。
 「みんなが詩人ならその村には悪い人なんて居ない」、これこそが桃源郷でありユートピアでもあるでしょう。
 ただ、お酒を三日に一回とするのは厳しいですね。せめて、休肝日は三日に一度、残りの二日は飲んでも良いとしてくれると私も安心できます。

2008. 4. 6                 by 桐山人



井古綆さんから感想をいただきました。

 鮟鱇雅兄おはようございます。
 玉作を拝読いたしました。頷聯の「三天一酔身康健、四海千吟世泰平」は特に秀句だと思います。(なお蛇足ながら「天」は「日」のことです)

 惜しむらくは第七句が説教調に感じられますが・・・。

2008. 4. 7            by 井古綆

[追伸]
 鈴木先生が感想で仰った“三日に一度の飲酒・・・”には、浅見ですが気にはなりません。「三天」(三日)はただの語呂合わせで、詩形を保つだけのことだと認識しております。
 先生もそのことは充分ご承知での感想であると拝察いたします。
 杜甫作の「曲江」には「朝より回って日々春衣を典し」とありますが、毎日衣服を質入れしたのでは衣服が足りません。この詩意は「時には」だろうと思いますが、詩の構成上「日々」としたのではないでしょうか。





















 2008年の投稿詩 第87作は 点水 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-87

  早春        

村郊十里試閑行   村郊十里 閑行を試む

細草疎疎径畔萌   細草疎疎 径畔に萌ゆ

隴上老梅紅蕾美   隴上の老梅 紅蕾 美しく

岸邊嫩柳緑芽清   岸辺の嫩柳 緑芽 清し

風吹四野餘寒遍   風は四野を吹き 餘寒遍し

雲蔽一天微雪生   雲は一天を蔽ひ 微雪 生ず

半日雨暘難豫測   半日の雨暘 豫測し難し

東君随意是非情   東君 随意 是れ非情

          (下平声「八庚」の押韻)

<解説>

 今年は予想に反して、よく雪が降ります。そんなことで作ってみました。
まだまだとは思いますが、よろしくご指導ください。

<感想>

 冬と春の情景が一緒に見られる早春の景を丁寧に描かれていると思います。
 特に、頷聯の「隴上老梅紅蕾美 岸邊嫩柳緑芽清」の対は色彩的にも鮮やかで、春を感じさせる良い句ですね。

 対する頸聯は冬の名残を描いているのですが、「風吹四野」の「吹」や「四野」にもう少し推敲できる感がします。物足りない印象です。
 また、尾聯の下句も「非情」では結論が単純すぎる気がします。
 前半がよく工夫されていますので、それに負けない後半になると、佳詩になると思います。

2008. 4. 15                 by 桐山人



井古綆さんから感想をいただきました。

 点水雅兄お早うございます。
 玉作を拝見いたしました。
鈴木先生の感想に総てが説きつくされていますが、わたくしの感じました点を補足してみます。

 頷聯は素晴らしい対句ですが、その素晴らしさを減却するのが第二句ではないかと思います。
鮟鱇雅兄も述べられているように、律詩は二句が一聯であり、ここに情景描写をしない方が良く、「閑行」の後半を続けたほうが良いではないかと思います。

 次に「風吹・・・」で始まる頸聯ですが、ここを如何なる情景描写で詠じても、詩としては構成上無理が有るように感じられます。この「早春」は作詩するには非常に難しく、何故ならば期節の推移に逆行していることを、詠じなくてはならないためです。これを打破するには「風吹」で始まる頸聯を、情景描写ではなく叙情句に以って行かないと詩の構成が成り立たないように思います。
 そこでわたくしは「豈図・・・」を考えました。これ以外に「計らずも」とか反語はいくらでもあります。 点水雅兄もこれに留意していただいたならば、詩意がまとめられると思います。

 以下の詩はこの文を書くために試作しました。ご参考になればと思います。

   試作 早春
  村郊十里試吟行、
  春到江湖杖屐軽。
  隴上老梅紅蕾美、
  岸辺嫩柳緑芽清。
  豈図暖日朔風度、
  已作寒天粉雪生。
  青帝逡巡誰予測、
  今年気象衆人驚。

「杖屐」 つえとはきもの。

※ 「衆人驚」は「使人驚」のほうが良いと思いますが、全日本漢詩連盟の某先生は「使人愁」などは一瞥して没と述べられています。これは初心者が詩語表から拾い出したのみで、乱用するのを戒められたと認識いたしますが、
  当詩では「使人驚」がピッタリと当てはまるように感じますがどうでしょう。

2008. 4.16               by 井古綆





















 2008年の投稿詩 第88作は 忍夫 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-88

  郡山城跡        

太平城跡寂   太平 城跡寂しく

暮色北風吹   暮色 北風吹けり

凡夫過駒慷   凡夫 過駒のなげ

蕉翁夏草詩   蕉翁 夏草の詩

流行非歳月   流れ行くは歳月に非ず

不易是憂悲   かわらざるは是れ憂悲

春去還春到   春去ってた春到れど

何希戦国時   何ぞのぞまん 戦国の時

          (上平声「四支」の押韻)

<解説>

 平和な時代の城跡に立てば寂しく、夕暮れに北風吹く。
 凡夫である私は、時が過駒のごとく過ぎ行くの嘆くばかりだが、芭蕉翁は有名な「夏草や兵どもの夢のあと」という句を残した。
 時の流れは、風景の変化によって認識されるものであり目にはみえない。また風景は変わっても戦争を憂い悲しむ気持ちのほうこそ古今東西変わらないものではないか。
 春はまた幾たびめぐれど、戦国の時をどうしてのぞもうか。

<感想>

 平和な時代だからこそ、かつての城跡を遺跡として見ることができるのですが、それを改めてお示しいただき、忘れていた感覚が戻って来る気がします。
 芭蕉が「夏草や」の句を詠んだ時も、栄枯盛衰を嘆き、世の無常に思いを馳せたと解釈しますが、その瞬間の芭蕉の思いという点では、戦国を経ての太平の江戸時代に対しておっしゃる通りの感慨だったのかもしれませんね。

 平仄の点で見ますと、第三句の「夫」が平声ですので、ここは直す必要があります。
 語句の選択についても、この頷聯は疑問が残ります。
 「凡夫」は謙遜されての言葉かもしれませんが、「凡夫」と「蕉翁」の対比が「句を詠んだ」ということだけでは弱いでしょう。どちらも「時の過ぎゆくことへの嘆き」は共通に持っていると思うのですが、どうでしょう。せめて、「蕉翁」の方も「詠」「賦」などの語が欲しいところです。
 もう少し前段階の話になれば、ここで「蕉翁」が登場するのもあまりピンと来ません。芭蕉が「夏草」の句を詠んだのが郡山ならば問題ないのですが、関係の無い場所でわざわざ固有名詞を使うのは読者に混乱を与えます。
 「古人」とするか、題名から「郡山」を取らないと、作者の発想に付いていきにくいでしょうね。

 また、「過駒」ですが、「駒隙」でないと通じないでしょう。少なくとも「駒過」でないと文法的にも苦しいでしょう。

2008. 4.15                  by 桐山人






















 2008年の投稿詩 第89作も 忍夫 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-89

  立春暁雪        

暁雪無端告立春   暁雪端無くも立春を告ぐ

山川一白不留塵   山川一白 塵を留めず。

楽哉看雪寒中酒   楽しい哉。雪をみて寒中の酒。

友到延延足跡新   友到れば延々足跡新たなり。

          (上平声「十一真」の押韻)

<解説>

 立春の日の明けがた皮肉にも雪が降り積もった。大地は一点の汚れもなき白銀世界。雪見酒とはおつなもの。酒のみ友が我が家を訪ね来れば、延々と足跡だけが新しい。

<感想>

 立春に降雪という取り合わせに詩興が湧いたという気持ちが良く伝わる詩ですね。

 転句と結句の順序が逆になると、友人との雪見酒という展開になりますが、この語順ですと、一人で飲んでいるところに友人が来てくれたという形で、時間経過が感じられて余韻が残ります。どちらが良いかはそれぞれの好みかもしれませんね。
 転句の四字目「雪」は起句にも使われていますので、同字重出になっています。これは好ましくありませんので、推敲されるのが良いでしょう。

2008. 4.15                  by 桐山人






















 2008年の投稿詩 第90作は 柳田 周 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-90

  人生有盈虚     人生盈虚有り   

起遅羞曳睡衣裾   起きること遅くして睡衣の裾を曳くを羞じ

屡失星期恐佚居   屡々しばしば星期を失って佚居たらんことを恐る

辞職半年閑興楽   職を辞して半年閑に楽に興じ

摘脾三月漫親書   脾を摘して三月そぞろに書に親しむ

経旋飲食煩妻累   つねに飲食をほしいままにして妻を煩はすことしきりなるも

未恣遊行訪友疎   未だ遊行を恣にせず友を訪ぬることまれなり

無悔永関新技術   永く新技術に関わって悔ゆること無けれども

人生七十有盈虚   人生七十盈虚有り

          (上平声「六魚」の押韻)

<解説>

 語註)
睡衣=ねまき(現代語でパジャマをも言うが、そのズボン型のすそは褲脚(kujiao)という様です)
星期=現代中国語 xingqiで曜日のこと
佚居=安佚でだらしないな暮らし
盈虚(えいきょ)=満ち欠け

 「人生七十古来稀」とは言う迄もなく杜甫の名句です。現在は七十は当たり前、九十か百を稀と言うべきでしょう。唐代には稀であった齢を二年後に控えて、完治はしないであろう肝疾と対峙しています。
 仕事が可能であった半年前迄と今後とを比較すると盈と虚であるかとも感じますが、余り深刻に考えない事にしています。

 さて、私は中国語ネイティブではないので読み下し訓読で詩句を考えますが、作詩後にピンインを振って音読する事を心懸けています。
 この作にピンイン(4声は無し)を付してみます。

  起遅 羞曳 睡衣 裾
  qichi xiuye shuiyi ju
  屡失 星期 恐 佚居
  leishi xingqi kong yiju
  辞職 半年 閑 興楽
  cizhi bannian xian xingyue
  摘脾 三月 漫 親書
  zhaipi sanyue man qinshu
  経旋 飲食 煩妻 累
  jingxuan yinshi fanqi lei
  未恣 遊行 訪友 疎
  weizi youxing fangyou shu
  無悔 永関 新 技術
  wuhui yongguan xin jishu
  人生 七十 有 盈虚
  rensheng qishi you yingxu

 ネイティブでない私にはピンインで音読できても、そのリズムや音調の本当の良否は悲しいかなわかりません。ネイティブの方の御批評を得られれば有り難く存じます。

<感想>

 柳田さんの日頃の生活が目に浮かぶ内容になっていますね。
 二句目の「屡失星期」などは、仕事をしている私でも最近は「あれ、今日は何曜日だったっけ?」と不安になることもあるくらいですので、家にいらっしゃる柳田さんは尚更のことかもしれませんね。私の場合には、家族から「老化だ」と言われていますが・・・

 尾聯の収束で、上句に「盈」の部分を示されたのでしょうか、頸聯までの日常生活の描写と「新技術」とのつながりが弱く唐突な印象です。その分、「盈」「虚」それぞれの指すものもぼやけているように感じます。
 「新技術」に重点を置くならば、前半に対比されるものを感じさせると良いと思います。

 唐代の平仄(つまり唐代の四声)と現代中国語の声調や音韻とは違いがありますが、それでも中国語で読むのは日本語にはない音調の響きを感じさせてくれます。私もできるだけ心がけて、自分で読んでは満足しています。

2008. 4.15                  by 桐山人


井古綆さんから感想をいただきました。

 柳田雅兄お早うございます。その後お体の具合は如何でしょうか。
 前作「寒晨朝」へのわたくしの愚見に対しましての、雅兄のお返事を拝見し、「新技術」のことが僅かに理解できます。

 今回の玉作は相当に研究されて、和臭が目立たなくなっていますが、第一句には推敲の余地があるように感じられます。浅学ながらわたくしの詩語を探し出す方法を述べてみます。
 多用しているのは「新字源」ですが、時々に誤りもあります。
例えば玉作の「起遅」これは熟語ではないので熟語を探そうとして「起」を検索しても載っていません。
 では「早」を検索すると、項目に「早晏 ソウアン 早いと遅い」とあります。次に「晏」の項目で「晏起」という「遅く起きる」の意味の熟語が発見できます。
 そこで、雅兄の詩意に合致しているかどうか分かりませんが、「毎朝晏起乱衣裾」となります。

 尾聯の「新技術」より始まり詩題の「人生有盈虚」に関する語々には「坎坷(かんか)」とか「牢騒(ろうそう)」、また「齷齪」など双声語とか畳韻語を多用すれば詩に趣が生まれるように感じられます。
 諸兄のお役に立てられたならばと思い、浅見を恥じることも無く執筆した次第です。

2008. 4.17             by 井古綆