92作目は 鮟鱇 さんからの作品です。
 

作品番号 1999-92

  深謝鈴木先生      鈴木先生に深謝す    鮟鱇

敢道推敲一字交   敢えて推敲一字の交と道(い)はん

先生指正是詩豪   先生指正すれば、是れ詩豪

不辞役役査辞典   役役として辞典を査(しら)べるを辞さず

句眼点睛吟味高   句眼を点睛すれば吟味高し

          (下平声四「豪」の押韻)

<解説>

 鈴木先生のご努力に感謝する詩です。
 先生はいつも、平仄の誤りの指摘にとどまらずわたしたちの迷いに答えてくださるなど、わたしたちの詩をとても丁寧に読んでくださっています。
 ご指摘はいつも正鵠を得ているとは限らず、僭越ながら異見を抱くこともありますが、他人の詩に接するときの先生の真摯な姿勢に、わたしは感動しております。
先日、一字のことですが、先生からとても貴重なご指摘をいただきました。「迷蝶」か「遊蝶」か。 「迷」いがあるのであれば、紛れのない「遊」にしたらどうかとのご指摘、とてもうれしく思いました。
 小生、それでもなお「迷」を使いたい気持ちも残っており、まさに「推敲」とはこういうことかと思い続けています。
 韓愈に推敲を問うた賈島の故事、こういうことだったのかと思いもします。
 ただ、韓愈は、こともなげに「敲」がよいと答えたように思いますが、先生は辞書も念入りに調べ、丁寧に答えてくださっているように思います。
 そのことに気がつくの遅く、御礼、おそくなりました。

<感想>

 最近ホームページの更新が遅れがちで、きっと鮟鱇さんは私の体調を心配して、激励の詩を作って下さったのだと思います。ありがとうございます。
 体調は以前よりは良くなってきていますが、その分、ついつい仕事をしてしまうので、結局一日の疲労度はあまり変わらないという感じでしょうか。でも、がんばりますのでご安心を。

 皆さんの送って下さった詩に感想を書かせて頂くのは、私自身は勉強にもなりますし、何よりも色々な詩に出会えてとても楽しい思いをしています。
 ただ、せっかく送って下さった方には、アドバイスも不十分で的外れなことも多いだろうと、申し訳なく思っています。せめて調べて分かることだけは調べて、とは思っていますが、おかしなことを言っているようでしたら、遠慮なく文句を言って下さい。
「この間の感想は間違ってるぞ!」とか、「作った方の意図とは違うぞ!」とか、
 そうした言葉で私も育てられて行くのだと思います。
 皆さん、よろしくお願いします。

1999.12.14                 by junji





















 93作目は、福岡県の 香京 さんからの初めての作品です。
 香京さんは、昨年の4月に教員になったばかりというお若い方です。

作品番号 1999-93

  秋日          香京

秋光照山河   秋光 山河を照らし

風木掉枝柯   風木 枝柯を掉(ふる)

草叢座仰天   草叢に座して 天を仰げば

雁影蕭蕭過   雁影 蕭蕭として過ぐ

          (下平声五「歌」の押韻)

<解説>

[訳]
  秋の日の光が山や河を照らし
  風にざわめく木々は枝をゆらしている
  くさむらに腰掛けて空を見上げると
  雁がものさびしく過ぎ去っていった。
  (実際には雁はいなくてカラスだったんですが、
      カラスはちょっと・・・と思って雁にしました)


・・・幼稚な漢詩で恥ずかしいです。
まず、平仄がよくわからないのでぜんぜんできてなくて、文字の使い方も怪しいです。
よかったら、読んで悪いところを教えて欲しいです。
あと、平仄もできたら合わせてみたいのですが・・・
    ご迷惑でしょうか?

<感想>

 詩の平仄を見てみましょうか。
 各句について、平字は○、仄字は●、韻字は◎で表しますと、次のようになります。

    秋光照山河    〇○●○◎
    風木掉枝柯    ○●●○◎
    草叢座仰天    ●○●●○
    雁影蕭々過    ●●○○◎

 五言詩の平仄で大事なのは各句の二字目と四字目。
 関係する平仄の規則で大事な点は、
@各句とも二四不同になっていること
A起句と承句、転句と結句は二字目の平仄が逆になること
      (必然的に四字目も逆になります)
B承句と転句の二字目は同じ平仄になること。
 また、押韻については、
C偶数句(承句と結句)末に原則として平字で押韻し、奇数句末は仄字を使う。

 以上の規則を守るという気持ちで推敲を進めるならば、考えるべき所は、
・ 起句の「山河」を「●●」の言葉にする。
・ 転句を「△●○○●」(△は平仄どちらでも良い)になるようにする。
の二点だと思います。
 結句は、差し当たって「蕭蕭雁影過」と並び替えればクリアします。

 以上のような観点から考えてみて下さい。
 私見ですが、「山河」については、菊とか楓とか、秋を感じさせる言葉を使うと良いと思います。詩の中で季節を具体的に感じさせる言葉が少ないようですから。
 また、転句については、わざわざ「草叢」と言う必要は無いように思います。「遠くを望み見る」ような言葉や、この時の心情を表すような言葉を入れてみて下さい。

 手近な所から直していくのがよいと思いますが、疑問点などありましたら、連絡して下さい。また、うまく考えつかない場合も、遠慮せずにすぐにメールを送って下さい。
 詩の内容としてはうまくまとまっています。平仄を見ないで行くならば、十分気持ちが伝わる詩だと思います。

1999.12.27                 by junji





















 94作目は 鮟鱇 さんからの作品です。
 この1年を振り返っての作だそうです。

作品番号 1999-94

  一九九九年歳会          鮟鱇

東南西北探花天   東南西北に花天を探し

春夏秋冬散酒銭   春夏秋冬に酒銭を散ず

孔廟昼佯聴聖語   孔廟の昼に佯(いつわ)って聖語を聴し

紅楼夜舞挙空拳   紅楼の夜に舞って空拳を挙ぐ

          (下平声一「先」の押韻)

<解説>

 題に使いました「歳会」は一年の決算の意味です。

 この詩は、わたしのこの一年の詩作りを回顧したものです。
 わたしの想像力は貧弱です。それでも、実生活よりは数段に豊か。
実生活で紅楼に遊ぶことはありませんが、想像力の世界には紅楼があります。
詩は、そのような回顧のなかで、夏に作った次の詩を作り変えたものです。

    七絶:孔聖有言「東西南北人」

  東南西北覓人倫    東南西北に人倫を覓め
  春夏秋冬楽正真    春夏秋冬に正真たるを楽しむ
  孔廟又看梅素艶    孔廟また梅の素艶たるを看れば
  聖言猶促意鮮新    聖言なお意の鮮新たるを促す

 この詩は「漢詩コンクール」に応募したものです。
 テーマが「時」でしたので、2500年前の孔子の言葉が今も新鮮さを失わないことを歌おうと思いましたが、詩にはなりきれなかったようです。落選しました。
 起句と承句を対句にし、転句と結句を対句にして、ガンバッタのですが、儒家のことはふだんあまり真剣に考えませんので、馬脚があらわれたのだと思います。
 それで、やっぱりふだんを大切にしようと作りなおしました。

 わたしは詩を書いていて、うまくミエがきれたときにとてもうれしく感じます。今回の作も、プレシオジテ(フランス語:作文において気取ること)を試みています。

<感想>

 引用なさった「東西南北人」は、表現も堅く、対句の効果もあってでしょう、かっちりとした作品という気がします。その分、言葉のゆとりの部分が少なくなって、やや説明的になってしまったかもしれませんね。(私はこの作品も好きですが・・・・)

 今回の作は、一転して遊び感覚がたくさん出ているように思います。フランス語の連想で言えば、うーん、ジャン・ポール・ベルモンドの雰囲気でしょうか。気骨があって野暮ではなく、軽いけれども目を離せない、そんな魅力を感じます。

1999.12.27                 by junji





















 95作目は 鮟鱇 さんからの回文詩です。

作品番号 1999-95

  龍飛鳳舞      龍飛び鳳舞う  鮟鱇

輝姿鳳舞夢魂飛   姿輝かせて鳳舞えば夢魂飛び

舞夢魂飛龍酔微   夢に舞い魂飛べば龍、微かに酔う

微酔龍飛魂夢舞   微酔して龍飛べば魂、夢に舞い

飛魂夢舞鳳姿輝   飛魂、夢に舞って鳳姿輝く

          (上平声五「微」の押韻)

<解説>

 [訳]
 
 十字回文詩です。わたしの好きな六文字(夢、魂、酔、舞、輝、飛)を龍と鳳に託しました。
 夢想の詩ですから、あまりむずかしいことは考えていません。

    龍    飛 酔   魂   微   夢   輝    舞 姿     鳳


坤歌:龍酔微。輝姿鳳舞,夢魂飛。

<感想>

 この詩は、実は11月の初め頃に頂いたものでしたが、「龍」の一字に引っかかって年末に持ってきてしまいました。来年が辰年というだけのことなのですけどね。
 私自身は回文詩を作ったことがないのですが、鮟鱇さんや河東さんの作品を見ると、神の仕業のように思えてしまいます。頭の中をどう動かすと良いのでしょうか。作り方に極秘の秘伝、秘訣とか何かあるのですか?

1999.12.27                 by junji





















 96作目は 釈 休意 さんからの2作目です。
 

作品番号 1999-96

  偶成           釈 休意

上飯山京築一餅   飯山に上れば京築一餅

周豊旭日隔邦領   周豊の旭日邦領を隔す

星士超空見蒼璧   星士空を超えて蒼璧を見

自然恩愛国忘境   自然恩愛国境あるを忘る

          (上声二三「梗」の押韻)

<解説>

 ご無沙汰をしています。
前作「中津原」(作品番号1999-75)は次のように直しました。

  秋風爽気柳枝垂
  不動浮雲山似眉
  不乱耕人孤還土
  中津原野日西移

なんとか収まりましょうか。

 二作目の解説です。
飯山(飯岳573米)にのぼると京都郡、築上郡が一枚の伸し餅のように広がっている。
山上から望む周防灘、豊後水道にかけて日の出の輝かしさに心うたれます。
しかし、それは自分の生まれた日本が美しいと言うことに、深く意識つけられてゆきます。
宇宙航空士は空を超えてポッカリと浮かぶ蒼い地球を眼にした感動をさまざまに語っています。
一日目は五大陸、二日目は生まれた国、その後は生きとし生けるものが共に住む、ただ一つの地球と言う思いに胸が熱くなるそうです。

 人をそれほど優しめるには人類一人一人が人工衛星に乗らなければ出来ないものなのか、そんな思いの詩ですが、ご指導をお願いします。

<感想>

 前作につきましては、反法・粘法の問題はクリアできました。後は、転句をもう一度考えて見て下さい。

 具体的には、形式の問題では、
@「不」の字が承句にも使われています。
  同じ字を他の句で重複して使用しないようにして下さい。
A「還」が平字のため、「二六対」が守られていません。六字目を仄字にする必要があります。

 また、内容の面では、
B「不乱」は何が乱れないのか、分かりにくいですね。@との関連もありますから、何か他の言葉を探しましょう。
C「還土」は前作での「回土」とは意味が違って来てます。Aと併せて、「覆」の字にしてみたらどうでしょうか。

 さて、二作目の感想ですが、前作と同じく、スケールの大きな詩になっていると思います。
 宇宙にまで視野を広げた発想は、まさに現代の詩という感じがします。
 押韻は上声二三「梗」を使っていますが、仄声の韻は、近体詩では原則として使いません。逆に、古詩の趣が仄韻には出て来ますので、現代的な内容が古体詩の器にこの場合は入ったようなもので、詩に力強さが出ています。効果としては、良かったと思います。
 内容面で、結句が表現が大きすぎて意味がぼけているように思います。「自然恩愛」はこの詩の主題ですので、逆に文字にしないで隠しておいた方が良いでしょう。
 承句を受ける形で結句の内容を見、全体の構成を練り直してみてもよいと思います。

1999.12.29                 by junji





















 97作目は西宮市の 謝斧 さんから初めて投稿頂いた作品です。
 謝斧さんは漢詩創作歴も長いベテランの方です。西宮で「嘯嘯会」という漢詩の会を行っておられるそうですよ。

作品番号 1999-97

  忘年会        謝斧

酒於佳興須成醉   酒は佳興に於て須らく醉を成し

交以高懐能戰詩   交は高懐を以て能く詩を戦わせん

歳暮芳筵風雅客   歳暮 芳筵 風雅の客

旗亭還会笑開眉   旗亭 還た会して 笑って眉を開かん

          (上平声四「支」の押韻)

<感想>

 題名の通りで、思わず納得!という詩ですね。
 忘年会は、昨年、河東さんも作っておられましたが、同じ趣味の仲間と一緒に過ごす時というのは、何ものにも替えがたい幸せな瞬間です。
 「燭を秉りて夜に遊」ぼうと詠ったのは李白ですが、彼のように360日酔いっ放しにはいかない私たちは、この忘年会のシーズンが公然と夜に楽しみを為す大切な機会。
 私は今年は「忘年会」というものには一つも出られませんでしたので、改めて健康の大切さを実感しました。

1999.12.29                 by junji





















 98作目も 謝斧 さんからの作品です。
 

作品番号 1999-98

  次韻李白詩『登金陵鳳凰台』題大龍寺        謝斧

大龍寺裏大龍遊   大龍寺裏 大龍遊び

龍去帰帆泛海流   龍去って 帰帆 海流に泛ぶ

修法大師尋故地   法を修めし大師故地を尋ね

参禅僧侶臥深丘   参禅の僧侶 深丘に臥せる

天高目断翠煙外   天高く目断す翠煙の外

波静雲崩淡路洲   波静かに 雲崩れる 淡路洲

白首已知霜樹老   白首已に知る 霜樹の老るを

暮江朗景使人愁   暮江の朗景 人をして愁えしむ

          (下平声十一「尤」の押韻)

<解説>

 空海は唐に渡るとき、再度山をおとずれました。空海が唐を去るとき、大龍は舟に伴って空海を守ります。舟が日本へ着いたと同時に大龍は姿を消しました。帰朝した空海は再び再度山を訪れて法を修めます。
 この詩は李白の詩をまねて作ったもので、黄庭堅等が言うところの、換骨脱胎の手法です。
 戯れに作ってみたもので詩の巧拙は問わないで下さい。恐らくはひどい作に成って要ることと思います

<感想>

 李白の『登金陵鳳凰台』の詩は、

    鳳凰台上鳳凰遊    鳳凰台上 鳳凰遊び
    鳳去台空江自流    鳳去り台空しくして 江自ずから流る

 の書き出しですが、「鳳凰」を「大龍」に置き換えた所からこの詩の発想が始まったのでは、と思います。
 李白の詩の「人の世の転変を嘆き、自分の不遇を嘆く」という内容に対して、謝斧さんは「自らの老い」を新たに設定して、愁いの因を明確にしたのが「換骨奪胎」の狙いでしょうか。
 楽しく読ませていただきました。

1999.12.29                 by junji


 謝斧さんの作品に、三耕さんから感想を頂きました。ご紹介します。

 謝斧さんの「次韻李白詩『登金陵鳳凰台』題大龍寺」拝見しました。
「戯れに作ってみたもの」とのことですが、結句「暮江朗景使人愁」の構成に感服いたしました。まさに禅の悟境が発露するものを感じ取りました。
 即ち、二字二字三字の構成が 陰 陽 陰 となっておりまして、通常の作ですと、この流れの中で真中に 陽 を配置するのは思い付きもしません。これぞまさに陰陽を超越した悟りの境地だと推察申し上げます。
 飯田利行氏が述べられる「漱石の雅号の真意」に迫るものと思います。
 ありがとうございました。

 空海につきましては、私も「木と森を見ることのできた人」ということで、この夏頃関連書籍を読み、「桁外れの柔軟性」を感じたところです。影響を受けました拙作は以下の通りでございます。
「初晴一覚」 (07/12) http://user2.allnet.ne.jp/nisino/kansi/169.html  「風難駐」 (07/19) http://user2.allnet.ne.jp/nisino/kansi/183.html  「五色蓮花」 (08/15) http://user2.allnet.ne.jp/nisino/kansi/172.html  「掬月」 (08/30) http://user2.allnet.ne.jp/nisino/kansi/176.html  「赤尾」 (09/17) http://user2.allnet.ne.jp/nisino/kansi/181.html 

 密教につきましては例の教団の為にとやかく言われがちでございますが、お大師さんの真意は「赤尾」の起句にも書きました通り、「他人の幸せを自らの幸せとする」尽きる事のない法悦への発想の転換であったと思っております。

 また空海に因んだお作を拝見できれぱ幸甚です。

1999.12.31                 by 三耕





















 99作目は 鮟鱇 さんからの作品です。
 宋の陸游(陸放翁)への想いを詩になさったものです。

作品番号 1999-99

  陸放翁          鮟鱇

一年五百六旬年   一年に五百 六旬年

陸放翁吟三萬篇   陸放翁は吟ず 三萬篇

恰似長江流滾滾   恰(あたか)も長江の滾滾と流れるに似て

詩情不倦韻連綿   詩情は倦まず 韻連綿

          (下平声一「先」の押韻)

<解説>

 年末であるから、ということなのでしょうが、この一年をふりかえることの多い今日このごろです。
 太刀掛呂山先生の『誰にでもできる漢詩の作り方』を去年の夏に手に入れてから、ほんとうに誰にでもできるのかどうか確かめようと思い、詩作りに励んできました。太刀掛先生は、高校の夏休みに二百首作られたと書かれていますが、誰にでも作れるとして、どこまで作れるのか、確かめてみようと。

 わたしのこの一年を決算すれば、唐詩・宋詩約750、10文字の新短詩である曄歌・坤歌約600。短いものは曄歌の10字ですが、長い詞は140字あまり。太刀掛先生の『誰にでもできる漢詩の作り方』について、詩の内容はともかく、かなりの確信を得ることができました。
 しかし、いささか疲れました。そこで、思いが至ったのが多作で有名な陸放翁のこと。この一年やってきたことを60年続ければ、わたしも陸翁と肩を並べることができるのかなという無邪気な思いです。
 陸翁は享年85歳、わたしはすでに50歳を超えましたので、同じだけ生きたとしてもうとても及ばないのですが、それ以前のこととして、この一年をあと何年厭きずに続けられるかなという不安の方が先に立ちます。
 改めて陸翁に脱帽の思いで一首作りました。

<感想>

 鮟鱇さんが陸放翁に脱帽し、私は鮟鱇さんに脱帽です。
 鮟鱇さんは「平仄討論会」などでも、ご自身の作について「詩の内容が不十分だ」と謙遜していらっしゃいますが、詩を作るためには「詩情」が無ければ作れません。
 太刀掛先生の『誰にでもできる漢詩の作り方』はとても便利で、私も参考にさせていただくことが多いのですが、でも、この本があっても作れない時には作れません。それは何よりも、詩とすべき感動がこちらに無い時です。
 鮟鱇さんの多作は、訴えたいもの、言葉で表現したいことがそれだけ心の中に溢れていることの表れなのだと思います。
 そういう意味で、鮟鱇さんの感受性の豊かさに脱帽です。

 来年も、素晴らしい詩をたくさん読ませて下さい。1年間、ありがとうございました。

1999.12.29                 by junji





















 今年度の投稿漢詩もついに100作目、 鮟鱇 さんからいただきました。

作品番号 1999-100

  答友人          鮟鱇

蒙奨朝朝鼓薄才   奨を蒙って朝朝に薄才を鼓し

将吟暮暮喜徘徊   将に吟ぜんとして暮暮に徘徊を喜ぶ。

庭前黄落人孤影   庭前の黄落、人は孤影

樹頂紅留葉数枚   樹頂に紅留まりて、葉は数枚。

蓬島詩情似冬至   蓬島の詩情、冬至に似て

漢人芳志促春回   漢人の芳志、春のめぐるを促す。

華風今古吹辺土   華風、今古に辺土に吹けば

随処随時花自開   随処随時に、花自ずから開かん。

          (上平声十「灰」の押韻)

<解説>

 今から100年ほど前までは日本人もこぞって漢詩を作っていました。そのことを思うと今は、冬の状況です。
 しかし、冬のあとには春がきます。問題は花の生命力ですが、詩詞にその力があることを、わたしは信じています。そんなことを土台にした詩です。
 詩のなかで「漢人」とあるのはわたしの詩作りをいつもはげましてくれる日本にいる中国人の友人です。冒頭の「蒙奨」は、はげましを受けての意、この詩はそのはげましにお答えして作ったものです。

<感想>

 対句のよく整った、美しい律詩と思います。
 五句目の「蓬島詩情似冬至」の比喩がやや苦しく感じましたが、対句として六句目の「促春回」の語句と併せて読むとよく分かります。
 尾聯の表現がこれからの漢詩の明るい未来を感じさせ、1999年の終わり、2000年を迎えるに、勇気がわいてくる詩と思います。

1999.12.31                 by junji