61作目は 鮟鱇 さんからの作品です。
 7月の下旬に頂いたものですが、私の掲載が遅くなりました。すみません。

作品番号 1999-61

  老聴濤声      老いて聴く濤の声  鮟鱇

明月常孤照衆星   明月、常に孤り衆星を照らし

玄濤不息洗沙汀   玄濤、息(やす)まずして沙汀を洗う

少時屡楽収螺貝   少時にはしばしば楽しんで螺貝を収め

老立唯愉天謐寧   老い立てばしばらく天の謐寧なるを愉しむ

          (下平声 九青)

<解説>

 梅雨明けも間近く、いよいよ夏。天は晴れていますが東京では星空は見えません。
 子供の頃、夏にはしばしば瀬戸内海の祖父母の家に遊びに行きました。白い砂浜の海は綺麗で、仰ぐ夜空には月と星。
 そんな思い出をもとに作った空想の作です。

<感想>

 波の音と月と星と、夏の海辺の夜を彩る風物がしっかりと描かれていますね。
 起句は、私は実感を持って読みました。
 町中では、月と星は同時に目に入ることは少ないのですが、空気の澄んだ地域で、しかも広々と視界の拓けた場所ですと、月も星もそれぞれをしっかりと見ることができます。
 私の住む知多半島でも、南の海水浴場の方に出かけて、砂浜に腰をおろして夜空を見ると、本当に、空の大きさ、星の多さ、月の小ささに感動します。「明月が衆星を照らす」という表現は、全くその通りだと思います。

 転句・結句ですが、せっかく「楽」「愉」と言葉を対にしていますので、その後も「収螺貝」と「天謐寧」が対句になると効果が生きたのではと思います。

1999. 8.13                 by junji





















 62作目は神奈川県の 郤山 さんから、初めての投稿作品です。
 次のようなメッセージを頂きました。
 「市民館の漢詩愛好会に入会して1年になりました。
 やむにやまれず、試みはじめました。押韻や平仄の規則は目下無視せざるを得ません。
 言葉の少なさを痛感します。
 そんな段階では漢詩を作る資格はない、なぞとおっしゃらずにお仲間に入れてください。」

作品番号 1999-62

  八岳山麓      

北岳南麓擁泉緑   北岳の南麓 泉を擁して緑  

南山北壁抱雪藍   南山の北壁 雪を抱いて藍し

松梢郭公送春久   松梢の郭公(かっこう) 春を送りて久しきも

池塘蝌蚪迎夏暫   池塘の蝌蚪(かと) 夏を迎えて暫し

縄文代人洗鋤鍬   縄文代人 鋤鍬(すきくわ)を洗い

戦国武士磨刀剣   戦国の武士 刀剣を磨く

古来人情胡不同   古来 人情 胡(なん)ぞ 同じからざる

八岳山麓催思念   八ヶ岳山麓 思念を催す

          (下平声「覃」・去声「勘」「艶」古通)

<解説>

 [語釈]
〔蝌蚪〕 :オタマジャクシ
〔思念〕 :愛する人、別れた人に会いたいと思う心

 初夏の信州路。海抜二〇〇〇米のこの地は、まだ春の名残を色濃く残している。南の甲斐駒は予想以上に近く、そして高い。雪渓を抱いた南ア連峰がかすみの中に煙って見え、紗の屏風に対しているかの様。
 「井戸尻」は泉のほとりに残された縄文の遺跡。赤・黄のレンゲツツジが満開。雪解けの冷たい泉水も、小川となって流れ、水車を回して蓮池に達する頃は、程好い水温になっているのだろう。まだ足の生えていないオタマジャクシが陽光のきらめきを追いかけていた。
 ここは信玄・謙信が覇を競った古戦場でもある。しかし、この地この時季、そのような殺伐さは微塵もない。

(一九九九・五・二二〜二三)

<感想>

 押韻・平仄まではまだまだ、とのことですが、対句も整えてあり、よく出来ていると思います。
 内容としては、使われている言葉の一つ一つが力強く、実感がよく表れていますね。「言葉が少ない」と仰ってますが、外から見れば十分の力をお持ちだと感じます。

 注意点としては、同じ字が重複して使われている(北岳南麓・南山北壁・八岳山麓など)ので、この点だけは検討した方が良いと思います。
 規則上のことだけではなく、短詩形の韻文では、限られた字数の中でどれだけ豊かな表現をするかが勝負です。リフレインの強調の目的以外には、同じ語句は出来るだけ重複しないようにすべきでしょう。これは、短歌や俳句でも同じですね。

1999. 8.13                 by junji





















 63作目は 真瑞庵 さんからの作品です。
 

作品番号 1999-63

  江郭雨景      

江郭雨来望若煙   江郭雨来タりテ望ミ煙ガ若シ

遠林近樹転幽然   遠林近樹転タ幽然タリ

白鷺一鳴天角去   白鷺一タビ鳴イテ天角ニ去レバ

紅荷財揺色嬋娟   紅荷財カニ揺レテ色嬋娟

          (下平声 一先)

<解説>

 雨に煙る木曽川沿いの村の蓮田に咲く蓮の花の、可憐で、凛とした美しさを表現できたらと思います。

<感想>

 真瑞庵さんのこの詩は、平仄のきまりから言うと、一般的な標準形とは異なっていますので、この詩をお借りして少し「平仄」の説明をさせていただきましょう。
 具体的には二句目と三句目の平仄の関係が粘法に反しているわけですが、分かりやすく、真瑞庵さんの今回の詩の平仄と、標準的な詩の平仄を図で見てみましょう。
 標準(仄起式)        「江郭雨景」
○○●●◎       ○●○○●◎
○●●○◎       ●●●●○◎
○●○○●       ●●○○●●
○○●●◎       ○○●●◎◎
 標準として載せたのは、高適の『除夜作』の平仄です。

 さて、各句の二字目にだけ注目してもらいましょう(二字目の平仄が決まれば、必然的に四字目、六字目も決まってきますので、二字目がその句の平仄全体を決めているともいえるからです)。
 まず標準の方ですが、二字目だけを並べますと「●○○●」となり、起句(一句目)と承句(二句目)の二字目は平仄が逆になってますが、承句と転句(三句目)ではどちらも平声、そして転句と結句(四句目)でまた逆になっていますね。
 このように、起句と承句は平仄を逆に(反法)、承句と転句では平仄を同じにする(粘法)、そして転句と結句ではまた逆に(反法)するのが、一般的な平仄のルールです。
 対して真瑞庵さんの詩は、二字目を並べると「●○●○」となっています。起句と承句は反法通りですが、承句と転句でも平仄が逆になっていて、ここも反法。転句と結句もやはり反法、つまり粘法のところが無いわけですね。
 このような形式の詩を「拗体(折腰体とも)」と呼びます。唐以前の詩では、まだこの粘法の意識が少なかったようで、六朝期の詩の名残とも思われます。近体詩では、当然破格の形式になりますが、わざわざリズムの変化を狙って作られることもあるようです。

1999. 8.14                 by junji





















 64作目は愛知県の 桐山人 、私の作品です。
 私の勤務する県立半田東高校は、今年創立20周年を迎える、比較的新しい学校です。人間で言えば「成人式」ですので、記念して祝う詩を作りました。

作品番号 1999-64

 題半田東高校開校二十周年  半田東高校開校二十周年に題す    

鳧影将来碧落天   鳧影将に来たらんとす 碧落の天

上池風冷欅枝鮮   上池 風冷ややかにして 欅枝鮮やかなり

一心不乱歓歌響   一心不乱の歓歌は響き

芳躅重重二十年   芳躅重重たり 二十年

          (下平声 一先)

<解説>

 [語釈]
〔鳧影〕 :鴨が渡って飛んでくる姿
〔上池〕 :半田東高校の南、鴨の飛来の名所
〔芳躅〕 :先人の輝かしい足跡

 こうした詩は、当事者にだけ分かる言葉がありまして、少し説明しないといけませんね。
 「語釈」にも少し書きましたが、半田東高校は鴨の飛来地である上池の北側に校舎が建てられています。運動場に沿って欅の並木が枝を広げています。
 「一心不乱」というのは、本校の校訓で、何事に対しても熱心に取り組むという姿勢を生徒達に期待してのものですが、その言葉が第二校歌(「開校喜びの歌」と言われます)に織り込まれているのです。したがって転句は、「『一心不乱』と歌う歓びの歌が響いて」という意味なのですが、うーん、説明がくどくなりましたね。

 私事の詩になりましたが、こうした行事とか記念とかを詠むのも詩の一つの姿でしょうから、お許しを。

1999. 8.14                 by junji



 鮟鱇さんから、「私事の詩」という言葉について、ご意見をいただきました。

 『題半田東高校開校二十周年』、たいへん楽しく拝見しました。
 先生は「私事の詩になりましたが、こうした行事とか記念とかを詠むのも詩の一つの姿でしょうから、お許しを。」とずい分遠慮なさっていますが、わたしはむしろこの作品のような「生活」のある詩がもっとかかれるべきだと思いました。
 このような詩がどんどん作られ、行事・記念とかの度に、誰かが詩を作り、誕生日や結婚式、送別のおりに詩の贈答がある、こうなってはじめて生きた詩になるのではないか、そんなことも考えます。


 部分の引用ですので、少しニュアンスが異なってしまったかもしれませんが、詩にどう向かうべきかの一つの方向性ですね。
 「私事の詩」という私の表現がいけませんでしたね。今回は、身内だけで分かり合う類の言葉が多すぎたので、つい言い訳のように書いてしまいました。
 鮟鱇さんが言われるように、子供の誕生日の記念でも、結婚式のお祝いでも、詩の贈答がもっと気楽になされた方が良いと思います。そういう文化が急速に失われていくことを、私はもっとも危機的状況として感じます。

1999. 8.23                 by junji






















 65作目は 鮟鱇 さんからの作品です。
 

作品番号 1999-65

  遇雷雨吾空想      雷雨に遇いて 吾 空想す  鮟鱇

酒花園共飲徒   酒花園(ビアガーデン)に飲徒と共にありて

大楼屋頂忘賢愚   大楼(ビル)の屋頂に賢愚を忘る

移時雲幕蒙晴昊   時を移せば雲幕、晴昊を蒙(おお)

到処干杯急帰途   到る処 干杯、帰途を急ぐ

紫電揮刀斬宴語   紫電、刀を揮って宴語を斬し

迅雷撃鼓喜天駆   迅雷、鼓を撃って天駆くるを喜ぶ

空觴卓上収盆雨   空(から)の觴 (さかずき) 卓上に盆雨を収め

疑是化成酒満壺   疑うは是れ 酒に化成して壺を満たすかと

          (上平声 七虞)

<解説>

 律詩といえば格調が求められるようにも思いますが、卑俗な詩で申し訳ありません。現代生活、街の中を描こうとすると、いわゆる「漢詩」の雰囲気が壊れるように思いますし、「笑い」に走ってしまいます。
しかし、そういう時代に生きているのであれば、仕方がないようにも思います。ご批判を待ちます。

<感想>

 酒はビールのことです。中国語で最初に覚えた言葉がこれだ!、という方もいらっしゃるでしょうか。
 突然の雷雨にあわてる人々の姿が目に浮かぶようですね。頸聯(5・6句)の対句の擬人法がとても面白いと思いました。特に、「迅雷、天駆くるを喜ぶ」などは、いかにも空を乱れ落ちる雷の閃光を描写していて、素晴らしいと思います。
 頷聯(3・4句)の対句は語句の対応がすっきりしていないように思いますが、頸聯のまとまりの良さを生かしていて、却って調和しているかもしれませんね。
 尾聯(7・8句)のスケールの大きさというか、図々しさは、李白に並ぶか、と思わせる程で、「夕立の雨が酒だったら・・・」と考えるだけでも、ワクワクしますね。

1999. 9.15                 by junji





















 66作目は 三耕 さんからの作品です。
 

作品番号 1999-66

  掬月     月を掬ふ   三耕

葉不金風落別処   葉は 金風のなか 別処に落ちず

雁無雲錦住虚空   雁は 雲錦のなか 虚空に住(とどま)ることなし。

依稀掬月既望去   依稀として 月を掬うも 既望去りて

大道悉皆遊戯中   大道 悉皆 遊戯の中。

          (上平声 一東)

<解説>

 [語釈]
〔依稀〕 :おぼろ。
〔掬〕  :すくう。
〔既望〕 :十六夜。
〔悉皆〕 :ことごとく。

<感想>

 三耕さんの詩は、発想や取り合わせが面白く、色々なイメージを与えてくれますね。
 今回の作品では、結句の「大道」が句を広げているように私は思いました。「大道廃れて仁義有り(老子)」がまず頭に浮かんでしまったからかもしれません。広い道というだけでなく、天地自然の道理としての道も世紀末のざわめきの中でおぼろに見える、そんなイメージですね。

  1999. 9.15                 by junji





















 67作目は岡谷市の 京 祥 さんからの作品です。
 

作品番号 1999-67

  夏日新涼        京祥

炎塵未散立荒丘   炎塵未だ散ぜず 荒丘に立つ

泱泱雲峰燦両眸   泱泱(おうおう)たり 雲峰両眸に燦(あきら)

高燥風無三伏夏   高燥の風 三伏の夏無く

湿原花有一些秋   湿原の花 一些の秋有り

          (下平声 十一尤の押韻)

<解説>

 [語釈]
〔高燥〕 :高く乾燥した土地。ここは「霧ヶ峰高原」
〔湿原〕 :ここは蓼科高原の「七島八島湿原」
〔花〕   :初秋に咲く紫の高山植物「松虫草」の花

転結句は後対格に作りました。

<感想>

 京祥さんから詩を頂くのは半年ぶりでしょうか。お元気そうで、何よりです。
 今回の詩は、京祥さんの地元、蓼科高原の初秋の景観ですね。
 起句承句の勢いのある自然の姿と、結句のたおやかな高山植物の対比が、うだるような夏の暑さと秋の涼しさをしっかりと描写していて、構成に成功した詩だと思います。

 後対格で作られたようですね。対句としての平仄はあっていると思いますが、書き下し文のように読むとなると、やや不満が残ります。
 どういう点かと言いますと、京祥さんの句意では、主語が「高燥風」、述部が「無三伏夏」となり、七言が「三字+四字」という切れ方になっています。(結句も同じです)「四字+三字」が安定したリズムですから、今のままですと妙に落ち着きが悪く感じます。
 「高燥では、風は・・・・」「湿原では、花は・・・・」という意味になるように意識して作ると良いと思います。

 もう一点ですが、「高燥」の「燥」が「湿原」の「湿」と意味の上で対応しますので、対句の中の位置としてはすっきりしていませんね。

  □燥□□□□□
  湿□□□□□□

 となっているわけで、できれば対応する字同士は句の中では同じ位置に置きたかったと思います。

1999. 9.23                 by junji





















 68作目は 真瑞庵 さんからの作品です。
 9月24日の中秋の明月を題材にしての作品です。

作品番号 1999-68

  月夜聞笛         月夜笛を聞く  真瑞庵

月挂高楼松影清   月ハ高楼ニ挂リ 松影清シ

青灯掲尽至三更   青灯掲ゲ尽クシテ 三更ニ至ル

誰吹短笛翠帷裏   誰ガ吹クゾヤ短笛 翠帷ノ裏

余韻蕭蕭散古城   余韻蕭蕭トシテ 古城ニ散ズ

          (下平声 八庚)

<解説>

 昨年、彦根城の観月会に出掛けましたが、あいにく台風が通り過ぎた後で、城の内外の樹木に大きな被害が及んだ為中止と成ってしまいました。
 今年こそはと思っていた所、又台風18号が接近中。残念です。
 そこで、詩の中で月見の宴を開きました。

<感想>

 私の長男がまだ小学生だった頃、お城に興味を持っていたので、ちょくちょく連れ出してはあちこちの城跡などを見学に行きました。
 彦根城に行った時は、丁度テレビのロケ中でした。私の好きだった『三匹が斬る』という時代劇で、高橋英樹さんや役所広司さん、小朝師匠に長山京子さん(まだその頃はアイドル路線で、その後に演歌に移るとは思ってもいませんでした)が目の前にいらっしゃって、つい田舎者に徹して、親子で俳優さん達とスナップ写真を撮ってもらいました。
 しばらくの間は、その写真は我が家の宝物でしたが、うーん、あの写真はどうしたのでしょう。
 という事情で、覚えているのはそのことばかり、彦根城の景観の方は私の記憶からはきれいに抜け落ちてしまっているのです。真瑞庵さんの詩を読みながら、必死に思い出そうとしたのですが、出てくるのはまたまた高橋英樹さんや役所広司さんの顔ばかり。仕方がないので、具体的な彦根城の姿ではなく、想像の形で読ませてもらいました。

 前置きが長くなりましたが、感想に入りましょう。
 「古城」「高楼」「月」「松」「笛」と申し分のない場面設定ですね。ただ、少し整いすぎ、欲張りすぎかとも思います。それぞれがイメージの明確な語ばかりですから、一つか二つでも十分に情景を示してくれます。重なることで、読者を「これでもか、これでもか」と追い込んでいくようになります。
 勿論、それを狙った創作もあるわけですが、例えば次の和歌などと共通する所があるでしょうか。

  昔思ふ草の庵の夜の雨に涙な添えそ 山ほととぎす
                (藤原俊成・『新古今和歌集』夏)

 この和歌も、寂寥感を出す言葉が次々と出てきます。ただ、それが聴覚的なもの(「草の庵の夜の雨」「山ほととぎす」)と心情的なもの(「昔思ふ」「涙」)が混ざり合って、バランスが取れているわけです。
 また、これは別の観点ですが、次の和歌も見てみましょう。

  夕されば野辺の秋風身にしみて鶉鳴くなり深草の里
                (藤原俊成・『千載和歌集』秋)

 この歌は、同時代の俊恵法師(鴨長明の先生です)が「『身にしみて』という句が失敗である」と批判したことで有名です。批判は、「夕されば」「野辺」「秋風」「鶉鳴く」「深草の里」とこれだけ秋の寂しさを積み上げているのだから、そこに更に「身にしみて」などという感情語は蛇足である、というものです。
 「叙景だけに徹して余情を重んじる」というのは俊恵法師に限らず、『新古今和歌集』の時代の和歌に対する姿勢でもあったわけですが、叙景をどこまで深めるかは古来からの難問だったのだろうと思います。
 ホームページをご覧になった皆さんの感想はいかがでしょうか。また、メールで送っていただけるとありがたいと思います。

 その他では、小さな事になりますが、
@「三更」は真夜中ですので、笛を吹いてその音が町に散じるのは遅すぎませんか。時刻をもっとぼかした方がよいと思います。
A「蕭蕭」を笛の音の形容として使うのはどうでしょうか。擬音語的な要素がありますので、かなり風にかすれたような所までいかないといけませんので、そのイメージで良いならばこのまま行きましょう。
Bあまり厳しくはないですが、各句の五字目と七字目は(五言の場合は三字目と五字目)平仄を逆にした方が良いと言われることもあります。(「護腰の法則」)
 この詩の場合は、起句の「松」と転句の「翠」ですので、それぞれ平仄を逆にできればしてみて下さい。

 台風18号で被害を受けられた地域の方々、お見舞い申し上げます。

1999. 9.30                 by junji





















 69作目と、次の70作目は 河東 さんからの作品です。
 鮟鱇さんと、又逢われたそうです。ウラヤマシイ。

 「平仄討論会」に河東さんの年齢を50代と書いてましたが、とんでもない。30代だったそうで、失礼いたしました。頂いた詩やお手紙の落ち着いた文面から、つい私が勘違いしたものです。お詫びします。

作品番号 1999-69

  三会鮟鱇先生            河東

中秋過後覚新涼,   

喜会先生環八傍。   

莫嘆眼前無美酒,   

醒談平仄意能長。   

          (下平声 七陽)

<解説>

 鈴木先生
こんにちは。
 今日、鮟鱇氏に三度目の面会をしてきました。感想を次の詩にまとめましたのでお送りいたします。

 [訳]
 中秋を過ぎてから、新涼を感じるようになったこの頃に、
 環八通りのそばで先生にお会いできて、嬉しく思う。
 目の前に美酒が無いことを嘆くことはない。
 醒めている時に、詩を意味深長に語ることができる。


<感想>

 この後の70作目も、またお返しに作られた鮟鱇さんの詩である71・72作目まで、私の感想は抜きにして、お二人の詩での交歓をお相伴させていただきましょうか。






 70作目も 河東 さんの作品です。
 69作目を読まれてない方は、そちらからお読み下さい。

作品番号 1999-70

  鮟鱇先生之詞      

秋雨連綿秋夜長,   

群花謝後乏芬芳。   

凄清日月如何渡,   

幸有君詞放異香。   

          (下平声 七陽)

<解説>

 [訳]
 秋の雨がよく降り、秋の夜が長い。
 様々な花が散った後には芳しいものが乏しい。
 こうした寂しい月日を如何に過ごすか。
 幸いにして、貴下の詞が異香を放ってくれる。






















 71作目と72作目は 鮟鱇 さんからの作品です。
 69・70作目の河東さんの詩へのお返しですね。

作品番号 1999-71

  歩原韻奉和河東先生        鮟鱇

中日共迎風爽涼   中・日共に風の爽涼なるを迎へ

一衣帯水似偏傍   一衣帯水に偏傍に似る

不要美酒要平仄   美酒は不要なれど平仄を要し

両国応愉交誼長   両国、応(まさに)愉しむべし、交誼の長しえなるを

          (下平声 七陽)

<解説>

 久しぶりに河東さんとお会いし、詩を2首いただきました。
この詩は答礼で作ったものです。日常生活のなかでの詩の応酬は、ふだんの作詩とはまた違った役割があるように思い、投稿させていただきました。

 [訳]
 中国と日本はともに(秋の)風を迎えて爽やか
 一衣帯水に(漢字の)偏傍に似ていますね。
 美味しいお酒は不要で平仄があれば十分
 両国は親しい交わりをとこしえに楽しむべきですよね。








 72作目も 鮟鱇 さんの、河東さんへの詩へのお返しです。
 

作品番号 1999-72

  歩原韻奉和河東先生致謝      原韻を歩んで河東先生に和し奉り謝を致す 

鴻鳴驚月夜光長   鴻鳴、月を驚かして夜光長く

感涙飛箋君志芳   飛箋、君が志の芳しきに感涙す

拙詞難得堪評価   拙詩、評価に堪えるを得難きも

但願華風吹促香   ただ願う、華風の吹いて香るを促すを

          (下平声 七陽)

<解説>

 河東さんからいただいた2首の詩に対するお礼の作です。
 河東さんの詩は、わたしの宋詞についての過分の内容には詩をいただく立場からは問題がありますが、詩としてとてもすばらしいものです。

 なお、起句の「鴻鳴」は「鴻書・雁書」を踏まえ、詩をいただいたので「書」を「鳴」に変えました。

 [訳]
 鴻(おおとり)が鳴いて月を驚かし夜の光が長くなりました
 お手紙とあなたのお心の芳しさに涙がでます
 私の詩はあなたの評価に堪えうるものではありませんが
 ただ、(私としても)華風が吹いて花の香りを促すことを願っています。


<感想>

 まとめて4詩、続けてご覧頂きました。
 詩の贈答を日常的に行うのは、漢詩創作にまだ慣れていない方にはとても難しいと思います。『平仄討論会』でのk.kさんのお言葉ではありませんが、通常ですと「1ヶ月に1首」でもかなり辛いペースだと思います。
 また、「漢詩はたっぷりと時間を掛けて、じっくりと練りに練って作るべきだ」というご意見の方もいるかもしれません。
 しかし、鮟鱇さんが言われるように、詩の贈答は「ふだんの作詩とはまた違った役割」も持つわけで、私はそれは即時性だと思っています。
 いかに早く相手に自分の気持ちを伝えるか、日常生活の中でのやりとりでは、その「早さ」が最優先されることも多いですよね。
 勿論、早ければ何でも良い、というわけではありません。今回の鮟鱇さんのお返しの詩は規則に則り、河東さんの韻字をそのまま用いての返しています。
 お二人がどんな「詩談義」をなさったのか、興味は尽きませんね。

1999.10. 3                 by junji





















 73作目は 三耕 さんからの作品です。
 このホームページの「お知らせ」欄に載せました『漢詩コンテスト』に応募された折りの作だそうです。

作品番号 1999-73

  風難駐        三耕

玉幡玲颯風難駐   

野水孤舟逝不住   

松柏桑棠摧為薪   

冀磨片鏡照行路   

          (去声 七遇)

<解説>

 [語釈]

「玉幡」 :玉の飾りのついたはた。承句「野水」との対比。
「玲」   :玲々。美しい金属音を表す。
「颯」   :颯々。風の吹く様。
「松柏」 :常に青葉を湛える。万代・永遠の象徴。
「桑棠」 :扶桑:東を表す。落棠:西を表す。合わせて一日。
「摧」   :くだける。
「冀」   :こいねがわくば。
「行路」 :未来の意。起句「難」と合わせて李白の「行路難」を連想。

・弘法大師『遍照発揮性霊集』巻第七「六四:菅平章事の為の願文」より詩興をえる。
・佐賀県多久市(http://www.saganet.ne.jp/taku/top.html)「全国ふるさと漢詩コンテスト」に応募、選に漏れた一篇。応募のテーマ「時」にたいして時を直接表す文字を使わずに作詩してみました。

<感想>

 私も今回のコンテストに応募しましたが、やはり選外だったようです。「時」というテーマは、どうしても理屈っぽくなってしまい、難しいですね。
 三耕さんの作は、具体的な景物によって象徴させながら、流れ行くものを表現していると思いました。

 転句の「為」ですが、平仄の点で見ますと、ここでは「なる、なす」の意味だと思いますので、平声になります(「ために」の意味なら仄声ですね)。平声の場合には、転句は下五字が皆平声となってしまいますので、これは避けた方がよいと思います。

1999.10. 4                 by junji





















 74作目は 真瑞庵 さんからの作品です。
 涼州に行かれた時の作とのこと。

作品番号 1999-74

  涼州詩           真瑞庵

磧裡凄茫夕照沈   磧裡凄茫として夕照沈し

辺城灯火夜涼侵   辺城灯火夜涼を侵す

亭亭胡月鳴沙岫   亭亭胡月 鳴沙の岫

漫漫雪山青海潯   漫漫雪山 青海の潯(ほとり)

楡樹凋残穹昊杲   楡樹凋残 穹昊杲(たか)

烽台半壊晩煙深   烽台半壊 晩煙深し

客窓独酌瑠璃盞   客窓獨り酌む 瑠璃の盞(さかづき)

隔幄琵琶自好音   幄を隔てて琵琶自から好音

          (下平声十二「侵」の押韻)

<解説>

 過日、中国の敦煌、陽関に旅した時の印象を賦してみました。
 荒涼としたゴビ砂漠の中に崩れかかった烽火台が建っている様は、悠久の時を超えて何かを訴えている様でとても感慨深いものが有りました。 

<感想>

 『涼州詞』と題された作品は、『唐詩選』の七絶にも、王之渙王翰張籍といった高名な詩人達の作が載せられていますね。その他にも、張子容の『涼州歌』も有名です。
 涼州という、唐の時代の人々にしてみれば、雲の果てのような遠くの地、作品には異国情緒たっぷりの景物がふんだんに描かれているのが特徴です。真瑞庵さんのこの作品も伝統を守り、辺境の地の夕暮れ、烽火台の姿がくっきりと目に浮かびます。
 真瑞庵さんは書かれていませんが、少し語句の意味を添えておきましょう。
 [語釈]
〔磧裡〕 :砂漠の中。
〔青海〕 :西域の湖。
〔穹昊〕 :大空。

 平仄、対句とも整っていますが、「夕照沈」や「辺城灯火夜涼侵」という夕暮れの画面に対して「穹昊杲」の「空が高いぜ」という画面が時間的にやや折り合わない気がします。一つ所に収まるには、もう少し状況説明が必要かもしれません。
 もう一つは、せっかくの直接体験の詩ですので、「瑠璃」とか「琵琶」という素材を用いるのが良いかどうか、迷っています。王翰の『涼州詞』が頭に浮かびすぎてしまうのです。この辺りは好みの問題かもしれませんが・・・・。

1999.10.15                 by junji



 真瑞庵さんからすぐにお手紙をいただきました。

 鈴木先生,何時も的確なアドバイスを有難う御座います。
 五句目をご指摘に従い次の様に変えてみました。

   楡樹凋残穹昊杲→楡樹凋残霜気重

 如何でしょうか
 前作では果てしなく続く暮れなずむ空の広さと霜枯れた楡木の孤影との対比を表現し たかったのですが上手く伝わらなかった様です。

 結聯に就いてのご意見ですが、おっしゃる通り王翰の詩を意識して作りました。
 ホテルでの宴席には,葡萄酒が並び【敦煌,陽関地方は葡萄の産地】,夜光杯(と称する)杯を傾け、胡姫が奏でる琵琶の音を聞き、西安に妻子を残して単身赴任している多くの観光ガイドの事を知れば,思い自ずから王翰の詩中に有りました。

1999.10.21                 by 真瑞庵





















 75作目は福岡県の 釈 休意 さんからの初めての作品です。
 

作品番号 1999-75

  中津原        釈 休意

秋風爽気柳枝垂   秋風爽気柳枝垂る

浮雲不動遠山眉   浮雲動かず遠山眉のごとし

耕人不乱独回土   耕人乱れず独り土を回して

中津原野日西移   中津原野は日西に移る

          (上平声四「支」の押韻)

<解説>

 中津原は私どもの地名です。

 秋か冬野菜のためでしょうか、畑の床を整えている農夫のゆっくりとして、リズミカルな動きと、その耕す土の黒い色の美しさが印象的でもありました。
 このような漢詩にしてみました。詩吟は習っていますが、先生のこのペ−ジに出会いまして、作詩も学んでみたいと思った次第です。

<感想>

 詩吟を習っていらっしゃるとのことですから、全体の構想などは感覚的にうまくつかんで仕上がっていると思います。特に、前半の遠景から転句の近景への転換は、自然描写から人事への転換にもなっていて、複合的な立体感がよく出ていると思います。

 平仄の関係では、「仄起こり」の七言絶句ですので、それぞれの句の二字目の平仄は、順に●○○●となっていなければなりませんが、釈 休意さんのこの詩の場合は●●●●となっています。各句の「二四不同」や「二六対」の規則は守られていますが、結局どの句も平仄構成が同じになってしまっていますので、リズムに変化がつきません。
 承句と転句を、言葉を並べ替える形で、少し工夫してみて下さい。

 この句毎の平仄の関係は、63作目の真瑞庵さんの『江郭雨景』の感想の所に詳しく書いておきましたので、参考にして下さい。

 自分の思いを表す言葉や漢字を探したり、それまで見過ごしていた自然の風物に目を向けるようになったり、漢詩を作り始めると又一つ、新しい世界が広がります。
 是非、次回作にも挑戦して下さい。待っています。

1999.10.19                 by junji



 釈休意さんの『中津原』について、三耕さんから感想をいただきました。
ご紹介します。

釈 休意 さんの「中津原」拝見しました。
  秋風爽気柳枝垂   秋風爽気柳枝垂る
  浮雲不動遠山眉   浮雲動かず遠山眉のごとし
  耕人不乱独回土   耕人乱れず独り土を回して
  中津原野日西移   中津原野は日西に移る

 思わず詩興をそそられて結句を付けてみたくなりました。
  破船一水日西移
 起句の「秋」と「柳」、承句の「雲」と「不動」に逆説的な捉え方を感じました。逆説の逆説はどうなるかと問うたわけではありませんが、結句を付けさせて頂きました。
 破船の渡海可也否!お住まいが福岡ということで玄界灘を渡った様々な人々の様々の思いが想起されました。「西」は済る方向でもあります。「水」は海でもあり、又「遠山眉」とありますから九州北部の雄大な山川を連想しました。

 ほんとにイメージの広がる気持ちのいい詩を拝見させていただきました。
ありがとうございました。

1999.10.20                 by 三耕