作品番号 2003-181
恒河旦夕東流
亡骸化焔歸灰燼, 亡骸 焔と化して灰燼に帰し,
新鬼昇天敲佛門。 新鬼 天に昇って仏門を敲く。
旦夕恒河流瀲瀲,
篝灯点点送行雲。 篝灯点点と行雲を送る。
語釈など:
「恒河]:ガンジス河
「旦夕」:朝夕
「新鬼」:死んだばかりの亡霊。
「篝灯」:かがり火。ここでは死者を焼く炎。
テレビで見たガンジス河畔、死者を焼く光景を詩にしたものです。現代韵で書いています。
この詩はわたしとしては珍しく推敲しています。わたしは六年と数ヶ月でおよそ八千の詩詞を書いています。つまり普段はほとんど推敲をしません。
しかし、この作、次のとおり推敲しました。
形骸被火歸灰燼,精魄昇天敲佛門。
月下恒河流瀲瀲,篝灯点点送行雲。(現代韵)
形骸被火歸灰燼,精魄昇天敲佛門。
月下恒河流瀲瀲,篝灯点点淡雲奔。
亡骸被火歸灰燼,営魄昇天敲佛門。
月下恒河流瀲瀲,篝灯点点点乾坤。
亡骸被火歸灰燼,営魄昇天敲佛門。
旦夕恒河流瀲瀲,篝灯点点帶烟昏。
亡骸化焔歸灰燼,新鬼昇天敲佛門。
旦夕恒河流瀲瀲,篝灯点点帶烟昏。
問題は、推敲する意味があったかどうかです。
まず現代韻で書いたものを古典韻にしてみました。しかし、「門」と「奔」では、現代韻では別韻。そこで、「門」と「坤」に変えてみました。また、起句・承句の対偶をいささか整えました。しかし、「月下恒河」が、なんとなく面白くありません。第一、荼毘に伏すということが、夜も行われるのかどうか。そこで、「月下」を「旦夕」に変えました。また、「乾坤」よりも「煙」の方がリアリティがあって面白いかもしれないなどとも思い改作しました。そして、さらには「営魄」よりも「新鬼」の方が、意味が明瞭になるかも知れないと考えました。そして、最後に、だれが「送る」のかがあいまいではあるが、「送行雲」の方が、動きがあってよさそうだし、「帯煙昏」の「帯」よりも「送行雲」の「送」の方が「錬字」っぽい。そこで、振り出しにもどって現代韻の詩にすることにしました。
しかし、色々書き直してみたところで、多少見場のよい詩にはなったかもしれないがどう書こうとも大差はないな、というのがわたしの実感です。もしそうなら、わたしは「推敲」しているようでいて、実は「推敲」とは別のことをしていたのではないかという思いもあります。何が「推敲」であるのか、それがわからない凡才にとって「推敲」は、「下手な考え休むに似たり」に他なりません。
世の中には「推敲」であるとか「錬字」であるとかをめぐって実に多くの高説があります。わたしは、俳句など日本の詩歌は推敲であるとか錬字であるとかの機会に恵まれていると思います。しかし、平仄完備・押韻体系の整った漢詩では、推敲・錬字は「下手な考え休むに似たり」ではないかと思う。まして、わたしたちが作る漢詩は、母国語ではないのです。推敲・錬字を説く前に自らの才が、推敲・錬字にどれだけ耐え得るかに謙虚に思いを致すべきです。
そして、推敲・錬字の才がなくとも、漢詩作りを楽しめないわけではないことをわたしたちは喜ぶべき。と思うのですが、この凡才主義の作詩法、いかがなものでしょうか。
<感想>
鮟鱇さんの推敲の過程、ご本人の評価は別にして、とても楽しく拝見しました。今回はせっかくですので、詩の感想と言うよりも「推敲」の感想を書かせていただきましょう。
掲載した作を(現時点での)最終稿としますと、この詩の構成には目を見張るものがあります。
それは、起句から転句までの展開、河辺での火葬という起句の写実的な描写から一転、その死者の魂が昇天して「佛門」を敲くという承句の想像、そこには「死への畏敬」という、日本人も含めて古代から人が営んできた宗教の根元があります。私は、まるでどこかの古寺の仏教画を見るような思いがしました。そして転句での悠久の川の流れによって、時空を越えて行く。
こうした構成を生み出しているのが、私は「亡骸」と「新鬼」の対だと思います。「精魄」「営魄」と言った観念的(この言葉が適切かどうかは推敲の必要があるかもしれませんが)な言葉ではなく、「亡骸」の容姿をひきずったかのように見える「新鬼」の写実性、これが生きている。
鮟鱇さんが「「営魄」よりも「新鬼」の方が、意味が明瞭になるかもしれないと考えた」というその意図と、私の感想が合うならば、この「新鬼」に変えた、という点だけでも「推敲の意味があった」と思います。もっと正確には、「推敲していただけてありがとうございます」と私の方から言うところでしょうか。
推敲の結果、作品の出来が良くなるのか悪くなるのか、そういう議論になると私にもわかりません。
ただ、推敲する楽しさは分かります。一つの単語、一つの字を換えることによって句が変わる、本筋とは遠い枝葉の部分をちょっと換えてみたつもりだったのに、その結果主題までもが膨らんでくれたり、新しい発想が連鎖的に生まれる、そうした知的冒険のスタート地点が自分の作品だということも快感です。
創造の楽しみの共有、読者と作者の関係で言えばそれが「推敲」の目的でしょうね。
2003. 9.22 by junji
絶唱です。私の手におえるかどうか自信はないのですが、私の詩吟のレパートリーに加えることを是非お許しいただきたく思います。
鮟鱇先生は推敲の効能について疑問をお持ちのようですが、実のところは私も知らないのです。ただ私の思うのには時を置いて文に手を加えると異なる視点とまではいかなくとも異なる息遣いは入ります。息遣いの変化はなぜか読者には伝わります。そして間違いなく詩を深くします。
「珍しく」鮟鱇先生が推敲したのは、この詩に対してそれなりの思いがあるからなのだと思います。その思いは広く伝わると思います。
2003.10. 2 by 定洋
坂本定洋さま
鮟鱇です。詩吟のお話、光栄です。うれしい限りです。ただ、吟じていただくには少々テーマが暗すぎないかと思いますが。。。。
また、拙作、「旦夕」は、現代韻に換えた時点で平仄を外してしまいました。「夕」は現代韻では平声です。詩吟にしていただくなら、「朝暮」にしていただきたく、おわびして訂正いたします。
定洋さんは、「ただ私の思うのには時を置いて文に手を加えると異なる視点とまではいかなくとも異なる息遣いは入ります。息遣いの変化はなぜか読者には伝わります。そして間違いなく詩を深くします。」という書かれていますが、卓見です。わたしはそう思います。
「推敲」をめぐってわたしは、「時」の効果のことはまったく考えていませんでした。定洋さんのおっしゃること、とても具体的だし、また、実際的です。「推敲」を説き「錬字」を説く方々、わたし流に言わせていただければそういう大家主義の方々が、定洋さんのように具体的、また、実際的に「推敲」を説いてくれていれば、みんなが嫌になってだれも「詩」など書かないという今日の日本の詩的状況には、立ち入らなかっただろうとわたしは思います。
わたしの「推敲」論には実は相当バイアスがかかっており、率直にいって、あまり素直でないかも知れません。わたしは、わが国には、「日本芸術至上主義」とでも呼ぶべき悪弊があると思っています。作品として「ホンモノ」でないものは作る価値がなく、鑑賞する価値がないという考え。そして、その「ホンモノ」至上主義のもとで、何が「ホンモノ」かを見分ける目利き(ヒョーロンカとか色んな形でのイエモトとかの)が幅をきかせて、芸術的才能のない庶民を、作る側ではなく鑑賞する側に追いやっている状況。おそらくは、文化的な劣等感のもとで、古くは中国に追いつき、今は欧米に追いつくために培われた「世界のイナカ者」としての知恵と工夫がいつしか習い性となったものかと思いますが、「ホンモノ」とそうではないものとを見分けようとする文化的な性癖が、わが国ではとても強いし、むやみに強すぎるようにわたしには思えます。
そういう風土のなかで、「推敲」の大切さを説けば、何のための推敲かといえば、より「ホンモノ」に近づくための推敲、ということになります。そういう「推敲」に対し、いささかタメにする議論ではありますが、わたしは、「ノン」ということにしています。
詩を書いてみたいが右も左もわからない凡才に、詩は奥行きが深い、やれ推敲だ、やれ錬字だ、オレはそれがわかる、オマエはまだまだだ、しっかり勉強しなさい、などといえば、だれも詩を書かなくなります。詩を書く喜びを教えずに、「ホンモノ」の詩を書く喜びを教えようとするからです。そして、わが国には、漢詩に限った話ではありませんが、詩を書く人が、どんどんいなくなっています。
どうしてそうなるのか。それは、人は多くの場合、凡才に生まれるからです。それにもかかわらず「ホンモノ」志向を植え付けようとするからです。そして、ホンモノ志向を植え付けられた凡才が、間違った芸術観を抱けば、何もせず、何も書かずに死んでいきます。なぜなら、自身に天才がないことを恥じるようになり、人前で恥を書かないようにするため、何も書かない道を選ぶのです。また、間違った夢を抱けば、自分には天才があるかも知れないと思い込み、ホンモノを書こうとします。そしてホンモノが書けなければ筆を折り、あるいはホンモノが書けない失意のうちにいつしか死んでいきます。
もちろんわたしも凡才です。ただ、幸いなことに、わたしはそのことをよく知っています。そこで、わたしは、あまり躊躇わずに詩が書けるようになりました。
詩を豊かにするために大切なのは、「質」より「量」です。「ホンモノ」の詩が書ける一人よりは、ひとりでも多くの人々が、詩を書くことを楽しめる、そういう「量」です。その「量」のために、推敲に淫せず、つまりみだりに推敲せず、みだりに推敲することを人に勧めないことをわたしは心がけています。大切なのは仲間作りであって、ひとりの天才を生み出すことではありません。
そこで、わかりやすくいえば、詩はのびのびと書けばよいのであって、よい詩を書く必要はないということを肝に銘じたほうがよい。人は、詩を書くために生まれてきたわけではないのですから。
さて、この返事ついでめいて大変恐縮ですが、定洋さんが「桐山堂」に書かれた<記号論><読行 線><均衡法と構造法>についてですが、大変興味深く拝読しました。
色を十として数が七、あとは五と見ておけば実用上十分
対句で色を用いるときは必ず色で対応し、数もまたしかり、ということはわたしも心がけておりはしましたが、なぜそうでなければならないかはよくわからないままに、ただそうしてきました。定洋さんの<均衡法>に接し、ようやく腹に落ちた感じがします。
<読行線>も理にかなっているように思います。
実作上は他にもいろいろむずかしい問題があるかとは思いますが、起句の頭は強く出て緩め、句の重心をゆるゆるずらして結句の末尾を「記号論的に強力な語」で結ぶ、そういう書き方ができれば、確かにすわりのいい絶句が書けるような気がします。
勉強になりました。ありがとうございました。
最後に拙作、蟹供養のつもりでの一首、笑ってください。
七絶・海樓吃蟹
巧剥甲殻弄潮香,花貌脣紅嘗蟹黄。
盤上残骸何累累? 月明漁火斷人腸。
巧みに甲殻を剥いで潮の香りを弄び,
花貌 脣紅くして蟹黄を嘗めたり。
盤上 残骸 なんぞ累累たらん?
月明 漁火 人腸を斷たん。
海辺の料理屋(海楼)で蟹を楽しむ家内に見とれている設定です。現代韻で書いていますので、「剥」は平声に読みます。「蟹黄」は蟹味噌。
「嘗」は冒韻。「吃」でもよいのかも知れませんが、「千里川」、「狼藉香」などの詩語の例もありますし、即興ということでお許しください。
2003.10. 5 by 鮟鱇
詩吟を通じて漢詩に興味を持たれる方も多いかと思います。私もその一人です。ここでは吟じ手の立場からこの詩に勝手な解説を試みたいと思います。
この詩に対して私が引き合いに出すのは李白の「秋甫詩」です。例の「白髪三千丈」ではだれもが打ちのめされてしまいます。あとは付け足しと断ずる人もいますが私はそうは思わない。詩の後半にこそ李白の李白たる所以があるのだと思っています。
「秋甫詩」では李白自身も打ちのめされていることは明らかです。それでもなお李白の心は自由に羽ばたこうとしている。たとえボロボロでも、たとえ強がりが見え見えでも、たとえどんなに弱々しくとも、最後には必ず救いを提示する。これが古典の美学であり作法なのです。
「秋甫詩」を徹頭徹尾辛気臭く吟じて、それで良しとするならば、私はそのような吟じ手を金輪際信用しません。第一に李白に対する冒涜、そして今時聴き手が付いてくる訳などないからです。とは言えこれが難しい。「白髪三千丈」では吟じ手も打ちのめされてしまうのが常です。そこから素早く立ち直って珠玉のような後半を提示するなど、だれにでもできる芸当ではないのです。
鮟鱇先生のこの作は、李白なみと言えばうそになりますが、私か常に大切と思っている古典の美学、作法を十分に備えています。七言詩で語数が多い分、表情の変化も付けやすく、李白の詩よりは易しいと思います。それでもやはり、吟じ手にとっては試金石と言うべき恐ろしい詩です。鮟鱇先生自身から、これが詩吟向けなのかとのコメントを頂戴しましたが、少なくとも吟じ手の立場からは、それは違うと申し上げたい。このような詩だからこそ魅せられてしまうのです。
詩吟をされている方の中で、我こそはと思われる方。一度はこの詩に挑戦してみて下さい。鮟鱇先生に一言。私の詩吟はへたくそです。どうか当てにしないで下さい。
2003.10.15 by 坂本定洋
作品番号 2003-182
詣友之墓 友の墓に詣ず
憂來到墓日将斜 憂い来(つ)つ 墓に到れば 日将に斜めならんとす
記得曽遊幾酒家 記得(おもいいず) 曽遊 幾酒家ぞ
消魂憶君風不住 消魂 君を憶はば 風住(や)まずして
墳頭空舞断腸花 墳頭 空しく舞う 断腸花
<解説>
お盆になって亡くなった友を想い、こんな詩を書いてみました。実際に墓参りした訳でもなく、お彼岸にも未だ間がありますが。
[語釈]
「断腸花」 | :秋海棠の異名。また相思草、断腸草とも云う。 花期は秋9〜10月頃、淡紅色の小花をつける。 |
<感想>
掲載が遅くなっている間に、お彼岸が来てしまいました。すみません。
「秋海棠」の名を久しぶりに見ました。
長塚節の『鍼の如く』という歌集の冒頭に次の歌が載っていましたね。
秋海棠の畫に
ただ、私は実際の花を「これが秋海棠だ」と認識して見たことがありませんので、イメージで捉えているだけなのですが・・・・。
そう言えば、永井荷風の日記、『断腸亭日乗』で知られる「断腸亭」も、荷風が断腸花を愛したところから名付けられたと言われていますね。
さて、そんなこんなを思いながら詩を拝見しますと、やはり「断腸花」が鮮烈ですね。やや、はまり過ぎているという気もしますが、一首の締めくくりとしてはこれくらいズバリと出してもいいかもしれません。
承句の「記得」と転句の「憶君」が意味の上では重なっていますね。
細かいことですが、転句の「憶君」の部分の読み下しは「君を憶はば(もし君のことを思うのだったら)」ではなく、「君を憶へば(君のことを思っていた時に)」とする方が良いでしょう。「憶はば」は仮定条件になります。
2003. 9.24 by junji
作品番号 2003-183
食蟹 蟹を食す
八足横斜情不通 八足横に斜めにするも情通ぜず
天涯運尽釜中紅 天涯に運尽きて釜中に紅なり
多忙破殻万人黙 多忙なり殻を破るに万人黙し
美味解翁開食蟲 美味なり解翁食を開くの蟲
<解説>
前半は生きたままゆでられることになった蟹の無念さ。後半は特に説明の必要なしと思います。「巴解」と言う人がはじめて食べたので解さんの虫ということで「蟹」になったそうです。
結句「翁」が冒韻ながら、結句ゆえ調子はずれが後に響かないこと、多少の調子はずれも詩の内容に合っていると考えこのままにしました。
承句と転句が句中対に近い作り。また、転句頭と結句頭で部分的な対を持つ。これにより下重(横書きでは左重)の字配りを構造的に支える。
ここで「重く効く語」とは、ここでは「紅」の色、「八」「万」の数、「天」「横」「斜」の方向性というところ。
ふざけた内容ながら見栄えには自信ありです。
<感想>
初めまして。新しい方を迎えてとてもうれしく思っています。
早速拝見しましたが、成る程と納得するような、作者の遊び心が十分に感じられる作品ですね。
起句は蟹が脚をじたばたさせているのでしょう、ただ「情」が誰のものを言っているのか、蟹の心を人間が理解できないのか、人間の心を蟹が理解できないのか、どちらとも取れるところが良いのかな。
「情」を「意」にすると、平仄の点からも少しすっきりするかもしれませんね。
承句はこの詩の要、出来るだけ大げさに行きたい所をうまく表現してあると思いました。ただ、「紅」ではまとも過ぎて、「天涯運尽」を受け止めるには弱いように感じます。「釜中窮(釜中に窮まる)」とか、「釜中空(釜中に空し)」、あるいはいっそ逆転の捉え方で「釜中雄(釜中の雄)」などはどうでしょうか。
後半は仰るとおり、宴席でも蟹が出てくれば万座静まりかえるのが常ですからね。
2003. 9.24 by junji
作品番号 2003-184
還暦述懐
壮歳非無得意時 壮歳 無きにしもあらず 得意の時
茫茫往事有誰知 茫茫たる往事 誰の知ること有らんや
偸生坊裏又何許 生を坊裏に偸むこと 又何許ならん
短褐庭陰戯稚児 短褐 庭陰 稚児と戯むる
<解説>
小生、七月で満六十歳を迎えました。昔の人は数えで歳を取ったのでしょうが、我々はやはり満年齢ですね。
還暦といっても誕生日が来るまではまだまだと思っていたのですが、やむを得ず還暦を宣言しました。
まだ若いつもりでいたのですが、やはり人生の節目であることには違いなく、生活環境の変化、体力の衰えが起きる時期です。
<感想>
還暦は、他人から言えば、おめでたいことに尽きるのですが、ご本人としては複雑なところがあるのでしょうね。私の義兄も、六十才の誕生日が過ぎたら突然「老人会」の誘いが来るようになり、ショックを受けたと言っていましたが、そうでしょうね。
四十代の初め頃に実は「初老」を迎えていますから、とっくに私も老人の側に入っているわけですが、それでも何となく心が抵抗をしているのは、「還暦まではまだまだ」という気持ちがあるからでしょう。
禿羊さんは自転車旅行を始め活動的な方ですから、まだまだという思いは人一倍強いかもしれませんねぇ。
ま、でもひとまず、私からもお祝いの気持ちを贈らせて下さい。
今回の詩では、起句と承句の間の心の揺曳が実にリアリティがあります。「若い頃には何でも思い通りになった時期だってあったさ」という心意気、その「得意時」を「茫茫往事」だとして承句がすぐにうち消すわけで、本来ならば二つの句の間に「しかし」という接続詞が入るべきところです。
そうした句の展開によって、自信と不安に揺れる六十代の心境を効果的に描いていると思います。
結句の「庭陰」はどうでしょうか。わざわざ「庭陰」と入れた意図がちょっと分かりにくいと思います。転句の「坊裏」との重なりもありますので、換えられた方が良いでしょうね。
2003. 9.24 by junji
謝斧です。
禿羊さんがますます上達されていることを、とても嬉しく思います。そこで、今回は嘯嘯会の人と同じように感想をのべさせていただきます。
嘯嘯会は半分以上が20年以上の経験者で中国文学も荘司先生について学ばれた者のあつまりです。白文も難なく読みこなせます。少し厳しい感想になりますが、ご容赦ください。
叙述は難がなく、巧みに作っています。随分上手になられたと感心して読ませて頂きました。
内容は「若い時は得意のときもあったが、いまふりかえっては往事のことを誰が知り得ようか。無為徒食の身になって幾年をへたるも、今は稚児と遊ぶのだけが楽しみだ」でしょうか。
内容は平板です。面白くありません。読者に何を伝えようとしているのでしようか、余韻のない作品に思われます。
ただ、詩人の今の心情はよくわかります。こういった内容であれば、誰が作っても、こういった叙述になるという、意外性のない作品ではないでしょうか。起句承句に具体性が少けるせいではないでしょうか。
「得意時」とはどういったことなのか、何故に「有誰知」なのか、こういったことを叙述すれば二八字では足りないと言われるかもしれませんが、それが工夫だとおもっています。
「短褐」は前句をうけた、深みのある詩句ですが、「庭陰戯稚児」では弱すぎるとおもいます。
「非無」は少し散文的な言葉だと感じています。詩句としてはどうでしょうか、あまりよくわかりません。恐らくは、頭の中に児島高徳の詩があったからではないのでしょうか。
2003. 9.23 by 謝斧
謝斧先生、この度の厳しくはありますが、心のこもったご感想有り難うございました。 独学の小生にとっては、率直で歯に衣着せぬご意見ほど勉強になるものは無いと思っ ています。
まず最初に、上達したとのコメント有り難うございます。まだ詩を作り始めて2年少々で生意気なようですが、私自身スランプ状態に入ったような気がしております。ビギナーズラックの終わりでしょうか、詠いたい事が一巡してしまったような気がして、自分の人生経験の底の浅さを自嘲しているこの頃です。
これを突き抜けなければいけないのでしょうが。
さて、この詩に関するご批判ですが、私自身が不満に感じていたところですので、一言もありません。
「起承句」に具体性がないとのご意見、ごもっともです。律詩か古詩にしようかと思ったのですが、私自身の中にまだ過去のことを具体的に書くのをはばかる気持ちが強く、こんな漠然とした記述になってしまいました。
この詩、頭から出来たものですから、結句でどうまとめるかはたと困惑してしまいました。ここでも、自分の感懐の底の浅さを露呈したようです。
「無きにしも非ず」は日本語化した感のある言葉ですが、ご指摘を受けて調べてみたのですが、辞書には見つけることが出来ませんでした。これは和習なのでしょうか?
今後とも、率直なご意見を頂ければ有難いと思っております。
2003.10. 6 by 禿羊
禿羊さんは、「2年少々で生意気なようですが、私自身スランプ状態に入ったような気がしております。ビギナーズラックの終わりでしょうか」と書かれてますが、短期間の間で此れだけ上達されて感心しています。
「非無」につきましては、「天莫空勾践 時非無范蠡」からの語だとおもっていました。
問題の無い措辞だとおもいますが、絶句のような短詩形では二重否定は詩的な表現としてどうだろうかと思いました。これはあくまでも個人的な意見です。
2003.10.10 by 謝斧
作品番号 2003-185
遠望櫻島
頂臺煙靄靄 頂臺 煙 靄靄として
山勢自靈威 山勢 自ずから靈威なり
錦水波濤迥 錦水 波濤 迥か
舶船何處歸 舶船 何處にか歸らん
<解説>
桜島の頂上は勇壮な噴煙が棚引いていて、
山そのものはまるで神が宿っているかのように厳かである。
麓の錦江湾の水は波となって遠く外洋へと流れ、
その上を行く大きな船はどこの国へと旅立つのだろう。
初めて投稿させていただきました。これまで独学で漢詩を楽しんできましたが、発表の場もなく、自慰的な漢詩創作を続けてきました。
この詩は鹿児島市に在住のアマチュア画家の友人に桜島の情景に思いをはせて贈ったものです。作中、錦水としましたのは黄昏に輝く金色の海をイメージしたことも兼ねております。
<感想>
新しい漢詩の仲間を迎え、本当に嬉しく思います。
詩を拝見しますと、五言絶句とは思えないような豊かな内容が込められていると感じます。また、句の展開も、前半は視線が山の頂上に向かう形で、後半は湾に向かう形、つまり上側と下側とに対応していて、分かりやすくなっていますね。
水彩画を見ているような、爽やかな風景が目に浮かびます。
起句の「靄靄」は「もや、かすみ」からの言葉ですので、意味としては「一面に霞んでいる」状態を表します。解説に書かれたような「勇壮な噴煙」ということですと、やや趣が違うかもしれません。
煙がたなびくことでいくと、「靉靆(アイタイ)」とか、「勃勃」などが良いかもしれません。
転句の「迥」の字は「はるか、ケイ」と読む字ですが、「迴」の字「めぐる、カイ」と間違いやすいので、気を付けて下さい。平仄も逆ですしね。
2003. 9.24 by junji
作品番号 2003-186
難眠之夏
雨寒夏冷東京湾 寒い雨 冷たい夏 東京湾
風細月清富士山 細かい風 清い月 富士山
天若有情天亦老 もし天は感情があれば 天も老ける
若離若即為那般 時に離れて時に近づく 何のために
<解説>
前作「再会併和再会」の詩ではご感想を有難うございます。
確かに、「和再会」の方がちょっと難しいかも。作者はしたいことあるけど、なかなか勇気無くできない、その間に無常な月日を去って、という空しき心情を表していると思います。
さて、新作を作りましたが、平仄の考慮はなかなかできないので、詩の意境を表現するためにこのままでいいのかな?ご意見をお願いします。
今後ともよろしくお願い致します。
●○●●○○○
雨寒夏冷東京湾 寒い雨 冷たい夏の 東京湾
○●○○●●○
風急秋涼富士山 急ぎ風 涼しい秋の 富士山
○●●○○●●
天若有情天亦老 もし天は感情があれば 天も老ける
●○●●●○○
若離若即為那般 時に離れて時に近づく 何のために
<感想>
新作拝見。平仄も書いて下さいましたが、この通りで違ってはいませんね。
二四不同、二六対もクリアしていますが、起句の下三字が全て平字なのが問題と言えます。固有名詞ですし、承句との対の関係もありますので、破格のリズムという解釈でいきましょう。
ただ、七言絶句の短い詩形の中に固有名詞が二つも入ることが詩としての味わいを少なくしていることは感じます。固有名詞もやや大雑把な感じがして、もう少し細かな景物があっても良いかと思いましたが、逆にわざわざ大きな視野を示して、天地自然の雄大なスケールを作者は出したかったのかと思い直しました。
それは転句の「天若有情」につながるわけで、天地自然を人間に例え、季節の推移を「老」という言葉で表現した発想を導くのかもしれませんね。
結句は何が「離」れて何が「即」くのかここだけでは分からないので、少し言葉を補って欲しいと思います。
結句では「若」の繰り返しがありますが、この字は転句でも使われています。同字重出は出来るだけ避けたいところですから、転句の「若」を考慮したいですね。仮定形を生かすのならば「即」あたりでしょうか。仮定形にこだわらなければ、他にも色々考えられるように思います。
2003. 9.27 by junji
作品番号 2003-187
新涼訪忠君 新涼忠君を訪う
畦路取斜日没鐘 畦路斜めに取れば日没の鐘
君家籬柵白芙蓉 君が家の籬柵白芙蓉
風揺檐馬存誰到 風は檐馬を揺らして誰か到る存り
月与詩人与暗蛩 月と詩人と暗蛩と
<解説>
広瀬旭窓の「春雨到筆庵」を真似て作ってみました。
私の二十七、八年来の吟友を訪ねたときの事を詩にしてみました。友といっても15歳ほど年上の方です。
夕暮れに畑のそばを通ってゆけば、子供達に夕暮れを知らせる音楽がなり、君の家の生垣は芙蓉か槿か白い花が咲いている。
玄関を開けると秋の風鈴がかすかにそよぎ、尋ねて来たのは誰だろう。
この私と夕月とかすかに鳴き始めた蟋蟀です。
<感想>
旭荘 廣瀬謙は廣瀬淡窓の弟ですが、天賦の才を持って知られた詩人です。古詩に長じていましたが、この「春雨到筆庵」もよく知られた詩ですね。
原詩とは春と秋の季節の違いがありますが、そこを工夫するのも楽しいところでしょう。真似と言うよりも習作として考えると、逆に原詩における素材の必然性などが理解できて、勉強になると思います。
咆泉さんの詩では、転句が苦しいところでしょう。風が檐馬(軒の風鈴のことですね)を揺らし、誰が訪ねてくるだろうか、となるわけですが、風は秋を告げるもの、訪問者として捉えられることが一般的です。となると、実はもう「風」が訪れているのですから、この「誰が訪ねてくるだろうか」という疑問形はおかしなことになります。
廣瀬旭荘の詩では、疑問形の表現は似ていますが、実は伏線が置いてあり、「春雨」がそれなのです。夕暮れの雨の中をわざわざ訪れる人は居るだろうか、いや、居ない、という気持ちがこめられて、疑問形よりも反語形で描かれます。そして、誰も来ない筈だからこそ「雨と詩人と落花」が強調され、限定されたものとして浮き出てくるわけです。
咆泉さんの場合でも、結句を「月と詩人と暗蛩」だけが訪ねてくるとしたいのならば、転句の所で、「誰も訪ねてこないだろうなぁ」という気持ちになるように描きたいところです。
結句は上手に素材を選び出してありますから、このまま生かすとすると、「風揺檐馬」の方を前半の情景部分に持っていくか、今回は使わないか、どちらかにした方が良いでしょうね。
2003.10. 1 by junji
作品番号 2003-188
七十八歳漫吟
秋月春花周已長 秋月春花 周ぐること已に長く、
当垂八秩小詩嚢 当に八秩に垂として 詩嚢小かなり。
苦吟数刻驚斜景 苦吟数刻 斜景に驚き、
熱想欲沈増耀光 想いを熱くす 沈まんと欲して 耀光を増すに。
<解説>
思えば長く生きたものだ。
八十歳を目の前にして、自分の浅学菲才が情けない。
今日も苦吟し、早くも窓外は夕景色である。
(暫らく落陽をながめて)沈む直前に一際光り輝く夕陽に想いを熱くした。(わが身も夕陽と同じ、努力して輝きをましたいものだ)
<感想>
「秩」は「十年」を表しますから、「垂八秩」では、「八十歳になろうとしている」という意味になりますね。
前半は人生の重みを感じさせる表現で、印象に残る句になっていると思います。リズムも良いでしょう。それが後半になると、ややモタモタ、結句では息切れしたような感じがします。
具体的には、転句の「驚斜景」がもう一工夫出来そうな気がしますね。
と言うのは、解説で書かれたような「沈む直前に一際光り輝く夕陽」の変化を眺めるには、それなりの時間見つめ続けていないといけないわけですが、そうなると前段の「驚斜景」の瞬間性と合わなくなるからです。
「(机に向かって)詩に夢中になっていたので、いつも間にか夕暮れになっていたことにびっくり」、−(そこで縁側に出て夕陽の沈むのをしばらく眺めていた)−「心が燃えてくる、夕陽が沈む直前に輝きを増すことに」のように、緑の部分を補わないといけませんが、そこまで多くの努力を要求するのは「驚」の字のせいなわけです。
しかも、それだけ要求しておいて、尚かつ、どのように「熱想」だったのかははっきりしないのです。
結句は「熱想」の心情と「欲沈増耀光」の実景が一句にまとめられているのですが、読むのに苦労します。散文的、説明的なのですが、簡潔ではないため、分かりにくい内容になっています。
一首全体の流れをもう一度検討されて、結句に置く感情(主題)についても、自然な展開になるようにすると、せっかくの起句承句の含蓄豊かな表現が生きてくると思います。
2003.10. 1 by junji
作品番号 2003-189
処暑雑詩
午熱炎炎残暑中 午熱 炎炎 残暑の中
雷鳴殷殷走長空 雷鳴 殷殷として 長空を走る
一過驟雨逐蝉語 一過の驟雨 蝉語を逐えば
流景涼生竹揺風 流景 涼は生ず 竹揺の風
<解説>
異常気象とかで真夏が凌ぎ易かった分、残暑が身に沁みます。
そんな中でも処暑の頃ともなれば、僅かに涼しさを感じることも有り、一瞬ほっとします。
先生のホームページを参考にさせて頂き、今年は二十四節気を追って作詩していますので、ことのほか季節の風情を味わうことが出来るように思います。
<感想>
午後の日差しが厳しい時に、さっと一雨来てくれると、本当にホッとしますね。場面の情景も分かりやすく、使われている素材も適切で、親しみやすい詩になっていると思います。
「炎炎」と「殷殷」の畳語の対が音調の上でも効果的ですね。「殷」の字は「盛んだ、多い」の意味の時は上平声十二文の平字ですが、この詩のように「雷の鳴る音や光」を表したり、「震動する」の意味では仄字になりますね。
平仄のついでに書きますと、七言句の場合には出来れば「五字目と七字目の平仄を逆にする」のが望ましいのです。(五言句の場合には三字目と五字目ですね)
この詩の場合で言えば、起句の「残」、転句の「逐」がそれに当たります。ただ、それを直したために孤平が生じてはいけませんから、句全体を調整する必要が出てくる場合もありますが。
転句は「逐」に替わる字を平字で探すのが難しいですが、「裁蝉語」あたりでどうでしょうか。
結句は六字目の「揺」の字は平字として扱うはずですので、ここは二六対が崩れます。「竹葉風」で落ち着くと思います。
2003.10. 3 by junji
作品番号 2003-190
一海知義先生
法然院裏見鴻姿 法然院裏 鴻姿に見ゆ
憶昔清秋展墓時 憶う昔 清秋 墓を展る時
強抱佳書求識面 強て佳書を抱いては面を識らんことを求め
剩聴高説学裁詩
青年浅薄不知恥 青年浅薄にして 恥を知らず
夫子仁柔肯許痴 夫子仁柔 肯て痴を許す
夙慕陸陶同趣旨 夙に陸陶を慕いては 趣旨を同じうし
應須稽首執鞭隨 應に須く稽首して鞭を執りて随わんとす
<解説>
私が河上肇 先生を慕いて河上会に入会したのは、20年以上も前のことでした。
初めて法然院の河上会に参加したときは住谷悦治先生もご健在で、一海知義先生も参加されていました。たまたま先生の中国の詩人という本を持って居ましたので、先生がトイレの為に席を立たれる隙を窺って本にサインをしてもらいました。
その後、自分も漢詩を作っていることを伝えたら、入谷仙介先生を紹介していただきました。少し気が引けましたので教えを乞うことはしませんでしたが、少しくやんでいます。
<感想>
謝斧さんの書かれた解説を読みながら、思い出の場面を目の当たりにしたような思いで読みました。一海知義先生のお人柄がうかがわれる詩で、うらやましいという気持ちでいっぱいですね。
私も大学時代に、担当の教授から近世文学の研究会に参加するようにと言われ、紹介をしていただいて出席をしました。ところが、会員の顔ぶれを見るとそうそうたる研究者の方々ばかり、気後れしてしまい、以後は辞退させてもらいました。
卒業論文に気が急いていたことや、その研究会が私の卒論テーマとはやや異なっていたこともありましたが、やはり一番の理由は、単に「びびった」ということかもしれませんね。
その後に勉強を進めるほどに関連が深まり、教授がその研究会を私に薦めて下さった意図がようやく理解できるようになりましたが、愚かな生徒は先生の遠き慮りにその時には応えることができなかったわけです。
悔やまれると言うか、恥ずかしいというか、今でも思い出すたびに申し訳ない気持ちです。
漢詩に惹かれるようにようになって以来、漢文学作品を多く読むようになり、中国古典の知識もいささか増えてきましたが、改めて近世文学を読み返すと、江戸時代の文人がいかに漢文学の豊富な教養を身につけていたかが分かります。学問の幅広さと面白さを再認識しています。
謝斧さんの詩を拝見しますと、頸聯にやや間延びした感じがあります。恐らくは、一海先生と謝斧さんのお二人の間でならば通じ合うのでしょうが、第三者である読者の視点からは「青年浅薄不知恥」はやや過ぎた謙遜という印象を受けるからだと思います。「不知畏(恐)」あたりではつまらないでしょうか。
2003.10. 8 by junji
謝斧です。お世話になります。
「青年浅薄不知恥」の句では、桐山人先生の言われる通りです。推敲が足りませんでした。
この場合の「畏」はぴったしだと感じています。また、忌孤平をおかしていますので、
青年浅薄無知畏
と改めて下さい。
2003.10. 9 by 謝斧
作品番号 2003-191
河上 肇 先生
大樹将顛維一繩 大樹 将に顛れんとして、一繩維え
鴻儒齊黙払蒼蠅 鴻儒 齊しく黙して、蒼蠅を払わん
獄窓掩涙空憂国 獄窓 涙を掩いて、空しく国を憂い
驢背吟詩獨撫膺 驢背 詩を吟じて、獨り膺を撫す
四海風腥怒涛靜 四海 風腥く、怒涛靜まり
九州春晦黒雲凝 九州 春晦くして黒雲凝る
時艱求道知何似 時艱 道を求ては 知る、何に似たるか
寒朶蘊眞如此能 寒朶 眞を
<解説>
[語釈]
大樹将顛非一繩所維 大厦顛非一木所支 『後漢書』 徐穉傳
鷄既鳴矣 朝既盈矣 匪鶏則鳴 蒼蠅之聲
驢背吟詩獨撫膺 此身合是詩人未 細雨騎驢入剣門 「剣門道中遇微雨」 陸游
「驢背吟詩獨撫膺」 「細雨騎驢入剣門」は実践運動から身を避けた時のことで、このときの河上先生の心情は放翁と同じだとおもっています。
<感想>
岩波新書の『河上肇詩注』は、漢詩人の必読書だと私は思っています。その著者である一海知義先生と並べての謝斧さんの詩を興味深く読ませていただきました。
語釈に書いていただいた陸游の詩、「剣門道中遇微雨」は、陸游の代表作の一つですね。政治の世界での挫折を踏みしめながら、自分をもう一度確かめ直そうという陸游の姿は、その後の憂国の深い情と重ね合わされることで一層私たちに感動を呼びます。
河上肇が陸游に惹かれて、『陸放翁鑑賞』を書いたことを考えると、相通ずるものを感じ取っていたのでしょう。
謝斧さんの詩では、冒頭から『後漢書』を用いられたようですが、私は「世の中の大きな流れはどうしようもない」と解釈しました。ただ、そこに辿り着くまでにやや時間がかかりました。「大樹が倒れようとしている時に、なおかつ(先生は)頑張っている」という意味かもと考えたからです。
第二句の「蒼蠅」については、謝斧さんは『詩経』「斉風」の「鶏鳴」から語注を引かれましたが、私は『詩経』「甫田之什」の「青蠅」からの引用かと思いました。
営営青蠅 止于樊
豈弟君子 無信讒言
営営青蠅 止于棘
讒人罔極 交乱四国
営営青蠅 止于榛
讒人罔極 構我二人
「讒言をするような小人」の比喩と思ったのですが、引用からすると意味が異なるのでしょう。そうすると、句全体の意味が私の解釈とは違うんでしょうかね。
最後の句の読み下しについては、謝斧さんは「如此能」の部分を「此の如き能ざらん」と読んでおられますが、否定形ではなく、「此くの如く能くす」「此の如く能はむ」ではないでしょうか。
2003.10. 9 by junji
「大樹」は河上肇先生のことですが、「鴻儒」は当時の著名な世間の学者達で、「世儒」の方がよかったかもしれません。「蒼蠅」は当時の世論のことでしたが、桐山人先生のご指摘の方がよいかも知れません。
注に書きました「鷄既鳴矣 朝既盈矣 匪鶏則鳴 蒼蠅之聲」の意味は
「朝になって目が覚めました。鶏が鳴いておきたのではありません。蒼蠅(小人→世論)の羽音がうるさいので、目を覚ましました」です。
「蒼蠅」に関しては「甫田之什」も「鶏鳴」も同じ意味だと思います。
詩については、「鶏鳴」のほうが優れていると感じています。
「寒朶蘊眞如此能」の読み下しについては、まちがえました。
「如此能」は蘇東坡の詩にあったかと思います。失念しました。
「能」は「然」と同じで「しかる」(このような)の意味の用法です。「此の如き能らん」です。
同じような用法で蘇東坡の「料得如今似我能」 「料り得たり 如今我に似て能らん」があります。
「菊の花が寒さに堪えて自分の信念を守っているような」、このようなものです。
2003.10.12
作品番号 2003-192
京都南座陽春歌舞伎
桜花爛漫鴨川楼 桜花爛漫 鴨川の楼
松緑襲名群俊優 松緑襲名に俊優群がる
四百年前創流舞 四百年前創流の舞
多情多彩興偏幽 多情多彩 興偏へに幽なり
<解説>
今年平成十五年、歌舞伎の祖、出雲阿国が京都四条河原で念仏踊りを興行してより四百年の慶節を迎えました。ことに今回の南座では、辰之助が四代目尾上松緑を襲名したこともあり、全国各地からのファンで大賑わいでした。私も大の歌舞伎ファンで、よく各地へ観劇に出向きます。
<感想>
うーん、今回の詩は今一つピンとこないですね。それは、「鴨川」「松緑」「襲名」「多彩」などの語が和臭であることも影響しているでしょうが、一番は最後の「幽」でしょうね。
華やかな襲名披露の舞台、「多情多彩」な光景を伝えながら、それは「偏幽」であると言われると、混乱してしまいます。「幽」は「かすか」と読むことからも分かりますが、「奥深い、暗い、かすか」という意味ですから、「多彩」とはかみ合わないからです。
押韻の関係から選んだのかもしれませんが、この一字で詩を崩してしまいました。
転句の「四百年前」も俗っぽい表現ですが、ここを生かすのなら、説明文的な「四百年前」ではなく、「四百年間」として、継続されてきたことを評価すべきでしょうね。
2003.10. 9 by junji
作品番号 2003-193
五台山竹林寺新夏
響砌鐸鈴風満檐 砌に鐸鈴響いて風 檐に満つ
聳然堂宇極荘厳 聳然たる堂宇 荘厳を極む
俗念収攸梅雨止 俗念収まる
藕花婀發詫清廉 藕花婀やかに發いて清廉を侘る
<解説>
竹林寺は高知市内にある古刹です。
<感想>
起句は、本来でしたら「鐸鈴響砌」という語順にしたいところですが、平仄の関係で換えたのでしょうか。このままならば、読み下しは「砌に響く鐸鈴 風 檐に満つ」となるでしょうが、それでも意味は十分に伝わるとは思います。
ただ、平仄のことで続ければ、三句目と四句目の「粘法」が破れています。わざわざ破格にする目的があれば別ですが、そうでなければ、起句と承句を入れ替えることも考えたらどうでしょうか。
転句の「収攸」は、用法としては「攸収」という語順にするのが正しいので、ここは同じ平字でもありますから、入れ替えておいた方がよいでしょう。
転句は、前半の「俗念収攸」と後半の「梅雨止」のつながりから考えると、「攸」は「時」の意味で使われているのだと思いますが、重韻にこだわらないのならば、意味を正確に伝えるためにも「収時」としたら、と思います。
2003.10.13 by junji
作品番号 2003-194
臨搬家対紅梅樹有感 搬家に臨みて紅梅の樹に感あり
記否紅梅樹 記するや否や 紅梅の樹、
栽是我姑娘 栽えしはこれ我が姑娘。
可憐人去後 憐れむ可し 人去りて後、
為誰汝發香 誰が為に 汝香を發するか。
<解説>
8月末に12年住んだ鎌倉から東京に引越しました。
娘が3歳の時、七五三のお祝いに妻と娘が紅梅をうえました。
その梅とも残念ながらお別れです。
梅に託して住み慣れた家を離れる寂しさを詠いました。
<感想>
ニャースさんの五言詩も、短い中に心情を多面的に表現し、味わいが深くなってきましたね。
今回の詩で少し気になる点としては、「我」「人」「誰」「汝」というように、「人」を表す言葉が並ぶところでしょうか。
承句の「我」は詩情として重要な要素ですから外せませんが、転句の「人」などは要らないように思います。
結句の「為誰」はあまり強くこの言葉を意識すると、反語的なニュアンスが出てきます。そうすると、「この私のためでなく、誰のために香るというのだ。私のためだけにしてくれ」というような、何となくけちくさい心情になってしまいます。そうならないためには、この「為誰」を「今度は誰を喜ばせるために香ってくれるのかなぁ」というくらいの軽い口調で読んだ方が良いでしょう。
そこで、ようやく話が元に戻るのですが、転句で「人去後」とわざわざ「人」と入っていると、どうしても「この私が居なくなったら」という感じになり、対応する「誰」が強調されてしまうわけです。いやぁ、長い説明でした。
あと、「汝」は、私は気分的には「君」としたいですね。梅への愛着が「汝」よりも表れるように思いますが、どうでしょうか。
また、結句は二字目が孤平ですので、それを救うためもあります。
2003.10.14 by junji
作品番号 2003-195
風早宮大氏神秋祭宵宮
月照寿秋諦富饒 月は寿秋を照らして富饒、諦らかに
風翩祭幟会清宵 風は祭幟を翩して清宵に会す
山河響遍山車囃 山河に響き遍し だんじりばやし
游侠蹴坤神體邀 游侠は坤を蹴って神体に迎ふ
<解説>
地元氏神さまの秋祭りにおける、宮出しを明早暁に控えた前日(宵宮)における、御神体を御輿に迎える祭典に向うかき夫若衆たちの躍動心を詠じたもの。
<感想>
うーん、今回の詩は和臭のオンパレードという感じがしますが、どうやら金太郎さんは確信犯のようですね。
秋祭りのような、極めて日本的な行事や出来事を漢詩で描くというのは、困難を窮めます。それは十分に承知していても、祭の躍動感やエネルギー、力強さといったものを詩にしようとなると、漢詩や漢語の持つ律動につい誘惑されてしまうのです。
漢詩における用語としての問題点を一つ一つ挙げるよりも、今回の詩は、日本の風物詩として日本人が読むという趣旨で、ワッショイワッショイと楽しむことにしましょうか。
ところで、起句の「寿秋」はどういう意味なのでしょうか。「実りの秋」とか「祭の秋」というような感じでしょうか。
2003.10.16 by junji