2002年の投稿漢詩 第46作は 鮟鱇 さんからの作品です。
 

作品番号 2002-46

  天浄沙・春 情        

梅梅雪雪鶯鶯,   梅また梅、雪また雪、鶯に鶯,

雲雲月月櫻櫻。   雲また雲、月また月、桜に桜。

醉醉風風景景,   酔ってまた酔って、風よ風よ、景よ景よ,

香香徑徑,       香り香る徑(こみち)また徑(こみち)に,

人人笑笑声声。   人また人、笑い笑って声また声。



<解説>

 「天浄沙」は元曲小令の一詩型の名。日本の詩歌でいえば、「俳句」とか「和歌」とかの呼称にあたります。
 韻目は「庚青」韻、「鶯・桜・声」は庚青韻の平声、「景・径」は庚青韻仄声の押韻。「天浄沙」は全五句すべてに押韻します。

 上記日本語訳は、平仮名が邪魔になっているかも知れません。現代中国語の発音をご存じでなければ、漢字だけ眼で追うか、音読みしていただければよいと思います。
 なお、「風風景景」については、「風景」という言葉もありますが、「風また風、景また景」のつもりです。なお「景」には「日差し・光」の意味もあります。
 同様に「香香徑徑」については、「香徑(花の香る小道)」という意味がありますが、ここでは、「香りまた香り、徑また徑」のつもりです。

 拙作、元の大詩人のひとり、喬吉の次の作品をお手本にしています。お手本するとは、古人の佳作に対し、称賛の意を表すことに他なりません。

 天浄沙・即 事(喬吉)

  鶯鶯燕燕春春,花花柳柳真真,事事風風韵韵,嬌嬌嫩嫩,停停当当人人。


<感想>

 まず、各句をどう読むのかが楽しかったという印象です。
 鮟鱇さんは「音読み」なり、「中国語音」の読みを進めておられますが、私は「日本語化」しようとする、その過程が何よりと思いました。
 絵解き文字ならぬ、文字解き絵という感じで、最後の句の「人人笑笑声声」などは、画面いっぱいにあふれる程多くの人の顔が目に浮かび、これまたいっぱいの笑い声や話し声(これを「笑声」としてはいけないのですよね)やらが聞こえてくる気がしました。

 新しい発見の楽しさ、なんでしょうね。

2002. 3. 3                 by junji





















 2002年の投稿漢詩 第47作は 徐庶 さんからの作品です。
 

作品番号 2002-47

  歌雨        

銀粒光輝落   銀粒光輝して落ち

踊跳霑地坪   踊跳して地坪(ちひょう)を霑(うるお)す

拍音風韻響   拍音、風韻響き

奏楽快且輕   奏楽、快 且つ 輕し

          (下平声「八庚」の押韻)

<解説>

 先日、雨が降っているのに気分が良かった(?)ので作りました。
"Just singing in the rain"のイメージです(ちょっと違うかもしれません)。

 [語釈]
 「銀粒」 :雨の粒
 「拍音」 :雨が軒を拍つ音

<感想>

 徐庶さんのこの詩を読みながら、なにか遠い昔を思い出すような、そんな気持ちになりました。
 考えてみると、降る雨を眺めたり、雨の音を聞いたりしながら、いろいろな思いを巡らすというような時間からは随分離れて過ごしていますね。子供の頃には、日がな一日窓から外を眺めていたり、降り込める雨の向こうに別の世界を思い浮かべたりしたことも多かったように思います。
 雨のような日常的なものの中から心が躍るような発見をする、という柔軟な感受性は、若者の象徴とも言えるでしょうか。(むむ、皆さんから反論が来そうですね)
 読者である私も楽しい気持ちになることのできた詩ですね。

2002. 3. 3                 by junji



ニャースさんから感想をいただきました。

 瑞々しい詩ですね。鈴木先生の感想にもありましたが、なかなか青春時代にしか、書けない(?)素直な詩で、本当に懐かしい感じがいたします。
 雨をいつから楽しめなくなったのでしょうか。

2002. 3. 5                   by ニャース





















 2002年の投稿漢詩 第48作は ニャース さんからの作品です。
 

作品番号 2002-48

  紅梅        

紅梅茅屋院   紅梅 茅屋の院

記得自開時   記し得たり 自ら開く時

不似君心変   君の心変りに似ず

年年花満枝   年年 花 枝に満つ。

          (上平声「四支」の押韻)

<解説>

 西川介山さんの梅を詠んだ作品に感動して、自分も挑戦しましたが、演歌みたいになってしまいました。

 本当にいつも我が家の(日本全国そうですが)小さな梅は、寒い中、毎年この季節にきまってよく咲くなあ、と感心してしまいます。本当に義理堅い!!
 それに比べて人間は....

 紀貫之

         人はいさ 心もしらず ふるさとは 花ぞ昔の 香に匂ひける

 をイメージしてはいるのですが。



<感想>

 起承転結が整っていて、五言絶句らしい詩ですね。紀貫之の歌とのつながりも良く、「おぬし、やるな」と思わずニヤリとしてしまいました。
 転句の「変」の字が日本語のままという感じですし、「君」という言い方も含めて、表現が直接的過ぎる気がしますね。
 「人心替」とか、「異心」などの言葉を使うと落ち着くように思います。

 梅は百花の魁、雪の中でも律儀に花を咲かせます。義理堅いとともに華やかさもある花ですね。
 北宋の周敦頤『愛蓮説』で、「菊は華の隠逸なる者なり。牡丹は華の富貴なる者なり。蓮は華の君子なる者なり」と言っていますが、梅なら何と言うのでしょうか。
 皆さんは、何に喩えますか。良いものが思い浮かんだ方は教えて下さい。

2002. 3. 3                 by junji





















 2002年の投稿漢詩 第49作は 鮟鱇 さんからの作品です。
 

作品番号 2002-49

  巫山梅        

皚皚梅蕊艶粧春,   皚皚たる梅蕊、艶粧の春,

笑貌睫毛長競君。   笑貌の睫毛、長くして君と競う。

墻角暗香紛昨夢,   墻角の暗香、昨夢に紛れ,

乗風飛雪似帰雲。   風に乗り雪を飛ばして帰雲に似る。

          (上平声「十一真」・上平声「十二文」の通韻)

<解説>

 咲き誇った白梅もそろそろ終わり、さかんに散り始めました。その艶然たる姿に対する思いを詩にしてみました。
 初稿は2月の中旬に書いていますが、掲載詩41作目の逸爾散士さんの「垂梅」に刺激され改作したものです。
題は、巫山の夢(ユメ)から梅(ウメ)を連想しました。

<感想>

 真っ白な梅の花のあでやかさは、まさに艶麗。どうやら鮟鱇さんは、そこに色っぽい女性を思い描いたようですね。
 となると、題名の「巫山」ともつながりますから、「昨夢」というのも、素敵な女性との一時を楽しんでいた夢・・・・うーん、そういう観点で行くと、紅梅の姿などは恥じらいがちな乙女の風情でしょうか。

 これも梅の新しい解釈ですね。

2002. 3. 5                 by junji





















 2002年の投稿漢詩 第50作は 楚雀 さんからの作品です。
 

作品番号 2002-50

  烏夜啼・偶成        

獨吟鴨水長塘独り鴨水の長塘に吟じて,
夜彷徨夜彷徨す。
堤樹無言欲凍帶冰霜堤樹 言(ことば)も無く凍らんとして 氷霜を帯びたり。
      
低迷月低く迷ひをりし月は,
已經滅已経(すで)に滅して,
只星光只だ星光のみあり。
參宿大弓高挂射天狼参宿の大弓高く挂かりて天狼を射る。

          (詞韻二部平声(塘徨霜光狼)、十八部入声(月滅)押韻)

<解説>

 どうもご無沙汰しています。楚雀です。

 詩作を始めて以来未だに題詠が出来ないせいか、新年漢詩はとうとう作れず終いでした。
代わりに冬の寒い頃に作ったものを投稿いたします。

 バイトの帰りが遅くなって枯れた気分で深夜の鴨川をふらついている時に思いついたものです。

<感想>

 「参宿」はオリオン座の三つ星、冬の夜空を彩る星々の代表、まさに「大弓」の形容がふさわしいですね。そして、その弓が「天狼」(シリウス)を射るという、古来のドラマがくっきりと目に浮かびます。

 「彷徨」は行きつ戻りつさまようことが原義ですから、「低迷」とも呼応し、月がさまようか人がさまようか、両者が渾然とした中に、「只星光」とその迷いを断ち切るような句が結句を引き出す鍵になっていて、冬の夜を描き出すに巧みに構成された詩になっていると思いました。

2002. 3. 5                 by junji




鮟鱇さんから感想をいただきました。

楚雀さま

 鮟鱇です。
 玉作楽しく、というよりは頼もしく、拝読させていただきました。詞をどのくらいお作りになっているのか、小生にはわかりませんが、若い楚雀さんの達者な筆致、頼もしく思います。
 ある江戸漢詩の研究者は、日本の詞作りは、昭和の始めに亡んだといっています。もちろん、今の時代にも詞作りをしている者はいますから、この学者の言は、見るべき詞は今の時代には書かれていないという意味です。詞をめぐる現状はそのとおり。しかし、そういう時代であればこそ、楚雀さんのように若い方が詞を書かれるということ、小生は頼もしく思うし、詩だけではなく、どんどん詞を書いてほしいと思います。
 小生の作詩歴は5年です。それも、50歳を過ぎて頭が固くなってから始めています。これまでに書いた詩詞もまだまだ5000です。詞はその半分強、詞牌の数で割れば、1詞牌につき多くて30首。つまりはほとんどが習作、詞がどういうものであるかなどと偉そうなことは言える立場にありません。
 しかし、そのわずかな経験のなかでも、いくらかは気付いたことがあります。詞をどんどん書けば、絶句にシマリが出てくる、自分らしさが書けるようになる、そう感じています。七言絶句28字のなかでの固定的な枠組みをいったん壊してみるには、たとえば古詩もあると思いますが、平仄を遵守しながら長短句を織り交ぜるリズムに親しむ方が、どんどん詩が書ける、どんどん書けばシマリや自分らしさがより自然に出てくる、と思います。
もちろん、これは小生のやり方、凡才が凡才のために考えた方法序説です。天才には感性や語感があればよいが、凡才には方法論が必要、そこで、才能に恵まれた方の取る道ではないと思いますが、楚雀さんがすばらしい詞を書かれたので敢えて凡才の立場から。

それにしても、ひとつの偶然。
 20世紀後半の日本での詞の復活に最初の一石を投じたのは「詩詞譜」を書かれた中山逍雀先生。二羽の雀が21世紀の日本の詞を、牽引していくように小生には思えます。ガンバッてください。

2002. 3.16                     by 鮟鱇





















 2002年の投稿漢詩 第51作は 謝斧 さんからの作品です。
 

作品番号 2002-51

  書憤        
日本商工景況悪日本の商工 景況悪く
万事失措謬政策万事失措(処置を誤る)して政策謬る
月満則虧世間常月満つれば 則ち虧くるは 世間常なり
人慣奢侈生計苦人は奢侈に慣れて 生計苦し
      
無能宰相拱手多無能の宰相 手を拱く(なにもしないでいる)こと多く
不知時務無奈何時務を知らず 奈何んともする無し
唯以租銖充国儲唯租銖(消費税)を以って 国儲(国家のたくわえ)に充て
桑土綢繆苦煩苛桑土綢繆して 煩苛に苦む
      
国内産業為零落国内の産業 為に零落し
政府無信国極弱政府に信無く 国極て弱し
人失恒産憂世途人は恒産(定職)を失い 世途を憂い
草茅危言罵台閣草茅の危言 台閣(最高の行政機関)を罵る
      
世儒譏訶諭下愚世儒(学者評論家)譏訶して 下愚(救いのない愚)を諭すも
鼎鐺有耳尚糊塗鼎鐺だも耳有り 尚ほ糊塗(いい加減にごまかす)たり
馬耳東風頻掉頭馬耳東風にして 頻に頭を掉り(否定する)
日本宰相伴食徒日本の宰相は伴食の徒か
      
廟堂横行口才子廟堂に横行す 口才の子
貪得利権多怪詭利権を貪り得て 怪詭多し
群蟻付羶泥庖苴群蟻羶に付いて 庖苴(賄賂)を泥り
面皮如鐵不知恥面皮鐵の如く 恥を知らず
      
人民聞此無慍容人民此を聞くも慍容無く
再三醜聞憤怒慵再三の醜聞にも 憤怒慵うし
狗猛酒酢廉吏去狗猛酒酢に 廉吏去り
無世正論芥我胸世に正論無く 我胸は芥す
      
物価欲下云不悪物価下らんとすを 悪からずと云えども
如何年年世祿薄如何 年年 世祿の薄きを
通貨無力交易艱通貨 力無く 交易艱き
経世済民誰可託経世済民 誰にか託す可けんや
      
美国憂虞景況衰美国憂虞す 景況の衰えるを
白眼為詰建策遅白眼して 為に詰らん 策を建ることの遅きを
至此初知轍鮒急此に至りて 初めて知る 轍鮒の急(難儀が差し迫る)なるを
変更国是果為誰国是変更するは 果たして誰の為なるか
      
宰相浅薄失口甚宰相浅薄にして 失口甚だしく
樽俎高官欺法禁樽俎(外務省)の高官 法禁を欺かん
遂被罷免遭嘲嗤遂に罷免を被りて 嘲嗤に遭う
大用小材豈堪任小材を大用(大材小用の反対)するは 豈任に堪えん
      
志人已知国歩難志人已に知る国歩(国の運命)の難きを
称口改革説百官口に改革を称して 百官に説かんも
百官偸安坑改革百官安を偸んで 改革に坑し
遅遅不速摧肺肝遅々として 速かならず 肺肝摧く(心配する)
      
君聞君聞くや
国論紛紛人困蹙国論(国の大計にかかわる議論)紛々たりて 人困蹙し
即亡治産絶秩祿即は 治産(職)を亡いて 秩祿(給料)絶ゆ
家眷離散為流人家眷は離散して 流人(ホームレス)と為り
獨眠陋巷當掩目獨り陋巷に眠りては 當に目を掩うべし
      
又聞又聞く
費去儲積空銭嚢儲積(貯金)を費し去って 銭嚢(財布)空し
寒夜抱膝撫飢腸寒夜 膝を抱いて飢腸を撫でる
難逃鬼手自縊死鬼手(死に神)を逃れ難くては 自から縊死せん(首吊り)
失政殺人豈可忘失政 人を殺すを 豈に忘る可けんや
      

<解説>

 再三の長い詩で申し訳ありません。
 これ位の内容では六解位にまとめなければならないのですが、内容も憤りばかりの叙述で風雅から離れた詩になっています。
 劉禹錫も、詩の本教は温柔敦厚と云っていますが、反省しています。

 [語釈]
 「時務」:その時々に当たって為すべき努め
 「桑土綢繆」:災難に備えて鳥が桑の根で巣を補強する
 「国儲」:天地宗廟降祥 而国儲有備
 「苦煩苛」:法律が煩わしく厳しい
 「鼎鐺有耳」:かなえやナベでも耳があるのに 人は聞く耳を持たない
 「草茅危言」:民間にあって国政を痛論する
 「伴食徒」:職務を果たさず給料を貰う官吏
 「群蟻付羶」:蟻が生臭い肉に群がるように
 「狗猛酒酢」:店の飼い犬がこわくて客が寄り付かず酒が売れない。 奸臣が邪魔をして能臣が集らないこと

<感想>

 しっかり読ませていただきました。前回の古詩と比べると、内容が重複している句もあるようで、構成の点では「どうなのかな?」と思う所もありましたが、逆に、止むに止まれぬ感情のほとばしり、作者の怒りが畳みかけるように述べられていて、初唐の頃の詩を読んでいるような、そんな面白さがありました。

 政治の頽廃は日を追うにつれひどくなり、まさに倫理欠落スパイラルという観を呈しています。
 民も官も政も全てが汚濁にまみれている日本という国、いつからこんな情けない国や国民に私たちはなってしまったのでしょうか。
 悲しい気持ちで、それでも目をそらさないようにして、私は毎日新聞を見ています。

2002. 3. 9                 by junji





















 2002年の投稿漢詩 第52作は岡山市の S.F さん、十代の方からの初めての投稿作品です。
 

作品番号 2002-52

  進学        

白吐息暖手   白き吐息で手を暖める

青空将送我   青き空は将に我を送らんとす

若努勤勉而   若し勤勉に努めれば

敢不合格乎   敢えて合格せざらんや

<解説>

 寒さでかじかんでいる手を自分の吐く息で温めていると
 雲ひとつない青空は自分を送り出してくれているように思える。
 もしも勤勉に努めていたなら合格しないだろうか、いや、合格するのだ。

<感想>

 詩題から想像させていただくと、S.Fさんは受験生でしょうね。この詩を送っていただいたのは三月二日でしたが、ひょっとしてその日が受験日?なのでしょうか。

 漢詩の規則(押韻や平仄)という点からは外れていますので、まだまだ修正の必要な作品ですが、でも、結句の反語形、「敢えて合格せざらんや」という表現などからは、「絶対合格するぞ!」という気持ちがひしひしと伝わってきて、思わず「がんばれー!」と応援したくなります。
 また、起句承句(第一句・第二句)の描写も、「寒い朝、息を吐きかけながら手を温めていると、ふと目に入った空の青さが私を励ましているようだ」という、主観的な表現を通して冬の朝の様子がよく出ています。素材の並べ方が成功しているのでしょう。

 再読文字の「将」や、「若」の仮定形、「敢不」の反語形など、漢文法の勉強はきちんと出来ているようですから、合格をして高校生になったら、次は漢詩の規則を勉強して、この入試前の気持ちをもう一度整理してみると面白いと思います。

 風邪引かないように、頑張って下さい。

2002. 3. 9                 by junji





















 2002年の投稿漢詩 第53作は サラリーマン金太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2002-53

  壬午新年書感        

神明供鏡賀初春   神明 鏡を供して初春を賀せば

天外排雲旭日新   天外 雲を排して旭日新たなり

凡骨何嘆追李杜   凡骨何ぞ嘆かん 李杜を追ひ

今年尚是徹清貧   今年尚是れ 清貧に徹せん

          (上平声「十一真」の押韻)

<解説>

 過日は郷土の名勝鹿島を詠んだ拙詩を御指導下さりありがとうございました。今回は、今年新年に賦した詩を投稿させていただきます。
 前回一緒に出したかったのですが、初投稿の身で二句は厚かましいと思い遠慮していました。

 解説は、そのまんまなので特に必要は無いと思います。
どうか、こんな私ですが末永く御指導下さい。



<感想>

 平仄の点で気になる点は、起句の一字目、「神」の字は「上平声十一真」の韻に属しますので、これは冒韻となっています。
 もう一つは、各句の最初の字が皆平字になっていることです。これは気づきにくいことですが、「平頭」と言い、リズムが単調になるので避けるように言われています。

 内容としては、転句の「追李杜」の位置づけに悩みました。このままの表現から見ると、「凡才をどうして嘆くことがあろうか、今年もまた、李白や杜甫のように清貧に生きていこう」という感じでしょうか。ただ、「李杜」「清貧」の代表のように描くのは、「詩仙・詩聖」の二人に対しては疑問の残る表現です。
 転句だけで完結させようとすると、今度は「凡骨が嘆くこともなく李杜を追いかける」という畏れ多いことになってしまいますので、どうしたもんでしょうか。

 前半は新年の句らしく明るい言葉使いで、まとまっていると思います。

2002. 3. 9                 by junji





















 2002年の投稿漢詩 第54作は 藤原鷲山 さんからの作品です。
 

作品番号 2002-54

  初雪即事        

籬落疎梅雪圧枝   籬落 疎梅 雪 枝を圧し

玲瓏一白景尤奇   玲瓏一白 景尤も奇なり

齡躋八秩才知退   齡は八秩に躋り 才知退き

曝背南軒只嗜詩   背を南軒に曝しては 只詩を嗜まん

          (上平声「四支」の押韻)

<感想>

 「秩」は十年を表しますので、「八秩」は八十歳ということになりますね。「才知退」どころか、詩を拝見すれば、ますます意気盛んという印象です。

 梅に雪という定番を取り合わせながらも陳腐な感じがしないのは、承句の「玲瓏一白」という表現が句を引き締めているのでしょう。
 「曝背南軒」「南の窓辺でひなたぼっこ」の語も、前半の叙景と後半の人事をつないで、効果的だと思います。

2002. 3. 9                 by junji





















 2002年の投稿漢詩 第55作は 佐竹丹鳳 さんからの作品です。
 

作品番号 2002-55

  早春山行        

山頭潅木絳芽簪   山頭の潅木 絳芽の簪

春景未成枯草深   春景未だ成らず 枯草を深む

寂寞何用絲與竹   寂寞何んぞ用いん 絲と竹とを

澗聲不盡有清音   澗聲盡きず 清音有り

          (下平声「十二侵」の押韻)

<感想>

 この詩は、起句が工夫の表れたところですね。「絳芽簪」はおしゃれで、早春の雰囲気を漂わせた言葉だと思います。『唐詩選』『三体詩』では、「絳英」の用例がほとんどですね。
 起句のそうした春の気配を、「春景未成」、あるいは「枯草深」の言葉を使って承句で否定し、転句の「寂寞」へとつないで行く。構成の上でも工夫がされていると思いました。
 ただ、起句の華やかさや承句からの大逆転をまとめるのには、結句が弱くはないでしょうか。季節的にも「澗声不尽」は早春とは直結せず、収束にやや物足りなさが残ります。

2002. 3.12                 by junji



謝斧さんから、私の感想へのご意見をいただきました。

  季節的にも「澗声不尽」は早春とは直結せず、収束にやや物足りなさが残ります。

 此れは佐竹丹鳳先生の叙述の拙さか、鈴木先生の読解の不足か議論の要するところだと考えています。
 丹鳳先生の詩風は奇麗にあります。「澗声不尽」は説明し過ぎで、丹鳳先生の詩風とは違いますます。おそらくは「澗聲不盡」ではなく双声語や畳韻語の擬音語を用いてあっさりとすませたかったのと想像します。それではあまりにも平板になるので、詩人の詩意が読者によく伝わらないとおもったのでしょうか。

 「澗聲不盡」はわざわざ「不盡」の叙述があるところから、読者は盡ということを意識させます。それは冬の寒さにより、雪や氷で澗聲が盡きたものと考えます。ここにきて承句の「春景未成」の句が生きてきます。結句は言外に「景色はまだ春にもならないが、雪や氷りが解けて、澗聲の音が初めて耳にはいり、私にはすぐそこまでに春がやってきていると感じます。」と言っています。(春の小川はさらさらゆくよと同じ手法です)
 此のようなせせらぎが在るのになぜ音楽など必要があるでしょうか、詩人の春を待つ心がよく表れているものとおもいます。転句は林和靖の山園小梅の不須檀板金尊を意識したようにもかんじます。

 詩をボクシングでたとえたことがあります。相手をノックアウトさせるは偶然に出した、相手をかするようなパンチが一番きくようです。
 詩では登場人物なり風景のなにげない素振りに、暗に意味を持たせるのが一番だと考えています。なにげない叙述に意味があれば、大変余韻深い作品になるとおもって居ます。その点では西川介山の「探梅」も味わいのある作品だと思います。今一度味わって読んで欲しいと思いますが。


2002. 3.19                  by 謝斧



謝斧さんのお手紙をいただいて、私も返事を差し上げました。

 お手紙ありがとうございます。
 佐竹丹鳳先生の詩についてのご説明、ひとつひとつ納得して読んでいました。おそらく、謝斧さんの仰ることと私の解釈も同じではないかと思いますが、私の読解に問題があれば、再度教えていただきたいと思います。

 「澗声不尽」が、謝斧さんの仰るように、「谷川の水が尽きることはなかった」という意味でありたいとは私も願うところです。しかし、「不尽」でそのように理解できるのでしょうか。
 この句をそのまま読めば、多くの人は、「山の中を歩き回っている間ずっと、谷川の水の音が聞こえてきた」と読むのではないでしょうか。そうした時、山中どこにいても聞こえてくるような谷川の水は、春の氷が解けたばかりの「さらさらゆく」ものではなく、夏の山中の豊かな水量を感じさせます。
 全体の流れから行くならば、ここは、無理をせずに、「初めて聞く(流る)」とか、「涓涓」の語を使った方が、「水の氷れるを春立つ今日の風や解くらむ」の早春の風情が生きるように思い、あのような感想を書いた次第です。


2002. 3.19                  by 桐山人



謝斧さんからのお返事です。

  多くの人は、「山の中を歩き回っている間ずっと、谷川の水の音が聞こえてきた」と読むのではないでしょうか。
と書かれていますが、此の件に関しては先生と解釈を異にします。前三句から、そういった事を想像さす叙述はないようにおもえます。少し無理があるのではないでしょうか。
 ここはやはり、冬の間に途絶えがちだった谷川の水の流れも、山の雪解け水で水量が増えて、溢れるばかりに流れて、もう尽るようなことはありませんと読むのが自然だとかんがえます。これは作者の詩意とも違えません。
 視覚的にはまだ春を感じさせないが、聴覚ではもうそこまで春は来ているではないかという叙述から作者の心情がよく理解ができます。

  「不尽」でそのように理解できるのでしょうか。
という点ですが、作者が敢えて「不尽」といったのはどういうことなのか、いつもは、当たり前のように谷川の水は流れているので、こういった叙述は不要だとおもいます。恐らくは、「潺湲澗籟有清音」となるところです。
 作者は冬の間は雪や氷で流れが途絶えがちだったのが春になって漸く水が流れたということを暗に伝えたい為にこういった叙述を用いたものと想像しています。
 先生のいわれるように、ややこじつけで無理のある解釈かもわかりません。しかし読者の立場では好意的に読む方が感興も深くなります。
 私自身は、前三句から、そういった事を想像することは難くないものだとおもいますし、そう読むべきだと思っています。ただ叙述に難があることも否めません。


2002. 3.20                  by 謝斧





















 2002年の投稿漢詩 第56作は 西川介山 さんからの作品です。
 

作品番号 2002-56

  詠龍        

雨暝風腥潜邃淵   雨暝く 風腥ぐさく 邃淵に潜む

誰探龍頷忽醒然   誰れか龍頷を探って 忽ち醒然たり

池中擡頸眼光怪   池中頸を擡げて 眼光怪しく

吐霧排雲翔九天   霧を吐き雲を排いて 九天に翔る

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 雨は暝く 風は腥ぐさく(世の中の情勢が自分にとって悪くとも)
        奥深い淵に龍は潜んでいます(才能のあるものはじっと我慢です)
 誰れが龍の頷にある玉を探ったのでしょうか(世の中の人はその人の才能を妬ましく、利用しようとしますが、
        その才能は )
忽ち眠りから醒めたではないですか
 その龍は頭をもたげて、怪しく眼を光らせています。
 やがては、霧を吐いて、雲を押し分けて、九天に翔ることでしょう。
        (世にある、志ある人は、機に乗ずるときがあれば、意を得ることがあるものです)

<感想>

 龍のような空想上の生き物を詩にする場合に、多くの人が描いている部分(一般)と、詩人のみが描いている部分(個)の配合が特に難しいと思います。どっちみち実在しないんだから、と独断の表現ではそもそも理解を得ることは難しく、そもそも詠物にすらなりません。かと言って一般的なことを言うだけでは面白くも何もないし、典拠の入れ具合も難しいですね。
 龍を描いた詩がそれほど多くないのも、そうしたことが理由としてあるのでしょうか。

 介山さんのこの詩では、寓意をこめてあり、その部分も書いて頂きましたので、とても分かりやすく思いました。ただ、その分現実味が強く出過ぎてしまったかもしれません。寓意はあくまでも寓意であるべきなのでしょう。



2002. 3.20                 by junji





















 2002年の投稿漢詩 第57作は ニャース さんからの作品です。
 

作品番号 2002-57

  元宵        

客中思故里   客中故里を思い、

夜独過元宵   夜独り元宵を過ごす。

爆竹何家放   爆竹何の家か放ち、

鬧声却寂寥   閙声却って寂寥。

          (下平声「二蕭」の押韻)

<解説>

 2月26日は元宵節でした。
 大連出張先のホテルで按摩を頼んだら、四川からという女の子が来てくれました。「毎逢佳節」と王維の詩を口ずさみ、しきりに寂しがっていました。
 その女の子の気持ちで作ってみました。

<感想>

  五言絶句らしい簡潔な表現の中に、切々とした心情があふれている詩ですね。
 結句の「寂寥」といった感情形容語を詩で使うのは、主題を直接表現してしまうために敬遠しがちですが、この場合には、「却」の字が「鬧声」とのつながりを活かしていて、逆に余韻が深くなっていると思います。
 にぎやかなざわめきの中にこそ逆に孤独が深まるというのは、古来詩の重要なモチーフです。更に、伝統的な「客中思故里」を配して、解説で書いて下さった作詩事情とも重ね合わせた、安定感のある構成になっていますね。

2002. 3.25                 by junji





















 2002年の投稿漢詩 第58作は 逸爾散士 さんからの作品です。
 

作品番号 2002-58

  朝鮮出兵        

英雄老耄奈何頑   英雄も老耄して奈何ぞ頑ななる

軍役損傷隣好   軍役は損傷す、隣好の

不起蒼生無大義   蒼生、起たざれば、大義なし

妄侵疆域等諸蛮   みだりに疆域を侵すは諸蛮に等し

遯逃八道庶民惨   八道を遯逃する庶民惨たり

蹂躙鶏林将士還   鶏林を蹂躙して将士還る

縦使豊公収禹跡   たとひ豊公の禹跡を収めんも

汗青只合見文山   汗青ただまさに文山を見るべきに

          (上平声「十五刪」の押韻)

<解説>

 「文天祥」を詠じた詩がありましたので、旧作を思い出しました。
 太刀掛呂山先生の添削を記します。

  〇二句目 「間」→「
  〇五句目 「衆庶惨」→「庶民惨」(仄)
  〇七句目 「縦令」(平)→「縦使」
  〇八句目 「再度」→「只合」(マサニ 合 ベキニ  ベシではない)と注記。

 作詩の経緯を述べないとわからないかもしれません。
 『山陽風雅誌』32巻7月集(昭和61年7月31日発行)の「漢詩講座」は柴秋村(幕末の漢詩人)を取り上げ、中にこういう詩がありました。

    「那古耶」
   鞭指鶏林此出師
   大瀛西控作城池
   当年若直収中国
   拓土終能到九夷
   風巻濤声連剣
   雲揺花影混旌旗
   東天惆悵威弧堕
   容易燕山付靼児

「漢詩講座」の注をもとに補足しますと、
   那古耶=名護屋、豊臣秀吉の「朝鮮征伐」の本営。
   鶏林=朝鮮の古名
   大瀛=大海 
   (ケンセキ)=剣と革靴
   威弧=軍隊を司る星(威弧堕つは将軍が死んだの意味)
   燕山=北京
   靼児=韃靼の若者(結句の意味は、満州族の清が明を滅ぼしたこと)

 華麗な措辞で豊臣秀吉の兵事を詠じていて、さすがに昔の人はうまいと感心しながらも、尾聯にはむかっとしました。
 太閤秀吉が亡くなって朝鮮の役が空しく終わったのを惆悵されてもねえ。日本が明を負かしていたらなあ。結局、明は清に滅ぼされてしまった、というのもおかしな話。明(漢民族)から見ると、満州族の清でも日本でも、異民族侵略なのですから。
 (清が中国にとって異民族であることはいいながら、豊臣秀吉の遠征は快挙だと思っている。漢学の範囲で思考しながら、中国にとって日本は異民族という自己認識がないのはいつごろからのことか。この柴秋村の詩は日本の思想史上面白いケースかもしれません。)
 そこで数年後、律詩を作る学力などないのに「朝鮮出兵」を作りました。文天祥の号が文山というところから発想して、後ろから作っていったものです。

 藤田東湖のように、幕末の志士は「正気の歌」に感激するから、もし豊太閤が明を征服したら、中国側には文天祥のような忠節の臣が出て、日本に抵抗しただろうと当てつけていささか溜飲を下げました。民衆が蜂起して王朝を倒そうというのでなければ大義はない。やたら侵略するのは蛮夷に等しいと、古人に議論を吹きかけているのも稚気のうちでしょうか。(蒼生を起たしめずんば、と使役によむ方が語法的には安定かな)

 小学生の頃、ドーデ『最後の授業』を教材に、「言葉を守っていれば支配されても民族文化は敗れない。朝鮮を植民地にして日本語を押し付けたけど、朝鮮の文化は破壊されなかった」と、立場をかえた見方で母語(日本語)の大切さを教わった身としては、愛国心の強調自体ではなく、自己中心的で安物講談本みたいな「愛国」の跋扈が気になるところです。

<感想>

 『最後の授業』は、私も中学生の頃に読みました。ハラハラとしながらも、民族の誇りを歌い上げた結末に感動し、不条理な弾圧に憤ったことを覚えています。
 頷聯の「妄侵疆域等諸蛮」の言葉は、まさに現代の姿、武力によって「侵す」か経済によって「侵す」か、そして「文明」の名によって「侵す」か。江戸末期の文人ならいざ知らず、二〇世紀百年の歴史からまだ私たちは大切なことを学び取っていないのでしょう。

2002. 3.25                 by junji





















 2002年の投稿漢詩 第59作は 禿羊 さんからの作品です。
 

作品番号 2002-59

  隅州行        

終日双輪進険岨   終日 双輪 険岨を進む

僻州民寡競猿猪   僻州 民寡くして猿猪と競う

路縫厳峭落蒼海   路は厳峭を縫って蒼海に落ち

遂至梅花紅白閭   遂に至る 梅花紅白の閭(さと)

          (上平声「六魚」の押韻)

<解説>

 一月末、大隅半島をサイクリングしてきました。
 「僻州」などと云っては土地の人に叱られるかも知れませんが、半島の太平洋岸は、まあ、大変な田舎でした。猿も猪も確かに見かけました。

 自転車は「双輪」でいいのでしょうか?確か戦争中は銀輪部隊というのがあったようですが。

<感想>

 うーん、確かに承句はいくら何でも失礼ではないでしょうか。
 古典の世界では、詩を作る人は官僚クラスであり、日本でも平安朝では詩歌を作るのは貴族に限られていましたから、当然読む人も同じ階級の人々、庶民の生活などについて話す時につい口が滑ってしまったということもあるでしょう。
 よく引かれる例ですが、古語の「怪し」という言葉は、もともとは現代語と同じく「不可思議だ、理解できない」というのが原義なのですが、貴族達は庶民の生活を見るとあまりに自分の生活と異なることに驚き、粗末な家を見ても「あやし」、冬でも一枚の着物しかないことを見ては「あやし」、貧しい食事を見ては「あやし」と言っているうちに、とうとう「あやし」という言葉に「身分が低い」という意味を含ませるようになってしまったわけです。
 古人のそうした狭量な世界観を今の私たちはどうこうすることはできませんが、読み手の方の気持ちへの配慮はすべきでしょう。「僻州」もそうですが、「競猿猪」も、実際見たとは言え、そのまま詩にするのはどうでしょうか。
 人も少ない所であった、ということから、どのような詩趣を感じ取られたかを表現すべきだと思います。

 「自転車」をどう言うかですが、これはどのみち古典には存在しない言葉ですので(現代中国語では「自行車」と言いますが)、お使いになったような「双輪」のように場面を描かれるのが良いと思います。

 転句結句の展開は、「梅=山中」という一般的な感覚をうち破って、新鮮な驚きがよく出ていると思いました。

2002. 3.25                 by junji




逸爾散士さんから感想をいただきました。

 長い坂が続いてその先に海が見える。次のシーンは梅の咲く里。映像的でモダンな感じだけど、どこか桃源郷のような(梅の咲く桃源郷は変?)気もする。
 行き着いた先がこの世ならぬ別天地と考えると承句の「僻州」云々も貶侮の辞とも思えず、角も立たないと思えます。
  (それにつけても田舎者扱いされて、なお「坊ちゃん文学賞」を作る松山市民は人物が大きいと思う)

 全体の設定は現実的ですが。リアルな現実を歌っているのだけれど、情趣としてはみだしたところに「僻州」「梅花紅白閭」もあるようにも読めました。

 それはそれとして、「隈州行」という詩題の「行」は、うたという意味でしょうか。「少年行」「兵車行」はうたの意味ですね。
 漱石の初期短編に「薤露行」というのがあって、昔は「キャメロット行き」という意味だと勝手に思っていました。「北帰行」も漢詩を作り始めるまでは、北へ帰る行程の意味以外の可能性は考えなかった。
 この詩の場合「山行」のような意味の気もします。でも隈州のうた、という題なのかなあ、とも思えました。
 「引」、「行」、「歌」、それぞれどう違いがあるのかも、誰か教えてくれるとうれしいな。

2002. 3.31                by 逸爾散士



禿羊さんからもお手紙をいただきました。

 鈴木先生、こんにちは。禿羊です。
 先月の「隅州行」、少々悪ふざけが過ぎたと反省しております。それで、承句を以 下のように変えたいと思います。

     隅山人寡夥猿猪

 面白みのない詩になってしまいましたが。

 逸爾散士先生、ご教示有り難うございました。
「行」の意味、小生もご指摘を受けて初めて知りました。汗顔の至りです。
小生は「村行」「山行」などと同じで気楽に使っておりました。そういえば、「琵琶行」とか、杜甫の詩にも幾つかありましたね。 2002. 4. 6                     by 禿羊





















 2002年の投稿漢詩 第60作は 謝斧 さんからの作品です。
 

作品番号 2002-60

  失題        

時事厭看蝸角争   時事厭い看る 蝸角に争うを

紛紛国歩不分明   紛紛たる国歩 分明ならず

世間失路風波悪   世間路失いて 風波悪しく

方外逃煩名利軽   方外煩を逃れて 名利軽し

貧士却存高士意   貧士却って存す 高士の意

今人何異古人情   今人何んぞ異らん 古人の情

浮生苦短流年速   浮生 短きに苦んで 流年速く

閑見依然武水横   閑に見る 依然たり 武水の横たわるを

          (下平声「八庚」の押韻)

<解説>

 今まででも七言律詩を作るのを控えていました。詩形の特性から、少し無理が有るようにおもえるからです。
 手を下しにくい詩形で、満足する作品は作っていません。いくら推敲を重ねても、なにかしら、疵が生じます。内容も平板になりがちです。平板さを嫌って、尾聯を工夫すれば、中の対句と調和を欠くようになります。
 七言律詩の巧拙は尾聯にかかっているとおもいます。
 ある吟社の詩稿の七言律詩を読ませていただいたのですが、殆どの詩は、内容は平板です。対句も片側の句を読めば、後の句も想像が出来ます。多くの吟社では、七言律詩の投稿を断っているようです。残念乍ら、私の知るかぎりでは、満足できる七言律詩を作れる詩人は少ないようです。

 嘯嘯会の長岡瀬風先生などは、数少ない、まともに七言律詩を作れる人で、山陽吟社に毎月、七言律詩を投稿していたのですが、山陽吟社でも七言律詩の投稿を断ってきたそうです。
 こういった事情もありますが、嘯嘯会では、特に七言律詩の創作を勧めています。私も七言律詩の創作を多くするようにしています。

 「今人」の意味は「詩人自ら」「武水」「武庫川」のことです。
 尾聨の意味は、古人(李白)言っているように人生は短く儚いけれども、武庫川は永遠に流れて、逝く水を昼夜をおかず流し出だしている、そういうことを考えると我が浮生の短かさがひとしおいとおしくくなり、時事の蝸角に争うを看るのが馬鹿らしくなる、ということです。

<感想>

 頷聯の「世間失路風波悪」は、昨今身にしみて感じます。
 私は生まれた時から戦後で、民主主義というものを信じ、人類の叡知を信じ、人も世も一歩ずつ良くなっていくのだと信じて、それを実現し、後代により良い形で伝えていくのが大切だと思っていました。「進歩論」であり、「楽天主義」でもあるかもしれません。でも、そうした夢をもつことに違和感のない時代を過ごしてきたとも言えます。
 しかし、どこかから、私たちは道を間違えた。「世間失路」とも言えるし、しっかりした道を築けなかったとも言えるでしょう。
 スポーツ選手は、一旦トレーニングを怠ると、回復するまでに三倍の時間を必要とするそうです。世の中も、一度愚かな道に進んでしまった時には、やはりそれ相応の回復のための時間が必要なのでしょう。大切なのは、その期間、心を常に前向きに保つこと、あきらめないでもう一度理想を語ること、それだけの精神の逞しさと尊厳を自ら築くことだと思っています。
 頸聯で謝斧さんが仰った「貧士却存高士意 今人何異古人情」は、詩の世界に限らないし、その心は孤高であるけれど時代を超えての連帯なのだと、深く感じました。

2002. 3.25                 by junji




















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