2002年の投稿漢詩 第151作は 藤原鷲山 さんからの作品です。
 

作品番号 2002-151

  梅霖遣悶        

連日空濛鬱屈心   連日空濛 鬱屈の心

黄梅時節半晴陰   黄梅の時節 晴陰を半す

風聲度竹凉到屋   風聲竹を度り 凉屋に到る

松影搖窗爽入襟   松影窗を搖ぎて 爽襟に入る

院落香生梔子発   院落に香を生じて 梔子発き

籬辺濕潤緑苔侵   籬辺 濕潤いて 緑苔を侵す

柴門懶出煎新茗   柴門 出るに懶うく 新茗を煎る

雲気未収午景深   雲気未だ収まらず 午景深し

          (下平声「十二侵」の押韻)

<解説>

 詩作も十年近くになり、初めて七言律詩にとりくみました。

<感想>

 詩全体の構成は、梅雨の時節の鬱陶しい気候の中に、一服の涼といいますか、心を安らげるものを発見した感懐と景を描こうとし、それは成功していると思います。
 そういう点で、第一句で「連日空濛鬱屈心」と提示してしまうのはどうなのでしょうか。次聯からの庭の様子は毎日のこと、であるならば、「涼」「爽」もやはり毎日のことでしょうから、「連日空濛鬱屈心」と言い切ってしまうことが気になるのです。
 「いつもは嫌な天気で鬱々とした毎日だが、今日は爽やかだ」と言うのなら、「今日に限って」という理由がどこかに示される必要があるように思います。
 「普段は気づかなかったけど、今日初めて発見した」という趣旨だと思いますが、そうならば頷聯からの描写が唐突な感じがしますし、「連日・・鬱屈心」は強過ぎる表現だと思います。ここは「虚」ではなく、「実」で抑えておいた方がよいのではないでしょうか。

 頷聯は、本来ならば「風聲度竹爽入襟「松影搖窗凉到屋となるところでしょうが、表現を交叉させて、奥行きのある描写になっていると思います。
 ただ、これはミスでしょうが、第三句の「到」は仄声ですので、平仄に乱れが出ているのが残念です。

 頸聯は、「香生」「濕潤」「梔子発」「緑苔侵」は、句の構造から見た時に、対句としては苦しいと思います。

2002. 9.27                 by junji





















 2002年の投稿漢詩 第152作は 岡田嘉崇 さんからの作品です。
 

作品番号 2002-152

  苦熱        

朱夏驕陽擅晝長   朱夏 驕陽 晝の長きを擅(ほしいまま)にし

消閑老大臥藤床   消閑の老大 藤床に臥す

朝來蝉噪倍炎気   朝來 蝉噪いで 炎気を倍し

午下天高灼日光   午下天高く 日光を灼く

矮屋無風難避暑   矮屋風無く 暑避け難し

旱雲不雨勿呼涼   旱雲 雨ふらず 涼呼ぶ勿し

脱衣解渇嚼氷處   衣を脱し 渇を解いて 氷を嚼む處

滅却心頭加有方   心頭を滅却して 加えて方有り

          (下平声「七陽」の押韻)

<感想>

 全体の流れも無理が無く、結びも納得の行く構成の詩ですね。
 杜荀鶴「夏日題悟空上人院」の句を踏まえながら、もうひと味加えた点が工夫のところですね。

 一読の時には、七言律詩の字数には荷が重い主題のように感じましたが、それは流れの良さが為せることのようで、夏の暑い午後を切り取って、一つの世界を十分に描いていると思います。

 第七句の「解渇」は後の「嚼氷處」を先に示してしまうようで少し気になりました。「解褐」かと思ったのですが、どうなのでしょう。

2002. 9.27                 by junji





















 2002年の投稿漢詩 第153作は 徐庶 さんからの作品です。
 

作品番号 2002-153

  秋        

浮雲一朶莫風天   浮雲一朶 風莫き天

蜩奏挽歌猶昼燃   蜩は挽歌を奏でるも 猶 昼燃す

君若欲知秋已至   君若し秋の已に至るを知らんと欲せば

疾聞中夜蟋蟀弦   疾く聞け 中夜蟋蟀の弦

          (下平声「一先」の押韻)

<感想>

 起句の「浮雲一朶」「朶雲」という熟語が示すように、花のようにひとかたまりになった雲を表す言葉ですね。
 承句の「昼燃」は、徐庶さんの実感の伴った表現なのでしょう。

 転句も役割をよく果たして、絶句らしい構成になっていると思います。
 強いて言えば、承句の「蜩奏挽歌」で秋を感じさせてしまうことと、結句で秋を知るのに聴覚を使うつもりなのですから、承句でも聴覚を使うと重なってしまうことくらいでしょうか。

 そうそう、題名は「秋」よりも、「初秋」とか「立秋」と、もう少し限定した方がよいと思いますよ。

2002. 9.27                 by junji





















 2002年の投稿漢詩 第154作は 徐庶 さんからの作品です。
 

作品番号 2002-154

  夏躇        

流雲與鴨鳬   流雲と鴨鳬と

邂逅映湫瀦   邂逅して湫瀦に映ず

時適涼秋裏   時適に涼秋の裏

不思逢夏躇   思わず夏躇に逢わんとは

          (上平声「六魚」の押韻)

<解説>

 近くにある善福寺公園の様子を詠じてみました。
 8月が終わったのに東京でも気温が30度以上の日が何日もあり、授業を受けるのは結構辛いです。

 [訳]
   流れる雲と鴨とが
   重なって池の上に映じている。
   今はまさに涼しい秋であるのに
   こんなに暑い日に会うとは思わなかった。

<感想>

 前半は秋の景を詠ったのでしょうか。そうだとすると、結句はかなり唐突で、意図が十分には伝わりません。
「不思」も表現としては直接的でくどく感じますから、ここに学校で授業を受けていることを表すような言葉を入れてみると、構成の上でも落ち着くと思います。
 題名の「夏躇」は、夏の暑さのぶり返しを表した言葉ですね。

2002. 9.27                 by junji





















 2002年の投稿漢詩 第155作は 西川介山 さんからの作品です。
 

作品番号 2002-155

  文天祥 其二        

   閑適 一二七〇年

文山峰嶂雙峻峙   文山の峰嶂 双つながら峻峙し

溪谷幽邃無蹊視   渓谷幽邃にして 視うに蹊無し

瀑布跳沫彩虹鮮   瀑布の跳沫 彩虹蘚やかに

激湍動岩搖大地   激湍 岩を動かし 大地を揺がす


一到層巓視瞻投   一たび層巓に到り 視瞻投ずれば

貢水遙遙向北流   かん水遥々と北に向って流る

更眺吉安平碧曠   更に眺む 吉安の平碧曠く

渺然奇景畫中収   渺然たる奇景 画中に収まる

   出師 一二七四年

溪上一竿遊石瀬   渓上一竿 石瀬に遊し

草廬煎茗幽鳥戯   草廬茗を煎じて 幽鳥と戯れる

与世相忘久偸安   世と相い忘れて 久しく安きを偸み

累卵国歩禍将大   累卵たる国歩 禍 将に大なり


故人寄書事空傳   故人書を寄せては 事空しく傳え

哀痛勅旨心悵然   哀痛の詔令 天を憂うるを為す

出師再擧欲酬恩   師を出して再挙 恩に酬わんとす

古來忠孝不常全   古来忠孝 常には全からず

   擧兵 一二七五年

憂國奉檄募義士   国を憂い 檄を奉じて 義士を募り

誰倶戴天甘国恥   誰か倶に天を戴いては 国恥に甘んぜんや

整然勇姿安民情   整然たる勇姿 民情を安んじ

厳正軍律重國紀   厳正なる軍律 国紀を重くす


戦鼓西北獨松關   戦鼓西北 独松関

烏合士卒塗草間   烏合の士卒 草間に塗れ

戦局非利朝迎戦   戦局利非ず 朝に戦を迎えるも

無奈牙旗暮未還   奈ともする無し 牙旗暮て未だ還らず

   帰附 一二七六年

敗残空期重巻土   敗残空しく期す 重ねて土を巻くを

回天如夢胸臆撫   回天夢の如く 胸臆を撫す

九衢欲燬盡廃宇   九衢 燬んと欲して盡く廃宇

山河依然同今古   山河依然として 今古に同じ


北冦滿埜侵市廛   北冦 埜に滿ちて 市廛を侵さん

百戦孤城降戍旃   百戦せし孤城 戍旃を降ろし

城下爲盟竟帰附   城下盟を爲して 竟に帰附す

社稷為墟實堪憐   社稷 墟と為りて 實に憐むに堪えり

   落日 一二七六年

創痍未瘉爪牙斃   創痍未まだ瘉えざるに 爪牙斃れ

竟主和議空泣涕   竟に和議にを主んじては 空しく泣涕す

一死報國擲身命   一死国に報いては 身命を擲ち

単騎堂堂皐山詣   単騎堂々 皐山に詣る


龍節委権任自専   龍節権を委られて 任自ずから専なるも

樽俎掉舌事不全   樽俎舌を掉うも 事全ったくならず

縱身擒縛獄虜裡   縱え身は擒縛せられ 虜裡に獄せらるも

終始一節無乞憐   終始節を一に 憐みを乞う無し

<解説>

 [語釈]
 「独松関」:地名
 「重巻土」:捲土重来
 「九衢」:都
 「廃宇」:廃屋
 「北冦」:北からの外寇 元軍
 「城下盟」:恥辱的な講和 降伏する 左伝
 「社稷為墟」:国家が滅びる 淮南子
 「爪牙」:爪牙之士 君主国家を守る武士
 「龍節」:全権を委任された勅使
 「樽俎」:外交交渉

<感想>

 前作 詠史 文天祥 からの続編ですね。前作の方の題名も「詠史 文天祥 其一」と改めておきました。
 前作は「専横 一二六〇年」で終っていましたので、今回は「閑適 一二七〇年」から始まりましたが、没年は一二八三年ですから、更に続編が来るのでしょうか。

 いただいた原稿では、第三解四句目の読み下しが「国紀を覚す」となっていましたが、詩の方とは合いませんので、読み下しの方を直しました。
 前作の時にも書きましたが、文天祥をどうとらえるのか、という点での新しい視点をどう入れるかが難しいところだと思います。つまり、今なぜ文天祥なのか、ということですね。
 すでに忘れられた偉人の人生をもう一度見直す、ということでいけば新しい視点はとりわけ必要ではないのかもしれませんが、ただ、作者の側で「現代における忠節の臣の意義」をどう見ているか、は問われることでしょう。そうした点で、次に来る「其の三」が期待されるところです。

2002. 10. 3                 by junji





















 2002年の投稿漢詩 第156作は 鴻洞楼 さんからの作品です。
 

作品番号 2002-156

  聴弦        

寂然残夏夜   寂然たる残夏の夜

独暱大提琴   独り暱(した)しむ 大提琴

幽窅安狂惑   幽窅 狂惑を安んず

宛如舞恵音   宛として恵音の舞うが如し

          (下平声「十二侵」の押韻)

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 この詩は、漢字表記に Unicord を用いています。
文字化けして変な記号が表示されたり、「 ・ 」となっていたり字数が合わない、など、
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<解説>

 夏も終わろうとする夜更けに、愛聴する弦楽器、とりわけチェロ(大提琴)を聴き、日々に流転し、落ち着かない心を慰撫されるような快感に浸る悦びの句です。
 さながら重低音で、無骨ながら優しい音が舞っているような感覚です。
 そのような胸中を賦してみました。

<感想>

 各句の構成から見ると、起句の「寂然」の内容が転句に示され、承句の内容が結句で繰り返されるということで、一般的な起承転結から言えば、承句と転句を交換した方が流れとしては落ち着くかもしれませんね。
 ただ、こうした流れによって重層的な展開が生まれているし、「大提琴」の音楽を感覚的にイメージするには面白いとも言えます。
 鴻洞楼さんが意識的になさったのでしょうが、五言絶句らしい躍動感のある詩となっていると思います。

 チェロというと、私はバッハ「無伴奏組曲」が好きですが、どちらかと言うと、冬の夜にじっくりと腰を据えて聞くことが多いようです。仰るように「重低音」に奏でられる旋律は、魅惑されるものがありますね。

2002.10. 3                 by junji





















 2002年の投稿漢詩 第157作は大阪府枚方市の 拓 さんからの初めての投稿作品です。
 いただいたお手紙を紹介しましょう。
 詩吟を習い始めて30年になります。詩吟ですから漢詩を読むわけですが、当然に自分でも作ってみたくなります。
 漢詩の作り方だけは覚えましたが、実作はなかなか難しく、出来た詩がどんなものかの見当もつきません。
 ここに公表する場があることを知り、勇気を出して投稿してみました。毎日投稿詩を見るのを楽しみにしています。


作品番号 2002-157

  熱闘甲子園        

連日炎氛虎闘声   連日の炎氛(えんふん) 虎闘の声

少年尽力覇図争   少年力を尽くす 覇図の争

去球児識秋来処   球児去って秋来る処を知る

涕涙一片再起盟   涕涙一片 再起を盟(ちか)

          (下平声「八庚」の押韻)

<解説>

 初めての投稿、しかも平仄を知っただけの初心者で、ぼちぼち漢詩つくりに励んでいますが、まだなにほどの数も出来ておりません。

 熱闘甲子園。読んですぐにわかる平易な漢詩です。毎年、甲子園が終わると、秋がちかいなあと感じます。

<感想>

 新しい方をまた迎えることができ、とてもうれしく思います。

 実はこの詩は八月の終わりにはいただいていたのですが、掲載が遅れてしまい、甲子園の熱気からは遠くなった頃に掲載と言うことで、申し訳なく思っています。
 八月からADSLを自宅に導入したのは良かったのですが、その結果デスクトップの古いパソコンでの処理があまりに遅くなってしまいました。しかも、メールがOutlook Expressでは送信できない、ノートパソコンとのLAN接続がとれない、とトラブルが続き(どなたか、解決策を教えて下さい!)、見失ったメールがいくつかあったようです。現在掲載できているのは九月初旬頃に送っていただいたものですが、もし「八月に送った筈だが・・・」という方がおられましたら、連絡をお願いします。

 さて、という言い訳をくどくどとしてまたまた申し訳ありません。詩の感想の方に行きましょう。

 平仄の点では、結句が上六字が全て仄声ですので、ここは直す必要があります。また、「涕涙」「片」と数えるのも不自然ですから、ここでは「一片」を平声の字に替えることを考えたらどうでしょうか。「何行」とか「滂沱」などが予想されるでしょうか。

 転句はよくできた句と思いますが、承句の「少年」「球児」が重複しますので、ここでは転句の上三字を何か他のもの、自然の景とか動植物などを持ってくると整うのではないでしょうか。

 結句の「再起盟」は、「盟」の字の用法に少し疑問がありますが(チームメートと力を合わせることを誓ったとすれば取れなくもないのですが)、文の構造から見て、書き下しを「再起の盟い」として名詞で止めた方が良いでしょう。

 起句承句は甲子園の雰囲気をよく伝えていますね。

2002.10. 3                 by junji





















 2002年の投稿漢詩 第158作も 拓 さんからの作品です。
 

作品番号 2002-158

  夏日口占        

流汗濕襟三伏天   流汗 襟(きん)を濕(うるお)す 三伏の天

驕陽爍石作湯泉   驕陽 石を爍(や)いて 湯泉となす

消閑最好長松下   消閑最も好し 長松の下(もと)

涼影満身聞乱蝉   涼影満身 乱蝉を聞く

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 今年も暑い夏でしたね。

    流れ落ちる汗が襟を濡らすような暑い夏の空である。
    ぎらぎらした太陽は地面の石を焼いて温泉のように溜まり水を熱くしている。
    暇つぶしに一番よいのは、大きな松の木の下で、
    体を涼しい木陰に置いて、蝉の鳴くのを聞くことだ。


<感想>

 「三伏」は以前にも書きましたが、日本で言えば七月下旬から八月上旬にかけての最も暑い時期を表す言葉ですね。特に今年のような四〇度に迫るような暑さの夏は、本当に耐え難いものでした。

 さんが承句で書かれた「驕陽爍石」は、全く実感を伴って納得できる表現です。ただ、「爍石」ということと、「作湯泉」は、石が溶けて液化したのかと思うような、飛躍のある組み合わせで、この比喩は分かりにくいと思います。

 転句からは問題点もなく、きれいにまとまっていると思いますので、承句の下三字だけが残念に感じました。

 平仄としては、四句とも平声で始まっています(平頭)ので、リズムが単調になるとして禁止する場合もあります。できれば避けて、仄声を入れてみると良いでしょう。

2002.10. 3                 by junji





















 2002年の投稿漢詩 第159作は 鴻洞楼 さんからの作品です。
 

作品番号 2002-159

  祝友誕辰      友の誕辰を祝す  

清眸潤髪麗容人   清眸 潤髪 麗容の人

恒固辱交慰此身   恒固の辱交 この身を慰む

聊贈素懐嘉慶賦   聊か贈る 素懐嘉慶の賦

秋天風月琢芳醇   秋天風月は芳醇を琢す

          (上平声「十一真」の押韻)

<解説>

 大切であり日々感謝している友の誕生日に、貧にして弱なる身ゆえにたいしたことはできませんが、せめて心をこめた一首賦して贈ろうと思いました。
 秋を経て歳月という風が美酒をさらに芳しいものにするように、人もそうあってほしいと思った次第です。

 [語釈]
 「誕辰」:誕生日  「辱交」:交わりをいただく

<感想>

 解説に書かれた言葉を読んで、鴻洞楼さんがこのお友達をどんなに大切になさっているかがよくわかります。「秋を経て歳月という風が美酒をさらに芳しいものにするように、人もそうあってほしい」というのは、本当に心に残る言葉です。
 詩の内容も相手への思いを込めた言葉が選んであり、贈る詩として不満のないものになっていますね。

 形式的なことで言うと、承句は四字目の「交」が仄字に挟まれた「孤平」になっています。この「四字目の孤平」は禁忌として許されないものですので、前後のどちらかを平字(三字目の方が望ましいですが)にした方が良いでしょう。

 もう一点は、四句とも初めの字が平字となっていますが、これは「平頭」として禁じられることもあります。起句承句のどちらか、転句結句のどちらかを仄字にして、平字と仄字のバランスがとれると良いと言われます。

2002.10. 3                 by junji





















 2002年の投稿漢詩 第160作は ニャース さんからの作品です。
 

作品番号 2002-160

  於濾盲人按摩院      濾の盲人按摩院に於いて  

施処針摩在浦東   針摩施す処 浦東にあり、

盲娘朴素笑顔紅   盲娘は朴素 笑顔紅し。

自身困境無時顧   自身の困境 顧みる時無くして、

為我操心右耳聾   我が為に 右耳の聾を操心する。

          (上平声「一東」の押韻)

<解説>

 久しぶりに上海、杭州、温州と江南に出張に行きました。
 南方はいま目の不自由な方に対して、社会参加の機会を設けることをかねて、按摩院での仕事を斡旋しているようです。私も上海(濾)の浦東でそういった場所に立ち寄りました。
 20代の女性が按摩をしてくれたのですが、非常に明るく、私の右耳が聞こえないのがわかると、「現在の進んだ医学なら治せるよ」なんて言って、励ましてくれました。
 なんか立場が逆のような気がしましたが、彼女たちの暖かさに感動しました。

 それにしても杭州の西湖でもなかなか詩ができず、自分の力量不足をまた痛感しております。

<感想>

 ニャースさんからは、「三峡に行った時の詩はまだか!」と私へのプレッシャーを与えられていますが、むむ、苦しいところです・・・
 詩の感想をさりげなく書いておいて、プレッシャーを避けましょう。

 転句の「無時顧」「顧みる時無し」と読むのに語順として可能でしょうか。
 結句の「操心」は、手元の辞書で確認をしても、「気持ち・志をしっかり持つという意味で、「持たせる」という用法は無いように思いますが、ニャースさんのこの詩では後者の意味ですよね。
 読み下しの最後を使役形にすると破綻はなくなるかもしれませんね。

2002.10. 4                 by junji





















 2002年の投稿漢詩 第161作は 真瑞庵 さんからの作品です。
 

作品番号 2002-161

  夏日雑詩       

江樹緑深翠靄繁   江樹 緑深ウシテ 翠靄繁ク

涼風颯颯入柴門   涼風 颯颯トシテ 柴門ニ入ル

簷鈴誘睡庭還静   簷鈴 睡ヲ誘ッテ 庭 還タ静カニ

野寺報時牖自昏   野寺 時ヲ報ジテ 牖 自ズカラ昏シ

三伏閑居稀客訪   三伏 閑居 客ノ訪レルコト稀ニ

一宵斜月繋茅軒   一宵 斜月 茅軒ニ繋ク

去春与友賞花蕋   去春 友ト 花蕋ヲ賞セシモ

今夏邀君対酒樽   今夏 君ヲ邀ヘテ 酒樽ニ対ス

          (上平声「十三元」の押韻)

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<解説>

 今年の夏の暑さはどうだったでしょう。例年に無い猛暑の一日こんな風に過ごしていました。
 9月中旬となり、朝夕に涼しさも感じられ、我が家の庭でも蟲の凛と澄んだ音色が聞かれるようになってきました。
 そろそろ秋の詩かなーと想っています。

<感想>

 「牖」は窓の壁をくり抜いた窓のことですね。

 今年の夏の暑さは例年以上に厳しかったようで、このホームページの投稿詩でも多くの方がそのことを詩にしていらっしゃいます。真瑞庵さんは、その暑さの中でもゆったりとして過ごされたようで、目の置き方、心の持ち方の大切さを感じます。

 首聯は、この二句だけでも季節感の深い、整った句になっていて、思わず詩に引き込まれるような仕上がり、私は早速ノートに書き写しましたが、印象深い聯だと思います。  尾聯の終結も「春」を持ってきて対比させ、創意が感じられるところですね。ただ、個人的な気持ちとしては、花見の時にもやはり「対酒樽」は不可欠ですよね。わざわざ夏と限定するとなると、ちょっと特殊なお酒なのかな?うーん、飲みたい!

2002.10. 4                 by junji





















 2002年の投稿漢詩 第162作は 鴻洞楼 さんからの作品です。
 

作品番号 2002-162

  思己卯長月紐育事変後      己卯長月紐育事変の後を思う  

砲声連禍乱   砲声は禍乱を連ね

甿隷斃荒途   甿隷は荒途に斃す

虚陋権強語   虚陋権強の語

安能更附塗   安んぞ能く更に塗(どろ)を附さん

          (上平声「七虞」の押韻)

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<解説>

 9月11日のテロから一年。
 犠牲者を追悼するとともに、「事変」ののちに行われたことを思い、特に「塗(戦力・特にアフガン侵攻)をもって塗(テロ行為)」に対処してきたと思っています。戦前の大本営発表のような美辞麗句と共に。
 そしてテロリストの壊滅からアフガン新国家建設やイラクへの威嚇と、大義名分を越えた目標のすり替えが行われています。
 その結果として無辜の民が承句のような状況を今なお呈していることに深い悲しみと憂慮を覚えています。
 その思いをなんとか一周年に間に合わせる為に何とか急ぎ作製し、御見苦しい点が数々あると思いますが、よろしく御添削くださりますようお願い致します。

 [語釈]
 「紐育」:ニューヨーク
 「甿隷」:流民
 「荒途」:荒れ果てた道ばた
 「更附塗」:「詩経」(小雅 角弓)より<毋如塗塗附・どろにどろをふするがごとくすることなかれ>をベースに。

<感想>

 9月11日はテレビで、ニューヨークからの追悼式典の模様が中継されていました。
 犠牲者の名前の読み上げから各国首脳の献花の様子を見ながら、丁度一年前の衝撃を思い返していました。そして、その後の一年間の世界の動きも併せて。

 鴻洞楼さんが解説で書かれたような思いは、おそらく世界の多くの人の共通のものだと思います。「目には目を、暴力には暴力を」という行為への不安、もっと言えばそうした前時代的な論理を克服するために積み上げてきた筈の人類の努力を一気にうち破ろうとする動きへの不安を誰もが心の中で感じています。
 涙を齧みこらえながら花を供える遺族の方々の姿に比べて、米大統領の気負いに満ちた演説の奇妙な軽さは、既に遺族の悲しみや怒りからは遊離したものになっているように私には感じられました。

 そうした思いを詩としてどう形にするのか、現実社会の姿を漢詩という(古い)器にどう盛りつけるの、私たちはそのことに取り組まなくてはいけないのだと思っています。

 鴻洞楼さんがこのテーマに取り組まれたことをのこの詩は、五言絶句という短い詩形の中に、よくこれだけの思いを入れられたと感心しています。「添削を」とのお言葉ですが、私の方ではこの詩に加えることは何もありません。

2002.10. 4                 by junji





















 2002年の投稿漢詩 第163作は 謝斧 さんからの作品です。
 

作品番号 2002-163

  書懐        

吾生五十更加三   吾生五十 更に三を加え

自撫頭顱何以堪   自ずから頭顱を撫でては 何を以ってか堪えん

少羨焦桐調郢曲   少しく羨む 焦桐の郢曲を調すを

空愁醇酒酌茅菴   空しく愁う 醇酒の 茅菴を酌むを

一身随懶心能適   一身 懶に随って 心能く適し

万事忘機意未甘   万事 機を忘れては 意未だ甘んぜず

嗟為稲粱難折腰   嗟らくは 稲粱の為に腰を折ることの難く

老来頑拙向誰談   老い来っては 頑拙 誰に向ってか談ぜん

          (下平声「十三覃」の押韻)

<解説>

人生五十年というがその三が(無駄に)過ぎ
過去を振り返って、自ずから頭を撫でては 堪えがたき心もち
少しく羨むは、艱難にも耐えて、時流に合せている、得意の人
空しく愁うは世の中に失望して、茅菴に老いるわたし
今の私は懶惰にも慣れてしまい、却って心は此の生活に適っています
万事 世の中の事をわすれたが 心は十分満足はしてません(少しは俗気もありま す)
口腹の為に頭を下げることが出来ない私を、自分自身恨めしくおもっています
こう言った私をだれが解ってくれることができますでしょうか


 [語釈]
 「頭顱」:頭
 「焦桐」:焦尾琴 蔡邕(サイヨウ)が人の焼いてる桐を請い受けて作った琴
 「郢曲」:流行歌 時流に合った歌
 「醇酒」
 
:醇酒を飲むのは、世の中に失望した人間 
    公子自知再毀廃 乃謝病不朝與賓客為長夜飲 飲醇酒 多近婦女  信陵伝 史記
 「稲粱」:稲粱謀 生活の糧
 「折腰」:人に頭を下げる 陶淵明


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<感想>

 私も今年、五十歳という年齢を迎え、何とも微妙な心持ちになりました。
 ここ数年の病気のこともあり、残りの人生の長さとかはあまり考えはしなかったのですが、「天命を知る」筈の年齢でありながら何もつかみ得ていない、という自分の状況に、謝斧さんの仰るような「一身随懶」を痛感し、なおかつ「心能適」こともできていないことを嘆かわしく思ったわけです。
 「折腰」とか「頑拙」などの言葉も身につまされるものがあります。

 陶淵明のように、「拙を守る」と胸を張るにはまだまだ世間との縁も深いし、かといって「節を曲げる」程には恥も捨てたくない。
 しかしながら、これを個人の性とは見ずに、(あるいは)性と見られるように、心を保って行かなくてはいけませんよね。

2002.10. 5                 by junji





















 2002年の投稿漢詩 第164作は 金先生 さんからの作品です。
 

作品番号 2002-164

  望郷観月        

不図異郷傷心月   図らずも異郷にて 傷心の月、

万里隔地消息稀   万里地を隔てれば 消息稀なり。

暗涙紛紛宵已半   暗涙紛紛 宵すでに半ば、

難知何日故園帰   いずれの日に故園に帰るか 知ること難し。

          (上平声「五微」の押韻)

<解説>

 仲秋の名月の頃ですが、古くは阿倍仲麻呂、少し前の歌謡曲「離別−イビョル−」、現代でも朝鮮半島の南北離散家族や拉致日本人など 「図らずも異郷にて月を観る」 人々に思いを寄せると、眺める月が曇ってしまうのは私だけでしょうか。

P.S 「横田めぐみ」さんと私は一才違い、「望郷の25年」は長いことでしょう。
 一日も早い帰国を望まずにはおられません。
「宵すでに半ば」というようにこれから夜明けに向けて進んでいってもらいたいです。

<感想>

 金先生の今回の投稿は、9月21日にいただきました。掲載が遅くなり、解説に書かれたことが報道と食い違って感じられるようになってしまいました。すみません。

 「望郷観月」という題材としては古来からのものですが、その中に、現代の問題を描かれた詩は、特に拉致事件を意識して読むと胸の痛みが抑えきれません。
 帰国された方々についての報道に毎日触れ、皆さんの顔を見る機会が多いのですが、異郷で不当に過ごされた長い年月、その上での故郷での笑顔、待ち続けた日本の家族の方々の怒りと喜びの涙、そして見ることもできませんが北朝鮮に残っている筈の皆さんの家族、色々なことが心の中で錯綜し、どう言葉で表したら良いのか分からない思いです。
 願うことは、関係した人々がこれ以上、国や政治の犠牲にならないように、それぞれの方にとっての最善の道を選択できる環境や状況を作り上げられるように、ということに尽きるように思っています。

 金先生が仰るように、「宵すでに半ば」ということで、夜明けが近いことを祈っています。

2002.10.28                 by junji





















 2002年の投稿漢詩 第165作は 西川介山 さんからの作品です。
 

作品番号 2002-165

  文天祥 其三        

   囚身 一二七六年

獄裡空知事已畢   獄裡空く知る事の已に畢るを

生為降虜逃無術   生きながら降虜と為って逃るるに術無し

國滅殊死忠義全   國滅び殊死して忠義全ったし

一輪孤窗照土室   一輪 孤窗より土室を照らす


江南此時尚有人   江南此の時 尚を人有り

懦楚孱斉烈士嗔   懦楚 孱斉に烈士嗔る

死守崖山何甘降   崖山を死守して 何ぞ降に甘んずく

可憐張陸貫天倫   憐む可し 張陸天倫を貫かん

   牽北 一二七六年

嗟将此身挽向北   嗟らくは此身を将って 挽かれて北に向かわん

斷腸誰人吹茄笛   斷腸す 誰が人か茄笛を吹かん

遺黎呑聲蹲路傍   遺黎は聲を呑みて 路傍に蹲まる

艱禍悵恨血涙瀝   艱禍 悵恨して 血涙瀝たる


烽火未絶空人烟   烽火未だ絶えず 人烟空し

独逢悲風自悽然   独り悲風に逢って自から悽然

忍見城市悉焼夷   忍くも見る 城市悉く焼夷

白骨累累平原填   白骨累累 平原を填む

   逃亡 一二七六年

空繋檻車鎮江至   空しく檻車に繋がれて鎮江に至り

窺釁逃身帆力快   釁を窺い身を逃て帆力快なり

一渡長江是他郷   一び長江を渡れば 是れ他郷なり

唯恐失機不成事   唯だ恐る 機を失えば事成らざるなり


遂逃江岸濡衣襟   遂に江岸に逃れては衣襟濡らし

朔風吹身憔悴深   朔風身を吹きて憔悴深し

一隊哨兵帶醉過   一隊の哨兵 醉を帶びて過ぎる

潜竄脅息馳夜陰   潜竄 脅息 夜陰を馳す


 [語釈]
 「忠義」:後漢臧洪伝
 「懦楚孱斉」:臆病な楚と弱い斉
 「張陸」:張世傑と陸秀夫
 「遺黎」:人民

<感想>

 文天祥の人生を時の流れを追って描かれた介山さんの詩は、まるで連載小説のような面白さを見せてきましたね。

 史実を押さえて一つ一つ感興を高めながら書かれる介山さんの努力に敬意を払いつつ、私は読者としてますます楽しませていただきたいと思っています。

2002.10.27                 by junji