作品番号 2001-106
三伏即事 倣随園先生 三伏即事 随園先生に倣う
褐衣蝉脱鎖柴門 褐衣蝉脱して 柴門を鎖す
午睡風涼特鼻褌 午睡 風は涼し 特鼻褌
陋巷驕人単逸楽 陋巷 人に驕るは 単り逸楽
当今無職似随園 当今 職の無きは 随園に似たるも
<解説>
私事ですが、小生7月一杯で退職し、浪人の身となりました。
浪人の夏と言えば、92番の詩で介山先生も引用されていましたが、どうしても袁枚の「銷夏詩」が頭に浮かびます。
古風に述べましたが、有り様は
蝉の抜殻のように脱ぎ捨て、誰も来ないようにドアに鍵をする。
パンツ一枚での昼寝、風が快い。
裏町住まいの身にとって、自慢できるのはポケッと何もしない気楽さだけ。
今のところ、無職であることだけは随園先生に似ているが、とてもあの豪奢な生活は真似出来ないし、一生引退する余裕はないのだけれど。
言葉足らずで、少し下品ではありますが。
<感想>
お勤め、長い間お疲れさまでした。
清の袁枚は40歳で退官し、美しい女弟子たちに囲まれ、美味しいものを満喫したそうですから、確かに「第一驕人六月天」の言葉もなるほどと思わせます。
でも、禿羊さんが仰るような「ポケッと何もしない気楽さ」は、日頃仕事に追われて走り続けている私たちには、何ものにもまさる贅沢でもあります。
承句の「特鼻褌」が、私にはよく分からないので、注釈をお願いします。
あと、私の感覚としては、起句の「褐衣」は粗末な衣服になりますので、承句の脱ぎ捨てた自由さの対比を出すには、やはり「衣冠」の方が落ち着くように思います。謙遜なさったのかもしれませんが、詩の効果としては、承句の面白さを生かしたいところです。
2001. 8.14 by junji
作品番号 2001-107
雨 滴
青雲破晴空 青雲破れ空は晴れ渡り
鳥飛消外界 鳥飛びて外界に消える
雨滴砕堅岩 雨滴堅岩を砕き
下河注大海 河を下りて大海に注ぐ
<解説>
雨の滴は団塊の自分なり
会社への夢破れて自分の心はすっきり、
希望してたことは遠くに消えてしまった。
雨の滴のごとくいかなる困難も克服してきたが
未練も捨てて会社を出て行くよ。
<感想>
お勤めの上での詳しい事情は分かりませんが、もう一度大海に出ていく決意、意欲が明朗な言葉と結びついて、力強さが感じられます。比喩もうまく処理されていると思います。
漢詩では、内容と用語とのバランスが重要で、弱々しい心情に雄大な言葉は合いませんし、逆も同じです。万遊家さんのこの詩は、そうした意味ではすっきりとしており、特に後半の二句は心情を良く表している佳句だと思います。
こうした感じで漢詩を作っていけば、面白い(良いという意味です)詩が今後沢山出来ていくと思います。
ただ、漢詩の場合には、形式・構成の上で留意することがいくつかあります。その辺りを述べますので、今後の参考にして下さい。
[句切れ]
漢詩の場合、五言の場合には、「二字・三字」というリズムがあります。簡単に言えば、二字目で意味が切れるということです。第一句を見ますと、「青雲破晴空」は、そのリズムで行きますと、「青雲 破晴空」となり、意味は「青雲は晴れた空を破る」となってしまいます。誤解を避けるためには、初めを「雲破(雲破れ)」というような形にしなくてはいけません。
[押韻]
形式の点では、この詩は五言なので、原則として韻は偶数句に踏みます。近体詩では平声で踏むことがほとんどですが、古詩では仄声で踏むことが多くあります。万遊家さんのこの詩の場合、去声の「界」と上声の「海」、古詩として通韻ということなのか、無理があると思います。
[平仄]
平仄という規則から見た場合も、平声を〇、仄声を●で表記しますと、この詩は
青雲破晴空 ○○●○○
鳥飛消外界 ●○○●●
雨滴砕堅岩 ●●●○○
下河注大海 ●○●●●
となっていますので、いくつか規則を破っています。第一句の「二四不同」、第一句第二句の「反法」ですが、詳しくは「目次」から「平仄のきまり」を見て下さい。
初めての作詩では漢詩の多くの規則を満足させるのは難しいと思いますし、そうした形式の上のことで詩興や意欲が消えてしまってはいけません。さしあたっては、押韻を踏むということを最低限の目安にして、作っていくのが良いと思います。
2001. 8.14 by junji
作品番号 2001-108
詠物体 詠芭蕉
炎威欲避有良方 炎威避んと欲して 良方有り
葉下披襟夏可忘 葉下襟を披いて 夏忘れる可し
緑扇自持千古色 緑扇自ら持す 千古の色
清陰又得十分涼 清陰又得たり 十分の涼
勿嗤藏鹿鄭人夢 嗤う勿れ鹿を藏す 鄭人の夢
緬想書蕉懐素狂 緬想蕉に書す 懐素の狂
往事難尋都是幻 往事尋ね難く 都(すべ)て是れ幻
幾回移座送斜陽 幾回か座を移して 斜陽を送らん
<解説>
漢詩の詩形で一番作るのに難しいのは、五言の長律と、七言律詩と思っています。とくに七言の対句は難しいようです。
山陽風雅社で、七言律詩ばかりを作り続けている人の詩を読むことがあります。
その人たちは、作詩経験が長いので、修辞的には大変上手なのですが、殆どの人は片方の句を作ってから、それに合わせて、句を作るようなやり方に思えます。確かに対句には齟齬がありませんが、合掌対になっています。また、形式に拘束されて、殆どの詩は、平板でつまらない内容のものでした。
私は七言律詩はあまり作ってはいません。五十あるかなしかです。今まで納得した作品はありません。作っても、捨ててしまうことがあります。
特に七言律詩の詠物体は難しく、このホームページの投稿詩の中でも、曾て西川介山が投稿した、「詠枇杷」は佳作の出来、また、真瑞庵先生の「村居雑賦」もなかなかの出来でした。それ以外には我々読者に感興を起こすような詩は投稿されていないと感じています。
今回紹介する長岡瀬風先生は、安定して七言律詩を作れる漢詩作家です。皆様方の作詩の参考になればと紹介いたしました。
[語釈]
「鄭人夢」:
人間の得失が夢の様にはかない譬え。
昔、鄭の人が鹿を殺して芭蕉の葉を蔽っておいたが、その場所を忘れて他人に取り去られ、
此れを夢としてあきらめた故事。
「懐素」:
唐の高僧 彼は家が貧しく芭蕉万株を植えてその葉を紙の代わりにして字を書いた。
<感想>
私個人としては、五律も難しく、人に見せられるような作はちっともできません。ましてや、詠物の七律ということになると、もう別の世界ですね。
瀬風さんの詩を読みますと、首聯から惹きつける説得力があり、対句の部分もスリリングというか、緊張感があります。漢詩の魅力のひとつに、形式の美しさ、様式美があるわけですが、優れた律詩はまさにその面白さを満喫させてくれます。
第六句の「緬想」は、「はるか遠くを想う」という意味ですから、きれいな対句ですね。
尾聯の第七句、「往事難尋都是幻」は、前聯を受けてのことでしょうか。「往事」=「幻」ということで、どんなことを言いたいのかが私にはつかめませんでした。
2001. 8.14 by junji
作品番号 2001-109
臆君 君を臆す
独座空堂静寂深 独り座す空堂、静寂深く、
自何処聞君好吟 何処よりか聞こえるは君が好みし吟(うた)い。
一年連席相交意 一年席連ね相い意を交わせしが、
不能伝君我秘心 君に伝うる能はず 我が秘めたる心。
愛息又齢重 愛息もまた齢(よわい)重ね、
我同誰連襟 我と同じく誰と 襟を連ねるか。
<解説>
中学の時のクラスメイトを思っての詩です。
図書委員として一年間ずっと一緒で、委員会のことなどいろいろ話し合っていました。しかし、一番彼女に伝えたかった想いはとうとう伝えられなかった・・・。
彼女の息子も今年は中学校にあがったとのこと、「青春の想い」はもうすでに、私たちの次の世代へと移っていっているのが、不思議な気持ちでもあります。
・はじめは七言古詩にしようと思いましたが、何か舌足らずのようだったので、懐古編と現在編をわけるつもりでつけてみました。
[訳]
誰もいない部屋に一人座れば 恐ろしいほどの静けさ、
どこからか微かに聞こえてくるのは あの人がよく口ずさんでいた歌。
一年の間ずっと近くの席で いろいろな事を語り合ったけれど、
私の秘めていた気持ちはとうとう伝えることができなかった。
あなたの息子も(あのころの私たちと)同じ年頃になり
(あのころの)私のように だれと襟を並べているのでしょうか?
<感想>
金先生、お久しぶりですね。今回の詩も、「お、金先生ワールドだ!」っという感じで、楽しく読みました。
青春の一時の思いは、誰にでも共感を得るもの。だからこそ、詩にした場合には表現が大切になると思います。
つまり、例えば「初恋」という素材が与えられれば、皆それぞれの思いを胸裏に浮かばせるわけです。言いかえれば、素材、あるいは題名だけでも十分詩興が湧いている。それを詩にする場合に、どう個性を出すか、同じ初恋の想いだとしても自分の想いはどうなのか、その独自性の表出が大切になります。
逆の方向としては、出来るだけ万人共通の気持ちに徹して、誰にでも通用する内容、つまり普遍性を求めることです。ただ、こちらの場合には、納得はするけれど面白くもないという結果になるおそれもあります。
今回の場合、金先生がどこに工夫をしたのか、考えてみました。一番の特徴は、子供の現在を入れて、過去とつなげたところでしょうね。そのことによって、金先生の個人的な経験が普遍性をもったことになります。それを、七言と五言の違いでうまく表したといえます。
ただ、用語としては直截的な言葉が多く、雑な印象です。詩として人に訴えるものがあるということではなく、発想や構成で成り立っていると言えます。
もう一工夫、言葉を練ってみると、散文的な粗さから脱して、伝えるものの多い詩になると思いますよ。
2001. 8.15 by junji
作品番号 2001-110
雨日閑居雑詩
雨後江村景杳茫 雨後ノ江村 景杳茫
茅檐閑寂日徒長 茅檐 閑寂トシテ 日 徒ニ長シ
恨無来客空傾盞 来客ノ無キヲ恨ンデ 空シク盞ヲ傾ケルモ
悔少醇醪独断腸 醇醪ノ少キヲ悔ヤンデ 独リ断腸
酔識淵明塵外興 酔ウテ識ル 淵明 塵外ノ興
醒知子美世途傷 醒メテ知ル 子美 世途ノ傷
老身猶止俗埃裡 老身 猶止マル 俗埃ノ裡
半夜蕭然坐燭光 半夜 蕭然 燭光ニ坐ス
<解説>
少し前 梅雨時の長雨に釣行もままならず、なんとなく物足りない気分を晴らしてみようと作詩に取り掛かりましたが、出来あがつた作品は更に気を滅入らせてしまいました。
<感想>
真瑞庵さんの投稿もお久しぶりですね。
謝斧さんも仰ってましたが、真瑞庵さんの詩を楽しみにしていると言う方が多くいらっしゃいます。私も勿論その一人ですが、是非ともよろしくお願いします。
私の方で少し語の意味を補っておきましょう。
「醇醪(じゅんろう)」は、上等の酒、「塵外」は世俗(塵世)を離れていること、「世途」は世を渡ることですね。
雨の日の田園生活、ゆったりと流れる時間が首聯でよく出ていると思います。頷聯、頸聯の対句も心情をよく表していますが、特に頸聯は面白く感じます。頷聯も良いのですが、「断腸」が、ここでは気持ちが強すぎる気がします。句の内容から言えば、「酒が足りない」を受けた言葉ですので、「ちぇっ、残念だ」くらいの軽いものではないでしょうか。「腸を断つ」ほど悲しがっては、ちょっとおおげさ過ぎませんか?
収束も余韻を残していて、「気を滅入らせてしま」うなんてとんでもない、良い詩だと思います。
2001. 8.15 by junji
作品番号 2001-111
阿麻和利
索隠英魂上古城 索隠 英魂 古城に上る
松風慨世貴妃情 松風 慨世 貴妃の情
孤高殿閣没容樹 孤高の殿閣 容樹に没すれど
詠史称揚知将名 詠史は称揚す 知将の名を
<解説>
1400年代,琉球の戦国時代に阿麻和利(アマワリ)という豪族が勝連という所を治めていた。知者で知られ、海外貿易で富を築いていた。時の琉球王、尚泰久さえも彼を恐れ、その王女と政略結婚をさせて懐柔をしていた。が、戦国時代の悲しさ,後にその王によって滅ぼされた。
おもろ双紙という詠史はその阿麻和利の築いた繁栄を鎌倉の栄華に例えて賞賛している。
その居城であった勝連城址は平成12年12月、首里城やその他の史跡とともに世界遺産として認められた。今その城跡の修復をしているところである。
詩吟をかじっているうちに漢詩に興味を持ち始め、上記のような漢詩を作りました。
作り始めて,まだ数ヶ月ですが,はじめは漢詩の作法も分からず惑うばかりでした。漢詩の体をなしているでしょうか。
他に幾首かありますが,先生のご指導を仰ぎたく、まず上記の一首を投稿いたしました。よろしくお願いいたします。
<感想>
漢詩としての体をなしているか?とのご質問ですが、形式面での平仄・押韻など、全く問題ありません。
強いて言えば、起句の「英」が下平声八庚に属する字ですので、脚韻以外に韻字を置くという「冒韻」ということになります。しかし、「冒韻」は許容される場合も多く、このままでも良いでしょう。ただ、ここまで平仄なども理解なさっておられるようですから、漢詩創作の練習という意味では、やや制限を厳しくして行く方が良いでしょう。
内容としては、歴史を踏まえながら懐古の情がよく表れていると思います。
分かりにくい所としては、起句の読み下しで、「索隠 英魂 古城に上る」とありますが、このままでは、「英魂」が「古城に上」ったと読めます。「英魂を索隠して 古城に上る」などの読みの方が誤解が少ないでしょう。
こうした、地域に根ざした文学活動は大切なものだと思っています。優劣ということでは勿論ありませんが、旅行者が創るものとは込められた思いに大きな違いがあります。そこに住んでいる人でなければ詠えない感慨を是非詩として書き上げて下さい。
次作も楽しみにしています。
2001. 8.15 by junji
作品番号 2001-112
偶作
冬雲映水浮櫻影, 冬雲水に映じて櫻影を浮かべ,
夏雨洗天迎月光。 夏雨天を洗って月光を迎える。
吟句春秋人易老, 句を吟ずる春秋、人は老い易く,
但知山河却風霜。 ただ知る山河の風霜を却(しりぞ)けるを。
<解説>
さる漢詩のコンクールに応募しようと思い作りましたが、数人の選者に読んでいただくよりもみなさんに読んでいただきたく、鈴木先生のお手を煩わせました。先生のおかげでそういうことができる、とてもありがたいことです。改めてお礼申しあげます。
さて拙作のテーマは「自然」です。ただし、われわれの自然と融合したいという思いをやさしく受け入れてくれる「自然」ではありません。
起句承句は自然の四季の美しい移ろいを表現したつもりです。しかし、その移ろいやすい情景を詩にしようとすると、小生の場合、自分がますます老け込んでいくのを感じます。転句はそういう主旨です。もっとも、詩を書かなくても、人は老け込んでいく宿命にありますが。。。
結句は、そういう思いのなかで改めて「自然」に向き合ったものです。「自然」は小生の思いなどにはまったくお構いなし。「却風霜」は、自然自身がいつまでも「風霜」をしりぞけて変わることなく存在し続けるという意味で書きましたが、老いていく「わたし」の風霜を厳然としりぞけるという意味も篭めたつもりです。
いささかみなさんの自然観とは異なるかとも思いますが、俗人の眼に映る自然がいかなるものか、ご推察いただければ幸いです。
<感想>
自然から優しさを感じるか、あるいは自然の厳しさを見るか、人それぞれ、時により観点はさまざまとは思います。鮟鱇さんが今回の詩で視点を置いたのは、そんな人間の感情など突き放す、冷厳な自然の姿ですね。
そこに人間の老いを重ねることで、自然の悠久さを導く。この詩を読みながら、色々なことを考えました。
先週私は南信州の山村に温泉治療に一週間ほど出かけました。そこは古代に「東山道」が通っていた地域でしたが、杉に覆われた千年前の古道を踏みながら、自然と人間の永い営みを考えました。と言っても、そんなに高尚なことではなく、単純に「こんな山また山の場所に、誰がどうやって道を作ったんだろう?」という疑問だったのです。
航空測量も勿論なく、土木機械もないのに、京都から東北までの道筋をどう決めたのでしょう?海岸沿いの道ならば分からないでもない、とにかく波打ち際を進めば良いでしょう、でも山の中、間違えたらどこに行くかもわからないのに・・・・などと、結構真剣に悩んでたんです。
で、たどり着いた結論は、永い時をかけての試行錯誤の結果だろう、というこれまた単純なものでしたが、でも、私はその時、ふっと人間と自然との何千年にも渡る営みを見たように思いました。親が山を一つ越え、子供がその先ひとつ山越え、更に孫が一つ越え、そんなことを繰り返しながら、何百キロもの道が生まれる。
その時、自然は優しかったのでしょうか、厳しかったのでしょうか?ただ思うことは、親が拓いた道を何世代もの子孫たちが踏みしめ踏みしめ先に進んだだろうこと、老いとは先駆者の称号ではないかということ。
鮟鱇さんをはじめ皆さんの先達があって、私も漢詩の道をようやくの思いで歩いています。
2001. 8.15 by junji
作品番号 2001-113
詠史 其三 嗤林彪 林彪を嗤(あざけ)る
林彪父子抑何謀 林彪父子(おやこ) 抑(そ)も何をか謀る
朔北煙消帰雁愁 朔北 煙消えて 帰雁 愁う
抜一毛而利天下 一毛を抜いて 天下を利せんとするも
事違野望似浮 事違(たが)って野望 浮に似る
<解説>
林彪のクーデターの真意は勿論、解っていません。又、永久に謎でしょう。
しかし、彼が成功していたら、そのスローガンは必ずや、「抜一毛而利天下」であったでしょう。
そう思って書きました。
[語釈]
「朔北煙消」:
林彪はソ連へ亡命途上、乗ったトライデント機が外モンゴルのウンデルハン近郊に墜落炎上。その煙の消えた今は、只南帰の雁だけが悲しみ愁えている。の意
「抜一毛而」:
戦国の思想家、楊朱の主張 「抜一毛而利天下不爲」を逆手にとり、毛主席一人を除いて天下を利そうとした の意味
作品番号 2001-114
詠史 其四 毛沢東
洪武劉邦毛沢東 洪武 劉邦 毛沢東
布衣興国是英雄 布衣にして國を興す 是れ英雄
中原獲鹿功臣滅 中原に鹿を獲て功臣滅す
文革空思韓李公 文革に空しく思う 韓李公
<解説>
古来中国で農民出身で天下を取った皇帝は劉邦と朱元璋の二人です。毛沢東は此等のOld Emperorとは異なりますが矢張り皇帝と云って差し支えないと思います。ソールズベリーも毛沢東をNew Emperorと呼びました。
ところで、高祖も朱元璋も天下を平定してから、建国の功臣を片っ端から誅殺しています(朱元璋は特に酷い)。
譜代の家臣を持たない両者にとって、建国の功臣は元来、革命の同志でした。
劉少奇、彭徳懐等の運命を思うと、「狡兎死、良狗享。敵国破、謀臣亡」と嘆いた韓信の悲劇が重なってなりません。
貴族出で天下を取った皇帝達(秦、東漢、隋、唐、宋)は無闇と功臣を誅殺していない点を考えると、興味深いです。
転句は、謀臣も考えましたが、少しニュアンスが違うと思い、冒韻にして仕舞いました。
[語釈]
「洪 武」:明の太祖、洪武帝(朱元璋)のこと
「文 革」:文化大革命のこと
「韓李公」:股くぐりで有名な淮陰侯韓信と明の李善長のこと。共に建国の功臣。
作品番号 2001-115
詠史 其五 煬帝
太宗楊広似双児 太宗と楊広は双児(ふたご)に似る
共斃長兄帝王為 共に長兄を斃して帝王為(た)り
能使少年行止継 能く少(わか)き年の行止をして継がしむれば
不教玉璽向唐移 玉璽をして唐に移さざらましを
<解説>
煬帝は亡国の暗君と一般には考えられています。確かに、暴君ではありましたが、原百代さんが"武則天"に書いておられる様に、名君の誉れ高い唐の太宗と双子の様に似ています。
共に武勇に優れ、文にも秀で、政治的なセンスも優秀でした。また、二人とも次男に生まれ、兄を殺して帝位に就いた所までそっくりです。
煬帝は父の始めた試験による官吏登用を推進して科挙の基を作り、大運河を開いて後の中国発展の礎を築きました。此は彼の政治的センスが優れていたことの証左です。
只、驕りから民衆の怨嗟を顧みず外征を強行し、奢侈に耽って遂に亡国の君主と成り、後世の批判を浴びましたが、暗君ではありませんでした。
皇子の頃は、大変禁欲的で倹約だったと云いますから、三国呉の後主孫皓が烏程候の時代は才識明断の誉れ高く、衰呉の救世主と期待されながら国王となった途端、暴虐になったのと似ています。もう少し後まで、その演技が続けられなかったかと思うのは私だけでしょうか。
尚、転句、結句は王昌齢『出塞』から(但使・・・・・/不教・・・・・)を借りました。
[語釈]
「太宗」:唐の李世民のこと。
「楊広」:隋の煬帝のこと。"帝"の重出を避けて名前にしました。
<感想>
Y.Tさんからの「詠史」を三首まとめて読ませていただきました。詩もさることながら、解説の面白さに感激です。
歴史上の事件や人物を題材にした場合には、客観的事実の中からどう独自の読み方をするか、が詩の面白さにつながります。前回の「孟嘗君」もそうでしたが、通念を破られる快感がありますよね。
「其四」の冒韻は気になりません。
皆さんの感想もお聞かせ下さい。
2001. 8.23 by junji
作品番号 2001-116
散歩
鮮鯉汕汕泳 鮮鯉汕汕として泳ぎ
鴛鴦窈窕浮 鴛鴦窈窕として浮かぶ
水湯湯満滸 水は湯湯として滸に満ち
陽晃晃輝舟 陽は晃晃として舟を輝(て)らす
鳥入桑蔭憩 鳥は桑蔭に入りて憩い
人眠木下休 人は木下に眠りて休む
蝉鳴深夏感 蝉鳴いて夏の感を深くし
心爽溽風瀏 心爽やかに溽風も瀏し
<解説>
律詩は初めての試みなので、まだよく解りませんが一応作ってみました。
対句がどうも難しいです・・・
昨日の昼、散歩に行ってきました。
昼に散歩に行くと熱中症になるかもしれない、と言う慮りは、まったくありませんでした。
幸い、熱中症にはなりませんでしたが。
暑いのでしょう、本当に、公園のベンチでおじさんが寝ている風をよく見ます。
オシドリは、遠くから見たのでよく解りませんが、もしかしたら違う鳥だったかもしれません。
[語釈]
「汕汕」:魚が泳ぐ様子
「窈窕」:しとやかな様子
「湯湯」:水が満ちあふれる様子(ショウショウと読む、韻は陽です)
「 舟 」:ここではボートのこと
「溽風」:蒸し暑い風
<感想>
律詩に挑戦、ということで、読ませていただきました。
十代前半の徐庶さんがこのような五律を創るということに、多分多くの方は驚かれると思います。
数年前の資料になりますが、中学校での漢文教材について調べる機会がありました。そのまとめたのは、以下の文章です。
私の手元に、今中学での国語の教科書が三年間分ある。これは現在の高校一年生が実際に使用していたものであるが、中学校では漢文はどの程度教えられているのか、教科書での扱いから眺めてみると次のようであった。
一年生では故事成語を学習する。「推敲」「矛盾」の二語について、書き下し文と口語訳が載せられ、言葉の成り立ちの背景に興味を持たせるという目標であろう。
二年生では漢詩が載せられている。原文が併記されているが、基本的には書き下し文を読み、石川忠久氏の解説文と共に鑑賞をする。作品は、「春暁」(孟浩然)「絶句」(杜甫)「黄鶴楼送孟浩然之広陵」(李白)と、日本漢詩一編である。
三年生では『論語』から四編が載せられており、口語訳・解説文共に省かれているが、返り点の規則などは書かれてはいない。漢文独特の言い回しなどに慣れることと、思想やものの捉え方に触れることが主眼である。以上の教材展開については、機会があり中学校の先生方から私が直接伺った内容でもある。
現行の中学校学習指導要領における「国語」の部分を読んでも、古典の指導に関しては次のようになっている。
b.古典の指導に関して
まとめて見ると、中学での漢文学習は、概略理解と漢文訓読体に慣れさせることが目的であると言えよう。
古典の指導については、古典としての古文や漢文を理解する基礎を養い古典に親しむ態度を育てるとともに、我が国の文化や伝統について関心を深めるようにすること。その教材としては、古典に関心を持たせるように書いた文章、易しい文語文や格言・故事成語、親しみやすい古典の文章などを生徒の発達段階に即して適宜用いるようにすること。尚、指導に当たっては、音読などを通して文章の内容や優れた表現を味わうことができるようにすること。
(中学校学習指導要領「国語」より抜粋)
私の勤務している高校が毎年発行している職員の研究紀要に四年前に書いた文章からの引用ですが、中学校での漢文の授業の大体の様子が分かります。返り点などの訓読のきまりや、漢文の文法や句法を学ぶのは高校生になってからのことになります。
そういう点から見ると、徐庶さんがこうして五律を創ったということは全くもって驚き以外にないことですね。
詩の感想ですが、形式的なことから言いますと、頷聯の「水湯湯満滸」と「陽晃晃輝舟」はどちらも句の切れ目が「3字+2字」となっていて、不自然です。「2字+3字」の形になれば安定しますし、その後の頸聯の文構造との対応も良いと思います。
今のままでは「陽は晃 晃と舟を輝らし」と読んでしまいますから、せめて「晃晃として 陽は舟を輝らし」と読めるように、「晃晃陽輝舟」と入れ替えるなどしましょう。
内容としては、第一句の「汕汕」は「泳いでいる様」を表す言葉ですが、どのように泳いでいるのかは伝えてくれません。つまり、五字目の「泳」と重複です。また、対の関係では、第二句の「窈窕」の意味は「しとやかに」ということですから、どのように浮かんでいるのかを表した言葉です。つまり似てはいるのですが、この二語は対応としては異なるものです。結果として首聯の内容がぼんやりとしたものになっています。
「汕汕」は『詩経』から見つけられたか、辞書で見つけられたかだと思いますが、あまり用例も多くありませんし、どのように泳いだかを表す言葉にした方が良いでしょう。
全体的に二字の畳語が多く、却って意味が分かりにくくなっているように思います。徐庶さんの言葉で表現しても良いのではないでしょうか。
また、律詩については対句などの点でも難しい形式です。表現や用語を磨くには、七言絶句がやはり一番有効です。徐庶さんの挑戦意欲・向上心は素晴らしいと思いますが、だからこそ今は七絶に集中した方が結果としては良いと思います。
2001. 8.30 by junji
作品番号 2001-117
謝斧冗子老猶痴
謝斧冗子老猶痴 斧を謝せし冗子 老いて猶ほ痴
怪我顛狂欲蹙眉 我が顛狂なるを怪みて 眉を蹙ませんとす
一笑不然聊爾耳 一笑然らず 聊か爾するのみ
悔将頑質了生涯 悔ゆらくは、頑質を将って、生涯を了せん
<解説>
以前作ったものです。「犢鼻褌」を用いた詩がありましたので、私も投稿しました。「聊爾耳」は実は蘇東坡の詩を読んで、流用しました。
「犢鼻褌」と云う詩句を使えば、阮歩兵の故事が思い浮かぶのは、必然的です。読者も、これを踏まえて読みます。禿羊先生の詩は犢鼻褌を使用することにより言外の意味(詩人も阮歩兵と同様に少しく、未能免俗の心境がある)が読者に伝わってきます。故事を使わないと、こういった複雑な心境を叙述出来ないと思います。
[語釈]
「聊爾耳」:長竿挂大布犢鼻褌於中庭。人或怪之。答曰、「未能免俗聊復爾耳」 「阮歩兵 晋書 世説新語」
[訳]
斧も入れられない、世の中に何の役にも立たない私は、老いてますます愚かになっています。
こんな私を見ては、世間の人は、眉を顰めることでしょう。
でも、わざとそうなったわけではありません。ただ自然とそうなってしまったのです。
ただ、悔いるのは、頑な我が性格をして、一生を誤ったのが残念です。
<感想>
第106作の禿羊さんの 「三伏即事」に謝斧さんも感想を寄せて下さったのですが、「犢鼻褌」に関連の作として読ませていただきました。
阮歩兵の故事を踏まえて読んでいくと、この詩も「まだ世俗の風から逃れることができない」という心情を背景に持つわけですね。
阮歩兵、一般には「竹林の七賢」の阮籍の方がよく呼ばれるでしょうが、世人の常識を超越した行動で有名な人物ですね。
「犢鼻褌」の言葉は、『世説新語』では「任誕篇」の第10話に載っている話でした。
七月になって阮籍の近くに住んでいた親戚が衣類の虫干しをしたそうです。皆金持ちで高価な布ばかり干してあったのですが、それを見て一緒にいた阮仲容(阮籍の兄の子)が「犢鼻褌」を長い竿に掛けて干しました。人にその理由を聞かれて答えたのが、謝斧さんが註で引用なさった所です。
「世間のならわしから逃れるわけにもゆかぬので、ちょっとそうしてみただけだよ」と言うのが、明治書院の新釈漢文大系の訳になってます。
それにしても、「老猶痴」は現代では適した表現ではありませんね。「老猶智(知)」がこれからの時代にふさわしいでしょう。
2001. 9. 2 by junji
詩吟をやっている関係で漢詩とはおなじみですが、人前に自作の詩を発表するのは初めてであり、又そういう機会もありませんでした。
このホームページに出会えて、大変うれしく思いました。
作品番号 2001-118
処暑郊外
樹陰閑坐一望平 樹陰閑坐すれば 一望平らかなり
落日村郊古寺横 落日の村郊 古寺横たわり
雖暑未衰檐鉄動 暑未だ衰えずと雖も 檐鉄動き
暮雲十里已秋声 暮雲十里 已に秋声
<解説>
始めて投稿いたします。(実作は10首ほど)。
詩吟を二十五年程やっていますので、概ね漢詩の規則は理解出来るのですが、実作となると別物です。これで一応漢詩の体をなしているのかどうかご教授ください。
特に転句で虚字を使ってみましたので怪しい限りです。
私の住んでいる団地の裏山の丘陵に登ると禅寺があり、金剛山、葛城山が見渡せます。残暑厳しい中にも暮れなずむ空と吹く風は秋の気配が十分でした。
<感想>
詩吟で漢詩に接してこられた方は、必然的に和漢の名詩に日常的に触れておられるからでしょう、用語や語順なども無理がなく、しっかりした詩をお作りになります。咆泉さんのこの詩も、初秋の趣を十分に出して、読みやすい詩です。
遠景近景という観点から起承転結の構成を眺めますと、承句は遠、転句は近、結句は遠となります。そして起句が近景と遠景を両方持つ句になります。展開の上からは、起句と承句の内容を逆にすると、転句への流れも出来て、滑らかな作になると思います。
転句は「雖」の位置が落ち着かないと思います。内容から見ても、ここは「暑気雖衰(暑気衰えたりと雖も)」とした方が良いでしょう。
結句の「暮雲十里」の「十里」は、唐の単位では現代の5キロメートル程になります。視界で言えば両手でかかえられる程の広さ、それは秋声を感ずるには手頃な広さでもありますね。
2001. 9. 2 by junji
以前から興味を持っていた「漢詩」、自分には到底無理とあきらめていました。とのことです。
私は、太極拳をやっており、中国の友人と話をしている中で是非、漢詩を作って見たいと思っていました。
この、ホームページに出会い励まされて、浅学を省みず作詩にチャレンジしました。添削していただけるのではと密かに期待しつつお送りします。
作品番号 2001-119
残雨後
煎茶別後意悠然 茶を煎じ、別後も意悠然たり
今日貧交似去年 今日の貧交、去年に似たり
知君銀河残雨後 君は知る、銀河は残雨の後
秋声人坐夜窓前 秋声、一人坐す、夜窓の前
<解説>
ふとした事から、友人と心が通わなくなり
共にしていた仕事をやめてしまう。
久しぶりに会い、茶を振舞う友。
寂しさを感じる自分とは対照的に友は悠然としている。
時間が経てば、友好は戻ると信じているのか。
一人坐して、窓から夜空を仰ぎ、寂しさが身にしみている。
<感想>
解説を読んでから詩を見ますと、羅夢山さんの表現の工夫などがよく分かりますが、詩だけで伝わるかと言うと難しいと思います。
「別後」はここでの「心が通わなくなった」というような、つまり疎遠になったという精神的な別れのことではなく、別々の土地に別れて行くという、物理的・肉体的な別れのことを指します。ですから、遠くにいるはずの友人の心を「別後意悠然」とは言えないわけで、意味としては自分の心のことと読んでしまいます。「再会」でなくてはおかしいですね。
承句は意図が分かりにくいですね。去年も「貧交」だったということでしょうか。
転句の「残雨」が、羅夢山の工夫されたところで、友との寂しい時間をも感じさせる比喩で、面白いと思います。対比として使った「銀河」が適当だったかどうか、こちらは疑問が残ります。
平仄の面でも、転句は二字目の「君」は平韻ですので、ここは仄韻の字に直すべきですね。
結句は、三字目の「人」は「独」の間違いでしょうか。
この句は、「夜窓前」に対して、「秋声」と「独坐」がどちらも掛かっていく、という二重構造の句になっていて、とても余韻深く、良い句だと思います。
ここからスタートということで、推敲を重ねられれば、詩として破綻がなくなっていくと思います。
2001. 9. 2 by junji
作品番号 2001-120
乙鳥夢
沼池如盞酒 沼池盞酒の如く
阡陌似棋盤 阡陌棋盤に似る
霾影飛其上 霾影其の上を飛び
高行越鳳鸞 高く行くこと鳳鸞を越す
<解説>
何となく浮かんだ詩に手を加えました。
「鳳鸞を越す」は、大袈裟な気もしますが、上手く句が作れなかったのでそのままにしてあります。
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<感想>
五言の絶句は字数も少ないため、話の流れの飛躍も大きくなりますが、その分スケールの大きな詩が出来上がります。作者の感覚がそのまま出るとも言えるでしょうか。
そういう意味では、五言絶句はとても面白い詩も多いし、逆に読者にはよく分からない詩も多くなります。徐庶さんの今回の詩は、起句承句の対句も発想が楽しく、語句にもスピード感があり、成功している詩だと思います。
ただ、転句の「其上」は指示する所も分かりにくいですから、指示語を避けた方が良いでしょう。また、結句の「高行」は日本語のままですから、もう一工夫したいところですね。「飛揚」あたりでどうでしょうか。
2001. 9. 4 by junji