2013年の投稿詩 第211作は 鮟鱇 さんからの作品です。

作品番号 2013-211

  水仙子・七 夕 其二        

秋蝉飲露午時鳴,   秋蝉 露を飲んで午時に鳴き,

酒客沽醪日暮傾。   酒客 醪を沽(か)って日暮に傾く。

牛郎却老中宵醒,   牛郎 老いを却(しりぞ)けて中宵に醒め,

浮舟銀漢明。       舟を浮かぶ 銀漢の明るきに。

   ○              ○

問君含笑逢迎。     問ふ君 笑みを含んで逢迎す。

同香夢,          香夢を同(とも)にし,

悵曉星,          悵むは曉星,

新旭將昇。         新旭 將に昇らんとするを。

          (中華新韵十一庚声の押韻)



<解説>

 七夕については「踏莎行」でも詠んでいますが、同じ詩題を「水仙子」でも詠んでみたものです。
 「水仙子」の魅力は、前段二句を對仗に作るだけでなく、次の句も對句にして鼎仗にできることです。

「水仙子」の詞譜は次のとおりです。

 水仙子 詞譜・雙調42字
  △○▲●●○平,▲●○○●●平。△○▲●○○仄協△○▲●平。
  ▲○▲●○平。○○仄協●●平,△●○平。
    平:平声の押韻。仄協:韻字と同韵の仄声をあてる。
    ○:平声。●:仄声。△:応平可仄。▲応仄可平。

<感想>

 前段は、「秋蝉」「酒客」(私)を対比させておいて、三番目の登場人物の「牛郎」も仲間に入れた発想が面白いですね。
 三つの句が対等の関係で並び、詞ならではの構成が、舞台を巧みに作り上げていると思います。

 後段は一気に恋愛モードに入り、悶えるような悩ましさが短い句でよく出ていますね。



2013. 8. 2                  by 桐山人
























 2013年の投稿詩 第212作は 鮟鱇 さんからの作品です。

作品番号 2013-212

  鵲橋仙・七 夕 其三        

牛郎却老,         牛郎 老いを却(しりぞ)け,

天河浮舸,         天河に舸(ふね)を浮かべ,

將渡乘風破浪。     將に渡らんとして風に乘り浪を破る。

眼前暗闇雨瀟瀟,   眼前の暗闇に 雨 瀟瀟として,

思戀戀、花容堪賞。  戀戀として思ふ、花容の賞(め)づるに堪へたるを。

   ○               ○

沙濱織女,         沙濱(すなはま)の織女,

永恒姿體,         永恒(永遠)の姿體,

打傘迎人颯爽。     傘をさして人の颯爽たるを迎ふ。

盲龜浮木已椿年,   盲龜の浮木というも すでに椿年,

數見面、清晨舒暢。  數(しばしば)見面(まみ)え、清晨に舒暢す。

          (中華新韵十唐仄声の押韻)



<解説>

 盲龜浮木:目の見えない龜が百年に一回水面に出て海上にただよう浮木と出会い、たまたま浮木にあったひとつの穴にはいったということ。人として生まれること、仏法を聞く喜びにめぐりあうのはむずかしいことのたとえ。また、出会うことの容易でないことを喩える。
 椿年:椿壽。とてつもなく長壽であること。大椿は32000年を一年としていることから。
 盲龜浮木已椿年:出会いがどんなに難しくても、椿年ほどに長生きであれば、何度も会っているだろう、ということ。

 七夕については「踏莎行」「水仙子」に続き今年3作目の詞です。
 詞は、詩体が多様でいろいろ楽しめますが、「鵲橋仙」は七夕にふさわしい名前の詞牌です。

 「鵲橋仙」の詞譜は次のとおりです。

 鵲橋仙 詞譜・雙調56字
  ▲○△●,△○△●,△●▲○△仄。▲○△●●○○,▲▲●、△○△仄。
  △○▲●,△○△●,△●▲○△仄。△○△●●○○,▲▲●、△○△仄。
   仄:仄声の押韻。○:平声。●:仄声。△:応平可仄。▲応仄可平。
   「、」は、当該七字句を上三下四に読むことを示す。

<感想>

 こちらは「牛郎」「織女」がストレートに出されて「七夕」の詩ですが、素直に二人の出会いを祝福しないところが一味違うところですね。

 前の詞に使われた語ですが、「牛郎却老」と、普通は若者と誰もが思っている「牽牛」を、実はとんでもなく年老いた存在としてとらえているのは、逆に、鮟鱇さんが「牽牛」をそれだけ具体的なイメージを持っていることを表していますね。
 私でしたら、あまり違和感もなく若い二人の姿を想い描くのですが、それは、すなわち「こんなロマンチックな恋愛は若者のものに違いない」という思いこみがあるわけで、その通念に対して、鮟鱇さんは年老いても若い心はあるのだと反論をする。
 「牽牛」に対してそんな親近感を持つのは、古今東西、恐らく鮟鱇さんが初めてでしょう。

 疑問もなく思っていた固定観念というか、やはり「通念」でしょうか、それが壊されるのも、詩のもたらしてくれる楽しさですね。
 多分、ですが、これが散文で書かれていたら(鮟鱇さんも書く気はさらさら無いでしょうが)、屁理屈ばかりで少しも面白くないでしょうからね。
 詩だからこその、心の柔軟性の楽しみだと思います。



2013. 8. 2                  by 桐山人
























 2013年の投稿詩 第213作は 鮟鱇 さんからの作品です。

作品番号 2013-213

  少年遊・七 夕 其四        

牛郎椿壽,         牛郎 椿壽なるも,

七夕却老,         七夕には老ひを却(しりぞ)け,

浮舸渡銀河。        舸(ふね)を浮かべて銀河を渡る。

凌雨紛飛,         凌雨(暴雨)紛れ飛び,

暗風狂卷,         暗風 狂ひ卷き,

孤客破鯨波。       孤客 鯨波を破る。

   ○               ○

朱唇打傘迎白首,   朱唇 傘を打(さ)して迎えたる白首,

逢織女、笑婀娜。    逢ふは織女の、笑みて婀娜たるに。

緩帶閑談,         帶を緩めて閑談し,

擧杯微醉,         杯を擧げて微醉するも,

生怕曉光多。       怕れを生ず、曉光の多きに。

          (中華新韵二波平声の押韻)



<解説>

 椿壽:とてつもなく長壽であること。大椿は32000年を一年としていることから。

 七夕については「踏莎行」「水仙子」「鵲橋仙」に続き今年4作目の詞です。
 小生の七夕詞は、七夕伝説はいつ誕生し、牛郎は今年何歳になるのか、とてつもない年寄りに違いない、ということを詩材としていますが、「少年遊」という詞牌名とのギャップが面白く、この詞を詠みました。

 「少年遊」の詞譜は次のとおりです。

 少年遊 詞譜(韓D体)・雙調58字
  ▲○△●,△○△●,△●▲○△仄。▲○△●●○○,▲▲●、△○△仄。
  △○▲●,△○△●,△●▲○△仄。△○△●●○○,▲▲●、△○△仄。
   仄:仄声の押韻。○:平声。●:仄声。△:応平可仄。▲応仄可平。
   「、」は、当該六字句を二・二・二ではなく、上三下三に読むことを示す。

 天の河に舟を浮かべて渡りゆく齢の知れぬ老人と牛  画蛇添足

<感想>

 そうですね、「少年遊」と言われると、詩では李白や杜甫、王維から王昌齢、白居易、杜牧など、唐代の詩人が好んだ「少年行」を思いますが、それを逆手にとってのこの詞、特に書き出しの「牛郎椿壽,七夕却老,浮舸渡銀河。」はいかにもユーモラスで、杖を突きながらヨロヨロ(ヨボヨボ)の「牽牛」が「織女」に逢いに行くために必死になっている姿が想像されます。

 しかし、後段での逢瀬などは、ほほえましくなるような温かさがあり、皮肉っぽい前段の趣を丁寧に崩していますね。

 うーん、ただ、「牛郎」が老いたのは良いのですが、「織女」は若いままのように感じます。
 今度は「織女」の立場が出てくると、この連作も完結するのかな?と思いつつ、でも、やっぱり「織女」は永遠の若い姿で居て欲しいと感じるのは、私の俗っぽさでしょうね。



2013. 8. 2                  by 桐山人






















 2013年の投稿詩 第214作は 真瑞庵 さんからの作品です。
 

作品番号 2013-214

  一乗谷懐古        

布武声高刃爾岑   布武ノ声ハ高シ 刃爾ノ岑

越兵失色守難任   越兵 色ヲ失ナウテ 守ルニ任ヘ難シ

竹糸歌舞剣槍息   竹糸 歌舞 剣槍ニ息ミ

月殿花臺銃火侵   月殿 花臺 銃火ニ侵サル

澗水空巡残夢郭   澗水 空シク巡ル 残夢ノ郭

寺鐘静響昔時音   寺鐘 静カニ響ク 昔時ノ音

山容不語盛衰事   山容 語ラズ 盛衰ノ事

村落寂湮秋霧深   村落 寂トシテ湮ム 秋霧ノ深キニ

          (下平声「十二侵」の押韻)



<解説>

 2010年10月に訪れた一乗谷の懐を再び律詩にしてみました

<感想>

 2010年に投稿いただいた一乗谷の詩は「一乗谷懐古」の七言絶句でしたが、今回をそれを七律にされたもの。

 七言絶句は、現在の一乗谷を描いて、絶句の字数(句数)の関係もあったのでしょう、当時のことは「昔時栄」と抽象的な表現だけでした。
 それはそれで、過去を前提とした上での現況描写であり、しみじみとした懐古の趣がよく出ていた作品だったと思いますが、真瑞庵さんとしては、もう少し書き加えたいお気持ちもあったのでしょう。

 二年越しの推敲ということになりますが、前半がかつての戦の姿、後半からが前回の絶句と同じ、現在の様子を描いた構成になっていますね。
 七言律詩ならではの、余裕のある表現で、当時の一乗谷の庄の華やかさ、それが崩れて行く戦の緊迫感が表されていると思います。

 首聯の「刃爾」は、一乗谷の「刀禰坂」

 頷聯は、上句の「竹糸歌舞剣槍息」は「竹糸歌舞 竹槍は息み」となり、「華やかな宴(が続き) 剣や槍、つまり戦が止まった」と解されます。
 組み合わせが悪いのでしょうかね、「竹糸歌舞」の後に「銃火」を置くと、音楽を銃声が消したとして、どちらも音となり、解りやすくなるかな、と思います。

 後半はどの句も変化が少なく、あれあれという感じで詩が終わっていく感じで、何か、この詩ならではのインパクトが欲しいところですね。

 具体的には、「山容不語盛衰事」に違和感があります。
 過去の場面とは言いながらも前半四句でまさしく「盛衰事」を語っておきながら、「山容不語」となると、作者と山がそっぽを向き合っているような印象です。
 直前の「澗水」「寺鐘」もやはり言葉を発しないけれど懐古の情を伝えてくるわけで、それすらも否定しかねない「不語」は不要な言葉でしょう。



2013. 8. 8                  by 桐山人



真瑞庵さんから推敲作をいただきました。


  一乗谷懐古(改作)
布武声高刀爾坂   布武ノ声ハ高シ 刀爾ノ坂
越兵計盡足羽潯   越兵ノ計ハ盡ク 足羽ノ潯
燕歌趙舞箭前息   燕歌 趙舞 箭前ニ息ミ
月殿花臺銃下侵   月殿 花臺 銃下ニ侵サル
空遶澗渓残夢跡   空シク遶ル澗渓 残夢ノ跡
静彌鐘梵昔時音   静カニ彌ル鐘梵 昔時ノ音
里人猶語栄華事   里人 猶ヲ語ル 栄華ノ事
山郭寂沈秋色深   山郭 寂トシテ沈ム 秋色ノ深キニ


2013.10.20            by 真瑞庵






















 2013年の投稿詩 第215作は 亥燧 さんからの作品です。
 

作品番号 2013-215

  偶成        

古言小隠入山林   古に言ふ 小隠は山林に入り

大隠在街愉寸陰   大隠は街に在りて寸陰を愉しむと

不愧老来甘寡禄   愧ぢず 老来寡禄に甘んずるを

非忙非慢適吾心   忙に非ず 慢に非ずして吾心に適ふ

          (下平声「十二侵」の押韻)



<解説>

 隠者というとやはり山の中に隠れて自然とともに生活をするのが普通ですが、陶淵明は街なかに庵を構えて悠々自適の生活を送りました。
 そこまで徹底できない私は、口過ぎのためにまたぞろ働き始めました。
 書や絵の鑑賞、そして本を読んだり海を見たり、時に赤提灯が恋しくなって夜の街に出ていくという、中途半端で気儘な生活です。
 少ない給金ですが本当は「今」に満足しています。

 同字の重出はやはり駄目なんでしょうか。
 前対格にしても平仄が合わないし、いっそ起句は「小官獨望入山林」とすべきなんでしょうか。

<感想>

 隠者の生活については、白居易の「中隠」の詩に書かれた

   大隠住朝市   大隠は朝市に住み
   小隠入丘樊   小隠は丘樊に入る

 がよく示されるところです。

 また、陶潜の「飲酒(其五)」での

   結廬有人境   廬を結びて人境に有り
   而無車馬喧   而も車馬の喧しき無し
   問君何能爾   君に問ふ何ぞ能く爾(しか)るやと
   心遠地自偏   心遠ければ地自ら偏なり

 も「大隠」の心境を表す言葉ですね。

 亥燧さんの詩は、白居易が語っている「中隠」の心境、転句の「甘寡禄」が微妙な心理をすっきりと表していて、好句ですね。

 私もこの十年ほど、病気して以来、丁度年齢も相応になっていたのでしょうが、「今」に満足する気持ちがとても強くなりました。
 これまでの自分の人生で、その時その時には辛いことや悲しいこともありましたが、結果的には自分を成長させてくれたわけで、振り返れば満足できることばかりという思いです。
 残りの人生も決して平穏なことだけではないでしょうが、その度に未知の人生体験ができるのだと思うと、まさに「今」に大満足!しちゃいます。
 「お前は本当の苦労をしていないんだよ」と言われるかもしれませんが、違う人生を歩むことは誰にもできない以上、それぞれの体験の中で満足する心を持てれば良いと思っています。

 あまり詩に直接関係の無い話になりましたが、亥燧さんの思いに共感した次第です。

 さて、ご質問の件ですが、同字重出は避けるべきですが、今回のように「小隠」と対比された形で「大隠」が置かれていますので、これは変更しようが無い、これでなくてはならない言葉ですので、重出であっても問題視されることはありません。
 従って、対句にする必要も無いわけで、平仄が整っていますので、この形で十分です。

 結句も同字が出ていますが、これは句中対、問題無しです。
 本来ならば、「忙」に対するに「閑」でしょうが、ここは平仄を合わせて「慢」と置き替えました。「大隠」の場合と異なり、「忙」と「閑」のつながりが絶対的なものではないわけで、これが良いでしょう。



2013. 8. 8                  by 桐山人
























 2013年の投稿詩 第216作は 兼山 さんからの作品です。
 

作品番号 2013-216

  寄戲詩伊呂波歌「春晨」     戲詩伊呂波歌「春の晨」に寄す   

春晨淑氣聽啼鳴   春晨 淑氣 啼鳴を聽く

草屋茅衣隠逸情   草屋茅衣 隠逸の情

老大相憐遊子意   老大 相憐む 遊子の意

不寢終夜曙雞聲   終夜 寢ねず 曙鶏の聲

          (下平声「八庚」の押韻)

現代いろはうた「春の晨」

  はるのあした とりなきみえて    春の晨 鳥鳴き見えて
  こもうかけほす わらやにへんろ   古網掛け干す 藁屋に遍路
  ゆふくれむ おそめひさまつ     夕暮れむ お染久松
  いちよねをせぬ           一夜寝をせぬ


<解説>

 私事、桐山堂懇親会欠席に関しては御心配を掛けましたが、お陰様で快方に向かっています。
歩行困難の数か月間、気を紛らすために若干の遊びを致しました。

「いろは道楽会」が提唱している「現代いろはうた」は四十六文字です。
限定された文字数で歌を詠むには無理があり、その反面、面白味もあります。
歌の内容を補足する意味で「寄戲詩伊呂波歌」四季四部作を詠みました。

鮟鱇先生の主張されている「ジャンル横断」には程遠い詩作ですが、一つの試みとして、投稿致します。























 2013年の投稿詩 第217作は 兼山 さんからの作品です。
 

作品番号 2013-217

  寄戲詩伊呂波歌「夏來」     戲詩伊呂波歌「夏は來ぬ」に寄す   

夏來燦燦午陽光   夏は來ぬ 燦燦たる午陽の光

青海白帆浮一航   青海 白帆 一航を浮ぶ

今夕相和與吾汝   今夕相和す 吾と汝と

朋儔参集賜霞觴   朋儔 参集し 霞觴を賜ふ

          (下平声「七陽」の押韻)

現代いろはうた「夏は来ぬ」

  なつはきぬ あかねさすひる    夏は来ぬ 茜さす昼
  うみにしらほを おまへとたてむ  海に白帆を お前と立てむ
  そのゆふせけん やりもちくわえ  その夕世間 槍持ち咥え
  よめこいれろ           嫁子入れろ























 2013年の投稿詩 第218作は 兼山 さんからの作品です。
 

作品番号 2013-218

  寄戲詩伊呂波歌「秋色」     戲詩伊呂波歌「秋の色」に寄す   

秋色何迷豈敢論   秋色 何ぞ迷はん 豈に敢へて論ぜんや

瑠璃橿鳥喜猶存   瑠璃 橿鳥 猶存するを喜ぶ

易夢幸生難斷禍   幸生の夢は易く 禍を断ずるは難し

不言不教一虛言   不言 不教 一虚言

          (上平声「十三元」の押韻)

現代いろはうた「秋の色」

  あきのいろ            秋の色
  なにをまよわん ほらるりかけす  何を迷わん ほら瑠璃カケス
  ゆめみむふくこ たちてやれえぬ  夢見む福子 断ちて遣れ得ぬ
  うそはひとつも おしへさせね   嘘は一つも 教へさせね

























 2013年の投稿詩 第219作は 兼山 さんからの作品です。
 

作品番号 2013-219

  寄戲詩伊呂波歌「冬山」     戲詩伊呂波歌「冬の山」に寄す   

冬山慘淡自朝眠   冬山 慘淡 朝より眠る

古往今來華藻傳   古往今來 華藻傳はる

我在正論君裝僞   我に正論在り 君は僞を裝ふ

勝猶不傲是天憐   勝って猶ほ傲らず 是れ天の憐み

          (下平声「一先」の押韻)

現代いろはうた「冬の山」

  ふゆのやま            冬の山
  あさからねむる いうこともなし  朝から眠る 言う事もなし
  われへろんり きみよそほひぬ   吾へ論理 君 装ひぬ
  せめてはたけに つちをすえおく  せめて畠に 土を据え置く



<感想>

 うーん、率直な感想を申し上げるならば、「現代いろは歌」の方は難解で、「限定された文字数で歌を詠むには無理があり、その反面、面白味もあり」という「面白み」までは、なかなか部外者はすぐには入りにくいところがあります。
 兼山さんの漢詩に助けられて理解したという感じですね。

 中には、「え、そういうことなの?」と驚いたり、「そこまで言うか」と感心したり、漢訳の妙を堪能しました。
 これは、「無理」を承知でそれを楽しもうとする「いろは歌」の面白みと同じものなのだな、と改めて思いました。

 考えてみれば、日本の文学史をのぞいても、同じような面白みを求めた和歌の表現はいくつも見られるような気がします。
 「枕詞」や「序詞」は、丁寧に訳したら逆に意味が分からなくなることもあり無視することも多いのですが、「枕詞」のお約束感、「序詞」の連想の自由さは、古代の人々の遊び心に通じていますね。同様に、少し時代を進めれば「本歌取り」の自在な典故、和歌以外でも、謡曲でも絢爛たる典故が散りばめられ、江戸の文学に到ってはパロディとして古典を楽しもうという趣も感じます。

 ということで、改めて「現代いろは歌」を読み返してみると、何となく親しみがわいて、「面白み」に近づいた気持ちになりました。



2013. 8.15                  by 桐山人



鮟鱇さんから感想をいただきました。

兼山先生。鮟鱇です。

「鮟鱇先生の主張されている「ジャンル横断」には程遠い詩作」とお書きいただいたのに、玉作の拝読、遅くなり、失礼しました。

 「ジャンル横断」は、私の「主張」ではなく、「楽しみ」と理解していただきたいのですが、先生のご労作、ジャンル横断が詩に何をもたらすのか、大変興味深く拝読しました。

 私はジャンル横断で和語の俳句や短歌を詠むとき、まず漢語の短詩を作ります。読み下しがぴったり五七五になるようにする場合は七言句をひとつ、五七五七七になるようにするには十一字(四七)か十二字(五七・七五)の二句一章の短詩を作ります。
 漢語短詩には押韻と平仄の韻律詩の方が言葉選びに制約があるのに対し、字数をそろえるだけの和語の方は「てにをは」や活用形の省略・水増しによってどうとでもできますので、漢語短詩をまず作り、それを読み下して短歌・俳句にする、という順番になります。

 そういう小生の経験から、先生は、まず伊呂波歌をまず詠まれ、そこで得た詩趣をもとに七言絶句をお作りになっているのだろうと推測します。かな四十六字の同字重複を許さずすべてを使わなければならない、という伊呂波歌の規約は七言絶句の規約にくらべ窮屈、そこでまず伊呂波歌を先に作らなければうまくいかない、と思います。

 ここで興味深いのは、伊呂波歌の厳しい制約のなかで作者は、どれだけ自分がいいたいことが言えるか、ということです。
 伊呂波歌では、自分がいいたいことはほとんど詠めないと思います。
 伊呂波歌で作者が詠むのは、かなを紡ぐなかで、作者が触れえる言霊なのだ、と思えます。

 困難な制約のなかで言葉を紡ぐことは、伊呂波歌に限らず、言霊を受胎するようなこと、と思います。
 伊呂波歌と七言絶句のジャンル横断によって、ご自身が思っていることを述べる機会が減り、言霊が語る機会が増える、そういうことを先生は楽しまれているのだ、と愚考します。

 自分が思うこと、すでに思っていることは、私には、おおむねつまらないことです。詩を作ることで私は何をいいたいのか、ということが、詩を作る前から予想できてしまうからです。何がいいたいのかが最初からわかっている、それはつまらい詩にしかなりません。発見がないからです。

 そこで小生は、詩を詠むにあたっては、極力言霊に語ってもらおうと思っています。
 言霊が活躍する機会をどうすれば増やせるのか、制約を増やせばその機会が間違いなく増えます。

 そこで、私の「ジャンル横断」は、私にとってはそのひとつの方法であるのですが、先生の伊呂波歌と七言絶句に較べれば、まだまだ自分がいいたいことを容易にもり込めるもので、とても及ばないと思い、佩服いたします。

2013. 8.22              by 鮟鱇


兼山さんからもお返事をいただきました。

 拝復 桐山人先生及び鮟鱇先生、拙詩に関する御丁寧な感想を賜り、恐縮至極に存じます。

 桐山人先生をして「うーん」と唸らしめた(?)のは、不肖兼山の如何にも不出来な「現代いろは歌」の所為であり、自分勝手に味わうだけの「面白味」では、鮟鱇先生が提言されている「ジャンル横断」に取り上げて戴く資格を有しません。
真に慙愧の至りでありますが、若干の申し開きを御許し下さい。

 漢字(漢文)は、言うまでも無く中国固有の文化であり、異国人である日本人には理解出来ない領域が存在します。漢詩を詠む為には漢字(漢文)の学習が必須でありますが、決して容易ではありません。(兼山自身、不十分な学習の侭、試作品を投稿し、諸先学の御指導に委ねている不埒な輩です)
 当然のことながら、日本には日本古来の誇るべき「日本語」があります。
 小生にとっての詩歌に於ける「ジャンル横断」とは、その日本語と漢字(漢文)との交歓(横断)を楽しむことに他なりません。強いては、その事によって日本語の美しさ、面白さを再認識することが出来るだろうと思って居ます。
 その為には、日本語の(少なくとも)詩歌は「現代仮名遣い」ではなく「歴史的仮名遣い」で書かれなければならないし、漢字も「新漢字」(常用漢字や当用漢字」ではなく「旧漢字」を用いるべきであります。(序ながら、現代の中国で用いられている「簡体字」には、漢字本来の意味が失われています)

 我々(日本人)は、安西冬衛の一行詩「てふてふが一匹韃靼海峡を渡って行った」に含まれている無限の意味を探りながら、更には聖書の文言と重ね合わせて味わうことも可能です。
 伊呂波歌に於いて、「いろはにほへと」を「色は匂へど」と読み、「うゐのおくやまけふこえて」を「有為の奥山、今日越えて」と訓読する満足感、更には四十七義士の無念に思いを馳せるが如き楽しみは又格別であります。

 鮟鱇先生が「伊呂波歌で作者が詠むのは、かなを紡ぐなかで、作者が触れ得る言霊なのだ」と書いて下さった通り、日本語に宿っている日本語固有の言霊を求める為の詩作であると、思って居ります。


2013. 8.28         by 兼山























 2013年の投稿詩 第220作は 深渓 さんからの作品です。
 

作品番号 2013-220

  憶八月十五日        

難遂生還幾悼人   生還を遂げ難き 幾たびか人を悼む

出師未捷捨先身   出師未だ捷たざるに 先ず身を捨てよと

称戈宰相枯千骨   戈を称へし宰相 千骨を枯す

叡慮一聲匡萬民   叡慮 一声 万民を匡へり

          (上平声「十一真」の押韻)



<解説>

 また来る八月十五日 巷の若人に聞けば旧盆と・・・

六十有八年前、烈日の正午の強烈な思いが蘇る。

<感想>

 戦争の語り部たらんとしての深渓さんの作品です。
 確かに、八月十五日が何の日だったか、忘れがちな若者が多いのは事実ですが、今年私が参加した「半田空襲の記録を上演する会」では、舞台に多くの若者が参加してくれました。
 上演の前日に髪を坊主頭に刈り上げてきた大学生を見て、大げさかもしれませんが、上演への共感や伝えていく意義が共有できたのを感じました。

 巷の若者が皆「旧盆」と思っているわけではないことを実感しました。
 それは、きっと七十年前の人々への私たちの思いと同じなのかもしれませんね。

 結句は当時を体験した方だからこその表現ですね。





2013. 8.15                  by 桐山人
























 2013年の投稿詩 第221作は 深渓 さんからの作品です。
 

作品番号 2013-221

  又八月十五日        

志軍三五入屯営   三五にして軍を志し 屯営に入り

速戦速攻爲錬兵   速戦 速攻 錬兵を為す

友散南瞑吾欲老   友は南瞑に散り 吾老いんと欲す

七生魂魄悵曹行   七生の魂魄 曹を悵んで行く

          (下平声「八庚」の押韻)


「三五」: 3x5=15 15歳5か月で入隊。
「南瞑」: 南海。
「七生」: 七たび生れ変わって国に尽くす。


<解説>

 戦後六十八年あの熾烈な戦争の体験者も高齢して已に仙遊され、わが身辺でも吾一人。語り部として句をなす。

<感想>

 起句の「三五」は、本来は「志学」として逆説的に表現したいところかもしれませんが、「志軍」の関係でしょうね。

 転句の「友」と「吾」の対比は事実を述べただけかもしれませんが、説得力のある句になっていますね。
 結句の「曹」は「ともがら、仲間」、亡くなった友を悼み、戦争体験を伝えることこそが国に尽くすことだと、吾は歩んでいく、という意味でしょう。



2013. 8.15                  by 桐山人
























 2013年の投稿詩 第222作は 真瑞庵 さんからの作品です。
 

作品番号 2013-222

  雨日田家        

西田東圃雨昏昏   西田東圃 雨昏昏

佚蕩貧閑閉草門   佚蕩 閑ヲ貧リ 草門ヲ閉ヅ

滴滴檐聲忽焉息   滴滴 檐聲 忽焉トシテ息ミ

彩橋懸架藕花村   彩橋懸架ス 藕花ノ村

          (上平声「十三元」の押韻)




<解説>

 此の処ほとんど毎日雨に閉じ込められ 菜園の作業も儘ならず。
 暇を持て余してグダグダ・・・・・・・と思いきや
 突然雨はやみ、蓮田に虹がくっきり。農作業休みもここまで!!


<感想>

 梅雨の時期、雨が続くとどうしても「グダグダ」としてしまいますね。「佚蕩」(蕩佚)の語がその感じをよく出しているでしょうね。

 前半の雨中の暮らしぶり、転句で現れた雨音も途切れ、このまま眠りに入っていくのかと思いきや、一転、天晴れ虹が架かり明るい世界が出現する展開は、逆転のホームランを眺めたような印象です。
 効果を狙ったというよりも、現実の体験をそのまま描いたのかな?と感じますので、これはこれで良いと思いますが、雨音が「忽焉」とやんだというのは、私はやや違和感が残りました。
 雨が瞬時にからりと上がって虹が出るというのは、にわか雨のイメージだということが一つ、また、檐の雨垂れの音は「だんだん」と消えていくようなイメージだということもあり、そういう意味で前半と後半で世界が違いすぎるのかもしれません。

 最後も、それまで何も具体的な描写の無かった中での「藕花村」ですので、やはり唐突と感じる方が強いかもしれませんね。



2013. 8.16                  by 桐山人
























 2013年の投稿詩 第223作は 越粒庵 さんからの作品です。
 

作品番号 2013-223

  観螢        

流螢千點影   流螢 千點の影

甘水緑秧田   甘き水 緑秧の田

明滅怨良夜   明滅して 良夜を怨む

童歌哀感牽   童歌 哀感を牽く

          (下平声「一先」の押韻)




<解説>

 実家の辺は螢が出ます。年々少なくなり、かろうじてという感じですので、「千点影」はオーバーですが、幼いころを思い出し作ってみました。
 田んぼは少しずつ黄色味を増しています。

 童歌、甘水は和臭というべきでしょうか。


<感想>

 童謡の「ほ、ほ、ほたる来い、こっちの水は甘いぞ、あっちの水は苦いぞ、ほ、ほ、ほたる来い」を頭に浮かべながら作詩されたようですね。

 「甘水」は和習というよりも、歌の「あまい」は糖分を含んだ「甘い」でなく「おいしい」という意味ですので、「美水」としておくべきでしょう。

 「童歌」は「わらべうた」と読んでいれば確かに気になりますが、「子どもの歌声」「子どもが歌う」という解釈もできますので、それほど気にしなくても良いでしょう。
 どうしても、ということなら、「古歌」くらいでしょうか。

 それよりも、下三字の「哀感牽」が漠然としていて、句全体もぼやけさせています。「幼いころを思い出して」とのことですが、そのあたりが、感傷的な結末にしてしまったのかもしれません。
 「哀感」をもっと明確な言葉にし(特に「感」は無駄ですね)、「昔を思い出させる」「故郷の村が懐かしい」などとつながると、まとまりが良くなると思います。



2013. 8.16                  by 桐山人
























 2013年の投稿詩 第224作は 謝斧 さんからの作品です。
 

作品番号 2013-224

  戯言        

暑威易倦老慵躬   暑威倦み易く 老慵の躬

微酔枕書詩思空   微酔し書を枕にすれば 詩思空し

魯叟蹙眉應叱我   魯叟眉を顰め 應に我を叱るべし

戯言昼寝夢周公   戯言す 昼寝て周公を夢む

          (上平声「一東」の押韻)


「魯叟」: 孔子
「昼寝」: 宰予の故事


<感想>

 今年の暑さは記録的で、テレビではチベット高気圧と太平洋高気圧の二層構造で暑さが強まるのだとか説明していましたが、とにかく暑いですね。
 ちょっと散歩でもと思っても、朝から日差しが強烈で、うだってしまいます。
 お昼にちょっとビールでも飲んで、となれば、後はクーラーの中で午睡が待っているだけ。私ならば、もう幸せの一言、ほっとした気持ちになれますので、前半の描写は、「うん、うん」と納得、共感です。
 しかし後半に行くと、おやおや、謝斧さんはやや後ろめたい気持ちのようですね。

 引用された「昼寝」は、『論語』の「公治長篇」に治められている宰予の話、学問の途中で昼寝をした弟子の宰予を孔子が厳しく非難したところです。
 孔子の言葉は、「朽木不可雕也、糞土之牆不可圬也、於予与何誅」(朽ちた木には雕ることができない、腐った土壁には上塗りができない、宰予に何を叱ろうか、いや無駄なことだ)という厳しいものでした。
 宰予は弁舌が巧みであり、礼を重んじない傾向がありましたので、孔子もつい日ごろの憤りが出たのかもしれませんが、最後は「今までは言葉が立派な人はそれだけで信頼したが、宰予のおかげで、言葉と行いの両方を観察するようになった」と語って終っています。
 意見の合わない弟子への感情的ないらだちが見られ、孔子の人間臭さがストレートに出ている場面ですね。

 もう一つ注が必要なのは、「夢周公」で、これも『論語』の「述而篇」、敬慕する周公に夢で会わなくなったと孔子が老いを歎く場面、逆に言えば、若い頃は、いつでも周公を夢に見ていたことを示しています。

 以上のことを踏まえて結句を見ると、かなりやんちゃな姿が見えてきますね。
 先生に昼寝を注意された悪ガキ、「この前先生は、周公にいつも夢で会ったと言ってたから、オレも今会いに行ったんだ」と憎まれ口をたたいたというところでしょうか。
 更に言えば、「オレは爺さんとは違って若いんだ」という傲岸さも垣間見られ、傍から見ていると、ドキドキと心配してしまうような場面ですね。

 ただ、承句の終わりの「詩思空」にも、そして先生の以前の話もちゃんと覚えているところからも、どうやらこの悪ガキは単なる怠け者ではなく、実は向学心のある生徒で、生真面目な分だけうまく先生に甘えられないのかな、という気がしますね。



2013. 8.16                  by 桐山人
























 2013年の投稿詩 第225作は 禿羊 さんからの作品です。
 

作品番号 2013-225

  七十賀        

今時七十孰言稀   今時 七十 孰(たれ)か稀なりと言ふ

足識人生七十非   識るに足る 人生七十の非なりしを

慚愧美肴高閣宴   慚愧す 美肴 高閣の宴

傾杯少喜稚孫囲   杯を傾け 少しく喜ぶ 稚孫に囲まるるを

          (上平声「五微」の押韻)



<解説>

 鈴木先生、禿羊です。
毎日酷暑が続いておりますがお元気でお過ごしでしょうか。

 小生、この七月で満七十歳となりました。
 家族一同で祝ってくれたのですが、馬齢を重ねての古稀はそれほど感慨のあるものでもなく、いつまでアウトドアの遊びが楽しめるかの方が気になるこの頃です。

<感想>

 古稀が「稀」ではなくなったということは、嬉しいことです。世界一の長寿国、禿羊さんや私たちが今後どう生きていくか、これがモデルになるのかもしれませんね。
 古稀への感慨は別にしても、家族が一同に会すのは楽しいこと、その機会を提供するだけでも十分満足できますよ。

 詩は、後半の「慙愧」「少喜」の相反する心理がうまくまとまると良いと思います。
 私の印象では、二つ心情を出すよりはどちらかに絞る、ここは「慙愧」の気持ちは前半で表されていますので、「夏午」「涼夕」のような「七十賀」を開いた時期を示すような形でどうかな、と思います。

 結句の読み下しは「稚孫の囲むを」として受け身でない方が分かりやすいと思います。



2013. 8.20                  by 桐山人



謝斧さんから感想をいただきました。

禿羊先生是七絶長城、為白眉
此作亦佳作
惜将有軽疵

「慙愧」と「少喜」は全く同じ意味です。
慙愧はもうしわけがないがありがたいことです。


2013. 8.23              by 謝斧



禿羊さんからお返事をいただきました。

 鈴木先生、謝斧先生、ご批正ありがとうございます。

 「慚愧」は時代によって意味に変化があるようですが、真っ先に頭に浮かぶのが、蘇軾の「慚愧春山筍蕨甜」ですから、詩を作る人間には「ありがたい」とか「うれしい」の意味を含んで感じられます。
 小生もそれを意識して用いたのですが、どちらにしても前後と重複していたようです。

 そこで「児女団欒高閣宴」(児女団欒す 高閣の宴)としてみました。
 これは陸游の「冬日」の一節「堪笑此翁幽獨慣,卻嫌兒女話團欒」を下敷きにしております。
 ちょっと、ひねくれていますが。


2013. 8.28              by 禿羊























 2013年の投稿詩 第226作は 深渓 さんからの作品です。
 

作品番号 2013-226

  偶感        

去閭在府幾星霜   閭を去り 府に在りて 幾星霜

欲耒帰心繞草堂   耒かんと欲す 帰心 草堂を繞る

歳月如何身已老   歳月 如何せん 身は已に老ゆ

青山武野是家郷   青山 武野 是れ家郷

          (下平声「七陽」の押韻)



<解説>

 故里を出て東京に住んで幾十年
 田舎に帰り耕作でも、との心は弊屋を繞るが
 歳月はどうすることもできない齢を取り過ぎた。
 至る所青山あり 武蔵野が家郷である。と。

<感想>

 長く故郷を離れての思いが感じられる詩ですね。
 「帰りたい」気持ちと「もう帰らない」気持ちが表れていると思います。

 承句の「欲耒」は言わなくても「帰心」だけで十分で、逆に「草堂」とのつながりが強くて混乱しますね。




2013. 8.20                  by 桐山人
























 2013年の投稿詩 第227作は 深渓 さんからの作品です。
 

作品番号 2013-227

  夏日雑詩        

七月炎威有草堂   七月の炎威 草堂に有り

無風無雨破窓旁   風無く 雨無く 破窓の旁ら

難成境地倣筍語   境地に成り難し 筍語に倣ひ

滅却心頭火亦涼   心頭を滅却すれば 火も亦涼しと

          (下平声「七陽」の押韻)




<解説>

 今年の暑さ尋常に非ず
 老体に冷器の風は毒とやせ我慢をして
 唐・杜筍鶴の詩や甲州の快川和尚の偈
 心頭を滅却すれば 火も亦涼しと 過ごすのである。

<感想>

 「滅却心頭火亦涼」は杜荀鶴の「夏日題悟空上人院」の結句、有名な句です。
 一句丸ごと引用するというのは、漢詩では宜しくないのですが、有名を逆手に取って、「この暑さには、まったく笑っちゃうよ」という感じでしょうね。

 起句の「有草堂」は承句の「破窓」とかぶるかな、という感じですが、それよりも、「有」が弱いと思います。
 「炎威」ですので、もっと強い言葉でも良いでしょうね。

 転句の「倣筍語」は「たけのこが喋る?」と誤解されますし、下三仄ですので修正が必要ですね。「快川語」でしょうか。

2013. 8.20                  by 桐山人
























 2013年の投稿詩 第228作は東京都葛飾区にお住まいの 素衣 さん、二十代の男性の方からの初めての投稿作品です。
 いただいたお手紙で当サイトへの感想として、
 多くの方が、漢詩という歴史ある作品を、現在進行形で精力的に創作・投稿されていることを貴サイトで知りました。
 これまで思いも寄らなかった魅力的な世界との出会いを、深甚に思います。
 大変に貴重な機会を頂いております。

 平仄検索も、非常に重宝させて頂きました。

 まだまだ前座見習いにも及ばぬ身であり、貴サイトのコンテンツも全てを吟味などは到底しきれておりませんが、今後とも、少しずつでも鑑賞と創作を通し、漢詩の世界の深奥に触れることができればと思います。

作品番号 2013-228

  病床偶成        

蝉聲熱唱散晴空   蝉声 熱唱 晴空に散ず

嘗薬含愁簾幕中   薬を嘗め 愁ひを含む 簾幕の中

朱夏素秋相隔壁   朱夏 素秋 壁を相隔つ

耐寒仍待杏林功   寒に耐へ 仍ほ待つ 杏林の功

          (上平声「一東」の押韻)



<解説>

 初めて投稿致します。
 最近、ふとしたことから唐突に漢詩に興味を持った者です。
過去の名作や構造の理解を手探りに求めるうち、貴サイトに到りました。

 先日夏風邪にやられ、何日か寝込んだ折の心持を、紙面に落とそうと試みました。
「杏林」は、医者の意とのことです。
 初心者の青二才ですが、どうか宜しくお願いいたします。


<感想>

 初心者とのことですが、平仄も丁寧で、お気持ちもよく表れている詩で、狙い所が幾つも見られ、楽しく拝見しました。

 起句の「熱唱」は「なるほど」という描写ですが、「蝉声熱唱」では擬人法が生きませんので、「午蝉熱唱」とした方が良いでしょう。

 承句の「含愁」は、ここでは心情語を入れず、病床の様子とか具体的な描写が欲しいところですね。

 転句は面白い対比ですが、壁を隔てて夏と秋、というのは具体的にはよく分からないですね。また、結句の「寒」は「発熱でさむ気を感じる」ということでしょうが、転句の季節が並んだ後に来ると「冬の寒さ」を連想させます。
 「耐寒」自体も、表現としてはおかしいでしょうね。「高熱に耐える」ならばわかりますが。

 ということで、ひとまずは承句の「含愁」と結句の「耐寒」を入れ替えておき、もっと良い表現は無いか、と推敲してみてはいかがでしょうか。



2013. 8. 26                  by 桐山人



素衣さんからお返事をいただきました。

 お世話になっております。素衣です。
 ご連絡とご感想ありがとうございます。

 句ごとにご親切な添削をつけて頂き、恐縮の至りです。
 覚悟はしておりましたが、自身の詩を掲げて頂き、さらにこれにお言葉を貰うというのは光栄であるとともに、慙汗を禁じ得ないことだなと痛感致します。
 起承句を整った描写に徹し、転結句の主張部分とのコントラストによって詩にメリハリをつけることが望ましいや、との把握の下、先生のご指摘をもって改めて28字を見直し、今後にもつなげて参ります。
まことにありがとうございました。


 耐寒は、杏林と合わせ、転句からの流れで夏秋冬春と連想をする意図があったのですが、改めて読むと、意味不明のムリヤリ感が漂う上、意図不明の表現自体の目的化の感まであります。
 反省です。

 蝉声は、「声」と「唱」の字的な重なりに対するフィーリング一つで配置しましたが、そもそも「蝉声」とは蝉である前に声であり、声が熱唱する、という図は先生の仰る通り、擬人法にそぐわないことでした。

 その他にも、目が痛いご指摘頂いております。日々、研鑽いたします。


2013. 8.28            by 素衣























 2013年の投稿詩 第229作は 亥燧 さんからの作品です。
 

作品番号 2013-229

  消夏雑詩        

木槿清晨取次開   木槿清晨 取次に開き

乱蝉夕暮命分頽   乱蝉夕暮 命分頽る

何憂生死尋常事   何ぞ憂へん 生死は尋常の事

祇恐不知乗興来   祇だ 興を乗せて来るを知らざるを恐る

          (上平声「十灰」の押韻)



<解説>

 年をとると季節の移り変わりが見えてきます。若い頃感じなかった切なさや愛おしさもこの頃身に染みて、涙腺をはじめどこもかしこも緩んできました。  でも、私の感情などには関わりなくこのクソ暑いのにむくげが力強く咲き誇っていたり、そうかと思うと庭先にセミが死んで転がっていたり・・・。  ということで、私はもう忙しくないので自然の営みをよく見聞きして、幸い私の周りには海も里山もあって素晴らしいのでその良さを詩に託して伝えて行きたいと思っています。  が、最後のところまとまりません。

<感想>

 亥燧さんの意図としては、起句の「木槿」は生き生きとした生命力の象徴として描きたかったのでしょうが、むくげは「槿花一日栄」とも言われ、朝開いて夕方にはしぼむ儚さを表す花でもあり、したがって、起句は「取次開」と書かれていても、その栄えは短いものだということを暗示することになります。
 逆に言えば、朝方に盛んに開けば開くほどに、儚さが増すという感じですね。
 承句の蝉も「七日の命」という点では、やはり短い生命を感じさせるもの。

 前半の二句で、すでに具体例が出されていますので、転句の「生死尋常事」も素直に入れます。

 結句は回りくどい感じがします。
 「乗興来」のは人生の楽しみ、それを「不知」なのを「恐」れるというのはやや煩雑で、このまま言うのなら「不知興」だけでも十分かと思います。
 句のつながりから言っても、「恐不知」は二重否定に近く、せっかくの転句の「何憂」という思いを弱めています。
 ここは「祇願」と言い切る形にして、強い意志を通す方が詩としてまとまると思います。
 その方向で、推敲をしてみてはどうでしょうか。



2013. 9. 2                  by 桐山人



亥燧さんからお返事をいただきました。

 鈴木先生、いつも有難うございます。
 槿の花は確かに一日で終わりますね。ただ、私には、むくげは強い、凛とした、清楚で、蝉の様に何か一所懸命に生きてるという印象があります。
 人や自然の営みがすべて愛おしいということで、結句を

   「好愛自然催興来」 

 としてみました。


2013. 9. 9              by 亥燧























 2013年の投稿詩 第230作は 鮟鱇 さんからの作品です。

作品番号 2013-230

  鵲橋仙・七 夕 其五        

群蝉飲露,         群れなす蝉 露を飲み,

鳴蛩鼓腹,         鳴く蛩(コオロギ)腹を鼓し,

晝夜聲聲啼叫。     晝夜 聲また聲と啼き叫ぶ。

謫居佐渡已三秋,   佐渡に謫居してすでに三秋,

欲幽会、蜃樓花貌。  幽会せんとす、蜃樓の花貌に。

   ○               ○

銀河堪仰,         銀河 仰ぐに堪ふるも,

黒波難破,         黒波 破り難く,

不見船夫鼓棹。     船夫の棹を鼓するを見ず。

獨思天上兩人逢,   獨り思ふ 天上に兩人逢ひ,

憐白髪、歡娯却老。  白髪を憐れむも、歡娯 老いを却(しりぞ)くるを。

          (中華新韵六豪仄声の押韻)


<解説>

「謫居」: 流罪の地に居る。
「幽会」: ひそかに会う。
「蜃樓」: 蜃気楼。
「黒波」: 荒れ狂う波。船夫:船頭。

 七夕については今年すでに四作を投稿させていただいていますが、芭蕉の「荒海や」句について考えているうちに詩想が浮かび、この作を作りました。

  荒海や佐渡によこたふ天河(あまのかは)  芭蕉

 私は、この句につき、「随行日記によれば元禄二年(1689年)7月4日(出雲崎宿泊)での所見を、7月6・7日の俳席(直江津宿泊)で詠まれたとされている」という記事をネットで見つけました。なお、元禄二年の七夕は新暦8月24日頃とのこと。

 この記事を読み、「荒海や」句は七夕を句題としているのか、と思いました。
 しかし、「荒海や」句の叙景は壮大、そこから七夕の故事を思い浮かべるのは困難です。天の川が詠みこまれているとはいえ、荒海と七夕、佐渡と七夕は、なかなか結びつきません。

 ここで、佐渡は古来流刑の地だということが、閃きました。
 以下、私の空想はいささか暴走、佐渡に流された牽牛と残された織姫、を想定して、「荒海や」句を読み解いてみたらどうだろう、と思った次第です。

 芭蕉は、佐渡によこたふ天河を遠く見上げる織姫の立場で、佐渡に流された牽牛への思いを詠んでいる、という読みがひとつ。
 芭蕉は、佐渡にて天によこたふ天河を見上げている牽牛になりかわって、織姫への思いを詠んでいる、という読みがひとつ。
 私はここで詩想を得て、後者の読みをもとに、拙作を流人の立場で詞に詠むことにしました。

 詞は、詩体が多様でいろいろ楽しめますが、「鵲橋仙」は七夕にふさわしい名前の詞牌です。

 「鵲橋仙」の詞譜は次のとおりです。

 鵲橋仙 詞譜・雙調56字
  ▲○△●,△○△●,△●▲○△仄。▲○△●●○○,▲▲●、△○△仄。
  △○▲●,△○△●,△●▲○△仄。△○△●●○○,▲▲●、△○△仄。
   仄:仄声の押韻。○:平声。●:仄声。△:応平可仄。▲応仄可平。
   「、」は、当該七字句を上三下四に読むことを示す。

<感想>

 誰もが知っている「荒海や」の芭蕉の句を、七夕を読んだものだと解釈しようという大胆な発想に、まず驚きますね。
 七夕は普段会えない恋人同士の逢瀬、そのことで見れば、わざわざ「荒海」によって途絶された佐渡の流人、というシチュエーションを持ってくるまでもないわけで、「荒海と七夕、佐渡と七夕は、なかなか結びつきません」というのは仰る通りです。

 しかし、七夕の日の句であるとするならば、少なくとも、芭蕉は「(七夕の)天河」と詠んだ可能性は高いとも言えますね。
 となると、これまで写生描写的に読み取られてきたこの句も、結びつかないものを結びつけるような試みも意味が出てきて、決して「暴走」とばかりは言えないかもしれません。

 文学の考証的にはどうなのかは別にしても、鮟鱇さんの詩想を膨らませる素材としては十分だったようですね。

 後半の「獨」は流れた感じで、「尚」とか「惟」「却」とか、牽牛(流人)の気持ちがもう少しでるような言葉があるような気がします。

 それにしても、「佐渡」の由来はネットで見ると「沢田」、沢が多いとのことですが、こうして漢詩の中に入ってくると、「佐渡」という字が「渡るを佐ける」と書くのが、何とも反語的なニュアンスを持って感じられますね。




2013. 9. 4                  by 桐山人



鮟鱇さんからお返事をいただきました。


「佐渡」という字が「渡るを佐ける」という感想、とても楽しく拝読しました。

 さて、拙作、「鵲橋仙・七 夕 其五」ですが、

   獨思天上兩人逢,

 の「獨」につき、ご指正いただきありがとうございました。
 作者としましては、天上の兩人に対し、地上の私は一人、ということで、「獨」を用いています。
 いささか緩いとは思いますが、掲句は句中対で、

 (地上)獨(身)思,天上兩人逢

 という二句を一句にしたものと見ていただければ幸いです。

2013. 9. 5             by 鮟鱇





















 2013年の投稿詩 第231作は 藤城英山 さんからの作品です。
 

作品番号 2013-231

  憂吾国教育        

不知政者教育真   知らず 政者は真の教育を

不教師親人間仁   教へず 師や親は人間の仁を

不解児童人命尊   解らず 子供は人命の尊さを

当危機国家人民   当に国家人民の危機なり

          (上平声「十一真」の押韻)



<感想>

 政治家も親や教師も、そして子ども達も、大切なことを皆、見失っているという感慨は、恐らく多くの方が感じていらっしゃることだと思います。
 そうした怒りと憂えが、各句の頭に置かれた「不」の字によって、強く出されているのでしょう。

 近体詩では、同字重出は禁忌で、特にこの詩のように同じ位置に並ぶのは良くないのですが、この詩では三句対による強調表現の一環と言えるかもしれません。
 ただ、文の構造から見れば、述語の「不知」や「不教」の前に「政者」や「師親」などの主語が来るべきところ、つまり、この三句は倒置法になっているわけです。
 そうなると強調もちょっとくどくなりますので、ここは主語を句の頭に置く形に変更するのが良いでしょうね。
 また、「不」で強調するのなら、他の字の重複は避けるべきで、「人」の字が三度、「教」の字が二度も出るのは考えものですね。

 平仄の面では、

  @起句承句は「二六対」が崩れていること
  A転句の末字は本来は仄声にすべきところが平声になっていること
  B承句・結句は下三字が同じ平仄、つまり「下三平」になっていること

 起承結句の押韻は整って来ましたので、前半の三句の語順をまず入れ替えて、平仄を合わせる方向で推敲を進めると良いでしょうね。
 せっかくの思いが軽く流れてしまいそうですよ。



2013. 9. 8                  by 桐山人



謝斧さんから感想をいただきました。

内容が風雅をもとめていませんし、風刺に飛んだ内容ですから、一韻到底格の古詩と理解しました。
そうであれば問題はないかとおもいます

 起句は「教」を平用として四仄三平
 承句は三平連ですが「親」が平なので軽い失声です。
 結句は四仄三平の三平連になり、概ね一韻到底格が適応しているようです。
 一韻到底格は八割程度平仄があえば良いと聞きおよんでいます。
2013. 9.21           by 謝斧

























 2013年の投稿詩 第232作は 藤城英山 さんからの作品です。
 

作品番号 2013-232

  新世紀偶感        

憂新世紀変年年   年年変わる新しい世紀:時代に憂う

過去拘不視先先   いつまでも過去に拘れば先は視えず

大局的人道見地   もっと大局的人道の見地:観点に立ち返り

繁栄人類有一連   人類の繁栄は世界の一連にあり

          (下平声「一先」の押韻)



<解説>

 毎年移り変わり行くなか、いつまでも過去に拘り、愚かな抗争していては、未来は無いといえます。
 いまこそ世界は、もっと大局的人道観点に立ち、しいてはこの人類存続、繁栄のため手を取り合って共に歩むべき時といえるでしょう。

<感想>

 こちらの詩も、押韻までは大丈夫というところですね。

 起句は平仄では問題ありませんが、意味がよく分からないですね。
 「新世紀を憂ふ」までは良いですが、「変年年」はちょっと伝わらないでしょうね。

 承句は句の切れ目が三字目ですが、分かりやすくするには四字と下三字という組み合わせが良いので、「過去拘拘不視先」としておけば、平仄も合います。

 転句も句の切れ目が違うのと、「四字目の孤平」「下三仄」になっているので、修正をどうしましょうね。実は「人」の字は結句にも出ていますので、どちらかをやめなくてはいけません。
 まず修正しなくてはいけないのは転句でしょうが、ニュアンスとしては「大道同仁爲見地」という感じでしょうか。

 結句は「一連」では平仄が合いませんので、他の言葉で探しましょう。



2013. 9. 8                  by 桐山人
























 2013年の投稿詩 第233作は 素衣 さんからの作品です。
 

作品番号 2013-233

  夜間作詩        

一燈幽勝字書香   一燈 幽勝 字書香し

摘葉撫詞臨夜長   葉を摘まみ 詞を撫で 夜の長きに臨む

文墨不充毫勿盡   文墨 充ちず 毫 盡きず

忘眠案句夢中荘   眠るを忘れ 句を案ず 夢中の荘

          (下平声「七陽」の押韻)



<解説>

 夜な夜な漢詩作りに夢中になっている自分自身をふと顧みて作りました。
 書物の匂いが好きでして、古本も新品も、購入後は思わず顔を近づけてしまいます。

<感想>

 素衣さんの今回の詩は、日ごろのお姿が彷彿とするような素直な作品になっていると思います。
 そうだよな、俺も詩を作り始めた頃はこうだったなぁ、と思う方もいらっしゃるかも。
 夜長の秋を迎えましたので、この新鮮な気持ちを再現してみてはいかがでしょう。(と、これは私自身への言葉です)

 よくお勉強なさっていることが伝わってくる詩で、特に前半は、書物を愛おしむ姿が鮮明で、何となく江戸の文人が作ったような趣があります。

 後半はやや冗長で、特に結句は「忘眠」「案句」「夢中」のどれも改めて言うまでもないことばかり、前半の勢いが途切れてしまってます。
 それは、四句とも詩のことばかりなのも関係しているかもしれません。
 後半、特に転句などに、時間の変化や気象の変化を室内外の風物で表して、読者の視点を変えることなどがよく使われる手段です。それを「ありきたり」というより「効果的だから使われる」と考えて、自分の作品に生かしてみるのも練習ですよ。



2013. 9. 8                  by 桐山人
























 2013年の投稿詩 第234作は 素衣 さんからの作品です。
 

作品番号 2013-234

  休日早朝偶感        

懐憩帷中忌惰眠   帷中に憩ふを懐くに 惰眠を忌み

憶遊門外厭塵縁   門外に遊ぶを憶ふに 塵縁を厭ふ

忽開簾影糸糸雨   忽ち簾影を開けば 糸糸の雨

迷悶泡泡落枕辺   迷悶は泡泡として 枕辺に落つ

          (下平声「一先」の押韻)



<解説>

 休日の過ごし方などは、休日の来る度に迷ってしまいます…。
 六畳一間でゴロゴロするか、四方八方をぶらぶらするか、否か。
 この日8月25日早朝もウダウダ迷った挙句、外のどしゃ降りに気づきまして。
 これが決定打というか、落とし所というか、寄るべき口実となりました。



<感想>

 ぽっかりと予定のない休日というのは、確かに、どうやって一日過ごそうか悩みどころで、うだうだと考えている内に時間だけが過ぎていき、結局何もしないで終わってしまったということは、私のような年齢になっても起きることです。
 最近は休日が増えたので、悩んだら庭の草むしりを一時間ほどして、無心になって(草むしりは自分の心を空っぽにしてくれることに気づきました)一汗かき、シャワーを浴びてからその日の行動を考えるようにしています。
 まずは「身体を動かす」ことが先決だと思ってのことですが、おかげで、去年までは朝起きてからメールチェックやらサイトの更新をしていたのができなくなり、結局、今までとペースがあまり変わらない状態です。
 掲載が遅れた言い訳ではありませんが・・・・。

 さて、詩を拝見しますと、前対格(起句と承句を対句にする)を狙った形ですが、前対格の場合には起句は踏み落としにするのが正格です。
 家でごろ寝も情けないし、外に出て人混みに紛れるのも鬱陶しい、まあ、八月下旬の暑さも今年は異常でしたから、あまり外出したくないという気持ちも強かったのでしょうね。
 「懐」「憶」はどちらも気持ちを述べたものでしょうが、どちらも語意としては「胸の中の深い思い」を表します。この場合は、それほど深刻に悩んでいるというわけでもないようですので、「思」「想」程度の字で良いかと思います。

 転句は「忽」ですと前半からのつながりに疑問があります。「偶」とするか、「窓を開けたら忽ち雨を見た」という展開ならば共感できますね。

 結句は洒脱な句になっています。このあたりが、素衣さんの個性が出たところですね。



2013. 9. 9                  by 桐山人
























 2013年の投稿詩 第235作は 東蔭 さんからの作品です。
 

作品番号 2013-235

  盆之送火        

殘暑晡時毎夏営   残暑の晡時(ほじ) 毎夏の営み

緩流河岸焚松明   緩流の河岸 松明を焚く

歸還先祖如微笑   歸還の先祖 微笑するが如し

送別児孫念佛聲   送別の児孫 念佛の聲

          (下平声「八庚」の押韻)



<解説>

 まだ暑さが残る夕方五時頃、毎年の夏の行事
 緩やかな流れの川岸から松明を焚く
 極楽浄土に帰る先祖は微笑んでいるようで
 見送る私たち子孫は念仏を唱えている



<感想>

 「晡」は「夕方」を表しますが、昔、おやつを食べた時間ということで、申の刻、午後四時頃を中心とした時間帯。
 お盆の暮方、お寺に関わる方ならではの一首ですね。

 起句の「毎夏営」はお寺としては当然の感慨かもしれませんが、何とも説明的というか事務的な印象で、もう少し情景を出した方が良いでしょう。
 特に、後半は人事に移りますので、前半は叙景に徹するような形の方がまとまりますね。

 後半の「帰還先祖」「送別児孫」の対応は面白いと思いますが、「如微笑」は姿の見えない先祖に対しては妙で、「如」の比喩ではなく推量を表す言葉を置くべきでしょうね。



2013. 9.18                  by 桐山人
























 2013年の投稿詩 第236作は 深渓 さんからの作品です。
 

作品番号 2013-236

  世界遺産富士山        

誰云日域衆称同   誰か云ふ 日域 衆同に称す

無類霊峰聳宙中   無類の霊峰 宙中に聳ゆと

勿涜信仰清浄境   涜す勿れ 信仰 清浄の境

有時拒上鎖狂風   時に有り 上るを拒み 狂風に鎖さる

          (上平声「一東」の押韻)



<解説>

 世界遺産に登録され、六根清浄の霊山が内外の観光客で賑わうという。
 五合目からの登山で安易に軽装で上りゴミ・排泄と問題あり。
 古来からの信仰登山4ルートの一合目から、何がしかの入山料を徴収しての登山としては如何にや・・・冒涜する勿れとぞ。

<感想>

 世界遺産登録に対しての、今後への危惧がだされていますね。
 富士山が意思表示をして、時には登山を拒否するという結句の表現は、控えめな言い方ですが、結構強い気持ちが出ていると思います。

 起句の「誰云」は、この疑問形と句末の「衆称同」がバランスが悪いですね。
 下三字も語順が気になりますが、読み下しを「衆の称すること同じうす」と訓じておくのでしょうね。



2013. 9.19                  by 桐山人
























 2013年の投稿詩 第237作は 亥燧 さんからの作品です。
 

作品番号 2013-237

  夏日夕景        

日抱工房西北沈   日は工房を抱いて西北に沈まんとし

天空染朱浄吾心   天空朱に染めて吾心を浄む

撥簾百万美元景   簾を撥ぐれば百万美元の景

殷賑芳筵冗舌喑   殷賑芳筵 冗舌喑す

          (下平声「十二侵」の押韻)



<解説>

 叙勲受章記念パーティーに招かれて行ってきました。会場のホテル8階からの眺めが素晴らしく、特にこの時期は工場を丸ごと包んで日が沈みます。
 アキアカネが舞って真っ暗になるまで遊んだ子供のころ、煙突から出る煙や車の排気ガスさえ好ましく思えたものでした。

 さて、この詩は夕景を見せるために頃合を見計らってボーイさんがカーテンを引いてくれた時のことです。
 参会者があまりの美しさにしばし茫然・・・。

<感想>

 以前、私も教え子の結婚式が東京であった時、式の最高潮の場面で、やはりボーイさんがおもむろにカーテンを開きました。ビルの並ぶ東京の街の向こうに、富士山が見えました。
 新郎新婦はひとまず置いて、一同、外を眺めていました。
 この演出は晴れて空気の澄んだ日しかできないわけで、そういう意味でのラッキー感、結婚式そのものが幸運を呼んでくれたような感じで、なるほど良いものだと感心しました。
 昔の言葉で言えば、「心がけが良い」というところでしょうかね。

 転句の「百万美元景」は「百万ドルの景色」の直訳ですが、これを言葉で描くのが詩だと思いますので、もう一踏ん張りしてみてはいかがでしょう。



2013. 9.18                  by 桐山人
























 2013年の投稿詩 第238作は 観水 さんからの作品です。
 

作品番号 2013-238

  寄東京五輪大會        

五輪旗下置干戈   五輪旗下 干戈を置き

共讚堂堂健鬪多   共に讃ふ 堂堂 健闘の多きを

請看東京七年後   請ふ看よ 東京 七年の後

燦然聖火映平和   燦然たる聖火 平和を映さん

          (下平声「五歌」の押韻)



<解説>

 オリンピックの旗のもと 争いごとはさておいて
 一流選手のフェアプレー 一緒になって応援だ
 ぜひ見てください七年後 東京五輪のあかあかと
 もえる聖なるともし火が 世界平和を映しだす


<感想>

 素直にオリンピック招致決定を祝いたい、という観水さんのコメントが添えられていましたが、その通りですね。

 前回のオリンピックの時は、私は小学六年生でした。テレビにしがみついていた記憶があります。
 あの時は、東京で開催でしたが、戦後の復興の象徴として、国全体で大会の成功を応援するという雰囲気がありました。今度はどこまで引っ張れるか、メダリストやロビーストにまかせっきりにしないで、世界情勢の不穏な中、まさに新しい姿、平和の象徴としての五輪を見たいですね。

 観水さんの起句に、その思いが凝縮されていると思います。



2013. 9.19                  by 桐山人
























 2013年の投稿詩 第239作は 素衣 さんからの作品です。
 

作品番号 2013-239

  九月八日果報        

一封清韻響千家   一封の清韻 千家に響けば

四面歓心笑臉霞   四面の歓心 臉霞(けんか)に笑(さ)く

七歳遥望五輪色   七歳 遥に望む 五輪の色

只今茲有万紅花   只今 茲に有り 万紅の花

          (下平声「六麻」の押韻)

「臉霞」: 霞がかった顔



<解説>

 「TOKYO 2020」の一報を拝見致しました。
 IOC、ロゲ会長の一言に、一挙に沸き立つ喜色満面。
 たった九字に眠気も爆ぜる、巷のハイテンションぶり、紅潮ぶりにはオリンピックというイベントの爆発力を改めて思い知らされました。
 2020年は7年も先ですが、既に一つのお祭りを見たような気がします。

 色々と心配な事柄もありますが、一先ずはあの瞬間のために五色の桜のロゴの下、方々駆け回った方々へ、お疲れ様ですという言葉をお送りできたらな・・・と
 ブエノスアイレスで感極まる面々を目の当たりにしつつ感慨にふける朝でした。

<感想>

 私もこの日はテレビで発表の瞬間を見ていました。
 「発表です!!」と言われてから、封筒を開くまでの長い時間、20分くらいかかりましたよね。
でも、関係者にあんなに泣かれると、「よく頑張ったね」とつい声を掛けたくなるのは納得です。

 詩は、前半はよくまとまっていると思います。
 後半まで来ると、しかし、数詞の多さが気になります。一首の中に六箇所ですか。意図的に入れようとしたからか、句の意味が伝わらないですね。
 例えば、転句の「遙望」するのは五輪の大会だと思いますが、「五輪色」では何のことか、わかりにくいですね。「色」が邪魔です。
 また、結句も「只今茲有」は強調し過ぎで、今充実してしまったら七年後には何を望めば良いのか、「もう終ってしまった」感が出てしまいます。
 同じことは「万紅花」にも言えて、「万」は言い過ぎと言うか、数詞におぼれた感じですね。

 ただ、おめでたい話ですので、これくらい派手でも良いじゃないか、という声も聞こえそうですので、これはこれかなという気もしますね。



2013. 9.19                  by 桐山人
























 2013年の投稿詩 第240作は 玄齊 さんからの作品です。
 

作品番号 2013-240

  祝東京五輪        

此集千載念   此に集ふ千載の念

茲會勇士魂   茲に会す勇士の魂

英雄競技地   英雄 競技の地

祖國人情温   祖国の人情温かなり

或如飛鳥疾   或は飛鳥の疾きが如くに

走者街巷奔   走者 街巷奔る

或如五輪繋   或は五輪の繋がるが如くに

笑語聽聲援   笑語 声援を聴く

日日報快挙   日々 快挙を報じ

欣然多相論   欣然として相論ずること多し

賞賛精鋭技   精鋭の技を賞賛し

將來傳子孫   将来の子孫に伝へん

一年如一夢   一年は一夢の如くに

萬國旗相翻   万国の旗 相翻る

二度迎祭典   二度の祭典を迎へて

首都賭乾坤   首都 乾坤を賭ける

一國生活力   一国 活力を生じ

享受元気源   元気の源を享受す

歡談茲一日   歓談する茲の一日

相酌酒一樽   相酌む酒一樽

感激尋往事   感激して往事を尋ね

感謝機会存   機会の存するを感謝す

詩人偏吟詠   詩人 偏に吟詠し

人生在黄昏   人生の黄昏に在り

涕涙祝吉事   涕涙して吉事を祝ひ

僅欲報大恩   僅に大恩に報いんと欲す

此年懷盛況   此の年の盛況を懐ひ

將見勝萬言   将に万言に勝るを見んとす

          (上平声「十三元」の押韻)



<解説>

(現代語訳)

 この場所に千年の思いを集めて、この場所に勇士の魂を会わせます。
 英雄が技を競う地である、この日本の国の人情は温かいです。
 ある時は五輪の輪がつながるように、笑い話や声援を聴きます。
 日々に快挙を報じて、喜びながらお互いに論ずることが多くなりました。
 選手の精鋭の技を賞賛して、将来の子孫に伝えたいのです。
 一年は一夜の夢のように、多くの国々の旗が翻っています。
 東京は二度の祭典を迎えて、首都の命運を賭けています。
 この国の活力を生んで、人々は元気の源を受け取っています。
 その一日のことを歓談し合って、一樽の酒を酌み交わしています。
 感激して今までのことを尋ねて、このような機会があることを感謝します。
 詩人はひたすらに詩を吟じて、人生のたそがれ時にいます。
 涙を流してこの吉事を祝い、わずかに今まで受けた大恩に報いようと思います。
 この年の盛況な風景を思い浮かべて、多くの言葉にまさる出来事を見ようとしています。

 私も持病と向かい合いつつ、残りの人生をしっかりと元気に過ごし、東京五輪開催の日を迎えられるように頑張っていきます。


<感想>

 玄齊さんからも、東京五輪の詩をいただきましたので、まとめて掲載をしておきましょう。

 東京オリンピックが2020年の七年後、新聞の報道でリニア新幹線が2027年開通予定というのを読むと、ついつい、オリンピックは見られるだろうけど、リニアには乗れるかな?と心配をする年齢になっていました。
 玄齊さんはお病気のご心配、私の場合は単なる老化の問題ですが、こうしたイベントを目標に頑張ってみるのも大切ですよね。

 そう言えば、今年行ったベトナムで、バスの車中で現地ガイドさんが説明をしてくれる話の中で、印象に残っているのが、「〇〇の工事の完成は四十年後です」とか「△△は2080年に完成を目指しています」という、いろいろな今後の建設や建築の予定を教えてくれたことです。
 一瞬、呆然としてしまいました。
 聞き間違いかと思えるほどの遠い将来の予定、それはつまり国としての開発計画でしょうが、それを自信というか自慢というか、期待をこめて語ってくれる姿に、日本とは明らかに異なる時間の流れを感じました。
 「百年後には橋が架かって、みんなの暮らしが便利になる、それを見るのが楽しみじゃ」と白髯の老人が川を眺めながらつぶやいている。そんな話が真実らしく感じるようなベトナムの風景でした。

 人生の長さは私たちにはどうしようもないのかもしれませんが、その折その折に出遭えることを味わいながらいきたいですね。



2013. 9.20                  by 桐山人