作品番号 2013-121
次韻ニャース雅兄「寄桐山堂懇親会」 ニャース雅兄の「寄桐山堂懇親会」に次韻す
早發櫻花九段樓 早に発く 櫻花 九段の楼
醉吟坂下弄高遊 酔吟の坂下 高遊を弄す
異郷萬里同春月 異郷 万里 春月を同じうし
今夕朋知意訪求 今夕 朋知の意を訪ね求めん
<解説>
ニャースさんからいただいた「寄桐山堂懇親会」の詩に感謝し、次韻しました。
2013. 4.11 by 桐山人
作品番号 2013-122
次深渓先生「桐山堂懇親会」韻 深渓先生の「桐山堂懇親会」韻に次す
千鳥碧潭春色親 千鳥碧潭 春色親しむ
綺雲垂下遍天真 綺雲垂れ下り 天真を遍くす
詩朋千里桐山宴 詩朋千里 桐山の宴
清話佳肴善雅賓 清話 佳肴 雅賓を善す
<解説>
深渓さんには、今回の懇親会では大変お世話になりました。
いただいた「桐山堂懇親会」の詩に次韻し、感謝の意を表します。
2013. 4.11 by 桐山人
作品番号 2013-123
次韻觀水詩友「春夜偶成」 觀水詩友の「春夜偶成」に次韻す
春色漫漫九段邊 春色漫漫 九段の辺
衆人遙夕醉花淵 衆人 遥夕 花淵に酔ふ
古今風雅相親處 古今の風雅 相親しむ処
十五年來詩友縁 十五年来 詩友の縁
<解説>
觀水さんの高校時代からのお付き合い、高校卒業、大学入学、就職、結婚、子育てと觀水さんのこれまでの人生にお付き合いでき、本当に嬉しく思っています。
懇親会の当日は夜遅くまでお付き合いくださり、本当にありがとうございました。
いただいた「春夜偶成」の詩に次韻させていただきました。
これからもよろしくお付き合いください。
2013. 4.11 by 桐山人
作品番号 2013-124
次韻東山雅兄「桐山堂華筵」 東山雅兄の「桐山堂華筵」に次韻す
仲春一夜醉花筵 仲春一夜 花筵に酔ひ
新舊同人喜好縁 新旧の同人 好縁を喜ぶ
電網交遊千里友 電網の交遊 千里の友
莞然遙望九州天 莞然として 遥かに望む 九州の天
<解説>
東山さんには今回初めてお会いしましたが、同い年の気安さ、意気投合という気持ちでした。
佐賀からはるばるとおいでになった東山さんとの邂逅を喜び、いただいた「桐山堂華筵」の詩に次韻させていただきました。
2013. 4.11 by 桐山人
作品番号 2013-125
桐山堂詩宴 桐山堂詩宴
櫻花白玉滿枝垂 桜花 白玉 枝に満ちて垂れ
遍映燭光千鳥陲 遍く燭光に映ず 千鳥の陲
芳宴夜闌歡不盡 芳宴 夜闌にして 歓尽きず
曉來萬客詠新詩 暁来たりなば 万客 新詩を詠まん
<解説>
楽しい宴をありがとうございました。
参加できなかった皆さんへもご挨拶として拙詩を献上します。
事前に開催された漢詩大会では、全国の多くの皆さんから桐山堂への熱い期待と温かい励ましをいただきました。
結句はそうした思いを受け、未来につながる漢詩の新しい道を歩いていきたいという気持ちを述べさせていただきました。
2013. 4.11 by 桐山人
作品番号 2013-126
次韻「桐山堂詩宴」
櫻花爛漫十分垂 桜花 爛漫 十分に垂れ
相集同門九段陲 同門 相集ふ 九段の陲
萬里遙聽醉吟宴 万里 遙かに聴く 醉吟の宴
孤雁無奈只敲詩 孤雁 奈ともする無し 只詩を敲く
<解説>
去る23日の「桐山堂懇親会」には、急遽、参加出来なくなり、残念でした。
過日、不参加者に対し、主宰からの御挨拶句「桐山堂詩宴」を頂戴致しましたので、不束ながら次韻させて戴きました。
靖国の花を思はば無念あり
<感想>
早速の次韻、ありがとうございます。
九段の辺りの桜の様子を、兼山さんはインターネットでご覧になっておられたそうです。
遠く離れていても同じ景色を眺めることができる、白居易が現代に来たらどんな詩を詠むだろうか、そんなことをふと考えました。
2013. 4.14 by 桐山人
作品番号 2013-127
雨中看花
廃墟点綴一渓環 廃墟点綴 一渓環り
遠近空濛別子山 遠近空濛 別子の山
微雨蓓蕾迎節動 微雨 蓓蕾節を迎へて動き
早晨散策ト身閑 早晨 散策 身の閑なるをトしむ
<解説>
明治時代には人口一万人を擁した愛媛県の旧別子山村ですが、廃鉱と共に多くの人が職を求めて町へ降りてきました。
石組み、空き家、崩れ落ちた橋など、往時が偲ばれます。
<感想>
別子村の「廃墟」の情景と、詩題の「雨中看花」、そして「ト身閑」、この三つのことをつなぎ合わせるのに苦労しました。
転句までで収めて、廃墟の村にも春は確実に来る、というところならば古典的な感懐となりますが、「閑をト(たの)しむ」という結句との関連がなく、全体の展開が混乱しているように感じます。
「往時を偲ぶ」というテーマで行くか、自分の生活をテーマにするか、どちらかに絞るのが良いかと思います。
転句は平仄が乱れていますので、「微雨蕾頭」とするところでしょう。
2013. 4.14 by 桐山人
鈴木様
いつも胸にスト〜ンと落ちる教示を有難うございます。
あれもこれも欲張って、挙句、焦点がぼけてしまいました。
まだ、題の意味がよくわかってなく、詩語をあっちこっちから引っ張ってくるうちに、何が言いたいのか自分でもわからなくなるときが多々あります。
はい。また推敲します。
2013. 4.16 by 亥燧
作品番号 2013-128
癸巳春季釋菜献詩
一意尊崇四哲誠 一意尊崇す 四哲の誠
萬民祈求兩邦平 万民祈求す 両邦の平らかなるを
以和爲貴仁風驗 和を以って貴きと為すは 仁風の験
春復相親廟楷櫻 春復り相親しむ 廟の楷桜
<解説>
先生、お世話になります。宜しくお願いします。
今回の投稿詩は、当地多久聖廟の春季釈菜(4月18日)への献詩です。
多久聖廟では、毎年春秋の釈菜に、献詩を募集しています。
最近の情勢に鑑み作りました。
<感想>
「春季釈菜」が4月18日ということでしたので、ぴったりにしようと思っていましたが、掲載を急いだ方が良かったでしょうか。すみません。
作者のお気持ちはよく分かりますが、前半は対句を狙ったものでしょうか、やや流れが悪いですね。
展開としては、起句の「尊崇四哲誠」から承句の「祈求兩邦平」へつなぐのは舌足らずで、私の感覚では、承句と転句は逆の方がすっきりします。
「希求」は「祈願」の方が良いですね。
転句の「以和爲貴」の「和」は仄字だと思いますが、ここは熟語として通しても良いでしょう。
結句の「廟楷櫻」はよく工夫された表現で、孔木である「楷」と日本の「桜」で日中和平を象徴させているのですね。
となると、「兩邦平」が必要かどうか、悩ましくなってきますね。
2013. 4.17 by 桐山人
作品番号 2013-129
成人日
元服新雪埋東都 元服の新雪 東都を埋めて
長衣金襴足下濡 長衣の金襴 足下濡る
青春遥然古希迫 青春遥然として 古希迫り
獨聴巴赫初恋蘇 独り巴赫(バッハ)を聴けば初恋蘇る
<解説>
成人式の日の大雪は生活に混乱をきたし、私も庭に出るのが億劫で、ひとりCDをかけて聴いていました。
昼のニュースで晴れ着の女性が雪に足を取られている映像を見て、わが青春のなんと遠き日かとふり返ったことです。
日本語がそのまま漢文に通じるのかどうか、また平仄等はまだ混乱状態です。
<感想>
哲山さんの今回の詩は、平仄は後回しにして、内容を吟味しますと、
@今年の成人の日は雪 → A着物の女性が足を滑らす → B作者自身の二十代への思い → C初恋の思い出
というところでしょう。
さて、起承転結ですので、Bのところで連想が進むのは構いませんが、それでも読者にある程度は理解できる範囲でないといけません。
「着物姿の女性が足を濡らした」ことから自分の青春時代を思い出したというのでは、読者が共感するのは苦しいでしょうね。
せめて、「足下濡」はやめて、男性の様子も描くと、「成人の日に若者の晴れ姿」となり、「昔の私もこうだった」という感懐につながると思います。
句の構成は、読者への配慮であり、共感のための道案内に心がける必要があります。
それは、結句でも同じで、「バッハ」を聴くことと「初恋」の関連も不親切ですね。つながりがあるのならそれを予感させる表現が必要で、今のままですと、たまたまその日に作者がバッハを聴いていたとしか私には理解できません。
逆に言えば、作者がバッハを聴いていたのは事実だとして、そのことを表現する必要があるのかどうかが検討課題ですね。
七言絶句は五言よりも一句の字数が多いとは言え、それでも書けることは限られてきます。
個人的な記録として作者自身がこっそりと愉しむための詩ならばどんな展開でも構わないのですが、他人に読んでもらうことを考えると、読者に無理なく共感してもらうように詩を書くことも大切なこと要素です。
そういう観点で見直しをしてみてはいかがでしょうか。
2013. 4.17 by 桐山人
作品番号 2013-130
詠処士 換骨奪胎
紛紛世上蹙眉多 紛々たる世上に
濯足帰田処士窩 濯足して帰田す 処士の窩
誰識流嚶彼鶯谷 誰か識らん 流嚶す彼の鶯谷
怯寒舌渋未成歌 寒に怯え舌を渋りて 未だ歌を成さず
<解説>
「窩」: 住み家
「鶯谷」: 不遇の地位 詩経小雅「伐木」
鶯は喬木に遷るを思うも 寒(時勢の悪き)に怯えて 未だ歌をうたわず(志を遂げず)
早春に賦す
春は名のみの 風の寒さや
谷の鶯 歌は思えど
時にあらずと 声も立てず
時にあらずと 声も立てず
<感想>
不景気が長く続いたせいなのか、バブルの夢がまだ忘れられないのか、世情はまことに「眉を蹙(しか)める」ことが多いようです。
この「早春賦」は長野県安曇野の初春の様子を詠い上げた心にしみる曲ですが、その「時にあらず」の「時」の解釈を、本歌の「季節」の意味から「時勢」に読み替えた点が、謝斧さんの今回の主題ですね。
「濯足帰田」は屈原や陶潜を意識させられますが、世を離れ隠遁しようという心情の裏側には、世の中の役に立ちたいという思いがあればこその憂悶があるわけで、そこが「詠処士」の題名の拠るところでもあるでしょう。
2013. 4.20 by 桐山人
作品番号 2013-131
寄懐念(次薫染雅友冬季風景詩韻)
病苦詩朋久別離 病苦の詩朋 別離して久し
喜聞発露四時移 喜び聞く 四時の移ろいに発露するを
勧君列坐芙蓉集 君に勧む 芙蓉の集いに列坐するを
同好騒人近在滋 同好の騒人 近在に滋げし
<解説>
薫染さんは、静岡の芙蓉漢詩会で、第八集まで同人でしたが、骨折により、離れておられました。
その薫染さんの詩「冬季風景」を拝見し、大変嬉しく、次韻詩を作ってみました。
<感想>
薫染さんは以前、刈谷の漢詩講座の発表会にもおいでになりました。
講座生徒の作品ひとつひとつを丁寧に読んでくださり、漢字や読み下しの歴史的仮名遣いなどにも目を配ってくださり、熱心に漢詩に取り組んでいらっしゃる方だと感じました。
常春さんの仰るように、しばらく詩を拝見することが無かったのですが、昨年の秋から再び投稿いただくようになりました。
また、お話をうかがえることを楽しみにしています。
2013. 4.20 by 桐山人
作品番号 2013-132
次韻「桐山堂懇親會」
桐山詩客與花親 桐山 詩客 花と與に親しむ
美酒佳吟興最眞 美酒 佳吟 興最も眞なり
遠近萬來歡樂宴 遠近 萬來 歡樂の宴
招招如友又如賓 招招 友の如く 又賓の如し
<解説>
先般の「桐山堂懇親会」欠席の件、盛会だった会の模様に関して寄せられた詩文を拝見するにつけ、重ね重ね残念に思って居る次第であります。
設営に関しては在京諸氏の御尽力の賜物だった由、殊に深渓大兄からは事前に御誘いの御案内を戴きまして、誠に有難う御座いました。就きましては、深渓大兄の玉詩「桐山堂懇親会【2013-108】」に、感謝の念を込めて次韻させて戴きました。
不束ながら、拙詩・次韻「桐山堂懇親会」を送付させて戴きます。
雁信に託す東都の花の宴
<感想>
懇親会に関しましては、参加された方からの作品も寄せられ、急に欠席せざるを得なかった兼山さんは残念な思いが募ってくるようですね。
当日の写真も添えて、近日中に「懇親会」コーナーを設置しようと思っていますが、これはますます兼山さんを嘆かせることになるでしょうかね。
2013. 4.20 by 桐山人
作品番号 2013-133
花下偶讀
求索扶桑漸久時,
庭梅新綻兩三枝。
ク愁即起如潮涌,
緩繞暗香翻《楚辞》。
<感想>
金中さんから以前いただいた作品です。
日本で研究生活を送っておられた頃を思い出されてのもの、開き始めた梅の香りに故郷への思いをかき立てられたという内容ですね。
「『楚辞』の本を開いた」という結びは、郷愁を具象化したもの、日本人ならば「『万葉集』を手に取った」という感じでしょうか。
2013. 4.21 by 桐山人
作品番号 2013-134
相思
遥望山川未可尋,
音容舒巻静思君。
内心深處藍天上,
一抹閑愁一抹雲。
<感想>
詩題の「相」は「相手・対象」という意味ですからここは「相手を思う」、「相思相愛」で用いるような「お互い」に限定してしまうと漢詩を読む時に意味が取りにくくなります。
遠く離れたところに居る相手、その声や姿が頭の中を去来するというのが承句の「音容舒巻」でしょう。
「静思君」という抑制された表現が、結句につながって、成熟した感情を感じさせてくれますね。
2013. 4.21 by 桐山人
作品番号 2013-135
城址暮色
廃城沿澗峻 廃城 澗に沿うて峻しく
帰鳥下蒼岑 帰鳥 蒼岑を下る
桜樹何蕭索 桜樹 何ぞ蕭索
夕陽兵気深 夕陽 兵気深し
<解説>
戦国末の土塁を尋ねた時を思い出し、作ってみました。
「蒼岑を下る」はねぐらへ帰る場合は、「に」でしょうか。ちょっといい加減です。
<感想>
承句は「帰鳥」で既に「ねぐらに帰る」という意味は出ていますので、更に下三字でそのニュアンスを出すと繰り返しがしつこくなります。
逆に下三字を叙景に徹する形にして、読者に感じさせる方が句としては味わいが出ますので、平仮名一字のことですが、現行のままの「蒼岑を下る」の方が良いでしょう。
更にすっきりさせるなら、「過蒼岑」のような表現にすることが考えられます。
結句は連想を描いたのでしょうが、言葉足らずの印象です。
転句でも作者の感情が出ていて、「桜樹」がどうして「蕭索」なのか、「夕陽」と「兵気深」とのつながりは何か、二つのことを読者に考えさせている形ですので、ちょっと辛いかな?
私でしたら、後半は「桜」のことに専念する形にするかと思います。
2013. 4.22 by 桐山人
「桜樹何蕭索」について、
句としては何も問題はないのに、何故か桜樹に「蕭索」は妥かではないように感じるのは私だけでょうか。
よくわかりません。
桜が持つ艶やかさによるものでしょうか
2013. 5.12 by 謝斧
作品番号 2013-136
春日偶成
日午芳春有転機 日午芳春 転機有り
杜詩韓集読書幃 杜詩韓集 書を読む幃
菲才軽挙迎天歎 菲才軽挙 天に迎って歎ずるも
奮発斯心出旧扉 斯の心奮発して旧扉を出でん
<解説>
ご近所に誘われて気軽に入会したのですが、鑑賞や朗読でなく、漢詩を「創作する」教室だったのです。
後悔しましたが生来の楽天家、見よう見まねで作っていくうちにだんだん興味がわいてきて、今では月に3〜4首のペースで創作を楽しんでます。
先輩方によると、これから苦しくなるのだそうです。昔から60の手習い、少し過ぎてはいますが何事も挑戦、頑張ります。
<感想>
そうですね、無心に平仄を合わせた段階からちょっと慣れて、「良い詩を創ろう、創れるかも」と思い始めると、途端に苦しみが生まれてくる、ということはよく聞きます。
自分の気持ちを漢詩で記録する、という意識で、「以前の作品と同じような感じだなぁ」と思っても気にしないことが持続の秘訣かな、と思っています。
今回の詩は、「頑張ろう!」という気持ちがよく表れていますね。
題名を「偶成」から「書懐」とした方が内容と合うでしょう。
起句は「転機」では説明的で、何が「転機」なのか分かりにくい気がします。あっさりと「好機」としても良いでしょう。
転句は「迎」は「仰」が良いですが、どちらにしてもやや大げさな表現がユーモアを生んでいますね。
結句は結びとして良い句ですね。
2013. 4.22 by 桐山人
作品番号 2013-137
巡遊與雅友東都
白松楷樹發靈堂 白松楷樹 霊堂を発し
名蹟名詩千歳昌 名蹟名詩 千歳昌たり
同友同心如故侶 同友同心 故侶のごとし
駅頭春暮一場傷 駅頭春暮 一場傷む
<解説>
石川先生のご説明にあった白松をいれ、東京駅での解散がとても、残念でした。
<感想>
三月の漢詩大会の二日目、はとバスにて都内を巡遊した折の作ですね。
バス内では石川忠久先生の名調子による詩蹟解説、折から東京はどこもかしこも桜が満開で、絶好のバスツアーでした。
今回のバスツアーは、関東以外の参加者を優先して入れて下さったそうですが、補助席を使わないと全員が座れないほどの盛況、楽しい時間でした。
2013. 4.22 by 桐山人
作品番号 2013-138
下與雅友墨水
墨畔櫻雲雅客招 墨畔桜雲 雅客を招き
玉樓千丈穿春霄 玉楼千丈 春霄を穿ぬく
群鷗碧水光風映 群鴎 碧水 光風映じ
滑下軽舟十六橋 滑り下る軽舟 十六橋
<解説>
初めて水上バスに乗り、春の墨田川と多くの橋、滑るように下る舟、両岸の景色が印象的でした。
<感想>
こちらは隅田川を舟で下った様子ですね。私は方向音痴ですので、下ったのか上ったのか、よく分かっていませんでした。
起句で折しもの桜の様子、承句はスカイツリーと、臨場感がよく出ている前半ですね。
後半も水が流れるような躍動感があり、勢いがあるまま収束していると思います。
2013. 4.22 by 桐山人
作品番号 2013-139
願日中友好
宰相戯言品性疑 宰相の戯言 品性を疑ふ
薄氷如踏政情危 薄氷踏むが如く 政情危し
共尊歴史常守節 共に歴史を尊び 常に節を守り
友好隣邦治世姿 友好隣邦 治世の姿
<解説>
このところ為政者の挑発的な言動が目につきます。
日中の経済交流が進み、更なる友好関係が築かれようとした矢先に一体何があったのでしょうか。
兎も角、先ずはお互いの歴史や文化を理解し尊重する姿勢が大切と思います。
<感想>
そうですね、日中関係が不穏な状態ですと、私も中国旅行に行くのに妻の承諾が得られず、困ってしまいます。
「宰相」に限らず、首長という立場の人の不用意な発言や行動が、永年積み上げてきた友好の関係を一気に崩してしまいました。
ご本人は「してやったり」と思っているのかもしれませんが、困ったものです。
起句の「戯」は仄声になりますので、ここは「四字目の孤平」になっています。「多言」「妖言」などでしょうか。
転句の六字目の「守」も仄声で合いませんので、「遵」あたりでどうでしょう。
2013. 4.22 by 桐山人
作品番号 2013-140
月瀬観梅 其一
尋梅独往踏青疇 梅を尋ねて独り往く 踏青の疇
少頃嘗茶坐望楼 少頃 茶を嘗めて望楼に坐す
眼下含煙花似雪 眼下 煙を含みて 花 雪に似たり
香風無限送春愁 香風 無限 春愁を送る
<解説>
鈴木先生、お久しぶりです。
最近はすっかり作詩から遠ざかり、先日の漢詩大会も雑用にかまけて出席できず失礼いたしました。
先日、伊賀上野での仕事の合間に月ヶ瀬の梅を見てきました。それで頑張って詩を作ってみたのですが、梅はどこの梅も一緒で月ヶ瀬らしさは出ません。
月ヶ瀬は山頂の遊覧コースには紅白とりどりの梅が植えられていますが、麓を眺めると実を取るための白梅が多く、頼山陽などの詩人が眺めた景色はこれだったんだろうな思わせる風情のある景色でした。
<感想>
実は私も月ヶ瀬に梅を見に行ったのですが、三月上旬、時期が合わず、梅はほんの数枝、綻んでいた程度でした。
私の住んでいる知多半島は温暖ですので、同じように考えたのが敗因でした。行き当たりばったりの計画性の無さが原因だと家族に叱られ、反省しています。
月ヶ瀬の梅だということをどう表すかは難しいところですね。
私は梅の咲いていない月ヶ瀬しか見ていないので恥ずかしいですが、転句の「眼下」がそれほど働いていないので、ここに「渓澗」「谿上」などを入れると少しは雰囲気がでるでしょうか。
2013. 4.23 by 桐山人
作品番号 2013-141
月瀬観梅 其二
尋来細径里閭隈 尋ね来る 細径 里閭の隈
仰見超牆古樹魁 仰ぎ見る 牆を超ゆる古樹の魁たるを
絳萼垂枝正絢爛 絳萼の垂枝 正に絢爛
郷人窃愛奥蔵梅 郷人 窃かに愛す 奥蔵の梅
<解説>
こちらの梅は、月ヶ瀬出身の知人に教わった遊覧コースからは外れたところにある、みごとな枝垂れ梅です。
<感想>
前半は「尋来」と「仰見」の、二つの動作を表す言葉が並んでいますが対句ねらいでしょうか、「仰見」はあまり働きがなく、煩わしい気がします。
「墻外余香」「墻上清香」のような形で「香り」を持ってくるのでしょうかね。
後半はすっきりして、梅への愛情が伝わってくるようですね。
2013. 4.23 by 桐山人
作品番号 2013-142
季春偶感
晩雨朝風山野周 晩雨 朝風 山野ニ周ネシ
花開花落送春愁 花開キ 花落チ 春ヲ送ルノ愁
節正耘耔農耕季 節ハ正ニ 耘耔農耕ノ季
督老執鋤南圃疇 老ヲ督シテ 鍬ヲ執ラン 南圃ノ疇
<解説>
一雨、一風ごとに寒の戻りのような寒さもようやく収まり春本番。
やがてこの春も去り、小菜園で汗する日が続きます。
<感想>
昨日は穏やかな陽気かと思うと、今日はまた寒さが戻ってくるという、着るものに悩まされる時季ですね。
まもなく立夏、盛唐の王維が「農月無閑人」(「新晴野望」)と語り、宋の翁巻が「郷村四月閑人少」(「郷村四月」)と詠んだように、農作業が忙しくなる季節。
「春愁」や春の過ぎ去るのを惜しむ気持ちを感じるとともに、真瑞庵さんの「さて、がんばるぞ」という声が聞こえてくるような詩ですね。
2013. 4.27 by 桐山人
作品番号 2013-143
籠鳥
好在樊籠裡 好在 樊籠の裡
誰知獨鳥衷 誰れか知らん独鳥の衷
何由時振翅 何に由りてか時に振翅す
夢想舞蒼空 夢想 蒼空に舞ふ
<解説>
愛鳥とは如何ぞ。
<感想>
起句の「好在」は意味と取るのが難しいですね。
現代語では「幸いにも」となりますが、それでは話がつながらないので、古典としての「健在」という意味でとらえ、「かごの中で健やかに生きているように見えるが」と逆接を加えた形でしょうね。
押原さんは、「愛鳥」と言いながら、かごの中に閉じ込めているという矛盾を指摘されたのでしょうが、古来、「かごの鳥」は自由を奪われた人間の状態の比喩に用いられますから、この詩も、そうした意味を含ませて読むと、詩のふくらみが増すでしょうね。
2013. 4.27 by 桐山人
いつもご教示頂き有り難うございます。
ご指摘頂いた起句について私の意を申し上げます。
起句は[生来樊籠裡」としたい処でしたが仄音を求めて「好在」に行きつきました。
籠の中で気楽に生きて居るように見えるとの意です。
比喩を含める意は同感です。
2013. 4.29 by 押原
鮟鱇です。2013年の投稿詩第143作 押原さんの五言絶句『籠鳥』につき感 想を述べます。
「何由時振翅 夢想舞蒼空」
籠の鳥は飛ぶ必要はない、それなのになぜ時々羽を振うのか、という着眼点が素晴らしいと思います。
合句(結句)の「夢想舞蒼空」は、それだけを見れば、とりたてて選れた句ではないと思われるかも知れませんが、詩は二句一章、轉句の素晴らしい着想のもとでとても説得力があり、余韻嫋嫋。
感服しました。
2013. 5. 1 by 鮟鱇
作品番号 2013-144
三月二十九日留別有感
京華事業十餘年 京華の事業 十余年
有意宦游房總天 意有りて宦游せん 房総の天
贈別宴闌些所恥 贈別の宴は闌なるも 些か恥づる所
敢言微祿非喬遷 敢えて言ふ 微禄なり喬遷に非ず と
花の都で働いて 十何年になりますが
思うところがありまして 今度は千葉に勤めます
送別会で照れ隠し わざわざ言ってまわります
「給料だって少ないし 出世なんかじゃありません」
<解説>
鈴木先生、いつもお世話になっております。
私事で恐縮ですが、12年間勤務した都内の職場を退職いたしまして、4月より、地元にて働いております。
地元とは言いながらも、ずっと所謂「千葉都民」でしたし、現在の勤務地の方がむしろ遠かったりもするので、微妙なところなのですが。
仕事の領域、内容も大きく変わりましたので、キャリアアップというよりも一から出直し的な状況ではありますが、日々刺激を受け、学ぶことも多く、前向きに取り組んでいるところです。
<感想>
卒業されてからもう12年になるのですね。
年齢的にも、経験的にも、自分の人生や仕事について考える時期かな?という気がします。「有意」とされたところに、決断・決意の気迫が感じられます。
キャリアは地位や職階を上げるものでなく、自己を高めるものです。
自分の経験だけでは処理できない新しい環境に属した時に、誰でも混乱するし、「過去の実績」にこだわりがちになります。「学ぶことが多い」と思う「前向き」な観水さんは安心して見ていられます。
結句は「下三平」ですので、「非」の字は直す必要がありますね。
2013. 5. 2 by 桐山人
作品番号 2013-145
日日新 日々に新
太陽下無真 太陽の下に真なく
万象死生巡 万象死生巡る
何兀兀求法 何ぞ兀兀として法を求む
曰日日日新 曰く日は日々に新し
<解説>
諺の<太陽の下に新しきなし><太陽は日々に新し>2つを捻ってみたのですが、同じ漢字を使わないということなので、はたして太陽と日、真と新は通じ合えるのかわかりません。
<感想>
ことわざとしてお使いになった「太陽の下に新しき無し」は旧約聖書の言葉で、この世には純粋に新しいものは無く、全てのものは過去の積み重ねであるという意味のようですね。
起句の「太陽下無真」がその意味を伝えているか、というと疑問です。
「太陽の下」をそのまま「太陽下」とされていますが、具体的な「太陽」を示すよりも、「日の下」という感覚で、「この世」とか「世界」の意味で「人間」「人世」「世間」「天下」などを考えるのが良いかと思います。
同じく起句で「真」が使われていますが、結句で「新」を使うために同字重出を避けたとのことですが、これでは「この世には真実は無い」ということで、「新しいものは無い」とはかなり意味が違ってしまいます。
承句とのつながりも切れてしまい、何がなにやら分からなくなりますので、ここは「新」を使って「人間無一新」、あるいは「世間無至純」などとした方が良いのではないでしょうか。
転句は語順を換えて、「兀兀何求法」とした方が良いでしょう。
結句は、平仄の点で「二四不同」を守るならば「初陽日日新」、ただし「新」の字を起句に使った場合には「晨」、あるいは「純」とか「匀」など、ニュアンスが変わるけれど韻字を整える必要がありますね。
ただ、この「曰日日日」の表現は効果的ですので、平仄から外れても使うのは面白いと思います。
「新」の字の関連で「上平声十一真」の韻目を使われたのでしょうが、「下平声一先」の「鮮・旋・遷」などで作ってみるのも良いと思いますよ。
2013. 5. 6 by 桐山人
作品番号 2013-146
乱媧
過日暖気誘櫻花 過日の暖気 櫻花を誘ひ
今旦北風凍葉芽 今旦の北風 葉芽を凍らす
巷間騒煙塵冷燠 巷間 煙塵冷燠を騒ぎ
唯池魚不知乱媧 ただ池魚の乱媧を知らず
<解説>
寒暖の差が激しい陽気で、また花粉や黄砂・公害に私も毎日悩まされています。
(体感はしているかもしれませんが)池の金魚だけは春の女神の乱心にも何食わぬ様で泳いでいる。
知らぬがホトケとはこのことではないかと思ったものでした。
「乱媧」は万物を生育した女神を無理矢理結びつけました。
(質問)
『漢詩 初めの一歩』p.72で、「(漢詩では)桜はゆすらうめ、日本のサクラではない」、とありますが、日中辞典やネットでの中国語翻訳でも機械翻訳の結果、訳文は「櫻花」となっています。
ゆすらうめをPCで変換すると山桜桃や梅桃となり、「桜」は中国語でも通用するのでは?と思うのですが・・・それとも隋唐の時代ではゆすらうめということでしょうか。
同じくp.267で、「江雪」など近体詩の規則から外れた作品が取り上げられていました。叱られそうですが、作品が素晴らしければ規則なんてどうだってかまわないじゃないかと思いました。
「古詩の風格」と言われても私には猫に小判の感です。「春暁」と好対照でただただ作品の絶妙さに黙すばかりです。
言い訳にもなりませんが基礎勉強はまだ少しも進んでいません。
<感想>
前作の「日日新」、今回の「乱媧」のどちらも、押韻についてはもう大丈夫のようですね。
平仄については、今回の詩では少し直すだけで整う形にまでなっています。「規則なんてどうだってかまわないじゃないか」と思わずに、努力を続けましょう。
起句は「過日」の「日(●)」を「天(〇)」とするだけでも平仄は合います。
承句はこのままで十分。
転句は「巷間」を「世上」とし、語順などを少し直して、「世上煙塵寒燠怯(●●〇〇〇●●)」としておきましょうか。
結句は「乱媧」が気になりますので、「池魚不覚戯皇媧」というところでしょうか。「女媧」を「春の女神」としてますので、まだ気にはなります。夫とも言われる伏羲も一緒にして「羲媧」とした方が収まりはよいかもしれません。
今回は七言詩でしたので、その分、作りやすかったのではないでしょうか。一つの句に七文字使えるということは言葉の自由度が増すわけで、平仄を合わせる時に融通がきき安くなりますね。
起句の「桜花」はご指摘のように、中国語で「さくら」を表す言葉です。しかし、それは現代の話で、中国古典、漢詩では「ゆすらうめ」となります。
石川忠久先生の『漢詩のこころ』(1980年 時事通信社)では、次のように書かれています。
「桜」は、中国では「ゆすらうめ」を意味する。花は白く、実が赤い。「桜桃」だと、「さくらんぼ」になる。また「桜唇」というと、赤くてかわいらしい唇の意味になる。だから、「さくら」を「桜」と書いてはだめだ、と言うわけではなく、中国古典詩では「さくら」は存在しないことを知った上で、日本独自の詩として書いたり読んだりすれば良いということです。
日本では、この字を「さくら」に当てた。さくらは、中国に元来ない。同じ字でも、中国と日本では指すものが違うのである。もっとも、現代ではもう中国でもさくらの花を知っていて、さくらを指して「桜花」という。
作品番号 2013-147
祝傘壽
賀宴春宵積翠湯 賀宴 春宵 積翠の湯
朋儕相集気軒昂 朋儕 相集ひ 気軒昂
人生八秩歓如夢 人生八秩 歓び夢の如し
高唱乾杯萬壽觴 高唱 乾杯 万寿の觴
<感想>
傘寿、おめでとうございます。
仲泉さんから初めて投稿をいただいたのが七年前、以来継続的に詩を拝見させていただき、楽しみにしています。
特に、青年の頃の情熱的な詩はドキドキする実感がありましたね。
以前にいただいた「結婚五十年」でも、「回首人生只如夢」と詠んでおられましたが、「夢の如し」というのがぴったりという感覚でしょうね。
今年の国民文化祭漢詩大会は山梨県で開催、一度お会いしたいですね。
2013. 5. 6 by 桐山人
作品番号 2013-148
国会之赤絨毯(迎第六六回憲法記念日)
鬼面狂奔絨毯紅 鬼面 狂奔す 絨毯紅
幾千鮮血涙痕忡 幾千の鮮血 涙痕 忡(うれ)う
願文憲法蒨人跡 願文(がんもん)す憲法の 蒨(あかね)の人跡(じんせき)
不履軍靴再小童 再び小童(こども)たちに軍靴を履かせない
<解説>
いま国会では憲法改悪へ鬼の面を掲げて赤いジュウタンの上を狂奔している。
赤いジュウタンには、幾千万の血を流した涙の恨みがしみ込んでいる。
その色は、願いを込めた憲法を実現した鮮やかな茜色の人跡でもある。
そこには、二度と子どもたちに軍靴など履かせない決意がしみ込んでいる。
【語彙】
「絨毯紅」: 白居易が左拾遺という官職であった八〇九年頃の新楽府「紅線の毯」
「蒨」: 鮮やかな茜色
<感想>
「改正」なのか「改悪」なのか、その判断を避ければ「改憲」という表現になるでしょうが、先日の憲法記念日の新聞では、若い人ほど「改憲」に反対する人が多く、五十代六十代は「改憲」に賛成派が多いとのこと。
自分はもう戦争に行かない年代だから賛成が多いのだろうと分析されていましたが、果たしてどうなのでしょう。
「改憲は結党以来の公約だ」と現首相は言いますが、そんなに長い間「公約無視」をしてきたわけですから、今更力んでも説得力は無いと思いますね。
私はこれまで、国民として「憲法を愛する」教育を受け、公務員として「憲法を遵守する」義務を果たしてきたことを誇りと思っていますが、同じものを見ていても、愛するものが人によって違うのだと感じますね。
道佳さんの詩では、結句が苦しいでしょう。この形では、「軍靴を履かず 再び小童」でどうもピンと来ません。せめて、「不」を「莫」としてはいかがでしょう。
2013. 5. 6 by 桐山人
作品番号 2013-149
[黄鐘]醉花陰・春賞櫻雲
曳杖尋幽上坡壟, 杖を曳いて幽を尋ね坡壟に上り,
嘆賞櫻雲盛涌。 嘆賞す 櫻雲の盛んに涌きたるを。
艷雪舞柔風, 艷雪 柔らかき風に舞ひ,
恰似胡蝶, 恰も似る 胡蝶の,
振翅飄飛影。 翅を振ひ 飛影を飄へすに。
石磴更登登, 石磴 更に登り登り,
遠望春光連翠嶺。 遠望す 春光の翠嶺に連なるを。
[喜遷鶯] [喜遷鶯]
關關清哢, 關關と清らかに哢り,
領山河、正是黄鶯。 山河を領するは、正に是れ黄鶯なり。
飛聲, 聲を飛ばし,
誘人佳景, 人を佳景に誘ひ,
目下浮光碧浪明。 目下には光を浮かべ碧浪 明らかなり。
湖水横, 湖水 横たはり,
金烏張翼, 金烏 翼を張り,
普照安寧。 普く照りて安寧なり。
[出隊子] [出隊子]
繽紛花徑, 繽紛たる花徑,
仙娥茅店迎。 仙娥 茅店に迎ふ。
絳唇含笑對樗翁, 絳唇 笑みを含んで樗翁に対し,
白首游魂抱酒瓶, 白首 魂を遊ばせて酒瓶を抱き,
朱臉追懷數舊功。 朱臉 追懷 舊功を數ふ。
[刮地風] [刮地風]
曾有雄圖騎大鵬, 曾てあり 雄圖 大鵬に騎り,
白面晋京城。 白面 京城へ晋(すす)む。
頻迷吏道游邊境, 頻りに吏道に迷ひて邊境に游べば,
紅友作詩朋。 紅友(酒)詩朋となる。
杯中香夢, 杯中の香夢,
筆頭霞洞。 筆頭の霞洞。
作鬼工, 鬼工をなさば,
耐品評, 品評に耐へ,
巧排聲病。 巧みに聲病を排す。
交繆斯, 繆斯(ミューズ)と交わるに,
從性靈, 性靈に從ひ,
睹物興情。 物を睹(み)れば情を興す。
[四門子] [四門子]
青春逞志憂國政, 青春 志を逞しくして國政を憂ひ,
冩諫書、表忠誠。 諫書を冩(か)き、忠誠を表す。
金秋却老爲傳令, 金秋 老を却(しりぞ)けて傳令となり,
跨青巒、化蒼鷹。 青巒を跨ぎ、蒼鷹と化(な)る。
一巡處, 一巡する處,
萬里程。 萬里の程。
辛勤累年如久行, 辛勤 累年 久しく行くが如く,
霜髪長, 霜髪 長じ,
額皺増。 額の皺を増す。
欲挂冠、歸山解酲。 冠を挂け、山に歸りて酲を解かんとす。
[古水仙子] [古水仙子]
晩烏啼、午睡醒, 晩烏 啼き、午睡 醒め,
日落西天輝煥炳。 日は西天に落ちて輝くこと煥炳たり。
先啜殘杯, 先ず殘杯を啜れば,
不磨古墨, 古墨を磨かずも,
信口七絶得善終。 口に信(まか)せし七絶 善終を得たり。
聳吟肩、新舊折衷, 吟肩を聳やかし、新舊を折衷し,
尋章摘句堪諷詠。 章を尋ね句を摘めば諷詠するに堪ふ。
仰看銀兎懸圓鏡, 仰ぎ看れば銀兎 圓鏡を懸け,
止宿月光中。 止宿するは月光の中。
<解説>
<感想>
作品番号 2013-150
処士追思猜忍 処士追って思ふ 猜を忍ぶ
口過口舌紅尖 口過口舌の紅尖る
目容工女凝想 目容工女想って凝る
無塩熜煌火炎 無塩の熜煌の火炎
<感想>
昨年来、詞曲の多様な詩体にひととおり挑戦してみようと、題を一律に「春賞櫻雲」とし、同工異曲であると嘯き、詞と曲を作り続けています。
一詩体一作を原則とし、一年がかりで詞はおよそ1900首あまり、曲は100首弱を作りました。
題はみな「春賞櫻雲」、挑んだ詩体はおよそ2000体、そこで、同工異曲です。
同工異曲の詩作りは、私の作は千篇一律だと自ら認めるようなもので、詩人としてとるべき道ではなく、愚行だとは思います。
しかし、愚行を続けるなかで愚考することも少なくなく、詩作を存分に楽しんでおり、私にとっては有意義です。
詞曲には多くの詩体があり、その個々の詩体ごとに何を詠めばよいのか、何を詩材とするのが最適か、などといった愚問で時間を無駄にしていては、
一生かかっても付き合うことができません。そこで、それらとひととおり付き合ってみる上では、同工異曲にまさるものはないように思えます。
さて、上掲の拙作は、昨年4月に作った曲の「套数」です。私が作った曲のなかでいっとういい出来とは思いませんが、いちばんの大作です。
拙作は、全51句中44箇所で押韻していますが、私の押韻の力量が仄韻も含めて大いにあがっていることが確認できた作です。
「套数」は、いくつかの曲を組み合わせて一篇とするもので、拙作は、
黄鐘の「醉花陰」、「喜遷鶯」、「出隊子」、「刮地風」、「四門子」、「古水仙子」の6曲を組んでいます。
曲の組み方については、『詩詞格律綱要(涂宗涛著:天津人民出版社。』に準拠しています。
使用した曲譜は、下記のとおりです。なお、曲譜の記号の意味は、次のとおりです。
○:平声。●:仄声。去:去声。△:応平可仄。▲:応仄可平。 また、句末については、
平:平声の押韻。上:上声の押韻。仄:仄声の押韻。
(平):その直前の一字を平声で押韻してもよい。(上):その直前の一字を上声で押韻してもよい。
(仄):その直前の一字を仄声で押韻してもよい。(平上):その直前の一字を平声あるいは上声で押韻してもよい。
[黄鐘]醉花陰 曲譜・39字
▲●○○●○上,▲●○○●上。▲●●○平,▲●○○(平),▲●○○上。▲●●○平,▲●○○○去上。
[黄鐘]喜遷鶯 曲譜・35字
○○○仄,●△○、▲●○平。○平,●○○●(仄),▲●○○●●平。○●平(上),○○▲●,●●○平。
[黄鐘]出隊子 曲譜・30字
△○○仄,△○○●平(上)。△○▲●●○平,▲●○○△●平(上),▲●○○△●上(平)。
[黄鐘]刮地風 曲譜・50字
▲●○○△●平(上),▲●○平。△○▲●○○仄,▲●○平。▲○△●(仄),▲○○仄。▲●○(平上),▲●○(平),△○▲仄。▲△○,▲●平(上),▲●○平。
[黄鐘]四門子 曲譜・52字
△○▲●○○仄,●△△、●▲平(上)。△○▲●○○仄,●△△、▲▲平(上)。▲△△,▲▲平(上)。▲○●○○●平(上),▲▲○,▲▲平(上)。●△△、○○●上(平)。
[黄鐘]古水仙子・54字
●○△、●●平(上),▲●○○▲●平(上)。▲●○○,△○●●,▲●○○▲●平。●○○、▲●○平,△○▲●○●平(上),△○▲●○○仄,▲●●○平。
上記曲譜を見てお気付きかと思いますが、絶句・律詩の平仄は平声vs上声・去声・入声ですが、曲では、平声・上声vs去声で、押韻で平声と上声の通用が許される場合がとても多いです。なお、入声は、平上去の三声に吸収されてしまっています。
また、曲で用いられた「中原音韻」は、現代韻にとても近いものです。
下の平仄記号を見ながら、それぞれの句を拝見しました。
でも、とても画面だけで追うことができず、プリントアウトして紙文書で見ないと大変でした。
現在の私には感想を述べるような鑑賞力はありませんが、句を眺めていると、鮟鱇さんの表現力がますます繊細さを持って広がっていることを感じます。
漢詩の峰は高く、追いかけるべき背中は遥かに遠いのですが、時間をかけて頑張りたいという気持ちになります。
2013. 5.12 by 桐山人
2013年の投稿詩 第150作は 銅脈(楽聖) さんからの作品です。
哀愁偶成
<解説>
変わった押韻でやってみました。
これは岩波文庫の『女工哀史』を読んだあと書いてみて、実際会社の人はそんなにおいがするを実感し、情景描写致しました。
六言絶句は唐の時代、あまり多く作られていません。
一番よく知られているのは、王維の「田園楽」と題された七首、その内の第六首を思い出された方もいらっしゃるでしょう。
「田園楽 其六」
その他の詩もなかなか見る機会がありませんので、ご紹介をしておきましょう。
「田園楽其一」 「田園楽其二」 「田園楽其三」
「田園楽其四」 「田園楽其五」 「田園楽其七」
その他に白居易や杜牧も作っていますが、私は中唐の劉長卿が書いた
蛇浦橋下重送嚴維
秋風颯颯鳴條
風月相和寂寥
黄葉一離一別
青山暮暮朝朝
寒江漸出高岸
古木猶依斷橋
明日行人已遠
空餘涙滴回潮
が分かりやすくて好きですね。
今回の感想は、六言詩に謝斧さんにお願いしました。
*******************************
作詩法によると、六言絶句の句の構成は概ね、「二字+二字+二字」あるいは、「二字+四字」で作るとしてます。
私も習作で作ったことがありますが、ものになりませんでした。
その例として
短世/風驚/雨過
成功/夢迷/酒酣
草玄/不妨凖易 玄を草する易に凖(ならう)を妨げず
論詩/終近周南 詩を論ずれば終に周南に近し
例外として、王安石の「三十六陂/春水 白頭/想見江南」があります。
銅脈さんの玉作は、晦渋でよくわかりません。おそらくは深意があるものとおもいます。
「追思」する内容はなんでしょうか。
「目容」は「目つき」でしょうか。
「無塩」とは何に言ってるかもわかりませんでした。
*******************************
謝斧さんの仰るように、難解な詩ですね。「『女工哀史』を読んで」となると、ますます難しくなるのですが・・・・
起句の「処士」はご自身のことだと考えると、「私は昔を思い出す(送思)」でしょうか。
「猜忍」は一般には「猜疑心が強く残忍」という意味ですが、付けられた読み下しでは「猜を忍ぶ」ですので、「猜疑に堪えた」というおつもりでしょうか。
承句は「口さがない女性」を象徴したものだとすると、「猜」も女性からのものと解することができます。
転句から現在の話になり、「工女」がでてきますが、これは『女工哀史』というよりも、「働く女性」ということで、会社で働いている女性たちの様子(目容)をじっと観察すると、「無塩」、これは「食事に塩も無い」という貧しい生活のことか、「塩」はサラリーの語源だと考えてもやはり「貧乏」ということかな。
辞書では女性の容姿を例えるひどい意味もありますが、ここは「貧しいけれど胸の奥には炎がある」ということですかね。
無理矢理『女工哀史』につなげて解釈したわけですが、さて、私も自信が無い状態です。
2013. 5.12 by 桐山人
鮟鱇さんから感想をいただきました。
鮟鱇です。
銅脈(楽聖) さんの玉作に関連し、愚見を述べます。
六言絶句は、平仄を調えることが出来ない句が必ず一句あります。
銅脈さんの玉作では、転句の平仄が調っていません。
このような場合、転句と合句(いわゆる結句)で対仗とすれば、その弊を逃れるこことができます。
そうすることが適わない場合は、七言絶句にするか、六言四句の詞にするのがよいと思います。
ご参考までに、平仄の調っている詞譜をご紹介します。
舞馬詞・單調24字,四句三平韻
●○●●○平,○○●●○平。●●○○●●,○○●●○平。
舞馬詞・單調24字,四句兩平韻
○●○○●●,●○●●○平。○●●○○●,○○●●○平。
三台・單調24字,四句兩平韻
○●○○●●,●○●●○平。○●○○●●,●○○●○平。
絶句は承句と転句を粘法でつなぐために、平仄を調えることが出来ません。
そして、上掲の詞譜はいずれも、句と句を反法でつないでいます。
そこで、反法でつないでも、詩としての響きが損なわれるものではないと思います。
六言四句の詩を作るのであれば、上記詞譜の一三五を不問として作詩してみても、よいだろうと愚考します。
2013. 5.13 by 鮟鱇
謝斧さんから、六言詩の平仄について、もう少し詳しくとのことでしたので、私の方で確認したことをお示ししておきます。
六言絶句の平仄については、上村賣剣先生の「作詩階梯」に図式で示されていたと思い、確認しました。
こう書かれていました。
以下引用
六言絶句は初学手を染むべきではないが、絶句の一體なれば、平仄の式と、作例として高青邱の作と掲げておく。
高青邱の詩は省略しますが、その後にこう書かれていました。
下二字は韻を踏む時は〇〇
起句 △〇△●〇● 承句 △●〇〇●〇 ・・・韻字
転句 △●〇〇●● 結句 △〇△●〇〇 ・・・韻字
下二字は韻を踏む時は●〇
起句 △●〇〇●● 承句 △〇△●〇〇 ・・・韻字
転句 △〇△●〇● 結句 △●〇〇●〇 ・・・韻字
(△は平仄どちらでも構わないという記号)
古人の作を見るに必ず一定の平仄を守っていないものもある、それには音調その他の理由があるが、ここでは研究を省略する、ただ注意しておくことは、六言の詩は概して二字二字二字と組み立てて意味が分かるようにすることが肝要である。
また、佐藤保先生の「中国の詩情」(NHKBOOKS)の本では、
六言絶句はきわめて特殊な形式です。もともとは唐代の初めに歌謡(樂府)から出て、盛唐期以後に絶句形式の一つになったものと推定されます。
このあと、王維の田園楽の第七首を仄起の例として、第六首を平起の例として出し、まとめとして、
(中略)
六言絶句は、絶句という名が示すように、一首は四句で構成されます。そして今体詩の一種ですから、句造りも句中の偶数番目の文字の平仄が入れ替わる「二四不同二六対」、あるいは一句目と二句目、三区目と四句目の偶数番目の文字の平仄が反転する反法、二句目と三句目の平仄を同じにする粘法等の絶句の原則に沿うものでなければなりません。しかも、六言絶句の場合は五言絶句同様に偶数句の句末で押韻し、韻字は平声の文字を使用するのが一般的な決まりですが、あとで述べるように、これらの原則を完全に守ることは根本的に無理があります。まことに窮屈な形式で、作品の数が少ないのも当然と言えます。
以上のことをまとめれば、「仄起式」なら後半二句、「平起式」なら前半二句で「二四不同二六対」の原則は崩れ、いずれの場合も二句・三句の粘法を守るのは到底無理ということになります。しかし、全体的に見れば、近体詩の規則に合致する面が多く、平仄の配列は古体詩ほど放埒ではありません。
2013 5.23 by 桐山人
銅脈さんからお返事をいただきました。
平仄の問題であれは踏み落としで書いています。
上村才六のシリーズの『作詩階梯』の中の平仄によっております。
詩語の『無塩』というのは気に入らない女性を指す言葉だそうです。以前、詩会で『悍婦』という詩語を使用した絶句で『無塩』でもとかいろいろその部分に受講生が手を入れようとするのですけど、いい詩語が出なかったことがあります。
2013. 6. 2 by 銅脈