2008年の投稿詩 第181作は 緑風 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-181

  第十三回北三会同窓会        

仲夏同窓集望楼   仲夏 同窓 望楼に集ふ

紅顔緑髪綽名流   紅顔緑髪 綽(しゃく)名(な)流る

微醺歓宴忘時過   微醺の歓宴に 時の過ぐるを忘る

清唱黌歌気尚優   黌歌を清唱すれば 気尚ほ優(すぐ)る

          (下平声「十一尤」の押韻)

<感想>

 私の高校の同窓会も、四年に1回、オリンピックの年に開くことになっていまして、今年の夏も地元で主催されました。
 毎年開催するほどの元気もない上に、物事を忘れっぽい年齢になってきましたから、とにかく分かり易い周期でやろうというわけです。幸い(?)にも、次のロンドンオリンピックは2012年、私の年は丁度還暦を迎えることになりますので、何となく意気盛んになっています。
 ただ、今年は教え子から「先生、今年は同窓会やりますから、来てください」と言われても日時が重複していて「ごめんね、先約があって出られない」と失礼することもあり、オリンピックに合わせて開催ということを考える人は多いようですね。

 承句の「綽名」「ニックネーム」ということになりますが、読みは「しゃくめい」と音で揃えて方が良いですね。
 この承句は意味としては「紅顔、緑髪(の昔を思い出しては)、(あの頃の)仇名が飛び交っている」と補う必要がありますね。

 結句は、「気尚優」の結びがやや弱く感じられるところですが、作者の気分としては「まだまだ若いぞー!!」という勢いだと思います。
 それも同窓会のもたらしてくれるものですね。

2008. 8.24                  by 桐山人






















 2008年の投稿詩 第182作は 井古綆 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-182

  詠松山        

和魂土壌漢才加   和魂の土壌に 漢才加はり

文墨種醒都發芽   文墨の種は醒(めざ)めて 都(すべ)て発芽

今見雙賢涵養績   今見る双賢の 涵養の績

群芳繚亂得開花   群芳 繚乱 開花するを得たり

          (下平声「六麻」の押韻)


「和魂」: ここでは俳諧をいう
「漢才」: 同じく漢詩をいう
「双賢」: 正岡子規と夏目漱石
「涵養績」: 養い育てた功績

<感想>

 この詩は、井古綆さんが以前にお作りになったものだそうです。
一年ほど前に、道後温泉での私の作品を載せた折、松山の文人や先人の業績をどう表現しようかと迷っていると書きましたが、井古綆さんは覚えていてくださったのでしょう。ありがとうございます。

 詩は、起句から順に見ていくと、「土壌」「発芽」「涵養」「開花」とつながっていて、教科書のような明解さが出ていますね。
 ただ、単純な植物栽培の図式と違うのは、転句の「今見」があることで、「(それにしても)今になってみると、二人の人材を育てるという功績が分かるなぁ」と現在から過去を振り返る形になり、時間の流れが重層的なものとなってきますね。
 実景がなく、理に走りそうな詩を、この部分で引き留めて、感動の深さを示していると思います。

2008. 8.24                  by 桐山人






















 2008年の投稿詩 第183作は 青眼居士 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-183

  思飛燕        

雨天燕子掠阡歸   雨天の燕子 みちを掠めて帰れば、

黄口喧喧無飽機   黄口 喧喧と 飽くる機無し。

今者何爲看汝少   今者 何為れぞ 汝を看ることの少なき、

水田変市屋關扉   水田 まちに変じ、いえ扉を関せり。

          (上平声「五微」の押韻)

<解説>

 最近、燕をあまり見かけなくなったと思われませんか。
 子供のころ実家には玄関の土間(三和土)の天井に巣があり、「黄口喧喧」は実景です。
 近頃の家のつくりは燕が巣づくりするのには適してないようです。

<感想>

 そうですか。
 私が以前勤務していた学校では、玄関やら渡り廊下の軒下に毎年燕が巣を作っていて、清掃当番の生徒を困らせていたものでした。現在の学校も、近くを川が流れていて土手があり、また、まだまだ水田も広く残っている環境にありますので、初夏の頃には飛びかう姿をよく見ます。
 青眼居士さんが書かれているように、田は埋められて宅地になってしまい、新しい住宅は軒の張り出しも少ない状況で、しかも冷房によって家を閉め切っていることも多くなっていますから、燕にとっては住みにくい現代でしょうね。

 後半はその主題を出しているところですが、直前の「黄口喧喧無飽機」では巣に燕の子がたくさん居る感じですので、そうなると、転句の「看汝少」がやや違和感があります。
 作者としては、前半は昔の光景、後半が今の状況という設定かもしれませんが、起句承句は現実の景という印象が強いからです。

 全体に作者(人間)の目線で描かれていますが、変化をつけるならば、例えば、結句を燕が口々に文句を言っているような流れにすると、面白いかもしれませんね。

2008. 9. 2                 by 桐山人






















 2008年の投稿詩 第184作は 湘風 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-184

  暇日        

雨天茅舎訪人無   雨天の茅舎 訪れる人無し

枕上潮音室裡孤   枕上 潮音 室裡孤なり

美酒呑干還活気   美酒を呑み干し 活気還らん

重書独坐詠詩愉   書を重ね 独り坐して 詩を詠むも愉し

          (「上平声七虞」の押韻)

<解説>

 日曜日の暇な日、家族も皆、外出したのか静かな家の中で朝ゆっくりと寝てから好きなお酒を飲んで、一人漢詩の世界に浸っている自分を詠んでみました。

<感想>

 湘風さんの二作目ですね。
 雨の日曜日、のんびりと過ごしていらっしゃる雰囲気がよく出ていると思います。

 承句の下三字は、「室裡」は言わずもがなです。「居室」の方がまだ落ち着きますが、「雨の中」、「潮の音」という情緒ある場面が前半でせっかく設定できていますので、「清韻殊」などで発展させる方向が良いでしょう。

 転句は「呑干」は口語的ですので、「酔襟」としておきましょう。

2008. 9. 3                 by 桐山人






















 2008年の投稿詩 第185作は 海鵬 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-185

  妣遺愛猫     妣愛猫を遺す   

黄泉慈母十三周   黄泉慈母、十三周

仍愛猫飢五更啾   なお愛猫飢えて、五更に啾く。

懶枕起身頒美食   懶枕(らいぜん)、身を起こして美食を頒ける。

幽情似有他温眸   幽情、他の温眸に有るに似たり

          (下平声「十一尤」の押韻)

<解説>

今夏は、母の13回忌。母の可愛がっていた猫も16才。
それ以来、毎日未明に私の枕元に来て空腹に鳴くのです。
私は眠い床から起きて香餌をやるのです。
(市販の猫缶詰では贅沢で少ししか食べず、大半は捨てることになるため、最初から鮪、鰹、鮭鱒を遣ってしまうのです。母が、この癖をつけてしまったのです)
そんな時の老猫の目を見ると母の温顔を思うというもの。

<感想>

 承句の「仍愛猫飢」は、語順としては「愛猫仍飢」でないと、「なほ猫を愛して飢え」「なほ猫の飢うるを愛して」と読んでしまいます。
 平仄のこともありますからどうしたものでしょうね、「求餌遺猫」のようにするんでしょうか、ちょっと自信がありませんが。

 結句は「他温眸」としてますが、下三平ですので、「妣温顔」にしておくとよいでしょう。

 海鵬さんからは七月の初めに同じ題名の詩をいただきましたが、掲載が遅れているうちに、推敲を進められて新たに送ってくださいました。
 前作もご紹介しておきましょう。

  遺猫復忌十三還   猫を遺して復た忌、十三たび還る
  仍五更喧眠枕間   なお五更に喧しい眠枕の間
  無奈起身頒鱒片   奈何ともするなく身を起こして鱒片を頒ける
  空眸似見妣温顔   空眸に妣の温顔を見るに似たり。

 こちらの作品では、結句を「空眸疑妣現温顔」(空眸、妣の温顔を現すを疑うにしようかと悩まれたそうですが、「似見妣温顔」の方が良いですね。
 ただ、「似」も「見」もどちらも一字で意味は十分に表していますので、表現がバタバタした感じがします。「似見」に替えて、「只有」「知是」「自識」などの虚字を用いた方が効果的でしょう。

2008. 9. 5                 by 桐山人






















 2008年の投稿詩 第186作は 鯉舟 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-186

  西湖        

悠悠碧水柳絲鮮   悠悠たる碧水 柳絲鮮やかに

十里東風到客船   十里東風 客船に到る

遠寺円橋将似画   遠寺円橋 将(まさ)に画の似(ごと)く

天降西施幅成全   西施天降れば 幅全と成らん

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 鈴木先生 永らくのご無沙汰お許しください。

 本年三月、烏鷺の友三人で中国旅行に出かけました。上海・蘇州を見物した後、蘇東坡の西子の漢詩で有名な景勝の地、西湖を訪れました。
 遊覧船上わたしはこの美しい風景の中に西施が今にも天降って来たら見事な一幅の画が完成するだろうと想像して、しばし見とれておりました。

「悠悠碧水」:碧(あお)い水がはるかに広がっている様子
「十里東風」:はるかな先から吹いてくる春風
「円橋」:片目のめがね橋
「幅成全」:一幅の軸物が完成するであろうという意


<感想>

 鯉舟さんは、新年漢詩以来でしょうか。お元気でいらっしゃったようで、なによりです。

 本文に書かれた「蘇東坡の西子の漢詩」というのは、「飲湖上、初晴後雨」を指しています。もう一首、蘇軾の詩で西湖を詠んだものでは「六月二十七日、望湖楼酔書」もよく知られています。

 詩は名高い景観をしっかり描こうとなさっていて、この詩も十分に「将似画」となっていると思います。
 ただ、結句を読んでから眺めると、転句の「将似画」の感動がぼやけてしまいます。美観に対する感動と文学面での西施への思いとの二つが鯉舟さんの胸中にあったと思いますが、詩としては、転句でひとまず景色の美しさをまとめておき、西施については、画とは別の形で描いた方が、感動が生きてくると思いました。

2008. 9. 5                 by 桐山人






















 2008年の投稿詩 第187作は 井古綆 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-187

  清流柿田川        

産業招來汚染全   産業の招来は 全てを汚染され

偸安瀕死柿田川   瀕死の柿田川を 偸安とうあんにせり

孜孜努力生新法   孜々たる努力は 新法を生み

滾滾清流駕古傳   滾々たる清流は 古伝を駕す

翡翠蜻蜓還淺瀬   翡翠 蜻蜓は 浅瀬せんらいに還り

香魚螃蟹返深淵   香魚 螃蟹ほうかいは 深渕に返る

人間至福非銭爾   人間の至福は 銭のみにあら

正使民心復自然   正に民心をして 自然に復せしむ

          (下平声「一先」の押韻)


「偸安」: 一時しのぎ
「新法」: ナショナルトラスト運動を指す
「駕古伝」: (清流が)昔の言い伝えを凌駕する
「翡翠」: カワセミ
「螃蟹」: 藻屑蟹


<解説>

 常春雅兄の玉作を拝見し、ネット上で『柿田川』を検索してつくりましたが、現地に行っていないので 事実と異なるかも知れません。
 頷聯は流水対になっております。第七句の「錢」は冒韻と成りました。

<感想>

 解説にお書きになったように、常春さんの「柿田川」を御覧になって、お作りになった作品ですね。

 今日、ほとんどの河川は護岸工事が施され、コンクリートの岸壁で固められています。上流下流を問わず、汚染物質の流入は常態となっている状況の中、清流を取り戻そうという努力が各地で進められています。
 大切なのは、「取り戻そう」「取り戻せる」という気持ちを私たちが持つことだと思います。ともすれば、「失われてしまった自然」という言葉で、あきらめてしまっていることの方が多いのではないでしょうか。
 そして、そのためには、「取り戻そうと努力している人がいる」「取り戻すことができた」という事実を知ることだと思います。
 もちろん、柿田川についても、多くの人々の継続的な献身的な取り組みがあって初めて成ったことでしょうから、他の地域で「じゃあ私のところも・・・・」とすぐにできることではないことはわかります。しかし、事実を知ることが、私たちに勇気を与えてくれます。

 常春さんの詩から、井古綆さんへと思いが伝わっていったこと、そして、このホームページを通して一人でも多くの方に伝わっていくことを願います。


2008. 9. 5                 by 桐山人



常春さんから感想をいただきました。

 井古綆さん
 迂詩「柿田川」に和していただき、有難うございました。
 素晴らしい律詩、特に尾聯の「人間至福非銭爾」、なんと力強いことかと感動しました。

 私は製造業一筋でしたから、工業が齎した汚染をどう表現するか、詩では婉曲を好むが、と頭の痛い問題でした。
 玉作では「産業招来汚染全」と直截的ですが、これが頷聯の「孜孜努力生新法」を分かりやすく引き立てていると感じました。
 時には、直截表現も活きるのですね!

2008. 9. 7                 by 常春


井古綆さんからお返事をいただきました。

 常春雅兄お早うございます。
 過分なる賛辞まことに有難うございます。

 起句の直截的な表現は読者にインパクトを与えるためで、もしも婉曲にしたならば、全体的に詩の表現が弱くなると思ったからです。

 雅兄の玉作が無かったならば、「柿田川」の名も所在も存じませんでした。ネット上でようやく探しだして一詩を為しましたのも、雅兄のおかげです。
 有難うございました。

2008. 9.10                 by 井古綆





















 2008年の投稿詩 第188作は 雨晴 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-188

  断梅江畔        

遠望東西緑樹鮮   遠く東西を望めば 緑樹鮮やかなり

紫陽花発傍江邊   紫陽花発いて 江邊に傍ふ

秧風嫋嫋長堤畔   秧風嫋嫋 長堤の畔り

時聴一声何處鵑   時に聴く 一声 何處の鵑

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 梅雨明けの爽やかな光景をイメ−ジして作りました。
 少年の頃、田舎で育った私には当時の風景が蘇っています。

 転句での転換が弱いかなぁと反省しています。もっと大胆にした方がいいのでしょうか、ご教示ください。

<感想>

 題名の「断梅」は「梅雨明け」を表す言葉ですが、季節の変わり目の風景を「緑樹」「紫陽花」「秧風」「鵑」と並べて描いていますね。

 「転句が弱いか」という疑問をお持ちのようですが、これは特に「長堤畔」が承句の「傍江邊」と内容的にも近いことがあるでしょう。
 また、起承転までが自然描写であることも変化を少なくしています。ただ、自然描写だから良くないということではなく、全体の展開として考える必要があります。

 詩の結びである結句については、スパッと言い切った名詞止めで、余韻を残していて良いと思います。その結句を導く転句ということになりますが、作者の眼の動きを追うと分かり易くなります。
 起句は「遠望」とありますように、作者の視野はかなり広いものとなっています。承句では「傍江邊」とありますので一見視野は広そうですが、「紫陽花」と持ってきたことで、「遠望」と較べるとかなり近い目線になります。「川沿いに咲いている花は紫陽花だ」と分かるためには、近さが必要だからです。
 さて、遠くまで見ていた作者がだんだんと近くを見るようになってきたと感じさせるのに対して、転句は「秧風」となり、また広がり感が出て、「あれあれ?」となります。肌で感じた風というなら良いのですが、「秧風」は田を吹き渡る風となり、更に「長堤畔」が来て「遠望」となります。
 ですから、句のつながりから言えば、起句と転句がワンペアとなるべきで、近くの紫陽花を見始めた承句を転句の位置に置いて変化をつけた方が良いでしょう。

 また、このままの配置でいくならば、転句の「長堤畔」のところで、作者自身の行動を出して、自然描写から離れるのも一案でしょうね。

2008. 9. 5                 by 桐山人



井古綆さんから感想をいただきました。

 雨晴雅兄、今日は。
 玉作を拝見し、また鈴木先生の感想を拝読いたしました。細かい点にまでご指導して頂いて頭が下がります。先生のご説明が婉曲に感じましたので、あえて筆を執りました。

 雅兄はわたくしと同年配に近いと思いますが、当HPでは日も浅いように感じられました。よって不備な点もあります。これは作詩を志す全ての者が通過ことですので気落ちしないでください。

 率直に申しますと、四句ともばらばらで、まとまりがありません。これを鈴木先生は起句承句の描写を近景と遠景が同居しているように指摘されていると思います。
 これは早くから鮟鱇雅兄も述べられています。即ち承句は起句の延長でなくてはなりません。

 鈴木先生の最後の説明 “・・・転句の「長堤畔」のところで、作者自身の行動を出して、自然描写から離れるのも一案・・・” と述べられていますが、「一案」ではなく必ずそのようになさるべきです。
 そのようにすれば転結が叙情句に変わります。

 わたくしも考えてみましたが、拙作にこれに似た作がありましたので、「初夏」 参考にしていただければ幸いです。 

2008. 9. 6                by 井古綆


謝斧さんから感想をいただきました。

結句について
  時に杜鵑を聞く 何処で鳴いているのか
余韻を含んだ収束は大変好いとおもいます

 転句結句は緩和と緊張でバランスはとれていると私は思いました。

 鈴木先生は酷評に近いかもしれませんが わたしは佳作だと思ってよみました。 題を「断梅江畔即事」と改めばよくわかるのではないでしょうか

2008. 9.17              by 謝斧





















 2008年の投稿詩 第189作は 忍夫 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-189

  五月登長谷寺     五月長谷寺に登る   

人間五月酒旗斜   人間 五月 酒旗斜めなり

紅痩緑肥山減霞   紅は痩せ 緑は肥え、山は霞を減ず

初到千年長谷寺   初めて千年の長谷寺に到り

忽耽多種牡丹花   忽ち多種の牡丹の花に耽る

僧言因果通三界   僧は言ふ 因果三界に通ずと

我識輪廻無一涯   我は識る 輪廻に一涯無しと

金色観音菩薩像   金色たる観音菩薩像

今生不惑鬢将華   今生不惑にして 鬢将に華ならんとす

          (下平声「六麻」の押韻)

<解説>

 大和の長谷寺は、牡丹で有名な花の寺です。門前町は大変な賑わいです。

 前半では長谷寺を天界、寺を一歩外にでるともうすでに雑多な人界という雰囲気をだしたかったのですが。
 後半ではありきたりですが、僧の説法を聞き、菩薩様の力にすがるしかないという心境と、四十を過ぎ半生を経た感慨を詠みました。

<感想>

 長谷寺を取り巻く自然描写から、説法、そして自身の感懐へと流れる展開は違和感がなく、納得の出来る詩だと思いました。

 頸聯の「僧言」「我識」は、お坊様の説法があったという説明には良いですが、「因果通三界」「輪廻無一涯」の違いがあまり大きくなく(私の理解では、ですが)、「僧」と「我」を対比させて「私の方は」と感じさせるほどの効果は感じません。
 副詞は頷聯ですでに使っていますので、「経声因果通三界 法印輪廻無一涯」と仏法へのつながりを示しておくと、尾聯の「金色観音菩薩像」がその教えを具現した姿として表れますので、この句の孤立が避けられるでしょう。

2008. 9.13                  by 桐山人



井古綆さんから感想をいただきました。

 忍夫雅兄今日は。
 玉作を拝見いたしました。
 先ず驚いたことがあります。雅兄のお年です。雅兄の年齢で当時わたくしは何をして居たかと反省すれば、まさに汗顔の至りです。雅兄に後から追っかけられる焦りよりも、作詩の上達を心よりお喜びいたします。

 長谷寺には以前参詣したことがありますので、わたくしの感想を述べてみます。「重箱のスミ」ですが良い点のみをお汲みください。

 詩題ですが、やはり参詣ですので「登」は如何でしょうか。

 一句目、「酒旗斜」ならば、はためく原因が必要と思います。本来ならば、当寺には「登廊」がありますので、「登廊斜」としたいところですが、平三連ですので。

 四句目、「牡丹花」がありますので、二句目の「紅痩」に少し違和感を感じます。別の表現にできないでしょうか。

 五句目、「僧言」の「言う」は少し礼を失するようです。
 六句目、「我識」も推敲の余地があるように感じます。

 鈴木先生も仰っていますが、尾聯のまとまりには熟考を要すると思いました。然しながら、詩の構成は整っていますので、後は推敲を重ねるのみではないでしょうか。

2008. 9.14                 by 井古綆


謝斧さんから感想をいただきました。

 尾聯の「不惑」はおそらくは論語からとおもいますが、それならばあまりにも唐突です。
出句と落句がつながりません。

 一句目の「斜」について、嘗て呂山先生に押印の「斜」について問うたことがあります。「句中の六字と押印の斜が合わない詩を往々見るのですが」と問うたところ、「元来斜めの意味は広いのでどんな場合でも不都合は生じないせいか、押印を整えるため、古人の詩でも、我々がおかしいとおもってもままある」とのことでした。「斜」は用いるのに便利な韻ではあり詩も落ち着くような感じもします。なかなかそういった用い方をするには老練さがいります。

2008. 9.15                 by 謝斧





















 2008年の投稿詩 第190作は 忍夫 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-190

  望東近江     東近江を望む   

秧稲分時燕語喧   秧稲分かつ時 燕語喧し

微風揺麦渡江村   微風麦を揺らして 江村を渡る

不期幽路通名刹   期せず 幽路は名刹に通ず

山上止観湖水恩   山上に止観すれば、湖水の恩

          (上平声「十三元」の押韻)

<解説>

 東近江の五月の田植えの時の風景。早苗を植えている一方で、そよ風が広大な麦畑を渡るのが印象的でありました。目的もなく、歩いていると山上に古刹がありました。山寺からの、東近江の絶景、これ琵琶湖の恵みであるとの感想を詠みました。

<感想>

 承句は特別な言葉を用いているわけではないのですが、非常にスケールの大きな表現になっていると思います。「微」の字が「風」を修飾すると同時に「揺」にも掛かっていき、麦の穂がかすかに揺れながら、ゆったりと遠くまで広がっていく感じがよく出ています。
 「薫風」「軽風」「長風」などが一般的なのでしょうが、作者が実際に見た光景を実感として「微風」と詠んだという印象が強く出ています。

 結句の「止観」は、「雑念を捨てて眺める」ということで、その前の「名刹」から導かれた言葉でしょう。

2008. 9.13                  by 桐山人



謝斧さんから感想をいただきました。

瑕疵はありませんが、転句があっさりしすぎているようにおもえます。

2008. 9.15                by 謝斧





















 2008年の投稿詩 第191作は 玄齋 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-191

  晩春偶吟        

雨餘書屋靜   雨餘 書屋静かに

掩巻自蕭然   巻を掩ひて 自から蕭然たり

含籜龍孫長   籜(たく)を含みて 龍孫長じ

辭柯梅子連   柯を辞して 梅子連なる

遣閑徐把筆   閑を遣りて 徐に筆を把り

探句僅成篇   句を探りて 僅に篇を成す

興盡柴門鎖   興尽きて 柴門鎖ざし

殘紅落机邊   残紅 机辺に落つ

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 晩春の雨上がりの光景を想像して詠みました。

<感想>

 頷聯の「籜」は「竹の皮」です。

 首聯は「静」が邪魔ですね。この一字が次の「蕭然」を先に感じさせてしまいますので、せっかくの「自蕭然」の趣を消してしまっています。「書」「巻」の重なりもありますので、どちらかの句を整理する方向が良いのではないでしょうか。

 頷聯、頸聯は分かり易いのですが、読み下しを見ると「・・を・・て」と同じ構造が続きますので、何か芸が無いような感じがします。

 尾聯は「柴門」ですので、誰か召使いが閉めてくれるような立派な門ではありませんから、恐らく自分で閉めに行くことになるのでしょうが、そうなると、次の「机辺」で室内まで飛んで帰ったような感じがします。
 作者が室内から動かないならば「柴門鎖」を変える、変化をつけて外に出たとするならば「落机辺」「薄暮天」とするなど外界の景とするような統一感を出すようにすると良いでしょう。

2008. 9.13                  by 桐山人



井古綆さんから感想をいただきました。

 玄齋雅兄、今日は。
 律詩に挑戦してまだ間が無いにも関わらず上達されているように感じられます。詩想の一助にと筆を執りました。

 二句から三句への移行が不自然に思いましたので、次のようにしては如何でしょうか。
「巻に厭きて庭辺を望む」と考えましたが、最後に鈴木先生の感想を拝見して「巻に厭きて蒼天を望む」とも考えました。さすれば三句とのつながりがスムーズになります。
 三句の「含」と四句の「辞」が少し違和感を感じます。

 尾聯は鈴木先生が述べられていますので、そのようにすれば立派な律詩になると思います。

2008. 9.14                  by 井古綆



謝斧さんからも感想をいただきました。

 三句の「含籜」では、竹の状態が変わらないので変化がなく面白くないのでは、と思います。
 事実はともかくも、詩的には「脱籜」ではないでしょうか。

 四句は、「辭柯」ならば「梅子落」になると思います。
「未辭」だから「梅子連」になるのではないでしょうか。

2008. 9.14                  by 謝斧


 三句四句に対して、お二人から感想をいただきました。
 井古綆さんは「これは雅兄が考えてください」とされていましたが、同時に謝斧さんからもお手紙をいただきましたので、答が出ちゃったかもしれませんね。

 私は、三句の「含」は実感としてオッケーかな、と思いましたが、四句の「辞」は場面を想像するのが難しく、気になりました。

2008. 9.15                 by 桐山人


玄齋さんからお返事をいただきました。

 鈴木先生、井古綆先生、謝斧先生、ご指導ありがとうございます。

 首聯は謝斧先生のおっしゃる通り、室内の「静か」と詩人の「蕭然」をそれぞれ考えていましたので、「意蕭然」に改めます。

 頷聯は井古綆先生のおっしゃっていたことをもとに修正しました。

 頸聯は頷聯との重複を避けるようにしました。

 尾聯は「門」ではなくて「窓」に換えてみました。人がいる場所は余り広くない空間にしてみました。

添削していただいた箇所を元にして、次のように推敲しました。

雨餘書屋靜   雨餘 書屋静かに
掩卷意蕭然   巻を掩いて 意 蕭然たり
解籜龍孫長   籜(たく)を解いて 龍孫長じ
繁柯梅子連   柯を繁らせて 梅子連なる
閑人徐把筆   閑人 徐に筆を把り
新句僅成篇   新句 僅に篇を成す
興盡茅窗鎖   興尽きて 茅窓鎖ざし
殘紅落机邊   残紅 机辺に落つ

2008. 9.17               by 玄齋





















 2008年の投稿詩 第192作は 東飛 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-192

  題幽鬼画        

空約佳期幾度春   空しく佳期を約して幾たびの春ぞ

斷腸狂女夜投身   断腸の狂女 夜 身を投ず

誰知三百年来恨   誰か知らん 三百年来の恨み

今日凝粧猶待人   今日 粧を凝らして猶人を待つ

          (上平声「十一真」の押韻)

<解説>

 男と約束した逢瀬が果たされないまま幾年が過ぎ
 気の狂った娘は一夜 身を投じた
 死後三百年経ても男を想い、恨めしく思っている娘の心を誰が知ろうか?
 今でも粧を凝らして あの人の来るのを待ち続ける

<感想>

 うーん、これは誰の画なのでしょうね。女性の幽霊の画ということですと、円山応挙でしょうか。北斎にも幽霊の画があったようにも思いますが、詳しくないのですみません、勝手に想像させていただきましょう。

 起句は「約佳期」ですが、内容的には「失佳期」のように思いますが、どうでしょうか。

 絵画としての残ることにより、「三百年来恨」「凝粧」もそのままに今日まで伝わることになったという後半は、写実が無い分、一層凄みが出ていますね。

2008. 9.16                  by 桐山人



謝斧さんから感想をいただきました。

 大変な佳作だとおもいます。
ですが瑕疵も多いようにかんじました。我々読者には 夜投身が舌足らずのような気もします。
 何故に 身を投じたのかという叙述がないと面白みがありません。「空約佳期」では身を投じた理由にはなりません。いわずもがでしょうか。

 常套的な「断腸」は詩意にそくした叙述のほうが良いとおもいます。
おそらくは「題画だから仕方ない」といわれることでしょうが 、そこが詩人の腕のみせどころかとおもいます。

 推敲後の詩をおまちしてます。

2008. 9.17              by 謝斧





















 2008年の投稿詩 第193作は 東飛 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-193

  曙橋晩景        

浅流春晩淥   浅流 春晩にきよ

櫻帯雨紛紛   櫻は雨を帯びて紛紛たり

鯉亂橋邉聚   鯉は乱れて橋辺に聚まり

亀閑獨不群   亀は閑にして独り群せず

          (上平声「十二文」の押韻)

<解説>

 5月31日に掲載された拙作をご批評を吟味して推敲したものです。

<感想>

 同題の「曙橋晩景」は七言絶句でしたが、内容的に五言絶句の方が寓意が生きると私が申し上げましたので、そうした点を推敲の方向とされたようですね。
 韻字はそのままですが、形式も変わりましたので、あらためて掲載させていただきました。

 起句はこのままですと、「春晩」を受ける言葉が無いため、「春晩」が「淥」となってしまいます。どうしても駄目ならば見のがすこともできないわけではありませんが、「春晩浅流淥」とした方が良いでしょう。日本語は語順が自在で、送り仮名として「春晩に」としたため不自然さを感じませんが、詩の漢字だけで読んでみると違和感があると思います。

 承句も「櫻」「紛紛」までつながるのですが、そうするのならば、「帯雨櫻紛紛」とすべきです。下三平を避けたのでしょうが、読み手としては、「雨紛紛」をひとまとまりに読みます。
 ここはもう一工夫でしょうね。

 後半は、転句の「亂」は、餌を求めて鯉が群がっている様子を表現されたもので、苦労された字でしょうか。意図は分かるのですが、「乱れて聚まる」というのがアンバランスな感じです。「躍」「跳」などの字、あるいは「擾水橋辺鯉」とするのではどうでしょうか。

 結句は、「うーん」と考えさせられる余韻がよく出ていると思います。

2008. 9.16                  by 桐山人






















 2008年の投稿詩 第194作は 深渓 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-194

  賛競泳北島選手     競泳の北島選手を賛ふ   

今歳五輪何憚難   今歳の五輪 何ぞ難きを憚からん

蛙王連覇制波瀾   蛙王 連覇して 波瀾を制す

千辛万苦人知否   千辛 万苦 人知るや否や

無上栄光民尽歓   無上の栄光 民は歓びに尽く

          (上平声「十四寒」の押韻)


「蛙王」:中国の新聞から引用。(平泳ぎの北島選手)

<解説>

 今年の北京五輪でわが競泳の北島選手が前回のバルセロナに引き続き二冠を連覇・巷間では国民栄誉賞との声も聞かれる。この栄冠は一朝にして得たのではない、と。

 北京五輪も不穏な予見がなされましたが無事閉幕を迎えました。
中でも競泳の北島選手の二冠に全国民を歓喜させたことです。
スポーツは平和の祭典といわれます。その最中ロシア軍のグルジア侵攻と、また紛争が加わりました。
 中でも印象的だったのは表彰台で一位のロシア選手の肩に三位のクロアチア選手が手を添えたことでした。
 太平を願う。

<感想>

 水泳の平泳ぎは中国語では「蛙泳」と訳しますので、「蛙王」は「カエルの王様」ではなく、「平泳ぎのチャンピオン」ということですね。

 この四年間の北島選手の記録は良くても悪くてもその都度マスコミに報道され続けてきて、決して平坦な道ではなかったことを私たちは知っていますので、彼に対しては「努力」、「復活」、「不屈」、いろんな言葉を贈りたいと思います。
 オリンピックは四年ごとでしか開催されませんので、肉体のピークをその間維持するというのは、年齢的なことを考えても大変なことだと思います。だからこそ、連覇というのは本当に難しいことであり、達成した北島選手には無条件で敬意を払いたいものです。
 もちろん、連覇が果たせなかった選手の人、メダルに届かなかった選手の人たちにも、「お疲れさま」と声をかけてあげたいです。

 深渓さんの詩は、起句の「何憚難」がよく分かりません。何が「難」なのでしょうか。
 「今歳」も四年ごとのオリンピックとしては「今次」の方が良いでしょうね。

2008. 9.16                  by 桐山人



井古綆さんから感想をいただきました。

 深渓雅兄今日は。
 玉作を拝見いたしました。同じく北京五輪に関する詩を作ったよしみで愚見を述べさせてください。

 鈴木先生もおっしゃっていますが、起句の下三字がわたくしにも分かりません。が、あと三句は申し分無い詩意ですので、非常に惜しく思います。
 先輩の雅兄に対しまして、失礼と思いましたが、起句を北島選手のみに焦点をあてて、「五輪」などの語を削除してみては如何でしょうか。
 愚見ですが、韻字はそのまま『難』で、『専心』の語を使えば、北島選手を称えた抜群の、さらに申し上げれば『圧巻』!!の立派な詩に成るように思います。

「追記」 転句結句の素晴らしいこと、頭が下がります!!

2008. 9.17              by 井古綆


深渓さんからお手紙をいただきました。

 桐山堂 鈴木先生
 いつもご指導有難うございます。ご感想ご指摘ありがたく存じます。
 また、井古綆雅兄からも貴重なご意見有難うございました。

 〇起句の「何憚難」=どうして困難を気にとめようぞ。

 開催前から北京での開催が危ぶまれ、食に空気の汚染やテロまで危ぶまれた北京での開催を今歳五輪と暗に表現さました。が、諸賢のご指摘を体して推敲を重ねます。

 向後とも宜しくお願いいたします。

2008. 9.18              by 深渓


深渓さんから推敲作をいただきました。

 桐山堂 鈴木先生
 毎々ご指導有難うございます。

 今年も余すところ六十餘日、ご多忙の日々と存じ上げます。
そのさなか、先に鈴木先生と井古綆雅兄からの起句下三字についてご感想、ありがとうございました。

 遅れ馳せながら下記のように推敲いたしました。

  一意専心持続難   一意専心 持続は難し
  蛙王連覇制波瀾
  千辛万苦人知否
  無上栄光民尽歓


 向後共宜しくお願いもうしあげます。

2008.10.31               by 深渓





















 2008年の投稿詩 第195作は 井古綆 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-195

  北京五輪        

平和祭典化形骸   平和の祭典は 形骸と化し

奥運開催万感懷   奥運の開催 万感懐(いだ)く

勿道羊頭佯狗肉   道(いう)勿れ 羊頭を狗肉と佯(いつわ)ると

金牌畢竟錯銀牌   金牌 畢竟 銀牌に錯す

          (上平声「九佳」の押韻)

<解説>

 「錯」: メッキをする。

※ 北京オリンピックが終わり作詩するには、国際問題もあるのでこのようにしか作れませんでした。
  後半を諧謔的にしました。作者としても隔靴掻痒の感がしますが、読者には理解出来ますでしょうか。

<感想>

 今回のオリンピックについては、本当に色々な思いがあり、井古綆さんが書かれた「万感懐」がその通りだと感じます。「一言で言えば」ではなく、もう「こうしか言えない」という気持ちです。

 「後半は諧謔的に」ということですが、私は祭典は祭典で良いのだと思っています。母国では争っている国同士が祭典という限定された場所の中だけは仲良くする、それはメッキのようなものかもしれませんが、現実と異なる空間を多くの人が見ることによって、それが実現へと動き出すものだと思うからです。

 祭りに夢中になっている人に向かって、現実の生活を突きつける無粋な人は居ない。私はそれと同じだと考えています。

2008. 9.16                  by 桐山人






















 2008年の投稿詩 第196作は 玄齋 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-196

  山寺散策        

尋花山寺渉崎嶇   花を山寺に尋ねて崎嶇を渉り

煩熱停筇汗似珠   煩熱 筇(つえ)を停めて 汗珠に似たり

瀑布遙聞巌嶺上   瀑布 遥かに聞く 巌嶺の上

僅留殘雪趣C孤   僅に残雪を留めて 趣清孤たり

          (上平声「七虞」の押韻)

<解説>

 夏に山奥の寺を訪ねる風景を詠みました。

<感想>

 前半の描写が夏の山路を歩く雰囲気を出していますが、初めの「尋花」が春を感じさせます。「白雲」とか「早晨」「早朝」などの時間を示す言葉が良いでしょう。

 結句の「趣清孤」「残雪」の趣であるとともに、全体を貫く情懐にもなります。
 山寺に辿り着いての広い眺望を示されたのだと思いますが、転句の「瀑布」の音が遠くから聞こえてくるという設定で十分に爽やかさが出ていますので、更に「残雪」が必要かどうか、同じ趣が二度出されているように感じます。
 効果を考えれば、転句の「遥聞」「遥看(望)」と視覚的にして、結句に聴覚の何かを持ってくるのが良いと思います。

2008. 9.17                  by 桐山人



井古綆さんから感想をいただきました。

 玉作「山寺散策」を拝見いたしました。
 昨年お寺に花を訊ねた詩 「訪牡丹寺」を拝見しました。そちらではお寺の雰囲気を出そうという気持ちがありますが、今回には全く感じられません。
 起句に「花を山寺に尋ねて」のみで、お寺の雰囲気がまったく無いように思います。わたくしは以前より、花見にお寺に行く場合でも参詣の心を挿入するべきと思っております。雅兄の今回の詩では鈴木先生もどのように批評してよいか悩まれると思います。

 玉作中の『崎嶇』ですがわたくしは「石磴崎嶇」「急路崎嶇」などとは使用しましたが、「渉崎嶇」などとは使用しませんでした。
「崎嶇」を検索したところ、陶淵明の五言詩「帰園田居」に使用例がありました。
 結句の『清孤』は浅学のわたくしには理解できませんので、鈴木先生にご教授いただきたいと思います。
難解な文字、また造語した文字などには説明をする必要があります。

 辞書を検索しますと、例えば『睍vケンカン』の意味には「みめよいさま、一説には鳴き声のよいさま」とあり、私見では先人の何方かが「鳴き声のよいこと」に使用した為、このように解釈されたと思いますが、広くご高説を拝受いたします。

 ついでに申しますと謝斧雅兄が『斜』の文字の意味の解説を太刀掛呂山先生の言をお借りしていましたが、わたくしも以前より誤用に近いことを認識していました。
 しかし、使用する理由が無い訳ではありません。『麻韻』には『花』という詩人にとっては最も重要な語が含む韻であるためと思われます。ゆえに作者は不本意ながら、「斜」を多用すると解釈いたしておりました。
 廣瀬旭荘の作もその例だと思います。点水雅兄の「初夏」の感想を書かせて頂いた折に載せて頂きましたが、この場合、路が平面的に斜めなのか、立体的に斜めなのか、読者に考える余裕を与えます。さすが大詩人であると瞻仰いたします。

    試作 山寺
  香煙馥郁誘浮図   香煙 馥郁 浮図へ誘ふ
  翁媼杖藜登急途   翁媼 杖藜(じょうれい) 急途を登る
  説教諄諄些解悟   説教 諄々 些(いささ)か解悟
  人生跌蕩愧糊塗   人生 跌蕩(てっとう) 糊塗(こと)を愧ず

「浮図」: お寺
「杖藜」: 軽くてじょうぶ、年寄りの杖。藜はあかざ
「跌蕩」: 勝手きまま
「糊塗」: 曖昧にごまかすこと

※ この韻では『崎嶇』の語を、わたくしの信条としては使用出来ませんでした。

2008. 9.19             by 井古綆


玄斎さんからお返事をいただきました。

 いつもご指導ありがとうございます。

 「渉崎嶇」「趣C孤」は服部承風先生の『韻別詩礎集成』から取ったもので、僕の創作ではありません。
「崎嶇」は辞書では「山道の険しいさま」とあったことを承知しておりますが、「渉崎嶇」は詩語集には「険しい山道を行く」と解説がありましたので、そのまま使っても問題がないと判断しました。
 「趣C孤」も詩語集に「趣がひとり清潔である」と解説がありました。
 僕は新しい言葉を作るようなことは極力避けようと思っておりますので、この点でお気づきの点があればご指摘いただけると助かります。

 滝と残雪で表現が重なっているとのご指摘を受けましたので、残雪に絞って推敲をすることにしました。

「参拝の気持ちを込めないといけない」とのご指摘に関しては、とても難しいですが、次回への課題にしていこうと思います。

 今回は以下のように推敲しました。

  早朝山寺渉崎嶇   早朝 山寺 崎嶇を渉り
  煩熱停筇汗似珠   煩熱 筇を停めて 汗 珠に似たり
  殘雪遙看巌嶺上   残雪 遥に看る 巌嶺の上
  氷心襟裏漸輕躯   氷心 襟裏 漸く軽躯たり

 いつもありがとうございます。
これからもよろしくお願いいたします。

2008. 9.24               by 玄斎


 謝斧さんからも、「崎嶇」「C孤」が詩語集に収まっているとのご指摘をうけました。
 「崎嶇」については、井古綆さんの仰るように、形容詞を目的語とするのは気に掛かるところですが、私の手元の『陶淵明集訳注』という中国の出版物でも、『帰去来辞』に用いられた「崎嶇」の語注に「高低不平的様子、指山間小路」と書かれています。形容詞から名詞へと意味が転じたものと思われます。

2008. 9.27              by 桐山人





















 2008年の投稿詩 第197作は サラリーマン金太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-197

  憶能登金剛巖門義経     能登金剛巌門にて義経を憶ふ   

風遶北溟巖石横   風は北溟ほくめいめぐって 巌石横たわり

怒濤碎散万雷鳴   怒涛砕け散じて 万雷鳴る

判官主従隠淪處   判官主従 隠淪いんりんの処

更望平泉千里程   更に望む 平泉 千里の程

          (下平声「八庚」の押韻)


「北溟」:北の海。ここでは眼下能登・日本海
「隠淪」:世に用いられず、落ちぶれること。      ここでは義経討伐令により兄頼朝に追われる身となった義経主従をさす。
     一行はここより海路奥州平泉を目指したといわれる。

<解説>

 昨年平成十九年八月、能登半島をドライブしました。
 能登半島国定公園にある能登金剛は富来から門前につながる29qの海岸線で能登外浦を代表する景勝地だ。険しい断崖と日本海の荒波に浸食された奇岩が広がる。巌門はその中でも一番のみどころ。荒い岩肌が浸食されて出来た洞門の大きさは幅6m、高さ15m、奥行き60m。
 4月から11月までの間遊覧船が運航しているので、船上から能登金剛の荒々しくも力強い大自然が満喫できる。

 また、富来町関野鼻には松本清張「ゼロの焦点」でも有名なヤセの断崖があり、その近くに義経の舟隠しと言われる入り江がある。

 義経が奥州に逃亡する際、追っ手の目から逃れるため、そして折からの嵐を避けるため、この入り江に舟を隠した、と伝えられている。奥行きは100メートルほどあり、義経主従はこの入り江に48隻の舟を隠したという。義経の舟は小さな舟だったため、48隻もの舟を隠すことができたのだとか。
 この近くには義経の一太刀岩、弁慶の二太刀岩と呼ばれる岩があり、ここで義経と弁慶が力比べをしたと伝えられている。義経は一太刀で大岩を割ったが、弁慶は岩を割るのに二回斬りつけたと言われている。義経の一太刀岩は真っ直ぐに割られているが、弁慶の二太刀岩はぼろぼろに割られている。

 また、関野鼻は1966年の大河ドラマ「義経」のロケが行われた地でもあり、原作・脚本を手がけた村上元三の記念碑がある。

<感想>

 前半は、能登、日本海の海辺を勇ましく描いて、印象深いものになっていますね。特に「風遶北溟」の歌い出しは名調子という趣がします。

 後半は一転、義経の過去へと話題が移っていくわけですが、前半の重圧感が前奏となり、まさに「隠淪」の言葉が切々と浮かび上がってきます。

 この転句までで終わっていれば義経主従の悲運に涙して落着、問題はないのですが、結句で「更」が来ると、話がおかしくなります。
 「更に」は程度が重なり増加することを意味しますので、「落ちぶれた」⇒「更に」となると、平泉にはもっと悲惨な状況が待っていることになります。
 「隠淪」は魅力的な言葉ですが、「更望」につなげるには、「隠逃」などの「逃」という意味合いを出さないとつながりが悪くなります。
 「隠淪」を残すなら、接続的には逆接でなくてはならず、「尚望」とする必要があるでしょう。

2008. 9.17                  by 桐山人



井古綆さんから感想をいただきました。

 サラリーマン金太郎雅兄 今晩は。
 玉作を拝見いたしました。いつも雅兄の遊行の仔細を想像して羈思を誘われます。
 この玉作も一種の詠史詩でありますので、気にかかりました点を述べてみたいと思います。

大詩人でもある頼山陽の「本能寺」では、過去のことである光秀の謀反を『敵は備中に在り汝能く備えよ』と賦しています。いまさらこのように賦しても史実が変わるわけでもありませんが、作者の思いが出ることで読者に深い感銘を与えます。

 玉作の起句承句は叙景描写は素晴らしく、義経主従の逃避行への、判官びいきをいやがうえにも盛り立てます。
 問題は転句です。ここからは情景描写にしたく思います。例えば、
転句 判官主従伝逃避   判官主従 逃避と伝ふ
結句 馳思平泉千里程   思いを馳す 平泉 千里の程
    「馳思」は「憐殺」または「憶殺」などでも良い。

 とこのように作者の感情を詩の後半に込めれば良いと思いますが。

2008. 9.17             by 井古綆





















 2008年の投稿詩 第198作は サラリーマン金太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-198

  宇和島天赦園        

紫藤垂架彩庭垣   紫藤 架に垂れて 庭垣を彩り

赤鯉碧池迎我飜   赤鯉 碧池に我を迎へて翻る

歴代藩公天赦處   歴代の藩公 天のゆるす処

齊知風雅憶淵源   ひとしく知る 風雅 淵源を憶ふ

          (上平声「十三元」の押韻)


<解説>

 平成20年5月、久しぶりに同園を訪問しました。

「淵源」:物事の起こり基づくところ。根源。みなもと。文化の淵源。
「風雅」:高尚で雅な趣のあること。またそのさま。詩文・書画・茶道のたしなみのあること。

 六六庵吟社で直接指導いただいている伊藤竹外先生(全日本漢詩連盟副会長、愛媛県漢詩連盟会長)は、「漢詩家の風雅の心得として、名利を求めない。」ということを折に触れておっしゃいます。当代屈指の漢詩家であり人生の大先輩の主宰する例会は漢詩創作のスキルアップのみならず、人生訓を学ぶ場でもあり、竹外老師の講義が楽しくて仕方がありません。

「宇和島天赦園」:愛媛県宇和島市御殿町9-9(以下宇和島市観光協会HPより抜粋)
 四季折々の風情が水面に映る伊達政宗ゆかりの命名、幕末の国事斡旋の舞台ともなった大名庭園。
 七代藩主、伊達宗紀(むねただ)(春山)が隠居の場所として建造した池泉廻遊式(ちせんかいゆうしき)庭園。
 名の由来は、伊達政宗が隠居後詠んだ「馬上に少年過ぎ 世は平にして白髪多し 残躯は天の赦す所 楽しまずして是を如何せん」という漢詩から採ったもの。
 書院式茶亭である潜渕館(せんえんかん)は、大正11年、昭和天皇陛下が皇太子のころ、天赦園御成の際の御座所にあてられたこともあります。


<感想>

 宇和島の天赦園を訪れたことはありませんが、この詩の前半に「紫」「赤」「碧」と色彩を重ねて描かれているところから、視覚的に美しい所だろうと想像されます。機会があれば伺いたいものです。

 承句の「赤鯉・・・・翻」は、鯉がひっくり返って喜んでいるということでしょうか。「躍」くらいが無難に思いますがどうでしょうか。
 転句は伊達公の句を引くわけですので、「歴代の藩主は一線を退いた後に、皆この地で風雅を味わった」となりますが、「憶淵源」は誰の行為でしょうか。
 句の流れから見れば、「歴代藩公」が自然ですが、サラリーマン金太郎さんの意図は、作者が「この土地の文化のルーツを感じ取った」ということのように思います。もしそうでしたら、「憶」の主語が作者であることを何らかの形で示す必要があるわけで、そこで承句の「迎我」がひっかかってきます。

 「迎我」は、主観として「私を歓迎しているようだ」という思いをそのまま言葉とされたのか、と思いますが、歴代藩主に愛された場所ということで考えると、「この地の鯉がこの私を歓迎して踊り回っている」と言うのは、大胆不敵、と言うか、私としては不要な言葉だと思いましたが、結句の結びに「私」が登場するために承句で伏線として入れたのかな、とも考え直しました。

 深読みだと言うことでしたら、すみません。

2008. 9.17                  by 桐山人



井古綆さんから感想をいただきました。

 玉作を拝見いたしました。
 インターネットとは便利なもので「天赦園」を検索すれば居ながらに現地へ誘います。ウイキぺデイアが正確でないにしろ、取り合えずの知識も得られます。
 しかしながら、雅兄の投稿が無ければ検索の仕様がありません。その点雅兄は重要な情報源になります。非常に感謝していますが、苦言を申し上げることをお許しねがいます。
b   そもそも作詩するに先立って韻字の設定に間違いがあるように思います。鈴木先生のご指摘のように「赤鯉が翻る」との表現はまずいと思います。
 もしもこの韻で取り合えず一詩を成したならば、熟読してみてください。「翻」が不自然であることが認識できる筈です。
 詩意は作者の脳裏のあって変わることはないのですから、韻字の変更をしてみることです。わたくしも度々そのようにしています。

 この度は雅兄の玉作の韻字を変えて推敲して見ました。

    宇和島天赦園 試作
  紫藤垂架映池美   紫藤 架に垂れて 池に映じて美(うるわ)しく
  赤鯉馴人覓餌浮   赤鯉 人に馴れて 餌を覓(もとめ)て浮かぶ
  藩祖秀吟天所赦   藩祖の秀吟 天の赦す所
  今成名勝耀千秋   今 名勝と成って 千秋に耀く

「藩祖」: 伊達政宗をさすが、中興の祖が正しい。
      なお藤を多く植えてあるのは、遠祖が藤原氏であるからと言われる。
「天所赦」: 園の名称は政宗公の五言詩の転句「天所赦」を取って名づけたと伝えられる。

※ この推敲作は結句から作り、起句の韻字に該当する文字が見つからなかったため、対句の正格(起句の踏み落とし)にしました。
 なお細かいことを指摘いたしますが、サラリーマン金太郎雅兄の転句『天赦處』は大変な間違いで、我々日本人は『處』と『所』を混同していますが、『所』には重要な働きがあります。『所』の後に置く動詞を名詞化する働きをします。例、所思、所管、所信。)

2008. 9.17                by 井古綆





















 2008年の投稿詩 第199作は 玄齋 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-199

  梅雨偶吟        

五月黄梅節   五月 黄梅の節

窓前烟雨濛   窓前 烟雨濛たり

脱苞苔竹   苞を脱して 苔竹緑に

破蕾石榴紅   蕾を破りて 石榴紅なり

閉戸人無到   戸を閉じて 人の到る無く

重杯瓢自空   杯を重ねて 瓢自ら空し 

雲開閑白晝   雲開けて 白昼閑かに

一徑妬花風   一径 花を妬む風

          (上平声「一東」の押韻)

<解説>

 梅雨時に一人で酒を飲む光景を詠みました。

<感想>

 梅雨時の情景を描いていますが、無理なく素直に読むことができます。その「無理なく」が、逆にポイントが薄い印象でもあります。
 例を頸聯で出せば、「閉戸」ならば当然「人無到」であるし、「重杯」ならば「瓢自空」も当然の結果で、文句のつけようがないけれど、面白くありません。
 どこかに作者独自の視点が欲しいところ、例えば、頸聯の下句を「重杯瓢空」と一字替えると、作者の酒に向かう気持ちが表れてきます。

 結句の「花」は何の花を想定されたのでしょうか。

2008. 9.17                  by 桐山人



玄斎さんからお返事をいただきました。

 頸聯は当たり前の情景を並べているだけで、変化がないことに気づきました。この点を改めることにします。

 結句の「花」は石榴の紅い花を指しているように想定しておりましたが、どうでしょうか。

 今回は以下のように推敲いたしました。

  五月黄梅節   五月 黄梅の節
  窓前烟雨濛   窓前 烟雨濛たり
  脱苞苔竹   苞を脱して 苔竹緑に
  破蕾石榴紅   蕾を破りて 石榴紅なり
  開戸人無到   戸を開けても 人の到る無く
  重杯瓢未空   杯を重ねても 瓢未だ空しからず
  雲開閑白晝   雲開けて 白昼閑かに
  一徑妬花風   一径 花を妬む風

いつもありがとうございます。
よろしくお願いいたします。

2007. 9.24               by 玄斎


 「戸を開ける」という表現によって、作者が来訪者を待っている気持ちが出てきます。反対に「閉戸」ならば、人に会いたくないという気持ちが出ます。
 頸聯をこの形で行くとすると、意味合いとしては
  足元悪き梅雨なれど
  誰か来ぬかと酒で待つ
  一杯二杯と重ねつつ
  まだまだ酒はたんとある

 と、こんな感じでしょうか。

2008. 9.28                by 桐山人





















 2008年の投稿詩 第200作は 禿羊 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-200

  慈母昇天        

画棺難掩永離蓋   画棺 掩ひ難し 永離の蓋

花裏慈顔正若眠   花裏の慈顔 正に眠れるが若し

荼毘祈祓幽明隔   荼毘の祈祓に幽明隔たり

一縷淡煙昇碧天   一縷の淡煙 碧天に昇る

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 七月中旬、母が急死いたしました。もう88歳で近い将来この日が来ることを覚悟はしていたのですが。
 我が家は神道ですので、火葬場で唱える神主の祓詞に背筋の凍る思いとともに幽明を異にしたことを実感しました。
 踏み落とし、拗体、畳韻と欠点が多いのですが。

<感想>

 米寿をお迎えになったお母さんですので、これまでの一緒に過ごしてこられた時の長さを思うと、お別れの悲しみも深かったことと思います。心からお悔やみ申し上げます。

 使っておられる言葉も情景が目に浮かぶ率直なものばかりで、禿羊さんがその日見守り続けておられたそのままを詩にされたものと思います。
 詩として今後推敲されることはあるかもしれませんが、今のお気持ちを籠めたものとして、禿羊さんの大切な詩になると思います。

2008. 9.28                  by 桐山人



謝斧さんから感想をいただきました。

  佳詩一読、推而可知詩人孝心之厚。
  嗚呼 凱風吹止、可憐孝子陟岵之情。
  悲矣 噫噫噫

2008. 9.29                 by 謝斧





















 2008年の投稿詩 第201作は 知秀 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-201

  眼疾療養中偶成        

明窓閉帳畏驕陽   明窓帳を閉ざして驕陽を畏れ

予後煩襟不施粧   予後の煩襟 粧を施さず

行覓優遊千里目   行く行く覓む 優遊千里の目

今晴雲靄仰蒼茫   今晴る雲靄 蒼茫を仰ぐ

          (下平声「七陽」の押韻)


「煩襟」:心配する心

<感想>

 知秀さんは退職をされたのを機会に、目の手術をされたそうです。「視界が明るくなり、車の運転も楽になりました」とお手紙には書かれていましたが、経過も良好とのこと、良かったですね。

 私の義父も八十を越えて最近白内障が進み、最近はテレビなどを視ていても随分つらそうですので、手術を勧めるのですが、なかなか行く気にならないようです。病気や入院をあまりしたことのない人ですから、歳をとってからの手術というのには、不安や抵抗があるのだろうと思います。

 知秀さんの詩は、前半で目を痛めた苦しみや手術への不安な気持ちを描いています。「煩襟」の「襟」は「胸の中」、手術の後の経過にあれこれと心配なさることが多かったのでしょう。

 後半は、一転明るく、まさに視界が開けたという歓びが伝わってきますね。


2008. 9.28                  by 桐山人






















 2008年の投稿詩 第202作は 井古綆 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-202

  麻生内閣誕生        

新舟進水號麻生   新舟の進水 号は麻生

式遇霜秋浪不平   式は霜秋に遇ひ 浪は平らかならず

鮫望沈船計穿穴   鮫は沈船を望み 穿穴(せんけつ)を計り 

長衝乗客示航程   長(ちよう)は乗客に衝(むかっ)て 航程を示す

桀王政貶汚君極   桀王(けつおう)の政(まつりごと)は 汚君(をくん)の極みと貶(へん)せられ

尭帝仁爲惻隠情   尭帝(ぎょうてい)の仁は 惻隠の情を為す

徒吐巧言終短命   徒(いたずら)に巧言を吐けば 短命に終わる

須憐弱者盡丹誠   須(すべから)く弱者を憐れみて 丹誠を尽くすべし

          (下平声「八庚」の押韻)


             2008、9、25日(政界は一寸先は闇のため日付ました)

「霜秋」: 季節を表すのみならず、野党の強い反対の意思を表す 『秋霜烈日』
「鮫」:野党の意思のたとえ
「長」:船長
「桀王」:夏(か)の最後の君主、暴君の典型として殷の紂王(ちゅうおう)と併称
「汚君」:悪い君主
「尭帝」:中国の伝説で、徳をもって天下を治めた古代の理想的帝王
     舜(しゅん)と共に並称される
「巧言」:『巧言令色鮮矣仁』口先がうまく、顔色をやわらげて人を喜ばせ、こびへつらうこと。
      仁の心に欠けることとされる。

<感想>

 井古綆さんから新内閣発足の詩をいただきました。
まだ七月にいただいた詩を掲載できていない状況ですので、遅れている方には申し訳ないのですが、順番を早くしないと内閣が終わってしまうことも危惧されますので、ここで掲載させていただきます。

 他の方の作品もできるだけ急ぎますので、ご了解ください。

2008. 9.28                  by 桐山人






















 2008年の投稿詩 第203作は 博生 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-203

  夏日偶感        

炎威難耐北窓涼   炎威耐え難く 北窓涼し

庭樹鳴蝉苔気香   庭樹鳴蝉 苔気香る

尚見蜀葵花十丈   尚見る 蜀葵 花十丈

衝天颯爽対驕陽   衝天颯爽 驕陽に対す

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

 庭陰に涼を求めほっとするも、暑熱から逃げてはならじと立葵が頑張っている。

<感想>

 博生さんから投稿いただいて、掲載に時間が掛かっているうちに朝晩の風が随分涼しくなってきました。何とか九月の内にと思っていましたが、季節がずれてしまい、すみません。

 起句承句ともに、前半の四字と後半の三字を逆接でつなぎたいというお気持ちでしょうね。承句はまだ分かるのですが、起句は「炎威」「北窓涼」では対比が大きすぎて、つながりが苦しいところです。

 この「北窓」という言葉からは、陶潜を始めとするあるイメージがもたらされます。

 陶潜は、職を辞して故郷に戻り、田園で隠者として生活をしました。世俗のしがらみを断ち、自然を愛し、悠々自適な暮らしを送り得た陶潜は、「隠棲」「隠者」という姿の一つの典型として、現実の世と相容れない後世の人々に憧れを抱かせ続けている詩人です。
 その陶潜が五十歳を越えた時に、息子たちへの遺言(『与子儼等疏』)を書きましたが、その中に自分の生活を振り返って語った部分があります。

 少(わか)くして琴書を学び、偶(たま)たま閑静を愛す。巻を開きて得ること有らば、便ち欣然として食を忘る。樹木の蔭を交え、時鳥の声を変ずるを見れば、亦た復た歓然として喜ぶ有り。
 常に言へらく、「五、六月中、北窓の下に臥し、涼風の暫(にわ)かに至るに遇(あ)へば、自ら謂ふ、  是れ、羲皇(ぎこう)上の人なり」と。

 後半のカギ括弧の中が、隠者の生活を象徴する部分になります。訳しますと、「五月六月、夏の暑い中では、北の窓の下に寝ころんで、涼しい風がかすかに吹いてくると、自分が太古の天子伏羲の時代よりも前の人のように思えてくる」ということです。
 羲皇(伏羲)は中国の伝説上の帝王で、人々に初めて漁猟を教え、文字を作ったとされます。中国では古代へと時を遡るほどに理想的な時代だったと考えられています。世俗の塵埃に染まらない生き方の象徴とされた陶潜、その陶潜が憧れた古代の生活が「五六月中、北窓下臥、遇涼風暫至」だったわけです。
 神仙への道に憧れ、陶潜の詩や生活に大きな影響を受けた李白は、この陶潜の疏から「清風北窓下 自謂羲皇人」という句を得て『戯贈鄭溧陽』という五言律詩を書いています。
 「夏の北の窓」という言葉は、このように羲皇、陶潜、李白と続けて眺めると、俗世を超越した世界への扉を開く鍵となります。

 中唐の柳宗元の「夏昼偶作」にも、「開北牖」(北牖を開く:北の窓を開ける)という表現がありますが、同じ趣旨ですね。

 転句の「蜀葵」は「タチアオイ」、夏の炎天下に紅い花をいっぱい咲かせていますが、「十丈」は高さを表しているのでしょうか。実際の情景をイメージすると二、三十メートルになりますので、下から見上げたということでの強調ということかもしれませんが、ここは効果があるでしょうか。
 詩全体の流れとしては、実景を描いた方がこの詩の場合には落ち着くような気がしますので、私としては「緋一丈」、目一杯のところで「赫三丈」あたりかと思います。

、 2008.10. 3                 by 桐山人






















 2008年の投稿詩 第204作は 展陽 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-204

  消夏        

驕陽三伏日   はげしい陽ざしの三伏日に

消夏作山行   暑さしのぎに 山遊びに行く

衆鳥随林去   多くの鳥が 林に沿って飛び去り

孤蝉抱柳鳴   一匹の蝉が 柳に止まって鳴いている

扶疏涼一味   木の枝や葉が四方に広がり 涼しさで一杯

小径寂無声   奥深い小道は し−んとして音なし

磴道時休歇   石段の坂道で 一休みして

閑遊暑自平   のんびりと遊べば 暑さも自ずと治まってくる

          (下平声「八庚」の押韻)


「扶疏」: 樹の葉や枝が四方に広がるさま

<解説>

 暑さでいらいらした時に独りで山歩きも如何と思って?

<感想>

 順に句を読み進めていくと、展陽さんの描かれた通りに身体が移動していくようで、心の中がスーと涼しくなる気がします。
 七言でなく五言であるため、次の句へのイメージの展開が早く、その効果が出ていると思います。

 頷聯の「衆鳥随林去」がすでに夕暮れが近いという趣を出していますので、下句の「孤蝉」が生きてきてますね。

 頸聯の「小径」「幽径」の方が良いでしょう。ただ、次の句の「磴道」がすぐに控えていますので、どうでしょうか、私は「磴道」を変更されるのが良いと思います。

2008.10. 3                 by 桐山人






















 2008年の投稿詩 第205作は 忍夫 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-205

  於三井寺        

蒼苔百段隔塵縁   蒼苔百段塵縁を隔て、

眼下江城湖上船   眼下に江城、湖上に船。

万緑空間閑一息   万緑の空間、閑かにて一息すれば、

三重塔影聴新蝉   三重塔影、新蝉を聴く。

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 滋賀県大津市にある三井寺にて詠みました。
 平家物語などにも出てくる古刹なので、ご存知の方も多いと思います。

 高い石段を登っていくと、聖域に踏み込んだ気がいたします。見下ろせば、大津の市街と琵琶湖上を行く遊覧船が一望されます。寺の中は古木が茂り、静寂に包まれておりました。三重の塔下、蝉の声を聴いているだけで心が癒されました。
 鈴木先生、井古糸更先生いつも適切なご講評有難うございます。先生方のご忠告が私にとっての漢詩上達の唯一の指標でありますので、今後とも宜しくお願いいたします。
 また、謝斧先生、過分な賛辞有難うございました。

<感想>

 起句の「蒼苔」「苔階」「磴苔」の方が「百段」への流れが良いかもしれません。
 転句は「空間」がやや間延びしている気がします。具体的な何か、あるいは「浄林」のような語に替えると、三井寺への思いも出るかと思います。

2008.10. 3                 by 桐山人



井古綆さんから感想をいただきました。

 忍夫雅兄、こんにちは。玉作を拝見いたしました。
 雅兄は方々の社寺に参詣されての作詩まことに羨ましく存じます。わたくしは三年ほど前、三井寺を訪ねましたが、石段が高くて参詣できませんでした。

 過日わたくしが申しあげましたことを好意的に解釈してくださいましたので、臆面もなくまた拙文を差し上げます。
 鈴木先生が時間的に余裕があれば、説明されたと思いますが先生の看過された点を述べてみます。

 承句の「眼下江城湖上船」「江城」は悩まれた跡が見えますが、同字重出の禁を破り「湖城」のほうが良いように思います。
 同字重出は藤井竹外作「山寺尋春春寂寥」、菊池溪琴作「幾度問天天不答」などの場合は詩意を強める効果がありますが、雅兄の場合はそれに加えて必要性があるように感じます。

 次に三井寺を詠ずるにあたっては最も重要な「三井の晩鐘」を入れなくてはならないと思います。
 ゆえに「晩鐘○○○鳴蝉」のように変更しては如何でしょうか。空字は雅兄が考えてください。
 このようにすれば転句下三字を「(時間的に)参尚早・参ずる尚早く」としなくてはなりません。

 詩の後半を叙情句にすることは大変難しいですが、一旦コツを会得すれば今後の作詩に役立つと思いますので頑張ってみてください。

2008.10. 4                 by 井古綆

********************************
 「同字重出の禁」については、井古綆さんが仰っておられるように、同じ句の内ならば、音調上の効果を図るために用いられます。本サイトでは、同句内の同字重出(「畳字」も含めて)は認められるものと思っています。(桐山人)

謝斧さんからも感想をいただきました。

『夜航詩話』にもいってますように、詩に地名を入れることは気をつけるべきです。滋賀県を「江城」というのは用例がありますでしょうか?

 私はよく知りませんが、「江城」は江戸城を一般に言うのではないでしょうか。ただ、江戸も詩では「荏土」という雅名があるようです。

 滋賀県は琵琶湖をひかえてますので「湖城」が佳いと思いますが、これも推測です。結局はよく分かりません。

2008.10. 4                by 謝斧





















 2008年の投稿詩 第206作は 忍夫 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-206

  於三室戸寺        

紫陽花満古香台   紫陽花 古香台に満ちて、

慈雨絲絲韻事培   慈雨絲絲たり 韻事を培す。

物我相忘唯捻句   物我相忘れて 唯だ句を捻れば、

鐘声一杵踏蒼苔   鐘声一杵 蒼苔を踏む。

          (上平声「十灰」の押韻)

<解説>

 宇治の三室戸寺は紫陽花で有名な寺です。
 紫陽花の満開の頃訪れました。雨がシトシトと降る中で眺める、紫陽花の美しさは格別です。
その美しさを表現したいと詩作に没頭している時、鐘の音が響いておりました。

<感想>

 三室戸寺ということで、真っ先に「紫陽花」を持ってきたのは、ディズニーランドで真っ先にミッキーマウスに会ったようなもので、この後が楽しみな展開になりますね。
 その点で、結句に「鐘声一杵」と置いたことで、まとまりとしては落ち着いた詩になっていると思います。

 承句に「韻事」がありますが、これは転句の先取りで、「お手つき」という感じです。ここは叙景で我慢しておかないと、転句の「唯捻句」がぼけます。結句の「踏蒼苔」を持ってきて「踏碧苔」などが良いでしょう。

2008.10. 3                 by 桐山人



井古綆さんから感想をいただきました。

 忍夫雅兄今日は。玉作を拝見いたしました。
 わたくしは当寺には参詣したことはありませんが、同じくアジサイ寺で名高い矢田寺に参詣したことがあります。
 玉作について少々述べてみます。起句「紫陽花満古香台」はまことに素晴らしいと思います。
 承句は鈴木先生の仰る「慈雨絲絲踏碧苔」としましたならば、詩意がアジサイとコケに分散して起句が弱くなるように感じられます。以前にどなたかに「絶句で二種類の花を詠じてはならない」と申し上げたことがありますが、その言葉がここに当てはまるような気がいたします。
 承句のみでは申し分ない句になります。
 この言葉は常春雅兄の「柿田川」の感想の折にお名前を出しました『高橋藍川師』のお言葉です。

 鈴木先生のお言葉を受けますと結句の下三字が抜けますので、「踏蒼苔」の後に埋める詩句を考えてみました。
 『塵胎』の語を考えました。「胎」はもともと「胎児・受胎」など女性に使用する語ですが、広辞苑によりますとB人身の宿る体気の根源。(道家の語)とあります。
 ネットで検索いたしましたならば、知秀雅兄の「放晴訪角島」に使用例がありました。
 知秀雅兄が使用されているのを拝見して、間違いは無いように思いますが、出来ましたならば出典なりを教えて頂きたく思います。
 この語が正しいものとして、以下のように考えて見ました。ネット上で三室戸寺を検索して、「苔」は余り必要が無いように感じました。

    試作 三室戸寺
  紫陽花満古香台、   紫陽花は 古香台に満ち、
  彩色鮮妍雨裡開。   彩色 鮮妍 雨裡に開く。
  頃刻盤桓忘参拝、   頃刻(けいこく) 盤桓(ばんかん) 参拝を忘る、
  鐘声一杵透塵胎。   鐘声 一杵 塵胎に透る。 

「盤桓」: 立ち去り難いさま

2008.10. 4              by 井古綆


謝斧さんからも感想をいただきました。

 承句の「慈雨絲絲韻事培」では、「培」は強韻じゃないでしょうか。
おそらくは「媒」の誤りではないでしょうか。詩が「紫陽花」と「慈雨」の「媒」となると理解しました。

 「物我相忘」は荘子ですが、表現がおおげさすぎるとおもいます。
 結句は蒼苔の上を句を探しながら歩いていると鐘声がきこえたということでしょうか。

 相変わらずの佳作だとおもいます。

2008.10. 9               by 謝斧





















 2008年の投稿詩 第207作は 鮟鱇 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-207

  [仙呂]醉扶歸・吟得二萬五千詩所懷         

樗散呻吟致,        樗散 呻吟して致す,

二萬五千詩。        二萬五千の詩。

我不是詩龍醉未知,   我は詩龍にあらず 醉ひて未だ知らず,

酒虎吟將嗜。        酒虎吟じ將に嗜まんとするを。

尚有前途埋麗詞,     尚ほ前途の麗詞を埋むる有らば,

更揮禿筆求押字。     更に禿筆を揮ひ押字するを求めん。

          (中華新韻「十三支」の押韻)


<解説>

「樗散」:役立たず。
「詩龍」:詩に達者な人。
「酒虎」:酒に虎となる人。
「麗詞」:美しい言葉。
「禿筆」:使い込んでちびた筆。
「押字」:押韻

 漢詩を作り始めて11年と3か月になりますが、このたび作詩数2万5000首を超えました。
2万を超えたのが2006年の7月ですので、1年2500首がこのところのペース、ちなみに今年は、漢俳・灣俳が多いのですが、6月までに2000首を作っています。律詩・絶句・詞曲が約800、漢俳・灣俳など短詩が約1200。
 これらの作の99%は、四字成語に取材した習作です。平仄・押韻で苦労することは今はほとんどありませんが、小生の詩想の貧苦は補いようがありません。そこで四字成語に取材し、語彙を増やす努力を今はしています。

 さて、2万5000首超のマイルスト−ンとして作った拙作は、「曲」ですが、元代の「中原音韵」ではなく、中華新韻で作っています。
なお、元代の「中原音韵」は、入声が完全に消滅しているなど、現代の中華新韻とあまり変わりがありません。
 また、拙作「詩」が重字となっていますが、曲はそれを忌むものではありません。

 わが国の詩歌では、俳人は俳句、歌人は短歌という具合で、ある種タコ壺的一所懸命主義がはびこっていると思っています。これに対し、日本人が作れる詩歌はそれだけはない、ということをアピールするために、漢詩の韻律がもつ詩的生産性の高さを示したい、ということが小生の詩作の大きな原動力になっています。
 一所懸命にやればいい作品が作れるというのは、とかく専門バカを生み出してしまう日本の文化と教育が抱く幻想ではないか、と小生は考えています。
 「一所懸命にやればいい作品が作れる」という発想は、いい作品を作ること(さらには作品の優劣を競うこと)を、無批判に目的としています。

 詩を作ることには、喜びがあります。しかし、その喜びが、句誉や歌誉を求める一所懸命主義のもとで矮小化されている、そういうところが日本の詩歌作りにはある、と小生は思うわけですが、「我不是詩龍醉未知,酒虎吟將嗜。」は、そのようにして詩人は詩、酒徒は酒に一所懸命であるべきである、という固定観念に酔い痴れている日本の詩歌の一所懸命主義への、Nonを述べたつもりです。

 一所懸命主義の固定観念を打ち破ること、詩を作る者にとっての詩的豊穣を再び復活するための破壊、私はそれを、詩を作る当面の目標としています。



<感想>

 鮟鱇さんは以前、陸游が生涯に作ったと言われる二万首が目標だと仰っておられましたが、あっという間に超えてしまいましたね。「あっという間」というのは他人が見てのものですので、ご本人には長い年月だったのかどうか、それは分かりません。
 鮟鱇さんは常々「詩才が無い」と謙遜しておられますが、毎日七首か八首を作り続けなくてはいけないペースですので、まずは作り続けることのできることが誰にも真似の出来ない「才能」の一つだと思います。

 日本の詩歌は、平安の昔から身内サロンでの文芸スタイルを守っているわけで、芭蕉が「象潟や雨に西施がねぶの花」と詠んだ時には、すくなくとも自分の俳句の読者として、「西施」を知っている人、もっと言えば蘇軾の詩を知っている人を想定しているわけです。
 作者と読者が教養基盤を共有する「場」での知的創作はスリリングでもあり、一体感を抱くことの出来るものでもあり、そのこと自体はまさに文芸の楽しみでもあると思います。
 しかし、一方ではそれは「箱庭」的集団意識を醸成し、鮟鱇さんの言われる「タコ壺」的な要素を産み出していることも否定できません。

 「詩を作ることには、喜びがある」と書かれた鮟鱇さんの「尚有前途埋麗詞」の句には、詩人の希求する根源的なものが端的に描かれていると思います。

2008.10. 3                 by 桐山人






















 2008年の投稿詩 第208作は 井古綆 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-208

  清流 長良川        

濫觴一滴雪山悠   濫觴らんしょう 一滴 雪山悠かに

萬澗成江下二州   万澗江と成り 二州を下る

月照名城蝮毒剋   月は名城を照らす 蝮毒ふくどくこく

篝煌烏鬼蕉翁愁   こう烏鬼うきかがやく 蕉翁の愁ひ

曾將幕政圖治水   曾て幕政を将って 治水を図り

幾制蟠龍斷饉秋   幾たびか蟠竜を制し 饉秋きんしゅうを断つ

勿忘先人懸命跡   忘るる勿れ 先人 懸命の跡

須傳昆後此清流   須らく昆後こんこうに伝ふべし 此の清流を

          (下平声「十一尤」の押韻)


「濫觴」: さかずきから溢れるほどの僅かな水
「雪山」: 長良川の発源、大日岳を指す
「万澗」: 多くの谷川
「二州」: 飛騨・美濃の二カ国
「名城」: 稲葉山城、一時斉藤道三の居城であった
「蝮」:  マムシ、道三は美濃のマムシといわれた
「剋」:  下克上
「篝」:  かがり火
「烏鬼」: 鵜飼い(和語か)
「蕉翁愁」: “おもしろうてやがて悲しき鵜舟かな” を指す
「治水」: 木曾三川分流工事(参照)拙作「偉人平田靫負公
「蟠竜」: 洪水の暴れるのを竜にたとえた
「饉秋」: (洪水のために)不作になること
「昆後」: 後昆、次世代

『斉藤道三』 もと、山城の国の油商人で、美濃に往来し、守護土岐氏にとりいった(これは道三の父という説が有力)が1552年土岐氏を追放して(下克上)美濃国を領し、織田信秀と結び、信長を女婿とする。子義竜と戦って敗死。(1494〜1556)

<解説>

 長良川を詠じるには鵜飼は必須であり、鵜飼には蕉翁の絶唱といわれる秀句もまた必須です。
 その対句として金華山上の岐阜城を入れましたが、頷聯の下句「蕉翁愁」に対する「蝮毒剋」はそれぞれ仄下三連・平下三連となっております。
 なお、最後の句頭の「須」は「當」も考えましたが、先生のご意見を頂戴いたしたいと思います。

 これで日本三清流を作りました(四万十川は他のHPに投稿)。
 鈴木先生のお許しを頂けましたならば後日投稿いたしたいと思います。



<感想>

 「鵜飼い」を何と呼ぶのか分かりませんでしたが、ネットで調べましたら、杜甫の詩に用いられている「家家養烏鬼 頓頓食黄魚」が中国の鵜飼いの古い記録のようです。
 しかし、この説には異論が多いようで、信憑性に欠けるように思います。同じくネットで調べましたら、江戸時代の古文書に「鸕鶿獲食焉而不能食。如佛説所謂餓鬼。故呼曰烏鬼。」という記述があるようですが、これも日本人が言い出したことかもしれず、判断はできません。
 「鸕鶿」としておけば「う」のことですので間違いはないのでしょうが、これはどちらも平声ですしね。
 不確実ですが、お使いになった「烏鬼」が先ほどの古文書の根拠もありますので、分かり易いでしょうね。

 現在長良川で鵜飼いが行われている区域と治水工事の行われた下流とは離れているのですが、長良川を総体としてとらえて見る形ですので、あたかも岐阜の町から長良川の川下りをしているような感覚になります。

 地元の人間としては、こうした詩を読むと嬉しくなりますね。

2008.10. 3                 by 桐山人






















 2008年の投稿詩 第209作は サラリーマン金太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-209

  伊達宗城公     伊達宗城むねなり公   

外患内憂紊亂中   外患内憂紊乱の中(びんらんのうち)

鶴城治政盡精忠   鶴城(かくじょう)の治政(ちせい)に精忠を尽くす

進取建言人景仰   進取の建言 人景(じんけい)仰(ぎょう)し

紅湖齊頌四賢公   紅湖(こうこ)斉(ひと)しく頌(たた)ふ四賢公なりと

          (上平声「一東」の押韻)


<解説>

「外患内憂紊乱の中」:幕末の一連の騒擾。外からは米国などの開国・条約調印要求、内にあっては尊皇攘夷さらに開国倒幕、公武合体、王政復古と国論は割れ政局はいよいよ不安定化した。
「鶴城」:伊予宇和島城
「紅湖」:日本国
「伊達宗城」:宇和島・伊達家第8代藩主。江戸(現東京都)の旗本山口直勝邸に生まれる。宇和島藩藩主となって以来、文武を奨励し、蘭学の導入を積極的に図り、二宮敬作を重用したり、高野長英や村田蔵六(大村益次郎)を招いて、蘭書翻訳・蘭学教授・砲台設計・軍艦建造などにあたらせたりした。幕末期には、将軍継嗣問題などの幕政にも関与し、安政の大獄に関係して隠居したが、宗城は福井藩主・松平春嶽、土佐藩主・山内容堂、薩摩藩主・島津斉彬とも交流をもち、世に幕末四賢公の一人に数えられるほどの開明的な発想の持ち主であった。明治政府では、議定・大蔵卿・清国への欽差大臣・修史館副総裁などを歴任した。
 2004.10.1から10.31まで宇和島市立伊達博物館で「平成16年度特別展 村寿、宗紀、宗城の時代展」を観覧したおり日本国勲一等旭日大授章や布哇(ハワイ)国第二等勲章・勲記、明治天皇からの下賜品など宝物を拝見しました。いずれにしても郷土の偉人の一人です。
 今回の大河篤姫では、脇役で影が薄い扱いでしたがね。

<感想>

 サラリーマン金太郎さんは投稿くださる時はいつも、お使いになった韻目を書かれるのですが、今回は「上平声一東・拗体」とされていましたので、起句の「四字目の孤平」、承句と転句の平仄が異なった「不粘」は意識してお作りになったものということですね。
 「拗体おう」の範囲は幅が広く、「古詩に入れるのか、破格として拗体とするのか」が判断しにくいと思います。
 どっちでも良いならそれでも構いませんが、整理するのならば、私は「それぞれの句が近体詩の平仄に則る句(律句)ならば拗体(破格)とし、句そのものが平仄を崩している(二四不同や二六対が破れたり、孤平だったり)ならば古体詩とする」と分類するのが良いと思っていますが、皆さんはどうお考えでしょう。

 さて、詩の内容としては、郷土の偉人への敬愛が素直に出ていると思いますが、承句で地名を出した効果はどうでしょうか。というのは、起句の「日本国は内憂外患で大変だった」という広い視野を受けると、「鶴城」がいやに小さく感じるからです。
 「まずは足元の藩政から安定を図っていかれた」というお気持ちかもしれませんが、ちなみに、承句と転句の上四字を入れ替えてみると、その違いが明らかになってくるのではないでしょうか。

 もう一点、「盡精忠」はパンフレットの説明みたいで味気ないんですね。せっかくサラリーマン金太郎さんは多くのことをお調べになったのですから、「治政」がどうだったのか、経済面の施策、文化面、軍事面、などのどこを作者は評価するのか、具体的な語が出てくると、作者の気持ちが結構出てきて面白いと思います。

 「人景仰」「紅湖」はよく分かりません。何が出典なのでしょうか、お教えいただくとありがたく思います。

2008.10. 5                 by 桐山人



井古綆さんから感想をいただきました。

 サラリーマン金太郎雅兄、こんにちは。
 玉作を拝見いたしました。解説を読んでみますと、宗城公のことをよく研究されていて、最後にお書きのように「今年の大河ドラマでは宗城公の影が薄い扱い・・・・」と落胆の気持ちを表していますのは、ドラマの性格上いたし方がありませんが、雅兄の郷土愛の発露でお気持ちはよく理解できます。

 詩のほうに言及しますと、全体としては纏まっているように感じますが、部分部分では詩意が不足もしくは乖離しているように思います。
 鈴木先生も述べていますように、拗体を雅兄が認識されていることは、雅兄が正直なお方であると感じました。その上で感想を申し上げますが、心に響いた点のみを汲んでくださればと思いまして筆を執りました。

 まず『起句』ですが、通常では「内憂外患」と言い、「外患内憂」とは言いませんので、起句を「内憂外患」とすれば拗体にはなりません。

 「内憂外患●○中」まで措辞できたならば、「みだれる」の字を考えます。「紊」「乱」「紛」「糾」などがあります。
 そのうち平字は「紊」「紛」で、紊乱はありますが、乱紊はあまり聞いたことがありません。「紛糾」は「糾紛●○」の語があります。
 少し努力すれば平仄に合致した詩語を得られますので、推敲の努力は報われると思います。

 『承句』、「鶴城治世盡精忠」では公の功績としてはスケールが小さく、この場合「精忠」は臣下が藩侯に尽くす言葉です。
 「邦家前路尽精忠」とすれば宗城公の功績を表す語になります。

 鈴木先生が“承句と転句の上四字を入れ替えて・・・”と述べられているのは、取りも直さず転句が転句たる意味をなしていないことを表しています。
 また、『転句』の「進取建言」の読み下しが間違いのような気がします。わたくしは「建言を進取して」と読むべきだと思います。

 鈴木先生がご指摘の「人景仰」「人敬仰」の『打字』の間違いで、「紅湖」は「江湖」の『打字』の間違いではないでしょうか。

 拗体の詩は三島中洲先生の「磯濱登望洋樓」にありますが、端正な詩だと思います。玉作に感動して、六七年前次韻させて頂きました。
 「謹次韻 三島中洲先生玉作」 

例によって試作してみました。
    試作 伊達宗城公
  内憂外患糾紛中   内憂外患 糾紛(きゅうふん)の中
  聴取建言輸大忠   建言を聴取して 大忠を輸(つく)す
  倶作維新上榮秩   倶(とも)に維新を作して 栄秩(えいちつ)に上る
  今人斉仰四賢公   今人 斉しく仰ぐ 四賢公


「倶作」: 四賢公の功績
「栄秩」: 高い官職

2008.10. 6              by 井古綆


井古綆さんから、追伸をいただきました。

追伸:
 転句の「人景 仰」の意味についてですが、「人は景仰し」と読むのではないかと思います。
「景仰」は詩経よりの語で「景行」ともいわれ「敬仰」と同意義です。

2008.12.11              by 井古綆

 また、サラリーマン金太郎さんからは、「紅湖」は「江湖」の打ち間違いとのお返事をいただきました。





















 2008年の投稿詩 第210作は 青眼居士 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-210

  夜熱        

暑氛盡日籠吾房   暑氛 尽日 吾が房を籠め、

苦悶三更莫夜涼   苦悶 三更 夜涼し。

月照斷雲天若燬   月は断雲を照らして 天くが若く、

風吹叢竹朶無颺   風は叢竹を吹いて えだひるがえる無し。

欲眠枕上汗沾褥   眠らんと欲すれば 枕上 汗は褥をうるおし、

雖讀燈前蟲聚傍   読むと雖も 灯前 蟲はかたへに聚まる。

團扇千振何所效   団扇 千振 何の効く所ぞ、

惟須C旦得安康   惟だつ 清旦 安康を得るを。

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

 関西地方は連日の猛暑日、熱帯夜で、毎晩寝苦しい思いをしています。ある晩、眠れぬままに窓の外を眺めますと、風は凪いで、ちぎれ雲の間の月が真赤にかがやいて、まさに熱夜の空でした。

<感想>

 投稿いただいたのが八月の初旬でしたが、本当に暑い夏でした。青眼居士さんが書かれた通りの情景が我が家でもくり返されていたことを思い出します。

 第一句と第二句のつながりをスムーズにするために、「苦悶」は取っておき、「尚至三更莫夜涼」とした方が良いでしょうね。

 頷聯の句は、下句から見れば上四字と下三字を逆接で両句ともつなぐのでしょうが、月に照らされた空を「天若燬」とイメージするのは、私はちょっと苦しかったですね。

 尾聯の「團扇千振何所效」は、まったくその通りで、寝室にクーラーを置いてない我が家では、笑っちゃうくらい納得できる一句でした。

2008.10. 5                 by 桐山人